追っては逃げられ、逃げられては追いかけ
(くそっ、背中を見失わないようにするのが、やっとだ・・・・・・
ホントに人間なのか、あの男は?!)
目の前を行く相手に気付かれないように気をつけつつ、忌々しげに舌打ちを小さく漏らした私は、決して小柄ではない身を潜めていた岩蔭から気配を抑えながら出て、追跡を再開する。
アタシが一年近くも追い続けている、その男は背中に成人の男三人が腕を伸ばして、やっと届くほどの太さの大木をも真っ二つにする大剣を、腰には腕のいい職人が市場には出ない一流の材料だけを使って精魂を込めて作った上に、教団に所属する一流の魔術師が長時間かけて呪文字を刻んで耐久性を上げた鎧を切り裂ける長刀を差しているにもかかわらず、山育ちの私ですら汗をかくほどの荒れた道を何でもない様子で進んでいく。
何度か、『察知(リチェルカ)』を使ってみても周囲の魔力に変化は無いから、肉体を術で強化している訳ではないのだろうが、それはそれで逆に厄介で、恐ろしい話でもある。
アタシの名前はリゼル・メディアム・フェッロ、誇り高いリザードマンの戦士だ。
世界各地を巡っていた、私は、武者修行で。森で狩った獣の毛皮や肝を市で売ったり、そこそこの賞金首を捕らえたりして、適当な旅費を稼ぎながら、道すがらで遭った人間の戦士に勝負を挑んでいた。
アタシ達、リザードマンは勝っても相手の命を奪ったりなどしない。むしろ、アタシ達と互角の勝負をした人間には敬意を払い、再び戦えるようになるまで近くの里で治療と介護もしてやる。故に、人間達の方が逆に勝負を挑んでくる事も少なくない。
中には正々堂々、真っ向勝負を仕掛けてくる者もいるし、アタシ達から叩きつけられた挑戦を了承するも、自分と相手の実力差をしっかりと測れ、魔術や罠などどの知恵で戦う者もいた。
そんな大勢の戦士を、アタシ達、リザードマンは小細工なしの力技で常に倒してきた。
そして、アタシ達は自分を負かした戦士を生涯の伴侶と決める。相手が首を縦に振るまで、何処までも追い続ける。アタシの友人も、自分を倒した相手を追って集落を後にして、数年後、その男を伴って帰ってきた。アタシ自身、故郷には最近、帰っていないが、彼女達は今でも、幸せな生活を送っている筈だ。そろそろ、子供が出来ている頃だろうか。
だが、アタシが集落を出た理由は強い男が原因ではなく、前述したが、武者修行だ。無論、アタシと同じ理由で集落を出る者は多い。実際、アタシの母も武者修行の途中で、冒険者に負けたそうだ。
汗を拭ったアタシは腰からぶら下げていた水筒を手に取り、中に入れている蜂蜜を混ぜて甘くしてある水を一口だけ、唇を湿らす程度に飲む。
一年前、アタシは旅の途中で、その辺りの土地を治めていた貴族(ヴァンパイア)の娘を助けたのだが、その時に崖から落ちてしまい、怪我を負ってしまった。
幸い、右足を折っただけで、戦士生命には関わらなかったのだが、さすがに旅は続けられなかった為、娘の母親の言葉に甘えて、しばらく屋敷に置いて貰った。怪我が癒えてからは、それまでの恩を返す意味で、門番や娘のボディガードを買って出ていた。
そして、アタシはその屋敷で出逢った、運命の相手に。
(さすがに、今日の内に山を越える事は無いだろうから、日が落ちる前に体を休められる場所を探すだろうな)
そんな事を考えながら、少なくなりつつある干し肉を齧ったアタシだったが、不意に前を歩いていた男が不自然に足を止めたものだから、驚いてしまう。
(やばい)
慌てて、近くの岩の陰に隠れ、気配を押し殺す。
だが、アタシは追跡中も、足音も気配もなるべく抑えていたのに、相手は尾行されているのに、かなり前から気付いていたらしい。
「・・・・・・いつまで、私を追いかけてくる気なんですか? リゼルさん」
困惑交じりの表情をありありと浮かべた男は、長く苦しい旅だと言うのに艶やかさをまるで失っていない黒髪を掻きながら、隠れているアタシに柔らかい声で聞いてきたが、私は決して小さくない体を更に縮ませる。
しかし、声に反した鋭い視線が岩を貫いて、アタシの背中にチクチクと突き刺さってくる。
(くそっ、バレてる)
半ばヤケになった私は岩の上に跳び上がり、微苦笑を浮かべて、アタシを見上げている男にベルトから抜いた剣の先を向けた。
「お前が、私の再戦要求を受けるまでだ。そ、そして、契りを結ぶまでだっっ」
足を乗せている岩を砕く勢いで尾を振り下ろし、私が頬を真っ赤にしながら放った叫びに、かけていた眼鏡を指で押し上げながら笑みに滲んだ苦味を濃くしたこの男、キサラギ・サイノメが一年前、私を負かした。
最初、屋敷の門前にキサラギが現れた時に抱いた印象は、「アタシの胸を高鳴らせるには程遠い、脆弱な人間」と言った物だった。
背こそ妙に高かったが、全力で吹いたら飛んでしまいそうなほど細い体付きだったし、その身に纏っている雰囲気も緩かった。肩まで伸ばした黒髪は麻紐で一つに括られ、肌は白磁の器のようだ。戦士と言うよりは学者か、吟遊詩人に見えた、推測は半分だけ当たっていたと私が知るのは、少し後だったが。
当時、アタシが仕えていたヴァンパイアの屋敷は、鬱蒼とした暗い森に囲まれていた。その森には人間だけでなく魔物娘まで主食とする、常に餓えた野獣が生息していたし、精神を蕩かす幻を見せる毒を撒き散らす植物が群生する箇所もあった。
だから、森を抜けてきたからには、それなりの装備があるのだろう、と判断した。実際、使いこなせるのかも怪しかったが、キサラギは武器を持っていた。砂や花粉で薄汚れたマントの下には幻術対策の札を縫い付けてあったんだろう。
アタシは門前で歩みを止め、マントと同じく汚れた唾の大きい帽子を脱いだキサラギへ構えていた槍の穂先を向けた。
頬に触れそうな距離に槍を近づけられても、キサラギは微塵も怯える様子を見せずに、黒縁の眼鏡を指先で押し上げた。
(何だ? コイツ、馬鹿なのか)
「ここがシリヴィア様のお屋敷と知って来たのか?」
この森の中を通っている道は多いが、全ての道はこの屋敷に通じている。森に入る理由が、屋敷への来訪しかないと解っていても、アタシはあえて質問をぶつけた。
「はい」と柔らかく微笑むキサラギ。
「何用だ?」
「一つはシルヴィア様にお届け物です」
「誰からだ」
「サンジャ様に頼まれまして」
「サンジャって・・・フレクインド・サンジャ様か!?」
予想もしていなかった、魔王様に匹敵する、最強の魔物娘と言っても過言ではないドラゴンの実力者の名が、浮浪者にしか見えない男の口から出たものだから、アタシは目を見張ってしまう。
「嘘をつくな」
「嘘ではありませんよ」と困ったように笑ったキサラギは、背負っていた鞄から小さな箱を出して、訝しげな面持ちのアタシへ見せる。
箱を包んでいる紙には、確かに名門・サンジャ家の紋が記されていた。
「・・・・・・なるほど、本当のようだな。
では、これは私が渡しておこう。
用が済んだのなら、さっさと帰るといい。もっとも、無事に森を抜けられるかどうかは保障しないがな。
行きは良い良い、帰りは怖いと言う奴だ」
アタシは野良犬を相手にするように手を振ったのだが、男は小さく首を横に振った。
「いえ、もう一つ、用事がありまして」
「何?」
「麓の村で、病人がかなり出まして、シリヴィア様に薬を頂きたいんです。
この屋敷には、東西から集めた薬草を育てている菜園があると聞きました」
確かに、薬草を栽培している菜園は屋敷の中にあった。先代から仕えているアルラウネが、そこの管理を任されていて、切り傷や打ち身をこさえる事の多い私もよく世話になっていた。
「村には薬局があるはずだ」
「そこの薬では効き目が薄いそうで」
「なるほど・・・だが、お前は余所者だろう。
どうして、わざわざ、危険を冒してまで、ここまで来たんだ?」
アタシは槍の穂先を男から森の方角へと向けた。
その質問に、口の端を吊り上げたキサラギは帽子を胸の前まで持ってくる。
「一宿一飯の恩義です。
今、病気で苦しんでいる娘さんは、行き倒れていた私に一杯の水とパンをくれたんです」
芯の弱そうな外見に反して、義理堅い性格をしているようだった。
ハッキリと理由を口にした所が気に入ったアタシは槍を下ろす。
「良いだろう、シリヴィア様に私からも頼んでやろう」
「ありがとうございます」
嬉しそうに笑ったキサラギはアタシに長身を折り曲げ、深々と頭を下げた。
この時、一瞬にも満たなかったが、心臓がトクンと高鳴ったのだが、アタシはそれに全く気付いていなかった。
キサラギはアタシですら一抹の緊張を抱いて、ギュッと握った手が汗ばんでしまうシリヴィア様を前にしても、まるで物怖じ一つすらしないで礼儀正しい態度を崩さず、ここに来た事情と病人の症状を説明して、椅子から立ち上がると再び、頭を深々と下げた。
汚らしい姿のコイツにシリヴィア様は眉を顰めていたものの、ケチの付け様がない礼節に満足したのか、メイドのインプに薬草を持たせ、すぐに麓の村へ届ける事を約束してくれた。
「感謝します」と深々と頭を下げたキサラギにシリヴィア様は妖艶な笑みを浮かべて頷き、コイツに泊まっていくよう勧めた。
突然の申し出に驚いたようにレンズの下で瞬きを繰り返したキサラギだったが、森抜けで疲労も溜まっていたのだろう、素直に首を縦に振った。
借りた風呂で旅の疲れと汚れを落としきったコイツの全貌は見違えていた。
顔は女と見間違えかねないが、その長躯からは確かに男の雄々しい匂いが石鹸の香りに混じってしている。シャツの袖から伸びている腕には旅で負ったのか、無数の傷が重なり合い、肌は変色してしまっている。また、コイツは長時間の歩行には負担になる余計な脂肪を落としきり、同時に、『強靭さ』と『柔軟さ』と言う、相対する二つを同居させた筋肉は常に全力を出せるよう、細かい調整を怠っていないようだ。
食事のマナーも完璧で、シリヴィア様はますます、コイツを気に入ったらしく、しばらく逗留していくよう勧めたものの、キサラギは丁重に断った。シリヴィア様は残念がったものの、旅人を一箇所に引き止めるのは野暮な真似と知っている為、悠然とした態度でキサラギに旅の平穏を祈ってやった。
そして、翌日
シリヴィア様から、旅の途中で立ち寄る事になるだろう国にいる筈のデシエルト・コリナ様(アヌビス)への手紙を預かったキサラギを門で見送ろうとしたアタシは不意に、名を聞くのを忘れていたと思い、自分から名乗った上で問い返した。
「私は誇り高きリザードマンの戦士が一人、リゼル・メディエム・フェッロ。
若輩者ゆえ、字名はまだ無いが、いずれ世界に轟かせるつもりだ」
堂々と張った胸の前に腕を掲げたアタシに、キサラギは優しく微笑みを返してきた。
「いつか、貴女の名を、どこかの街で聞く事を楽しみにしてますね」
「お前の名前は?」
「いえ、そんな名乗るほどの者ではありませんから」
「こうやって、会ったのも何かの縁なんだ。
明日には忘れてしまうかも知れないが、一応、聞かせておけ」
歯に衣着せないアタシに微苦笑を漏らしたキサラギは、シリヴィア様から「一期一会の記念に」と授けられた帽子を脱いで、静かに己の名を口にした。
「キサラギ・サイノメです。しがない冒険者をやっております」
瞬間、息を呑んだアタシの手から槍が落ちるも、地面に落ちる前に槍はキサラギの手に受け止められていた。
「では、シリヴィア様、リゼルさん、失礼します。縁があれば、また何処かで」と槍を唖然としているアタシに返したキサラギは帽子を被り、綺麗に現れたマントを翻して背を向けた。
「ま、待て!! いや、待ってくれ!!」
アタシは焦りながらキサラギを呼び止めた。振り返ったキサラギの表情には「やっぱりかぁ」と一抹の後悔が滲み出ていた。名乗れば、アタシがどう言う反応をするか解っていたから、名乗るのを渋っていたのだろう。
隣のシリヴィア様は「何、知らなかったの?」と言わんばかりの表情だ。
(そうだ、背中の大剣と腰の刀で気付くべきだった。
ただの、モノマネかと思ってしまった)
自分の目の節穴加減を呪ったアタシだったが、すぐに頭を切り替える。
よもや、こんなに早く、「本物」かつ「本人」に逢えるとは思っていなかった。
興奮で胸が高鳴り、全身の血が熱くなっていく。
旅の途中で、何度も聞いた名前、キサラギ・サイノメ。
人間最強は誰か、をテーマにして、アルコールが入って熱くなる論争をした時、必ず挙げられる男の一人。
『教団』は多種多様なランキングを作っており、我々、魔物の中にはそれを参考にして『性』を貰う相手を決める者もいる。
私のような『精』そのものには興味が少ない、戦いだけが目的の者にも、このランキングは役立ってくれている。月に一度、発表される各種の一位から五十位まで纏めたランキングを集めた分厚い本は普通に街の本屋に並べられ、魔物娘でも手に入れるのは容易なのだ。
このランキングの内容は様々で、実に細かい。多くの勇者や冒険者の中で、強い剣士、強い格闘者、優れた狙撃者、優れた魔術師、秀でた呪術師、秀でた結界術師などが載せられている。一年の内でどれだけの古代遺跡を発見したか、賞金を稼いだのか、も事細かに紹介されている。
中には、ランキング上位に認められた刀鍛冶や鎧職人を纏めた物もあり、私のように武器を大事にする戦士には、それも重宝している。
ちなみに、『教団』は我々、魔物を対象としたランキングも作ってくれており、勇者や冒険者達はそれを参考にして、自分に見合ったクエストを選ぶのだ。火属性の武器しか持っていないのにサラマンダーが棲息する洞窟、ウンディーネが棲息する泉に行っても勝ち目は薄い。破魔の呪文も使えないのに、マミーやスケルトンが闊歩する墓場に足を踏み入れれば、カラカラになるまで搾り取られてしまうだろう。だから、彼らは我々が棲んでいる地域を調べた上で世界中を回っているのだ。とは言え、リーザードマンであるアタシのように武者修行で特定の場所に留まらない種もいるので、当てにならないと言えばならないのだが。
どうして、『教団』が人類の敵である我々の詳細をまとめたランキングも作っているのか、と言えば、勇者や冒険者らの慢心を戒める為だ。『教団』は魔物娘をこの世界から払拭する為に、切磋琢磨の末に残る本物の強者だけを求めている。故に、魔物娘に敗れるような人材は不要であり、このランキングを有効活用させる事で、各人のレベルアップを期待しているのだろう。
当然ながら、駆け出しで、字名も持っていないアタシはコレに載っていない。悔しいが、今はコツコツとやっていくしかあるまい。現在、上位にいる者も、そうやって、そこまで辿り着いたのだろうから。
話を元に戻すが、目の前のキサラギ・サイノメと言う青年はランキング上位者だ、しかも、多岐に渡った。
まず、この一年間、全世界冒険者ランキング第六位。中央冒険者ランキング第三位。全世界格闘者ランキング第四位。年間収益ランキング第五位。年間遺跡発見および保護数第七位。上位魔物娘撃破数は第二位。
そして、全世界剣士ランキング第一位。
キサラギはこの座を、十年間、誰にも渡していない、正に「刃物の王」と呼ばれるに相応しい男だった。人間、魔物娘関わらず、斬撃系の武器を扱う者にとっては憧れだった。
キサラギは勇者として『教団』に所属していないースカウトは何十回と受けているらしいが、彼は組織に縛られる事を嫌い、他人が羨むような報酬や条件を蹴り続けているそうだー為、勇者だけを集めたランキングには残念ながら名を載せていないものの、そんな瑣末な事など気にさせないほど、他の部門で上位に食い込んでいた。
また、魔術は不得手らしく、ランキング外に甘んじている。
しかし、その分、接近戦と中距離戦でキサラギと互角に戦える者は人間、魔物娘にも数えるほどしかいないだろう。それこそ、現在、魔物娘ランキング一位のフレクインド様(ドラゴン)、二位のスプレンディド様(ドラゴン)、三位のリリー・オフ・ザ・ヴァリ様(デュラハン)、五位のアクスト様(ミノタウロス)くらいだろう。
また、魔術が不得意でも、全世界と東方の冒険者ランキングで上位に君臨している事が示すように、十分な結果も出していた。人間界に点在する古代遺跡を荒らす盗賊を取り締まったり、砂漠地方に暮らす人間や魔族娘の間に勃発していた水争いを解決したり、罠で掴まったエルフやフェアリーの踊り娘を密猟者から助けたり、ある国に雇われていた魔術師の失敗で異常発生したゾンビの軍団を単騎で朝まで食い止めるなど、色々と活躍している。
『教団』の依頼で魔界に出向く事も多く、『難攻不落』を誇る魔王様の北側城壁を一太刀で切り崩した事もあるそうだ。また、あくまで噂だが、人間界の裏側を牛耳っている顔役に頼まれて、サキュバスの城下街で魔法のアイテムやアクセサリーを仕入れているらしい。これは『教団』にも知られているはずだが、複雑な事情で黙認されている節はあった。
あの『触手の森』に足を踏み入れて五体と精神が無事で帰ってこられる、数少ない人間の冒険者の一人でもあるキサラギは、上位クラスの魔物娘ですら近づく事を躊躇う最深部寸前まで迫った事もあるようで、現在でも森の闇の中に隠されている秘密を知るべく挑戦を続けているらしい。
また、これもあくまで黒い噂だったが、あの『万魔殿(バンデモニウム)』に単身で先入して、堕天使を相手に大立回りを演じた事もある、と。歪んだ時空に足を踏み入れた影響なのか、キサラギ・サイノメは『教団』が発表している公式のプロフィールでは三十代後半の筈だったが、外見は十代の頃で止まってしまっているらしい。
(だが、まさか、あのキサラギ・サイノメがこんな優男だったとは・・・)
自分はまだまだ、先人の影すら踏めない未熟者だから、と謙虚なキサラギは顔を表に載せる事を渋っている為、遠くから撮影したボンヤリと写った物しか見た事が無かったアタシだったが、目の前に立つ男は間違いなく、本人だろう。
何せ、持っている得物が得物だ。にも関わらず、最初、気付けなかったのだから情けない話だ。
ランキング上位者の真似をする者は多いが、キサラギを手本にする新米冒険者は少ない、と言うより、真似をしてもすぐに止めてしまうだろう。
大剣と長刀、どう考えたって、両方を一度に扱う事は至難の業だ。格好から入っても、戦闘となれば理想より現実、自分の体躯や実力に見合った武器を選ばねば、この世界では生きていく事は難しい。
しかし、キサラギ・サイノメと言う男はそれを容易にこなし、今日まで生きてきた上に、最上まで登り詰めているのだ。
片方だけでも振るうのに肉体に負担がかかる武器を、まるで木の棍棒を使うような素振りで使いこなして、目の前の敵を薙ぎ払ってきた。キサラギが本気を出した時、目の前に立っていられる者どころか、地面に臥している者すらいない、と恐れられている。
多くの魔物娘が、屈強なキサラギの『精』を狙っていたが、大半が返り討ちに遭わされているらしい。しかし、キサラギは向かってきた相手が魔物とは言え、全てを殺す訳ではないらしい。命ではなく自分の『精』を狙うのは魔物としての本能、ならば、殺すのは戦士としての信念に反するのだ、と以前、記者に語ったらしい。
艶やかな黒髪と潤んでいる黒目からも察せられるように、多くの謎と神秘で溢れた東洋の秘境と言われている、ジパング地方の出身で、魔物娘に対する特異な考え方も、その辺りが関係しているのだろうか。
