中編@
この日、章則は普段から通学で利用する最寄り駅にいた。
高校入学から二度目の春が訪れたというのに、まだ肌寒い。当然だ。先ほど、始発が駅に到着した頃なのだから。
「さすがに朝5時からは無謀だよな」
缶コーヒー片手に身を縮こませている章則は確かめるように呟く。
高校生である章則がこんな早朝から駅にいる理由は単純だった。刑事ドラマみたく朝から張り込んでいるわけでも、章則の趣味が駅を利用する人々の人間観察であるという薄ら寒い理由でもない。昨夜、寝付けなかったのだ。だから、約束の2時間前から寒空の下待ちぼうけている。
ただ、この日の章則は辛さとかそういうネガティブな感情とは無縁のところにいた。丸一年願い続けた現実が到来しようとしている。そういった状況だったから、寝付けなくとも、約束の時間まで待つことだって苦痛でない。むしろ楽しくさえあった。
あれから、一時間ほど経ったのだろうか。約束の時間まであと少し。発着を繰り返す電車とともに、人の流れも増えてきたように思う。スーツ姿のサラリーマンが改札へ吸い込まれている。朝日は煌煌と背の高い建物を照らし、反射する光が目に飛び込む。
晴れて良かった。章則はそう思った。
門出なのだから、晴れてた方が絶対良い。それが例え雪景色を想起させる氷柱女だって。きっと今日だけは。
「あきれた。何時から居たのよ」
なんてことないことを考えている章則に、鋭い一言が浴びせられる。
目に飛び込んできたのは、淡雪を想起させる白髪、涼しげな目元、陶磁器のような透き通った肌。いつもと違うのは、章則が着ているものと同系統のブレザーを身に包んでいることだろう。氷柱女の由紀さんだ。
「今きたところだよ」
「なら、その積み上がったコーヒー缶は誰のかしら」
由紀はおどけた章則の横に転がるコーヒーの缶に目を向けて言い放つ。由紀に無用な心配をかけまいと思ってついた嘘は見事に空を切る。
言葉を詰まらせて、ニコニコしているだけの章則。一方、由紀の視線は鋭くなる。
「章則が私に夢中なのは知ってたけど、とうとうストーカーじみてきたわね」
「そう言わないでよ。今日は僕の由紀さんのお披露目会なんだから」
「誰がお披露目会よ。大げさね。ただの登校ってだけじゃない」
ただの登校、そう口にした彼女の顔は普段よりこわばっているように見えた。当然だ。彼女の臓器不全は、彼女を一年もの間学校から遠ざけていたのだから。
後、突っ込んでほしいのは『お披露目会』だけじゃない。やっぱり、緊張しているのだろうか。
「けど」
「けど、じゃない。別にこれが初めての登校ってわけでもないし」
あまりにも過保護すぎただろうか、由紀の目からそういう感情がにじんでいる。
実際、回数は少ないながらも去年の春頃まで由紀は普通に登校していた。その後、持病のため、一年間入退院を繰り返していた訳なのだが。
しかし、本日顔を合わせる新しいクラスメイトとの面識はほとんどないも事実。
――初めての登校ではない――おそらく強がりではないのだろう。自分自身を鼓舞するような言葉から、今日にかける彼女の気持ちが伝わる。
「けどなー、由紀さん美人だからなー」
「びっ、唐突にど、どうしたのよ」
唐突にぶつけた章則のおだてに由紀はドギマギしている。もっと揺さぶろう。
「学校行ってなくても、僕なんかよりずっと賢いんだもんなー。クラスのみんなから勉強教えてなんて言われるんだろなー」
「何よ急に。章則だって、私をからかうような態度を改めたら考えなくもないわ」
「ひくほどモテるんだろうなー。雲の上の由紀さんになるんだろうなー」
「モ、モテ!?って、結局何が言いたいのよ」
「つまりさ。新しいクラスだってすぐ馴染めるし、途端に人気者だから。心配することないよってこと」
章則が由紀へ送ることのできる思いの丈。それはきっと真実で、今日以降現実となることだ。
「・・・・・・それが本当なら、うれしいかも」
ふっと由紀の面持ちが和らぐ。こっちの方がずっといい。晴れたこの日に映える笑顔だ。
なんとか由紀の緊張をほぐせたようだ。ひとまず胸をなで下ろし、章則は彼女と一緒に駅改札へ足を向ける。
ホームから吹き抜ける春の風に、由紀の長髪が揺れる。彼女の軽やかな足取りは、僕らをどこまでだって連れて行ってくれる。そんな予感がした。
