地下墓地での出会い
「早速中へ入るぞ、騎士モノーグ!」
「まずはベースキャンプを作るのが先ですよ。ああ、邪魔なので、そこら辺で休んでいてください」
とりあえず地下道の入り口近くに、モノーグは荷物持ちの男達に指示を出してキャンプを作らせると、モノーグは此処までの道のりを労いながら彼らに片道分にしては多少大目の金子を与え、持ってきた食料と水の使用を在る程度許可してから彼らに休憩を指示した。
「もう良いだろう。さっさと行くぞ騎士モノーグ」
「男に手を引っ張られても嬉しくないのですがね。次期子爵殿」
そんなモノーグの様子を苛々して待っていたフローティンは、モノーグの腕を掴むと、そのままの足でこの地下墓地を探索する事にした。
最初は威風堂々と歩いていたフローティンだったが、やがて恐々と抜き身の護身用の短剣を握り締めての歩みへと変わり、一方のモノーグは松明を片手に終始無用心とも取れるほどの軽快さでスタスタと歩き続けていた。
だがモノーグが何の準備も無しに強気に歩いているのかといえばそうではない。
「おい、確り罠は見えているんだろうな……」
モノーグの両の目には魔法の光が灯り、その光はモノーグの目に映る光景に、罠の場所を光らせて教えてくれている。
この魔法はもしも王族を王都から逃がさなければならなくなった時に、逃げ道に張られているであろう罠を見破るためのものだったのだが、平和になりつつある今ではこの魔法を使えるのは、王を護る一握りの守護騎士と、その守護騎士を師とする一部の若輩騎士のみ。
モノーグはその魔法の使える若輩騎士である事が、縁が無かった次期子爵のフローティンの護衛を命じられ、この場所へと同行させられた理由であった。
「見えてますから、俺の踏んだ場所以外は踏まないでくださ……」
――ガゴン
しかしそんなモノーグの有能性も、フローティンの足元から発せられた異音が打ち消してしまう。
よく見るとフローティンの踏み出した右足の石が沈みこみ、そして二人の周りから何かが作動する音が狭い道の中に小さく響き始める。
「頼みますよ、次期子爵殿……」
「いや、これはその……」
そしてフローティンの弁明が終わる前に、二人の足元に転移魔方陣が展開すると、二人は光で包まれてどこかへと飛ばされてしまった。
二人は前後不覚になるほどの浮遊感を体験した後に、地下墓地の何処かの石造りの大広間に飛ばされていた。
「ど、何処だここは!?」
狼狽するフローティンを横目に、モノーグは素早く視線を前後左右に向けて部屋の状況を確認する。
モノーグの四方には明かりのついた燭台が一つずつあり、石造りの壁には一面に抽象文字(ヒエログリフ)が刻まれ、何処へ続くのか判らない穴が五箇所開いていて、そして一段高いところに台座と、王家の紋章らしいものが刻まれた大きな扉があった。
どうやらこの大広間は、王の墓前に設けられた謁見の間のようだ。
「ようこそと言っておこう。侵入者よ」
この空間に響き渡りながらも凛とした声に、モノーグとフローティンはその声のした方向へ同時に顔を向けた。
台座の上に仁王立ちし二人を見下ろしているのは、黒布と金の服飾品を身に付けた美しい女性だった。
さらさらと絹糸のように細かい黒い前髪は眉の上辺りで切り揃えられ、後ろ髪は腰辺りまで綺麗に伸ばされ、意志の強そうな瞳は二人を見下ろし、硬い響きの言葉を放った薄紅色の薄いながらも整った形をした唇。
そして二人の目を殊更に引いたのは、シルク地の布を薄墨で染めたかのようなハリと光沢の在る浅黒い肌に、スラリと伸びた肢体の中ほどから手足を覆う真っ黒な毛と、その先に存在する肉球がある獣の手足。加えて小ぶりの尻から伸びる真っ黒な尻尾。
その姿は間違いなく魔物娘――しかも『古代王宮と墓所の守護者』、『古の魔導戦士』、『マミーを作るもの』と呼称されるアヌビスだった。
「此処は我が王の眠る神聖な王墓である。それを知ってこの地へと足を踏み入れたのか?いや、知らずに荒野の中にあるこの場所は見つけられぬ」