また、キサラギは魔王軍の勇者部隊の隊長や元・ヒロインに育てられ、デュラハンから戦闘の英才教育を受けてきた為、魔物娘を敵として見れない、とも言われていた。多くの魔物娘に、瘴気で満ちた魔界で育てられたにも関わらず、インキュバス化しなかった事だけでも、幼い頃から頭角を見わしていた事が解る。
なので、キサラギは『教団』にも『魔王軍』にも肩入れせず、中立的な立場を貫き、適度な共存を推奨していた。ある国は、彼をアドバイザーとして招いて、魔物娘と人間が同じ街で暮らしているそうだ。そう聞くと、その街は全体的に淫行で乱れてしまっている暗いイメージを抱いてしまいそうだが、実際はそんな事はないらしく、風紀は守られているようだ。
ただ、自分の命と周囲の平穏を掻き乱す真似をする者には微塵の容赦もない。『教団』の上層部も、魔王軍も彼を危険視して、幾度か暗殺者や軍を送って抹殺を図ろうとしたが、その度に返り討ちに遭っている上に、これまで生きて返って来る者は一人もいなかった。
数える事を放棄したくなる程の、原型を留めていない死体と夥しい鮮血が汚した大地の上に、一滴の返り血すら顔にも服にも浴びないで、悠然と直立するキサラギ・サイノメを、全世界の冒険者・勇者、そして、魔物娘が彼をこう呼ぶ、『双刀(掃討)者』と。
ここ最近は、どちらの勢力も、彼へ下手な手出しなどはしていない。数には困っていないとは言え、彼一人に余計な被害を出されては困るからだろう。中立派であるため、ありえない話だが、キサラギがその気になったら、『教団』も『魔王軍』も彼一人に、短期間で壊滅させられてしまう。ならば、友好的な態度を維持した方が良いに決まっていた。
これだけ有名な冒険者であるキサラギなので、『精』は魔王様がお墨付きをするほど格別の味らしく、一部の魔物娘は彼だけに狙いを定めているらしいが、魔王様以外に交わる事に成功したと言う話は届いてこない。何せ、世界最強の剣士、「刃物の王」だ、生半可な実力や幻術では彼を押し倒す事も動きを封じる事すら叶わないのだ。
アタシから挑戦状を叩きつけられたキサラギは困惑を深めていたものの、リザードマンの性質をよく知っているからだろう、断っても無駄だと諦めたのか、小さく肩を竦めた。
「シリヴィア様、庭をお借りしてもよろしいですか?」
「構わないわよ」と口の端を吊り上げたシリヴィア様は中庭の方を指差した。
「待て、待て、庭で私達が暴れたりしたら、ボロボロにしてしまう」
そうなったら、アタシがヴァインのババァに絞め殺されてしまう。
「近くに、丁度よく開けている空き地がある。そこで戦って貰うぞ」
上位ランキング者に対して、ランキング入りも果たしていないアタシの言動は傍目から見たら不遜そのものだろうが、こうでもしてないと湧き上がってくる畏怖で、全身を満たそうと練り上げている戦意が端から殺がれてしまいそうだった。
だが、彼はアタシの提案に首を横に振った。
「移動する必要はありませんよ。
庭はボロボロになりませんから」
「―――・・・それは、私に何もさせずに勝つ、って意味か?」
「えぇ」とキサラギは毒気がまるで無い微笑を浮かべて頷く。途端、頭に血が昇った。
「解った・・・庭でやってやる。先に行っていろ」
ギリギリと歯軋りを漏らしたアタシは依然、柔らかく微笑んだままのキサラギに背中を向けて、足音を荒々しく鳴らしながら、自分の使い慣れている武器を取りに自室へ走った。
五分後、カットラスと円盾を手にしたアタシが中庭に足を踏み入れると、既にキサラギは帽子とマントを脱いで待っていた。
「待たせたな・・・
シリヴィア様、申し訳ありませんが、開始の号令をお願いできますか」
畏怖や憧憬など、怒りで既に蒸発してしまっていたアタシはキサラギの真向かいに引かれていた線に足を乗せると、左手に握った剣を構えた。
キサラギは号令がかけられてから、剣を抜くつもりなのか、悠長な気配を携えて、ボケッと立ったままで全身を怒気で覆っているアタシをジロジロと、まるで、強さを計るように見つめている。内側を覗かれるような感覚を覚えたアタシは彼の視線を跳ね返すように眼光を鋭く尖らせた。
「・・・・・・では、始」
「ちょっと良いですか」とキサラギはシリヴィア様が手を挙げようとしたのを阻んだ。
「何だ?! 今更、命が惜しくなって、偽者なんです、なんて言う気か!」
「まさか」
苦笑いを浮かべたキサラギは背中の大剣と腰の長刀へ手を伸ばすと、おもむろに二つを抜いてシリヴィア様に緩慢な足取りで近づいた。よもや、最初からシリヴィア様の首を取りに来たのか、と危ぶんで飛び出そうとしたアタシをシリヴィア様は静かな真紅の瞳で制した。
闘気も殺気も表に出さないで近づいてくるキサラギに対して、シリヴィア様は何の反応も起こさない。ランキング四位の彼女が無詠唱の攻撃魔術を得意とする、と知っていても、こっちは内心ヒヤヒヤである。
攻撃の最大有効範囲にキサラギが足を踏み入れたのと同時に、シリヴィア様は右手を素早く振りぬこうとしかけたものの、それより速く、キサラギは剣を向けていた、ただし、柄の方をだが。
「預かっていてもらえませんか?」
「!? おい、素手で戦う気なのか!?」
「そうですが・・・何か?」
シリヴィア様に得物を渡した彼は心底、不思議そうな表情で私に振り返った。
「ふざけてるのか、アンタ!?」
「勝負を挑まれた以上は、真剣にやりますよ。真剣は使わないだけで」
「でも・・・」とキサラギは無表情で私を細く白い指で差す。
「勝負と言う二文字は、同等もしくは、それに近しいレベルが相手を前にした時に使う言葉です。
それに、武器を使ってしまったら、リゼルさんを間違いなく殺してしまいます。
私には、弱い者イジメの趣味はありませんから」
額に浮かんでいた血管が切れそうになる。
「武器を持ってるお前には、私は敵わないって言いたいのか?」
「・・・・・・実際の所、素手でも、まだ差がありますから」と少し考え込むような素振りを見せた、全世界格闘者ランキング第四位の男。
「左手一本だけで相手をさせて貰いますね。
多分、利き手じゃないコッチなら、後に響くようなダメージは与えないで済むと思うので」
開始線まで戻ったキサラギは左手を開いたままで、アタシに向かって真っ直ぐ伸ばした。
ここまで馬鹿にされたのは初めてだった。
(この私が命を奪う価値も見出せない相手だ、と言ったな、実力不足だと言ったな・・・・・・
後悔させてやる!!)
足が震えそうな自分を鼓舞するために、野次めいた挑発を飛ばしてくるなら、まだ許せる。だが、拳すら合わせていないのに、戦う前からの愚弄は我慢ならなかった。
アタシは伊達や酔狂で武者修行の旅に出た訳でもなく、苦しい修練を続けてきた訳でもないのだ。集落を出る際、古来からの掟に従い、そこで最も強い相手―アタシの時は、ランキング34位の副村長だったーと戦い、一太刀を浴びせて許可を得たのだ。
自身の実力を驕る気は微塵も無かったが、素手どころか左のみで相手をされるのは心外だった。
(なら、その馬鹿みたいに伸ばした左手を叩き切ってやる)
「ほぉ、キサラギ殿、実に見事な武器を使っているな」
シリヴィア様は恍惚の表情で、キサラギから渡された大剣と長刀―確か、前者が『餓蓮号』、後者が『冥菊丸』と多くの冒険者から呼ばれる、何処の誰が打ったのかも知れぬ無銘の武器―を見つめている。シリヴィア様は数多の魔物娘の中でも、かなりの膂力を誇るヴァンパイア一族だ、大の男ですら持ち上げるのに一苦労するであろう、その二つを軽々と自分の目線の高さまで上げていた。
「・・・・・・この二つで、何人、斬ってきた?」
「旅を始めて20年ほど経ちますが、その間に2868ですかね、人間と魔族娘合わせて。命を奪ったのは245ですが。
斬って捨ててきたのは強盗、山賊、海賊、空賊、兵士、殺し屋、と様々ですし、その理由も自分の身を守る為だったり、誰かを守る為だったり、その日の宿代を稼ぐ為だったり、ただのストレス発散のために自分からアジトに突っ込んだ事もあります」
しっかり覚えているらしい。大抵の勇者は、斬った雑魚など途中で数えるのを止めてしまう、と聞いたが。
「幸か不幸か、私の身内はいないようだが、私の同胞(はらから)を何人か斬っているな。
先に断っておくが、今のは厭味じゃないし、恨み言でもないぞ」
「上位魔族に手加減は出来ませんでしたから。
ですが、やはり、お解かりになりますか? 錆びたりしないよう、血はちゃんと拭ってるんですけどね」
「解るさ、これだけ邪気が濃ければな」と心底、可笑しそうに口の端をついっと上げたシリヴィア様。
「ただの人間が、こんな武器をよく使えるものだな。
一般人なら十秒と立たずに、憑いている怨霊に心を貪り食われているだろうに」
「体も心も鍛えてますから」と飄々とした顔と淡々とした声で返し、「じゃ、号令を」とキサラギに目配せされたシリヴィア様は小さく頷くと、ゆっくりと右手を頭の上まで持っていった。
「始めっっ」
凛とした声が空気を小刻みに震わせた。
だが、頭に血が昇っていたアタシは開始線から飛び出せずにいた。
怒りで脳味噌が沸騰しそうでも、鍛えてきた肉体は素直だった、本能的な恐怖に対して。
(す、隙が微塵も見つけられない)
キサラギはただ、間抜けに「遠慮しないで、バッサリ切ってくれてもいいですよ」と言わんばかりに、左腕をアタシに向かって伸ばしているだけなのに、切りかかれなかった。
ジリジリと摺り足で横に動くと、彼もそれに合わせて、開いたままの手を移動させる。丁度、アタシの視線の高さに持ち上げられている所為で、キサラギの左手は顔を隠してしまっていて、微かに動く瞳や唇の動きで心の機微を読み取って先読みするのも敵わない。
(これが、世界で二番目に強い格闘者の放つ重圧なのか)
気を緩めれば、心臓を潰されてしまいそうな、漆黒の圧力をはっきりと感じる。
頬を静かに伝っていく汗を拭う事すら出来ず、アタシは剣先を小刻みに動かして、空しい威嚇を繰り返すより他にない。
「・・・・・・どうしました? 来れないんですか?」
その聞き方が、アタシの神経を逆撫でするも、下手に動けば痛い目を見てしまうと本能的に理解させられているせいで、自分から動く訳には行かなかった。
「なら、もう一つ、サービスです・・・私から行きましょう」
軽くジャンプをした刹那、彼はアタシへ、あと1mと言う所まで迫ってきていた、指を限界まで開いた左手はグッと真っ直ぐ伸ばしたままで。
「!? っつ!!」
ゆっくりと近づいてくる左手に対し、体は勝手に動いていた。
だが、集落を出る時に母から贈られたカットラスは振りぬいたのと同時に、真ん中辺りから鈍い音を上げて折られてしまった。
アタシはただただ、唖然とした表情で、キサラギの伸ばされた人差し指と中指に挟まれているカットラスの刃を見つめるしかない。
「!!」
ドサリ、と刃が地面に落とされた鈍い音で我に返ったアタシは右腕に付けていた円盾を鈍器代わりに振り下ろした。だが、右腕は空を切る。素早く胸の前に戻そうとするも、彼に指で中心を打たれた円盾は木っ端微塵にされてしまった。
「ぐぅ!!」
武者修行の途中、サイクロプスやゴーレムを相手にしてきたが、そんな戦いの中ですら味わった事のない衝撃が肩まで稲妻の如く走り抜け、アタシの顔は痛みに歪んでしまう。しかし、ボケッと突っ立っていては、第三撃を避けられない、と痛みを堪えて後ろに下がろうとしたアタシだったが、気付いた時にはキサラギの開かれた左手が腹部に密着していた。
「え?」
ゾッと冷たいモノが全身に走った次の瞬間、背中から屋敷の壁に思い切り激突していた私の記憶はそこで一旦、ブッツリと途切れてしまう。皮肉な事に、十数mは離れていた壁に向かって一直線に宙を飛んだ、わずか数瞬の間に気を失ってしまい、下手な受身を取らなかった事で、アタシはいらぬダメージを負わずに済んだらしい。
「・・・・・・ここは」
重い瞼を上げた私の目に飛び込んできたのは、見慣れた真っ白な天井。
そこは自分の部屋で、アタシは自分のベッドに横にされていた。
「起きた? リゼル」
ベッドの縁に腰を下ろしていたシリヴィア様は読んでいた本―先月、発売された最新のランキングだったーを閉じると、優しい微笑をアタシに向けてくれた。
「?! シ、シリヴィアさ・・・・・・っっつ!!」
慌てて、上半身を起こそうとしたアタシだったが、背中まで突き抜けた鈍痛で息が止まり、空しくベッドに横たわってしまう。
「まだ無理をしない方がいいわ。
骨や臓器にはダメージがなかったけど、痛みは引いてないはずだから」
「あ、アイツは何をしたんですか?」
アタシは鈍い割にジワジワと広がる痛みを堪えて、体を腕をベッドに突いて支えながら起こす。
「私も見たのは二度目だけど、『大陸』に伝わる武術の奥義の一つだと思うわ。
確か、技の名前は・・・・・・ハッケイ、だったかしら?
特別な方法によって鍛え上げたインナーマッスルを、独特な動きで活性化させて生み出したエネルギーを、相手の体内に叩きつける技だ、と以前、聞いたわ」
シリヴィア様がアタシのシャツの裾をめくると、腹部には赤黒い痣となった、大きな手形が残っていた。
途端に、自分がキサラギに成す術もなく敗北した『現実』を思い出させられたアタシは、唇を破れて血が出るほど噛み締めてしまう。
「あらあら」と口の端を吊り上げたシリヴィア様は、アタシの唇から垂れた血を指先でそっと拭うと、自分の口許へと持っていく。
「美味しいわね、リゼルの血は」と舐めていた指を口から抜いたシリヴィア様にアタシは顔を俯けたまま、必死で声の震えを抑えながら尋ねた。
「キサラギ・・・さんは?」
「半日前に去ったわ、ここを。壁の修繕費を置いてね」
「そう、ですか」
アタシはグッと拳を握り締めた。
「―――・・・・・・シリヴィア様」
「リゼル、言わなくてもいいわ」
シリヴィア様は顔を上げたアタシが開きかけた口を指で押さえた。
「追うんでしょう、キサラギを。リザードマンの本能に従って」
力強く頷き返したアタシに微笑んでくれたシリヴィア様は、アタシの肩をそっと押して、ベッドに横にさせる。
「でも、今は体を休めなさい。
暇を出すまでは、主である私の言う事は聞いて」
「はい」
毛布を体に優しくかけられたアタシは少しでも速く、肉体からダメージが抜けるよう祈りながら目を閉じた。鈍痛は波紋となって未だに広がっていたものの、ジッと横になっているとわずかだが、和らぐ気がした。
「きっと、この惨敗の苦い記憶がリゼル、貴女を一層に強くしてくれるわ」
汗ばんだ額に、そっと唇を当てたシリヴィア様は頬を一度だけ優しく撫でてから、アタスの部屋を後にした。
シリヴィア様の足音が遠ざかると、アタシはゆっくりと瞼を上げて、見納めになるであろう天井のシミを睨んだ。
(キサラギ・サイノメ、必ず見つけて・・・・・・次は勝つ!!)
思い出したくもなかったが、勝つ為だと割り切って何度も思い返してきた回想を終え、口の中いっぱいに広がっていた敗北の味を飲み下したアタシは岩から降りる。
「いつから気付いていたんだ?」
「尾行自体は一週間前ですね、街に入った時から妙な視線を感じてました。
街路樹の陰でホットドッグを齧っているのがリゼルさんだと解ったのは、三日前、昼食を取っていた時です・・・・・・尻尾が隠れきっていませんでしたから」
そんな早くに、しかも、そんな間抜けな理由で気付かれていたとは思っていなかったアタシはショックを覚える。反射的に、尻尾でグラついた体を支えなかったら危なかった。
「なら、どうして、もっと早く声をかけなかったんだ?」
「街の中で勝負を挑まれたら困りますから」
「それは、ここなら受けるって意味だな!!」
途端に、キサラギさんは「しまった」と言うように顔を顰めたが、既に遅い。
「じゃあ、勝負しろ、今すぐ!!」
屋敷を後にする前日、シリヴィア様が今日まで働いてきてくれたお礼と旅のお守りに、と授けてくれたカットラスの刃先を向けられたキサラギの表情は渋い。
(私をどうやって撒こうかって考えてるな・・・そうはいくか)
カットラスを引っ込めたアタシは代わりに、懐から一冊の本を出してキサラギさんへと迫ると、開いたページをその高い鼻の先に突きつけてやる。
「見ろ!! これを。
やっとランキングに載ったぞ!1」
アタシから魔族娘のランキング表を丁寧に受け取ったキサラギさんはざっと目を通し、「リゼル・メディアム・フェッロ」の名前を見つけたのか、「ほぉ」と呟いた。その呟きに感嘆が篭もっていたのが解ったアタシは誇らしくなり、胸を張ってしまう。
「お前を追っている途中で、Cランクの盗賊団をいくつか潰したんだ」
「47位、リゼル・メディアム・フェッロ、種族・リザードマン・・・ですか」
本を閉じて返してきたキサラギさんは眉を寄せ、苦笑いを浮かべる。
「さぁ、どうすんだ!!」
ランキングに名を連ねている者たちの間には、暗黙の掟があった。
明らかに実力が劣る者でも、公式ランキングに載っている者から勝負を挑まれたら受けねばならない、と。もちろん、『暗黙』と先に付いている以上は断る事も出来る。だが、誰も挑戦を断らない。下位ランカーからの挑戦を蹴るのは、自分のランクと名に泥を塗るに等しいからだ。
カットラスを突きつけられたキサラギさんはしばらくの間、懇願が瞳に出てしまっているアタシではなく虚空を睨んでいたが、不意に「降参」と言わんばかりに両手を小さく胸の前まで上げた。
「解りました、挑戦をお受けしましょう」
その言葉だけで、今日までランキング入りする為に、数え切れないほどの苦労を乗り越えてきた事が報われてしまいそうになる。慌てて、ニヤけそうな顔を激しく左右に振り乱したアタシはカットラスの柄を握る手に力を入れる。
しかし、気付いた時には刀身は彼の親指と人差し指に挟まれて、前にも後ろにも動かせなくなっていた。
同じ轍を踏んでしまったアタシの血の気は一気に引いた。だが、
「でも、今日は止めましょう」
「な、何?」
「既に日も落ちかけていますし、リゼルさんも疲れているでしょう?」
アタシはグッと言葉に詰まってしまう。
キサラギさんの指摘通りで、アタシは足首に鉄球つきの枷を付けられているような疲労を若干、感じ始めていた。今すぐの戦闘はキツいように思えた。しかし、それを顔に出さないよう気をつけていたのに、彼の慧眼は誤魔化せなかったらしい。
アタシが渋々と言った風を装って肯くと、ニコリと笑ったキサラギさんは指を離してくれた。
内心では安堵の息を漏らしながら、カットラスを鞘に戻したアタシ。
「じゃ、ここで俺は野営するんで」
「・・・・・・私もここに残る」
そう言ったアタシに、キサラギさんは眉を寄せた。
「いや、でも、リゼルさん、貴女、テントも何も持ってないじゃないですか?」
「私は人間のお前と違って、外で寝たって何の問題もない」と半ばムキになって言い返したが、キサラギさんがおもむろに空を指差したので、無意識にそれを目で追ってしまう。
「今夜は雨が激しく降るそうですよ。
悪い事は言いませんから、街に戻った方が良いです。今から急げば、間に合いますよ」
「そんな事を言って、逃げる気じゃないだろうな」
「逃げませんって」
苦笑いを溢す彼がそんな女々しい真似などしないとは分かっているが、若干の不安は拭えない。しかし、いくら、アタシでも雨に濡れてしまっては明日の一騎打ちに影響が出ないとも限らない。
きつく腕を組んで歯軋りを漏らしながら思案に耽るアタシにキサラギさんは肩を竦めた。
「じゃあ、私のテントで寝ますか?
