読切小説
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想いの記憶
「よしよし。和京はいい子だね」
「にゃ〜♪」

少年と三毛猫がじゃれ合っている。まるで本物の姉弟のように。

ひとしきり遊んだ後、猫は突然少年から離れていった。

「和京、行かないで。和京..」

「にゃ〜ん」

最後に猫は悲しそうな鳴き声を残して、少年の元を去っていった──


・・・・

「あ」

目が醒めた。また、この夢か。

僕は頬を伝っていた涙に気づき、それを拭う。
ここ数日似たような夢を何度も見る。

和京とは、僕こと紘瀬和希が生まれる一年前から家で飼われていたメスの黒猫の事だ。
その彼女が六年前忽然と姿を消した。
理由はわからない。
家族や、町の人達にも協力してもらって捜したが見つからなかったのだ。

「んっ...」

僕は軽く背伸びをし、障子戸を開けて日光を部屋へ招き入れた。
寝覚めは良くかったが、気持ちのいい朝であることに違いはない。
僕のナイーブな気持ちを天候に悟ってくれというのは無理だろう。

ひとしきり日光浴をしてから寝間着を着替え、庭に木刀を持って出る。
武士の家系である紘瀬家の長男として毎朝の修練は欠かせない。

「ふっ、はっ」

拍子の良い呼吸音と木刀が空気を斬る音が庭に響く。
素振りが五十回を超えた頃、垣根の外から僕を呼ぶ声が聞こえた。

「和希!今朝も早いね」
「これは蓮見様。おはようございます」

声の主は僕の家が代々仕えている領主武原隆三様の長女、蓮見(はすみ)様だ。

彼女は玄関から回って僕の前までやってきた。

「蓮見様は今日も元気でいらっしゃいますね」
「むー。だから敬語は使わなくていいっていつも言ってるじゃない」

彼女は小さな頬を思い切り膨らませながら抗議する。

「そうは行きません。家臣に対して領主として尊厳ある態度を取るべきです。武原家次期当主になられるお方がそのようなことでは家臣の反逆を招いてしまいますよ」
「和希がそこまで言うのなら...」

僕は窘める口調で言った。
蓮見様は御年十五歳。僕より三歳下だ。
小さいときから親交があり、兄妹のような感じで今に至る。
そのせいか、昔から僕の言うことに対しては聞き分けの良い娘だった。

「それにしても、朝からいらっしゃるとは。なにかありましたか」
「そうそう、父上が城下の治安維持についてお話があるから城に来いって」
「左様ですか。では今直ぐ馳せ参じましょう」

ここ、白鳥城下の街は紘瀬家を始め七つの家で人を出して治安維持に当っている。
しかし、紘瀬家はここ数年積極的に治安維持には参加出来ていない。
なぜなら三年前に父と三人の兄は戦場で討ち死に、母はそのことが原因で心労に倒れてしまった。
よって残った紘瀬家の人間は僕だけになってしまったのだ。
本来ここまで弱った家は他の家の圧力で潰されてしまうが、領主の武原様が臣下として最古参の紘瀬家にお情けを掛けて頂き、なんとか食いつないでいる。

僕は今年拾八になり、元服の儀が終われば晴れて成人だ。
つまり僕が紘瀬家代表として治安維持に当たる必要が出てくる。

恐らく、その打ち合わせを行うのであろう。
家長として出席する以上、しっかりと威厳を持った雰囲気を醸さなくては。

僕は準備を済ませ、玄関先で待っている蓮見様の元へ行った。

「今更ですが、そのような些事を何故蓮見様自ら言伝に来たのでしょうか。護衛も付けないで城下に来るとは危険なことですよ」
「んー、護衛は信晴(のぶはる)は巻いた」

巻いた!?巻いたって言ったぞこの人。
そんな話をしていると、遠くから声が聞こえた。

「蓮見お嬢様!どうして貴方はいつも私を巻こうとするのですか!」
「えーだって信晴鈍間だし弱いもん。和希の方が強いし頼りになるわ」
「っ...!」

うーん、またこれは修羅場だなぁ。物凄い露骨にこっちを睨んでくる。
彼は武原信晴。蓮見様の遠縁の親戚で、同じく小さい時から蓮見様の護衛を担当している。歳は拾六で僕より二つ下。僕が初めて蓮見様に見えるより以前から仕えていたらしいが、何故か蓮見様は僕の方に懐き、僕は彼からは目の敵にされるようになった。

