【第三章・戦天使の休日=z
ホシト、いやステラがユーチェンに浴室でイかされてから、数日が過ぎた。
もちろんそのときのことは、ふたりだけの秘密……といっても部屋にいたのは女の子のステラであって、男子生徒のホシトじゃないからなんの問題も──
「さっきから何ボーッとしてるんです? ホシト先輩」
「あ? え、えっと……ううん、な、なんでもないわよ」
「わよ?」
「っ! じゃ、じゃなくて、なっ、なんでもない、なんでも──」
「ち、ちょっとホシト先輩っ、そっち女子トイレですよ?」
「あ? ま、間違えたっ(赤面)! ……………………きゃああっ!」
「ど、どうしたんです急に?」
「あ、いや、その……わ、わるい、お──俺、個室で座ってするな。…………な、なんで? いつも見慣れてるモノ、なのに── 」
「……?」
だけどそれは、彼……彼女をほんの少し、でも確実に変えていた。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
今日は七日に一度の公休日。ワールスファンデル学院も全ての学部で休講しており、寮生たちも前日の夕刻から実家に帰ったり、朝早くから外へ出かけたりしていて、学生寮の中は閑散としている。
食堂で遅い目の朝食を済ませて部屋に戻ると、ホシトは意味もなくまわりを見回し、何ごとかを決意したように大きくうなずいた。
「え……エンジェリンク、ヴァルキリー」
部屋にある姿見の前で呪文≠唱える。鏡に映ったその身体は光に包まれ、赤いドレスアーマーを纏った戦天使の少女へと変わった。
「……んっ」
肩や腰を捻って自身の姿を確認し、ホシト……否、ステラは改めて姿見に向き直った。
湖水のように蒼く澄んだ瞳が、鏡の中からこっちを見返してくる。
さっきまでとはまるで違う、だけどこれが今の自分。
──でも、さすがにこの格好のままじゃ目立っちゃうよね。
胸中でそうつぶやくと、背中の翼を消し、胸に手を当て大きく息をして……
「リメイク」
次の瞬間、身にまとったドレスアーマーが光の粒子と化して飛び散り、下着姿になる。光は再びステラを包み込むと、涅色(くりいろ)のワンピースへと変わった。
襟や袖口にフリルがあしらわれて、上品な中にも可愛らしさを感じさせるデザイン。左の手首にはブレスレット、足元はお洒落なストラップパンプス──実を言うとこのコーディネート、ユーチェンが「後学のために」と押し付け……もとい貸してくれたファッション誌に載っていたものの丸コピだったりする。
だけど──
「すてき……」
そんな言葉が自然に口をついて出た。玉を転がすような涼やかな声。
うきうきした気分になって、腰を軽く振り、姿見の前でくるっとターン。
ふわりと翻ったスカートの裾を摘むと、ステラは鏡に映る自分に小首を傾げて微笑んだ。
長く伸びた蜂蜜色の髪、小さくなった手と細い指、丸みを帯びた身体つき。
顎を引き、背筋を伸ばして肩を下げ、脚を揃えて腰を持ち上げ姿勢を整える。
わたし、女の子なんだ──
そう自覚すると、ハーフトップに包まれた胸の膨らみや、フラットになった股間とそこを覆うショーツの感触が、いつもと変わらない、自然なものに思えてきた。
「……うん、いい感じ」
鏡の中の自分に向かってもう一度にっこり笑いかけると、ステラは白澤先生からお下がりで貰ったパールピンクのポーチを手に、部屋のドアを押し開けて外へ出た。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
要するに、「開き直り」である。
今のところ誰にもバレていないし、いつでも元に戻れるし、どのみち変身したら頭の中まで女性化してしまうんだし……だったらいっそ女の子を楽しんじゃおう──と、ホシトもといステラはひとり休日の街へと繰り出した。
学院前から魔導トラムに乗って、五つ目の停留所で降りる。そこは商業地区のショッピングストリート。
いくつもの店が軒を連ね、大勢の買い物客でにぎわう赤煉瓦で舗装された通りを、彼女はポーチを持つ両の手を背中に回し、スカートの裾をなびかせ軽やかに歩く。
「……♪」
感じ方が女性のそれに変わっているせいか、いつもの街並みが違って見える。
すれ違う同じ年頃の少女たちのファッション、店に並んでいる化粧品に、アクセサリーやおしゃれな小物……男だったときは気にも留めなかったものに目がいってしまう。
どんっ──「きゃっ!」
よそ見しながら歩いていたら、前から走ってきた小さな女の子とぶつかった。ステラは後ろによろめいたその子を、あわてて抱きとめる。
「ごめんね。大丈夫?」
「うんっ。ありがとうお姉ちゃん」
母親らしき女性が駆け寄ってきて、何度も頭を下げてきた。ステラははにかんだ笑みを浮かべ、軽く会釈を返してその場を離れた。
「ふふっ……お姉ちゃん、か──」
口元をほころばせ、ぽつりとつぶやく。
そぞろ歩きに戻ったステラだったが、ふと振り向いて足を止めた。
「いいな、これ……」
ブティックの店先に飾られた、水色のサマードレス。しばしそれを見つめていたステラは、横にあったドアを開けて店の中へ入った。
「わあっ♪」
清楚な感じのアンサンブル、カジュアルなジャケット、ちょっと大胆なミニドレス……あちこちに飾られた色とりどりの衣服に、わくわくした気持ちを抑えられず、店中を見て回る。
「これも……、これも……あ、こっちもいい──」
ハンガーに掛けられていたブラウスやスカートを手に取り、鏡の前で身体に合わせるステラ。そこへ店員のひとり──頭のツノを見るに、おそらくサキュバス──がニコニコしながら歩み寄ってきた。
垂れ目で優しげな顔立ち、長い黒髪を後頭部でシニヨンにして、白いブラウスと短めのタイトスカートを身につけている。胸の膨らみはちょっと慎ましやかだった。
「いらっしゃいませ〜。どういったものをお探しですか?」
「……!? え、えっと、あ、いえ、その──」
「あら、申し訳ありません驚かせてしまって。お客さまがずいぶん迷われていらっしゃるようなので、お手伝いしようかと」
「あ、その、お──お構いなく」
手にした商品を、あたふたと棚に戻す。その気になれば「リメイク」を使ってどんな格好も自由自在なのだが、いろんな服を取っ替え引っ替えするのが楽しくて、ついテンションが上がってしまっていた、ようだ。
だけどその店員は、笑みを浮かべたまま、さらに間を詰めてきた。
「もしかして、彼氏さんとのデート用かしら?」
「ち、ち──違いますっ!」
耳元でそう囁かれ、ステラはあわてて言い返した。
