Reason
暗闇の中を、軽装の一団が進む。
革鎧にパトリア教国を現す紋章が施され、手にはそれぞれ異なる武器を持っている。
この一帯は長らく未開だった為、道は無い。足は自然と、他よりは通りやすい獣道に向いていた。
「いる……のかな。本当に」
一人が口を開いた。声が少し震えている。
「いるに決まってるだろ。もう6人やられてるんだから」
「じゃ、いるとしたら、どんな形してるのかな」
「あ?」
「だって、南の魔物どもが悪魔とか怪物とか言って恐れてるって」
「ピート、お前なぁ……」
呆れたような声に構わず、ピートと呼ばれた男は喋り続ける。
「噂だと、奴らがいるあの大陸は海底火山が噴火してできた奴で、海の下のずーっと地底に住んでいた奴らが噴火と一緒にここまで上がってきたんだって」
「おい」
「地底はでっかい空洞になってて、あの怪物も元々はそこに住んでて、それをあいつらが飼い慣らして…」
「ピート、黙れ。敵に気づかれたらどうする」
囁きが大きくなってきた所で隊長が止めた。
「それに、全部噂だ。最初に国に来た使節はただの人間だったぞ。確かに変な術を使うが、お前が考えるような化け物じゃない」
ピートのすぐ前にいる男も同意する。
「それに奴ら、魔法は使えないって自分で言ったそうじゃねえか。昼にやられた奴らはともかく、こっちには魔導師サマがいる。なっ」
「………」
最後尾にいたローブを纏った者は、何も答えない。
「飼ってるペットが強いだけさ。人間は人間だよ」
「でも、7年前は…」
「そこまでだピート。教団の司教とかに聞かれたら、牢屋行きだぞ」
「ああ。俺らのすぐ近くにいるかもな」
「うっ……」
謎の敵よりも、現実にいる怖い人の名を出されては、パットも黙るしかなかった。
「…にしても隊長、このまま壁まで行くつもりですか?」
「いや、山1つ挟んだ所までだ。我々の任務はあくまで偵察と安全確保だからな」
「で、今ではたった1人とかくれんぼですか」
「奴が壁に行ってこの事を報告したら、作戦がバレる。全部水の泡だ」
「見つけたら英雄、逃がしたら最悪鉱山行きか…」
「…っ」
7年前に奴らの国に行って帰ってきた者たちの末路を考え、寒気を感じるピート。
すると、前の者にぶつかった。
「あ、ごめんレイド…」
だがレイドは答えない。自分の方を向いたまま立ち止まっている。
見ると、レイドだけではない。他の者たちもこっちを向いていた。
「な、何…」
と言いながら振り返ってみる。そこには、後ろにいた筈の魔導師のケイスがいない。
あの目立つローブは、20メートルほど先に落ちていた。
「ぁ…」
「広がれ、全周警戒だ。ピート、見に行け」
隊長の指示で喉まで出かけた悲鳴を飲み込み、ピートはケイスの所へと走る。
ケイスはピクリとも動かない。真夜中なうえに月の光すら頭上にある枝葉で遮られている今、見ただけでは生きているかどうかも分からない。
「ケイス、どうし…」
「ぐわっ…!」
ローブに手をかけようとした瞬間、今度は今さっき離れた隊の方から声がする。
顔を向けると、
「ファビアンを助けろ、早く!」
「野ろ、おぐぅ…!」
「レイド!」
黒い人影がレイドの後ろに回って腕を捻り上げていた。
道脇の草むらからはファビアンの足だけが覗いている。
「こ、この!」
「やめろ!」
隊長の制止より一瞬早く、セレーが持っていたボウガンを放ったが、その矢はレイドの胸に突き刺さった。
「がはっ!」
「あっ…」
「貴様っ…!」
人影は矢を掴んで抜こうとするレイドを盾にしたまま、手に持った杖を突き出す。
ぷしゅっ、ぷしゅっ、と空気が抜けるような音と共に、隊長とセレーが悲鳴も上げずに崩れ落ちた。
力尽きて項垂れたレイドの身体をその場に捨てた人影が、顔をこっちに向ける。
「け、ケイス起きろ! 皆が…!」
すぐ傍で倒れたままのケイスを起こそうとするピートだったが、掴んだ場所が生暖かい事に気づいた。
「え…まさか……」
ぬるついた感触と錆びた匂い。そしてそれは頭巾から染み出していた。
(もう、ぼく一人……!?)
