砂の愛
照りつける太陽から注ぎ込まれる熱は皮膚を突き破って肉を焼き、骨までも焦がすかのように暑い。もはやそれは熱いと言った方が正しいような温度であった。
中東のイラン、その東半分を占めるカーヴィル砂漠は真夏の現在気温は五〇度を超え、その中に居る者を全て焼き付くさんかの勢いで夏の盛りを迎えていた。
礫石と塩分を多く含んだ荒い砂は歩きにくく、かつ足の関節をその硬さで痛めつけ、真冬であっても二〇度を下回る事のない気温はまるで地獄の釜のようである。
そんな地獄の具現のような地に一組の男女が居た。
砂色の野戦服を着込み、大量のマガジンを収める事の出来るチェスト・リグを防弾ベストの上に重ねた男と、同じく砂色の野戦服に身を包んだ女。服装において異なる点と言えば、女はチェスト・リグをつけていない点ぐらいだ。
だが、女性は大きな意味で男性とは容姿が違っていた。
臀部までは完全に美しいラインを描く女性のそれであるが、腰から下は尋常の物ではない。
臀部の下から生えるのは四対の大きく鋭い歩脚とその付け根、そして小さいが鋭利な鋏を備えた二本の触腕。見た目で言うと足の無い女性が巨大な節足動物の脚部に乗っているという具合だ。
そして極めつけは本体よりも巨大で、鋭い針を備えた尾。太陽光を照り返す甲殻と天に挑むかのような堂々たる尾を備えた女性は男性の隣に寄り添い、一際高い砂丘の上から下界を睥睨する。
「まだ見えないな」
男性は押しつけるように見ていた双眼鏡を一度放し、バンダナとブッシュ・キャップで大半を覆った顔の汗を拭う。紫外線対策とは言え外気五〇度の地獄でこの厚手は相当堪えるであろう。
「そろそろのはずなんだけどね」
暑苦しそうな男性とは対照的に女性は軽装であった。小さく尖った耳からかけたサンドブラウンの面覆いで勝ち気な目から下を隠し、砂漠に紛れる砂色の髪は頭頂部の高い位置でくくられている。慣れているのか健康的な褐色の肌に汗は浮いていない。
「あれは…」
男性の呟きに呼応して遙か彼方の砂丘の向こうより何かが盛大に砂煙を上げて突き進んで来る。速度は速く、南西から真っ直ぐ走るそれは無骨なトラックの一団であった。
トラックといっても只のトラックではない。五台で縦列を組み驀進するそれらの荷台には一様に重機関銃が据え付けられ、物騒にも突撃銃で武装した褐色の肌をした男達が満載されている。
男性は素早く双眼鏡をのぞき込み、トラックを睨め付ける。そこには彼が予測する通り国籍を主張する物がない。
このカーヴィル砂漠はアフガニスタン、パキスタン、インドに接するルート砂漠に続いており、この進路で進めば丁度その砂漠に行き着く。
どこの国旗も掲げて居ないという車団といえば二つほど覚えがある。
一つは国境無き医師団などの医療ボランティアであるが、少なくとも何処の世界を探してもあんな物騒なボランティア団体は存在しない。
そしてもう一つは…
「見つけたぞテロリスト共」
「直ぐに止めるわ」
女性は意気揚々と畳んだ脚の下に隠していた包みを取り出す。砂色のそれは細長く、何とも無骨な形を浮き彫りにしている。
「距離約二〇〇〇、すぐこっちまでくるぞ」
「了解」
今は豆粒のような大きさにしか見えない車団がどんどんと近づいて来る。こんな砂漠に制限速度は無いのでかなり飛ばしているだろうからその速度はかなり速い。
女性は包みを解き、その中身を肩付けに構え脚を伸ばして地面に低く伏せる。その際隣の男性に歩脚が軽く当たってしまい、目線で謝罪して脚を男性の上に載せる。
「重いんだが」
「一分我慢して」
女性が構えるそれは鈍色の鉄とグレーのポリカーボネイトの混合物。旧共産圏最強と謳われたセミオートライフル、ドラグノフ狙撃銃であった。
大きな直列マガジンと細く、大胆に肉抜きされたボディはある種の芸術的美しさを有している。薄いチークピースに頬を乗せ、八×四二倍高倍率スコープを覗き込む。
