後編
「くっ、増援はまだか!?」
アーカム郊外、その西側。
西側結界施設防衛部隊隊長であるデュラハンは焦りの混じった叫びを上げ、彼女の前では険しい表情を浮かべた数人の魔女が腕を前に突き出して障壁を維持し続ける。
魔女の後方、部隊長との間にはエルフやサキュバス等、弓や魔術を得意とする魔物が魔女達の維持する障壁越しに攻撃を繰り返す。
「アイアンマン、本当に厄介な連中だ!」
後方射撃部隊の攻撃にもめげず、魔女達の障壁を砕こうと躍起になるモノ達に、部隊長は歯噛みする。
「オラオラァ!」
「我等が使命の為に!」
自らを鼓舞するように叫びながら、障壁に張り付くモノ達は異形……蜘蛛のような複眼を持つモノ、丸太並に四肢が太いモノ、肘から先が縦に割れた腕を振り回すモノ等々。
張り付き、突破を試みようとするモノ達の身体には至る所に鋼鉄の輝きを放つ部位を持ち、攻撃を受けても怯む様子を全く見せない。
この異形のモノ達こそがオーバーテクノロジーの塊、アーカムを始めとした親魔物派領を悩ますアイアンマン。
民間人と見紛うばかりの軽装は鉄壁の防御力の証……彼等にとって己の肌と骨こそが鎧、幾等矢が刺さろうと火に炙られようと怯まない。
「このままでは……」
果敢に障壁に挑む鋼の異形達、部隊長は背後に聳える石柱に一瞬だけ目を向ける。
円を描くように張られた無数のテント―彼女達、防衛部隊の宿舎だ―、その中央には高さ約五メートル、直径三メートル程の円錐状の石柱。
根元に注連縄が巻かれ、頂点に近付くにつれて緩やかなカーブを描く石柱は傍から見れば巨大な爪にも見える。
この石柱がアーカムの守りの要である結界装置……東西南北に配置されたこの石柱の内、一本でも欠ければ結界は急速に弱まり、アーカムは丸裸にされてしまう。
故に、此処は何が何でも守り抜かなければならないのだ。
「隊長!」
守り抜く事を改めて決意した部隊長の背後から部下の声が耳に届く。
振り返ってみれば部下のリザードマンが石柱の根元を指差しており、その根元に描かれた魔法陣が淡い輝きを放っている。
「転移魔法陣(ポータル)には」
反応在り、その報告は最後まで紡がれなかった。
転移魔法陣から飛び出した人影に部下が吹き飛ばされ、それどころか一直線に駈ける人影の進路上にあったモノ全てが吹き飛ばされる。
青い稲妻の如き人影は障壁に張り付く鋼の異形の中でも一際大きい、雲をつかんばかりの巨躯を誇る男の懐に潜り込む。
「天に墜ちろ、『逆転・恐竜滅蹴撃(リバース・ダイナソーインパクト)』!!」
「へ―――あばああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………」
何時の間に懐に潜り込まれたのか、ソレを知るよりも早く放たれた後ろ回し蹴りで男は天に向かって垂直に蹴り飛ばされる。
まるでロケットの如く打ち上げられる男に防衛部隊は勿論、他の鋼の異形達も呆然と空を見上げるが、何時まで経っても男は『落ちてこない』。
落ちてくるまで時間が掛かる程の高度にまで打ち上げられたのか、それとも……あまりの速度に『摩擦熱で燃え尽きたのか』。
「ご苦労だったな。この場は我に任せてもらおうか、お前達は負傷者を連れて撤退しろ」
「……………………え? あ、わ、分かった。総員、負傷者を連れて撤退するぞ!」
呆然と空を見上げる防衛部隊に、蹴り上げたままの体勢で青い人影が静かに告げる。
数秒後、自分に向けられた言葉だと漸く理解した部隊長はこれまでの戦闘で負傷した者と共に撤退を始める。
『……………………』
無論、撤退を見逃す気は教団に無いのだが、ゆっくりと仲間を蹴り上げた足を下ろす人影の威圧感に呑まれて動く事が出来ない。
野生の猛獣を前にしたような本能的恐怖に鋼の異形達は呑まれ、指先までが錆びたように動かない。
「あ、新手の、魔物か……」
「む、魔物だと? 何処に魔物が居るのだ?」
漸く声を出せた男の呟きに人影が、青い毛並みの人虎が不思議そうに周囲を見渡す。
周囲を見渡す青い人虎がその身に纏うはサラシと褌、それとシンプルなネックレスだけ。
女性らしい柔らかさを残しつつ引き締まった、健康的な色気を惜しみなく発散する身体は戦場でなければ誰もが目を奪われる―尤も、今は別の意味で目を奪われているが―だろう。
「我は人間だぞ? 人間を前に魔物とは貴様等の眼は硝子球か?」
「何を言う! 貴様の何処が人間だ! 何処からどう見ても魔物だろうが!」
「むぅ、言葉の通じない連中だ……ん?」
腕を組んで仁王立ちしながら自分は人間だと青い人虎は言うが、一人の異形の反論―無論、彼以外の者もウンウンと頷いている―で困ったように頬を掻く。
そして、頬を掻く感触で漸く青い人虎は、魔物化を果たした東は己が変化に気付く。
「コレは、我の手か? ふむ、色は違うが虎のような手だ……どうやら我はヒトを捨て、魔物になったらしいな」
漸く自分が魔物化した事に気付いた東は人虎と化した自分の身体を見つめ、新しくなった身体の具合を確かめるように身体を動かす。
「よ、余裕見せてんじゃねぇ!」
「ぶっ殺してやらぁ!」
が、その行動を余裕の現れだと判断し、気が短かったらしい二人が東に襲い掛かる。
一人は無骨な機械仕掛けの剛腕、片腕だけで三〇キログラム、最終拳速は秒速二六〇キロ、破壊力だけなら対戦車兵器に匹敵する。
一人は両手首から伸びる極太の金属製の触手、鑢状に植え付けられたダイヤモンド粒子の刃に速度と重量を加えた摩擦の切れ味は想像するだに恐ろしい。
本来ならこの世界に存在しない得物で東に襲い掛かる二人……この世界には過ぎた得物で敵を叩き潰し、引き裂き続けた二人は余裕を見せる東もそうなると信じていた。
「ふっ……」
そうなる、と思っていた。
だが二人は確かに聞いた、憫笑の吐息が東の口から漏れたのを。
「「っ!?」」
殺傷力過剰な一撃がぶつかる刹那に東の姿が消え、振るわれた一撃は空しく大地を抉る。
何処にいった、と思う暇も無く、背後からピタリと柔らかく冷たいモノが肩に触れる。
「『蒼氷掌(フロストッチ)』」
「「――――――――――――」」
泣き喚く赤子をあやすような、優しい声が最後に聞いた音。
疑問に首を傾げる事も、断末魔の絶叫を上げる事も無く、二人の身体は一瞬で砕け散った。
『……………………』
二人―二機?―のアイアンマンが砕け散った様に異形達は言葉を失う。
剛腕と触手に挟まれた東が一瞬で消え、現れたと思ったら二人の背後。
そして、労を労うように肩に手を置いた瞬間、肩に手を置かれた二人が一瞬で凍りつき、砕け散った。
人間を超えた存在であるアイアンマンが、赤子の手を捻るように屠られたのは残る異形達にとって悪夢としか言いようがない。
「遅い、欠伸が出る程に遅過ぎる。まぁ、力任せのブリキ人形に内家の理を説いても到底理解出来まい」
絶句する異形達に振り向く東の顔には憫笑、氷点下を通り越して絶対零度の冷たい視線で異形達を見据える。
「……か、掛かれぇぇ――――――!!」
異形の群の最後方、隊長格と思しき厳つい鋼鉄の義肢を付けた男が吼え、異形達はその声に恐怖とも鼓舞ともとれる咆吼を返して一斉に東へと迫る。
「乱雑に群を成してとは、随分と無作法な連中だ。淑女(レディ)に舞(ダンス)を申し込むなら『順番待ち』くらいはするものだろう?」
群を成して迫る異形に東は肩を竦めて苦笑した後、右手を前に、左手を引いて構える。
「だが、良かろう……ブリキ人形相手に作法を云々しても始まらん! 参れ、『万砕氷肢』の藍香東が相手して遣わす!」
「ふっ、なんとも不器用な指遣い! 獣共、乙女の柔肌に触れたいと望むなら、もそっと丁寧にしなくてはならんぞ?」
一〇〇人―正確には九〇強―近い鋼の獣の群を相手に東は戦い続けるが、コレを『戦い』と言えるのかは疑問が残る。
掠れば必殺、触れれば必殺、受ければ必殺、必殺尽くしの暴力の渦。
その渦の中心で舞うような軽やかな動きで東は四方八方から迫る暴力を避け、欺き、
「斯様な指遣いでは乙女は靡かん、平手打ちを返されるのがオチだろうよ」
時折思い出したように手近な異形を虎の拳足で打つ。
東の拳足は的確に機械仕掛けの心臓か頭を叩き、異形達は死体と呼ぶにも残骸と呼ぶにも語弊のある人型のオブジェと化す。
「くそっ、何だコイツ!」
「何で、何で当たらねぇんだよぉ!?」
一機、また一機とオブジェと化す同胞に、徐々に数減らす異形達は悲鳴じみた声を上げる。
掠めるだけでも致命傷の一撃は尽く空を切るどころか勢い余って味方を粉砕する事もあり、それだけ東の動きが速いのなら当たらないのも納得出来るが、彼女の動きは逆に遅い。
波に揺れる海藻か、風に吹かれる煙かと思える程に東の動きは遅く―尤も、戦闘と無縁の者から見れば充分に速いが―、機械化された視覚を使わずとも捕捉出来る。
捕捉出来るにも関わらず放たれる必殺の一撃は避けられ、逆に痛恨の反撃を受ける始末。
理解出来ない事態に異形達は悲鳴混じりに己が得物を振るい続ける。
「何故、当たらないと思う?」
ユラリ、ユラリと避ける東の声は、理解出来ない事態に困惑する異形達の耳には届かない。
「貴様等の拳と足、そして得物……ソレ等をこの我に向かって繰り出そうと思った時点で、既にその一撃は放たれている」
ソレを知りながら東は続ける。
「外家の『拳』は『意』よりも遅い……既に放たれた『意』に遅れて『拳』が飛び、我は遅れてきた『拳』を避けるだけで済む。欠伸が出る程に簡単だ」
異形達に言い返す言葉―尤も、東の言葉が耳に届いているかが怪しいが―は無い。
速度では明らかに自分達が上回っている、にも関わらず尽く的を外すのは自分達の知る理では説明が付かない。
「コレが内家の理、ブリキ人形では一〇年……いや、一〇〇年経っても至らぬ境地だ」
そう言いながら東は戯れるように……いや、実際戯れているのだろう、困惑する異形達をからかうように致命の一撃を避けながら、逆に致命の一撃を返す。
「うぉぉっ!」
戯れる東に挑むは肘から先が縦に割れた義肢の男。
顔の右半分は無数の金属製のボタンのような義眼で覆われ、縦に割れた二の腕には極細のワイヤーで繋がれた鋼鉄の鉤爪と半月状の刃がぶら下がっている。
「飛び散って果てろ、魔物がぁぁ!」
形振り構っていられないのか、右の鉤爪と左の刃を男は猛烈な勢いで振り回し、味方諸共圏内に居る全てを切り刻み、巻き込まれた味方は苦悶の呻きを上げる。
「味方諸共切り刻むとは、やはり獣よな」
形振り構わぬ様子で鉤爪と刃を振り回す男に呆れながら、東は凶刃の竜巻の中に春の日の花園を歩くように足を踏み入れる。
飛び交う刃が巻き起こす旋風、ソレに煽られる煙の如く東は悠揚に身を捻り、身体を流し。
たったそれだけの体捌きに因って、男の振り回す刃は東の身に触れる事も許されなかった。
「なっ……!?」
絶句する男の両肩に東の両手が乗せられる……男の得物は密着状態で振るえる物でなく、台風の目―即ち、己の周囲―に潜り込まれた以上、その先に在るのは敗北のみ。
全てが理解出来ない男に理解出来たのは只一つ。
この先、百度挑もうと全て同じ結果に終わる事。
「『蒼氷掌』」