「じゃあ片思いの人の気を引きたい、とか?」
「で、ですから、そんなんじゃなくて……」
脳裏に浮かび上がったポニテ少年──ソーヤの笑顔。あわててそれを消し去ろうとするが、思えば思うほど意識してしまい、そのイメージが確かなものになっていく。
「…………」
顔を赤らめたまま、ステラは恥ずかしげにもじもじとうつむいてしまう。そんな彼女にサキュバスの店員は目尻を下げ、「あらあら」と口もとをほころばせた。
「う〜ん、今着てるのもいいけど、もっと明るい色遣いのものも似合うかしらね……」
「え、あ、ち──ちょっとぉ?」
試着室へと連れ込まれ、着ていたワンピースを脱がされる。
灰色のハーフトップとショーツという下着姿にされ、恥ずかしさに胸の前で腕をクロスさせるステラ。サキュバスの店員は額に指を当てて、溜め息をついた。
「ずいぶん地味な下着ね。年頃の女の子なんだから、もっと可愛いのを着けてオシャレしなきゃ♪」
「は、はい……」
胸のサイズを測ってもらう。乳首に沿ってメジャーを巻き付けられて、ステラは思わず声を上げてしまった。
「や──やあぁんっ、くすぐったあ〜いっ」
「こらっ、動かないの。正確に測れないじゃない」
「あ、あのっ、ほ──本当にこれ、サイズ測ってるの?」
「失礼ね。たしかにあたしはサキュバスだけど、お店のお客さん相手にエッチなことはしないわよ」
「…………」
差し出されたブラジャーとショーツを身につける。背中のホックを留められずにもたもたするステラを見かねて、店員が手を伸ばしてきた。
「ほら、前かがみになっておっぱいをちゃんとカップに入れるっ。背中を留めて、脇のお肉を寄せ上げて……肩のストラップを調整してっと。どう? どこか苦しいところはないかしら?」
肩をぽんと叩かれる。ステラは改めて試着室の姿見に向き直った。
「あ……」
鏡に映っていたのは、薄いピンク色のフリルがあしらわれた白いブラジャーとショーツを身につけて、頬を赤く染めた自分の姿──
「これが、わたし……?」
無意識のうちに、つぶやきがこぼれた。
フルカップに包まれて、綺麗な形に整えられた己が胸の双球に見入ってしまう。
「…………」
女の子の下着をきちんと着けていることが気恥ずかしく、でも何故か嬉しく誇らしい。
「うん、とってもよく似合ってるわよ。よかったら他のも試着してみる?」
「え、ええ……」
店員の問いかけに、はにかむような表情を浮かべて応える。
着飾る楽しさに目覚め、また一段女の子≠フ階段を登ってしまったステラであった。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
クリスティアレイクの湖畔にあるサラサイラ・シティは、その湖水を基にした染色・紡績業が基幹産業である。観光地としてもそこそこ有名であり、また近年では魔力で動く機械──魔導機械製作のファクトリーがいくつも開設されたため、市に出入りする人の数はいちだんと多くなっているとか。
「げっ、あの時のヴァルキリー!?」「なんでこんなとこにいるのよっ?」
「あ、あなたたち──」
ブティックを出て振り向いた瞬間、ステラは見知った二人……いや三人と鉢合わせた。
白いワンピースの上から薄紫色のボレロを羽織ったユニコーン娘のフィーネと、ピンクのアウターキャミソールに黒いスキニーパンツを合わせた装いのダークエルフ娘ベネッタ、そして──
「また性懲りもなくその子に言い寄ってるのっ!?」
「「…………」」
「だ、大丈夫だよ天使のお姉ちゃんっ」
フィーネの背中(馬体)に跨っていた男の子──ルルトが、いきり立つステラにあわてて声をかける。「……フィーネお姉ちゃんもベネッタお姉ちゃんも、ケンカやめてなかよくなってくれたからっ!」
「…………」
どうやらこの二人、幼い彼を「共有」することにしたらしい。
「あ〜その、ま、まあ、なんだ……え、Mに染めるのはまだまだあとでもいいかなって。……い、今はこの子の優しいお姉ちゃんでいようかと──」
胡乱な視線を向けてくるステラにそう言うと、ベネッタは尖った耳の先まで真っ赤にして目をそらした。
強気強引加虐気質なダークエルフとは思えない、その態度。一瞬呆気にとられたステラだったが、隣に澄まし顔で立つユニコーン娘に声をかける。
「フィーネはいいの?」
「し、仕方ないじゃない。お互い譲れないんだし……」
「でも、ユニコーンって確か──」
「純潔の魔物娘」とも呼ばれるユニコーンは、他の魔物娘と交わった男性の精を受けると、そのツノにある治癒の力を失ったり、亜種であるバイコーンへ転化したりすると言われている。
だが、フィーネはベネッタとは反対に、ステラの目を真っ直ぐ見返した。
「わかってる。けど、そのときが来るのは先の話になりそうだし……それに、たとえどんな姿になっても、わたしはわたしだから」
「…………」
きっぱりと言い切った彼女の言葉が、ステラの心をざわつかせる。
これからみんなで人形劇を見に行くんだ〜、とはしゃぐルルトに優しげな笑顔を浮かべるフィーネとベネッタ。雑踏の中に紛れていく彼らの後ろ姿を、戦天使の少女は無言で、そして少し羨ましげに見送った。
しばしその場に立ち尽くし、やがて人波に流されるように踵を返す。
「どんな姿になっても、わたしはわたし……か」
ぽつりとつぶやき、ステラはショーウインドウに映る自分に目をやった。
涅色のワンピースを着た、蒼い瞳と蜂蜜色の髪の少女が見返してくる。
空いた手で、そっと胸元を押さえる。服の下に着けているのは、ブティックの店員に勧められて買ったブラジャーとショーツのセット。
──もしも、もしもこのまま……
「ステラさん」
このまま、ステラ≠フままでいたら……
「ステラさん」
わたしも、フィーネやベネッタみたいに……
「ステラさんっ」「……えっ?」
その声が自分の想像じゃなく実際に聞こえてきたことに気づき、ステラはあわててまわりを見回した。
「やっぱりステラさんだ」
「そっ……ソーヤっ、くん?」
私服姿──リネンの白シャツに紺色のオーバーオールという格好のポニテ少年が、通りを横切り駆け寄ってくる。
「よかった……いつもと違う格好だったから、人違いかと思いました」
「あ、え……えっと、その──」
「あ……」
まさかこんなところで出会うとは、思ってもいなかった……まあ、それは向こうも同じなのだろうけど。
ステラは顔を赤らめ、ドキドキする胸にまた手を当てて戸惑う。つられてソーヤも顔を赤くして、
「ご、ごめんなさい。あ〜、えっと、そ──その服も、に、似合ってます……とっても」