「ま、まぁ取り敢えず今は城へ向かいましょう」

僕は場をなんとか取り持とうと努力したが駄目だったようだ。

「そうよね!早く行きましょ」

蓮見様が僕の腕を引っ張っていった。
信晴くんからの睨みと憎悪の感情がひしひし伝わってくる。
まぁ何年もこんな感じだから慣れてはいるんだけれど。

そんな状況のまま城に着いた僕達は正門で別れた。
僕は天守を見上げながら会所へ向かった。


・・・・

「ふぁぁ、緊張したなぁ」

城からの帰り道、思わずそんなことを口走ってしまった。
会所で一同が揃ってから領主である隆三様の挨拶から始まり、各自の顔合わせが行われた。
まず北崎家の北崎公行(きたざききみゆき)殿から、斗代松清(とだいまつきよ)殿、長谷部充希(はせべみつき)殿、永浜三幸(ながはまみゆき)殿、橋立孝則(はしだてたかのり)殿、阿賀川義継(あがのよしつぐ)殿、そして僕、紘瀬和希(ひろせかずき)の順である。

正直、威厳溢れる他家の当主を面々を前にすると肩身が狭かった。
そんなびくびくの顔合わせも終わり、治安の打ち合わせを行った。
僕が担当するのは月曜と木曜の午後、僕が住んでいる白水の地域周辺だ。
そしてサクサクと打ち合わせは終わり、二時間としない内に解散。
城から各家への道が別れるまで各当主から色々と労いの言葉を受け、僕は厳しそうだなという印象を大分改めて帰路についた。

「ん、なんだかあまり良くない天候だな」

雲行きが怪しい。空の雨雲の割合が多そうだ。

「これは早く帰らなきゃな」

と脚を早め始めた途端、ぱらぱらと雨が降ってきた。

「うわ、まずい」

僕は羽織っていた紋付を頭から被り、雨をしのぎつつ大急ぎで走って行った。

家につく頃にはざあざあ降りの大雨になっており、足袋も雪駄も泥でめちゃくちゃになってしまっていた。
僕が早く家に入ろうと走っていると、家の前で女性が一人倒れていた。

「えっ、ちょっと!大丈夫ですか!」

僕は急いで駆け寄り脈を測る。脈は大丈夫だ、それに呼吸もある。
ただ身体が冷え切っており、素人目に見ても拙い状況だった。
取り敢えず家に連れて行こうと、女性を抱きかかえて家に入った。

まずは居間に女性を寝かせ、寝室に布団を敷く。
黒い着物はひどく濡れていたので、躊躇いながらも脱がせた。
すると中にもう一枚装束を着ており、それは全くと言っていいほど濡れていなかった。
そんな不可思議な状態に呆けつつ、女性の裸を見ずに済んだことを内心ホッとしていた。
それにしても黒い髪に凛とした瞳、端正な顔立ちといい、とても綺麗だ。
歳は僕と同じか少し上くらいか。髪は肩あたりで乱雑に切られている。
っと、見とれている場合じゃない。
僕は装束姿のまま彼女を布団に寝かせ、彼女の額に手を当てて熱を測った。