「現在ほぼ無風、距離九二〇。いけるか?」
「目を瞑ってても」
距離、風速に合わせてゼロイングを施す。勿論モンロー効果も忘れずに計算する。位置と距離と高さ、数え切れないほど行われ染みついた三角関数の計算は頭に一瞬でその適正値を弾き出す。
「最初の三台止めたら後は出来る限りでいい」
「面白い冗談ね」
息を止め、一瞬。
「全部だわ」
銃声が轟いた。引き金が絞られると、可能な限り構造が簡略化され砂を噛んでも動き続ける機構は要望に応えて鉄の暴威を吐き出す。音速で飛ぶ七・六二mmR弾はまるで吸い込まれるかのように最前列を走るトラックの前輪を打ち抜いた。
タイヤが爆ぜ、不整地を高速で駆けていたトラックはバランスを大きく崩し、幾度か車体を振ってなんとか立て直そうと足掻いた後横転、後続の三台のトラックを巻き込んで砂の大地に身を横たえた。
最後の一台が何とかその災禍を免れ路線から外れようとしたが女性はそれを見逃さない。鋭い目は矢のようにトラックを補足し微動だにしない。
そして二射目が放たれた。
撃つのは人ではない、あくまで車だ。弾はみごとエンジンルームに突き刺さり、その動きを止めさせる。よくある型のトラックなのでエンジンはどこを狙えば良いかは分かっていた。
とは言え、高速で移動する車にこの距離で正確に弾を送り込むのは至難どころか神業の域である。だと言うのにやはり女性は汗一つかかず、得意げに声を上げる事すらしない。
「上等だ、づらかろう」
「ええ」
バネ仕掛けの人形の如く跳ね起き、足並みをそろえて砂丘を駆け下りる。その下には砂色のシートに包まれた大きな塊が。
節足を器用に動かし男性より遙かに素早く辿り着いた女性がシートを跳ね飛ばすと、その下には同じく砂色に染め上げられた無骨な軍用の大型バイクが鎮座していた。大きなガソリンタンクを備えた特徴的な本体と、大きく口を開けたサイドカーには女性が脚を畳めば悠々と乗り込める広さがある。
「さぁ、速く!」
「ヒトがそんなに速く走れるか!」
少し遅れて駆けつけた男性はバイクに飛び乗ると刺しっぱなしのキーを回してエンジンを起こす、エンジンは大きく身震いし軽快な音を立てて振動し始めた。具合は良さそうだ。
「よし! 帰るぞ!」
「待機してる連中に連絡するわ」
女性が豊満な胸に抱えるドラグノフ狙撃銃と、男性がスリングで背に負うAkー74。バイクの側面にプリントされているのは緑、白、赤の三色旗、そしてその中央に印字された国章。それだけでなく野戦服の襟にも同じ旗が。
イラン・イスラム共和国の旗を抱いた一組の男女が砂漠を駆ける。隠れた顔だが二人の顔はどこか楽しげであった。
遠くから轟くヘリのローター音が木霊する…
カヴィール砂漠のイラン側入り口に位置する小さな街は夜でもそこそこの人通りがあった。
この街の近くにバスィージ、つまりイラン国民兵隊の駐屯地があるからだ。
今現在国軍は主要都市の警護に忙しく、その穴を民兵隊や、海外から雇い入れ民兵隊に臨時編入された傭兵達が塞いでいる現状、自由な傭兵や民兵を多く抱えた基地付近の街が賑わうのは自明の理であった。
その街にある酒場の一角で砂漠に居たあの男女が酒杯を酌み交わしている。
カウンターの質素な椅子に腰掛ける男性と、己の節足を折りたたむようにして座り、男と顔の位置を合わせる女性。互いに手に握られるショットグラスには微かな潮の臭いがするモルト・ウイスキーが注がれている。
「疲れたわねぇ…」
言いながら酒精を煽る女性。彼女は見た目通りヒトではない。人間ではあるがヒトではないのだ。
ギルタブリル、そう呼ばれる人類の一種でヒトと同じく長い歴史を持つ種族だ。蠍のような下肢を持ち、砂漠に生きる彼女たちをヒトはデススートカー等と呼んで畏怖しているが、実際は温厚である事で知られている。