高校入学から二度目の春が訪れたというのに、まだ肌寒い。当然だ。先ほど、始発が駅に到着した頃なのだから。
「さすがに朝5時からは無謀だよな」
缶コーヒー片手に身を縮こませている章則は確かめるように呟く。
高校生である章則がこんな早朝から駅にいる理由は単純だった。刑事ドラマみたく朝から張り込んでいるわけでも、章則の趣味が駅を利用する人々の人間観察であるという薄ら寒い理由でもない。昨夜、寝付けなかったのだ。だから、約束の2時間前から寒空の下待ちぼうけている。
ただ、この日の章則は辛さとかそういうネガティブな感情とは無縁のところにいた。丸一年願い続けた現実が到来しようとしている。そういった状況だったから、寝付けなくとも、約束の時間まで待つことだって苦痛でない。むしろ楽しくさえあった。
あれから、一時間ほど経ったのだろうか。約束の時間まであと少し。発着を繰り返す電車とともに、人の流れも増えてきたように思う。スーツ姿のサラリーマンが改札へ吸い込まれている。朝日は煌煌と背の高い建物を照らし、反射する光が目に飛び込む。
晴れて良かった。章則はそう思った。
門出なのだから、晴れてた方が絶対良い。それが例え雪景色を想起させる氷柱女だって。きっと今日だけは。
「あきれた。何時から居たのよ」
なんてことないことを考えている章則に、鋭い一言が浴びせられる。
目に飛び込んできたのは、淡雪を想起させる白髪、涼しげな目元、陶磁器のような透き通った肌。いつもと違うのは、章則が着ているものと同系統のブレザーを身に包んでいることだろう。氷柱女の由紀さんだ。
「今きたところだよ」
「なら、その積み上がったコーヒー缶は誰のかしら」
由紀はおどけた章則の横に転がるコーヒーの缶に目を向けて言い放つ。由紀に無用な心配をかけまいと思ってついた嘘は見事に空を切る。
言葉を詰まらせて、ニコニコしているだけの章則。一方、由紀の視線は鋭くなる。
「章則が私に夢中なのは知ってたけど、とうとうストーカーじみてきたわね」
「そう言わないでよ。今日は僕の由紀さんのお披露目会なんだから」
「誰がお披露目会よ。大げさね。ただの登校ってだけじゃない」
ただの登校、そう口にした彼女の顔は普段よりこわばっているように見えた。当然だ。彼女の臓器不全は、彼女を一年もの間学校から遠ざけていたのだから。
後、突っ込んでほしいのは『お披露目会』だけじゃない。やっぱり、緊張しているのだろうか。
「けど」
「けど、じゃない。別にこれが初めての登校ってわけでもないし」
あまりにも過保護すぎただろうか、由紀の目からそういう感情がにじんでいる。
実際、回数は少ないながらも去年の春頃まで由紀は普通に登校していた。その後、持病のため、一年間入退院を繰り返していた訳なのだが。
しかし、本日顔を合わせる新しいクラスメイトとの面識はほとんどないも事実。
――初めての登校ではない――おそらく強がりではないのだろう。自分自身を鼓舞するような言葉から、今日にかける彼女の気持ちが伝わる。
「けどなー、由紀さん美人だからなー」
「びっ、唐突にど、どうしたのよ」
唐突にぶつけた章則のおだてに由紀はドギマギしている。もっと揺さぶろう。
「学校行ってなくても、僕なんかよりずっと賢いんだもんなー。クラスのみんなから勉強教えてなんて言われるんだろなー」
「何よ急に。章則だって、私をからかうような態度を改めたら考えなくもないわ」
「ひくほどモテるんだろうなー。雲の上の由紀さんになるんだろうなー」
「モ、モテ!?って、結局何が言いたいのよ」
「つまりさ。新しいクラスだってすぐ馴染めるし、途端に人気者だから。心配することないよってこと」
章則が由紀へ送ることのできる思いの丈。それはきっと真実で、今日以降現実となることだ。
「・・・・・・それが本当なら、うれしいかも」
ふっと由紀の面持ちが和らぐ。こっちの方がずっといい。晴れたこの日に映える笑顔だ。
なんとか由紀の緊張をほぐせたようだ。ひとまず胸をなで下ろし、章則は彼女と一緒に駅改札へ足を向ける。
ホームから吹き抜ける春の風に、由紀の長髪が揺れる。彼女の軽やかな足取りは、僕らをどこまでだって連れて行ってくれる。そんな予感がした。
19/08/11 17:55更新 / ヤーコブ
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