連載小説
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地下墓地の生活


 地下墓地でいざこざがあった当日は、投棄された物資の搬入や伴侶を得たマミー達の合同結婚式などでばたばたと過ぎてしまい、モノーグもそれに借り出されていたために、あまり捕虜としての実感はわかなかった。
 しかし今日からは、本格的にモノーグの捕虜としての生活が始まる。
 前日はとりあえずという事で、アヌビスの双子姉妹の部屋に間借りさせてもらって眠っていたモノーグは、ぱちりと眼を覚まし部屋の中に件の二人が居ない事を知ると、体を起こして軽く解した後で部屋から出た。
 すると出入り口近くの机に、隣り合って座っている双子のアヌビスが目に入った。
「おはようございます。アテュームさん、ミキュームさん」
「「おはよう。モノーグ」」
 モノーグにアテュームとミキュームは異口同音に挨拶を返し、机の上にある紙に向い直すと、二人してそこに何かを書き込んでいる様子だった。
「何をなさっているんですか?」
「ん?これか?」
「モノーグの今日の予定表だ」
 二人に近づいて、後ろからモノーグがその予定表を覗いてみると、モノーグの起床時間に始まり、昼食まで何がしかの作業が続き、そして昼食が終わるとそこからはまた何がしかの作業という具合に組まれた予定が、既に夕食時まで書かれていた。
 騎士という職業柄、予定表を組まれることには慣れていたモノーグでも、魔物の予定表という未知のモノに少し気後れしてしまう。
「捕虜という立場でこんな事を言うのは申し訳ないのですが、手加減してくださいね?」
 頭の直ぐ後ろでそうモノーグに声を掛けられた二人は、気が付いていなかったのか、モノーグの方を勢い良く振り返ると数瞬の間固まってしまった。
「「……そのぅ、申し訳ないが、あまり近づかないでいてくれると助かる」」
 ミキュームもアテュームも俯き気味にモノーグにそう言うと、予定表に再度向き直ってしまった。
 二人の頬が少し赤い気もしなくは無いが、褐色の肌という事もあってモノーグには判断が付かなかった。
 二人の要望通りに少しはなれた位置で、二人が予定表を書き終えるまで待とうとするモノーグだが、何もやることが無い。
 普段ならば空いた時間は素振りをするなど鍛錬に当てるのだが、剣は折れたので捨ててしまったし、そもそも捕虜の身であるためにそんな事は出来そうも無い。
 さて壁に書かれている抽象文字でも眺めていようかと、モノーグが考えあぐねていると、どうやらそのモノーグの態度に気が付いたのか、二人は予定表の最後の部分をささっと書き終えると二人同じ動作で立ち上がり、アテュームは右手でミキュームは左手で紙を掴むと、隣り合わせになったままモノーグの前に立ち、その紙を手渡した。
「これが今日の貴君の予定だ」
「出来る限り守ってもらう」
「……善処します」
 やはり守らなければならないのかと、モノーグは心の中で溜息を付いてしまう。
「貴君はもう少し寝ていると予想していたので予定が少々狂ったが、まあそれはおいおい修正するとして、まずは朝食だな」
「モノーグはここに座るといい」
 そういうとアテュームは台所のあるらしい場所へ向かって歩き出し、ミキュームは二人が座っていた場所とは対面になる場所の椅子を指し示して、モノーグがそこへ座るようにと指示した。
「良いんですか、捕虜が一緒の食卓に並んでも?」
 人間の常識では考えられない措置に、モノーグはミキュームのその指示に従うべきかどうか悩んでしまう。
「無論良いに決まっているだろう。そもそも此処は墓地だ、牢屋や捕虜用の食堂などは無い」
「では他に捕まった人はどうしているんですか?」
「マミーが餌(夫)として丁重に持て成しているだろうな」
