おばあちゃんのお話
「うわ、すごい恰好のわっ!?」
「はっ、はっ……ノフィのばかぁ……❤」
それは、ノフィと初めて身体を交わらせた日。
「ら、らってぇ、ノフィのおちんちんがあったんだもん♪ ずぽずぽしたかったんだもん♪」
「ふっ、ふぅぅっ、ぅあっ!」
「もっとノフィの精液欲しい! 好きな人の子供、欲しい! わおおぉぉぉんっ❤」
今までずっと我慢してきたノフィと、ようやく子作りをする事ができた私は、嬉しさのあまりずっと乱れ狂うようにノフィと交わった。
後ろから犯されたり、自分が上になって腰を振ったりと、盛りに盛った。
「なんか、リムの母親の形見だとかなんとか……っておい!?」
「う……うぅ……おかあさぁん……わあああああっ!」
「お、おい! 大丈夫か?」
「うっひっく……ふわああああんっ!」
その途中、渡されたのはお母さんの形見の指輪。
嬉しかったり寂しかったり、いろんな感情が混ざり合って、私は大泣きした。
「というかルネ先生って今何歳だ?」
「え……さあ?」
「さあ……って、リムも知らないのかよ」
「うん。言われてみれば、なんだかんだ教えてもらった事ないよ」
そして……ピロートークの最中、突然浮かんだお婆ちゃんに対する疑問。
教えてくれない年齢、変わらない見た目、そして何より、噛んだのに魔物化しないし、その時感じた変な血の味。
なるべく気にしないようにしながらも、ずっと心に引っ掛かり続けていた。
そしてその疑問は、村が変わる事を告げられた日に、確証へと変わっていったのだった……
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「こーんにーちはー!」
「あっパンさん! こんにちは!」
「やっほーリムちゃん!」
ノフィと交わったからか数日間伸びた発情期も終わった、とある日の午前。
今日は診療所がお休みの日であり、パンさんが来る日でもあった。
「あれ? ノフィ君もいるじゃん! こんにちは!」
「こんにちはパンさん」
今日は診療所にノフィもいる。
というか、初めて身体を交わらせた日から、ほぼずっとこの診療所にいる。
もちろん時々荷物を取りに行ったりと家に帰っているが……発情期で診療所の手伝いをしばらくしていなかった事もあり、大体は診療所にいて、二人でイチャイチャしたり、大事なお話をしている。
「そうそう、ノフィ君にも聞いておきたいことがあったんだけど……」
「リムと一緒に行くかどうかって話ですか? それならもうちょっと待って下さい。一応付いていく方向で考えてますが、まだ不安もあって固まってないので……」
「そっか。まあ、たぶんその不安もすぐ無くなるとは思うけど……それはまた後で。とにかく、一応ノフィ君の部屋とか、こっち来てからやってもらいたい事とかも用意はしてあるから、リムちゃんがわたしのところに行くまでの残り約3ヶ月の間で決めといてね」
「はい。わかりました」
大事なお話というのが、この事である。
この先私は医者になるための勉強をする間、パンさんのところでお世話になる。その時、ノフィはどうするのかという事だ。
私としては一緒に来てほしいと思っている。ずっとそう思っていたし、ノフィの精の味を知ってしまった今、ノフィなしというのは物凄い拷問のように思えてしまうからだ。
「あれ? くんくん……二人とも、セックスしたでしょ?」
「うえっ!? な、何の話だか……」
「誤魔化そうとしたって無駄よ。そういうのわかるんだから。セックス済みなのに付いてこないってどういう事よ? ノフィ君にしたって、リムちゃんがいないと辛いわよ?」
パンさんの言う通り、ノフィだって辛いからできれば付いていきたいとは考えてくれている。
数日間ならともかく、インキュバスになった男性が何か月もパートナーの魔物と性交しないで過ごすなんて不可能に近いのだから。
「それはわかってるんですが……やっぱり、自分の家族の事も心配ですから……」
「……やっぱりね。まあ、わたしはそういう家族の事もきちんと考えられる男、好きよ」
「ど、どうも……」
「でも、リムちゃんも互いに愛し合いながら身体を交わらせた以上家族みたいなものなんだから、リムちゃんの事も優先してあげなさいよ」
「は、はい」
しかし、ノフィにはノフィの都合もある。
今ノフィのとこの家業である畑仕事は、ノフィが中心になっている。まだ身体がそこまでできていない弟妹や、初老の両親だけで畑をやっていくのは大変だ。
だからこそ、ノフィが家族に伝えてある建前通り、どうすればその問題が解決するか、本当についていったほうが良いのか、などを泊まり込んでまでじっくりと考えているのだ。
「パンさんにノフィはあげませんよ!」
「やだなあ好きってそういう意味じゃないよリムちゃん。意外と独占欲強いんだね」
「わ、わうう……だってパンさん、可愛いから……」
「ふふふ、ありがと。それでさ、ルネちゃん達のところに案内してくれる? ちょっと急ぎの要件があるのよね」
とりあえずこの件は置いといて、私達はパンさんを客間まで案内する。
お婆ちゃんやスノア兄ちゃんは今パンさんを招く準備をしていたところだ。ちょっとお話してたし、そろそろ終わっただろう。
「お婆ちゃん! パンさん連れてきたよ!」
「こんにちはルネちゃん!」
「おおパンさん。こんにちは。リムちゃんとノフィちゃんも案内ありがとうね」
客間では、椅子や机を整え終えたお婆ちゃんが待っていた。
スノア兄ちゃんが居ない事を考えると、まだお茶の準備をしているのだろう。
「はいこれ。いつものと、こっちが頼まれてたものね」
「おお。いつもすまんのうパンさん」
「いいってもんよ!」
今日は何か急ぎの要件があるみたいだが、スノア兄ちゃんが居ないからかいつも通り何かの袋をお婆ちゃんに渡すパンさん。
毎度お婆ちゃん用に渡している物があるが、それが何なのかは私は知らない。
お婆ちゃんは全く教えてくれないし、パンさんもお婆ちゃん用の栄養剤みたいなものとしか言わないから、詳しくはわかっていない。
ずっと気になっているが、教えたくなさそうなのでしつこくは聞けなかった。
「お待たせしました。お茶とお菓子持ってきました」
「ありがとうスノア君。早速いただくわね」
お婆ちゃんに荷物を渡したところで、お茶とお手製ケーキを人数分持ってきたスノア兄ちゃんが部屋に入ってきた。
「いつもありがとうございますパンさん。ではこれを倉庫に……」
「あーごめんスノア君。ちょっと急いで伝えたい事があるから席についてもらっていい?」
「あ、はい。わかりました」
やはり何か緊急性のある話があるみたいで、貰った物を置きに行こうとしたスノア兄ちゃんを引き留めて座らせた。
「何かあったのですかいの?」
「ああうん。ちょっと言い辛いんだけどね……まあ、ある意味ノフィ君には朗報かも」
「え?」
「ま、朗報ってのもわたしやリムちゃんの視点であって、たぶんノフィ君も困るとは思うけどね……」
「へ?」
そして、いつになく真剣な表情で話し始めた。
「それで、いったい何が……」
「結論だけ先に言うと、今日から数日以内に……この村は魔界に堕ちる」
「……は?」
もうすぐこの村が、魔界になってしまう事を。
「ちょ、ちょっと待って下さい。今なんと……」
「だから、この村は数日以内に魔界になるって言ったの。多分、もう防ぐ事はできないよ」
「また急だねぇ……」
「まあね。この前バーで飲んでたら既に手を打ってあると言われたもんでね……相手は過激派のリリムだったし、どこぞの四女よりはマシでもわたしじゃ止めるなんてできっこないもの」
「リリムが……ですか……」
どうやら、この村はリリムに目を付けられてしまったらしい。あまりにも唐突で、私は驚きのあまり固まってしまった。
過激派……というのはよくわからないが、話からして無理やり人間を魔物にしたり、魔界に変える人達の事を言うのだろう。
深刻な事態に、お婆ちゃんやスノア兄ちゃんにも緊迫の表情が浮かぶ。言葉がうまく出てこないようだ。
「あの〜……リリムって何者なんですか?」
「ああ、ノフィ君は知らないんだ。サキュバスの一種で、魔王の娘達の総称よ」
「ま、魔王の娘!? そんな凄いのにこの村が狙われているんですか!?」
「そう。だから魔界に堕ちるって断言してるわけ。わたしはそういう無理矢理やるの嫌いなんだけどねぇ……流石に相手が悪いから指を咥えて見てるしかないわけ」
一人ポケーっとしていたノフィは、やはり話をよくわかっていなかったみたいだ。
それでも、リリムが魔王の娘の事だとわかると、少しは事の重大さが伝わったようだ。
「そ、その……魔界になると、どうなるんですか?」
「そうねえ……人間の視点で言うと、常に薄暗くて空気も重く草木が禍々しい物になり皆魔物になっちゃうって感じかな?」
「え、ええええええっ!?」
「まあ、魔物の視点だと外観についてはただの美しい景色にそして暮らしやすい環境になるだけだから、大まかな問題点としては強制的に魔物になっちゃう事だけかな」
そう、この村が魔界化するという事は……村の人たち全員が、否が応でも魔物になってしまうという事だ。お婆ちゃんも、ノフィのお母さんや妹も全員魔物になる。
魔物である私はそこまで気にする事じゃないけど、反魔物領であるこの村において、それはあまりにも残酷な事なのかもしれない。
「流石にちょっと困るのう……まあでも、相手がリリムならパンさんも止められんだろうし、仕方ないのぉ……」
「そういう事。相手が相手だし、そのリリムの口ぶりからしてもう既に何人か魔物にされてるかもしれないけど……もし、人間のままでいて欲しい人がいるなら、今日明日のうちにこの村から遠ざける事ね」
「そ、そんないきなり言われても……どうしてもっと早く教えてくれなかったのですか!」
「まあまあノフィ君。パンさんが教えてくれなかったらいきなり当日だったわけだしさ」
「そ、そうですけど……今日明日で遠くに行けだなんて……畑もあるのに……」
実際、ノフィはかなりショックを受けているようだ。
私と性行為もしたし、あまり神を信用してないし、最近は魔物寄りの考えになっていたとはいえ、ノフィ自身反魔物領の人間として育ってきたから、やはり家族が魔物になる事に抵抗はあるのだろう。
「でもノフィ君的には良い事だと思うけどなぁ……」
「え? 最初にも言ってましたが、それってどういう事ですか?」
でも、パンさんが言う通り、それなら結構ノフィにとっては良い事だと、私も思う。
「だってノフィ君、結局リムちゃんとセックスしちゃったんでしょ? 相手が魔物だからマズいって今までこっちがイライラするぐらいには我慢してたのにさ」
「え、ええ、まあ……」
「それって村の人達が白い目で見てくるかもしれないからでしょ?」
「はい。でもこのままじゃダメだと思って、最悪村八分になる覚悟を決めて……」
「でも、その村人達も魔物になるんだったら、誰もそんな文句言わないじゃない」
「そ、そうかもしれませんが……」
「それにさ、ノフィ君の親御さんだって、魔物に成っちゃえばその分若々しく、さらに人間だった時より力も体力もつく。家庭の事情もなくなってリムちゃんと一緒に来放題じゃん! 悩み事全部解決万々歳よ!」
「ま、まあ、そうなのかもしれませんが……」
村が魔界になる事で、今抱えている問題の大半が解決するからだ。
ここ数日の間は性行為した事がバレたら怖いとビクビクしていたが、周りも魔物であれば何の問題もなくこれからは堂々と身体を交わらせられる。
それに、魔物のほうが力があり丈夫なのは確かだ。ノフィのお母さんが魔物になり、お父さんがインキュバス化すれば、老化による体力の衰えもなくなるので、ノフィが居なくても畑仕事はできるだろう。その結果、私はノフィと離れなくて済むのだ。
「うーん……私は良いと思うけどなぁ……」
「そりゃあ……リムは元々魔物だし、魔界化しても問題ないだろうけどさ……」
「まあでも、リムだってアルモちゃんやネムちゃん、ガネン君が魔物になるのはちょっと困るんじゃないかな?」
「あ、そうか……」
とはいえ、たしかに他の皆まで魔物になるのは少し問題がある。
同じ魔物になる事は嬉しい事ではあるが……シスターであるネムちゃんは勿論、他の二人だって人間としてそれぞれ夢を追っている。
それなのに魔物に代わるという事は……その夢を奪われる事になってしまうからだ。少なくとも、アルモちゃんとガネンは今通っている機関には行けなくなるどころか、アルモちゃんは向こうの友達に討伐対象として追われる立場になってしまう。
魔物になってから新たな夢を見つければいいと気軽には言えない。そう考えると、手放しで喜べる事ではないのだろう。
「まあ、ルネちゃん達は何の問題もないだろうけど、ノフィ君達は色々困るだろうなと思って、とりあえず先に伝えたわ。どうしても魔物化してほしくない人が居たら伝えてあげてね」
「わかりました」
「まあ、魔物化する事は何も悪い事じゃなくて、むしろ良い事だと思うけどね。人間が罹る病気や衰えも解消するし、医者いらず……とまではいかないけど、日々健康で居られるわよ」
「それはそれでうちが困るんだがのぉ……」
「あ、そうだね。まあ、魔物でも怪我はするし、全く需要がなくなる事は無いだろうけどね」
私としては、皆が魔物になっても良いかなと思うところもある。そうすれば、もっと仲良くなれる気がするからだ。体力が付き病気にもなりにくくなり、いい事尽くしでもある。
でも、それは私のような魔物の考えだ。
昔、アルモちゃんやネムちゃんにワーウルフになってみたいかと聞いた事があった。その時の返答は、二人とも「嫌」だった。
魔物になるのは凄く怖い事。自分という存在が、根本から変えられてしまう事だから。そんな考えがある人が魔物になるのは、どれだけ怖いのだろうか。
「ねえお婆ちゃん」
「なんだいリムちゃん?」
「お婆ちゃんは、魔物になってもいいの?」
「え……それは……」
だから私は、魔物になってしまうお婆ちゃんに、魔物になってもいいのかを聞いてみた。
「ルネちゃんは大丈夫よ。だって……」
「パンさん!」
「おっと。な、何でもないよ。気にせず続けてね」
「はぁ……」
そしたらパンさんが割り込んできて、何かを言おうとした。けれど、お婆ちゃんが慌てて遮り、止めてしまった。
ルネちゃんは大丈夫……とはいったいどういう事だろうか。
最近ずっと渦巻いていた疑問が、大きく浮かび上がってくる。
もしかして、というかやっぱりお婆ちゃんは……
「それでリムちゃん、その答えだけど……」
「ああ、やっぱりいいよお婆ちゃん。怖いに決まってるもんね」
「あ……うん。そうじゃよ……」
けれど、この疑問はまだ押し込めておきたい。
今は魔界化問題もあるし、何よりこの疑問に対する回答を知ってしまったら、自分がどう思うのかわからないから。
「……」
「あの、パンさんはさっきから魔物になる事は良い事って言ってますが、パンさん自身は魔物になるのは怖くないのですか?」
「え?」
少しだけしーんとした後、ノフィが不意にそんな事をパンさんに尋ねた。
どうやらノフィはパンさんがやけに魔物視点で話をする事に疑問を持っていたようだ。
たしかに、私達の前に現れるパンさんは普通に人間の少女のような姿だし、疑問に思うのは仕方ない。
「あれ? ノフィ君に言ってなかったっけ?」
「え? 何がですか?」
「まあでも、皆に会う時はずっとこの格好だから、ノフィ君やリムちゃんが知らなくてもおかしくないか……わたし、魔物だよ」
「え……ええっ!? そうなのですか!?」
パンさんの人化の術は完璧みたいで魔物の魔力を感じないため、私だって初めて会った後数年間はパンさんの事を人間だと思っていた。というか、未だに魔物としてのパンさんを見ていないので、魔物だろうなとしか思っていなかったぐらいだ。
同じ魔物である私ですらこうなのだから、ノフィが知らず驚くのも無理はない。
「そうだよ。まあ折角だし、今から本当の姿を見せてあげるよ。あ、他の人に見られると困るからカーテンは閉めてね」
「わかってますよ」
「それじゃあご注目〜」
そう言ってパンさんは椅子の上に立ち上がり、スッと何かを念じた。
その瞬間、パンさんの身体から魔力が膨れ上がり……頭から、大きな角が2本、上に向かって伸び始めた。耳も人の耳と同じ位置から、赤茶色の垂れている獣耳に変わった。
手足の形が少しずつ変形していき、足の先は蹄になり、手も指の数が減り、爪が鋭くなり、そして肉球らしき膨らみが現れた。その形に合うように、赤茶色の獣毛が、肘や膝から先を覆うように生える。
最後に尾てい骨の辺りから、ファサ……っとふわふわの尻尾が飛び出した。
「マジカル・プリティ♪ 幼女界の首領、バフォメット参上☆」
「マ、マジ……?」
「プリティ?」
「ちょっとそこ、反応悪いよ。恥ずかしいじゃない!」
変な事を言いながら変化を終えたパンさんの姿は、山羊の魔獣、バフォメットになっていた。
「で、でも……本当に魔物だったんだ……」
「ふふーん、そういう事」
「リムちゃんはあまり驚いておらんようじゃのぅ」
「うん。魔物、しかも上位の種族なのはなんとなく予想はできてたからね」
そもそも、人化の術を私に教えてくれたのはパンさんだ。パンさんが人間であればこんな術を覚える必要がない。それに、スノア兄ちゃんよりずっと年上と言っている割にはいつまでも若い姿のままなので、たぶん魔物なんだろうと思っていたのだ。
そう、魔物なのだから、見た目の歳はそう変化しないだろう。
「それに、パンさんの部下ってファミリアとか魔女とかだったし、バフォメットだったらむしろそうだろうなと思った」
「まあ、言う機会がなかっただけで別に隠していたわけじゃないからね。わかる人にはわかるよ」
それに、パンさんは大勢の部下を連れている偉い立場の人だ。人脈や力もあるようだし、上位の種族かなとも思っていた。バフォメットだったらむしろ納得だ。
「ま、そういう事で、わたしは魔物だからこの村が魔界になる事自体は賛成ってわけ。そのほうがこの村にも行きやすくなるしね。まあ、無理やりってのは気に食わないけどね」
