滑り唄

 能見は恐怖していた。
 己を追う小さな、それでいて耳に響いてくる足音にだ。

 ひた、ひた。

 まただ、と能見は体を強張らせた。
 夜の帰り道、この湿ったような足音が聞こえるようになってから今日で三週間が経つ。
 学校から自宅に至るまでの一時間、陽が完全に沈んだ夜の帳の中でのみ聞こえてくるこの足音が、能見の精神を少しずつ蝕んでいた。

 足音の正体を突き止めようとしたことは一度や二度ではないが、結果的に人影すら見つけられないまま今に至る。
 親や担任、警察に相談しようにも、足音の正体を知らないのではただの考えすぎだと一蹴されてしまうと考え、これまで誰にも相談したことはなかった。

 今日もまた自宅へと帰り着くまで、能見は恐怖に震え歩き続けていた。

 ◆

 昼休み、能見は一人寂しく屋上で昼食をとっていた。
 元々、友人がいないことに加え、件の恐怖体験で人間不信気味になってしまっているためだ。
 一人でいることが怖いのに、人そのものが怖い。悪循環だった。

 そんな時、後ろでがたりと扉が開く音がした。能見は絶叫しそうになるのを堪えた。
 おそるおそる後ろを覗くと、そこにいたのは能見がよく知る一人の女生徒だった。

 「古海(うるみ)……」
 「こんにちは、先輩」

 古海と呼ばれたその女は、いかにも陰気な女だった。
 目は前髪に隠れ、姿勢は猫背気味。奇妙なゆらぎを感じるような歩き方で能見の方へと向かう姿は不安定な印象しかもたらさない。

 能見にとって古海という女は、よくわからない存在だった。
 以前、世話になったことがあるのだと能見は説明されたが、まったく記憶になかった。
 それでも世話になったのは事実だからと、頻繁に接触してくるようになり、今に至っている。
 
 古海は能見と何か言葉を交わすということもなく、ただそばにいるだけだった。
 それが能見にはとても奇妙に見えて、以前はあまり好ましくは感じていなかった。
 しかし、今の不安定な心理状態では、親以外で唯一心を許すことの出来る人間となっていた。

 「先輩、顔色が……。大丈夫ですか?」
 「そうだね、ちょっとね……。でも大丈夫だよ」

 呟くように発せられた言葉に、能見は嘘を吐く。
 己の身を案じてくれる後輩を心配させたくなかったのだ。
 古海もそれ以上は何も詮索してこなかった。そして、自分の弁当に箸をつけ始める。

 一目で常人よりも遥かに長いとわかる舌を使って奇妙な食べ方をする古海が、出会った当初の能見には非常に行儀が悪く見えたが、注意してもやめないのでいつしか気にすることをやめた。
 なんとなく食事をする様を観察していると、それは能見にとある過去の記憶を思い起こさせた。

 数年前まで住んでいた実家近くを能見が散歩していた時のことだった。
 何気なくふと目線を下に向けると、目に見えて弱った蛙がいたのだ。
 普段であればそのようなものを見つけても見て見ぬふりをするのが常だったが、その時いた場所が川のほとりであったこともあり、蛙を川に戻してやった。
 特に問題もなさそうに動き出したのを見て、能見は散歩を再開した。

 昼休みの終わりを告げるチャイムが校内に鳴り響き、能見の意識は現実へ引き戻された。

 「じゃあ、またね」
 「はい」

 短く言葉を交わし、二人は別れた。

 ・

 ・

 ・

 その日の帰り道に散々己を悩ませた足音が一切聞こえなかったことに安堵した能見は、夕食もそこそこに眠りに就いた。最近は寝不足だったからだ。

 能見は夢を見ていた。
 夢の中で、能見は女生徒と話をしている。誰とも知らぬ女生徒と親しそうにしていることを、能見は一切疑っていなかった。
 顔がぼやけていたが、なんとなく笑っているような気が能見はした。

 二人の間には怪しい雰囲気が漂っていた。
 能見と女生徒の唇は徐々に近づいて、果てに口づけを交わした。
 啄むような口づけは段々とその激しさを増し、舌が絡み合う感触は能見にとって甘美の極みだった。

 しばらくして女生徒がその場に屈み、能見の一物をズボンから取り出し始める。
 女生徒がうっとりとした表情になっている気がして、能見は自身の男性的な征服感が増大するのを感じた。
 そして、女生徒は一物を一息に飲み込み、能見は震えるような快感に支配された。

 間髪入れずにフェラチオが始まり、一物に絡まる舌は腰が抜けてしまうほどの猛烈な快感を能見にもたらした。
 一分と経たず能見は精を吐き出し、女生徒はそれを嬉々として飲み込んでいく。

 一度射精したにもかかわらず、能見の一物はその巨大さを失っていなかった。
 たまらなくなったかのように女生徒は能見に跨り、そして躊躇なくその濡れそぼったヴァギナへと一物を誘った。

