読切小説
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横恋慕の帳尻合わせ

「はい、お待ちかねのお賃金ですよ。今回は賊の襲撃もありましたし……危険手当を上乗せしまして……このようになります。どうぞお確かめくださいな」
「それじゃ、いただきまして……」

俺の、用心棒としての雇い主……ジパングという遠い国の生まれの行商人、スミレが、にこにこと笑いながら手を差し出す。その手に握られた二つの布袋を受け取って、中身を覗く。銀の輝きに、ずっしりとした重み。軽く揺するとじゃらじゃらと音を立てる。我ながらよく頑張った、という感じの気持ちになる。
魔法の才能に恵まれた俺にとって、そこらの賊程度は敵じゃない。とは言え、護衛というのは気を張る仕事だった。

「確かに確認したっすよ。いやー、スミねぇ様様っすね……!」
「うふふ、現金な子ですねぇ……」
「いやいや、ほんとに尊敬してるっすよ。ありがたいって思ってるっすよ」

俺が子供だからと言って足元を見たりはせず、能力分のカネを支払ってくれるのが俺の雇い主の良い所だ。黒髪の綺麗な、とびきりの美人。近づくといい匂いがするし、おっぱいも大きい。
俺がケッコンしたいのは義姉さんだけだけど、一緒に居るのが美人で悪い気はしない。
とにかく、俺にとってはこれ以上ない、最高の雇い主だ。カネを受け取る時ぐらいは愛想良くするものだ。底の知れないこの人は、俺の愛想笑いぐらい見透かしている気はするけど、その上で俺の事を気に入ってくれていて、もうかれこれ何ヶ月も一緒に旅をしている。
有望な若者を育てるのも道楽の一つだとスミ姉は言う。奇特な人なのは間違いない。

「じゃあ……半分はいつも通り、孤児院の方に頼むっすよ」
「まったく、お姉ちゃん思いの健気な子ですねぇ……どれ、おねえさんが代わりに労ってあげましょう……いい子いい子」

俺がこんな仕事をしているのも、孤児院を切り盛りしている義姉さんのためだ。俺のように行き場のなくなった子供を拾ってこずにはいられない、どうしようもなく優しいシスターのため。俺の、たった一人の大切な人のため。俺を救ってくれた人のため。

「そういうのはいいっすから。いい子とか言うなっす」
「いい子いい子させてくださいな」
「やめろっす」

頭に伸びてきた手をかわしながら、片方の銀貨袋を、改めてスミ姉に手渡す。
この殆どが、孤児院の子供達の飯やら何やらに消えて行くのだろう。義姉さんが美味しいものを食べたり、おめかししたりするためには使われないのだろう。
その事を思うと、上前を刎ねられているような気持ちになる。俺が大切なのは義姉さんであって、孤児院の子供達ではない。そういう奴は、いい子ではない。
それでも、俺は仕送りをやめるわけにはいかなかった。
街の人からの寄付や、兵士をやっているアニキの稼ぎだけでは、孤児院の生活はまともな水準に届かない。そして、真っ先に身を切るのは義姉さんとアニキだ。

「さて……今回もあたし名義の送金でよろしいんですね?しつこいようですが、これはロニ君のお金ですよ」
「よろしいっす……っていうか、仕方ないでしょ。アニキの稼ぎは受け取るくせに、俺からは嫌なんだから……」
「そうですねぇ……そればかりは如何ともし難いものです」

そして困った事に……俺がそこらの大人より稼げるようになっても、俺が稼がないと孤児院の連中が食い詰めるとしても。義姉さんにとって、俺は”子供”らしい。本当なら自分が守ってあげなければいけない存在で、頼ってはいけないと思っているらしい。
だから義姉さんは、俺の稼いだ金を素直に受け取ってくれなかった。見返りを求めて育てたわけではない、と。結局、孤児院の子供達のためという事で受け取らせたけど、その時の、悔しさを圧し殺した笑顔が忘れられない。
それで今は……雇い主に頼んで、わざわざ名義を借りて仕送りをしている。

「そりゃ、俺が稼いだ金として受け取ってくれるなら、それが良いっすけど?義姉さんの嫌な事はしたくないっすし?スミねぇみたいに金を持ってる人から貰った方が気が楽なのは確かなわけっすし?義姉さんに要らない負い目を感じさせるのは嫌っすし……」

義姉さんが、俺の稼いだ金を、俺の頑張りを受け取ってくれて。それを義姉さんのために使ってくれて、それで俺を褒めてくれたら……きっと、とても幸せなんだろう。けど、実際のところはそういかない。上手くいかないなりに頑張って、これが精一杯だ。
褒めてもらいたいけど、褒めてもらう必要はない。義姉さんが幸せならそれでいい……とまでは言えないけど、義姉さんが幸せじゃないのはどうしても嫌だから。

「愛、ですねぇ。妬けてしまいます。どれどれ、愛しのお姉さんの代わりに、おねえさんがいいこいいこしてあげましょう」
「だーかーら、子供扱いはやめろって言ってるじゃないっすか。俺はもう一人前なんすよ……」

俺の頑張りを知る女商人は、労い半分からかい半分といった様子で、俺を子供のように可愛がろうとしてくる。今回は、後ろから俺を抱き締めて、そのまま頭を撫で回そうとしてくるのだからたまらない。依頼主の意向なので大きく抵抗こそしないが、不服である事はアピールしておく。

「あぁん、つれませんねぇ……何度も申し上げましたが、あたしはちゃんと、ロニくんを一人の男として見ているというのに……」
「じゃあ、子供扱いもやめるっすよ……」
「いいえ、そこは子供で一人前ということで……あぁ、いいこ、いいこ……」
「だからいい子じゃないって言ってるでしょ……」
「いいこいいこ……」

キモノというジパングの服越し、頭の後ろが、柔らかな感触に包まれて。片腕は俺が逃げないように優しく捕まえて、もう片方の手が頭に乗せられる。抱き締められると、女の人のいい匂いに包まれて、ドキドキとした気分になってしまう。頭の後ろに当たるおっぱいもだし、スミ姉の大人のカラダは、とても柔らかくて気持ちいい。
そして、その指先も器用で、優しく頭を撫で回されると、ついうっとりとして、目を閉じてしまう。
子供扱いは不服だけど、スミ姉の手つきにはなかなか勝てない。雇い主だからぞんざいに扱うわけにもいかない。恐ろしい相手だ。

「あぁもう、いい加減にするっす。俺はあんたのおもちゃじゃないっすからね」
「あぁん、いけず……そこがまた可愛いところなのですが……」

気持ち良さを我慢して、なんとかスミ姉の抱っこから脱出して、文句をつける。
文句を言っておいてなんだけど、スミ姉に可愛がられてやるのは嫌いじゃない。ただ、それが嫌じゃない自分が嫌だった。


 ◇◇◇


「……スミねぇ。敵っす」
「おや、ロニくん。……賊ですか?それとも魔物ですか?」
「賊っす。向こうの連中、旅人に見えるけど……あの辺に何人か隠れてるっすね。敵認定で」

進む先には、商人のような一団。規模は少数で、一見キャンプを張っているように見えるけど、近くの茂みに人が隠れている。
本能が、ピリピリとした敵意を感じ取る。魔物なら、もっとじくじくどろどろした、気持ち悪い感覚だから、これは人間に違いない。
通りかかった旅人を襲う野盗だろう。たぶん、食い詰めた傭兵くずれか何かか。
生きるためなら、他人から奪ってもいいと思っている連中だ。気分が悪い。これが同族嫌悪って奴なんだろう。

「なるほどなるほど……では、お任せしましたよ、ロニくん」
「じゃあ、こっちから仕掛けていいっすね?」
「ええ、やってしまいましょう」

雇い主の了解を経て、臨戦態勢。マントのように羽織った”毛布”に魔力を通す。義姉さんがくれた愛用の毛布は、俺の宝物で、俺の身体の一部で、最大の武装だ。
肌身離さずいつも身につけていたおかげで魔力が馴染んでいて、物質強化・操作魔法の才を持つ俺ならば、ただ魔力を通すだけで鉄よりも硬くできるし、手足のように操り、伸縮させることもできる。

「俺から離れないで。そっちの方が守りやすいんで」
「うふふ……それでは、不束者ですが」
「それはちょっと近過ぎるっすね」
「あぁん、いけず……」

腰の革袋から、拳大の金属球を取り出す。雇い主から支給された、スリング用の弾だ。銀に似たこの金属は、魔力だけを傷つけて生物の命を奪わない。
スミねぇからは、人間魔物問わず、相手を殺すなと言いつけられている。俺が人殺しになったら義姉さんが悲しむけど、これのおかげで俺は手加減を考えずに戦える。
その雇い主はといえば、俺の背中にぴったりとくっついてきて、慌てた様子も見せない。離れるなとは言ったけど、くっつけとは言っていない。隙あらば人をからかうこの余裕は一体どこからくるんだろうか。

「まずは一発……よいしょっと……!」

”毛布”を操り金属球を掴み、魔力を込めながらぐるぐると振り回す。そして茂みの中、一瞬だけ光を反射した矢尻らしきものを目印にして、弾を放つ。銀弾は風を切りながら飛んでいき……野盗の一人に命中した。

「……よし、一人落とした。さて、どう来るか」
「お見事。流石はロニくんですねぇ」

"毛布"の出力は、そこらの大人なら一捻りだ。そこから繰り出される銀弾の威力は、投石の範疇に収まるものではない。直撃を受けた男が大きく吹き飛んで、動かなくなる。これが石だったら、たぶん死んでいるだろう。

「ちっ……向かってきたっす。逃げるなら背中を射抜いてやったんすけど」

派手に一人吹っ飛ばしてみせたけど、野盗は反撃の体勢に移るらしい。根性があるのか、数で勝ってるからなのか、近づけばどうとでもなると思っているのか。なんにせよ、向かってくるなら俺の敵だ。
茂みには弓を構えた奴が残り一人、キャンプの連中も旅人のフリをするのをやめて、武器を構え、雄叫びを上げて突っ込んでくる。見えているのは合計六人。少しためらう様子はあったけど、思い切りがいい。たぶん素人ではない。それでも身のこなしは、よくてアニキと、そこらの兵士と同じぐらいだ。十人居ても俺が勝つ。

「っと……危ない危ない」

風切り音。飛来する矢。自分と雇い主を覆うように”毛布”を展開し、矢を弾き飛ばす。矢を放った男が面食らった顔をしているのが見える。ひ弱な魔法使いとでも思っていたらしい。

「こいつで、二人目……!」
「うふふ、頼もしい頼もしい」

そのまま返しに、第二射。命中。男が、吹き飛んで茂みの中に消えていった。

「残り四人……これは、後ろの一人は魔法使いっすか。ちょっと面倒っすね」

散らばりながら突っ込んでくる男が三人。そのうち、盾を構えた男が一人。囲まれると面倒になる。そう考えた矢先、微かな魔力の揺らぎ。意識を集中させれば、突撃してくる野盗の雄叫びに紛れて、詠唱が聴こえてくる。突っ込んでこなかった最後の一人はどうやら魔法使いらしい。叫び声で詠唱を隠して騙し討ち、なんてのはいかにも小悪党らしい手だけど、盾持ちが魔法使いへの射線を塞いできている。少しだけ、面倒だ。

「おや……加勢は必要ですか?」
「いや、俺の仕事なんで、俺がやるっす」
「うんうん、甲斐性があって大変よろしいですねぇ」
「なんの話っすか」

敵はどうやって俺に勝とうとしているか。何が起きたら負けるのか。魔法?伏兵?人質?詠唱はこれから潰す。倒れた連中に対しても警戒は怠らないし、雇い主は”毛布”で守れる範囲から出させない。

「まずは、盾持ちの足を止める……!」

相手の詠唱が終わるまで、射撃回数にして残り二発。前衛と殴り合いになるまでもだいたい同じ計算。
小粒の金属球をまとめて掴み取って、第三射。盾を避け、脚をめがけた低めのコース。相手も避けようとしたけど、散らばった弾の幾らかが、防具の間を抜けて脚に命中。盾持ちの野盗が地面に転がる。当てる事を優先して威力が落ちているとはいえ、これでしばらくは起き上がれない。後で改めて始末すればいい。

「これでっ……! よし、魔法使いも落としたっす」

詠唱中の魔法使いを狙って第四射。詠唱に精一杯の魔法使いは、避ける間も無く吹っ飛んで、動かなくなる。これで残るは前衛二人だけ。敵も流石に、焦った顔をしている。引くに引けないのか、突っ込んで来るのは変わらない。

「スミ姉、三歩下がって」
「うふふ、やはりロニくんも、夫を立てる妻がお好みのようで……」
「よくわかんないっすけど、そういうことじゃ、なくて……!」

魔法使いを始末している間に、残り二人はもう目前。緊張感の全く無い雇い主を巻き込まないよう、踏み出して野党を迎え撃つ。
先頭の一人が振り下ろす剣を“毛布”で受け止めて、そのまま腕ごと剣を絡め取る。俺の宝物を悪党なんかに触らせるのは嫌だけど、仕方ない。
苦し紛れの蹴りを落ち着いて避けて、ナイフを抜き放つ。これも例の金属で出来ているので、遠慮は要らない。隙だらけになった男の懐に潜り込み、首を掻っ切る。残るは一人。

「スミねぇに手出しはさせないっすよ……!」

その最後の一人は、俺を素通りするように雇い主へと向かおうとしていた。人質を取って逆転するつもりだろうけど、それを警戒していないはずがない。
振り向きながら”毛布”を伸ばし、最後の一人を捕まえる。そして、無防備な背中にトドメを刺す。これで全員。

「あぁ、今のは恐ろしくて腰が抜けてしまいました……一人では立てそうに……」

狙われた当人は、さっきまで平然としていたくせに、大袈裟によろめいて地面にへたり込み始める。それもご丁寧に、裾を踏まないように。この雇い主は、本当に隙あらば俺で遊ぼうとするからタチが悪い。

「あーはいはい、ちょっと待っててっす。あっちの奴らにトドメ刺すんで。あとは……もう隠れてる奴は居ないはずっすけど、一応チェックしとくっすか」
「あぁ、つれない子ですねぇ……でも、そういう抜け目ないところが格好いいわけで……あぁ、悩ましい」
「そりゃどうも、っす」

しょうもない要求を適当にあしらいながら、倒れている野盗どもへと念入りに銀弾を投げつける。続いて、散弾で近くの茂みを炙り出す。
倒したと思っていた相手に不意打ちを食らう、なんてヘマをするわけにはいかない。後始末は念入りに、だ。


 ◇◇◇


「これでひとまず安心、っと……」

野盗どもを念入りに気絶させて、武器を取り上げて、縛り上げて。キャンプの様子、装備と照らし合わせてもこれが全員だろう。ひとまずの安全を確保して、一息つく。

「うふふ、お疲れ様です。働き者のロニくんには……はい、ごほうびの飴ちゃんです」
「おっ、これこれ……!んー、美味いっすねー……やっぱ仕事の後はこれっすよこれ。頑張ったんだし、もう一個くれてもいいんじゃないっすか」
「いいえ、一度に一個までです。魔物が寄ってきてしまいますよ」
「えー……」

スミ姉の取り出した瓶の中には、ピンク色をした飴玉が詰まっていた。それを見るだけで、じわっとツバが出てくる。
いつもスミ姉がくれるこのアメは、異国の果実を煮詰めて作ったものらしい。一粒もらって口に放り込むと、舌がとろけそうになるぐらい濃い甘さが広がる。とにかく甘くて美味しくて飽きがこない、不思議な飴玉。虜になる味っていうのはこういう味なんだろう。
おまけに、疲れも取れるし魔力も回復するスグレモノ。初めて食べた時は柄にもなく驚いてしまった。
スミ姉は、この飴を一度に一個までしかくれない。それだけが残念だ。瓶の中身を口いっぱいに頬張ってみたいものだけど、魔力が溢れ過ぎると、魔物に嗅ぎつけられてしまうらしい。

「んふふ……それでは、ごほうびのハグも……むぎゅーっと」
「……はぁ。いっつもセットっすよね」
「すぅー……はぁー……んふふふふ……」
「あついんすけど……」
「そういわずに……はい、ぎゅー……」

飴玉のあとはハグと、なぜだか相場が決まっている。スミ姉は、俺のことをぎゅっと抱きしめると、大きく息を吸って、吐いて……ご満悦。
やけにスミ姉の身体がぽかぽかしているのは、戦いの後だからだろう。気持ちいいけど、正直暑苦しい。

「はぁ……もういいでしょ。それよりどうするんすか、こいつら。此処に放置したら飢え死にか、魔物か野生動物の餌っすけど、流石に連れてくのは無理あるっすよ」

問題は、倒した野盗自身の処理だった。近くの街まであと数日はかかるし、数も多い。かといって、野ざらしにして魔物の餌にするのはスミ姉が許さないだろう。掴み所の無い人だけど、人死にが嫌いというのははっきりしている。

「ふーむ……そうですねぇ……ちょうど良い機会ですし……」
「……ちょうどいい?」

そのスミ姉はといえば、何か思いついた様子で、どこからともなくジパング魔術用の札を取り出していた。

「はい。折角ですので……お勉強、と洒落込みましょうか」
「……お勉強?何のっすか?」
「うふふ……それは見てのお楽しみ、ということで」

細い指先に挟まれた札が、桃色の炎と煙をあげて燃え上がっていく。何となく、甘い匂いがする。何か魔法を唱えたらしいけど、どういう効果があるかは分からない。狼煙のような物かも知れない。
勉強。スミ姉は色んな土地を回っているだけあって博識だけど、この状況で何を勉強する事があるんだろうか。
スミ姉の顔を見上げると、相変わらずの笑顔で俺の顔を覗き込んでくる。スミ姉の目は凄くキレイだけど、ドロっとした感じもあって、見つめられていると変な気分になる。それに、何を考えているのか分からなくて……油断ならない。


 ◇◇◇


「はぁ……スミ姉、あっちの方に魔物の気配がするっす。煙なんか出したから」
「おや、早速ですか」
「あれは……ラミアっすかね。数は5体。なんか、髪がうねうねしてる奴も居るんすけど……。これはちょっと手を焼くかもっすね」
「あぁ……身構えなくても大丈夫ですよ。あたしの目論見通りですから。今日は……魔物についてのお勉強ということで。彼女達と交渉してみましょうか」
「…………本気で言ってるんすか?」
「うふふ……本気ですよ」
「はぁ……流石に、ちゃんと説明してくれるんすよね」

スミ姉が札を使ってから程なくして、魔物の気配に気づく。茂みから様子を伺うと、蛇の下半身を持った魔物が見える。推定ラミアが5体。蛇の身体は人間より余程速く走れるし、それ自体がとんでもない武器だ。スライムみたいに頭が悪いわけでもない。明らかにさっきの野盗なんかよりも危険な連中で、これを相手にするのは流石の俺もちょっとキツい。
焦りを抑えて雇い主に警告したはずが……返ってくるのは予想外の返事。
目論見通り?それは、スミ姉が魔物を呼んだ事になる。お勉強?魔物について?わざわざ危険を冒してまで交渉する?俺を魔物に売る?今更?そもそも俺に何かあったらスミ姉自身の身が危ない。人死にも嫌いなはずだ。
普段から何を考えているか分からないけど、今回は何を考えているか分からないにも程がある。俺をちゃんと評価してくれたり、払いが良かったり、そういう事がなかったら正直愛想を尽かして逃げるところだ。

「ええ、お勉強ですから。先に手短に話しましょう。ロニくんは先程”魔物の餌”とおっしゃっていましたが……彼女達は人を食べたりなどしません。傷つける事もしません。むしろ、人間をとーっても大事にしているんです」
「はぁ? 魔物が……人間を大事に……?本気で言ってるんすか、それ」

割とキツめに文句をつけたつもりだけど、スミ姉は全く動じた様子がない。そして、突拍子も無い事をつらつらと語り始める。
冗談を言える状況じゃないはずなのに、冗談を言ってるようにしか思えない内容だ。

「えぇ、本当です。あたしがロニくんに嘘をついた事がありますか?」
「…………嘘をついた事はないっすね。嘘をついた事は」
「あぁ……そんな言い方をされると、おねえさん哀しいです。本当に本当なんですよ?」

とは言え……スミ姉は俺に嘘をついた事がない。それは本当の事だった。俺に嘘をついた事も無いし、行商の客に嘘をついた事も無い。いつもニコニコと俺をからかってくるスミ姉だけど、その点は確かだ。少なくともバレる嘘はつかない、そういう人間だ。
ただ……嘘をつかないからと言って、完全に信じていいとも限らない。前に一度、”嘘はつかずに”悪徳商人を騙し返していた事を覚えている。スミ姉はそういう”食えない”側の人間だ。
それでも、最低でも魔物に食われることも、傷つけられることはなく、大事に扱われるのは確からしい。何か大事な事を隠してそうだけど、俺にはその見当がつかない。むしろ、そこを勉強するって事なのだろうか。

「あぁ、もう……奴らが人間を襲うのはホントでしょ。確かに人間バリバリ食うって感じじゃ無かったっすけど……それならなんで人を襲うんすか。大事にしてるってどういう意味なんすか」

納得行かない。納得は行かないけど、スミ姉の言葉に従って迎撃態勢を解く。
実際、俺が冒険者をやっていた頃は何度も魔物に襲われた。スミ姉と旅をするようになってからは殆ど襲われた事はないけど、人間の悪人から感じるようなピリピリした嫌な感覚を、魔物から感じた事はないのは確かだ。魔物が人を傷付けない、という部分は俺の経験と合ってしまっている。
少なくとも……義姉さんが言っていたような、魔物に捕まった人間は骨も残さず喰われてしまうって話は流石に無理がある。魔物がみんな女の姿をしていて、やけに美人だって事も教えてくれなかったし。

「はい、百聞は一見に如かず、という事で。そこに丁度良い方々が居るでしょう?」
「あぁ……魔物に捕まったらどうなるか……それを俺に見せてくれると。……なるほどお勉強っすね。乗ったっす。あ、でも、危険手当は欲しいっす」
「ええ、それで納得してくれるのであれば。お出ししますよ、危険手当」
「よしきたっす。じゃ、そういう事で」

いつも笑顔を絶やさないスミ姉だけど……今回は悪い笑みを浮かべて野党を一瞥していた。悪人とは言え人間を魔物に売る。義姉さんにバレたら大目玉じゃ済まない。けど、その価値はありそうだ。
魔物がどういう生き物なのか。どうして人を襲うのか。どこまで話が通じるのか。知っている事が増えれば、やりようというモノも増えていく。知識は力だと、俺の師匠も言っていた。
義姉さんのために、俺はもっと強くなって、賢くなる。そして、もっとたくさん稼いで楽をさせてやるのだから。


 ◇◇◇


「お婿さんにするため、って……えぇ……」
「うふふ……大切な大切な旦那様ですからねぇ。食い殺すなど以ての外なわけです」
「まぁ……理屈は通ってるっすね……ちょっと信じられないっすけど……本当に大切にされるんすか?」
「ふふ……そこは、彼女達の里でじっくりと見極めていただければ」

魔物が人を襲う理由。スミ姉から聞かされたそれは、またもや衝撃的な内容だった。しかし、俺が今までに見てきた魔物の行動もそれで説明が付いてしまう。
女しか居ない魔物だから、人間を襲って夫にする。夫にするから不用意に傷つけたり殺したりもしない。敵意や害意を向けても来ない。一応は説明がついてしまうから、逆に困惑してしまう。

「んふふふ……私は彼にしちゃおうかしら……♥」
「じゃあこの子は私のモノ……♪」
「…………この人にします。この人に……ふふ」
「あ、なによ皆、勝手に決めて。まぁ……アタシはこいつをもらうからいいけど」
「ははーん、そういうのが好みだったんだ。ボクはこのおじさまかな。いいカラダしてるよね……♥」
「な、なによ、文句あるの」
「みんな好みがバラバラで良かったわ。一人余っちゃったけど……里に戻ったら取り合い確実ねぇ。罪作りな男……」

スミ姉の交渉の結果、野盗を引き渡す代わりにラミアの里で物資や交易品を分けてもらえる事になった。そのラミア達といえば、嬉しそうに野盗を品定めしていて……今ちょうど、各々の取り分が決まったらしい。抱き上げたり、担ぎ上げたり、蛇の背に乗せたり、色々と運ぶ方法はあるみたいだけど、共通して野盗を丁重に扱っている事がわかる。適当に引きずっていくような事はしない。

「で、スミ姉…………いい加減恥ずかしいっすよこれ。何のつもりっすか……」

そしてスミ姉はといえば、何故かいつにも増して俺にくっついてきていた。交渉の邪魔をしないように文句を控えていたらこの有様だ。
後ろから抱き締めてくるだけじゃなく、人の頭にその大きな胸を乗せてくるのだから堪らない。もはや、抱きついた拍子に当たるなんてものじゃない。明らかに当ててきている。
おっぱいが重いなんて初めて知った。その重みのせいで、どうしようもなく柔らかさを意識してしまう。服の上からでも分かるぐらいたぷんたぷん。女の人の身体って、なんでこんなに柔らかくてあったかいのか。手を伸ばして触ってみたくなってしまう自分が恨めしい。もちろん、そんなヘンタイめいた真似をするわけにはいかないけど。
ラミア達も時折こっちを見てはニヤニヤしている。可愛いって言うんじゃない。お似合いでもない。恥ずかしくて、顔が熱くなる。よりにもよって、人前でこんなこと。

「うふふ……魔物はですね、基本的に他人の男は狙わないのです。理由は諸説あるのですが……ともあれ、ロニくんにはあたしというものがあるのだと、こうして知らしめなければと思いまして」
「えぇ……他人の男って……いや、もしかして魔物避けのお守りってそういう理由で効いて……」
「いかにも。ロニくんがご存知なのは、女性の髪を封入する類でしょうか?」

魔物は他人の男を狙わない。これも簡単には信じ難いけど……困った事に、思い当たる節が見つかってしまった。兵士に広まっている、魔物避けのお守り。恋人や妻など親しい女性が、その髪を護符に入れて渡す代物だ。兵士をやってるアニキ曰く、遠征の時はそのおかげで助かったらしい。義姉さんの作ったお守りのおかげで。
俺の師匠は「人を呪うぐらいの魔力と念を込めないと意味が無いはずだ。あの女にそんな力はない。私のポーションの方が絶対に役に立つ。役に立った」と悔しげにしていた。それがなぜお守りとして効果を発揮するのか?スミ姉の語る魔物の習性から、答えが導き出されてしまう。信じ難い話なのに、どうしてこう、事実と上手いこと合致するんだろうか。

「あー…………その類のお守りっすね」

そして、義姉さんがアニキのために護符を作っていた時の事を思い出してしまう。
俺が孤児院を出て師匠の元に転がり込む少し前の事。俺の大好きな、茶色の長い髪。義姉さんは、その先を切り取っていて。慌てて何をしてるのかと聞いたら、お守りを作ってるからアニキには内緒にするように言われた。照れた顔は綺麗だったけど、今思い出しても、胸が苦しくなる。

「…………ロニくん?」
「アニキが義姉さんから貰ってたなって。それだけっすよ、それだけ」

当人達は恋人じゃないと言うけど。スミ姉の言う事が本当なら、魔物は義姉さんとアニキをそういう仲だと認めて見逃したということになる。義姉さんの”特別”という事が、改めて羨ましくて妬ましい。
どうすれば俺もそうなれるのか、いつも考えているけど分からない。俺はお守りなんかなくても無事に帰ってこれるのに、未だに子供扱いだ。
何より、お守りが効かなければ良かったのに、と思う自分がワガママで最低で嫌になる。アニキにも数えきれない恩があるのに。アニキが帰ってこなくて哀しむのは義姉さんなのに。こんな事を考えてしまうから俺は、義姉さんに相応しくなれないんだろうか。

「それより、いくら”恋人”でも、恥ずかしいもんは恥ずかしいんすけど……」

とにかく、雇い主に心配されてしまっては護衛失格なので、嫌な事は一旦沈めて仕事に意識を切り替える。
ラミア達が俺を襲わないのは、スミ姉と俺が恋人だと思っているから。なら、そういう事にしておこう。義姉さん以外の相手とそういう風に見られるのは不本意だけど、恥ずかしがって魔物に襲われるのは馬鹿らしい。所詮は魔物相手だし、変な噂が立つわけでもない。旅の恥はかき捨て、とスミ姉が言っていたっけ。それはそれとして、必要以上にくっつかれても恥ずかしいので文句は言う。

「いえいえ、これでも彼女達からすれば可愛い物です。ほら、あちらの方なんて頬擦りまで……これはあたし達も負けていられませんね?」
「だから……恥ずかしいって言ってるでしょ」
「そう言わずに……ほら、ロニくんのだぁい好きなアメちゃんですよ、あーん……」
「はぁ……仕方ないっすね。あーん…………」

もてあそぶような言葉とは裏腹に、スミ姉は俺を慰めるように抱きしめてくれる。人を胸置きにするのをやめて、包み込むように、ぎゅっと優しく。いつもは人をおもちゃみたいにするくせに、こういう時はしっかりと俺の事を見てくれている。いや、見透かされているんだろうか。
それもやっぱり恥ずかしくて離れようとするけど、しっかり抱き留められてしまう。逃がすつもりはないらしい。普段なら無理矢理引き剥がすけど、それでは恋人らしくないので諦めて頭を撫でられる。心地良いけど、結局スミ姉の思う壺で納得はいかない。
恋人ごっこなんてくだらない茶番で、スミ姉の優しさだって、俺の本当に欲しい物じゃないけど、それでも温かい。スミ姉のくれる飴玉も、相変わらずとろけるように甘い。口の中で転がしていると、胸の痛みも溶けていく気がした。


 ◇◇◇


「ぅ……うぅ……」
「あらあら、お目覚めかしらぁ」
「っ……誰だ、あんた…………魔物っ……!?」
「そう怖がられると傷ついちゃうわぁ……仲良くしましょう?」
「あ、いいなー、もう目を覚ましたんだ」

ラミアの里を目指し、街道から外れた地図も道を歩んでいる最中。幸か不幸か野盗の一人が目を覚ます。魔法使いの男だ。自分の状況に気づいた男は慌ててもがき始めるけど、非力な魔法使いでは全くの無力で、蛇の身体を巻きつけるまでもない様子だ。

「お、おいっ、お前ら、私たちを魔物に売ったのか……!?同じ人間だろうっ……正気か……!?」
「あっ、もう、私の方を見て?」
「あー……俺らに話してるんすか? 同じ人間の身包み剥ごうとしておいてよく言うっす。命があるだけマシでしょ。大人しくしといたほうがいいと思うっすけど」

じたばたと無駄な足掻きをしながら、魔法使いは俺たちに悪態を吐く。人に武器を向けておいて虫のいい事を言う連中だ。生かしてやっただけ感謝して欲しい。ラミア達は、本当に夫にするならもう少し選り好みした方がいいと思う。

「ふ、ふざけるなっ……!くそっ、”水よ、流動し空隙を満たせ。大気へと散逸し熱を奪え”……!」

そして、魔法使いは氷の呪文を唱え始める。慌てて冷静さを失っているのか、馬鹿なのか。どちらにせよ、この距離で無事に詠唱を終えられるはずがない。明らかな自殺行為だ。

「……」

魔法の標的はラミア。慌てて放つ呪文なんて集中を欠いて大した威力にはならない。流れ弾が飛んできたとしても、スミ姉は咄嗟に守れる。なら、俺が手を出す必要はない。
魔物相手に手の内を明かしたくはない。そして、もし本当に魔物が人間を大切にしているなら、不必要に痛めつけるような真似はしないはず。もしこの男がラミアの怒りを買ってもそれは自業自得だし、俺にとっては勉強になる。だから、ここは様子見で済ませる。魔物の本性を目の当たりにする良い機会だ。

「あらあら、イケない子……♥んっ……♥」
「”凍て”―――――っ!?」
「ぁむっ……ちゅぅぅっ……んむっ……ちゅぅぅぅぅ、じゅるっ、ちゅるっ……れるっ、れろっ、ちゅるっ……♥」

ラミアの振る舞いを観察する。そう決めた矢先に……”それ”を目撃してしまった。
殴るでもなく、締め上げるでもなく、かと言って、ただ口を塞いで黙らせるでもない。男の両頬に手を添えて、呪文を紡ぐその唇を、自分の唇で無理矢理に塞いでしまった。
驚きと怯えに、男は目を見開いて身体を強張らせて。合わさった唇から、何かを啜るような音が執拗に漏れ聞こえる。
ふと、唇が一瞬離れたかと思うと、その隙間に蛇のように細長い舌が覗く。唇を奪うだけでは飽き足らず、その蛇舌で口の中をめちゃくちゃにしていたのだ。想像した事もない光景。まるで、食べられているかのよう。
最初は陸に打ち上げられた魚みたいだった男は、次第にだらんと脱力して、ラミアの横暴を受け入れている。苦しそうでは、ない、のか?

「…………!?す、スミ姉…………なんすか……あれ……?」

あまりにも異様な光景。俺の知らない行為。何かよくない、いやらしい事をしているのだけは分かったけど、一体、何が起きているのか分からない。
単純な暴力による制圧ではない。穏便に取り押さえたとも言えない。むしろ、蹂躙めいている。とにかく、”いけない”事が起きている事だけは確かだ。

「うふふ……接吻、つまりキスですねぇ」
「き、キスっ……?違うでしょ、知らないっすよ、食べてるじゃないっすか……!」
「いえいえ、ああいうやり方もあるんですよ」
「ああいう……やり方って……」

これがキス?義姉さんもアニキも師匠も、こんな事は教えてくれなかった。キスは、大切な人とだけするものだって。将来を誓い合う時にするものだって。
しかし、目の前で繰り広げられているモノは、自分の知っているキスと明らかに違っていた。確かに唇同士は触れ合っているけど、ラミアの側が一方的に、相手の唇を食べてしまうように唇を押し付けて、吸い付いて。挙げ句の果てには、舌まで入れて。きっと、口の中を舐め回している。
スミ姉は、それもキスだと言う。魔物が人を食べないなんて事より、目の前のことの方が衝撃的だ。

「ぷはぁ……れろ……ん……♥キスだけで、もうとろとろ……♥気持ち良くなってくれて嬉しいわぁ……♥」
「ぁ……ぁぁ……っ」
「ふふふ……続きは二人きりで、ね……?たっぷり可愛がってあげるんだから……♥」

男が完全に無抵抗になっても、スミ姉がキスと呼んだ行為は容赦無く続いて。念入りに追い討ちをかけてようやく、ラミアは男を解放する。唇と唇の間では、唾液が糸を引いて。細長い蛇の舌は、唇の上を這い回ってから、元の場所へと戻っていく。
俺は目の前の光景を……「気持ち良さそう」と思ってしまった。無理矢理キスをされて、舌まで入れられて、あんな事をされても気持ち悪いはずなのに。目が離せなかった。
そして、ラミアは男を抱きかかえると、意気揚々と近くの茂みへと消えていってしまう。他のラミア達は、羨ましそうな様子でそれを見送っていた。

「つ、続きって…………」
「それはもう、男と女……濃厚な愛の営みを」
「あ……愛の……営み……?」

“続き”。あんないやらしい事をしておいて、まだ続きがあるという。魔物と言うのは、人は喰わなくても、とびきりのヘンタイらしい。愛の営み。また、いかがわしい言葉が出てきた。

「決まっているではないですか……子作りですよ、こ・づ・く・り……」
「こ、子作り……?さ、さすがに、その……ちゅーしただけで赤ちゃん出来るわけないっすよね……?」
「おやおや……一人前の男とあろうものが、子供の作り方をご存知ではないのですか?」

あのラミアと男は、子作りをするのだと言う。子作り。子供の作り方を義姉さんやアニキに訊いた事があるけど、今はまだ早いと言われて、具体的なことは何も知らないままだ。師匠に訊いた時はぶん殴られた。

「……あ、また子供扱いしやがったっすね。……まぁ、知らないわけっすけど」
「ご存知ないのであれば、あたしが説明して……」
「あーっ、説明しなくていいっす!」

あのラミアのキスでさえ、衝撃的だった。吸い付く唇、うごめく舌。いやらしい光景から目が離せなくて、どうにかなってしまいそうだった。その続き、子作りとなれば、何が起こるのか、何を見てしまうのか。きっと、想像もつかない、いけない事が繰り広げられてしまうに違いない。これは知ってはいけない気がする。

「あぁ……慌てるロニくんもかわいいですねぇ。では、またの機会に手取り足取りじっくりと……」
「っ……そういうのは、いいっすから……!」
「いけず、ですねぇ……」

にたーっとした、意地の悪い笑顔。背筋がぞくりとして、心臓がどくんと跳ねる。いつもニコニコした笑顔を浮かべているスミ姉だけど、ふとした拍子に地の顔を見せる時がある。今回は、珍しく俺が取り乱したのが面白かったらしい。
結局、魔物の勉強というのも、俺の為というよりはスミ姉の楽しみの為なんだろう。ただ、俺は俺でスミ姉を利用していて、お互い様の関係はちょうど良くて嫌いじゃない。それでも、今回はやり過ぎだ。

「……なによ、そんなにやらしい匂いさせといて、ナニもしないのあんた達。焦れったいわね」
「な、なんっすか、いきなり……」
「ちゅーぐらいしなさいよ。ちゅー」

目つきの悪くて髪が蛇になったラミアが、じっとりと不満げな表情で、俺達をはやし立ててくる。今のやりとりを見られていたのは、正直恥ずかしい。

「うふふ……どうしましょうか……?」
「っ……………ど、どうもしないっすよ……!ちゅ、ちゅーとかしないっすからね!」

妖しく微笑むスミ姉の唇は、綺麗なピンク色で、ぷるぷるで。女の人の、くちびる。
スミ姉は、見せつけるように、その指先で、つぅ……と唇をなぞる。指に沿って、つやつやの唇が形を変えていく。柔らかそう。気持ち良さそう。ぬめった舌がちらりと覗いて、くちびるをぺろりと舐める。濡れたくちびるが、夕日できらりと輝く。綺麗で、いやらしい。
頭の中に浮かぶのは、ラミアにキスされていた、あの光景。そしてそれが、俺とスミ姉に置き換わって。
とんでもない考えを、慌てて頭から振り払う。あんなものを見せられたせいで、もうめちゃくちゃだ。

「この通り、ロニくんは恥ずかしがり屋さんでして……人前では中々甘えてくれないのです。ええ、そんな所も実に愛らしいわけですが……」
「ふぅん……そういう趣味ならいいけど」
「あぁもう、勝手に納得して、いったいなんなんすか……!あんたもその男と、ちゅ、ちゅーしてくればいいじゃないっすか。気絶してるんだからやり放題っすよ、やり放題……!」

せっかく流れそうだった話を無理矢理引き戻したラミアが恨めしい。ちゅーしろ、と言うのも冗談めいた感じではないのが恐ろしい。俺とスミ姉が下手すれば親子ぐらい歳が離れている事とか、そもそも俺が結婚していい歳じゃないとか、そんな事は全く気にした様子がない。
とにかく、これ以上変な事を言われては敵わないので、なんとか追い返そうとする。

「な、なによそれ。お嫁さんとの初めてのキスを覚えてないなんて、かわいそうじゃない。ちゃんと目覚めてからシてあげないと。今すぐ食べちゃいたいのは山々だけど……あ、食べるって言うのは本当に食べるわけじゃなくて、ちゅーしたり、その……分かるでしょ?」
「え、あぁ……うん……」
「……ねぇ、やっぱり、男の子にとっても初めては大事よね?こいつが起きるの、待ってあげた方がいいわよね?」
「そ、そっすね………?」

無理矢理キスをするのは良くて、でも初めては大事。”食べる”という言葉の使い方もだし、キスをするしないを真面目に喋るのもだし、キスしたいのが当たり前といった様子だし、色んな事がめちゃくちゃだ。相手の事を考えているのか考えていないのかもよく分からない。おまけに、勝手にお嫁さんを自称している。
常識の食い違いに頭がくらくらする。いきなり同意を求められても困ってしまう。余計な事を言わなければよかった。やぶ蛇、という言葉はこういう時に使うとスミ姉が言っていたのを思い出す。

