エフェソ大司教の手紙
『レスカティエよ、あなた方は謙虚さと信心を失い、崩壊的な秩序を享受している。
もし、あなた方が悔い改め、神の言葉を今一度胸に刻まぬならば
魔物に拐かされ、退廃の内に魔界へと取り込まれた都市同様、堕落するであろう。
もう一度言う、あなた方は特別ではない、あなた方はソドムとゴモラ同様、滅びへ向かっている。
エフェソ大司教ドゥベ・ノーサンブリア、レスカティエ教会への手紙』
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教皇近衛のエレヴとヴァルキリーのミストラルによるエフェソへの旅は困難を極めた。
と言うのも教会本部のある教皇区を出て、さらにその先にある幾つもの街を通過しなければならないからだ。
距離的なことばかりではない、エフェソ教会があるエフェソの街に行くには魔物がひしめく中立地帯を通らねばならない。
現在エレヴとミストラルは幾日かの旅の果て、中立地帯に足を踏み入れていた。
「・・・なんとかここまで来れましたね」
強風が吹き荒れる古代遺跡の道、ミストラルはぽつりと呟いた。
「しかし油断は禁物、エフェソまでまだ距離があります、注意せねば・・・」
ぴくり、とエレヴは動きを止め、腰の太刀に手をかけた。
「・・・いますね」
ミストラルもまた、顔つきを険しくして、背中の双剣に手をかけた。
「ほう、余の気配に気づいておったか」
ゆらりと遺跡の陰から白い翼の魔物が現れた。
「・・・リリムかっ?!」
「左様、余の名はイザベル、誇り高き淫魔の戦士である」
リリムらしく露出の多い服装に女性らしい起伏に富んだ身体つき、その瞳は神秘的な紅に染まり、両手には紅い宝石の嵌めらた腕輪がある。
しかしその一挙一動には確かな実力が見え隠れしており、隙を探すことは難しかった。
間違いなく、かなりの実力者だろう。
だが、それより何よりも注意すべきはリリムの特性だ。
魔王の娘たるリリムは見たものを魅了する恐ろしい力があるのだと言う。
事実エレヴは危うくイザベルに見入りそうになるのを堪え、脇差を半ば抜き、左手の掌に傷をつけた。
「ほう?、痛みで余の魅了に抗うか、中々見上げた度胸じゃな」
興味深そうにイザベルはつぶやくと、背中の刀を引き抜いた。
「では、これはどうじゃ?」
突如イザベルは地を蹴り、エレヴに斬りかかる。
「っ!」
すぐさまエレヴは刀を抜き、イザベルの一撃を阻む。
「ふむ、やはり中々の実力、じゃが余を近くで見ると先ほどよりも魅了は強くなる・・・」
「くっ!」
目を閉じようにも刀を押し付けられそれどころではない。
「ぬっ!」
投擲された短剣をかわし、イザベルはエレヴから距離を開けた。
「やってくれる、神の犬め」
短剣を投げたのはミストラル、短剣を拾い上げ、構え直す。
「しっかりして下さいエレヴ様、リリムを相手にするなら油断してはなりません」
「すまない、ミストラル」
エレヴは刀を構え直す。
「ほう、そちらのヴァルキリーは双剣使いか」
珍しいものを見た、そうつぶやくとイザベルもまた剣を二本握る。
「行くぞっ!」
エレヴとミストラルの攻撃を二本の剣で巧みに捌きながらイザベルは目を細める。
「うむ、中々、二人とも教団の剣士にしておくは勿体無い強さじゃな」
大きく後ろに飛び、上空に浮かぶとイザベルは剣を納め、二人に手を向けた。
「どうじゃ?、余の下へ来ぬか?、禁欲的な教団よりも刺激的な毎日をプレゼントするぞ?」
イザベルの言葉に、エレヴは微かに微笑んで見せた。
「悪くない提案ですが、断ります、私には大切な役目があります」
役目が終われば或いは、と続けたミストラルに、意外そうにイザベルは眉をひそめた。
「なんじゃ?、神の犬、うぬは余を殺めようとはしないのか?」
「はあ、何か酷い悪事を働いたのですか?、それとも自殺志願を?」
懺悔なら聞きますよ?、とミストラルは続ける。
おかしい、普通ヴァルキリーやエンジェルとは神の命令を盲信し、魔物に対して憎しみを抱いているのではないか。
「・・・うぬら、教団所属にしては変わっておるのう」
ふふっ、と嬉しそうにイザベルは笑った。
「じゃが面白い、気に入ったぞ、ふたりとも、名を名乗るが良い」
「私はエレヴ・ハティクヴァ、隣にいるのは・・・」
「ミストラル、ミストラル・ヘルモティクス、二人とも教皇直轄の近衛騎士です」
二人に対して満足そうに頷くイザベル。
「神の秩序にありながら魔物に偏見なき騎士に、姓ある珍しいヴァルキリーか」
ふっ、とイザベルは興味深げな笑みを浮かべた。
「覚えておけ、うぬらの魂はもう余のものじゃ、エレヴ、そしてミストラル、また会おうぞ」
翼を羽ばたかせ、イザベルはいずこかへと消えていった。
「・・・ふう、危なかった」
「はい、底知れぬ相手でした、果たしてあのまま勝てたかどうか・・・」
二人は武器を納めると、ようやく生き残ったことに安堵した。
「大魔王アルカナの時代にはあのような意思ある魔物は人間をいきなり襲わなかったらしいですが、まあ、魔王が違えば魔物も違いますよね」
別の意味で襲う、と何やらおかしそうにミストラルは笑った。
「さ、エフェソまであとわずかです、急ぎましょうか」
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「お待ちしておりました」
エフェソ教会の大司教、クラスヌイ枢機卿は、わざわざ教会の前まで二人を出迎えてくれた。