決まった台詞を淡々と口にしているのか、フローティンのアヌビスを値踏みするような瞳を気にせずに、そのまま言葉を続けている。
モノーグは自身の逃走経路を把握しようと目の動きだけで周りを見ると、壁の穴からマミーがゆっくりと数体ずつ出てきていることを確認した。
(袋のネズミか……)
モノーグは早々に今はこの場から逃れる術が無いと判ると、腰にある剣に伸ばしていた手をゆっくりと元に戻し、アヌビスの様子を伺う事に集中し始めた。
「故に此処の守護を命じられた、わたくしアテューム・パルピールは、お前達を盗賊と断定する!そして王墓を荒らす盗賊は、マミー達の餌だ!!」
アテュームと名乗ったアヌビスが手に持っている金の天秤の付いた錫杖を振りかざすと、穴の前にいたマミーたちがゆるゆるとした歩みで二人の下へと進み始める。
「「「男だ〜♪ 餌だ〜♪」」」
「ひっぃ!く、来るなぁ!!」
フローティンは手に持った短剣を両手で握って体の前に持ってくると、近づくマミー達への威嚇なのか、大きく振り回し始めた。
しかしモノーグは落ち着いたもので、マミーが一歩一歩近づいてくるのを気にもせず、彼の頭の中ではアテュームに対する一手を考えていた。
「……貴女のその判断に、俺は異議があります」
「ほぅ、わたくしの判断は間違いだと?」
モノーグのその言葉にアテュームは何かを感じ取ったのか、錫杖を円を描くように回し振ると、マミー達はピタリと歩みを止めた。
それを見てホッと一息つくモノーグと、彼の影に隠れてマミーをやり過ごそうとするフローティン。
「俺は国王に仕える王国騎士です。古代の王に仕える貴女と言わば同じ俺が、貴女から盗賊と揶揄される謂れはありません。あと次期子爵殿は、邪魔なので体に張り付かないでください」
「なるほど、お前の言う事が本当ならば、わたくしは謝らなければならないな。もっともそれが、本当の事ならばだがな」
アテュームは石畳の地面に錫杖を突き刺すと、その錫杖にある天秤の受け皿の一つに一片の鳥の尾羽根を載せた。
「この『アヌビスの天秤』はお前の嘘を暴く。お前が嘘を一つ付くたびに、羽根の乗っていない方の天秤の皿が下がることを覚えて置け」
「判りました。どうぞご質問を」
アヌビスの言葉に頷きながらそう答えたアテュームは、絶体絶命の状況のはずなのに、相変わらず涼しげな顔をしている。
「お前は王国の王に仕える騎士である。是か非か!」
「肯定します。何ならば、この鎧を確かめてみてください。一朝一夕で設えた物ではないとお解かりになるはずです」
素早く鎧を脱いだモノーグは、それをアテュームの足元へと投げ渡した。
ガシャリと音を立てたその鎧を興味なさそうに一瞥したアテュームは、視線を天秤へと向ける。
「その必要はない。天秤に変化は無いため、貴君が嘘を吐いていない事は明白である」
モノーグが本物の騎士であるということが判ったからなのか、アテュームの口調は少しだけ敬いの色が含まれていた。
「次だ、その情けない男が貴君の仕える王である。是か非か」
「否定します。この男は王国の一地方を治める子爵の子息であり、その次期子爵です。俺の仕える国王ではありません」
「ならばこの男に何故貴君は付き従うのだ?」
「それが命令だからです。俺としても甚だ遺憾ではある命令ですけどね」
「それならばこれが最後の質問だ。貴君はこの男が此処へ来た理由を知っているのか?」
「……俺はこの馬鹿な次期子爵殿の意向に従ったまでです」
アテュームの握る錫杖の天秤には変化は無い。
故にモノーグが嘘を言っているわけではないという事が判明された。
詰問者は嘘を判別できるアヌビスであり、周りには襲い掛かろうとするマミーという、普通ならば萎縮してしまうこの状況の中、モノーグの態度に些かの恐れも怯みも見えない事と、虚言を一切吐かないという態度に、アテュームは彼に向かって感心したような声を出した。
「なるほど、確かに貴君は盗賊ではないようだ。寧ろ立派な騎士殿であると言えよう。わたくしの早とちりで貴君を盗賊と罵った点は謝罪しよう……しかしその情けなく震える男の方はどうであろうかな?」
