安兵衛さんのお嫁探し
えー。何と言って始めたらよいものか。
人の良縁奇縁は妙なるモノと申します。
ついこの夏頃、お台場の方のお祭りで熱中症で倒れた人を、あれは看護婦さんなのか、マミーのお嬢さんが介抱しているのを見まして。
あー、こういうのが縁で、二人が付き合いだして、果ては結婚なんぞをするのかな、と思った次第で。
今のは、まあ少々特殊な例ですが、人がいつ運命の相手に出会うか、それはその時にならないと判らないわけでありまして。
「おい。源さんいるかい?」
昔は今と違って、気心の知れた相手の家を無遠慮に開けたりするのは当たり前。
なのでがらりと安兵衛が戸を開けて、源さん――源兵衛という男の家へ上がりこむと、なんと情事の真っ最中。
「わわ、悪りぃ!!」
慌てて戸を閉めたものの、はて源兵衛にいい人など居たという話は聞いたことがないなと、安兵衛ははたと思い出す。
幽霊の正体見たり枯れ尾花、というわけはないものの、さては何かを見間違えたかと、今度は少しだけ戸を開けて中を見る。
源兵衛が寝そべるその横。そこに情事が終わった後特有の、気だるげな女性の顔が確りとあった。
ああ、これは間違いなく……。これはまずいところに入ってしまったと、安兵衛が気に病んでいると。
「安っさん。そこにいるのは判ってるから、入ってきなよ」
「え、でもよ……」
「いいからいいから。お前さんには、きっちりと女房の事を教えておきたいからな」
「あ、そうかい……って、女房っていつの間に!?水臭いじゃないか、教えてくれれば、ご祝儀の一つもくれてやったのに」
「お前さん。つい先日まで、遠くの作業場で仕事だって、帰ってこなかったじゃないか」
「それならよ。作業場の方に知らせに来てくれよ〜」
無二の友だと思っていた源兵衛の目出度い出来事に、先ほどの気まずさが吹っ飛んだ様子の安兵衛は、遠慮無しに上がりこむと、彼の隣にいる女房とやらの馴れ初めを問いただし始めたわけだ。
しかし源兵衛の言う馴れ初めは、なんとも奇妙なお話でありまして。
つい先日、源兵衛が花見へと酒を持って外に出ようとした途端に、同じ長屋の気の合わない奴らとばったり出くわしてしまったそうで。
そしてそいつらが源兵衛の姿を見て「桜でも見にいくのかい?」なんて、馬鹿にしたような口調でいうものだから、カチンと来た源兵衛は思わず。
「花見に行くかだって!?馬鹿言っちゃあいけねえな。今の流行りは墓見だよ墓見。墓石に卒塔婆を見つつ、酒をくいっと一杯引っ掛ける。これが今最高に粋で風流な洒落事だぜ!!」
とあること無い事並び立ててしまった訳だ。
そんな嘘には引っかからないぞ、まったく一体何を言い出すのかと、さらに馬鹿にした様子の奴らにもっと腹が立った源兵衛は、引っ込みも付かないからか、本当に墓を見に出かけちまったのだとさ。
しかし墓なんぞ、彫っている名前は違えど、見た目はほぼ同じ。長四角の墓石と、その後ろにぶっ刺さっている卒塔婆。
始めは如何にかして酒の肴にしようと、あれやこれやと考えていた源兵衛。仕舞いにはそれを考えるのにも飽きてしまって、もうなにか面白いものでもないかと、ついっと周りを見てみた。
すると先日の長雨の所為か、されこうべ(頭蓋骨)が土から見えてしまっていたそうだ。
「あちゃぁ。此処の坊主ども、ちゃんと埋めてやれよな。野ざらしになっちまってるじゃねーか」
これは流石に可哀想だと、手向けの酒をそのされこうべに掛け、南無南無と供養の言葉を掛けて、土を被せて綺麗に平らにならしてやった。
「さて、いい事をして気分も済んだことだし。さっさと帰るか」
なんってんで源兵衛が家に帰って、まだ残っていた酒を夕食の後に飲みなおしていた、その晩。
