発端
杖をつきながら一人の男が道を歩いていた。
頭と顔を覆う冠に、教団でも限られたものしか着用できない神秘的な法衣、首から下げられた金色の宝玉と、明らかに只者ではない。
おそらく半日前には村があったであろう場所にはもう何もなく、あらゆるものが焼け焦げていた。
男は法衣が汚れるのも気にせずに、地面に跪くと、目を閉じ、祈りを捧げた。
ふと男は、微かな音を聞いた。
そう、まるで大きな板を跳ね除けようとするかのような、そんな音だ。
彼は近くにあった焼けた板を引き剥がしてみた、すると・・・。
「生きている?」
板の下には身体中煤だらけになりながらも、なんとか生きている少年がいた。
「とうさんや、みんな、どこに行ったの?、おじいちゃんは、誰?」
少年の頭を撫でると、男は彼を抱き上げ、空を見上げた。
男が崇拝する神は常に残酷な裁定を人間に行う、しかし彼はまた微かな希望も信じていた。
この村は災害の末に破滅してしまったが、それでも一人の男の子を自分の手に残してくれた。
「強く生きるのだ、お前は希望の子、主神さまが愛した命なのだ」
名前は?、と男が聞くと、少年は微かに首を傾げた。
ひょっとしたらあの災害で記憶の一部に欠落が出たのかもしれない。
「ならば君は今日から新しい希望、エレヴ・ハティクヴァと名乗ると良い」
少年を抱えたまま、男は杖をついて道を引き返していった。
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その日も教団本部は忙しかった。
教団トップである教皇リノス二世は新たに教団本部に配属された近衛兵の書類を見ていた。
「ふむ、みな真面目そうな良き青年たちだな」
教団本部の近衛兵として現れる青年たちはみな一様に主神への敬神と、隣人への愛を共に備えた司祭であり兵士でもある者たちだ。
名簿を見ていてリノスは見知った青年の名前があるのを見つけた。
「・・・エレヴ」
随分前に見た名前だ、そうか、彼も近衛兵になったのか。
リノスはゆっくり立ち上がると、壁にかけられていた聖人の肖像画に向かって十字を切った。
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青年、エレヴ・ハティクヴァはそわそわしながら聖堂の控え室にいた。
幼い頃教団有数の貴族であるクリティアス家の孤児院に預けられ、成人してからは騎士になるべく修練を積んだエレヴ。
今から教団のトップである教皇、リノスと会見するのだ。
「エレヴ・ハティクヴァ殿、教皇がお呼びです」
息を整え、謁見の間に入ると、果たしてそこにかの人物はいた。
部屋の奥にある玉座に腰掛け、冠を被った老人だ。
だがその身にまとう雰囲気は清らかであり、まるで部屋全体が聖地のようだ。
ふと、エレヴは教皇の姿を見て何かを思い出しそうになった。
「君がエレヴ君か」
しかし教皇リノス二世の言葉に、エレヴは思考を止め膝をついた。
「はい、エレヴ・ハティクヴァ、クリティアス侯爵の推挙により参上いたしました」
「ふむ、良かろう、では君には一つ試験を受けて貰おう」
左手の壁が開き、そこから一人の美少女が現れた。
「・・・え?」
手には枷がつけられ、首には首輪が嵌められているその美少女、背中からは蝙蝠のような羽根が生えている。
「サキュバスっ?!」
「左様、つい先日捕らえたものだ」
サキュバスといえば主神と敵対する魔物の一種、教団の騎士である自分にとって敵ではないのか。
「彼女を斬れ、それが試験だ」
教皇の断固とした声。
エレヴは怯えた表情でこちらを見るサキュバスと、冠の奥からじっとこちらを見ている教皇を交互に見た。
黙ってエレヴは剣を引き抜き、サキュバスに向かって歩いていく。
「何をしている、早く斬れっ!」
エレヴは剣を振り上げたが、目を閉じた。
「出来ませんっ!」
「やるのだ、それとも君は騎士を諦め、教団から背を向けて余生を過ごすのか?」
確かに今目の前にいるのは主神の敵である魔物、しかしそれは正しいのか。
無防備で、しかも人間と変わらないような相手を斬ることが、正しいのか。
「出来ませんっ!」
「・・・何故だ?、相手は主神さまの敵、魔物だぞ?」
リノスの言葉に、エレヴは目を見開いた。
「魔物もこの世界で生きる生命、主神さまの造形物なら、我々の仲間のはずですっ!」
「魔物は人間を堕落に引きずり込み、地獄へ誘う闇の使者、それでもか?」
エレヴは今度は正面から、リノスの鋭い瞳を見据えた。
「堕落するのは人間の問題っ!、人間が主神さまの意を持って生きると同じく、魔物もまた主神さまの願いで動いているはず」
エレヴの啖呵に、しばらく謁見の間が静かになる。
「・・・ふっ」
沈黙を破ったのはリノスだった。
「わっはっはっはっはっはっ・・・」