「教皇聖下からお話は伺っております、あなた方にエフェソ教会に伝わる歴史書を見せるように、と」
一瞬二人は見つめあった、教皇からは何の役があるか知らされていなかったが、教団の歴史を学ぶためだったのか。
「何をお見せしようか迷いましたが、陥落前のレスカティエ教国に当時のエフェソ大司教が出した手紙があります」
礼拝堂の隣の部屋には、すでに机の上に文書が用意されていた。
「前任の大司教、ドゥベ・ノーサンブリア枢機卿がレスカティエ教国の教会に送った書簡の写しです」
うず高く積まれた文書には達筆な字が踊り、書いた人間の人格を見ているようだ。
「残念ながらドゥベ本人は数年前に帰天されましたが、死の直前までレスカティエを人間の力で救えなかったことを嘆いておられました」
エレヴとミストラルは、席に着くと、早速書簡を見てみた。
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『大いなる神より命と役割を授かりし僕、ドゥベ・ノーサンブリアよりレスカティエ教会へ
あなた方レスカティエの信徒に関する悪い噂を耳にして早数ヶ月、私の心は千切れんばかりに傷んでいる。
身に覚えのない罪に周囲が沸くことは主神さまのもっともお嘆きになるところ、大司教の大任を仰せつかった私としても、あなた方の噂を捨て置く訳にはいかなかった。
しかし、いざレスカティエを歩き、数週間滞在すれば、いやでも噂が正しいことを認めざるを得ない。
まず大前提として、主神教団は魔物を倒すためにあるのではなく、神に祈りを捧げるためにある。
勇者は確かに魔物と戦うために神の加護を授かっているが、本質はあなた方と同じ血の通った人間である。
人間であるから当然、勇者には勇者の考えがあり、中には勇者として戦いたくない者もいるだろう。
それをあなた方は、勇者の人生を個人の意見で扱い、挙句神の名による無駄死にすら強いている。
自殺は害悪であるという神の御言をまだ覚えているなら、自分がやっていることを考えるべきである。
おまけに魔物に攻撃をかけようとするあまり、あなた方は勇者ばかりか民の意見すら、まるで聞こうとしていない。
あなた方が知る由はないだろうが、私が滞在最終日、レスカティエの下町に行ったとき、あまりに人々が惨めな生活をしているのに驚かされた。
男はみなゴミを漁り、女は不浄な売春行為を行い、子供ですら盗みに手を染める。
反面、中央は活気に溢れ、たくさんの人でごった返している。
あなた方はそれを見ても何も思わないのか、なんども言うが魔物と戦うのは教団の役目ではない。
魔物に対して攻撃を加える前に、まずは自分たちの下にいる人間を哀れむべきである。
豊かな者は幸いである、満たされている、しかしレスカティエの人間はみながみな、そうではなく、選ばれし者のみが満たされている。
清貧を行い、民の模範となるべきあなた方が欲に溺れ、贅沢の極みにあるのはなんたることか。
これは誰も否定出来ない、貧民街で暮らす上位の聖職者のなんと少ないことか。
私を歓待するような資金があるならば、それを貧民街に回し、衰弱した患者を救うべきである。
勇者も市民も蔑ろにするようでは聖職者たる資格はないと言わざるを得ない。
そのまま行けば、勇者も市民もあなた方にそっぽを向き、神からも切り捨てられるであれう。
神の怒りに触れる前に、悔い改め、もう一度輝かしいレスカティエの光を取り戻すべきである。
レスカティエよ、あなた方は謙虚さと信心を失い、崩壊的な秩序を享受している。
もし、あなた方が悔い改め、神の言葉を今一度胸に刻まぬならば
魔物に拐かされ、退廃の内に魔界へと取り込まれた都市同様、堕落するであろう。
もう一度言う、あなた方は特別ではない、あなた方はソドムとゴモラ同様、滅びへ向かっている。
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手紙を読み終えると、エレヴは近くにいたクラスヌイ枢機卿に視線を向けた。
「何故、レスカティエはドゥベ枢機卿の言葉に従わなかったのでしょうか?」
変わろうとする意思さえあれば、レスカティエは落ちることはなかっただろうし、少なくともドゥベ枢機卿も失意の中死ぬことはなかった。
「私にはわかりかねますが、生前大司教は常々力ある者の傲慢さと危険さ、そして安定と停滞を説いておられました」
力と才能ある者は他人より優れるが故に傲慢となる。
その傲慢さはやがて他者を認めなくなり、自分こそが正しいという意思に繋がる。
そして、そんな人間が国の安定を求めればどうなるか。
安定は停滞を生み、水が徐々に淀むように少しずつ腐敗していく。
「もはやレスカティエは、大司教のお言葉程度では変われぬほどに、腐敗していたのかもしれません」
しばらく部屋に沈黙が立ち込める。
沈黙を破ったのは、ミストラルだった。
「ですが、レスカティエも最初から腐敗していたわけではない、のですよね?」
「はい、サルデス教会には、レスカティエの建国者とともに生きた軍団長が残した記録があるそうです」
高潔な建国者と彼を支えた有能な軍人、レスカティエも最初は崇高な国、だったのだろうか。
今となってはわからないことだが、エレヴは心からそうあってほしいと願っていた。
16/06/04 21:36更新 / 水無月花鏡
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