「はあ……そうですか……」
驚きの表情を浮かべっぱなしのノフィや、魔物としての姿をしたままのパンさんと、これからの事や全く関係ない雑談を昼過ぎまでしたのであった。
……………………
「それで、結局どうする? ノフィの両親やガネン達に伝えに行くの?」
「うーん……」
夕方。パンさんが帰宅した後、改めてこれからどうするかを相談していた。
「おや、悩んでいるのかい?」
「はい……家族が強制的に魔物に変えられるなんて聞いたときは確かに嫌だなと思ったんですけど……よく考えたら、そこまで悪い事は別にないしなあと……それに、今伝えたところでどうしようもない気がしますし……ならいっそ伝えないほうが良いかなと……」
両親やガネン達にこの事を伝えるかどうか、ノフィは悩んでいるようだ。
たしかに、今伝えたところで対策なんてできないし、教えて下手に恐怖を与えるよりは状況が理解できない一瞬のうちに魔物にされたほうが良いのかもしれない。
一概にはそうとは言えないが、きっと魔物になった後ならば魔物になって良かったと思うはずだし、先に話して不安を煽るよりは良いだろう。
「せめて神父様達には相談したほうが良いかもね。もちろん、パンさんの事を伏せてだけど」
「かもしれんのぉ……あそこは教団の施設じゃし、魔界化しますと言われてはいそうですかとはならんじゃろうしなぁ……」
それでも、スノア兄ちゃん的には、教会にいる人達には最低限話しておいたほうが良いかもしれないとの事。
たしかに、自分たちの村が魔界になるなんて神父さんやリーパさん、それにネムちゃんは断固反対だろう。無駄な抵抗だとは思うが、この村から逃げるなり対抗するなりするためにも伝えたほうが良いんじゃないかと私も思ったが……
「いや……多分、それも無駄だと思います」
ノフィが、それは無駄だとバッサリ切り捨てた。
「どうしてそう思うんだい?」
「いや、たしかさっきパンさん『もう既に何人か魔物にされてるかもしれないけど』って言ってたよなって。それ、多分教会の人達の事かと」
「えっそうなの?」
ノフィ曰く、既に教会の人達は魔物にされているかもしれないとの事だ。
「ああ。あの指輪をヤムさん達から受け取った時の事だけど……ネムを始め、どうも全員様子がおかしかったんだ。そもそも俺がリムと身体を交わらせる決心がついたのだって、教会の人達が後押ししてくれたからだし……」
「へ? 教会の人達って、あのネムちゃんやリーパさんも?」
「ああ。ほら、なんかおかしいだろ? お前ら結婚して子供産めよみたいな事言われたからな……もしかしたらヤムさんやアミンさんも魔物化してるかもな」
「成る程……たしかに、この村を魔界にするにはまず教会を堕とす……というか、教会さえ堕とせばあとは何も怖くないからね」
ノフィからその話を聞いて成る程と思った。全然気にしてなかったが、たしかにおかしい話だ。
ハッキリとは言わないが私とノフィが身体を交わらせる事に反対していた教会の人達が、ここ数日で手の平を返すなんて、絶対に何かあったとしか思えない。
思えば、数週間前に皆と会った時、ネムちゃんは神父さんとリーパさんが二人きりで部屋に篭って出てこないという悩みを抱えていた。私はそれを魔物的思考で性行為をしていると考えたわけだが、こうなると当たっていた可能性が高くなる。
つまりは、先程のパンさんの話で出てきた既に魔物にされてるかもしれない人が、ネムちゃんを含めた教会の人達の事の可能性が高いという事だ。
「どうする、確かめに向かう?」
「それはそれで怖いんだが……行くならリム一人で行ってくれね?」
「えぇ〜……流石に突然リーパさんやネムちゃんに魔物化したのかなんて一人じゃ聞けないよ。もしそうだったらどうすればいいかわからないし……」
「だよなぁ……」
とはいえ、それを今から確かめに行く勇気はない。
もし本当に魔物になっていたとしたら、正直どう対応すればいいかわからない。
という事で、来る日が来るまで教会には近付かない事にした。もしヤムさん達がまだいるとしたら指輪のお礼を言いに行きたいが、それもその日までやめておく。
「はぁ……じゃあさ、今からちょっと散歩しねえか?」
「いいけど、どうかしたの?」
そしてもう一つ、私には確かめる勇気がない物がある。
そっちはどうしようか……なんて考えていたら、ノフィが散歩に誘ってきた。
「いやほら、魔界になったらこの景色も変わっちゃうんだろ? だからさ、今のうちに見納めておこうと思ってな」
「そうだね。それじゃあ行こうか」
魔界の景色は知らないが、パンさんの話からして少なくともこの村の景色は変わってしまうのだろう。変わるのが嫌という事ではないが、少しだけ寂しく思う。
だからこそ、今のうちに今この村の景色を二人で見ておきたい。なので、ノフィの提案に乗って私達は村中を散歩することにした。
「行ってらっしゃい。ノフィ君今日もうちで食べるよね?」
「あ、はい。今日は流石に家に帰って寝る予定ではありますが、夕飯はお世話になろうかと……」
「了解。それじゃあ夕飯までには帰って来るんだよ」
「はーい」
「気をつけてなぁ。最近は暗くなるのも早いから、足元には十分気を付けるんじゃよ」
「うん。行ってきますお婆ちゃん!」
席を立ち、スノア兄ちゃんとお婆ちゃんに行ってきますと挨拶をし、ノフィと手を握りながら、夕日に輝く村へと散歩に出かけたのであった。
「……さて、これからどうしようかねぇ……」
「僕は夕飯作るからお婆ちゃんはゆっくりしていなよ」
「あ、いや、そっちじゃなくての……魔界になるという事は、いつまでも隠せはせんと思っての……」
「ああ……そうだね。村の人達も魔物になるし、些細な問題だとは思うけど……」
「リムちゃんには……腹を割って先に話したほうがええかのう……」
「……それは、悪いけどお婆ちゃん自身に任せるよ。言いたくなければ、その時まで黙っていればいいし、黙っているのが辛ければ、リムに正直に打ち明ければいいよ。リムはそんな事じゃお婆ちゃんを嫌いにはならないと思うしね」
「簡単に言ってほしくはないんじゃがのぅ……じゃが、もう少し考える事にするかのぉ……」
私達が出て行った後、残った二人が何かを話していたようだが、私には知る由もなかったのであった……
……………………
「結構寒くなってきたな」
「そうだね。毛皮も少しもふっとしてきたし、そろそろ寒い季節になるね」
黄昏時、子供から大人までちらほら見かける村の中。
私はノフィとしっかり手を握りながら、ゆったりと歩いていた。
「おーいリムお姉ちゃーん、ノフィお兄ちゃーん!」
「ん? よおチビ達!」
「やっほ。どうしたの?」
畑や田んぼに囲まれた場所を歩いていたら、後ろから小さな子供達3人、それぞれ男の子一人と女の子二人が走ってきた。
彼らはこの村に住む、私がこの村でノフィと出会った頃よりも小さな子供達だ。
出産もお婆ちゃんと一緒に立ち会うので、私は彼らが生まれたばかりの頃から知っている。この3人とノフィの上の妹のネルムちゃんと下の弟のマック君を合わせて5人、皆同世代の仲良し元気っ子だ。
「見て見て〜! お花の冠ー!」
「リーパ様とネムさんに編んでもらったんだー!」
「綺麗でしょー!」
「へぇ〜、凄く綺麗だね」
「ここら辺では見た事ない花だな。それどうしたんだ?」
「教会の裏に咲いてたの! 今年になって咲いた新しいお花なんだって!」
白く淡い色をした花で作られた冠を嬉しそうに見せてくる子供達。
ここらで見た事のない、仄かに光っているような気もする綺麗な花だ。
私は魔物という事もあってあまり教会に近付かないので、今年初めて咲いた花なら知らなくても当然だろう。
「そうそうノフィお兄ちゃん、これネルムちゃんとマック君の分。渡しておいてほしいの」
「おうわかった。今日は二人とも手伝いしてるはずだから遊べなかったけど、これからも仲良く遊んでやってくれよな」
「うんっ!」
「もちろん!」
「当たり前だよ!」
手に持っていた花冠を2つ、ネルムちゃんとマック君にとノフィに渡す3人。
「それじゃあ、二人のデートの邪魔しちゃいけないから私達もう行くねー!」
「おう、じゃあまたな!」
そして手を振りながら、3人仲良く駆け去って行った。
「花冠か……そういえばネムは作るの得意だったな」
「だね。私やアルモちゃんは全然作れなかったから、いつも羨ましく思ってたな」
子供の頭にはピッタリな小さくて綺麗な花冠。女の子は勿論、小さな男の子も喜ぶだろう。
リーパさんやネムちゃんに作ってもらったとの事だが、なるほど確かにきちんと作られている。私も昔ネムちゃんに作ってもらった事があるが、それよりも上手になっているようだ。
「しっかし、魔界になったらあの子達も魔物になっちゃうのか……」
「だろうね。でもまあ、子供だったら性格は全く変わらないんじゃないかな?」
「まあそうだろうな。リムだってあんなだったし」
「そう? そういうノフィはもっと元気で生意気だったよね」
「うるせえ。んな事自分でわかってるっての」
子供達が走り去った後、再び手を繋いでゆっくりと歩き始めた私達。
「子供の頃といえば、この道も子供の頃はしょっちゅう皆で走ってたよな」
「そうだね。村中で鬼ごっこしてたり、村の広場から教会まで競争したり……そういえば、結局ノフィはインチキスタート以外じゃ私に勝てなかったよね」
「そりゃあそうだ。小さい頃はムキになって頑張ったけど、流石に同い年のワーウルフには勝てねえよ。元々脚力のある種族だろ?」
「まあね。半分狼だし、ワーウルフは元々森林や山地を駆け回る種族だからね」
「4足歩行でも速いっていうのは反則だよなあ……リムが転んでよっしゃと思ったら手をついた状態でグングン加速していったときは唖然としたからなぁ……」
「あったねそんな事も。この村に来る前は手も使って山を走る事も多かったからね。まあ、普段は手が汚れるから絶対やらないけど」
子供達の姿をかつての自分達に重ね、それがきっかけで昔話に盛り上がる。
幼い頃はよく5人でこの畑地帯を駆け回ったものだ。私やノフィがグングン走り、いつもガネンがダウンしていた。懐かしい思い出だ。
「いつからだろう……5人で遊んでも村中を駆け回らなくなったのって」
「うーん……まあ、ネムがシスターになるために遠くに行ったり、アルモが隣町の養成学校に行ったりして中々全員揃わなくなってからだろうな。その頃から俺も畑仕事で皆と遊んでばかりいられなくなったし、ガネンも学者を目指して学術機関に通い始めたのもそれぐらいからだろ」
「だね。私もその頃から出産や治療に立ち会う事が多くなったし、皆忙しくなったよね」
「今はネムもだけど、あの頃はいつも村にいるのも俺とリムだけだったからな。いつまでも子供のままじゃいられないのはわかってたけど、ちょっと寂しかったな……」
「うん……」
いつ頃からか、そうやって村中を無邪気に駆け回る事が無くなった私達。
それは私達が大人になるにつれて互いの夢に向かって動き出し、そうやって遊んでいられなくなったからだと思うが……こうやって振り返ってみると、少し寂しく思う。
「まあ、なんだかんだ今でも皆仲良しだし、これからもずっと集まっては笑い合える仲で居れたらいいかな」
「だな。ネムとアルモの仲が少し心配だけど……っと、それも魔物になれば問題ないのか?」
「たぶん。一夫多妻は魔物ではよくある事……だと思う」
「まあ、魔物になっちまえば一夫多妻でも目を瞑るだろうしな。あ、言っておくけど俺はお前以外見向きもしないからな」
「なっ!? あ、ありがと……急にそんな事言わないでよ。恥ずかしいじゃんか……」
恥ずかしい事を言われながら、私達は田畑区域を抜けて、いつものコースである商店や住宅地が並ぶ村の中心を歩く。
少しずつ暗くなった事もあり、中心地だというのに人影は先程よりも疎らだ。
その代わり、いくつもの家の窓から明かりと一家団欒の声が漏れている。これから夕飯を食べて、眠りにつくのだろう。
「それにしても、あちこちから笑い声が聞こえたりいい匂いがしたりしてるね」
「こんな光景も魔界になったら見られなくなるのかな……」
「いや、それはないんじゃない? 集落でもこんな感じだったし。しいて言うならばこの中に喘ぎ声が追加されるだけだよ」
「そっか……まあ、魔物も人間とそんなに変わらないもんな。そりゃそうか」
そんな中を、これから魔界になる事柄の話題をしながら歩く私達。
私たちのほうを微笑みながら見る人は居ても話の内容を盗み聞きする人は居ないので、おそらく誰にも知られてはいないだろう。
「それにさ、なんというか、魔界になるならない関係なしに、小さい頃と比べると少しずつ変わってる気がするよ」
「まあ……そうだな。よく集合場所にしていたそこの広場も、昔はもうちょっと草や木も多かったよな」
「そうそう。何年か前に木が病気になっちゃったからって切っちゃったんだよね。他にも昔はあったものが無くなってたり、逆になかったものが今はあったりしてさ。公園なんて数年前まではなかったし、逆に昔はあった垣根がなくなってるしね……」
「まあ、公園は昔から要望があって、村長さんがようやく重い腰を上げたからできたらしいぞ」
「へぇ……村長さんも最初は絶対私と関わろうとしてくれなかったけど、随分と優しくなったなぁ……そう思うと、人も随分と変化しているよね」
外観だけで言えば、この村に来た当初と今を比べても、細かいところから大きなところまでいろいろ変わっている。
見た事が無いので詳しくは知らないが、きっと魔界になったら外観はもっと大きく変わってしまうだろう。
人の態度もそうだ。村長さんや村の住民だけでなく、私やノフィだってかなり変わっているのだから。
「だな。そう思えば、魔界化なんて大した事のない変化のような気もしてきた」
「まあ、それは結構いろんなものが一気に変化するから立派な異常事態だとは思うけどね。でも、結局この村自体は変わらないんだよ」
だけど……魔界になっても、空模様や雑草なんかは変わってしまうし、一部の人は淫乱になるなど性格も変わるだろうけど、この一家団欒の風景は変わらないはずだ。
魔物になったからって別に四六時中交尾しているわけではない。今は交尾よりもこうしてノフィと手を繋いで散歩していたいと私が思うように、家族でゆっくりご飯を食べながらお話をしたいと思う魔物だっているのだから。
「まあそんなものか……あ、ちょっと家に寄ってっていいか?」
「うんいいよ。それ先に渡しに行くんだね」
「そういう事。いつまでも俺が持ってたらあいつらに渡る前に折角の花が枯れちまうかもしれないしな」
そんな感じで村の中を散歩していたら、ノフィの家が見えてきた。
ノフィはさっき渡された花冠を先にネルムちゃんとマック君に渡すため、一旦家に寄っていくみたいだ。
「ただいまー」
「おかえり……ってノフィ、あんた確か夕飯はルネ先生のところで世話になるって言って……あ、リムちゃん。こんばんは」
「こんばんはノフィのお母さん」
玄関を開けただいまとあいさつをすると、家の奥から丁度夕飯を作っていた最中らしくエプロン姿のノフィのお母さんが出てきた。
夕飯も私の家で食べると伝えてあった息子が帰ってきた事に怪訝な表情を浮かべていたが、私の姿が目に入った瞬間笑顔になって挨拶をしてくれた。
「どうしたのよ二人とも……あら、綺麗な花冠じゃない。どうしたのこれ?」
「いや、今ちょっと村中を散歩していて、さっきチビ達にこれネルムとマックにって渡されたもんで先渡しておこうと思ってさ。なんでもネムやリーパ様に作ってもらったんだと」
そう説明しながら、手に持っていた花冠を二つともお母さんに渡すノフィ。
玄関先で薄暗い中、白い花冠は仄かに光って見えた。
「へぇ……綺麗じゃないの。私もこういうの好きよ。それじゃあ二人の枕元にでも置いておくわね」
「枕元? 今二人は寝てるのか?」
「ええ。今日は二人とも朝からおやつ時までずっと畑や倉庫の整理手伝ってくれていたからね。疲れてくたくたで今ぐっすりってわけ」
「そっか。それじゃあ起こすのも悪いし、任せたよ母ちゃん。じゃあまた後で」
どうやらネルムちゃんとマック君は寝ているようなので、花冠だけノフィのお母さんに渡して家を出た。
「……」
「どうしたの難しい顔して……やっぱりお母さん達は魔物になってほしくない?」
「いや、というかなんか想像つかねえなと思ってな……ずっと人間だったし、魔物になるって言われてもさ。人間姿のリムは……時々見るか。もう慣れたけど、やっぱ最初は違和感しかなかったしな」
「まあそうかもね。でも、人化の術を使ってる私に慣れたんだし、そのうち慣れるよ」
「慣れる……かな?」
その頃にはもう日の明るさが完全になくなり、空には月が浮かび星が輝く始めた。
「そういえば……魔物になるって言うけど、何の魔物になるんだ?」
「さあ、サキュバスか何かじゃない? 私魔物だけどそこまで他の魔物の事に詳しくないし……私が噛めば皆安定してワーウルフになるけどさ」
「お前、魔界化に便乗してそういう事しようとするなよ?」
「しないよ。ジョークだってば」
勿論教会に近付く気はないので途中で脱線する予定だが、中心部を少しはみ出し、教会方面へと足を動かす。
「ならいいけど……さて、そろそろ曲がるか」
「そうだね。このまま真っ直ぐ行くと教会だし、絶対ネムちゃん達に遭遇するだろうしね」
「それな。なんかネムを避けているみたいで嫌だけど……」
「うん……でもちょっと怖いし……」
「あら、何が怖いのですか?」
「うえっ!?」
そして、予定通り脱線しようとしたところで……後ろから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
できれば今会いたくなかった、馴染みのある声が。
「よ、ようネム」
「ど、どうしたのこんなところで?」
「こんなところも何も、教会はこの先ですよ?」
「ああ、そうだったな」
後ろを振り向くと……そこにはネムちゃんが立っていた。
「いやでも、この時間に外出てるのって珍しくない? たしか夕飯か教会内の雑務中じゃなかったっけ?」
