第一章 芸術家の苦悩
この世には不思議な事が沢山ある。
その中には発明や芸術といった分野に身を置いている者にとって一番不思議に思うのは、着想や発想が似ること――派的に言えば『ネタ』が被ることだろう。
何だそんなことかと言う人もいるかもしれないが考えてみて欲しい、人間にとって今まで生きてきた環境とそこから蓄えた知識というのは千差万別なはずである。
双子の発想が似か寄ることは理解できるが、なぜ赤の他人の思考がこと芸術と発明においては重なってしまう事があるのだろうか。謎は尽きない。
しかし一方で大多数の人が抱く印象の通りに、そんなことはどうでもいいこととも言える。
そんな謎を解明せずとも生活するのに不便は無いし、日常での話の種にすらならない。
だがある人物にとってこの『ネタ被り』というのは人生の命題であった。
「クソ、また駄目か!」
いまその命題に頭を抱えている人物――彼は芸術家の卵で画家のアルフェリド・ダーキン。彼はフッフェンボッド芸術学校に通う学生であり、幼い頃から神童と呼ばれた絵画の天才だった。
しかしアルフェリドがこの芸術学校に入学してからというもの、彼の絵画はまったく評価されなくなってしまった。
その理由が同じ学校に通う一人の学生――リャナンシーのアーリィ・フェンドの所為だった。
いや正確に言えば彼女の所為ではない。彼女は別に彼の評価の邪魔を直接的にしているわけではない。
それでは何が問題なのか、聡明な方々ならもうお分かりいただけると思うが、アルフェリドとアーリィは二人が申し合わせたかのように、着想から構図に到るまで大変似通った作品を同時期に作ってしまうのだ。
発明や文学ならば先に出した者が勝つのだが、こと芸術分野においてはそうはいかない。
着想と構図が同じならば、先に出そうが後に出そうが上手な方が賞賛され下手な方が駄作といわれるのだ。
アルフェリドは天才と言われていても所詮は人間。
リャナンシーという絵の才能に愛された種族、そして学校の中でも一番絵が上手いアーリィの描くものと比べられてしまえば、どうしても見劣りしてしまうのは致し方が無い。
この問題点を早期に発見したアルフェリドは、それからしばらくは無理して二枚絵を描いてアーリィの構図と被らない方を提出していたのだが、段々と自分の描きたいモノが描けないフラストレーションが蓄積していった。
やがてアルフェリドはそんな逃げの方法を止めると、アーリィの才能への絵画による全面戦争を仕掛けたのだ。
しかし結果はいままで全戦全敗。
着想が似か寄るのならば、その着想の肉付けの為に様々な本を読み漁って知識を蓄えた。構図が被るならばよりその構図が映える様に、絵の中の物の配置を変えて使う絵の具の顔料にも工夫を凝らした。
その努力の結果たしかにアルフェリドの腕はこの学校に入る前に比べて格段に進歩し、アーリィと絵画で比肩し得る腕を手に入れていた。
しかしアーリィがリャナンシーの魔法の絵筆で描いた絵――見たままの風景をそのまま四角いキャンパスに閉じ込めているような作品と比べると、アルフェリドの作品は全てがいま一歩足りなかった。
リャナンシーと技術で張り合えるようになったアルフェリドに、学校の教師も漸くアルフェリドが人間では無類の才能と腕を持っていると認め始めた。
だからこそ教師達は口をそろえてアルフェリドに言うのだ『リャナンシーと張り合うな』、『人間が芸術でリャナンシーに勝てるわけが無い』、『諦めて別の構図で腕を振るえ』と。
しかしアルフェリドは頑としてそれを聞き入れなかった。その選択肢は遥か以前に捨てたものだったから。
「なぜだ、なぜなんだ!」
故にアルフェリドは苦悩していた。
アルフェリドは考え付く全ての努力をして来た。それこそ絵を描くための勉強の為に寝食を削り、夢の中にでもカンパスを持ち込んで絵画に没頭してきた。しかしその尽くがアーリィの才能の前に全て無駄に終わってしまう。
だがアルフェリドがアーリィに直接対決できるチャンスは、もう学期末評価と卒業制作の二回だけしか残されていない。
更には学期末評価の提出は一週間後。いま彼が描き終え駄目出ししている絵がその提出作品のはずだった。
「だめだ、これじゃあ駄目なんだ!」
アルフェリドはそう自らの絵を評価しているが、しかしてその絵は大変素晴しいものだった。
夏のある日の出来事を切り取ったのだろうか、手に触れたら水滴が手に付くのではないかと錯覚させるほどの黄色い向日葵が、瑞々しく写実的にカンパス一杯に描かれ、その上には天界の神の顔が見えるかのように透き通った青空が広がっていた。
アルフェリドとアーリィのことを知らない画商がこの絵を見たら、宝箱一つ分の金貨と交換を持ちかけるほどに綺麗で美しい絵だった。
血走った目でアルフェリドが視線を横に向けると、そこには彼が没にしたまったく同じ構図の向日葵の絵が置いてあった。
こちらも絵画展に出展すれば絶賛されてしかるべき名画。しかしアルフェリドがたったいま書き上げたものよりかは幾分見劣りする。