 ミキュームの語気が段々と荒くなってきたのを感じたモノーグは、大人しく指し示された椅子に座ることにする。
 モノーグが大人しく席に付いた事を見て、ミキュームもその対面に当たる場所に満足げに座った。
 どうやらアヌビスは相手が自分の思い通りにならないと機嫌が悪くなり、素直に従うと機嫌が良くなるらしい。
 気難しいのも美女の魅力とは言うものの、あまり女性の扱いが上手ではないモノーグにとっては心配事にしか過ぎない。
 今のうちから悩んでも仕方が無いと思ったのか、モノーグは手元にある予定表を頭の中に入れ始め、それから程なくして彼の鼻に穀物の焼けるいい匂いが触れた。
「いい匂いですね。何時もアテュームさんが料理を担当なさっているんですか?」
「むっ、ワタクシとて料理は作れるぞ。今日はたまたまアテュームの当番というだけだ」
 腕を胸前で組んで憮然とした表情になるミキューム。どうやらモノーグの不用意な発言で、ミキュームのへそを曲げさせてしまったらしい。
 どうやって機嫌を直してもらおうかと思案していたモノーグだったが、その思考が答えに結実する前に、アテュームが手にいい匂いのする焼けた平たく固そうなパンが幾つか入ったバスケットと、それを浸して食べるためのスープの入った手鍋を運びながら戻ってきた。
「出来たぞ。さあ食べよう」
「有難うございます」
「……プィ」
 苦笑いしつつ礼を言うモノーグと、不機嫌そうなミキュームの様子をみたアテュームは、溜息を吐きながらモノーグへと向き直る。
「貴君は戦闘も知恵も良いようだが、あまり女の扱いというものは得意ではないようだな」
「幼いころから剣一筋でしたし、師匠からは守護騎士を目指すならあまり女とかかわるなと教えられてきましたので、正直不得手です」
「それでは女性と契ったことはないのか?」
「性行為の経験は一度たりともありませんよ」
 王を守る守護騎士に謀略として女を宛がって傀儡とするのは常套手段であり、それに不用意に家族を持つとそれが弱点となりえるため、守護騎士は見習いの頃から身分の確りした人と婚姻を結ぶまでは、女性を知らない体である事が多い。
 昔は女を知り尽くして耐性を作るという事もやられていたようだが、所詮いくら経験を積もうと男性は女性には敵わないようで、その当時の守護騎士は反国王派の傀儡に成り下がってしまっていたらしい。
 それはさておき、モノーグが童貞であると知ったからなのか、アテュームのモノーグを見つめる目に獣性が少し宿っているように見えた。
「ふふっ、それは重畳……」
「何か言いましたか?」
「なんでもない。さあ食べるぞ。食事は確り噛んで、味わって食べろ」
 疑問符を浮かべながらも、モノーグは守護騎士が敬う戦神に祈りをささげた後、アテュームの指示通りに確り噛んで味わいながら、ゆっくり時間をかけて食べ進めていった。




 朝食が終われば労働の時間である。
「まずはアテュームさんのお手伝いで良いんですよね?」
 モノーグの予定表に書かれているのは、アテュームの手伝いを昼食直前までと書かれてあり、その途中途中に五分ほどの休憩が挟みこまれていた。
「その通り。マミーの包帯を巻きなおすのを手伝ってもらう」
 アテュームは手に天秤付きの錫杖を持ってモノーグを先導しつつ、マミーのいる区画へと足を運んでいく。
「マミーの包帯をですか?……昨日の大多数のマミーがすでにゆるゆるだったと思いますが、それを全部ですか?」
「長い間眠りについていた者も起こしたからな、彼女らの包帯は寝崩れてしまっていたのだ。それに、新しく餌(夫)を得たマミー達は……あー、そのぅ……夜の営みをしたであろうからな、餌に巻きなおし方を教えるという意味でも、確りと巻きなおさないといけない」