「ええ、平常時ではそうです。ですがまあ今日はちょっと用がありましてね。ついさっきまで実家のほうへ行ってました。ああ、病気とかそういうのではないのでご心配なく」
この時間に教会の外にいる事はまずなかったので完全に油断していた。どうやら今日は特別な用事があったみたいで、決まった時期以外は帰っていない家のほうに行ってたみたいだ。
「ん? でもさっき子供達がお花の冠編んでもらったって……」
「その後から向かったのです。ついでに家で夕飯を食べ、今教会に戻っている最中です」
「……そうか……」
そして今丁度戻っているところだったらしい。
全然気づかなかったが、もしかしたらずっと後ろにいたのだろうか。
「で、何が怖いのですか? お二人の姿が見えたので声を掛けようと近付いたらそんな言葉が聞こえてきたので……」
「え、あ、いや、な、何でもないよ」
「そうですか? リムちゃんは友人ですから、遠慮せずに相談してください」
「う、うん。でも本当に何でもないから……」
「そうですか……」
どうやら話を聞かれていたわけではなさそうだが、ある意味一番面倒くさい部分が聞かれていたようだ。
流石にネムちゃん自身だとは言えないためとりあえず誤魔化すが……やはり納得してなさそうな顔をしている。
「あら? その指輪は……」
「ああうん。ヤムさん達が持ってきてくれたお母さんの形見だよ。無くさないように大事にするからしまっておくつもりだけど、しばらくは身に付けてようと思って」
「そうですか。とにかく、それは本当にリムちゃんのお母さんの形見でしたのね。良かったですね」
「うん!」
だが、私の指に嵌めてあるお母さんの形見の指輪に気付いたみたいで、うまい具合に話題が逸れた。
ノフィは教会でこの指輪を受け取ったらしいので、ネムちゃんも知っていたのだろう。お母さんの形見だった事を伝えた。
「ヤム様やアミン様へのお礼は済ませましたか?」
「ううんまだ……というか、まだ教会に居るの?」
「ええ、しばらくはご滞在されるようですよ。とはいえ、今は不在なのでまたの機会にですね」
「あ、そうなの。それは残念」
どうやらヤムさん達はまだこの村の教会に居るようだ。あっちから会いに来ないのは、やっぱりお婆ちゃんが怖いからだろうか。
まあ、どちらにせよ今会うのは気が引ける。不在な事に残念と口に出しつつ、内心ではほっとする。
「それではわたしはここで。折角のお二人のデート、邪魔してはいけませんものね」
「え、ああ、うん。それじゃあ」
「じゃあなネム。また」
「ええ、また今度」
そして、何事もなかったように別れた。
結局ネムちゃんが魔物になったのかどうかは切り出せなかった。
「結局どうなのかよくわからなかったね」
「……いや、多分魔物になってるだろうな」
「え?」
だから結局真偽は不明……かと思えば、いきなり断言したノフィ。
「なんでそんな事言えるの?」
「だっておかしい……って、神様に祈らないリムが知るわけねえか。子供達が去った後、夕飯までの時間はさ、主神教徒は祈りの時間なんだよ。それを病気とかでもないのにシスターであるネムが無視して実家になんて行くわけがない」
「あー成る程。それは怪しすぎるね」
何か根拠でもあったのかと思ったが、なるほど確かにそれならばほぼ絶対的だ。
「まあ、その神自身に許しをもらってという可能性もなくはないけど……まずないだろ」
「だね。そういえばちょっと前にネムちゃん、神の声が聞こえるようになったと言ってたけど……」
「それが魔物の神か何かで、その声を聞いていたんじゃねえのか? そこまでは流石に推測の域を出てねえけどな」
やっぱりネムちゃんは魔物に、そしてそんなネムちゃんが堂々としている事からリーパさん達も魔物になっているのだろう。
そんな事をノフィと話しながら歩いているうちに、診療所が見えてきた。
「おっいい匂いがする……」
「くんくん……醤油やみりんの匂いがするし、今日はジパング料理かな? ジャガイモやお肉、玉ねぎの匂いもするから……肉じゃがかな?」
「この距離でそこまでわかるとは流石だな」
「嗅覚は狼……つまり犬と同等だからね。ちなみに、それに魔物補正も入ってノフィの匂いなら村の端と端ぐらいの距離離れててもわかるよ」
「お、おう……恐ろしいもんだ」
診療所のほうから漂ってくる良い匂い。どうやらスノア兄ちゃんの料理がもうすぐ完成するようだ。時間的にも丁度良かった。
だから私は、ノフィと共に家に戻ったのであった。
「……やっぱり、今日聞いてみようかな……」
「あん? 何か言ったか?」
「ううん、別に。こっちの事」
「ふーん……」
ここのところずっと、特に今日一日中悩んでいたことに、決心を固めながら……
……………………
「……」
その日の夜。
今日はノフィがいないので性行為もできない。という事で大人しく寝て……はいなかった。
「お婆ちゃん、ちょっといい?」
「ん? リムちゃんかい? いいよ、入ってきなさい」
私はとある決心をし、お婆ちゃんの部屋を訪れた。
少し緊張しながら部屋に入ると、お婆ちゃんは椅子に座ってゆったりとしていた。
「どうかしたのかい?」
「うん……ちょっとね」
もう夜遅い時間だが、まだ寝る気配はなかったので私は遠慮なくお婆ちゃんのベッドの上に腰掛け、話を切り出した。
「お婆ちゃん、正直に話してほしいんだ」
「何をだい?」
「私に隠している事全て」
「……」
初めて出会った時からずっと私に隠している事、その全てをお婆ちゃんから聞き出そうと決心した私。
真っ直ぐお婆ちゃんを見つめ、教えて欲しいと頼み込んだ。
見た目が変わらないし、噛んでもワーウルフ化していないって事は、きっと魔物なんだろうという予想はしているが、果たして……
「……私は別にリムちゃんに何も隠し事などしておらんよ」
「……ふーん……」
やっぱり素直には教えてくれない。
予想はできていたが、隠し事はしていないと言い張る。
だが、少なくとも昔から私には自分の裸姿を隠し続けていた。立派に隠し事はあるのだ。
「ねえお婆ちゃん」
「何だい?」
「私ね、お婆ちゃんに会えて本当に良かったって思ってるんだ」
「え……」
だから私は、先に自分の想いをお婆ちゃんに伝える事にした。
「心無い人間達に襲われてこの村にボロボロの状態で逃げ込んだ私を救ってくれた。それだけでも命の恩人なのに、そんな事があって人間を信頼できなくなってた私と本気で向き合ってくれた。そして、こうして立派に育ててくれた。感謝してもしきれないよ」
「リムちゃん……」
「私にとってお婆ちゃんは、二人目のお母さん。かけがえのない家族。どんなことがあってもずっと一緒に居たいし、困っていたら迷わず助けたい。そしていつまでも甘えたい。大好きだよ」
お婆ちゃんのおかげで、私は今まで生きていられた。
お婆ちゃんのおかげで、私は人間を嫌いにならないで居られた。
お婆ちゃんといつまでも一緒にいたいから、一緒に働きたいから、私は医者を目指している。
私にとってお婆ちゃんは、両親やノフィ達と同じかそれ以上に、かけがえのない人だ。
「だからさ、例えお婆ちゃんがどんな秘密を持っていようが、例え人間じゃなかろうが、私はお婆ちゃんが大好きな事は変わらない。だって、お婆ちゃんはお婆ちゃんなんだから!」
「……」
私は、私がお婆ちゃんに対して思っている事を率直に伝えた。たとえお婆ちゃんが何者であれ、私はお婆ちゃんが大好きなのだと。
静かに聞いていたお婆ちゃんは、心なしか目にうっすらと涙がたまっているように見えた。
「わかった。リムちゃんには正直に話そうかのぉ……」
しばらくは静かにしていたが……何かを覚悟した顔を浮かべながらそう言って、椅子から立ち上がったお婆ちゃん。
「人間じゃなかろうがと言うって事は、ある程度予想はしておるんじゃろ?」
「うん、まあね。老齢の姿だったり、色々な点が引っかかるけど、魔物かなって」
「そう……じゃのう……」
そう言いながら、自分の服に手を掛け、ゆっくりと脱ぎ始めたお婆ちゃん。
「本当は、いつか言おうと思っておった。でも、嫌われるのが嫌で言えなかったんじゃよ……なんせこの身体は、ちと特殊じゃからの……」
今の今まで頑なに隠していた自分の裸姿。それを、とうとう私に見せてくれた。
「……え?」
「驚いたかの……」
その姿は……流石に予想できていなかった物だった。
「これって……」
「触ってみてもええよ」
お婆ちゃんの身体は、一見すると人間と変わらないように見えた。
だが、その身体には手足や顔と違い皺がほとんどなかった。
しかし、そんな事が些細に思えるほどのものがお婆ちゃんの身体にはあった。
「この隙間……それにこの球体……もしかしてこれが関節なの?」
「そうじゃよ」
人間の身体で言う関節の部分が少し離れており、その間には球体が入っていた。
それは、人形に使われている球体関節そのものだった。
「私は、リムちゃんが言った通り確かに魔物じゃ。種族は、リビングドールじゃよ」
「リビングドール……」
リビングドール……生きている人形。
確かに、お婆ちゃんの身体は、手足や顔の部分を除けば人形そのものに見える。その言葉通り、お婆ちゃんはリビングドールという魔物なのだろう。
「いや、でも……リビングドールっておかしくない? だってスノア兄ちゃんはお婆ちゃんの孫だし、それに人間がリビングドールになるなんてまず無理だと思うけど……かと言って生まれた時からリビングドールだったら、なんでスノア兄ちゃんのお婆ちゃんなのかわからないし、スノア兄ちゃんが生まれる前からの記憶があるっていうのもよくわからなくなるし……」
「そうじゃのう……」
だが、それはそれでおかしな話だ。
お婆ちゃんがリビングドールだったとして、どうして孫であるスノア兄ちゃんが居るのだろうか。
もしかしたらスノア兄ちゃんが、最低でもスノア兄ちゃんのお父さんに当たる人を産んでから魔物化したかもしれないが……人形になる事はあるのだろうか。
しかし、リビングドールとして生まれたのであれば、お婆ちゃんの姿をしている事や、スノア兄ちゃんが生まれるよりも前の記憶がある事が疑問だ。
よくわからず、私は首をかしげる。
「実はの、私はスノちゃんのお婆ちゃんであって、お婆ちゃんではないんじゃよ」
「え? つまりどういう事?」
「その前にリムちゃん、リビングドールという魔物の事はわかっておるかの?」
「うーん……人形の魔物で、強い情念が魔力と結びついて生まれる魔物って事ぐらいしか。お婆ちゃん以外じゃ実際に見た事ないしね。でもそれがどうかしたの?」
お婆ちゃんはお婆ちゃんであってお婆ちゃんではない……益々訳が分からなかった。
だからこそ、私はお婆ちゃんに説明を求める。
「リビングドールはの、粗末に扱われたり大切にされる事で人形に魔力に結ばれた情念が宿って生まれる魔物じゃ。しかしの、稀に例外があったりもするんじゃよ」
「例外?」
「私に宿った魂は魔力が結びついて生まれたものではなく……スノちゃんのお婆ちゃん本人の物なんじゃよ。お婆ちゃん自身が、お婆ちゃんといつも離れたくないと泣き叫んでいたスノちゃんの為に作った、等身大お婆ちゃん人形にのぉ……」
「えっ!?」
どうやらお婆ちゃんは、お婆ちゃん自身の姿をした人形にそのお婆ちゃんの魂が宿った存在らしい。
そういえば昔お婆ちゃんがスノア兄ちゃんがどれだけ大切かという事を語っていた時に、そんな人形を作ったみたいな事を言っていたような気がする。
それなら確かにスノア兄ちゃんが生まれる前の記憶を持っていてもおかしくはないかもしれないけど……
「でも……そんな事って実際にありえるの?」
「パンさんにも相当レアなケースとは言われたのう。だが、本当にそうなんじゃよ。別れたくないと泣き叫ぶスノちゃんに申し訳なく思いながらも眠りについた……と思ったら、スノちゃんが泣きながらしがみ付いておる人形の中からスノちゃんを見ておったのじゃからな……」
「そうなんだ……」
「まあ、それが無くともスノちゃんに大切にされておったから、リビングドールになる可能性はあったらしいがの。実際、お婆ちゃんが生きている時の、私から見たスノちゃんの記憶も持ち合わせておるからの。それに、だからこそ魂が人形に定着したとかパンさんも言っておったかのう」
そこまで他の魔物について詳しくないが、流石に人形にお婆ちゃんの魂が宿るなんて事があるとは思えなかったが、全くない事ではないらしい。
だからこそ、スノア兄ちゃんの事が心配だったお婆ちゃんの魂は、自分の姿をした人形に宿ったのだろう。それだけスノア兄ちゃんの事を愛していたという事だ。
「スノちゃんはお婆ちゃんが戻ってきたと喜んだ。じゃが、私達が住んでいたのは反魔物領……当然、息子夫婦は気味悪がり、私を壊したり、追い出そうとしたんじゃ」
「え……じゃあ、スノア兄ちゃんの両親に会えない理由って……」
「魔物だから、じゃよ。しかも、私はお婆ちゃんの姿をした動く人形じゃ。正確には本物のお婆ちゃんではない。スノちゃんは私を受け入れられても、息子は私を受け入れられなかったのじゃよ」
「そうなんだ……」
そう、あくまでもこのお婆ちゃんはお婆ちゃんの姿をした人形であり、お婆ちゃん自身ではない。魂が本人の物でも、身体は作り物だ。
この村の人達もそうだが、反魔物領の人ではそう魔物を受け入れる事はできないだろう。ましてやスノア兄ちゃんのお父さんにとってお婆ちゃんは母親だ。母親の姿をした動く人形など拒絶したくなるのかもしれない。
「あ、でも、という事はスノア兄ちゃんもこの事は……」
「勿論知っておる。じゃが、私はあくまでもスノちゃんのお婆ちゃん。リビングドールとは思ってほしくないんじゃよ。だから、この裸姿はなるべく見て欲しくないんじゃよ。勿論、人間のお婆ちゃんとして私を慕ってくれていたリムちゃんにもじゃよ」
「なるほど。だから一緒にお風呂に入ってくれなかったんだね」
「そうじゃな。幸い、この手はカバーが掛けられておるから手だけは普通に出してあっても人形には見えんからの……ほれ、足もこの通り」
「あ、球体関節になってるね」
「そうじゃ。こんな自分の身体が、時々嫌になる。自分でもできるだけ見ないようにしておる」
「そうだったんだ……」
そんな経験があったからか、もしくはそう思われる事自体が嫌なのか、お婆ちゃんは自分がリビングドールだと思いたくなかったみたいだ。
だからこそ、私に裸姿を見せたくなかったのだろう。
だからこそ、この事実をひたすら隠し続けていたのだろう。
それなのに問い詰めてしまった事に、少し申し訳なくなる。
「という事でリムちゃん……こんな隠し事をしておった私の事、嫌いになってしまったかのう?」
「ううん。何度も言うけど、お婆ちゃんが人間じゃなくたって、人形だからって嫌いになんかならないよ」
そんな私の態度を嫌ったとでも受け取ったのか、恐る恐る私にそんな事を聞いてきたお婆ちゃん。
もちろん、驚きはしたものの嫌いになるわけがない。人間じゃなくても、お婆ちゃんは私を本当の孫のように大切にしてくれた、優しくて大好きなお婆ちゃんなのだから。
「むしろ、ちょっと安心したかな」
「ん?」
「だってさ、魔物なら魔界になっても見た目の変化は全くないし、それに、私が医学機関に通ってる間に死んじゃって一緒に診療所で働けないってことはないだろうしね。この前転んだから少し心配だったけど、その心配もなくなったよ」
「……そうじゃの……」
それに、人間じゃないと言うのであれば当面寿命の事は考えなくても良いという事だ。
年齢はわからないがお婆ちゃんはかなり高齢。そう思っていたのが実際は違い、話を聞く限りだとスノア兄ちゃんよりも年下、しかもリビングドールなら相当長生きできるだろうから、いつか来る寿命の事を考えなくて済むのは安心だ。
そう思っていたのだが……
「まあ、寿命は来なくても、このままでは医者は続けられないかもなぁ……」
「え……どういう事!?」
どうやら、そう簡単には安心できないらしい。
「実は最近、身体が思うように動かない時があってのぉ……」
「そうなの? やっぱり、魂はお婆ちゃんだからそんな事が……」
「いや、そうではない。単純に精が足りておらんだけじゃよ」
お婆ちゃん自身に精が足りず、身体が動かない時もあるそうだ。
「リムちゃんみたいな獣人型の魔物ならそこまで問題はないんじゃが……エネルギー源が精である私等は精が枯渇すると危ないからの……」
「そっか。お婆ちゃんの夫であるお爺ちゃんはもう……」
魔物は精を手に入れる事で魔力が高まり、寿命なども長く伸びる。反対に精を断っているとしたら、体に不調が出てもおかしくはない。
「それもあるが……私はあくまでもお婆ちゃんの姿をしたリビングドール。一応お婆ちゃんとは別の存在じゃよ。だから、リビングドールとしての私が求めておるのは、スノちゃんの精なんじゃよ」
「スノア兄ちゃんの? なら身体を交えれば……」
「じゃがそうもいかん。私自身は魔物でも、心はスノちゃんのお婆ちゃんなのじゃよ。孫と性行為に及ぶなど、祖母としては許されん。いや、例え許されても私はそんなスノちゃんが困るような事はしとうない」
「……」
しかも、欲しがっている精は孫であるスノア兄ちゃんの物だ。
私のような魔物ならそれでも気にしないで性行為に及ぶだろう。
だがしかし、人間として、特にスノア兄ちゃんの祖母としてのお婆ちゃんはそれを拒絶している。別の存在と言えども、お婆ちゃんである事には変わりないので、踏み込めないのだろう。
「一応パンさんから精補給剤を貰っておる。これなんじゃが、不味くて飲めたものではないからの。うちで取り扱っておる一番苦い薬以上じゃからな」
「うわ……ほんとだ……一舐めしただけで舌が痺れたよ……」
「ほとんど口に付けておらん。じゃが、そのため私の身体はボロが出始めておるという事じゃよ」
「これは……わからないでもないけど……」
代わりの物はあるが、それはあまり摂取していないらしい。
試しに渡されたものを一舐めしてみたが、たしかに気持ち悪くなるほど不味い。ノフィの精とは天と地ほどの差どころでは済まないほど不味い。
