少年の日の思い出
不思議な記憶がある、もう今となっては殆ど思い出せないような過去の記憶。
私は四人兄弟の長男、上には一人姉がおり、下には二人の弟がいた。
いまはかなり改善されているものの、私が小学生低学年の頃には姉や弟とは折り合いが悪かった。
兄弟がいる人間はわかってくれるかもしれないが、一つ屋根の下に同じような年代の人間がいれば、自然と揉め事は増えてくる。
しかも私は人付き合いもかなり苦手であり、学校のクラスでも仲間外れにされるようなことが多々あった。
父親は姉ばかりを見ており、母親は弟ばかりを見ている、少なくとも、幼い当時の私はそう考えており、誰にも相談できず、家でも学校でも孤立する日々が続いていた。
そんな日のこと、私は彼女と出会った・・・。
私の実家の近くには、古い神社があり、街の中でその神社の区域だけ森になっていた。
『桜真海神社』
私は放課後、家にいたくないときにはその神社の森で本を読んで時を過ごすことが常だった。
その日も私は図書室で借りた本を神社の拝殿の前で座って読んでいた。
本の題名はよく覚えている、児童向けの『封神演義(中)』だ。
しばらく読んでいて、私は遠くから鈴のような音が聞こえてくるのに気がついた。
顔を上げると、どんよりと境内に霧が立ち込めており、方角すらわからなくなっていた。
不気味なのは鈴の音、先ほどまでは遠くから聞こえていたのに、少しずつ近づいているのだ。
私は不吉な気配に恐怖を感じ、本を持って急いで霧の中に飛び込んだ。
境内自体さほど広くはない、まっすぐ行けば鳥居があり、その外側は見知った街だ。
しかし行けども行けども、鳥居までたどりつくことは出来なかった。
それどころか鈴の音はどんどん近づいてくる。
それに伴い、なにやら経文を読むような声も聞こえてきた。
鈴の音とともに、どんどん近づいてくる。
私はもうパニックのあまり走りながらこれでもかというくらいに、だらだら涙を流していた。
走っても、まるで樹海をぐるぐる回るかのように一向に鳥居までたどりつくことは出来ず、後ろから鈴の音が追いかけてくる
ふと、いつの間にか鈴の音が聞こえなくなり、経文の声だけが残っていた。
否、経文、と思っていたが、それは経文ではなく唄だった。
声が小さいときには気づかなかったが、それは小さな女の子が唄う、手毬唄だった。
♪てんてん手毬のてん手毬〜
天神さまのてん手毬〜
てんてん手毬はどこでつく〜♪
いつの間にか、私の前には手毬をつく小さな女の子がいた。
流れるような銀色の髪に、絵本に出てくるお姫さまのようなドレス。
外見は洋装だが、そんな少女が手毬をついているというのが、なんとも不思議な気配を醸し出していた。
私がその女の子に近づくと、彼女は私に気付いたのか、手毬をつくのを止め、こちらに顔を向けた。
そこで私はあっ、と声をあげそうになった。
女の子の両眼が、まるで紅い宝石のような真紅の瞳だったからだ。
それはあまりに異形で、恐ろしく、あまりに美しかった。
「・・・だれ?、人間?」
女の子はじっと私を見ていたが、その瞳には敵意や警戒心よりも、好奇心が見え隠れしているように思えた。
「わたしはデルエラ、あなたは、だあれ?」
女の子の言葉に、一瞬私は本名を告げそうになったが、何故か不吉な気配を感じて、本名を明かすことはしなかった。
「ぼくの名前はキョウ、よろしく」
明らかに日本人離れ、否、人間離れした外見でも、私は別に気にならなかった。
今思えば、それが彼女特有の、リリムとしての能力だったのかもしれない。
私とデルエラは握手を交わすと、彼女に引かれるままに森の奥へと足を踏み入れた。
やがて霧が晴れると、私とデルエラは西洋のものを思わせる、巨大な城の中庭に立っていた。
「あそぼ、キョウくん」
「う、うんっ」
私は手にしていた本を近くのベンチに置くと、中庭でくるくるとかけっこを始めた。
友人がいない私にとっては久しぶりの経験であり、その時私は子供らしくはしゃげていたように思う。
「あら、デルエラちゃん、お友達?」
しばらくして、中庭に彼女の母親と思われる美しい女性があらわれた。
護衛の騎士が何名か後ろに控えていたが、その護衛の騎士、何やら鎧が女性的なフォルム、だった。
フルヘルムで顔は見えないが、女騎士だったのかもしれない。
さて、くだんのデルエラの母親だが、すさまじい気品に、圧倒的な存在感、まるで一つの国の主を思わせる気運だった。
「かあさまっ、人間の男の子なのっ」
デルエラは嬉しそうに私の手を握り、にっこりと笑った。
「ええ、あなた、お名前はなんていうの?」
母親は私に近づくと前屈みになって目線をあわせてくれたが。