ヒトに似たヒトでないヒトは昔から多くこの惑星に存在していた。彼等、いや、正確には彼女らは長らくヒトと共にあり、人間社会を形成する重要な一部分である。
彼女達は元は両性を有していたが、いつ頃からかは定かではないが、ヒトがヒトであった時分には既に雌性体しか存在しない種族であった。鬼や魔物と呼ばれる彼女たちはヒトの文明に適応し、争わず共に栄えるように進化したのだ。
西欧では亜人、極東では単純にヒトと同じく扱われる彼女たちは今もヒトと共にある。彼女達を嫌い、滅ぼそうとした文明もあったらしいが、今やその影も形もない。
皮膚の色で争うヒトがどのような理由で彼女達を受け入れたのは謎であるが、人類は数多の種を抱えつつも今の所大きな戦争もせず平和に暮らしている。
ここはその平和とかけ離れた地、数年前の戦争で世情が不安定になり、テロリズムと反乱、そして犯罪が横行する数少ない争いの地だ。
争いの種を撒くだけ撒いた大国は事態を収拾するのを半ば投げだし、僅かに行った収拾の為の行動は無差別の爆撃。後に残ったのは廃墟と不発の爆弾、そして死体くらいの物だ。
傭兵を生業とする彼等からすれば飯の種がある分ましだが、ここに住む無辜の民からすれば地獄でしかない。
「また大変な目にあったの?」
二人に声を掛ける者があった。カウンターで器用にシェイカーをかき混ぜるバーテンダーだ。バーテンダーといっても洒落たものではなく、カクテルも作るといった適当なノリだがここの主は好んでそう名乗る。
「聞いてよシェーラ。たった二人で大勢のテロリスト探して足止めしろなんて言うのよ? 実際死ねっていってるのと変わらないわ」
「馬鹿ねアイナ、それだけ信頼されてるって事じゃないの」
バーテンダー、シェーラは蠱惑的な美貌に微笑を浮かべながらその豪華な金髪を掻き上げた。
見事なウェーブの髪を湛える彼女もまた、人ではない。大きな二枚の翼を湛えるその姿は美しくもあり、どこまでも妖しい。
彼女はサキュバスと呼ばれる種族の女性で、すらりとしたパンツスーツを着込みこの店を一人で切り盛りしている。たまにピアノの弾き語りなどをして数多の軍人を虜にする淫魔名に恥じぬ美女であった。
女、アイナはうんざりしたように酒を煽り、吐息と共に愚痴を零す。
「指揮系統がごちゃごちゃしすぎてありえない所から命令が飛んでくるのよ。私は傭兵なんだから直属の上官から命令されないと動く義務ないのに、あの石頭が軍法会議がどうだのって……」
「まぁ、あの薄ら禿げが指揮系統なんて上等な言葉知ってるとは思えんがね。軍法会議だって脅して部下動かすような無能だから直ぐすげ替わるだろうよ」
と、男。しかしその男に対してアイナはそうとう気にくわなかったのか軽く肩を殴り、さらに愚痴を漏らす。
「だったら直ぐに教えてきなさいよ! 隊長に言ってみたけど、どうせ隊長が抗議しても同じこと言うわよあの禿げ! 弘樹! あんたあの禿げの容量少なそうな頭の中身ちょっと撒いてきなさい!」
「阿呆かお前は!」
「うるさいわね、戦場じゃ弾は前から来るとは限らないんだから良いじゃない!」
弘樹、名前から分かる通り男は日本人である。日本人でありながら傭兵をしているのには並々ならぬ理由があるのだが、それはまた別の話。
中肉中背、短く刈り込んだ黒髪と黄砂色の皮膚、典型的なモンゴロイドである男は幼く見える顔を何とも困ったように歪め、シェーラに声を掛ける。
「この酔っぱらい何とかしてくださいな。このままだったら多分寝床でも騒ぎ続けて眠れなくなる」
「あら、だったら私の家に来る?」
流し目とウインクを一つ、初心な男なら一発で落ちそうな笑みを湛えシェーラは体を捩った。酷く淫靡なその姿に弘樹の溜飲が下がる。
が、しかし。
「ごふっ!?」
突如首の付け根に凄まじい衝撃を受けて弘樹は横に向かって吹き飛ばされる。椅子を二〜三脚巻き込んで倒れるその身の首筋には何か鋭利な物で突き刺したような痕があった。