こんなのは流石に摂取したくないのもわかる。わかるが、そうでないと身体が動かなくなってしまうのなら、やっぱり飲んでほしいとも思う。
「この身体になってから約30年。時々スノちゃんの夢精を拝借したりもしたが……」
「え?」
「……あー、多分ばれておると思うが、一応この事はスノちゃんに内緒じゃよ?」
「あ、うん」
「それでまあ、30年近くもそんなごく少量でしか精を取らないでいたら、流石に辛くなってきてのぉ……所々関節が軋むんじゃよ」
「そうなんだ……」
ここのところ私は身体の調子がすこぶる良い。それはおそらく、ノフィの精をたらふく摂取していたからだろう。
その逆であるお婆ちゃんは、だから最近身体の調子が悪そうだったのだろう。
魔界になるなら多少は改善されるかもしれない。だが、根本的な解決にはならないはずだ。
かといってスノア兄ちゃんから精を貰えとも言い出せない。ゆっくりはしていられないが、これはこの先考えていかなければならない問題だろう。
「さて、一応全て話したかのう」
「んー……もう一つ、気になる事が。あまり覚えてないけど、私ってこの村に来たばかりの頃、お婆ちゃんを噛んだ?」
「どうだったかのう……あー、そんな事もあったのぉ……」
「やっぱりか……ごめんねお婆ちゃん」
「ええよリムちゃん。あの時は気が動転しておっただろうしなぁ」
全ては話した……かもしれないが、私にはまだ一つ気になる事があった。
だがその前に、昔お婆ちゃんの手を噛んでしまった事を、今更だけど謝っておく。
「それで、その時の事をよーく思い出してみると、たしか血とは違う味がしたんだよなぁと……」
「ああ、それはじゃの……おそらくこれじゃな」
「これ……?」
そして本題に入る。謎の血じゃないものの話だ。
それを言ったらお婆ちゃんが持ってきた容器。その中はほぼ空だったが、所々に赤い水滴が付いていた。
「これ何?」
「んーまあ、血液もどきみたいなものじゃな。パンさん特製で、これを身体の中で循環させれば魔物の魔力が掻き消されるんじゃよ」
「へぇ……あ、だからリーパさん達にもお婆ちゃんが魔物だって気付かれなかったんだね」
「まあそういう事じゃ。リムちゃんだって疑問に思わなかったじゃろ?」
「確かに……言われてみれば全然見た目も変わらないでずっと変わらず元気だし、その血の味がおかしいからもしやって思ったけど、そうでなかったら絶対わからなかったかな。なんか、お婆ちゃんからは魔物特有の気配というか匂いを感じなかったからね。そういう事だったんだ……」
どうやらこれはパンさん特製の擬似血液的なものらしい。
パンさんから毎回受け取っていた薬みたいなものはこれの事だろう。パンさんの事だから、おそらく人化の術を応用した魔術薬品だろう。
だからお婆ちゃんからは魔物っぽさがまったく感じなかったのだ。謎はこれで全て解けた。
「そっか……ありがとうお婆ちゃん。全部話してくれて」
「まあ、黙っていてもどうせもうすぐ魔界になって人間でない事はばれてしまうからのう……いつかリムちゃんには話さないとと思いながら、全然できなかったし、丁度ええ機会だったかもなぁ……」
お婆ちゃんは今までずっとこの事を隠してきた。決して言いたくなかった事なのに、きちんと教えてくれた。
「それでさお婆ちゃん。今日、一緒に寝ようよ」
「ええよ。でも、急にどうしたんだい?」
「別に。ただ、丁度いいし久しぶりにお婆ちゃんと一緒に寝たいだけだよ」
だからという事ではないけど、私は今晩お婆ちゃんと一緒に寝たいと申し出た。
最後に一緒に寝たのは初めての発情期が過ぎた時だから、本当に久しぶりだ。
「それじゃあ寝ようかねえ。ほらリムちゃん、お入り」
「うんっ!」
裸姿のままだったお婆ちゃんは寝間着に着替え、ベッドの中に潜り込む。
私はお婆ちゃんに誘われるように、隣に潜り込んだ。
「ぎゅうっ……やっぱりお婆ちゃんは暖かい。本当にお人形だなんて信じられないや。抱き心地もいいしね」
「ふふ……そう言ってくれるとちょっぴり嬉しいのぉ……」
そしてお婆ちゃんのほうに向かい合い、いつものようにぎゅっと抱き着く。
身体が人形だからか少し硬いが、それでもやっぱり暖かい。
「それじゃあおやすみお婆ちゃん……お婆ちゃんも、スノア兄ちゃんと恋人になれたらいいね」
「最後の一言は余計じゃよ。今のままでええ。おやすみリムちゃん……」
互いの温もりを感じながら、私達は眠りについたのであった。
……………………
…………
……
…
「うわあっ!? ま、魔物だあああっ!!」
「か、神よ! 私達を助け……ああっ!!」
それから数日後の夜。
村に突然強大な淫魔と共に複数の魔物が姿を現した。
「ふああぁぁ……いいのぉ……♪」
「や、やめ……うわあああぁ……」
魔物達は老若男女見境無く襲う。
魔物に捕まった女性は皆魔物へと変化していく。サキュバスを始め、襲われた魔物と同じ姿や、中心となるリリムの仕業か全く全然何の関係もない種族へと変化する。
そして、魔物へと変化した女性は、この村に襲来した魔物と共に男性を襲う。
「な、何だこの状況は!? に、逃げなきゃ……」
「こんばんはガネン君」
「あ、ネム! 早く逃げ……って、ネム……そ、その姿は……?」
勿論それは、私の友人達も例外ではない。
「あ……ああ……ま、まさかネム……」
「そんなに怯える必要はありませんよガネン君。さあ、わたしの愛を受け取ってください❤」
「うあ、あ……うわあっ!?」
突然現れた魔物達だけではなく、やはり既に堕ちていた教会の面々も他の村人を堕落神の信者にすべく動いていた。
数日前から村の子供達を通して配っていた魔灯花を目印に、村に現れた魔物と共に各家へと上がり、信者を増やしていく。
勿論、ダークプリーストになっていたネムちゃんも、自身の両親やガネンの両親を堕とし、ガネン自身を夫にするため襲っていた。
頭が良くても流石にこんな事態の対処などできないガネンは、ほとんど抵抗できないままにネムちゃんに押し倒され、快楽を与えられてしまった。
「はぁ……はぁ……ガネン! 大丈夫……ってネム!?」
「うあっ、あ、ああああ……」
「ふああぁぁ……❤ キテますっ! ガネン君の堕落の証がドクドクと、わたしのナカにぃ……❤」
「あ、あんた達何やって……!」
「あ、んん……遅かったじゃないですかアルモ。我慢できず先にガネン君を頂いてしまいましたよ」
勿論、ネムちゃんの狙いはガネンだけではない。
騎士として多少は腕を上げていたおかげで、道中襲ってくる魔物を退けながらなんとかガネンの家にたどり着いたアルモちゃんもその対象だった。
「くっ……ネムあんた、魔物に堕ちて……!」
「はい、堕ちました。堕ちたからこそ、わたしは今悦び幸福を感じているのです」
「そんな幸福、ただの偽りだよ! こうなったら私があんたを……」
魔物に堕ちた友人と、その友人に堕とされている最愛の人を前に、剣を強く握りしめたアルモちゃん。
「斬るのですか? 魔物に堕ちたわたしをその剣で真っ二つにし、殺せるのですか?」
「そ、そんなの……できるわけ……ないじゃない……」
「ふふ……そういう優しいところ、昔から好きですよ」
しかし、優しいアルモちゃんにネムちゃんを傷付ける事なんてできるわけもなく……その剣を地面に落としてしまった。
「ですからアルモ、あなたも一緒に堕ちましょう……という事で、よろしくお願いしますね」
「ええ、任せなさい」
「ふぇ!? だ、誰……ふぁああぁぁぁ……♪」
だからこそ、後ろから静かに近付いてきていた首謀者のリリムに一切抵抗できずに身体を絡め取られ、リリムの魔力と色香に当てられて、即絶頂へと達してしまった。
「ふふ……内に秘められた色欲や憧れ、暴力性を全て素直に引き出してあげるわね」
「ふぁぁぁ……にゃにこれぇ……しゅごいぃ……♪」
「あ、アルモ……」
「心配しなくてもアルモなら大丈夫ですよ。それにしてもこの変化……どうやら、リムちゃんへの憧れがあったみたいですね」
そしてそのままリリムの魔力に蝕まれ、アルモちゃんも魔物へと変化する。
そこには恐怖や悲哀は無く、悦びと幸福が満ちていた。
「ハッ、ハあッ、ガネンのおちんぽ、イイッ!!」
「うぐああ、は、はげし……ううっ!」
「ああっ神よ! 淫らに堕ち行くわたし達に祝福を……!」
身も心も魔物に堕ちたアルモちゃんはネムちゃんとガネンの性交に混ざり、今まで抑えていた想いを自身の性器と共にぶつける。
「さて、次へと行きますか」
淫らな3人の交わりに満足したリリムは部屋を飛び立ち、次なる標的目掛けて翼を羽ばたかせた。
「ふあああ……イイのぉぉ❤」
「あひぃぃ……!」
「アナタぁ……♪」
「うっ、中に射精すぞおおっ!」
いつしか村中に響く悲鳴から恐怖という物が無くなり、快楽一色に染まっていった。
「ふ、は、リム、リムっ!」
「ノフィ、ふあっ、だ、射精してぇ……❤」
「ああ、射精すぞ……ぐう……っ!」
「わおおおおんっ! きたぁぁぁぁぁっ❤」
そんな中で、陰気に当てられた私とノフィも激しく盛っていた。
空に浮かぶ月が妖しく真っ赤に染まる頃には既に周りの事など気にせず、何度も濃厚な精液を膣内に注がれては盛り上がっていた。
「もうすっかり魔界になってしまったのぉ……」
「だね……まあ、これはこれで良かったんじゃない? お婆ちゃん的にも過ごしやすいでしょ?」
「そうじゃのう……ま、これからは精力剤の類も扱うかのぉ」
「あーそれはいいかもね」
この村の住民でただ一組、スノア兄ちゃんとお婆ちゃんの二人だけが狂楽の宴に参加せず、冷静にお茶を啜りながら変わりゆく空を見上げ、呑気にお話をしていたのであった……
…
……
…………
……………………
「さて二人とも、準備は完璧?」
「はい!」
「大丈夫です!」
村が魔界になってから約3ヶ月。
「まあ、リムちゃんの長期休暇に合わせてこっちに転移するつもりだからそんなに長い別れってわけじゃないけど、一応挨拶しておいてね」
「はいっ!」
「わかりました!」
とうとう、医者になるための勉強をしに村を出る日がやってきた。勿論ノフィも一緒にだ。
大きな荷物は先に送ってもらったので、あとは私達自身がパンさんと一緒に転移魔術で移動するだけだ。
その前に、私達を見送るために集まってくれた人達に挨拶をする。
パンさんが言う通りそこまで長い別れではないし、帰ってこようと思えばいつでも帰ってはこれる。
それでも、医者として1人前になるまでの数年間は基本向こうの街で暮らしていくので、しばらくは会えなくなるから挨拶をする。
「行ってらっしゃい二人とも!」
「たまには帰って来るのですよ。少なくともわたしは大抵この村の教会に居ますから、帰ってきたら顔を出してくださいね」
「うん、勿論!」
「ノフィも、リムの支えになってあげるんだよ」
「そんな事ガネンに言われなくたってそうするつもりだっての。お前こそアルモやネムを心配させるなよ?」
幼馴染みの3人が私達の元に駆け寄り、互いに元気でと挨拶を交わす。
ネムちゃんもアルモちゃんも魔物になり、昔と随分姿は変わった。
ネムちゃんの頭からは捻じ曲がった角が伸び、耳が長く尖り、そして腰からは鎖が巻かれた黒く長い尻尾と、漆黒の羽が生えていた。身に着けている物も聖職者の服ではあるが、胸の谷間や艶めかしい太腿は堂々と晒されており、小さく刻まれた快楽のルーンが見え隠れしている。
アルモちゃんは頭に私と同じような三角の耳を付け、腰からも逆立った赤黒い体毛が生え揃った尻尾を伸ばし、同じ色の毛皮が腕や足を覆っていた。指も四本になりその先には鋭い爪を生やし、白目が黒くなり瞳も燃えるように赤くなった。そして何よりも皮膚が黒くなり、大事なところ以外裸ともいえる格好をしている。
ガネンも見た目は変わらないものの、立派にインキュバスになっており雰囲気は変わっている。そして3人とも既に立派な夫婦の関係になった。
それでも、私達5人の友情は変わらない。二組の夫婦は、いつまでも仲良しだ。
「それにしても二人とももう立派に魔物だね。ガネンの精の匂いが漂ってくるしさ」
「まあ、ちょっと前までガネン君を犯してたからね。抵抗できずに私の中に射精する瞬間のガネンの屈服した表情がたまらないのよね〜」
「わからなくもないですがわたしはそんなガネン君に激しく犯されるほうが好きですね。神の下へ近付けるほどの絶頂を感じます。リムちゃんはどうですか?」
「私はノフィに後ろからゴリゴリヤられる方がいいかな。上に乗るのもいいけどね。というか、二人とこんな話ができるなんて夢にも思わなかったな」
「まあ、わたしはダークプリーストへと生まれ変わる前でしたら絶対こういう話は嫌悪していたと思います」
5人纏めての後は男女に分かれ、互いの性事情の話題など、ちょっと前まではしなかった話題で盛り上がる私達。
男二人も似たようなもので、どれぐらい絶頂させたかとか性交時に腰の負担はないかとかそんな話ばかりしている。
「しかし、ネムちゃんがダークプリーストになったのは自然な流れと言えば流れだけど、まさかアルモちゃんがねえ……」
「わたしも驚きました。ワーウルフになるのは嫌だと言っていた割には、同じウルフ属のヘルハウンドになったのですからね」
「えっとね……実は小さい時からリムちゃんのような耳とか尻尾とか肉球が欲しいなって思ってたんだよね。今だから言うけど、実はいつも何かの間違いで私を噛んでくれないかなって考えてたんだ」
「で、その結果がヘルハウンド化という事ですね。内にとんでもない凶暴性を隠し持っていたのは驚きでした」
「まあ、ちょっと違うけど私としては同じウルフ仲間ができて嬉しかったよ」
「今度村に戻ってきた時は一緒に駆け回ろうね!」
アルモちゃんと肉球を合わせながら、改めて魔物になった二人の身体をじっと見る。
元々のスタイルが良かった二人は、魔物化した事でより洗練された。
私はちんちくりんなので正直ちょっと羨ましいが、それ以上に同じ魔物になった事が嬉しい。特にアルモちゃんは同じウルフ属なので今まで以上に気が合う。
「パンさん、うちの息子が迷惑を掛けます。よろしくお願いしますね」
「いやいや、気にしないでノフィ君のお母さん。彼にも週1で農学の事を学んでもらいつつ色々とわたしのところの事業を手伝ってもらう予定だからね」
「まあ……本当にありがとうございます。ほらノフィ! あんたも頭下げな!」
「あでっ!? 母ちゃん、その手で強く背中を叩くの止めてくれよ……」
そんな私達の隣では、手足が大きくなり頭から色とりどりの花を生やしたノフィのお母さんと、インキュバスになりすっかり若々しくなったノフィのお父さんがパンさんに挨拶していた。
「兄貴、向こうでもしっかりな!」
「リムさんをしっかり支えるんだよ」
「頑張ってねお兄ちゃん!」
「休みの時は絶対帰ってきてね!」
「絶対だからねお兄ちゃん!」
「おう! お前達も元気でな!」
自分の弟妹に囲まれ、激励の言葉を浴びるノフィ。心なしか目元がウルウルしている。
そんなノフィの弟妹達も皆インキュバスや魔物になっている。マック君に至っては自分にとっては姉に当たるネルムちゃんを始め、仲良しメンバーの中でもう一人いた男の子もアルプになったために全員と関係を持っているので、兄達顔負けのインキュバスになっている。
「リムちゃん、また元気に診療所で診察してね」
「リムちゃんが作ってくれるお薬、待ってるからね」
「立派な医者になって帰ってこいよ!」
「寂しくなったらいつでも会いに来てね!」
他の村人達も、私に沢山の言葉を掛けてくれる。
よく喋る人、診療所で沢山お話した人、本当にいろんな人が見送りに来てくれていた。
「リム」
「リムちゃん」
そして……
「行ってくるねお婆ちゃん、スノア兄ちゃん!」
「うん。立派な医者になって、一緒に働ける日を楽しみにしているよ」
「私達に会いたくなったら、いつでも帰っておいで」
「うんっ!」
もう私の家族と言える、スノア兄ちゃんとお婆ちゃんも見送りに来ていた。
「リム、例え帰ってこなくても手紙ぐらいは送ってね」
「わかってるのスノア兄ちゃん。スノア兄ちゃんこそ返事頂戴ね」
「勿論さ。じゃあ頑張ってね」
スノア兄ちゃんが私の頭を撫でながら頑張れと応援してくれる。
小さい時からスノア兄ちゃんには世話をしてもらった。医者の知識も沢山教えてくれた。そんなスノア兄ちゃんの応援は、とても心強かった。
「それじゃあお婆ちゃん、行ってくるね!」
「気を付けて行ってらっしゃい。いつでも帰りを待っておるからの」
そして、私は最後にお婆ちゃんに抱き付き、出発の挨拶をした。
「頑張って立派なお医者さんになるんじゃよリムちゃん」
「うん。だからお婆ちゃんのほうも、スノア兄ちゃんと仲良くね。勿論恋人的な意味でね!」
「こーれ。お婆ちゃんをからかうんじゃないよ……えへへへ……」
「ふふふっ!」
魔界になってからも、相変わらずお婆ちゃんはスノア兄ちゃんから精を貰わずに過ごしている。
事情が事情なのでこの事は強く口出しできないが、私としては二人にも幸せになってもらいたいものだ。
「リムちゃん、ノフィ君、そろそろ……」
「じゃあお婆ちゃん。そろそろ行くね」
「ああ。行ってらっしゃい」
パンさんに急かされたので、名残惜しむようにお婆ちゃんから離れ、互いの顔を真っ直ぐ見合って微笑む。
これでようやくお婆ちゃんと同じ医者になれる。その期待を胸に私は、ノフィやパンさんと一緒に村を出発した。
「じゃあ転移魔術の魔方陣まで少し歩くけど、本当に忘れ物とかはないよね?」
「はい!」
「お婆ちゃんとの挨拶も済んだし、もう大丈夫です」
皆の声援を受け、手を振りながら村から離れていく私達。
まずはパンさんが普段使用しているポータルに向かう。
「よーし、立派なお医者さんになるぞー!」
「そうだな。俺も魔界の農業についていっぱい知識付けて、少しでも家族や村の助けになるように頑張らないとな」
ノフィと手を繋ぎ、互いの決心を固めながら歩くのであった。
これが、私とお婆ちゃんのお話。
これから先も一緒に医者として診療所で働き、大勢の家族と幸せに暮らす事になるが、それはまた別のお話だった。
「はっ、はっ……ノフィのばかぁ……❤」