このテントは大型だから、リゼルさんが入っても、まだまだ余裕がありますし」
「コイツらを入れないとなりませんからね」とキサラギさんは『餓蓮号』と『冥菊丸』を下ろす。
「どどどど同衾なんて、そ、そんな事が出来るか!
私にだって、プライドがある!!」
キサラギさんの『精』そのものに興味が全く無いと言えば嘘になる、戦い馬鹿とは言え、アタシだって一端の魔物娘だ。
しかし、リザードマンの本能も守りたい。彼に勝てなければ、心身ともに快楽に浸りきる事は出来ないだろう。
「・・・・・・私はリゼルさんに指の一本すら触れさせませんよ」
「夜這いをかけようとしても無駄だって言いたいのか?」
「リゼルさんに、そんな邪まな気があるって言うならですけどね」
悪戯っぽく笑ったキサラギさんにアタシは根負けしてしまった。
「言葉に甘えさせて貰おう。
その礼と言う訳じゃないが、今晩の食材の調達は私が引き受ける」
「じゃあ、お願いできますか?
私はその間にテントを張って、お湯とかを沸かしておくんで」
「任せておけ」とキサラギさんに肩から提げていた鞄を押し付けたアタシはベルトにナイフを一本だけ挟むと、意気揚々と狩りに出かけた。
三十分後、近くの池で捕らえた二匹の鴨を手にぶら下げて、キサラギさんの元に戻ると、テントの周囲には血の匂いが漂っていた。
一瞬だけ鼻を突いた、嗅ぎ慣れたその匂いに驚いてしまったアタシだったが、すぐに人間の物ではないと気付いた。
張られ終わったテントの後ろに回ると、手頃な大きさの石に腰を下ろしていたキサラギさんは即席の竃に乗せた鍋を木ベラでかき混ぜていた。
彼の足元をふと見れば、見事に捌かれた兎の皮があった。
「お帰りなさい。
鴨ですか?」
「血抜きは終わってる」
アタシは鴨をキサラギさんに手渡すと、芳しい香りを漂わせている鍋の中を覗き込んだ。美味しそうなシチューがグツグツと煮え出していた。
「丁度いいタイミングで兎が通りかかったので、シチューにしてみました。
リゼルさんが取ってきてくれた鴨は焼いて食べるとしましょうか」
そう言い、キサラギさんは慣れた手つきで羽を素早く毟り終える。そうして、懐から一目で使い込んでいると判るサバイバルナイフを出し、目にも止まらぬ速度で捌いてしまう。あんな速度で肉を切られたら、旨みは絶対に逃げないだろう。
全ての部位を一口大より少しだけ大きく切ったキサラギさんは、それを熱した石の上で丁寧に焼いていき、腹の虫を興奮させるような野性味溢れる香りが漂い出した頃に、塩と胡椒、それと香草から搾り出した汁を満遍なく振りかける。途端に、香りの深さが増し、アタシの腹の虫は大暴れし出し、「一秒でも早く、腹に収めろ」と盛大に叫び始めた。
キサラギさんに「くくくっ」と肩を震わせて笑われたアタシは、耳まで一気に熱くなってしまい、赤くなった頬を見られたくなくて、キュッとシャツの裾を握って顔を俯けてしまう。
そんなアタシに気付いたのか、キサラギさんは浮かんだ涙を指で弾いて、シチューを混ぜる。
「腹が減るのは健康な証拠です。
一流の冒険者は、食べられる時に食べるもんです。
それに、『腹が減っては戦は出来ぬ』と、昔から言いますからね」
優しい微笑を口許に浮かべたキサラギさんは皿にシチューを注ぐ。
「さぁ、どうぞ」
シチューは絶品だった。武者修行中の私はその日の食費だけ稼げれば十分だったから、立ち寄った街では最も安く、それでいて、量の多い大衆食堂に足を運んでいた。
シリヴィア様の屋敷で働かせて貰っていた時は、三食がどれも豪勢で美味で驚いてしまった。
しかし、キサラギさんが作ったシチューはこれまで食べてきたシチューよりも、遥かに美味しかった。
「どうですかね? 人に出すのは久しぶりなので」
「・・・・・・とても美味い」
「それは良かった」と嬉しそうに首を縦に振ったキサラギさんは、厚く切ったライ麦パンをくれた。アタシはそれをシチューに付けて齧る。
キサラギさんは、その細身からは想像できないほど大食いらしく、凄まじい勢いでシチューを平らげていく。アタシが獲って来た鴨もパンに挟んで、口の中へと詰め込んでいく。
この食欲が、キサラギさんの『強さ』を支えているモノの一つなのだろう。
そんな他愛のない事を思いながら、アタシも負けないようにパンを齧る。
鍋が空になった頃、空が曇り出した。
アタシ達が慌てて片付けを始めて、池で洗い物を終えた時、良いタイミングで地面に黒い雫が一粒、また一粒と落ち始めた。
次第に強くなっていく雨の中を走って、テントへと急いで飛び込んだ私とキサラギさん。
「うわぁ、本降りになってきちゃいましたね」
ブルブルと頭を振って水気を飛ばしたキサラギさんは艶やかな黒髪以上に水を吸ってしまっていたシャツを脱ぐ。
「っつ!?」
いきなり、逞しい裸体を目の前に晒されたあたしは思わず目を逸らしてしまうが、ゆっくりと首を回して、髪をタオルで拭いているキサラギさんの傷だらけの実用かつ実戦的な筋肉で隅々まで固められている上半身を盗み見てしまう。
「・・・・・・別段、面白くもないでしょう、こんな男の体を見ても」
いつの間にか、視線に熱が篭もっていたらしく、キサラギさんは苦笑いを漏らした。
「あ、す、すまない」
「良いですよ、別に。
でも、リゼルさんもシャツを脱いだ方が良いですよ。そのままで風邪を引いてしまうでしょうし、私も若干、目のやり場に困るので」
「・・・え?」
キサラギさんの困惑気味の視線と指に促され、自分の体に目をやれば、彼と同じように濡れたシャツは肌にピッタリと張り付いてしまっており、豊かさが足りない胸の形が露わになってしまっていた。
「っつつ!!」
一気に耳まで真っ赤になったアタシは素早く、胸を腕で隠して、キサラギさんに背中を向けた。
「私はコッチを向いてるんで、終わったら声をかけてください」
「す、すまない」
後ろを向いたキサラギさんからタオルと代えのシャツを受け取ったアタシは衣擦れを上げないように気を付けながらシャツを脱ぎ、体をタオルで拭いていく。
キサラギさんのシャツはやはり大きく、裾がアタシの腿の半ばまで来てしまう。
「もう、こっちを向いてくれても構わない」
アタシが着替えている間に、火を起こしていたキサラギさんはまだ頬に赤みが残っているアタシにココアを注いだコップを差し出した。甘い香りを含んだ煙に鼻をくすぐられた私は「ありがとう」と小声で礼を口にし、コップを受け取ると苦味と甘みが程よいバランスで混ざり合った温かな液体を口に含んだ。 途端、雨で冷えていた体に熱が戻る。もっとも、先程、味わった羞恥で体は十分に熱くなっていたのだが。
「雨が強くなってきましたね」
「そ、そうだな」
会話が途切れてしまう。
ココアをチビチビと飲みながら、アタシは上目遣いに武器の手入れを始めた彼を盗み見る。
本当に優男の部類に入る容姿をしている。ここまで追ってきていなかったら、とてもじゃないが、最強の剣士だとは信じられない。
「視線がくすぐったいんですが、私の顔に何か付いていますか?」
「す、すまん」
顔を真っ赤にして目を逸らしたアタシに微笑んだキサラギさん。
「魔王軍からも、教団からも『双刀(掃討)者』って怖れられてる割にはナヨナヨしてるよなぁ、ですか?」
心の中を読まれた気分になったアタシはココアを噴き出しそうになってしまう。
「そ、そんな事は思ってないぞ」
「まぁ、顔立ちが幼いのは事実ですからね。
実際、もうちょっと、厳つい顔だったら、山賊や魔物娘にも襲われる回数も減るでしょうし」
つるりと髯の一本も生えていない頬を撫でながら苦笑いを漏らし、彼は刀を鞘に納め、テントに立てかける。
「まぁ、明日は戦う間柄とは言え、こうやって雨宿りを今はしてるわけですから、和気藹々とまでは行かないにしても、穏やかにいきましょう」
その言葉と、悠然とした態度で気を張り詰めていた自分が馬鹿らしくなったアタシは、肩から力を抜いた。
「なら、アンタの旅の話を聞かせて欲しい」
「そんな面白い内容じゃありませんよ」
「その面白くない、ドキドキする話が私は聞きたいんだ」
困りましたねぇと頭を掻いたキサラギさんだったが、アタシの懇願を込めた目に根負けしたらしく、「じゃあ、気付かない内にワーウルフのテリトリーに足を踏み入れてしまった時の話を」と切り出した。
キサラギさんの危険に満ちた旅の話は、彼自身の強弱を付けたり、身振り手振りを交えた巧い語り方もあって、終始、胸が躍り、手に汗を握ってしまっていた。「そんな顛末です」と話が結ばれた時は、いつの間にか止めてしまっていた息を一気に吐き出してしまった。
「じゃあ、そろそろ寝ましょうか」
「あ、あぁ」
「リザルさんは寝袋を使ってください。一応、買ったばかりなので臭わないとは思うんですが」
キサラギさんは膨らんだリュックの中から小さく丸めた寝袋を取り出し、アタシの前に置いた。
「アンタの分は?」
そう聞きつつも、一人旅を続けてきたこの人が余分な荷物になる、予備の寝袋を持っているとは考えられなかった。
「私なら問題ありません」
「私が気にする。これはアンタが使え」
アタシが押し返そうとすると、キサラギさんが寝袋に手を置いた。途端に、私は寝袋を押せなくなる。
「明日、戦うのでしょう、私と。なら、体調は整えて下さい」
「それはこっちの台詞だ。コンディションを崩したアンタに勝っても嬉しくない」
「・・・・・・それを言われると弱いですね」
納得したように肯いた彼は寝袋をリュックの中へと戻し、代わりに二枚組の毛布を引っ張り出した。
「リゼルさんさえ気にしないなら、これで」
つまり、一枚の毛布を一緒に使える距離で眠ると言うことか。
ここで躊躇ったら負けだ、と訳の判らない意地を出してしまう私。
「いいだろう」と大きく首を縦に振ってから、激しい後悔と羞恥に襲われるが、時既に遅し。
キサラギさんはランプを消し、一枚の毛布を敷く。
「どうぞ」と促され、アタシは恐る恐ると毛布の上に寝転ぶ。キサラギさんは腕二本分ほどの距離を取って隣に寝転ぶと、もう一枚の毛布を自分達の体にそっとかけた。
(ち、近い)
キサラギさんの体温を触れずとも感じてしまう。しばらくしてから、逆に、彼もアタシの体温を感じていると言う事に気付いて、また体が熱くなってしまう。
チラリと薄暗い中で、キサラギさんの様子を窺えば、年頃の娘が隣にいる事など露にも留めていないらしく、体を休めて体力を取り戻す事に専念しているようだった。ここが「超」の付く戦士と、駆け出しのアタシとの差なんだろう。
耐えられそうにない、とアタシが少しでも距離を開けようとした、その時だった
ドギャアアアアアアン
「きゃ!!」
「―――・・・随分と近くに落ちたみたいですねぇ」
スッと瞼を上げ、飄々と呟いたキサラギさん。
「このテント、何の防御術も施していない安物だから危ないかも」
やけに、キサラギさんの声が近くに感じるし、先程よりも体温をはっきりと解る。
「ところで、リゼルさん、雷は苦手ですか?」
そう感じるのも当然だった、アタシは雷に驚きすぎて、思わず、キサラギさんに抱きついていてしまったのだから。
「す、すまない」
アタシは慌てて、離れようとしたが、また雷が落ち、轟いた音でテントがビリビリと揺れる。
「キャアアアア」
彼の逞しい腕に自分の胸を押し付けながら、情けない悲鳴を上げてしまうアタシ。
「大丈夫ですよ」
キサラギさんは泣きじゃくっているアタシを優しく、自分の厚い胸板の方に抱き寄せて頭を撫でてくれた。
恐怖で激しく波立っていた心が、頭をゆっくり撫でられていく内に落ち着きを取り戻していく。
「いざとなったら、私が雷を叩き斬りますから」
彼のジョークがジョークに聞こえず、可笑しくなったアタシの中から恐怖が霧散してしまい、途端に気が緩み、猛烈な眠気に襲われた。
「おやすみなさい、リゼルさん。良い夢を」
キサラギさんに耳元で囁かれた、その優しい言葉を最後にアタシの瞼は眠気に降伏した。
翌朝、鳥の囀りで目を覚ましたアタシはまだ重い瞼を擦りながら、上半身を起こした。
頭の中に残っている眠気の滓を払いながら、テントの中をゆっくり見回したアタシはキサラギさんの姿が無い事に気付いて、慌てて飛び起きた。もう一度、見回せば、立てかけられていた、彼の得物も消えている。
「しまった!!」
逃げられた、と顔を青くしたアタシは自分の得物を掴んでテントを飛び出したが、すぐに自分の杞憂、早とちりだったと気付かされた。
アタシより遥かに早く起きていたキサラギさんは自己鍛錬をしていたのだ。
アタシは、自分では持ち上げる事も叶わないだろう、あんなに大きく重そうな剣を片手で縦横無尽に振っているキサラギさんの姿に息を呑んでしまう。
キサラギさんの闘気が凄まじいからだろう、アタシの目にはキサラギさん襲いかかっては大剣に斬り飛ばされる敵の『見えない』姿が見えるようだった。
アタシはその場に呆けた表情のままで立ち尽くし、キサラギさんの美しいと表現するしかない鍛錬を見つめていた。心の中にあるのは恐怖、自己嫌悪、それらを凌駕する感動だった。
キサラギさんが剣を下ろしたのは、それから十数分後だった。
さすがのキサラギさんもあれだけ激しく動けば、汗をかくらしい。シャツは彼の体にピッタリと張り付き、地道なトレーニングと背中を焼かれるような実戦を紙一重で生き抜いてきたからこそ文字通り、その身に付く実戦的な筋肉の雄々しさが露わになっていた。
「お早うございます」と眩しい笑顔に挨拶され、我に返ったアタシ。
「か、狩りに行ってくる!」
耳まで一気に熱くなったアタシは半ば逃げ出すように、キサラギさんに背中を向けて走り出す。
「んな!?」
仕留めた二羽の兎を手に戻ると、キサラギさんは右手一本で長刀を、地面と平行になるように構えていた。
それだけなら、アタシだって間の抜けた驚きの声を上げかけた口を反射的に押えたりなどしない。
彼が構えていた長刀の鞘の上には何羽もの鳥が止まっていたのだ。
獣は自分より強い存在には特別な理由―卵を抱えている時や子供を守る時だーでもない限りは近づいたりしない。当然、命を奪う道具である刃物に近づく筈も無い。
しかし、鳥達は完全に気配を感じさせないキサラギさんが持つ鞘の上に止まっている。
瞼を軽く下ろし、微塵も動かないキサラギさん。
アタシが驚嘆の息をそっと漏らそうとした時だった、彼の目の前にあった岩が真っ二つにされた。
キサラギさんが目にも映らぬ一閃で斬った。目の前で起こった以上、それしか考えられないだろう・・・だが、鳥達は岩が切られたと言うのに、依然として鞘の上で囀り続けている。
(これが、最強の剣士、キサラギ・サイノメか!!)