「シェーラ、他人の男に粉かけてる暇あったらファンの為に歌ったらどう?」
「あら、いい男を誘うのも私の仕事じゃない? 種族的命題とも言えるけど」
口論に割り込むように息も絶え絶えの弘樹が呻く。その声はどこか呂律が回っていない。
「おっ、おま、殺す気か……」
「うるさい浮気者っ! 私の針じゃ死なないわよ!」
「いや、首はちょっと……。気管が……」
弘樹を突き飛ばしたのは、体躯とほぼ同等の大きさを誇る彼女の尾であった。先端に備えた針から滴る液は、神経毒の一種であり獲物の動きを制限し……
「シェーラ、二階借りて良い?」
「また? 私にからかわれる度にこれだと枯れちゃうわよ、彼」
「じゃあ止めなさいよ!」
弘樹の首根っこをひっつかみ店舗の奥に隠れた階段を上っていくアイナと、それをおかしげに見送るシェーラ。そして体に力が入らないのかぐったりとした弘樹。店の客は慣れているのか、またか、とでも言いたげに黙って各々好いたように行動を続けていた。
「全く、平和ねほんと」
皮肉気にも聞こえる台詞は、誰の耳に届く事もなく霧散した…
何かが軋む音が部屋に木霊している。木で組まれた家具が負荷に耐える音に似ている。
いや、似ているというよりも正にその通りである。
ギルタブリルの尾に含まれる毒は、神経毒であると言ったが、それ以外にも一つ効果がある。
ヒトの男に対してのみ効果を発揮する強力な催淫成分である。これを打ち込まれると脳内麻薬が活性化し、常に性的興奮状態に陥ると同時に、ある科学物質が精巣に働きかけ精子を活発に生産させるように働きかける。
要約すると、性的興奮を催し一時的にであるが所謂絶倫という物になる。
弘樹の首筋に打ち込まれた毒は正しく働いていた。
明かりのない薄暗い部屋、あの酒場の二階で二人は交わっている。軋みはベットの音、そしてそれに隠れるようにして荒いあえぎが聞こえる。
「きっ、きつい、もう、勘弁…」
「浮気者への罰がこの程度の訳無いでしょ! 明日非番なんだから枯れるまでやるからね!」
「そんな殺生な…」
ギルタブリルであるアイナの女性器は丁度腹側の上半身と下半身の境目にある。今そこはしとどに濡れそばり、弘樹のモノを深く貪欲に呑み込んでいた。
弘樹はベッドに腰から上を預け、脚を開いてアイナに挿入している状態だ。どうしてもギルタブリルの体の仕組みからこのような形か、抱き合って胡座をかく対面座位くらいでしか交われないのが古来よりの彼女達の悩みの種である。
褐色の肌と、日焼けした茶色い肌が激しく踊る。灼熱の砂漠にも動じないアイナの肌にも汗が滲んでいた。
互いに裸で抱き合い、唇をはみ、腰を振る。部屋に響く軋みでかき消されているが淫靡な粘膜同士が擦れる音は二人の興奮を高めていく。
「あっ、アイナ、もうっ!」
「良いよ! 何時でも産んであげるから!」
高揚の中で零れた台詞、それすらも互いの興奮を高め、高まった興奮は更に互いを高めあう。とぎれる事のない興奮の渦の中、弘樹は最後に体を起こしてアイナを抱きしめ唇を深く合わせた。
同時に絶頂、アイナは身を震わせ、弘樹は彼女の最奥でまた己を振るわせる。合わさった口からくぐもった叫びが溢れ、白い命の奔流が注ぎ込まれた。
頭の芯を痺れさせる快感にアイナの腰が砕け二人は床に倒れ、絡まり合う。荒い吐息を吐きながら二人の視線は交錯、自然に笑みが零れた。
「愛してる?」
「愛してる!」
くすくすと子供のように笑い合い愛を交換する。この二人には戦争など意味の無い事だ、お互いが居ればそれで良い。所属も部署も部隊も同じ、バディを組む狙撃兵は互いに離れる事はなく、死ぬときは同じ時。二人はそれで満足なのだ。
さぁ、夜は始まったばかりだ。
余談であるが、この数日後アイナは産休の為と称して休暇を取り、弘樹も長い休暇を取るのだが、弘樹が同僚から凄惨なリンチを受ける事になったのもまた別の話。