 己の分身がとろけてしまうと感じるほどの快楽が能見を襲う。それがたまらなく素晴らしいものに感じられ、能見は快楽に身を委ねた。先程に感じた征服感など欠片も残っていなかった。

 陰部が糸を引きながら粘着質な音を立ててお互いを貪り合っているその様は興奮を助長させた。途端に性感が刺激され、射精感がこみ上げてきた。能見はふと真横にある女生徒の顔を見た。

 垣間見えた女生徒の顔は、人間のものではなかった。長い長い舌を垂らした蛙だった。

 「ふひひっ」

 異形の相貌と暗く響くような笑い声は、能見を飛び起きさせた。
 滝のような汗が流れ、猛烈な倦怠感があった。

 ふと能見が辺りを見回すと、開け放たれた窓が目に入った。
 そして、己の腰周りには夥しい量のどろりとした粘液がまとわりついていた。

 ◆

 あの日から、能見は部屋に引きこもっていた。
 恐怖によるストレスがピークに達してしまったのだ。
 今は落ち着いているが、何もする気が起きず、家の中でぼうっとする毎日を送っていた。

 そんなある日の午後、来客を告げるインターホンの音が能見の耳に届く。
 能見は玄関へと向かった。応対などできる精神状態ではないため、確認を行なうだけだが。

 能見は覗き穴から外を見たが、そこには誰もいない。
 いたずらだったのだろうかと踵を返そうとしたその時、目が覗き穴を埋め尽くしたのだ。
 
 能見は声にならない叫びを上げる。
 もはや耐えられないとばかりに部屋へ戻ろうとしたその時、馴染みのある声が聞こえた。
 
 「せんぱぁい、いますかぁ」

 それは古海の声だった。能見は筆舌に尽くしがたいほどに安堵した。
 能見はすぐさまドアを開け、古海は自宅へと招き入れた。

 ・

 ・

 ・

 能見は寝室にいた。
 憔悴しきった能見を見て、古海が大事を取って休ませたからだ。
 今は、能見の状態を見兼ねて古海が作った軽食を手ずから食べさせてもらっている。

 「本当にごめんね、こんなことさせて」
 「構いませんよ、好きでやってることですから」

 食事を終え、能見に睡魔がやってきた。

 「ごめん、古海……」
 「構いませんよ、傍にいますから。ゆっくり休んでください」

 横になるよう古海に促され、能見は久しぶりに心の底から安らいだまますぐに眠りに就いた。

 獲物を食らう獣の如き熱い瞳に見つめられていることに気づかぬまま。

 ◆

 ぐちゅ、ぬりゅ。

 目が覚めた能見には違和感があった。
 夜になるまで眠ったにも関わらず、体が倦怠感に満ちている。
 それに先程から鼓膜を刺激するこの粘ついた音は。
 そして、股間から絶え間なく襲ってくるこの快楽は。

 「……っ」

 眠気と倦怠感と快楽によって緩慢になっている腕をどうにか動かし、能見は掛け布団をめくる。

 「んぶぅ……じゅる……♥」

 そこにいたのは、夢で見た蛙顔の女だった。

 「ひっ!……ぃいっ!?」

 怖い。気持ちいい。
 今すぐにでも逃げ出したい。だけど逃げられない。
 身がすくんで、尋常でない力でしがみつかれているからだ。

 そうこうしている内に、能見は射精した。
 未だかつてない感覚に能見は気が遠くなりそうだった。
 女は能見の吐き出す精を愛おしそうに飲み干していく。

 「んふっ、ふひひっ……」

 能見が脱力していると、顔に不気味な笑みを浮かべながら蛙顔の女は能見へとまたがった。
 そのままヴァギナへと一物を収め、立て続けに起こる絶大な快楽は能見の頭部に鈍痛を感じさせる。

 「いひっ、はっ、んうぅ♥」

 心底嬉しそうに、気持ちよさそうに、だらしない表情で蛙顔の女は快楽を貪っている。
 ぱんぱん、と肉と肉がぶつかり合う生々しい音を響かせて、リズミカルに淫らな声をあげるその様は、まるで唄でも歌っているように能見には思えた。

 能見の思考は段々とまとまらなくなり、女のようにただ快楽を貪るようになっていった。
 ひとりでに腰が動き、互いがより気持ちの良い点を探り合うかのような動きへと変化していった。

 犯されているのに、おかしくなったのだろう。
 そのように上手く働かない頭で結論づけると、能見の意識は朦朧としてきた。

 薄れていく意識の中、己の射精感と女の絶頂だけが能見には感じ取れた。

 ◆

 「能見のやつ、最近学校来ないな」
 「いつも一緒にいたって言われてる女の子も見かけないらしいよ」
 「へぇ」
 「しかも噂ではその子、この学校の生徒じゃないんだってさ」
 「ははは、ホラーじゃないんだから。ありえないだろ」
 「だよねぇ」

16/04/01 23:58 廃屋


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