「あ、う、うん、ありがとう……」
「…………」
「…………」
互いに顔を真っ赤にして見つめ合う。そんな二人を道行く人たちが、くすくす笑いながら生暖かい視線を向けて通り過ぎていく。
「……い、行きましょうソーヤくんっ!」
「え? 行くってどこへ……うわぁっ!?」
沈黙と恥ずかしさに耐えられなくなったステラは、ソーヤの手を強引につかむと、その場から逃げ出すように駆け出した。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
「ようこそドラゴニア料理店ラブライド・サラサイラ三号店へ! お二人様ですか? こちらのテーブルへどうぞ〜♪」
近くにあったレストランに入り、テーブル席に向かい合って座る。
注文を取りにきたキキーモラのウェイトレスに、パムム──袋状のパン生地に具を詰めたドラゴニアのファストフード──のセットメニューを注文し、ステラとソーヤは上目遣いでお互いの顔をうかがった。
「あ……あのっ」
「は、はいっ」
「え、えっと、その、ステラさんは、き、今日は何を? ……あ、もしかしてまた誰かが──」
「そうじゃなくて、今日はその、し──ショッピング、かな? ソーヤくんこそ、今からどこか行くつもり、だったの?」
隣に置いてあるブティックの紙袋にちらっと目をやって、問い返すステラ。
「僕は……これで何か撮ってみようかな、って」
そう言って、ソーヤは首から下げていた小さな黒い箱をテーブルにのせた。
正面に丸く透き通った部品──レンズが縦に二つ並んでいる。
「写真機?」
「はい。父さんの、お下がりなんですけど……」
二眼レフの箱カメラに手を添えて、はにかむように答えるソーヤ。
そこに注文した料理が運ばれてきた。スパイシーな香りが鼻をくすぐり、話が途切れる。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか? それではごゆっくりどうぞ〜♪」
「い、いただきますっ」「……いただきます」
ちょうど昼時。二人はセットメニューに手を伸ばした。
スープの入ったマグカップを両手で持ってふーふーするステラに、ソーヤはパムムを手にクスッと笑みを浮かべる。
「な……何?」
「い、いえ、ステラさんもホシト先輩みたく猫舌なんだって……あ、えっとホシト先輩っていうのは僕より前に学院に入った──」
「そ、それよりソーヤくんのこと、き、聞かせて欲しい、かも。反魔物領から逃げてきたって……あっ!」
自分(ホシト)のことから話題を逸らそうとして、また余計なことを言ってしまった。あわてて口に手をやるステラ。
しかしソーヤは特に気にした素振りもなく、話し始めた。ほっぺたにソースが付いているのはご愛嬌だ。
「えっと、僕の家はソラリア教団領で輸入雑貨の店をやってたんです。でも、聖都から来た教団軍が街に居座るようになってから、関所や検問がやたらと厳重になってしまって……」
人や物の行き来が極端に制限されたため、領外から売り物が全く入ってこなくなり、そしていよいよ店を畳まなければならなくなったある日の夜中、いきなり父親に叩き起こされ「逃げるぞ」と言われて──
「……それで、家族で伝手を頼ってサラサイラに亡命、というか夜逃げしてきたんです」
「…………」
街道が整備され、鉄道が敷設されるようになった今の時代、反魔物領に住む人間が皆々、魔物娘を妄信的に敵視しているわけではない。
ヒトならざる者たちと必要以上に関わらない……というのが最近の反魔物領・反魔物国家のスタンスである。とはいえ、未だに「魔物は人間を喰らう恐るべき存在」だと喧伝する古臭い主神教団直轄領もまだまだ残っている。
……もしかしたらソーヤの両親は、息子が勇者の資質持ちだということを知っていたのかもしれない。教団軍が幅を利かすソラリアでもしそのことが明るみになったら、彼は問答無用で徴兵され、「教団の剣」「主神の力の代行者」などといった肩書きと引き換えに自由を奪われてしまう──
だからこの機会に親魔物領への亡命を実行した……なんて飛躍し過ぎかな? と、口の中のパムムを飲み込み思うステラ。
「ご、ごめんなさい。嫌なこと訊いちゃって」
「気にしないでステラさん。父さんたちもこの街でまたお店を開くことができたし、僕も学院に通えるし、実のところこっちに来てよかったって思ってるんです」
「ソーヤくん……」
魔物娘さんたちに襲われるのだけは、困りもんですけどね……と、くちびるのソースをぬぐって苦笑するその顔を、ステラは眩しげに見つめた。
それに気づいているのかいないのか、ソーヤは彼女に向き直り、遠慮がちに問いかけた。
「と、ところでステラさん……えっと、こ、このあと、何か予定は──」
「あ、うん、特にないけど……」
「じゃあ、もし、よ、よかったら……えっと、その…………すっ、ステラさんの、しゃ、写真を撮らせてくれません、か……?」
「は?」
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
商店街を湖側へと抜け、水路を横に少し行くと小高い丘になっていて、そこにサラサイラ市民公園がある。
緑が整備され、ブランコやすべり台、ジャングルジムなどの遊具が置かれた広場や、ジパング風庭園、野外ステージなどが設けられていて、街に住む人々の憩いの場として親しまれている。
ステラとソーヤは撮影場所を探して、湖が一望できる公園の遊歩道を辿っていく。
まわりには子どもたちや家族連れ、何組かのカップルが、思い思いに景色を楽しんだり、散策したりしている。
「ほらっ、ご主人さま早く早くっ!」
「ち……ちょっと待ってよマリィ!」
タンクトップ短パン姿のコボルト少女が、同じ年頃の少年を引っ張って楽しそうに駆けていく。
「もう我慢できねえっ! ユウト、そこの林の中でヤルぞっ!」
「ひっ、人が見てるってこんな昼間っから……うわあああああっリナさぁんっ!」
Tシャツにダメージジーンズというラフな格好をした長身のオーガ娘が、幸薄そうな細身の男性の襟首をつかんで大股で雑木林の中へと入っていく。
ある意味平和な、親魔物領の休日の風景。
「……で、父さんが言ったんです。『確かに品不足だけど、倉庫に何年も放っておいたものを検品もせずに納めるってどういうつもりだ』って──」
「そ、そんなことあったんだ……」
とりとめのない話に相槌をうちながら、ステラは隣を歩くソーヤを横目でちらっとうかがった。
──えっとこれって、デート……だよね?