「ひィッ…!」
現実を認識した瞬間、彼は剣を捨てて走り出していた。
「あれ」から早く逃れたい。鉱山送りになってもいい。「あれ」から逃げられるなら…
そこまで考えた時、不意に右足から力が抜けてその場に転んだ。
「うぐっ…あ」
立ち上がろうとしても、力が入らない。脚には小さな穴が空き、血が流れ出している。
それでも少しでもここから遠ざかろうと後ずさりするが、ふと正面に目を向けると、
黒い人影はレイドを捨てた所から一歩も動かず、こちらに向けて杖を構えていた。
(追いかける必要すらないんだ…)
今なら分かる気がする。あんな噂が立ったのも、魔物達が彼らを恐れるのも。
確かに人の形をしている。2本の腕に2本の脚、胴体の上に1つの頭。
しかし杖の奥で自分を見つめるその目は1つしかなく、水晶のように空虚な鈍い光を発していた。
「化け物……」
ぷしゅっ。
「…………クリア」
近くを通った捜索隊を全員倒し、彼はサイドアームの拳銃を下ろし、暗視装置も外した。
最後尾の魔導師を後頭部を撃って射殺。
草むらに一番近い者を不意打ちで引き込み銃剣で仕留める。
助けようとした者をボウガンの盾にする。
矢を再装填している間に剣持ちとボウガン持ちの2人を射殺。
そして最後に残った一人も始末する。
小銃は発砲音が大きくて他の部隊に気づかれる。サプレッサー(消音器)がついた武器は拳銃しかなかったのでうまくいくかどうかは分からなかったが、暗闇に助けられてなんとかなった。
(俺以外に1人でも生き残ってれば、もっと簡単に……)
そこまで考えた時、何かがこみ上げてくる。これまで任務に集中する事で忘れていた、自分以外皆死んだという現実が一気に実感として心にのしかかってきた。
「クソッ…クソックソッ……!」
近くにあった木を何度も殴る。
「なんで俺1人なんだよ…なんで俺なんだよ…!」
チームには自分の他に7人いた。
隊長のブルーノ・バンクスは前の世界の戦争を生き残った猛者だった。
副隊長のギレルモ・グティエレスは穏やかな性格だが間違いは厳しく指摘してその上でちゃんと解決法を教えてくれる、上官としても師としても憧れの存在だった。
クリス・チョウは先週結婚式を挙げたばかりで、ダニール・ドフスキーの息子はまだ1歳。
エイミー・アンガーマンは民間への再就職を控えていた。
フランコ・フィンツィとは釣りに行く約束をしていた。
そして、新兵訓練の頃からの同期で一番の親友でもあったエリック・イーガン。
皆こんなにあっけなく死んでいい筈がない。少なくとも自分なんかよりは生き残るべき人たちだ。そう思っていたのに。
2年間一緒にいたのに、もう誰もいない。
「ウソだよな皆……どこにいるんだよ……助けてくれ……」
休憩していた場所まで戻ってくると、コカトリスはまだそこにいた。
(待ってたのか…)
正直、1人で逃げてくれた方が良かった。その方が、壁まで行くのも楽になる。
「ただいま。あと、もう出発だ。道が込んでくる前に行くぞ」
しかし、声をかけても座って下を向いたまま動かない。
体調が悪いのかと思って近づくと、顔を上げた。
「……知ってたの?」
「…何?」
青年が行った後も、彼女の耳には彼の発した言葉がこびり付いていた。
『命取らなきゃいいってもんじゃねえだろうに』
頭の中でこの一言が延々くり返される。そして浮かぶのは、「なぜ」という疑問。
千数えろと言われた事も忘れてその意味を考え続ける。
だが、彼が戻ってきた事に気づいた時、漠然とした「なぜ」がはっきりとした形になった。
「魔物が人を殺さないって、知ってたの?」
「……ああ」
「知っててあんな事したの!? どうして!」