「あ…………で、でも、ほっぺたぐらいならつまみ食いしても良いわよね……?」
「……あー、うん……いいんじゃないっすか……?」

ほっぺたなら良い、の基準はよく分からない。好きな人の嫌がる事はしてはいけない、という言葉が浮かんだけど、人を襲う連中にそれを言っても無駄なので、適当に返事をする。どうせ俺がほっぺにちゅーされるわけでもないし、さっきのラミアと魔法使いに比べたら全然かわいいものだ。

「そ、そう……そうよね。私のモノだってしるしも必要だし……それじゃ、みんな先に行ってて。後で追いつくから……たぶん」
「あ、ずるーい、キミまで先に……ボクも待ちきれないのにぃ」
「……しるし……確かにしるしは大事ですね……ふふ……私は、愛の巣に帰ってから、じっくりゆっくり……」
「……仕方ないわねぇ。道案内はお姉さんに任せなさいな。どうせ二人運んでるから、里に戻るまでお預けだし…………」
「うふふ……ごゆっくり。お三方も待ちきれぬご様子ですし、我々は少し急ぎましょうか?」
「……………」

目つきの悪いラミアは、気絶している男の顔をじっと覗き込むと、何かを勝手に納得した様子で。いそいそと、近くの茂みへと消えていってしまう。
スミ姉は、笑顔でそれを見送って。他のラミア達は、またもや羨ましそうにしていて。そして俺は、あっけにとられていた。
何が何だかという感じだったけど、魔物はとにかくちゅーがしたくて仕方ないんだろう、という事だけは分かった。
羽織った毛布をマフラーのように巻き直す。魔物の前では、口元を隠しておこう。


 ◇◇◇


ラミアの里で俺が見たものは、スミ姉の言葉通りの光景だった。攫われてきた男達は、ラミア達の夫として存外不自由なさそうに暮らしていた。既に恋人の居る男は襲われない、なんて嘘みたいな話も本当で。結局、里での商売は驚くほどに滞りなく進み、繁盛して終わった。
そしてスミ姉は、人に気に入られるのが上手い。それは魔物相手でも変わらなかった。まさか、夕飯をご馳走してもらえる事になるとは思っていなかったけど。

「はい、たーんと召し上がれ。お客さんが来るなんて久々だから張り切っちゃったわ」
「ははは、あんたら、うちの嫁の飯は世界一だからな」
「もう、アナタったら……言い過ぎよ、恥ずかしい」
「俺にとってはそうなの」

目の前の光景を、義姉さんやアニキが見たらどう思うだろうか。悪であるはずの魔物が、甲斐甲斐しく台所から料理を運んできて。夫の方は、そわそわとそれを待ちわびていた。さらわれて無理矢理に結婚させられたとは思えない様子だ。

「うふふ……見せつけてくれますねぇ。では、お言葉に甘えて、いただきます」
「……あ、これ食っていいんすか?」
「何言ってるんだ、遠慮は無しだぞ、好きなだけ食え、坊主」
「じゃあ…………いただきます、っす……!」

テーブルに並べられたのは、焼きたての白パン。具がたっぷりと入ったスープの豊かな匂い。鶏の串焼きの香ばしさとスパイスが食欲をそそる。お酒は……俺には関係ない。ワインだろうか。
旅人に振る舞うには過ぎたご馳走に驚きつつ、スミ姉に倣って両手を合わせる。こういう時は素直にご馳走になった方が、相手も気分が良い。そういう事を、俺はスミ姉から学んだ。

「な?美味いだろ?」
「ええ、実に美味です。ご馳走とは、まさにこの事ですね」
「んー……美味いっす……!こんな美味い飯にありつけるとは思ってなかったっす」

ふっくらした白パンは、容易く手でちぎる事ができた。そのかけらにスープを吸わせて、口に放り込む。スープは、具材の味がしっかり出ていて美味しい。ジパングではこういうのを、”旨味が利いている”、と言うんだったか。
鶏の串焼きを頬張る。パリッとした皮が香ばしく、肉そのものは柔らかくしっとりとしている。塩加減も完璧。そういえば、捌きたてと言っていたっけ。世界一は言い過ぎだけど、お世辞じゃなく美味しい。俺ばかりが良い飯にありついて義姉さんに悪いな、と思わずにはいられないぐらいに。どうしても、美味しいものを食べるたびに義姉さんにも食べさせてあげられたらな、と思うし、それが叶わない事に罪悪感を覚えてしまう。それでも美味しいものは美味しいし、振る舞われたからには美味しく食べてみせるものだけど。
しかし、旅人に肉を振る舞う余裕があるのだから、ラミアの里での暮らしというのは、予想に反してそこらの人里よりもよほど余裕があるらしい。

「んふふ……ありがと、二人とも」
「美味いだろう、そうだろう」
「もう……なんで私より自慢気にしてるのよ」
「そりゃ自慢の嫁だからな」

食事を始めてもべったりの二人。見ている側としては少し反応に困るけど、その様子は、人と魔物とは思えないぐらいに幸せそうだった。尻尾の先を絡めるラミアに、それを受け入れる男。魔物が人を喰う、なんて話はいったいなんだったんだろう。

「うふふ、アナタったら…………そうそう、あの包丁、本当に切れ味抜群で驚いちゃった。流石ジパング製よねぇ」
「これはこれは……ご満足頂けたようで何よりです。割烹着の方もお似合いでしたよ、奥様」
「あら、ジパングの人に褒めてもらえるなんて。これで私も良妻賢母ね……ふふ」

思い返せば、ジパング由来の包丁・エプロン・料理本を買って行ったのは目の前の夫婦だけではなかった。想像もつかなかったけど、ラミア達は料理熱心らしい。魔物全体がそうなのだろうか。
また、ジパングの女性と言えば、お淑やかで男を立てる良き妻として有名なのだと聞いた。スミ姉がお淑やかというのは、違うと思う。

「はー、うま…………なぁなぁ坊主、うちの嫁さんはなー、昔は料理なんてからきしだったんだよ。鍋とかよく焦がしてた」
「あっ、昔の事は言わないでよ、恥ずかしい」
「え、こんなに美味いのにっすか?」
「ああ、昔はな。それでも俺のために練習してくれて……今じゃこの通りなわけだ」
「ほへー、幸せ者っすね」
「そうなんだよ……!幸せ者なんだよ俺。うらやましいか?うらやましかろう少年」
「もう……恥ずかしいからやめなさいってば」

特に脈絡もなく、ただ始まるお嫁さん自慢。こんな話をするために俺達を夕食に招いた、と言われても納得してしまうぐらい。

「だいたいこの子にはスミレちゃんが居るでしょ。返事に困る事言わないの」
「あ、それもそうか。羨ましいなんて言ったら、彼女に怒られちまうよな」
「ははは、それぐらいじゃスミ姉は怒らないから大丈夫っすよ」
「ええ……羨ましい事があればなぁんでも言っていいんですよ?あなたのスミレが叶えて差し上げますからね……うふふ」
「とまあ、スミ姉はこんな感じなんで」

好きな人が自分のため”だけ”に、何かをしてくれる。目の前の二人にとって、お互いは”特別”で。俺と義姉さんもそうだったら良いのに、と思わずにはいられない。この羨ましさを口に出す程、俺は子供じゃないけど。

「尽くす女ねぇ……ウチはよそが羨ましいなんて言ったら、そんな事言えなくなるまでお仕置きよ、お仕置き」
「こんな事言ってるけど、なんだかんだ尽くしてくれるんだよな」
「それはまぁ……大切な旦那様のお願いだし、ね?」

それでも……俺は良い子じゃないから、目の前の二人を羨ましいと思わずにいられない。


 ◇◇◇


「ねぇねぇ、二人ってどんな感じで出会ったの?」
「あたし達の出会い、ですか?」
「別に大した話は無いっすけど……」
「いいから、聞かせて聞かせて……!その為に来てもらったんだから」
「この村の男はだいたい、あの街道沿いで捕まってるからさ。外の人間の話は新鮮なんだよな」
「うふふ、それではご厚意に甘えて……あたしが語らせていただきましょう」

美味しい料理をたらふく食べて、お腹いっぱい。けれど、大人同士の夕食はこれからが長い。みんな顔を赤くして、いい気分になっているらしい。
ラミアの人なんかは、その蛇の身体の殆どを夫に絡みつけて、擦り付けて、とにかくべったりだ。こういうのも「絡み酒」と言うんだろうか?でも、訊くと面倒そうだ。
スミ姉はスミ姉で、普段は平気でお酒を飲むくせに、こういう時だけベタベタとくっついてくる。酔ったフリには騙されてやらない。

「それは……遡ること約一年と半年。あたしとロニくんが出逢ったのは、とある街の冒険者の酒場でした。ロニくんの姿は、酒場に入ってすぐに目に付きました。ええ、毛布を羽織った少年が、何やら口論をしているのですから。野次馬根性で聞き耳を立ててみれば、どうやら戦利品の買い取りで揉めている様子。ああだこうだと理由をつけられ、相場より遥かに安く買い叩かれようとしているのは明確でした。相手は子供、と舐められていたのでしょう」

スミ姉は、流れるように俺達の出会いを語る。ジパングではこういうのを立て板に水と言うんだったっけ。

「さて……あたくしめにも仁義という物がありまして。働きには正当な対価を。そういうわけで、割って入ったあたしは、代わりに品を買い上げたわけです。うふふ、あの時のロニくんのカオは実に素敵でしたねぇ……思いもよらぬ助け舟に目を丸くして……それから感謝の言葉を頂いたわけですが」

スミ姉との出会いは相当な幸運だった。たぶん、俺に魔術の才能があった事の次ぐらいに。あの頃は、孤児院に仕送りをするつもりが、足元を見られて生きていくのに精一杯だった。義姉さんに恩返しが出来るのも、やっぱりスミ姉のおかげだ。

「そして、目の前の小さな男の子は、あたしを見据えてこう言ったのです。”ところでおねーさん、俺を雇わないっすか?”と」
「真似なくていいっす。恥ずかしい」
「うふふ……この口説き文句に、実に興味をそそられてしまいまして。ロニくんは堂々たるものでした。あくまでも、あたしにも利があると言い張ってみせるのです。実に良い喰らい付きっぷりでした」
「アレは……先にスミ姉が俺の力を褒めてくれたから。いけるんじゃないかと思ったんすよね」
「うふふ……そうでしたっけ?」

こうして思い返すと、スミ姉はとても、自分を売り込みやすい相手だった気がする。足元を見ない上に、お情けでなく俺の能力を認めてくれた。あの時は千載一遇のチャンスを物にするため、とにかく必死に頭を働かせた事を覚えている。

「なんにせよ……機会を逃さぬ貪欲さを気に入ったわけです。勿論、売り込みには拙い部分こそありましたが――何より大事なのは、より良い未来を求める志。素晴らしい欲望。金の卵を育てるのも一興、とロニくんを雇う事に決めたわけです。いやはやこれが、物事を仕込む方も実に愉しいものでして」

結局、思っていた形とは違ったけれど、俺はスミ姉のお眼鏡に叶う事となった。護衛の仕事の傍ら、読み書き算数に始まり色んな事を勉強させて貰える、というのは嬉しい誤算だった。

「あら、仕込むだなんて……やっぱり夜も、みっちり仕込んじゃうのかしらぁ」
「うふふ……ゆくゆくは、そちらも手取り足取りじっくりと……」
「な、何言ってるんすか、スミ姉……ああもうっ、くっつきすぎっす」

何やらいやらしい方向に逸れた話に乗じて、スミ姉の手が俺の身体を撫で回す。ゆっくり、ねっとりとした手つきに、背筋がぞわぞわとする。油断も隙もない。

「あらあらあらあら……スミレちゃんもいやらしいわねぇ」
「いえいえ、奥様ほどでは」
「うふふ」

そして家主のラミアは、そんな俺達の様子を愉快そうに、ニヤニヤとしながら眺めていて。こんな話をするために俺達を家に招いた、というのは嘘ではなさそうだった。魔物という生き物が、よくわからない。

「それじゃあ……ロニちゃんは、スミレちゃんのどういうところに惚れちゃったのかなー?」
「えっ……言わなきゃダメっすか。恥ずかしいっすよ」

適当に話を合わせていたが、ついに面倒な話題が回ってきてしまった。うっかり変な事を口にすれば、恋人のフリにボロが出かねない。この家主の性格だと、俺に恋人が居ないと知れば嬉々として他のラミアに伝えるだろう。

「言わなきゃダメよぉ、ロニちゃん。私も旦那も語ったし、スミレちゃんも語ってくれたんだから、言わなきゃダメ。家主命令よ家主命令」
「……酔ってるっすね?」
「うーん、酔ってるなぁ……こうなると何言っても聞かないからさ……ま、折角だし聞かせてくれよな、坊主!」
「これぐらい酔ってるうちに入らないわよぉ、ほらほら、スミレちゃんの好きなとこ、聞きたいなー」
「うふふ……期待してますよ、ロニくん」

ラミアの方はどうやら完全に酒が回っているし、夫の方もだいぶご機嫌だ。
当のスミ姉も嬉々として話に乗っかる始末で、もはや逃げ場はないらしい。ボロが出たらどうしてくれるんだろうか。

「期待しなくていいっすから……はぁ、家主命令なら仕方ないっすね、分かったっす」

正直に言えば、スミ姉の事は好きか嫌いかで言えば好きだ。恋人とか、そういう好きではないけど、好きは好きという事で正直に言ってしまおう。恥ずかしくて仕方ないけど、変に嘘をついたり誤魔化したりしてボロを出すよりは全然いいだろう。

「あー、まずは……俺の力を認めてくれて、俺の力を頼ってくれる所っすね。いっつも俺の事を子供扱いするけど……そういう所では子供扱いしないんすよ。そういうの、結構……なんというか、嬉しくて」
「あぁ、男なら頼られたいよなぁ……わかるぜ坊主」
「やっぱり男って頼られたがるのよねぇ……可愛いわねぇ」
「うふふ、可愛いですよねぇ」
「可愛いわよねぇ」
「あー、もう、可愛いとか言うなっす……!」
「まぁまぁ坊主、可愛いってのは、魔物流の褒め言葉なんだよ」

正直に、と思い切ってしまえば、意外とすんなり理由は出てくる。だけど、普段はこういう事を言わない上に、案の定、可愛いなどと言われてしまって余計に恥ずかしくなる。

「はぁ……あとは…………スミ姉って、自分の事を考えてる人間なんすよ。自分を犠牲にする事ってなくて。ちゃんと、自分のために生きてるっていうか……あ、これ褒めてるっすからね」
「うふふ……商人ですからねぇ。自己犠牲など以ての外です。それで商売は続きませんから」

スミ姉は、自分の事を考える人間だ。決して自分を犠牲にしない、義姉さんやアニキとは真反対の人間。だけど、俺はスミ姉のそういうところが好きだったりする。どうして、本当に好きな人と反対のところを好きになっているんだろう。

「スミ姉が俺を雇った理由の一つって……道楽でもあるわけじゃないっすか」
「えぇ、まさに道楽。こんなに楽しい事はありません」
「俺に色々教えるのが楽しいとか、俺をおもちゃにするのが楽しいとか」
「おもちゃだなんて……あんなに真心を込めて、丹念に可愛がっているというのに」
「それをおもちゃにしてるって言うんすよ」
「あらあらあらあら……」
「俺に勉強を教えるのは俺のためになるけど、スミ姉はスミ姉のためにやってる所があって、それを本人も自覚してて……そういう、スミ姉の自己犠牲から程遠い所が……まぁ、その、好きっす。俺は俺の目的があってスミ姉と一緒にいて、スミ姉はスミ姉のために俺を連れてる。……ええと、そう、利害の一致って奴っすね。それも、お互い様って感じで居心地がいいっていうか……結構好きっす。一緒に居て、俺もスミ姉も得をしているから」

利害の一致。いつかスミ姉に教わった言葉が、俺とスミ姉の関係に当てはまった気がした。俺はスミ姉から得る物が沢山あって、スミ姉も俺から勝手に楽しみを得ている。二人とも得をする、そういう所がいいんだと思う。言葉にするとまとまらないけど、なんとなく、腑に落ちるような気がした。

「うんうんうんうん、利害の一致、とっても素敵じゃない……!それってつまり、一緒に幸せになれるって事だもの……!愛って、愛する側も愛される側も幸せにするものじゃない?そういう事よそういう事。愛ね……愛だわ……」
「そういうモノなんすか」
「そういうモノよ……!」
「そっすかー」

まとまりのない言葉は都合よく解釈されたらしく、しきりにラミアは頷いて。何をどう納得したのか全く分からないけど、勝手に愛という事にされてしまう。
俺とスミ姉が、一緒に幸せに?なれない事は無いかもしれないけど。そもそも愛ってなんなんだ?きっと、言ってる本人もわかってないと思う。

「んふふふ……それで、他にはどこが好きなの?」
「え、まだ言わなきゃっすか……気がついたら好きになってたり……とかじゃダメっすかね?」

いい加減、ネタも尽きてきてしまった。この様子なら、何を言っても勝手に納得してくれそうだ。それっぽい事を言って、あとは勝手に喋ってもらおう。

「気がついたら好きに……そうよねぇ、分かるわ、分かるわよロニちゃん。わたし、最初は男なら誰でもいいって思っていたの。でも、初めての最中に、ふと気づいたのよ。この人の事が欲しいんだって。この人の事を好きになっちゃったんだって。一度好きになっちゃうと、あっという間にぜーんぶ好きになっちゃうのよねぇ……格好良いところも、カワイイところも、情けないところも、ぜんぶ愛してあげたくなっちゃう。うちの旦那はね、男前だけどベッドの上ではカワイイの。そういうところまで含めて愛おしくて……とにかく、気がついたら、この人が欲しい……!ってなってたのよねぇ……そういうのも、愛なのよ……分かる?ロニちゃん」
「そ、そっすか…………わかったっす。理解したっす」
「あーあーあー………余計な事は言わなくていい言わなくていい」

そしてラミアに話の主導権を渡した途端、語り始めるのは、かれこれ3回は繰り返した話。売り口上か何かのようなその勢いに、つい圧倒されてしまう。
夫の事が好きなのはよく分かったから、勘弁して欲しい。酔った人間はなんで同じ話を繰り返すんだろう。どうして、スミ姉はニコニコしながらこんな話を聞いてられるんだろう。こんな物が、本当に楽しいのだろうか?

「んふふふ……ロニちゃんたら本当、若いのに分かってるじゃない。おねえさん感動しちゃったわぁ。でも、おっぱいが大きいとか、いい匂いがするとか、ぎゅっとして欲しいとか、なでなでされるのが好きとか、ちゅーしてほしいとか、そういう話も欲しいわぁ……ロニちゃんもスミレちゃんのおっぱい大好きでしょう?男ってみんなおっぱい大好きだものねぇ」
「な、何言ってるんすかっ……そういう質問には答えないっすからね……!?」
「あぁん、ほんと初々しいんだから……」

折角、真面目に答えて、こんな恥ずかしい話を乗り切ったのに。このラミアは本当に手強い。確かに、スミ姉のおっぱいは大きいし、柔らかいし、ぎゅっとしてもらうとあったかくて、いい匂いもするけれど。なでなでされるのも、気持ちいいけど。確かに好きかも知れないけど。そんな恥ずかしい事を認められるわけがない。

「おやおや……否定はしないんですねぇ……?どれどれ、おねえさんが確かめてあげましょう……ほぅら、ぎゅーっ……」
「ぁっ……人前っすよ、やめろっす、やーめーろーっ……」
「うふふ……ちゅーもしてさしあげましょうか?」
「だ、ダメっす、ダメっすよっ」

ここぞとばかりに抱きついてくるスミ姉。いつもより、あったかい。あんな話をしたせいで、むにゅむにゅと押し当てられるおっぱいの柔らかさが、気になって仕方ない。抵抗しても、スミ姉は大人の力で俺を逃がしてくれない。

「だいたいそういうの……お、おっぱいとか、ちゅーが好きなだけみたいじゃないっすか。カラダ目当てっていうんでしょ、それっ。不純じゃないっすかっ」
「うふふ……ロニくん。このカラダだって”あたし”なんですよぉ?」
「……そ、それはそうかもしれないっすけど」
「あたしを好き、と言うのに何を憚ることがあるのでしょうか?あたしのおっぱいも、お尻も、くちびるも、だぁい好きでいいんですよぉ……?」
「でもっ……うぅ、うぅーっ、いいから離せっすよっ……」

スミ姉は、いつもこうだ。俺の考える事なんてお見通しとでも言わんばかりに、淀みなく言葉を返してくる。反論しようにも、言葉が出てこない。納得したくないけど、納得させられて。言いくるめられてしまえば、子供みたいにじたばたと抵抗するしかなくなってしまう。

「そうそうそうそう、身も心も愛してもらわなきゃ……うーん、スミレちゃんも話が分かるっ。私も負けてられないわぁ、ほらほら、ぎゅーっとするわよ、アナタ。ちゅーもしてあげるんだから……♥」
「あー待て待て、服を脱がすんじゃないっ……そういうのは二人っきりで、な?」
「んふふ……待てない……♥ それに、ロニちゃんとスミレちゃんにお手本、見せてあげないと……♥」
「お、お手本……!?だ、大丈夫っす、間に合ってるっすっ」
「そうですねぇ……御心遣いは有り難いのですが。今は自主性を重んじる事にしていまして……」

スミ姉と張り合うようにして、ラミアが夫のシャツに手を掛ける。ズボンの中に尻尾の先が滑り込んで行く。服を脱がして、何をしようというんだろう。それがいけないコトだという事だけ、分かってしまう。キスなんかより、もっと、いけないコト。

「ほら、そう言ってるだろ?な?」
「なら、二人っきりで愛し合いましょ……♥」
「分かった分かった。じゃあ、いきなりで済まないけど、お開きって事で……今日はありがとう、楽しかったよ」
「んふふ……私も楽しかったわよぉ。やっぱり、他人の恋って……昂ぶっちゃうわよね……♥」
「言った通り、二人はあっちの部屋を使ってくれ。それと、その…………うるさかったら、ごめんな……」
「……いえいえ、お構いなく。ご馳走様でした。本日は誠にありがとうございました。おやすみなさいませ」
「ごちそうさまでした。それじゃおやすみっすっ」

ラミアの夫は、脱がされそうな服を押さえながら、慌てるように酒宴の終わりを宣言して。二人の間に流れる只ならぬ雰囲気に耐えきれない。今すぐ逃げ出したいのだけれど、スミ姉は相変わらず俺を離してくれない。
スミ姉に抱きつかれたまま、ゆっくりと部屋を後にする。

「ほら、続きはベッドの上で、な?だからちょっとだけ我慢して……」
「んふふ……もう十分我慢したわ……♥」
「し、寝室に戻ったら好きにしていいから、な?」
「あらあらあらあら、ほんとに好きにしていいの……?うふふふ……♥」
「お、お手柔らかに……お客もいるし、な……?」

背後から聞こえる声は、いけないコトをしているはずなのに、とても嬉しそうで、幸せそうだった。


 ◇◇◇


割り当てられた一室も、旅人を寝泊まりさせるには十分上等で。有り難い事に、ベッドまで用意されている。示し合せるわけでもなく、スミ姉と二人でベッドの縁に腰掛ける。

「……はぁ。疲れたっす。それにしても……魔物に捕まった人達、普通に暮らしてるモノなんすね。拍子抜けって感じっす、いい事っすけど」
「うふふ……ロニくんは彼らの暮らしをどう見ます?」
「んー……飯に困ってる様子がないし、家の造りもしっかりしてる。ぜいたく品がよく売れてたのも、余裕がある証拠っす。そこらの人里よりよっぽど良い暮らしっすよ。正直驚いたっすけど、基本、魔物の方が能力は高いし、生存にも長けてるわけだから半分は納得っす。それにしても随分余裕があるみたいっすけど」

俺がラミアの里で何を見て何を学んだか、スミ姉による答え合わせの時間。
自分なりに色々と観察していたけど、中々どうして、悪くなさそうな生活ぶりだった。山賊なんかやってた連中が拾われるには勿体無い場所だな、とさえ思う。

「うんうん、流石はロニくん、よく見ていますねぇ、感心感心。ご明察の通り、豊かな生活には他の理由があるのですが……説明しだすと長くなるのでまたの機会にしましょう」
「えー、勿体ぶられると気になるんすけど」
「良い子は寝る時間です」
「また子供扱いしたっすね」

スミ姉は俺の答えに満足したようで、ご褒美と言わんばかりに頭を撫でようとしてくる。いい加減恥ずかしいけど、やっぱり褒められて悪い気はしない。
やけに豊かな生活のカラクリを、今すぐ説明してもらえないのは残念だ。美味い話には落とし穴がある、という風でもなさそうだけど。

「ところでロニ君。魔物のお嫁さんというのも、なかなか乙なモノだとは思いませんか?」
「またそういう変な質問を……」
「まあまあ、照れずに答えてくださいな」

魔物のお嫁さん。俺をからかうだけの質問に見えるけど、最近はなんとなくスミ姉の腹が読める。これはたぶん、魔物に対する認識とか心象を確かめている。ようは、今回の”勉強”の成果の確認だ。俺が魔物のお嫁さんを欲しいかどうか、なんて事そのものは別にどうでも良いんだろう。

「……少なくともこの里のラミアは、割と良いお嫁さんなんじゃないっすかね。捕まった人達も幸せそうだし。そりゃ好きな人と結婚するのが一番っすけど……そういうの抜きにしたら、人間より良いかもっすね。美人だし、人間には無い力もある。夫を大事にしてるっぽいっすし……勿論、裏が無ければの話っすけどね」

実際、幸せそうにべったりくっつく家主夫婦の姿は、心底羨ましかった。からかわれたくないので、口には出さないけれども。

「いやはや、それは重畳。そう思ってくれたのであれば、わざわざここを訪れた甲斐があったというものです」
「チョウジョウ?」
「とても満足だという事です。ええ、とても」
「なるほど覚えたっす。攫われた人が幸せに暮らしてるとか、こうして実際に見てみないと中々信じられる話じゃないっすからね。知れてよかったっすよ。街についたらまたゆっくり教えて欲しいっす」
「うふふ……勿論です。手取り足取り教えて差し上げますよ、ふふふ」

今日一日で俺は、魔物に対する認識を大きく変える事となった。新しい事を知るのは気持ちがいいものだ。それが他人の中々知らない事なら尚更。
スミ姉も、いつにも増して満足気で。きっと、魔物との取引を受け入れられる人間はやっぱり貴重で、それを確保出来たので機嫌が良いんだろう。

「さてさて、良い子は寝る時間です。ベッドで眠れるとは、本当にお二人には頭が上がりませんねぇ」
「そっすね。じゃ、俺は床で寝るんで」

部屋に置かれたベッドは一つだけ。
スミ姉は、当然と言わんばかりにベッドに潜り込む。俺は男で雇われの身、スミ姉は女で雇い主。当然の行いだ。

「あぁ、いけません、いけませんねぇ……実にいけません。恋人同士が寝床を共にせぬなど、彼女達からしたらあり得ぬ事です。それが知れたらどうなることか……ロニ君もご覧になったでしょう?男に飢えた魔物達の、あの羨望の眼差し……たちまち餌食になってしまいます」
「……それを持ち出すのは流石にズルでしょ」

俺とスミ姉の間で、ベッドの譲り合いなんて事は起きない。起きるはずがない。同じ部屋で寝泊まりする事になったが最後、スミ姉はあの手この手で、俺をベッドに引きずり込もうとしてくるのだから。俺はもう子供じゃないから、一人で眠れるというのに。可愛い可愛いと言って、人を抱き枕にしようとしてくるのだからたまらない。
そして今回は、特に分が悪かった。この里で何人のラミア達が、獲物を見る目で俺を見つけ、スミ姉の存在に落胆していただろうか。狙われている身なのに、申し訳ない気持ちになるぐらいだった。俺とスミ姉の関係を疑って、夜襲をかけて来るような諦めが悪いのが居てもおかしくない。

「うふふ……はい、安全地帯ですよ」
「っ……なーにが安全地帯っすか」

一緒に寝るのを恥ずかしがって魔物に寝込みを襲われる、なんていうのは馬鹿らしい。そんな事は分かりきっていて、それでも丸め込まれてしまうのが悔しい。
シーツの裾を持ち上げ、ぽんぽんと傍を叩くスミ姉。その微笑みは、勝ち誇っているようにも見えるし、優しくも見えるし、なんだかいけないようにも見える。
それにドキドキしてしまって、余計に負けた気分になる。

「うんうん、ぬくぬくですねぇ……役得役得」
「はぁ……暑いんすけど」
「暑いくらいで丁度良いのです」

不本意ながらも、スミ姉に背中を向けてベッドに潜り込む。毛布を丸めて、抱き枕代わりにする。少し暑いけれど、これが無いと落ち着かないから仕方がない。
そんなことも御構い無しに、スミ姉は俺を抱き枕にする。

「うふふ。よしよし……」
「ぁー……やめろっす……」

子供を寝かしつけるように頭を撫でられると、どうしようもなく、頭がぼーっとして、うとうとしてくる。子供扱いは不満で、それでも、スミ姉の添い寝はとても心地良い。
心地良すぎて、腹が立つ。そんな気持ちも、頭を撫でられると溶けていって、とても疲れていることに気づく。今日は驚くことばかりだったから。

「やーめーろー……」
「よいではないですか」
「おれは、こどもじゃないって……」
「いいんですよ、こどもで」
「よくない……」

魔物は、俺ぐらいの歳の男だって襲う。きっと、子供が大人かなんてのは関係無いんだろう。
じゃあ、スミ姉は一体なんなんだろう。俺を子供扱いして、可愛がって。大人になったら一緒に居てくれない?子供扱いは腹が立つけど、それはそれでなんとなく嫌だ。
なぜ、を考えても分からなくて。頭を撫でられるたび、だんだん何にも考えられなくなってくる。

「おねえさんが一緒にいてあげますからね……ぐっすりお眠りなさい……」
「…………」

一緒。優しい声に、なんだか安心してしまって。その先の事は、あまり覚えていない。


 ◇◇◇


夜中にふと、目が覚める。スミ姉はぐっすりと眠ったまま。
そして、寝静まった筈の寝室から家主夫妻の物音がして。変な声がして。それで、気になって覗いてしまった。

「あぁっ、まだまだ寝かさないわよ……♥」
「ぁっ、ぅぁ……っ」
「そのカオ、かわいいっ……♥んふふふ、やっぱり、あの子達が起きてくるまでこうしていましょう……?」
「そ、それは……ぁっ、いけないっ……」

ベッドの上で、男とラミアが、裸同士で抱き合いながら、見つめあって。蛇の身体が男をぐるぐる巻きに捕まえたまま、ぐにゅぐにゅと動いて。そのたびに、二人は身体をびくびくさせて、息を荒げて、変な声をあげる。苦しそうで、むしろ幸せそうな奇妙な声。
いけないモノを見てしまっている事だけは分かる。だけど、目が離せない。

「もう、またそんなこと言って……♥ 夫婦が愛し合うのって、お手本じゃない……♥ イイコトよ、イイコト……♥ そ・れ・に……“いけない”って、”イヤ”じゃないものね……♥ こづくり大好きだものね……♥ 嫌なんて言えないわよねぇ……♥ わたしのナカ、大好きだものね……♥ ほら、好きよね?好きって言いなさいっ♥」
「ぅぅ……す、好き……気持ちいい……っ」
「ぁはっ…ほんと、よく出来た旦那様なんだからぁ……♥ わたしも好き、大好き……♥ だから、離さないっ……♥」
「ぁ、ぁっ……」
「ぁはぁっ、おちんちんびくびくした……♥ 私もイっちゃいそうっ♥ ほらぁ、アナタのだぁいすきな、わたしのナカに、精液ちょうだいっ? いっしょにイって、赤ちゃん孕ませて……♥」

夫婦。愛し合う。子作り。そんな言葉が聞こえてきて、聞き間違いだと思いたいけど、確かにはっきりそう言っていた。これが、夫婦のする事で、子供の作り方?おちんちんがびくびく?精液?ナカ?イくって何?もう、訳が分からない。

「ぁぁっ、はぁんっ、あむっ、ちゅぅっ、じゅるっ、んっ、ちゅるるっ、んふ、すきっ♥ んぅっ、っ、ぁはぁっ、あむっ、れるっ、すきっ、だいすきっ♥ れろれるっちゅるっ、ふぁ、おいひいっ♥ すきっ、ちゅっ、ちゅぅぅっ、じゅるっ、じゅるるっ、ぁはっ♥」

二人が突然、大きくびくりと動く。ベッドがぎしりと鳴る。それと同時に、ラミアが唇にしゃぶりつく。昼間に見てしまったキスが可愛く思えてしまう程の、熱烈な吸い付き。
まるで食べられているかのよう、なんて言葉も生ぬるいほどに、めちゃくちゃに吸い付いて、舐めて、しゃぶって。唇を殆ど離さないまま喋って、好きという言葉を口から口に吹き込む。
一瞬だけ口を離した瞬間に見えたのは、細長い蛇の舌が、もう一つの舌を絡め取って捕まえて、ぐちゃぐちゃにする姿。男の方は、もはや声すらあげられずに、されるがまま。それでも、唯一自由な腕を使って、ぎゅっと妻の頭を抱いていた。

「ぷは……っ♥ ……しあわせぇ……♥ アナタの愛で、いっぱぁい……♥」
「っ……はぁっ、はぁ……」
「で、も……♥もっと、もっと、欲しいわぁ……♥」

ベッドの軋みが止んで、それで、ようやくラミアは夫の唇を解放する。夫の方は、息も絶え絶えだけど、嫌がっているようには見えなかった。きっと、お嫁さんの事が好きなんだろう。
ラミアは、満足気な声をあげながらも何かを求めて、再び蛇の身体を擦り付け始める。
これが夫婦の営みなのか、子作りなのか、分からないけど。
好きな人にぎゅっとしてもらえて。あんなに沢山、好きと言ってもらえて。挙げ句の果てに、ちょっと激し過ぎるけど、ちゅーだってしてもらえて。きっと、それだけじゃない。
ホントは気持ち悪いと思わなきゃいけないはずなんだけど、なぜか、羨ましかった。


 ◇◇◇


「…………」

部屋に戻ってくると、窓枠から月の光が、スミ姉の元へと四角く差し込んでいた。
穏やかな寝息が漏れるくちびるが、薄ぼんやりと照らされていて、つやつやと視線を惹きつける。無性に、どきどきしてしまう。

「すみねえ……おきてるっすよね……わかってるっすよ……おれにはわかるんでー……」

起こさないように、スミ姉を呼ぶ。わかった風なことを言う。カマをかけるというやつだ。寝たふりなんてされていたら、洒落にならない。

「……ねてるっすね」

返事はない。反応もない。だから、そっとベッドに潜り込む。
綺麗な寝顔。無防備な唇が、目の前に。ぷるぷるで、柔らかそうで。触れてみたら、どんな感触なんだろう。どんな味がするんだろう。恋人のフリだって言えば、スミ姉なら許してくれるかも知れない。

何を考えているんだろう。キスは本当に好きな人とするものだって、義姉さんも言っていたし、雇い主に悪戯というのは護衛失格だ。
こんな事を考えてしまうのも、きっとあんなモノを見てしまったせいで、スミ姉のことが好きなわけではない。そもそも、スミ姉とキスしたいわけではない。唇の感触とか味が気になってしまうだけで。

とにかくこれ以上はまずい。唇から目線をそらす。それで、スミ姉の寝間着がはだけかけていることに気付く。普段はしっかりと隠されている胸元が、今はまるで魔物みたいな格好だった。

「うわー………」

綺麗。透き通るように白い肌が描く、丸い曲面。服越しですら、相当な大きさだったはずなのに。服の締め付けから解き放たれたそのおっぱいは、もうこぼれ落ちてしまいそうな程で、普段の比にならない程に存在を主張していた。魔物並みのおっぱいが、すぐ目の前に。もはや圧巻で、思わず変な声が出てしまう。

その柔らかさ、心地良さは、布越しに知っている。むにむにのたぷんたぷんで、ぎゅっとされると、うっとりするほど気持ち良くて、どきどきして、文句を言う気も容易く奪われてしまう。スミ姉にいいようにされてしまう元凶の一つだ。
あのおっぱいの間に顔を埋めたら、間違いなく幸せな気分になってしまう。
寝ぼけたフリをして甘える? バレてもきっと、からかわれるだけで済む。もしかしたら、いつもみたいにぎゅっとしてくれるかも。
でも、子供扱いにつけ込んでおっぱいを触るのは卑怯で、そういう事は意地でもしたくない。可愛がられるのを受け入れるのと、自分から触るのは大違いだ。
そもそも俺が好きなのは義姉さんだ。そんな事したら浮気だろう。

「っ……」

脱げかけおっぱいを目の前に悩み続けるうちに、とんでもない事に気付く。
はだけた着物の布地は、もはやほとんど、胸に乗っかっているだけ。つまり、少し手を伸ばして、布をめくるだけで……丸裸のおっぱいを見れてしまう。乳首まで丸見えの、スミ姉のおっぱいを覗けてしまう。今なら、それが出来てしまう。
手が伸びてしまいそうになるのを、ぐっと堪える。

「…………」

バレなければ良い、なんてのは大抵バレてしまうし、何も無かったフリをし続けるのも大変だから。スミ姉にシーツをかけ直して、背を向ける。けれど、少しだけ身体を寄せる。一緒に寝るという事になっているのだから、仕方ない。

「ん…………」
「お、おお、おきてたっすか……?」
「…………」

身体を寄せた途端、スミ姉の腕が俺を絡め取る。後ろから、ぎゅっと抱き締められてしまう。
狸寝入り。そんな言葉を思い出して、心臓が跳ねる。今のが全部筒抜けだったら?
震えながら声を掛ける。返事はない。呼吸は相変わらず穏やかで、逆に抱き方はいつもより遠慮が無い。
本当に寝ていて、抱き枕が戻ってきたから、無意識に抱き寄せただけなのかも知れない。

「ぁ……」

そして、俺の頭はスミ姉の胸に、しっかりと捕まえられてしまっていた。
しっとりすべすべとした、吸い付いてくるような肌触り。おっぱいの間に捕まえられて、温かくて優しい柔らかさに包み込まれて。服越しとは比べ物にならないぐらいの気持ち良さ。
安らいだ気持ちとドキドキが一緒にこみ上げてきて。スミ姉が寝てるか起きてるかなんて事は考えられなくなってくる。
正面から抱きついたら、顔を埋めて頬擦りしたら、もっと気持ち良いんだろう。あの夫婦みたいに裸で抱き合ったら、もっと、もっと、気持ち良くて、幸せに。
そんな事で頭の中はいっぱいで、それでも自分からは動けないまま、夜は過ぎていった。


 ◇◇◇


「お二人とも、本当にありがとうございました」
「……お世話になったっす。ほんとにありがとっす」

結局、俺もよく眠れなかったけど、家主達が起きてきたのは昼過ぎで。遅い朝食を頂いてから、急ぎ里を出発する事になった。
思い返してみれば、人里でこんなに親切な歓迎を受けた事もそうそう無かったな、と思う。お世辞抜きで有難い夫婦だった。
でもそれ以上に、昨日の夜に見てしまったものが頭から離れなくて、それなりに気まずい。

「いいのいいの、堪能させてもらっちゃったもの。恋人未満の甘酸っぱい関係も、初々しくて素敵だったわぁ……」
「あれ、恋人じゃなかったのか。気づかなかった」
「おや、お気付きでしたか」
「えーっ……!?知ってた上で、あんなこと聞いたんすか?その、スミ姉の好きな所とか。めちゃくちゃ恥ずかしかったんすけど……」

最後の最後で、家主のラミアから聞き捨てならない言葉を聞いてしまう。あれだけ恥ずかしい思いをして恋人のフリをしたのが無駄な努力だった。酷い話だ。それに、恋仲じゃないと見抜いた上で、わざわざスミ姉の好きなところを聞くというのは完全に意地悪だ。俺の自業自得という奴でもあるけど。

「んふふ、やっぱり。恥ずかしくて中々言えなかったんでしょう?言えて良かったじゃない、ロニちゃん」
「ははは、ごめんな坊主ー。うちの嫁、お節介焼きで」
「よくないっすよ……」

意地悪の張本人は、全く悪びれる様子がないどころか、さも良い事をしたかのような笑顔。夫の方も「そこが良いんだけどな」と言いたげだ。
とにかく男女をくっつけたがるのは、魔物の性質なのか単なる性格なのか。