夜が更けて、もうそろそろ寝るかという時間帯。
不意に家の戸が、トントンと控えめに叩かれる。
そして、
「御免下さいまし」
なんて綺麗な女性の声が掛かる。
この長屋に居る奴らは安兵衛がそうしていた様に、問答無用で戸を開ける輩ばかり。しかして行儀良く戸を叩く女性の訪問客なんぞ、源兵衛に心当たりがあるわけは無く、はて誰かなと戸を開けてみる。
するとそこには、目を引くほどの目麗しい女性が、目を伏せつつ立っていたんで、源兵衛は思わず息を飲み込んでしまい、言葉を出せなかったわけだ。
「……だ、誰だお前は。おりゃあ、あんたの様な別嬪に心当たりはねぇぞ。誰かの家と勘違いしちゃいないか?」
「いいえ。源兵衛さん、私は貴方様にお逢いしたく、此処に来たのです」
どうにかこうにか出した源兵衛の言葉に、女性の言葉が返ってきたものの、しかしどうにも源兵衛には分からない。
人目を忍ぶかのように、夜更けに源兵衛の家へとやってきたからには、何がしかの理由があるはずなのだが。
これほどの別嬪を町中で見かけたり出くわしたのならば、男の性として覚えているはずなんだが……ということは、この女とは初対面という事になる。
そうなるとどうなるか、さてどうなるかと考えて、あまり頭の宜しくない源兵衛は考えがこんがらがってしまって、訳が分からなくなってしまった。
「そいで、あんたは一体俺になんの用なんだい?」
「それは今からお話いたします。ですがその前に、上がっても宜しいでしょうか?」
「お、おお。小汚いところだが、遠慮なくあがってくんな」
小さな長屋の一部屋の中で、差し向かいで座りあった源兵衛と女。
そしてとつとつと、女は語り始める。
自分は流行り病で死んだ身である事。身寄りが無かったため、無縁仏としてある寺に葬られた事。そしてその場で、長年過ごしてきた事。
誰からも優しくされる事の無い人生に未練があったとて、死んだ身では誰も優しくしてくれるはずも無いと諦めていた時、土から出てしまっていた頭に供養の酒を掛けられ、念仏を唱えてもらい、更には埋めなおしてもらい、それが大変嬉しかったと。
「なので、そのお方に恩返しをしたく。実体を得たのです」
「はぁ〜、なるほどなぁ……あん?なんかそんな場面を見た気が……??」
首を捻る源兵衛に、くすくすと笑い始める女。
そして笑いを収めた女は、そっと源兵衛に寄りかかる。
「貴方様の事ですのに、本当にとぼけたお方ですわね」
「ん?俺の事……ああ、あの骨か。って、ちょっと待て。あんな事、見かけりゃあ、誰だって――」
「そう。その当たり前の優しさが、私の欲していた物なのです。そして私が生前得られなかった物。それを寄越してくれた源兵衛さんにお礼を……」
そんなこんなで、その晩に二人は繋がり。
されこうべはそれ以来家に住み着いてしまったのだというのだそうだ。
其処まで話した源兵衛は、隣で情事の際に少し乱れてしまった髪を撫で付けている女性を指差す。
「それが、こいつだ」
「はぁ〜……それは、なんとも奇妙な」
其処まで聞いてよくよく見ると、その女房、左半身が透けている骨女(スケルトン)であった。
妖怪と夫婦になるのは、近辺にはちらほらいたとしても、この長屋では源兵衛だけなので。あまり周りに骨女を嫁にしたと吹聴して、妖怪だと驚かせるのも悪いからと、嫁が骨女である事は黙っていて欲しいと、源兵衛は安兵衛に頼み込む。
安兵衛は無二の友の頼みなのだからと素直に聞き入れ、黙っている事を約束したのだった。
「そいじゃぁ、俺からだけは、ちゃんとした祝い金をやらねえとな」
「お、おい、安っさん。そんな催促したわけじゃねぇんだから、そんなもの引っ込めてくれよ」