思わず声を荒げる。
彼女はさっきまで、G.U.Nの人間が激しく抵抗したのは『魔物は人を喰う、人類の天敵である』とする主神教と同じか、もしくは似た考えを持っているからだと思っていた。
加えて人ならざる侵略者によって絶滅しかけたという過去もあるから、突然攻めてきた過激派の魔物娘たちに対して『殺される』『滅ぼされる』と考え過剰反応するのも仕方ないと思った。
しかし、彼等が自分達の実情を知っていたというなら、話は変わってくる。
魔物は殺しを忌避する。襲って精を奪う事はあっても、殺す事まではしない。
たとえそれが戦争の中であってもなるべく殺さないように気を配り、その為に多くの対策を行ってきた。
全ては人間を愛し、大切に思っているから。
「知ってたのなら、あそこまでする必要なかったじゃない!」
5年前、戦いが終わり捕虜が返還された後もお姉ちゃんは帰って来なかった。
もしかしたら怪我をして帰れないのかもと考え各地の病院を探し回ったが見つからず、代わりに想像を絶する戦闘の爪痕を見ることになった。
死の種を埋め込まれ、怪物に身体を食い千切られた魔物娘が所狭しと並べられたベッドに寝かされて苦痛と恐怖に震えていた。
肉体の傷が癒えて故郷に帰った後も、心の傷は彼女たちを蝕み続ける。
男性の匂いが僅かにしただけで泣き叫ぶコボルドがいた。
肉が食べられなくなったワーウルフがいた。
全ての記憶を無くし幼児退行したアマゾネスがいた。
見た目には順調に回復し立ち直ったように見えたが、祭りの日に花火の音を聞いてトラウマが蘇り、往来で突然暴れだしたミノタウロスがいた。
「みんな、ただ旦那さんが欲しかっただけなのに!」
「…………」
涙を浮かべながらまくし立てるコカトリス。その叫びを黙って聞いていた彼だったが、内心には怒りが湧いていた。
(旦那さん……旦那さんだと…?)
魔物が人を殺さないのは戦争になる前から知られていた。
恐らく中立国に工作員を送り込んで情報を集めていたのだろう。基本的な情報は共有されていた。
戦争になった後も魔物が持っていた武器や魔法の特性、兵士の証言からそれが明らかになったし、実際の戦死者数が事前の予想よりもはるかに少なかった事がそれを何より雄弁に物語っていた。
だが、ゼロではない。
墜落したヘリと運命を共にした者。
炎上する車両に閉じ込められ丸焼きにされた者。
集積してあった弾薬や燃料に魔法が直撃し誘爆で肉片1つ残さず消し飛んだ者。
追い詰められ、手榴弾で魔物を道連れに自爆した者。
もちろん魔物だって完璧じゃない事は分かっている。間違いもするし失敗もするだろう。努力したが及ばなかったという事もあるだろう。それを責めるつもりはない。
許せないのは、5年前に攻めてきた理由だ。
人間の精を得る為というのは分かる。それが彼女たちの食料だというのも知っていた。
だが、それは精子からしか摂取できないという事ではない。普通の食料でも生命維持はできるし、代替手段もある。
それなのになぜわざわざ開拓地に攻め込み人間を襲ったのかというと捕虜から返ってきた答えは、
「人間の精子に含まれる精が何より美味だから」
「自分達の国には男が少なくてしかもほとんど既婚者だったから、夫を得るために来た」
今すぐなんとかしないと死ぬというほど切羽詰まっている訳でもないのに、グルメと男漁りというだけの理由で国家の未来を脅かされるなど、たまった物ではない。
殺さなければいいという話ではないのだ。
「誰も殺す気なんて無かったのに、あんなひどい事…!」
「うるせえ! 先に攻めて来たのはお前らだろうが!!」
気がついたら、彼は音を立ててはいけないという軍事行動の鉄則すら忘れて怒鳴っていた。