中東のイラン、その東半分を占めるカーヴィル砂漠は真夏の現在気温は五〇度を超え、その中に居る者を全て焼き付くさんかの勢いで夏の盛りを迎えていた。
礫石と塩分を多く含んだ荒い砂は歩きにくく、かつ足の関節をその硬さで痛めつけ、真冬であっても二〇度を下回る事のない気温はまるで地獄の釜のようである。
そんな地獄の具現のような地に一組の男女が居た。
砂色の野戦服を着込み、大量のマガジンを収める事の出来るチェスト・リグを防弾ベストの上に重ねた男と、同じく砂色の野戦服に身を包んだ女。服装において異なる点と言えば、女はチェスト・リグをつけていない点ぐらいだ。
だが、女性は大きな意味で男性とは容姿が違っていた。
臀部までは完全に美しいラインを描く女性のそれであるが、腰から下は尋常の物ではない。
臀部の下から生えるのは四対の大きく鋭い歩脚とその付け根、そして小さいが鋭利な鋏を備えた二本の触腕。見た目で言うと足の無い女性が巨大な節足動物の脚部に乗っているという具合だ。
そして極めつけは本体よりも巨大で、鋭い針を備えた尾。太陽光を照り返す甲殻と天に挑むかのような堂々たる尾を備えた女性は男性の隣に寄り添い、一際高い砂丘の上から下界を睥睨する。
「まだ見えないな」
男性は押しつけるように見ていた双眼鏡を一度放し、バンダナとブッシュ・キャップで大半を覆った顔の汗を拭う。紫外線対策とは言え外気五〇度の地獄でこの厚手は相当堪えるであろう。
「そろそろのはずなんだけどね」
暑苦しそうな男性とは対照的に女性は軽装であった。小さく尖った耳からかけたサンドブラウンの面覆いで勝ち気な目から下を隠し、砂漠に紛れる砂色の髪は頭頂部の高い位置でくくられている。慣れているのか健康的な褐色の肌に汗は浮いていない。
「あれは…」
男性の呟きに呼応して遙か彼方の砂丘の向こうより何かが盛大に砂煙を上げて突き進んで来る。速度は速く、南西から真っ直ぐ走るそれは無骨なトラックの一団であった。
トラックといっても只のトラックではない。五台で縦列を組み驀進するそれらの荷台には一様に重機関銃が据え付けられ、物騒にも突撃銃で武装した褐色の肌をした男達が満載されている。
男性は素早く双眼鏡をのぞき込み、トラックを睨め付ける。そこには彼が予測する通り国籍を主張する物がない。
このカーヴィル砂漠はアフガニスタン、パキスタン、インドに接するルート砂漠に続いており、この進路で進めば丁度その砂漠に行き着く。
どこの国旗も掲げて居ないという車団といえば二つほど覚えがある。
一つは国境無き医師団などの医療ボランティアであるが、少なくとも何処の世界を探してもあんな物騒なボランティア団体は存在しない。
そしてもう一つは…
「見つけたぞテロリスト共」
「直ぐに止めるわ」
女性は意気揚々と畳んだ脚の下に隠していた包みを取り出す。砂色のそれは細長く、何とも無骨な形を浮き彫りにしている。
「距離約二〇〇〇、すぐこっちまでくるぞ」
「了解」
今は豆粒のような大きさにしか見えない車団がどんどんと近づいて来る。こんな砂漠に制限速度は無いのでかなり飛ばしているだろうからその速度はかなり速い。
女性は包みを解き、その中身を肩付けに構え脚を伸ばして地面に低く伏せる。その際隣の男性に歩脚が軽く当たってしまい、目線で謝罪して脚を男性の上に載せる。
「重いんだが」
「一分我慢して」
女性が構えるそれは鈍色の鉄とグレーのポリカーボネイトの混合物。旧共産圏最強と謳われたセミオートライフル、ドラグノフ狙撃銃であった。
大きな直列マガジンと細く、大胆に肉抜きされたボディはある種の芸術的美しさを有している。薄いチークピースに頬を乗せ、八×四二倍高倍率スコープを覗き込む。
「現在ほぼ無風、距離九二〇。いけるか?」
「目を瞑ってても」