「若干熱があるな」

僕は井戸から水を汲み上げ、手ぬぐいを濡らして彼女の額に置いておく。

「これで多少は良くなるといいんだけれど...」

何分医学など縁遠いもので、幼い時母にやってもらった手法を真似ただけだ。

「そういえば、あの時は粥を作ってくれたっけか」

僕は思いたち、台所へ向かう。
一人暮らし故家事全般は一通りこなせるので難なく粥を作り終えた。

僕は茶碗に粥をよそい、彼女を寝かせた寝室へ戻った。

「あ」

彼女が起き上がっていた。目が覚めたようだ。
彼女は部屋の中を一通り見回してから僕の存在に気づいた。

「...ここは?」
「ああ、ここは僕の家だよ。家の前で君が倒れていたから、看病も兼ねて連れてきたんだ」

彼女はまだ意識が朦朧としているのか、反応は返さず、問を続けた。

「貴方は?」
「僕は紘瀬和希。紘瀬家の当主をやっています」

何を思ったのか、彼女は少し目を見開いた。

「取り敢えず、これ。冷めない内に食べて。お粥なんだけど、少し熱気味だったから作ったんだ」
「ありが、とう」

彼女は茶碗を受け取ると、ぎこちない手つきで粥を掬った。

「...おいしい」
「それは良かった。僕も作った甲斐があったよ」

ゆっくりだが、ちゃんと食べてくれている所を見ると食欲はありそうだ。

「でもよかったぁ。僕の手に負えないような急病でなくって」

そんな僕を他所に、粥を食べ終えたらしい。

「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」

僕は茶碗を片付けながら

「ところで、名前は何て言うのかな」

と聞いた。名前を聞いていないと呼び方にも困る。
彼女は少し逡巡した後

「なごみ」

とか細い声で答えた。

ガシャッ
危うく茶碗を落とすところだった。

「なごみ」という名前に反応してしまった。
ありえない。和京はそもそも猫だ。人じゃない。
けれど、否定をするには

──余りに、雰囲気が和京そのものだったのだ。

僕は一抹の疑問を抱きながら中空を眺めている彼女を横目に、台所へ行った。

洗い物を一通り済ませてから寝室に戻ると彼女はまだに上半身を起こしたままだった。

「体調は、どう。気分が悪くなったりしたらいつでも言ってくれて構わないよ」

彼女はこちらを一瞥してから

「大丈夫」

と言った直後

「ゲホッゲホッ」
「ちょっ、大丈夫?やっぱり横になっていたほうが良いって」

突然大きなくしゃみをして鼻をすすった。
僕は彼女を横にしてやった。

「でも..」

何かを言いかけたが、僕はそれを遮り

「熱が引くまではここで休んでいて。後の事はその時に考えればいいさ」

僕がそう言うと、彼女は少し安心したような顔をして眠りについた。
雨はまだやまない。この感じだと洗濯出来るのは明日かなぁ。

僕はそんな取り留めもない事を漠然と考えながら、換えの手拭いを用意しに行った──


・・・・

「んっ...」

あれ、もしかして僕寝てた・・・?

どれほど寝てしまったんだろうか。雨はやんでいるようだが、日も沈んでしまっていた。
僕は寝ぼけ眼のまま立とうとして、何か紐のようなもの掴んだ。

ビクッ

紐が震えた!?
僕は掴んだモノを恐る恐る確認する。
と、それは猫の尻尾だった。
なんだ、尻尾か。というか、猫なんていつ紛れ込んだん...?

...尻尾の付け根がおかしい。
布団の中から出てきている。
僕は尻尾の持ち主を確認すべく、布団をめくると・・・

その先はなごみと名乗った女性に繋がっていた。

またピクッと動いた。
!?

僕は驚いて後ろに飛び退く。

「いっ...!」

ゴトンッ

勢い余って箪笥にぶつかった。

「くっあ...」

頭を抑えながらなごみの方を見る。
すると、彼女は起き上がっていた。

頭の猫耳をヒクヒクさせながら。

「あ、あ...」

そんな僕を尻目に、彼女はすくっと立ち上がり、こっちへ寄ってきた。

「大丈夫です、か?」

彼女から差し伸べられた手を、僕は黙って掴むしか無かった。



・・・・



突拍子もない猫耳事件の後、僕と彼女は居間で対面していた。
最初こそ動揺してしまったものの、冷静になってみたら案外頭の回転は早かった。
恐らく、彼女の特徴から察するに"猫又"と呼ばれる妖怪だろう。
やはり、和京が帰ってきたのではないかという考えが頭をよぎる。
しかし、話を聞く感じだと、自身が妖怪であるという自覚は無かったらしい。
そして耳や尻尾は化けて隠せるという。
だが

「覚えているのは"なごみ"という名前だけ、か」
「ごめんなさい、自分のことなのに何も覚えていなくて」
「いや、君が気に病む必要はないよ。きっと何かの原因があるはずだからね」

そう言って彼女は少し俯いてしまった。
彼女は記憶喪失のようだった。

「ん〜...」

にしても、妖怪か。
京の方では共存していると聞いたが、地方によっては退治されてしまうところもあるらしい。
しかしここは京に比較的近い場所ではあるが、妖怪の話なんぞ点で聞いたことが無い。
ここで追い出すわけにもいかなさそうだ。

「よし、じゃあ記憶が戻るまで家で過ごして行きなよ」
「えっ」
「人一人養えるぐらいの蓄えはあるし、それに見捨てるのは僕の寝覚めが悪いしね」
「その代わり家事とか手伝ってほしいんだけど、どうかな?」
「えっと、私家事とかやったこと無くて...」
「だったら僕が一から教えるから、安心して」