常に食われる側であるが故に、気配に聡い小鳥達が気取れぬほどの、神速の抜刀。アタシはただただ、唖然とするしかない。
愕然とした私の手から兎が落ち、その音に驚いた小鳥達は我先にと飛び去っていった、私の今の顔色より真っ青な青空へ。
無言の朝食を終え、洗い終えた皿を各々の鞄へと戻したアタシ達。
そうして、テントを片付けたキサラギさんは「さて」と呟いて、膨らみが増した鞄を邪魔にならないよう、自分が切った岩の陰まで持っていく。
「やりましょうか」
(あぁ、ついに、この時が来てしまった)
先程、目の前で世界一の技を見せられただけに恐怖はあった。だが、それでも、リザードマンのアタシは敵わない強敵と闘える事に、昂ぶりを抑え切れなかった。朝食の間も体が疼いてしまい、不意打ちを仕掛けたがる自分を制するのが大変だった。
ふと、こちらを見つめていたキサラギさんが大剣と長刀を岩に立てかけたのを見たアタシの胸に、落胆と安堵が一緒に広がった。
「―――まだ、使って貰えませんか?」
自然と敬語になってしまう。
「使えませんね」
申し訳なさそうな面持ちのキサラギさん。
「リゼルさんが強くなったのは見て解ります。
それだけに、命を奪う気にはならない」
目を細めたキサラギさんは一年前と同じように、ゆっくりと左手を上げた。
「どれ位の強さになれば、私は貴方に剣を使わせられるんですかね」
「解りやすくランキングで言うなら、二十位以内に入れば『餓蓮』を、一桁になったら『冥菊』を使いますよ」
少なくとも、二十位のフロワ・バブル(スライム)に勝てるくらいにならないといけないわけか。
「先は遠そうですね」
「是非、頑張って下さい・・・もっとも、ここで命を落とす可能性も0ではありませんけどね」
命を奪う気にはならないと言ったくせに、結果的にアタシの命は落ちるかもしれない、と平然と言い放つキサラギさんが浮かべている笑みは柔らかい。
背中にゾッと冷たいものが広がってしまう。
深呼吸を繰り返したアタシは剣と盾を構えた。
「さぁ、どこからでもどうぞ」
これまでの旅で、アタシは自分が思っていたより実力が上がっていたらしい。
キサラギさんの悠然とした立ち姿に、以前より隙を見つけられないでいた。前は解らなかった隙が解るようになった事は素直に嬉しいが、前にも増して斬りかかれなくなってしまったのも事実だ。
(素手で、コレだ。剣を手にしたキサラギさんと向かい合ったら、どうなってしまうのか)
しかし、自分から動かずにいれば、一年前の二の舞だ。
ギリっと奥歯を噛み締めたアタシは意を決して、キサラギさんの間合いへと飛び込んだ。
自分から動いたアタシに、キサラギさんは眉をわずかに動かしたが、すぐに嬉しそうに肯いてくれた。
「せいっっ」
アタシが渾身で振り抜いたカットラスを、キサラギさんは軽く上半身を逸らして避けた。
カットラスを戻したアタシは地面を蹴って、キサラギさんが体勢を戻す前に間合いから飛び出す。
(突きは駄目だ、指でまた挟まれて、折られてしまう)
旅の途中で、数え切れないほどイメージトレーニングは積んできた。
魂を削られるような戦いでは、そんな机上の空論など役に立ちはしないと知っているが、どうしたって縋りつきたくなってしまう。
そこを突かれた。
一気に距離を詰めて来たキサラギさん。
「しまっ!?」
反射的に盾を前に出す。
ゴツンと鈍い音が上がり、アタシの体は弾き飛ばされてしまう。しかし、私は勢いに抗わず、そのまま地面を幾度か転がって、間合いを出てから尻尾で地面を叩いて体を起こす。
チラリと盾を見れば、表面にくっきりと手形がついていた。
(木製だったら前みたいに砕かれてたな。
値は張ったが、青銅製にしておいて良かった)
亀裂こそ入ってしまっていたが、まだ壊れそうに無い。もっとも、もう一発でも、キサラギさんの攻撃を受けたら、今度こそ真っ二つに割られてしまいそうだ。
(グダグダ考えるのは止めだ・・・・・・ガンガン攻め続けてやる!!)
地面を力強く蹴りつけたアタシは再び、カットラスを振り上げて、悠然とした雰囲気を醸して立つキサラギさんへと襲い掛かる。
アタシの怒涛の攻めは五分間にも及んだが、情けない事に肌を切るどころか、髪の毛一本すら切り飛ばせずにいた。
ここまで、絶望的な差があった事を改めて思い知らされたアタシは内心で愕然とし、膝を着きたくなったが、それはどうにか堪えてカットラスを振り抜き続ける。
(どうして、こんなに避けられているんだ、アタシの攻撃は!?)
驕る訳ではなかったが、アタシは自分の斬撃速度にはそれなりの自信があったし、無駄も省いているつもりだった。なのに、キサラギさんはアタシのカットラスを丸めた新聞紙でも相手にしているような気軽さ、凶器を前にしている危機感など微塵も感じさせてくれない面持ちで右へ左へ避け続けている。
一旦、距離を開けたアタシはカットラスの刃先を、その場から動く気配を見せないキサラギさんへと突きつけたまま、猛攻でひどく乱れてしまった息を整えにかかる。スタミナにも自信はあったが、無駄にしかなっていない一方的な攻撃の所為で随分と削られてしまった。
「強くなりましたね、リゼルさん」
まるで褒められている気がしない。
「本当に強くなってるなら、一太刀くらいは入れられていると思うんですがね」
「私も痛いのは嫌ですから。
・・・どうして、避けられてしまうのか、不思議そうですね」
心の中を読まれたような気分になった、アタシは咄嗟に顔の筋肉に力を入れた。
「誤解や気落ちをしてほしくないので言いますが、リゼルさんの攻撃はどれを見ても見事です。攻撃センスに関しては、天賦の物のようですね」
全て急所を躊躇無く狙ってきていますし、有効的な虚を織り交ぜているのも良いですね。花丸をあげましょう」
(なら、何故、当たらないんだ)
唇を噛み締めたアタシにキサラギさんは慰めるように微笑みかけてきた。
「ただ、私は剣や手じゃなくて、リゼルさん全体を『観て』いるから、攻撃を避けられるんですよ。
極端な話、私には自分の耳や後頭部は見えませんが、リゼルさんの背中や腿の裏が見えてます」
キサラギさんの目に灯っていた優しい光が、ほんの一瞬だけ、鋭く尖り、アタシは自分の全てを『見透かされた』ような錯覚に襲わ、いや、実際に見透かされたのだろう、今の一瞬で。
(葉ではなく木を、木ではなく森を、って奴か)
百戦錬磨のキサラギさんは私の頭のてっぺんから爪先までを『同時に』視られるのだろう。そして、眼で視た情報を瞬時に脳味噌ではなく身体で解析して、最も無駄のない避け方をしているに過ぎないのだ。
「これが、私が最強だと言われる理由の一つ、『戦利眼(センリガン)』です」
今のアタシには出来ない芸当だし、それを破る技量も持ち合わせていなかった。
(やっぱり強いな)
しかし、だからと言って、白旗を振れるほど、私も大人じゃなかった。
青二才なりにプライドはあるのだ。
(絶対に一太刀は入れてやるぞ)
アタシは今まで以上に強く、地面を右足で蹴りつけた。
そして、彼が伸ばしている左手の攻撃範囲に前髪が入った瞬間に、腕に付けていた盾を投げつけた。既に、防御の手段としては役に立たない盾なら攻撃に使う。
そんなアタシの考えを読んでいたのだろう、回転しながら飛んできた盾を、キサラギさんはわずかに首を右に動かしただけで避ける。
だが、アタシも盾が避けられるのは『予測済み』だった。
ほんの少しだけ、キサラギさんの体制が崩れた刹那を逃さず、アタシはカットラスを突き出した。
「良い突きです」とキサラギさんの声がやけに近く聞こえた。
彼はあえて前に出る事で、私の突きを擦り抜けたのだ。
一年前と同じように、腹部に冷えた掌が密着させられる。
「!?」
ドンッ、と重い音が響き、全身に鋭い痛みが波となって広がった。
しかし、アタシはカットラスを避けられ、腹に掌の感触を感知したのと同時に、尾に力を込めて身体を支えていた、後ろに吹っ飛ばされてしまわないように。
さすがに、キサラギさんの『ハッケイ』の威力は凄まじく、踏ん張っていた足がほんの数センチ下がってしまう。
刻み込まれた手形から白い煙が上がっている。
(痛い・・・・・・避けられなかった、来ると解っていても。
だが、避けられなかったけど・・・耐えられたぞ!!)
今日まで、アタシが一番、多くやってきたのは腹筋運動。ともかく、腹部の防御力を上げてきた。
自分の攻撃力は到底、キサラギさんに届かないのは最初から『事実』として受け止めていた。
だから、防御力を上げてきた、たった一発だけを耐える為だけに。『ハッケイ』で意識を失わないレベルまで腹筋を固めるのは生半可なトレーニングじゃ叶わなかった。自分で言うのも何だが、私のソレは『努力』なんて二文字で片付けられるものじゃなかった。
今のアタシの、本気で固めた腹筋は青銅製の盾より硬い、そんな自負があった。
俯けていた顔を上げ、キサラギさんを見れば、自分の『ハッケイ』をアタシが耐え切ったのに驚いていたようで、細く整えられている眉を上げていた。
(今しかない!!)
アタシは腹の奥で燻っていた痛みを強引に捻じ伏せると、カットラスの柄を握っていた手に力を入れた。
そして、振り抜く。カットラスの先端が肌を裂く感触を得る。
今度はキサラギさんが自分から距離を取る番だった。
「・・・・・・驚いた」
キサラギさんは切り裂かれたシャツの隙間に指を入れ、アタシが刻んだ胸の小さな傷から垂れる血を拭った。
「ど、どうだ!! 一太刀、入れてやったぞ」
声は未だに広がっている痛みで震えてしまっていたが、気丈に振舞うアタシは先端に血がついたカットラスを、驚きを露わにしているキサラギさんへと向ける。
「肉を切らせて骨を断つ、ですか・・・・・・
もっとも、リゼルさんの場合は、肉を殴らせて肌を切る、と言った所ですかね」
嬉しそうに声を弾ませ、キサラギさんは口の端を吊り上げる。その笑い方は昨夜、冒険談を淡々と語っていた時や、今の今まで浮かべていた物ではない。世界で二番目に強い人間と言う『現実』を改めて納得させる、戦いの中でしか、結局は生きている実感を得られない存在のそれだった。
そうして、指先で拭った血を舌で舐め取った瞬間、彼の闘気が一気に膨れ上がった。
「・・・・・・リゼルさん、そこまで鍛えるのに、相当の特訓を積んできたんでしょう?」
雷撃を纏っているような闘気に全身を打たれてしまったアタシは、彼の言葉に頷き返す事すらできない。比喩でも何でもなく、キサラギさんの背後には、六本の巨大な剣を六本の腕に握っている『死神』が見えた。
「貴方の血の滲むような修練で得た強さに敬意を、私は表します。だから」
小腹を埋められる適当な餌を前にした肉食獣のような表情をはっきりと浮かべたキサラギさんは、ゆっくりと左手を小指から内側に折り曲げていき、硬そうな拳を作り上げていった。
「生憎、剣は使えませんが・・・・・・拳を使いましょう」
まさか、『ハッケイ』と言う技、本来は握り締めた拳で繰り出す物なのか!?
掌と拳、どう考えたって、その威力は比べ物にならない。
全身から「ドッ」と勢いよく噴き出した冷たい汗が、粟立ってしまっている肌の上をゆっくりと流れ落ちていく。
完全に、左手を拳に変えたキサラギさんは緩慢な足取りで、その場から度を越えた恐怖で一歩も動けなくなってしまっているアタシに迫ってきていた。
その時だった、キサラギさんの背後の『死神』の姿が掻き消え、その代わりに、彼の全身を覆っていた黒い靄が、握られた左手に集まり出したではないか。
(こ、これが、星の数ほどはいる人間の戦士の中でも、筆舌尽くしがたい鍛錬を積んだ者だけが到達できると噂されている『闘気の操作』、そして、その中でも真に才に満ち、己の全てを『戦いの神』に捧げられた、一人握りの戦士だけが会得できる『闘気の圧縮』か!?)
カットラスを振れば十分に届く距離まで、キサラギさんが来た時、アタシはついに腹を括った。
(全世界格闘者ランキング第四位の一撃・・・・・・受けてやる、あぁ、受けてやるよ)
自殺行為だとは解っていた。
しかし、この状況で、尻尾を巻いて逃げ出すなど、誇り高きリザードマンたるアタシには出来るはずも無い、そんな考えが頭の中に浮かんだ時点でアタシは自分の腹をカットラスで裂くだろう。
掌の『ハッケイ』を受けただけで、アタシの腹筋は既にボロボロだ。下手をすれば、腹に風穴を開けられてしまう可能性はある。だが、
(もし、本気になってくれたキサラギさんの一撃を受けて、幸運にも命があったのなら・・・・・・アタシは今より、強くなれる、きっと!!)
半ば自棄になり、カットラスを捨てたアタシは両腕を横に伸ばし、両足を大きく広げて踏ん張った。そうして、尻尾を地面に深く突き刺し、限界寸前の腹筋に残っている力を惜しまずに込めた。
「見事です」
本当に嬉しそうな色を、無邪気な子供のように顔全体で笑ったキサラギさんの闘気を纏った左拳がビキリビキリと音を上げながら、更に硬く握り締め直された。
背中に走った鋭い痛みで目を覚ましたアタシ。
呻き声すら上げられないアタシの顔を覗き込んでいたのは無数の蛇。
ギョッとしたアタシがどうにか目だけを横に動かすと、そこには白衣に袖を通しているメデューサがいた。
「あら、起きたの? ここが何処か分かるかしら?」
言葉が出せないアタシは首だけを縦に振った。
「ちょっと診察させてね」とメデューサはアタシの瞼を引っ繰り返したり、口の中を覗き込んだりしてきた。
そうして、服の前を開けられた途端、腹に冷たい空気が触れて、アタシは思わず奥歯を食い縛ってしまう。
「あらら、痛そう」
「しゅーしゅー」と鳴いた頭の蛇まで憂いの表情を浮かべている。
上半身を起こせないので、どれだけのダメージが腹に刻まれているのかがアタシにはまるで解らない。だが、メデューサを見る限りでは、相当、酷いのだろう。
(生きてるだけでも驚きだけどな)
正直、キサラギさんが拳を引いたのを見た瞬間から、その後の記憶がさっぱり無い。恐らくは度を越えた衝撃で、記憶が一時的に欠落してしまっているのだろう。
(『次』の為に、ちゃんと思い出さないと)
「な」
「ん? どうしたの」
カルテに何かを書き込んでいたメデューサは、無意識の内に言葉を溢したアタシに頭の蛇を上げる。
「いえ、何でも・・・・・・そうだ、先生」
「何かしら?」
「私はどれくらいで退院できますかね?」
重傷患者とは思えない、私の質問に医師はギョッとしたようだったが、しばらく黙り込んでから、人差し指と中指を私の目前で立てた。
「二ヶ月ね、ただし、安静にしてればだけど」
「ぜ、絶対安静ですか?」
「勝手にトレーニングなんかしたら、容赦なく『石化邪視』からパイルドライバーのコンボをお見舞いするからね」
「シュー」と静かに細く鳴く蛇達の温度をまるで感じさせない目に睨み据えられたアタシは真っ青な顔で頷く。
「・・・・・・私は誰かに、ここに運ばれてきたんですか」
「えぇ、こぉんなに大きな剣と長い刀を持ったお兄さんが、貴女を担いできたのよ、アレと一緒にね」
医師の手を借りて身体を起こしたアタシは、引き攣った笑みを浮かべている彼女が体温計で指した窓の外に目をやって言葉を失った。
「ホント、吃驚したわ」
外の広場には、体長が3mはあろうかと言う、巨大な熊が四肢を投げ出していた。
一見しただけで、既に息は無いと解る。何せ、あるのは嘗めた皮だけ、中身は既に食われたのか、売られたか、いずれにしても熊は「からっぽ」にされていたのだから。
問題は、誰があんな大きな熊を仕留めたか、と言う事。もっとも、アタシにはその答えは解ったが。
「アレね、ここいらの山を少し前から荒らしてたのよ。
町の皆でお金を出し合って狩人を何度か雇ってみたんだけど、その度に返り討ちにされちゃってたの。
だから、今度は狩人をやってるワーウルフかオーガに頼むか。もし、それでも駄目なら魔王様に駄目もとで嘆願書を出そうかって相談してたんだけど、まさか、人間がねぇ」
どうやら、このメデューサはキサラギさんの正体を知らないようだ。それか、キサラギさんが名乗らなかったのか。
「それで、その人間、アレを貴女の治療費と入院代に当ててください、って私に頼んで、三日も前に町を出たわ」
「三日!?」
アタシはそんなに眠っていたのか。
(いや、それより)
キサラギさんに貸しを作ってしまった事が悔しくなったアタシは歯軋りを漏らした。途端、腹部に激痛が走る。
「あぁ、こらこら、興奮しちゃ駄目よ。
貴女、内臓がいくつか破裂してたんだから」
メデューサはアタシを窘めるように睨むと、点滴の準備を始めた。
「・・・・・・私をここまで運んできた人は、行き先を言ってましたか?」
「いいえ。知り合いなの? 貴女達」
少し迷ってから、首を縦に振ったアタシが落胆の色を濃くすると、メデューサは申し訳無さそうに目を伏せたが、不意にポンと手を打った。
「あ、でも、もうしばらくしたら、暑くなりそうだから、雪国にいる知り合いを尋ねたい、みたいな事は酒場で言ってたらしいけど・・・・・・」
北か、キサラギさんが向かったのは。
再挑戦を胸に誓ったアタシはグッと握り締めた拳を、天井を破らん勢いで突き上げた。
『アセロ・クエルポ』と言う字で呼ばれる事が多くなった、あるリザードマンの戦士が、魔物娘危険度ランキング三十位に、その名を刻まれるのは二年後の事。そして、その戦士が世界最強の剣士の『一番弟子』と巷で囁かれるのもその頃・・・・・・
「ようやく、見つけたぞ!!」
「リゼルさん、貴女も懲りませんねぇ。そろそろ、諦めてくださいよ。
これで何度目ですか?」
「懲りるか! 諦めるか! そして、十三回目だ!!
だが、今日こそ、右腕だけじゃなくて両腕を使わせてやるぞ」
ズガン!!
「うわっ!?
今のは『風刃(カマイタチ)』?
・・・・・・お前か!! 『三日月』のカンパネロ」
「待つ、キサラギの相手、お前じゃない、我、誇り高きマンティス族の戦士、カンパネロ」
「私はお前より、もっと前に負けてるんだ! この男に!1
私が先に勝つんだよ!! ・・・あ、今、お前、鼻で」
「無理。お前、弱い、我、修行、いっぱい、してきた。だから、今度こそ、勝つ」
「私が先だ!!」
「我」
「引っ込んでろ、この三白眼カマキリ!!」
「っつ!! 貧乳蜥蜴」
「てめぇ!? 人が気にしてるトコを言いやがったな、垂れ乳の分際で」
「お前、無駄に、硬いの、腹だけじゃない、オッパイも」
「―――・・・お二人とも」
バキッバキイッ
「来ないなら、私から行きますが・・・・・・良いですよね?」
「え」
「ちょ」
ドゴォォォォォン
「―――・・・そう、それが正解ですよ、リゼルさん、カンパネロさん。
一人じゃ太刀打ちできない相手なら、協力する。
例え、嫌いな相手でもお互いの欠点を補えるなら、尚更、ね」
(つまり、スピードは欠けるが、防御力の高い私が防いで)
(我が、その隙を突いて、死角に回り込んで、攻める)
「だけど、困りましたねぇ」
「?」
「!!」
(出た、六本腕の『死神』)
(『闘気の圧縮』・・・・・・)
「ちょっと、本気になりたくなっちゃいましたよ」
ビキビキビキビキ、ゴゴゴゴゴゴゴ
「今から十秒間、全力で二人の、お相手をします・・・・・・
全身全霊で凌いでくださいね、死にたくなかったら、そして、今この瞬間より高みを目指したいなら」
「応っっ」
「勝負」
「―――キサラギ・サイノメ、参る!!」
ホントに人間なのか、あの男は?!)