ソレを理解すると同時に、男の意識は刹那も凍る領域へと追いやられた。
「しゃあぁっ!」
「おっと……」
不意に聞こえた殺意に東は即座に振り返り、背後から飛んできた投げナイフを掴みとる。
指の間に挟まった投げナイフは眉間、喉、心臓、肺動脈を狙った必殺の四本。
東の背後に居た男が投げたナイフは全部で八本……残りのナイフは東の回避先を見越した位置に投げられ、その四本は空しく地面に突き刺さっている。
常人は勿論、同類でも見切れる者は少ない、と自負する神速の投げナイフが振り返るのと同時に致命傷となるナイフだけを掴まれた事に男は驚愕する。
「『女神断罪鉄貫手』!」
尤も、男に驚愕する暇は無かった……驚愕の暇に一気に懐へ潜り込んだ東は冷気を纏った貫手で貫き、貫かれた男の身体は一瞬で凍りつく。
「成敗!」
貫いた貫手を抜き取ると同時に男は木端微塵に砕け散る。
「ふむ、油塗れの舞にも些か飽いた。数は……大体、五〇といったところか」
戯れも半ば、死体とも残骸とも言えぬ人型のオブジェが総数の半分を超え始めた頃、東は両腕を交差させて力を溜めるが、その姿は無防備同然。
本来なら何かあると警戒する筈だが、異常事態に冷静さを失った異形達には絶好の好機に見えたのだろう。
絶えず踊るように動いていた足を止め、致命的な隙を晒した東に異形達は一斉に群がり、異形達の姿は絶好の餌を前に堪らず飛び出した獣も同然。
無論、東も此処で喰われるつもりは毛頭無い。
「呵ッ!!」
鋭い吐気と共に両腕を振り下ろした東、彼女を中心に極低温の冷気を伴った衝撃波が迸る。
『威声凍々(フリージング・クラップ)』、東の横隔膜を中心に放たれる極低温の冷気を伴う衝撃波、一対一の戦闘に特化された彼女の数少ない一対多数用の技だ。
迸る衝撃波は一瞬で群がる異形達の間を駆け抜け、鋼鉄の身体を撫でる。
その一撫では死神の指と同じ、死神の指で撫でられた異形達は何が起きたのかを理解する暇も無く一瞬で凍りつく。
「ふぅむ、少し気合を入れ過ぎたか」
飛び掛かってきた者は鈍い音を共に地に落ち、地を走って迫ってきた者は氷の彫像と化し、五〇近い氷の彫像に囲まれた東は何故か苦笑を浮かべる。
「我の足元も凍ってしまった」
そう言いながら東は足元に視線を落とすと、其処には足元の地面と氷で接着された自分の両足があった。
「さて、いい加減表に出てきたらどうだ? 獣の頭よ」
両足を封じる氷を砕いた後、東は首だけを右に向けて何も無い筈の虚空に話し掛ける。
「ありゃま、ばれてたか……」
すると、耳障りなノイズと共に何も無い筈の空間が揺らぎ始め、揺らぎが収まった頃には其処に肩を竦めた一人の男―見た限り、二〇代半ばといったところか―が立っていた。
「俺の光学迷彩を見破るなんて、ねぇ。アンタ、一体どうやって見破ったんだい?」
「ふっ、眼の色境に『在らず』とも貴様は其処に『在る』。耳の声境、鼻の香境、舌の味境、身の触境、意の法境、色境合わせて六つの境に『在る』以上、貴様は丸見えだ」
「うっげぇ……アンタ、内家拳の使い手かよ」
どうやらこの男、東が学んだ武術を知っているらしく、返ってきた答えに男は溜息を吐く。
「参ったね、こりゃ。コレじゃ俺の部下達も負けるのも分かるわぁ」
肩を竦め、首を振る男は美青年の部類に入る……女性受けの良さそうな顔、艶やかな黒の短髪、玄武が刺繍された高級感を漂わす純白のロングコート。
所作の所々に滲む気品は戦場には不相応、戦場に立って勇猛果敢に戦うより酒場で女性を口説いていた方が様になる。
「んじゃまぁ、一応自己紹介。俺は亀天軍(グイ・ティエンジュン)、此処より海を越えた大陸……連中は『霧の大陸』って呼んでたかな? まぁ、其処の生まれの軍人さ」
「ほぉ? 貴様の部下共は礼儀に欠けていたが、貴様は礼儀を知っているようだな。なら、我もきちんと返すのが礼。我の名は藍香東、ジパング生まれの元人間だ」
「御丁寧にどぉも。ま、魔物化する前のアンタの事は一応知ってるけどね」
自己紹介を終えた瞬間、二人の間に殺伐とした緊張感が漂う。
東は足を肩幅程に開けて拳を構え、秀麗の青年・亀天軍は彼女と同じ構えを取る。
「仕事は仕事、気乗りはしねぇがやるか」
「…………?」
が、天軍は直ぐに構えを解いて胸辺りで腕を交差させ、その動きに東は僅かに眉を顰める。
「あぁあ、本当は一武人として戦いたかったんだけどねぇ」
困ったような笑みを浮かべ、本当に残念そうな声と共に天軍の身体から膨大な魔力が溢れ、溢れる魔力に東の全身の毛がゾワリと逆立つ。
「本当、残念だよ。月並みの台詞だけど、アンタとは別の場所で会いたかった」
そう呟いた瞬間、天軍の真上の空間が突如爆発、その衝撃に東はすかさず右手で顔を覆い、衝撃波で吹き飛ばされそうになるのを堪える。
衝撃波が通り過ぎ、顔を守っていた腕を下ろした東は目前に聳える巨躯に絶句した。
《コイツの名前は『神亀(シェングイ)』……アンタも耳に挟んだ事はあるだろ? コイツがアンタ等は『ゴリアテ』、俺達は『マキナ』って呼んでる代物だ》
呆然とする東を見下ろす、二〇メートルはある巨躯……親魔物派領を脅かす巨大ロボット―教団側はこのロボットを『マキナ』、と呼んでいるらしい―は天軍の声で喋る。
その姿を言葉で表現するなら『二足歩行を果たした、白い鋼鉄の亀』。
全体的に丸みを帯びた姿は可愛いと表現出来るが、二門の大砲と無数の短い棘を生やした甲羅がその可愛らしさを台無しにしている。
「……随分と四肢が短いな。ソレではひっくり返されたら、自力で起き上がれんぞ」
《痛い所突くねぇ、俺もそう思う。ま、コイツをひっくり返せる奴はいねぇんだけどな》
呆然と呟く東に天軍は苦笑を浮かべるしかない……天軍駆るマキナ、神亀の四肢は人間で言えば肘及び膝から先だけと言える短さ。
確かに、この短さではひっくり返されたら甲羅に生えた棘も邪魔して容易に起き上がれず、短い四肢を懸命に振ってジタバタと悶える様が目に浮かぶ。
《俺達に与えられた仕事は結界施設の破壊……昼間の部隊は傭兵中心の陽動で本命は俺達、同じ日に二度も襲撃掛けるとは思わねぇだろうって寸法さ》
天軍の言葉に東は納得する……確かに昼間に東が全滅させた部隊は兵の練度にばらつきが見られ、編成も人間だけだった。
教団所属を意味する白い防具を着用した者も見られたが、その殆どがロクな対魔力侵蝕のされていない防具で、更に革製、鉄製、鱗製とまとまりが無かった。
昼間の部隊は陽動だと考えれば、攻め落とす気の見られない部隊だったのも納得出来る。
《んじゃ、さっさと終わらせてもらうぜ。一ヶ所でも壊せば、一応俺達の勝ちだからな》
そう言いながら天軍は地面を揺らしながら前進を始め、徐々に迫る巨躯を前に東は不敵な笑みを浮かべ、その笑みに天軍は足を止めて首を傾げる。
「どうやら、我には我自身も知らなかった力が宿っているようだ」
東はゆっくりと目を閉じて己の内側に目を凝らし、耳を澄ます。
己が内側から感じられる膨大な力、ソレは例えるなら孵化直前の卵。
自分も知らない内に育んでいた卵に罅が入り、殻が割れ、産声を上げようとしている。
「この力を我は知らないが、我はこの力を『知っている』」
そして―――
「さぁ、産まれるがいい、我の新たな力よ!」
己が内側で育まれた、孵化直前の卵に代わって東は叫ぶ。
絶対零度(アブソリュート)!
蒼き牢獄、刹那の棺、絶対の果てに潜む零――
絶対零度!
汝より逃れ得るモノは無く、汝が触れしモノは死すらも凍る!!
「来い、虎功夫(フゥクンフー)!!」
自分も知らない名前を叫んだ瞬間、東の背後に二〇メートル近い巨大な氷柱が現れ、その中には胎児のように丸まった『何か』がうっすらと見える。
東の身体が仄かに光ると同時に容が崩れ、光の粒子と化した東は『何か』に取り込まれる。
東を取り込んだ『何か』の目―目?―が輝き、氷柱に無数の罅が入り始める。
《な、なぁ!?》
内側から溢れる力で粉々に砕けた氷柱の中から現れたモノ。
ソレは全長一五メートル程の巨大な人虎……口が無く、蒼く変色した肌を除けばそのまま東を巨大化させたような姿に天軍は驚愕を隠せない。
《……おいおい、何でアンタが『機神召喚(サモン・マキナ)』を使えんだよ? ソレ、ネルカティエの勇者だけが使える魔術なんだが》
「何故、と問われても我も分からん。『機神召喚』、と言ったか……知らぬ間に育んでいた力、寧ろ我が聞きたい」
驚愕を隠せない天軍に何故? と問われるが、東はソレに答えられない……何時、何処で、誰から学んだのか、東自身分からないのだ。
寧ろ自分が知りたい、と肩を竦めるしかない。
「だが、構わん。使えるなら存分に使わせてもらおう」
何故自分にこんな力が宿っていたのか、ソレを考えるのを放棄して東は拳を構える。
考えるだけなら何時でも出来る、今やるべき事は天軍を倒して結界を護る事だ。
《あぁ、そうかい。んじゃ、おっ始めるかぁ!》
拳を構えて戦意を溢れさせる東に天軍は何故か彼女に背を向け、本物の亀宜しく伸ばした首で彼女を見据える。
その行為に東が首を傾げた瞬間、甲羅に生えた無数の棘が一斉に放たれる。
「ほぉ、背中の棘は飛び道具だったか」
誘導性を持っているのか、あらぬ方向へと飛んでいった棘は東に向けて進路を変え、迫る棘の弾幕に東は右手を前に突き出す。
突き出された右手が作る形はデコピン、デコピンの形を取った手が消える。
いや、疾る……到底、目に留める事の出来ない速度で東の指先は駆け巡り、その一閃毎に乾いた音が鳴る。
「ふっ、所詮獣の頭か、乙女の柔肌を何と心得る」
駆ける指先、鳴り響いた乾いた音、そして『地に転がる棘』。
目前の光景に天軍は自分の目を疑いたくなった。
《…………こりゃ冗談か何かかぁ? 指打ちで全部『弾いた』のかよ》
目前の光景が導く答えは一つ、東は迫る棘を全て『指先で打ち落とした』。
他の誰が見ても我が目を疑う光景に天軍は目前の現実を否定したくなるが、正確な狙いで撃ったにも関わらず棘は一発も届いていない以上、目前の光景を信じるしかない。
《しゃらくせぇ!》
次弾生成開始、次弾装填完了、棘が放たれた事で開いた穴に新たな棘が生えるのと同時に棘が再び発射される。
「馬鹿の一つ覚えだな。この我に届かぬと知って尚棘を放つとは、な」
《届かねぇってんなら、届くまで撃ち続けるだけ。亀天軍、乱れ撃つぜぇ!》
天軍は棘を放つ。
放つ度に新たな棘を生成し、生成する度に棘を放つ、を天軍は繰り返す。
東は棘を落とす。
無数に迫る棘を指先で打ち落とし、打ち落とす度に乾いた音が鳴り響く。
放つ、落とす、放つ、落とす、放つ、落とす―――
幾度となく繰り返される攻防、乾いた音が鳴る度に打ち落とされた棘が地に転がる。
《だぁぁ、コレじゃ埒が明かねぇ! トッテオキを使わせてもらう!》
膠着した状況を打開すべく天軍は棘の発射を中断し、クルリ…と東の方に向き直ると甲羅に生えた大砲の砲門を彼女に向ける。
「…………?」
甲羅に生えた、筒先にパラボラアンテナを付けたような大砲に東は首を傾げる。
見た目からして威圧感を然程感じない大砲で、天軍は何を放つというのだろうか?