「うふふ……あたしとしては大収穫でした。あれだけで、この村に来た甲斐があるというものです」
「あーもう、なーにが大収穫っすか」
「あっ、引き止めちゃってごめんね。また近くに来たら寄ってちょうだい?あっ、その時はもしかしたら新婚旅行かしら?」
「うふふ……ええ、その時はまた」
「はぁ……新婚旅行はないと思うっすけど」

スミ姉はスミ姉で満足気な反応をするので、話がややこしくなる。俺達はそういう関係じゃないのに、分かってやっているからタチが悪い。
新婚旅行なんて、すっかり両思い扱いだ。それにしても飛躍し過ぎだけど。

「それでは今度こそ、あたし達はこれで。重ね重ねありがとうございました」
「……その、ご飯美味しかったっすよ。それじゃ、っす」
「うふふ、お幸せにね、スミレちゃん、ロニちゃん」
「達者でなー」

改めて礼を言って、手を振りながら街道へと歩き出す。別れを惜しむなんて俺らしくないけど、幸せ満天の良い二人だった。あの時、あの二人が本当に子作りをしていたなら。いずれあの二人の間に産まれる子供が心底羨ましい。名残惜しさを感じるのは、ああいう両親が俺にも居たら……と思ってしまうからなんだろうか。


 ◇◇◇


「魔物と夫婦って、最初に聞いた時はふざけた話だと思ったけど……実物見たら、案外そういうものなのかなって」

しばらく歩いて里の方を振り返る。ちょうど、二人は仲睦まじく寄り添って住処に戻っていく所で。遠くに目を凝らすと、引き渡した山賊の一人がラミアに抱きつかれている。引き渡した時はあんなに抵抗していたのに、今では満更でもなさそうだ。一晩の間に何があったのか……そんな考えは頭の片隅に追いやっておく。

「うふふ。そういうものなのですよ。あたしの故郷のジパングでは、人と妖、つまり魔物の共存はそう珍しい事ではありませんし」
「なるほど。なんで詳しいのかと思ってたけど納得っす」

ラミアの里の様子を見た後だと、人と魔物が共存する土地、というのも突拍子の無い話でもない。スミ姉がやけに魔物に詳しく、あまりにも普通に魔物と接するのも、それで納得が行く。

「おや、すんなり納得してくれましたね。これも信頼の賜物でしょうか」
「スミ姉が本当は魔物で、人に化けてるって可能性も考えたっすよ?でも、魔物の気配はしないっすから。それに……」

敵意や害意、危険を探ることに関しては、単なる戦闘能力よりもずっと自信がある。付け焼き刃の魔術とは違う、物心つく前から頼り続けてきたはずの力だからだ。
魔物には敵意や害意はないけど、人間と比べれば確かに異質な何かがあって、実際に人に化けた魔物を見破った事だってある。そして、スミ姉から魔物の気配はしない。
でも、俺が気づけない程に上手く人に化けられる魔物は、きっと居る。
そして、スミ姉の言葉は、スミ姉が魔物であることを否定しない。

「それに?」
「いや、なんでもないっす」
「そんな事を言われると気になってしまいますねぇ」
「気にすんなっす」

スミ姉が魔物だという可能性は、まだ残っている。有り得ない話ではない。
ただ、スミ姉が魔物だったとしても別に構わない。なんて事を言いかけて、口をつぐむ。
魔物について知らない事は多い。けれど、スミ姉が俺の事を襲うつもりなら、幾らでもチャンスはあった。それに、スミ姉が魔物だったとしても、今まで一緒に旅をしてきた事には変わりない。
ただ、魔物でも構わないなんて言うのは、まるでスミ姉の事を好きみたいで恥ずかしいから。



 ◇◇◇



「……つまり、ざっくりまとめると」
「はい」

スミ姉が教えてくれた魔物の生態は、教団の教えとは大きくかけ離れていて、あまりにも驚くことばかりだった。
だいたい驚き尽くしたので、改めて情報を整理してみる。
魔物化とかについては、俺は男だし、仮に義姉さんが魔物になっても、義姉さんへの俺の愛は変わらないので、置いておこう。
現状は魔物しか生まれないとか、人類の存続とかもあまり興味がない。

「魔王がサキュバスに代替わりしてから、魔物は女だけになって。以来、人間をとても大事にしている。食べるとか論外」
「いかにも」
「魔王の影響を受けているので……その、いやらしい事が大好きで、男の魔力、精が大好物。でも、精を吸われすぎてどうにかなる事もない。しかも夫に一途で浮気はしない」
「うんうん」
「魔物と夫婦になると、そのうちインキュバスになる。インキュバスは魔物扱いされるけど、本質的には人間のまま」
「ええ」
「インキュバスになると、魔物に合わせて寿命が延びて、健康になって……最悪、やらしい事をしていれば、飯を食わずとも生きていけるようになる」
「はい」
「強いて不都合があるとすれば……やらしい事をしたいって欲が強くなるぐらい」
「うふふ」
「やっぱり都合が良すぎるっすよ、それ。理想のお嫁さんどころじゃないでしょ」
「ええ、とっても都合が良いのです」

ざっとまとめてはみたけど、色々ととんでもない話だ。
なんせ彼女達は例外なく美人で、いやらしい事にも肯定的なのに、一途に夫を大事にしてくれるという。本能的にそういうものらしい。そして、夫婦になれば寿命が伸びて、病気や飢え死にとは無縁になるという。
こちらの意思はお構いなし、という事を除けば良い事づくめで都合が良すぎる。いやらしい事だって、好きな人とキスしたり裸でぎゅっとしあうのは、きっと、幸せな事だし。
そして、その都合の良さを、スミ姉はニコニコとしながら肯定する。まるで、都合が良くて何が悪いのか、と言わんばかり。

「そんな夢みたいな話が――」
「――あってはいけない、という道理はないでしょう?よいではないですか、夢みたいな話があっても」
「……言われてみれば、あっちゃいけないわけじゃないっすね……?あった方が良いに決まってるっすね……?」
「ロニくんのおっしゃる通りです。夢みたいな話があった方がよいではないですか?」
「そうか……魔物が人間の事を大好きでも、寿命が伸びても、飢え死にと無縁になっても……それでいいんだ。別に、世界は優しくてもいい……そういう事っすね?」

世の中そんな夢みたいな話が転がっているわけがない。世界は厳しい。そう言おうとして、スミ姉に遮られる。
この世界は厳しいかも知れないけど、厳しい必要はない。夢みたいな話があってはいけないわけではない。
言われてみれば確かにそうだ。反論出来ない。
俺が穿った見方をしていただけだったんだ。世界は優しくてもいいんだ。目から鱗が落ちる、とはこういうことか。

「ん…………んん? いやいやいやいや、話のすり替えじゃないっすか……! 夢みたいな話があっちゃいけない道理はないけど、夢みたいな話がある必要もない。ましてや夢みたいな話がある事にはならないっすよ……!実質何も言ってないっす!この前教えてくれたじゃないっすか……!」
「うふふ、よく気づきましたねぇ。お勉強の成果が出ていて何よりです。さすがはロニくん」
「抜き打ちテスト……はぁ、こういう風に騙されるんすね」

まったく、油断も隙もあったものじゃない。論点のすり替え。一週間ぐらい前にスミ姉が教えてくれた言葉のトリックを思い出す。覚えていてよかった。論理の勉強はこういう所で役立つのか。

「……とにかく、都合が良すぎるって話っすよ。良い事づくめじゃないですか」
「そうですねぇ……では、こういう見方はどうでしょうか?男を愛して離さない事も、インキュバス化の恩恵も、魔物にこそ都合が良いのだと。魔物が欲望を満たすための行いが、人にとっても好ましいだけなのだと」
「魔物の都合……納得行くかもっすね。うん、実際…………」

魔物の都合、という考え方は、すとんと腑に落ちるものがあった。
自分を利する事が他人の利になる事もある、というのは身に覚えがある。俺にとってのスミ姉だ。
俺はスミ姉から多くの物を得ているけど、スミ姉はスミ姉で俺に見返りを期待しているから、都合が良すぎるとは感じない。お互いに得る物があるのだから、むしろ自然でさえある。
危うく、俺達も似たようなものでしょ、と言いかける。

「実際?」
「い、いや、なんでもないっす」
「うふふ、何を考えていたのでしょうか」
「別に大した事じゃないっす」

魔物と夫婦になる事が、俺とスミ姉みたいだなんて。俺達がいやらしい関係みたいな言い方だから、慌ててごまかす。俺達は断じてそういう関係ではない。ちょっと変に可愛がられているだけだ。いやらしい事はしていないし、するつもりもない。
俺が好きなのは義姉さんだけで、そういう不埒な真似はしない。しないのだ。

「それで……この話の一番おかしい所って、飯を食わなくても生きていける……魔物とインキュバスで魔力を循環させると魔力の総量が増える事っすよ。これは魔力の原則に反してる。お互いの血を飲んでいるようなものなのに、それで腹が膨れるはずがないじゃないっすか」

インキュバスになって健康になるだとか、寿命が延びるだとかは、まだ理解がいく。魔物の側に寄る、という話だから。
ただ、いちゃいちゃしてれば生きていけるというのは、流石に眉唾物という奴だ。生命が生きていくには外部から魔力を取り入れる必要があるけど、魔力というものは、足したり混ぜ合わせても総量は増えない。これが魔力の原理原則で、食事をしなければ生きていけない理由だ。人と魔物の間で魔力を循環させるだけで生きていけるわけがない。

「いったい、なんだっていうんすか? 納得の行く理屈が欲しいっすよ」

ラミアの里の人達が、飢えを心配している様子が無かったのは事実だけど、それは、もっと別の現実的な事で説明がつく。魔物の優れた身体能力が狩猟に向いている、だとか。

「理屈、ですか……うふふ」
「っ………」

下唇に指先を当て、小首をかしげ、勿体ぶった曖昧な笑み。妙に妖しげで、画になる仕草。
どんな事を知らされてしまうのか。もしかして、子作りの方法とか、男と女にまつわるいやらしい話が関わってくるのだろうか。魔物と人間の子作りは人間のそれと違うのだろうか?俺はまだ、人間同士の子作りについても知らないのに。
つい、どきっとしてしまう。ごくりと、つばを飲み込む。

「────実はまだ、よくわかっていないのです」
「はぁ………?」
「うふふ」
「…………」

分かっていない。何の説明にもならない答え。勿体つけた今の"間"はなんだったんだろう。脱力と困惑にため息をつく。
ちょっといやらしい想像をしてしまった自分が恥ずかしい。
そんな俺の心を見透かすように、スミ姉は、意味ありげに笑う。また、おもちゃにされた。俺は真面目だっていうのに。
抗議の視線を送るけど、じっと見つめ返されると、こっちが恥ずかしくて勝てやしない。これだからこの人は。

「理屈については、魔界の学者も目下研究中でして。とにかく事実として、そういうものだと思っていただければ」
「そりゃ分からない物は分からないとしか言えないだろうけど、幾らなんでもそういうものって……」
「はい、そういうものなのです」

分からないものは分からない。幾ら物知りのスミ姉にだって、分からない事はある。
当然だけど、梯子を外された気分というのはこういう感じか。
ただ、理由は分からないと言い切ってしまうのは、逆に本当っぽいような気がする。騙すつもりなら理屈の一つぐらいでっちあげるものだろう。それでも信じ難い話だけど。

「あえて、あたしなりの考えを付け加えるならば……『世には愛が満ちている』、という事で如何でしょうか?」
「愛って……納得いかねー……」

スミ姉は、あっけらかんと『愛』を語る。俺はそれに納得が行かなくて、これ見よがしに脱力した声をあげる羽目になる。
そういう言葉は、心の清い人間が言ってこそ心に響くものだろう。例えば義姉さんのように。
スミ姉には『利害の一致』とか『損得勘定』がお似合いで、愛なんかを語る柄ではないだろう。勿論、魔物だって、自分勝手に人を襲う。

「今は納得行かずとも……いずれ分かる時が来ますよ。うふふ……」
「……はぁ」

思わせぶりな微笑み。どことなく含みのある言葉に、いやらしい雰囲気。不本意だけど、どきどきする。
でも、今度は落ち着いて返事をする。同じ手に二度続けて乗ってやる程、俺は甘くない。どうせ、俺をからかって反応を楽しんでるだけだ。
スミ姉の言う通り、嘘か真かはいずれ分かる事だ。この先もスミ姉についていくのなら、魔物と関わる機会は幾らでもあるのだから。



 ◇◇◇




親愛なるマリアへ

元気にしていますか。僕は相変わらずスミレさんの護衛をしながら、色んな事を教わっております。
行く先々で美味しい物を食べさせてもらっているのも相変わらずで、まんまるに膨らませた生地の中に甘いクリームを詰め込んだシュークリームというお菓子が最近のお気に入りです。とにかく甘くて美味しい幸せな食べ物で、いつかあなたにも食べさせてあげたい。
勉強の方も順調です。基礎の算術はあらかた学び終えて、帳簿の付け方を教わる事になりました。僕自身のお小遣い帳から始まって、今は実際の取引を記帳しています。スミレさんのつけた帳簿と突き合わせても殆ど問題がないぐらいになりました。
単なる勉強とは違いますが、稼いだお金の使い方も教わっています。「投資」という概念はとても面白くて、これは彼女から学んだ事の中でも特に重要なものです。軽くて暖かい服を買えば快適で、良い寝袋を買えばぐっすり眠れる。お気に入りの筆記用具を持てば、勉強にも身が入る。そうやって、次に繋がる事にお金を使っています。お金を稼ぐ事は生きていく事で、商人の考え方から学ぶ事はとても多いのです。
特に、食事は最も根本的で確実な投資だそうです。食べなければ動けませんから。くどいようですが、孤児院の子供達を想うなら、まずは自分がお腹いっぱい食べてくださいね。あなたや兄さんが倒れたら、子供達の面倒を見る人が居なくなってしまうし、何より僕が悲しいです。
あとは、新しい言葉を覚えるのが楽しくなってきました。語彙が増えた分だけ思考はなめらかに明確になって、賢くなれたような気がします。”語彙”という言葉も新しく覚えた語彙です。我ながら、手紙の書き方もだいぶ上手くなったのではないでしょうか?
とにかく、僕はとても元気にやっています。それと、スミレさんが行商のルートに融通を利かせてくれたので、近々、孤児院にも顔を出せそうです。またあなたに会えることを、立派に成長した僕の姿を見せられることを楽しみにしています。それでは、お元気で。

ロニ





「うんうん、よく書けていると思いますよ。良いお手紙です」
「よかった。添削ありがとっす」

手紙をスミ姉に見せるのは少し恥ずかしい。けど、義姉さんに送る手紙に変な所があっては格好がつかないし、添削をして貰えば勉強にもなる。
スミ姉はスミ姉で沢山の手紙を書いていた。その中にはジパングの文字で書かれていて読めない物もある。内容は秘密らしい。

「いつにも増して、お姉さんへの愛情を感じます。妬けてしまいますねぇ」
「うん、頑張った甲斐があったっす。あ、でも……直さなきゃっすね……ラブレターじゃないんで」

俺が抱いている義姉さんへの恋心は、いつからかスミ姉の知る所となっていた。
妬けてしまうなんてスミ姉は言うけど、俺の事を好きならともかく、子供扱いしておいて何を嫉妬する事があるんだろうか。そう思いつつも、茶化すような言葉が実は嬉しい。義姉さんへの想いをちゃんと愛と認めてくれるのは、スミ姉ぐらいのものだ。
でも、手紙としては俺の狙い通りではない。今はまだ、俺が一人前の男に成長し、元気にやっている事を伝えるだけでいい。

「いえいえ、勿体ない。想いの丈を伝えればこそ、進展もありましょう。それこそ恋文をしたためてもよいぐらいです」
「……それは俺の都合でしょ」

想いをちゃんと伝えていないから、ずっと子供扱いのまま。自覚しているからこそ、要らぬお節介という奴だった。
俺だって、俺の気持ちを知ってもらえるなら知ってもらいたい。でもそれは、俺の都合だ。
義姉さんからしてみれば、孤児院の子供に好きと言われても困るだけだから。まずは、一人前の男として見てもらう必要がある。気が遠くなる道のりだけど、そうしなければならない。

「よいではありませんか、少しばかり己の都合を考えても」
「よくない」
「自己犠牲はお嫌いなのでしょう?」
「……義姉さんが困るのはもっとイヤなだけっすよ」

見かねたような言葉。大きなお世話という奴だ。
義姉さんは、病と飢えで野垂れ死ぬはずだった俺を拾い上げて、救って、育ててくれた。それは博愛という奴だったけど、俺の唯一知る愛だ。
そして義姉さんは、俺に見返りを求めなかった。だから俺は義姉さんに見返りを求めない。求めてはいけない。義姉さんの幸せが最優先で、自分の都合を優先して困らせるなんて論外だ。そんな奴が義姉さんに相応しいはずがない。義姉さんを独り占めしたいなら、相応しい男にならないと。

「……頑固ですねぇ。ほら、おねえさんがぎゅっとしてあげますから、ね?」
「はぁ……なんでそうなるんすか。スミ姉には関係ないっしょ」

人が思い悩んでいるのも御構い無しに、スミ姉はいつものように俺を後ろから抱きすくめようとする。
まったく、何がこの人をお節介に駆り立てるんだろう。どうして俺を可愛がろうとするんだろう。俺をどうしたいんだ?

「いえいえ、これもあたしの都合ですから。はい、お手紙はこれで出しますからね」
「貸しっすよ、これ」
「では、遠慮なくお借りして。はい、ぎゅぅー……」

スミ姉の中で、どんな損得勘定が行われているのかは分からない。ただ、これがスミ姉の都合だというなら、手紙について折れてやるのも、可愛がられてやるのも俺の方だ。慰めてもらったなんて思ってやらない。これは貸しなのだから。
そしてこの貸しは、義姉さんの役に立つ形で返して貰えばいい。想いの滲んだ手紙で困らせてしまう以上に。
結果として俺に都合がよくなるかもしれないけど、それはあくまでも結果なのだから、胸を張って受け入れていい。
俺を包み込んでくれるスミ姉のぬくもりだって、心地良くたって、あくまでも結果だ。




 ◇◇◇




俺の魔術の師匠は、俺のアニキに片想いをしている。師弟揃って横恋慕とは救えないけど、恋仇の恋仇は味方という事で弟子に取ってもらったのだから仕方ない。
そんな話をスミ姉にしたせいで、何故か、孤児院より先に師匠の方に顔を出すことになってしまった。
この二人を会わせるのは気乗りしなかったけど、この街に戻った事自体がスミ姉の計らいだから、仕方なくこうしている。

「――貴女がロニくんのお師匠様ですね。スミレと申します、以後お見知りおきを。ご覧の通り、生まれはジパングで商人をやっております」
「はぁ、こいつの拾い主」
「雇い主っすよ」
「ロニくんには公私ともどもお世話になっておりまして……こうして挨拶に参った次第です。こちら、お近づきの印にどうぞ」
「ふーん、蜂蜜漬けか?見たこと無い果実だな……ハート型ってなんの冗談なんだか。まぁ、くれるなら貰ってやろうじゃないか」

痩せた体躯と女性らしからぬ長身。無愛想な表情に、攻撃的な目つき。隈の酷い目元に、生気のない荒れた肌。
俺の師匠は相変わらず、尖った枯れ枝みたいな人だった。むしろ、しばらく見ないうちに悪化したようにも見える。覇気がないような、空元気のような。
整理の行き届かない工房には、酒の匂いが漂っていた。
師匠は、礼も言わずにスミ姉の差し出した贈り物を受け取る。口も悪ければ、態度も悪い。それに懐かしさを感じてしまうのは、不本意な事で。
スミ姉はスミ姉で、よくもまあこの偏屈相手に、初対面で笑っていられるものだ。

「では、あたしの事はお構いなく……積もる話をお済ませくださいな。出来ればその後に、ロニくんの事をお聞かせ頂けると……」
「こいつの話?物好きだな。私も暇ではないんだが……まあ、少しぐらいは話してやらん事もない。積もるという程の話もないが……よそ者に聞かれて困る話でもないか。折角だ、口外しないなら聞いていけ」
「うふふ、ありがとうございます」

「……しかしなんだお前、あの女から鞍替えしたのか?」
「いえ、残念ながらまだ」
「顔もいい、胸もでかい、金もありそうだもんな。欲望に正直で、良い趣味じゃないか。お似合いだぞ」
「うふふ……お褒めにあずかり光栄です」
「はぁ?鞍替えなんかするわけないでしょ」
「また生意気になりやがって。お前もあの馬鹿も、そんなにお綺麗な自己犠牲が好きかね」
「あんたの好きなアニキだって自己犠牲の塊でしょ」
「うるさい、あの女が居なきゃ、あの馬鹿のお人好しもマシだったんだよ。何度言わせる気だこのクソガキ」

師匠は、恋仇である義姉さんを蛇蝎のように嫌っている。
義姉さんの事を悪く言うのはかなり腹が立つ。けど、かたや義姉さんに、かたやあの馬鹿ことアニキに横恋慕なんてしているせいで、奇妙な協力関係が成立してしまって、それにかこつけて弟子入りできてしまったのだから仕方ない。
俺が姉さんを振り向かせれば師匠にも勝算が出てくる。逆もまた然り。それが俺達の師弟関係の根本だった。

「あーあーあー、スミ姉も居るんで喧嘩は無しで」
「気に入らないなら出ていけばいい。私が気を遣ってやる義理がどこにある?」
「いえいえ、お構いなく。普段と違うロニくんが見れるのは、中々楽しいものですから」
「……それも癪だな。停戦だ馬鹿弟子」

久々に会って改めて確信を得たけど、他に魔法を教えてくれる人がいれば他の人が良かった。アニキ相手が例外なだけで、師匠の性根は本当に捻じくれている。それでも、俺はこの人が嫌いではない。それは師弟の絆なんて綺麗なものではなく、二度と弟子生活には戻りたくないけど。
しかし、あの師匠でさえも、スミ姉の話術にかかれば毒気を削がれてしまうのだから驚く。

「はぁ……で、師匠は今、アニキとどんな感じなんすか。聞かれて困るわけじゃないなら聞くっすけど」
「どこぞの商会の慈善事業で、孤児院の財政が改善して――あの馬鹿もようやく人並みの暮らしをはじめたよ。もう栄養剤を無理矢理飲ませる必要ない」
「そっか……それは良かったっす」
「ああ……身体を壊すような事はもうなさそうだよ。正直、それだけは安心してる。それだけは、な」

孤児院の財政が改善したと聞いて、安堵する。アニキが人並みの暮らしをできているなら、義姉さんだってそうなのだろう。俺も頑張って仕送りをした甲斐があった。
そして、安心してると言う師匠の声も、柄にもなく穏やかだった。本当に、柄にもない。
愛する相手が慈善や博愛に身を捧げ、自分を顧みない。腹が減ってどうしようもない時でさえ、分かち合いを忘れない。それが我慢ならないという気持ちは、俺にも分かる。
師匠が義姉さんの事を嫌いなのだって、俺が他の孤児を嫌いなのと同じ事だ。嫉妬もあるけど、好きな人が身を削る原因だから、敵にさえ見えてしまう。

「でも……それって接点減ってないっすか?」
「だから接点を増やしたんだ。今まであの馬鹿の世話を焼いてきた分を返してもらっていたわけだな。ちょっと洒落た感じの店に連れて行かせて、飯を奢らせたりとか、色々な」
「デートじゃないっすか!」

不本意だけど、俺達は似ている。だから、こうして久々に会って、日々の苦労が報われたとなれば、自分の事のように嬉しくもなってしまう。

「――そう、思うだろう? あの女が現れてから苦節十二年、ようやく出し抜いてやれると思っていたんだが……」
「……」
「カールの馬鹿から、感謝を口にされたのは、中々嬉しかったんだ。迷惑かけるかもしれないけど、これからもよろしくなって言われたら、舞い上がりそうになったものだよ。正直泣きそうだった」

けれど、続く言葉は自嘲に満ちた声。

「でもあの馬鹿は…………"おまえと友達で良かった"って…………生まれて初めて化粧までしたのにさ……そりゃ女としちゃ魅力の欠片もないが、幾らなんでもあんまりだろぉっ……」
「……」
「あぁ、もうっ……あの馬鹿め、馬鹿めっ……!あれだけ世話焼いてやったのに、なんで優しい止まりなんだよ馬鹿っ……!お前以外に優しい所をいつ見せたんだよぉ……!あぁ、もう、幼児の頃の方がよほど女扱いができていたっ……!大きくなったら結婚しようって刷り込んでおくべきだったんだ……」

濁りきった瞳。堰を切ったように、泣き言とも恨み言ともつかない声を、ぼろぼろと絞り出す。慰めようのない有り様。どこか元気がなかったのは、これが理由か。
好きな人に異性扱いされない事の辛さは知っている。だからこそ、かける言葉が見つからない。分かるなんて言えやしない。

「はぁぁぁぁ…………しかも、この話はまだ終わりじゃないんだよな」
「え……」
「聞いて驚け、あの女へのプレゼントの相談までされたんだ……なぁ、こんな仕打ちがあるか……えぇ?」
「うぇぇ……そ、それ、ほんとっすか……」
「ははは……自分で考えろ馬鹿、とか言って店を出てやったさ……ついこの前の話だな……たぶん告白でもするんだろ……おわりだよおわり、お前も私も、おしまいだよ」

虚ろな表情。乾いた笑い声。見ているこちらが泣きたくなるぐらい、無残な有様だった。
そしてそれは、他人事ではなかった。師匠が失恋は俺の失恋とほぼ同義だ。
もちろん、義姉さんとアニキが恋人になってしまったとは限らないけど、考えたくなかった事だって頭によぎる。ようやく一人前の男として見てもらえる筈だったのに手遅れだなんて、そんな事、有り得てしまうから。

「……それで、どうなったんすか……?」
「……知るか。家まで追っ掛けてきたが……鍵掛けて無視してそれきりだ。どんな顔して会えばいいんだよ……惨めに泣いて縋りつくわけにもいかないだろ……もうダメだ……終わったんだよ……」
「そ、そっすか…………」

普段は好きな相手さえ馬鹿呼ばわりする口から、惨めに泣いて縋り付くなんて言葉が出てしまう。見ていられるものではなかった。
慰めの言葉ぐらいはかけてやりたいけど、何が思いつくわけでもない。スミ姉なら、なんと言うのだろう。

「そっすか、じゃない……お前がちゃんとあの女の気を引いてれば……悠長に出稼ぎなんぞしてるからだ、馬鹿弟子……」
「っ…………気を引けばなんて、鏡に向かって言えっすよ……!」
「おまえっ、傷口に塩を塗るんじゃない、このクソガキ……!」
「俺のせいにしてきたのはそっちでしょ……!」

それでも恨めしげに俺を詰ってくるのだから、この人は。同情したのを後悔しつつ言い返す。いいや、言い返せていない。
一人前の男である事を証明している間に、二人が結ばれてしまう。それはまさしく、俺が恐れていた事だ。
師匠の恨み言は、どうしようもなく痛い所を突いていた。それを言ったからには、もう慰めてやる義理もない。

「――ロニくん」
「……………はい」
「怒られてやがる……ざまあない」

ぴしゃりと名前を呼ばれて、戦闘態勢に入っていた頭の血が引く。スミ姉が咎めてくれてよかった。
傷心の相手にわざわざ追い打ちをかけるというのは、大人げない事だ。傷ついた人間には優しくするものだと義姉さんも言っていた。
それでも、師匠の大人げなさには腹が立つけど。

「お師匠様は……本当にその方の、カールさんの事を想っていらっしゃるようで」
「はっ、わかったような口を」
「えぇ、あたしには到底、計り知れぬほどなのでしょう」
「そうだ、アンタにゃ分からん。わたしはずっと、あいつが好きだったんだよ……物心ついた時にはもう、好きだったんだ。アンタにわかるわけがあるまい……それをみすみす逃した、私の気持ちなんざ……」

そしてスミ姉は、いつもの調子で師匠を口車に乗せようとしていた。頷き、相槌を打って、話を引き出していく。悲しみに暮れる師匠に合わせ、大袈裟なくらいに目を伏せて共感を示す。
失恋と言えど恋の話に興味があるのか、取り入って売りつけるものがあるのか、単なるお節介か。

「なんと、物心ついた時から」
「あぁそうだ……あいつだけが、私に優しくしてくれたんだ。私は赤ん坊の頃、全く笑わなかったらしくてな……親からも気味悪がられて……」

師匠も、これ幸いと想いの丈を吐き出し始める。吐き出さなければやってられないんだろう。
ただ俺は、今から語られるであろう話を既に聞いたことがある。師匠が随分と長く曲がりくねった恋路を歩んできた事は、もう散々聞かされてきた話だ。
赤ん坊の頃から全く笑わないせいで、実の両親からでさえ薄気味悪がられていたとか、唯一遊んでくれたのが隣に住んでたアニキだったとか、いじめっ子からも守ってくれたとか、十歳ぐらいからお互い恥ずかしくて一旦疎遠になってしまったとか、再び近づこうとした時には当のアニキは義姉さんと出会って孤児院を手伝うようになっていた、とか。
売り言葉に買い言葉で傷を抉っておいて、だけど、流石に見るに堪えない。
だから、その話はもう聞いた、と言うわけにもいかなかった。

 ◇◇◇

スミ姉が促すものだから、師匠はもはや噴水か何かのように未練を吐き出して。
俺も結局、聞き飽きた話なのに同情してしまって。
気づけば、師弟揃ってぐちゃぐちゃに疲れ果てていた。

「はぁ……色々吐き出してすっきりしたつもりだが。だめだ、なおさら諦めきれん……」
「うぅぅ、やっぱり、こんなのってないっすよ……」
「やはり、諦めきれませぬか」
「諦めきれないものは諦めきれないんだから仕方ないだろ……」
「――では、ここに耳寄りな話が」

そして、恨み辛みを吐き出してなお諦めきれないという師匠に、ついにスミ姉が商人の顔を見せる。
こんな時にも商売か?と思ったけれど、万策尽きたこの状況では、妖しい笑顔でさえ救いの主に見えてしまう。
スミ姉の商いでどうにかなるのなら、どうにかしてあげて欲しい。それは、間違いない俺の気持ちだった。

「……惚れ薬があるっていうなら、言い値で買ってやる」
「……いやいやいや、どうしちゃったんすか。そういうのは無しだって言ってたじゃないっすか……!」
「うるさい。あの馬鹿が悪いんだ、あの馬鹿が……もうなりふり構っていられるか……!なんだってしてやる……!」
「ああもう、スミ姉、惚れ薬なんてあるわけないっすよね……?」

けど、惚れ薬にもすがろうとする姿は見てられなかった。
師匠は、魔術や薬で好きな人の心を操る事を良しとしなかったし、そんな冗談も言わなかった。その真摯さのようなものを、俺は密かに尊敬していた。そのはずなのに。尊敬していたはずの部分が、折れてしまっていた。
この人は、一線を踏み越えようとしている。悪い方向に吹っ切れてしまっている。なりふり構わないという言葉が文字通りに聞こえて、途端に怖くなる。

「――もちろん、惚れ薬など野暮な物はございません。愛しい人を振り向かせるのは、他ならぬ貴女の魅力と想い……必ずや、お役に立てるかと」
「私の……魅力?ははっ、言ったな……?そんなものがあると思ってるのなら、聞かせてみろよ、耳寄りな話とやらを」

そしてスミ姉は、師匠の様子にたじろぐ事もなく、まるで売り口上のように堂々と、しかし、どこか淑やかに語りを続ける。
今の師匠を後押しすれば、何をするか分からない。そんな事が分からないスミ姉ではないはずだ。

「という事なので……ロニくんは先に戻っていてくださいな」
「待て待て待てっす……!俺に見せられない物でもあるんすか……!」

挙げ句の果てには俺を追い出そうとして、こんな状態の師匠にいったい何を売りつける気なのか。何をさせるつもりなのか。幾らスミ姉でも、説明も無しには納得出来ない。

「如何にも。女の秘密とでも言いましょうか……?」
「お、おんなの秘密……まぁ、それは見せられないだろうけど」
「お師匠様を案ずる気持ちも分かります。なればこそ、あたしを信じてお任せください」

女の秘密なんてものを盾に出されると、踏み込みようがなく。それでスミ姉は、信じて任せろなんて珍しい物言いをする。
しゃがみ込んで目線を合わせて、優しく諭すように。子供扱いは気に障るけど、俺の不安を汲み取ってくれたのは分かる。

「……そこまで言うなら」

スミ姉が微笑みの裏で何を目論んでいるのか、得体が知れないのは今に始まったことではない。けれど、魔物の事でさえ悪いようにはならなかったのだ。だからきっと、師匠の事だって上手くやってくれる。



 ◇◇◇



師匠をスミ姉に任せて、結局は一人での帰郷。
俺の記憶にあるはずの孤児院は、そこになかった。
ボロボロの教会建築の代わりに、真新しい屋敷が立っていた。
記憶と全く違うのは孤児院だけで、通りの様子は概ね見慣れたものだ。場所を間違えたわけではない。
取り潰しにあったのではないかと思ったけど、入り口の銘板には見慣れた名前があった。
聞き耳を立てれば、子供の遊ぶ声が聴こえる。やはり、間違ってはいないんだろうか。

「ロニじゃないか……!おかえり、元気だったか? 」
「おっ、アニキ! ただいまっす。元気してたっすよ」
「うん、肉がついたんじゃないか?」
「そりゃアニキの方もじゃないっすか? 前はやつれてたでしょ」

そんな俺に声をかけてきたのは、見知った相手だった。
カール・トーレス。人の良さが顔に出ているこの男が、俺の恋敵。そして、義姉さんに並ぶ恩人であり、父親代わりでもあり、良い兄貴分でもある。
困った事に、俺はこの人が嫌いじゃない。たぶん、義姉さんの次に大事な人だ。

「しかし、いったい何があったんすか。あんなにボロボロだった孤児院が綺麗になって……俺のいないうちに潰れたんじゃないかと思ったじゃないっすか」
「ああ、驚くよなぁ……アガタ商会って所が、土地ごと孤児院を買い上げて、建て直してくれたんだよ」
「……え、ええ?買い上げ?建て直し?」
「俺も最初は驚いたんだけど……有り難い話だよなぁ」
「いやいやいや、孤児院が買い上げられたって、マリア義姉さんはどうなったんすか……!」
「マリアは雇われ院長で、俺も兵士を辞めて副院長。子供たちの面倒を見てお金が貰えるんだから、感謝してもしきれないよ。それに、他の職員まで派遣してくれて人手にも困らない。アガタ商会様様だよ」
「……はぁ。それは良かったっすね?」

俺が孤児院を離れている間に、孤児院の事情は随分と様変わりしていたらしい。
アガタ商会とやらに買い上げられたというのは少し不安になったけど、その口ぶりからはとても手厚い援助が伺える。
かつての極貧生活が嘘のような様子だった。俺が師匠のところに弟子入りしたのは、言ってしまえば口減らしだって兼ねていたのに。
この様子なら、義姉さんの方もきっと元気にしている。それは間違いなく嬉しい事のはずだ。そのはずなのに、暗い気持ちが混じらずにはいられない。
――俺が一番、義姉さんの役に立てるはずだったのに。俺が一番、義姉さんを幸せにできるはずだったのに。

「ははは、いきなりでびっくりするよな。しかし、背、伸びたな……!」
「まだまだ足りないっすよ」

再会を喜び屈託なく笑うこの人は、この孤児院を取り巻く変化も素直に喜んだに違いない。それは、俺には出来ないことだ。

 ◇◇◇

物心ついた時にはもう、俺は独りだった。両親の事は覚えていない。ただ、自分が見棄てられた絶望感だけは、はっきりと心に刻み込まれている。
俺は、いわゆるドブネズミだった。

昼は残飯を漁り、盗みをやって食い繋ぐ。外で寝ているような孤児は人攫いに捕まってしまうから、ねぐらは地下水道。寒さを凌ぐのにも丁度良かった。
綺麗な水の通る場所や、温かい排水の流れる場所なんかは人気で、似たような境遇の連中が自然と集まっていた。
でも、人が増え過ぎたり、弱って動けなくなった連中が出てくると、それを嗅ぎつけた魔物達がどこからかやってきて、後には誰も残らない。
それを一足先にかわし続けたのは、きっと俺ぐらいのものだったと思う。今にして思えば、それは全くの裏目だったわけだけど。

結局のところ、どれだけ上手く立ち回っていても、運悪く病にやられてしまえばどうにもならなかった。
一度病に苛まれてしまえば、盗みはおろか、残飯の奪い合いさえままならない。
朦朧として、身体は冷たくて、生きる事を諦めかけていた所に、手を差し伸べてくれたのが義姉さんだった。今でもはっきりと思い出す事ができる。
あの人は、「もう大丈夫ですよ」と優しく微笑んで。俺に毛布をかけて、抱きしめてくれた。俺を、人として扱ってくれた。あのとき俺は、ようやく、人間になれたのだと、そう思っている。

義姉さんは、俺を見棄てるべきだった。孤児院で病気が伝染すれば、俺一人の命じゃ済まないのだから。
それでも義姉さんは俺の事を救ってくれた。俺を孤児院に連れ帰り、懸命に看病をして、少ない食べ物を分け与えてくれた。
ただ、助けてくれただけで嬉しかった。奪われる事の心配がないだけで有り難かった。家族として受け入れてくれた。
俺にとっての女神、なんて言葉じゃ足りない。俺を救ってくれたのは神じゃなくて、義姉さんその人なんだから。




会いたくて、仕方のなかったひと。俺がずっと恋い焦がれてきたひと。
穏やかな微笑みを浮かべた、その愛しい横顔。孤児院の庭では、俺より年下の孤児たちが遊び回っていて、その中にあの人は居る。
再会の喜びに、胸が躍る。けれど、締め付けられるような苦しさも感じる。
今の俺はもう、ああいう風に義姉さんに遊んでは貰えない。そして孤児達が居なければ、もっと義姉さんと一緒に居られるのに。久しぶりに帰ってきた今も、そう思わずにはいられない。
弟や妹として扱うべき相手を、義姉さんにとって大切な存在を、義姉さんを奪う敵のように見てしまう。
旅をして色んな事を学んだけど、こういう所は全く成長しないままだ。
複雑な胸の内だけど、それでも、義姉さんの事を見つけたなら、駆け寄らずにはいられなかった。会いたかった。

「マリア姉さん……!」
「あっ、ロニ……! 帰ってきたんですね」

――綺麗になった。それが、愛しい人が振り向いて、最初に思った事だった。
栗色の髪の毛には傷み一つなく。肌つやも良くなって、シミひとつさえ見つからない。嘘みたいだ。
それはつまり健康な生活を送っている証拠だと気づく。昔みたいに、どこか疲れの消えない笑顔ではなかった。
本当によかった。元気なのを確かめられただけで、帰ってきた価値があったと思う。

「ただいまっす! 会いたかったっすよ……!」

会いたかった。優しい眼差しを前にすると、改めて、どうしようもない想いがこみ上げる。今の今まで強がり続けていたけど、やっぱり寂しくて仕方がなかった。
このまま抱きついてしまえたら、どんなに良いだろうか。でも、それができるほど俺は幼くないし、幼くてはいけない。

「あぁ……心配していたんですよ? 冒険者になるとか、用心棒をするとか……危ない事ばかりしてるんじゃないかって……」
「俺の心配は要らないって言ったでしょ? あれからもっと強くなったし、魔物とだって戦える」
「危険な事、してるんですね」
「これからも、もっと強くなるし、賢くもなるっす。だから俺の心配は要らないんすよ」

義姉さんから最初に出てきたのは、心配の言葉。俺のことを気にかけてくれていて嬉しい。
けどそれ以上に好きな人に心配をかけてしまった事が、未だに心配が必要だと思われている事が、あまりにも歯がゆい。
義姉さんから離れてこれだけ頑張ってきたのに、まだ子供扱いだなんて。

「だいたい、俺の方がよっぽど心配してたんすからね。ほんと、元気そうで安心したっすよ。これもアガタ商会って奴のおかげっすかね」
「うん、おかげで……あの子達にもお腹いっぱい食べさせてあげられています。もちろん私も、ちゃんとご飯を食べてます。その、ちょっと太っちゃったぐらいなので……ロニも安心してくださいね?」
「太ったって………き、綺麗になったと思うっすよ? 前から綺麗だったと思ってるっすけど……」
「え、えっ……? そうですか? ロニもそう言ってくれるなら、本当なのかも……?」
「うん。綺麗になったっすよ。ほんとのほんとに」
「……そう、なんですか。えへへ……」
「それで……マリア姉さん。話したい事、いっぱいあるっすよ。積もる話っす」
「うん、ちょっと待っててね。カールに代わって貰わないと」

太ったと本人は言うけれど、むしろひと目見て分かるぐらい綺麗になったと思う。もう客観的に見ても間違いなく美人だ。健康的な範囲で肉がついたというか、こころなしか、おっぱいやお尻も大きくなっているような気さえする。
太ってしまった、と恥ずかしげに目をそらす義姉さんが、可愛らしくて愛おしくて、新鮮だった。こういう女の人らしい悩みを見せてくれたのは、初めてかも知れない。
でも、それとは裏腹に俺は、昔のように義姉さんにドキドキしなくなってしまっていた。義姉さんの事が大好きで仕方ないのに、義姉さんもより魅力的になったはずなのに、何故かそういう気持ちにならない。
おっぱいを触ってみたいとか、一緒にお風呂に入りたいとか、そういうよこしまな気持ちも湧き上がって来ない。
スミ姉と一緒に過ごして感覚がおかしくなったのか? よこしまな気持ちが無くなったのは良い事だけど、いまいち釈然としない。
それでもやっぱり、話したい事はいっぱいあって、笑ってくれると嬉しくて、独り占めしたいと思ってしまう。

スミ姉が孤児院に遅れてやってくるまで、積もる話は尽きる事がなかった。
スミ姉の語りを真似る形で武勇伝を語ってみたのだけれど、義姉さんの方は良い顔をしてくれなかった。やっぱり、俺が危険に飛び込む事を、よく思っていないらしい。逆に、アニキの方は楽しそうに聞いてくれて「冒険は男の本懐だよなぁ」なんてしみじみと言ってくれた。こういう話は男同士でまた今度しよう。
俺がスミ姉との旅で学んだ事は数知れなくて、成長を自慢したかったんだけど、その中身を上手く義姉さん達に伝えるのは難しかった。それは帳簿の話とか、数学の話とか、商売の心得だとか、会話における技法だとか、手紙の書き方だとか、魔術理論だとか……とにかく色々あったけど、何かを他者に説明するためには、一段上の理解が必要で、俺にはまだ、要領の得ない説明しか出来なかった。でも、二人はそんな話を聞いて、とても嬉しそうに俺の成長を喜んでくれた。
だけど、やっぱり義姉さんの笑顔は微笑ましげで、見守られているような、子供扱いされているような感覚が拭えない。
俺は義姉さん達が知らない事を一杯知って、二人が出来ない事も出来るようになった。そしてこれからも、もっともっと賢く強くなれる。けれど、俺はこれだけ成長したのだと、凄くなったのだと一生懸命自慢する事そのものが、きっと子供っぽいのだと、今更になって気づく。それでも、自慢しないと知って貰えないのだから仕方がない。
旅の途中で見たきれいな景色や、美味しかった食べ物についても、スミ姉の受け売りを語る事は出来ても、実際に感じた事を言葉にして伝えるのは、やっぱり難しい。結局、「いつか連れていってあげたい」「いつか一緒に食べたい」といった話になってしまう。それが出来れば、どんなにいいことだろう。

 ◇◇◇

「失礼致します」
「どうも、こんばんは」
「遅いっすよスミ姉……って、その人は?」

スミ姉が孤児院にやってきたのは、積もる話も半ばの頃だった。
そのかたわらには、見知らぬ女性が居た。ジパング系の、落ち着いた雰囲気の美人だった。

「あっ……こんにちは、サツキさん。サツキさんは商会の人だよ。よくお世話になってるんだ」
「なるほど、商会の人っすか」

サツキと呼ばれた女性は、あのアガタ商会の人らしい。たぶん、何かしらの商談や交流があったのだろう。ただ俺のためだけにこの街を訪れたわけではないというのは、やはりスミ姉らしいなと思う。

「ごきげんよう、カール様、マリア様。はじめまして、ロニ様。アガタ商会のサツキと申します」
「こんにちはっす」

一分の隙もないような所作。淡々とした、感情表現に乏しい口調。スミ姉とは対照的な印象を受ける。およそ商人らしからぬ人だ。

「こちら、皆様に紹介させていただきます――」

続く言葉の違和感。何故、商会の人間がスミ姉を紹介するのか?