「お前らの婚活とやらのせいで、こっちは死にかけたんだよ!」
「さっき言った侵略者の攻撃で国土はボロボロになって、食い物も資源も水もない! 国民は皆その日のメシにも困ってた! 奴らがいなくなっても、このままじゃいずれ滅びるのは変わらない!」
転移した時点でのG.U.Nの人口は約3億人。それが元々3千万人しか住んでいなかった大陸にひしめき合っていた。物資が足りる訳がない。
「でもここには農業に向いた土地があって、俺達の生活に必要な石も金属も沢山埋まってた! ここを開拓する以外に生き残る道なんか無かったんだよ!」
政府は国家と人類の望みを、新しい未開の地に託した。残った資源と辛うじて生き残った専門知識を持つ人材を総動員し、全てのリソースを開発につぎ込んだ。
「採掘施設や農場ができた時、俺達は本当に安心したんだ。これでこの世界で生きていける。生活も良くなるし、侵略者に怯える事もない。もう一度やり直せるんだって。なのに……お前らが攻めてきた!」
稼動目前だった採掘使節は占領されて乱交会場になり、農地は汚染され、何より貴重な人材も拉致された。
すぐ手が届く所まで来ていた希望を突然横から奪われる。彼等にとってそれは、死刑宣告にも等しい。
「資源が無きゃ物は作れない! 売る物が無いから経済も回らない! それ以前に農地が奪われたら食い物も作れない! そしたらどうなるか分かるか?
3億人が、飢えて死ぬ!」
それ以前に食料を求める暴動もあちこちで起こっていた。僅かな資源を巡って国民同士が殺しあう内乱が起きるのも時間の問題であった。
「俺達が生き残る為には、一刻も早くあいつらを開拓地から追い出すしか無かったんだ……どんな手を使ってでも…!」
彼等が怒った理由に、コカトリスは言い返す事もできず、ただ俯くしかなかった。
停戦交渉の時に特使が言った「我々は生きたいだけだ。だが君達はその邪魔をする」とは、こういう事だったのだ。
先に言ってくれれば、他の道もあったかもしれない。だが、それはもう過去の話だ。
だったら、自分はどうすれば良かったのだろうか。
一緒に行けば、もしかしたら助ける事ができただろうか。
あるいは、泣きついてでも止めるべきだっただろうか。
また我慢していた涙が零れだした。
口からも、言葉があふれ出す。
「お姉ちゃんがっ…お姉ちゃんが壁の向こうにいるの……まだ帰って来ない……」
「サキュバスで、優しくて、料理も裁縫も上手で……いつも楽しそうに私の話を聞いてくれてた…落としたペンダントを拾っただけの私に、お菓子やアクセサリーの作り方も教えてくれた……」
友人であり、女性としての憧れでもあったお姉ちゃん。彼女にとっては、自分以上に幸せになって欲しい人だった。
「知り合いに誘われて、『誰も手をつけてない場所で、人間の男がいっぱいいるから、素敵な人が見つかるかも』って……」
「もう5年も経ってるのに、帰って来ないの……」
暫くすると、彼の知り得る答えが返ってきた。
「G.U.Nは、捕虜を全部返した。遺灰も遺品も。その後も、取り残された魔物は逐次保護し送還してる」
「死んだって証拠が無いなら、まだいるかもな。言えるのはそれだけだ」
空が明るくなってくる。
「行くぞ。だいぶ時間を食った。死にたくなければ、急ごう」
革鎧にパトリア教国を現す紋章が施され、手にはそれぞれ異なる武器を持っている。
この一帯は長らく未開だった為、道は無い。足は自然と、他よりは通りやすい獣道に向いていた。
「いる……のかな。本当に」
一人が口を開いた。声が少し震えている。
「いるに決まってるだろ。もう6人やられてるんだから」