乗りかかった船だ。最後まで責任を持とう。

「じゃ、時間も時間だし夕飯にしようか!」

僕は台所へ向かおうとすると、袖を引っ張られていることに気づいた。

「あ、あのっ。今からでも料理の作り方を教えてもらえませんか...?」
「もちろん良いよ。今日はもう遅いから簡単に作れるものにしよう」

僕は一間置いてから

「そういえば、呼び方は"なごみさん"でいいかな?」
「はい」

そんなやり取りの後、僕達は二人で台所に向かい、料理の準備を始めた。


・・・・


「出来た」
「確かに、いい出来だね」

なごみさんも全く料理したことがない割には飲み込みが良かった。
お陰でいつもより早く夕飯に預かれそうだった。

「それじゃあ」
「「いただきます」」

お膳に炊いた玄米と葱の味噌汁、ナズナの漬物が乗っている。
僕は味噌汁を軽く啜ってから玄米を一口食べる。
うん、美味しい。
腹が減っては戦はできぬ、やはりご飯を食べている時は幸せだ。

ふと、彼女の方を見る。
背筋が良く、所作も文句なし。
食べている姿すら整った絵のようだ。

「どうかしましたか?」
「あっいや、なんでもないよ」

おっといけない。思わず見惚れてしまっていた。
兎に角飯を食べることに集中しよう。

僕達は特に言葉を交わすこともなく食事を終えた。

「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
「はぁ、美味しかった。にしても、なごみさんて案外料理づくりの素質あるね」
「そう言ってもらえると嬉しいです」

彼女は照れくさそうに微笑んだ。
その後、僕達はお膳を片付け食器を洗ってから銭湯へ向かった。
なごみさんには母が使っていた着替え等を渡して。

「銭湯、ですか」
「うん。うちは古い家だからさ、湯船とか付いてないんだよ。昔は冷たい井戸水で身体を流していたらしいけど、冷たいのはあまり好きじゃないから最近は銭湯に行くようになったんだ」

軽く話しながら心を弾ませて付いた先は行きつけの銭湯『白水の湯』
僕はウキウキしながら中へ入ろうとしたが、一つ失念していたことを思い出す。

「そういえば、なごみさんて銭湯の入り方とか知ってる?」
「えっと、少しぐらいなら」
「まぁ、詳しい行儀作法とかは更衣室入ったところに掲示してあるからそれを参考にすると良いよ」

「それじゃ」
「はい」

僕たちはそれぞれ更衣室へ入り、浴室へ行った。


・・・・


「ふぅ〜」

一通り身体を洗った僕は、大浴槽に浸かっていた。
やはり風呂は良い。一日の疲れが一瞬で引いていくのが分かる。
しかも、少し時間が遅かったので人も少ない。
なんだか独り占めしているような感じで新鮮だ。

「そろそろ出るか」

風呂を出た僕は売っていた牛乳を一杯、腰に手を当てて飲む。
この一杯が格別だ。

「よう、和希君。今日も元気そうだねぇ」

話しかけてきたのは銭湯の主、長嶺涼之介さん。
父の古くからの知り合いで、昔からよく遊んでもらったりしていた。

「そういえば元服が近いんだってな」
「はい。今日も早速城で会議がありまして、他の家長の面々を前に竦み上がってました」
「へぇ、大したもんだ。これで直継の奴も心残りがなくなったろうなぁ」

彼は遠い目をしてそう言った。直継とは僕の父のことだ。

「ところで、あの嬢ちゃんはなんだい?」
「え」
「大分仲よさげだったが」

うっ、どう言い訳したものか。
流石に拾った猫ですと言った感覚では話せない。

「ちょっと遠縁の親戚が泊まりに来てまして...」
「親戚?はぁん、なんだ恋人とかじゃねぇのか」

長嶺さんは、はぁ、と残念そうにため息を付いてから

「でもよぉ、もう成人するんだ。そろそろ誰かと一緒になったらどうだい」
「僕としてはまだ良いかなって思ってるんですが...」

そう、もう僕のような歳になったら大体結婚するかすでに終えているような年代なのだ。

「相手なら俺がいくらでも探してやるが、おめぇさんがやる気になんねぇとどうにもならんしな。まぁ気が向いたらいつでも言ってくれ。全力で協力させてもらうから」
「ありがとうございます」