 やはり魔物であるアヌビスといえども女性だからなのか、直接的な言葉遣いを避けてはいたが、アテュームがとある部分を口に出す時には、ほんのり顔を赤らめていた。
 そんな彼女の意外な可愛らしい一面を見たモノーグは、ほんわかと暖かい気持ちを胸の奥に感じた。
「何だ、何か可笑しい事でも言ったか?」
 その気持ちが表情に出たモノーグの顔の形が笑みに似ていたために、アテュームはモノーグに馬鹿にされたと誤解した様だった。
「いえいえ、なんか可愛らしいなと思っただけですよ」
 嘘偽りのない素直な気持ちをモノーグは告げたのだが、彼の言葉を受けたアテュームはより顔を赤く染めるとモノーグから顔を外し、さらには早足になって彼を置いていくかのようにそのままズンズンと先に進んでいってしまった。
 また拙い事でも言ったかなと頭を指で一掻きしたモノーグは、アテュームに置いて行かれないよう小走りで後ろについて行った。



 モノーグは午前中の作業を終えると、既にヘトヘトだった。
 そもそもマミーは包帯以外は身に着けているものがなく、巻き直そうとすれば全裸にさせないといけないということを、とんと失念していたモノーグにも責任はあるのだが、全裸の女性を相手にするという気疲れと、巻き直しの指導をしている時に感じたマミーの夫からの圧迫感、そしてモノーグの包帯を巻く手つきに欲情して襲い掛かってきた未婚のマミーをいなしたりと、マミーの包帯の巻き直しは守護騎士の地獄の鍛錬を乗り越えたモノーグにとっても、精神的にも肉体的にも結構な重労働だったのだ。
「こら、だらしなく机に突っ伏すな。背をシャンと伸ばせ!」
 グデェと疲労感で体を机に預けていたモノーグは、アテュームのその一喝に騎士の悲しい条件反射で背筋を伸ばして椅子に座り直してしまう。
「毎日こんな事をするんでしたら、俺はやつれで一週間の内に体重が半分になる自身がありますよ……」
「そんなことするわけなかろう。大体、毎日こんな仕事をしていたら、この墓所の警備もままならんではないか」
 あっけらかんとそう言い放ったアテュームに、モノーグは怪訝な目をむける。
「ではなぜこんな事をさせたのですか?」
「眠りに付かせるマミーは確りと包帯を巻いておかねば、だんだんと体から魔力が失われ、魔力が少なくなった者はやがて誰かの精を摂取するまでこの墓地の中を徘徊するようになるのだ。そうなった場合、貴君がそのマミーに精を提供してくれるのか?」
「ご遠慮申し上げます」
「そうだろう……わたくしもそれは困るしな」
 アテュームの後半の言葉は小さく聞き取れなかったが、モノーグは一言二言聞こえなくても問題は無いと判断したのか、気にしていない様子だった。
「ごほん。でだ、マミーの包帯を巻き直してみてどうだ?」
「どうって、疲れましたけど?」
 何を言っているのか判らないといった様子で、首を傾げて見せたモノーグ。
 そんなモノーグをどこかそわそわとした様子で、尻尾を左右にゆらゆら揺らしながら、アテュームは様子を見ていた。
「ふむふむ、それでそれで?」
「後は……衛生兵のようにあんなに包帯を巻くのを繰り返すのは、普段では味わえない貴重な体験でしたね」
「そ、それだけか?」
「?? それだけですが?」
「そ、そうなのか……それだけなのか……」
 モノーグの感想にどこか気落ちした様子の、尻尾を力なく垂れ下げたアテューム。
 だがいまだに視線がチラチラと、モノーグの目立った変化の無い下半身に向けられているのは、モノーグの気のせいだろうか。
「どうかしましたか?」
「い、いや、なんでもない」
 視線を不自然なまでの力強さでモノーグから外したアテュームは、昼食を作るために調理場へと向かって行った。
「どうしたのでしょう?」
「何がどうしたなのだ?」