―ブゥゥ……ンンン
すると、パラボラアンテナが光を帯び、蜂の羽音のような音が響き、その音に東の鍛えに鍛え抜かれた直感が叫ぶ。
アレは受け止めてはいけないモノだ、と。
東は動かない、いや、動けない。
背後にはアーカムの守りの要たる結界施設、更にその後ろにはアーカムの居住区があり、右肩から先以外を動かしていなかったのは流れ弾が背後に被弾する事を避ける為だ。
だが、パラボラアンテナが帯びる光は東に動く事を強いる。
アレが直撃したら己に何が起こるかは分からないが、ソレでも何か不味い事が起きるのは嫌でも分かる。
動けば背後の罪無き命が死に、動かねば己が身に不味い事が起きる。
こうして逡巡する間にもパラボラアンテナから感じる不穏な気配は強まり、強まる不穏な気配を前に東は漸く、『横』ではなく『前』に動く。
「せいっ!」
《のわっ!?》
跳躍じみた踏み込みで懐に潜り込んだ東は肘打ちを天亀の胸部に打ち込み、打ち込まれた衝撃で姿勢を崩した天軍は後ろに倒れる。
天軍が倒れる間際、パラボラアンテナが一際強く発光するものの其処からは何も放たれず、同時に不穏な気配も消える。
《っなろぉ!》
不穏な気配が消えた事で東は素早く飛び退き、ひっくり返された天軍は本物の亀宛らに首と四肢を引っ込めて独楽の如く回転。
その勢いを利用して天軍は即座に起き上がり、既に飛び退いていた東と距離が開く。
《ふぃ〜、起き上がる方法考えといて良かったぜ。けど、今度は外さねぇ》
無事起き上がれた事に安堵の溜息を吐き、天軍は再び大砲を東に向ける。
再び響く羽音、強まる不穏な気配、その二つを前に東は不敵な笑みを浮かべる。
「先程は見事に驚いたが、ソレの正体は掴めたぞ」
《はっ! 正体掴んだからって、コイツはどうにか出来る代物じゃねぇぜ!》
徐々に光を強めるパラボラアンテナを前に東は腕を交差させ、ソレ以外の動きを見せない彼女に天軍は勝利を確信する。
「『波』を送って内から壊す……この世界の技術は勿論、我の世界の技術でも無理な代物を完成させたのは称賛に値する。だが、要は『裏当て』、理屈が分かれば恐れるに足らん」
一際強くパラボラアンテナが輝くと同時に、東は交差させた腕を勢いよく振り下ろす。
「『波』を返してやれば、ほら斯様……未熟な拳を使えば、己の拳が砕ける羽目になる」
《……本当に非常識だよな、アンタ。『音波兵器』を拳で返すなんて、何処の銀の魔王様だ》
爛漫に笑う東に天軍は呆れた溜息を吐くしかない……神亀の甲羅に生えた大砲の正体は、低周波の音波を収束して放つ事で対象を瞬間的に加熱・燃焼させる音波兵器。
その音波兵器は水飴の如く融けて形を失い、その周囲の装甲もドロリと融けている。
東の世界ではSFの産物がこの世界に存在する事には驚きだが、ソレを拳で返した―而も、無傷で!―東には驚愕を通り越して呆れるしかない。
《あぁあ、もう使い物になんねぇなコレ。ま、飛び道具は性に合わねぇからいいけど》
融けた砲身に一瞬だけ目を向けた後、天軍が胸をコツン…と叩くと甲羅の継ぎ目に小さな爆発が連続で起こり、破片となった甲羅が地響きと共に地に落ちる。
《次は殴り合いなんてどうだい? 俺としちゃコッチの方が得意で、ねっ!》
甲羅の下から現れたのは、四肢と首は亀である事以外は人間に限りなく近い人型。
甲羅を脱ぎ捨てたのと同時に天軍は東との距離を詰め、真っ直ぐに拳を振り抜く。
「良かろう、拳と拳のぶつかり合いの方が我も性に合う!」
振り抜かれる拳を東は弾き、返しの拳を天軍の顔目掛けて振るうが、彼女の振るった拳も簡単に弾かれ、両者は足を止めて軽快な拳の応酬を開始する。
二人の応酬は傍から見れば軽快なばかりで、迫力に欠けるように思われるが実際には逆だ。
二人の応酬は先の読み合いに終始する……受け手は攻め手の攻撃に先んじて封じに掛かり、封じられまいと攻め手は即座に攻めを変える。
両者の拳は技の出始めでぶつかり合っては即座に次手に移す為、軽く触れ合うだけの拳が猛スピードで連環する形になり、一手応じ損ねれば其処でその一手が必殺の決め技と化す。
一髪千鈞を引く集中力の競合、ソレが間断無く続くが故に緊張の密度は尋常ではない。
若し、この場に居合わせて見届ける者が居たのなら、両者の間で鬩ぎ合う気迫の熾烈さに総毛立った事だろう。
「ははっ、あはははははっ!」
《いやぁ、本当に楽しいなコレ!》
「我と互角に拳を交わすとは見事! やはり、強き武士(モノノフ)と戦うのは心が躍る!」
《そいつぁ、同感! 最近、弱い者虐めばっかりでつまんなくてねぇ!》
だが、そんな応酬を続けながら二人は笑っている、楽しんでいる。
強き者と戦い、己を高める事に喜びを見出す武人の性が二人を心から楽しませている。
「天軍、貴殿に聞きたい事がある」
《んぁ? 聞きたい事? つぅか、何でいきなり敬称な訳?》
「何故、貴殿程の武人が獣の群に混じる。態々獣の群に混じり、技を鈍らす事もあるまい」
《あぁ〜、ソレ? 何て言やぁいいのかなぁ……はっきり言えば、人質を取られてる》
「何だと?」
軽快且つ迫力満点の応酬の最中、東は何故教団に与するのかを問い、天軍から返ってきた答えに眉を顰める。
《俺の地元、霧の大陸じゃ魔物は隣人って考えでね》
拳の応酬を繰り返しながら天軍は己が過去を語る……天軍の故郷、霧の大陸は思想的にはジパング―東の世界で言えば日本に近い島国―に近い、魔物の存在を肯定する地域。
天軍の母は地元で有名な豪商の娘、父は母の護衛―結婚の際は一悶着あったそうだが―で、東と互角に渡り合う彼の技も父に仕込まれた技だそうだ。
商売先を広げる為、天軍を連れて両親は海を渡ってこの大陸に訪れた。
然し、ソレが運の尽きだった……旅の途中で教団の部隊に襲われ、父の奮闘空しく両親は殺され、天軍は瀕死の重傷を負った。
《あぁ、俺死ぬんだなぁ……って思ったら、俺の前にネフレン=カが現れた》
死を覚悟した天軍の前に現れたのはネフレン=カという学者風の女で、勇者の素質が在ると言った彼女は瀕死の彼をネルカティエに連れていった。
《アイツの言った事は、今でも耳に残ってる》
手術を終え、意識を取り戻した天軍にネフレン=カは告げた。
『若し貴方が裏切ったり、魔物と通じていたりしたら……貴方の故郷に兵を送り、跡形も無くミ・ナ・ゴ・ロ・シ、しますからね♪』
《語尾に音符でも付きそうな、明るく御機嫌な声で俺の故郷を滅ぼすって言いやがった。アイツ、声はふざけてても目が本気でさぁ、仕方なく俺は故郷を守る為に両親の仇の許で嫌な仕事をやらされてるって訳だ》
「……………………」
語られた天軍の過去に東は教団、正確にはネフレン=カという女に激しい怒りを覚えた。
人質という卑劣な手も許せないが、何も知らない無辜の民の鏖殺(ミナゴロシ)を躊躇う事無く……而も、明るく楽しげな声で言ったのが東には許せない。
命を護る為に命を奪ってきた身に言える筋合いではないが、命を何と心得る。
何処かで泣いている誰かの為に命を奪うのではなく己が都合、自分勝手な理由で命を奪う。
ソレは東にとって、彼女と共に同じ志で歩んできた義兄弟達にとって許せぬ所業。
ソレこそ悪鬼の所業、ソレこそ全身全霊を以て滅ぼすべき邪悪。
「亀天軍、我は貴殿を……殺す」
《殺す? 俺を? ははっ、アンタに俺を殺すなんて出来んのかよ!》
語られた過去に東は何を思ったのか、『殺す』と宣言した東に天軍は笑う。
魔物は人間を殺せない、傷付けられない……天軍は知らないが、ソレがこの時代に生きる魔物の覆しようのない絶対の戒律を、東はソレをどうやって破るのだろうか?
「ふんっ!」
《おぉっと!?》
繰り返される応酬の最中、東は踏み込みながら回し蹴りを放ち、不意の回し蹴りを天軍は後ろに跳躍する事で難無く避ける。
無論、その跳躍で二人の間には距離が開くが、二人の踏み込みなら一瞬で互いの間合いに入れる距離だ。
「我が奥義、貴殿に馳走しよう!」
《っ!?》
その瞬間、東の右足に膨大な魔力が集まり、右足に集まり続ける魔力に天軍は息を呑む。
右足に集まる魔力は白い靄と化し、白い靄に包まれた右足の周囲がキラキラと輝く。
東の右足を覆う靄は極低温、あらゆる全てを凍てつかせる絶対零度の冷気。
東の右足の周囲で輝くのは絶対零度の冷気で冷やされ、固体化した大気。
ソレが分からぬ天軍だが、彼にも分かる事がある。
あの右足は避けようのない、絶対の死を与えるモノだ、と。
「白く、白く、何者も染める事能わぬ白き刃。その身に受けよ、亀天軍!」
そう叫ぶが早いか、天軍の視界から一瞬で東の姿が消える。
天軍が再び東を捉えたのは……避けようのない死が、触れてはならないモノが振るわれる瞬間だった。
『窮極凍結・凍死体験(オーバーフリーズ・コールドエクスペリエンス)』!!
《なぁ―――――》
天軍の瞳が映すのは軽く跳躍し、白き絶対零度の刃と化した右足を振るう東。
驚愕する暇も与えず、跳び後ろ回し蹴りの要領で振るわれた右足は天亀の横顔を確と捉え、衝撃波と共に耳を劈く轟音が鳴り響く。
その轟音は勝利のゴング、機械仕掛けの亀は一瞬で凍りつき、衝撃で木端微塵に砕け散る。
「ぬわぁぁぁ――――!?」
粉々に砕け散った神亀の残滓、宙に舞う氷の破片の中に天軍はいた。
操縦席から宙に放り出された天軍はバタバタと四肢を振るが、重力の熱烈な求愛の前では無駄な足掻きと言える。
二〇メートル近い高さから落ちれば一溜まりもなく、死を覚悟して眼を瞑る天軍。
すると、ボスン…と柔らかい何かの上に落ちたような感触。
何事かと恐る恐る目を開ける天軍の目に映ったのは―――
「無事か?」
安堵を宿した作り物の瞳で天軍を見つめる虎功夫だった。
「教団の勇者・亀天軍は我が殺した、此処に居るのは故郷を思う武人・亀天軍だ」
「は、はは……俺を殺すって、そういう意味かよ」
天軍を虎功夫の掌でキャッチした後、東は操縦席―人間で言えば、喉にあるらしい―から掌に飛び移り、肉球の上でへたり込む彼の前で仁王立ちする。
腕を組み、仁王立ちしながら東は己が真意―『勇者としての亀天軍』を殺した事―を告げ、その言葉に天軍は呆れたような笑い声を漏らすしかない。
「コレで貴殿は晴れて自由の身だが、その力を我々魔物の為に振るわぬか?」
「はい?」
微笑みを浮かべながらの誘いに天軍は間抜けな声を上げ、東は自分が知る限りの魔物側の事情を彼に語る。
「成程、ねぇ……確かに、そりゃ良い提案だ」
「だろう? なら、貴殿の故郷を救う為」
「けど、駄目だわ」
良い提案と言った傍から駄目だと言う天軍に、東は伸ばした手を止めてしまう。
何故? と目で問う東に、天軍は心の底から残念だと感じさせる笑みを浮かべる。
「時間がねぇから、手短に話すぜ……俺達ネルカティエの勇者には、裏切り防止の爆弾が此処に仕込まれてる」
「っ!?」
「そんな素振りをちょっとでも見せたら爆弾は起動する。アンタの提案は嬉しいけど……っと、もう時間がねぇ」
頭の天辺を指で小突きながら天軍は自分にはもう時間が無い―頭部に仕掛けられた爆弾が爆発する―事を告げ、その告白に東は絶句する。
言葉を失う東を尻目に天軍は立ち上がり、虎功夫の指先へと歩いていく。
「じゃあな、東さん。ま、死なねぇ程度に頑張れよぉ」
虎功夫の指先に立った天軍は東に振り返り、ヒラヒラと手を振りながら別れを告げる。
「ま、待て……」
「あばよぉ!」
天軍が何をしようとしているのか、ソレを理解した東は彼を止めようと手を伸ばす。
だが、その手は天軍に届く筈も無く、天軍は指先から颯爽と飛び降りる。
そして―――
―ボンッ……グシャアッ!