「…………」
──どんな風に見られてるのかな? 姉弟にしか見えなかったりして……
頭ひとつ分背の低いポニテ少年に、くすりと微笑む。
ソーヤは立ち止まると、両手の指で枠をつくり、まわりをぐるっと見回した。
「この辺でいいかな……ステラさん、ちょっとそこに立ってもらえますか? 手すりに軽くもたれかかる感じで」
「あ、うん、わかった──」
ステラは湖側に設けられた手すりに腰を預けると、背筋を伸ばしてソーヤの方へ向き直った。
「こんな感じ、かな?」
「はい。……あ、そんなに緊張しないで」
下を向いてカメラのファインダーを覗きながら、ソーヤが答える。
側面のダイヤルでピントを合わせ、蓋の内側にある微調整用のルーペを折り畳む。
「じゃあ、撮りますね」
「あ、う、うん」
緊張しないでと言われたのに、思わず身構えてしまう。無理もない……ホシトとしてならともかく、ステラ≠ニして写真に撮られるのは、これが初めてなのだから。
カシャリ──
かすかな音とともにシャッターが切られた。ステラはほっと息を吐き、肩の力を抜いて表情を和らげる。
ソーヤはファインダーに目をやったまま、撮影用レンズに付いているコッキング(シャッターチャージ)レバーを指で素早く下げると、
カシャリ──
「……え?」
二回目は完全に不意打ちだった。「ち、ちょっとソーヤくんっ!?」
「あはは、ごめんなさい。でも、きっと今の方が自然な感じで撮れてると思いますよ」
「もうっ」
悪びれもせず頭に手をやるポニテ少年の顔を、ステラは頬を赤らめにらみつける。
ちなみにファインダー用と撮影用にレンズが別々になっている二眼カメラは、ピント合わせが難しいらしく、初心者は「同じ構図で二枚撮り」が推奨されているのだとか。
「場所を変えて、もう少し撮影してもいいですか?」
「え、ええ。でも今度はちゃんと撮る前に声かけて──って、そうだっ♪」
と、そこで驚かされたお返しを思いつき、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「す、ステラさん?」
「見てて、ソーヤくん」
ステップを踏むようにあとずさると、左手首のブレスレットを触って、その場でくるっとターン。
次の瞬間ステラの着ていた涅色のワンピースが光に包まれ、息をのむソーヤの目の前で形と色を変えていく──
「……どう? 似合う?」
まわりがどよめく中、着ていた服をブティックにあったあの水色のサマードレスに「リメイク」したステラは、スカートの裾をふわりとひるがえして振り向き、からかうような笑みを浮かべた。
「あ、は、はい……、と、とっても……」
顔を真っ赤にして答えるソーヤ。なお、光の中で一瞬見えた彼女の下着姿は、しっかりくっきり目に焼き付いていたりして。
「ふんっ、衣装チェンジくらいわたくしにもできますわ」
「でもセリカさんは、今のメイド服姿が一番似合ってますよ」「……え?(ぽっ)」
張り合おうとするショゴス娘を、隣にいた研究者風の青年がたしなめる。
もっとも当のステラ自身は「ソーヤくんにお返しのドッキリ大成功!」とでも思っているのか、横でそんなこと言われているなんて(あと買ったばかりのブラジャーとショーツを見られたことにも)全く気づいていないようだ。
「ふふっ、じゃあ次はこの服で撮ってくれる? ソーヤくん♪」
「え、あ、そ──その、えっと、は、はいっ……」
差し出されたその手を、ソーヤはおずおずと握り返す。
だが、
「……あら? 何かしら?」
その肩越しに、街の警邏隊士たちがただならぬ様子で野外ステージの方へと走っていくのが見えて、ステラは怪訝な表情を浮かべる。
ソーヤも彼女の視線を追って後ろを振り向き、眉根を寄せた。
「何かあった、みたいですね」
「行ってみましょう、ソーヤくん」
「え? ち、ちょっとステラさ……うわあああああああっ!?」
ステラはソーヤの手をぎゅっと握りしめ、そのまま後を追って走り出した。
to be continued...