それは、ノフィと初めて身体を交わらせた日。
「ら、らってぇ、ノフィのおちんちんがあったんだもん♪ ずぽずぽしたかったんだもん♪」
「ふっ、ふぅぅっ、ぅあっ!」
「もっとノフィの精液欲しい! 好きな人の子供、欲しい! わおおぉぉぉんっ❤」
今までずっと我慢してきたノフィと、ようやく子作りをする事ができた私は、嬉しさのあまりずっと乱れ狂うようにノフィと交わった。
後ろから犯されたり、自分が上になって腰を振ったりと、盛りに盛った。
「なんか、リムの母親の形見だとかなんとか……っておい!?」
「う……うぅ……おかあさぁん……わあああああっ!」
「お、おい! 大丈夫か?」
「うっひっく……ふわああああんっ!」
その途中、渡されたのはお母さんの形見の指輪。
嬉しかったり寂しかったり、いろんな感情が混ざり合って、私は大泣きした。
「というかルネ先生って今何歳だ?」
「え……さあ?」
「さあ……って、リムも知らないのかよ」
「うん。言われてみれば、なんだかんだ教えてもらった事ないよ」
そして……ピロートークの最中、突然浮かんだお婆ちゃんに対する疑問。
教えてくれない年齢、変わらない見た目、そして何より、噛んだのに魔物化しないし、その時感じた変な血の味。
なるべく気にしないようにしながらも、ずっと心に引っ掛かり続けていた。
そしてその疑問は、村が変わる事を告げられた日に、確証へと変わっていったのだった……
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「こーんにーちはー!」
「あっパンさん! こんにちは!」
「やっほーリムちゃん!」
ノフィと交わったからか数日間伸びた発情期も終わった、とある日の午前。
今日は診療所がお休みの日であり、パンさんが来る日でもあった。
「あれ? ノフィ君もいるじゃん! こんにちは!」
「こんにちはパンさん」
今日は診療所にノフィもいる。
というか、初めて身体を交わらせた日から、ほぼずっとこの診療所にいる。
もちろん時々荷物を取りに行ったりと家に帰っているが……発情期で診療所の手伝いをしばらくしていなかった事もあり、大体は診療所にいて、二人でイチャイチャしたり、大事なお話をしている。
「そうそう、ノフィ君にも聞いておきたいことがあったんだけど……」
「リムと一緒に行くかどうかって話ですか? それならもうちょっと待って下さい。一応付いていく方向で考えてますが、まだ不安もあって固まってないので……」
「そっか。まあ、たぶんその不安もすぐ無くなるとは思うけど……それはまた後で。とにかく、一応ノフィ君の部屋とか、こっち来てからやってもらいたい事とかも用意はしてあるから、リムちゃんがわたしのところに行くまでの残り約3ヶ月の間で決めといてね」
「はい。わかりました」
大事なお話というのが、この事である。
この先私は医者になるための勉強をする間、パンさんのところでお世話になる。その時、ノフィはどうするのかという事だ。
私としては一緒に来てほしいと思っている。ずっとそう思っていたし、ノフィの精の味を知ってしまった今、ノフィなしというのは物凄い拷問のように思えてしまうからだ。
「あれ? くんくん……二人とも、セックスしたでしょ?」
「うえっ!? な、何の話だか……」
「誤魔化そうとしたって無駄よ。そういうのわかるんだから。セックス済みなのに付いてこないってどういう事よ? ノフィ君にしたって、リムちゃんがいないと辛いわよ?」
パンさんの言う通り、ノフィだって辛いからできれば付いていきたいとは考えてくれている。
数日間ならともかく、インキュバスになった男性が何か月もパートナーの魔物と性交しないで過ごすなんて不可能に近いのだから。
「それはわかってるんですが……やっぱり、自分の家族の事も心配ですから……」
「……やっぱりね。まあ、わたしはそういう家族の事もきちんと考えられる男、好きよ」
「ど、どうも……」
「でも、リムちゃんも互いに愛し合いながら身体を交わらせた以上家族みたいなものなんだから、リムちゃんの事も優先してあげなさいよ」
「は、はい」
しかし、ノフィにはノフィの都合もある。
今ノフィのとこの家業である畑仕事は、ノフィが中心になっている。まだ身体がそこまでできていない弟妹や、初老の両親だけで畑をやっていくのは大変だ。
だからこそ、ノフィが家族に伝えてある建前通り、どうすればその問題が解決するか、本当についていったほうが良いのか、などを泊まり込んでまでじっくりと考えているのだ。
「パンさんにノフィはあげませんよ!」
「やだなあ好きってそういう意味じゃないよリムちゃん。意外と独占欲強いんだね」
「わ、わうう……だってパンさん、可愛いから……」
「ふふふ、ありがと。それでさ、ルネちゃん達のところに案内してくれる? ちょっと急ぎの要件があるのよね」
とりあえずこの件は置いといて、私達はパンさんを客間まで案内する。
お婆ちゃんやスノア兄ちゃんは今パンさんを招く準備をしていたところだ。ちょっとお話してたし、そろそろ終わっただろう。
「お婆ちゃん! パンさん連れてきたよ!」
「こんにちはルネちゃん!」
「おおパンさん。こんにちは。リムちゃんとノフィちゃんも案内ありがとうね」
客間では、椅子や机を整え終えたお婆ちゃんが待っていた。
スノア兄ちゃんが居ない事を考えると、まだお茶の準備をしているのだろう。
「はいこれ。いつものと、こっちが頼まれてたものね」
「おお。いつもすまんのうパンさん」
「いいってもんよ!」
今日は何か急ぎの要件があるみたいだが、スノア兄ちゃんが居ないからかいつも通り何かの袋をお婆ちゃんに渡すパンさん。
毎度お婆ちゃん用に渡している物があるが、それが何なのかは私は知らない。
お婆ちゃんは全く教えてくれないし、パンさんもお婆ちゃん用の栄養剤みたいなものとしか言わないから、詳しくはわかっていない。
ずっと気になっているが、教えたくなさそうなのでしつこくは聞けなかった。
「お待たせしました。お茶とお菓子持ってきました」
「ありがとうスノア君。早速いただくわね」
お婆ちゃんに荷物を渡したところで、お茶とお手製ケーキを人数分持ってきたスノア兄ちゃんが部屋に入ってきた。
「いつもありがとうございますパンさん。ではこれを倉庫に……」
「あーごめんスノア君。ちょっと急いで伝えたい事があるから席についてもらっていい?」
「あ、はい。わかりました」
やはり何か緊急性のある話があるみたいで、貰った物を置きに行こうとしたスノア兄ちゃんを引き留めて座らせた。
「何かあったのですかいの?」
「ああうん。ちょっと言い辛いんだけどね……まあ、ある意味ノフィ君には朗報かも」
「え?」
「ま、朗報ってのもわたしやリムちゃんの視点であって、たぶんノフィ君も困るとは思うけどね……」
「へ?」
そして、いつになく真剣な表情で話し始めた。
「それで、いったい何が……」
「結論だけ先に言うと、今日から数日以内に……この村は魔界に堕ちる」
「……は?」
もうすぐこの村が、魔界になってしまう事を。
「ちょ、ちょっと待って下さい。今なんと……」
「だから、この村は数日以内に魔界になるって言ったの。多分、もう防ぐ事はできないよ」
「また急だねぇ……」
「まあね。この前バーで飲んでたら既に手を打ってあると言われたもんでね……相手は過激派のリリムだったし、どこぞの四女よりはマシでもわたしじゃ止めるなんてできっこないもの」
「リリムが……ですか……」
どうやら、この村はリリムに目を付けられてしまったらしい。あまりにも唐突で、私は驚きのあまり固まってしまった。
過激派……というのはよくわからないが、話からして無理やり人間を魔物にしたり、魔界に変える人達の事を言うのだろう。
深刻な事態に、お婆ちゃんやスノア兄ちゃんにも緊迫の表情が浮かぶ。言葉がうまく出てこないようだ。
「あの〜……リリムって何者なんですか?」
「ああ、ノフィ君は知らないんだ。サキュバスの一種で、魔王の娘達の総称よ」
「ま、魔王の娘!? そんな凄いのにこの村が狙われているんですか!?」
「そう。だから魔界に堕ちるって断言してるわけ。わたしはそういう無理矢理やるの嫌いなんだけどねぇ……流石に相手が悪いから指を咥えて見てるしかないわけ」
一人ポケーっとしていたノフィは、やはり話をよくわかっていなかったみたいだ。
それでも、リリムが魔王の娘の事だとわかると、少しは事の重大さが伝わったようだ。
「そ、その……魔界になると、どうなるんですか?」
「そうねえ……人間の視点で言うと、常に薄暗くて空気も重く草木が禍々しい物になり皆魔物になっちゃうって感じかな?」
「え、ええええええっ!?」
「まあ、魔物の視点だと外観についてはただの美しい景色にそして暮らしやすい環境になるだけだから、大まかな問題点としては強制的に魔物になっちゃう事だけかな」
そう、この村が魔界化するという事は……村の人たち全員が、否が応でも魔物になってしまうという事だ。お婆ちゃんも、ノフィのお母さんや妹も全員魔物になる。
魔物である私はそこまで気にする事じゃないけど、反魔物領であるこの村において、それはあまりにも残酷な事なのかもしれない。
「流石にちょっと困るのう……まあでも、相手がリリムならパンさんも止められんだろうし、仕方ないのぉ……」
「そういう事。相手が相手だし、そのリリムの口ぶりからしてもう既に何人か魔物にされてるかもしれないけど……もし、人間のままでいて欲しい人がいるなら、今日明日のうちにこの村から遠ざける事ね」
「そ、そんないきなり言われても……どうしてもっと早く教えてくれなかったのですか!」
「まあまあノフィ君。パンさんが教えてくれなかったらいきなり当日だったわけだしさ」
「そ、そうですけど……今日明日で遠くに行けだなんて……畑もあるのに……」
実際、ノフィはかなりショックを受けているようだ。
私と性行為もしたし、あまり神を信用してないし、最近は魔物寄りの考えになっていたとはいえ、ノフィ自身反魔物領の人間として育ってきたから、やはり家族が魔物になる事に抵抗はあるのだろう。
「でもノフィ君的には良い事だと思うけどなぁ……」
「え? 最初にも言ってましたが、それってどういう事ですか?」
でも、パンさんが言う通り、それなら結構ノフィにとっては良い事だと、私も思う。
「だってノフィ君、結局リムちゃんとセックスしちゃったんでしょ? 相手が魔物だからマズいって今までこっちがイライラするぐらいには我慢してたのにさ」
「え、ええ、まあ……」
「それって村の人達が白い目で見てくるかもしれないからでしょ?」
「はい。でもこのままじゃダメだと思って、最悪村八分になる覚悟を決めて……」
「でも、その村人達も魔物になるんだったら、誰もそんな文句言わないじゃない」
「そ、そうかもしれませんが……」
「それにさ、ノフィ君の親御さんだって、魔物に成っちゃえばその分若々しく、さらに人間だった時より力も体力もつく。家庭の事情もなくなってリムちゃんと一緒に来放題じゃん! 悩み事全部解決万々歳よ!」
「ま、まあ、そうなのかもしれませんが……」
村が魔界になる事で、今抱えている問題の大半が解決するからだ。
ここ数日の間は性行為した事がバレたら怖いとビクビクしていたが、周りも魔物であれば何の問題もなくこれからは堂々と身体を交わらせられる。
それに、魔物のほうが力があり丈夫なのは確かだ。ノフィのお母さんが魔物になり、お父さんがインキュバス化すれば、老化による体力の衰えもなくなるので、ノフィが居なくても畑仕事はできるだろう。その結果、私はノフィと離れなくて済むのだ。
「うーん……私は良いと思うけどなぁ……」
「そりゃあ……リムは元々魔物だし、魔界化しても問題ないだろうけどさ……」
「まあでも、リムだってアルモちゃんやネムちゃん、ガネン君が魔物になるのはちょっと困るんじゃないかな?」
「あ、そうか……」
とはいえ、たしかに他の皆まで魔物になるのは少し問題がある。
同じ魔物になる事は嬉しい事ではあるが……シスターであるネムちゃんは勿論、他の二人だって人間としてそれぞれ夢を追っている。
それなのに魔物に代わるという事は……その夢を奪われる事になってしまうからだ。少なくとも、アルモちゃんとガネンは今通っている機関には行けなくなるどころか、アルモちゃんは向こうの友達に討伐対象として追われる立場になってしまう。
魔物になってから新たな夢を見つければいいと気軽には言えない。そう考えると、手放しで喜べる事ではないのだろう。
「まあ、ルネちゃん達は何の問題もないだろうけど、ノフィ君達は色々困るだろうなと思って、とりあえず先に伝えたわ。どうしても魔物化してほしくない人が居たら伝えてあげてね」
「わかりました」
「まあ、魔物化する事は何も悪い事じゃなくて、むしろ良い事だと思うけどね。人間が罹る病気や衰えも解消するし、医者いらず……とまではいかないけど、日々健康で居られるわよ」
「それはそれでうちが困るんだがのぉ……」
「あ、そうだね。まあ、魔物でも怪我はするし、全く需要がなくなる事は無いだろうけどね」
私としては、皆が魔物になっても良いかなと思うところもある。そうすれば、もっと仲良くなれる気がするからだ。体力が付き病気にもなりにくくなり、いい事尽くしでもある。
でも、それは私のような魔物の考えだ。
昔、アルモちゃんやネムちゃんにワーウルフになってみたいかと聞いた事があった。その時の返答は、二人とも「嫌」だった。
魔物になるのは凄く怖い事。自分という存在が、根本から変えられてしまう事だから。そんな考えがある人が魔物になるのは、どれだけ怖いのだろうか。
「ねえお婆ちゃん」
「なんだいリムちゃん?」
「お婆ちゃんは、魔物になってもいいの?」
「え……それは……」
だから私は、魔物になってしまうお婆ちゃんに、魔物になってもいいのかを聞いてみた。
「ルネちゃんは大丈夫よ。だって……」
「パンさん!」
「おっと。な、何でもないよ。気にせず続けてね」
「はぁ……」
そしたらパンさんが割り込んできて、何かを言おうとした。けれど、お婆ちゃんが慌てて遮り、止めてしまった。
ルネちゃんは大丈夫……とはいったいどういう事だろうか。
最近ずっと渦巻いていた疑問が、大きく浮かび上がってくる。
もしかして、というかやっぱりお婆ちゃんは……
「それでリムちゃん、その答えだけど……」
「ああ、やっぱりいいよお婆ちゃん。怖いに決まってるもんね」
「あ……うん。そうじゃよ……」
けれど、この疑問はまだ押し込めておきたい。
今は魔界化問題もあるし、何よりこの疑問に対する回答を知ってしまったら、自分がどう思うのかわからないから。
「……」
「あの、パンさんはさっきから魔物になる事は良い事って言ってますが、パンさん自身は魔物になるのは怖くないのですか?」
「え?」
少しだけしーんとした後、ノフィが不意にそんな事をパンさんに尋ねた。
どうやらノフィはパンさんがやけに魔物視点で話をする事に疑問を持っていたようだ。
たしかに、私達の前に現れるパンさんは普通に人間の少女のような姿だし、疑問に思うのは仕方ない。
「あれ? ノフィ君に言ってなかったっけ?」
「え? 何がですか?」
「まあでも、皆に会う時はずっとこの格好だから、ノフィ君やリムちゃんが知らなくてもおかしくないか……わたし、魔物だよ」
「え……ええっ!? そうなのですか!?」
パンさんの人化の術は完璧みたいで魔物の魔力を感じないため、私だって初めて会った後数年間はパンさんの事を人間だと思っていた。というか、未だに魔物としてのパンさんを見ていないので、魔物だろうなとしか思っていなかったぐらいだ。
同じ魔物である私ですらこうなのだから、ノフィが知らず驚くのも無理はない。
「そうだよ。まあ折角だし、今から本当の姿を見せてあげるよ。あ、他の人に見られると困るからカーテンは閉めてね」
「わかってますよ」
「それじゃあご注目〜」
そう言ってパンさんは椅子の上に立ち上がり、スッと何かを念じた。
その瞬間、パンさんの身体から魔力が膨れ上がり……頭から、大きな角が2本、上に向かって伸び始めた。耳も人の耳と同じ位置から、赤茶色の垂れている獣耳に変わった。
手足の形が少しずつ変形していき、足の先は蹄になり、手も指の数が減り、爪が鋭くなり、そして肉球らしき膨らみが現れた。その形に合うように、赤茶色の獣毛が、肘や膝から先を覆うように生える。
最後に尾てい骨の辺りから、ファサ……っとふわふわの尻尾が飛び出した。
「マジカル・プリティ♪ 幼女界の首領、バフォメット参上☆」
「マ、マジ……?」
「プリティ?」
「ちょっとそこ、反応悪いよ。恥ずかしいじゃない!」
変な事を言いながら変化を終えたパンさんの姿は、山羊の魔獣、バフォメットになっていた。
「で、でも……本当に魔物だったんだ……」
「ふふーん、そういう事」
「リムちゃんはあまり驚いておらんようじゃのぅ」
「うん。魔物、しかも上位の種族なのはなんとなく予想はできてたからね」
そもそも、人化の術を私に教えてくれたのはパンさんだ。パンさんが人間であればこんな術を覚える必要がない。それに、スノア兄ちゃんよりずっと年上と言っている割にはいつまでも若い姿のままなので、たぶん魔物なんだろうと思っていたのだ。
そう、魔物なのだから、見た目の歳はそう変化しないだろう。
「それに、パンさんの部下ってファミリアとか魔女とかだったし、バフォメットだったらむしろそうだろうなと思った」
「まあ、言う機会がなかっただけで別に隠していたわけじゃないからね。わかる人にはわかるよ」
それに、パンさんは大勢の部下を連れている偉い立場の人だ。人脈や力もあるようだし、上位の種族かなとも思っていた。バフォメットだったらむしろ納得だ。
「ま、そういう事で、わたしは魔物だからこの村が魔界になる事自体は賛成ってわけ。そのほうがこの村にも行きやすくなるしね。まあ、無理やりってのは気に食わないけどね」
「はあ……そうですか……」
驚きの表情を浮かべっぱなしのノフィや、魔物としての姿をしたままのパンさんと、これからの事や全く関係ない雑談を昼過ぎまでしたのであった。