目の前を行く相手に気付かれないように気をつけつつ、忌々しげに舌打ちを小さく漏らした私は、決して小柄ではない身を潜めていた岩蔭から気配を抑えながら出て、追跡を再開する。
アタシが一年近くも追い続けている、その男は背中に成人の男三人が腕を伸ばして、やっと届くほどの太さの大木をも真っ二つにする大剣を、腰には腕のいい職人が市場には出ない一流の材料だけを使って精魂を込めて作った上に、教団に所属する一流の魔術師が長時間かけて呪文字を刻んで耐久性を上げた鎧を切り裂ける長刀を差しているにもかかわらず、山育ちの私ですら汗をかくほどの荒れた道を何でもない様子で進んでいく。
何度か、『察知(リチェルカ)』を使ってみても周囲の魔力に変化は無いから、肉体を術で強化している訳ではないのだろうが、それはそれで逆に厄介で、恐ろしい話でもある。
アタシの名前はリゼル・メディアム・フェッロ、誇り高いリザードマンの戦士だ。
世界各地を巡っていた、私は、武者修行で。森で狩った獣の毛皮や肝を市で売ったり、そこそこの賞金首を捕らえたりして、適当な旅費を稼ぎながら、道すがらで遭った人間の戦士に勝負を挑んでいた。
アタシ達、リザードマンは勝っても相手の命を奪ったりなどしない。むしろ、アタシ達と互角の勝負をした人間には敬意を払い、再び戦えるようになるまで近くの里で治療と介護もしてやる。故に、人間達の方が逆に勝負を挑んでくる事も少なくない。
中には正々堂々、真っ向勝負を仕掛けてくる者もいるし、アタシ達から叩きつけられた挑戦を了承するも、自分と相手の実力差をしっかりと測れ、魔術や罠などどの知恵で戦う者もいた。
そんな大勢の戦士を、アタシ達、リザードマンは小細工なしの力技で常に倒してきた。
そして、アタシ達は自分を負かした戦士を生涯の伴侶と決める。相手が首を縦に振るまで、何処までも追い続ける。アタシの友人も、自分を倒した相手を追って集落を後にして、数年後、その男を伴って帰ってきた。アタシ自身、故郷には最近、帰っていないが、彼女達は今でも、幸せな生活を送っている筈だ。そろそろ、子供が出来ている頃だろうか。
だが、アタシが集落を出た理由は強い男が原因ではなく、前述したが、武者修行だ。無論、アタシと同じ理由で集落を出る者は多い。実際、アタシの母も武者修行の途中で、冒険者に負けたそうだ。
汗を拭ったアタシは腰からぶら下げていた水筒を手に取り、中に入れている蜂蜜を混ぜて甘くしてある水を一口だけ、唇を湿らす程度に飲む。
一年前、アタシは旅の途中で、その辺りの土地を治めていた貴族(ヴァンパイア)の娘を助けたのだが、その時に崖から落ちてしまい、怪我を負ってしまった。
幸い、右足を折っただけで、戦士生命には関わらなかったのだが、さすがに旅は続けられなかった為、娘の母親の言葉に甘えて、しばらく屋敷に置いて貰った。怪我が癒えてからは、それまでの恩を返す意味で、門番や娘のボディガードを買って出ていた。
そして、アタシはその屋敷で出逢った、運命の相手に。
(さすがに、今日の内に山を越える事は無いだろうから、日が落ちる前に体を休められる場所を探すだろうな)
そんな事を考えながら、少なくなりつつある干し肉を齧ったアタシだったが、不意に前を歩いていた男が不自然に足を止めたものだから、驚いてしまう。
(やばい)
慌てて、近くの岩の陰に隠れ、気配を押し殺す。
だが、アタシは追跡中も、足音も気配もなるべく抑えていたのに、相手は尾行されているのに、かなり前から気付いていたらしい。
「・・・・・・いつまで、私を追いかけてくる気なんですか? リゼルさん」
困惑交じりの表情をありありと浮かべた男は、長く苦しい旅だと言うのに艶やかさをまるで失っていない黒髪を掻きながら、隠れているアタシに柔らかい声で聞いてきたが、私は決して小さくない体を更に縮ませる。
しかし、声に反した鋭い視線が岩を貫いて、アタシの背中にチクチクと突き刺さってくる。
(くそっ、バレてる)
半ばヤケになった私は岩の上に跳び上がり、微苦笑を浮かべて、アタシを見上げている男にベルトから抜いた剣の先を向けた。
「お前が、私の再戦要求を受けるまでだ。そ、そして、契りを結ぶまでだっっ」
足を乗せている岩を砕く勢いで尾を振り下ろし、私が頬を真っ赤にしながら放った叫びに、かけていた眼鏡を指で押し上げながら笑みに滲んだ苦味を濃くしたこの男、キサラギ・サイノメが一年前、私を負かした。
最初、屋敷の門前にキサラギが現れた時に抱いた印象は、「アタシの胸を高鳴らせるには程遠い、脆弱な人間」と言った物だった。
背こそ妙に高かったが、全力で吹いたら飛んでしまいそうなほど細い体付きだったし、その身に纏っている雰囲気も緩かった。肩まで伸ばした黒髪は麻紐で一つに括られ、肌は白磁の器のようだ。戦士と言うよりは学者か、吟遊詩人に見えた、推測は半分だけ当たっていたと私が知るのは、少し後だったが。
当時、アタシが仕えていたヴァンパイアの屋敷は、鬱蒼とした暗い森に囲まれていた。その森には人間だけでなく魔物娘まで主食とする、常に餓えた野獣が生息していたし、精神を蕩かす幻を見せる毒を撒き散らす植物が群生する箇所もあった。
だから、森を抜けてきたからには、それなりの装備があるのだろう、と判断した。実際、使いこなせるのかも怪しかったが、キサラギは武器を持っていた。砂や花粉で薄汚れたマントの下には幻術対策の札を縫い付けてあったんだろう。
アタシは門前で歩みを止め、マントと同じく汚れた唾の大きい帽子を脱いだキサラギへ構えていた槍の穂先を向けた。
頬に触れそうな距離に槍を近づけられても、キサラギは微塵も怯える様子を見せずに、黒縁の眼鏡を指先で押し上げた。
(何だ? コイツ、馬鹿なのか)
「ここがシリヴィア様のお屋敷と知って来たのか?」
この森の中を通っている道は多いが、全ての道はこの屋敷に通じている。森に入る理由が、屋敷への来訪しかないと解っていても、アタシはあえて質問をぶつけた。
「はい」と柔らかく微笑むキサラギ。
「何用だ?」
「一つはシルヴィア様にお届け物です」
「誰からだ」
「サンジャ様に頼まれまして」
「サンジャって・・・フレクインド・サンジャ様か!?」
予想もしていなかった、魔王様に匹敵する、最強の魔物娘と言っても過言ではないドラゴンの実力者の名が、浮浪者にしか見えない男の口から出たものだから、アタシは目を見張ってしまう。
「嘘をつくな」
「嘘ではありませんよ」と困ったように笑ったキサラギは、背負っていた鞄から小さな箱を出して、訝しげな面持ちのアタシへ見せる。
箱を包んでいる紙には、確かに名門・サンジャ家の紋が記されていた。
「・・・・・・なるほど、本当のようだな。
では、これは私が渡しておこう。
用が済んだのなら、さっさと帰るといい。もっとも、無事に森を抜けられるかどうかは保障しないがな。
行きは良い良い、帰りは怖いと言う奴だ」
アタシは野良犬を相手にするように手を振ったのだが、男は小さく首を横に振った。
「いえ、もう一つ、用事がありまして」
「何?」
「麓の村で、病人がかなり出まして、シリヴィア様に薬を頂きたいんです。
この屋敷には、東西から集めた薬草を育てている菜園があると聞きました」
確かに、薬草を栽培している菜園は屋敷の中にあった。先代から仕えているアルラウネが、そこの管理を任されていて、切り傷や打ち身をこさえる事の多い私もよく世話になっていた。
「村には薬局があるはずだ」
「そこの薬では効き目が薄いそうで」
「なるほど・・・だが、お前は余所者だろう。
どうして、わざわざ、危険を冒してまで、ここまで来たんだ?」
アタシは槍の穂先を男から森の方角へと向けた。
その質問に、口の端を吊り上げたキサラギは帽子を胸の前まで持ってくる。
「一宿一飯の恩義です。
今、病気で苦しんでいる娘さんは、行き倒れていた私に一杯の水とパンをくれたんです」
芯の弱そうな外見に反して、義理堅い性格をしているようだった。
ハッキリと理由を口にした所が気に入ったアタシは槍を下ろす。
「良いだろう、シリヴィア様に私からも頼んでやろう」
「ありがとうございます」
嬉しそうに笑ったキサラギはアタシに長身を折り曲げ、深々と頭を下げた。
この時、一瞬にも満たなかったが、心臓がトクンと高鳴ったのだが、アタシはそれに全く気付いていなかった。
キサラギはアタシですら一抹の緊張を抱いて、ギュッと握った手が汗ばんでしまうシリヴィア様を前にしても、まるで物怖じ一つすらしないで礼儀正しい態度を崩さず、ここに来た事情と病人の症状を説明して、椅子から立ち上がると再び、頭を深々と下げた。
汚らしい姿のコイツにシリヴィア様は眉を顰めていたものの、ケチの付け様がない礼節に満足したのか、メイドのインプに薬草を持たせ、すぐに麓の村へ届ける事を約束してくれた。
「感謝します」と深々と頭を下げたキサラギにシリヴィア様は妖艶な笑みを浮かべて頷き、コイツに泊まっていくよう勧めた。
突然の申し出に驚いたようにレンズの下で瞬きを繰り返したキサラギだったが、森抜けで疲労も溜まっていたのだろう、素直に首を縦に振った。
借りた風呂で旅の疲れと汚れを落としきったコイツの全貌は見違えていた。
顔は女と見間違えかねないが、その長躯からは確かに男の雄々しい匂いが石鹸の香りに混じってしている。シャツの袖から伸びている腕には旅で負ったのか、無数の傷が重なり合い、肌は変色してしまっている。また、コイツは長時間の歩行には負担になる余計な脂肪を落としきり、同時に、『強靭さ』と『柔軟さ』と言う、相対する二つを同居させた筋肉は常に全力を出せるよう、細かい調整を怠っていないようだ。
食事のマナーも完璧で、シリヴィア様はますます、コイツを気に入ったらしく、しばらく逗留していくよう勧めたものの、キサラギは丁重に断った。シリヴィア様は残念がったものの、旅人を一箇所に引き止めるのは野暮な真似と知っている為、悠然とした態度でキサラギに旅の平穏を祈ってやった。
そして、翌日
シリヴィア様から、旅の途中で立ち寄る事になるだろう国にいる筈のデシエルト・コリナ様(アヌビス)への手紙を預かったキサラギを門で見送ろうとしたアタシは不意に、名を聞くのを忘れていたと思い、自分から名乗った上で問い返した。
「私は誇り高きリザードマンの戦士が一人、リゼル・メディエム・フェッロ。
若輩者ゆえ、字名はまだ無いが、いずれ世界に轟かせるつもりだ」
堂々と張った胸の前に腕を掲げたアタシに、キサラギは優しく微笑みを返してきた。
「いつか、貴女の名を、どこかの街で聞く事を楽しみにしてますね」
「お前の名前は?」
「いえ、そんな名乗るほどの者ではありませんから」
「こうやって、会ったのも何かの縁なんだ。
明日には忘れてしまうかも知れないが、一応、聞かせておけ」
歯に衣着せないアタシに微苦笑を漏らしたキサラギは、シリヴィア様から「一期一会の記念に」と授けられた帽子を脱いで、静かに己の名を口にした。
「キサラギ・サイノメです。しがない冒険者をやっております」
瞬間、息を呑んだアタシの手から槍が落ちるも、地面に落ちる前に槍はキサラギの手に受け止められていた。
「では、シリヴィア様、リゼルさん、失礼します。縁があれば、また何処かで」と槍を唖然としているアタシに返したキサラギは帽子を被り、綺麗に現れたマントを翻して背を向けた。
「ま、待て!! いや、待ってくれ!!」
アタシは焦りながらキサラギを呼び止めた。振り返ったキサラギの表情には「やっぱりかぁ」と一抹の後悔が滲み出ていた。名乗れば、アタシがどう言う反応をするか解っていたから、名乗るのを渋っていたのだろう。
隣のシリヴィア様は「何、知らなかったの?」と言わんばかりの表情だ。
(そうだ、背中の大剣と腰の刀で気付くべきだった。
ただの、モノマネかと思ってしまった)
自分の目の節穴加減を呪ったアタシだったが、すぐに頭を切り替える。
よもや、こんなに早く、「本物」かつ「本人」に逢えるとは思っていなかった。
興奮で胸が高鳴り、全身の血が熱くなっていく。
旅の途中で、何度も聞いた名前、キサラギ・サイノメ。
人間最強は誰か、をテーマにして、アルコールが入って熱くなる論争をした時、必ず挙げられる男の一人。
『教団』は多種多様なランキングを作っており、我々、魔物の中にはそれを参考にして『性』を貰う相手を決める者もいる。
私のような『精』そのものには興味が少ない、戦いだけが目的の者にも、このランキングは役立ってくれている。月に一度、発表される各種の一位から五十位まで纏めたランキングを集めた分厚い本は普通に街の本屋に並べられ、魔物娘でも手に入れるのは容易なのだ。
このランキングの内容は様々で、実に細かい。多くの勇者や冒険者の中で、強い剣士、強い格闘者、優れた狙撃者、優れた魔術師、秀でた呪術師、秀でた結界術師などが載せられている。一年の内でどれだけの古代遺跡を発見したか、賞金を稼いだのか、も事細かに紹介されている。
中には、ランキング上位に認められた刀鍛冶や鎧職人を纏めた物もあり、私のように武器を大事にする戦士には、それも重宝している。
ちなみに、『教団』は我々、魔物を対象としたランキングも作ってくれており、勇者や冒険者達はそれを参考にして、自分に見合ったクエストを選ぶのだ。火属性の武器しか持っていないのにサラマンダーが棲息する洞窟、ウンディーネが棲息する泉に行っても勝ち目は薄い。破魔の呪文も使えないのに、マミーやスケルトンが闊歩する墓場に足を踏み入れれば、カラカラになるまで搾り取られてしまうだろう。だから、彼らは我々が棲んでいる地域を調べた上で世界中を回っているのだ。とは言え、リーザードマンであるアタシのように武者修行で特定の場所に留まらない種もいるので、当てにならないと言えばならないのだが。
どうして、『教団』が人類の敵である我々の詳細をまとめたランキングも作っているのか、と言えば、勇者や冒険者らの慢心を戒める為だ。『教団』は魔物娘をこの世界から払拭する為に、切磋琢磨の末に残る本物の強者だけを求めている。故に、魔物娘に敗れるような人材は不要であり、このランキングを有効活用させる事で、各人のレベルアップを期待しているのだろう。
当然ながら、駆け出しで、字名も持っていないアタシはコレに載っていない。悔しいが、今はコツコツとやっていくしかあるまい。現在、上位にいる者も、そうやって、そこまで辿り着いたのだろうから。
話を元に戻すが、目の前のキサラギ・サイノメと言う青年はランキング上位者だ、しかも、多岐に渡った。
まず、この一年間、全世界冒険者ランキング第六位。中央冒険者ランキング第三位。全世界格闘者ランキング第四位。年間収益ランキング第五位。年間遺跡発見および保護数第七位。上位魔物娘撃破数は第二位。
そして、全世界剣士ランキング第一位。
キサラギはこの座を、十年間、誰にも渡していない、正に「刃物の王」と呼ばれるに相応しい男だった。人間、魔物娘関わらず、斬撃系の武器を扱う者にとっては憧れだった。
キサラギは勇者として『教団』に所属していないースカウトは何十回と受けているらしいが、彼は組織に縛られる事を嫌い、他人が羨むような報酬や条件を蹴り続けているそうだー為、勇者だけを集めたランキングには残念ながら名を載せていないものの、そんな瑣末な事など気にさせないほど、他の部門で上位に食い込んでいた。
また、魔術は不得手らしく、ランキング外に甘んじている。
しかし、その分、接近戦と中距離戦でキサラギと互角に戦える者は人間、魔物娘にも数えるほどしかいないだろう。それこそ、現在、魔物娘ランキング一位のフレクインド様(ドラゴン)、二位のスプレンディド様(ドラゴン)、三位のリリー・オフ・ザ・ヴァリ様(デュラハン)、五位のアクスト様(ミノタウロス)くらいだろう。
また、魔術が不得意でも、全世界と東方の冒険者ランキングで上位に君臨している事が示すように、十分な結果も出していた。人間界に点在する古代遺跡を荒らす盗賊を取り締まったり、砂漠地方に暮らす人間や魔族娘の間に勃発していた水争いを解決したり、罠で掴まったエルフやフェアリーの踊り娘を密猟者から助けたり、ある国に雇われていた魔術師の失敗で異常発生したゾンビの軍団を単騎で朝まで食い止めるなど、色々と活躍している。
『教団』の依頼で魔界に出向く事も多く、『難攻不落』を誇る魔王様の北側城壁を一太刀で切り崩した事もあるそうだ。また、あくまで噂だが、人間界の裏側を牛耳っている顔役に頼まれて、サキュバスの城下街で魔法のアイテムやアクセサリーを仕入れているらしい。これは『教団』にも知られているはずだが、複雑な事情で黙認されている節はあった。
あの『触手の森』に足を踏み入れて五体と精神が無事で帰ってこられる、数少ない人間の冒険者の一人でもあるキサラギは、上位クラスの魔物娘ですら近づく事を躊躇う最深部寸前まで迫った事もあるようで、現在でも森の闇の中に隠されている秘密を知るべく挑戦を続けているらしい。
また、これもあくまで黒い噂だったが、あの『万魔殿(バンデモニウム)』に単身で先入して、堕天使を相手に大立回りを演じた事もある、と。歪んだ時空に足を踏み入れた影響なのか、キサラギ・サイノメは『教団』が発表している公式のプロフィールでは三十代後半の筈だったが、外見は十代の頃で止まってしまっているらしい。
(だが、まさか、あのキサラギ・サイノメがこんな優男だったとは・・・)
自分はまだまだ、先人の影すら踏めない未熟者だから、と謙虚なキサラギは顔を表に載せる事を渋っている為、遠くから撮影したボンヤリと写った物しか見た事が無かったアタシだったが、目の前に立つ男は間違いなく、本人だろう。
何せ、持っている得物が得物だ。にも関わらず、最初、気付けなかったのだから情けない話だ。
ランキング上位者の真似をする者は多いが、キサラギを手本にする新米冒険者は少ない、と言うより、真似をしてもすぐに止めてしまうだろう。
大剣と長刀、どう考えたって、両方を一度に扱う事は至難の業だ。格好から入っても、戦闘となれば理想より現実、自分の体躯や実力に見合った武器を選ばねば、この世界では生きていく事は難しい。
しかし、キサラギ・サイノメと言う男はそれを容易にこなし、今日まで生きてきた上に、最上まで登り詰めているのだ。
片方だけでも振るうのに肉体に負担がかかる武器を、まるで木の棍棒を使うような素振りで使いこなして、目の前の敵を薙ぎ払ってきた。キサラギが本気を出した時、目の前に立っていられる者どころか、地面に臥している者すらいない、と恐れられている。
多くの魔物娘が、屈強なキサラギの『精』を狙っていたが、大半が返り討ちに遭わされているらしい。しかし、キサラギは向かってきた相手が魔物とは言え、全てを殺す訳ではないらしい。命ではなく自分の『精』を狙うのは魔物としての本能、ならば、殺すのは戦士としての信念に反するのだ、と以前、記者に語ったらしい。
艶やかな黒髪と潤んでいる黒目からも察せられるように、多くの謎と神秘で溢れた東洋の秘境と言われている、ジパング地方の出身で、魔物娘に対する特異な考え方も、その辺りが関係しているのだろうか。
また、キサラギは魔王軍の勇者部隊の隊長や元・ヒロインに育てられ、デュラハンから戦闘の英才教育を受けてきた為、魔物娘を敵として見れない、とも言われていた。多くの魔物娘に、瘴気で満ちた魔界で育てられたにも関わらず、インキュバス化しなかった事だけでも、幼い頃から頭角を見わしていた事が解る。