「おいおい。俺にお前を祝わせないつもりか。第一、出した金を引っ込めるなんて、情けない真似が出来るかよ。良いから受け取れってぇの」
いいながら安兵衛は銀一粒を握らせて、新婚の邪魔だろうからと、そそくさとその場を後に。
そうして安兵衛は道の上を歩きながら、親友に嫁が出来たことと、それを祝えたことに嬉しく思っていた。
「はー。しかし源さんに女房か……ちょぃっと透けて骨が見えているのが玉に瑕だが、しっかしいい女だったな〜。はぁ、俺もいい女の一人や二人欲しいもんだ。源さんにあやかりてぇ――あやかる、あやかるか……俺も同じ事をすれば、もしかしたら女房を手に入れられるんじゃないか!?」
まあ普通はそんなに上手くいきっこないっていうことは、直ぐにわかりそうなものなんですが。江戸っ子ってのは、直ぐに誰かの真似をしたがる生き物でして。そして話に出てくる人物は、総じて頭があまり宜しくない。
安兵衛もご多分に漏れず、源兵衛に聞いたとおりの事を実践しようと早速酒を買い、墓場まで足を運んでしまいます。
しかしながら、本当にそんなことは上手く行きっこない。
なんたって、地面から出ているされこうべなんか、直ぐに見つかりっこない。
大雨があったのは、もう二週間も前のこと。仮にその時出ていたものがあったとしても、もうすでに埋めなおされているのが関の山。
だが嫁を探す気満々の安兵衛は、そのことに気が付かない。
その上、墓地の中をあっちへうろうろ、こっちへすたすた歩きながら。
「あっちにないな〜。こっちにないな〜。こっちにゃあるかな。あっちにゃあるかな〜。」
なんて調子はずれな歌まで歌い始める始末。
これは地面から出ているされこうべを見つけるまで続けるだろうと思いきや、熱するのも早ければ、冷めるのも早いのが江戸っ子でして。
安兵衛も墓地の敷地の四半を探す前に早々に飽きてしまって、されこうべを見つけるのを諦めしまう。
「はぁ〜〜、ねぇな〜。止め止め。だが折角此処まで来たことだし、酒もあるからな。いいところでも探して飲むか〜」
ちょっと景色の良い場所を探すかと、ふらふら〜っと辺りを散策なんかして始めてしまう。
あっちにふらふら〜、こっちにふらふら〜。
ちょっと裏山を登り、遠くを見る。
「うーん。あの家が邪魔だな」
さらにちょっと裏山を登り、再度遠くを見る。
「お!いい景色だな。しかしもう少し上ってみたら、もっといい景色があるかもしれない」
なんて裏山の道を歩いていると、裏山の茂みに、罠に掛かった狐が一匹、コンコンと鳴き声を上げている。
「お、なんだなんだ。って、子狐じゃねーか。ああ、あんなに深く罠が食い込んじまって、可哀想に」
安兵衛の姿を見ると、助けを求める様に痛そうに泣いている。しかもまだまだ小さい子狐だったので、安兵衛は可哀想になって、罠を外そうと両の手を掛けると、いっぱいに力を込める。
「ちょっと待ってろ、直ぐ外してやるからな。ぎににぃー!! はぁはぁ。ぐぎゅぅうう!!」
うんうん唸りながら、安兵衛が罠と格闘していると、その騒ぎを聞きつけたのか、一人の男が茂みを掻き分けて走ってきた。
「ちょ、ちょっと兄さん。何してんだよ」
「何って、狐を助けるんだよ。というか、誰だおめぇは?」
「誰って、その罠を仕掛けた者だよ。てか、逃がそうとするな。俺の獲物だぞ!」
「獲物って……この狐、どうするんだ?」
「どうするって、捕まえた狐を如何するか決まってるだろう」
「何だ。この狐を飼うのか?飼うなら、犬の方が良いんじゃなねぇか?」
「いやいや買うんじゃなくて、売るんだよ。皮を剥いで、それを売るのさ」
その言葉を聞いて、安兵衛は視線を狐に向ける。
小さい子狐は、コンと痛そうに泣く。
「こんな子狐でもか?こんな小さいと、毛皮もちびっとしかとれんし、高値じゃ売れんだろう。なぁ、まだ小さいんだ、可哀想だから逃がしてやってくれねぇか?」