それもそのはず。この没の絵の反省点と改良点を踏まえて全神経を傾けて書き上げたのが、つい今し方完成させた絵なのだから。
「なにが、何が悪いんだ!」
しかし改善したはずの絵ですら、アーリィの提出するであろう作品に勝てると自信がもてない。しかし改善点も見つける事が出来ない。
その改善点が分かるのはいつも品評会の会場でアーリィの作品を見た時。そうすればよかったのかと思わせる模範解答がいつもそこに描かれているのだ。
「俺の努力は、全て無駄だったのか……」
突如胸に飛来してきた虚無感に、ぽろりとアルフェリドの手から絵筆が落ち床に黄色い点を描いた。
がっくりと肩を落としたアルフェリドはそのまま洗面所へと向かい、虚無感を洗い流そうとするかのように二度三度と顔に水を叩きつけた。
そして顔を上げた彼の視線の先に、疲れ切り絶望している煤けた表情の青年――鏡に映ったアルフェリドが其処にいた。
ここ最近まともに鏡を見た事の無かったアルフェリドは、自分の顔はこんな風だったかと首を捻る。
そして変わり果てた自分の表情を記憶に刻んでから洗面所を出ると、奥に仕舞ったままになっていた実家から持ってきた一枚の絵を取り出した。
それは在りし日の、まだアルフェリドが幼く絵を描く事が大好きだった時代に書いた、笑顔溢れる自画像だった。
あり大抵にいってしまえば、その絵は下手糞だった。
自分の顔に合わせてただ絵の具を載せただけの、何の技術も無く構図すら無いような絵だった。
しかし其処には彼がアーリィと張り合う事でいつしか忘れてしまった、彼自身が絵を描く事を楽しむ感情に溢れていた。
(そうだ俺は絵を描くのが楽しくて描いていたのだった。誰かの評価を気にするわけでも、誰かと張り合うためでもなかった)
どうして忘れてしまったのだろうと、アルフェリドは大声を上げて笑い出した。
そして腹がよじれるほど笑うと、彼は部屋を出て寮の食堂に足を運んだ。
「あらどうしたのアルちゃん、こんな時間に?」
アルフェリドに声をかけたのは、ホブゴブリンにしては確りした印象を与えるマール。彼女はこの食堂の料理長であり男子寮の寮監でもある。
何時もは寮の皆が食事を終えた頃にふらりと来るアルフェリドが、夕食の仕込をしている最中という早い時間に食堂に現れた事に、マールは不思議そうにアルフェリドに尋ねた。
「マールさん、申し訳ないですけど今から俺の言う料理全部作ってくれませんか?」
アルフェリドはマールに自分が子供のときに好きだった料理を全て注文した。
「そんなに沢山食べられるの?」
「食べます。もし食べられなくても部屋で食べきります」
その料理の数の多さに眼を丸くして尋ねたマールに、笑顔でそう答えるアルフェリド。
「アルちゃんなんか雰囲気変わったね……絵を描くのに必要な事なのね?」
「はい。とても大切な、俺が忘れてしまった事を思い出すのに必要な事なんです」
「そう言わちゃしょうがないわね。特別扱いは今日だけだからね」
そうアルフェリドに念を押したマールは早速調理に取り掛かってくれた。
アルフェリドが頼んだ料理には多少手の込んだものもあり、時間が掛かるだろう。
やがて寮生がちらほらと食堂に入りはじめ、その全員が何時もは居ない見慣れぬアルフェリドが食堂のカウンターに座っているのを奇異な視線で一瞥した後、忙しそうに動くマールとは違う料理人に料理を頼んでいた。
そんな視線を気にする様子も無く今か今かと待ちわびるアルフェリドの前に、数点の料理が運ばれてきた。
「こ、これは……」
確かにアルフェリドが注文した料理に間違いは無い、しかしその量は子供用に少なくしたものだった。
「全部一人前に作っていたら食べきれるわけ無いからね、お子様サイズにしたんだけど駄目だった?」
「いいえ、大丈夫です。むしろこの方が良いです」
大人の体になった自分にとって物足りない量になった子供サイズの料理を見て、アルフェリドは時の流れを実感した。
そして子供の頃に食卓に出てくれば大喜びした懐かしい料理の臭いに、アルフェリドの胸に郷愁の思いが走り抜けると、大人になるにつれて澱んでしまった心の水が入れ替えらていく気がした。
その臭いに導かれるようにぱくりと料理を口に含み噛み締めると、頭中の最奥の更に下に埋もれていた子供の頃の記憶が浮かび上がってきた。
「おいしぃ、です……」
「私の料理を食べて涙を流してくれるなんて、料理人冥利に尽きます」
あはっと明るく笑って調理に戻ったマールを尻目に、アルフェリドは一心不乱に料理を味わいながら食べていく。
一つ一つの料理を片付けていくうちに、アルフェリドはどんどん昔のことを思い出し、段々と昔の絵を描くのが大好きだった自分が戻ってくるように感じた。
やがて頼んでいた料理が残り一品になる頃には、アルフェリドは疲れた顔をした枯れた青年から覇気の溢れる精悍な青年へと変貌を遂げていた。
「最後の一品です」
「有難う御座います」