「じゃ、いるとしたら、どんな形してるのかな」
「あ?」
「だって、南の魔物どもが悪魔とか怪物とか言って恐れてるって」
「ピート、お前なぁ……」
呆れたような声に構わず、ピートと呼ばれた男は喋り続ける。
「噂だと、奴らがいるあの大陸は海底火山が噴火してできた奴で、海の下のずーっと地底に住んでいた奴らが噴火と一緒にここまで上がってきたんだって」
「おい」
「地底はでっかい空洞になってて、あの怪物も元々はそこに住んでて、それをあいつらが飼い慣らして…」
「ピート、黙れ。敵に気づかれたらどうする」
囁きが大きくなってきた所で隊長が止めた。
「それに、全部噂だ。最初に国に来た使節はただの人間だったぞ。確かに変な術を使うが、お前が考えるような化け物じゃない」
ピートのすぐ前にいる男も同意する。
「それに奴ら、魔法は使えないって自分で言ったそうじゃねえか。昼にやられた奴らはともかく、こっちには魔導師サマがいる。なっ」
「………」
最後尾にいたローブを纏った者は、何も答えない。
「飼ってるペットが強いだけさ。人間は人間だよ」
「でも、7年前は…」
「そこまでだピート。教団の司教とかに聞かれたら、牢屋行きだぞ」
「ああ。俺らのすぐ近くにいるかもな」
「うっ……」
謎の敵よりも、現実にいる怖い人の名を出されては、パットも黙るしかなかった。
「…にしても隊長、このまま壁まで行くつもりですか?」
「いや、山1つ挟んだ所までだ。我々の任務はあくまで偵察と安全確保だからな」
「で、今ではたった1人とかくれんぼですか」
「奴が壁に行ってこの事を報告したら、作戦がバレる。全部水の泡だ」
「見つけたら英雄、逃がしたら最悪鉱山行きか…」
「…っ」
7年前に奴らの国に行って帰ってきた者たちの末路を考え、寒気を感じるピート。
すると、前の者にぶつかった。
「あ、ごめんレイド…」
だがレイドは答えない。自分の方を向いたまま立ち止まっている。
見ると、レイドだけではない。他の者たちもこっちを向いていた。
「な、何…」
と言いながら振り返ってみる。そこには、後ろにいた筈の魔導師のケイスがいない。
あの目立つローブは、20メートルほど先に落ちていた。
「ぁ…」
「広がれ、全周警戒だ。ピート、見に行け」
隊長の指示で喉まで出かけた悲鳴を飲み込み、ピートはケイスの所へと走る。
ケイスはピクリとも動かない。真夜中なうえに月の光すら頭上にある枝葉で遮られている今、見ただけでは生きているかどうかも分からない。
「ケイス、どうし…」
「ぐわっ…!」
ローブに手をかけようとした瞬間、今度は今さっき離れた隊の方から声がする。
顔を向けると、
「ファビアンを助けろ、早く!」
「野ろ、おぐぅ…!」
「レイド!」
黒い人影がレイドの後ろに回って腕を捻り上げていた。
道脇の草むらからはファビアンの足だけが覗いている。
「こ、この!」
「やめろ!」
隊長の制止より一瞬早く、セレーが持っていたボウガンを放ったが、その矢はレイドの胸に突き刺さった。
「がはっ!」
「あっ…」
「貴様っ…!」
人影は矢を掴んで抜こうとするレイドを盾にしたまま、手に持った杖を突き出す。
ぷしゅっ、ぷしゅっ、と空気が抜けるような音と共に、隊長とセレーが悲鳴も上げずに崩れ落ちた。
力尽きて項垂れたレイドの身体をその場に捨てた人影が、顔をこっちに向ける。
「け、ケイス起きろ! 皆が…!」
すぐ傍で倒れたままのケイスを起こそうとするピートだったが、掴んだ場所が生暖かい事に気づいた。
「え…まさか……」
ぬるついた感触と錆びた匂い。そしてそれは頭巾から染み出していた。
(もう、ぼく一人……!?)