「いやいや。こんな子狐でも、毛艶は並みの狐じゃないからな。行くとこ行きゃぁ、銀一粒にはなるさ。判ったら、ささ、どいてくんな」
むりやり安兵衛を押しのけたその男が懐に手を差し込むと、胸の合わせから匕首がきらり。
その刃を見てより一層悲しそうになった狐の顔を見た安兵衛は、思わず男の手を掴んで止めてしまった。
「な、なあ。その狐、売る気なんだろう。なら、殺す前に俺に売ってくれ」
「……はぁ、分かったよ。売ってくれっていうなら売ってやるが。金あるのか?」
「酒がある。この酒と交換してくれ」
「えー、酒だけでは嫌だな。こっちだって飯食わなきゃならんしな」
「な、なら、えーーっと、ほら、小銭だが、これだけある」
「ひぃふぅみぃよぉ……まぁ、ちとたらねぇが、毛皮を剥ぐ手間を引いたと考えようか。ほら、その狐はあんたのもんだ。好きにしな」
「あ、ありがてえ。ほれ狐、罠をといてやる。次は捕まるなよ」
なんて言葉を掛けてやりながら罠を解くと、狐は礼を言う事も無く、ぴゅ〜〜っと居なくなってしまった。
それを見て男が
「馬鹿だなアンタ」
なんて言ったものの、安兵衛は一つの命を救えた事に、晴れやかな気持ちで、今日此処まで何をしたのかをすっぱりと忘れて、家路に着いたのだった。
さてその夜。なけなしの金まで使ってしまって、腹ペコのまま床に付いていた安兵衛の家の戸が、遠慮がちにトントンと鳴る。
何かが風で飛ばされて戸に当たったのだろうと、安兵衛は腹ペコの腹を抱えて眠ろうとする。するとまた、トントンと鳴った。
流石に二度連続してという事は少ないので、これが風の悪戯であるかどうかを、取り合えず確認する事にした。安兵衛は起き上がるというと、戸の衝立を外す。
「うぃしょっと。はいよ〜、どなたさんで……」
がらっと戸を開けると、其処には金色の髪を持った、仕立てのよさそうな服を着た女が、頭を下げて立っていた。
珍しい色の髪。更には浮世絵で描かれたかのような、色気が匂い立つ見事な柳腰の持ち主。
男なら一度見たら忘れないような絶世の美人。
しかし安兵衛には、その彼女にトンと覚えがない。しかも女に頭を下げられる覚えもない。
「えーっと、どこかと間違えて御出でじゃないですか?」
恐らく人間違いだろうと、その女に安兵衛が声を掛けると、女はそっと身を起こして、安兵衛を見て口を開く。
「いいえ。安兵衛さん、貴方に合いに来たのです」
「へぇ。まあ、とりあえず何ですから、上がってください。汚いところですが」
横にずれて女性を通すと、その後ろに小さな――その女性を幼くしたらこうなるというような子供が居るのを、その時にようやく安兵衛は気づく。
しかしそんな親子に覚えの無い安兵衛は、首を捻りつつ二人を家の中に入れた。
「すいません。貧乏なもので、座布団なんて気の利いたものが無くて。更には貧乏なんで、白湯しか出せないんで」
「いいえ。こちらが無理に押しかけてきたのですから」
「そう言って頂けると、救われた心持です。そんで、こんな夜分に何用です?俺に用があるとの事ですが」
「それについてですが、まずこちらを見てください」
そう言って、女性の傍らでちょこんと座っていた子供が、畳の上を滑らすように何かを差し出す。
それは見慣れた徳利と、小銭が数枚。
今日、あの男に狐の代金として差し出したもの。
なんでそれが此処にあるのだろうと、安兵衛は首を捻ってしまう。
「本当に申し訳御座いません」
「いやいや。行き成り謝られても困ります。こっちは何のことだか、さっぱり判らねえんですが」
「……ではお話しますが。あの罠の件は、貴方様を化かした悪戯だったのです。罠も男も、この子の幻術だったのです」