出てきたのは卵と牛乳に砂糖を加えてただけのシンプルなプディング。アルフェリドの母が彼の晴れの日――この学校に入学が決まったときに作ってくれた思い出のデザートだった。
一掬いしてふるふると震える薄黄色の塊を口に入れると、学校に入る以前の未来への希望と将来の野望に満ち溢れたあの頃の自分が『やっと思い出したかこの馬鹿』と微笑んでいる幻想を抱いた。
「とても……とっても美味しかったです」
はちきれそうな腹に手を当ててマールにそう告げたアルフェリドは微笑んでいた。
「どう致しまして。そう言って下さると苦労した甲斐があったというものです」
「本当にお手数をおかけしました」
「いえいえ、学生を食事で手助けするのが私の仕事ですから。また何かあったら遠慮なく言ってくださいね」
アルフェリドに手を振ってマールは厨房の奥へと消えていった。
そしてアルフェリドも重たい腹を引きずるように部屋に戻ると、まっさらなカンバスとアタリ用の木炭を取り出し、さらに子供の頃に良く使っていたが最近ではあまり使う事も無くなった粘性が高めの油絵の具を取り出した。
「〜〜〜♪、〜〜〜〜〜♪」
幼い頃にそうしていた様に鼻歌を歌いながら、木炭を滑らせていく。
大まかながら素早く書かれた大きな花を咲かせる野に植えられた向日葵の絵は、アルフェリドが子供の頃に描いたのに比べて格段に上手くはなっていたが、それでもどこか線に子供っぽさが残っていた。
次にパレットに数種の絵の具を出して混ぜ合わせ、絵筆にたっぷりとその絵の具をつけると、絵を描いた事の無い子供が塗り絵するかのように木炭で描かれた輪郭に沿ってべたべたと塗りつけていく。
本来ならば落書きにしている様にしか見えないが、そこはリャナンシーに匹敵する腕の持ち主、絵画として崩壊する一歩手前の危ういバランスでどんどんと絵の具が塗られていく。
やがて大輪の花を咲かせた数株の向日葵が赤々と燃える空の下に描かれてはいたが、それは芸術学校の作品としては最下級のように見えた。
「さーて下地はこんなもんでいいかな〜〜〜♪」
そう言葉を零してアルフェリドはその絵の具の上に絵の具を重ねていく。あたかも自分の子供時代が終わり、そして絵画漬けの学生時代が始まったかのように。
彼の頭の中にあるのは、アーリィを打ち負かすために読みまくった芸術の教本にあった、ジパング製の木でできた浮き彫りの菊の彫刻。
あれをアルフェリドは絵の具を塗り重ねる事で表現しようと試みていた。
睡眠や食事を確り取りつつも、一週間後の学期末評価に間に合うように絵を描いていく。
筆が進むにつれてただの赤い塗装のようだった場所には、炎が燃え移ろうとしているかのような波立ち先端が尖った赤絵の具で空が表現された。
向日葵の花は実物がそうであるように、真ん中に行くにしたがって絵の具を塗り重ねて盛り上がりと膨らみを表現し、花びら一枚一枚に厚みと色づきの差に夏の日による照り返しを描き加えられ、茎にはあの手触りを絵の具の跳ねで表現し、葉っぱには細かな濃淡と葉脈が描かれていく。
そして締め切り前日に完成した絵は今までの絵画の常識を覆すような出来だった。
たしかにこれは向日葵の絵だろう。それも見るものを釘付けにするほどの名画だった。
いままでアルフェリドの培ってきた物体の大小による遠近法と色の濃淡で表現していた絵の立体感に、絵の具を重ね塗りした事で生まれた本物の立体感が加わることにより、向日葵が絵から飛び出してきているような錯覚を見るものに引き起こさせた。
そしてこの絵の向日葵の生命感に溢れた有様はどういうことだろうか。
今までの絵画が静々と情景を切り取ったものだとすれば、これは夏の日の向日葵の躍動感と生命の喜びを漏らさずに閉じ込めたものだと言えた。
これは今までの絵画芸術の常識に縛られない、まったく新しい表現方法だった。
そしてこの絵を評価しなければならない教師陣の評価は、見事なまでに真っ二つに割れた。この絵画を新しい芸術と認めるものと認めないものとに。
『こんな技法があったとは』と感嘆する教師がいれば、『こんな気が触れたものなど芸術ではない』と扱き下ろす教師もいた。
そしてアルフェリドのこの絵画に対する評価は保留にされ、一時的に『良』の認可を与えられた。
しかしアルフェリドにとってそんなことはどうでも良かった。
たしかに昔のアルフェリドにとっての模範解答的なアーリィの向日葵の絵が最優秀と認められたことに対して、アルフレッドが何も思わなかったとは言わないが、しかしそれよりも新しい自分の可能性を発見した事の方が重要だった。
評価を聞いた直ぐ後にはアルフェリドは部屋に戻り、さっそく新しい絵に取り掛かろうと真っ白なカンバスに何を描こうかと想いをめぐらしていた。
するとドアがコンコンを控えめに叩かれた。
偏屈なまでにずっと絵画を描くことに没頭してきたアルフェリドに、部屋を訪ねてくる友人はいなかった。
いったい誰だろうか。もしかしたら教師があの絵について文句を言いに来たのかもしれないと、アルフレッドは思った。
