終幕
教皇区の禁書図書館、抜き足差し足で一人の美少女が侵入した。
時刻は夜の九時、禁書図書館も施錠され、侵入は困難である。
しかし侵入者、リリムのイザベルは見事な手際で鍵を外し、中へと侵入した。
禁書図書館にはたくさんの書物があり、中には焚書から免れた禁書も存在する。
イザベルはその内の一冊、『万民法』を慣れた手つきで手に取ると、ノートをとりながら読み進め始めた。
「・・・また来たのかな?」
いきなり後ろから声をかけられ、イザベルは驚いた。
そこには冠を被り、法衣を身につけた明らかに高位とわかる神官がいた。
「教皇庁の禁書図書館に入りたいならしかるべき手続きが欲しいところだな、可愛らしいリリムのお嬢さん」
ここに来てイザベルは、この老人がリリムの魅了を跳ね返していることに気づいた。
相当な精神力の持ち主か、それとも魔物娘の嫁がいるか、あるいは両方か。
いずれにしても教皇庁で姿を見られた以上一戦は避けられない。
「・・・御免っ!」
イザベルは剣を抜いて素早く老人に斬りかかった。
「・・・ふふっ!」
「っ!」
しかしイザベルの一撃は老人に簡単に阻まれていた。
彼は右の掌をかざしていたが、右手全体から放たれた微かな光が、蓮の花の形となって剣を止めていた。
「なかなかの使い手、とてもお姫様とは思えぬ太刀筋、危なかったぞ?」
ヴァルキリーであるミストラルすらも完全には見切りきれない一撃を弾いた。
あまりの使い手と教団本部で邂逅したことに、イザベルは驚きを隠しきれないでいた。
「魔界銀か、こんな敵地にまでその装備、優しい奴よ」
微かに老人は笑うと、空間を捻じ曲げて、イザベルを取り込んで見せた。
「なっ、空間を・・・」
「君とやり合うにはここは狭すぎる、すまないが場所を変えさせてもらう」
二人が現れたのは教皇庁近くの古い闘技場だった。
「さあ、かかって来なさい、今回私は一撃のみ放つ、それに耐えたら君の勝ちだ」
すっ、とリノス二世は法衣も脱がずに簡単に構えをとる。
「ふんっ!、うぬが誰かは知らぬが、ふざけたこと後悔させてやろう、四幻将が一人『大淫婦』イザベル、参るっ!」
剣を引き抜き、斬りかかるイザベル、その一撃は先ほどとは比較にならないほどに強烈なものだ。
「やはり強い、だが今回は相手が悪いな」
リノス二世はとんっ、と地を蹴り、イザベルの攻撃をかわした。
「魔物に学び、魔物を感じる私に勝てるかな?」
瞬間、イザベルには、リノス二世の背後にヘルハウンドが見えた。
「なっ!」
「獣技『灼熱冥狗』」
高速で繰り出された拳は、イザベルには見切れないほどのものだった。
灼熱の息吹にイザベルは、意識が刈り取られるのを感じた。
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「教団の歴史は、魔物や魔王との戦いの歴史でした」
全ての教会への旅を終わり、教皇区へと戻ったエレヴは、教皇リノス二世にそう報告した。
ちょうどエレヴが帰還したのは、禁書図書館でリノス二世がイザベルと出会った次の日だった。
「いずれの教会にも、教団と魔王との戦いの記録があり、中道を行くことがいかに困難か、がわかりました」
ミストラルの言葉に、リノス二世はしばし瞑目した。
歴史の中で何人もの聖人が中道を成し遂げるべく努力をしていた。
しかし、結果としてそれは報われず、もっとも中道に近づいた大魔王アルカナですらも実現出来なかった。
人間と魔物、そして神、それぞれが共存するには、あまりに戦いが長引き過ぎ、人間はあまりに魔物を憎んでいるのではないか。
しばらくリノスは黙っていたが、やがて頷いてみせた。
「歴史を見て君がそう判断したなら私は何も言わない、だが、君は過去を学んだが、まだ現代を学んではいない」
リノスがパチリと指を鳴らすと、奥から見知った魔物が現れた。
「イザベルっ!」
そう、その少女は旅の途中、エレヴとミストラルを何度か襲撃したリリムのイザベルだった。
だが、何故かその頭には大きなたんこぶが出来、恨めしげに教皇を眺めている。