「――アガタ商会オーナー、となります」
「お初にお目にかかります、スミレ・アガタと申します」

答えは、あまりにも突拍子もない話だった。
商会のオーナー。これも驚くべき事だけど、スミ姉がただの行商でない、というのはむしろ腑に落ちる。なんせ道楽を自称していた。
ただ、それ以上に重要な事があった。
スミ姉がアガタ商会のオーナーであるならば、この孤児院の所有者であるということ。俺の家族の生活を手中に収めているということ。
それを今まで隠していて、この場で明かす意味。単なる慈善事業でも、商会の評判稼ぎでも説明がつかない。
確かなのは、いつの間にか見えない首輪が嵌められていた事。そして、その手綱は間違いなくスミ姉の手の中にある事。
柔和な笑みに隠れて、スミ姉の視線がちらりと俺を捉える。その一瞬だけ、とても嬉しそうな目をしていた。
――やられた。ここまで高く買われていたなんて。

 ◇◇◇

アガタ商会オーナー、スミレ・アガタの来訪によって、孤児院は少々騒がしい事となった。
困窮した孤児院の買収と再建は、やはりスミ姉の方針によるものだった。「ロニくんの話に心を打たれてしまいまして」などと白々しい理由を吐くものだけど、それを追求する者は誰も居なかった。
商売として利益を求めつつも、それを社会に還元する事で無理なく継続的に世の中を良くしていく。そんな商会の理念、聞こえの良いお題目を語るスミ姉の姿は、あまりにも堂に入っていた。不本意だけど少し感動してしまったぐらいだ。
当然、お人好しの義姉さん達はすっかり感動して、アニキに至っては感謝を述べながら泣き出すぐらいだった。
孤児達も、スミ姉があのピンク色の飴玉を配れば、あっという間に懐いてしまっていた。折角なので俺も一個貰ったけど、やっぱり美味しい。
スミ姉のお付きの人は、終始、他の職員とともに孤児の面倒を見てくれている。無表情な人だが、意外と孤児に懐かれているらしい。
その身のこなしは只者ではなく、子供達に「分身の術やって!!」とせがまれて、残像が見えるぐらいの速度で動いてみせていた。

そして今、アニキは子供達の世話に戻っていって、俺とスミ姉と義姉さんの三人で、積もる話をする事になった。
スミ姉と義姉さんの会話は和気藹々としたものだった。俺にとってのスミ姉は油断ならない人間だけど、義姉さんの目には本当に聖人君子に見えているらしい。
考えてみれば、スミ姉は何も悪い事をしていない。俺を雇うにしても十分な給金をくれているし、その上勉強まで教えてくれる。商売の様子を横で見るのだって貴重な経験だ。べたべたとくっついたりしてくるのも、傍から見れば微笑ましいスキンシップになるらしい。
そして、孤児院の事に関して言えば、善行も善行だ。それで他ならぬ義姉さんも幸せそうにしている。俺が頼んだ事ではないけれど、感謝はしているし、恩も感じている。
義姉さんは旅先での俺の様子を根掘り葉掘り聞くし、スミ姉もいい気になってあれこれ語るものだから、未だに毛布が無いと眠れない事とか、肉の脂身が嫌いなままだとか、ズボンで手を拭く癖が直らない事とか、余計なことまで義姉さんに知られてしまった。

「スミレさんには、本当にロニのことを可愛がって頂いているようで……私としても、とても嬉しいです」
「はい、それはもう……あたしとしましては、我が家に家族として迎えたいぐらいでして。ね、ロニくん?」

スミ姉は、他愛無い話ですっかり義姉さんと打ち解けていた。そして切り出したのは、養子の話。恐らく、これが本題だ。
『法は家庭に入らず』。一度養子に貰われてしまえば、大抵の事は家の問題として片付けられる。最悪の場合、養子に貰った子供を売り飛ばすような人間だって居るらしい。心無い相手に貰われれば、人身売買と変わりないのが養子の実態だ。
それを教えてくれたのがスミ姉なら、俺を養子に取りたいと言うのもスミ姉だった。こういうのを面の皮が厚いとか言うんだろう。

「はあ。家族、っすか」

もはや、スミ姉が俺を手に入れようとしているのは明らかだった。いまさら驚きはない。裏切られたとも思わない。
スミ姉は俺の事をよく可愛がってくれていたし、高く評価してくれてたし、手塩にかけて育ててくれた。とにかく、俺の事を高く買ってくれていた。
それは、孤児院を再建してもお釣りが来るぐらいだったんだろう。後は単純な話だ。
合法的に、誰に咎められる事もなく、お買い得に俺を買える方法があった。だから買った。買わないわけがない。スミ姉はそういう人だ。不思議な納得があった。

「まぁ……!スミレさんの元なら、きっとロニも幸せだと思います……!此処に居た時よりよく笑って、背もよく伸びて、たくさんの事を学んでいて……ロニの話を聞いても、大切にしてもらってるんだなって」

義姉さんは、人買い紛いの悪人に子供を渡すような人ではない。謝金を詰まれて動く人でもない。
けれども、根がお人好し過ぎて他人を疑うのに全く向いていない。人の善意や善性を信じ過ぎていて、スミ姉の事も慈善活動に精力的な人だと信用しきっている。それで、俺を幸せな家庭に送り出せる千載一遇の好機を逃すまいとしている。俺に養子の貰い手がつかなかった事を未だに心配しているんだろう。それは俺が義姉さんと離れたくなくて愛想悪く振る舞っていたせいなんだけど、義姉さんは俺の事を「誤解されやすい子」だと思っている。なんとも後ろめたい。
親心なんて、失くしてくれればいいのに。

「うふふ、お義姉さんにそう言って頂ければ幸いです。ロニくんさえ良ければ、ぜひとも我が家に」

根回しをする、外堀を埋める、とはまさにこの事だった。この言葉を教えてくれたのもスミ姉だ。本人に全く気づかれないまま、義姉さんを実質的に買収する事に成功しているのだから、本当に上手いものだ。
この状況が合法的な人身売買を可能としている事を説明しても、「人の善意を疑うなんていけません」と怒られるのが容易に想像出来る。

「スミ姉の家族かぁ……美味い話すぎてびっくりっす。スミ姉の家族なんて」

元々、口減らしを兼ねて冒険者になった身だ。野垂れ死んだり魔物に喰われる覚悟まで済ませている。
身売りという手を使わなかったのは、その場凌ぎで終わって未来が無いからだ。
けれど、こういう形でスミ姉に身を売ったなら、義姉さんの生活は将来まで安泰だ。
俺は飼い殺しになるようなものだけど、スミ姉なら悪いようにはしないだろう。折角高く買ったのに使い潰しては勿体無い。
それに、養子と言えど商家の息子なら、社会的立場は今と比べるべくも無い。
実質的な身売りだとしても、条件としては間違いなく破格。

「でも、俺はもう自分で生きていけるし、俺を育ててくれたのは義姉さんとアニキだ。今更、他の家の子供になる必要はない。そうでしょ?」

その破格の条件を、突っぱねる。
確かに俺は、決定的な弱みをスミ姉に握られてしまった。けれど、譲歩を引き出す事が出来ないわけではない。
スミ姉がその気になれば義姉さん達を路頭に迷わせる事も出来るけど、孤児院を買収しておいて梯子を外すような真似をすれば、悪評だって立つ。
俺に対する制裁は間違いなく痛み分け。なら、そこに交渉の余地はある。
少なくとも、この場でただ雰囲気に流されて、無抵抗に買われてやる必要は全くない。後で二人きりでじっくり条件を詰めれば良い。
どうせ買われるなら高く買われてやるし、家柄だって利用させてもらおう。

「そんな言い方をしてはいけませんよ、ロニ。スミレさんは、あなたの事をとても気に入ってくれているんです。これは、とてもありがたいことなんです」
「いえお義姉さん、これはあたしが無粋でした。ロニくんの言う事は尤もです」
「すみません、折角の申し出なのに。いい子なんですけど……養子の話になると、昔からこんな感じで……」
「いえいえ、ご心配なさらず。あたしは、ロニくんのこういった部分も高く買っております。いやはや、気骨があって実に結構」
「まぁ……!ロニの事をこんなによく分かってくれる方は初めてです」

スミ姉の余裕は全く崩れないまま。それどころか、満足気に笑ってさえみせる。やはり、試されている。歯向かうぐらいで丁度いい。スミ姉が俺に求めてる物は、そういうモノなんだろう。スミ姉相手にご機嫌取りは要らない。
でも気づけば、俺に理解を示すスミ姉、といった構図が出来上がってしまっていた。
俺の反論は間違っていなかった。当のスミ姉さえそれを認めた。それでも、「子供」と「大人」という型に嵌められてしまった以上、もはや反論は意味を為さない。俺がどんなに躍起になって反論しても、いくら正しい論理を組み立てても、スミ姉はただ「大人」として理解を示すだけでいい。たったそれだけで、外堀は埋まっていく。こうなってしまっては打つ手が無い。
つまり俺は、自分の能力や正しさを示す前に、徹頭徹尾大人らしい振る舞いをしなければいけなかった。いつまでも義姉さんに子供扱いされている理由も、きっとこれだ。傍から見れば俺は、力と賢しさを振りかざす子供でしかない。こうして嵌められて、ようやく気付く事ができた。

「ええ、ええ。ロニくんの事はよーく存じております。とてもお姉さん想いで、頑張り屋さんな子です」
「はい、そうなんです、そうなんです……!小さい頃から、いっつも私達の事を心配してくれて、私達の助けになろうと一生懸命で……魔法使いさんに弟子入りまでして、冒険者にもなるぐらいで……口は悪いですけど、家族想いで優しくて、本当にいい子なんです」

白々しいまでに理解者面をしてみせるスミ姉の事を、義姉さんは疑いもしない。きっとそれ自体は正しくて、事実、スミ姉は俺の事をよく分かっている。それはもう、腹が立つぐらいに。
俺はただ義姉さんに、好きな人に褒めてもらいたいだけだった。独り占めしたいだけだった。そのために頑張ってきたけど、それらは全部「いい子」の一言に回収されてしまう。本当はいい子ではないのに。
それはきっと、俺が義姉さんにはっきりと好きだと言ってこなかったり、義姉さんの事を気遣う時に「義姉さんに何かあったら困るのは子供達だ」と唱え続けてきたせいでもある。結局の所は自業自得という奴なんだろう。

「――いえ、ロニくんはまず第一にお姉さんのことが大好きなのです。ですから、お姉さん想いと申し上げたのです」
「はぁっ……!?いきなりなに言い出すんすかっ!?」

やるせない気持ちになるや否や、スミ姉は何食わぬ顔で俺の想いを暴露する。
囃し立てるでもなく、茶化すでもなく。何も恥ずかしい事でないかのように。何も後ろめたい事はないかのように。ただ善いことであるかのように。
改まった様子はないが、冗談にも聞こえなかった。

「え、あっ……はい。そう、なんですか?スミレさん」
「はい。それはもう妬けてしまうぐらいでして」

当の義姉さんは、呆気に取られた顔をして俺を見ていた。
あまりにもスミ姉が堂々としているものだから、すっかり場の空気を持ってかれてしまう。

「……ま、まあ、確かに?姉さんの事は大好きっすけど」

もはや、好意を認めない方が不自然だった。だから、簡単に言えないはずの事が言えてしまった。
スミ姉に乗せられる形というのはしゃくだけど。

「…………大好きっす。恩返ししたいって気持ちもあるっすけど。ほんとに、誰よりも、一番大切に思ってるつもりで……幸せでいて欲しいんすよ。ホントの本当に。義姉さんが幸せじゃないと、俺だって笑えないっすよ」

一度認めてしまえば弾みがついて、今まで言う機会も勇気も無かった想いを吐き出せてしまう。
それはまだ上澄みだけで、独占欲や恨み節といった後ろめたい部分は呑み込んだままだけど。大きくなったら結婚してくれなんて、困らせてしまうだろうから言えなかったけど。それでも、一番伝えたかった事を伝えることが出来た。

「……ありがとう、ロニ。お姉ちゃん、とても嬉しいです」
「あーあーあーあー……!もう十分っす。恥ずかしいこと言わせないでくれっすよ、スミ姉!」

それは、とても優しい慈愛の笑顔だった。聖母のような笑みとは、きっとこういう事を言うのだろう。出会ったあの日からずっと、この笑顔が大好きだった。大好きだけど、変わらないままの笑顔だった。
それでもやっぱり、言えてよかった。俺の想いの一部だけでも知ってもらえたなら、それで義姉さんが笑ってくれたなら、今までの苦労も報われた気持ちになれる。
今はこれで十分。十分だろう。

「うふふ、よく言えました」

今のやりとりは、スミ姉からの助け舟だったのかも知れない。俺に首輪を嵌めておいて、そのくせお節介を焼くというのはよく分からない。いや、お節介を焼く価値があるからこそ手元に置こうとしている、と考えるべきなのか。
スミ姉は俺の事をよく解っているのに、俺にはまだ、スミ姉のことがよく分からない。

「でも……やっぱり、あなたには自分のために生きて欲しいんです。今までの事が私のためだというなら、尚更です」
「だーかーらー、今はもう、自分のために生きてるじゃないっすか。その話は今更っすよ、今更」

これで一件落着、となれば良かった。けれど、話には続きがあった。慈愛の笑顔は伏し目がちな表情へと変わる。それはスミ姉と出会う前、冒険者時代に幾度と無く繰り返したやり取りだった。
今はもう、俺は自分のために生きているという事になっている。仕送りだって表面上はしていない。言いたい事はあるけど、今は今更としか言うほかない。

「……ロニ。これは、今まであなたが送ってくれたお金です。あなたのために使ってください。私を大切に想ってくれるのは嬉しいです。でも、受け取れません」

そう言って義姉さんからカバンから袋を取り出す。ガチャガチャとした金音。袋を机の上に置いた時の重い音。中身を金貨と仮定すれば、スミ姉の名前を借りて送った仕送りの額と概ね一致している。
つまり、仕送りの隠蔽がバレたという事だ。

「……なんの話っすか、姉さん」
「スミレさんの名前を借りて仕送りしていましたね?お見通しです。あなたはそういう子ですから、ロニ」

スミ姉の怪しさには頭が回らないくせに、義姉さんはこういう所だけ妙に鋭いのが困り物だった。子供の頃からずっとそうだ。夜中こっそり抜け出して遊びに出た事とか、喧嘩して怪我した事だとか、隠し事が成功した試しがない。そしていつも叱られる。その例外は、俺の秘めたる想いぐらいのものだった。

「だーかーら、なんの話か説明してくれっす」
「ロニ。私の目を見なさい」

子供の頃を思い出す追求。昔は目を見ろと言われれば目を逸らしていたものだけど、今では動じないでその目を見つめる事が出来た。今思えば、義姉さんにちゃんと俺の事を見て貰えたのは、叱られてる時ぐらいだったのかもしれない。
なんだか、懐かしい気持ちにさえなる。

「それがスミ姉の名前で送られてきたんなら、俺の仕業だと疑うのって、スミ姉に色々失礼だと思うんすけど」
「あっ……」
「お言葉ですが……あたしの名前でお送りした物は、あたしから、あたしの意思でお送りした物となります。手紙でも申しましたように、あなた方の行いに感じ入るものがあったからこそ、そうしたのです」
「……ごめんなさい。確かに失礼でした」
「いえいえ」

でも、今の俺は昔より賢くなった。匿名ではなく、スミ姉の名前を借りるという布石。俺を疑うという事は、スミ姉の善意を疑う形になる。義姉さんに、人の善意は疑えない。

「では……これは、スミレさんにお返し致します」
「いえ、既にお送りした物ですから」
「……お気持ちは有り難いのですが、受け取れません。これが私の手元にあるのは、お返しする方法が分からなかったからです」
「受け取れない、と」
「はい。受け取れません」

それでも、義姉さんは頑固だった。スミ姉からの寄付という事になってなお、お金を返そうとする。
義姉さんは今、受け取れないと言った。それはつまり、受け取っていないという事だ。それは、手をつける事もなかったという事だった。お金を受け取った、というなら。手をつけた金額を後になって補填したならそれで良い。孤児院の買収と再建までの繋ぎになったならば意味はある。けれど、そうではなかったらしい。

「……これは失礼いたしました。では、これはロニくんが預かっておいてください」
「ん。了解っす。じゃあ、このお金でまた美味いモノ食べに行こっす」
「おやおや」
「ありがとうございます、スミレさん」

スミ姉に言われるがまま、軽口を叩きながら金貨袋を回収していた。ついぞ受け取って貰えなかった、俺の努力の結晶だ。手に感じる感触とは裏腹に、ひどく軽い。
言いようのない徒労感と無力感。今までの頑張りは義姉さんの役に立たなかったどころか、要らぬお節介だったという事だ。無意味で無価値どころか、邪魔でさえあった。勿論、義姉さんはきっとそう思ってはいないだろうけど、それはどうしようもなく事実だった。

「……ロニ」
「なんすか義姉さん、改まって」

そして義姉さんはまた、優しい眼差しで俺を見つめてくれた。でもその優しさを感じ取って、俺の直感は警鐘を鳴らす。
きっと、この先に続く言葉は、俺の望まない言葉。そう分かっていても、逃げ出す訳にはいかなかった。

「お姉ちゃんはもう、幸せですから。今までの人生で、今が一番幸せで……きっとこれから、もっともっと幸せになるんです。だから、もう心配しなくて大丈夫です。あなたが幸せになる事が、一番の恩返しです」

その笑顔はとても綺麗で、幸せだというその言葉に、もはや疑う余地はなかった。俺の事を安心させようと想いやってくれる気持ちも、痛いぐらいに伝わってきた。
その人は、確かに俺の事を見てくれていたけど、俺だけを見てくれているわけではなかった。誰と一緒に幸せになったのか。これからもっと幸せになっていくのか。それが俺じゃない事は、語るまでもなく明白だった。

「ん。そっか。幸せなら……そりゃ心配要らないっすね」

今の今まで、望みは薄いと分かっていても、諦めないまま、諦められないまま、やれるだけの事をやってきた。こんな事だって、今更だ。
なのに今回ばかりは、どうにかなる気がしなかった。望みが絶たれたのだという確信があった。
俺が一番、義姉さんを幸せにできるだなんて……間違いだった。そう思わずにはいられない。

――たぶん、これが失恋。

けれど、不思議なくらい落ち着いて、笑顔をつくることができた。
義姉さんが幸せじゃなきゃ、俺は笑えない。でもそれは、義姉さんが幸せであれば俺は笑えるって事でもない。それでも不思議な事に、俺は笑えていた。

「相手はアニキでしょ?おめでとっす」
「え、あっ、その、まだですよ?まだ、なんですけど……えへへ」

義姉さんの目が、ちらりと窓の外に向いた事を、俺は見逃さなかった。気づいてしまった。
そこには、裏庭で子供達と遊んでいるお人好しが居た。屈託も裏表もない笑顔。やっぱり俺は、ああはなれそうにもない。上っ面の笑顔なら負けないのに。

「まだって事は、いずれって事でしょ?いやー、お幸せにっすよ!」

視界がぐにゃりと歪む。身体に力が入らない。けれど、倒れてはいない。胸を苛む痛みとは裏腹に、笑顔は崩れてないはずだ。
曖昧になり始めた意識とは裏腹に、自分が勝手に、一人でに動いていく。考えるより先に、祝福の言葉が口から出ていく。
それは確かに、本心の一部でもあった。ずっと一緒に居たかったけど、独り占めしたかったけど、何よりもまず幸せであって欲しいのは間違いない。
だからこの言葉だって、笑顔だって全くの嘘じゃない。そのはずだけど、笑っている自分の事を、まるで他人事のように感じていた。
お願いだから、気づかないで欲しい。ただ、好きな人には悲しんで欲しくないから。




 ■■■







部屋には独り。身体は、糸が切れたように重く。暖かいはずのベッドの中で、寒さに凍える。
床には、肌身離さず身につけていた愛用の毛布。好きな人から貰った宝物は、今はもう、肌に馴染まない。

結局、自分が失恋したのだと理解してしまった後の事は、あまり定かではない。何事も無かったかのように振る舞えていたはずだけど、スミ姉に連れられて、予定より早く宿へと戻ってくる事になった。

――上手く、いかなかった。

義姉さんと一緒に幸せになりたくて、俺なりに手を尽くしてきたけど、結果は失敗だった。とにかく、上手くいかなかった。ダメだった。俺にはどうしようもなかったのか、それともやり方を間違えたのか。そのどちらにせよ、望みを叶えられなかった事には変わりない。

「ロニくん。入りますよ」
「……ん」

目を瞑ったまま曖昧な返事をすれば、スミ姉の足音が聞こえた。鍵を閉め忘れたな、と思ってようやく、一人になりたかったんだと気づく。時既に遅しで、俺はもう独りじゃなかった。

「おや……」

目を開ければ、スミ姉は床に落ちた毛布を拾い上げていた。そして、汚れをはらい、丁寧に畳んで、そっと机に置く。俺が大切にしていたものを、同じように大切に。それだけ確認して、また目を瞑る。

「ロニくん」
「……何しに、きたんすか」
「ロニくんをぎゅっとしたい気分でして」
「俺は気分じゃないっす」
「そこをなんとか」
「……」

いつもの朗らかな語り口は、少し耳障りだった。俺は落ち込んでいるというのに。何がぎゅっとしたい、だ。そんな気分ではない。不満が、そのまま口から滲む。
それでもスミ姉は悪びれずに食い下がってきて、張り合うのも面倒になってしまった。

「では、ぎゅー……」
「ん……」

人を抱き枕のように扱う口ぶりとは裏腹に、スミ姉は、包み込むように俺の事を抱いてくれた。
柔らかく、暖かな感触。甘く優しい匂い。頭を撫でる手が、背中を叩く手が、心地よくて、思わずうっとりとしてしまいそうになる。

「……ぅぅぅ」

――違う。スミ姉じゃない。

まるで、スミ姉の胸の中、何よりも大切にされているかのようだった。そんな実感が湧き上がってきた。
それでも。それでもこれは、本当に欲しいモノではなかった。
俺がこうして欲しいのは、スミ姉じゃない。義姉さんに抱きしめてもらいたくて。でも、それは叶わなくて。

「っ――、ぅぁぁぁっ……」

途端に、今の今まで抑え込まれていた気持ちが、溢れ出す。涙が零れて、止まらない。ようやく、哀しみのままに自分が動き始める。

「ほんとに、ほんとに、すきなのにっ……だいすきなのにっ……!だから、おれっ、がんばったのにっ……ずっと、ずっと、がんばってきたのにっ……」
「うん、うん」
「なんにもっ、やくにたってなくてっ……」

義姉さんの事は、本当に大好きだった。その想いは、誰にだって負けてないはずなのに。口だけじゃなくて、ずっと、ずっと、頑張ってきたのに。何をすれば義姉さんの役に立てるか、少しでもいい暮らしをさせられるか、考え続けてきたのに。師匠に弟子入りして、こき使われながら魔法を覚えて、冒険者になって。それこそ命懸けで好きな人のために頑張ってきたのに。一緒にいる事だって我慢したのに。それでも結局は、要らないお節介でしかなかった。
ただただ、嘆かずにはいられない。

「おれのほうが、つよいのにっ……かしこいのにっ……おかねだって、アニキよりいっぱいっ……!なのに、なんでっ……!」

そして俺は、好きな人に選んでもらえなかった。そもそも、選ぶ選ばないにさえ辿り着けなかったのかも知れない。
俺はアニキより、恋敵より強いし、賢い。貧困から孤児院を救う事だって、アニキにはできなかった。俺にはできるはずだった。ただお金を受け取って貰えさえすれば。子供扱いさえされていなければ。
今現在でさえ、俺の方が間違いなく優れているはずなのに。この先もっと、俺は先に行くというのに。それでも俺の好きな人は、俺を頼ってくれなかった。それがどうしようもなく悔しくて、恨めしい。

「おれが、ほかのこどもがきらいだから、しっとするからっ、わるいこだからっ……ねえさんのこと、ぜんぶすきになれないからっ、だから、だからっ……!」

義姉さんは仲良くしろと言うけど、俺は孤児院の他の子供が大嫌いで、邪魔で、どうしてもいい子にはなれなかった。どうしようもなく悪い子だった。義姉さんやアニキのような、心からの善人にはなれなかった。
義姉さんの事は大好きなのに、義姉さんの自己犠牲が嫌いだった。俺を子供扱いして、頼ってくれないところも嫌いだった。人の善意を信じ過ぎるところも、悪意の存在を疑わないところも。
俺は、好きな人の全部を好きになれなかった。好きなのに嫌いだなんて、ほんとは好きじゃないみたいだった。
師匠との協力関係だってそうだ。それが上手くいっていたら、義姉さんがこの痛みを味わう事になっていた。そんな事を企んでいた奴が、本当に義姉さんの事を好きだと、愛してると言えるのか?

「おれがわるいこだから、ほんとにすきじゃないからっ――」

悪い子に愛される資格は無い。そして本当は義姉さんの事を愛してもいない。
恨み言を叫んだ先に辿り着いたのは、残酷な結論だった。
悲しみに任せて、自分自身も、自分の想いさえも否定せずにはいられなかった。

「――違います。ロニくんは、嫉妬も嫌いな所も呑み込んで、お義姉さんのために頑張ってきたではありませんか。お義姉さんの事を好きだと、愛していると胸を張っていいのです」

俺自身さえ否定した想いを、スミ姉だけが確かに認めてくれた。俺が投げ捨ててしまった毛布を拾い上げてくれたように。俺が大切にしていたものを、スミ姉もまた、大切に扱ってくれた。

「うぅっ、うぅっ、ぅぁぁぁぁっ……!じゃあ、なんでっ……!」

スミ姉に認められたからといって、俺の想いが報われるわけではなかった。けど、それでも、少しだけ救われた気がして。またとめどなく涙が溢れて、嗚咽を漏らす。

「ロニくんが悪いわけではありません……お義姉さんだって、お義兄さんだって」
「なんでだよ……なんでっ……なんでっ……!」

俺が悪くないのなら、誰も悪くないのなら。俺の愛が本物なら、どうして俺が泣かなければいけないんだろう。どうして俺は幸せになれなかったんだろう。
スミ姉に縋りついても、それ以上、答えは返ってこなかった。
泣きじゃくる俺のことを、ただただ、優しく受け止めてくれていた。



 ◆◆◆


「んー……」

右手を伸ばして、ベッドを探る。毛布がない。落ち着かないのに、探しても見つからない。仕方ないので、ぎゅっとする。代わりにはならないけど、温かくて、いい匂い。独りじゃない。安心する。
とくん、とくん、と聴こえてくる、心臓の音。耳を傾ける。心地いい。微睡みの中、ぼんやりと心を委ねる。

「ん……ぅぅぅぅ……」
「おはようございます、ロニくん」

だんだんと、意識がはっきりしてくる。まだまだ心地良いまどろみの中だけど、二度寝するほど眠くもなかった。
どうやら、泣き疲れてあのまま眠ってしまっていたらしい。
ひとしきり泣いて、眠ったからだろうか。気持ちは幾分すっきりとしていた。
俺は相変わらず、スミ姉の胸の中にいた。眠っている間もきっと、こうして抱きしめてくれていたんだろう。そんな気がする。

「……………」

甘やかされてしまった。これじゃまた子供扱いされてしまう。けど、その考えはもはや今更だった。
もう、急いで大人になる必要はなくなってしまった。なら、俺は何をすればいいんだろう?
そんな考えがよぎって、身体から力が抜けていく。

「ロニくん」
「ん……」
「お腹、空いたでしょう」
「………ん」
「では、朝ごはんにしましょう。待っててくださいね」
「ん……」

いつにもなくスミ姉が優しい。そして、言われてみれば空腹だった。
とても飯を食う気分では無いのに、お腹は空く。
でも、お腹が空いているだけで、別に何も食べなくていいような気もする。
何も要らないというのも面倒で、朝ごはんを調達しにいくスミ姉をそのまま見送る。

「はい、朝粥ですよ」

スミ姉が運んできたのは、米粥だった。
とても食事という気分ではなかった。けど、いざ運ばれてくると、少しばかりは食欲が湧く。そんな自分がなんだか嫌だった。それでも、食わないわけにはいかない。

「……」

お盆を受け取って、米粥を口に運ぶ。ちょうどいい温度で、息を吹きかける必要はなかった。
物足りないぐらいの味付けも、今はちょうどよかった。少し酸味が効いていて風変わりだけど、それが沈んだ食欲を持ち上げてくれる。
初めての味なのに、どこか懐かしく、あったかくて、優しい味がした。

 ◆◆◆

「…………ごちそうさま、す」

いつも通りとは程遠いけど、気づけば両手を合わせてご馳走様を言うだけの気力は戻ってきた。
身体を起こして、朝日を浴びて、お腹を膨らませて、それで、どん底は抜け出したような気がする。

「これ……スミねぇが?」
「お気づきになられましたか」

野営の時以外で、スミ姉が料理を作るのは珍しい。その土地の食べ物を楽しむことは、俺も好きだった。でも、今日はその珍しく特別な時だった。
スミ姉は何も言わなかったけど、馴染みの無い味付けとは別にそんな気がして、それは案の定だった。

「…………ありがと、っす」
「うふふ、どういたしまして」

俺の知ってる味じゃないけど、俺のことを知っている味だった。今の俺のために作ってくれた料理だった。弱っているからか、涙が出そうなぐらいにありがたかった。

「それで…………しばらくは、なんすけど」

でも、何もする気が起きない事には変わらなかった。勉強にせよ、仕事にせよ、何かをする理由もすっぽりと抜け落ちてしまった。俺を今まで動かしてきたものが、消えてなくなってしまった。
しばらくは、とても動けそうにない。休みを貰おう。放っておいてもらおう。

「はい。お仕事はお休みにして――」
「ん。たすかるっす」 

どうやら、休みが欲しい、と伝える必要さえなかったらしい。
スミ姉が正体を隠していたとか、密かに孤児院を手中に収めていたとか、俺の事も手に入れようとしているとか、問い詰めるべき事は色々あるけど、それでも、今はやっぱりスミ姉の存在が有難い。

「――おねえさんと温泉旅行に行きましょう」
「……温泉……旅行?」
「えぇ、温泉旅行です」
「そんな気分じゃないんすけど……」

そんな事を考えた矢先の提案だった。いつものように微笑んだまま、あっけらかんと、温泉旅行などと宣うのだから、この人は。
今はただ、独りにしてくれればそれで良いつもりだったのに。

「そんな気分ではないからこそ、温泉旅行なのです」
「はぁ」
「ただ独りで部屋に篭るだけでは、そこに待っているのは寝ても覚めても終わらない反省会。なんせ、考える時間だけはたっぷりとありますから。孤独は毒です」
「……そっすね」
「それではむしろ、気が滅入るばかり。休むからには、目一杯休まねば」
「……うん」
「そこで温泉旅行です。美味しいものでお腹をいっぱいにして、温泉で身体の芯まであったまり、お布団に入ってしまえば、あとはもう、気持ちよーくだらだらごろごろする他ありません。気分転換にはもってこいです」
「まぁ……一理ある」

一見ふざけたこの提案も、実のところ、真面目に俺のことを案じてくれていたらしい。
言われてみれば、終わらない反省会には身に覚えしかなかった。危ない所だった。本当に、スミ姉は人を唆すのが上手い。

「でも……遠出する元気はないっすよ」
「その点も抜かりなく。すぐに着きますから、ね?おねえさんと温泉旅行と洒落込もうではありませんか」
「ん……まぁ、それなら……連れてってくれるなら、それで」

ぎゅっと手を握って、屈み込んで、目線を合わせてきて。じーっと見つめられていると、諭されているのか、ねだられているのか、よくわからない気持ちになってくる。
そのどちらにせよ、半ば押し切られる形で、首を縦に振る事になった。

「では、決まりですね。うふふ」
「……楽しそっすね」
「うふふ、ロニくんと温泉旅行ですから」
「……そっすか」

妖しげなのか、優しげなのかよく分からない微笑み。俺の返事を受けて、ひときわ楽しそうに笑う。
結局、俺を連れ回して楽しもうという魂胆らしい。人が落ち込んでいる時に、よくもまあ。
心配かけて申し訳ない、なんて考えが馬鹿馬鹿しく思えてきた。
俺の事を案じてくれているのも確かだろうけど、恩に着るのは程々で良さそうだ。


 ◆◆◆


「……準備よし……っすかね」

旅行の準備はすぐに終わった。外に出れるだけの身だしなみを整える、たったそれだけでいいらしい。
愛用の毛布を持っていくかどうか、それだけが問題だった。触れていないと不安だけど、触れたら触れたで義姉さんの事を、失恋した事を思い出してしまう。
結局、しばらく悩んだ挙句に置いていくことに決めた。無防備で心細いけど、仕方がない。

「……で、何処にどうやって行くんすか」
「それは見てのお楽しみということで」
「カギ?」

スミ姉が取り出したのは、木製の鍵だった。ジパング風の掘り細工が施されていて、強い魔力を感じるものだった。

「……まさか、ポータルっすか」
「おや、ご明察の通り、そのような物です」
「はー、そりゃ、すぐ着くわけっすね……」

空間を繋ぐ魔道具というものは、往々にして高価な代物だ。物によっては屋敷が立つらしい。スミ姉は、それをたかが小旅行のために持ち出した。
金持ちの行動というのは想像を遥かに超えていて、驚きを通り越して感心だ。

「繋がりました。では、参りましょうか」
「さて、どこに繋がってるやら」

魔法の鍵を扉に差し込んで、回す。たったそれだけで、何処かと空間が繋がったらしい。呆気なくて面白みに欠けるけど、それは便利さの裏返しで。

「……ジパング?」
「ええ、正真正銘のジパング旅行、あたしの別荘にご招待です」
「あー……確か、靴は脱ぐんすよね?」
「えぇ」
「了解っす」
「うふふ、よく勉強していますね」

扉を開けた先に広がっていたのは、異国情緒あふれる佇まいだった。
木造の部屋。床に敷き詰められた草織物のタイル。紙の張られた戸。草木の匂いに、しっとりとした空気。
スミ姉に貰った本で読んだことがある。きっとこれが、ジパング様式という奴なんだろう。

「この別荘は、とある温泉宿の離れに位置しておりまして……諸々の手配は済ませてありますから、もうじきお昼ご飯も運ばれてきます。こもりきりでごろごろするのにうってつけというわけです」
「ほえー、至れり尽くせり……あ、これ、中身お菓子でしょ」

この別荘にどれだけの金が掛かっているのだろう、と一瞬考えて、どうでもよくなる。どうせ、スミ姉だって遠慮して欲しいわけじゃないだろう。
靴を脱いで、裸足で部屋をうろつく。床は、硬くも冷たくもない。それが新鮮で面白い。確か畳と言うんだったか。
窓の外には庭園らしき光景が広がっているけど、それよりは、机の上に置いてある平たい木箱の方が気になった。

「えぇ、温泉まんじゅうですね。人気のお土産です。源泉の蒸気で蒸しあげているんですよ」
「へー……」

スミ姉が木箱を開けると、どことなくとろみを感じるような甘い香りがふわりと漂う。木箱の中には、一口大の丸いお菓子が並べられていた。白い生地の中に、うっすらと黒い中身が透けている。その透き通った感じが少し綺麗だった。

「はい、あーん……」
「……」

美味しそうではあるけど、お昼ご飯に備えてここは我慢すべきか。そんな事を考える間もなく、スミ姉の手によってお菓子が口元に運ばれてくる。
今日ばかりは、お菓子に手を伸ばして口に放り込むのも、それなりに億劫でならない。
だから、食べさせてもらえるのはありがたいと言えばありがたい。けど、いつものように根負けして「仕方なく」口を開けるならともかく、言い逃れなく甘えてしまう事になる。