「はーい、いま開けます」
がちゃりとノブが回されてドアを開くと、目線の先には誰もいなかった。
誰かの悪戯かなと扉を閉めようとして、目線の下に誰かいるような気配がした。
下を向くと小さな女の子――背中に羽が生えていることからリャナンシーだとわかった。しかもこのリャナンシー、アルフェリドがいままで目の敵にして来たあのアーリィだった。
「何か御用ですか?」
しかし今のアルフェリドにとっては気になる相手ではない。しかし新しい技法に再挑戦しようとしている時に邪魔されたことに、少しだけ気分を害してはいた。
「あ、あの、貴方の作品見ました!」
有名な舞台役者に出会った生娘のように眼をキラキラさせて言葉を掛けてくるアーリィに、なにか嫌なものを感じて後ろに下がってしまうアルフェリド。
「そ、それはどうも。用件がそれだけなら……」
「貴方の絵に惚れました。あたしを妻にしてください!」
早々に会話を切り上げて逃げようとしたアルフェリドだったが、アーリィはそれを許さずに自分の思いをアルフェリドに言葉に出して伝える。
アーリィを妻――それどころか恋人にするなどアルフェリドは考えた事も無かったが、アーリィが自分にどんな印象を抱いているかは気になった。
「あの、俺の事知ってるの?」
「正直に言えば、貴方のことは何一つ知りませんが、あんなにすごい絵を描けるんです。きっと素敵な人に違いありません!」
完全に恋する瞳のアーリィは鼻息も荒くアルフェリドに詰め寄ってきた。
ろくに知りもしない人に告白するなんていうことが出来るという事が、アルフェリドは信じられなかった。
しかもアーリィのその物言いでは、アルフェリドの絵を描く腕に恋をしているだけであり、アルフェリドの人格などどうでも言いようにすら聞こえる。
「ちょっと落ち着いて。一応聞くけが、アルフェリド・ダーキンって知ってるか?」
ぎこちなくそう尋ねるアルフェリドの言葉を聴いた瞬間、アーリィは嫌なものを聞いたといった顔つきになる。
「何であたしの真似ばっかりする、あの腕無しの盗作者の名前が出てくるんですか?」
そのアーリィの言葉を聴いて、アルフェリドの心に冷たく熱い感情が生まれた。
あの技法は、着想と構図が同じでも腕が上のアーリィに対するアルフェリドの劣等感によって培われた様々な知識と、その所為で一時的に失われそして取り戻した彼の絵に対する情熱から生まれたものだ。
そんな事を知りもしないでアルフェリドのことを盗作者と罵った挙句、同じ口でアルフェリドの事を好きだと抜かすアーリィに失望と怒りがこみ上げてきていた。
「帰れ」
そしてその感情を抑えることなく冷たく言い放ち、アルフェリドはドアを乱暴に閉じた。そしてドアが閉じられた音と共に、アーリィへのアルフェリドの関心は綺麗さっぱりと無くなった。
むしろこんなつまらない女に、今までの自分が何で執着していたのか不思議な位だった。
「何かあたしが悪いことを言ったのなら謝ります、だから開けてください!」
さて絵を描く続きでもするかと思考を切り替えようとして、ドンドンと力任せにドアを叩く音とアーリィの声が聞こえてきて、絵を描く気分ではなくなってしまった。
アーリィがどんな人物かなど最早アルフェリドには興味は無いが、少なくとも彼女は絵画を描く学生である。その作品に集中するのを阻害するというのはどういうことかは分かっているはずだ。
しかもここは学生の寮である。熱心な生徒はすでに新しい作品に取り掛かっていてもおかしくは無い場所で、その人たちの迷惑すらも顧みないアーリィのその行為に、アルフェリドは怒りを通り越して殺意すら思い浮かぶほどだった。
石膏像のように固まった表情のまま、アルフェリドはドンドンと煩いドアを開けた。
アルフェリドが顔を見せてホッとした表情のアーリィを、無表情のままアルフェリドは突き飛ばした。
壁に背中を強かに打ちつけられ、信じられないといった表情でアルフェリドを見上げるアーリィ。
「さっきからドンドンと煩いんだよ!周りの迷惑を考えろ!それと良い事を教えてやろう、俺がお前が大ッ嫌いな腕の無い盗作野郎のアルフェリドだ。良かったな、俺もお前のことが大嫌いなんだ。分かったら、さっさと帰れ!」
殺意を含んだ目でアーリィを見下すアルフェリド。
そのアルフェリドの言葉と態度に、驚愕した表情を張り付かせるアーリィ。
言うことは言ったとドアを閉じると共に、アルフェリドは今度ドアを無遠慮に叩いたら問答無用で殺そうと物騒なことを考えていた。
しかしドアが音を立てることは無く、そのアルフェリドの考えは実行に移されることは無かった。
もう一度カンバスに向き合ったものの、一度ささくれ立った心が描こうとするのは不気味な情景ばかり。
今日はもう絵を描くのは無理だとアルフェリドは諦めると、ベッドに入り寝てしまった。
なぜアルフェリドがアーリィに殺意を抱くほど怒ったのか、それを考えぬままに。