モノーグがアテュームの詰問を逃れきったと安心していたフローティンは、そのアテュームの言葉に飛び上がるほどに驚いた。
「な、何故、質問されねばならんのだ!?」
「わたくしがいま知っていることは、其方の御方が騎士であるということと、お前が馬鹿な次期子爵だということだけだ。お前がなにをしに此処に来たのかはまだ聞いてはいない」
「い、いま、騎士モノーグが……」
「騎士殿が言った最後の質問の答えは、『お前に聞け』という意味だ。なのでわたくしはその通りにするまで。さあ問いに答えよ、お前は此処に何しに来たのだ!」
アテュームのその言葉に、ブルブルと震え始めるフローティン。
正直に『此処の宝を取りに来た』と言えば確実にマミーの餌にされ、逆に『此処には観光に』などと嘘を言えば、アヌビスの天秤がその嘘を見破りマミーの餌にされる。
どちらにせよマミーの餌にされるとなると、アテュームの質問へのフローティンの答えは『沈黙』以外に取り様は無かった。
「難しい質問だったか?では是か否で答えてもらおう。お前は此処へ宝を狙いにやって来たな。尚、この質問に沈黙と答えれば、わたくしは是と受け取るぞ」
「ぐ、ぐぐっ……」
もうフローティンの逃げ場は無い。どの選択肢を選ぼうとマミーの餌になる運命が決まった。
こうなればアテュームに襲い掛かりどうにか活路を開こう、とでも考えていそうなフローティンの手からモノーグは短剣を取り上げると、アテュームの方へと投げ捨ててしまった。
「無駄ですよ次期子爵殿、アテュームさんは貴様が適う相手ではありません。もう素直に答えるしかないですよ」
そう諭されるようにモノーグに言われて決心がついたのか、フローティンは貴族の誇りを胸に声を高らかにアテュームの質問に答える。
「アヌビスよお前の予想通りに、このフローティン・ベルゴルヌは此処に眠る宝を狙って来たのだ!」
天秤に変化は無い。その答えは真である。
「お前を盗賊と認識し、それに同行した騎士殿も同罪とする。やれ、マミー達よ!」
「えへへ〜、待ってましたぁ♪」
何故かどこか残念そうな表情のアテュームはマミー達に命令を下し、マミー達は素直にその命令に従って、二人を包囲する輪をじわじわと狭めていく。
「クソゥ、子爵になりそこなったな……」
「貴様にしては殊勝な心がけですね。でも、諦めるには少しばかり早いですよ、次期子爵殿」
マミーの輪があと数秒で二人の衣服に掛かろうかという所で、モノーグはフローティンを小麦が入った麻袋かのように肩に担ぐと、『俊足の天馬』の魔法を足に掛けると、魔法の光を発し始める。
「貴君は魔法騎士だったのか!?」
「だから言ったでしょう、『貴女と同じ』だと」
空中へと飛び出したモノーグは、体を半回転させて天井に足を掛けると、輪に加わっていないマミーが守っている壁穴――地上へと抜ける道へと飛びつく。
「邪魔です。退いていて下さい」
「きゃぁ――!」
腰から剣を抜き放ち、その抜いた勢いのままで剣の腹でマミーを打ち払い吹っ飛ばすと、その道をまさに魔法名にあった駿足の名に恥じない速さで駆け抜けながら、道の上に在るであろう罠を判別する魔法も発動する。
「本当に貴様は重たいですね。鎧を脱いでいてよかったですよ」
「ま、まさか、あのアヌビスの問答の時にもう既に逃げる算段を……」
「当たり前じゃないですか。俺の任務は貴様を無事に街まで送り届けるまでなんですから」
何と言うことは無いと言いたげなモノーグは、フローティンを担いだまま罠を避けて地上へ向けて地下墓地の回廊を踏破していく。
「すまない。面倒に巻き込んでしまって。この礼は必ず」
「礼など要らないので、今後は自治領で大人しくしてください……やっぱり来たか……」
モノーグの耳に聞こえたのは、石畳を蹴り立てる爪の奏でる音。
その音をフローティンも聞こえたのか、顔を上げて後ろを見ると、此方へと走り寄るアヌビス――アテューム・パルピールの姿があった。
「人間がアヌビスの足に勝てると思っているのか!諦めて、大人しくマミーの餌になれ!!」
「お、おい、追い付いてきてるぞ!?」