─ appendix ─
ステラが出たあとのブティックにて──
「う〜ん……」
「あれ? どうかしたんですか先輩?」
「あ、いや、さっき相手した金髪の子なんだけど……な〜んかあたしに雰囲気が似てるっていうか、同じ匂いがするっていうか──」
「気のせいですね(きっぱり)」
「即答っ!?」
「だって先輩みたく、女物の衣服が好きすぎてアルプ化しちゃったなんて人間、そうそういるわけないでしょが」
「ちょっ、なんでそのこと知ってるのよあなたっ!?」
もちろんそのときのことは、ふたりだけの秘密……といっても部屋にいたのは女の子のステラであって、男子生徒のホシトじゃないからなんの問題も──
「さっきから何ボーッとしてるんです? ホシト先輩」
「あ? え、えっと……ううん、な、なんでもないわよ」
「わよ?」
「っ! じゃ、じゃなくて、なっ、なんでもない、なんでも──」
「ち、ちょっとホシト先輩っ、そっち女子トイレですよ?」
「あ? ま、間違えたっ(赤面)! ……………………きゃああっ!」
「ど、どうしたんです急に?」
「あ、いや、その……わ、わるい、お──俺、個室で座ってするな。…………な、なんで? いつも見慣れてるモノ、なのに── 」
「……?」
だけどそれは、彼……彼女をほんの少し、でも確実に変えていた。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
今日は七日に一度の公休日。ワールスファンデル学院も全ての学部で休講しており、寮生たちも前日の夕刻から実家に帰ったり、朝早くから外へ出かけたりしていて、学生寮の中は閑散としている。
食堂で遅い目の朝食を済ませて部屋に戻ると、ホシトは意味もなくまわりを見回し、何ごとかを決意したように大きくうなずいた。
「え……エンジェリンク、ヴァルキリー」
部屋にある姿見の前で呪文≠唱える。鏡に映ったその身体は光に包まれ、赤いドレスアーマーを纏った戦天使の少女へと変わった。
「……んっ」
肩や腰を捻って自身の姿を確認し、ホシト……否、ステラは改めて姿見に向き直った。
湖水のように蒼く澄んだ瞳が、鏡の中からこっちを見返してくる。
さっきまでとはまるで違う、だけどこれが今の自分。
──でも、さすがにこの格好のままじゃ目立っちゃうよね。
胸中でそうつぶやくと、背中の翼を消し、胸に手を当て大きく息をして……
「リメイク」
次の瞬間、身にまとったドレスアーマーが光の粒子と化して飛び散り、下着姿になる。光は再びステラを包み込むと、涅色(くりいろ)のワンピースへと変わった。
襟や袖口にフリルがあしらわれて、上品な中にも可愛らしさを感じさせるデザイン。左の手首にはブレスレット、足元はお洒落なストラップパンプス──実を言うとこのコーディネート、ユーチェンが「後学のために」と押し付け……もとい貸してくれたファッション誌に載っていたものの丸コピだったりする。
だけど──
「すてき……」
そんな言葉が自然に口をついて出た。玉を転がすような涼やかな声。
うきうきした気分になって、腰を軽く振り、姿見の前でくるっとターン。
ふわりと翻ったスカートの裾を摘むと、ステラは鏡に映る自分に小首を傾げて微笑んだ。
長く伸びた蜂蜜色の髪、小さくなった手と細い指、丸みを帯びた身体つき。
顎を引き、背筋を伸ばして肩を下げ、脚を揃えて腰を持ち上げ姿勢を整える。
わたし、女の子なんだ──
そう自覚すると、ハーフトップに包まれた胸の膨らみや、フラットになった股間とそこを覆うショーツの感触が、いつもと変わらない、自然なものに思えてきた。
「……うん、いい感じ」
鏡の中の自分に向かってもう一度にっこり笑いかけると、ステラは白澤先生からお下がりで貰ったパールピンクのポーチを手に、部屋のドアを押し開けて外へ出た。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
要するに、「開き直り」である。
今のところ誰にもバレていないし、いつでも元に戻れるし、どのみち変身したら頭の中まで女性化してしまうんだし……だったらいっそ女の子を楽しんじゃおう──と、ホシトもといステラはひとり休日の街へと繰り出した。
学院前から魔導トラムに乗って、五つ目の停留所で降りる。そこは商業地区のショッピングストリート。
いくつもの店が軒を連ね、大勢の買い物客でにぎわう赤煉瓦で舗装された通りを、彼女はポーチを持つ両の手を背中に回し、スカートの裾をなびかせ軽やかに歩く。
「……♪」
感じ方が女性のそれに変わっているせいか、いつもの街並みが違って見える。
すれ違う同じ年頃の少女たちのファッション、店に並んでいる化粧品に、アクセサリーやおしゃれな小物……男だったときは気にも留めなかったものに目がいってしまう。
どんっ──「きゃっ!」
よそ見しながら歩いていたら、前から走ってきた小さな女の子とぶつかった。ステラは後ろによろめいたその子を、あわてて抱きとめる。
「ごめんね。大丈夫?」
「うんっ。ありがとうお姉ちゃん」
母親らしき女性が駆け寄ってきて、何度も頭を下げてきた。ステラははにかんだ笑みを浮かべ、軽く会釈を返してその場を離れた。
「ふふっ……お姉ちゃん、か──」
口元をほころばせ、ぽつりとつぶやく。
そぞろ歩きに戻ったステラだったが、ふと振り向いて足を止めた。
「いいな、これ……」
ブティックの店先に飾られた、水色のサマードレス。しばしそれを見つめていたステラは、横にあったドアを開けて店の中へ入った。
「わあっ♪」
清楚な感じのアンサンブル、カジュアルなジャケット、ちょっと大胆なミニドレス……あちこちに飾られた色とりどりの衣服に、わくわくした気持ちを抑えられず、店中を見て回る。
「これも……、これも……あ、こっちもいい──」
ハンガーに掛けられていたブラウスやスカートを手に取り、鏡の前で身体に合わせるステラ。そこへ店員のひとり──頭のツノを見るに、おそらくサキュバス──がニコニコしながら歩み寄ってきた。
垂れ目で優しげな顔立ち、長い黒髪を後頭部でシニヨンにして、白いブラウスと短めのタイトスカートを身につけている。胸の膨らみはちょっと慎ましやかだった。
「いらっしゃいませ〜。どういったものをお探しですか?」
「……!? え、えっと、あ、いえ、その──」
「あら、申し訳ありません驚かせてしまって。お客さまがずいぶん迷われていらっしゃるようなので、お手伝いしようかと」
「あ、その、お──お構いなく」
手にした商品を、あたふたと棚に戻す。その気になれば「リメイク」を使ってどんな格好も自由自在なのだが、いろんな服を取っ替え引っ替えするのが楽しくて、ついテンションが上がってしまっていた、ようだ。