「ほら、あーん……」
「……あーん、んむ」

少しためらって、口を開ける。甘えてしまった。まぁ、甘えてしまってもいいか。
口の中に放り込まれた温泉まんじゅうとやらは、すべすべとしていて。その中身には、甘く濃厚なペーストがたっぷりと詰まっていた。果物の砂糖漬けとは違った風味。甘いけど、酸っぱくはない。

「美味しいですか?」
「……うん」
「うふふ、それは何よりです」

つぶつぶしていて、チョコレートのように口の中で溶けていくわけでもない。甘ったるくてくどい、に片足突っ込んだような味わいだ。でも不思議なことに、食べ終わってみると次が欲しくなってしまう。甘くて美味しいけど、騙されたような気分になる。ジパングのお菓子は奇妙だ。

「……」

今度は、自分の手でまんじゅうとやらを手に取って、半分に割ってみる。白い薄皮の中には、黒い塊。やっぱり、甘い部分が殆どらしい。なら、これは一体なんなんだろう。何か、粒が見える。

「この中身は、あんこと言いまして……」
「あんこ……」

俺が興味を示せば、スミ姉の解説が始まる。すっかり慣れ親しんだ、いつものやり取り。耳を傾けていると、なんとなく落ち着く。

「特にこれは、あずきという豆を煮て柔らかくして、砂糖と一緒に練ったものです」
「……豆?」
「えぇ、お豆です」
「……豆を、甘く?」
「うふふ、ジパングではこれが一般的な甘味なのです」

ジパングの甘味、あんこ。その説明を聞いて、奇妙な印象は余計に深まってしまう。まさか、豆を甘くするなんて。変な物を食べてしまった、という思う反面、思いもよらない発想に感心もする。

「……ホントに豆っすね」
「うふふ、このように、粒を残しているものをつぶあんと呼ぶのです。裏ごししてなめらかにした物をこしあんと呼ぶのですが、つぶあんこしあんのどちらを好むか、しばしば論争になるものです」
「ほえー……ジパングにもそういうのあるんすね」
「ちなみに、あたしはつぶあん派ですので、ロニくんにもつぶあんの方を好きになって頂きたいなと思っております」
「えー、後でこしあんとやらも食べてみたいんすけど」
「うふふ、他ならぬロニくんがそう言うのであれば致し方ありません……」

騙されているような気が拭えず、断面に目を凝らしてみる。すると、確かに豆の形や皮が残っているのが見える。
スミ姉の故郷の味だからか、解説にもどことなく熱が入っている。いつにも増してご満悦といった様子だ。

「んー……なるほど甘いっすねー……」

口寂しさに従って、割ったまんじゅうを頬張る。こんな時でも、甘いものは甘くて美味しい。
お昼ごはんを前におやつの食べ過ぎだな、と思う。けれど、今日のスミ姉は何も咎めなかった。


 ◆◆◆


「ごちそうさま、っす」
「うふふ、ごちそうさまでした」

二人一緒に、両手を合わせる。
結局、昼食は少しだけ残してしまったけど、スミ姉が代わりに食べてくれた。やっぱり、お小言はなかった。
魔物が食事を運んできたことにはもう驚かなくて、それよりは、ジパングでは蕎麦といえば麺なのだという事とか、麺と汁が別で出てきたことの方が印象に残っている。
まんじゅうの方はあんなに甘かったのに、麺の方はやけにあっさりしていて、極端だったなとも思う。どちらも美味しかった。本調子ならきっと、まんじゅうも蕎麦も平らげられていたなと思う。

「はー……ジパングの飯もいいもんすね。おなかいっぱいっす」
「美味しいものでお腹を膨らませて、あったかいお茶を飲む。心地よーく眠気が襲ってきますよねぇ……うふふ」

腹具合は程よくいっぱい。緑色のお茶を飲み干し、ため息をつく。ささやかな満足感と、うつらうつらとした眠気。気がつけば、心地よいという感覚が戻ってきていた。

「うん……いいっすねー、この畳ってやつ……ちょっとした隙にごろごろし放題……」

眠気に身を任せて、畳の上にごろりと横たわる。ベッドに入らずとも、その辺でごろごろしてもいい。なんと素晴らしいことか。座布団も枕にいい具合で、あとはいつもの毛布があれば完璧なのに、と思わずにはいられない。好きな時、好きな場所で毛布に包まってごろごろ出来るのに。

「ロニくんロニくん。畳の上でごろごろも乙なものではありますが……お昼寝はお布団にしましょう。ね?」
「んー……りょうかいっす」

どうやら、畳の上といえど、床で寝るのはあまりよくないらしい。
仕方ないので、ごろごろと転がりながら、床に敷かれた布団に近づく。

「はい、こちらにどうぞ」
「おはー……ふかふか……」

そしてスミ姉は、掛け布団をぺろんと持ち上げてくれていた。
這いずるようにして、布団の中に潜り込む。そうすると、スミ姉が布団をかけ直してくれて。こんなに自堕落なベッドインは初めてだ。

「……はぁ。枕もやわらけー……」

太陽の匂いのする、ふかふか、ふわふわの寝具。
いつもの毛布がないので、代わりに枕をぎゅっと抱きしめてみる。肌触りもなめらかで、頬擦りしたくなる心地良さ。まるで、貴族にでもなったよう。格別の快適さだった。

「ろーにーくん」
「んー……?」

名前を呼ばれて振り向けば、枕元に座り込んだスミ姉が、ぽんぽんと膝を叩いていて。

「うふふ、おねえさんが膝枕してあげましょう」
「はぁ…………」
「ささ、遠慮せず。それとも添い寝をご所望ですか?」
「しゃーないっすね……」

見上げた顔は、呆れるくらいに笑顔で。にこにこと見つめる眼差しが、何よりの催促だった。
素直に従うのはやはり癪だけど、意地を張るつもりにもなれなかった。

「…………どうすればいいんすか」
「どうもこうも、好きなように甘えてよいのですよ」
「……膝枕、してもらったことなくて」
「うふふ……ロニくんなら、膝枕と言わず、頬擦り、おさわり、なんでもござれです」
「はぁ。しないっすよ。てきとーに頭置けばいい?」
「えぇ、どうぞお好きな場所に」

膝枕の勝手が分からない。義姉さんには、そういう風に甘えたことがない。甘えられなかった。スミ姉にだって初めてしてもらうことだ。
いつもは大抵、スミ姉から距離を詰めてきて、俺を捕まえて、そのまま甘やかしてくる。だから、自分から頭を預ける、たったそれだけのやり方がよく分からなかった。

「……こう、かな」
「寝心地の程はいかがでしょうか」

スミ姉のふとももの上に、無造作に頭を滑り込ませる。やわらかくて、温かい。
なんだか、今まで意地を張っていたのが馬鹿らしくなって、すっかりと気が抜けてしまった。

「ん……こっち向きのが良さそっす」

膝枕の感触はいいけど、仰向けで、目の前スレスレに大きなおっぱいがあると、どうにも落ち着かない。
寝返りを打つように、横向きになってみる。まるで頬擦りみたいになってしまうけど、仕方ない。

「うん……いい感じっすね」
「うふふ、それは何よりです」

横向きに頭を預けながら、膝を抱えるように身体を丸める。思った通りの収まりの良さ。
そして、頬で触れる方が、スミ姉の柔らかさや温もりをより感じることができた。息を吸い込めば、木々の香りと一緒にスミ姉の甘い匂い。
すぐそこにスミ姉の存在を感じて、納得したくないぐらい安心する。愛用の毛布がなくても、存外平気だった。

「…………」

義姉さんにも、こうして貰いたかった。ふと思い出すように、胸が痛む。
この温もりも、優しさも、俺が欲しかったモノじゃない。だけど今は、今だけは、それが欲しい。スミ姉に甘えていたい。いつものように慰めて欲しい。

「……よしよし」
「ん……」

そんな俺の気持ちを見透かすように、スミ姉は優しく頭を撫でてくれる。指で髪を漉くようにしながら、何度も、何度も、優しく。今までそうしてくれてきたように、温もりで慰めてくれる。涙が滲んでくるのは、胸の痛みのせいか、それとも、有り難さのせいだろうか。
心地良さに心を委ねて、膝の上でうっとり、うとうと。そうしていると、だんだん頭の中が空っぽになっていった。


 ◇◇◇


「んぅ……んー…………」

甘い微睡み。ぎゅっと抱きつく。暖かくて、ふわふわの毛並み。顔を埋めると、スミ姉の匂い。安心する。ぐりぐりと顔を押し付けて、ふわふわ、もふもふ。

「……ん……」

目を開くとそこには、枕の代わりに、ふわふわの尻尾のようなものがあった。確かに血の通った温もり。スミ姉の匂い。

「……スミねぇ?」
「ぁん……うふふ、あたしはここに居ますよ、ロニくん」

軽く爪を立てて、尻尾をカリカリ。尻尾はびくりと反応して、頭上からはスミ姉の変な声が聞こえる。
どうやら、スミ姉の尻尾を抱き枕にしていたらしい。

「スミねぇの……しっぽ……」
「はい。どうぞ甘えてくださいな」
「んー……あー……うん……」
「ん、ふふ……」

ふわふわの尻尾を優しく撫でる。いつまでも触っていられそうな心地良い手触り。もうしばらく、こうしていたい。もうしばらく、堪能してしまおう。
尻尾を抱き枕にしたまま、もぞもぞ、ごろごろ。


「ん……ん……?」
「うふふ」

眠気が覚めるにつれて、今の状況のおかしさに気づく。スミ姉に尻尾があるのだから。

「……なんすか、これ。この尻尾」
「うふふ……あたしの自慢の尻尾です」
「んー…………魔物だった、ってことっすか?」
「はい」

寝ぼけ眼をこすりながら、スミ姉を問い詰める。自分が魔物だと認めるスミ姉の態度はいつも通りに掴みどころがなく、後ろめたい事は何もない、と言わんばかりだ。

「そっすかー…………こういうの、『寝耳に水』であってるっすかねー……寝起きに尻尾っすけど……」
「そうですねぇ、ロニくんが驚いたならば」
「……びみょっすね」

魔物かも知れないと思った事はあった。魔物である可能性も織り込み済みで旅を続けていた。
それでも、寝起きに突然、魔物だったと正体を明かされて、驚くべきはずなのに。自分でも不思議なぐらい、腑に落ちていた。騙された、という気持ちもなかった。
スミ姉が何を考えているのか、どうして俺を可愛がるのか、よく分からなかったけど……人じゃないなら、そういうものなんだろう。魔物のやる事だから、分からなくて当然だ。

「おや、驚きませんか」
「んー……まぁ、魔物かも知れないとは思ってたっすし……それに」
「それに?」
「……魔物でも問題ないでしょ」
「うふふ、ふふふ……嬉しい事を言ってくれますねぇ」
「別に。道理って奴っすよ。スミ姉が魔物だとしても、今まで上手くやってこれた事には変わりない。なら、これからも上手くやってやれないわけじゃないでしょ。話が分かるって事が大事で」

魔物でも構わない。前は気恥ずかしくて言えなかった事も、案外すんなりと言えてしまった。今も少し恥ずかしいけれど。

「えぇ、確かに道理かも知れませんが……だとしても、正体を受け入れてもらえるというのは嬉しい事なのです」
「俺がこう答えるの、分かってて尻尾を出したくせに」
「うふふ……だとしても、ですよ。不束者ですが……これからもよろしくお願いしますね、ロニくん」
「なんすか、フツツカモノって」
「決まり文句の一つとだけ覚えていただければ」
「そっすか」

嬉しそうな声と共に、目の前の尻尾が、腕の中でもぞもぞ揺れる。怪しいまでにニコニコとしたスミ姉の笑顔が目に浮かぶ。
そういえば、獣人系の魔物なら、獣の耳も生えているんだろうか。
気になって仰向けになったけど、大きな胸が顔面すれすれに広がっていて何も見えない。仕方ないので元の姿勢に戻る。膝枕されながら尻尾を抱くこの姿勢は、妙に収まりがいい。

「……まだよろしくするには早いっすよ。説明してもらいたい事はまだ残ってるんすから」

このタイミングで正体を見せた理由。商会のオーナーが行商をしていた理由。わざわざ俺を雇った理由。秘密裏に孤児院を買収してた理由。この温泉旅行の異様な手際の良さだって、俺が振られるのを予見してたようだ。ある程度の推測はつくにせよ、スミ姉の口から答えを聞きたい事は幾らでもある。
それを問い詰めなかったのはただ、気にするだけの余裕がなかっただけだ。

「えぇ、そろそろ頃合いでしょう。何から話しましょうか?」
「……あ、一つ分かったかもっす。今になって、尻尾を出した理由」

頃合いという言葉には、閃くものがあった。それでスミ姉の意図が説明できる。折角だから、答え合わせをしよう。

「おや。それでは聞かせていただきましょう」
「まず、今朝から”尻尾は出ていた”。そして、それを幻術とか認識阻害で隠してた」
「うんうん」
「あの手の魔術への抵抗は心の状態を強く反映するから……術の強度を調整して、尻尾が見えるか見えないかで俺の回復度合いを測っていた。そうでしょ?」
「うん、うん」
「ちゃんと、俺の回復を待ってから諸々の種明かしをするつもりだったわけっすね。魔物である事を明かすのは、その入り口としてもちょうどいい。俺の疑問点とも繋がってくる。……こんな所っすかね?」

出てきた答えは、つまるところ、スミ姉なりの気遣い。弱っている所に情報を与え過ぎて追い込まないように配慮してくれたんだろう。我ながら、好意的な推測だなとは思う。否定的に推測すれば、寝起きでぼんやりしてる間に正体を明かし、魔物である事を有耶無耶にしようとした、という考え方もできる。けど、スミ姉はそういう誤魔化し方をしないだろうなと思う。

「そう思っていただいて結構です。いやはや、流石はロニくん。私の見込んだ男の子です」
「こんな回りくどい気遣いして……そういうとこ真面目っすよね」
「回りくどくやることに意味があるのですよ。ですから、言わぬが花というものではあるのですが……うふふ」

どうやら推測は正解だったらしい。ふと、いつもの勉強のやり取りを思い出す。俺はあの時間が結構好きだ。何かを学ぶ事それ自体に達成感があるし、問に正解すればよく褒めてもらえた。スミ姉自身が嬉しそうにしてくれたのも、たぶん嬉しかった。
そして今は、いつも以上に正解を喜んでくれている気がする。自分の考えを理解してもらえるのは嬉しい事で、それはスミ姉にとってもそうなのかも知れない。

「それじゃ、改めて」
「はい」
「一番聞かなきゃいけないと思ってるのは、スミ姉の目的とか動機っすね」

今の状況を理解するのに最も必要なのは、スミ姉の目的だ。何のために状態を隠し暗躍していたのか。孤児院の買収も、この傷心旅行も、単なる道楽で連れ回す範疇を越えている。俺をどうにかしようとしている、そのどうにかの部分が重要だ。そこさえ聞けば、色んなことに自ずと説明がつくはずだ。あとは自力でわからない部分だけ説明して貰えばいい。

「これも、ある程度予想はしたんすけど」
「うふふ……では、そちらの予想から聞かせていただきましょうか」
「じゃあ、まずは俺と出会う前の話。行商なんてやってた理由っすね。これは、他の魔物と同じように、お眼鏡にかなう男を探してた。あとは人間の街への進出も狙っていて、その下調べも兼ねてた」
「ご明察。そこで出会ったのがロニくんだったわけですね」
「よし、当たり」

魔物だから男を求めて、というのは安直過ぎるかなとは思った。けれど、スミ姉自ら説明してくれた通りで、魔物にとって婿探しは強い動機だったらしい。

「で、俺と出会った後の話っすね。俺をどうしたいか、とかそういう話……これ、外れてたら恥ずかしいんすけど」
「うふふ……そう言わず、ロニくんの口から聞かせてくださいな」
「弟が欲しかったとか、そんな感じでしょ?それもなるべく優秀で伸び代のある弟」

恥ずかしいぐらいに近い距離感。お姉ちゃん呼びの要求。養子の話で”子供”ではなく”家族”として迎えたいと言っていた事。そして魔物からは女しか生まれない。だからきっと、魔物にとって弟というのは夢物語みたいな存在だ。
スミ姉はそれに憧れていて、実際に手に入れるだけの力があった。だからそうした。魔物ならそういう事だってするだろう。
それだけなら適当な孤児でも拾えばいい話ではあるんだけど、そこはたぶんスミ姉の『道楽』の都合、成長性の高い子供が良かったんだろう。

「うふふ……確かに弟という存在には昔から憧れがありまして、意地っ張りな可愛い弟が欲しいと思っていたものです」
「魔物からは魔物しか産まれない。それを思い出してピンときたんすよ。スミ姉は弟を欲しがっているから、俺をそう仕立て上げようとする。そういうことなんでしょ」
「残念、不正解です。ロニくんに弟になって欲しいというのは間違いではない、のですが……もっと大事なことがあります」
「えぇ……本題じゃないってことっすか……」

弟が欲しい。一見めちゃくちゃな動機は、実のところ惜しい所までは行ったらしい。が、どうやら第一目的という程でもないとスミ姉は言う。

「そうですねぇ……なまじ頭が回るからこそ、答えが逸れてしまうのでしょう」
「……逸れた?」
「はい、逸れてしまいました。事はもっと単純なのです」
「もっと単純……………」
「うふふ……あたしも、魔物ですよ?」
「え、えぇ……えぇぇ……」

意味ありげなスミ姉の言葉。きっと何かを、俺に期待している。その意味するところを紐解いていく。
答えが逸れたなら、逸れる前は?スミ姉の当初の目的もまた、婿探し。
弟より欲しいもの?魔物がもっとも欲しがるのは、人間の男。
親子や姉弟だけが家族じゃない。夫婦もだ。
そして、スミ姉は魔物で俺は男。単純に考えれば、そういうことになってしまう。

「つまり……夫が欲しくて、やらしい事したくて、って事っすか。あのラミア達みたいに……」

俺を拾って、連れ回して。色んなものを見せてくれて。孤児院まで買収して立て直して。傷心旅行にも連れてきてくれて。
それに裏がないわけがない。納得する反面、自分がそういう目で見られてるのは、変な気持ちになる。
冗談やスキンシップ、からかいでは済まない。キスしたり一緒にお風呂に入ったり、もっといやらしい事をしたいと、スミ姉が本気で思っていたのなら。
それでスミ姉のことを嫌いになったりはしないけど、とにかく恥ずかしい。今こうして膝枕をされて、尻尾に抱きついて甘えていることが、とてもいけない事のような気がしてくる。

「それも間違いではないのですが……まだ、ズレていますね。『素敵な旦那様が欲しい』『いやらしいことがしたい』……これでは相手を見定める前の、恋に恋する女の言葉でしょう?」
「あー……好みなら誰でもいい、みたいな……。つまり……スミ姉は、そうじゃないって言いたいんすね」

いやらしい事がしたい。そこは訂正しない。つまり認めたという事で。本当に、なんて人だと思う。魔物だけど。
でも、それ以上に、スミ姉の言い分には思うところがあった。どこか、身に覚えのある話だった。
俺は義姉さんの優しいところが好きだった。けど、スミ姉だって俺に優しくしてくれる。義姉さんとは比べ物にならないほど甘やかしてくれる。
でも、それでスミ姉の事を好きになってしまうのは、違う気がする。俺が好きなのは、優しくしてくれる人じゃなくて、義姉さんだ。
スミ姉が言おうとしてることも、つまりはそういう事なんだろう。
つまり、スミ姉は、俺のことが。

「えぇ。あたしが欲しいのは、他ならぬロニくん自身なのです」
「う、うん………」
「ただ『素敵な旦那様』が欲しいというわけではないのです。どうしても、ロニくんに旦那様になって欲しいのです。他の誰かではダメなのです。ロニくんでなくてはダメなのです」
「ぁ、ぁー……つ、つまり……おれのこと、本気で……す、す、すき……?俺じゃなきゃダメって、そういう……」
「はい。ロニくんのことが大好きで、ロニくんが欲しくて、たっぷり愛して幸せにしてあげたくて、ロニくんにもあたしの事を好きになってもらいたいのです」
「ふへ…………?」

スミ姉の言いたい事を理解した瞬間。頭の中が、真っ白になってしまった。そして、追い討ちをかけるように、答え合わせの言葉。恥ずかしがることなく、堂々と。優しく、丁寧に頭を撫でてくれながら。
生まれて初めての、愛の告白。恥ずかしいのか、気まずいのか、嬉しいのか、もう分からない。堪らず、変な声が漏れてしまう。
今の今まで、しつこくべたべたしてしたのも、全部、愛情表現。俺のそばでいつもニコニコ笑っていたのも?思い返せば思い返すほど、スミ姉は俺のことが大好きで、気づけば気づくほど、どうにかなってしまいそう。

「ぁん……うふふ。だぁい好きですよ、ロニくん。あ、子供はたくさん欲しいですねぇ」
「す、すす、すきって?……すき。すき?すき?とか言われても……困るんすけどっ……歳の差とかあるでしょっ、へんたいっ」

誰かが本気で好きになってくれるなんて、好きと言ってくれるなんて初めてで、わけもわからず、目の前の尻尾に縋り付く。それに嬉しそうな声を返してくれるのも、俺のことが好きだから?

「愛に歳の差は関係無い。ロニくんも同じ考えでしょう?」
「そ、それはそうっすけどっ……やらしい感じの好きはダメでしょっ」
「ダメなのですか?」
「ダメでしょっ」

いてもたってもいられなくなって、結局、ごろごろ転がって膝枕から脱出する。
それで今更、スミ姉の本当の姿を目の当たりにすることになった。
丸みを帯びた獣の耳、膝下を覆う毛皮。ふんわりと大きい尻尾。強いて言えばアナグマに似たような獣の特徴。
けれど、一番に目を引くのは、満月のように黄色い眼だった。優しいのにいやらしい眼差しが、俺のことをじっと見つめている。いつもの、人当たりの良い笑顔から離れてにんまりと歪んだ口元は、とても嬉しそう。確かに、魔物みたいだった。

「ロニくんも、子供扱いはよせ、と常々言っていたではありませんか」
「そういう意味じゃ――いや、そういう意味っすけど……そういう意味なんすけど……あぁ、もう……うぅぅ」
「うふふ」
「はぁー…………分かったっす。俺の事を……その……好き、なら。別に、それでいいっすよ。ダメとか言ったって意味ないっすし……」
「分かっていただけて何よりです」

いきなり好きと言われて、いやらしい目で見られて。訳の分からないまま反発したけど、結局は言いくるめられてしまう。スミ姉に口では勝てない。
それで、諦め半分に落ち着きを取り戻す。

「変な気持ちだけど…………たぶん、嬉しいは、嬉しいっすよ。そんな気がするっす」

恥ずかしくて気が動転してしまったけど、その後には、じんわりとした温かい気持ちが残っていた。
気まずい気持ちも一緒に残っているけど、他ならぬ自分を好きになってくれた事は確かに嬉しくて。
それを口に出すのはやっぱり恥ずかしいけど、少しぐらいはお返しがしたくて、咄嗟に漏れた言葉が、これだった。

「…………」

遅れて、気まずさの正体に気づく。
つまるところスミ姉は、今の今まで、俺に片想いを続けていたという事になる。
そして今、俺はスミ姉をフったわけだ。好きに好きを返せたら一番なんだろうけど、それはできなかった。
義姉さんの次に好きだ、なんて言葉の酷さぐらいは、俺にでも分かる。だから、”嬉しいは嬉しい”なんて言葉が出てきたんだろう。

「うふふ……色良い返事を頂けて、おねえさんも嬉しいですよ、ロニくん」

こんなものが”色良い返事”だなんて、おかしな話だった。なのに、スミ姉の笑顔は曇らない。尻尾と耳をぴこぴこ揺らしながら、こちらをじーっと見つめてくる。

「なんで、笑ってるんすか。スミ姉なら分かってるでしょ?俺は、俺だって――」
「――他の誰かではダメだった。お姉さんでなくてはダメだった。あたしではダメだった。えぇ、それは百も承知です」

失恋して、それでも心配をかけまいと、心で泣いて、顔で笑って。スミ姉がそんな事をするなんて、悪い冗談みたいな話だ。だけど、とても他人事には思えなかった。とても、見ていられなかった。

「……」
「うふふ」
「……だから、なんで笑って」

俺が利用してきたのは、スミ姉の恋心だったのか?義姉さんを振り向かせるために?
”妬けてしまう”なんて冗談めかした言葉の裏で、スミ姉は何を思ってきたのか。それを考えただけで、胸が圧し潰されそうになる。
好きな人に振り向いて貰えないどころか、他の相手の気を引くための踏み台にされるなんて、想像するだけで涙が滲み出てくるというのに、スミ姉は。

「”あたしの”ロニくんなら……お分かりでしょう?」

――どうして、笑えるんだろうか。
そんな考えは、とびきり悪い笑みと舌舐めずりの前で打ち砕かれる事になった。

「俺はスミねぇのモノじゃ……あっ。あ、あぁーっ……!」

同情のあまり失念していた。遠く離れた異国まで一人連れてこられて、故郷の家族はスミ姉の手中。頼みの綱の毛布も置いてきてしまって、魔法使いとしての力も十全に発揮できない。
逆らえる道理も、逃げられる道理もない。スミ姉がその気になれば、本当にやりたい放題だ。
俺はもはやスミ姉のモノ。そう言っても過言ではなかった。

「そうだ、そうっすよ。俺のことを、手に入れて……だから笑って……」
「うふふ……今もこうして、愛しのロニくんと温泉デートと洒落込んでいるわけですから」
「あーあーあー……同情した俺がバカだったっす……!」
「バカだなんてとんでもない。こんな状況でもあたしを慮ってくれるだなんて……やっぱりあたしの見込んだ男。惚れ直してしまいます」

欲しくて欲しくて仕方がなかったモノを手に入れたなら、それは嬉しいはずだ。笑顔にもなるはずだった。
スミ姉も俺と同じだと思っていたけれど、結局のところ、失恋したのは俺だけだった。

「はぁぁ……やられた……」

たまらず、大きなため息が漏れる。
呆れているのか、怒っているのか、諦めているのか、自分でもよく分からない。
確かなのは、もはやスミ姉を相手に情けも容赦も遠慮も必要ないという事だった。

「はぁ。金で好きな人を買うとか、なんつー根性してんすか……」
「うふふ……好きだからこそ、ですよ」

俺が文句を言おうとも、スミ姉は全く動じない。悪びれる様子もなかった。むしろ、待ってましたと言わんばかりの様子だった。

「……それだけの価値が俺にはある、とでも言いたいんすか」
「如何にも。流石はロニくん、よくお分かりで」
「……あの街に商会を進出させて、孤児院を買い上げて、再建する。俺の周りを手中に収めるのにどれだけの人と金を動かしたのか、もう想像つかないっすね」
「ええ。あたしはロニくんの事を、とてもとても高く買っているのです。他の何にも換え難いほどに。ロニくんのためであれば、街や国だって動かしてみせましょう」

人の常識から離れてこそいるけど、スミ姉の考えは理解できないものではなかった。どうせ自分に値札がつけられるなら、高い方が嬉しいものだから。
孤児院ごと買収してそれでお釣りが来る。そんな価値が俺にはあるのだと。そう、スミ姉は認めてくれている。

「はぁ……つまり、スミ姉なりの愛情表現ってわけっすか」
「うふふ。想いが通じる、というのは嬉しいものですねぇ」
「俺はうれしくない。買われる側はたまったもんじゃないでしょ」

結局、スミ姉は俺のことが好きだという話に戻ってきてしまった。金の力を振りかざす事が愛情表現だなんて。買われた側の俺が、そんな無茶苦茶な話に理解を示してしまうなんて。自分でも呆れてしまう話で、本当にため息が出る。

「そうつれない事を言わずに。お似合いだと思いませんか?あたし達」
「あーあーあーあー…………うれしくない……!」

お似合い。不本意だけど、否定出来なかった。義姉さんに振り向いて貰うため、俺が選んだやり方は「役に立つ」こと。それは結局、金を稼ぐという事だった。
とにかく稼いで、孤児院のガキごと義姉さんを養えるようになれば、俺の事を選んでくれるかも知れない。それが俺の目論見だった。「いい子」になれない俺がアニキに勝つために、他のやり方が思い浮かばなかった。
今にして思えば、このやり方は「役に立つ」を通り越して、最終的には俺の事を「選ばざるを得ない」状況を作り上げる。まさに、今こうしてスミ姉が孤児院を掌握したように。
もちろん俺は無理強いなんてしたくないけど、そういう圧力は少なからず発生してしまう。そういう意味では、似たようなものだ。

「……………ねぇ、スミ姉」
「はい、なんでしょう?」
「俺が失恋して、チャンスだと思ったでしょ」
「はい」
「やっぱり」
「もちろんロニくんを気の毒に思う気持ちはありましたが……それはそれとして、好機は好機ですから」
「そうっすよねー……」

スミ姉のやり口と俺のしてきた事の共通点。思い当たる節は一つだけじゃなかった。
俺と師匠との協力関係。つまり、師匠とアニキをなんとかくっつけて、恋敵を排除するという作戦だ。

「で、俺が居ない間にあの二人をくっつけたのもスミ姉でしょ」
「そうですねぇ……障害を取り除いた、ぐらいが妥当な表現でしょうか」
「……じゃあ、言い方を変えるっす。スミ姉が孤児院を再建したせいであの二人はくっついた。俺の仕送り作戦の効果だって、限りなく薄まった。それで、俺は失恋した。望みが潰えた」
「そう思っていただいて構いません」

元々、義姉さんとアニキにはお互いに気があった。だから、結ばれるのは当然の事だと思う。悔しいけど、結ばれるべき二人だったとも思う。
それを後押しする事は、何も悪くない。お似合いの二人だった。
でも俺からしてみれば、僅かな望みを潰されたことに変わりはない。たとえ振り向いてくれる可能性があったのかさえ分からないとしても。経済状況の改善によって自然にそうなったとしても。遅かれ早かれの話だろうと。スミ姉のせいで俺の望みは潰えた。

「はぁ……そこまでするかって言いたいっすけど……ダメだこりゃ。文句を言おうとしたら自分に返ってきて……因果応報ってこういうコト言うんすね……」

スミ姉のせいで。好きな人を泣かせてまで、恋に勝ちたいか。そんな風に文句を言いたくもなったけど、言えなかった。俺だってアニキに師匠をけしかけて、同じようなことを企んでいたのだから。
それで結局、スミ姉のした事を許す許さないとか、怒りとかよりも、納得と諦めが先行してしまう。

「……ねぇ、スミねぇ」
「はい」
「スミねぇは……スミねぇの想いは誰にも負けないし、スミねぇが一番オレを幸せにできる、って思ってるでしょ」

そして、スミ姉が悪びれもしない理由にも察しがついてしまった。これもきっと、俺と似ている。
俺こそが一番、義姉さんを幸せにできる。今まで俺は、そう自分に言い聞かせてきた。それが俺の支えだった。結局のところ、俺は二番目にもなれなかったわけだけど。
きっとスミ姉も、俺の事を一番に幸せに出来ると思っている。だから、こんな手を使う事に躊躇いがない。

「無論です」

傲慢なまでに不敵な、満開の笑み。そこには、自分自身に言い聞かせるような揺らぎはなかった。ただ、確信があった。
満月のような色の瞳が、再び俺を覗き込む。そしてスミ姉は、淀みなく応えた。

「俺を幸せにするためなら、悪どいやり方をしてもいいって思ってる」
「如何にも」
「はぁ……。本当に、本当に、同じ穴の――ええと、アナグマみてーな奴」

誰かを幸せに出来るなら、悪い子でもいい。きっと、スミ姉も俺も根っこが似ているんだろう。勿論それは、全く同じというわけでもないけど、だからこそ俺はスミ姉の言い分が分からなくもないし、スミ姉も俺の考えをよく分かってくれる。
それに気づいた時、何かがすとんと腑に落ちて、不思議と胸が暖かくなるのを感じた。また、気の抜けたため息が漏れる。

「同じ穴の狢、ですね」
「そう、それっす。同じ穴の狢って奴っす。……ほんとにほんとに不本意っすけどね」
「うふふ。何を隠そうこのあたし、イタチやアナグマではなく化け狸なのですが……」
「たぬき?アナグマじゃないんすね」
「えぇ、ですが……むじな、とはアナグマだけではなく、狸の事を指す場合もあるのです」
「じゃあ、結局合ってる」
「はい。こうして愛の巣穴で二人きりともなれば、まさに同じ穴の狢。ロニくんも男の子ですねぇ」
「あーもう、やらしい意味にすんなっす……!」

同じ穴の狢。自分という存在は、大好きな義姉さんからは遠く、スミ姉の方に近い場所に居た。つまるところ、「悪い子」だった。きっとそれはどうしようもなくて、仕方のない事なんだと思える。
でも、当のスミ姉は悪びれる事なく笑って、図々しくも俺の隣に座る。それが腹立たしくて、羨ましくて。
それでもちょっとだけ、寂しくない。

「はぁ……同じ穴の狢はやっぱナシで。違うところもあるんで」
「たとえば?」
「……俺はスミ姉ほど強引で自分勝手じゃない。スミ姉って、ぜってー身を引く気ないでしょ。迷惑だって言われても。俺が他の誰かと結ばれても」

それでもやっぱり、好きでスミ姉と似たもの同士なわけではないから、違うところだって探してみせる。腹いせで当て付けだけど、今更こんなもので傷つくスミ姉じゃないのはよく分かったから。

「うふふ……如何にも。その時は、二番目に収まった上で、改めて正妻の座を争うでしょうねぇ」
「……え?にばんめ?せいさい?」

スミ姉が事も無げに返してきた言葉は、予想外のもので。その意味は、すぐには呑み込めなかった。

「一夫多妻、大いに結構。二人目のお嫁さんとして愛していただく所存です」
「え、えぇ……?二人目……?それはダメでしょ……というか、浮気じゃないっすかそれ……!俺は浮気とかしないっすからね、何考えてんすか!」

二人目のお嫁さん。お嫁さんが二人。それは、考えた事もない事だった。前提からして違っていたから。

「いえ、魔物の社会では、二人の女が一人の男を愛すれば当然の結末なのです」
「は、はぁ」
「ひとたび恋に堕ちれば、他の男を愛するなど”有り得ない”……それがあたし達魔物ですから。どちらも諦めない以上、二人とも妻に迎える以外の落とし所がないのです」
「……そんなの、嫉妬でぐちゃぐちゃのドロドロで、険悪なんて話じゃないでしょ」
「そうですねぇ……愛する人と一緒になれる幸せに比べたら些細なものですし……案外、同じ男を好きになった同士、通じるものがあるようですよ?あたしの叔母上夫婦がそんな感じでして……狐と狸で仲良く旦那様の取り合いをしております」
「わ、わかんねー……アリなんすかそれ……」
「あたし達にとって、最愛にして唯一の旦那様というものは、分かち合ってなお有り余るほどの幸福なのです。山盛りの極上ステーキを分け合って食べるのと、なんにもありつけずにひもじい思いをするのと……どちらが良いかなんて訊くまでもないでしょう?」
「そりゃ、その二択なら答えるまでもないっすけど……実際は二択だけじゃない。もう一人が居なくなりゃ独り占め……って考えるでしょ」

魔物が本当の本当に一途なら、そこしか落とし所がないというのは確かだけど。そんな落とし所で満足できるはずがない。
好きな人を独り占めできない事が、どれだけ辛いか。博愛じゃ満足できなくて、特別になりたくて、もがき続けて。
嫉妬に灼けついてきた俺にとって、一夫多妻なんていうのは全く想像のつかない話だった。

「俺は……思ってたっすよ。居なくなりゃいいのに、って。本当にそうなったら、きっと悲しくなるのに。スミ姉は違わないんすか」
「嫉妬心はあれども、相手を排除する方向には向かわないのですよねぇ……きっとこれも魔物の性なのでしょう」
「わかんねー……」
「うーん、誰かと一緒に食べるご飯が美味しいようなものですよ、きっと」
「俺は元々、一人のが落ち着くんすよ。奪われる心配がないから」

あっけらかんとした、さも特別でも無い事のような答え。誤魔化すでもなく、自然体。本当に、スミ姉にとっては「そういうもの」なんだろう。それは結局、俺にはよく分からないという事だ。

「流石のロニくんも、こればかりは理解に苦しみますか」
「わかるわけないっすよ。大事なモノほど、他人に触られたくない。独り占めしたい。相手を排除しても」
「うふふ……左様ですか。分からないなら、それはそれでよいのです。ロニくんには思う存分、あたしの事を独り占めしていただきたいと思っていますから」
「しないっすよ」
「いいえ、独り占めしていただきます。もはやあたしは身も心もロニくんだけのモノなのですから……しっかりと責任を取っていただかねば」
「押し売りじゃねぇっすか……!」
「つれないですねぇ、うふふ」

昨晩あれだけ泣いて吐き出し尽くしたはずのドス黒い感情。それが不意に甦る。アニキさえ居なければ。そんな昏い嫉妬の残滓を、再び吐き出す。
我ながら器の小さい男だと嫌になる。
それでもスミ姉は、嫌な顔をするでもなく、同情するでもなく、嬉しそうに両腕を広げてにじり寄ってくる。
冗談みたいなやり取りだ。こんな気持ちは褒められたものじゃないのに。やっぱり、俺には理解し難い。なのに、滲みかけていた涙は、胸を苛む痛みの波は、いつのまにか引いていた。

「ああもう……俺のことはいいっすから。とにかく、お嫁さんが何人居てもいいとか、魔物の考えはよくわかんないっすけど……そういうものって事にしとくっす」
「えぇ、そういうものなのです」
「はぁ。やっぱり魔物が絡むとこうなるんすね」

いくら非常識でも、納得がいかなくても、当の魔物本人が言うんだから仕方がない。なんせ、魔物の価値観の話なんだから。スミ姉の言葉を信じるか信じないかで言えば、やっぱりそういうものだとしか言いようがない。

「……あっ」
「おや」

そして、無茶苦茶な前提を無理矢理に呑み込んだ時、不意にひらめくものがあった。

「……もしかして、人間から魔物になった場合でも」

魔物は一途で、一夫多妻も許容できる。そして、人を魔物にする手段だってある。
俺を取り巻いているぐちゃぐちゃの恋模様を一気に整理する手段。きっと、なるべく多くの男女が幸せになるやり方。

「はい。一夫多妻は成立します」
「あーっ!!やりやがったすね……!矢印を足せばいい……!師匠も義姉さんも、二人とも魔物になって、二人ともアニキがお嫁さんにすればそれで丸く収まるって、三人とも幸せだって言うなら……!」

俺にとっては机上の空論みたいで、それでいて人の道としても馬鹿げた話だった。それでもきっと、スミ姉ならこの画を描く。躊躇いなく実現させる。
俺の好きな人だって、師匠だって、きっと魔物にする。それはきっと、スミ姉自身のためにもなるから。それがたとえ、俺の聖域に踏み込むような行いだとしても。
人間の常識を俺以上に理解してなお、全くと言っていいほど軸足を置いていない。俺が思っていた以上に、スミ姉はそういう人だった。

「うふふ……ご名答。流石はロニくん、あたしの事をよくお分かりで」
「やっぱり……!」
「えぇ、やっぱりお似合いだと思いませんか?あたし達」
「あぁ、もう、近いっす……!」

何かを理解したとき特有の、あの感覚。見える世界が広がっていくのに合わせ、自分の手足も伸びていくような、あの感覚。その先には義姉さんでなくスミ姉が居た。
腹立たしいぐらいに嬉しそうな顔。好きな人が、俺が”近く”にくることを喜んでいるんだ。ヒントを与えて、答え合わせを楽しんでいる。
単純な話、好きな人に自分のことを分かってもらえたら嬉しいものだ。それはきっとスミ姉もそうで、それを分かってしまえば、スミ姉のことを余計に近く感じてしまう。
そして、錯覚でもなんでもなく、実際にスミ姉は近づいてきていた。しゃがみ込んで、目線を合わせて、じっと俺の目を覗き込む。俺は、それを睨み返す。

「義姉さんがなんか美人になってたのも、それなのにあんまりドキドキしなかったのも……!いつにも増してアニキといい感じだったのも……!」
「お察しの通り、魔物化の兆候です」