「やっぱり鎧を脱いだ程度じゃ、まだ重かったようですね。さてどうしましょうか」
人一人を担いでいる差もあるが、モノーグとアテュームの速さの差はその足運びにあった。
いくら魔法で強化しようと、罠を警戒してその場所を魔法で視認しながら走るモノーグと、何処に何があるか把握し、天性のバネを生かした俊足のアテュームの迷いの無い走りとでは、ややアテュームの方に分があった。
「に、逃げ切れるんだろうな!?」
「まあ見ててくださいよっと!!」
しかしそんな事はモノーグも百も承知している事柄だ。
故に次の手を打つ。
あえて罠を踏むという一手を。
――ガガゴン……キュルキュル……
「おい罠が……」
「ワザと発動させたのですよ。まあ見ててください」
次々と罠を発動させながら進み始めたモノーグの、その意味不明な行動に吃驚していたフローティンだが、その視線をアテュームの方へ向けると、合点が行ったようだった。
もともとこの罠は、侵入する敵を墓地の奥へと進ませないようになっており、発動した罠は須らく入り口へと侵入者を追い戻そうとする類の物である。
さてでは、墓所の奥から外へ出ようとする者が罠を踏むとどうなるのか。
答えは簡単。その罠を踏んだ者の背後で罠が発動するため、その者が入り口へ向かう進行を妨げる事はない。
そんな普通ならば何の障害にもならない『帰り罠』だが、その者の後ろを追いかけている人がいた場合に限り、この罠が曲者になる。
「ま、待てぇ!!」
フローティンの視線の先には、モノーグが次々と発動させた罠に阻まれ、思うように歩を進められないアテュームの姿。
「どうやら上手く行ったようですね」
「この様な罠の利用法を思いつくとは、本当にお前は騎士か?」
「俺は騎士ですが、守護騎士の見習いですよ。これくらい出来て当然です。さて、もうそろそろ外が見えてもおかしくは無いのですけど」
モノーグがそう呟いてから二度三度と角を曲がると、モノーグの視線の先に外の光が差し込む出口があった。
「出口ですよ次期子爵殿。外に出たら宝を諦めて、さっさとこの場所から離れますからね」
「わ、判ってる。マミーの餌になるのはご免だからな」
薄暗い墓所からまだ煌々と照る太陽の下へと飛び出した二人は、同時に眼を細めた。
フローティンはその太陽の眩しさのため。モノーグはいま自分が置かれた状況が芳しくないと判ったために。
「ま、まさか、マミーの別働隊が居るとは思いませんでした……」
太陽光の下にある砂と岩の荒野では、十数人のマミーが人足に雇った男たちを襲っていた。
「や、止めろ!」「出るぅ!」「お母さーん!!」「いただきま〜〜す♪」「うんぐ♪ うんぐ♪……もっと〜ちょうだ〜い♪」「ほらぁ、包帯で一緒に巻き巻きしよ♪」「もうでねーよ。勘弁してくれぇ……」「くそぅ、だからこんな所来たくなかったんだ!」「もっと渇きを癒して♪子宮をタプタプにしてぇ♪」「あっちにもいい男が居るぅ♪」「逃げ切ってやる、逃げ切ってやるぞ!」「まてまてーー♪」
最早この場所は阿鼻叫喚酒池肉林と化し、辺りには濃い魔物の魔力が放たれており、ふと気を抜けばその魔力の虜になってしまいそうになる。
この場に居れば数分後には、モノーグもフローティンもマミーの餌に自分から望んでなりにいってしまうことだろう。
「こうなれば……聞け!まだ動ける者は、荷物など放り出して直ぐにこの場から逃げろ!そして生き残ったら、残りの給金を王国騎士団に請求しろ!」
「あ〜、新しい男だ〜♪」
声高にそう告げたモノーグに、彼を見つけたマミー達がにじり寄ってくる。
しかしモノーグは素早く腰から剣を外し、鞘が付いたままの剣を振り回してマミーたちを追い払うと、モノーグが使用していた駱駝へと近寄り、その背にフローティンを乗せた。
「お、おい騎士モノーグ。ど、どうするつもりだ」
「あの者たちを見捨てて逃げるのですよ。さあ早、くうぅ!!」
マミーとは違う妙な圧迫感を感じたモノーグが咄嗟に剣を背後へ振り回すと、モノーグの手には金属のぶつかる鈍い衝撃とそれに伴って起きた軽い痺れが走った。