「ひィッ…!」
現実を認識した瞬間、彼は剣を捨てて走り出していた。
「あれ」から早く逃れたい。鉱山送りになってもいい。「あれ」から逃げられるなら…
そこまで考えた時、不意に右足から力が抜けてその場に転んだ。
「うぐっ…あ」
立ち上がろうとしても、力が入らない。脚には小さな穴が空き、血が流れ出している。
それでも少しでもここから遠ざかろうと後ずさりするが、ふと正面に目を向けると、
黒い人影はレイドを捨てた所から一歩も動かず、こちらに向けて杖を構えていた。
(追いかける必要すらないんだ…)
今なら分かる気がする。あんな噂が立ったのも、魔物達が彼らを恐れるのも。
確かに人の形をしている。2本の腕に2本の脚、胴体の上に1つの頭。
しかし杖の奥で自分を見つめるその目は1つしかなく、水晶のように空虚な鈍い光を発していた。
「化け物……」
ぷしゅっ。
「…………クリア」
近くを通った捜索隊を全員倒し、彼はサイドアームの拳銃を下ろし、暗視装置も外した。
最後尾の魔導師を後頭部を撃って射殺。
草むらに一番近い者を不意打ちで引き込み銃剣で仕留める。
助けようとした者をボウガンの盾にする。
矢を再装填している間に剣持ちとボウガン持ちの2人を射殺。
そして最後に残った一人も始末する。
小銃は発砲音が大きくて他の部隊に気づかれる。サプレッサー(消音器)がついた武器は拳銃しかなかったのでうまくいくかどうかは分からなかったが、暗闇に助けられてなんとかなった。
(俺以外に1人でも生き残ってれば、もっと簡単に……)
そこまで考えた時、何かがこみ上げてくる。これまで任務に集中する事で忘れていた、自分以外皆死んだという現実が一気に実感として心にのしかかってきた。
「クソッ…クソックソッ……!」
近くにあった木を何度も殴る。
「なんで俺1人なんだよ…なんで俺なんだよ…!」
チームには自分の他に7人いた。
隊長のブルーノ・バンクスは前の世界の戦争を生き残った猛者だった。
副隊長のギレルモ・グティエレスは穏やかな性格だが間違いは厳しく指摘してその上でちゃんと解決法を教えてくれる、上官としても師としても憧れの存在だった。
クリス・チョウは先週結婚式を挙げたばかりで、ダニール・ドフスキーの息子はまだ1歳。
エイミー・アンガーマンは民間への再就職を控えていた。
フランコ・フィンツィとは釣りに行く約束をしていた。
そして、新兵訓練の頃からの同期で一番の親友でもあったエリック・イーガン。
皆こんなにあっけなく死んでいい筈がない。少なくとも自分なんかよりは生き残るべき人たちだ。そう思っていたのに。
2年間一緒にいたのに、もう誰もいない。
「ウソだよな皆……どこにいるんだよ……助けてくれ……」
休憩していた場所まで戻ってくると、コカトリスはまだそこにいた。
(待ってたのか…)
正直、1人で逃げてくれた方が良かった。その方が、壁まで行くのも楽になる。
「ただいま。あと、もう出発だ。道が込んでくる前に行くぞ」
しかし、声をかけても座って下を向いたまま動かない。
体調が悪いのかと思って近づくと、顔を上げた。
「……知ってたの?」
「…何?」
青年が行った後も、彼女の耳には彼の発した言葉がこびり付いていた。
『命取らなきゃいいってもんじゃねえだろうに』
頭の中でこの一言が延々くり返される。そして浮かぶのは、「なぜ」という疑問。
千数えろと言われた事も忘れてその意味を考え続ける。
だが、彼が戻ってきた事に気づいた時、漠然とした「なぜ」がはっきりとした形になった。
「魔物が人を殺さないって、知ってたの?」
「……ああ」