お節介な人だが、両親家族が死んでからは色々とお世話になっているのでそこまで強く言うことはなかった。

しばらくして、なごみさんが出てきた。
浴衣姿も似合ってる。

僕はもう一本牛乳を買って彼女に渡した。
彼女は蓋を開け、こくこくと少しずつ飲んでいた。
小動物のような動作が愛らしい。

なごみさんが牛乳を飲み終え、僕たちは銭湯を後にした。

「どうだった、銭湯は」
「銭湯は初めてでしたがとても気持ちよかったです」
「なら良かった」

家に着いてから、布団を敷いて寝る準備をする。
もちろん別室で、だ。
仮にも女性だから男と寝るのはあまり好ましくないだろうし、僕も年頃の男だ。間違いを犯さないとは限らない。

今更になってそんな事に気づいたが、それは僕の浅慮さを責めざるを得ない。

「良いんですか、私が寝室を使ってしまって...」
「うん。僕は居間で寝るから、安心していいよ」
「そう、ですか」
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」

僕となごみさんはそれぞれ部屋に行き、床についた。
僕はそのまま深い眠りに落ちいていった。


・・・・


ちゅんちゅん

障子越しに日光が差し込んでくるのが分かる。

「んっ...はぁ」

僕は布団の中で伸びをする。
朝は修練の時間だ。

僕は一通り修練の準備を終え、庭へ回ろうとするとなごみさんが縁側で尻尾を振りながら座っていた。

「おはようございます」
「おはよう。朝、早いんだね」

軽く会釈をしてから彼女の横を通って庭へ出る。
修練の前に軽く準備運動をしていると、なごみさん焦点の定まっていなさそうな目でこちらを見ていた。

「どうかした?」

僕が話しかけると、猫耳がピクッと動いた。

「あっ、いえ、なんでもないです...」

何か悪いことを聞いただろうか。
彼女は俯いてしまった。
僕は空気を変えようと、別の話題を振る。

「ああ、そうだ。これ終わったら洗濯するから手伝って。仕事が無いときは自由にしてもらって構わないから」
「はい」

少しは空気を変えられただろうか。
彼女の反応を見てから垣根に掛けておいた木刀を手に取り、いつもの修練を始めた。


暫くして休憩を挟むべく縁側に向くと、黒猫が丸まって寝ていた。
なごみさんが寝たまま猫化してしまったんだろう。

この時、猫好きの僕は葛藤していた。
肉球を触りたい、と・・・
しかし相手は女性。
いくら猫の状態だからって勝手に触るのは倫理的に駄目な気がしてならない。
故に倫理と欲求がぶつかり合っていたのだ。
少しの間葛藤は続いたが、結局は欲求に倫理が押し負け、僕は縁側で眠る彼女の手を取ろうとした。
しかし