がっちりとモノーグの剣と合わさっているのは、金色の輝きを放つ剣。そしてその剣を持つのは、黒い毛で覆われた肉球付きの手。
「もう少しは足止めできると思ったのですが。甘かったですかね」
「逃がさぬよ」
モノーグの鍔迫り合いをする相手は、罠で足止めしているはずのアヌビスだった。
「やはり俺は未熟者ですね……ですが、命令通りに次期子爵殿だけは逃がしてみせます!」
「ぐッ……!」
鍔迫り合いをした格好のままモノーグは片手を放すと、そのままアヌビスの腹を殴りつけ、アヌビスが腹の痛みで怯んで後方へ下がったのを確認した後、さらに足の平での蹴りを入れてアヌビスを蹴り飛ばす。
その攻防で二人の間に出来た空白を利用し、モノーグは駱駝の尻を鞘で力いっぱい叩きつけた。
「もあああああ〜!!」
するとその駱駝は、間抜けな悲鳴を上げるフローティンを背に乗せたまま荒野を激走しはじめ、あっという間にこの場から逃げていった。
「あの者を逃がすか」
「一応それが命令ですので」
モノーグは剣を鞘から抜き放つと鞘を地面へと投げ捨て、剣を無造作に構える。
対峙するアヌビスも金色の剣を握り直すと、体の正中線に沿った剣の構えを取る。
「盗賊が洒落た事を。だが逃げられると思うのか」
「あの駱駝は特別に調教されてまして、目的の場所まで止まる事はありませんし、貴女が追いかる事を許すつもりもありません」
じりじりとお互いの間合いを計り、相手の隙を窺いながらも、二人は周りの地面の状況を目の端で把握していく。
「此処にはギルタブリルの巣もあるのだぞ?」
「逃げ出した人足どもがいい囮になるでしょうね」
やがてピタリと示し合わせたかのように二人は止まると、その背中からは気勢が迸り始め、二人の額からは緊張からかじっとりと汗が噴出してくる。
――あひゃあぁあーー♪
マミーの放った嬌声が合図となり、お互いがお互いに向かって駆け出す。
「でぃやあああ!!」
「はあああ!!」
ガッチリと噛み合わさった二つの剣は、再び鍔迫り合いの格好となった。
本来ならば体格に勝るモノーグと種族的に膂力に優れるアヌビスとでは、力が拮抗して膠着するはずなのだが、アヌビスの持つ金色の剣がモノーグの持つ鋼の剣の根元を徐々に切り進めはじめ、それが段々と深く深く剣に食い込んでいく。
「凄い剣ですね……」
「鋼より硬く重いオリハルコンと黄金との合金を使用した剣。しかもサイクロプス製だ」
誇るようにそう言ったアヌビスはさらに剣に加える力を強め、モノーグの剣からはその力が増すたびに悲鳴に似た軋み音が発せられる。
そして斬られた剣の幅が三分の一、二分の一、三分の二へと深まり、最終的にはもう直ぐにでも切り飛ばされそうな程へまで進んでしまった。
「もうお前の剣は使い物にはならない。降参したらどうだ」
「申し訳ありませんが、まだ勝負はついていません」
「ならば、遠慮なく決めさせてもらう!」
モノーグの剣を切り飛ばそうと一層の力を入れたアヌビスに合わせ、モノーグも押し返そうというように力を込める。
一瞬だけ二人の力は拮抗し、モノーグの剣が切り飛ばされた所で破断が起こり、アヌビスの剣が守る手段を失ったモノーグへと押し寄せる。
しかしモノーグは薄く笑みを浮かべると、アヌビスの剣の軌道を剣の腹を掌で押して逸らし、体も横に一歩ずらしてアヌビスの剣を避けた。
一方のアヌビスは、剣を切り飛ばそうと無用な程に力を込めていたためにその変化に対応できず、地面に剣を叩きつけるような格好になって体勢を崩してしまう。
その隙を折れた剣を捨てたモノーグは見逃さず、するりと歩を進めてアヌビスの横から背後へ回り込むと、アヌビスの女性らしい細い首に鍛え上げた腕を回し、大蛇のような力強さで容赦なく締め上げ始めた。
「ぐぇえ……」
鳥が絞め殺されたかのような悲鳴を上げたアヌビスは、咄嗟にモノーグの腕を力任せに振りほどこうとしたが、モノーグはさせないとばかりに足の裏でアヌビスの膝裏を蹴り抜くと、アヌビスはその場に崩れ落ちるかのように膝を付いた。