なので、キサラギは『教団』にも『魔王軍』にも肩入れせず、中立的な立場を貫き、適度な共存を推奨していた。ある国は、彼をアドバイザーとして招いて、魔物娘と人間が同じ街で暮らしているそうだ。そう聞くと、その街は全体的に淫行で乱れてしまっている暗いイメージを抱いてしまいそうだが、実際はそんな事はないらしく、風紀は守られているようだ。
ただ、自分の命と周囲の平穏を掻き乱す真似をする者には微塵の容赦もない。『教団』の上層部も、魔王軍も彼を危険視して、幾度か暗殺者や軍を送って抹殺を図ろうとしたが、その度に返り討ちに遭っている上に、これまで生きて返って来る者は一人もいなかった。
数える事を放棄したくなる程の、原型を留めていない死体と夥しい鮮血が汚した大地の上に、一滴の返り血すら顔にも服にも浴びないで、悠然と直立するキサラギ・サイノメを、全世界の冒険者・勇者、そして、魔物娘が彼をこう呼ぶ、『双刀(掃討)者』と。
ここ最近は、どちらの勢力も、彼へ下手な手出しなどはしていない。数には困っていないとは言え、彼一人に余計な被害を出されては困るからだろう。中立派であるため、ありえない話だが、キサラギがその気になったら、『教団』も『魔王軍』も彼一人に、短期間で壊滅させられてしまう。ならば、友好的な態度を維持した方が良いに決まっていた。
これだけ有名な冒険者であるキサラギなので、『精』は魔王様がお墨付きをするほど格別の味らしく、一部の魔物娘は彼だけに狙いを定めているらしいが、魔王様以外に交わる事に成功したと言う話は届いてこない。何せ、世界最強の剣士、「刃物の王」だ、生半可な実力や幻術では彼を押し倒す事も動きを封じる事すら叶わないのだ。
アタシから挑戦状を叩きつけられたキサラギは困惑を深めていたものの、リザードマンの性質をよく知っているからだろう、断っても無駄だと諦めたのか、小さく肩を竦めた。
「シリヴィア様、庭をお借りしてもよろしいですか?」
「構わないわよ」と口の端を吊り上げたシリヴィア様は中庭の方を指差した。
「待て、待て、庭で私達が暴れたりしたら、ボロボロにしてしまう」
そうなったら、アタシがヴァインのババァに絞め殺されてしまう。
「近くに、丁度よく開けている空き地がある。そこで戦って貰うぞ」
上位ランキング者に対して、ランキング入りも果たしていないアタシの言動は傍目から見たら不遜そのものだろうが、こうでもしてないと湧き上がってくる畏怖で、全身を満たそうと練り上げている戦意が端から殺がれてしまいそうだった。
だが、彼はアタシの提案に首を横に振った。
「移動する必要はありませんよ。
庭はボロボロになりませんから」
「―――・・・それは、私に何もさせずに勝つ、って意味か?」
「えぇ」とキサラギは毒気がまるで無い微笑を浮かべて頷く。途端、頭に血が昇った。
「解った・・・庭でやってやる。先に行っていろ」
ギリギリと歯軋りを漏らしたアタシは依然、柔らかく微笑んだままのキサラギに背中を向けて、足音を荒々しく鳴らしながら、自分の使い慣れている武器を取りに自室へ走った。
五分後、カットラスと円盾を手にしたアタシが中庭に足を踏み入れると、既にキサラギは帽子とマントを脱いで待っていた。
「待たせたな・・・
シリヴィア様、申し訳ありませんが、開始の号令をお願いできますか」
畏怖や憧憬など、怒りで既に蒸発してしまっていたアタシはキサラギの真向かいに引かれていた線に足を乗せると、左手に握った剣を構えた。
キサラギは号令がかけられてから、剣を抜くつもりなのか、悠長な気配を携えて、ボケッと立ったままで全身を怒気で覆っているアタシをジロジロと、まるで、強さを計るように見つめている。内側を覗かれるような感覚を覚えたアタシは彼の視線を跳ね返すように眼光を鋭く尖らせた。
「・・・・・・では、始」
「ちょっと良いですか」とキサラギはシリヴィア様が手を挙げようとしたのを阻んだ。
「何だ?! 今更、命が惜しくなって、偽者なんです、なんて言う気か!」
「まさか」
苦笑いを浮かべたキサラギは背中の大剣と腰の長刀へ手を伸ばすと、おもむろに二つを抜いてシリヴィア様に緩慢な足取りで近づいた。よもや、最初からシリヴィア様の首を取りに来たのか、と危ぶんで飛び出そうとしたアタシをシリヴィア様は静かな真紅の瞳で制した。
闘気も殺気も表に出さないで近づいてくるキサラギに対して、シリヴィア様は何の反応も起こさない。ランキング四位の彼女が無詠唱の攻撃魔術を得意とする、と知っていても、こっちは内心ヒヤヒヤである。
攻撃の最大有効範囲にキサラギが足を踏み入れたのと同時に、シリヴィア様は右手を素早く振りぬこうとしかけたものの、それより速く、キサラギは剣を向けていた、ただし、柄の方をだが。
「預かっていてもらえませんか?」
「!? おい、素手で戦う気なのか!?」
「そうですが・・・何か?」
シリヴィア様に得物を渡した彼は心底、不思議そうな表情で私に振り返った。
「ふざけてるのか、アンタ!?」
「勝負を挑まれた以上は、真剣にやりますよ。真剣は使わないだけで」
「でも・・・」とキサラギは無表情で私を細く白い指で差す。
「勝負と言う二文字は、同等もしくは、それに近しいレベルが相手を前にした時に使う言葉です。
それに、武器を使ってしまったら、リゼルさんを間違いなく殺してしまいます。
私には、弱い者イジメの趣味はありませんから」
額に浮かんでいた血管が切れそうになる。
「武器を持ってるお前には、私は敵わないって言いたいのか?」
「・・・・・・実際の所、素手でも、まだ差がありますから」と少し考え込むような素振りを見せた、全世界格闘者ランキング第四位の男。
「左手一本だけで相手をさせて貰いますね。
多分、利き手じゃないコッチなら、後に響くようなダメージは与えないで済むと思うので」
開始線まで戻ったキサラギは左手を開いたままで、アタシに向かって真っ直ぐ伸ばした。
ここまで馬鹿にされたのは初めてだった。
(この私が命を奪う価値も見出せない相手だ、と言ったな、実力不足だと言ったな・・・・・・
後悔させてやる!!)
足が震えそうな自分を鼓舞するために、野次めいた挑発を飛ばしてくるなら、まだ許せる。だが、拳すら合わせていないのに、戦う前からの愚弄は我慢ならなかった。
アタシは伊達や酔狂で武者修行の旅に出た訳でもなく、苦しい修練を続けてきた訳でもないのだ。集落を出る際、古来からの掟に従い、そこで最も強い相手―アタシの時は、ランキング34位の副村長だったーと戦い、一太刀を浴びせて許可を得たのだ。
自身の実力を驕る気は微塵も無かったが、素手どころか左のみで相手をされるのは心外だった。
(なら、その馬鹿みたいに伸ばした左手を叩き切ってやる)
「ほぉ、キサラギ殿、実に見事な武器を使っているな」
シリヴィア様は恍惚の表情で、キサラギから渡された大剣と長刀―確か、前者が『餓蓮号』、後者が『冥菊丸』と多くの冒険者から呼ばれる、何処の誰が打ったのかも知れぬ無銘の武器―を見つめている。シリヴィア様は数多の魔物娘の中でも、かなりの膂力を誇るヴァンパイア一族だ、大の男ですら持ち上げるのに一苦労するであろう、その二つを軽々と自分の目線の高さまで上げていた。
「・・・・・・この二つで、何人、斬ってきた?」
「旅を始めて20年ほど経ちますが、その間に2868ですかね、人間と魔族娘合わせて。命を奪ったのは245ですが。
斬って捨ててきたのは強盗、山賊、海賊、空賊、兵士、殺し屋、と様々ですし、その理由も自分の身を守る為だったり、誰かを守る為だったり、その日の宿代を稼ぐ為だったり、ただのストレス発散のために自分からアジトに突っ込んだ事もあります」
しっかり覚えているらしい。大抵の勇者は、斬った雑魚など途中で数えるのを止めてしまう、と聞いたが。
「幸か不幸か、私の身内はいないようだが、私の同胞(はらから)を何人か斬っているな。
先に断っておくが、今のは厭味じゃないし、恨み言でもないぞ」
「上位魔族に手加減は出来ませんでしたから。
ですが、やはり、お解かりになりますか? 錆びたりしないよう、血はちゃんと拭ってるんですけどね」
「解るさ、これだけ邪気が濃ければな」と心底、可笑しそうに口の端をついっと上げたシリヴィア様。
「ただの人間が、こんな武器をよく使えるものだな。
一般人なら十秒と立たずに、憑いている怨霊に心を貪り食われているだろうに」
「体も心も鍛えてますから」と飄々とした顔と淡々とした声で返し、「じゃ、号令を」とキサラギに目配せされたシリヴィア様は小さく頷くと、ゆっくりと右手を頭の上まで持っていった。
「始めっっ」
凛とした声が空気を小刻みに震わせた。
だが、頭に血が昇っていたアタシは開始線から飛び出せずにいた。
怒りで脳味噌が沸騰しそうでも、鍛えてきた肉体は素直だった、本能的な恐怖に対して。
(す、隙が微塵も見つけられない)
キサラギはただ、間抜けに「遠慮しないで、バッサリ切ってくれてもいいですよ」と言わんばかりに、左腕をアタシに向かって伸ばしているだけなのに、切りかかれなかった。
ジリジリと摺り足で横に動くと、彼もそれに合わせて、開いたままの手を移動させる。丁度、アタシの視線の高さに持ち上げられている所為で、キサラギの左手は顔を隠してしまっていて、微かに動く瞳や唇の動きで心の機微を読み取って先読みするのも敵わない。
(これが、世界で二番目に強い格闘者の放つ重圧なのか)
気を緩めれば、心臓を潰されてしまいそうな、漆黒の圧力をはっきりと感じる。
頬を静かに伝っていく汗を拭う事すら出来ず、アタシは剣先を小刻みに動かして、空しい威嚇を繰り返すより他にない。
「・・・・・・どうしました? 来れないんですか?」
その聞き方が、アタシの神経を逆撫でするも、下手に動けば痛い目を見てしまうと本能的に理解させられているせいで、自分から動く訳には行かなかった。
「なら、もう一つ、サービスです・・・私から行きましょう」
軽くジャンプをした刹那、彼はアタシへ、あと1mと言う所まで迫ってきていた、指を限界まで開いた左手はグッと真っ直ぐ伸ばしたままで。
「!? っつ!!」
ゆっくりと近づいてくる左手に対し、体は勝手に動いていた。
だが、集落を出る時に母から贈られたカットラスは振りぬいたのと同時に、真ん中辺りから鈍い音を上げて折られてしまった。
アタシはただただ、唖然とした表情で、キサラギの伸ばされた人差し指と中指に挟まれているカットラスの刃を見つめるしかない。
「!!」
ドサリ、と刃が地面に落とされた鈍い音で我に返ったアタシは右腕に付けていた円盾を鈍器代わりに振り下ろした。だが、右腕は空を切る。素早く胸の前に戻そうとするも、彼に指で中心を打たれた円盾は木っ端微塵にされてしまった。
「ぐぅ!!」
武者修行の途中、サイクロプスやゴーレムを相手にしてきたが、そんな戦いの中ですら味わった事のない衝撃が肩まで稲妻の如く走り抜け、アタシの顔は痛みに歪んでしまう。しかし、ボケッと突っ立っていては、第三撃を避けられない、と痛みを堪えて後ろに下がろうとしたアタシだったが、気付いた時にはキサラギの開かれた左手が腹部に密着していた。
「え?」
ゾッと冷たいモノが全身に走った次の瞬間、背中から屋敷の壁に思い切り激突していた私の記憶はそこで一旦、ブッツリと途切れてしまう。皮肉な事に、十数mは離れていた壁に向かって一直線に宙を飛んだ、わずか数瞬の間に気を失ってしまい、下手な受身を取らなかった事で、アタシはいらぬダメージを負わずに済んだらしい。
「・・・・・・ここは」
重い瞼を上げた私の目に飛び込んできたのは、見慣れた真っ白な天井。
そこは自分の部屋で、アタシは自分のベッドに横にされていた。
「起きた? リゼル」
ベッドの縁に腰を下ろしていたシリヴィア様は読んでいた本―先月、発売された最新のランキングだったーを閉じると、優しい微笑をアタシに向けてくれた。
「?! シ、シリヴィアさ・・・・・・っっつ!!」
慌てて、上半身を起こそうとしたアタシだったが、背中まで突き抜けた鈍痛で息が止まり、空しくベッドに横たわってしまう。
「まだ無理をしない方がいいわ。
骨や臓器にはダメージがなかったけど、痛みは引いてないはずだから」
「あ、アイツは何をしたんですか?」
アタシは鈍い割にジワジワと広がる痛みを堪えて、体を腕をベッドに突いて支えながら起こす。
「私も見たのは二度目だけど、『大陸』に伝わる武術の奥義の一つだと思うわ。
確か、技の名前は・・・・・・ハッケイ、だったかしら?
特別な方法によって鍛え上げたインナーマッスルを、独特な動きで活性化させて生み出したエネルギーを、相手の体内に叩きつける技だ、と以前、聞いたわ」
シリヴィア様がアタシのシャツの裾をめくると、腹部には赤黒い痣となった、大きな手形が残っていた。
途端に、自分がキサラギに成す術もなく敗北した『現実』を思い出させられたアタシは、唇を破れて血が出るほど噛み締めてしまう。
「あらあら」と口の端を吊り上げたシリヴィア様は、アタシの唇から垂れた血を指先でそっと拭うと、自分の口許へと持っていく。
「美味しいわね、リゼルの血は」と舐めていた指を口から抜いたシリヴィア様にアタシは顔を俯けたまま、必死で声の震えを抑えながら尋ねた。
「キサラギ・・・さんは?」
「半日前に去ったわ、ここを。壁の修繕費を置いてね」
「そう、ですか」
アタシはグッと拳を握り締めた。
「―――・・・・・・シリヴィア様」
「リゼル、言わなくてもいいわ」
シリヴィア様は顔を上げたアタシが開きかけた口を指で押さえた。
「追うんでしょう、キサラギを。リザードマンの本能に従って」
力強く頷き返したアタシに微笑んでくれたシリヴィア様は、アタシの肩をそっと押して、ベッドに横にさせる。
「でも、今は体を休めなさい。
暇を出すまでは、主である私の言う事は聞いて」
「はい」
毛布を体に優しくかけられたアタシは少しでも速く、肉体からダメージが抜けるよう祈りながら目を閉じた。鈍痛は波紋となって未だに広がっていたものの、ジッと横になっているとわずかだが、和らぐ気がした。
「きっと、この惨敗の苦い記憶がリゼル、貴女を一層に強くしてくれるわ」
汗ばんだ額に、そっと唇を当てたシリヴィア様は頬を一度だけ優しく撫でてから、アタスの部屋を後にした。
シリヴィア様の足音が遠ざかると、アタシはゆっくりと瞼を上げて、見納めになるであろう天井のシミを睨んだ。
(キサラギ・サイノメ、必ず見つけて・・・・・・次は勝つ!!)
思い出したくもなかったが、勝つ為だと割り切って何度も思い返してきた回想を終え、口の中いっぱいに広がっていた敗北の味を飲み下したアタシは岩から降りる。
「いつから気付いていたんだ?」
「尾行自体は一週間前ですね、街に入った時から妙な視線を感じてました。
街路樹の陰でホットドッグを齧っているのがリゼルさんだと解ったのは、三日前、昼食を取っていた時です・・・・・・尻尾が隠れきっていませんでしたから」
そんな早くに、しかも、そんな間抜けな理由で気付かれていたとは思っていなかったアタシはショックを覚える。反射的に、尻尾でグラついた体を支えなかったら危なかった。
「なら、どうして、もっと早く声をかけなかったんだ?」
「街の中で勝負を挑まれたら困りますから」
「それは、ここなら受けるって意味だな!!」
途端に、キサラギさんは「しまった」と言うように顔を顰めたが、既に遅い。
「じゃあ、勝負しろ、今すぐ!!」
屋敷を後にする前日、シリヴィア様が今日まで働いてきてくれたお礼と旅のお守りに、と授けてくれたカットラスの刃先を向けられたキサラギの表情は渋い。
(私をどうやって撒こうかって考えてるな・・・そうはいくか)
カットラスを引っ込めたアタシは代わりに、懐から一冊の本を出してキサラギさんへと迫ると、開いたページをその高い鼻の先に突きつけてやる。
「見ろ!! これを。
やっとランキングに載ったぞ!1」
アタシから魔族娘のランキング表を丁寧に受け取ったキサラギさんはざっと目を通し、「リゼル・メディアム・フェッロ」の名前を見つけたのか、「ほぉ」と呟いた。その呟きに感嘆が篭もっていたのが解ったアタシは誇らしくなり、胸を張ってしまう。
「お前を追っている途中で、Cランクの盗賊団をいくつか潰したんだ」
「47位、リゼル・メディアム・フェッロ、種族・リザードマン・・・ですか」
本を閉じて返してきたキサラギさんは眉を寄せ、苦笑いを浮かべる。
「さぁ、どうすんだ!!」
ランキングに名を連ねている者たちの間には、暗黙の掟があった。
明らかに実力が劣る者でも、公式ランキングに載っている者から勝負を挑まれたら受けねばならない、と。もちろん、『暗黙』と先に付いている以上は断る事も出来る。だが、誰も挑戦を断らない。下位ランカーからの挑戦を蹴るのは、自分のランクと名に泥を塗るに等しいからだ。
カットラスを突きつけられたキサラギさんはしばらくの間、懇願が瞳に出てしまっているアタシではなく虚空を睨んでいたが、不意に「降参」と言わんばかりに両手を小さく胸の前まで上げた。
「解りました、挑戦をお受けしましょう」
その言葉だけで、今日までランキング入りする為に、数え切れないほどの苦労を乗り越えてきた事が報われてしまいそうになる。慌てて、ニヤけそうな顔を激しく左右に振り乱したアタシはカットラスの柄を握る手に力を入れる。
しかし、気付いた時には刀身は彼の親指と人差し指に挟まれて、前にも後ろにも動かせなくなっていた。
同じ轍を踏んでしまったアタシの血の気は一気に引いた。だが、
「でも、今日は止めましょう」
「な、何?」
「既に日も落ちかけていますし、リゼルさんも疲れているでしょう?」
アタシはグッと言葉に詰まってしまう。
キサラギさんの指摘通りで、アタシは足首に鉄球つきの枷を付けられているような疲労を若干、感じ始めていた。今すぐの戦闘はキツいように思えた。しかし、それを顔に出さないよう気をつけていたのに、彼の慧眼は誤魔化せなかったらしい。
アタシが渋々と言った風を装って肯くと、ニコリと笑ったキサラギさんは指を離してくれた。
内心では安堵の息を漏らしながら、カットラスを鞘に戻したアタシ。
「じゃ、ここで俺は野営するんで」
「・・・・・・私もここに残る」
そう言ったアタシに、キサラギさんは眉を寄せた。
「いや、でも、リゼルさん、貴女、テントも何も持ってないじゃないですか?」
「私は人間のお前と違って、外で寝たって何の問題もない」と半ばムキになって言い返したが、キサラギさんがおもむろに空を指差したので、無意識にそれを目で追ってしまう。
「今夜は雨が激しく降るそうですよ。
悪い事は言いませんから、街に戻った方が良いです。今から急げば、間に合いますよ」
「そんな事を言って、逃げる気じゃないだろうな」
「逃げませんって」
苦笑いを溢す彼がそんな女々しい真似などしないとは分かっているが、若干の不安は拭えない。しかし、いくら、アタシでも雨に濡れてしまっては明日の一騎打ちに影響が出ないとも限らない。
きつく腕を組んで歯軋りを漏らしながら思案に耽るアタシにキサラギさんは肩を竦めた。
「じゃあ、私のテントで寝ますか?