「あれ、これは・・・」

手首の付け根に付いていた特徴的な傷跡。

和京と、同じだ。

するとその時彼女が人化しつつ起きた。
眠そうな瞳でこちらをぼーっと見ている。

「君は、やっぱり──」

僕が言葉を継ごうとした時

「紘瀬ぇ〜、いるか〜」
「あっ」

玄関の方から声が聞こえた。

「ごめんっ...!」

僕は謝罪とも取れるような言葉を残して、振り返らずに玄関へ向かった。

「おっ、紘瀬家のご当主様がいらっしゃったわ」
「真壁、その呼び方やめてくれって何度も言ってるだろ」
「わりぃわりぃ」

そう言って柳行李を担いでいる彼の名は真壁満(まかべみつる)。
家に置き薬を収めてくれている売薬さんの息子だ。
こいつは小さいときからの悪友である。

「ちょっと待ってて。今薬箱持ってくる」
「あいよ」

暫くしてから僕は薬箱と麦茶を持って戻ってきた。

「おっありがとよ、じゃ確認させてもらうわ」

彼は担いでいた柳行李から得意帳を出し、薬の出納を記録している。

「ん〜と、今回はこんなもんかな」

ぱちぱちと算盤を弾いて僕に価格を提示する。
僕が蝦蟇口を開いて小銭を数えていると

「なぁ、お前いつからあんな別嬪さん囲うようになったの?」

彼が縁側でぼんやりと空を眺めているなごみさんを指して、突拍子もないことを言いだしたので手元が滑って数え直しになってしまった。

「囲うって、僕そもそも結婚してないし。彼女は、何ていうか、親戚だよ」
「へぇ〜、お前ああいう人が趣味なんだ」
「だから違うって!」

僕は満に料金を剰余無く渡して、家から追い出した。

「変なこと言いふらさないでよ」
「おうおう、わかってるって」

満はまいど〜と言ってニヤニヤしながら帰っていった。

「あいつ絶対変に脚色して噂広める気満々だったな」

僕は苦虫を噛み潰したような顔をしてそう呟いた。
小さいときからそういうやつなのだあいつは。
これは街中の知り合いに対する訂正大会が始まるな。

「あ、朝食食べてなかった」

僕は取り留めもない思考を放棄して、朝食へと目標を移した。

彼女はまだ縁側に座って居た。

「ねぇ、そろそろ朝ごはん作ろうと思うから手伝ってくれないかな」
「はい」

僕は彼女が何故か目を見開いたのを視界の端で捉えていた。


・・・・


僕は焼鮭と玄米と味噌汁という朝食を食べてから街の見回りの任に着いた。
なごみさんには洗濯、掃除のやり方と、昼食用に何品か調理法を教えて幾ばくかお金を置いてきた来た。
基本的な調理技術は一通り教えてあるので彼女自身で出来るだろうという判断し、お金の価値についても教えておいたので最悪外食すれば良いと伝えておいた。少々心配はあるが、彼女を信頼しよう。

僕は白水地区の集会所へ行って、自警団の人たちと合流する。
街の治安維持に貢献してくれている有志団体だ。
僕ら武家の人間とこういった自警団の方々の協力でこの地区は盗賊被害等から守られている。

「それじゃあ、本日からよろしくお願いします」
「おう」
「よろしく頼みますよ」

僕が挨拶してから顔合わせをして、街に繰り出していった。
顔合わせといっても顔なじみばかりだったので直ぐに済んだのだが...

「そういえば、和希君。遂に彼女作ったんだって?」
「げっ」
「そうそう、真壁さんちのみっちゃんが言ってたよ。和希が別嬪の女性を囲ってるー!って」
「そうなら何で言ってくれなかったんだ。元服も近いし、祝儀の手配だってしてあげるのに」
「名前何ていうの?今度会わせてくれないか」

野郎本当に言いふらしやがった。あとでとっちめてやる。
おじさん方は勝手に話を進めようとするので、僕は必死に弁解する。

「違います違いますって!彼女は僕の遠縁の親戚で、今家に遊びに来てるだけなんです!」
「あれ、そんな親戚居たのか。知らなかったぞ」
「ともあれ相手ができたことは喜ばしいな」

勝手に話が進んでいく。
言葉の歯止めが効かない、こうなるから嫌だったんだ...!

「だぁ〜かぁ〜らぁ〜!」

僕の誤解を解こうとする声が街の喧騒にかき消されていった。


・・・・


「はぁ、今日は疲れた」

夕方、僕は見回りを終えて家路へ付いていた。
正直、初めての見回りだったのに警戒よりも誤解を解くことに体力を使ってしまう羽目になるとは...
しかも午後には蓮見様まで僕を問い詰めににくる始末。
全く、一日の内にどれだけ広めたんだあいつは。

ああ、愛しの我が家が近づいてきた。

「あれ、なんかいい匂いが...」

僕は匂いにつられて家へ吸い込まれていく。

「ただいま。いい匂いがするけど、どうしたの」

そのまま荷物をおいて台所へ回ると

「あっ、おかえりなさい。和希さんが今日は遅くなりそうだと仰っていたのでお夕飯作っちゃったんですが...」

見ると、鍋の中には肉じゃがが作られていた。
ご飯の炊き具合も完璧。

「凄いよ、ありがとう。お陰で手間が省けたよ」
「いえ、居候させて貰っている身ですから、これぐらいは」

彼女は面映そうに笑った。

僕と彼女でご飯を盛り付け、今へ持っていく。
疲れ切っていた僕の鼻腔を醤油とだしの匂いが突いてくるのは中々に魅惑的だった。

「「いただきます」」

僕は目の前に盛られた肉じゃがから手をつける。
ひとくち食べて、あまりの美味しさに一時絶句する。
じゃがいもによく味が染み込んでいて最高だ。
本当に彼女には天賦の才能があるんじゃないだろうかとも思う。