「知っててあんな事したの!? どうして!」
思わず声を荒げる。
彼女はさっきまで、G.U.Nの人間が激しく抵抗したのは『魔物は人を喰う、人類の天敵である』とする主神教と同じか、もしくは似た考えを持っているからだと思っていた。
加えて人ならざる侵略者によって絶滅しかけたという過去もあるから、突然攻めてきた過激派の魔物娘たちに対して『殺される』『滅ぼされる』と考え過剰反応するのも仕方ないと思った。
しかし、彼等が自分達の実情を知っていたというなら、話は変わってくる。
魔物は殺しを忌避する。襲って精を奪う事はあっても、殺す事まではしない。
たとえそれが戦争の中であってもなるべく殺さないように気を配り、その為に多くの対策を行ってきた。
全ては人間を愛し、大切に思っているから。
「知ってたのなら、あそこまでする必要なかったじゃない!」
5年前、戦いが終わり捕虜が返還された後もお姉ちゃんは帰って来なかった。
もしかしたら怪我をして帰れないのかもと考え各地の病院を探し回ったが見つからず、代わりに想像を絶する戦闘の爪痕を見ることになった。
死の種を埋め込まれ、怪物に身体を食い千切られた魔物娘が所狭しと並べられたベッドに寝かされて苦痛と恐怖に震えていた。
肉体の傷が癒えて故郷に帰った後も、心の傷は彼女たちを蝕み続ける。
男性の匂いが僅かにしただけで泣き叫ぶコボルドがいた。
肉が食べられなくなったワーウルフがいた。
全ての記憶を無くし幼児退行したアマゾネスがいた。
見た目には順調に回復し立ち直ったように見えたが、祭りの日に花火の音を聞いてトラウマが蘇り、往来で突然暴れだしたミノタウロスがいた。
「みんな、ただ旦那さんが欲しかっただけなのに!」
「…………」
涙を浮かべながらまくし立てるコカトリス。その叫びを黙って聞いていた彼だったが、内心には怒りが湧いていた。
(旦那さん……旦那さんだと…?)
魔物が人を殺さないのは戦争になる前から知られていた。
恐らく中立国に工作員を送り込んで情報を集めていたのだろう。基本的な情報は共有されていた。
戦争になった後も魔物が持っていた武器や魔法の特性、兵士の証言からそれが明らかになったし、実際の戦死者数が事前の予想よりもはるかに少なかった事がそれを何より雄弁に物語っていた。
だが、ゼロではない。
墜落したヘリと運命を共にした者。
炎上する車両に閉じ込められ丸焼きにされた者。
集積してあった弾薬や燃料に魔法が直撃し誘爆で肉片1つ残さず消し飛んだ者。
追い詰められ、手榴弾で魔物を道連れに自爆した者。
もちろん魔物だって完璧じゃない事は分かっている。間違いもするし失敗もするだろう。努力したが及ばなかったという事もあるだろう。それを責めるつもりはない。
許せないのは、5年前に攻めてきた理由だ。
人間の精を得る為というのは分かる。それが彼女たちの食料だというのも知っていた。
だが、それは精子からしか摂取できないという事ではない。普通の食料でも生命維持はできるし、代替手段もある。
それなのになぜわざわざ開拓地に攻め込み人間を襲ったのかというと捕虜から返ってきた答えは、
「人間の精子に含まれる精が何より美味だから」
「自分達の国には男が少なくてしかもほとんど既婚者だったから、夫を得るために来た」
今すぐなんとかしないと死ぬというほど切羽詰まっている訳でもないのに、グルメと男漁りというだけの理由で国家の未来を脅かされるなど、たまった物ではない。
殺さなければいいという話ではないのだ。
「誰も殺す気なんて無かったのに、あんなひどい事…!」