「はぁ……」
そう唐突に言われても、どう反応を返したらいいのか判らない様子の安兵衛は、生返事を返すだけしか出来ない。
安兵衛が判っていないと判断した女は、懇切丁寧にどう安兵衛をその子供が騙したかを説明してくれたのだが、あまり頭の宜しくない安兵衛は、むしろその説明に狐に摘まれたような気持ちになってしまっていた。
「本当に申し訳ございません。何度謝っても許される事ではないと思ってはおりますが。どうかこの子の事を許していただけませんでしょうか?」
「はぁ……あ、いや、許すも何も。こっちは別に、怒ってなんかいませんよ。あれは俺が勝手にした事ですんで。むしろ狐が罠に掛かっていないって事が判って、安心しましたよ。なにせ、治療する暇も無く飛び出して行ってしまったんで、今頃苦しんでいないかとちょいっと心配してたもんで」
「そう言って頂けると、私どもも救われます。しかしご迷惑をおかけしたのは事実ですので、なにかお詫びを……」
「いやいや、詫びなんていらねーよ。出てった物を寄越せって言うほど、俺は人間出来ちゃいないんでね。酒も金も、あんたらが持ってって良いさ」
「いやしかし、食べ物にもお困りだとお見受けしますが?」
「空腹なんぞ、友人に集れば良いだけだ。それも後で銭が入ったときに、何か奢りゃあチャラになる程度の問題さ」
「でしたら、私どもが食事をご用意したとしても――」
「あー……見ず知らずの女性に、飯を集るのは江戸っ子としちゃやりたくはないってことぐらい、察してくんな」
恥ずかしそうに頭をかいたまま、なんてことは無いと言った感じで安兵衛が言い放つと、感動したかのように向かい合っていた女性の手が伸び、がしっと安兵衛の手を両手で握った。
安兵衛は女性に手を握られた経験など、子供の時分にしかなかったので、もう顔が真っ赤っ赤。しかし手を振り払えるかと言えば、目の前の美女の手を、そんな乱暴に扱う事など出来るはずも無く、ただ成すがままに手を取られたままになってしまう。
「安兵衛さん。私は貴方の様に、気持ちが澄んだ人を見たことがありません」
「は、はい!?ええっと、どうもありがとう御座います」
「あんな悪戯をされても許せるほど、心の器も大きいですし。それにとても、男らしい良い匂いが……」
「え、ええ!?」
そんな事を言いながら、美女は安兵衛の手をそっと引きつつ体を寄せ、彼の首筋に鼻を付けて匂いを嗅ごうとした途端、後ろに控えていた少女が立ち上がり、やおら彼女を横へとどんっと突き飛ばしてしまった。
畳の上へと押し倒された美女を見て、安兵衛は一体何事だと呆気に取られて、思わず呆然。
しかしそんな安兵衛の胡坐の上に、少女はすとんと座り込むと、甘える様に安兵衛の胸板へ後頭部を擦り付け始める。
どうしたものかと、助けを求めるように安兵衛は視線を美女へと向けると、彼女は顔を笑みの形にしながらも、その瞳は安兵衛の膝上に座っている少女へと向けられていた。
「行き成り何するの?」
問う彼女に対して、ぷぃっと横を向く少女。
「謝りたいから一緒についてきてって、あなたが言ったから、此処まで足を運んだというのに、どういうつもり?」
「それは感謝してるけど。でも、言い寄って良いって言ってないもん」
「私が誰に何をするのか、あなたに許可がいるのかしら?」
「じゃあ、あたしが誰の膝の上に座ろうとしても、良いよね?」
行き成りの一触即発の空気に、安兵衛はもう冷や汗だらだら。
そして言い争う二人とも相手へと掴みかかろうとする寸前、二人の頭からは三角の耳が一揃え生え、さらには美女の尻からは毛筆の様な金色の尻尾が三本、少女の方には同じような尻尾が一本出てきた。
その耳と尻尾の形を見た安兵衛は思わず、