このテントは大型だから、リゼルさんが入っても、まだまだ余裕がありますし」
「コイツらを入れないとなりませんからね」とキサラギさんは『餓蓮号』と『冥菊丸』を下ろす。
「どどどど同衾なんて、そ、そんな事が出来るか!
私にだって、プライドがある!!」
キサラギさんの『精』そのものに興味が全く無いと言えば嘘になる、戦い馬鹿とは言え、アタシだって一端の魔物娘だ。
しかし、リザードマンの本能も守りたい。彼に勝てなければ、心身ともに快楽に浸りきる事は出来ないだろう。
「・・・・・・私はリゼルさんに指の一本すら触れさせませんよ」
「夜這いをかけようとしても無駄だって言いたいのか?」
「リゼルさんに、そんな邪まな気があるって言うならですけどね」
悪戯っぽく笑ったキサラギさんにアタシは根負けしてしまった。
「言葉に甘えさせて貰おう。
その礼と言う訳じゃないが、今晩の食材の調達は私が引き受ける」
「じゃあ、お願いできますか?
私はその間にテントを張って、お湯とかを沸かしておくんで」
「任せておけ」とキサラギさんに肩から提げていた鞄を押し付けたアタシはベルトにナイフを一本だけ挟むと、意気揚々と狩りに出かけた。
三十分後、近くの池で捕らえた二匹の鴨を手にぶら下げて、キサラギさんの元に戻ると、テントの周囲には血の匂いが漂っていた。
一瞬だけ鼻を突いた、嗅ぎ慣れたその匂いに驚いてしまったアタシだったが、すぐに人間の物ではないと気付いた。
張られ終わったテントの後ろに回ると、手頃な大きさの石に腰を下ろしていたキサラギさんは即席の竃に乗せた鍋を木ベラでかき混ぜていた。
彼の足元をふと見れば、見事に捌かれた兎の皮があった。
「お帰りなさい。
鴨ですか?」
「血抜きは終わってる」
アタシは鴨をキサラギさんに手渡すと、芳しい香りを漂わせている鍋の中を覗き込んだ。美味しそうなシチューがグツグツと煮え出していた。
「丁度いいタイミングで兎が通りかかったので、シチューにしてみました。
リゼルさんが取ってきてくれた鴨は焼いて食べるとしましょうか」
そう言い、キサラギさんは慣れた手つきで羽を素早く毟り終える。そうして、懐から一目で使い込んでいると判るサバイバルナイフを出し、目にも止まらぬ速度で捌いてしまう。あんな速度で肉を切られたら、旨みは絶対に逃げないだろう。
全ての部位を一口大より少しだけ大きく切ったキサラギさんは、それを熱した石の上で丁寧に焼いていき、腹の虫を興奮させるような野性味溢れる香りが漂い出した頃に、塩と胡椒、それと香草から搾り出した汁を満遍なく振りかける。途端に、香りの深さが増し、アタシの腹の虫は大暴れし出し、「一秒でも早く、腹に収めろ」と盛大に叫び始めた。
キサラギさんに「くくくっ」と肩を震わせて笑われたアタシは、耳まで一気に熱くなってしまい、赤くなった頬を見られたくなくて、キュッとシャツの裾を握って顔を俯けてしまう。
そんなアタシに気付いたのか、キサラギさんは浮かんだ涙を指で弾いて、シチューを混ぜる。
「腹が減るのは健康な証拠です。
一流の冒険者は、食べられる時に食べるもんです。
それに、『腹が減っては戦は出来ぬ』と、昔から言いますからね」
優しい微笑を口許に浮かべたキサラギさんは皿にシチューを注ぐ。
「さぁ、どうぞ」
シチューは絶品だった。武者修行中の私はその日の食費だけ稼げれば十分だったから、立ち寄った街では最も安く、それでいて、量の多い大衆食堂に足を運んでいた。
シリヴィア様の屋敷で働かせて貰っていた時は、三食がどれも豪勢で美味で驚いてしまった。
しかし、キサラギさんが作ったシチューはこれまで食べてきたシチューよりも、遥かに美味しかった。
「どうですかね? 人に出すのは久しぶりなので」
「・・・・・・とても美味い」
「それは良かった」と嬉しそうに首を縦に振ったキサラギさんは、厚く切ったライ麦パンをくれた。アタシはそれをシチューに付けて齧る。
キサラギさんは、その細身からは想像できないほど大食いらしく、凄まじい勢いでシチューを平らげていく。アタシが獲って来た鴨もパンに挟んで、口の中へと詰め込んでいく。
この食欲が、キサラギさんの『強さ』を支えているモノの一つなのだろう。
そんな他愛のない事を思いながら、アタシも負けないようにパンを齧る。
鍋が空になった頃、空が曇り出した。
アタシ達が慌てて片付けを始めて、池で洗い物を終えた時、良いタイミングで地面に黒い雫が一粒、また一粒と落ち始めた。
次第に強くなっていく雨の中を走って、テントへと急いで飛び込んだ私とキサラギさん。
「うわぁ、本降りになってきちゃいましたね」
ブルブルと頭を振って水気を飛ばしたキサラギさんは艶やかな黒髪以上に水を吸ってしまっていたシャツを脱ぐ。
「っつ!?」
いきなり、逞しい裸体を目の前に晒されたあたしは思わず目を逸らしてしまうが、ゆっくりと首を回して、髪をタオルで拭いているキサラギさんの傷だらけの実用かつ実戦的な筋肉で隅々まで固められている上半身を盗み見てしまう。
「・・・・・・別段、面白くもないでしょう、こんな男の体を見ても」
いつの間にか、視線に熱が篭もっていたらしく、キサラギさんは苦笑いを漏らした。
「あ、す、すまない」
「良いですよ、別に。
でも、リゼルさんもシャツを脱いだ方が良いですよ。そのままで風邪を引いてしまうでしょうし、私も若干、目のやり場に困るので」
「・・・え?」
キサラギさんの困惑気味の視線と指に促され、自分の体に目をやれば、彼と同じように濡れたシャツは肌にピッタリと張り付いてしまっており、豊かさが足りない胸の形が露わになってしまっていた。
「っつつ!!」
一気に耳まで真っ赤になったアタシは素早く、胸を腕で隠して、キサラギさんに背中を向けた。
「私はコッチを向いてるんで、終わったら声をかけてください」
「す、すまない」
後ろを向いたキサラギさんからタオルと代えのシャツを受け取ったアタシは衣擦れを上げないように気を付けながらシャツを脱ぎ、体をタオルで拭いていく。
キサラギさんのシャツはやはり大きく、裾がアタシの腿の半ばまで来てしまう。
「もう、こっちを向いてくれても構わない」
アタシが着替えている間に、火を起こしていたキサラギさんはまだ頬に赤みが残っているアタシにココアを注いだコップを差し出した。甘い香りを含んだ煙に鼻をくすぐられた私は「ありがとう」と小声で礼を口にし、コップを受け取ると苦味と甘みが程よいバランスで混ざり合った温かな液体を口に含んだ。 途端、雨で冷えていた体に熱が戻る。もっとも、先程、味わった羞恥で体は十分に熱くなっていたのだが。
「雨が強くなってきましたね」
「そ、そうだな」
会話が途切れてしまう。
ココアをチビチビと飲みながら、アタシは上目遣いに武器の手入れを始めた彼を盗み見る。
本当に優男の部類に入る容姿をしている。ここまで追ってきていなかったら、とてもじゃないが、最強の剣士だとは信じられない。
「視線がくすぐったいんですが、私の顔に何か付いていますか?」
「す、すまん」
顔を真っ赤にして目を逸らしたアタシに微笑んだキサラギさん。
「魔王軍からも、教団からも『双刀(掃討)者』って怖れられてる割にはナヨナヨしてるよなぁ、ですか?」
心の中を読まれた気分になったアタシはココアを噴き出しそうになってしまう。
「そ、そんな事は思ってないぞ」
「まぁ、顔立ちが幼いのは事実ですからね。
実際、もうちょっと、厳つい顔だったら、山賊や魔物娘にも襲われる回数も減るでしょうし」
つるりと髯の一本も生えていない頬を撫でながら苦笑いを漏らし、彼は刀を鞘に納め、テントに立てかける。
「まぁ、明日は戦う間柄とは言え、こうやって雨宿りを今はしてるわけですから、和気藹々とまでは行かないにしても、穏やかにいきましょう」
その言葉と、悠然とした態度で気を張り詰めていた自分が馬鹿らしくなったアタシは、肩から力を抜いた。
「なら、アンタの旅の話を聞かせて欲しい」
「そんな面白い内容じゃありませんよ」
「その面白くない、ドキドキする話が私は聞きたいんだ」
困りましたねぇと頭を掻いたキサラギさんだったが、アタシの懇願を込めた目に根負けしたらしく、「じゃあ、気付かない内にワーウルフのテリトリーに足を踏み入れてしまった時の話を」と切り出した。
キサラギさんの危険に満ちた旅の話は、彼自身の強弱を付けたり、身振り手振りを交えた巧い語り方もあって、終始、胸が躍り、手に汗を握ってしまっていた。「そんな顛末です」と話が結ばれた時は、いつの間にか止めてしまっていた息を一気に吐き出してしまった。
「じゃあ、そろそろ寝ましょうか」
「あ、あぁ」
「リザルさんは寝袋を使ってください。一応、買ったばかりなので臭わないとは思うんですが」
キサラギさんは膨らんだリュックの中から小さく丸めた寝袋を取り出し、アタシの前に置いた。
「アンタの分は?」
そう聞きつつも、一人旅を続けてきたこの人が余分な荷物になる、予備の寝袋を持っているとは考えられなかった。
「私なら問題ありません」
「私が気にする。これはアンタが使え」
アタシが押し返そうとすると、キサラギさんが寝袋に手を置いた。途端に、私は寝袋を押せなくなる。
「明日、戦うのでしょう、私と。なら、体調は整えて下さい」
「それはこっちの台詞だ。コンディションを崩したアンタに勝っても嬉しくない」
「・・・・・・それを言われると弱いですね」
納得したように肯いた彼は寝袋をリュックの中へと戻し、代わりに二枚組の毛布を引っ張り出した。
「リゼルさんさえ気にしないなら、これで」
つまり、一枚の毛布を一緒に使える距離で眠ると言うことか。
ここで躊躇ったら負けだ、と訳の判らない意地を出してしまう私。
「いいだろう」と大きく首を縦に振ってから、激しい後悔と羞恥に襲われるが、時既に遅し。
キサラギさんはランプを消し、一枚の毛布を敷く。
「どうぞ」と促され、アタシは恐る恐ると毛布の上に寝転ぶ。キサラギさんは腕二本分ほどの距離を取って隣に寝転ぶと、もう一枚の毛布を自分達の体にそっとかけた。
(ち、近い)
キサラギさんの体温を触れずとも感じてしまう。しばらくしてから、逆に、彼もアタシの体温を感じていると言う事に気付いて、また体が熱くなってしまう。
チラリと薄暗い中で、キサラギさんの様子を窺えば、年頃の娘が隣にいる事など露にも留めていないらしく、体を休めて体力を取り戻す事に専念しているようだった。ここが「超」の付く戦士と、駆け出しのアタシとの差なんだろう。
耐えられそうにない、とアタシが少しでも距離を開けようとした、その時だった
ドギャアアアアアアン
「きゃ!!」
「―――・・・随分と近くに落ちたみたいですねぇ」
スッと瞼を上げ、飄々と呟いたキサラギさん。
「このテント、何の防御術も施していない安物だから危ないかも」
やけに、キサラギさんの声が近くに感じるし、先程よりも体温をはっきりと解る。
「ところで、リゼルさん、雷は苦手ですか?」
そう感じるのも当然だった、アタシは雷に驚きすぎて、思わず、キサラギさんに抱きついていてしまったのだから。
「す、すまない」
アタシは慌てて、離れようとしたが、また雷が落ち、轟いた音でテントがビリビリと揺れる。
「キャアアアア」
彼の逞しい腕に自分の胸を押し付けながら、情けない悲鳴を上げてしまうアタシ。
「大丈夫ですよ」
キサラギさんは泣きじゃくっているアタシを優しく、自分の厚い胸板の方に抱き寄せて頭を撫でてくれた。
恐怖で激しく波立っていた心が、頭をゆっくり撫でられていく内に落ち着きを取り戻していく。
「いざとなったら、私が雷を叩き斬りますから」
彼のジョークがジョークに聞こえず、可笑しくなったアタシの中から恐怖が霧散してしまい、途端に気が緩み、猛烈な眠気に襲われた。
「おやすみなさい、リゼルさん。良い夢を」
キサラギさんに耳元で囁かれた、その優しい言葉を最後にアタシの瞼は眠気に降伏した。
翌朝、鳥の囀りで目を覚ましたアタシはまだ重い瞼を擦りながら、上半身を起こした。
頭の中に残っている眠気の滓を払いながら、テントの中をゆっくり見回したアタシはキサラギさんの姿が無い事に気付いて、慌てて飛び起きた。もう一度、見回せば、立てかけられていた、彼の得物も消えている。
「しまった!!」
逃げられた、と顔を青くしたアタシは自分の得物を掴んでテントを飛び出したが、すぐに自分の杞憂、早とちりだったと気付かされた。
アタシより遥かに早く起きていたキサラギさんは自己鍛錬をしていたのだ。
アタシは、自分では持ち上げる事も叶わないだろう、あんなに大きく重そうな剣を片手で縦横無尽に振っているキサラギさんの姿に息を呑んでしまう。
キサラギさんの闘気が凄まじいからだろう、アタシの目にはキサラギさん襲いかかっては大剣に斬り飛ばされる敵の『見えない』姿が見えるようだった。
アタシはその場に呆けた表情のままで立ち尽くし、キサラギさんの美しいと表現するしかない鍛錬を見つめていた。心の中にあるのは恐怖、自己嫌悪、それらを凌駕する感動だった。
キサラギさんが剣を下ろしたのは、それから十数分後だった。
さすがのキサラギさんもあれだけ激しく動けば、汗をかくらしい。シャツは彼の体にピッタリと張り付き、地道なトレーニングと背中を焼かれるような実戦を紙一重で生き抜いてきたからこそ文字通り、その身に付く実戦的な筋肉の雄々しさが露わになっていた。
「お早うございます」と眩しい笑顔に挨拶され、我に返ったアタシ。
「か、狩りに行ってくる!」
耳まで一気に熱くなったアタシは半ば逃げ出すように、キサラギさんに背中を向けて走り出す。
「んな!?」
仕留めた二羽の兎を手に戻ると、キサラギさんは右手一本で長刀を、地面と平行になるように構えていた。
それだけなら、アタシだって間の抜けた驚きの声を上げかけた口を反射的に押えたりなどしない。
彼が構えていた長刀の鞘の上には何羽もの鳥が止まっていたのだ。
獣は自分より強い存在には特別な理由―卵を抱えている時や子供を守る時だーでもない限りは近づいたりしない。当然、命を奪う道具である刃物に近づく筈も無い。
しかし、鳥達は完全に気配を感じさせないキサラギさんが持つ鞘の上に止まっている。
瞼を軽く下ろし、微塵も動かないキサラギさん。
アタシが驚嘆の息をそっと漏らそうとした時だった、彼の目の前にあった岩が真っ二つにされた。
キサラギさんが目にも映らぬ一閃で斬った。目の前で起こった以上、それしか考えられないだろう・・・だが、鳥達は岩が切られたと言うのに、依然として鞘の上で囀り続けている。
(これが、最強の剣士、キサラギ・サイノメか!!)