その中には発明や芸術といった分野に身を置いている者にとって一番不思議に思うのは、着想や発想が似ること――派的に言えば『ネタ』が被ることだろう。
何だそんなことかと言う人もいるかもしれないが考えてみて欲しい、人間にとって今まで生きてきた環境とそこから蓄えた知識というのは千差万別なはずである。
双子の発想が似か寄ることは理解できるが、なぜ赤の他人の思考がこと芸術と発明においては重なってしまう事があるのだろうか。謎は尽きない。
しかし一方で大多数の人が抱く印象の通りに、そんなことはどうでもいいこととも言える。
そんな謎を解明せずとも生活するのに不便は無いし、日常での話の種にすらならない。
だがある人物にとってこの『ネタ被り』というのは人生の命題であった。
「クソ、また駄目か!」
いまその命題に頭を抱えている人物――彼は芸術家の卵で画家のアルフェリド・ダーキン。彼はフッフェンボッド芸術学校に通う学生であり、幼い頃から神童と呼ばれた絵画の天才だった。
しかしアルフェリドがこの芸術学校に入学してからというもの、彼の絵画はまったく評価されなくなってしまった。
その理由が同じ学校に通う一人の学生――リャナンシーのアーリィ・フェンドの所為だった。
いや正確に言えば彼女の所為ではない。彼女は別に彼の評価の邪魔を直接的にしているわけではない。
それでは何が問題なのか、聡明な方々ならもうお分かりいただけると思うが、アルフェリドとアーリィは二人が申し合わせたかのように、着想から構図に到るまで大変似通った作品を同時期に作ってしまうのだ。
発明や文学ならば先に出した者が勝つのだが、こと芸術分野においてはそうはいかない。
着想と構図が同じならば、先に出そうが後に出そうが上手な方が賞賛され下手な方が駄作といわれるのだ。
アルフェリドは天才と言われていても所詮は人間。
リャナンシーという絵の才能に愛された種族、そして学校の中でも一番絵が上手いアーリィの描くものと比べられてしまえば、どうしても見劣りしてしまうのは致し方が無い。
この問題点を早期に発見したアルフェリドは、それからしばらくは無理して二枚絵を描いてアーリィの構図と被らない方を提出していたのだが、段々と自分の描きたいモノが描けないフラストレーションが蓄積していった。
やがてアルフェリドはそんな逃げの方法を止めると、アーリィの才能への絵画による全面戦争を仕掛けたのだ。
しかし結果はいままで全戦全敗。
着想が似か寄るのならば、その着想の肉付けの為に様々な本を読み漁って知識を蓄えた。構図が被るならばよりその構図が映える様に、絵の中の物の配置を変えて使う絵の具の顔料にも工夫を凝らした。
その努力の結果たしかにアルフェリドの腕はこの学校に入る前に比べて格段に進歩し、アーリィと絵画で比肩し得る腕を手に入れていた。
しかしアーリィがリャナンシーの魔法の絵筆で描いた絵――見たままの風景をそのまま四角いキャンパスに閉じ込めているような作品と比べると、アルフェリドの作品は全てがいま一歩足りなかった。
リャナンシーと技術で張り合えるようになったアルフェリドに、学校の教師も漸くアルフェリドが人間では無類の才能と腕を持っていると認め始めた。
だからこそ教師達は口をそろえてアルフェリドに言うのだ『リャナンシーと張り合うな』、『人間が芸術でリャナンシーに勝てるわけが無い』、『諦めて別の構図で腕を振るえ』と。
しかしアルフェリドは頑としてそれを聞き入れなかった。その選択肢は遥か以前に捨てたものだったから。
「なぜだ、なぜなんだ!」
故にアルフェリドは苦悩していた。
アルフェリドは考え付く全ての努力をして来た。それこそ絵を描くための勉強の為に寝食を削り、夢の中にでもカンパスを持ち込んで絵画に没頭してきた。しかしその尽くがアーリィの才能の前に全て無駄に終わってしまう。
だがアルフェリドがアーリィに直接対決できるチャンスは、もう学期末評価と卒業制作の二回だけしか残されていない。
更には学期末評価の提出は一週間後。いま彼が描き終え駄目出ししている絵がその提出作品のはずだった。
「だめだ、これじゃあ駄目なんだ!」
アルフェリドはそう自らの絵を評価しているが、しかしてその絵は大変素晴しいものだった。
夏のある日の出来事を切り取ったのだろうか、手に触れたら水滴が手に付くのではないかと錯覚させるほどの黄色い向日葵が、瑞々しく写実的にカンパス一杯に描かれ、その上には天界の神の顔が見えるかのように透き通った青空が広がっていた。
アルフェリドとアーリィのことを知らない画商がこの絵を見たら、宝箱一つ分の金貨と交換を持ちかけるほどに綺麗で美しい絵だった。
血走った目でアルフェリドが視線を横に向けると、そこには彼が没にしたまったく同じ構図の向日葵の絵が置いてあった。
こちらも絵画展に出展すれば絶賛されてしかるべき名画。しかしアルフェリドがたったいま書き上げたものよりかは幾分見劣りする。