教皇の心からの哄笑、あまりのことにしばらくエレヴは唖然とする。
「いや、すまんなエレヴ君、君を試させてもらった」
「・・・え?」
ぱちりとリノスが指を鳴らすと、サキュバスの姿は掻き消え、代わりに白い翼の戦乙女が現れた。
「ヴァルキリー?」
「はい、わたくしはヴァルキリーのミストラル・ヘルモティクス、なかなかのお言葉でしたよ?、エレヴ様?」
にこりと微笑むミストラルに、冠の奥から優しい瞳を向けるリノス。
「本当にすまなかったな、実は今のは一種のカマかけでな?、君の内面を見せてもらいたかったのだ」
玉座から立ち上がると、リノスはエレヴの前まで来た。
「魔王のもと、数多の魔物がいる、だがな、ただ魔物を斬るだけでは平和にはならない」
リノスは何を話そうと言うのか、じっとエレヴは耳を傾ける。
「魔物を斬り、魔王を倒すは比較的容易い、しかし、その後平和にはならぬ、待つのは魔王が不在故に暴走する魔物との泥沼試合、人間と友好的な魔物すらも我々を憎み、攻撃するだろう」
そこには最早正義も、悪も、勝敗すらも意味をなさない世界が待つ。
「今我々教団に必要なことは魔物を斬ることではない、平和を模索し、神と人と、魔物の安寧を願うことだ」
そして、とリノスは続ける。
「そんな平和を維持し、次代へと引き継いでいくことは魔王を斬り、魔物を滅ぼすことよりも遥かに困難なものだ」
ぽん、とリノスはエレヴの肩に手を置いた。
神と人間と魔物の平和とその維持、目の前にいる老人は、そんな気高い理想を追い求めているのか。
「魔物が勝っても、神が優ってもいけない、間に立つ我ら人間はバランスを保ち、中道を行くのが肝要なのだ」
冠の奥にある優しげな笑顔、またしてもエレヴは何かを思い出しそうになった。
「どうだろう?、私の騎士として、この理想が正しいかどうか、実現し得るかどうか共に考えてはくれないか?」
答えは決まっている。
こうして、エレヴ・ハティクヴァは教皇リノスの近衛騎士となった。
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「はっはっ、そうかそうか、教皇がそんなことをな?」
教団本部からそう遠くはない場所、クリティアス侯爵の邸宅の庭にエレヴはいた。
狩猟衣を身につけたクリティアス侯爵は、エレヴの攻撃を軽くかわすと、手にした双剣で彼を突き飛ばした。
「はい、クリティアス侯爵は、このことをご存知だったのですか?」
「お前を試そうとしてたことか?、知るわけない、俺は騎士をとっくに引退した身だぞ?」
空中で受け身を取り、手にした大刀を構え直しながらエレヴはじっとクリティアスを見つめる。
「ま、あの教皇は教団の中じゃあ変わりもんだが、いろんな奴に慕われてるさな」
双剣を腰に納めると、クリティアス侯爵は近くにあった椅子に腰掛けた。
「言ってみれば教団は人間を堕落から守るためにある、魔物と交わり生物の本能のまま生きるのもそれはそれでいいかもしれない」
だが、それが人間の本来の姿ではないはず、混沌に身を置くのではなく、混沌も秩序も、全てを内包するのが人間。
教団は、今はどちらかと言うと秩序を重視するが、元来は自然の崇拝から生まれた教え。
中道を説く教義のはずだ。
「あら?、やはりここにいましたね?」
クリティアス邸宅の屋根、そこに美しいヴァルキリーがいた。
「ミストラル殿」
とんっ、とミストラルは屋根から飛び降りると、エレヴの前に立った。
「ま、しっかりやんな?」
クリティアス侯爵は手をひらひらさせながら邸宅に入っていった。
「教皇聖下からの辞令です、エレヴ様には私とともに七大教会を回って欲しいとのことです」
二人になるとミストラルは書状を取り出し、読み上げた。
七大教会、教団内でも比較的大きな力を持つエフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアテラ、サルデス、アラシェヒル、ラオデキアの七つ。
何故教皇は、そんな命令を出したのだろうか?
「それでは参りましょう、ですが各教会はそれなりに離れています、魔物による襲撃もあるかもしれませんね」
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荷造りを素早く終え、エレヴはミストラルとともに夜明け前に最初の教会へと旅立った。
「この辺りはまだ教会本部の力が強いため、あまり魔物は出ません」
「最初に行くのは?」
エレヴの声にミストラルは頷くと、手にした地図の一つを指差した。
「エフェソ教会です、魔物たちのひしめく古代遺跡を抜けねばなりませんが、なんとかしましょう」
16/07/16 21:41更新 / 水無月花鏡
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