距離、風速に合わせてゼロイングを施す。勿論モンロー効果も忘れずに計算する。位置と距離と高さ、数え切れないほど行われ染みついた三角関数の計算は頭に一瞬でその適正値を弾き出す。
「最初の三台止めたら後は出来る限りでいい」
「面白い冗談ね」
息を止め、一瞬。
「全部だわ」
銃声が轟いた。引き金が絞られると、可能な限り構造が簡略化され砂を噛んでも動き続ける機構は要望に応えて鉄の暴威を吐き出す。音速で飛ぶ七・六二mmR弾はまるで吸い込まれるかのように最前列を走るトラックの前輪を打ち抜いた。
タイヤが爆ぜ、不整地を高速で駆けていたトラックはバランスを大きく崩し、幾度か車体を振ってなんとか立て直そうと足掻いた後横転、後続の三台のトラックを巻き込んで砂の大地に身を横たえた。
最後の一台が何とかその災禍を免れ路線から外れようとしたが女性はそれを見逃さない。鋭い目は矢のようにトラックを補足し微動だにしない。
そして二射目が放たれた。
撃つのは人ではない、あくまで車だ。弾はみごとエンジンルームに突き刺さり、その動きを止めさせる。よくある型のトラックなのでエンジンはどこを狙えば良いかは分かっていた。
とは言え、高速で移動する車にこの距離で正確に弾を送り込むのは至難どころか神業の域である。だと言うのにやはり女性は汗一つかかず、得意げに声を上げる事すらしない。
「上等だ、づらかろう」
「ええ」
バネ仕掛けの人形の如く跳ね起き、足並みをそろえて砂丘を駆け下りる。その下には砂色のシートに包まれた大きな塊が。
節足を器用に動かし男性より遙かに素早く辿り着いた女性がシートを跳ね飛ばすと、その下には同じく砂色に染め上げられた無骨な軍用の大型バイクが鎮座していた。大きなガソリンタンクを備えた特徴的な本体と、大きく口を開けたサイドカーには女性が脚を畳めば悠々と乗り込める広さがある。
「さぁ、速く!」
「ヒトがそんなに速く走れるか!」
少し遅れて駆けつけた男性はバイクに飛び乗ると刺しっぱなしのキーを回してエンジンを起こす、エンジンは大きく身震いし軽快な音を立てて振動し始めた。具合は良さそうだ。
「よし! 帰るぞ!」
「待機してる連中に連絡するわ」
女性が豊満な胸に抱えるドラグノフ狙撃銃と、男性がスリングで背に負うAkー74。バイクの側面にプリントされているのは緑、白、赤の三色旗、そしてその中央に印字された国章。それだけでなく野戦服の襟にも同じ旗が。
イラン・イスラム共和国の旗を抱いた一組の男女が砂漠を駆ける。隠れた顔だが二人の顔はどこか楽しげであった。
遠くから轟くヘリのローター音が木霊する…
カヴィール砂漠のイラン側入り口に位置する小さな街は夜でもそこそこの人通りがあった。
この街の近くにバスィージ、つまりイラン国民兵隊の駐屯地があるからだ。
今現在国軍は主要都市の警護に忙しく、その穴を民兵隊や、海外から雇い入れ民兵隊に臨時編入された傭兵達が塞いでいる現状、自由な傭兵や民兵を多く抱えた基地付近の街が賑わうのは自明の理であった。
その街にある酒場の一角で砂漠に居たあの男女が酒杯を酌み交わしている。
カウンターの質素な椅子に腰掛ける男性と、己の節足を折りたたむようにして座り、男と顔の位置を合わせる女性。互いに手に握られるショットグラスには微かな潮の臭いがするモルト・ウイスキーが注がれている。
「疲れたわねぇ…」
言いながら酒精を煽る女性。彼女は見た目通りヒトではない。人間ではあるがヒトではないのだ。
ギルタブリル、そう呼ばれる人類の一種でヒトと同じく長い歴史を持つ種族だ。蠍のような下肢を持ち、砂漠に生きる彼女たちをヒトはデススートカー等と呼んで畏怖しているが、実際は温厚である事で知られている。
ヒトに似たヒトでないヒトは昔から多くこの惑星に存在していた。彼等、いや、正確には彼女らは長らくヒトと共にあり、人間社会を形成する重要な一部分である。