長く会わないうちに、義姉さんは色々と変わっていた。それはきっと、義姉さんにとっては良い変化だ。好きな人が魔物になる事だって、それ自体は構わない。
それでも、それがスミ姉の差金だとしたら。それはまるで、大事な毛布を勝手に洗濯された時のようで、そしてそれ以上に腹立たしいことだった。
義姉さんは俺のモノじゃないのに、それで腹を立てるなんて、馬鹿げた話なのに。

「なら……師匠に売り付けたのは、魔物化薬とかそんなところでしょ」
「うふふ、ご名答です」
「騙したんすか」
「いいえ、用法作用副作用、諸注意全て包み隠さずしっかりと説明致しました」
「じゃあ、唆した。まあ、師匠は別にいいや……勝手に魔物になってりゃいいっす」
「ふふ……愛に欲に燃え上がるあの瞳……自ら魔物となってまで想い人と結ばれようと……実に美しい、覚悟の煌めきでありました。流石はロニくんのお師匠さまです」

師匠の話をすれば、スミ姉は何かを思い出すようにして、うっとりとした表情を浮かべる。
これもきっと、スミ姉の”道楽”なんだろう。帳簿の黒字を眺めて口元をニヤつかせるように、人を騙し、欲を煽り立て、魔物に変える事を愉しんでいたんだろう。

「はぁ…………言いたい事はいっぱいあるけど、聞きたい事はあと一つっす」
「はい、なんでしょう?」
「義姉さんも、師匠も、アニキも……これでみんな幸せになれるんすか」

それでも結局、肝要なのはスミ姉の行いがもたらす結果だ。どれだけ腹立たしくても、常識外れでも、神の教えとやらから背いていても。
大事なのは、義姉さんが幸せになれるか。次に俺がその側に居られるか。そしてついでに、アニキや師匠が幸せになれるかだ。

「勿論」
「……そっすか。……スミねぇがそう言うなら、きっと、そうなんでしょ。嘘だったら絶対にゆるさねぇっすけど」
「えぇ、もしそのような事があれば、針を千本呑んでみせましょう」

魔物になれば、三人とも幸せになれる。そんなスミ姉の言い分を、俺は素直に信じていた。
事実、スミ姉のおかげで孤児院の生活は劇的に改善されたし、何より義姉さんの笑顔は綺麗だった。きっと、この変化は幸せに向かっているんだろう。
そして、スミ姉が俺の事をよく分かってくれたように、俺もスミ姉のことを少しぐらいは分かっていた。
全くもって悪びれる様子がないのは腹が立つけど、つまるところ、これはスミ姉のお節介なんだと思う。
他者を思い通りに転がすという行為が好き、という面もありそうだ。でも、それが良い方向に向かっているから、腹は立つけど憎めもしない。

「はぁ…………義姉さんも、アニキも、師匠も、みんな幸せになれるなら……それはいい事っすよね。一番の目的は義姉さんが幸せになることって決めてたから……それに色々とオマケがついてくるなら、随分良いアガリっすよ。だから、まぁ、スミねぇのおかげってことにしておくっすけど……」

失恋して、スミ姉の旦那様?として買われて、大切な人を魔物にされて。状況を整理すれば、ふざけた話ばかりだ。結局、俺はスミ姉の掌の上で転がされていたし、俺のやった事と言えば、スミ姉と出会って気に入られたぐらいのものだった。
けど、その結果は上出来過ぎるぐらいだと思う。なんせ、何も出来ずに野たれ死んでも最低でも口減らしにはなる、そういう覚悟で冒険者となったんだから。
俺の力だけでは孤児院ごと再建なんて真似は到底出来なかっただろうし、俺がもたもたしている間にアニキや義姉さんの過労が祟って取り返しのつかない事になる可能性だってあった。大事なのは義姉さんが健やかで、幸せでいてくれる事で、恋こそ実らなかったけど結末としては良い部類だと言って間違いない。俺はよくやった。計らずともスミ姉を利用して目的を遂げた。上手くやったんだと思う。

「ま、スミねぇのことも義姉さんの次ぐらいには好きっすし……それにこういうの、玉の輿に乗るって言うんでしょ?」
「強がり、ですね」
「……強がりっすよ。強がりだったら、なんだって言うんすか」
「強がりなところもまた愛おしいのですが……素直になってくれたら嬉しいではありませんか」
「別に、思ってもないことを言ってるわけじゃないっすよ」
「ですが、言わないこともあるでしょう?」

スミ姉の月色の瞳は、腹が立つぐらいに俺のことを見透かしていた。自分でも見え透いた強がりだと思ったけど、それをわざわざ突いてくる魂胆が腹立たしい。
いつもなら、何も言わずに抱いてくるくせに。

「はぁぁぁ……それじゃ言うけど……気に入らねぇっすね」
「うふふ、気に入りませんか」
「アニキと義姉さんは両想いで一緒になれて、師匠の恋だって叶う。それで、スミねぇは俺の事を手に入れて……俺だけスミねぇで我慢しろって事じゃないっすか。気に入らねぇっすよ。俺だけ。なんで俺だけ」
「あたしで我慢とは、いやはや手厳しい」
「俺のことが好きだって言うなら……俺の欲しいものをくれたっていいじゃないっすか」
「そればかりは、ままなりませんでした」
「……知ってるっすよ、そんな事。別にスミねぇだって、人の心を好きにできるわけじゃあない。アニキと義姉さんはずっと前から両想いだったし、その仲を引き裂くような真似をやりたいわけじゃない。それを知ってたって、気に入らないんすよ。俺の一人負けには変わりないじゃないっすか」

我ながら、子供のような駄々を捏ねていると思う。嫌味な言い方をしているとも思う。

「俺は泣いて、スミねぇは笑ってる。気に入らねぇに決まってんでしょ。申し訳ないとか思わないんすか。罪悪感とかないんすか」
「ふふ……そうは言いますが、罪悪感を感じて欲しいわけでは無いのでしょう?」
「……そりゃ、まぁ」
「――あたしに泣いて欲しいわけではない。一緒に泣くべきだとも思わない。笑っているに越したことはないとさえ思っていて……故にただ”気に入らない”と、そう言う他ないのでしょう?」
「……」

突き詰めれば、ただの妬みだった。ただそれだけで、一緒に傷ついて欲しいわけではない。悲しい顔をして欲しいわけではない。その妬ましい笑顔でさえも、曇って欲しくはない。
そんな矛盾に近い心の内さえも、スミ姉は容易く言葉にしてみせる。

「かしこくて、優しくて、不器用で――とても、愛おしい」
「…………気にいらねー」

こんなにも、俺のことをわかってくれているのに。子供のような駄々さえも微笑んで受け止めてくれるのに。
俺は義姉さんと一緒がよかった。スミ姉じゃなくて義姉さんが良かった。俺が求めていたのも、俺のことを分かって欲しかったのも、スミ姉じゃない。

「はい、ぎゅーっ……ロニくんの一人負けにするつもりはありませんよ」
「……ダメっす。スミねぇじゃダメなんすよ。わかるでしょ」
「もう、つれませんねぇ……うふふ」

この感情をスミ姉にぶつけるのは八つ当たりもいいところだけど、それでも、スミ姉は嬉しそうに俺を抱きしめてくれる。
きっと、年相応の振る舞いを見せてくれて嬉しいとか、素直になってくれて嬉しいとか、甘えてくれて嬉しいとか、そう思っているに違いない。
俺は欲しいモノが手に入らず悲しんで、スミ姉は欲しいモノを手に入れて笑っている。理不尽で、不平等で、腹が立つ。
それでも、あったかくて、やわらかくて、いい匂いがした。


 ◇◇◇


ジパングの屋敷には、外廊下がある。縁側とも言うらしいその場所は、外の空気を吸うにはちょうどよかった。
メープルの葉が紅く色づくのを見るのは、初めてだった。夕焼けに染まりそよ風に揺れて、まるで淡く燃えているかのよう。池の水面も、夕陽を切り取って眩く輝いている。
眼の前に広がるのは眩い光景だったけど、俺が最終的に視線を落としたのは、逆光になった庭石の、暗い影だった。艶のないダークグレーがとても綺麗で、それだけをぼうっと見つめていられた。

「んー……あー……ねぇ、スミねぇ」
「はい、なんでしょう?」

そうして庭を眺めて、頭が冷えていけば、不意に気づく事があった。
隣に腰掛けるスミ姉に、振り向かずに話しかける。

「――俺、分かっちゃったんすよ。スミねぇが笑ってる理由」
「それはもう。だぁいすきなロニくんと一緒にいられるのですから、笑顔にもなりましょう」
「……たぶん、それも嘘じゃないんすよね」

ぴとり、と身体を寄せてきて、スミ姉は笑う。散々見せつけられた、上機嫌な笑顔だ。偽物の笑顔ではなく本心からの笑顔なのは間違いない。けど、やっぱりそこには”理由”があるように見えた。意図を持って見せた笑顔だということだ。

「でも、俺が言いたいのはそうじゃなくて……笑って勝利宣言なんて悪手だったって事っすよ。同情させて、罪悪感を利用して、弱ってるところに付け込むとか、もっと上手くやれないはずがない。なのに、わざわざ神経逆撫でするような真似をして」
「うふふ、あたしにだって、気がはやってしまう事はあります」
「はぁ。すっとぼけて……」

俺のことが欲しいだけなら非合理的に見える笑顔。その裏に隠された別の目的。

「――『ごめんね』って思わせたくなかったんでしょ」

それはきっと、俺が義姉さんへの想いを隠していた理由と通じる物がある。
向けられた想いに応えられない事はきっと辛い事で、俺は好きな人にそんな罪悪感を着せたくは無かった。
そして俺もまた、スミ姉の想いには応えられなかった。
スミ姉の笑顔は、きっと嘘ではない。俺を自分の物にしてご満悦なのは間違いない。でも、その笑顔をこうして前に出すのは、俺に後ろめたさを味わわせないためでもあるんだろう。悪い事をしたな、なんて俺が思わずに済むように、憎まれ役を演じてみせている。
なんと遠回しな気遣いなんだろう。ジパングの魔物はみんなこうも回りくどいのか、スミ姉が特別こうなのか。

「ロニくん。仮にそうだとしても……言わぬが花というものですよ?」
「でも、気づいちゃったもんは仕方ないし。余計なお世話だってわけでもなくて……」

そして、スミ姉の言う通り、こういう事を面と向かって言ってしまうのは有り体に言って無粋という奴なんだと思う。
迂遠な気遣いは、そうと気付かれない事に価値がある。だとしても。

「……ありがとうぐらい、言ってもいいでしょ」
「では、どういたしまして……ということで。うふふふ」

スミ姉はスミ姉なりに俺の事を気遣ってくれている。その確信が得られた時、胸の痛みは少し和らいだ。
たとえ下心があっても、傷ついている所に注がれる優しさはただ有り難かった。たとえそれが、弱っている所につけ込む、と表現できるとしても。



 ◇◇◇



夕食の時間になれば、旅館の人が出来立ての料理を次々と部屋に運んできてくれた。
これをジパングでは上げ膳据え膳と言うらしい。至れり尽くせりで、貴族にでもなった気分だった。
昼は残してしまったけれど、夕飯は大丈夫だろうかだなんて考えは全くの杞憂だった。

たくさんの小鉢に、見た事もないジパング料理の数々。どれもが目新しくて、スミ姉の解説を聴くだけでも楽しい代物だった。
舟形の容器に盛られた様々な生魚。話だけは知っていたけど、新鮮な魚は生でも食べられるだなんて、実際に食べてみるまでは半信半疑だった。
でも、脂の乗った魚の、舌の上でとろけるような味わいは、確かに生ならではのものだった。わさびには、少し慣れが必要だったけど。
イカやタコまで生で食べるのには少し面食らったけど、これはこれで存外美味しく、何事も試してみるものだなと思う。噛めば噛むほど味が出る。

そしていま堪能しているのは、ジパングの揚げ物、天ぷらだ。

「うーん……美味いっすねぇ、この天ぷらって奴。ちゃんとした揚げ物って美味いもんなんすねぇ……」
「ふふ、お気に召しましたか」
「この海老天も、まずエビがデカいっすし。衣がサクサクじゃないっすか。
中はぷりっぷりって感じでジューシーで……とにかく美味いっす。いやー、美味い」

実のところ、揚げ物はあまり好きではなかった。孤児院時代の揚げ物といえば、悪くなりかけの食べ物の味や匂いを誤魔化したり、衣でカサ増ししたりで、ひどいものだったから。
けれど、いま味わっている天ぷらはその悪印象を塗り替えるモノだった。
サクサクとした薄衣の軽妙な食感。かぶりついた瞬間に、しっかりと身の詰まったエビが存在を主張して、芳ばしい香りと旨味が口いっぱいに広がる。
スミ姉曰く素材の味を活かすのがジパング流らしいけど、パッと見はただ衣をつけて揚げただけの代物がこんなに美味しいだなんて。もしかして、とんでもない贅沢をしているのかもしれない。

「んー……この野菜もめちゃくちゃ美味いっすね……!甘くてサクサクシャキシャキのとろとろで……一番好きかも。次点はねばねばしたキノコの奴っす」

キノコや魚、葉野菜に芋と、いろいろな天ぷらがあるけれど、その中でも一際美味しく感じたのは、今まで食べたことのないような野菜だった。
葉っぱのような形をしながらも、妙に肉厚で透き通っていて。かぶりつけば、見た目に違わず瑞々しい食感。野菜のはずなのに、まるで果肉のように、じゅわっと汁が溢れ出てくる。噛めば噛むほど、爽やかな香りと一緒に、甘味と旨味が洪水のように押し寄せてくる。
けれど、ひとたび飲み込んでしまえば後味はさっぱりとして、途端に口寂しくなってしまう。すぐさまもう一口。そして、もう一枚。後をひく美味しさで、箸が止まらない。あっという間に平らげてしまう。

「うふふ。それは魔界植物の一種で、まといの野菜と言うんですよ。キノコの方はネバリタケですね」
「へー、魔界の食べ物って美味いんすね」
「えぇ。このまといの野菜、生で食べれば瑞々しく、火を通せば濃厚な甘味と旨味を楽しめるわけですが……」
「つまり、半ナマでいいとこ取り?」
「ご名答。流石はロニくん、天ぷらの醍醐味というものをよくお分かりです。サクサクの薄い衣の中に瑞々しさを封じ込める。食感を損なわずに火を入れ、味を引き立たせる。これらは口で言うほど簡単なことではありません。レシピ通りにやればできるというものでもなく、職人業なのです」
「ほへー……レシピ通りじゃ無理と。思ってたより凄いんすね……」
「うふふ、それは何故だと思います?」
「んー……レシピ通りにやって上手くいかないなら、レシピが不十分なんすよ。だから……そもそも、レシピにできないような細かい調整をしてる?」
「おや、いい線まで来ていますよ。もう一つ具体的に踏み込んでみましょう」
「食材の大きさとか厚みの違いとか?いちいち測るわけにもいかないっすし」
「ご名答。流石はあたしのロニくんです。一流の職人ともなれば、食材の状態はもちろん、その日の天気や相手の体調、気分にまで合わせて揚げ方を変えるそうですよ。職人の勘というものには感服してしまいますよねぇ」
「へー……そりゃ凄いっす。ありがたみもひとしおって奴っすね」

俺が美味しく飯を食べると、スミ姉は嬉しそうにするものだけど、今日は一際と機嫌が良い。もはやお約束となった解説も、いつになく熱が入った様子。
故郷の料理だけあって、どことなく誇らしげというか、自慢気で。
普段は腹の底を見せもしないのに、今日はどうにも具合が違う。化けの皮を被る必要はもう無い、という事だろうか。その微笑みが、今は妙に柔らかく見える。いつもなら鬱陶しいぐらいに浮かれたその様子は、不本意ながら可愛いと思ってしまう。口には絶対出さないけども。

「さて……それでは正解のご褒美に、あたしの分のまとい天をあげましょう。ささ、どうぞ遠慮なく」
「さすがスミねぇ、話が分かる。それじゃ遠慮なく」
「では、あーん……」
「……」

あともう一口。もう一枚。そんな物足りなさを目敏く感じ取ってか、スミ姉は自分の分を俺に寄越そうとしてくれる。
今までは単なる子供扱いだと思っていたけど、実際のところはそうじゃなかった。
天ぷらを俺の口元に運びながら、スミ姉はにっこりと目を細める。
いつもの調子と言えばいつもの調子。でも、今の俺は、スミ姉が俺のことを好きだと知ってしまっている。それを意識してしまえば、どうしようもなく顔が熱くなる。

「めっ。箸と箸を合わせるのは無作法ですよ、ふふ」
「いやいや、あーんするのは無作法じゃないんすかっ」
「いえ、むしろ正しい作法です」
「……魔物的に?」
「いかにも。はい、あーん……」

たまらず、差し出された天ぷらを箸で受け取ろうとすると、スミ姉はそれをたしなめてくる。
尻尾をゆらゆらと揺らして、耳をぴこぴこと動かして、とても嬉しそう。無作法がどうこう言うけれど、作法をダシにしてまで恋人ごっこがしたいのだろうか。もしかすると、魔物の作法というのは最初からそういう代物なのかもしれない。

「じゃあやっぱ、いいっす」
「あーん。ほら、冷めてしまわないうちに、どうぞ」
「…………あーん」

ひしひしと伝わってくる好意は、少し刺激が強過ぎる。嬉しくないわけではないけど、むしろ嬉し恥ずかしというのが問題で、失恋した矢先に他の女といちゃつくというのは薄情な気がしてならない。
けど、細めた目にじっと見つめられると、なんとも拒みにくい気分になってくる。それに、変な意地を張ってご馳走が冷めてしまうのは確かにもったいない。
結局、乗せられるがまま、天ぷらにかぶりつく。恥ずかしくても、美味しいものは美味しい。もう一枚、もらってしまおうか。


 ◇◇◇


「はぁ。お腹いっぱいっす……」

心地良い満腹感に身を任せて、だらりと座布団に横たわる。
つい昨日失恋したばかりだというのに、この遠い異国の地の食事のなんと美味しく目新しく興味深いことだろうか。
結局のところ、夕飯はしっかりと完食してしまった。それどころか、炊き込みご飯のお代わりもしてしまった。

「ねぇ、スミねぇ」
「どうしましたか、ロニくん」
「……まんじゅうも、蕎麦も刺身も天ぷらも、美味かったんすよ。おかわりも貰っちゃって。食後のデザートも」
「浮かない様子ですね?」
「ジパングじゃ落ち込んでる時、飯も喉を通らない――って言うんでしょ?でも今は、お風呂上がりのデザートが……そこそこ楽しみだったりして」

俺は、義姉さんの事を本当の本当に好きで、愛していたはずなのに。好きなら好きなだけ、失恋だって苦しくなるはずなのに。
それでも俺は、スミ姉に捕まった事実まで受け入れて、食事に楽しみだって見出してしまっている。

「……俺の想いってそんなもんだったのかなって思うわけっすよ。次の日に立ち直ってる程度の浅いキズ。その程度の薄っぺらな愛。自信なくなってきちゃって。俺って、ホントに義姉さんのコトが好きだったんすかね」

もっと傷ついていたかった。癒やさないで欲しかった。そうとも受け取れる恩知らずな言葉。
それでも、こぼさずには居られない。義姉さんへの愛は、俺の心の拠り所だった。自分が大切にしていた気持ちが、今まで頑張ってきた理由がニセモノかも知れないなんて思うと、不安でしょうがなかった。

「――えぇ。それはもう、妬けてしまうほどに」
「……そっか。よく言ってたっすもんね」

妬けてしまう。そんな言葉とは裏腹に、スミ姉は穏やかに微笑んでいた。
自分の好きな人が他の人を好きだなんて、認め難いことを認めて、俺が大切にしていたモノを肯定してくれる。そして、妬くほどに俺の事を好きでいてくれる。
冗談のようで本当の、なんて優しい言葉なんだろう。
今の今まで、知らず知らずに注がれてきた優しさ。それに気づいた時、不安は不思議となくなっていた。

「……あぁ、つまり。俺の失恋を待ってから本性を表したのだって、こういうコトでしょ?」
「はて、どういうことでしょう?」

不安が払拭されたついでに、芋づる式に気づきは繋がっていく。なぜスミ姉が、このタイミングで俺を手に入れようとしたか。その意図に。

「失恋した後なら……そう……やっと、言い訳がつくじゃないっすか。スミねぇじゃなくて、俺の言い訳」
「言い訳、ですか」
「義姉さんへの愛は俺にとって……ほんとに大事な気持ちだったんすよ。それに傷を付けないための言い訳っす」
「それはつまり、あたしを好きになるための言い訳でしょうか?」
「……だいたいそんな感じっす。失恋もせずに心変わりをしたら、俺はきっと自分が嫌いになってた。俺の愛はニセモノだったって。別に浮気じゃないけど浮気みたいで、自分の気持ちだって信じられなくなって」

それは結局、俺自身の心の問題だった。スミ姉はそれをよく見ていて、俺以上に、俺のことをよく分かっていたに違いない。
俺は、義姉さんのことを好きでありたかった。義姉さんだけを好きでありたかった。そうあるべきだとも思っていた。

「仮に……そう、仮に俺がスミねぇのコトを好きになるとして。俺自身がそれを許すためには、言い訳が必要だったわけっすよ。失恋って言い訳が。義姉さんを幸せにできるのは俺じゃないんだって……諦めとかが、必要だった」

義姉さん以外の相手を好きになる。仮の話とは言え、こんなことを考える日が来るとは。
少し前まで、考えられない事だった。本当に、考えられなかった。仮の話にさえ嫌悪感があった。
でも今は、その可能性について考える事にあまり抵抗がない。それはつまり、決着を認めてしまったという事なんだろう。

「終わらせる、全うする……ケジメをつけるって言うんすかね、こういうの?おかげさまで……義姉さんを好きだったってコトだけは、なんとか格好がついたかなって。そりゃどうにもならない事だらけだったけど……俺なりにやれるだけの事はやったって、まぁ、今は思えてるわけっす。おかげさまで」
「ふふ、買い被りですよ」

愛に生きようとして、恋に敗れて。そこに残っていたものは、かつての心の輝きの、砕け散ったカケラ。
報われなかった愛の、叶わなかった恋の、せめてもの慰め。そんなものでも、無いよりは余程マシだ。

「……スミねぇは……義姉さんを好きな俺のコト、好きだった?」

どこか神妙な様子で話を聞くスミ姉に、質問を投げかける。
我ながら、意地の悪いことをしていると思う。俺は義姉さんのことが好きだったけど、俺以外の誰かを好きな義姉さんのことはあまり好きじゃなかったんだから。

「うふふ……昨日までも、今日からも……お姉さんへの愛情も、恋心も。あたしの大好きなロニくんです」
「…………そっか」

試すようなことを言う俺は、まだまだ子供だ。けれどスミ姉は、そんな俺を大好きだと言ってくれる。嫌な顔ひとつせず、商売向けの整い切った笑みでもなく、義姉さんのような慈愛に染まった笑みでもない。妖しげで底の見えない、けれども優しい微笑み。きっとスミ姉は、この問答を楽しんでさえいる。俺のことが好きだから。
――敵わないな。

「……はい、それじゃ難しい話は終わり。そろそろお風呂に入ってさっぱりしてくるっす」

我ながら、恥ずかしい質問をしたなと思う。真っ直ぐに好きと言われたせいか、顔が熱い。
それで、強引に話を切り上げる。
照れ隠しだけじゃなく、お風呂に入りたいのは本当だった。
美味しいものを食べてお腹はいっぱい。身体はなんだかぽかぽかと暖かい。
身体の表面はなんだかざわざわして、服の感触が妙に硬くざらついて心地が悪い。
気がつけば、今すぐ服を脱ぎ捨ててしまいたいぐらい。

「うふふ、それではお待ちかね――」
「いやいやいや、一人で入るんで……!」
「そうつれないことを言わずに……ジパングには裸の付き合いという言葉もあるぐらいでして、そんなに恥ずかしがらなくてもいいんですよ? ええ、ですから、おねえさんと一緒に、お風呂でゆっくりじっくりねっとりと親交を深めようではありませんか」

振り向けば、お風呂と聞いたスミ姉がいやらしい笑みを浮かべ、両腕を広げてにじり寄ってきていた。
何を考えているかは一目瞭然、本当に油断も隙もない。何が裸の付き合いだ。
ただ一緒にお風呂に入るだけじゃ絶対に済まないのは分かりきっている。

「……一人で入るっすからね! 入ってきちゃダメっすからね!」

スミ姉に、裸を見られて。スミ姉の、女の人の裸を見て。それだけじゃなく、裸で抱き締められたり、泡にまみれて洗いっこまで。
想像しただけで、恥ずかしくて顔が熱くて、とても耐えられない。
念押しだけ言い捨てて、逃げるように座敷を後にした。


 ♥️ ♥️ ♥️


「はぁぁぁ…………」

貸し切りの露天風呂なんて、生まれて初めての贅沢だった。
見上げれば、知らない星空。見下ろせば、白く濁った湯船。
息を吸い込めば、甘ったるくも落ち着く匂い。
少しぬるいくらいの湯加減も、とろみのあるお湯も、妙に敏感になっている肌にちょうど良く沁みる。

昨日は恋に敗れ、今日はスミ姉に秘密を明かされて。
飯を食べて風呂に浸かって、これでようやく一息ついた心地だ。
こんな時なのにか、こんな時だからこそか、湯船に浸かって脱力すれば、とろけるように心地良くて、いつまでも浸かっていられそう。

扉もわざわざ魔法で固定して、正真正銘の貸し切りだ。スミ姉に対してはきっと気休めみたいなものだけど、入ってくるなという意思表示ぐらいにはなる。

「はー……あー……」

温泉のど真ん中、一番深い場所で座り込もうとしたけれど、俺の身体は小さ過ぎた。なので、仕方なく端っこの方に戻って、ほんのり紅色の月をなんとなく見上げる。目を閉じる。また、夜空を眺める。

――じっくりゆっくりお風呂を満喫したら、次は、デザートを食べて……それで、勉強を……もう、しなくていいや。
魔術の鍛錬だって、無理にやる必要はない。そもそも毛布は置いてきてしまった。
義姉さんの生活のことだって、もはやスミ姉とその部下の人に任せておけば問題はない。
俺はもう、何をする必要もない。何もする必要はない。何もしなくてもいい。
あぁ、月の色が違う理由は、後でスミ姉に訊いてみよう。

「はぁ……つかれたぁ………」

込み上げる虚脱感。気がつけば、ため息とともに疲れを吐き出していた。

「あー……つかれてたのか……」

疲れた。そんな言葉が出てきてしまった事に驚く。
義姉さんのためと自分に言い聞かせ、今まで散々無理をしてきたように聞こえる。
まるで、肩の荷が降りた、という言葉が相応しいような気持ちだった。
失恋をして、肩の荷が降りた、だなんて。
好きな人のためなら何でもできると思っていたけど、そんな事はなかった。やれるだけの事はやって、そして、底が見えてしまった。
スミ姉はああ慰めてくれたけど、やっぱり俺は薄情者だ。見返りを求めずには居られず、無償の愛とは程遠く、それでいて諦めさえもついてしまう薄情者。

――どうしてスミ姉も、こんな奴を好きになったんだろうか。

「ろーにーくん♥」
「……うわっ……!?」

自己嫌悪を打ち切ったのは、突然の甘い声。その声の先、湯けむりの向こうには、丸裸のスミ姉が居た。

「な、なっ、なんで!?入ってくるなって言ったでしょ!!」
「うふふ、よいではありませんか……♥」

慌てふためいて、顔を背ける。けれど、一瞬だけ見てしまった。おっぱいも、大事なところも、丸見え。初めて目にする、女の人の裸だった。
頭ぐらいの大きさがありそうなおっぱい。ぷっくりとした乳首。なんにもついていない、つるつるでぷにぷにのきれいな股間。とても柔らかそうなカラダだった。
一瞬が焼き付いて、頭から離れない。

「よくないっす!ダメっす!もう上がるっすからね!」

スミ姉に背中を向け、わけもわからないまま、湯船を突っ切って逃げる。
とにかく、この状況はダメだと思った。本当に、一緒にお風呂だなんて。一瞬だけど、裸も見てしまった。オトナの、女の人の、ハダカ。

「そんなつれないことを言わず……♥」

慌てて出口を探すも、気付けば、濃い湯けむりに包まれて周りが見えない。
背後から迫るスミ姉の声、お湯をかき分けて近づいてくる気配。
とにかく、逃げる。

「〜〜っ!?」
「うふふ……♥」

――逃げていたはずだった、のに。
湯けむりの先に現れたのは、背後にいるはずのスミ姉だった。
お湯に足を取られて、避けられない。ぶつかる。衝突を覚悟した瞬間、俺の意識は引き延ばされた一瞬の中にあった。
そして、視界の大半を占めていたのは……スミ姉のおっぱいだった。
それは、服越しに思っていたよりも、さらに大きく。たぷん、と柔らかそうに揺れている最中だった。シミひとつない白い肌は、きっとすべすべ。
おっぱいの先端は、ぷっくり、ぷるぷるに膨らんでいて。そのまた先っぽの乳首は、ピンとしていて、まるで吸われるのを待っているかのようだった。
綺麗な桜色に、白く濁ったお湯が滴って。なぜか牛乳に浸したいちごを思い出す。
美味しそう、だなんていけないコトを考えているうちに、一瞬は過ぎ去っていく。

「んっ……♥ ロニくんも大胆ですねぇ……♥」
「〜〜っ!!」
「ぁん♥うふふ、ロニくんのいけず……♥」

為す術もなく、柔らかな衝突。待ち構えていたように、胸の谷間に抱きとめられて。初めて直に味わう、スミ姉のおっぱいの感触。服越しとは比べ物にならないほどの柔らかさに、むにゅむにゅと顔を包まれてしまう。
温泉の香りと混じりあったスミ姉の匂いは、いつもよりも甘く濃く、頭の中がどんどんとろとろになっていく。
おっぱいの間に捕まって、むにゅむにゅの、とろとろ。恥ずかしさにじたばたしても、余計に身体が触れ合って、そのたびにスミ姉はヘンな声をあげる。ドキドキして、心臓が壊れてしまいそう。

「はぁっ……ああ、もうっ、ダメっすよ、このっ、へんたいっ!」

何が何だか分からないまま、やっとのことで抜け出して、後ずさって逃げる。
後ずさって、逃げて、スミ姉の姿が湯けむりに消える。

「うふふ、ようこそ……♥」

しかし、次の瞬間、背後からスミ姉の笑い声が聴こえて。
優しく手を引かれて、半ばバランスを崩すように座り込めば……俺は、スミ姉の膝の上だった。
頭の後ろに、さっき味わったばかりのキケンな感触。間違いなく、スミ姉のおっぱいだ。
確かに逃げたはずなのに、スミ姉はそこに居た。

「うわっ……!なんでっ……!」
「あん……♥うふふ、おっぱい、好きですものねぇ……♥」
「ち、ちがっ……!さわらないっ、さわってないーっ!」
「んっ……♥ いいんですよ、好きに触っても……あたしとロニくんの仲ですから……♥」
「よくない、よくないっすよーっ……!」

慌てて前に飛び退いて、今度こそスミ姉から逃げようとする。
けれど、幾ら逃げようとしても、行く先にはスミ姉が待ち構えていて温泉からも抜け出せない。
せめて裸を見ないように、と目を瞑って逃げれば、前が見えずに衝突。ゆっくり動けば容易く捕まって。
何度も、何度も、スミ姉の胸に飛び込んでしまって、慌てて逃げて、また飛び込んで。
何度でも、何度でも、スミ姉は俺のことを嬉しそうに受け止めて、抱きしめる。
受け止められるたびに、スミ姉のカラダの、女の人の裸の感触が伝わってきて。時にはうっかり、逃げようともがいた手が、おっぱいに当たってしまいもする。むにゅむにゅでふかふか。いくらスミ姉が良いと言っても、だめなものは、だめなのに。逃げようとしても、逃げられない。

 ♥️ ♥️ ♥️

散々じたばたしたけれど、結局のところ、抵抗は無意味だった。幻術で感覚を狂わされて、逃げるつもりがスミ姉に向かって飛び込む羽目になっていたのだから。
スミ姉は、俺が飛び込んできては慌てて逃げる様を楽しんでいたわけだ。

「…………」
「ろーにーくん……♥」

俺に残された選択肢といえば、正面からスミ姉に抱き締められるか、後ろから抱きしめられるか、ぐらいのものだった。
仕方なしに背を向ければ、後はされるがまま。スミ姉の膝の上に座らされて、逃げられないようにぎゅっと抱き締められてしまう。
裸の触れ合い。直に触れるスミ姉のカラダ。やわらかくて、すべすべで、むちむち。

「は、はなして、ほしいんすけど……」
「だめです……♥ちゃーんと湯船に浸かりましょうねぇ……♥」
「だめって……これの方が、ダメでしょっ」
「だめじゃありませんよ……♥」

極め付けは、たわわを通り越し、頭よりも大きく、たぷんたぷんに実ったおっぱいだった。頭の後ろに押し当てられる、なんてものでは済まなかった。
埋もれて、挟まれて、むにゅむにゅのふわふわ。正面から抱き締められでもしたら、息ができなくなってしまいそうなぐらい。
こんなのはいけない事だと思っていても、スミ姉は俺を離してくれないのだから、どうしようもない。もう、恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだった。

︎「ああ、もう……!いっつも、スミねぇはっ……」

口をついて出たのは、不条理への抗議。
人が落ち込んでいる時に、勝手にお風呂に入ってきて、魔術で逃げ場まで塞いで。挙げ句の果てに、俺のことをぎゅっと抱きしめて。不条理にも程がある。

「いつも……ひとが……おちこんでるときにっ……」
「……うふふ♥」
「…………ぎゅっと……してくれる、っすけど……」

スミ姉は、いつもそうだ。俺が落ち込んだ時は、いつもこうやって、ぎゅっと、抱きしめてくれる。俺が払いのけようとしても、お構いなしに。
俺のことをぎゅっとして、つらいことを考えられなくさせてくれる。

墓穴を掘ってしまった。落ち込んでいると、慰めが必要だと、自分から認めてしまった。文句の一つも言ってやるつもりだったのに。

「これはこれは……♥やはり、おねえさんがじっくりねっとり、ぎゅぅぅぅっと慰めてあげねば……♥」
「い、いや、慰めとかは良いっすからっ」
「あたしとロニくんの仲ではありませんか。さ、遠慮せず……♥」
「あー、もうっ、俺とおフロはいりたいから、こんなことしてるんでしょっ……!」
「だって、ロニくんのことがだぁいすきなんですもの……♥」

体の良い口実を手に入れて、スミ姉はきっと、にんまりと笑っているに違いない。振り向くと裸が見えちゃうから、確かめる事はできないけど。
ただ俺を慰めにきたわけじゃないのを、もはや隠そうともしない。なんて白々しいんだろう。

「ぅー……」
「だぁいすきですよ、ロニくん……♥ そうやって照れる所も可愛らしくて……素敵です……♥」

慰めると言いながら、結局お楽しみなのはスミ姉だ。
大好きな俺を膝の上に乗せるだけじゃ飽き足らず、すりすり、なでなで。
挙句の果てには、俺の片足を両脚で挟み込んできたり。

「ほぉら、ぎゅーっ……♥きもちいいですよねぇ……♥」
「うぅ……変なトコ、さわるなっ……」

スミ姉の身体は、ふわふわのむちむちで、ぎゅっとされると、包み込まれるようで、安心さえ感じてしまうほどに気持ちいい。
おっぱいに頭を挟まれてしまえば、頭の中までやわやわになってしまう。

「んふ……♥まんざらではないとお見受けしますが……♥」
「いやじゃないっす、けど……うー……」
「でも、いっしょにおフロとか……フツーじゃない……」
「いかにも、ロニくんは”特別”ですから♥だぁいすきなのですから、フツーじゃなくて、トクベツなコトをして当然ではありませんか……♥」

スミ姉がこんな事をしてくるのは、俺のことを好きだから。大好きだから。
恥ずかしくて、悔しくて、ドキドキして、悪い事のようで、認めたくはないけど。
スミ姉の「好き」が嬉しくて、こんなコトをされてもイヤじゃない。

「うぅ。でも、ダメっすよ……」
「どうして、ダメなのでしょう?」
「それは……それは、っすね……えっと……わかんないっす、けど……」
「本当に、ダメでしょうか……♥ロニくんも、イヤではないのでしょう……♥」
「ほんとは……ダメじゃない、かも」
「うふふ。そうです、ダメではありませんから……一緒にカラダの芯まであたたまりましょうねぇ♥」
「……う、うん。しかたないっすね」

一緒にお風呂だなんて、ダメだと思っていたけれど。耳元をくすぐる囁きに、なにも反論が思いつかない。スミ姉はうれしそうで、あったかくて、やわらかくて、きもちいい。
ダメなワケがわからないなら、きっと、ほんとはダメじゃない。
恥ずかしいけどイヤじゃなくて、ダメじゃないから、ぎゅっとされてあげてもいい。

「んふふ……♥いい気持ちでしょう?ロニくん……♥」
「うん……ぽかぽかっす……」

白く濁った湯船に浸かり続けていると、だんだん、カラダの内側までぽかぽかと優しい熱さが染み込んできて。
その気持ちよさに、裸同士の恥ずかしさも、今日あったいろんなことも、なんだかどうでもよくなってきてしまった。
こんなにゆっくりとお風呂に入るのは、初めてかもしれない。スミ姉にぎゅっとしてもらえば、もっと、ぽかぽか。

「この温泉は、地脈を巡る魔力が噴き出した魔泉でして……とーっても、カラダにイイんですよ……♥」
「へー、どんな効能があるんすか」
「そうですねぇ。カラダの芯まで魔力がじわーっと染み込んで……たちまち疲れはすっきり、精力は漲って、病気だって治ってしまいます……♥」
「ほへー……じゃあ、女のヒトが入ったら魔物になるんじゃないっすか……?」
「うふふ、さすがはロニくん、御明察……♥それほど魔力が濃密なのです……♥」
「そして、お肌はつるつるすべすべ、とーっても敏感になって……♥こうして触れ合えば、とろとろになってしまうんですよ……♥ほぅら、すりすり、ぎゅー……♥」
「はぁ……ぁぅ…………」
「えぇ……♥頭の中までぽかぽかとろとろ、疲れなんてぜーんぶ溶かして、元気になりましょうね……♥」

いつの間にか、スミ姉の身体が、お湯よりも熱く感じる。熱くて熱くて溶けてしまいそうなのに、痛くない、苦しくない。きっと、その逆。もっと、触ってほしい。ぎゅっとしてほしい。
スミ姉の言う通り、頭の中まで、ぽかぽか、とろとろ。


 ♥️ ♥️ ♥️


「さ、すっかり出来上がった頃合いですし……そろそろお身体を洗いましょうねぇ……♥」
「う、うん……」

スミ姉にされるがまま、のぼせてしまいそうな程の長湯。くらくら、とろとろ。ぎゅむぎゅむ、すりすり。
意識までとろけてどこかに行ってしまいそうな頃、今度は、湯船の外、洗い場へと連れ出されてしまう。

「ぁっ……う……」
「いいんですよ、ロニくん……♥おちんちん、おっきくしても、いいんです……♥」
「よく、ない」
「いいんです……♥」

お湯から上がって気づけば、オレの大事な所は、今まで見たことがないぐらいに大きく大きく膨れ上がってしまっていた。
恥ずかしくて、いけない気がして、隠そうとしたけれど、スミ姉が俺の手をそっと掴む。
そして、オレのおちんちんを、後ろからじっと覗き込んでくる。とっても、うれしそう。

「んふ……先に頭を洗ってしまいましょうか」
「ん……おねがい、っす……」
「はい、目をつむっててくださいねぇ……」
「ん……っ」

スミ姉の膝の上に座らされて、後はそのまま、されるがまま。液体の石けんの香りが、ほんのりと香る。スミ姉のくれるアメに似た、ほんのりと甘酸っぱい香り。
髪をかき分け、頭を撫でるスミ姉の指先は優しくて、またまた頭がとろんとしてくる。
子ども扱いされてるのに、なんだか、うれしい。

「はい、流しますねぇ…………うんうん、ロニくんのステキな匂いです……♥」
「……あらったばっか、なのに?」
「洗い立てだから、ですよ。虜の果実が、ロニくんの魔力を活性化させて……はぁぁ……♥ これがたまらなく甘美な匂いなのですねぇ♥」
「とりこの……あー、いつものアメも……」
「はい……♥ 毎日一個ずつ、じーっくりゆーっくりと育てた甲斐がありました……♥ とーっても甘くて、いやらしくて、美味しそうな匂い……♥ 今日は思う存分、堪能させていただきますねぇ……♥」
「へんたい……」