「あ、お帰りなさいミキュームさん」
「ただいまモノーグ」
 モノーグに素直に返事を返したミキューム。
 どうやらもう朝の出来事の機嫌は直ったようだ。
「いや、アテュームさんの様子がおかしいので」
「ふむ。アテュームは君に何をさせたのだ?」
 モノーグは朝の作業を包み隠さずにミキュームに教え、ついでに感想も付け加え、その後にアテュームの様子が変になったことを話した。
 マミーの包帯を巻きなおす作業のあたりで、一瞬苦々しそうな表情になったミキュームだったが、その後のモノーグの話を聞くと逆に気分を良くした様な表情に変わり、尻尾を左右に大きく降り始めた。
「なるほどな。アテュームがなぜ変になったのかは判ったが、それは君が気にしなくてもいいことだから気にするな」
「はぁ、そうなんですか……」
 気にするなといわれれば気になるものなのだが、モノーグは知らないほうがよい事なのだろうと納得して、無理矢理聞き出そうとは思わなかった。
 程なくしてアテュームが調理場から出てきて、穀物の粉から作られた平べったい無発酵のパンと、それに付ける肉と野菜を細かく切って香辛料で煮込んだ料理を持ってきた。
 朝食と同じように戦神に祈りを捧げてから食べ始めたモノーグだったが、今度は二人してチラチラとモノーグの下半身に視線を落としながら食事をしていた事が気になったようだった。





 昼食をとり終わり少し食後の休憩を挟んだ後に、モノーグは剣を腰に携えたミキュームと一緒に石の廊下の上を歩いていた。
「今度はミキュームさんのお手伝いをすればいいのですよね」
「そうだ。昨日君が発動した罠の作動確認と、必要ならば修繕もしてもらう」
「そんなに酷い状態なんですか?」
「アテュームが力任せに突破したのが数箇所あるのでね。まあ大部分の修繕は午前中に終わらせたので、君が修繕する箇所は少ないと思う」
 そのミキュームの言葉は真実だったようで、作動確認をするだけで終わる罠が多く、修繕するのも少しだけ手直しする程度で終わるほどだった。
「いまさらですが、罠のある場所を俺に教えても良かったんですか?」
「アテュームから聞いたぞ、君は罠を見破る目を持っているのだろう。ならば君に罠の位置と種類を教える事などに、何も問題は無い」
「そういうものですか……っと、これで終わりですよね?」
「そうだな、これで罠の作動確認も修繕も終わりだな」
 しかしモノーグの予定表には、この作業に倍近い拘束時間が設けられている。
 アヌビスが念入りに立てた予定にしては、いささか杜撰すぎた。
「これで午後の作業は終わりなのですか?」
「作業は終わりだが、案内した居場所がある。付いて来てくれ」
 そのままミキュームはモノーグを従えると、スタスタと迷いの無い様子で戻っていく。
 モノーグも折角確認した罠を作動させないように、ミキュームの足が着いた場所を歩きながら追っていく。
 やがてモノーグが昨日飛ばされた大広間を抜け、アヌビスの双子の部屋を通り過ぎ、いまだモノーグ入ったことの無い区画へと進んでいく。
 そしてモノーグの背丈の倍以上の大きさのある石扉の前で、ミキュームは足を止めた。
「ここだ」
「宝物庫ですか?」
「その通りだ」
 ミキュームの手が扉に描かれている紋章に触れると、ゴゴゴと鈍い音をたてながら重々しく石の扉が開かれていく。すると扉の隙間から中にある財宝の照り返しの光が漏れ出し、薄暗い墓地の光になれたモノーグの目を焼く。
 手でその光を遮ってどうにか目を慣らそうと努力するモノーグだが、扉が開かれていくうちにどんどんとその光は強くなり、扉が全開になると目を開けているのもつらいほどの眩しさになった。
 しばしの時間を置き、しばしばと瞬きしながらも、どうにかこうにか目を照り返しに慣らすことに成功したモノーグは、この墓所に設えられた宝物の全貌を見ることが出来る様になった。