「き、狐??」
と声を上げてしまう。それを聞いた二人は、はっと我に返る。
自分の耳と尻尾が出ている事を、手で触れて確認すると、もう隠す必要はないとばかりに、安兵衛に自分の正体を告げた。
「そうです。私たちは、あの裏山に分社を持つ稲荷。私の名は、緒田原(おたはら)」
「睦白(むしろ)だよ」
「ああ。俺ゃ安兵衛という」
二人の自己紹介に、思わずといった感じで安兵衛も自己紹介を返してしまう。
それを見て聞いて、睨み合っていた二人の稲荷狐は、思わずといった感じで噴出してしまいます。
「ふふふっ。安兵衛さんの名前は、あたしたち知ってるよ」
「あ、そうだった」
「くすくす。ほんと安兵衛さんは」
すっかり毒気を抜かれてしまった緒田原と睦白は、視線でお互いの意見を交換すると、緒田原は安兵衛の背中に回り、睦白と共に彼を挟み込むようにして体重を掛ける。
安兵衛の背中には緒田原の柔らかな乳房の感触が布越しに感じられ、前面からは睦白の子供特有の暖かな高めの体温がじわりと染みてくる。
「ねぇ、安兵衛さん。どちらがお好みですか?」
「こ、好みって!?」
「もぅ……どっちを安兵衛さんの妻にしたいかって事だよ?」
なにがどうなって、どうしてどちらを娶るかという話になっているのかと、混乱する安兵衛。
だが、思わず頭に浮かんだ疑問が口に出てしまう。
「え、でも。緒田原さんは、睦白の母親じゃ……?」
その言葉を聞いて、睦白は途端に面白そうに腹を抱え、緒田原はがくっと力を抜いて、安兵衛にさらに体重を預けてしまう。
「あははっ。あたしのお母さんだって」
「私、そんなに老けて見えますか?」
「え、なにか違ったか?」
「睦白は私の妹です。親子じゃありません」
「まぁ、年がかなり離れているから。そう見えても仕方ないと、わたしは思うけどね」
「親子ほどに離れてないわよ」
「そ、そうだったんで。これは大変失礼を……」
女性に年齢の話題は禁句だという事だけは判る安兵衛は、とりあえずの謝罪の言葉を口に乗せた。
他意は無かったと判ったからか、緒田原は溜息を吐き出して気持ちを入れ直し、抜けていた体の力を入れつつ、安兵衛の耳元に口を寄せると、そっと呟くような声。
「ふぅ……そんなことはどうでも良いのです。それで?」
「それで、とは?」
睦白も負けじと体を付け。
「だからどっちが良いの?」
「いや、どちらと言われても!?」
「単純な事ですよ。乳臭い小娘よりも、熟した体つきの方が良いか」
「ババ臭い女よりも、若く瑞々しい若い子が良いか。というだけの話でしょ?」
お互いにお互いを貶す様な文言が入っていたからか、安兵衛を間に挟んでギッと睨み合う緒田原と睦白。
だが当の安兵衛は困っていた。
なにせ、女性と関わった事など成人してからは数えるほどしかなく、こういった二人から懸想される事など、彼の想像の範疇外。
さて困ったと頭を捻る安兵衛だったが、とりあえず二人の言葉通りに、どちらが自分の好みか考えることにした。
緒田原は安兵衛が母親かと見間違えたほどに、母性的な見た目と雰囲気を纏っており。さらには体つきは男好きする程の熟れたもの。服の襟からは白い首筋が、裾からは白い足が伸び、それを視線に入れるだけでも、独身には目に毒。
それこそ彼女を両の腕で抱きしめる事が出来れば、大半の男どもはもう思い残す事が無いといった感じの、理想的な見た目の女性であろう。
一方の睦白はというと、確かに発達途上の若い体だが、それが逆に溌剌とした生の匂いを身に纏う結果となり。伸びた手足からも、匂い立つような生気に満ち満ちている。
それは青いと判っていても、思わず手にとって食べてしまいたくなるような、美味しそうな若い果実に似て、手が伸びそうになってしまう。
