第五話「海王」
東に位置する大陸港、そこはアメイジア大陸全土で見ても他に類を見ない規模の大きな港町。
大陸全土に出荷される様々な魚介類がここから獲られるという、まさしく大陸規模の港町だ。
「・・・とまあ、そんなわけで大陸港はなかなかに広い」
ルクシオンの艦橋で、ラグナスの説明を受けながら九重は頷いた。
「でもあの触手があるならすぐに見つかるんじゃないの?」
小瓶の中にあるヴィウスの触手は今もジタバタと元気に蠢いている。
「そうだね、けどヴィウスは本来海の中を専門にする英雄、もしかしたら海底深くにいるかもしれない」
そうなると相手取ることができない、交渉の席につくことすら出来ないわけだ。
「ただしこの季節大陸港の湾には夜行性の電気クラゲが現れている」
電気クラゲ、その毒はあまりに強く、刺されると死にはしないながらも、長時間痺れてしまい、活動出来なくなるらしい。
「ヴィウスもこれはわかっているはずだから、少なくとも夜になれば陸に上がるはずさ」
なるほど、つまり夜になってから行動し、ヴィウスを見つけるというわけか。
「ただしそれは僕らを狙う勢力も同じこと、ヴィウスが陸に上がると察して出てくるかもしれないね」
エルナは禁軍との戦いで見た敵対勢力の正体、すなわちエディノニアの騎士のことを話そうかと思ったが、やめておいた。
少なくとも九重はエディノニアは味方だと思っているだろうし、まだ確定的でない情報では味方を混乱させるおそれもあるからだ。
「今回もエルナとリエンに九重きゅんの護衛は頼もうと思う、ツクブはルクシオンで待機するように」
夜になるまでは長い、九重は少し思うところがあり、エルナに話しかけた。
「あの、エルナお姉ちゃん、お願いがあるの」
「珍しいですね、何ですか?」
エルナは優しげな笑みを浮かべ、九重と目線を合わせた。
「僕に剣術を教えて欲しいの」
なるほど、エルナは九重の瞳を見て何故そんなことを言い出したのかを察した。
ツクブの時も、禁軍のときも、九重は英雄に守られてばかりいた。
まだまだ幼いながら九重も男、守られてばかりいることに納得できないのだ。
「・・・君の言いたいことはわかりました、やはり君も男の子、私の時間があるときに技を授けましょう」
喜色を浮かべる九重だが、エルナはちちっ、と指を振った。
「ですが私の剣術はあくまで相手に合わせて逆転の一手を狙う、謂わば守りとカウンターの剣術、男の子には些か退屈かもしれませんよ?」
実はエルナは極めて攻撃的に攻める剣術の使い手を知っているが、何も言わなかった。
「それでもいい、自分の身くらい自分で守りたいんだ」
どうやら決意は十分のようだ、いまから夜まではまだまだ時間もある、基礎訓練くらいは出来るだろう。
「・・・では九重、ルクシオンの甲板に行きましょうか、そこならば剣も振るえますし」
九重はすぐさま頷くと、エルナとともに甲板に向かった。
「・・・リエン、だっけ?」
九重がエルナとの訓練に出ている時に、ツクブはリエンに話しかけた。
「・・・何かしら、泥棒猫さん?」
露骨に話すのが嫌そうに冷たい瞳をツクブに向けるリエンだが、ツクブはスルーして話しかける。
「あの遺跡で見ていたけど、あなたの剣術、姉さんのものに少し似ているわ」
否、その言い方は正確ではない。
正確にはエルナの剣術に攻撃的なアレンジを、もしくは攻撃的な剣術にエルナの剣術をミックスさせたかのような剣術だった。
しかももう片方の攻撃的剣術にもツクブは見覚えがあった。
「その剣、どこで学んだの?」
「・・・誰でも最初は師匠から学ぶ、私の場合師匠がその剣術の使い手だった、ってだけよ?」
リエンはそう答えたが、ツクブはその返答が正確ではないことを直感的に察した。
おそらく彼女の師匠があの剣術を使っていたのは事実だろう、だがエルナともう一人、ツクブの知る人物の技に似た剣術を使う人物がいて、今まさに行動を共にしている。
このような偶然はあるのか。
「疲れたわ、夜まで眠るわね」
話しは済んだとばかりにリエンは手を上げて艦橋から立ち去って行ったが、ツクブはまだリエンの剣について考えていた。
「・・・さて、こんなところでしょうかね」
夕方、エルナはそう告げて九重の稽古を打ち切った。
「基本はだいたいそんな感じです、今はまだ繰り返しその型を練習して下さい」
「わかりました、師匠っ」
元気よく返すと、九重は早速足捌きや剣の構え、さらにはそこから繰り出す技の型を練習し始めた。
「・・・(才能はまずまず、しかし今あの勇者と戦えば確実に負けますね)」
守り主体、それも九重のように真っ直ぐすぎる性格の人間にはあの勇者の剣は棘が多すぎる。
「・・・(やはり彼女の力が必要ですね)」
エルナはここにはいない七大英雄のことを思った。
「・・・そろそろですね」
艦橋の窓から見える大陸港の黒い海には、ぽつりぽつりとカラフルな光が溢れ始め、反面港の明かりは少なくなっていた。
「ヴィウスも陸地に上がる頃でしょう」
ラグナスはルクシオンを降下させて、大陸港の郊外に船を降ろした。
「・・・静かだね」
夜の大陸港は静かであった。