「これは……」
「ふふっ、どうだ、言葉も出ないだろう」
 そこにあるのは、まさしく宝の山。それも御伽噺に出てくるような種類のものだった。
 黄金の硬貨で覆われた床の上には、金とトパーズで作られた王冠に、数々の宝石をタイル状に張られた黄金の仮面。見たことも無いほどの巨大なルビーが目に填められた黄金に輝く人の立像に、その横にはサファイアを削りだして作られた一抱えもありそうな鳥の彫像。
 無造作に宝箱に放り込まれているのは多数の大小様々な宝石と、それを刺し貫いている武器の数々。
 その他にも描写に困るほどの大量の一級品の数々が納められており、それらがすべて天井から下げられた魔法の光によって、太陽の煌きの様な神々しい光を放っていた。
 もしもこの場の全てを手に入れられたのならば、小さな国など住人ごと比喩や冗談ではなく買える事だろう。
「すごいですね……でも、何でこれを俺に見せるんですか?」
 確かに宝の山を『凄い物』と感じたモノーグだったが、それは美術館や博物館に収められている品々を見たときに抱くような気持ちであり、その感情は守護騎士になるべく鍛錬してきた彼の価値観では、常人が抱くようなこれらの宝を手に入れたい持ち帰りたいという欲望には直結しないものだった。
「根っからの騎士だな君は……」
 そんなモノーグの宝への関心の無さに、少し拍子抜けしたようであり少しホッとした様子のミキューム。
「まあ君の感想などどうでもいいか。君をここに連れてきたのは、ワタクシが壊してしまった剣の代わりを与えるためだ。どれでも好きな武器を選ぶといい」
「どれでもですか?」
 とりあえず宝物庫の中に入り、一通り武器の感触を確かめていたモノーグだったが、最終的に手に取ったのは、何の変哲も無いただの鋼で出来た両手剣だった。
「くれると言うのならば、この剣ぐらいですね欲しいのは」
「ワタクシのと同じ、こっちの剣は欲しくは無いか?もう一度試してみてくれ」
 何かを期待するように、モノーグへ剣を差し出してくるミキューム。
 たしかにその剣はアヌビスが使うような金色の剣――ミキュームが昨日語ったところの、黄金とオリハルコンを混ぜて作った合金製の物なのだろう。
 一応はミキュームの手前、手にとって何度か振るったモノーグだったが、手に馴染まないのだろうか直ぐにミキュームに返してしまった。
「やはり人間の俺にしてみれば少し重いですね、こちらの剣の方がしっくりきます」
「そうか、気に入らないか……」 
 モノーグの感想に肩を落とし尻尾を垂れ下げたミキュームは、それを宝物庫の中に乱暴な手つきで投げ入れてしまった。
「良いんですか、そんなに乱暴に扱って?」
「良いのだ。この宝物庫はワタクシ達が自由に使っていい方のだからな。王の服飾品は別にある」
 そのミキュームの一言に、モノーグはここに埋葬された王は、いったいどれ程の権力者だったのかと思わず考え込んでしまう。
「ほら、もう閉めるぞ」
「あ、はい、判りました」
 思考に沈みかけたモノーグだったが、そのミキュームの一言で我に返り、慌てて鋼の剣を手に持って外へ出ると、開いたときと同じ様な音を立てて宝物庫の扉が閉まり始める。やがて重々しい音と何かが固定される音が発せられると、宝物庫の扉は蟻の這い出る隙間の無いほどにピッタリと閉じてしまった。
「それでは戻るぞ、モノーグ」
「えっ?まだ拘束時間は残っているようですけど?」
「自由時間にしておく。好きにしろ」
 モノーグの手から予定表を奪い取ると、午後の予定に自由時間と書き加えてモノーグへ返したミキュームは、そのままどこかへとスタスタと歩いていってしまった。