だけどその店員は、笑みを浮かべたまま、さらに間を詰めてきた。
「もしかして、彼氏さんとのデート用かしら?」
「ち、ち──違いますっ!」
耳元でそう囁かれ、ステラはあわてて言い返した。
「じゃあ片思いの人の気を引きたい、とか?」
「で、ですから、そんなんじゃなくて……」
脳裏に浮かび上がったポニテ少年──ソーヤの笑顔。あわててそれを消し去ろうとするが、思えば思うほど意識してしまい、そのイメージが確かなものになっていく。
「…………」
顔を赤らめたまま、ステラは恥ずかしげにもじもじとうつむいてしまう。そんな彼女にサキュバスの店員は目尻を下げ、「あらあら」と口もとをほころばせた。
「う〜ん、今着てるのもいいけど、もっと明るい色遣いのものも似合うかしらね……」
「え、あ、ち──ちょっとぉ?」
試着室へと連れ込まれ、着ていたワンピースを脱がされる。
灰色のハーフトップとショーツという下着姿にされ、恥ずかしさに胸の前で腕をクロスさせるステラ。サキュバスの店員は額に指を当てて、溜め息をついた。
「ずいぶん地味な下着ね。年頃の女の子なんだから、もっと可愛いのを着けてオシャレしなきゃ♪」
「は、はい……」
胸のサイズを測ってもらう。乳首に沿ってメジャーを巻き付けられて、ステラは思わず声を上げてしまった。
「や──やあぁんっ、くすぐったあ〜いっ」
「こらっ、動かないの。正確に測れないじゃない」
「あ、あのっ、ほ──本当にこれ、サイズ測ってるの?」
「失礼ね。たしかにあたしはサキュバスだけど、お店のお客さん相手にエッチなことはしないわよ」
「…………」
差し出されたブラジャーとショーツを身につける。背中のホックを留められずにもたもたするステラを見かねて、店員が手を伸ばしてきた。
「ほら、前かがみになっておっぱいをちゃんとカップに入れるっ。背中を留めて、脇のお肉を寄せ上げて……肩のストラップを調整してっと。どう? どこか苦しいところはないかしら?」
肩をぽんと叩かれる。ステラは改めて試着室の姿見に向き直った。
「あ……」
鏡に映っていたのは、薄いピンク色のフリルがあしらわれた白いブラジャーとショーツを身につけて、頬を赤く染めた自分の姿──
「これが、わたし……?」
無意識のうちに、つぶやきがこぼれた。
フルカップに包まれて、綺麗な形に整えられた己が胸の双球に見入ってしまう。
「…………」
女の子の下着をきちんと着けていることが気恥ずかしく、でも何故か嬉しく誇らしい。
「うん、とってもよく似合ってるわよ。よかったら他のも試着してみる?」
「え、ええ……」
店員の問いかけに、はにかむような表情を浮かべて応える。
着飾る楽しさに目覚め、また一段女の子≠フ階段を登ってしまったステラであった。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
クリスティアレイクの湖畔にあるサラサイラ・シティは、その湖水を基にした染色・紡績業が基幹産業である。観光地としてもそこそこ有名であり、また近年では魔力で動く機械──魔導機械製作のファクトリーがいくつも開設されたため、市に出入りする人の数はいちだんと多くなっているとか。
「げっ、あの時のヴァルキリー!?」「なんでこんなとこにいるのよっ?」
「あ、あなたたち──」
ブティックを出て振り向いた瞬間、ステラは見知った二人……いや三人と鉢合わせた。
白いワンピースの上から薄紫色のボレロを羽織ったユニコーン娘のフィーネと、ピンクのアウターキャミソールに黒いスキニーパンツを合わせた装いのダークエルフ娘ベネッタ、そして──
「また性懲りもなくその子に言い寄ってるのっ!?」
「「…………」」
「だ、大丈夫だよ天使のお姉ちゃんっ」
フィーネの背中(馬体)に跨っていた男の子──ルルトが、いきり立つステラにあわてて声をかける。「……フィーネお姉ちゃんもベネッタお姉ちゃんも、ケンカやめてなかよくなってくれたからっ!」
「…………」
どうやらこの二人、幼い彼を「共有」することにしたらしい。
「あ〜その、ま、まあ、なんだ……え、Mに染めるのはまだまだあとでもいいかなって。……い、今はこの子の優しいお姉ちゃんでいようかと──」
胡乱な視線を向けてくるステラにそう言うと、ベネッタは尖った耳の先まで真っ赤にして目をそらした。
強気強引加虐気質なダークエルフとは思えない、その態度。一瞬呆気にとられたステラだったが、隣に澄まし顔で立つユニコーン娘に声をかける。
「フィーネはいいの?」
「し、仕方ないじゃない。お互い譲れないんだし……」
「でも、ユニコーンって確か──」
「純潔の魔物娘」とも呼ばれるユニコーンは、他の魔物娘と交わった男性の精を受けると、そのツノにある治癒の力を失ったり、亜種であるバイコーンへ転化したりすると言われている。
だが、フィーネはベネッタとは反対に、ステラの目を真っ直ぐ見返した。
「わかってる。けど、そのときが来るのは先の話になりそうだし……それに、たとえどんな姿になっても、わたしはわたしだから」
「…………」
きっぱりと言い切った彼女の言葉が、ステラの心をざわつかせる。
これからみんなで人形劇を見に行くんだ〜、とはしゃぐルルトに優しげな笑顔を浮かべるフィーネとベネッタ。雑踏の中に紛れていく彼らの後ろ姿を、戦天使の少女は無言で、そして少し羨ましげに見送った。
しばしその場に立ち尽くし、やがて人波に流されるように踵を返す。
「どんな姿になっても、わたしはわたし……か」
ぽつりとつぶやき、ステラはショーウインドウに映る自分に目をやった。
涅色のワンピースを着た、蒼い瞳と蜂蜜色の髪の少女が見返してくる。
空いた手で、そっと胸元を押さえる。服の下に着けているのは、ブティックの店員に勧められて買ったブラジャーとショーツのセット。
──もしも、もしもこのまま……
「ステラさん」
このまま、ステラ≠フままでいたら……
「ステラさん」
わたしも、フィーネやベネッタみたいに……
「ステラさんっ」「……えっ?」
その声が自分の想像じゃなく実際に聞こえてきたことに気づき、ステラはあわててまわりを見回した。
「やっぱりステラさんだ」
「そっ……ソーヤっ、くん?」
私服姿──リネンの白シャツに紺色のオーバーオールという格好のポニテ少年が、通りを横切り駆け寄ってくる。
「よかった……いつもと違う格好だったから、人違いかと思いました」
「あ、え……えっと、その──」
「あ……」
まさかこんなところで出会うとは、思ってもいなかった……まあ、それは向こうも同じなのだろうけど。