それもそのはず。この没の絵の反省点と改良点を踏まえて全神経を傾けて書き上げたのが、つい今し方完成させた絵なのだから。
「なにが、何が悪いんだ!」
しかし改善したはずの絵ですら、アーリィの提出するであろう作品に勝てると自信がもてない。しかし改善点も見つける事が出来ない。
その改善点が分かるのはいつも品評会の会場でアーリィの作品を見た時。そうすればよかったのかと思わせる模範解答がいつもそこに描かれているのだ。
「俺の努力は、全て無駄だったのか……」
突如胸に飛来してきた虚無感に、ぽろりとアルフェリドの手から絵筆が落ち床に黄色い点を描いた。
がっくりと肩を落としたアルフェリドはそのまま洗面所へと向かい、虚無感を洗い流そうとするかのように二度三度と顔に水を叩きつけた。
そして顔を上げた彼の視線の先に、疲れ切り絶望している煤けた表情の青年――鏡に映ったアルフェリドが其処にいた。
ここ最近まともに鏡を見た事の無かったアルフェリドは、自分の顔はこんな風だったかと首を捻る。
そして変わり果てた自分の表情を記憶に刻んでから洗面所を出ると、奥に仕舞ったままになっていた実家から持ってきた一枚の絵を取り出した。
それは在りし日の、まだアルフェリドが幼く絵を描く事が大好きだった時代に書いた、笑顔溢れる自画像だった。
あり大抵にいってしまえば、その絵は下手糞だった。
自分の顔に合わせてただ絵の具を載せただけの、何の技術も無く構図すら無いような絵だった。
しかし其処には彼がアーリィと張り合う事でいつしか忘れてしまった、彼自身が絵を描く事を楽しむ感情に溢れていた。
(そうだ俺は絵を描くのが楽しくて描いていたのだった。誰かの評価を気にするわけでも、誰かと張り合うためでもなかった)
どうして忘れてしまったのだろうと、アルフェリドは大声を上げて笑い出した。
そして腹がよじれるほど笑うと、彼は部屋を出て寮の食堂に足を運んだ。
「あらどうしたのアルちゃん、こんな時間に?」
アルフェリドに声をかけたのは、ホブゴブリンにしては確りした印象を与えるマール。彼女はこの食堂の料理長であり男子寮の寮監でもある。
何時もは寮の皆が食事を終えた頃にふらりと来るアルフェリドが、夕食の仕込をしている最中という早い時間に食堂に現れた事に、マールは不思議そうにアルフェリドに尋ねた。
「マールさん、申し訳ないですけど今から俺の言う料理全部作ってくれませんか?」
アルフェリドはマールに自分が子供のときに好きだった料理を全て注文した。
「そんなに沢山食べられるの?」
「食べます。もし食べられなくても部屋で食べきります」
その料理の数の多さに眼を丸くして尋ねたマールに、笑顔でそう答えるアルフェリド。
「アルちゃんなんか雰囲気変わったね……絵を描くのに必要な事なのね?」
「はい。とても大切な、俺が忘れてしまった事を思い出すのに必要な事なんです」
「そう言わちゃしょうがないわね。特別扱いは今日だけだからね」
そうアルフェリドに念を押したマールは早速調理に取り掛かってくれた。
アルフェリドが頼んだ料理には多少手の込んだものもあり、時間が掛かるだろう。
やがて寮生がちらほらと食堂に入りはじめ、その全員が何時もは居ない見慣れぬアルフェリドが食堂のカウンターに座っているのを奇異な視線で一瞥した後、忙しそうに動くマールとは違う料理人に料理を頼んでいた。
そんな視線を気にする様子も無く今か今かと待ちわびるアルフェリドの前に、数点の料理が運ばれてきた。
「こ、これは……」
確かにアルフェリドが注文した料理に間違いは無い、しかしその量は子供用に少なくしたものだった。
「全部一人前に作っていたら食べきれるわけ無いからね、お子様サイズにしたんだけど駄目だった?」
「いいえ、大丈夫です。むしろこの方が良いです」
大人の体になった自分にとって物足りない量になった子供サイズの料理を見て、アルフェリドは時の流れを実感した。
そして子供の頃に食卓に出てくれば大喜びした懐かしい料理の臭いに、アルフェリドの胸に郷愁の思いが走り抜けると、大人になるにつれて澱んでしまった心の水が入れ替えらていく気がした。
その臭いに導かれるようにぱくりと料理を口に含み噛み締めると、頭中の最奥の更に下に埋もれていた子供の頃の記憶が浮かび上がってきた。
「おいしぃ、です……」
「私の料理を食べて涙を流してくれるなんて、料理人冥利に尽きます」
あはっと明るく笑って調理に戻ったマールを尻目に、アルフェリドは一心不乱に料理を味わいながら食べていく。
一つ一つの料理を片付けていくうちに、アルフェリドはどんどん昔のことを思い出し、段々と昔の絵を描くのが大好きだった自分が戻ってくるように感じた。
やがて頼んでいた料理が残り一品になる頃には、アルフェリドは疲れた顔をした枯れた青年から覇気の溢れる精悍な青年へと変貌を遂げていた。
「最後の一品です」
「有難う御座います」