……………………
「それで、結局どうする? ノフィの両親やガネン達に伝えに行くの?」
「うーん……」
夕方。パンさんが帰宅した後、改めてこれからどうするかを相談していた。
「おや、悩んでいるのかい?」
「はい……家族が強制的に魔物に変えられるなんて聞いたときは確かに嫌だなと思ったんですけど……よく考えたら、そこまで悪い事は別にないしなあと……それに、今伝えたところでどうしようもない気がしますし……ならいっそ伝えないほうが良いかなと……」
両親やガネン達にこの事を伝えるかどうか、ノフィは悩んでいるようだ。
たしかに、今伝えたところで対策なんてできないし、教えて下手に恐怖を与えるよりは状況が理解できない一瞬のうちに魔物にされたほうが良いのかもしれない。
一概にはそうとは言えないが、きっと魔物になった後ならば魔物になって良かったと思うはずだし、先に話して不安を煽るよりは良いだろう。
「せめて神父様達には相談したほうが良いかもね。もちろん、パンさんの事を伏せてだけど」
「かもしれんのぉ……あそこは教団の施設じゃし、魔界化しますと言われてはいそうですかとはならんじゃろうしなぁ……」
それでも、スノア兄ちゃん的には、教会にいる人達には最低限話しておいたほうが良いかもしれないとの事。
たしかに、自分たちの村が魔界になるなんて神父さんやリーパさん、それにネムちゃんは断固反対だろう。無駄な抵抗だとは思うが、この村から逃げるなり対抗するなりするためにも伝えたほうが良いんじゃないかと私も思ったが……
「いや……多分、それも無駄だと思います」
ノフィが、それは無駄だとバッサリ切り捨てた。
「どうしてそう思うんだい?」
「いや、たしかさっきパンさん『もう既に何人か魔物にされてるかもしれないけど』って言ってたよなって。それ、多分教会の人達の事かと」
「えっそうなの?」
ノフィ曰く、既に教会の人達は魔物にされているかもしれないとの事だ。
「ああ。あの指輪をヤムさん達から受け取った時の事だけど……ネムを始め、どうも全員様子がおかしかったんだ。そもそも俺がリムと身体を交わらせる決心がついたのだって、教会の人達が後押ししてくれたからだし……」
「へ? 教会の人達って、あのネムちゃんやリーパさんも?」
「ああ。ほら、なんかおかしいだろ? お前ら結婚して子供産めよみたいな事言われたからな……もしかしたらヤムさんやアミンさんも魔物化してるかもな」
「成る程……たしかに、この村を魔界にするにはまず教会を堕とす……というか、教会さえ堕とせばあとは何も怖くないからね」
ノフィからその話を聞いて成る程と思った。全然気にしてなかったが、たしかにおかしい話だ。
ハッキリとは言わないが私とノフィが身体を交わらせる事に反対していた教会の人達が、ここ数日で手の平を返すなんて、絶対に何かあったとしか思えない。
思えば、数週間前に皆と会った時、ネムちゃんは神父さんとリーパさんが二人きりで部屋に篭って出てこないという悩みを抱えていた。私はそれを魔物的思考で性行為をしていると考えたわけだが、こうなると当たっていた可能性が高くなる。
つまりは、先程のパンさんの話で出てきた既に魔物にされてるかもしれない人が、ネムちゃんを含めた教会の人達の事の可能性が高いという事だ。
「どうする、確かめに向かう?」
「それはそれで怖いんだが……行くならリム一人で行ってくれね?」
「えぇ〜……流石に突然リーパさんやネムちゃんに魔物化したのかなんて一人じゃ聞けないよ。もしそうだったらどうすればいいかわからないし……」
「だよなぁ……」
とはいえ、それを今から確かめに行く勇気はない。
もし本当に魔物になっていたとしたら、正直どう対応すればいいかわからない。
という事で、来る日が来るまで教会には近付かない事にした。もしヤムさん達がまだいるとしたら指輪のお礼を言いに行きたいが、それもその日までやめておく。
「はぁ……じゃあさ、今からちょっと散歩しねえか?」
「いいけど、どうかしたの?」
そしてもう一つ、私には確かめる勇気がない物がある。
そっちはどうしようか……なんて考えていたら、ノフィが散歩に誘ってきた。
「いやほら、魔界になったらこの景色も変わっちゃうんだろ? だからさ、今のうちに見納めておこうと思ってな」
「そうだね。それじゃあ行こうか」
魔界の景色は知らないが、パンさんの話からして少なくともこの村の景色は変わってしまうのだろう。変わるのが嫌という事ではないが、少しだけ寂しく思う。
だからこそ、今のうちに今この村の景色を二人で見ておきたい。なので、ノフィの提案に乗って私達は村中を散歩することにした。
「行ってらっしゃい。ノフィ君今日もうちで食べるよね?」
「あ、はい。今日は流石に家に帰って寝る予定ではありますが、夕飯はお世話になろうかと……」
「了解。それじゃあ夕飯までには帰って来るんだよ」
「はーい」
「気をつけてなぁ。最近は暗くなるのも早いから、足元には十分気を付けるんじゃよ」
「うん。行ってきますお婆ちゃん!」
席を立ち、スノア兄ちゃんとお婆ちゃんに行ってきますと挨拶をし、ノフィと手を握りながら、夕日に輝く村へと散歩に出かけたのであった。
「……さて、これからどうしようかねぇ……」
「僕は夕飯作るからお婆ちゃんはゆっくりしていなよ」
「あ、いや、そっちじゃなくての……魔界になるという事は、いつまでも隠せはせんと思っての……」
「ああ……そうだね。村の人達も魔物になるし、些細な問題だとは思うけど……」
「リムちゃんには……腹を割って先に話したほうがええかのう……」
「……それは、悪いけどお婆ちゃん自身に任せるよ。言いたくなければ、その時まで黙っていればいいし、黙っているのが辛ければ、リムに正直に打ち明ければいいよ。リムはそんな事じゃお婆ちゃんを嫌いにはならないと思うしね」
「簡単に言ってほしくはないんじゃがのぅ……じゃが、もう少し考える事にするかのぉ……」
私達が出て行った後、残った二人が何かを話していたようだが、私には知る由もなかったのであった……
……………………
「結構寒くなってきたな」
「そうだね。毛皮も少しもふっとしてきたし、そろそろ寒い季節になるね」
黄昏時、子供から大人までちらほら見かける村の中。
私はノフィとしっかり手を握りながら、ゆったりと歩いていた。
「おーいリムお姉ちゃーん、ノフィお兄ちゃーん!」
「ん? よおチビ達!」
「やっほ。どうしたの?」
畑や田んぼに囲まれた場所を歩いていたら、後ろから小さな子供達3人、それぞれ男の子一人と女の子二人が走ってきた。
彼らはこの村に住む、私がこの村でノフィと出会った頃よりも小さな子供達だ。
出産もお婆ちゃんと一緒に立ち会うので、私は彼らが生まれたばかりの頃から知っている。この3人とノフィの上の妹のネルムちゃんと下の弟のマック君を合わせて5人、皆同世代の仲良し元気っ子だ。
「見て見て〜! お花の冠ー!」
「リーパ様とネムさんに編んでもらったんだー!」
「綺麗でしょー!」
「へぇ〜、凄く綺麗だね」
「ここら辺では見た事ない花だな。それどうしたんだ?」
「教会の裏に咲いてたの! 今年になって咲いた新しいお花なんだって!」
白く淡い色をした花で作られた冠を嬉しそうに見せてくる子供達。
ここらで見た事のない、仄かに光っているような気もする綺麗な花だ。
私は魔物という事もあってあまり教会に近付かないので、今年初めて咲いた花なら知らなくても当然だろう。
「そうそうノフィお兄ちゃん、これネルムちゃんとマック君の分。渡しておいてほしいの」
「おうわかった。今日は二人とも手伝いしてるはずだから遊べなかったけど、これからも仲良く遊んでやってくれよな」
「うんっ!」
「もちろん!」
「当たり前だよ!」
手に持っていた花冠を2つ、ネルムちゃんとマック君にとノフィに渡す3人。
「それじゃあ、二人のデートの邪魔しちゃいけないから私達もう行くねー!」
「おう、じゃあまたな!」
そして手を振りながら、3人仲良く駆け去って行った。
「花冠か……そういえばネムは作るの得意だったな」
「だね。私やアルモちゃんは全然作れなかったから、いつも羨ましく思ってたな」
子供の頭にはピッタリな小さくて綺麗な花冠。女の子は勿論、小さな男の子も喜ぶだろう。
リーパさんやネムちゃんに作ってもらったとの事だが、なるほど確かにきちんと作られている。私も昔ネムちゃんに作ってもらった事があるが、それよりも上手になっているようだ。
「しっかし、魔界になったらあの子達も魔物になっちゃうのか……」
「だろうね。でもまあ、子供だったら性格は全く変わらないんじゃないかな?」
「まあそうだろうな。リムだってあんなだったし」
「そう? そういうノフィはもっと元気で生意気だったよね」
「うるせえ。んな事自分でわかってるっての」
子供達が走り去った後、再び手を繋いでゆっくりと歩き始めた私達。
「子供の頃といえば、この道も子供の頃はしょっちゅう皆で走ってたよな」
「そうだね。村中で鬼ごっこしてたり、村の広場から教会まで競争したり……そういえば、結局ノフィはインチキスタート以外じゃ私に勝てなかったよね」
「そりゃあそうだ。小さい頃はムキになって頑張ったけど、流石に同い年のワーウルフには勝てねえよ。元々脚力のある種族だろ?」
「まあね。半分狼だし、ワーウルフは元々森林や山地を駆け回る種族だからね」
「4足歩行でも速いっていうのは反則だよなあ……リムが転んでよっしゃと思ったら手をついた状態でグングン加速していったときは唖然としたからなぁ……」
「あったねそんな事も。この村に来る前は手も使って山を走る事も多かったからね。まあ、普段は手が汚れるから絶対やらないけど」
子供達の姿をかつての自分達に重ね、それがきっかけで昔話に盛り上がる。
幼い頃はよく5人でこの畑地帯を駆け回ったものだ。私やノフィがグングン走り、いつもガネンがダウンしていた。懐かしい思い出だ。
「いつからだろう……5人で遊んでも村中を駆け回らなくなったのって」
「うーん……まあ、ネムがシスターになるために遠くに行ったり、アルモが隣町の養成学校に行ったりして中々全員揃わなくなってからだろうな。その頃から俺も畑仕事で皆と遊んでばかりいられなくなったし、ガネンも学者を目指して学術機関に通い始めたのもそれぐらいからだろ」
「だね。私もその頃から出産や治療に立ち会う事が多くなったし、皆忙しくなったよね」
「今はネムもだけど、あの頃はいつも村にいるのも俺とリムだけだったからな。いつまでも子供のままじゃいられないのはわかってたけど、ちょっと寂しかったな……」
「うん……」
いつ頃からか、そうやって村中を無邪気に駆け回る事が無くなった私達。
それは私達が大人になるにつれて互いの夢に向かって動き出し、そうやって遊んでいられなくなったからだと思うが……こうやって振り返ってみると、少し寂しく思う。
「まあ、なんだかんだ今でも皆仲良しだし、これからもずっと集まっては笑い合える仲で居れたらいいかな」
「だな。ネムとアルモの仲が少し心配だけど……っと、それも魔物になれば問題ないのか?」
「たぶん。一夫多妻は魔物ではよくある事……だと思う」
「まあ、魔物になっちまえば一夫多妻でも目を瞑るだろうしな。あ、言っておくけど俺はお前以外見向きもしないからな」
「なっ!? あ、ありがと……急にそんな事言わないでよ。恥ずかしいじゃんか……」
恥ずかしい事を言われながら、私達は田畑区域を抜けて、いつものコースである商店や住宅地が並ぶ村の中心を歩く。
少しずつ暗くなった事もあり、中心地だというのに人影は先程よりも疎らだ。
その代わり、いくつもの家の窓から明かりと一家団欒の声が漏れている。これから夕飯を食べて、眠りにつくのだろう。
「それにしても、あちこちから笑い声が聞こえたりいい匂いがしたりしてるね」
「こんな光景も魔界になったら見られなくなるのかな……」
「いや、それはないんじゃない? 集落でもこんな感じだったし。しいて言うならばこの中に喘ぎ声が追加されるだけだよ」
「そっか……まあ、魔物も人間とそんなに変わらないもんな。そりゃそうか」
そんな中を、これから魔界になる事柄の話題をしながら歩く私達。
私たちのほうを微笑みながら見る人は居ても話の内容を盗み聞きする人は居ないので、おそらく誰にも知られてはいないだろう。
「それにさ、なんというか、魔界になるならない関係なしに、小さい頃と比べると少しずつ変わってる気がするよ」
「まあ……そうだな。よく集合場所にしていたそこの広場も、昔はもうちょっと草や木も多かったよな」
「そうそう。何年か前に木が病気になっちゃったからって切っちゃったんだよね。他にも昔はあったものが無くなってたり、逆になかったものが今はあったりしてさ。公園なんて数年前まではなかったし、逆に昔はあった垣根がなくなってるしね……」
「まあ、公園は昔から要望があって、村長さんがようやく重い腰を上げたからできたらしいぞ」
「へぇ……村長さんも最初は絶対私と関わろうとしてくれなかったけど、随分と優しくなったなぁ……そう思うと、人も随分と変化しているよね」
外観だけで言えば、この村に来た当初と今を比べても、細かいところから大きなところまでいろいろ変わっている。
見た事が無いので詳しくは知らないが、きっと魔界になったら外観はもっと大きく変わってしまうだろう。
人の態度もそうだ。村長さんや村の住民だけでなく、私やノフィだってかなり変わっているのだから。
「だな。そう思えば、魔界化なんて大した事のない変化のような気もしてきた」
「まあ、それは結構いろんなものが一気に変化するから立派な異常事態だとは思うけどね。でも、結局この村自体は変わらないんだよ」
だけど……魔界になっても、空模様や雑草なんかは変わってしまうし、一部の人は淫乱になるなど性格も変わるだろうけど、この一家団欒の風景は変わらないはずだ。
魔物になったからって別に四六時中交尾しているわけではない。今は交尾よりもこうしてノフィと手を繋いで散歩していたいと私が思うように、家族でゆっくりご飯を食べながらお話をしたいと思う魔物だっているのだから。
「まあそんなものか……あ、ちょっと家に寄ってっていいか?」
「うんいいよ。それ先に渡しに行くんだね」
「そういう事。いつまでも俺が持ってたらあいつらに渡る前に折角の花が枯れちまうかもしれないしな」
そんな感じで村の中を散歩していたら、ノフィの家が見えてきた。
ノフィはさっき渡された花冠を先にネルムちゃんとマック君に渡すため、一旦家に寄っていくみたいだ。
「ただいまー」
「おかえり……ってノフィ、あんた確か夕飯はルネ先生のところで世話になるって言って……あ、リムちゃん。こんばんは」
「こんばんはノフィのお母さん」
玄関を開けただいまとあいさつをすると、家の奥から丁度夕飯を作っていた最中らしくエプロン姿のノフィのお母さんが出てきた。
夕飯も私の家で食べると伝えてあった息子が帰ってきた事に怪訝な表情を浮かべていたが、私の姿が目に入った瞬間笑顔になって挨拶をしてくれた。
「どうしたのよ二人とも……あら、綺麗な花冠じゃない。どうしたのこれ?」
「いや、今ちょっと村中を散歩していて、さっきチビ達にこれネルムとマックにって渡されたもんで先渡しておこうと思ってさ。なんでもネムやリーパ様に作ってもらったんだと」
そう説明しながら、手に持っていた花冠を二つともお母さんに渡すノフィ。
玄関先で薄暗い中、白い花冠は仄かに光って見えた。
「へぇ……綺麗じゃないの。私もこういうの好きよ。それじゃあ二人の枕元にでも置いておくわね」
「枕元? 今二人は寝てるのか?」
「ええ。今日は二人とも朝からおやつ時までずっと畑や倉庫の整理手伝ってくれていたからね。疲れてくたくたで今ぐっすりってわけ」
「そっか。それじゃあ起こすのも悪いし、任せたよ母ちゃん。じゃあまた後で」
どうやらネルムちゃんとマック君は寝ているようなので、花冠だけノフィのお母さんに渡して家を出た。
「……」
「どうしたの難しい顔して……やっぱりお母さん達は魔物になってほしくない?」
「いや、というかなんか想像つかねえなと思ってな……ずっと人間だったし、魔物になるって言われてもさ。人間姿のリムは……時々見るか。もう慣れたけど、やっぱ最初は違和感しかなかったしな」
「まあそうかもね。でも、人化の術を使ってる私に慣れたんだし、そのうち慣れるよ」
「慣れる……かな?」
その頃にはもう日の明るさが完全になくなり、空には月が浮かび星が輝く始めた。
「そういえば……魔物になるって言うけど、何の魔物になるんだ?」
「さあ、サキュバスか何かじゃない? 私魔物だけどそこまで他の魔物の事に詳しくないし……私が噛めば皆安定してワーウルフになるけどさ」
「お前、魔界化に便乗してそういう事しようとするなよ?」
「しないよ。ジョークだってば」
勿論教会に近付く気はないので途中で脱線する予定だが、中心部を少しはみ出し、教会方面へと足を動かす。
「ならいいけど……さて、そろそろ曲がるか」
「そうだね。このまま真っ直ぐ行くと教会だし、絶対ネムちゃん達に遭遇するだろうしね」
「それな。なんかネムを避けているみたいで嫌だけど……」
「うん……でもちょっと怖いし……」
「あら、何が怖いのですか?」
「うえっ!?」
そして、予定通り脱線しようとしたところで……後ろから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
できれば今会いたくなかった、馴染みのある声が。
「よ、ようネム」
「ど、どうしたのこんなところで?」
「こんなところも何も、教会はこの先ですよ?」
「ああ、そうだったな」
後ろを振り向くと……そこにはネムちゃんが立っていた。
「いやでも、この時間に外出てるのって珍しくない? たしか夕飯か教会内の雑務中じゃなかったっけ?」
「ええ、平常時ではそうです。ですがまあ今日はちょっと用がありましてね。ついさっきまで実家のほうへ行ってました。ああ、病気とかそういうのではないのでご心配なく」