ステラは顔を赤らめ、ドキドキする胸にまた手を当てて戸惑う。つられてソーヤも顔を赤くして、
「ご、ごめんなさい。あ〜、えっと、そ──その服も、に、似合ってます……とっても」
「あ、う、うん、ありがとう……」
「…………」
「…………」
互いに顔を真っ赤にして見つめ合う。そんな二人を道行く人たちが、くすくす笑いながら生暖かい視線を向けて通り過ぎていく。
「……い、行きましょうソーヤくんっ!」
「え? 行くってどこへ……うわぁっ!?」
沈黙と恥ずかしさに耐えられなくなったステラは、ソーヤの手を強引につかむと、その場から逃げ出すように駆け出した。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
「ようこそドラゴニア料理店ラブライド・サラサイラ三号店へ! お二人様ですか? こちらのテーブルへどうぞ〜♪」
近くにあったレストランに入り、テーブル席に向かい合って座る。
注文を取りにきたキキーモラのウェイトレスに、パムム──袋状のパン生地に具を詰めたドラゴニアのファストフード──のセットメニューを注文し、ステラとソーヤは上目遣いでお互いの顔をうかがった。
「あ……あのっ」
「は、はいっ」
「え、えっと、その、ステラさんは、き、今日は何を? ……あ、もしかしてまた誰かが──」
「そうじゃなくて、今日はその、し──ショッピング、かな? ソーヤくんこそ、今からどこか行くつもり、だったの?」
隣に置いてあるブティックの紙袋にちらっと目をやって、問い返すステラ。
「僕は……これで何か撮ってみようかな、って」
そう言って、ソーヤは首から下げていた小さな黒い箱をテーブルにのせた。
正面に丸く透き通った部品──レンズが縦に二つ並んでいる。
「写真機?」
「はい。父さんの、お下がりなんですけど……」
二眼レフの箱カメラに手を添えて、はにかむように答えるソーヤ。
そこに注文した料理が運ばれてきた。スパイシーな香りが鼻をくすぐり、話が途切れる。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか? それではごゆっくりどうぞ〜♪」
「い、いただきますっ」「……いただきます」
ちょうど昼時。二人はセットメニューに手を伸ばした。
スープの入ったマグカップを両手で持ってふーふーするステラに、ソーヤはパムムを手にクスッと笑みを浮かべる。
「な……何?」
「い、いえ、ステラさんもホシト先輩みたく猫舌なんだって……あ、えっとホシト先輩っていうのは僕より前に学院に入った──」
「そ、それよりソーヤくんのこと、き、聞かせて欲しい、かも。反魔物領から逃げてきたって……あっ!」
自分(ホシト)のことから話題を逸らそうとして、また余計なことを言ってしまった。あわてて口に手をやるステラ。
しかしソーヤは特に気にした素振りもなく、話し始めた。ほっぺたにソースが付いているのはご愛嬌だ。
「えっと、僕の家はソラリア教団領で輸入雑貨の店をやってたんです。でも、聖都から来た教団軍が街に居座るようになってから、関所や検問がやたらと厳重になってしまって……」
人や物の行き来が極端に制限されたため、領外から売り物が全く入ってこなくなり、そしていよいよ店を畳まなければならなくなったある日の夜中、いきなり父親に叩き起こされ「逃げるぞ」と言われて──
「……それで、家族で伝手を頼ってサラサイラに亡命、というか夜逃げしてきたんです」
「…………」
街道が整備され、鉄道が敷設されるようになった今の時代、反魔物領に住む人間が皆々、魔物娘を妄信的に敵視しているわけではない。
ヒトならざる者たちと必要以上に関わらない……というのが最近の反魔物領・反魔物国家のスタンスである。とはいえ、未だに「魔物は人間を喰らう恐るべき存在」だと喧伝する古臭い主神教団直轄領もまだまだ残っている。
……もしかしたらソーヤの両親は、息子が勇者の資質持ちだということを知っていたのかもしれない。教団軍が幅を利かすソラリアでもしそのことが明るみになったら、彼は問答無用で徴兵され、「教団の剣」「主神の力の代行者」などといった肩書きと引き換えに自由を奪われてしまう──
だからこの機会に親魔物領への亡命を実行した……なんて飛躍し過ぎかな? と、口の中のパムムを飲み込み思うステラ。
「ご、ごめんなさい。嫌なこと訊いちゃって」
「気にしないでステラさん。父さんたちもこの街でまたお店を開くことができたし、僕も学院に通えるし、実のところこっちに来てよかったって思ってるんです」
「ソーヤくん……」
魔物娘さんたちに襲われるのだけは、困りもんですけどね……と、くちびるのソースをぬぐって苦笑するその顔を、ステラは眩しげに見つめた。
それに気づいているのかいないのか、ソーヤは彼女に向き直り、遠慮がちに問いかけた。
「と、ところでステラさん……えっと、こ、このあと、何か予定は──」
「あ、うん、特にないけど……」
「じゃあ、もし、よ、よかったら……えっと、その…………すっ、ステラさんの、しゃ、写真を撮らせてくれません、か……?」
「は?」
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
商店街を湖側へと抜け、水路を横に少し行くと小高い丘になっていて、そこにサラサイラ市民公園がある。
緑が整備され、ブランコやすべり台、ジャングルジムなどの遊具が置かれた広場や、ジパング風庭園、野外ステージなどが設けられていて、街に住む人々の憩いの場として親しまれている。
ステラとソーヤは撮影場所を探して、湖が一望できる公園の遊歩道を辿っていく。
まわりには子どもたちや家族連れ、何組かのカップルが、思い思いに景色を楽しんだり、散策したりしている。
「ほらっ、ご主人さま早く早くっ!」
「ち……ちょっと待ってよマリィ!」
タンクトップ短パン姿のコボルト少女が、同じ年頃の少年を引っ張って楽しそうに駆けていく。
「もう我慢できねえっ! ユウト、そこの林の中でヤルぞっ!」
「ひっ、人が見てるってこんな昼間っから……うわあああああっリナさぁんっ!」
Tシャツにダメージジーンズというラフな格好をした長身のオーガ娘が、幸薄そうな細身の男性の襟首をつかんで大股で雑木林の中へと入っていく。
ある意味平和な、親魔物領の休日の風景。
「……で、父さんが言ったんです。『確かに品不足だけど、倉庫に何年も放っておいたものを検品もせずに納めるってどういうつもりだ』って──」
「そ、そんなことあったんだ……」
とりとめのない話に相槌をうちながら、ステラは隣を歩くソーヤを横目でちらっとうかがった。
──えっとこれって、デート……だよね?