出てきたのは卵と牛乳に砂糖を加えてただけのシンプルなプディング。アルフェリドの母が彼の晴れの日――この学校に入学が決まったときに作ってくれた思い出のデザートだった。
一掬いしてふるふると震える薄黄色の塊を口に入れると、学校に入る以前の未来への希望と将来の野望に満ち溢れたあの頃の自分が『やっと思い出したかこの馬鹿』と微笑んでいる幻想を抱いた。
「とても……とっても美味しかったです」
はちきれそうな腹に手を当ててマールにそう告げたアルフェリドは微笑んでいた。
「どう致しまして。そう言って下さると苦労した甲斐があったというものです」
「本当にお手数をおかけしました」
「いえいえ、学生を食事で手助けするのが私の仕事ですから。また何かあったら遠慮なく言ってくださいね」
アルフェリドに手を振ってマールは厨房の奥へと消えていった。
そしてアルフェリドも重たい腹を引きずるように部屋に戻ると、まっさらなカンバスとアタリ用の木炭を取り出し、さらに子供の頃に良く使っていたが最近ではあまり使う事も無くなった粘性が高めの油絵の具を取り出した。
「〜〜〜♪、〜〜〜〜〜♪」
幼い頃にそうしていた様に鼻歌を歌いながら、木炭を滑らせていく。
大まかながら素早く書かれた大きな花を咲かせる野に植えられた向日葵の絵は、アルフェリドが子供の頃に描いたのに比べて格段に上手くはなっていたが、それでもどこか線に子供っぽさが残っていた。
次にパレットに数種の絵の具を出して混ぜ合わせ、絵筆にたっぷりとその絵の具をつけると、絵を描いた事の無い子供が塗り絵するかのように木炭で描かれた輪郭に沿ってべたべたと塗りつけていく。
本来ならば落書きにしている様にしか見えないが、そこはリャナンシーに匹敵する腕の持ち主、絵画として崩壊する一歩手前の危ういバランスでどんどんと絵の具が塗られていく。
やがて大輪の花を咲かせた数株の向日葵が赤々と燃える空の下に描かれてはいたが、それは芸術学校の作品としては最下級のように見えた。
「さーて下地はこんなもんでいいかな〜〜〜♪」
そう言葉を零してアルフェリドはその絵の具の上に絵の具を重ねていく。あたかも自分の子供時代が終わり、そして絵画漬けの学生時代が始まったかのように。
彼の頭の中にあるのは、アーリィを打ち負かすために読みまくった芸術の教本にあった、ジパング製の木でできた浮き彫りの菊の彫刻。
あれをアルフェリドは絵の具を塗り重ねる事で表現しようと試みていた。
睡眠や食事を確り取りつつも、一週間後の学期末評価に間に合うように絵を描いていく。
筆が進むにつれてただの赤い塗装のようだった場所には、炎が燃え移ろうとしているかのような波立ち先端が尖った赤絵の具で空が表現された。
向日葵の花は実物がそうであるように、真ん中に行くにしたがって絵の具を塗り重ねて盛り上がりと膨らみを表現し、花びら一枚一枚に厚みと色づきの差に夏の日による照り返しを描き加えられ、茎にはあの手触りを絵の具の跳ねで表現し、葉っぱには細かな濃淡と葉脈が描かれていく。
そして締め切り前日に完成した絵は今までの絵画の常識を覆すような出来だった。
たしかにこれは向日葵の絵だろう。それも見るものを釘付けにするほどの名画だった。
いままでアルフェリドの培ってきた物体の大小による遠近法と色の濃淡で表現していた絵の立体感に、絵の具を重ね塗りした事で生まれた本物の立体感が加わることにより、向日葵が絵から飛び出してきているような錯覚を見るものに引き起こさせた。
そしてこの絵の向日葵の生命感に溢れた有様はどういうことだろうか。
今までの絵画が静々と情景を切り取ったものだとすれば、これは夏の日の向日葵の躍動感と生命の喜びを漏らさずに閉じ込めたものだと言えた。
これは今までの絵画芸術の常識に縛られない、まったく新しい表現方法だった。
そしてこの絵を評価しなければならない教師陣の評価は、見事なまでに真っ二つに割れた。この絵画を新しい芸術と認めるものと認めないものとに。
『こんな技法があったとは』と感嘆する教師がいれば、『こんな気が触れたものなど芸術ではない』と扱き下ろす教師もいた。
そしてアルフェリドのこの絵画に対する評価は保留にされ、一時的に『良』の認可を与えられた。
しかしアルフェリドにとってそんなことはどうでも良かった。
たしかに昔のアルフェリドにとっての模範解答的なアーリィの向日葵の絵が最優秀と認められたことに対して、アルフレッドが何も思わなかったとは言わないが、しかしそれよりも新しい自分の可能性を発見した事の方が重要だった。
評価を聞いた直ぐ後にはアルフェリドは部屋に戻り、さっそく新しい絵に取り掛かろうと真っ白なカンバスに何を描こうかと想いをめぐらしていた。
するとドアがコンコンを控えめに叩かれた。
偏屈なまでにずっと絵画を描くことに没頭してきたアルフェリドに、部屋を訪ねてくる友人はいなかった。
いったい誰だろうか。もしかしたら教師があの絵について文句を言いに来たのかもしれないと、アルフレッドは思った。