朝は漁師や、様々な魚を運ぶ商人、港町特有の怪しげな航海安全の祈祷師などにより活気に溢れていたが、現在は酒場などから声がするくらいであり、静寂に支配されている。
「ヴィウスも発見しやすいというものですよ」
そう言うエルナの右手にはヴィウスの触手の一部が入った小瓶が握られている。
なかで触手は激しく動いており、ヴィウスが近くにいることがよくわかった。
ふと、九重を挟んで歩いていたリエンとエルナの表情が強張った。
「・・・九重、静かに私の話しを聞いて」
変わらず前を見て歩きながらであるが、ヒソヒソとリエンは声を沈め、九重に声をかけた。
「誰かにつけられているわ、足音がほとんどないから、相手は中々の手練れ、もしくは暗殺を生業にしている殺し屋ね」
どうやらいつの間にかつけられていたようだ、普通に考えて七大英雄を狙う勢力だろうが、厄介なことになった。
殺し屋と聞いて九重はぶるりと震えたが、エルナは優しげに微笑んだ。
「そう硬くならなくても私がなんとかしますからね」
「・・・そうよ九重、『私が』、ね」
一瞬だけばちりとリエンとエルナの間を火花が散ったが、九重は気がつかなかった。
瞬間、ゆらりと後ろから何者かが切りかかってきた。
「なっ」
リエンもエルナもここまで接近されるまで気がつかなかった。
気配や殺気を探知することはおろか、微弱な呼吸音すら聞こえなかったのだ。
「ちっ」
慌ててリエンは相手の剣をかわし、素早く抜剣する。
「・・・こいつ、一体」
相手は何やら鎧を着込んだ騎士、右手に持った剣をゆらゆらと構えており、やはりその動きからは殺気も何もなかった。
暗殺者、と言うよりも心のない機械に近いかもしれない。
「・・・ともかく、止めるしかないわね」
リエンは暗殺者に切り掛かるが、意外なほどに素早く暗殺者は防御した。
その動きも最低限のものであり、人間らしい動きは一切なかった。
「・・・強い、わね」
「っ?」
離れて見ていた九重は、暗殺者の背中に何かを見つけた。
「お姉ちゃんっ、背中を、背中を狙って」
九重の叫び、リエンは暗殺者が切りかかってきたタイミングを見切り、鎧の背中を切りつけた。
瞬間、ぷつりと音がして、暗殺者はくらりと地面に倒れ伏した。
「これは、人形、もしや・・・」
エルナの言葉とともに、パチパチと拍手の音が聞こえた。
「素晴らしい、やはり儂の目に狂いはなかった」
物陰からゆっくりとフードを被った少女が姿を見せた。
「っ!」
絶句する九重、その姿は見たことがあるものだったからだ。
「久しぶりじゃな九重、儂のことを覚えておるか?」
七大英雄ラグナスのもとに向かう最中、出会った人形使いの少女、何故ここに。
「・・・本当に面倒なことをしますね、七大英雄クオン」
クオン、まさかこの人形使いが七大英雄の一人、クオンなのか。
「ふっふっふ、久しぶりじゃなエルナ、元気そうで何よりじゃぞ?」
フードを脱ぐと、その下からテンタクル特有の植物に近い素肌が姿を見せた。
「まあ、試したことは詫びよう、じゃがそなたら、些かまずいことになっておるぞ?」
クオンは声を潜めた。
「ヴィウスの奴が、何者かに連れ去られよったわ」
大陸港より少し離れた山の中、そこにはエディノニアがかつて使っていた古い砦がある。
名前は空山城塞と言うが、今はただ港砦と呼ばれていた。
「七大英雄ヴィウスわざわざそちらから来てくれるとはな」
その砦の牢獄にヴィウスは閉じ込められていた。
鎧を纏った仮面の少女は、牢獄の鉄格子の前でほくそ笑む。
「・・・貴様が誰かわたくしは興味ありませんが、『あれ』はあなたがたの手に余るもの、大人しく封印したほうが身のためですわよ?」
エディノニア帝都桜蘭、その地下にあったとある物品が発掘されたて聞いてヴィウスは説得のために砦に乗り込んできたが。
「馬鹿なことを、あれほどのもの使わない手はない」
これである、誰一人として聞く耳持たず、逆に監禁されてしまったというわけだ。
「・・・過ぎたる力は身を滅ぼしますわ、今ならばまだ間に合いますわよ?」
ヴィウスの言葉に仮面の少女はせせら笑う。
「七大英雄ともあろうものが、怖気付いたか?」
「そうかもしれませんわね、ですけどあれは一万年前に猛威を振るい、今もまだ時空の牢獄をアメイジア大陸に及ぼしている、害悪以外のなんでもありませんわ」
ヴィウスの言葉は力強かったが、仮面の少女は最初から聞く耳を持たない。
あからさまな侮蔑の笑みを浮かべ、立ち去っていった。
「・・・さて、どうしたものかしら」
牢獄から出ること自体は難しくないが、連中をなんとかしないと手遅れになる。
なんとかして阻止せねば、エディノニアはおろかアメイジア大陸が危険に晒される。
「英雄として、働かねばなりませんわね」
ヴィウスは牢獄の鉄格子に触手を巻きつけると、海水を吹き出して鉄を腐食させていく。
「脆いですわ」
鉄格子が一本外れると、その隣も同様に腐食させ、人間一人が通れる穴が出来上がった。
「さて、早い所連中を止めねばなりませんわ」
ヴィウスは牢屋から出ると、するすると音もなく砦へと向かっていった。
15/04/23 21:06更新 / 水無月花鏡
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