彼女達は元は両性を有していたが、いつ頃からかは定かではないが、ヒトがヒトであった時分には既に雌性体しか存在しない種族であった。鬼や魔物と呼ばれる彼女たちはヒトの文明に適応し、争わず共に栄えるように進化したのだ。
西欧では亜人、極東では単純にヒトと同じく扱われる彼女たちは今もヒトと共にある。彼女達を嫌い、滅ぼそうとした文明もあったらしいが、今やその影も形もない。
皮膚の色で争うヒトがどのような理由で彼女達を受け入れたのは謎であるが、人類は数多の種を抱えつつも今の所大きな戦争もせず平和に暮らしている。
ここはその平和とかけ離れた地、数年前の戦争で世情が不安定になり、テロリズムと反乱、そして犯罪が横行する数少ない争いの地だ。
争いの種を撒くだけ撒いた大国は事態を収拾するのを半ば投げだし、僅かに行った収拾の為の行動は無差別の爆撃。後に残ったのは廃墟と不発の爆弾、そして死体くらいの物だ。
傭兵を生業とする彼等からすれば飯の種がある分ましだが、ここに住む無辜の民からすれば地獄でしかない。
「また大変な目にあったの?」
二人に声を掛ける者があった。カウンターで器用にシェイカーをかき混ぜるバーテンダーだ。バーテンダーといっても洒落たものではなく、カクテルも作るといった適当なノリだがここの主は好んでそう名乗る。
「聞いてよシェーラ。たった二人で大勢のテロリスト探して足止めしろなんて言うのよ? 実際死ねっていってるのと変わらないわ」
「馬鹿ねアイナ、それだけ信頼されてるって事じゃないの」
バーテンダー、シェーラは蠱惑的な美貌に微笑を浮かべながらその豪華な金髪を掻き上げた。
見事なウェーブの髪を湛える彼女もまた、人ではない。大きな二枚の翼を湛えるその姿は美しくもあり、どこまでも妖しい。
彼女はサキュバスと呼ばれる種族の女性で、すらりとしたパンツスーツを着込みこの店を一人で切り盛りしている。たまにピアノの弾き語りなどをして数多の軍人を虜にする淫魔名に恥じぬ美女であった。
女、アイナはうんざりしたように酒を煽り、吐息と共に愚痴を零す。
「指揮系統がごちゃごちゃしすぎてありえない所から命令が飛んでくるのよ。私は傭兵なんだから直属の上官から命令されないと動く義務ないのに、あの石頭が軍法会議がどうだのって……」
「まぁ、あの薄ら禿げが指揮系統なんて上等な言葉知ってるとは思えんがね。軍法会議だって脅して部下動かすような無能だから直ぐすげ替わるだろうよ」
と、男。しかしその男に対してアイナはそうとう気にくわなかったのか軽く肩を殴り、さらに愚痴を漏らす。
「だったら直ぐに教えてきなさいよ! 隊長に言ってみたけど、どうせ隊長が抗議しても同じこと言うわよあの禿げ! 弘樹! あんたあの禿げの容量少なそうな頭の中身ちょっと撒いてきなさい!」
「阿呆かお前は!」
「うるさいわね、戦場じゃ弾は前から来るとは限らないんだから良いじゃない!」
弘樹、名前から分かる通り男は日本人である。日本人でありながら傭兵をしているのには並々ならぬ理由があるのだが、それはまた別の話。
中肉中背、短く刈り込んだ黒髪と黄砂色の皮膚、典型的なモンゴロイドである男は幼く見える顔を何とも困ったように歪め、シェーラに声を掛ける。
「この酔っぱらい何とかしてくださいな。このままだったら多分寝床でも騒ぎ続けて眠れなくなる」
「あら、だったら私の家に来る?」
流し目とウインクを一つ、初心な男なら一発で落ちそうな笑みを湛えシェーラは体を捩った。酷く淫靡なその姿に弘樹の溜飲が下がる。
が、しかし。
「ごふっ!?」
突如首の付け根に凄まじい衝撃を受けて弘樹は横に向かって吹き飛ばされる。椅子を二〜三脚巻き込んで倒れるその身の首筋には何か鋭利な物で突き刺したような痕があった。
「シェーラ、他人の男に粉かけてる暇あったらファンの為に歌ったらどう?」