 唐突に生まれた自由時間に、モノーグは頭を数回手で掻きながら困惑したが、とりあえず新しく手に入れた剣の具合を確かめるために、大広間で鍛錬でもするかと予定を立てた。




 じっくりと新しい剣の感触を確かめながら剣を振るい続け、以前の剣と変わらないほどに使いこなせるようになり満足したモノーグは、少し予定表より早くに双子のアヌビスが待っているであろう部屋へと戻っていった。
「ただいま戻りました」
 声を掛けながら部屋に入ったモノーグだったが、目に見える範囲で二人はいなかった。
 どこにいるのかと疑問に思ったモノーグだが、調理場の方から二人の声が聞こえてくる。どうやら夕食の準備をしているようだった。
 あの獣の手でどんな風に調理しているのか興味を持ったモノーグは、二人の邪魔をしないようにこっそりと調理場を覗き込む。すると二人そろってエプロンを付け、あの肉球の手で器用に包丁を挟み、野菜を切っているところだった。
「今日はわたくしの当番のはずだが?」
「ワタクシもモノーグに手料理を振舞いたいのだ」
「ということはミキュームも」
「ああ、アテュームと同じく失敗した」
 その言葉を盗み聞いたモノーグは、今日の出来事を思い返してみるものの、あの二人が何かを失敗していた様子は無かった。
 それでも何かを失敗したということは、与り知らない所での出来事なのだろうと、モノーグは勝手に納得する。
「あとはこれを入れれば、流石のモノーグでも……」
「ほ、本当にやるのか?やっぱりこういうのは」
 怪しげな小瓶に入った液体を入れようとするアテュームを、踏ん切りの付かない様子のミキュームが押しとどめた。
 なにか良からぬ企みをしていることに気が付いたモノーグは、足音を立てないように静々と二人の背後に忍び寄る。
「回りくどい方法はやめようと言い出したのは、ミキュームの方ではないか」
「だからと言って、こういう方法はいささか卑怯な気が……」
「卑怯でも何でも、わたくしはモノーグが、」
「俺がどうかしましたか?」
「「わひゃあ!」」
 アテュームの手から離れた蓋の開いた小瓶が、ぽちゃっと煮込まれた鍋の中に入り、その中身が鍋の中へと流出する。
 慌てたアテュームが鍋へ手を突っ込んで小瓶を回収すると、モノーグに見えないようにするためか、後ろ手に隠してしまう。
「い、いきなり声をかけるな。び、吃驚するではないか」
「そ、そうだぞ。大体、わ、ワタクシ達は夕食の用意をだな」
「そうなんですか。それは済みません、お邪魔しちゃって。それにしても良い匂いですね」
 二人の言葉を聴いていない風を装ったモノーグは、そのまま鍋の中身をかき回して匂いを嗅ぐ。
 香辛料と肉が程よく煮込まれて発せられるこの匂いは、とてもとても美味しそうだ。それこそこの中にあの瓶の中身が入っていることを知らなければ、直接口に入れたとしても気が付かないぐらいに。
「味見したんですかこれ?」
 木匙を取り出して煮込み料理を少量掬い取ったモノーグは、それを二人に見えるように捧げ持つ。
 微笑を浮かべるその顔はいつもと変わらないはずなのに、嗜虐的な笑みに見えるのはアヌビスの二人に後ろ暗いところがあるからなのか。
「い、いやまだだが?」
「それでは味見はしないといけませんね。じゃあまずはアテュームさんから」
 あーんとモノーグに言われて、思わず『あーん』と口をあけそうになったアテュームだが、自分が鍋の中に何を入れたのか思い出し、ぎゅっと口を噤んだ。
「食べないんですか?じゃあミキュームさん、あーん」
 しかしミキュームはモノーグの言葉に釣られる事もなく、口を開けようとはしなかった。
「どうしたんですが二人とも、何かこの料理にまずい物でも入っているんですか?」 
「「いや、そんなことは無いぞ!!」」
「じゃあ食べられますよね」