この時間に教会の外にいる事はまずなかったので完全に油断していた。どうやら今日は特別な用事があったみたいで、決まった時期以外は帰っていない家のほうに行ってたみたいだ。
「ん? でもさっき子供達がお花の冠編んでもらったって……」
「その後から向かったのです。ついでに家で夕飯を食べ、今教会に戻っている最中です」
「……そうか……」
そして今丁度戻っているところだったらしい。
全然気づかなかったが、もしかしたらずっと後ろにいたのだろうか。
「で、何が怖いのですか? お二人の姿が見えたので声を掛けようと近付いたらそんな言葉が聞こえてきたので……」
「え、あ、いや、な、何でもないよ」
「そうですか? リムちゃんは友人ですから、遠慮せずに相談してください」
「う、うん。でも本当に何でもないから……」
「そうですか……」
どうやら話を聞かれていたわけではなさそうだが、ある意味一番面倒くさい部分が聞かれていたようだ。
流石にネムちゃん自身だとは言えないためとりあえず誤魔化すが……やはり納得してなさそうな顔をしている。
「あら? その指輪は……」
「ああうん。ヤムさん達が持ってきてくれたお母さんの形見だよ。無くさないように大事にするからしまっておくつもりだけど、しばらくは身に付けてようと思って」
「そうですか。とにかく、それは本当にリムちゃんのお母さんの形見でしたのね。良かったですね」
「うん!」
だが、私の指に嵌めてあるお母さんの形見の指輪に気付いたみたいで、うまい具合に話題が逸れた。
ノフィは教会でこの指輪を受け取ったらしいので、ネムちゃんも知っていたのだろう。お母さんの形見だった事を伝えた。
「ヤム様やアミン様へのお礼は済ませましたか?」
「ううんまだ……というか、まだ教会に居るの?」
「ええ、しばらくはご滞在されるようですよ。とはいえ、今は不在なのでまたの機会にですね」
「あ、そうなの。それは残念」
どうやらヤムさん達はまだこの村の教会に居るようだ。あっちから会いに来ないのは、やっぱりお婆ちゃんが怖いからだろうか。
まあ、どちらにせよ今会うのは気が引ける。不在な事に残念と口に出しつつ、内心ではほっとする。
「それではわたしはここで。折角のお二人のデート、邪魔してはいけませんものね」
「え、ああ、うん。それじゃあ」
「じゃあなネム。また」
「ええ、また今度」
そして、何事もなかったように別れた。
結局ネムちゃんが魔物になったのかどうかは切り出せなかった。
「結局どうなのかよくわからなかったね」
「……いや、多分魔物になってるだろうな」
「え?」
だから結局真偽は不明……かと思えば、いきなり断言したノフィ。
「なんでそんな事言えるの?」
「だっておかしい……って、神様に祈らないリムが知るわけねえか。子供達が去った後、夕飯までの時間はさ、主神教徒は祈りの時間なんだよ。それを病気とかでもないのにシスターであるネムが無視して実家になんて行くわけがない」
「あー成る程。それは怪しすぎるね」
何か根拠でもあったのかと思ったが、なるほど確かにそれならばほぼ絶対的だ。
「まあ、その神自身に許しをもらってという可能性もなくはないけど……まずないだろ」
「だね。そういえばちょっと前にネムちゃん、神の声が聞こえるようになったと言ってたけど……」
「それが魔物の神か何かで、その声を聞いていたんじゃねえのか? そこまでは流石に推測の域を出てねえけどな」
やっぱりネムちゃんは魔物に、そしてそんなネムちゃんが堂々としている事からリーパさん達も魔物になっているのだろう。
そんな事をノフィと話しながら歩いているうちに、診療所が見えてきた。
「おっいい匂いがする……」
「くんくん……醤油やみりんの匂いがするし、今日はジパング料理かな? ジャガイモやお肉、玉ねぎの匂いもするから……肉じゃがかな?」
「この距離でそこまでわかるとは流石だな」
「嗅覚は狼……つまり犬と同等だからね。ちなみに、それに魔物補正も入ってノフィの匂いなら村の端と端ぐらいの距離離れててもわかるよ」
「お、おう……恐ろしいもんだ」
診療所のほうから漂ってくる良い匂い。どうやらスノア兄ちゃんの料理がもうすぐ完成するようだ。時間的にも丁度良かった。
だから私は、ノフィと共に家に戻ったのであった。
「……やっぱり、今日聞いてみようかな……」
「あん? 何か言ったか?」
「ううん、別に。こっちの事」
「ふーん……」
ここのところずっと、特に今日一日中悩んでいたことに、決心を固めながら……
……………………
「……」
その日の夜。
今日はノフィがいないので性行為もできない。という事で大人しく寝て……はいなかった。
「お婆ちゃん、ちょっといい?」
「ん? リムちゃんかい? いいよ、入ってきなさい」
私はとある決心をし、お婆ちゃんの部屋を訪れた。
少し緊張しながら部屋に入ると、お婆ちゃんは椅子に座ってゆったりとしていた。
「どうかしたのかい?」
「うん……ちょっとね」
もう夜遅い時間だが、まだ寝る気配はなかったので私は遠慮なくお婆ちゃんのベッドの上に腰掛け、話を切り出した。
「お婆ちゃん、正直に話してほしいんだ」
「何をだい?」
「私に隠している事全て」
「……」
初めて出会った時からずっと私に隠している事、その全てをお婆ちゃんから聞き出そうと決心した私。
真っ直ぐお婆ちゃんを見つめ、教えて欲しいと頼み込んだ。
見た目が変わらないし、噛んでもワーウルフ化していないって事は、きっと魔物なんだろうという予想はしているが、果たして……
「……私は別にリムちゃんに何も隠し事などしておらんよ」
「……ふーん……」
やっぱり素直には教えてくれない。
予想はできていたが、隠し事はしていないと言い張る。
だが、少なくとも昔から私には自分の裸姿を隠し続けていた。立派に隠し事はあるのだ。
「ねえお婆ちゃん」
「何だい?」
「私ね、お婆ちゃんに会えて本当に良かったって思ってるんだ」
「え……」
だから私は、先に自分の想いをお婆ちゃんに伝える事にした。
「心無い人間達に襲われてこの村にボロボロの状態で逃げ込んだ私を救ってくれた。それだけでも命の恩人なのに、そんな事があって人間を信頼できなくなってた私と本気で向き合ってくれた。そして、こうして立派に育ててくれた。感謝してもしきれないよ」
「リムちゃん……」
「私にとってお婆ちゃんは、二人目のお母さん。かけがえのない家族。どんなことがあってもずっと一緒に居たいし、困っていたら迷わず助けたい。そしていつまでも甘えたい。大好きだよ」
お婆ちゃんのおかげで、私は今まで生きていられた。
お婆ちゃんのおかげで、私は人間を嫌いにならないで居られた。
お婆ちゃんといつまでも一緒にいたいから、一緒に働きたいから、私は医者を目指している。
私にとってお婆ちゃんは、両親やノフィ達と同じかそれ以上に、かけがえのない人だ。
「だからさ、例えお婆ちゃんがどんな秘密を持っていようが、例え人間じゃなかろうが、私はお婆ちゃんが大好きな事は変わらない。だって、お婆ちゃんはお婆ちゃんなんだから!」
「……」
私は、私がお婆ちゃんに対して思っている事を率直に伝えた。たとえお婆ちゃんが何者であれ、私はお婆ちゃんが大好きなのだと。
静かに聞いていたお婆ちゃんは、心なしか目にうっすらと涙がたまっているように見えた。
「わかった。リムちゃんには正直に話そうかのぉ……」
しばらくは静かにしていたが……何かを覚悟した顔を浮かべながらそう言って、椅子から立ち上がったお婆ちゃん。
「人間じゃなかろうがと言うって事は、ある程度予想はしておるんじゃろ?」
「うん、まあね。老齢の姿だったり、色々な点が引っかかるけど、魔物かなって」
「そう……じゃのう……」
そう言いながら、自分の服に手を掛け、ゆっくりと脱ぎ始めたお婆ちゃん。
「本当は、いつか言おうと思っておった。でも、嫌われるのが嫌で言えなかったんじゃよ……なんせこの身体は、ちと特殊じゃからの……」
今の今まで頑なに隠していた自分の裸姿。それを、とうとう私に見せてくれた。
「……え?」
「驚いたかの……」
その姿は……流石に予想できていなかった物だった。
「これって……」
「触ってみてもええよ」
お婆ちゃんの身体は、一見すると人間と変わらないように見えた。
だが、その身体には手足や顔と違い皺がほとんどなかった。
しかし、そんな事が些細に思えるほどのものがお婆ちゃんの身体にはあった。
「この隙間……それにこの球体……もしかしてこれが関節なの?」
「そうじゃよ」
人間の身体で言う関節の部分が少し離れており、その間には球体が入っていた。
それは、人形に使われている球体関節そのものだった。
「私は、リムちゃんが言った通り確かに魔物じゃ。種族は、リビングドールじゃよ」
「リビングドール……」
リビングドール……生きている人形。
確かに、お婆ちゃんの身体は、手足や顔の部分を除けば人形そのものに見える。その言葉通り、お婆ちゃんはリビングドールという魔物なのだろう。
「いや、でも……リビングドールっておかしくない? だってスノア兄ちゃんはお婆ちゃんの孫だし、それに人間がリビングドールになるなんてまず無理だと思うけど……かと言って生まれた時からリビングドールだったら、なんでスノア兄ちゃんのお婆ちゃんなのかわからないし、スノア兄ちゃんが生まれる前からの記憶があるっていうのもよくわからなくなるし……」
「そうじゃのう……」
だが、それはそれでおかしな話だ。
お婆ちゃんがリビングドールだったとして、どうして孫であるスノア兄ちゃんが居るのだろうか。
もしかしたらスノア兄ちゃんが、最低でもスノア兄ちゃんのお父さんに当たる人を産んでから魔物化したかもしれないが……人形になる事はあるのだろうか。
しかし、リビングドールとして生まれたのであれば、お婆ちゃんの姿をしている事や、スノア兄ちゃんが生まれるよりも前の記憶がある事が疑問だ。
よくわからず、私は首をかしげる。
「実はの、私はスノちゃんのお婆ちゃんであって、お婆ちゃんではないんじゃよ」
「え? つまりどういう事?」
「その前にリムちゃん、リビングドールという魔物の事はわかっておるかの?」
「うーん……人形の魔物で、強い情念が魔力と結びついて生まれる魔物って事ぐらいしか。お婆ちゃん以外じゃ実際に見た事ないしね。でもそれがどうかしたの?」
お婆ちゃんはお婆ちゃんであってお婆ちゃんではない……益々訳が分からなかった。
だからこそ、私はお婆ちゃんに説明を求める。
「リビングドールはの、粗末に扱われたり大切にされる事で人形に魔力に結ばれた情念が宿って生まれる魔物じゃ。しかしの、稀に例外があったりもするんじゃよ」
「例外?」
「私に宿った魂は魔力が結びついて生まれたものではなく……スノちゃんのお婆ちゃん本人の物なんじゃよ。お婆ちゃん自身が、お婆ちゃんといつも離れたくないと泣き叫んでいたスノちゃんの為に作った、等身大お婆ちゃん人形にのぉ……」
「えっ!?」
どうやらお婆ちゃんは、お婆ちゃん自身の姿をした人形にそのお婆ちゃんの魂が宿った存在らしい。
そういえば昔お婆ちゃんがスノア兄ちゃんがどれだけ大切かという事を語っていた時に、そんな人形を作ったみたいな事を言っていたような気がする。
それなら確かにスノア兄ちゃんが生まれる前の記憶を持っていてもおかしくはないかもしれないけど……
「でも……そんな事って実際にありえるの?」
「パンさんにも相当レアなケースとは言われたのう。だが、本当にそうなんじゃよ。別れたくないと泣き叫ぶスノちゃんに申し訳なく思いながらも眠りについた……と思ったら、スノちゃんが泣きながらしがみ付いておる人形の中からスノちゃんを見ておったのじゃからな……」
「そうなんだ……」
「まあ、それが無くともスノちゃんに大切にされておったから、リビングドールになる可能性はあったらしいがの。実際、お婆ちゃんが生きている時の、私から見たスノちゃんの記憶も持ち合わせておるからの。それに、だからこそ魂が人形に定着したとかパンさんも言っておったかのう」
そこまで他の魔物について詳しくないが、流石に人形にお婆ちゃんの魂が宿るなんて事があるとは思えなかったが、全くない事ではないらしい。
だからこそ、スノア兄ちゃんの事が心配だったお婆ちゃんの魂は、自分の姿をした人形に宿ったのだろう。それだけスノア兄ちゃんの事を愛していたという事だ。
「スノちゃんはお婆ちゃんが戻ってきたと喜んだ。じゃが、私達が住んでいたのは反魔物領……当然、息子夫婦は気味悪がり、私を壊したり、追い出そうとしたんじゃ」
「え……じゃあ、スノア兄ちゃんの両親に会えない理由って……」
「魔物だから、じゃよ。しかも、私はお婆ちゃんの姿をした動く人形じゃ。正確には本物のお婆ちゃんではない。スノちゃんは私を受け入れられても、息子は私を受け入れられなかったのじゃよ」
「そうなんだ……」
そう、あくまでもこのお婆ちゃんはお婆ちゃんの姿をした人形であり、お婆ちゃん自身ではない。魂が本人の物でも、身体は作り物だ。
この村の人達もそうだが、反魔物領の人ではそう魔物を受け入れる事はできないだろう。ましてやスノア兄ちゃんのお父さんにとってお婆ちゃんは母親だ。母親の姿をした動く人形など拒絶したくなるのかもしれない。
「あ、でも、という事はスノア兄ちゃんもこの事は……」
「勿論知っておる。じゃが、私はあくまでもスノちゃんのお婆ちゃん。リビングドールとは思ってほしくないんじゃよ。だから、この裸姿はなるべく見て欲しくないんじゃよ。勿論、人間のお婆ちゃんとして私を慕ってくれていたリムちゃんにもじゃよ」
「なるほど。だから一緒にお風呂に入ってくれなかったんだね」
「そうじゃな。幸い、この手はカバーが掛けられておるから手だけは普通に出してあっても人形には見えんからの……ほれ、足もこの通り」
「あ、球体関節になってるね」
「そうじゃ。こんな自分の身体が、時々嫌になる。自分でもできるだけ見ないようにしておる」
「そうだったんだ……」
そんな経験があったからか、もしくはそう思われる事自体が嫌なのか、お婆ちゃんは自分がリビングドールだと思いたくなかったみたいだ。
だからこそ、私に裸姿を見せたくなかったのだろう。
だからこそ、この事実をひたすら隠し続けていたのだろう。
それなのに問い詰めてしまった事に、少し申し訳なくなる。
「という事でリムちゃん……こんな隠し事をしておった私の事、嫌いになってしまったかのう?」
「ううん。何度も言うけど、お婆ちゃんが人間じゃなくたって、人形だからって嫌いになんかならないよ」
そんな私の態度を嫌ったとでも受け取ったのか、恐る恐る私にそんな事を聞いてきたお婆ちゃん。
もちろん、驚きはしたものの嫌いになるわけがない。人間じゃなくても、お婆ちゃんは私を本当の孫のように大切にしてくれた、優しくて大好きなお婆ちゃんなのだから。
「むしろ、ちょっと安心したかな」
「ん?」
「だってさ、魔物なら魔界になっても見た目の変化は全くないし、それに、私が医学機関に通ってる間に死んじゃって一緒に診療所で働けないってことはないだろうしね。この前転んだから少し心配だったけど、その心配もなくなったよ」
「……そうじゃの……」
それに、人間じゃないと言うのであれば当面寿命の事は考えなくても良いという事だ。
年齢はわからないがお婆ちゃんはかなり高齢。そう思っていたのが実際は違い、話を聞く限りだとスノア兄ちゃんよりも年下、しかもリビングドールなら相当長生きできるだろうから、いつか来る寿命の事を考えなくて済むのは安心だ。
そう思っていたのだが……
「まあ、寿命は来なくても、このままでは医者は続けられないかもなぁ……」
「え……どういう事!?」
どうやら、そう簡単には安心できないらしい。
「実は最近、身体が思うように動かない時があってのぉ……」
「そうなの? やっぱり、魂はお婆ちゃんだからそんな事が……」
「いや、そうではない。単純に精が足りておらんだけじゃよ」
お婆ちゃん自身に精が足りず、身体が動かない時もあるそうだ。
「リムちゃんみたいな獣人型の魔物ならそこまで問題はないんじゃが……エネルギー源が精である私等は精が枯渇すると危ないからの……」
「そっか。お婆ちゃんの夫であるお爺ちゃんはもう……」
魔物は精を手に入れる事で魔力が高まり、寿命なども長く伸びる。反対に精を断っているとしたら、体に不調が出てもおかしくはない。
「それもあるが……私はあくまでもお婆ちゃんの姿をしたリビングドール。一応お婆ちゃんとは別の存在じゃよ。だから、リビングドールとしての私が求めておるのは、スノちゃんの精なんじゃよ」
「スノア兄ちゃんの? なら身体を交えれば……」
「じゃがそうもいかん。私自身は魔物でも、心はスノちゃんのお婆ちゃんなのじゃよ。孫と性行為に及ぶなど、祖母としては許されん。いや、例え許されても私はそんなスノちゃんが困るような事はしとうない」
「……」
しかも、欲しがっている精は孫であるスノア兄ちゃんの物だ。
私のような魔物ならそれでも気にしないで性行為に及ぶだろう。
だがしかし、人間として、特にスノア兄ちゃんの祖母としてのお婆ちゃんはそれを拒絶している。別の存在と言えども、お婆ちゃんである事には変わりないので、踏み込めないのだろう。
「一応パンさんから精補給剤を貰っておる。これなんじゃが、不味くて飲めたものではないからの。うちで取り扱っておる一番苦い薬以上じゃからな」
「うわ……ほんとだ……一舐めしただけで舌が痺れたよ……」
「ほとんど口に付けておらん。じゃが、そのため私の身体はボロが出始めておるという事じゃよ」
「これは……わからないでもないけど……」
代わりの物はあるが、それはあまり摂取していないらしい。
試しに渡されたものを一舐めしてみたが、たしかに気持ち悪くなるほど不味い。ノフィの精とは天と地ほどの差どころでは済まないほど不味い。
こんなのは流石に摂取したくないのもわかる。わかるが、そうでないと身体が動かなくなってしまうのなら、やっぱり飲んでほしいとも思う。