「…………」
──どんな風に見られてるのかな? 姉弟にしか見えなかったりして……
頭ひとつ分背の低いポニテ少年に、くすりと微笑む。
ソーヤは立ち止まると、両手の指で枠をつくり、まわりをぐるっと見回した。
「この辺でいいかな……ステラさん、ちょっとそこに立ってもらえますか? 手すりに軽くもたれかかる感じで」
「あ、うん、わかった──」
ステラは湖側に設けられた手すりに腰を預けると、背筋を伸ばしてソーヤの方へ向き直った。
「こんな感じ、かな?」
「はい。……あ、そんなに緊張しないで」
下を向いてカメラのファインダーを覗きながら、ソーヤが答える。
側面のダイヤルでピントを合わせ、蓋の内側にある微調整用のルーペを折り畳む。
「じゃあ、撮りますね」
「あ、う、うん」
緊張しないでと言われたのに、思わず身構えてしまう。無理もない……ホシトとしてならともかく、ステラ≠ニして写真に撮られるのは、これが初めてなのだから。
カシャリ──
かすかな音とともにシャッターが切られた。ステラはほっと息を吐き、肩の力を抜いて表情を和らげる。
ソーヤはファインダーに目をやったまま、撮影用レンズに付いているコッキング(シャッターチャージ)レバーを指で素早く下げると、
カシャリ──
「……え?」
二回目は完全に不意打ちだった。「ち、ちょっとソーヤくんっ!?」
「あはは、ごめんなさい。でも、きっと今の方が自然な感じで撮れてると思いますよ」
「もうっ」
悪びれもせず頭に手をやるポニテ少年の顔を、ステラは頬を赤らめにらみつける。
ちなみにファインダー用と撮影用にレンズが別々になっている二眼カメラは、ピント合わせが難しいらしく、初心者は「同じ構図で二枚撮り」が推奨されているのだとか。
「場所を変えて、もう少し撮影してもいいですか?」
「え、ええ。でも今度はちゃんと撮る前に声かけて──って、そうだっ♪」
と、そこで驚かされたお返しを思いつき、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「す、ステラさん?」
「見てて、ソーヤくん」
ステップを踏むようにあとずさると、左手首のブレスレットを触って、その場でくるっとターン。
次の瞬間ステラの着ていた涅色のワンピースが光に包まれ、息をのむソーヤの目の前で形と色を変えていく──
「……どう? 似合う?」
まわりがどよめく中、着ていた服をブティックにあったあの水色のサマードレスに「リメイク」したステラは、スカートの裾をふわりとひるがえして振り向き、からかうような笑みを浮かべた。
「あ、は、はい……、と、とっても……」
顔を真っ赤にして答えるソーヤ。なお、光の中で一瞬見えた彼女の下着姿は、しっかりくっきり目に焼き付いていたりして。
「ふんっ、衣装チェンジくらいわたくしにもできますわ」
「でもセリカさんは、今のメイド服姿が一番似合ってますよ」「……え?(ぽっ)」
張り合おうとするショゴス娘を、隣にいた研究者風の青年がたしなめる。
もっとも当のステラ自身は「ソーヤくんにお返しのドッキリ大成功!」とでも思っているのか、横でそんなこと言われているなんて(あと買ったばかりのブラジャーとショーツを見られたことにも)全く気づいていないようだ。
「ふふっ、じゃあ次はこの服で撮ってくれる? ソーヤくん♪」
「え、あ、そ──その、えっと、は、はいっ……」
差し出されたその手を、ソーヤはおずおずと握り返す。
だが、
「……あら? 何かしら?」
その肩越しに、街の警邏隊士たちがただならぬ様子で野外ステージの方へと走っていくのが見えて、ステラは怪訝な表情を浮かべる。
ソーヤも彼女の視線を追って後ろを振り向き、眉根を寄せた。
「何かあった、みたいですね」
「行ってみましょう、ソーヤくん」
「え? ち、ちょっとステラさ……うわあああああああっ!?」
ステラはソーヤの手をぎゅっと握りしめ、そのまま後を追って走り出した。
to be continued...
─ appendix ─
ステラが出たあとのブティックにて──
「う〜ん……」
「あれ? どうかしたんですか先輩?」
「あ、いや、さっき相手した金髪の子なんだけど……な〜んかあたしに雰囲気が似てるっていうか、同じ匂いがするっていうか──」
「気のせいですね(きっぱり)」
「即答っ!?」
「だって先輩みたく、女物の衣服が好きすぎてアルプ化しちゃったなんて人間、そうそういるわけないでしょが」
「ちょっ、なんでそのこと知ってるのよあなたっ!?」
20/08/13 20:14更新 / MONDO
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