 にっこりと告げるモノーグに、冷や汗を浮かべるアヌビスの双子。
 さあさあとばかりに突き出されるモノーグの木匙と、モノーグのにこやかな表情を二・三度見比べると、進退の窮まった二人の目に涙が浮かび始めた。
 そんな二人の様子に、これ以上の意地悪はしなくてもいいかとモノーグは判断すると、木匙を鍋の中へと入れてしまった。
「それで、これに何を入れたんですか?」
「「えっと、それは……」」
「回答を拒否するのなら、今度は無理矢理にでも食べさせますよ?」
「「……媚薬を入れた」」
 にっこりと笑いつつも言葉の中に若干の怒りが含まれていることを理解した双子は、しゅんとしながら本当の事をモノーグに告げた。
 そんな二人の言葉と様子に、毒薬かそれに順ずる何かだと思っていたモノーグは肩透かしを食らい、肩を落としてしまった。
「え、どうして媚薬なんかを俺に飲まそうと??」
「だって、その……」
「モノーグが……」
 言葉にならない言葉を口の中でもごもごとこねながら、体をもじもじさせている二人。
 それは二人と出会ってから今まで感じていた、管理者という凛としたアヌビスの姿とは違い、何かに思い悩む普通の少女の様な姿だったため、モノーグは思わず困惑してしまう。
「何か俺がお二人に悪戯されるようなことしましたか?」
「「そうじゃなくて!」」
 モノーグの何も判っていないようなそんな様子に、思わず大きな声でモノーグに詰め寄ってしまった二人。
 こうなればもう何を恐れる必要があるかという感じに、二人は何かを決断すると、モノーグに向き直った。
「「モノーグ」」
「は、はい――!」
 いつに無く二人の真剣な様子に、モノーグは直立不動の体勢で二人の続く言葉を待った。
「貴君と初めて出会ったときから、わたくしは何事にも動じないモノーグの姿に……」
「君とはじめて出会い、ワタクシはワタクシを打ち負かしたモノーグの力強さに……」
 二人とも真剣な面持ちは崩さずに交互に喋り始めたことを見て、モノーグは何か大変なことになったということだけは辛うじて理解できた。
「貴君に惚れた!わたくし達の夫になってくれ!!」
「君に惚れた!ワタクシ達との番になってくれ!!」
 最後のこの一言は、二人の表現方法は違えど間違いなく、モノーグへの求婚だった。
 人生初めてのプロポーズ、しかも二人の女性から同時に求婚されるなど、騎士道一筋だったモノーグにとっては想像した事も仲間内から聞いたことも無い出来事だった。
「えッ?それってつまり……」
「「だめ、なのか?」」
「いえ、あの、その……」
 どう答えたらいいのか判断の付かないモノーグは、あたふたとするばかりで、頭の中にあるはずの答えが見つけられずにいた。
「ちょ、ちょっと待ってください。いま状況を整理しますから」
 片手で二人を制止して、モノーグは深呼吸をして混乱した頭を静めると、二人と出会ってから今日までの出来事を全て整理し始めた。
 馬鹿貴族とこの地下墓地へと入り、そしてアテュームの質疑応答とマミーの群れを切り抜け、馬鹿貴族を逃がすためにミキュームと剣を交えた後、二人の捕虜になる。
 そして次の日――つまりは今日、二人の手伝いをして、二人がよからぬ事を考えてそうで問い詰めたら、唐突に二人から求婚された。
 モノーグにとって急転直下も良い所のわけのわからない状況だったが、とりあえず二人が冗談で求婚している訳ではないことは、二人の必死な様子を見ればモノーグでも判る。
 とりあえずモノーグは疑問に思ったことを、アテュームとミキュームに尋ねる事にした。
「えーっと、俺はお二方の捕虜ではなかったのですか?」 
「「モノーグを逃がさないための方便だ!!」」
「今日色々と世話を焼いてくださったのは……」