「…………っ!!」
小さな爆発音、次いで柔らかい何かが地面に落ちる音が東の耳に届く。
急いで指先に近付いて下を見てみれば……其処には頭を失い、無数の肉片を撒き散らした、天軍『だった』死体が在った。
元・天軍の骸に東は唇を噛みしめ、決意を新たにする。
「許さんぞ、ネフレン=カ……」
許すまじ、ネフレン=カ。
許すまじ、ネルカティエ。
「貴様の所業、神が赦しても我が赦さん……」
命を命と思わぬ悪鬼の所業に、東の中で憤怒の炎が激しく燃え盛る。
「首を洗って待っていろ、ネフレン=カ! この藍香東が貴様を必ず討ち取ってくれる! おぉおおぉぉぉおぉおおおぉおぉおおぉぉぉっ!!」
そして、逢魔が時に沈む空に怒れる猛虎の咆吼が響く。
×××
「……東? 東、だよね?」
邪悪を、ネフレン=カを滅ぼすと決意した東。
新たにした決意と武人(トモ)を失った悲しみを胸に自室に戻った東をヘルガが出迎えるが、己の知る姿から変わり果てた彼女に困惑を隠せない。
迎撃に出てから戻ってくるまでの間に東は魔物化―オマケにワンピースが脱げている―を果たしていたのだ、困惑を隠せないのも無理は無い。
「あぁ……姿は変わったが我は藍香東、お前が好きな藍香東だ」
「良かった……本当に良かった……」
腰掛けていたベッドから立ち上がったヘルガは東に抱きつき、抱きつく彼の頭を東は子供をあやすように優しく撫でる。
「それで、どうしていきなり魔物化したの?」
「ソレは我も知らん。我も知らぬ間に果たしていた」
何時の間に魔物化を果たしたのかをヘルガは問うが、東本人も何時魔物化を果たしたのか分からず、首を横に振るしか出来ない。
「…………貸したお守りの力、かな?」
「うん? このお守りか?」
独り言のようなヘルガの呟きに、東は首に提げたネックレスを指で抓んで持ち上げる。
だが、このネックレスと東の魔物化に何の関係が
「ソレ、先生に聞いた話じゃ人虎の爪で作ったんだって」
「何だと?」
在った。
「コレは僕の推測だけど」
そう前置きしてから、ヘルガは己が推測を―東に抱きついたまま―語る
魔物の魔力を籠められた装飾品は、籠められた魔力に応じて人間の女性を緩やかに魔物に変え、男性が身に付けた場合は籠められた魔力の持ち主を強く惹きつけるようになる。
ヘルガが東に渡したネックレスで例えるなら、人間の女性がコレを身に付ければ緩やかに人虎へと変わり、男性が身に付ければ人虎を強く惹きつけるようになる。
何時魔物化してもおかしくない状態だった東は、このネックレスを身に付けたのを引金に急速に魔物化したのでは? と言うのがヘルガの推測だ。
「でも、それだと今まで東が魔物化しなかった理由が(ブォンッ)はれ?」
然し、そうだとしたら東が今まで魔物化しなかった理由の説明が付かない。
そう言おうとしたヘルガだが急に足元の感覚が無くなり、浮遊感に襲われる。
気付けばヘルガはベッドに逆戻り、加えて東がマウントポジションを確保。
「ふ、ふふ、ふふふふふふふふ」
「あ、東? 目がギラついているのは何故に?」
「どうしてだろう、なぁ? お前を目にした瞬間、何故かこう……どうしようもない程に股が疼いてなぁ」
目を爛々と輝かせ、妖しい笑みを浮かべながら舌舐めずりする東にヘルガの本能がコレは不味いと訴える。
「ま さ か……」
人虎の爪で作られたネックレス、恐らくその影響で人虎に変わった東、貰った時から肌身離さず着けていたネックレス。
その三つが線で繋がり、導かれた答えにヘルガは引き攣った笑みを浮かべる。
「あぁ、我を女として見てくれたお前が欲しい。あぁ、我を好きだと言ったお前が欲しい」
何時の間にサラシを取っていたのだろうか、次第に荒くなる東の呼吸に合わせて美巨乳がフルフルと揺れる。
湿った感触がする腰に目を向ければ、水を零したように褌がビチャビチャに濡れており、何処からどう見ても完全に東は発情している。
「ヘルガ、我の名を呼んでくれ、我の顔貌(かお)を見てくれ、お前の剣(あい)で我を貫いてくれ……」
「な、何、この急展かんむぅっ!?」
予想外の展開にヘルガは驚きの声を上げようとするが、唇を塞がれて遮られる。
「がうぅ……んっ、ちゅっ、ちゅる……んんっ」
「んっ、んんっ、んんん〜〜〜!?」
情熱的なキス、猫科特有のざらついた舌がヘルガの口内を蹂躙する。
大きく育った乳房が密着する二人の間で潰れ、引き締まった両足で挟まれた右足にまるでマーキングするように東は股を擦り付ける。
御機嫌そうにユラユラと尻尾を揺らしながら、東は夢中でヘルガの唇を堪能する。
「んっ、ぷはっ……ふふっ、大きくなったな♪」
「…………当然」
押し付けていた唇を離し、妖艶に微笑む東にヘルガはプイッ…とソッポを向く。
濃厚で大人なファーストキス、東から漂う甘い発情臭でヘルガの逸物は臨戦態勢。
ヘルガにとって東は愛しい女の子なのだ、愛しい女の子の痴態で興奮しない男はいない。
「然し、邪魔だな……ふっ」
「あ、あぁ!?」
東の腕が目にも留まらぬ速度で動き、鋭い風切音と共に服が細かな残骸と化す。
どうやら爪で服を切り裂いたらしく、切り裂かれた事にヘルガは素っ頓狂な叫びを上げる。
無論、勃起した股間の愚息がお披露目され、濃厚な雄の匂いが東の鼻を擽る。
「…………」←プッツン
漂う雄の香りに東の理性が切れた……元々、お守り―人虎の爪で作られたネックレス―の効果でヘルガの精は人虎の好む匂いを放ち、未婚の人虎を強く惹きつける。
魔物化直後の東にとってヘルガは堪らない芳香を放つ果実そのもの、その香りに生まれて初めて獲得した感情が暴走する。
「ぐるるるるる……」
理性の手綱を手放した東は獣じみた声を上げてヘルガの逸物を掴み、褌を僅かにずらして逸物の先端を己が秘所に当てて
「――――――――❤」
「う、あぁ……!」
一気に腰を落とし、東は声にならない恍惚の咆吼を上げ、ヘルガは悶える。
東の中は溶岩を思わせる程に熱く、ギュウギュウと強く圧迫する肉壁はヘルガに容赦無く快感を伝える。
東も似たような状態であり、ヘルガの逸物を咥えただけで初めての快感に身体をブルブルと小刻みに震わせている。
「あはっ、動く、ぞ」
東はゆっくりと腰を上げ、ヘルガの逸物が抜けるか抜けないかというところで一気に腰を下ろし、ソレを繰り返す。
腰を上下に動かすだけの稚拙な動きは徐々にペースを上げ、肉がぶつかる音と卑猥な水音が部屋に響き渡る。
「んっ、あふっ……あ、あぁっ、んふっ……」
腹の上に両手を置いた東の腰が動く度に乳房が揺れ、普段の凛々しさからかけ離れた嬌声にヘルガの脳は沸騰する。
既にインキュバス化している身―而も、人虎専用インキュバス―だが、ヘルガ自身はつい先程までは童貞であり、送られてくる快感に歯を食い縛る。
「あぁ、へるがぁ……へるがぁ……」
甘く蕩けた声で譫言のように自分の名を呼びながら、ギシギシ…とベッドが抗議を上げる程に激しく腰を上下させる東。
こみ上げてくる射精感、少しでも気を抜けば快感の海に落ちそうな危うい綱渡り。
グツグツと下腹部で煮え滾る白濁の溶岩は、今か今かと噴出の時を待ち侘びている。
「へるがぁ……我は、お前を……愛しているぞぉ……」
「……え? う、あっ!?」
東の不意の告白にヘルガの気が一瞬緩み、本能がこの緩みを逃す筈も無く。
東の最奥を先端がノックするのと同時に、精液が彼女の中に吐き出される。
「くあぁぁぁ――――❤」
精液が最奥に叩き付けられる感覚に東も絶頂を迎えたらしく、身体を仰け反らせて甲高い咆吼を上げ、ブルブルと身体を震わせる。
「はぁ、はぁ……あ、東……さっき、何て言ったの?」
「うん? 聞こえて、いなかったのか? 我はお前を愛している、と言ったのだ」
解放感で息を荒げながらヘルガは何と言ったのかを尋ね、同じく息を荒げながら東は彼の問いに答える。
「この身体になってから、漸く気付いた……我はヘルガを愛しているのだ、と。ふふっ、誰かを愛するというのは、心地良いものだな」
「…………東、若しかして恋は初めて?」
「ふっ、然り……恋はおろか、一人の女として男を見るのも、お前が初めてだ」
恋愛はおろか、異性を『異性』として見るのも初めて。
その言葉で、ヘルガは東が今まで魔物化しなかった理由に納得する。
東には『異性への恋慕』が、誰かを『異性』として愛するという想いが欠けていた。
魔物の魔力が結び付くのに必要な因子が欠けていた為、東は今まで魔物化しなかったのだ。
今まで魔物化しなかった理由に納得するのと同時に、ヘルガの胸中に優越感が生まれる。
今まで異性を『女』として愛した事の無い東の、『女』を捨ててまで誰かの為に戦い続けた彼女の初恋の相手、ソレが自分。
(そう言えば……)
『女』を捨てて、その言葉でヘルガは不意に思い出す。
メルセ・ダスカロス……レスカティエの重鎮が一人、レスカティエの防衛部隊の教導官をしているらしい元勇者のエキドナ。
彼女も『女』である事を捨てていたが、デルエラに『女』を教えられた事に因って魔物に変わったという経緯を持つ。
(何となく、似ている?)