悲しいことに私は母親の胸の谷間を見てしまい、激しく狼狽してしまった。
「あ、えっと、ぼ、ぼくは・・・」
「キョウくんなの、かあさま、キョウくん」
狼狽する私を助けてくれたのはデルエラだった。
横目で確認するとスカートを握りしめ、こちらを鋭い目つきで見ている。
「そう、ならキョウくん、これからもデルエラちゃんのこと、よろしくお願いね?」
母親の言葉に私は何度かこくりこくりと頷いていたが、デルエラのほうを見ると、何やら顔を赤くして、うつむいていた。
「・・・あら?」
母親は私がベンチに置いていた本に目を留めた。
「そう、あなたは外から・・・」
一瞬母親の瞳には同情の色が浮かび、続いて何かを決めたような瞳に変わった。
「キョウくん、そろそろお家に帰る時間よ?」
にこりと母親は私に微笑みかけながら、ベンチにあった本を渡した。
「えっと、もう、ですか?」
「そうだよっ、かあさま、わたしもっとキョウくんと遊びたい」
デルエラの言葉に、母親は険しい表情を見せた。
「・・・もし彼がこのままインキュバスになってしまったら、もう帰ることは出来ないわ」
母親の言葉の意味は、さっぱりわからなかったが、今帰らないと、もう二度と家には帰れないというのはよくわかった。
「・・・う、ううっ」
何かを言いたそうにデルエラはこちらを見ていたが、結局何も言わずに、そのまま護衛騎士に送られていく私を見送っていた。
不思議なことに、森を抜けるとあの神社にいた。
護衛の騎士はいつの間にかいなくなっており、私は一人で神社に立っていた。
私は一人、帰路へ着いたが、あの不思議な森や西洋風の城のこと、デルエラのことを他人に話す気にはなれなかった。
次の日、私はまた放課後、あの神社に行ってみた。
相変わらず誰もいない、私はため息を一つ吐くと、拝殿の階段に腰掛け、また本を読み始めた。
「だ〜れだ」
いきなり両目を柔らかな手に隠された。
この声は聞いたことがある、しかもつい最近のことだ。
「デルエラ?」
私がそう呟くと、私の後ろにいた女の子、即ちデルエラは手を離すと、私の前でくるっと回った。
「今日も来てくれたのね、キョウくん」
正直会えるとは思わなかったが、私はにこりと笑った。
「はいっ」
こちらに差し伸べられる手、私は迷いなくその手を取った。
神社の中を一瞬に走り回り、それに飽きたら境内にある大きな楠を木登り。
デルエラは木登りは下手だったが、少し目を離した隙にはるか上に行っていることもあった。
不思議なことだ、まるで空を飛んだかのように。
まあ、そのようなことはあり得ないので、多分その時私は疲れていただけなのだろうが。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎていく。
そろそろ五時、私はデルエラに帰らなければならないことを告げた。
「・・・明日も、来てくれる?」
デルエラの不安気な言葉に、私は頷き、指切りをしていた。
家に帰っても私はデルエラと明日も遊ぶことばかりが頭にあった。
次の日の放課後、すでに神社にはデルエラがおり、拝殿の前の階段に腰掛けていた。
「デルエラちゃんっ」
私が声をかけると、デルエラは静かに自分の膝を指差した。
そこには静かに眠る小さな三毛猫がおり、かすかに手当の跡があった。
「怪我してたの」
この神社にはたまにクラスの悪童がくる、もしかしたら彼らにやられたのかもしれない。
「・・・弱いものいじめをする人は、心が弱い人なんだ」
私の言葉に、デルエラは顔を上げた。
「・・・どうすれば、そんな人は減るかな?」
猫を撫ぜながら、私は子供ながらに考えていたが、答えは中々出なかった。
よく見ると、デルエラも額に皺を浮かべ、真剣に考えているようだ。
「弱い人も、誰かに寄りかかり、その人も弱い人に寄りかかり、支え合うような世界にならないと、ダメじゃないかな?」
そう呟いたのは私だったか、それともデルエラだったかはもう定かではない、この辺りの記憶は曖昧だ。
愛に満ちた世界、他人を愛し、他人からも愛される、そんな世界ならば弱い者いじめは起きないかもしれない、とにかく子供二人はそう結論づけた。
猫を可愛がりながら、私とデルエラは色々なことを語り合った。
デルエラは今流行りのベイゴマやらテレビゲームのことは知らなかった。
実は私も親に頼んだが、買ってもらえなかったので、デルエラとの会話は楽しかった。
何故だかデルエラは、ドラゴンやキマイラなど神話の怪物に興味を示した。
デルエラも怪物に関しては博識で、私も小学生ながら詳しいと自負していたが、『バフォメット』、『アラクネ』、『ガリュブディス』など、初めて聞く名前もあった。