「この身体になってから約30年。時々スノちゃんの夢精を拝借したりもしたが……」
「え?」
「……あー、多分ばれておると思うが、一応この事はスノちゃんに内緒じゃよ?」
「あ、うん」
「それでまあ、30年近くもそんなごく少量でしか精を取らないでいたら、流石に辛くなってきてのぉ……所々関節が軋むんじゃよ」
「そうなんだ……」
ここのところ私は身体の調子がすこぶる良い。それはおそらく、ノフィの精をたらふく摂取していたからだろう。
その逆であるお婆ちゃんは、だから最近身体の調子が悪そうだったのだろう。
魔界になるなら多少は改善されるかもしれない。だが、根本的な解決にはならないはずだ。
かといってスノア兄ちゃんから精を貰えとも言い出せない。ゆっくりはしていられないが、これはこの先考えていかなければならない問題だろう。
「さて、一応全て話したかのう」
「んー……もう一つ、気になる事が。あまり覚えてないけど、私ってこの村に来たばかりの頃、お婆ちゃんを噛んだ?」
「どうだったかのう……あー、そんな事もあったのぉ……」
「やっぱりか……ごめんねお婆ちゃん」
「ええよリムちゃん。あの時は気が動転しておっただろうしなぁ」
全ては話した……かもしれないが、私にはまだ一つ気になる事があった。
だがその前に、昔お婆ちゃんの手を噛んでしまった事を、今更だけど謝っておく。
「それで、その時の事をよーく思い出してみると、たしか血とは違う味がしたんだよなぁと……」
「ああ、それはじゃの……おそらくこれじゃな」
「これ……?」
そして本題に入る。謎の血じゃないものの話だ。
それを言ったらお婆ちゃんが持ってきた容器。その中はほぼ空だったが、所々に赤い水滴が付いていた。
「これ何?」
「んーまあ、血液もどきみたいなものじゃな。パンさん特製で、これを身体の中で循環させれば魔物の魔力が掻き消されるんじゃよ」
「へぇ……あ、だからリーパさん達にもお婆ちゃんが魔物だって気付かれなかったんだね」
「まあそういう事じゃ。リムちゃんだって疑問に思わなかったじゃろ?」
「確かに……言われてみれば全然見た目も変わらないでずっと変わらず元気だし、その血の味がおかしいからもしやって思ったけど、そうでなかったら絶対わからなかったかな。なんか、お婆ちゃんからは魔物特有の気配というか匂いを感じなかったからね。そういう事だったんだ……」
どうやらこれはパンさん特製の擬似血液的なものらしい。
パンさんから毎回受け取っていた薬みたいなものはこれの事だろう。パンさんの事だから、おそらく人化の術を応用した魔術薬品だろう。
だからお婆ちゃんからは魔物っぽさがまったく感じなかったのだ。謎はこれで全て解けた。
「そっか……ありがとうお婆ちゃん。全部話してくれて」
「まあ、黙っていてもどうせもうすぐ魔界になって人間でない事はばれてしまうからのう……いつかリムちゃんには話さないとと思いながら、全然できなかったし、丁度ええ機会だったかもなぁ……」
お婆ちゃんは今までずっとこの事を隠してきた。決して言いたくなかった事なのに、きちんと教えてくれた。
「それでさお婆ちゃん。今日、一緒に寝ようよ」
「ええよ。でも、急にどうしたんだい?」
「別に。ただ、丁度いいし久しぶりにお婆ちゃんと一緒に寝たいだけだよ」
だからという事ではないけど、私は今晩お婆ちゃんと一緒に寝たいと申し出た。
最後に一緒に寝たのは初めての発情期が過ぎた時だから、本当に久しぶりだ。
「それじゃあ寝ようかねえ。ほらリムちゃん、お入り」
「うんっ!」
裸姿のままだったお婆ちゃんは寝間着に着替え、ベッドの中に潜り込む。
私はお婆ちゃんに誘われるように、隣に潜り込んだ。
「ぎゅうっ……やっぱりお婆ちゃんは暖かい。本当にお人形だなんて信じられないや。抱き心地もいいしね」
「ふふ……そう言ってくれるとちょっぴり嬉しいのぉ……」
そしてお婆ちゃんのほうに向かい合い、いつものようにぎゅっと抱き着く。
身体が人形だからか少し硬いが、それでもやっぱり暖かい。
「それじゃあおやすみお婆ちゃん……お婆ちゃんも、スノア兄ちゃんと恋人になれたらいいね」
「最後の一言は余計じゃよ。今のままでええ。おやすみリムちゃん……」
互いの温もりを感じながら、私達は眠りについたのであった。
……………………
…………
……
…
「うわあっ!? ま、魔物だあああっ!!」
「か、神よ! 私達を助け……ああっ!!」
それから数日後の夜。
村に突然強大な淫魔と共に複数の魔物が姿を現した。
「ふああぁぁ……いいのぉ……♪」
「や、やめ……うわあああぁ……」
魔物達は老若男女見境無く襲う。
魔物に捕まった女性は皆魔物へと変化していく。サキュバスを始め、襲われた魔物と同じ姿や、中心となるリリムの仕業か全く全然何の関係もない種族へと変化する。
そして、魔物へと変化した女性は、この村に襲来した魔物と共に男性を襲う。
「な、何だこの状況は!? に、逃げなきゃ……」
「こんばんはガネン君」
「あ、ネム! 早く逃げ……って、ネム……そ、その姿は……?」
勿論それは、私の友人達も例外ではない。
「あ……ああ……ま、まさかネム……」
「そんなに怯える必要はありませんよガネン君。さあ、わたしの愛を受け取ってください❤」
「うあ、あ……うわあっ!?」
突然現れた魔物達だけではなく、やはり既に堕ちていた教会の面々も他の村人を堕落神の信者にすべく動いていた。
数日前から村の子供達を通して配っていた魔灯花を目印に、村に現れた魔物と共に各家へと上がり、信者を増やしていく。
勿論、ダークプリーストになっていたネムちゃんも、自身の両親やガネンの両親を堕とし、ガネン自身を夫にするため襲っていた。
頭が良くても流石にこんな事態の対処などできないガネンは、ほとんど抵抗できないままにネムちゃんに押し倒され、快楽を与えられてしまった。
「はぁ……はぁ……ガネン! 大丈夫……ってネム!?」
「うあっ、あ、ああああ……」
「ふああぁぁ……❤ キテますっ! ガネン君の堕落の証がドクドクと、わたしのナカにぃ……❤」
「あ、あんた達何やって……!」
「あ、んん……遅かったじゃないですかアルモ。我慢できず先にガネン君を頂いてしまいましたよ」
勿論、ネムちゃんの狙いはガネンだけではない。
騎士として多少は腕を上げていたおかげで、道中襲ってくる魔物を退けながらなんとかガネンの家にたどり着いたアルモちゃんもその対象だった。
「くっ……ネムあんた、魔物に堕ちて……!」
「はい、堕ちました。堕ちたからこそ、わたしは今悦び幸福を感じているのです」
「そんな幸福、ただの偽りだよ! こうなったら私があんたを……」
魔物に堕ちた友人と、その友人に堕とされている最愛の人を前に、剣を強く握りしめたアルモちゃん。
「斬るのですか? 魔物に堕ちたわたしをその剣で真っ二つにし、殺せるのですか?」
「そ、そんなの……できるわけ……ないじゃない……」
「ふふ……そういう優しいところ、昔から好きですよ」
しかし、優しいアルモちゃんにネムちゃんを傷付ける事なんてできるわけもなく……その剣を地面に落としてしまった。
「ですからアルモ、あなたも一緒に堕ちましょう……という事で、よろしくお願いしますね」
「ええ、任せなさい」
「ふぇ!? だ、誰……ふぁああぁぁぁ……♪」
だからこそ、後ろから静かに近付いてきていた首謀者のリリムに一切抵抗できずに身体を絡め取られ、リリムの魔力と色香に当てられて、即絶頂へと達してしまった。
「ふふ……内に秘められた色欲や憧れ、暴力性を全て素直に引き出してあげるわね」
「ふぁぁぁ……にゃにこれぇ……しゅごいぃ……♪」
「あ、アルモ……」
「心配しなくてもアルモなら大丈夫ですよ。それにしてもこの変化……どうやら、リムちゃんへの憧れがあったみたいですね」
そしてそのままリリムの魔力に蝕まれ、アルモちゃんも魔物へと変化する。
そこには恐怖や悲哀は無く、悦びと幸福が満ちていた。
「ハッ、ハあッ、ガネンのおちんぽ、イイッ!!」
「うぐああ、は、はげし……ううっ!」
「ああっ神よ! 淫らに堕ち行くわたし達に祝福を……!」
身も心も魔物に堕ちたアルモちゃんはネムちゃんとガネンの性交に混ざり、今まで抑えていた想いを自身の性器と共にぶつける。
「さて、次へと行きますか」
淫らな3人の交わりに満足したリリムは部屋を飛び立ち、次なる標的目掛けて翼を羽ばたかせた。
「ふあああ……イイのぉぉ❤」
「あひぃぃ……!」
「アナタぁ……♪」
「うっ、中に射精すぞおおっ!」
いつしか村中に響く悲鳴から恐怖という物が無くなり、快楽一色に染まっていった。
「ふ、は、リム、リムっ!」
「ノフィ、ふあっ、だ、射精してぇ……❤」
「ああ、射精すぞ……ぐう……っ!」
「わおおおおんっ! きたぁぁぁぁぁっ❤」
そんな中で、陰気に当てられた私とノフィも激しく盛っていた。
空に浮かぶ月が妖しく真っ赤に染まる頃には既に周りの事など気にせず、何度も濃厚な精液を膣内に注がれては盛り上がっていた。
「もうすっかり魔界になってしまったのぉ……」
「だね……まあ、これはこれで良かったんじゃない? お婆ちゃん的にも過ごしやすいでしょ?」
「そうじゃのう……ま、これからは精力剤の類も扱うかのぉ」
「あーそれはいいかもね」
この村の住民でただ一組、スノア兄ちゃんとお婆ちゃんの二人だけが狂楽の宴に参加せず、冷静にお茶を啜りながら変わりゆく空を見上げ、呑気にお話をしていたのであった……
…
……
…………
……………………
「さて二人とも、準備は完璧?」
「はい!」
「大丈夫です!」
村が魔界になってから約3ヶ月。
「まあ、リムちゃんの長期休暇に合わせてこっちに転移するつもりだからそんなに長い別れってわけじゃないけど、一応挨拶しておいてね」
「はいっ!」
「わかりました!」
とうとう、医者になるための勉強をしに村を出る日がやってきた。勿論ノフィも一緒にだ。
大きな荷物は先に送ってもらったので、あとは私達自身がパンさんと一緒に転移魔術で移動するだけだ。
その前に、私達を見送るために集まってくれた人達に挨拶をする。
パンさんが言う通りそこまで長い別れではないし、帰ってこようと思えばいつでも帰ってはこれる。
それでも、医者として1人前になるまでの数年間は基本向こうの街で暮らしていくので、しばらくは会えなくなるから挨拶をする。
「行ってらっしゃい二人とも!」
「たまには帰って来るのですよ。少なくともわたしは大抵この村の教会に居ますから、帰ってきたら顔を出してくださいね」
「うん、勿論!」
「ノフィも、リムの支えになってあげるんだよ」
「そんな事ガネンに言われなくたってそうするつもりだっての。お前こそアルモやネムを心配させるなよ?」
幼馴染みの3人が私達の元に駆け寄り、互いに元気でと挨拶を交わす。
ネムちゃんもアルモちゃんも魔物になり、昔と随分姿は変わった。
ネムちゃんの頭からは捻じ曲がった角が伸び、耳が長く尖り、そして腰からは鎖が巻かれた黒く長い尻尾と、漆黒の羽が生えていた。身に着けている物も聖職者の服ではあるが、胸の谷間や艶めかしい太腿は堂々と晒されており、小さく刻まれた快楽のルーンが見え隠れしている。
アルモちゃんは頭に私と同じような三角の耳を付け、腰からも逆立った赤黒い体毛が生え揃った尻尾を伸ばし、同じ色の毛皮が腕や足を覆っていた。指も四本になりその先には鋭い爪を生やし、白目が黒くなり瞳も燃えるように赤くなった。そして何よりも皮膚が黒くなり、大事なところ以外裸ともいえる格好をしている。
ガネンも見た目は変わらないものの、立派にインキュバスになっており雰囲気は変わっている。そして3人とも既に立派な夫婦の関係になった。
それでも、私達5人の友情は変わらない。二組の夫婦は、いつまでも仲良しだ。
「それにしても二人とももう立派に魔物だね。ガネンの精の匂いが漂ってくるしさ」
「まあ、ちょっと前までガネン君を犯してたからね。抵抗できずに私の中に射精する瞬間のガネンの屈服した表情がたまらないのよね〜」
「わからなくもないですがわたしはそんなガネン君に激しく犯されるほうが好きですね。神の下へ近付けるほどの絶頂を感じます。リムちゃんはどうですか?」
「私はノフィに後ろからゴリゴリヤられる方がいいかな。上に乗るのもいいけどね。というか、二人とこんな話ができるなんて夢にも思わなかったな」
「まあ、わたしはダークプリーストへと生まれ変わる前でしたら絶対こういう話は嫌悪していたと思います」
5人纏めての後は男女に分かれ、互いの性事情の話題など、ちょっと前まではしなかった話題で盛り上がる私達。
男二人も似たようなもので、どれぐらい絶頂させたかとか性交時に腰の負担はないかとかそんな話ばかりしている。
「しかし、ネムちゃんがダークプリーストになったのは自然な流れと言えば流れだけど、まさかアルモちゃんがねえ……」
「わたしも驚きました。ワーウルフになるのは嫌だと言っていた割には、同じウルフ属のヘルハウンドになったのですからね」
「えっとね……実は小さい時からリムちゃんのような耳とか尻尾とか肉球が欲しいなって思ってたんだよね。今だから言うけど、実はいつも何かの間違いで私を噛んでくれないかなって考えてたんだ」
「で、その結果がヘルハウンド化という事ですね。内にとんでもない凶暴性を隠し持っていたのは驚きでした」
「まあ、ちょっと違うけど私としては同じウルフ仲間ができて嬉しかったよ」
「今度村に戻ってきた時は一緒に駆け回ろうね!」
アルモちゃんと肉球を合わせながら、改めて魔物になった二人の身体をじっと見る。
元々のスタイルが良かった二人は、魔物化した事でより洗練された。
私はちんちくりんなので正直ちょっと羨ましいが、それ以上に同じ魔物になった事が嬉しい。特にアルモちゃんは同じウルフ属なので今まで以上に気が合う。
「パンさん、うちの息子が迷惑を掛けます。よろしくお願いしますね」
「いやいや、気にしないでノフィ君のお母さん。彼にも週1で農学の事を学んでもらいつつ色々とわたしのところの事業を手伝ってもらう予定だからね」
「まあ……本当にありがとうございます。ほらノフィ! あんたも頭下げな!」
「あでっ!? 母ちゃん、その手で強く背中を叩くの止めてくれよ……」
そんな私達の隣では、手足が大きくなり頭から色とりどりの花を生やしたノフィのお母さんと、インキュバスになりすっかり若々しくなったノフィのお父さんがパンさんに挨拶していた。
「兄貴、向こうでもしっかりな!」
「リムさんをしっかり支えるんだよ」
「頑張ってねお兄ちゃん!」
「休みの時は絶対帰ってきてね!」
「絶対だからねお兄ちゃん!」
「おう! お前達も元気でな!」
自分の弟妹に囲まれ、激励の言葉を浴びるノフィ。心なしか目元がウルウルしている。
そんなノフィの弟妹達も皆インキュバスや魔物になっている。マック君に至っては自分にとっては姉に当たるネルムちゃんを始め、仲良しメンバーの中でもう一人いた男の子もアルプになったために全員と関係を持っているので、兄達顔負けのインキュバスになっている。
「リムちゃん、また元気に診療所で診察してね」
「リムちゃんが作ってくれるお薬、待ってるからね」
「立派な医者になって帰ってこいよ!」
「寂しくなったらいつでも会いに来てね!」
他の村人達も、私に沢山の言葉を掛けてくれる。
よく喋る人、診療所で沢山お話した人、本当にいろんな人が見送りに来てくれていた。
「リム」
「リムちゃん」
そして……
「行ってくるねお婆ちゃん、スノア兄ちゃん!」
「うん。立派な医者になって、一緒に働ける日を楽しみにしているよ」
「私達に会いたくなったら、いつでも帰っておいで」
「うんっ!」
もう私の家族と言える、スノア兄ちゃんとお婆ちゃんも見送りに来ていた。
「リム、例え帰ってこなくても手紙ぐらいは送ってね」
「わかってるのスノア兄ちゃん。スノア兄ちゃんこそ返事頂戴ね」
「勿論さ。じゃあ頑張ってね」
スノア兄ちゃんが私の頭を撫でながら頑張れと応援してくれる。
小さい時からスノア兄ちゃんには世話をしてもらった。医者の知識も沢山教えてくれた。そんなスノア兄ちゃんの応援は、とても心強かった。
「それじゃあお婆ちゃん、行ってくるね!」
「気を付けて行ってらっしゃい。いつでも帰りを待っておるからの」
そして、私は最後にお婆ちゃんに抱き付き、出発の挨拶をした。
「頑張って立派なお医者さんになるんじゃよリムちゃん」
「うん。だからお婆ちゃんのほうも、スノア兄ちゃんと仲良くね。勿論恋人的な意味でね!」
「こーれ。お婆ちゃんをからかうんじゃないよ……えへへへ……」
「ふふふっ!」
魔界になってからも、相変わらずお婆ちゃんはスノア兄ちゃんから精を貰わずに過ごしている。
事情が事情なのでこの事は強く口出しできないが、私としては二人にも幸せになってもらいたいものだ。
「リムちゃん、ノフィ君、そろそろ……」
「じゃあお婆ちゃん。そろそろ行くね」
「ああ。行ってらっしゃい」
パンさんに急かされたので、名残惜しむようにお婆ちゃんから離れ、互いの顔を真っ直ぐ見合って微笑む。
これでようやくお婆ちゃんと同じ医者になれる。その期待を胸に私は、ノフィやパンさんと一緒に村を出発した。
「じゃあ転移魔術の魔方陣まで少し歩くけど、本当に忘れ物とかはないよね?」
「はい!」
「お婆ちゃんとの挨拶も済んだし、もう大丈夫です」
皆の声援を受け、手を振りながら村から離れていく私達。
まずはパンさんが普段使用しているポータルに向かう。
「よーし、立派なお医者さんになるぞー!」
「そうだな。俺も魔界の農業についていっぱい知識付けて、少しでも家族や村の助けになるように頑張らないとな」
ノフィと手を繋ぎ、互いの決心を固めながら歩くのであった。
これが、私とお婆ちゃんのお話。
これから先も一緒に医者として診療所で働き、大勢の家族と幸せに暮らす事になるが、それはまた別のお話だった。
15/04/26 23:19更新 / マイクロミー
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