「この肉じゃが、凄く美味しいね!僕が作ったものと同じ方法とは思えないぐらい」
「そう、ですか...?そう言ってもらえると嬉しいです」

彼女の耳がぴこぴこと動く。喜んでいる証拠だ。

この後、ご飯と味噌汁も食べたが絶品であった。
このように、今晩の食卓は彼女を褒め立てる場となっていた。



斯くして、僕となごみさんの共同生活が本格的に幕を開けた。
僕は日中見回りをして、なごみさんが家事を担当してくれる。
朝はもちろん僕も手伝うが、昼の間に色々終わらせてくれるのは結構ありがたかった。
休みの日は僕も家の整理をしたり、修練をしていたりした。
彼女はあの縁側が好きなようで、時間があるとよく日向ぼっこほしている所をよく見た。
こんな感じで一月が過ぎていった。
この一月の間になごみの家事技術が著しく向上し、僕のなごみの呼び方呼び捨てになったくらいには親しくなったが、彼女はさんづけのままだった


・・・・


水無月の上旬。

丁度この日は一月ぶりに雨が降っていたことを覚えている。
休みだった僕は縁側で愛刀の手入れをしていた。

「そういえば、もう梅雨だったな」

薄曇りの空を見上げて、誰に言うわけでもなく呟いた。

──そういえば、なごみと最初に出会った時も雨が降っていたな。

僕はふと、居間の方にいる彼女を見ようとした。

しかし、さっきまで気配を感じていた筈の場所に彼女は居なかった。

何故か、妙に静かだ。

僕は言いようのない不安に駆られ、手入れ道具一式を片付けてからなごみを捜した。

「なごみ〜」

少し呼びかけてみるが、反応はない。
何処へ行ったんだろうか。

玄関へ回ってみたが、彼女の草履は残っていた。
家の中にはいるのか。

徐々に焦燥が強くなる。
僕は捜す足を早めた。

仮にも武家屋敷だけあって割と広い。
改めてよく今まで二人で管理できていたものだ。

僕は玄関から表座敷へ向かう。

すると部屋においてある箪笥の前で倒れていた。

「大丈夫か!しっかりしろ」

呼吸はある、汗もかいていない。脈は、恐らく正常。顔色も悪くはなさそうだが、僕に医学の知識がそこまであるわけでも無いので、判断できることはこれだけだ。
兎に角布団に寝かせて医者を呼ぼうと思い、僕は彼女を抱きかかえようとすると彼女の手から何かが落ちた。

「ん?」

僕はなごみを抱きかかえながらそれを拾った。

「これは...」

写真だった。
僕の両親と和京をかかえて笑っている僕が写っている。
確か、この写真は、少し前に無くしたはず。

──なんで、彼女が

僕は抱きかかえた彼女の方に視線を落とす。
すると、なごみの瞼が少し開いた。

「なごみ!」
「かず、き...?」

返事がある。ああ、急病とかでなくてよかっ...