過去に受けた虐待で『女』を捨てたメルセ、誰かを護る為に『女』を捨てた東。
そして、二人は『女』である事を教えられて魔物化を果たした。
過去も経緯も違うが、二人は何となく似ている。
「くぁ……」
などと冷静に考える傍らでヘルガは呻き、逸物が精液を吐き出す。
「ふふっ、また出したか❤ 流石は半人半魔、性欲も並ではないな」
吐き出される精液の熱に震えながら、東は肉食獣のような―尤も、既に肉食獣なのだが―艶やかな笑みを浮かべる。
ヘルガが冷静に思考する傍らで東は腰を振り続け、数度ヘルガの精液をその身に受けた。
結合部からは破瓜の血の紅が混じった白濁液が溢れ、何とも卑猥な状態になっている。
「もっと、もっとだ……もっとお前の愛が欲しい」
物足りない、と呟きながら東は腰を動かし始める。
慣れてきたのか、魔物の本能がそうさせるのか、東は小さな円を描くように腰を動かし、下腹部に力を入れてヘルガの逸物を締め付ける。
「ケダモノだね」
「我が獣になるのは、お前の前だけだ」
鋼の精神で情欲を抑える反動なのか、人虎は一度発情すると中々満足せず、性交の回数が三桁になる事もあるらしい。
その話を実感させる動きにヘルガは苦笑を浮かべ、東は艶やかな微笑みを浮かべる。
「今この時だけは、お前に甘える猫でいいか?」
「何時でも甘えていいよ……僕は東が好き、だから何時でも甘えて」
「ふふっ、そうか♪」
ヘルガの言葉に東は何とも言えない幸福感に満たされる。
初めて心から愛おしいと思う男と、こうして繋がっている。
ソレが嬉しい、ソレが心地良い。
(偶には、我も猫になって甘えるか……)
偶には戦いを忘れて甘えるのも悪くはない。
そう思いながら、東は何度目か分からない絶頂に恍惚の咆吼を上げた。
アーカム郊外、その西側。
西側結界施設防衛部隊隊長であるデュラハンは焦りの混じった叫びを上げ、彼女の前では険しい表情を浮かべた数人の魔女が腕を前に突き出して障壁を維持し続ける。
魔女の後方、部隊長との間にはエルフやサキュバス等、弓や魔術を得意とする魔物が魔女達の維持する障壁越しに攻撃を繰り返す。
「アイアンマン、本当に厄介な連中だ!」
後方射撃部隊の攻撃にもめげず、魔女達の障壁を砕こうと躍起になるモノ達に、部隊長は歯噛みする。
「オラオラァ!」
「我等が使命の為に!」
自らを鼓舞するように叫びながら、障壁に張り付くモノ達は異形……蜘蛛のような複眼を持つモノ、丸太並に四肢が太いモノ、肘から先が縦に割れた腕を振り回すモノ等々。
張り付き、突破を試みようとするモノ達の身体には至る所に鋼鉄の輝きを放つ部位を持ち、攻撃を受けても怯む様子を全く見せない。
この異形のモノ達こそがオーバーテクノロジーの塊、アーカムを始めとした親魔物派領を悩ますアイアンマン。
民間人と見紛うばかりの軽装は鉄壁の防御力の証……彼等にとって己の肌と骨こそが鎧、幾等矢が刺さろうと火に炙られようと怯まない。
「このままでは……」
果敢に障壁に挑む鋼の異形達、部隊長は背後に聳える石柱に一瞬だけ目を向ける。
円を描くように張られた無数のテント―彼女達、防衛部隊の宿舎だ―、その中央には高さ約五メートル、直径三メートル程の円錐状の石柱。
根元に注連縄が巻かれ、頂点に近付くにつれて緩やかなカーブを描く石柱は傍から見れば巨大な爪にも見える。
この石柱がアーカムの守りの要である結界装置……東西南北に配置されたこの石柱の内、一本でも欠ければ結界は急速に弱まり、アーカムは丸裸にされてしまう。
故に、此処は何が何でも守り抜かなければならないのだ。
「隊長!」
守り抜く事を改めて決意した部隊長の背後から部下の声が耳に届く。
振り返ってみれば部下のリザードマンが石柱の根元を指差しており、その根元に描かれた魔法陣が淡い輝きを放っている。
「転移魔法陣(ポータル)には」
反応在り、その報告は最後まで紡がれなかった。
転移魔法陣から飛び出した人影に部下が吹き飛ばされ、それどころか一直線に駈ける人影の進路上にあったモノ全てが吹き飛ばされる。
青い稲妻の如き人影は障壁に張り付く鋼の異形の中でも一際大きい、雲をつかんばかりの巨躯を誇る男の懐に潜り込む。
「天に墜ちろ、『逆転・恐竜滅蹴撃(リバース・ダイナソーインパクト)』!!」
「へ―――あばああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………」
何時の間に懐に潜り込まれたのか、ソレを知るよりも早く放たれた後ろ回し蹴りで男は天に向かって垂直に蹴り飛ばされる。
まるでロケットの如く打ち上げられる男に防衛部隊は勿論、他の鋼の異形達も呆然と空を見上げるが、何時まで経っても男は『落ちてこない』。
落ちてくるまで時間が掛かる程の高度にまで打ち上げられたのか、それとも……あまりの速度に『摩擦熱で燃え尽きたのか』。
「ご苦労だったな。この場は我に任せてもらおうか、お前達は負傷者を連れて撤退しろ」
「……………………え? あ、わ、分かった。総員、負傷者を連れて撤退するぞ!」
呆然と空を見上げる防衛部隊に、蹴り上げたままの体勢で青い人影が静かに告げる。
数秒後、自分に向けられた言葉だと漸く理解した部隊長はこれまでの戦闘で負傷した者と共に撤退を始める。
『……………………』
無論、撤退を見逃す気は教団に無いのだが、ゆっくりと仲間を蹴り上げた足を下ろす人影の威圧感に呑まれて動く事が出来ない。
野生の猛獣を前にしたような本能的恐怖に鋼の異形達は呑まれ、指先までが錆びたように動かない。
「あ、新手の、魔物か……」
「む、魔物だと? 何処に魔物が居るのだ?」
漸く声を出せた男の呟きに人影が、青い毛並みの人虎が不思議そうに周囲を見渡す。
周囲を見渡す青い人虎がその身に纏うはサラシと褌、それとシンプルなネックレスだけ。
女性らしい柔らかさを残しつつ引き締まった、健康的な色気を惜しみなく発散する身体は戦場でなければ誰もが目を奪われる―尤も、今は別の意味で目を奪われているが―だろう。
「我は人間だぞ? 人間を前に魔物とは貴様等の眼は硝子球か?」
「何を言う! 貴様の何処が人間だ! 何処からどう見ても魔物だろうが!」
「むぅ、言葉の通じない連中だ……ん?」
腕を組んで仁王立ちしながら自分は人間だと青い人虎は言うが、一人の異形の反論―無論、彼以外の者もウンウンと頷いている―で困ったように頬を掻く。
そして、頬を掻く感触で漸く青い人虎は、魔物化を果たした東は己が変化に気付く。
「コレは、我の手か? ふむ、色は違うが虎のような手だ……どうやら我はヒトを捨て、魔物になったらしいな」
漸く自分が魔物化した事に気付いた東は人虎と化した自分の身体を見つめ、新しくなった身体の具合を確かめるように身体を動かす。
「よ、余裕見せてんじゃねぇ!」
「ぶっ殺してやらぁ!」
が、その行動を余裕の現れだと判断し、気が短かったらしい二人が東に襲い掛かる。
一人は無骨な機械仕掛けの剛腕、片腕だけで三〇キログラム、最終拳速は秒速二六〇キロ、破壊力だけなら対戦車兵器に匹敵する。
一人は両手首から伸びる極太の金属製の触手、鑢状に植え付けられたダイヤモンド粒子の刃に速度と重量を加えた摩擦の切れ味は想像するだに恐ろしい。
本来ならこの世界に存在しない得物で東に襲い掛かる二人……この世界には過ぎた得物で敵を叩き潰し、引き裂き続けた二人は余裕を見せる東もそうなると信じていた。
「ふっ……」
そうなる、と思っていた。
だが二人は確かに聞いた、憫笑の吐息が東の口から漏れたのを。
「「っ!?」」
殺傷力過剰な一撃がぶつかる刹那に東の姿が消え、振るわれた一撃は空しく大地を抉る。
何処にいった、と思う暇も無く、背後からピタリと柔らかく冷たいモノが肩に触れる。
「『蒼氷掌(フロストッチ)』」
「「――――――――――――」」
泣き喚く赤子をあやすような、優しい声が最後に聞いた音。
疑問に首を傾げる事も、断末魔の絶叫を上げる事も無く、二人の身体は一瞬で砕け散った。
『……………………』
二人―二機?―のアイアンマンが砕け散った様に異形達は言葉を失う。
剛腕と触手に挟まれた東が一瞬で消え、現れたと思ったら二人の背後。
そして、労を労うように肩に手を置いた瞬間、肩に手を置かれた二人が一瞬で凍りつき、砕け散った。
人間を超えた存在であるアイアンマンが、赤子の手を捻るように屠られたのは残る異形達にとって悪夢としか言いようがない。
「遅い、欠伸が出る程に遅過ぎる。まぁ、力任せのブリキ人形に内家の理を説いても到底理解出来まい」
絶句する異形達に振り向く東の顔には憫笑、氷点下を通り越して絶対零度の冷たい視線で異形達を見据える。
「……か、掛かれぇぇ――――――!!」
異形の群の最後方、隊長格と思しき厳つい鋼鉄の義肢を付けた男が吼え、異形達はその声に恐怖とも鼓舞ともとれる咆吼を返して一斉に東へと迫る。
「乱雑に群を成してとは、随分と無作法な連中だ。淑女(レディ)に舞(ダンス)を申し込むなら『順番待ち』くらいはするものだろう?」
群を成して迫る異形に東は肩を竦めて苦笑した後、右手を前に、左手を引いて構える。
「だが、良かろう……ブリキ人形相手に作法を云々しても始まらん! 参れ、『万砕氷肢』の藍香東が相手して遣わす!」
「ふっ、なんとも不器用な指遣い! 獣共、乙女の柔肌に触れたいと望むなら、もそっと丁寧にしなくてはならんぞ?」
一〇〇人―正確には九〇強―近い鋼の獣の群を相手に東は戦い続けるが、コレを『戦い』と言えるのかは疑問が残る。
掠れば必殺、触れれば必殺、受ければ必殺、必殺尽くしの暴力の渦。
その渦の中心で舞うような軽やかな動きで東は四方八方から迫る暴力を避け、欺き、
「斯様な指遣いでは乙女は靡かん、平手打ちを返されるのがオチだろうよ」
時折思い出したように手近な異形を虎の拳足で打つ。
東の拳足は的確に機械仕掛けの心臓か頭を叩き、異形達は死体と呼ぶにも残骸と呼ぶにも語弊のある人型のオブジェと化す。
「くそっ、何だコイツ!」
「何で、何で当たらねぇんだよぉ!?」
一機、また一機とオブジェと化す同胞に、徐々に数減らす異形達は悲鳴じみた声を上げる。
掠めるだけでも致命傷の一撃は尽く空を切るどころか勢い余って味方を粉砕する事もあり、それだけ東の動きが速いのなら当たらないのも納得出来るが、彼女の動きは逆に遅い。
波に揺れる海藻か、風に吹かれる煙かと思える程に東の動きは遅く―尤も、戦闘と無縁の者から見れば充分に速いが―、機械化された視覚を使わずとも捕捉出来る。
捕捉出来るにも関わらず放たれる必殺の一撃は避けられ、逆に痛恨の反撃を受ける始末。
理解出来ない事態に異形達は悲鳴混じりに己が得物を振るい続ける。
「何故、当たらないと思う?」
ユラリ、ユラリと避ける東の声は、理解出来ない事態に困惑する異形達の耳には届かない。
「貴様等の拳と足、そして得物……ソレ等をこの我に向かって繰り出そうと思った時点で、既にその一撃は放たれている」
ソレを知りながら東は続ける。
「外家の『拳』は『意』よりも遅い……既に放たれた『意』に遅れて『拳』が飛び、我は遅れてきた『拳』を避けるだけで済む。欠伸が出る程に簡単だ」
異形達に言い返す言葉―尤も、東の言葉が耳に届いているかが怪しいが―は無い。
速度では明らかに自分達が上回っている、にも関わらず尽く的を外すのは自分達の知る理では説明が付かない。
「コレが内家の理、ブリキ人形では一〇年……いや、一〇〇年経っても至らぬ境地だ」
そう言いながら東は戯れるように……いや、実際戯れているのだろう、困惑する異形達をからかうように致命の一撃を避けながら、逆に致命の一撃を返す。
「うぉぉっ!」
戯れる東に挑むは肘から先が縦に割れた義肢の男。
顔の右半分は無数の金属製のボタンのような義眼で覆われ、縦に割れた二の腕には極細のワイヤーで繋がれた鋼鉄の鉤爪と半月状の刃がぶら下がっている。
「飛び散って果てろ、魔物がぁぁ!」