「教皇庁の禁書図書館に忍びこんで読書しているところを見つけた、あまりに激しく抵抗するから些か手を焼いてしまったよ」
ははっ、と笑うリノスだが、イザベルは「どの口が言うのか」とつぶやいていた。
「余の攻撃を素手で捌き、禁書や周りの人間に傷一つつけないように気を配り、挙句一撃で余を昏倒させておいて、些か?」
単純には測れないが、実力は魔王に肉薄するのではないかと、イザベルは何となく思っていた。
「ふふっ、魔王の娘は丁重に扱わねば私が君の母親に叱られる、だからこそ君を教皇区に置いているのだ」
リノスがイザベルを見咎めたのは魔物だからではなく、単に手続きなく無断で禁書図書館に侵入したからだ。
それで注意しようとしたが、教団のトップと出会い、錯乱したイザベルが暴れたため、止むを得ず拳骨で黙らせたのだ。
「それで教皇聖下、ここにイザベルがいるのと私のこと、なんの関係が?」
リノスとイザベル、代わる代わる眺めながらエレヴはそう口を開いた。
「わからないか?、今この場所には歴史を学んだ三人がおり、それぞれ人間、魔物、神族の三種族だ」
エレヴ、イザベル、ミストラル、たしかにそうだが、それがどうしたのだろうか。
「未来のみを見据える者は、常に前に目を向けるあまり過去を振り返ることが出来ない」
魔物の過激派は、あまりに未来を見据えるあまり、その先に待つ人間の衰退を解決出来ずいる。
「逆に過去に固執する者は、古き価値観に拘るあまり未来を見通すことが出来ない」
教会の保守派は、過去の価値観にとらわれるあまり、変わりつつある世界に対応出来ずにいる。
「過去を学び、それでも前に進もうとする者たちこそが、新たな世界を導く才覚を見せる」
そして、とリノスは続ける。
「未来を切り開くのは人間だけではない、同じように過去を学び、未来へと目を向けた各種族の若者なのだ」
秩序と混沌、片方の勝利で終わるのではない、それぞれの短所と長所を把握し、バランスを保ちながら進む。
それこそが人、魔、神の共存による中道の世界なのだ。
過去を学んだものは、未来に目を向けた時、神の秩序も魔王の混沌も、元来一つのものであることに気づくであろう。
魔王の愛も、主神の愛も、本来は同じ、より良く人類を導こうとする意志。
秩序も混沌も、神も魔物も人間も、全てその中に含まれているのだ。
「そこで、だ、エレヴ、ミストラル、イザベル、君たち三人には新しい任務を与えようと思う」
威厳に満ちた声にエレヴとミストラルは思わず姿勢を正し、イザベルに至っては平伏しようとして地面にコブをぶつけた。
「いずれ来たる魔物との和解の日に備えて、神の教えを伝道して欲しい」
和解の日に備えて神の教えを?、矛盾しているような気がするが、エレヴは即座に答えに達した。
「ベネトナシュ長老、もしくはビストア・レスカティエ王ですね?」
「左様だ、『敵を愛し、隣人を愛す』、共存の教えを説き、内側から教団を変えるのだ」
魔物は確かに魅力的だ、しかし混沌たる魔物の性をそのまま享受することは、人間の滅亡に繋がる。
それを避けるためには、魔物と共存しながらも神の教えを守るのだ。
魔物が魔王の言葉で良き隣人になるならば、人間はその隣人を神の教えでもって愛する。
魔物が混沌を望み、人間を堕落させるならば神の秩序でもって己を律する。
反対に、神の教えに暴走した信者は魔物の愛で包み込む。
教団が秩序という名前の管理を押し付けるならば、魔物の混沌でバランスを保つ。
中道の道は、神にも魔物にも傾き過ぎず、人が自浄し、全ての種族が共存する未来である。
実現は決して容易くはない、しかし実現出来ない未来でもないだろう。
そんな平和な未来こそが、本当の意味での、聖書に約束された、『神の千年王国』なのだから。
リノス二世は、目の前にいる三つの種族の希望を見つめながら満足気に微笑んでいた。
16/06/13 22:28更新 / 水無月花鏡
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