「はーい、いま開けます」
がちゃりとノブが回されてドアを開くと、目線の先には誰もいなかった。
誰かの悪戯かなと扉を閉めようとして、目線の下に誰かいるような気配がした。
下を向くと小さな女の子――背中に羽が生えていることからリャナンシーだとわかった。しかもこのリャナンシー、アルフェリドがいままで目の敵にして来たあのアーリィだった。
「何か御用ですか?」
しかし今のアルフェリドにとっては気になる相手ではない。しかし新しい技法に再挑戦しようとしている時に邪魔されたことに、少しだけ気分を害してはいた。
「あ、あの、貴方の作品見ました!」
有名な舞台役者に出会った生娘のように眼をキラキラさせて言葉を掛けてくるアーリィに、なにか嫌なものを感じて後ろに下がってしまうアルフェリド。
「そ、それはどうも。用件がそれだけなら……」
「貴方の絵に惚れました。あたしを妻にしてください!」
早々に会話を切り上げて逃げようとしたアルフェリドだったが、アーリィはそれを許さずに自分の思いをアルフェリドに言葉に出して伝える。
アーリィを妻――それどころか恋人にするなどアルフェリドは考えた事も無かったが、アーリィが自分にどんな印象を抱いているかは気になった。
「あの、俺の事知ってるの?」
「正直に言えば、貴方のことは何一つ知りませんが、あんなにすごい絵を描けるんです。きっと素敵な人に違いありません!」
完全に恋する瞳のアーリィは鼻息も荒くアルフェリドに詰め寄ってきた。
ろくに知りもしない人に告白するなんていうことが出来るという事が、アルフェリドは信じられなかった。
しかもアーリィのその物言いでは、アルフェリドの絵を描く腕に恋をしているだけであり、アルフェリドの人格などどうでも言いようにすら聞こえる。
「ちょっと落ち着いて。一応聞くけが、アルフェリド・ダーキンって知ってるか?」
ぎこちなくそう尋ねるアルフェリドの言葉を聴いた瞬間、アーリィは嫌なものを聞いたといった顔つきになる。
「何であたしの真似ばっかりする、あの腕無しの盗作者の名前が出てくるんですか?」
そのアーリィの言葉を聴いて、アルフェリドの心に冷たく熱い感情が生まれた。
あの技法は、着想と構図が同じでも腕が上のアーリィに対するアルフェリドの劣等感によって培われた様々な知識と、その所為で一時的に失われそして取り戻した彼の絵に対する情熱から生まれたものだ。
そんな事を知りもしないでアルフェリドのことを盗作者と罵った挙句、同じ口でアルフェリドの事を好きだと抜かすアーリィに失望と怒りがこみ上げてきていた。
「帰れ」
そしてその感情を抑えることなく冷たく言い放ち、アルフェリドはドアを乱暴に閉じた。そしてドアが閉じられた音と共に、アーリィへのアルフェリドの関心は綺麗さっぱりと無くなった。
むしろこんなつまらない女に、今までの自分が何で執着していたのか不思議な位だった。
「何かあたしが悪いことを言ったのなら謝ります、だから開けてください!」
さて絵を描く続きでもするかと思考を切り替えようとして、ドンドンと力任せにドアを叩く音とアーリィの声が聞こえてきて、絵を描く気分ではなくなってしまった。
アーリィがどんな人物かなど最早アルフェリドには興味は無いが、少なくとも彼女は絵画を描く学生である。その作品に集中するのを阻害するというのはどういうことかは分かっているはずだ。
しかもここは学生の寮である。熱心な生徒はすでに新しい作品に取り掛かっていてもおかしくは無い場所で、その人たちの迷惑すらも顧みないアーリィのその行為に、アルフェリドは怒りを通り越して殺意すら思い浮かぶほどだった。
石膏像のように固まった表情のまま、アルフェリドはドンドンと煩いドアを開けた。
アルフェリドが顔を見せてホッとした表情のアーリィを、無表情のままアルフェリドは突き飛ばした。
壁に背中を強かに打ちつけられ、信じられないといった表情でアルフェリドを見上げるアーリィ。
「さっきからドンドンと煩いんだよ!周りの迷惑を考えろ!それと良い事を教えてやろう、俺がお前が大ッ嫌いな腕の無い盗作野郎のアルフェリドだ。良かったな、俺もお前のことが大嫌いなんだ。分かったら、さっさと帰れ!」
殺意を含んだ目でアーリィを見下すアルフェリド。
そのアルフェリドの言葉と態度に、驚愕した表情を張り付かせるアーリィ。
言うことは言ったとドアを閉じると共に、アルフェリドは今度ドアを無遠慮に叩いたら問答無用で殺そうと物騒なことを考えていた。
しかしドアが音を立てることは無く、そのアルフェリドの考えは実行に移されることは無かった。
もう一度カンバスに向き合ったものの、一度ささくれ立った心が描こうとするのは不気味な情景ばかり。
今日はもう絵を描くのは無理だとアルフェリドは諦めると、ベッドに入り寝てしまった。
なぜアルフェリドがアーリィに殺意を抱くほど怒ったのか、それを考えぬままに。
11/08/13 13:25更新 / 中文字
戻る
次へ