形振り構っていられないのか、右の鉤爪と左の刃を男は猛烈な勢いで振り回し、味方諸共圏内に居る全てを切り刻み、巻き込まれた味方は苦悶の呻きを上げる。
「味方諸共切り刻むとは、やはり獣よな」
形振り構わぬ様子で鉤爪と刃を振り回す男に呆れながら、東は凶刃の竜巻の中に春の日の花園を歩くように足を踏み入れる。
飛び交う刃が巻き起こす旋風、ソレに煽られる煙の如く東は悠揚に身を捻り、身体を流し。
たったそれだけの体捌きに因って、男の振り回す刃は東の身に触れる事も許されなかった。
「なっ……!?」
絶句する男の両肩に東の両手が乗せられる……男の得物は密着状態で振るえる物でなく、台風の目―即ち、己の周囲―に潜り込まれた以上、その先に在るのは敗北のみ。
全てが理解出来ない男に理解出来たのは只一つ。
この先、百度挑もうと全て同じ結果に終わる事。
「『蒼氷掌』」
ソレを理解すると同時に、男の意識は刹那も凍る領域へと追いやられた。
「しゃあぁっ!」
「おっと……」
不意に聞こえた殺意に東は即座に振り返り、背後から飛んできた投げナイフを掴みとる。
指の間に挟まった投げナイフは眉間、喉、心臓、肺動脈を狙った必殺の四本。
東の背後に居た男が投げたナイフは全部で八本……残りのナイフは東の回避先を見越した位置に投げられ、その四本は空しく地面に突き刺さっている。
常人は勿論、同類でも見切れる者は少ない、と自負する神速の投げナイフが振り返るのと同時に致命傷となるナイフだけを掴まれた事に男は驚愕する。
「『女神断罪鉄貫手』!」
尤も、男に驚愕する暇は無かった……驚愕の暇に一気に懐へ潜り込んだ東は冷気を纏った貫手で貫き、貫かれた男の身体は一瞬で凍りつく。
「成敗!」
貫いた貫手を抜き取ると同時に男は木端微塵に砕け散る。
「ふむ、油塗れの舞にも些か飽いた。数は……大体、五〇といったところか」
戯れも半ば、死体とも残骸とも言えぬ人型のオブジェが総数の半分を超え始めた頃、東は両腕を交差させて力を溜めるが、その姿は無防備同然。
本来なら何かあると警戒する筈だが、異常事態に冷静さを失った異形達には絶好の好機に見えたのだろう。
絶えず踊るように動いていた足を止め、致命的な隙を晒した東に異形達は一斉に群がり、異形達の姿は絶好の餌を前に堪らず飛び出した獣も同然。
無論、東も此処で喰われるつもりは毛頭無い。
「呵ッ!!」
鋭い吐気と共に両腕を振り下ろした東、彼女を中心に極低温の冷気を伴った衝撃波が迸る。
『威声凍々(フリージング・クラップ)』、東の横隔膜を中心に放たれる極低温の冷気を伴う衝撃波、一対一の戦闘に特化された彼女の数少ない一対多数用の技だ。
迸る衝撃波は一瞬で群がる異形達の間を駆け抜け、鋼鉄の身体を撫でる。
その一撫では死神の指と同じ、死神の指で撫でられた異形達は何が起きたのかを理解する暇も無く一瞬で凍りつく。
「ふぅむ、少し気合を入れ過ぎたか」
飛び掛かってきた者は鈍い音を共に地に落ち、地を走って迫ってきた者は氷の彫像と化し、五〇近い氷の彫像に囲まれた東は何故か苦笑を浮かべる。
「我の足元も凍ってしまった」
そう言いながら東は足元に視線を落とすと、其処には足元の地面と氷で接着された自分の両足があった。
「さて、いい加減表に出てきたらどうだ? 獣の頭よ」
両足を封じる氷を砕いた後、東は首だけを右に向けて何も無い筈の虚空に話し掛ける。
「ありゃま、ばれてたか……」
すると、耳障りなノイズと共に何も無い筈の空間が揺らぎ始め、揺らぎが収まった頃には其処に肩を竦めた一人の男―見た限り、二〇代半ばといったところか―が立っていた。
「俺の光学迷彩を見破るなんて、ねぇ。アンタ、一体どうやって見破ったんだい?」
「ふっ、眼の色境に『在らず』とも貴様は其処に『在る』。耳の声境、鼻の香境、舌の味境、身の触境、意の法境、色境合わせて六つの境に『在る』以上、貴様は丸見えだ」
「うっげぇ……アンタ、内家拳の使い手かよ」
どうやらこの男、東が学んだ武術を知っているらしく、返ってきた答えに男は溜息を吐く。
「参ったね、こりゃ。コレじゃ俺の部下達も負けるのも分かるわぁ」
肩を竦め、首を振る男は美青年の部類に入る……女性受けの良さそうな顔、艶やかな黒の短髪、玄武が刺繍された高級感を漂わす純白のロングコート。
所作の所々に滲む気品は戦場には不相応、戦場に立って勇猛果敢に戦うより酒場で女性を口説いていた方が様になる。
「んじゃまぁ、一応自己紹介。俺は亀天軍(グイ・ティエンジュン)、此処より海を越えた大陸……連中は『霧の大陸』って呼んでたかな? まぁ、其処の生まれの軍人さ」
「ほぉ? 貴様の部下共は礼儀に欠けていたが、貴様は礼儀を知っているようだな。なら、我もきちんと返すのが礼。我の名は藍香東、ジパング生まれの元人間だ」
「御丁寧にどぉも。ま、魔物化する前のアンタの事は一応知ってるけどね」
自己紹介を終えた瞬間、二人の間に殺伐とした緊張感が漂う。
東は足を肩幅程に開けて拳を構え、秀麗の青年・亀天軍は彼女と同じ構えを取る。
「仕事は仕事、気乗りはしねぇがやるか」
「…………?」
が、天軍は直ぐに構えを解いて胸辺りで腕を交差させ、その動きに東は僅かに眉を顰める。
「あぁあ、本当は一武人として戦いたかったんだけどねぇ」
困ったような笑みを浮かべ、本当に残念そうな声と共に天軍の身体から膨大な魔力が溢れ、溢れる魔力に東の全身の毛がゾワリと逆立つ。
「本当、残念だよ。月並みの台詞だけど、アンタとは別の場所で会いたかった」
そう呟いた瞬間、天軍の真上の空間が突如爆発、その衝撃に東はすかさず右手で顔を覆い、衝撃波で吹き飛ばされそうになるのを堪える。
衝撃波が通り過ぎ、顔を守っていた腕を下ろした東は目前に聳える巨躯に絶句した。
《コイツの名前は『神亀(シェングイ)』……アンタも耳に挟んだ事はあるだろ? コイツがアンタ等は『ゴリアテ』、俺達は『マキナ』って呼んでる代物だ》
呆然とする東を見下ろす、二〇メートルはある巨躯……親魔物派領を脅かす巨大ロボット―教団側はこのロボットを『マキナ』、と呼んでいるらしい―は天軍の声で喋る。
その姿を言葉で表現するなら『二足歩行を果たした、白い鋼鉄の亀』。
全体的に丸みを帯びた姿は可愛いと表現出来るが、二門の大砲と無数の短い棘を生やした甲羅がその可愛らしさを台無しにしている。
「……随分と四肢が短いな。ソレではひっくり返されたら、自力で起き上がれんぞ」
《痛い所突くねぇ、俺もそう思う。ま、コイツをひっくり返せる奴はいねぇんだけどな》
呆然と呟く東に天軍は苦笑を浮かべるしかない……天軍駆るマキナ、神亀の四肢は人間で言えば肘及び膝から先だけと言える短さ。
確かに、この短さではひっくり返されたら甲羅に生えた棘も邪魔して容易に起き上がれず、短い四肢を懸命に振ってジタバタと悶える様が目に浮かぶ。
《俺達に与えられた仕事は結界施設の破壊……昼間の部隊は傭兵中心の陽動で本命は俺達、同じ日に二度も襲撃掛けるとは思わねぇだろうって寸法さ》
天軍の言葉に東は納得する……確かに昼間に東が全滅させた部隊は兵の練度にばらつきが見られ、編成も人間だけだった。
教団所属を意味する白い防具を着用した者も見られたが、その殆どがロクな対魔力侵蝕のされていない防具で、更に革製、鉄製、鱗製とまとまりが無かった。
昼間の部隊は陽動だと考えれば、攻め落とす気の見られない部隊だったのも納得出来る。
《んじゃ、さっさと終わらせてもらうぜ。一ヶ所でも壊せば、一応俺達の勝ちだからな》
そう言いながら天軍は地面を揺らしながら前進を始め、徐々に迫る巨躯を前に東は不敵な笑みを浮かべ、その笑みに天軍は足を止めて首を傾げる。
「どうやら、我には我自身も知らなかった力が宿っているようだ」
東はゆっくりと目を閉じて己の内側に目を凝らし、耳を澄ます。
己が内側から感じられる膨大な力、ソレは例えるなら孵化直前の卵。
自分も知らない内に育んでいた卵に罅が入り、殻が割れ、産声を上げようとしている。
「この力を我は知らないが、我はこの力を『知っている』」
そして―――
「さぁ、産まれるがいい、我の新たな力よ!」
己が内側で育まれた、孵化直前の卵に代わって東は叫ぶ。
絶対零度(アブソリュート)!
蒼き牢獄、刹那の棺、絶対の果てに潜む零――
絶対零度!
汝より逃れ得るモノは無く、汝が触れしモノは死すらも凍る!!
「来い、虎功夫(フゥクンフー)!!」
自分も知らない名前を叫んだ瞬間、東の背後に二〇メートル近い巨大な氷柱が現れ、その中には胎児のように丸まった『何か』がうっすらと見える。
東の身体が仄かに光ると同時に容が崩れ、光の粒子と化した東は『何か』に取り込まれる。
東を取り込んだ『何か』の目―目?―が輝き、氷柱に無数の罅が入り始める。
《な、なぁ!?》
内側から溢れる力で粉々に砕けた氷柱の中から現れたモノ。
ソレは全長一五メートル程の巨大な人虎……口が無く、蒼く変色した肌を除けばそのまま東を巨大化させたような姿に天軍は驚愕を隠せない。
《……おいおい、何でアンタが『機神召喚(サモン・マキナ)』を使えんだよ? ソレ、ネルカティエの勇者だけが使える魔術なんだが》
「何故、と問われても我も分からん。『機神召喚』、と言ったか……知らぬ間に育んでいた力、寧ろ我が聞きたい」
驚愕を隠せない天軍に何故? と問われるが、東はソレに答えられない……何時、何処で、誰から学んだのか、東自身分からないのだ。
寧ろ自分が知りたい、と肩を竦めるしかない。
「だが、構わん。使えるなら存分に使わせてもらおう」
何故自分にこんな力が宿っていたのか、ソレを考えるのを放棄して東は拳を構える。
考えるだけなら何時でも出来る、今やるべき事は天軍を倒して結界を護る事だ。
《あぁ、そうかい。んじゃ、おっ始めるかぁ!》
拳を構えて戦意を溢れさせる東に天軍は何故か彼女に背を向け、本物の亀宜しく伸ばした首で彼女を見据える。
その行為に東が首を傾げた瞬間、甲羅に生えた無数の棘が一斉に放たれる。
「ほぉ、背中の棘は飛び道具だったか」
誘導性を持っているのか、あらぬ方向へと飛んでいった棘は東に向けて進路を変え、迫る棘の弾幕に東は右手を前に突き出す。
突き出された右手が作る形はデコピン、デコピンの形を取った手が消える。
いや、疾る……到底、目に留める事の出来ない速度で東の指先は駆け巡り、その一閃毎に乾いた音が鳴る。
「ふっ、所詮獣の頭か、乙女の柔肌を何と心得る」
駆ける指先、鳴り響いた乾いた音、そして『地に転がる棘』。
目前の光景に天軍は自分の目を疑いたくなった。
《…………こりゃ冗談か何かかぁ? 指打ちで全部『弾いた』のかよ》
目前の光景が導く答えは一つ、東は迫る棘を全て『指先で打ち落とした』。
他の誰が見ても我が目を疑う光景に天軍は目前の現実を否定したくなるが、正確な狙いで撃ったにも関わらず棘は一発も届いていない以上、目前の光景を信じるしかない。
《しゃらくせぇ!》
次弾生成開始、次弾装填完了、棘が放たれた事で開いた穴に新たな棘が生えるのと同時に棘が再び発射される。
「馬鹿の一つ覚えだな。この我に届かぬと知って尚棘を放つとは、な」
《届かねぇってんなら、届くまで撃ち続けるだけ。亀天軍、乱れ撃つぜぇ!》
天軍は棘を放つ。
放つ度に新たな棘を生成し、生成する度に棘を放つ、を天軍は繰り返す。
東は棘を落とす。
無数に迫る棘を指先で打ち落とし、打ち落とす度に乾いた音が鳴り響く。
放つ、落とす、放つ、落とす、放つ、落とす―――
幾度となく繰り返される攻防、乾いた音が鳴る度に打ち落とされた棘が地に転がる。
《だぁぁ、コレじゃ埒が明かねぇ! トッテオキを使わせてもらう!》
膠着した状況を打開すべく天軍は棘の発射を中断し、クルリ…と東の方に向き直ると甲羅に生えた大砲の砲門を彼女に向ける。
「…………?」
甲羅に生えた、筒先にパラボラアンテナを付けたような大砲に東は首を傾げる。
見た目からして威圧感を然程感じない大砲で、天軍は何を放つというのだろうか?