「うるせえ! 先に攻めて来たのはお前らだろうが!!」
気がついたら、彼は音を立ててはいけないという軍事行動の鉄則すら忘れて怒鳴っていた。
「お前らの婚活とやらのせいで、こっちは死にかけたんだよ!」
「さっき言った侵略者の攻撃で国土はボロボロになって、食い物も資源も水もない! 国民は皆その日のメシにも困ってた! 奴らがいなくなっても、このままじゃいずれ滅びるのは変わらない!」
転移した時点でのG.U.Nの人口は約3億人。それが元々3千万人しか住んでいなかった大陸にひしめき合っていた。物資が足りる訳がない。
「でもここには農業に向いた土地があって、俺達の生活に必要な石も金属も沢山埋まってた! ここを開拓する以外に生き残る道なんか無かったんだよ!」
政府は国家と人類の望みを、新しい未開の地に託した。残った資源と辛うじて生き残った専門知識を持つ人材を総動員し、全てのリソースを開発につぎ込んだ。
「採掘施設や農場ができた時、俺達は本当に安心したんだ。これでこの世界で生きていける。生活も良くなるし、侵略者に怯える事もない。もう一度やり直せるんだって。なのに……お前らが攻めてきた!」
稼動目前だった採掘使節は占領されて乱交会場になり、農地は汚染され、何より貴重な人材も拉致された。
すぐ手が届く所まで来ていた希望を突然横から奪われる。彼等にとってそれは、死刑宣告にも等しい。
「資源が無きゃ物は作れない! 売る物が無いから経済も回らない! それ以前に農地が奪われたら食い物も作れない! そしたらどうなるか分かるか?
3億人が、飢えて死ぬ!」
それ以前に食料を求める暴動もあちこちで起こっていた。僅かな資源を巡って国民同士が殺しあう内乱が起きるのも時間の問題であった。
「俺達が生き残る為には、一刻も早くあいつらを開拓地から追い出すしか無かったんだ……どんな手を使ってでも…!」
彼等が怒った理由に、コカトリスは言い返す事もできず、ただ俯くしかなかった。
停戦交渉の時に特使が言った「我々は生きたいだけだ。だが君達はその邪魔をする」とは、こういう事だったのだ。
先に言ってくれれば、他の道もあったかもしれない。だが、それはもう過去の話だ。
だったら、自分はどうすれば良かったのだろうか。
一緒に行けば、もしかしたら助ける事ができただろうか。
あるいは、泣きついてでも止めるべきだっただろうか。
また我慢していた涙が零れだした。
口からも、言葉があふれ出す。
「お姉ちゃんがっ…お姉ちゃんが壁の向こうにいるの……まだ帰って来ない……」
「サキュバスで、優しくて、料理も裁縫も上手で……いつも楽しそうに私の話を聞いてくれてた…落としたペンダントを拾っただけの私に、お菓子やアクセサリーの作り方も教えてくれた……」
友人であり、女性としての憧れでもあったお姉ちゃん。彼女にとっては、自分以上に幸せになって欲しい人だった。
「知り合いに誘われて、『誰も手をつけてない場所で、人間の男がいっぱいいるから、素敵な人が見つかるかも』って……」
「もう5年も経ってるのに、帰って来ないの……」
暫くすると、彼の知り得る答えが返ってきた。
「G.U.Nは、捕虜を全部返した。遺灰も遺品も。その後も、取り残された魔物は逐次保護し送還してる」
「死んだって証拠が無いなら、まだいるかもな。言えるのはそれだけだ」
空が明るくなってくる。
「行くぞ。だいぶ時間を食った。死にたくなければ、急ごう」
17/04/16 19:58更新 / 貧弱マン
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