「「新居の説明とモノーグへのアピールを兼ねていたのだ!!」」
「そ、そうだったんですか。それで、最後の質問なんですが……」
 ズイズイと迫ってくる二人に押されて、下がりながら受け答えしていたモノーグだが、背中に石壁の硬い感触が当たった。
 背後に壁。目の前には半ば血走った目をして迫ってくる二人のアヌビス。逃げ場はどこにも無い。
 それでもモノーグは一つだけ確認しなければならないことがあった。
「俺が仮に拒否しても、二人は逃がすつもりは無いのですよね」
「「もちろん、逃がすわけはない!地の果てでも追いかけてやる!!」」
 モノーグがどう答えようと、もうすでにモノーグの未来は決まっている様なものだったのだが、それでもアヌビスの二人はモノーグの口から返答を聞きたいのだろう。
 もうこうなればモノーグも騎士とはいえ男だ、けじめの付けどころと年貢の納め時は弁えられる。
「判りました、一度しかやりませんから、確り聞いていてくださいね」
 国王の前でそうするように、二人の目の前で片膝を折り跪くモノーグ。そして今日手に入れたばかりの剣を抜くと、彼はアヌビスの二人に向かって剥き身の剣を捧げ持った。
 一体何が始まったのかと目を白黒させる二人を無視し、モノーグは言葉を発し始める。
「俺――守護騎士見習い、モノーグ・カシュールは、アテュームさんとミキュームさんに、誓いをたてさせて頂きたい」
 一言一言を間違いの無いように区切りながらも、モノーグは二人に向かって宣誓の句を告げていく。
「俺は今日ただ今から、二人の剣としてお二人の敵を退け、二人の盾としてお二人を災厄から守護することを戦の神に誓います」
 それは過去に主と認めた相手に騎士がする宣誓。現在ではそれが転じて、生涯の伴侶へと捧げられる騎士の一生を賭けた誓い。
「この俺の誓いを受け入れてくださるのならば、この剣を取り、俺の肩へ剣の腹をお当て下さい。もし拒否なさるのでしたら、この剣で俺の首をお刎ね下さい」
 そうこれはモノーグの国で騎士が行うプロポーズ――その中でも、騎士がこの誓いを捧げた人以外は、誓いが成功しようと失敗しようと、伴侶に選ばないという確固たる信念のある者だけが行うという、とてもとても厳格なものだった。
 本来ならば相手が告白した後にするべき物ではないのだが、モノーグには二人の想いに応えるには、これ以外の方法が思い浮かばなかった。
「「騎士モノーグの誓いへの返礼を」」
 アヌビスの二人はモノーグの誓いを完遂させるため、一緒にモノーグの捧げ持った剣を取ると、その柄を二人で握り、そして剣の腹をモノーグの左肩へ当てた。
「「騎士モノーグ。その命尽きるまで、わたくし(ワタクシ)達の側に居てくれ」」
「はっ!仰せのままに」
 そしてここに新たなる夫婦が、戦神の名の下に誕生した。


11/09/03 18:07更新 / 中文字
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■作者メッセージ
ここでちょっとした本編の補足。

アテュームの当初の予定では
モノーグがマミーの裸を見る→股間がエレクト→仕方ないので相手をする→そのままネチョネチョ→ミキュームが合流し三人でネチョネチョ。

ミキュームの予定では
宝物庫でアヌビスが好きになる呪いが掛かった剣を渡す→その後じわじわとモノーグがアヌビス(ミキュームとアテューム)を好きになる→二人でネチョネチョ。

となるはずでした。

しかし騎士思考のモノーグは、マミーに欲情することも無く、使いやすい魔法の掛かっていない剣を選んだ為、二人のその罠には引っかからなかったのでした。
ちゃんちゃん

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