―ブゥゥ……ンンン
すると、パラボラアンテナが光を帯び、蜂の羽音のような音が響き、その音に東の鍛えに鍛え抜かれた直感が叫ぶ。
アレは受け止めてはいけないモノだ、と。
東は動かない、いや、動けない。
背後にはアーカムの守りの要たる結界施設、更にその後ろにはアーカムの居住区があり、右肩から先以外を動かしていなかったのは流れ弾が背後に被弾する事を避ける為だ。
だが、パラボラアンテナが帯びる光は東に動く事を強いる。
アレが直撃したら己に何が起こるかは分からないが、ソレでも何か不味い事が起きるのは嫌でも分かる。
動けば背後の罪無き命が死に、動かねば己が身に不味い事が起きる。
こうして逡巡する間にもパラボラアンテナから感じる不穏な気配は強まり、強まる不穏な気配を前に東は漸く、『横』ではなく『前』に動く。
「せいっ!」
《のわっ!?》
跳躍じみた踏み込みで懐に潜り込んだ東は肘打ちを天亀の胸部に打ち込み、打ち込まれた衝撃で姿勢を崩した天軍は後ろに倒れる。
天軍が倒れる間際、パラボラアンテナが一際強く発光するものの其処からは何も放たれず、同時に不穏な気配も消える。
《っなろぉ!》
不穏な気配が消えた事で東は素早く飛び退き、ひっくり返された天軍は本物の亀宛らに首と四肢を引っ込めて独楽の如く回転。
その勢いを利用して天軍は即座に起き上がり、既に飛び退いていた東と距離が開く。
《ふぃ〜、起き上がる方法考えといて良かったぜ。けど、今度は外さねぇ》
無事起き上がれた事に安堵の溜息を吐き、天軍は再び大砲を東に向ける。
再び響く羽音、強まる不穏な気配、その二つを前に東は不敵な笑みを浮かべる。
「先程は見事に驚いたが、ソレの正体は掴めたぞ」
《はっ! 正体掴んだからって、コイツはどうにか出来る代物じゃねぇぜ!》
徐々に光を強めるパラボラアンテナを前に東は腕を交差させ、ソレ以外の動きを見せない彼女に天軍は勝利を確信する。
「『波』を送って内から壊す……この世界の技術は勿論、我の世界の技術でも無理な代物を完成させたのは称賛に値する。だが、要は『裏当て』、理屈が分かれば恐れるに足らん」
一際強くパラボラアンテナが輝くと同時に、東は交差させた腕を勢いよく振り下ろす。
「『波』を返してやれば、ほら斯様……未熟な拳を使えば、己の拳が砕ける羽目になる」
《……本当に非常識だよな、アンタ。『音波兵器』を拳で返すなんて、何処の銀の魔王様だ》
爛漫に笑う東に天軍は呆れた溜息を吐くしかない……神亀の甲羅に生えた大砲の正体は、低周波の音波を収束して放つ事で対象を瞬間的に加熱・燃焼させる音波兵器。
その音波兵器は水飴の如く融けて形を失い、その周囲の装甲もドロリと融けている。
東の世界ではSFの産物がこの世界に存在する事には驚きだが、ソレを拳で返した―而も、無傷で!―東には驚愕を通り越して呆れるしかない。
《あぁあ、もう使い物になんねぇなコレ。ま、飛び道具は性に合わねぇからいいけど》
融けた砲身に一瞬だけ目を向けた後、天軍が胸をコツン…と叩くと甲羅の継ぎ目に小さな爆発が連続で起こり、破片となった甲羅が地響きと共に地に落ちる。
《次は殴り合いなんてどうだい? 俺としちゃコッチの方が得意で、ねっ!》
甲羅の下から現れたのは、四肢と首は亀である事以外は人間に限りなく近い人型。
甲羅を脱ぎ捨てたのと同時に天軍は東との距離を詰め、真っ直ぐに拳を振り抜く。
「良かろう、拳と拳のぶつかり合いの方が我も性に合う!」
振り抜かれる拳を東は弾き、返しの拳を天軍の顔目掛けて振るうが、彼女の振るった拳も簡単に弾かれ、両者は足を止めて軽快な拳の応酬を開始する。
二人の応酬は傍から見れば軽快なばかりで、迫力に欠けるように思われるが実際には逆だ。
二人の応酬は先の読み合いに終始する……受け手は攻め手の攻撃に先んじて封じに掛かり、封じられまいと攻め手は即座に攻めを変える。
両者の拳は技の出始めでぶつかり合っては即座に次手に移す為、軽く触れ合うだけの拳が猛スピードで連環する形になり、一手応じ損ねれば其処でその一手が必殺の決め技と化す。
一髪千鈞を引く集中力の競合、ソレが間断無く続くが故に緊張の密度は尋常ではない。
若し、この場に居合わせて見届ける者が居たのなら、両者の間で鬩ぎ合う気迫の熾烈さに総毛立った事だろう。
「ははっ、あはははははっ!」
《いやぁ、本当に楽しいなコレ!》
「我と互角に拳を交わすとは見事! やはり、強き武士(モノノフ)と戦うのは心が躍る!」
《そいつぁ、同感! 最近、弱い者虐めばっかりでつまんなくてねぇ!》
だが、そんな応酬を続けながら二人は笑っている、楽しんでいる。
強き者と戦い、己を高める事に喜びを見出す武人の性が二人を心から楽しませている。
「天軍、貴殿に聞きたい事がある」
《んぁ? 聞きたい事? つぅか、何でいきなり敬称な訳?》
「何故、貴殿程の武人が獣の群に混じる。態々獣の群に混じり、技を鈍らす事もあるまい」
《あぁ〜、ソレ? 何て言やぁいいのかなぁ……はっきり言えば、人質を取られてる》
「何だと?」
軽快且つ迫力満点の応酬の最中、東は何故教団に与するのかを問い、天軍から返ってきた答えに眉を顰める。
《俺の地元、霧の大陸じゃ魔物は隣人って考えでね》
拳の応酬を繰り返しながら天軍は己が過去を語る……天軍の故郷、霧の大陸は思想的にはジパング―東の世界で言えば日本に近い島国―に近い、魔物の存在を肯定する地域。
天軍の母は地元で有名な豪商の娘、父は母の護衛―結婚の際は一悶着あったそうだが―で、東と互角に渡り合う彼の技も父に仕込まれた技だそうだ。
商売先を広げる為、天軍を連れて両親は海を渡ってこの大陸に訪れた。
然し、ソレが運の尽きだった……旅の途中で教団の部隊に襲われ、父の奮闘空しく両親は殺され、天軍は瀕死の重傷を負った。
《あぁ、俺死ぬんだなぁ……って思ったら、俺の前にネフレン=カが現れた》
死を覚悟した天軍の前に現れたのはネフレン=カという学者風の女で、勇者の素質が在ると言った彼女は瀕死の彼をネルカティエに連れていった。
《アイツの言った事は、今でも耳に残ってる》
手術を終え、意識を取り戻した天軍にネフレン=カは告げた。
『若し貴方が裏切ったり、魔物と通じていたりしたら……貴方の故郷に兵を送り、跡形も無くミ・ナ・ゴ・ロ・シ、しますからね♪』
《語尾に音符でも付きそうな、明るく御機嫌な声で俺の故郷を滅ぼすって言いやがった。アイツ、声はふざけてても目が本気でさぁ、仕方なく俺は故郷を守る為に両親の仇の許で嫌な仕事をやらされてるって訳だ》
「……………………」
語られた天軍の過去に東は教団、正確にはネフレン=カという女に激しい怒りを覚えた。
人質という卑劣な手も許せないが、何も知らない無辜の民の鏖殺(ミナゴロシ)を躊躇う事無く……而も、明るく楽しげな声で言ったのが東には許せない。
命を護る為に命を奪ってきた身に言える筋合いではないが、命を何と心得る。
何処かで泣いている誰かの為に命を奪うのではなく己が都合、自分勝手な理由で命を奪う。
ソレは東にとって、彼女と共に同じ志で歩んできた義兄弟達にとって許せぬ所業。
ソレこそ悪鬼の所業、ソレこそ全身全霊を以て滅ぼすべき邪悪。
「亀天軍、我は貴殿を……殺す」
《殺す? 俺を? ははっ、アンタに俺を殺すなんて出来んのかよ!》
語られた過去に東は何を思ったのか、『殺す』と宣言した東に天軍は笑う。
魔物は人間を殺せない、傷付けられない……天軍は知らないが、ソレがこの時代に生きる魔物の覆しようのない絶対の戒律を、東はソレをどうやって破るのだろうか?
「ふんっ!」
《おぉっと!?》
繰り返される応酬の最中、東は踏み込みながら回し蹴りを放ち、不意の回し蹴りを天軍は後ろに跳躍する事で難無く避ける。
無論、その跳躍で二人の間には距離が開くが、二人の踏み込みなら一瞬で互いの間合いに入れる距離だ。
「我が奥義、貴殿に馳走しよう!」
《っ!?》
その瞬間、東の右足に膨大な魔力が集まり、右足に集まり続ける魔力に天軍は息を呑む。
右足に集まる魔力は白い靄と化し、白い靄に包まれた右足の周囲がキラキラと輝く。
東の右足を覆う靄は極低温、あらゆる全てを凍てつかせる絶対零度の冷気。
東の右足の周囲で輝くのは絶対零度の冷気で冷やされ、固体化した大気。
ソレが分からぬ天軍だが、彼にも分かる事がある。
あの右足は避けようのない、絶対の死を与えるモノだ、と。
「白く、白く、何者も染める事能わぬ白き刃。その身に受けよ、亀天軍!」
そう叫ぶが早いか、天軍の視界から一瞬で東の姿が消える。
天軍が再び東を捉えたのは……避けようのない死が、触れてはならないモノが振るわれる瞬間だった。
『窮極凍結・凍死体験(オーバーフリーズ・コールドエクスペリエンス)』!!
《なぁ―――――》
天軍の瞳が映すのは軽く跳躍し、白き絶対零度の刃と化した右足を振るう東。
驚愕する暇も与えず、跳び後ろ回し蹴りの要領で振るわれた右足は天亀の横顔を確と捉え、衝撃波と共に耳を劈く轟音が鳴り響く。
その轟音は勝利のゴング、機械仕掛けの亀は一瞬で凍りつき、衝撃で木端微塵に砕け散る。
「ぬわぁぁぁ――――!?」
粉々に砕け散った神亀の残滓、宙に舞う氷の破片の中に天軍はいた。
操縦席から宙に放り出された天軍はバタバタと四肢を振るが、重力の熱烈な求愛の前では無駄な足掻きと言える。
二〇メートル近い高さから落ちれば一溜まりもなく、死を覚悟して眼を瞑る天軍。
すると、ボスン…と柔らかい何かの上に落ちたような感触。
何事かと恐る恐る目を開ける天軍の目に映ったのは―――
「無事か?」
安堵を宿した作り物の瞳で天軍を見つめる虎功夫だった。
「教団の勇者・亀天軍は我が殺した、此処に居るのは故郷を思う武人・亀天軍だ」
「は、はは……俺を殺すって、そういう意味かよ」
天軍を虎功夫の掌でキャッチした後、東は操縦席―人間で言えば、喉にあるらしい―から掌に飛び移り、肉球の上でへたり込む彼の前で仁王立ちする。
腕を組み、仁王立ちしながら東は己が真意―『勇者としての亀天軍』を殺した事―を告げ、その言葉に天軍は呆れたような笑い声を漏らすしかない。
「コレで貴殿は晴れて自由の身だが、その力を我々魔物の為に振るわぬか?」
「はい?」
微笑みを浮かべながらの誘いに天軍は間抜けな声を上げ、東は自分が知る限りの魔物側の事情を彼に語る。
「成程、ねぇ……確かに、そりゃ良い提案だ」
「だろう? なら、貴殿の故郷を救う為」
「けど、駄目だわ」
良い提案と言った傍から駄目だと言う天軍に、東は伸ばした手を止めてしまう。
何故? と目で問う東に、天軍は心の底から残念だと感じさせる笑みを浮かべる。
「時間がねぇから、手短に話すぜ……俺達ネルカティエの勇者には、裏切り防止の爆弾が此処に仕込まれてる」
「っ!?」
「そんな素振りをちょっとでも見せたら爆弾は起動する。アンタの提案は嬉しいけど……っと、もう時間がねぇ」
頭の天辺を指で小突きながら天軍は自分にはもう時間が無い―頭部に仕掛けられた爆弾が爆発する―事を告げ、その告白に東は絶句する。
言葉を失う東を尻目に天軍は立ち上がり、虎功夫の指先へと歩いていく。
「じゃあな、東さん。ま、死なねぇ程度に頑張れよぉ」
虎功夫の指先に立った天軍は東に振り返り、ヒラヒラと手を振りながら別れを告げる。
「ま、待て……」
「あばよぉ!」
天軍が何をしようとしているのか、ソレを理解した東は彼を止めようと手を伸ばす。
だが、その手は天軍に届く筈も無く、天軍は指先から颯爽と飛び降りる。
そして―――
―ボンッ……グシャアッ!