お湯が泡を流していく。目を開ける。スミ姉は洗い立ての髪に顔を近づけてきて。うっとりと息を吸い込んで、吐き出して。熱い息が、首筋をくすぐる。
オレの匂いも好きだなんて、やっぱり、ヘンタイじみている。何食わぬ顔をして、日頃からオレのことを吸っていたに違いない。

「んふふ……さてさて、おまちかねの、お身体を……♥ はい、むぎゅー……♥」
「わ、ぁっ、じぶんで、やるっ……」
「ぁん……♥はぁぁ……♥ほぅら、ロニくんの大好きなおっぱいでぇ……♥ お背中、流してあげますからねぇ……♥ んぅ……♥」
「ぁっ、ぁっ……」

そしてスミ姉は、すかさず俺に抱きついてくる。むにゅむにゅ、にゅるにゅる。スミ姉の大きくて柔らかなおっぱいが背中をこするたびに、頭の中が、ぞわぞわ、ふわふわ。おっぱいで身体を洗うなんて、スミ姉はなんてことを思いつくんだろう。どきどきして、どうにかなってしまいそう。

「はい、お身体も……♥ んっ……♥ うんうん、だんだん男の子らしいカラダになっていて何より……♥」
「はぁっ……ぁっ……」
「んふ、んふふ……♥ ロニくん……ご立派ですねぇ……♥」
「へんなこと、いうな……」

おっぱいで背中を擦りながら、スミ姉の手は俺の胴体を洗っていく。前と後ろの同時攻撃。首の辺りから、胸、お腹。上から下に、丁寧に。
スミ姉に洗われているせいか、さっき食べた物のせいか、この温泉のせいか、スミ姉にさわられるだけで、なんだかむずかゆくて、でも嫌じゃなくて、変な気持ち。もっと、さわってほしい。
それと同時に、なんだかおちんちんがびくびくして、熱くなってきて。スミ姉の手が根元の辺りまで伸びると、余計に変な気持ち。
そのままおちんちんを洗われてしまうかと思ったけど、後回しらしい。

「んふ……♥かわいい腕も、挟んで……んぅ♥んふふ……♥ ほぅら、ごしごし……♥ 」
「………っ、ぅわぁ……」
「左腕も……♥ んふふぅ……♥ 気持ちいいですかぁ……?気持ちいいですよねぇ……♥」
「ぅ、うん……」

背中の次は、右腕。視界の端で、泡まみれになったおっぱいの間に、にゅぷん、と挟み込まれてしまう。
見ちゃいけないと思っていても、顔を向けてしまう。見てしまう。
おっぱいごと抱き込むように、スミ姉が俺の腕に抱きついて。おっぱいの間に、右腕が隙間なく包み込まれてしまって。スミ姉が、色っぽい息を吐きながら、ゆっくりと身体を上下させていく。おっぱいの間は、ふわふわの、みちみち。指先から脇の下まで、にゅぷにゅぷ洗われて。腕が、溶けてしまいそう。スミ姉のおっぱいが、こんなに気持ちいいなんて。
右腕の次は左腕。おっぱいの間から逃げ出しても、右腕はとろとろのまま。左腕もされるがままで、スミ姉のおっぱいの餌食。

「さてさて、次はおみ足を……♥ んっ……♥ まずはふとももでぇ……♥」
「ぁっ、はぁぁ……」
「んふふ……♥ カワイイ声が出てしまってますねぇ……♥ すりすりきもちいいですねぇ……♥」
「ぁっ、ぁぅ………」

腕の次は、脚。再びぎゅーっと抱きしめられて。だらんと伸ばしたオレの脚を、スミ姉の脚が挟み込んでくる。
ふとももの間に捕まってしまった俺の脚は、まるでさっきの、おっぱいの間に挟まれた腕みたいだ。
ふとももをふとももで挟み込まれて、すりすり、すりすり。脚の付け根までしっかり絡めて、丁寧に洗われて。
おっぱいとは別の、みちみちで、むちむちな柔らかさ。すりすりされるたびに、脚から力が抜けて、立てなくなってしまいそう。

「ふふ……自慢の毛並みもいかがですか……♥ ふわふわですよぉ……♥ 」
「ふぁぁ…………」
「うんうん、お気に召したようで何よりです……♥ あたしのカラダ、好きになってくださいねぇ……♥」

スミ姉のふとももより下を覆う毛並みは、どういうわけか、水に濡れてもふわふわで。泡立ちもよくて、あわあわのもこもこ。
ふんわり脚を包まれて、すりすり、さわさわ。とびきりやさしい感触が、しあわせ。
スミ姉のカラダは、どこも、きもちいい。

「んふ、ふふ……♥ さてさて……大事な大事なところを……♥ 」
「ぅ……ぅん…………」

大きくなって、硬くなって、熱くなって、おかしくなってしまいそうな、大事なところ。
見られるだけでも恥ずかしいのに、スミ姉の手で洗われてしまうなんて。そう思っているのに、どうしようもなく洗って欲しくて、しかたがなくて。スミ姉の手が伸びてくるのを、じっと見つめてしまっていた。

「んふふ……♥ では、たまたまから……♥ 赤ちゃんのもとがたっぷり詰まった、大切なトコロ……なでなで、してあげますねぇ……♥」
「ぁ、ぁ、ぁぅ……」

一番の弱点が、そっと、スミ姉の手に包み込まれる。商品を扱うときよりも、丁寧に、大切そうに、手のひらが、指先が、玉袋を撫でていく。
ぞわぞわとした感覚が全身に広がって、カラダから力が抜けていく。

「尻尾で……さわさわ……♥」
「ふぁ、ぁ、ぁぁぁ……」
「はぁっ……♥ いいこ、いいこ……♥ いいんですよ、ぜぇんぶあたしにお任せくださいな♥ 」

スミ姉の、ふわふわのおおきな尻尾。それが、股の下をくぐって、脚の間にやってきて。
クリームみたいな泡と一緒に、ふわふわ、なでなで。玉袋も包み込んで、脚の付け根ごと、さわさわ、すりすり。毛並みのひとつひとつが、一番弱いところを、なでて、くすぐって、かわいがっていく。だいじに、だいじに、ぴかぴかになるまで。
ぞわぞわが溢れ出して、スミ姉の膝の上で、すっかりとへたりこんでしまう。アタマの中はふわふわ。もう、なんにもできない。スミ姉のおっぱいに頭を預けて。ぎゅーっと抱きしめられて。口からよだれがこぼれるのも、とめられない。

「ロニくんのおちんちん……びくびくしてますねぇ♥ いま洗ってあげますからねぇ……♥」
「ぁ、ぁ……っ……」

そして、ついに、スミ姉の手が、おれのモノを包み込んでくる。カチカチになったその場所を、やさしく握られてしまう。それだけで、思わずびくんと跳ねてしまう。はずかしい。

「はぁん……♥ とても、とても……素敵です……♥ あたしのために、こんなに立派になって……♥ 惚れ直してしまいます♥」
「ぁ、ぁっ、……すみねっ……なん、か……へんっ……」

スミ姉の手が、ゆっくりと動く。
触られているのはおちんちんなのに、その根本の、奥の方のあたりが、じくじく、ずきずきする。痛くはないのに、せつなくて。あつくて、とけてしまいそう。

「んふ、うふふ……♥ 大丈夫ですよ、だいじょうぶ……♥ お嫁さんに触られて気持ちよくなるのは、とってもいいことです……♥ おかしくなんかありませんよ……♥」

しらない感覚。考えられなくても、おかしい。スミ姉の指が、掌が、大事な場所をこするたびに、そのおかしな感覚が、ぐつぐつと暴れていく。
スミ姉はそれをおかしくないと言う。気持ちいいという。
がまんの仕方も分からなくて、結局、スミ姉にされるがまま。もう、恥ずかしさだって、それどころじゃない。

「どれどれ、皮の中は……♥ うんうん、ちゃんと自分で洗ってますねぇ……♥ えらいえらい……♥」
「〜〜っ」
「すこーし刺激が強いですけど、我慢してくださいねぇ……♥」
「ぁ、ぅぅ…………」

ついには、皮をむかれて、その下まで。スミ姉の言いつけ通り、普段から自分で皮をむいて洗っていたけど、自分で洗っても少し痛いぐらい。
そんな敏感なところも、スミ姉の指先が絡みついて、ご褒美みたいにやさしく、すみずみまで洗いあげてくる。
痛くはない。くすぐったい感じなのに、逃げたくはならない。じくじく。ぐつぐつ。もっと、さわってほしい。もっと、もっと、もっと。

「…さ、流しますね……きれいになりました♥ 」
「ぁ…………」

けれど、スミ姉の指は、離れていってしまって。温かいお湯が、泡を洗い流していく。
熱くてぐずぐずになった感触も、少しずつ、冷めていく。
ちゃんと、丁寧に洗ってもらったはずなのに。お預けを食らったような気持ちだった。
あのまま触られ続けてたら、どうなってしまったんだろう。気になって、仕方がない。

「ぅー……」
「あぁ……意地悪をしたつもりはないのです……♥ 続きはお布団でしてあげますから……ね? とーっても、いいコトです……♥」
「……じゃあ、すぐ、あがる」
「えぇ、そうしましょうか……♥」

もっと、いいコト。それが何かは分からないけど。きっと、いやらしい事なんだろうけど。いったい、何をしてくれるんだろう。期待、してしまう。
裸でぎゅーっと抱き合う?それとも、食べられちゃうようなキス? それとも、もっと、すごいコト? 
この、わけのわからない感覚のことも、教えてもらえるんだろうか。考えただけで、どきどきして。いてもたってもいられなかった。

 ♥️ ♥️ ♥️

「……ふふ♥ ささ、仰向けにごろんとしてください……♥」
「…………うん」

温泉からあがって、ふわふわのタオルで身体を拭いて。着替えは放って、裸のまま。
湯冷めなんてありえないぐらい、カラダはぽかぽかして、うずうずして。
いつの間にか部屋にはお香が焚かれていて、立ちこめる甘い香りが、余計に頭をぼんやりさせる。
そして俺は、スミ姉にされるがまま、裸のまま、布団の上で仰向けになって……スミ姉もまた、裸のまま、俺を跨いで、膝立ちになっていた。

「んふふ……♥ あたしのハダカ……よぉくごらんになって……♥」
「ぁ…………」

スミ姉の、生まれたままの姿。お風呂では、慌てて目を逸らしたりもしたけれど。もう、目を逸らせない。
見ちゃいけないはずの場所を、じろじろと見てしまう。

「ロニくんのぉ……♥だぁいすきなぁ……♥ おっぱい……♥ こんなに大きくて、やわらかいんですよぉ……♥」
「……っ」

スミ姉のおっぱいは、おおきくて、まぁるくて、とってもやわらかい。
スミ姉の両手が伸びて、わしづかみ。片手ずつじゃ、とても包みきれない大きさ。指がぐいーっ、とおっぱいに食い込んで、埋もれてしまいそう。指の隙間から、むにぃ……とおっぱいがはみ出ていく。なんども、なんども、むにゅり、と形を変えて。たぷん、たぷんと揺れて、とまらない。
やわらかいのは、気持ちいいのは知っていたけど、あんな風になるなんて、知らなかった。

「ぁん……♥ ほら、ちくびも……♥ こんなになってしまって……♥ ロニくんのせいですなのですから……♥」

むにゅむにゅと揉まれているおっぱいの先っぽには、赤ちゃんのための、ぷっくり膨れた乳首。おとこのカラダとは、ぜんぜん違う。乳首のまわりも、きれいなピンク色。それが自分のせいだなんて、わけがわからないけど。
なんだか、ミルクのような甘い匂いがしたような気がする。口の中が、じわぁっとうずく。おいしそう。赤ちゃんじゃないのに、そう思ってしまう。
スミ姉のおっぱい。おれをいつもぎゅーっとしてくれる、やさしくて、安心できる場所。それが、こんなにも、どきどきする場所だったなんて。

「はぁ……♥ ロニくんのおちんちんも、こんなに喜んでくれてぇ……♥ 嬉しいです……♥」

そして、スミ姉がじっと見ていたのは、おれの大事なところ。さっきからずっと、ずっと、固くなって、熱くなって、仕方のない場所。
スミ姉のハダカをみているだけで、じくじく、うずうず。さわられても、いないのに。
どうしてこんなことになってしまっているのか、わからない。
きっと、いけないことなのに。それでも、スミ姉は、とってもうれしそう。

「ねぇ、ロニくん……♥ オトコノコには、どうしておちんちんがついてるんでしょうね……♥」
「……こづくり……?」
「うふふ……♥ さすがはあたしのロニくん……♥」

子づくり。自分についているモノが、そのためのものだということは、なんとなく気づいていた。
でも、なにをどうすれば、こどもができるのか、それはまだ知らない。

「そうです……♥ こづくりです……♥ ロニくんのおちんちんは、こづくりしたくて大きくなってるんですよぉ……♥」

けれどスミ姉は、子作りのやり方を、知っている。きっと、子作りをしたがっている。夫婦じゃなきゃ、しちゃダメなことを。それがきっと、スミ姉の言う、”いいコト”。

「んふ、ふふふ……♥ こづくりの仕方……あたしが、教えてあげます……♥」

ラミアの里で見てしまったみたいに、ハダカでぎゅーっとして、ちゅーをして、きっと、それだけじゃない、とんでもないコト。きもちよさそうで、しあわせそうで、おそろしいコト。それを教えると、スミ姉は言う。

「う、うん……」

子作りなんていやだと、言えない。ダメだと、言えない。
恥ずかしくて、どうにかなってしまいそうなのに。スミ姉との赤ちゃんがほしいなんて思わないのに。好きでもないのに、結婚もしてないのに、こづくりするなんて、とんでもないことのはずなのに。

「はぁん……♥シたいですよね……こづくり……♥ ロニくんも、あたしと、シたいですよねぇ……♥ 待ちきれませんよねぇ……♥」
「…………っ」
「んふふふ……否定しない、正直なところ、だぁいすきですよ……♥」

違う。こづくりしたいのは、スミ姉だけだ。そう言おうとしても、言えない。
スミ姉のキレイなハダカに、うれしそうでいやらしいカオに、みとれてしまって、何も、言い返せない。
まるで、オレも、スミ姉と、こづくりしたいみたい。

「ほぅら、見てください……♥ あたしの大事なトコロ……♥ ここで、こづくりするんです……♥」
「ぁ……」

そして、スミ姉はオレの上にしゃがみこむと、そのまま、両脚をゆっくりと開いていって。
そこには、おんなのひとの、スミ姉の、大事なところがあった。
もう、オレはスミ姉のいいなりで、言われるがままに、その場所を見てしまう。
男のオレとは違って何もついていなくて、代わりに、ぷにっとした二つの盛り上がりがあって。その間の割れ目からは、どろりとした、透明な汁が、じくじくと染み出していて。ぬるぬるで、つやつやで、つるつる。
いやらしい。見ちゃいけない。そのはずなのに、とても、キレイで、目が離せない。どきどきが、激しくなっていく。

「はぁん……♥ 外側だけでなく……ナカも……っ♥」

スミ姉の指先が、割れ目を開いていく。すると、とろとろと、まるで、よだれのように、透明な蜜が溢れ出してきて。たちまち、甘く濃い匂いが漂ってくる。
見せつけられたその場所は、キレイなピンク色。

「よぉく見てください……♥ ココで、この場所で……♥ ロニくんのおちんちんを……食べてしまうんですよ……♥」
「ぇ……たべ……?」

スミ姉の言葉に、首を傾げる。
ほんとうに食べられてしまうとは思っていない。魔物はそういう言い方が好きなだけらしい。
でも、何をされてしまうのかが、分からない。

「ふふふ……分かりませんか……♥ では……指を拝借しますね……♥」
「あ……」

スミ姉の手が、オレの手を捕まえる。人差し指だけを出すようにさせると、そのまま、蜜の溢れるその場所へと連れていく。
人差し指が割れ目に触れてしまう。触らされてしまう。ついに、触ってしまう。スミ姉の、だいじな場所に。他の人に触らせちゃダメなのに。きっと、特別なこと。

「んっ……♥」
「あっ、えっ………ゆび……はいって……」

つぷり。指先が、割れ目の奥に沈み込んでいく。おしっこの穴じゃない、別の穴。予想外に驚きつつも、指先は止まらない。根元まで、ずぷずぷと呑み込まれてしまう。

「ふふ……♥ 分かりますか? 赤ちゃんの育つ所に繋がってるんですよ……♥」
「……あ、あぁー………!」

女のひとの隠れた穴に、大きく固くなる男のモノ。ラミアの里で見た夫婦の営みで、何が起きていたのか。
今まで疑問だったことが、綺麗に繋がった。”子作り”の方法が分かってしまった。突然に、答えが浮かんでしまった。確かに、”食べる”と言うわけだ。

「分かってしまいますよね……♥ あたしのナカで、ロニくんのおちんちんを……食べてしまうのです♥」
「あ……う……」
「そして……赤ちゃんのもとを、魔物にとって最高のご馳走の、精を頂くのです……♥ 赤ちゃんの部屋が、子宮がいっぱいになるまで……なんども……なんども……♥」

けれど、ひらめきを喜べたのは、一瞬のことだった。
スミ姉が何をするつもりなのかも、分かってしまった。あとはもう、食べられてしまうだけ。
人差し指で感じる、スミ姉の内側は、スミ姉のナカの感触は、人のカラダとは思えなかった。
どろどろで、せまくて、熱くて。ぷにぷにつるつるの外側とは真逆に、なんだか入り組んで、あちこちに小さな舌があるみたい。きゅっと締め付けられたり、撫で回されたり、吸いつかれたり。まるで別の生き物のように、うごめいて、ぐちゅぐちゅ。やさしくマッサージされながら、しゃぶり尽くされているみたい。
お風呂場で洗ってもらっただけで変になってしまったのに、そんなところにおちんちんを食べられてしまったら。想像するだけで、くらくらしてしまう。もう、だめだ。オレもきっと、ヘンタイなんだ。

「ね……ロニくん♥ こづくり、しましょう? いけないコトは、なぁんにもありません♥ あたしとロニくんは、夫婦になるのですから……♥」
「……うぅ」
「おちんちんも、こんなに食べて欲しそうに……♥ あたしのナカで、たくさん愛して、幸せにしてあげます……♥」
「っ……」

スミ姉は荒く息を吐いて、獣のように俺を見下ろす。ぺろり、と舌なめずり。
その言葉に、うん、と頷いてしまったら。オレはもう、本当に、スミ姉のモノ。スミ姉の旦那様になって、家族になってしまう。スミ姉が言っているのは、そういうことだ。
イヤじゃない。イヤじゃないのが、ちょっとだけ、気に入らない。
けれども……それ以上に、どうしようもなく、スミ姉のことが欲しくて仕方がなかった。
おちんちんを食べられたら、どうなってしまうんだろう。ハダカでぎゅーっと抱きついたら、きっと、すごくきもちいい。ちゅーしてもらったら、どんな味がするんだろう。そんなことばかりが、頭の中を埋め尽くす。

「あたしがロニくんのことを、どれだけ大好きか……知りたいでしょう?♥ いーっぱい教えてあげますから……ね?♥ こづくりしましょう……?♥家族になりましょう……?♥︎」
「うぅ…………うん……」

最後のひと押し。とびきり甘くて、素敵な言葉。
スミ姉の”好き”が欲しい。他の誰よりも、比べ物にならないほどの、”好き”を。本気の”好き”を、知りたい。教えてほしい。確かめたい。
自分でも気づけなかった、そんな気持ちを、ぴたりと言い当てられてしまって。
ついに、首を縦に振ってしまう。

「ふふ、んふふ……♥ それでは、合意ということで……♥」
「ぁ……」

子作りしてもいい。夫婦の営みを、してもいい。そう、認めてしまった。
逃げ道も、言い訳の余地も、なくなってしまった。
スミ姉の眼が、らんらんと輝く。とびきりのご馳走を前にしたように。
そして、大事なところから、オレの人差し指を引き抜いて。狙いを定めるように、オレの上へと跨りなおす。

「いただきまぁす……♥ んぅっ……♥」
「ぁ、ぁ、ぁ……っ」

どろどろになった割れ目が、おちんちんの先っぽにくっついて。にちゅ……といやらしい音がする。
ほんとうに、こんな所に、おちんちんが入ってしまうのだろうか? 入ってしまって、いいんだろうか? 
そんなことを考えた途端、スミ姉がゆっくりと腰を下ろしていく。
オレの大事なところが、スミねぇの大事なところに。スミねぇのナカに、ずぷっ……と沈み込んで、呑み込まれていく。
その場所は、オレのことを歓迎してくれる。中へ、中へと、引き込みながら。そして、ついに、根元まですっぽりと食べられてしまう。ほんとうに、食べられてしまった。

「はぁぁ……♥ 食べられちゃいましたねぇ……♥ ロニくんのおちんちん、とても、とーっても、美味しくて……だぁいすきですよ……♥」
「なに、これぇ……ヘンになるぅ……ぁぅ……」

スミねぇのナカは、オレのことを、大事に大事に包み込んで、抱きしめて、撫で回してくれる。でも、可愛がってくれるだけじゃなく、絶対に逃さないと言わんばかり。
好きだから、大事にして。好きだから、捕まえて。スミねぇが今までそうしてくれたように、スミねぇのナカも、オレに”好き”を伝えてくる。
お風呂場で洗ってもらった時とは、比べ物にならないほどの、ふれあい、刺激。あの、あつくて、せつないナニカが、じくじくとこみあげて、今度こそ、本当のほんとうに、おかしくなってしまいそう。おかしくなってしまいそうなのに、とまらない。とめてくれない。

「ヘンではありません……♥ “気持ち良い”んです……♥ おちんちん、きもちいい、きもちいい……♥」
「ぁ、ぁっ、きもちいい……っ……?」
「そうです♥ あたしのナカで、おちんちんをすきすきされてぇ……きもちよくて、しあわせ♥ しあわせなんです、ロニくんは……♥」
「ぁっ、ぁっ、ぇぅっ、ぁ、ぁっ、すみねっ、すみねぇ……っ」

オレの知らない“きもちいい”が膨れあがって、ぐずぐずに煮えたぎって、あばれていく。
アタマの中が、まっしろの、ふわふわで、とんでいってしまいそう。これが、しあわせ。きもちよくて、とけてしまいそうで、わけもわからないまま、スミねぇに手を伸ばす。

「ぁん♥ はい、ぎゅーーーっ♥ だぁいすきですよ……♥ だいすきですから……♥ だいじょうぶ、だいじょうぶ……♥ きもちよくなって、イイんですよ……♥」
「ん、むーっ……」

たべられたまま、めいっぱいの、『ぎゅーっ』。ふにゃふにゃになってしまったアタマを、やさしいおっぱいが、むにゅっ、とつつみこんでくれる。ずっと、ずっと、してほしかったこと。したかったこと。自分からも、ぎゅーっとすると、きもちよくて、もう、さみしくない。ずっと、ぎゅーっとしていたい。しあわせ。

「っ、ぅぅ――――!」
「ぁん♥ はぁぁ……♥ ぁぁぁっ♥ ロニくんっ♥ ロニくぅんっ♥」

きもちいいが、ぷつん、とはじけて。あふれだして。とまらない。
びくびく。どくどく。かってにあばれるおちんちんを、きゅぅっ、とやさしくだきしめてくれる。
おもらしみたいないきおいで、どくん、どくん。スミねぇのナカにてつだわれて、ナニかが出ていく。とびきりのキモチイイが、なんども、なんども、なんども。

「はぁ♥ ぁぁっ♥ ロニくんの精っ♥ おいしいですよぉ……♥ 我慢しちゃいけませんからね……♥ もっと、もっとぉ♥」

ちゅうちゅう、きゅうきゅう、吸いだされて、のみほされて。スミねぇのカラダも、びくびくと跳ねて、おそろいで、きもちよさそうで、うれしそう。こんなによろこんでくれるのは初めてで、それがうれしくて、もっと、きもちいい。

「好きです……♥だぁい好き♥ロニくんっ♥ だぁいすきですから、ね……♥ ロニくんも、ほぅら、すき、すき……♥」
「っ、……すき………………すき、すきっ………」
「ぁぁっ……♥ “好き”って、しあわせですね♥ 気持ちいいですよね♥ もっと、あたしのことを好きになってください……♥ ロニくんのことがだぁいすきな、あたしのことを……♥」
「すきっ……すみねぇ、すきぃ……」

すき。ふわふわのアタマに、スミねぇのすきがしみこんで、もう、とろとろ。スミねぇにすきって言ってみると、もっと、きもちよくて。
スミねぇ。きもちいい。スミねぇ。しあわせ。スミねぇ。すき。すき。すき。
とまらない。おわらない。すき。きもちいい。
もっと、もっと、すきになりたい。きもちよく。しあわせに。


 ♥️ ♥️ ♥️


「ぁん……♥赤ちゃんのもと……いーっぱい、出してくれましたねぇ……♥ あたしの事が、だぁいすきな証……♥ お嫁さんのための、至福のごちそう……♥」
「ぅ……うぅー……」

嵐のようなきもちよさが、過ぎ去って。お漏らしのような何かも、収まって。ばくばくと壊れてしまいそうな心臓も、なんとか落ち着きを取り戻す。
身体の力を根こそぎ奪われてしまったような、そんな感覚。
スミねぇに抱きしめられたまま、くったりと脱力する。

「うふふ……ロニくん……♥ はじめてのお射精はどうでしたか……?♥ あたしにおちんちんを食べられて、赤ちゃんのもとを、びゅーっ……♥」
「……ぅぅ……おしゃせー……? おちんちん…………とけちゃいそう……おかしい……」
「えぇ、えぇ……♥ 大丈夫です、おかしくなんかありません……♥ とけてしまいそうで、いいんです……♥ お射精は、とーってもイイコトですから……♥」
「あたまも……ふわーって……もう……わけわかんなくて………なにこれぇ……」
「うふふ、ふふ……♥ とーっても、気持ちよかった、ですよね♥」
「きもちいい………? うん……きもち、よかった……」

頭のなかは、ぽわっとしたまま。カラダも、じくじくとした疼きが、”きもちいい”が、焼き付いて、染み付いて。息も絶え絶えなのに、ふしぎと、何かをやり遂げたような、清々しさもあった。
きっと、これは、とってもイイこと。

「うん、うん……♥ きもちいいの、好きですよね……♥」
「すき……」
「しあわせ、ですよね……♥」
「しあわせぇ……」
「もっと、もっと、シたいですよね……♥」
「うん……もっと、したい……もっと、たべてぇ……もういっかい……する……」

きもちよくて、しあわせ。スミねぇの言葉が、すとんと胸に入ってくる。そう、きもちよくて、しあわせ。
なにがなんだかわからないけど、しあわせ。
もっと、もっと、きもちよくなりたい。しあわせにしてほしい。あたまの中は、それでいっぱい。

「うふふ、もう一回などと言わず、何度でもシてあげますからねぇ……♥あたしはロニくんのお嫁さんですから……♥」
「ぁっ、ぁっ、おちんちん……また……ぁぁぁ……」
「んっ……♥ ふふ……♥ こうして、腰をぐりぐりするとぉ……♥ おちんちんが、ナカで、すりすり、ぐちゅぐちゅ……♥ 」
「ぁ、ぁっ……すきぃ……」
「うん、うん♥ あたしもだぁいすきですよぉ……♥ すき、すき……♥」

ぎゅーっと密着したまま、ぐりぐり、すりすり。ナカも外も、ふれあって、擦れあって、とけてしまいそう。
あまく、やさしく食べられて、あの”きもちいい”が、またこみあげてくる。また、なにもかんがえられなくなる。

「んふふ……♥ロニくん……ちゅー、しましょうか♥」
「ちゅー……?」
「はい、ちゅーです……♥ おくちとおくちで、好き好きして……♥もーっときもちよくなりましょう……♥ もっと、もっと、好きになって……もっと、もっと、きもちよーく……♥」
「……ぅぅ……ちゅー、する……」

見上げると、目の前にはぷるぷるのくちびる。いままでみたいに、ガマンする必要はもうない。
スミねぇの”好き”が、もっと、もっと、ほしい。おちんちんを食べられて、おっぱいにむぎゅむぎゅされて、それでも、もっと、もっと、いっぱい、ほしい。

「んふふ……♥ それでは……♥」

くちびるをぺろりと舐めて、スミねぇがにんまりと笑う。いつもよりも悪どくニヤついて、けだものみたいに息を荒げて、それでもそのカオは、なんだかやさしく見えてしまう。きっと、おれのことが好きで好きで仕方ないから。

「ん〜〜〜〜♥♥♥」

ゆっくりと、スミねぇの顔が近づいてくる。濡れたくちびるは、アメのようにつやつや。『ちゅー』のカタチにすぼまった、オトナのくちびる。とっても、おいしそう。見とれているうちに,スミねぇの顔がめのまえに。

「んふ……♥」
「ぁ…………」

あまい吐息が、くちびるをくすぐる。こんなにも近くで、目と目があってしまう。お月様のような金色をしたスミねぇの瞳が、おれのことを、じーっと見つめてくれている。
いつもいつも、こっちを見てくれていたけど、今はほんとうのほんとうに、おれのことだけを見てくれている。スミねぇだけが、おれのことを。
おれのがんばりも、かなしいことも、うれしいことも、ぜーんぶお見通し。この瞳が、今はだいすきでだいすきで仕方がない。
どきどきするのに、安心して……ずーっと、ずーっと、見ていてほしい。

「んむ〜っ♥♥ちゅぅうぅぅ♥♥」
「〜〜〜!?」

そんなスミねぇの目が、一際うれしそうに細まって。ほっぺたに、手が添えられて。そして、ついに、くちびるがくっついてしまう。ついに、スミねぇとちゅーしてしまう。
けれど、スミねぇのくちびるは、くっつくどころじゃなくて。こんなの、しらない。ちゅーじゃない。ぜんぜんやさしくないのに、スミねぇの”好き”が伝わってくる。はじめてのちゅーは、まるで、食べられてしまうかのようだった。

「んふ♥ ちゅるっ、れるぅ、じゅるるっ……♥ すきぃ♥♥ ん〜〜っ♥♥♥ ぢゅるぅぅっ♥」

ぷるぷるふわふわのくちびるが、おれの口をぴったりと塞いで。むちゅぅぅ、と音を立てながら、あむあむ、はむはむ。声も出せないまま、くちびるとくちびるが絡み合って、とろとろにとろけていく。スミねぇのくちびるは、はじめてのちゅーは、果物のようでいて、けれども違った、ほのかに甘酸っぱい味がした。美味しいのかどうか、よく分からない。でも、イヤじゃないのは、確かだった。

「はぁむ……♥すき、すき♥ ぁむ、ちゅぅぅぅぅ♥♥ちゅぅぅ♥ すき♥ 」

息継ぎの暇もないまま、ちゅーは続いて。くちびるが重なったまま、すき、すき。やけどしそうに熱い、スミねぇのいき。おぼれて、もう、くらくら。スミねぇだけがくれる、ホンキの”好き”が、カラダのなかにしみこんでいく。きもちいい、が身体中にひろがっていく。さっき教えてもらったイイことが、お射精が、またきちゃう。また。スミねぇに、たべてほしい。

「んっ、ちゅぅぅっ♥ れるぅ♥ すき♥ あむぅっ♥ すきぃ♥ ちゅき♥ はふぅ♥ んふ♥ んっ♥」

ぴったりくっついたくちびるの中から、ぬめったものが、にゅるりと滑り込んで来て。れろれろとうごめいて。
ちゅーをしながら、お口のなかを舐められてしまうなんて。驚きの声も、スミねぇのお口に吸い込まれてしまう。
スミねぇの舌が、おれの舌を捕まえて、絡みついて、ぐりゅぐりゅ、れろれろ。伝ってくるのは、ちゅーの味の、その原液。”好き”の詰まった味が、香りが、お口の中を埋め尽くして、舌に直接すりこまれていく。舌がじくじくとろけるような、きもちいい味。味わえば味わうほど、次が欲しくなってしまう、魅惑の味。
そんなスミねぇの味によだれが溢れた端から、ちゅるちゅると吸いあげられて、こくこくと飲み干されて。そしてまた、お返しにスミねぇを味わされて。こんなこと、好きじゃなきゃできない。そう思うと、もっともっと、きもちよくなってしまう。

「んぅっ♥ ちゅる、ぢゅぅ、はむ、ちゅうぅううぅぅぅぅぅっ♥♥♥」

あふれてとまらない、きもちいいにあわせて、とびっきりのちゅー。吸って、吸って、吸い尽くすように。たましいごと吸い出されてしまいそう。頭の中がとろとろの真っ白になって、浮き上がって、ちゅーっとすわれて、たかく、たかく、ふわふわになっていく。
すわれた分だけ、あたまも、カラダも、”好き”でいっぱい。スミねぇからの”好き”におぼれて、スミねぇへの”好き”があふれて、まじりあって、もうどろどろ。
お口だけじゃなくて、スミねぇのナカも、おちんちんにちゅーしてくれて。どくどく、どくどく、きもちいいのが、とまらない。さっきよりも、ずっと、ずっと、”好き”の分だけきもちいい。
精をご馳走するたび、目の前で見つめてくれるスミねぇの目がぎらついて、目いっぱいの”好き”を伝えてくれる。まるで、褒めてくれているみたいに。
それが、今までに褒めてもらった、どんなことよりも、うれしくて。どうしようもなくきもちよくて、しあわせだった。


 ♥️ ♥️ ♥️


「っ……♥ はぁぁぁ……♥ ロニくんの愛が、ますます、いっぱい……♥ 」
「ふぁぁ……………」

ながい、ながい、おしゃせーの波が終わって。スミねぇのくちびるがはなれていってしまう。けれどその瞬間、アタマいっぱいの”好き”が、ちゅぽん、とはじけて。とびきりのきもちいいに、アタマのなかが、じわぁ。あまーく、とけてしまう。おしゃせーはおわったのに、きもちいいのが、おわらない。
あたまの中はからっぽなのに、こころのなかは、あったかくて、たぷんたぷん。

「はふぅ……♥ ロニくん……♥ ちゅーのお味はいかがでしたか……?♥あたしの愛がたぁっぷり詰まった、初めての、ちゅー……♥」
「ぁぅ……あまくて……おいしくて……ぽわぽわして……しあわせ……」
「うん、うん……♥ 」

ぷるぷるのくちびる。よだれが、糸みたいになって、橋がかかっていて。スミねぇは、それをぺろりと舐めとる。
あまくておいしい、スミねぇのくちびる。めいっぱいの好きを伝えてくれて、きもちよくしてくれたその場所から、目がはなせない。

「ぁ……まだ……スミねぇのあじ……する……」
「んっ……♥ あたしの味だなんて、ロニくんもすっかりいやらしいコトを……♥」

口の中にたっぷり擦り込まれたスミねぇの味。息をするたび、舌の根本がほんのり甘酸っぱい。じわぁ、とよだれがあふれる。思わずスミねぇの味を追いかけてしまう。
くちびるにも、ぴったり吸い付いてくるあの柔らかさが、じくじく染み付いていて。
目の前のくちびるが、もうひとくち、欲しくなってしまう。

「んふ……♥ すっかり、“ちゅー”、がだぁい好きになっちゃいましたね……♥」
「すきぃ………」
「あたしも、だぁい好きですよ……♥ ちゅーも、ちゅーが好きなロニくんのことも……♥ とーっても、だぁい好きです……♥」

おれの気持ちを見透かしたスミねぇは、嬉しそうに、ぶるぷるのくちびるをすぼめて、つきだして。そのくちびるから、”ちゅー”の言葉が出てくるだけで、さっきまでのきもちよさを、しあわせを思い出して、どきどきしてしまう。
きっと、もう、ぜったいに忘れられない。

「んふふ……♥ さて、お次はどうしましょうか……♥ ロニくんのして欲しいこと、なぁんでもしてあげます……♥」
「んぅ……。もっと……ぎゅーってして、ちゅーして……ずっとして……すきすきして……」
「うふふ♥ うふふふふふふ♥ 愛情たっぷりのこづくりでぇ……頭がいっぱいですねぇ……♥ 本当に、ずーっと……シてしまいますよ♥ ずーっと、ずーっと……ちゅーしちゃいます♥ 」
「ん。……ずっと、ずっと……」

スミねぇの”好き”が、欲しくて、欲しくて。もう、他のことなんてわからない。ずっと、ずっと、このままこづくりして、もっと、もっと、きもちよくなって、ほめてもらって、いっぱい、ちゅーしてもらって。このままずっと、ずーっと、いっしょ。

「んふ、ふふ……♥ ロニくんが……♥旦那様がお望みとあらば……遠慮なく♥」
「ん……」

心の底から出たわがまま。それを聞いたスミねぇはにたり、といやらしく笑ってくれる。舌なめずりの、したり顔。
おれはもう、スミねぇのおもいどおり。いまはもう、おもいどおりになるのが、うれしい。スミねぇも、このままずっとがいいだなんて、おそろいだから。

「それでは……♥ ぎゅ〜〜っ♥」
「はぅ……スミねぇ、すき……すきぃ……」

そしてまた、スミねぇは、おれのことをぎゅーっとしてくれる。つかまってしまった、そう思ってしまうぐらい、つよく、つよく、ぎゅーっと抱きしめてくれる。ぜったいに逃したくないぐらい、おれのことがすき。どこにも、置いていかない。送り出さない。手放さない。ひとりに、しない。きっと、このまま、ずっと、ずっと、つかまえていてくれる。おれの、おれだけの、スミねぇ。おれだけの、およめさん。

「ん〜〜っ♥ 」
「ぁ……」

”好き”と”きもちいい”がたっぷり詰まった、ぷるぷるのくちびるが、また、ゆっくりと近づいてくる。たべられちゃう。たべられたい。
また、ちゅーしてもらえる。いっぱい、”好き”をあじわわせてもらえる。
はじめてじゃないのに、どきどきが止まらない。さっきのちゅーを思い出すだけで、もう、しあわせ。
おくちのなかに、じわっとよだれがあふれて。舌が、ぴりぴりとうずいて。くちびるは、スミねぇの方に、ふわふわすいよせられて。
ぎらついたスミねぇの目が、もっと、もっと、と、こっちをみつめてくる。あんなにいっぱいちゅーした後なのに。

「はむっ♥ちゅうぅぅううぅ♥じゅるっ、ちゅるるっ♥ んふ♥ すきぃ♥ ちゅぅぅ♥ ぢゅるぅぅぅぅ♥ ちゅ♥ ちゅるっ♥ しゅき♥ ちゅぅぅ♥ ちゅき♥ ちゅぱ♥ ちゅぷ♥ ん〜〜っ♥」

そして、また、くちびるがふれあって、すいついて。
はじめてよりも、さらにはげしい、ホンキのちゅー。もう、こどもあつかいは終わり。エンリョなしは、オトナの証。うれしくて、また、スミねぇのことが好きになっていく。おくちを食べられて声をだせない代わりに、めいっぱい、スミねぇをぎゅーっとして、じーっと見つめる。すき、すき、すき、すき。スミねぇに伝わるように、あたまのなかで、なんどもくり返す。すき。だいすき。すき。すき。すき。
きもちいい、があふれ出して、止まらない。なんども、なんども、どくどく、びゅるびゅる。スミねぇのカラダがびくびく跳ねて。誰よりもうれしそうに、しあわせそうに、そのお月様みたいな目をぎらつかせてくれる。もっと、もっと、よろこんでほしい。オレでよろこんでくれるスミねぇが、すき。いっぱい、いっぱい、おしゃせーするから。だから、もっと、もっと、うれしくなって。しあわせになって。

「ちゅぅぅ♥じゅるっ♥ ん〜〜っ♥ すき♥ すーき♥ ぢゅぅぅううぅっ♥ んっ♥ んぅ♥ んむぅ〜〜♥ 」 

ついにおしゃせーがおわってしまっても、スミねぇのちゅーはおわらなかった。こんどは、いっぱい精をご馳走した、ごほうびのちゅー。
おしゃせーでふわふわになったあたまのナカを、ちゅーっと吸われて。ちゅーのたびに、スミねぇへの”すき”が、しあわせが、ふくらんで、あふれて、ふきだして。どこまでも、どこまでも、たかーく、まっしろ。しあわせから、かえれない。かえりたくない。もっと、もっと、もっと。おれだけのおよめさんに、すきになってほしくて、すきになりたくて。それだけで、あたまのなかがいっぱいだった。