常に食われる側であるが故に、気配に聡い小鳥達が気取れぬほどの、神速の抜刀。アタシはただただ、唖然とするしかない。
愕然とした私の手から兎が落ち、その音に驚いた小鳥達は我先にと飛び去っていった、私の今の顔色より真っ青な青空へ。
無言の朝食を終え、洗い終えた皿を各々の鞄へと戻したアタシ達。
そうして、テントを片付けたキサラギさんは「さて」と呟いて、膨らみが増した鞄を邪魔にならないよう、自分が切った岩の陰まで持っていく。
「やりましょうか」
(あぁ、ついに、この時が来てしまった)
先程、目の前で世界一の技を見せられただけに恐怖はあった。だが、それでも、リザードマンのアタシは敵わない強敵と闘える事に、昂ぶりを抑え切れなかった。朝食の間も体が疼いてしまい、不意打ちを仕掛けたがる自分を制するのが大変だった。
ふと、こちらを見つめていたキサラギさんが大剣と長刀を岩に立てかけたのを見たアタシの胸に、落胆と安堵が一緒に広がった。
「―――まだ、使って貰えませんか?」
自然と敬語になってしまう。
「使えませんね」
申し訳なさそうな面持ちのキサラギさん。
「リゼルさんが強くなったのは見て解ります。
それだけに、命を奪う気にはならない」
目を細めたキサラギさんは一年前と同じように、ゆっくりと左手を上げた。
「どれ位の強さになれば、私は貴方に剣を使わせられるんですかね」
「解りやすくランキングで言うなら、二十位以内に入れば『餓蓮』を、一桁になったら『冥菊』を使いますよ」
少なくとも、二十位のフロワ・バブル(スライム)に勝てるくらいにならないといけないわけか。
「先は遠そうですね」
「是非、頑張って下さい・・・もっとも、ここで命を落とす可能性も0ではありませんけどね」
命を奪う気にはならないと言ったくせに、結果的にアタシの命は落ちるかもしれない、と平然と言い放つキサラギさんが浮かべている笑みは柔らかい。
背中にゾッと冷たいものが広がってしまう。
深呼吸を繰り返したアタシは剣と盾を構えた。
「さぁ、どこからでもどうぞ」
これまでの旅で、アタシは自分が思っていたより実力が上がっていたらしい。
キサラギさんの悠然とした立ち姿に、以前より隙を見つけられないでいた。前は解らなかった隙が解るようになった事は素直に嬉しいが、前にも増して斬りかかれなくなってしまったのも事実だ。
(素手で、コレだ。剣を手にしたキサラギさんと向かい合ったら、どうなってしまうのか)
しかし、自分から動かずにいれば、一年前の二の舞だ。
ギリっと奥歯を噛み締めたアタシは意を決して、キサラギさんの間合いへと飛び込んだ。
自分から動いたアタシに、キサラギさんは眉をわずかに動かしたが、すぐに嬉しそうに肯いてくれた。
「せいっっ」
アタシが渾身で振り抜いたカットラスを、キサラギさんは軽く上半身を逸らして避けた。
カットラスを戻したアタシは地面を蹴って、キサラギさんが体勢を戻す前に間合いから飛び出す。
(突きは駄目だ、指でまた挟まれて、折られてしまう)
旅の途中で、数え切れないほどイメージトレーニングは積んできた。
魂を削られるような戦いでは、そんな机上の空論など役に立ちはしないと知っているが、どうしたって縋りつきたくなってしまう。
そこを突かれた。
一気に距離を詰めて来たキサラギさん。
「しまっ!?」
反射的に盾を前に出す。
ゴツンと鈍い音が上がり、アタシの体は弾き飛ばされてしまう。しかし、私は勢いに抗わず、そのまま地面を幾度か転がって、間合いを出てから尻尾で地面を叩いて体を起こす。
チラリと盾を見れば、表面にくっきりと手形がついていた。
(木製だったら前みたいに砕かれてたな。
値は張ったが、青銅製にしておいて良かった)
亀裂こそ入ってしまっていたが、まだ壊れそうに無い。もっとも、もう一発でも、キサラギさんの攻撃を受けたら、今度こそ真っ二つに割られてしまいそうだ。
(グダグダ考えるのは止めだ・・・・・・ガンガン攻め続けてやる!!)
地面を力強く蹴りつけたアタシは再び、カットラスを振り上げて、悠然とした雰囲気を醸して立つキサラギさんへと襲い掛かる。
アタシの怒涛の攻めは五分間にも及んだが、情けない事に肌を切るどころか、髪の毛一本すら切り飛ばせずにいた。
ここまで、絶望的な差があった事を改めて思い知らされたアタシは内心で愕然とし、膝を着きたくなったが、それはどうにか堪えてカットラスを振り抜き続ける。
(どうして、こんなに避けられているんだ、アタシの攻撃は!?)
驕る訳ではなかったが、アタシは自分の斬撃速度にはそれなりの自信があったし、無駄も省いているつもりだった。なのに、キサラギさんはアタシのカットラスを丸めた新聞紙でも相手にしているような気軽さ、凶器を前にしている危機感など微塵も感じさせてくれない面持ちで右へ左へ避け続けている。
一旦、距離を開けたアタシはカットラスの刃先を、その場から動く気配を見せないキサラギさんへと突きつけたまま、猛攻でひどく乱れてしまった息を整えにかかる。スタミナにも自信はあったが、無駄にしかなっていない一方的な攻撃の所為で随分と削られてしまった。
「強くなりましたね、リゼルさん」
まるで褒められている気がしない。
「本当に強くなってるなら、一太刀くらいは入れられていると思うんですがね」
「私も痛いのは嫌ですから。
・・・どうして、避けられてしまうのか、不思議そうですね」
心の中を読まれたような気分になった、アタシは咄嗟に顔の筋肉に力を入れた。
「誤解や気落ちをしてほしくないので言いますが、リゼルさんの攻撃はどれを見ても見事です。攻撃センスに関しては、天賦の物のようですね」
全て急所を躊躇無く狙ってきていますし、有効的な虚を織り交ぜているのも良いですね。花丸をあげましょう」
(なら、何故、当たらないんだ)
唇を噛み締めたアタシにキサラギさんは慰めるように微笑みかけてきた。
「ただ、私は剣や手じゃなくて、リゼルさん全体を『観て』いるから、攻撃を避けられるんですよ。
極端な話、私には自分の耳や後頭部は見えませんが、リゼルさんの背中や腿の裏が見えてます」
キサラギさんの目に灯っていた優しい光が、ほんの一瞬だけ、鋭く尖り、アタシは自分の全てを『見透かされた』ような錯覚に襲わ、いや、実際に見透かされたのだろう、今の一瞬で。
(葉ではなく木を、木ではなく森を、って奴か)
百戦錬磨のキサラギさんは私の頭のてっぺんから爪先までを『同時に』視られるのだろう。そして、眼で視た情報を瞬時に脳味噌ではなく身体で解析して、最も無駄のない避け方をしているに過ぎないのだ。
「これが、私が最強だと言われる理由の一つ、『戦利眼(センリガン)』です」
今のアタシには出来ない芸当だし、それを破る技量も持ち合わせていなかった。
(やっぱり強いな)
しかし、だからと言って、白旗を振れるほど、私も大人じゃなかった。
青二才なりにプライドはあるのだ。
(絶対に一太刀は入れてやるぞ)
アタシは今まで以上に強く、地面を右足で蹴りつけた。
そして、彼が伸ばしている左手の攻撃範囲に前髪が入った瞬間に、腕に付けていた盾を投げつけた。既に、防御の手段としては役に立たない盾なら攻撃に使う。
そんなアタシの考えを読んでいたのだろう、回転しながら飛んできた盾を、キサラギさんはわずかに首を右に動かしただけで避ける。
だが、アタシも盾が避けられるのは『予測済み』だった。
ほんの少しだけ、キサラギさんの体制が崩れた刹那を逃さず、アタシはカットラスを突き出した。
「良い突きです」とキサラギさんの声がやけに近く聞こえた。
彼はあえて前に出る事で、私の突きを擦り抜けたのだ。
一年前と同じように、腹部に冷えた掌が密着させられる。
「!?」
ドンッ、と重い音が響き、全身に鋭い痛みが波となって広がった。
しかし、アタシはカットラスを避けられ、腹に掌の感触を感知したのと同時に、尾に力を込めて身体を支えていた、後ろに吹っ飛ばされてしまわないように。
さすがに、キサラギさんの『ハッケイ』の威力は凄まじく、踏ん張っていた足がほんの数センチ下がってしまう。
刻み込まれた手形から白い煙が上がっている。
(痛い・・・・・・避けられなかった、来ると解っていても。
だが、避けられなかったけど・・・耐えられたぞ!!)
今日まで、アタシが一番、多くやってきたのは腹筋運動。ともかく、腹部の防御力を上げてきた。
自分の攻撃力は到底、キサラギさんに届かないのは最初から『事実』として受け止めていた。
だから、防御力を上げてきた、たった一発だけを耐える為だけに。『ハッケイ』で意識を失わないレベルまで腹筋を固めるのは生半可なトレーニングじゃ叶わなかった。自分で言うのも何だが、私のソレは『努力』なんて二文字で片付けられるものじゃなかった。
今のアタシの、本気で固めた腹筋は青銅製の盾より硬い、そんな自負があった。
俯けていた顔を上げ、キサラギさんを見れば、自分の『ハッケイ』をアタシが耐え切ったのに驚いていたようで、細く整えられている眉を上げていた。
(今しかない!!)
アタシは腹の奥で燻っていた痛みを強引に捻じ伏せると、カットラスの柄を握っていた手に力を入れた。
そして、振り抜く。カットラスの先端が肌を裂く感触を得る。
今度はキサラギさんが自分から距離を取る番だった。
「・・・・・・驚いた」
キサラギさんは切り裂かれたシャツの隙間に指を入れ、アタシが刻んだ胸の小さな傷から垂れる血を拭った。
「ど、どうだ!! 一太刀、入れてやったぞ」
声は未だに広がっている痛みで震えてしまっていたが、気丈に振舞うアタシは先端に血がついたカットラスを、驚きを露わにしているキサラギさんへと向ける。
「肉を切らせて骨を断つ、ですか・・・・・・
もっとも、リゼルさんの場合は、肉を殴らせて肌を切る、と言った所ですかね」
嬉しそうに声を弾ませ、キサラギさんは口の端を吊り上げる。その笑い方は昨夜、冒険談を淡々と語っていた時や、今の今まで浮かべていた物ではない。世界で二番目に強い人間と言う『現実』を改めて納得させる、戦いの中でしか、結局は生きている実感を得られない存在のそれだった。
そうして、指先で拭った血を舌で舐め取った瞬間、彼の闘気が一気に膨れ上がった。
「・・・・・・リゼルさん、そこまで鍛えるのに、相当の特訓を積んできたんでしょう?」
雷撃を纏っているような闘気に全身を打たれてしまったアタシは、彼の言葉に頷き返す事すらできない。比喩でも何でもなく、キサラギさんの背後には、六本の巨大な剣を六本の腕に握っている『死神』が見えた。
「貴方の血の滲むような修練で得た強さに敬意を、私は表します。だから」
小腹を埋められる適当な餌を前にした肉食獣のような表情をはっきりと浮かべたキサラギさんは、ゆっくりと左手を小指から内側に折り曲げていき、硬そうな拳を作り上げていった。
「生憎、剣は使えませんが・・・・・・拳を使いましょう」
まさか、『ハッケイ』と言う技、本来は握り締めた拳で繰り出す物なのか!?
掌と拳、どう考えたって、その威力は比べ物にならない。
全身から「ドッ」と勢いよく噴き出した冷たい汗が、粟立ってしまっている肌の上をゆっくりと流れ落ちていく。
完全に、左手を拳に変えたキサラギさんは緩慢な足取りで、その場から度を越えた恐怖で一歩も動けなくなってしまっているアタシに迫ってきていた。
その時だった、キサラギさんの背後の『死神』の姿が掻き消え、その代わりに、彼の全身を覆っていた黒い靄が、握られた左手に集まり出したではないか。
(こ、これが、星の数ほどはいる人間の戦士の中でも、筆舌尽くしがたい鍛錬を積んだ者だけが到達できると噂されている『闘気の操作』、そして、その中でも真に才に満ち、己の全てを『戦いの神』に捧げられた、一人握りの戦士だけが会得できる『闘気の圧縮』か!?)
カットラスを振れば十分に届く距離まで、キサラギさんが来た時、アタシはついに腹を括った。
(全世界格闘者ランキング第四位の一撃・・・・・・受けてやる、あぁ、受けてやるよ)
自殺行為だとは解っていた。
しかし、この状況で、尻尾を巻いて逃げ出すなど、誇り高きリザードマンたるアタシには出来るはずも無い、そんな考えが頭の中に浮かんだ時点でアタシは自分の腹をカットラスで裂くだろう。
掌の『ハッケイ』を受けただけで、アタシの腹筋は既にボロボロだ。下手をすれば、腹に風穴を開けられてしまう可能性はある。だが、
(もし、本気になってくれたキサラギさんの一撃を受けて、幸運にも命があったのなら・・・・・・アタシは今より、強くなれる、きっと!!)
半ば自棄になり、カットラスを捨てたアタシは両腕を横に伸ばし、両足を大きく広げて踏ん張った。そうして、尻尾を地面に深く突き刺し、限界寸前の腹筋に残っている力を惜しまずに込めた。
「見事です」
本当に嬉しそうな色を、無邪気な子供のように顔全体で笑ったキサラギさんの闘気を纏った左拳がビキリビキリと音を上げながら、更に硬く握り締め直された。
背中に走った鋭い痛みで目を覚ましたアタシ。
呻き声すら上げられないアタシの顔を覗き込んでいたのは無数の蛇。
ギョッとしたアタシがどうにか目だけを横に動かすと、そこには白衣に袖を通しているメデューサがいた。
「あら、起きたの? ここが何処か分かるかしら?」
言葉が出せないアタシは首だけを縦に振った。
「ちょっと診察させてね」とメデューサはアタシの瞼を引っ繰り返したり、口の中を覗き込んだりしてきた。
そうして、服の前を開けられた途端、腹に冷たい空気が触れて、アタシは思わず奥歯を食い縛ってしまう。
「あらら、痛そう」
「しゅーしゅー」と鳴いた頭の蛇まで憂いの表情を浮かべている。
上半身を起こせないので、どれだけのダメージが腹に刻まれているのかがアタシにはまるで解らない。だが、メデューサを見る限りでは、相当、酷いのだろう。
(生きてるだけでも驚きだけどな)
正直、キサラギさんが拳を引いたのを見た瞬間から、その後の記憶がさっぱり無い。恐らくは度を越えた衝撃で、記憶が一時的に欠落してしまっているのだろう。
(『次』の為に、ちゃんと思い出さないと)
「な」
「ん? どうしたの」
カルテに何かを書き込んでいたメデューサは、無意識の内に言葉を溢したアタシに頭の蛇を上げる。
「いえ、何でも・・・・・・そうだ、先生」
「何かしら?」
「私はどれくらいで退院できますかね?」
重傷患者とは思えない、私の質問に医師はギョッとしたようだったが、しばらく黙り込んでから、人差し指と中指を私の目前で立てた。
「二ヶ月ね、ただし、安静にしてればだけど」
「ぜ、絶対安静ですか?」
「勝手にトレーニングなんかしたら、容赦なく『石化邪視』からパイルドライバーのコンボをお見舞いするからね」
「シュー」と静かに細く鳴く蛇達の温度をまるで感じさせない目に睨み据えられたアタシは真っ青な顔で頷く。
「・・・・・・私は誰かに、ここに運ばれてきたんですか」
「えぇ、こぉんなに大きな剣と長い刀を持ったお兄さんが、貴女を担いできたのよ、アレと一緒にね」
医師の手を借りて身体を起こしたアタシは、引き攣った笑みを浮かべている彼女が体温計で指した窓の外に目をやって言葉を失った。
「ホント、吃驚したわ」
外の広場には、体長が3mはあろうかと言う、巨大な熊が四肢を投げ出していた。
一見しただけで、既に息は無いと解る。何せ、あるのは嘗めた皮だけ、中身は既に食われたのか、売られたか、いずれにしても熊は「からっぽ」にされていたのだから。
問題は、誰があんな大きな熊を仕留めたか、と言う事。もっとも、アタシにはその答えは解ったが。
「アレね、ここいらの山を少し前から荒らしてたのよ。
町の皆でお金を出し合って狩人を何度か雇ってみたんだけど、その度に返り討ちにされちゃってたの。
だから、今度は狩人をやってるワーウルフかオーガに頼むか。もし、それでも駄目なら魔王様に駄目もとで嘆願書を出そうかって相談してたんだけど、まさか、人間がねぇ」
どうやら、このメデューサはキサラギさんの正体を知らないようだ。それか、キサラギさんが名乗らなかったのか。
「それで、その人間、アレを貴女の治療費と入院代に当ててください、って私に頼んで、三日も前に町を出たわ」
「三日!?」
アタシはそんなに眠っていたのか。
(いや、それより)
キサラギさんに貸しを作ってしまった事が悔しくなったアタシは歯軋りを漏らした。途端、腹部に激痛が走る。
「あぁ、こらこら、興奮しちゃ駄目よ。
貴女、内臓がいくつか破裂してたんだから」
メデューサはアタシを窘めるように睨むと、点滴の準備を始めた。
「・・・・・・私をここまで運んできた人は、行き先を言ってましたか?」
「いいえ。知り合いなの? 貴女達」
少し迷ってから、首を縦に振ったアタシが落胆の色を濃くすると、メデューサは申し訳無さそうに目を伏せたが、不意にポンと手を打った。
「あ、でも、もうしばらくしたら、暑くなりそうだから、雪国にいる知り合いを尋ねたい、みたいな事は酒場で言ってたらしいけど・・・・・・」
北か、キサラギさんが向かったのは。
再挑戦を胸に誓ったアタシはグッと握り締めた拳を、天井を破らん勢いで突き上げた。
『アセロ・クエルポ』と言う字で呼ばれる事が多くなった、あるリザードマンの戦士が、魔物娘危険度ランキング三十位に、その名を刻まれるのは二年後の事。そして、その戦士が世界最強の剣士の『一番弟子』と巷で囁かれるのもその頃・・・・・・
「ようやく、見つけたぞ!!」
「リゼルさん、貴女も懲りませんねぇ。そろそろ、諦めてくださいよ。
これで何度目ですか?」
「懲りるか! 諦めるか! そして、十三回目だ!!
だが、今日こそ、右腕だけじゃなくて両腕を使わせてやるぞ」
ズガン!!
「うわっ!?
今のは『風刃(カマイタチ)』?
・・・・・・お前か!! 『三日月』のカンパネロ」
「待つ、キサラギの相手、お前じゃない、我、誇り高きマンティス族の戦士、カンパネロ」
「私はお前より、もっと前に負けてるんだ! この男に!1
私が先に勝つんだよ!! ・・・あ、今、お前、鼻で」
「無理。お前、弱い、我、修行、いっぱい、してきた。だから、今度こそ、勝つ」
「私が先だ!!」
「我」
「引っ込んでろ、この三白眼カマキリ!!」
「っつ!! 貧乳蜥蜴」
「てめぇ!? 人が気にしてるトコを言いやがったな、垂れ乳の分際で」
「お前、無駄に、硬いの、腹だけじゃない、オッパイも」
「―――・・・お二人とも」
バキッバキイッ
「来ないなら、私から行きますが・・・・・・良いですよね?」
「え」
「ちょ」
ドゴォォォォォン
「―――・・・そう、それが正解ですよ、リゼルさん、カンパネロさん。
一人じゃ太刀打ちできない相手なら、協力する。
例え、嫌いな相手でもお互いの欠点を補えるなら、尚更、ね」
(つまり、スピードは欠けるが、防御力の高い私が防いで)
(我が、その隙を突いて、死角に回り込んで、攻める)
「だけど、困りましたねぇ」
「?」
「!!」
(出た、六本腕の『死神』)
(『闘気の圧縮』・・・・・・)
「ちょっと、本気になりたくなっちゃいましたよ」
ビキビキビキビキ、ゴゴゴゴゴゴゴ
「今から十秒間、全力で二人の、お相手をします・・・・・・
全身全霊で凌いでくださいね、死にたくなかったら、そして、今この瞬間より高みを目指したいなら」
「応っっ」
「勝負」
「―――キサラギ・サイノメ、参る!!」
11/05/07 22:30更新 / 『黒狗』ノ優樹