甲乙つけがたいとは、まさにこの事。
ならば他の点で差が出ないかと、毛並みを見てみたものの、両者共に艶のある金の糸で、思わず手にとって撫でたくなってしまう妖力を共に持っているから性質が悪い。
「――となると、差が無い。これは困ったな……」
いつの間に心の声を口に出していたのか、自分の声が自分の耳朶を震わせている事に気が付いた安兵衛は、はっとして視線を二人へと向ける。
何時から口に言葉が乗っていたのかは判らないが、そんな評し方をされたと判れば、気分を害しているだろう。という安兵衛の考えは、二人の頬に朱が刺している事から杞憂であった。
しかし他に心配するべき事があるわけで。
「もぅ、安兵衛さんたら。そんなに私を思ってくれるなんて。でしたら体を抱きしめるだけじゃなくて、確りと味わって下さっていいのですよ」
「ねぇ、安兵衛さん。あたしをそんなに求めてくれる安兵衛さんになら、もがれてがぶっと噛まれても良いよ」
その言葉で殆どの心の声が漏れ出ていた事を察した安兵衛は、恥ずかしさを感じると共に、自分の身の危険を感じた。
なにせ二人の手足が前後から安兵衛に絡みつき、更には尻尾まで回して、もう安兵衛を逃がさないようにしているのだから、身の危険を感じるなというのが無理な話。
「ちょっ、お二人さん!?」
二人に畳の上に優しく押し倒された安兵衛は、思わず声を上げたものの、二人は安兵衛の体を片手で押し付けつつ、もう片方で自分の襟元を肌蹴ていく。
息の合ったその仕草に、思わず安兵衛は流石に姉妹なだけはあるなと、状況に合っていない感想を心の中で漏らす。
「江戸っ子なら、据え膳食わねば恥ですわよ?」
「江戸っ子じゃなくても、此処まですれば男なら食べるよね?」
首筋から肩辺りまでの服を肌蹴て、自分の白い肌を誇示するかのように安兵衛に見せつけながら、二人の顔が安兵衛の顔へと近づいていく。
「どちらか一方を、俺が選ぶんじゃなかったのか!?」
「そんな小さな事は、もう気にしないものですよ?」
「そうそう。ちゃんと二人とも愛してくれれば良いからさ」
「だから私たちを……」
「だからあたしたちを――」
「「お嫁さんにして下さいね♪」」
二人は共に安兵衛の衣服を丁寧に剥ぎ、共に肉棒に手を巻きつけた。
――チュンチュン
そこから嬌声が響き渡る時間が一両日過ぎて、さらに次の朝。
朝も早くから、緒田原と睦白の二人が何処かへと慌てた様子で出かけていった。
それを近くの長屋に住んでいた源兵衛が気づいた。
横に寝ている骨女の頭を二度ほど撫でてから布団を抜け出た源兵衛は、一体何事かを探るためと、安兵衛を冷やかすために草鞋を突っ掛けて、安兵衛の家へと向かった。
「よう安っさん。どうやらアンタも嫁を貰ったようじゃないか」
すぱんと戸を開け放ったところ、安兵衛は頭に濡れ手拭いを載せて布団に入っているのが目に入った。
「何だ如何したよ。風邪を引くには、まだ気候は暖かだろう?」
「げほげほ。交わり疲れて、汗まみれで寝ちまったら、この有様だ」
「おいおい。妖怪を相手にすんなら、体は大事にしとけよ。ああいう手合いは、日を一つ置くだけで、交わりが我慢出来なくなるんだからな」
「判ってる。しかし二人同時相手では、流石に体を気遣う余裕は……」
「おうおう、嬉しい悲鳴上げてからに。そいで、オマエさんの愛しい狐どもは何処へ行ったんだ?」
「なにか、薬草を取りにあの墓地の裏山へ行った。風邪に効くのがあるのだと。それよりも強壮の方が正直欲しい――コンコン」
「あはは。そんなもん直ぐいらなくなるさ。なにせ狐の旦那らしい、立派な狐の鳴き声を出しているんだからな」
では、お後が宜しい様で。
12/11/03 19:56更新 / 中文字