「…………っ!!」
小さな爆発音、次いで柔らかい何かが地面に落ちる音が東の耳に届く。
急いで指先に近付いて下を見てみれば……其処には頭を失い、無数の肉片を撒き散らした、天軍『だった』死体が在った。
元・天軍の骸に東は唇を噛みしめ、決意を新たにする。
「許さんぞ、ネフレン=カ……」
許すまじ、ネフレン=カ。
許すまじ、ネルカティエ。
「貴様の所業、神が赦しても我が赦さん……」
命を命と思わぬ悪鬼の所業に、東の中で憤怒の炎が激しく燃え盛る。
「首を洗って待っていろ、ネフレン=カ! この藍香東が貴様を必ず討ち取ってくれる! おぉおおぉぉぉおぉおおおぉおぉおおぉぉぉっ!!」
そして、逢魔が時に沈む空に怒れる猛虎の咆吼が響く。
×××
「……東? 東、だよね?」
邪悪を、ネフレン=カを滅ぼすと決意した東。
新たにした決意と武人(トモ)を失った悲しみを胸に自室に戻った東をヘルガが出迎えるが、己の知る姿から変わり果てた彼女に困惑を隠せない。
迎撃に出てから戻ってくるまでの間に東は魔物化―オマケにワンピースが脱げている―を果たしていたのだ、困惑を隠せないのも無理は無い。
「あぁ……姿は変わったが我は藍香東、お前が好きな藍香東だ」
「良かった……本当に良かった……」
腰掛けていたベッドから立ち上がったヘルガは東に抱きつき、抱きつく彼の頭を東は子供をあやすように優しく撫でる。
「それで、どうしていきなり魔物化したの?」
「ソレは我も知らん。我も知らぬ間に果たしていた」
何時の間に魔物化を果たしたのかをヘルガは問うが、東本人も何時魔物化を果たしたのか分からず、首を横に振るしか出来ない。
「…………貸したお守りの力、かな?」
「うん? このお守りか?」
独り言のようなヘルガの呟きに、東は首に提げたネックレスを指で抓んで持ち上げる。
だが、このネックレスと東の魔物化に何の関係が
「ソレ、先生に聞いた話じゃ人虎の爪で作ったんだって」
「何だと?」
在った。
「コレは僕の推測だけど」
そう前置きしてから、ヘルガは己が推測を―東に抱きついたまま―語る
魔物の魔力を籠められた装飾品は、籠められた魔力に応じて人間の女性を緩やかに魔物に変え、男性が身に付けた場合は籠められた魔力の持ち主を強く惹きつけるようになる。
ヘルガが東に渡したネックレスで例えるなら、人間の女性がコレを身に付ければ緩やかに人虎へと変わり、男性が身に付ければ人虎を強く惹きつけるようになる。
何時魔物化してもおかしくない状態だった東は、このネックレスを身に付けたのを引金に急速に魔物化したのでは? と言うのがヘルガの推測だ。
「でも、それだと今まで東が魔物化しなかった理由が(ブォンッ)はれ?」
然し、そうだとしたら東が今まで魔物化しなかった理由の説明が付かない。
そう言おうとしたヘルガだが急に足元の感覚が無くなり、浮遊感に襲われる。
気付けばヘルガはベッドに逆戻り、加えて東がマウントポジションを確保。
「ふ、ふふ、ふふふふふふふふ」
「あ、東? 目がギラついているのは何故に?」
「どうしてだろう、なぁ? お前を目にした瞬間、何故かこう……どうしようもない程に股が疼いてなぁ」
目を爛々と輝かせ、妖しい笑みを浮かべながら舌舐めずりする東にヘルガの本能がコレは不味いと訴える。
「ま さ か……」
人虎の爪で作られたネックレス、恐らくその影響で人虎に変わった東、貰った時から肌身離さず着けていたネックレス。
その三つが線で繋がり、導かれた答えにヘルガは引き攣った笑みを浮かべる。
「あぁ、我を女として見てくれたお前が欲しい。あぁ、我を好きだと言ったお前が欲しい」
何時の間にサラシを取っていたのだろうか、次第に荒くなる東の呼吸に合わせて美巨乳がフルフルと揺れる。
湿った感触がする腰に目を向ければ、水を零したように褌がビチャビチャに濡れており、何処からどう見ても完全に東は発情している。
「ヘルガ、我の名を呼んでくれ、我の顔貌(かお)を見てくれ、お前の剣(あい)で我を貫いてくれ……」
「な、何、この急展かんむぅっ!?」
予想外の展開にヘルガは驚きの声を上げようとするが、唇を塞がれて遮られる。
「がうぅ……んっ、ちゅっ、ちゅる……んんっ」
「んっ、んんっ、んんん〜〜〜!?」
情熱的なキス、猫科特有のざらついた舌がヘルガの口内を蹂躙する。
大きく育った乳房が密着する二人の間で潰れ、引き締まった両足で挟まれた右足にまるでマーキングするように東は股を擦り付ける。
御機嫌そうにユラユラと尻尾を揺らしながら、東は夢中でヘルガの唇を堪能する。
「んっ、ぷはっ……ふふっ、大きくなったな♪」
「…………当然」
押し付けていた唇を離し、妖艶に微笑む東にヘルガはプイッ…とソッポを向く。
濃厚で大人なファーストキス、東から漂う甘い発情臭でヘルガの逸物は臨戦態勢。
ヘルガにとって東は愛しい女の子なのだ、愛しい女の子の痴態で興奮しない男はいない。
「然し、邪魔だな……ふっ」
「あ、あぁ!?」
東の腕が目にも留まらぬ速度で動き、鋭い風切音と共に服が細かな残骸と化す。
どうやら爪で服を切り裂いたらしく、切り裂かれた事にヘルガは素っ頓狂な叫びを上げる。
無論、勃起した股間の愚息がお披露目され、濃厚な雄の匂いが東の鼻を擽る。
「…………」←プッツン
漂う雄の香りに東の理性が切れた……元々、お守り―人虎の爪で作られたネックレス―の効果でヘルガの精は人虎の好む匂いを放ち、未婚の人虎を強く惹きつける。
魔物化直後の東にとってヘルガは堪らない芳香を放つ果実そのもの、その香りに生まれて初めて獲得した感情が暴走する。
「ぐるるるるる……」
理性の手綱を手放した東は獣じみた声を上げてヘルガの逸物を掴み、褌を僅かにずらして逸物の先端を己が秘所に当てて
「――――――――❤」
「う、あぁ……!」
一気に腰を落とし、東は声にならない恍惚の咆吼を上げ、ヘルガは悶える。
東の中は溶岩を思わせる程に熱く、ギュウギュウと強く圧迫する肉壁はヘルガに容赦無く快感を伝える。
東も似たような状態であり、ヘルガの逸物を咥えただけで初めての快感に身体をブルブルと小刻みに震わせている。
「あはっ、動く、ぞ」
東はゆっくりと腰を上げ、ヘルガの逸物が抜けるか抜けないかというところで一気に腰を下ろし、ソレを繰り返す。
腰を上下に動かすだけの稚拙な動きは徐々にペースを上げ、肉がぶつかる音と卑猥な水音が部屋に響き渡る。
「んっ、あふっ……あ、あぁっ、んふっ……」
腹の上に両手を置いた東の腰が動く度に乳房が揺れ、普段の凛々しさからかけ離れた嬌声にヘルガの脳は沸騰する。
既にインキュバス化している身―而も、人虎専用インキュバス―だが、ヘルガ自身はつい先程までは童貞であり、送られてくる快感に歯を食い縛る。
「あぁ、へるがぁ……へるがぁ……」
甘く蕩けた声で譫言のように自分の名を呼びながら、ギシギシ…とベッドが抗議を上げる程に激しく腰を上下させる東。
こみ上げてくる射精感、少しでも気を抜けば快感の海に落ちそうな危うい綱渡り。
グツグツと下腹部で煮え滾る白濁の溶岩は、今か今かと噴出の時を待ち侘びている。
「へるがぁ……我は、お前を……愛しているぞぉ……」
「……え? う、あっ!?」
東の不意の告白にヘルガの気が一瞬緩み、本能がこの緩みを逃す筈も無く。
東の最奥を先端がノックするのと同時に、精液が彼女の中に吐き出される。
「くあぁぁぁ――――❤」
精液が最奥に叩き付けられる感覚に東も絶頂を迎えたらしく、身体を仰け反らせて甲高い咆吼を上げ、ブルブルと身体を震わせる。
「はぁ、はぁ……あ、東……さっき、何て言ったの?」
「うん? 聞こえて、いなかったのか? 我はお前を愛している、と言ったのだ」
解放感で息を荒げながらヘルガは何と言ったのかを尋ね、同じく息を荒げながら東は彼の問いに答える。
「この身体になってから、漸く気付いた……我はヘルガを愛しているのだ、と。ふふっ、誰かを愛するというのは、心地良いものだな」
「…………東、若しかして恋は初めて?」
「ふっ、然り……恋はおろか、一人の女として男を見るのも、お前が初めてだ」
恋愛はおろか、異性を『異性』として見るのも初めて。
その言葉で、ヘルガは東が今まで魔物化しなかった理由に納得する。
東には『異性への恋慕』が、誰かを『異性』として愛するという想いが欠けていた。
魔物の魔力が結び付くのに必要な因子が欠けていた為、東は今まで魔物化しなかったのだ。
今まで魔物化しなかった理由に納得するのと同時に、ヘルガの胸中に優越感が生まれる。
今まで異性を『女』として愛した事の無い東の、『女』を捨ててまで誰かの為に戦い続けた彼女の初恋の相手、ソレが自分。
(そう言えば……)
『女』を捨てて、その言葉でヘルガは不意に思い出す。
メルセ・ダスカロス……レスカティエの重鎮が一人、レスカティエの防衛部隊の教導官をしているらしい元勇者のエキドナ。
彼女も『女』である事を捨てていたが、デルエラに『女』を教えられた事に因って魔物に変わったという経緯を持つ。
(何となく、似ている?)
過去に受けた虐待で『女』を捨てたメルセ、誰かを護る為に『女』を捨てた東。
そして、二人は『女』である事を教えられて魔物化を果たした。
過去も経緯も違うが、二人は何となく似ている。
「くぁ……」
などと冷静に考える傍らでヘルガは呻き、逸物が精液を吐き出す。
「ふふっ、また出したか❤ 流石は半人半魔、性欲も並ではないな」
吐き出される精液の熱に震えながら、東は肉食獣のような―尤も、既に肉食獣なのだが―艶やかな笑みを浮かべる。
ヘルガが冷静に思考する傍らで東は腰を振り続け、数度ヘルガの精液をその身に受けた。
結合部からは破瓜の血の紅が混じった白濁液が溢れ、何とも卑猥な状態になっている。
「もっと、もっとだ……もっとお前の愛が欲しい」
物足りない、と呟きながら東は腰を動かし始める。
慣れてきたのか、魔物の本能がそうさせるのか、東は小さな円を描くように腰を動かし、下腹部に力を入れてヘルガの逸物を締め付ける。
「ケダモノだね」
「我が獣になるのは、お前の前だけだ」
鋼の精神で情欲を抑える反動なのか、人虎は一度発情すると中々満足せず、性交の回数が三桁になる事もあるらしい。
その話を実感させる動きにヘルガは苦笑を浮かべ、東は艶やかな微笑みを浮かべる。
「今この時だけは、お前に甘える猫でいいか?」
「何時でも甘えていいよ……僕は東が好き、だから何時でも甘えて」
「ふふっ、そうか♪」
ヘルガの言葉に東は何とも言えない幸福感に満たされる。
初めて心から愛おしいと思う男と、こうして繋がっている。
ソレが嬉しい、ソレが心地良い。
(偶には、我も猫になって甘えるか……)
偶には戦いを忘れて甘えるのも悪くはない。
そう思いながら、東は何度目か分からない絶頂に恍惚の咆吼を上げた。
13/12/26 06:09更新 / 斬魔大聖
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