僕が安堵した瞬間、天地がひっくり返った。

「えっ」
「和希!和希っ!大きくなったな」

突然口調が変わった事に驚いたが、僕も僕で適応力が早いらしい。

「やっぱり、和京だったのか。と、言うか、取り敢えずどいて、苦しい..」
「あっ、ごめん」

そう言うと彼女はおずおずとどいてくれた。
僕は起き上がると

「久しぶりだな」

和京は尻尾をふりふりして満面の笑みで僕を待っていた。

「本当に、和京なんだね。君は」
「そうだよ。和希が生まれる少し前から飼われてた、ね」

彼女はまた僕に抱きついてきた。

「ああ、本当に大きくなったな」

彼女は泣きそうな声で僕を撫でる。
僕は彼女の後ろに手を回し、抱きしめ返す。

「ちょっ、何を」
「さっきからやられっぱなしだから仕返し。それに好きだったでしょ、この抱き方」

僕は更に彼女を抱き寄せた。

「あっ...」
「おかえり、和京」
「うん、ただいま。和希」

ああ、この匂いとぬくもり。よく覚えてる。
僕が昔の事を思い出していると

「そっ、そろそろ離し、て...」
「ん、どうかした?」

僕が彼女の様子を見ようとすると

「もう、限界っ」
「イッ────────!!」

和京が急に腕の中で痙攣した。

「大丈夫!?」

和京はハァハァと肩で呼吸している。

「やっぱり寝てたほうが──わっ」

和京に押し倒された。
彼女は僕の上を覆うように佇んでいる。

「はぁ、はぁ、かずきが、わるいんだぞ...」
「え、ちょっ、っ!!?」

口の中に、和京の舌が入ってくる。
最初はぎこちなかったが、僕の方も積極的に舌を絡ませた。

「んっ、はぁ、んむっ」

暫くの間──僕たちからしたら一瞬のようだったが──口づけを交わした。
口づけを終える時、彼女は力尽きるように僕の上に被さってきた。

胸の上に倒れ込んで僕の方を見上げる彼女は、とても艶やかで蕩けた表情をしていた。
荒い息遣いすら艶美に感じる。

「和京、どうしたの、急に...」
「急じゃ、ないよ」

彼女は、声を振り絞るように言った。

「私は、ずっと、猫だったときからずっと、君のことが、好きだった」
「でも、私は猫だったから、君の伴侶にはなれない。だから、今この体であることに感謝してる。和希に想いを伝えられるから──」

「和京っ!」

僕は彼女の言葉を遮って、彼女を抱きしめる。

「僕も、和京の事が好きだ。女性として愛してる」
「和希...」
「僕の、お嫁さんになってくれますか」
「はい、よろしくおねがいします」



・・・・


「ふぅんっ..あっ...っ」

快感に耐えられないのか、和京は少し身を捩る。
先程の求婚後、僕たちは寝室で前戯をしていた。
僕の膝に和京が乗る形で、僕は後ろから手を回して彼女の膣口を解している。

「っ...はぁ....」
「かずきぃ....」

その表情は蕩け切っていて、僕の獣欲を掻き立てる。
彼女の火照った身体から雌の匂いが強く香っている。

「はやくっ...」
「う、うん。いくよ...」

僕は今にもはち切れんばかりの男根を彼女に少しずつ挿入する。

「ひっ、うっ..っはぁ」

根本までなんとか入りきった。
が、僕の肉棒を彼女の膣が締め上げ、ヒダが射精を促してくる。

気を抜くと直ぐに果ててしまいそうだった。


少しすると僕は余裕がでてきたので彼女の顔を見ると、目尻に涙をためていた。

「ごめん、痛かった?」
「う、痛いのも、あるけど、和希とこうなれたのが、嬉しくて」
「僕もだよ」

僕は和京と熱いキスを交わした。

「そろそろ動くね」

少しづつ腰を動かし始める。
引き抜こうとすると締め付けが強くなり、まるで抜くことを拒んでいるようだった。

「あっ、あんっ、はぁっ、んっ!」

和京も大分慣れてきたのか、艶やかな声を上げるようになってきた。
僕も雰囲気に当てられるように腰の動きを早める。

彼女の引き締めが強くなった。
直後、彼女は押し寄せる快感に耐えきれず仰け反った。
どうやら絶頂したらしい。

「もしかしてイッた?」
「う、うん...」

和京は頬を紅くしながら答えてくれた。

「そっか、和京も気持ちよくなってくれて良かった」

でも僕はまだ満足できてない。

「悪いけど、僕はまだイケてないから、続けても良い?」
「うん」

僕は体勢を整え、行為を続ける準備をした。

「またいくよ」
「うん、さっきみたいに優しくしてね...?」

あっごめん、この状況でそれは...

「蕩けた顔してそんな事言ったら、ダメだよ?」
「えっ、あんっ、ああっ!・・・」

理性が蒸発してしまった僕を止める術は無かったらしい。
そのまま一晩中交わっていたとの事(和京談)だが、正直この後の記憶は曖昧なのだ。
気づいたら朝だったというか、その、何か気持ちよかったなぁという淡い感想しか持っていなかった。
朝起きた時に隣で寝ていた和京に「...バカ」と言われた事が全てを物語っているだろう。


こうして、僕は和京と結ばれた。
これから様々な困難があるだろうが、僕は彼女を守り抜く。
掴んだ幸せを絶対に逃さないために...



17/12/30 13:38更新 / Kisaragi

■作者メッセージ
こんにちは、如月師走です。

読み切りでありながら二部作となってしまいました。

いずれ和京視点でのssを上げる予定なので詳しくはそちらで補填します。
ごめんなさい。

後初のエロとなりましたが、如何でしたでしょうか。

書いていて自分の語彙力、知識、表現力のなさに絶望していたところです。

本当、文を書くのって色々な能力が必要ですね。

今後も精進していきます。

ありがとうございました。

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