 ♥️ ♥️ ♥️





「ん………ぅぅぅぅ……」

甘ったるいのに、どこか安らかな匂い。やさしい温もりに包まれながら、ぱちりと目が覚める。とても、ぐっすりと眠っていた気がする。

「おはようございます、ロニくん……♥」
「……ぅー……おはよっす……ぅ──」

スミねぇが呼んでる。起きなきゃ。
自分の、そしてスミねぇの状態に気付いたのは、そう思った後だった。

「──ぁんっ、うふふ……♥ 」
「…………!」

身じろぎに合わせて聞こえる、スミねぇの甘い声。ほおを挟み込む、ふわふわの弾力。カラダを受け止めてくれる、温かくてむっちりとした肉感。
ベッドなんかではありえない、極上の寝心地。自分がどこで、誰の上で眠っていたのかを、理解する。
ハダカのスミねぇと抱き合って、おっぱいを枕にして。よだれまで垂らしてしまって。
それは、あまりにもとんでもない状況だった。

「んふ……♥ ぎゅー……♥ もう、そんなに照れずとも……♥ 」

慌ててスミねぇの上から転がり降りようとしたけれど、それは叶わなかった。
スミねぇに、まるで抱き枕のように、しっかりと捕まえられてしまっていた。
ただ、スミねぇにカラダをすりつけるだけの結果に終わってしまう。やわらかくて、すべすべで、とってもきもちいい。

「三日三晩、あーんなに深く愛し合った仲ではありませんか……♥ 」
「っ……ぅぅ……」

嬉しそうなスミねぇの言葉に、昨晩のことを思い出す。
おれとスミねぇが、何をしたのか。それは、しっかりと覚えている。
好きじゃないと、愛しあっていないと、夫婦じゃないとしちゃダメなことを、してしまった。
疲れ果てて気を失ってしまうまで、いっぱい、いっぱい、休むことなく、ひたすらに、抱きしめあって、ちゅーをして。赤ちゃんのもとを、スミねぇに、何度も,何度もご馳走して。息継ぎをして、ぎゅーっと抱きつくだけで精一杯だったけど、まるで、夢のようにきもちよくて、しあわせな時間だった。
美味しいものを食べた後のように、スミねぇの甘い味が、いまも舌にじくじくと染みついている。おちんちんの根本も、精をご馳走した後の余韻みたいな感覚が、まだまだ残っている。
くちびるの感触が、吸いつくやわらかさが、魂ごと吸いあげられるような、ふわふわとした気持ちよさが。口から口へと直接注がれた、たくさんの”好き”が、頭の中に、よみがえる。
もう、スミねぇとの子作りのことは、絶対に忘れられそうにない。
しらを切ることなんて、できるわけがない。
これもきっと、スミねぇの思い通り。思い通りに、なってしまった。

「んふふ……♥あ・な・た♥」
「………ぁー、ぅぅー……なんすか……スミねぇ……」

スミねぇが、まるで新婚のお嫁さんのようにおれのことを呼ぶ。
恥ずかしいけど、変な呼び方はやめろだなんて事は言えなかった。
この呼び方を拒んではいけない。受け入れなければいけない。そう感じてしまう。

「んふ……♥ あたしの旦那様はかわいいですねぇ……♥」
「ぅぅ……」

けれど、旦那様と呼ばれれば、やっぱり失恋してすぐに他の人と結婚するのはどうなんだ、という気持ちが湧いてくる。
それでも、旦那様呼びを拒めない。
ちゅーをしてしまった。子作りをしてしまった。好きってたくさん言ってしまった。
それに、スミねぇは、本当の本当に、おれのことを好きで、気持ちよく、幸せにしてくれて……。俺のことを、誰よりも必要としてくれる。
旦那様と呼ばれるのも、かわいいと言ってくれるのも、ぎゅっと抱きしめてくれるのも……すごく、うれしい。
そして何より……スミねぇと好きあっている最中に、思ってしまった。
──スミねぇは俺だけのもの。俺だけの、お嫁さん。
あの時は本当に、本当に、心の底から強く思ってしまった。認めてしまった。
いまさらそれを無かった事にして、お嫁さん面をするな、なんて事は言えるはずがない。無かったことにしたくない。病める時も健やかなる時も、なんて誓いは問題じゃない。
むしろ、お嫁さんアピールを欠かさないスミねぇは正しいとさえ思う。あんなに人に好きを注ぎ込んでおいて、お嫁さんにならないなんて事は、道理が通らない。
しかしそうだとすると、やはり俺はスミねぇの旦那様に、スミねぇのモノになってしまう。なってしまった。たったの一晩で、すっかり。

「あー……してやられた……」
「はい……♥シたりヤったりしましたね……♥」
「それは、まぁ……シたっすけど……そういうことじゃなくて……」

身も心も、随分とすっきりした気持ちになってみると。やっぱり、何もかもスミねぇの目論見通りだ。
昨日の俺は、どう考えても正常じゃなかった。今にしてみれば、スミねぇの言うことを素直に聞いたのも、フラれて半ばヤケになっていただけのように思える。
スミねぇのやった事といえば……傷心の俺を慰めるフリをして家に連れ込んで、魔物の食べ物をたらふく食べさせて、魔界の温泉に浸からせて……。風呂上がりには怪しいお香まで炊いてあって、何から何まで準備万端だった。
肌と肌が触れ合うだけであんなに気持ち良かったのも、どうしようもなくやらしい気分になってしまったのも、子作りしたいと思ってしまったのも、きっとそのせいに違いない。
そのせいで、スミねぇのことを、好きにさせられてしまった。スミねぇのせいだ。今になってはスミねぇを責めるつもりも起きないけど、それこそがまさに、スミねぇの目論見通りで……やり場のない敗北感がある。俺の人生も、身体も、心も、スミねぇのいいように転がされているのに、それに怒る気さえ起こらないのが、なんともくやしい。

「……あ。」
「どうしました?あなた♥」
「こども……子作りしたから……こども、できたら……」

そして今更、大変なことに気づく。俺とスミねぇがしていたのは、他ならぬ子作りだ。子どもを作ることだ。
行為だけに、気持ちよくなることだけに夢中で、その後のことなんて、全く考えてなかった。いや、たぶん、考えられなくさせられていた。スミねぇのせいだ。

魔物と人間の間には簡単に子供ができないらしい。
でも、できにくいだけで、できる時には、できてしまう?父親になるのか?俺が?俺もまだ子供なのに?
暮らしには……困らない。責任云々も、どうせスミねぇからは逃げられない。
けど、やっと、やっと、俺だけを一番に見てくれる人が現れたのに。自分の子どもに、スミねぇを取られるのか?
そのとき俺は、子供を邪魔に思うのか?棄てたいと思うのか?
そんな事があっては、いけないはずなのに。「要らない子」として、望まれなかった存在として生きていくことが、どういうことか、俺は知っているはずなのに。

「……安心してください、ロニくん」

とめどなく駆け巡る思考。それを遮ってくれるのは、スミねぇの優しげな声と、温かな抱擁だった。

「もし子供ができても……ロニくんなら、大丈夫です。良いお父さんになれます。そういう風に悩めるのですから……ちゃんと、愛してあげられますよ」
「──そう、っすか。そういうもんっすかね」
「ええ。あたしの見込んだ男の子ですから」

指先が、ゆっくりと頭を撫でてくれる。心地いい。
スミねぇの言葉は、俺の不安を的確に捉えていた。腑に落ちるものがあった。
やっぱり、スミねぇには敵わないな、と思う。なんでもお見通しだ。
スミねぇが見込んでくれたなら、大丈夫。不思議と,そんな気持ちになる。俺を見出してくれたその目を、信じてみようと思える。

「では、安心していただいた所で……これからも一層、子作りに励みましょうね♥ あ・な・た♥」
「ぁっ……ぅ……スミねぇっ……起きた、ばっかじゃないっすか……」

けれど、穏やかな気持ちになったのは、束の間だった。
これで問題は解決した、と言わんばかりに、優しげな抱擁が、身体同士をすりつける、いやらしいものへと変わっていく。
頭を撫でてくれていた指先も、つぅっ……と、胸元や、太もも、股間へと這い寄ってきて。
よく分からないけど、夜からならともかく、朝からこんなことをするのは、尚更いけない気がする。あまりにも自堕落というか、いやらしいことしか考えられなくなってしまいそう。
いや、きっと、スミねぇはおれに、いやらしい事しか考えられなくなって欲しいに違いない。

「んふふ……よいではありませんか……♥ あたしはですねぇ……愛しいロニくんの子を孕みたくて孕みたくて、仕方がないのです……♥ 朝ご飯の前に致しても……多過ぎるという事はありません♥ 」
「……う、うぅ…………」

抵抗も空しく、仰向けに転がされて、身体中をまさぐられるたびに、昨晩の子作りのことが、頭の中に浮かんできて。一度味わった気持ちよさが、幸せが、カラダの芯にこびりついていて、うずうずして。寝る前にあんなに酷使したはずのおちんちんも、あっという間に、はちきれんばかり。身体は完全に、準備万端だった。

「はぁぁ……♥ ロニくん♥ ロニくん……♥ 眠ってる間に、たっぷり精を溜め込んで……おいしそうですねぇ……♥」

ぎらついた眼が、一心不乱に俺のことを、俺のことだけを見つめてくれる。舌舐めずりをして、ぷるぷるの唇が唾液にぬらつく。
おれの事を大好きで、食べたくて食べたくて仕方ない、そんな、スミねぇのカオ。俺のことを愛して、気持ちよくして、幸せにしてくれる人のカオ。
そんなカオをしているスミねぇが、おれは好きだった。

「んふふ……いただきまぁす……♥」
「ぁっ……ぅぅ……スミねぇ……すき……」

ここで食べられてしまったら、またもや全部スミねぇの手のひらの上。何もかもが思い通り。分かっているはずなのに。分かっていても。覆い被さってくるスミねぇに、堪らず抱きつき返してしまった。
きっと、もっともっとスミねぇの事を好きにさせられて、子作りもやめられなくなって、スミねぇ無しじゃ生きられなくなって、旦那様として、人生を骨の髄までしゃぶり尽くされてしまう。分かっているから、抗えなかった。


 ◇◇◇


結局、俺が義姉さんにフラれてから一週間ほどは別荘に篭って、やることをやりにやってのやり通しだった。
スミねぇのおかげで気持ちの整理がついたというか、つけさせられたというか、それには諸説ある。捨てる神あれば拾う神があるとはジパングの言葉で、義姉さんには選ばれなかったけど、今の俺にはスミねぇが居る……自然とそういう心持ちになっていた。
自分の心変わりの早さに複雑な気持ちにはなるけど、初恋に未練は無いと思う。
とは言え、義姉さんが大切な家族である事には変わらない。スミねぇの仕込みだから滅多なことはないとは思うけど、ちゃんと義姉さん達が幸せにやっているかは確かめたいし、心からおめでとうと言いたい。
だから、改めて実家に顔を出してみた。魔物になって兄貴と結ばれたであろう義姉さんと、どんな顔をして会えばいいのか正直よく分からなかったけど……実際のところ、それは杞憂だった。

「あー……ただいまっす」
「うふふ。お邪魔しております」
「あら、おかえりなさい、ロニ。それに、スミレさんも」

俺を出迎えたのは、二人の魔物、つまりサキュバスになった義姉さんと師匠が、兄貴を挟み込んで取り合っている姿だった。

本で見た通りの角に翼に尻尾。あいもかわらずのシスター服。主神サマの教義はどうなったのか。
人目も憚らず、ぴったりと身体を添わせ、胸を押し当て、腕も尻尾も絡ませて。街中でこうしているカップルを見かけたら、正直げんなりするぐらいの密着度合いで。見てるこっちが恥ずかしくなる。
けれど、俺を迎えてくれたその微笑みは、俺が好きだった、優しい微笑みだった。その身体は兄貴にべったりだったけど、それを見ていても、苦しい気持ちになりはしない。自分でも驚くぐらい綺麗さっぱり、未練がない。今の俺にはスミねぇが居る。

「ん……来たのか、不肖の弟子」

そして、兄貴を挟んだ反対側には……別人のように見違えた姿の師匠も居た。義姉さんの翼や尻尾がなんとなく丸みを帯びているのに対して、こっちは鋭いというか、捻じ曲がっているというか、禍々しいというかで、相変わらず人相の悪い人だなと思う。
こちらも兄貴にべったりで、義姉さんよりも、もっとひどい。俺のほうには一瞥もくれず、熱っぽい目で兄貴の横顔を見つめている。
俺よりひと足先に失恋して、呑んだくれてたあの哀れな姿はなんだったんだろうか。ニヤついた横顔を見ると、同情損だったような気がする。

「丁度いい、師匠命令だ。”義姉さん”と積もる話でもしてこいよ。なぁ?」
「ではお言葉に甘えて……三人でお話ししてきますね♥」
「だめだ、カールは置いていけ」

師匠の方は、相変わらず義姉さんに対抗心を燃やしているらしい。けれど、二人の間に険悪さのようなものは感じられなかった。変な話だけど……仲良く取り合いをしているように見える。魔物になれば一夫多妻も上手くいくって眉唾物の話だと思っていたけど、実際に目にすると、そういう風にしか見えない。
そして、兄貴を譲るまいとする義姉さんの姿を見て、不思議と安心した気持ちになる。俺の知る義姉さんは、子供達にメシを譲って自分は食べない、なんて事をしょっちゅうしていた。きっと、俺の知らない所でもいろんな事を我慢してきたはずで、それが俺にとっては我慢ならなかった。けど、今の義姉さんの姿は、我慢などという言葉からは程遠く見える。
目指していた形とは違うけど、俺の力で成し遂げたわけでもないけど、それでもこれは、俺の求めていた光景だった。

「…………」

そうして一瞬、感慨深い気持ちになりはしたけど。
やっぱり、家族の様子を見にきたらこれというのは……ひどい光景だ。身内がべたべたしてるのって、こんなに気まずいものだったのか。
俺が会いにくる事は、あらかじめスミねぇの部下の人から伝えてもらっていたはずなのに。

「あー………なんだ、その……とりあえず……おかえり、ロニ」

そして、渦中の俺の兄貴分は……美人二人に挟まれて、身動きが取れなくなっていた。こんなつもりはなかったんだ、と言いたげな、気まずそうな、後ろめたそうな表情をしている。
これがもまた、思議と羨ましくない。挟まれる片方が、かつて恋焦がれた相手であっても。嫉妬の感情も湧き上がってこない。大変そうだな、と同情さえする。
正直、俺が兄貴の立場だったら、こんな光景は見られたくない。弟分に恋人といちゃついてる所を見られるだけでもだいぶ厳しいと思うし、それが共通の身内なら尚更だ。
兄貴も真面目な人間だから、当然、義姉さんの事だけを一途に愛して生きていくつもりだったはずで……そこに魔物になった師匠が飛び込んでくれば、色んな葛藤もあったに違いない。

「うーん……みんな、幸せそうで何よりっすね?」

とは言え、結局のところ、兄貴も兄貴で弟分の前だというのに、二人を引き剥がす素振りさえ見せない。
すっかり二人の虜で、もう既に逃げられないどころか、逃げようとも思えないに違いない。たぶん、散々やることをやられてしまったんだろう。

「……それは、お互い様じゃないか?」
「んふふ、言われてしまいましたねぇ、ロニくん♥」

そして、かく言う俺も……スミねぇに後ろから抱きすくめられている状態だった。格好がついたものではない。
これも人前に晒すのは幾分恥ずかしいけど、下手にじたばたしてもスミねぇを煽るだけになるだろうし……収まりが良くて、あったかくて、気持ちいいのも確かなので、仕方がない。もう、諦めの境地だ。
我ながらとても、一週間前に失恋したばかりには見えないだろうな、と思う。

「「……ははは」」

そんな、お互いの姿を見合わせて。自然と苦笑いがこぼれ出た。
俺の初恋は、これでおしまい。



 ♥️ ♥️ ♥️



魔物と人が古くから共存しているというジパングでの暮らしは、刺激的だった。魔物が畏れられているどころか崇められていたり、親しい隣人として暮らしていたりもする。街並みも、食べ物も、とにかく別の世界と言って良かった。知るもの全てが新鮮だったし、それでいて、不思議と水が合った。
ただ、たまに甘いんだかしょっぱいんだか分からないデザートが出てくるのにはまだ慣れない。けれど、畳の上でくつろぐのにはすっかり慣れたし、出逢う人々に俺たちの関係を夫婦だと説明するのも、もはや抵抗がない。それぐらいには、生活に慣れてきた。
別荘での暮らしは至れり尽くせりだったけど、そろそろ新しい刺激が欲しい頃合いだった。徒歩で歩き回れるような場所は、あらかた探検し尽くしてしまったし。

「それで、スミねぇ。おれのやりたい事、決まったっす」
「……もっと好きなだけ、此処でゆっくりしっぽりしていて良いんですよ? どうせあたしは半分隠居した身です。時間はいくらでもありますから」

座布団に座り、スミねぇを前に背筋を正す。今後の身の振り方については、じっくり考えていいとスミねぇに言われていた。一生遊んで暮らしても良い、とさえ。とにかく、夫婦として一緒に暮らせるなら何でもいいらしい。
なんなら最初の一週間ほどは、寝ても覚めても四六時中子作りな生活をしていたわけで、そんな生活を一生続けるのもアリかなと思っていたけど、なんだかんだ、規則正しい生活に落ち着く事となった。ゆったり甘えてみたりとか、デートに繰り出したりだとか、自然とそういう事もしたくなった。
かといってスミねぇの変態っぷりが収まったわけでもなく、俺が子作りに飽きたわけでもなく、日中のデートで愛情と欲望を育てた分だけ、むしろ夫婦の営みは激しくなっているのが実情だった。
毎晩毎晩、優しく激しくぎゅーっと抱きしめてもらって、やわらかくてあたたかいスミねぇの身体に埋もれて、たっぷりのちゅーで”好き”を注ぎ込んでもらって、スミねぇのナカに、子宮に、一滴たりともこぼさず精を吸い上げてもらって。
同じ事をしているはずなのに、日に日に気持ちよくなっていって、飽きようがない。ずっとこれでいい。もう、射精する時にハグもちゅーも無いなんて考えられないぐらい。
とにかく、俺たちは、ある程度メリハリのある生活の方が夫婦の営みも充実するらしい。メリハリというか、前戯の時間という奴を長く取っているだけな気もするけど。

「そりゃそうっすけど、やっぱりダラダラ過ごすのは性に合わないっていうか……単純に、旅してた頃のように、進歩とか学びとか、そういうのがあった方が面白いんで。スミねぇだって、俺を育てたくて育ててたわけでしょ?」
「えぇ、確かにあたしはロニくんの成長を楽しみにしていましたが……今の生活にも、夜の学びがあるわけですから……♥ あたしとしては、そちらの勉強に専念していただくというのも……♥」

寝室事情を抜きにしても、やっぱり、養われて遊んで暮らすだけの今の生活は、どうにもしっくり来ない。
ドブネズミだった頃は生き残るのにただ必死で、孤児院に拾われた後は義姉さんの役に立つために手伝いを頑張って、師匠の元にいた頃は、こき使われながら魔術を必死に学んでいた。俺の中で、好きな人と一緒に居る資格は『役に立つ』事だった。
染み付いた性分みたいなものは、なかなか抜けない。何かをしていないと、役に立ってないと、どことなく収まりが悪い。不安になってしまうような気がする。言わば貧困の負債とでもいうべき代物で、きっとスミねぇは、俺のそういう部分を見抜いている。スミねぇが現状維持を良しとするのは、この強迫観念を抜いてしまいたいのだろう。デート三昧子作り三昧の生活をしたがっているのも本当だろうけど。

「………………とにかく。やりたい事は色々あるんすよ。ちゃんとした魔術を学びたいし、商売の勉強だって、まだ序の口も終わってない。また一緒に旅をしたいし、ジパングを一通り回ったら霧の大陸にも行きたいっす」
「……ふふ、分かりました。やりたい事……片っ端から全部叶えてしまいましょう」
「何からやるか、並行するのか、その辺は後で一緒に考えて欲しいっす。学校通いながら旅するわけにもいかないんで」
「ええ、では後ほど」

けれど、スミねぇと旅をしていた頃は、多くの学びがあった。スミねぇに成長をたくさん褒めてもらえた。閉じた世界が広がっていき、届かなかったものに手が届くようになる。その喜びが、あの頃の体験が、忘れられない。
これは、間違いなく俺の望み、俺のやりたい事だ。勿論、いずれはスミねぇの役に立てるようになりたいとも思っている。役に立つ必要がなくとも、好きな人の役には立ちたい。そういうものだと思う。

「その上で……色々やるにあたって、方向性を決める事にしたっす。ずばり、金儲けっす。魔術の勉強とか、旅とか、色々やるけど、最終的には金を稼ぐつもりでやる」
「おや……商いに興味を持ってもらえるとは、僥倖です」
「……俺って、スミねぇに買われたわけじゃないっすか。孤児院一つ分で」
「んふふ……そうですねぇ♥」

スミねぇは、俺を取り巻く環境まるごと買い上げて、俺を手中に収めた。
孤児院一つ、というのが具体的にどれぐらいの金額なのか……今の俺には見当もつかない。
想像力を越えた出来事に、最初こそ酷い理不尽だと思いもしたし、今も理不尽だとは思っているけど……スミねぇだけが、今の俺をこんなにも高く評価してくれた。欲しがってくれた。
あれはやっぱり、スミねぇ流のプロポーズだったんだと思う。拒否する選択肢がない求婚をプロポーズと呼んでいいのかは分からないし、他に幾らでもやりようはあったと思うけど……ああいう形で金を積む事が、スミねぇなりの愛情なんだと思う。
とにかく大事なのは、スミねぇは見当もつかない程の値打ちを俺に見出してくれたという事だ。

「それで、まずは────俺は、俺の事を買い戻す」

だから手始めに、俺に孤児院一つ以上の値打ちがある事を証明してみせる。俺を買って得をしたと、はっきりと、目に見える形で示す。
別にそんな事をしなくても,スミねぇはこの買い物に満足している。それは分かっているけど、俺にも意地というものがある。

「んふふ……買い戻せませんよ? ロニくんはずぅっとあたしのものです。幾らお金を積まれたとしても……返してあげませんので悪しからず♥」
「そ………そっすか……別にスミねぇから逃げるつもりで言ったわけじゃないんすけど……まぁ、紛らわしい言い方だったすね」
「うふふ、お顔がにやけていますよ……♥」

幾ら金を積まれても、俺の事を手放すつもりはない。買いはするけど、売ることはしない。今更疑いようのないことだけど、改めて言葉にされると、つい口元が緩んでしまう。

「ぅ…………とにかく。スミねぇが俺のために積んだ金、それ以上を稼ぐって意味っす。これが最初の目標」
「ふふ……♥ なるほどなるほど♥ もしロニくんがあたしに借りを感じていて、それを返したいと言うのであれば……ぜひともカラダで返していただけると♥」
「それは毎晩やってるでしょ………いちいち話の腰を折らないで欲しいんすけど。で、これはあくまでも最初の目標なんすよ。そこで止まるつもりはないっす」

カラダで返済、と身をくねらせるスミねぇを適当にいなしつつ、話を続ける。
とはいえ、スミねぇに借りを感じているのは確かだ。それは恩義という意味でもあるし、してやられたという意味でもある。

「聞いて驚けっす。稼ぎに稼いだその先、俺の最終目標は……」
「最終目標は?」
「──俺が、スミねぇを買う。言い値で、買ってやるっす」

スミねぇを、買う。それが俺の目標だった。
金稼ぎの先にあるものとして、この国から孤児を無くすとか、飢えを根絶するとか、壮大で意義のある事が思いつかなかったわけではない。
ただ、他ならぬ俺自身が目指したいものとして、心の底からしっくり来るのは、この目標だ。俺の中にある色んな想いを一つに束ねたものが、これなんだと思う。
恩義には、報いたい。やられたら、やり返したい。
将来性だけの子供のままじゃいられない。スミねぇがどれだけ俺の先を生きているか分からないけど、追いついて、同じ場所で、同じ目線を持てるようになりたい。
スミねぇが俺の未来に価値を見出してくれたなら、俺はそれを証明してやりたい。
誰よりも、他ならぬ俺自身よりも、俺の未来に期待してくれた、スミねぇの見る目は確かだったと、知らしめてやりたい。スミねぇと、その商会をまるごと買収できるぐらい大きな男になって。
それも、期待に応えるだけじゃ足りない。越えていきたい。あの余裕綽々な表情が、あっと驚くぐらいに。この、底の知れない化け狸に、一泡吹かせてやりたい。
そして……あれがスミねぇ流のプロポーズなら、いつか、きっといつか、俺の方からやり返してやる。スミねぇ以上の力を手に入れて、その上で改めて、俺が、俺からスミねぇをお嫁さんに選ぶのだ。
何年、何十年、何百年かかるか分かったもんじゃないけど、倍返しじゃ収まらない。しっかり利子をつけて、桁を増やしてお返ししてやって……今度は俺が、スミねぇをモノにしてやる。
これが俺の計画。俺の野望だ。

「っ────♥♥♥」
「……スミねぇ?」
「くふ、ふふふ♥ 言い値で……♥♥♥ そんな………♥♥♥ あぁっ……想像しただけで……腰が砕けてしまいます……♥♥ んふふ♥ふふふふ……♥ まさか、こんな口説き文句を頂けるとは……♥♥♥」
「あー、うん……そんなに喜んでくれるとは思ってなかったっす……」

スミねぇに宣戦布告する、それぐらいの意気込みで立てた目標だったのに。当のスミねぇは……声を震わせて、身悶えしていた。
勿論、喜んでくれるのは嬉しいし、喜んでくれる事を期待もしていたけど……思っていたのと違う。ちょっと喜びすぎというか、そういう方向の悦び方を想定していたわけではなかった。喜んでくれるにしても、物事には限度がある。
こっちは大真面目に人生の目標を語っているのに、息を荒げて興奮されても、調子が狂ってしまう。
嬉しさ半分、引く気持ちが半分。全く、とんでもないドへんたいと夫婦になってしまったものだと思う。

「はぁん……♥♥ ね、ロニくん……♥♥♥ もう一度、もう一度言ってください……♥♥ 今度は、あたしをぎゅっと抱きしめて、あたしの目をじーっと見つめながら……♥」
「え、えぇ……? いや、何度も言わせないで欲しいんすけど……。そんな事より、今後の選択肢の話とかあるじゃないっすか。どの学校に行くのが良いかとか……」

うっとりと息を吐きながら、スミねぇがにじり寄ってくる。
スミねぇが喜んでくれる事は確かに織り込んでいたけど、これはあくまでも俺のための目標なのだ。
確かに、プロポーズの約束という意味合いがあるのは俺も自覚している。けど、これを催促に応じて言ってしまったら、それは最早ただの、スミねぇを喜ばせるための口説き文句でしかない。
最初こそ勢いで言えたけど、もう一度となると、随分恥ずかしい。

「では、選択肢についてなのですが……学校に通うためには、先立つものが必要でしょう? かしこいロニくんなら……わかりますよね♥♥」
「いやいやいや、それは横暴でしょ……! そんなに言って欲しいんすか……!?」
「はい……♥♥♥ 何が、何でも……♥♥♥」
「……うぅ。というか、夫婦になったら財産って共有じゃ……」
「ジパングでは、財布の紐は妻が握るものなのです♥」
「ずるいっすよ……!」

けれど、俺の"口説き文句"を大層気に入った様子のスミねぇは、柄にも無い迫り方をしてきて。
今の今まで、「お金が欲しければ」だとか、「孤児院を救って欲しければ」なんてあからさまな迫り方はしてこなかったのに。
だというのに、まさか、夫婦になってから本性を露わにするなんて。
困ったことに、夫婦になる前にこういう迫り方をされていたら、スミねぇの事を嫌いになっていたかも知れないけど、俺はもうスミねぇの事を好きになってしまったのだ。
理不尽だとは思うけど、理不尽になってしまうぐらい、本性を剥き出しにしてしまうぐらいに、俺の口説き文句を聞きたいんだとしたら……流石に俺が好きすぎる。
悔しいけど、嬉しい。どうしても、嫌いになれない。惚れた弱みっていうのは、こういうのを言うんだろうか?

「ふふ、ふふ……♥ あまり待たせると、一度ならず二度三度と言ってもらうことになりますよ……♥♥ はい、じゅーう、きゅーう、はーち……♥」
「あー、もう、わかったっす、わかったっす、言うっすから……!」

時間とともに負債が膨れあげる。即決しなければ損をする。余裕を失わせ思考力を鈍らせる、悪いやり方だ。そう分かっていても、俺はスミねぇの要求を飲まざるを得なかった。

「ふふふふ♥ それでは、どうぞ……♥」
「はぁ………しかたないっすねぇ」
「んっ……♥ ぎゅぅーっ♥」

そしてスミねぇは、膝をついて、目線を合わせて、両手を広げて、受け入れ準備は万端という様子。ここに飛び込んだら最後、がっしり捕まえられて、しばらくは解放してくれない。
こうして待ち構えられるだけで、俺の事を包み込んでくれるやわらかなぬくもり、甘い匂いを、どきどきと安心が同居したあの幸せな気持ちを、否が応でも思い出してしまう。
けれど、何度身体を重ねても、やっぱり自分から抱きつくのは恥ずかしいし、子供扱いされてるようで不服は不服だ。
それでも、俺に選択肢はない。これも目標のため、そう自分に言い聞かせて、スミねぇに身体を預けて。ぎゅっと腰に手を回す。
やわらかなおっぱいに顔を半ばうずめながら、スミねぇの顔を見上げる。

「ぅー…………」
「ふふ♥ふふふ♥ロニくぅん……♥♥♥」

間近で見るスミねぇのカオは、瞳にハートが浮かんでいそうなぐらい、うれしそうにぎらついていた。吹きかかる吐息が、熱くて、甘い。
頭の後ろを、スミねぇの手にしっかりと抱き込まれて。もう、逃げられない。おっぱいの間に抱き込むことも、顔を引き寄せてちゅーする事も、両方できる姿勢。
口説き文句を言ってしまったら最後、きっと、ハグとちゅーの雨あられが降り注いでくるに違いない。そしてそのまま子作りになだれ込んで、抱きしめ合ったまま、タガの外れた"好き"を徹底的に注ぎ込まれて、身も心も、どろどろの、ぐちゃぐちゃにされてしまう。昨日も、一昨日も、”はじめて”の日からこの一ヶ月間ずっと、毎日毎日、骨の髄まで愛されてしまったように。
なんなら、こうしてぎゅっとしているだけで、熱っぽいぬくもりに、心地よさに、だんだんと頭がとろんとしてきている。
本当はこの後、学校の選択肢とか、商会の実態とか、色々説明してもらって、今後の計画についても相談するはずだったのに。
今日もまた、スミねぇにすきすきされて、溺れるがままになって終わってしまう。口だけで終わるつもりはないのに、今日からすぐに動き始めるつもりだったのに。
それが分かっていても、結局、この欲張りなお嫁さんの催促に応えないわけにはいかなかった。

「っ……いつか、スミねぇを……言い値で買ってやるっす」
「んっ♥♥♥♥」

意を決して、今一度、スミねぇに俺の目標を宣言する。要望通り、しっかりと、スミねぇの眼を見つめて。
俺の言葉を受けて、スミねぇの身体がぶるりと震える。一際強く、ぎゅっと抱きしめられる。ぎらついた瞳が、潤んでいく。明らかに、収まりのつかない様子だ。
これを、嬉し泣きしそうになっているとは言うのは……間違いでは無いかもしれないけど、正しくもないと思う。

「絶対言い値で買ってやるから……俺のモノにしてやるから、覚悟しとけっす……!」

ここまで来てしまえば、もうヤケだ。おまけに、もう一度。
こうやって俺を好き勝手に出来るのも今のうちだ。いつか、いつかきっと、スミねぇを越えてやる。そして今度は俺が、スミねぇを好きなように────しても悦ぶだけだろうけど、とにかく、越えるものは越えてやるのだ。

「っ──♥♥♥♥ はい……♥♥♥ それはもう……♥♥ 首を長くして、いつまでも、いつまでも待たせていただきます……♥」
「っ……これで満足っすか? 満足したら、今日から動きたいんすけど……」
「いえ……♥ もっと、もっと、欲しくなってしまいました……♥ 言葉だけではもう、収まりそうにありません……♥」
「俺のこと応援したいのか、邪魔したいのかどっちなんすか……」
「んふふ……勿論応援していますよ♥ しかし、こんなに子宮をときめかされてしまっては……我慢などできません♥♥」
「はぁ……わかってたっすけど……さっそく出鼻を挫かれたっす……」
「大丈夫ですよ……♥ 時間は幾らでもありますから……♥ 何百年かかってもいいんです。ゆっくりじっくり、日々を愉しみながら、目標に進んでいけば……♥ 」
「……………。商会は成長するから、スミねぇのお金は増え続けてるっす……もたもたしてたら永遠に追いつけないっす…………」
「そこに気づくとは、流石はあたしのロニくんです……♥ でも……ロニくんもすっかりその気ではないですか♥」
「……うぅぅ」

まったく、柄にもないことを言わされてしまった。すっかり、顔が熱い。
けれど、それ以上に、俺を抱きしめるスミねぇの身体はもっと熱くなっていた。まるでお風呂上がりみたいにほかほか。甘く煮詰まった、いやらしい匂いが立ち込めて。これから子作りをするのだと、全身で主張してくる。
こうなってしまうと、もう、どうにもならない。俺の身体は、スミねぇの誘いに否応無しに反応してしまう。胸いっぱいに、スミねぇの匂いを吸い込んでしまう。むぎゅむぎゅと抱きついて、すりすりと頬擦りして、スミねぇの柔らかさを味わわずにはいられない。太ももの間に、腰をぐりぐり押し付けてしまう。口の中がじくじく疼いて、つばが止まらない。途端に口が寂しくて、寂しくて、仕方なくなってしまう。
俺は知ってしまっている。スミねぇにちゅーされてしまったら最後、頭の中はたちまちふわふわに浮かんでいって、根こそぎ吸い出されてしまって、空っぽになったところに、ぎゅうぎゅうに”すき”を詰め込まれて……そうしてすっかり出来上がってしまったところで、おちんちんも下のお口に食べられてしまって……待っているのは、一晩まるごとしあわせ漬けならぶらぶ子作り。
このままでは、あんなに格好をつけたのに、決意表明だけで今日が終わってしまう。終わってしまうのに。抗えない。逃げられない。我慢できない。

「んふ、ふふふ……♥♥ ロニくん、ロニくん……♥♥♥」
「っ……ぅぅ……あきらめないっすからね……おれは……」

ぷるぷるのくちびるが、おれを食べてしまう、いとしいくちびるが、ゆっくりと近づいてくる。うるんだ瞳が、目の前に。じーっと見つめ合うだけで、洪水のような"すき"が押し寄せてきて、理性が押し流されてしまいそう。
吹きかかる吐息は熱を帯びて、それだけでおれの唇はとけてしまいそう。スミねぇの昂りようはまるで、子作りの最中みたいだ。
"いつか"、"きっと"、そんな曖昧な計画を語るだけで、こんな風になってしまうのなら、計画を実現してプロポーズを成し遂げたその時は、どれほどまでに悦んでくれるのだろう。それはもう、想像がつかない。嬉し泣きだとか、言葉だけでイってしまうだとか、そんな事で済むとは思えない。とにかく、すごく、すごく、引くほどよろこんでくれるに違いない。
だから、いつか、きっと、野望を叶えてやろう。とびきりのプロポーズでスミねぇを喜ばせて、悦ばせて、途方もないほどの幸せの絶頂に追い込んでやろう。
そのためなら、いくらでも頑張れる。今日を食べ尽くされてしまっても、明日までむさぼられてしまっても、絶対に諦めない。一生かかっても。そう、決意を新たにする。

「では、いただきまぁす……♥♥ ん〜〜っ♥♥ ぁむ♥♥ ちゅぅぅ♥♥ ぢゅぅうっ♥♥ ぢゅぅぅっ♥♥♥ すき、すき♥♥ ちゅぅっ♥♥ ちゅぅぅっ♥」
「っ───〜〜♥」

そんな決意ごと、スミねぇのくちびるが、おれをむさぼりつくしていく。愛情と欲望をたっぷり込めたちゅーは、すっかり大好物になってしまっていた。
息継ぎするひまもないというのに、くるしさはみじんも感じないで、身も心も、たちまちどろどろに溶かされていく。いつにも増してうれしそうな目が、おれを、おれだけを見てくれる。おれだけのスミねぇ。おれだけのお嫁さん。
スミねぇをすきな気持ちが、頭の中にぶわっとあふれて。抱えきれないほどのしあわせが滲み出すように、よだれが止まらない。隙間なく重なったくちびるから、ちゅるちゅる、じゅるじゅる。ふわふわで、きもちよくて、まるで魂ごと吸い出されてるみたい。
こうしておれは今日もまた、あまーい汁を吸い尽くされてしまうのだった。明日も、明後日も、俺の野望を叶えた後も、ずーっと、ずっと。
24/03/22 20:31更新 / REID

■作者メッセージ
お久しぶりです。賢しさが故に幸せから遠ざかってしまう少年が、より強かなおねえさんに収穫されてしまう話です。
失恋男が魔物娘に美味しく捕食される話はもう何度目かな気がします。好きなんですよね、傷ついた男と、それに寄り添い慰める女の構図……。
叶わぬ恋の先にも、幸せがある。愛を見つけてくれる人がいる。図鑑世界の素晴らしい所です。以下はおまけです。

/おまけの後日談/
「ねぇ、スミねぇ」
「はい、なんでしょう?」
「学校で友達が、オナニー?がどうのって言ってたんで。なんすかそれって答えたら、ドン引きされたんすよね。成人してそれはどうかしてるって」
「おや。それはそれは……♥」
「なんすかその笑顔。とにかく、自分で触ってもイけるとか……知らなかったんすけど……」
「ふふ……♥ 知る必要もなかったでしょう? ロニくんにはあたしが居るのですから……♥」
「それは間違いないんすけど……一応試しに自分で触ってみたら、まーったく気持ちよくないんすよね。もうまったく」
「んふふ……♥ つまりロニくんは、あたしなしではお射精できないと……♥」
「今の今まで、それが普通だと思ってたんすけど……ようやく事の異常性を実感したっていうか……」
「異常とは人聞きの悪い……♥ 愛ですよ、愛♥ 愛しい妻の身体でしか性を知らないだなんて……とても、とても素敵ではありませんか♥」
「……生まれてこの方、全部の精液をスミねぇにあげたのは……夫として自慢には思うっすよ?」
「ええ、ええ……❤︎初めてのお射精からずーっと、一滴残らず全ての精をあたしに捧げてくれたわけですから……旦那様の鏡ではありませんか♥」
「……でも、俺の常識がズレてるのはまた別の話っすよね? あえて教えなかったっすよね? 申し開きがあるなら聞くっすけど」
「教えたら、試そうとするでしょう?」
「うん。実際試そうとしたっすね」
「ですので、教えないのが得策かと思いまして……♥ やはり妻としては、精の無駄撃ちなんて、とんでもない。そんな事は考えもつかないのが一番です。ロニくんはあたしの旦那様なのですから……あたしで気持ちよくなるのが当たり前なのだと、当然のことなのだと、そう思って欲しいではありませんか♥」
「……はぁ。そういや昔もこんな事あったっすよね。初めての時からしばらくずっと、ナカに入れないと射精出来ないって思い込んでた奴……おかげさまで俺は……」
「んふふ♥ ぎゅーっとしながら、ちゅーをしながら、中出し子作りしないと、満足できないんですよねぇ……♥」
「……スミねぇがそうだから、俺もそうなっちゃったんでしょ。俺が何も知らないのをいいことに、人の事を自分好みに染め上げておいて……」
「ふふ……あたしの好きなものを、ロニくんにも好きになって欲しかったのです♥」
「物は言いよう、っすね……」

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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33