「あら、いい男を誘うのも私の仕事じゃない? 種族的命題とも言えるけど」
口論に割り込むように息も絶え絶えの弘樹が呻く。その声はどこか呂律が回っていない。
「おっ、おま、殺す気か……」
「うるさい浮気者っ! 私の針じゃ死なないわよ!」
「いや、首はちょっと……。気管が……」
弘樹を突き飛ばしたのは、体躯とほぼ同等の大きさを誇る彼女の尾であった。先端に備えた針から滴る液は、神経毒の一種であり獲物の動きを制限し……
「シェーラ、二階借りて良い?」
「また? 私にからかわれる度にこれだと枯れちゃうわよ、彼」
「じゃあ止めなさいよ!」
弘樹の首根っこをひっつかみ店舗の奥に隠れた階段を上っていくアイナと、それをおかしげに見送るシェーラ。そして体に力が入らないのかぐったりとした弘樹。店の客は慣れているのか、またか、とでも言いたげに黙って各々好いたように行動を続けていた。
「全く、平和ねほんと」
皮肉気にも聞こえる台詞は、誰の耳に届く事もなく霧散した…
何かが軋む音が部屋に木霊している。木で組まれた家具が負荷に耐える音に似ている。
いや、似ているというよりも正にその通りである。
ギルタブリルの尾に含まれる毒は、神経毒であると言ったが、それ以外にも一つ効果がある。
ヒトの男に対してのみ効果を発揮する強力な催淫成分である。これを打ち込まれると脳内麻薬が活性化し、常に性的興奮状態に陥ると同時に、ある科学物質が精巣に働きかけ精子を活発に生産させるように働きかける。
要約すると、性的興奮を催し一時的にであるが所謂絶倫という物になる。
弘樹の首筋に打ち込まれた毒は正しく働いていた。
明かりのない薄暗い部屋、あの酒場の二階で二人は交わっている。軋みはベットの音、そしてそれに隠れるようにして荒いあえぎが聞こえる。
「きっ、きつい、もう、勘弁…」
「浮気者への罰がこの程度の訳無いでしょ! 明日非番なんだから枯れるまでやるからね!」
「そんな殺生な…」
ギルタブリルであるアイナの女性器は丁度腹側の上半身と下半身の境目にある。今そこはしとどに濡れそばり、弘樹のモノを深く貪欲に呑み込んでいた。
弘樹はベッドに腰から上を預け、脚を開いてアイナに挿入している状態だ。どうしてもギルタブリルの体の仕組みからこのような形か、抱き合って胡座をかく対面座位くらいでしか交われないのが古来よりの彼女達の悩みの種である。
褐色の肌と、日焼けした茶色い肌が激しく踊る。灼熱の砂漠にも動じないアイナの肌にも汗が滲んでいた。
互いに裸で抱き合い、唇をはみ、腰を振る。部屋に響く軋みでかき消されているが淫靡な粘膜同士が擦れる音は二人の興奮を高めていく。
「あっ、アイナ、もうっ!」
「良いよ! 何時でも産んであげるから!」
高揚の中で零れた台詞、それすらも互いの興奮を高め、高まった興奮は更に互いを高めあう。とぎれる事のない興奮の渦の中、弘樹は最後に体を起こしてアイナを抱きしめ唇を深く合わせた。
同時に絶頂、アイナは身を震わせ、弘樹は彼女の最奥でまた己を振るわせる。合わさった口からくぐもった叫びが溢れ、白い命の奔流が注ぎ込まれた。
頭の芯を痺れさせる快感にアイナの腰が砕け二人は床に倒れ、絡まり合う。荒い吐息を吐きながら二人の視線は交錯、自然に笑みが零れた。
「愛してる?」
「愛してる!」
くすくすと子供のように笑い合い愛を交換する。この二人には戦争など意味の無い事だ、お互いが居ればそれで良い。所属も部署も部隊も同じ、バディを組む狙撃兵は互いに離れる事はなく、死ぬときは同じ時。二人はそれで満足なのだ。
さぁ、夜は始まったばかりだ。
余談であるが、この数日後アイナは産休の為と称して休暇を取り、弘樹も長い休暇を取るのだが、弘樹が同僚から凄惨なリンチを受ける事になったのもまた別の話。
10/04/01 04:22更新 / 霧崎