さらにモノーグは膝立ちになったアヌビスの首を全体重を掛けて極めにかかり、やがてアヌビスはモノーグの腕を外そうと掻き毟りながら抵抗するものの、その褐色顔は鬱血した赤から酸欠の青へと変わり、黒いふさふさの尻尾も垂れ下がり、口の端からは泡が漏れはじめ、目の中の意識も段々と濁り始める。
このままではアヌビスが締め落とされるのは時間の問題だと、誰もが判断するような状況の中モノーグは背後に危機感を感じ、締め上げていた腕を解くと素早くその場から飛び退いた。
すると一瞬前までモノーグの頭のあった空間に、天秤付きの錫杖が重々しい音を立てて振りぬかれ、そのまま地面に穴を穿つ。
「……双子とは、完全に此方の予想外です」
飛び退いたモノーグを睨みつけながら、首を絞められてぐったりとするアヌビスを介抱する、見た目の似た錫杖を持ったもう一人のアヌビス――遺跡の中で出会ったアテュームがそこに居た。
「マミーの包囲を切り抜け、わたくしの追跡を振り切り、そしてミキュームを此処まで追い込むとは、やはり貴殿は侮れない」
新手の到着に自分の周りに武器になりそうなものを探すモノーグだったが、近場にあるのは折れた剣とその鞘に石塊。どれもアヌビス二人を相手にするならば、不足に過ぎるものだけしかない。
他に武器になりそうなものといえば、少し離れた場所にある人足に持たせた発掘道具だが、それを取るためには二人に背を向けねばならず、それは健脚を誇るアヌビスに対して余りに危険すぎた。
後は例の金色の剣だが、それはアテュームの足元にあり、こちらも取れそうも無い。
「で、どうするのだ。まだ貴殿は戦うつもりか?」
周りをぐるりと男と交わっていないマミーで囲まれ、睨みつけるアテュームの手にある錫杖には魔法の光り。そしてまだ意識が朦朧としながらも、金色の剣を手に持ち、その剣をモノーグの方へ向けるミキューム。
完全に包囲された上に孤立無援のこの状況では、流石にモノーグも講じられる手段は持ち合わせていなかった。
「まあ俺に下された命令は完遂できているでしょうから、師匠に怒られる事も無いでしょうし、武器も無くなり策も見当たらないので、大人しく降参します」
モノーグは両手を上げて降参の意志を示し、アテュームとミキュームに身柄を任せる事にした。
そのモノーグの態度を見て、二人のアヌビスは戦闘体勢を解きつつも、抜け目無くモノーグを観察する事は止めない。
「本来ならば貴殿はこの場でマミーの呪いを掛け、マミーたちの餌にする所だが」
「アテューム……」
何処かすがるような目つきでミキュームはアテュームに視線を送ると、アテュームは頷きを持ってそれに返答した。
「しかし貴殿の類い稀なる技量と胆力を鑑みると、マミーの餌には惜しい存在であることも事実。よって貴殿は、わたくし達二人の預かりとする」
そのアテュームの判決に、モノーグは小首を傾げて頭の中でどういう意味なのかを反芻したのだが、あまり合点が行かない様子だった。
「マミーの餌にならずに済むと言うことは判りましたが、預かりとはどういう意味でしょうか?」
「貴殿はわたくし達二人だけの捕虜ということだ」
「……いまいち判断のつきかねる所が在りますが、捕虜ならば無下に扱われる事はなさそうですね。とりあえずはお世話になります」
アヌビス二人ににっこりと笑いかけ、モノーグはそう返答する。
その笑顔を見てミキュームはうっとりとした赤ら顔になり、アテュームも一瞬頬が緩みかけたが、力を入れ直してこの墓所の管理者の顔つきを保った。
「ではマミーたち、墓所へ戻る……」
「あ、ちょっと待ってください」
アテュームの号令を両手を上げたままのモノーグは遮った。
そんなモノーグの突然の行動をいぶかしむアテュームに、彼は持ち前の涼しい顔付きのまま提案した。
「どうせ使うものは居なくなったのですから、此処にある物資も運びこんでください。色々ありますから、何がしかの役に立つと思いますよ」
厚顔無恥とも取れるモノーグのその様子に、本当に捕虜という自覚があるのかと疑いの眼を向けてしまうアテュームだった。
11/09/03 18:00更新 / 中文字
戻る
次へ