中でも『サキュバス』や『リリム』に関してはデルエラは非常に詳しく、私は子供ながらに感心していたことを覚えている。
その日も夕方になり、私はデルエラに帰路へ着くことを切り出した。
「・・・明日も、来てくれる?」
答えは決まっていた。
私はまた指切りをすると、帰路へ着いた。
次の日も、その次の日もデルエラと遊んだ。
苦痛だった、学校も、家も、デルエラとの約束のおかげで楽しくなった。
放課後はまっすぐ家に帰り、神社へ向かう、それが私の日課になっていた。
その日も神社に行ってみると、デルエラは三毛猫と遊んでいるところだった。
「その猫・・・」
そう、数日前に怪我をして、治療されていた猫だ。
なんとか元気になったようで、私は胸を撫でおろした。
「キョウくん、今日は何して遊ぶ?」
デルエラの言葉に口を開こうとして、私は鳥居から入ってくる人影に気付いた。
「あれあれ?、女子とあそんでんのか?」
「お熱いことで、ひゅーひゅー」
などと言いながらクラスの悪童たちがやってきたのだ。
「っ!」
「あれ?、こいつ・・・」
悪童の一人が三毛猫の横腹を蹴り飛ばした。
「っ!」
「こないだあんなに痛めつけたのに、まだ生きてるよ」
その言葉に、デルエラは目を怒らせて悪童たちを睨みつけた。
「あなたたちが、あの子をっ」
だが悪童たちはどこ吹く風だ。
「あいつ俺のベイゴマ咥えやがったんだよっ」
「弱い奴いじめて何が悪いんだよっ」
ゲラゲラと笑う悪童たち、瞬間私は頭に血が上り、手にしていた木の棒で悪童の頭を殴りつけていた。
「っ!、てめえっ」
すぐさま近くの悪童が私の腹を殴りつけ、砂を目にかけ、踏みつけてきた。
時として子供は残忍なもの、私は身体中を痛めつけられ、地面に転がった。
「やめてっ」
いきなり悪童の一人が後ろに吹き飛んだ。
「お、おい、あいつ・・・」
あまりの痛みに下を向き、砂で目を開けられない私には何が起きたのかさっぱりわからないが、いつの間にか悪童たちは立ち去っていた。
「・・・大丈夫?」
私の怪我を手当しながら、デルエラは心配そうに聞いてきた。
実際あまり大丈夫ではなかったが、そこは男の見栄、大丈夫、と言っていた。
「あんな危険なこと、やめてよ?」
デルエラはそう言うと、私の肩を抱いた。
「けど、カッコよかったよ?」
暖かな温もり、誰かに抱きしめてもらうなんて、いつ以来だったろうか。
少し悲しそうに、デルエラは目を伏せた。
「かあさまにキョウくんと遊んでること、ばれたみたい」
確かにあの母親は私とデルエラが一瞬にいることに難色を示していた。
「ねえ、キョウくん、もうしばらく会えないけど、一つ約束してくれる?」
私が頷くと、いきなりデルエラは近づき、こちらの唇を奪ってきた。
「!!!」
「・・・んっ、んんっ」
行為自体は一瞬で終わった、私が呆然としていると、デルエラはいたずらっぽく笑った。
「大人になったらわたしと、結婚してくれる?」
私は何も考えず頷いていた、恋愛か友情かはわからないが、私もデルエラは好きだった。
だからすぐに頷いたのだ。
「うれしい、約束だよ?、じゃあ、またね?」
デルエラはかすかに悲しそうな顔をすると、森の中に消えていった。
ふと、気づくと私の手の中に、赤い鉱石で作られた勾玉があった。
デルエラがキスをした時に私に握らせたものか、とにかく私は後生大事に勾玉を持って帰った。
その勾玉は、未だに私のそばにある、勾玉をみると、デルエラのことを思い出し、それからも頑張れた。
小学校も中学校も、私は努力を重ねてそれなりの青春を謳歌できた。
これは一重にデルエラの勾玉を見るたびに、彼女と過ごした短くも鮮烈な、少年の日の思い出を回想出来たから、かもしれない。
やがて二十歳を過ぎ、現在に至るまで、私には様々なことがあったが、勾玉を見るたびにかんばれた。
・・・・・・ところで最近不思議なことがある。
夢によくデルエラが出てくるようになったのだ。
しかもあの頃の、少女の姿ではなく、大人の、妖艶な姿で。
夢を見た後には決まって鈴の音が聞こえ、耳の奥深くにあの日聞いた手毬唄が響くのだ。
最近はだんだんとはっきり聞き取れるようになり、ある日など何故か勾玉が私の胸から下がっていることがあった。
そんなことがあって、昔のことを思い出してこの手記を書いている。
もしかしたら、デルエラと再会する日は近いのかもしれない。
もしそうなら、あの日の約束を、果たさなければならないのかも、しれない。
♪てんてん手毬のてん手毬〜
天神さまのてん手毬〜
てんてん手毬はどこでつく〜♪
15/10/07 15:18更新 / 水無月花鏡