第一話「忘却」
遠い遠い、遥かな昔、まだ魔物が太古の姿を保っていた時代。
当代の魔王であるメルコールは、世界を闇に包まんと行動を開始した。
人間たちはなすすべもなく蹂躙され、当時最大の大陸であったアメイジア大陸は、醜悪にして邪悪な魔物によって、支配された。
だが、アメイジア大陸を救わんとする一つの希望が現れた。
人間でありながらも魔物と同化し、その力を制御することに成功した七人の英雄が、魔王を倒すために立ち上がったのだ。
魔王との戦いは熾烈を極めたが、どうにか七人は魔王を倒すことに成功した。
だが、魔王もただでは死ななかった。
死の間際に時間と空間を捻じ曲げ、アメイジア大陸をそこに住む人ごと時空の狭間に突き落としたのだ。
英雄たちは最後の力を振り絞り、大半の人間を他の大陸に逃がすことに成功したが、結局救いきれず、アメイジア大陸は空間の狭間に封印された。
それからおよそ一万年後、七人の英雄の物語もアメイジア大陸の封印も、みんな忘れ去った頃。
「行ってきまーす」
西暦2000年代の日本のとある街、一人の少年が家を飛び出した。
彼の名前は雨月九重(あめつきくのえ)、この街でごく普通に暮らす小学生だ。
その日も通学路を通っていつも通り小学校に行く、ハズだった。
「あれ?」
通学路の途中にある公園、そこに少女が倒れていた。
何事かと思って九重が近づこうとして、違和感に気がついた。
公園の真ん中に倒れているにも関わらず、誰一人として、少女に近づこうとしていないのだ。
奇妙な感覚に九重は背筋に寒いものが走ったが、結局少女に近づいていた。
「あの・・・」
声をかけられ、微かに少女は身を起こし、九重のほうを見た。
「えっ・・・」
絶句する九重、無理もない、倒れていたときには見えなかったが、少女は凄まじい美人だったからだ。
テレビの下手なアイドルや、巷に溢れる歌手も問題にならないような美人だ。
「(うっわ、おっきいな・・・)」
ついでに九重は少女の特定部位、つまるところ布地越しでもよくわかる豊満な胸に、視線を向けてしまっていた。
「・・・やはり、あなたね」
少女はゆっくり立ち上がると、屈んで九重と目線を合わせた。
「ここでは初めまして、かしら?」
不思議な言葉だ、九重はどきりとした。
「あの、どこかでお姉さんと・・・」
「いいえ?、初対面のはずよ?」
ふふっ、と少女は悪戯っぽく笑って見せた。
「私はリエン、あなたは?」
「あ、雨月九重、です」
ドキマギしながら九重が答えると、少女リエンはくすりと笑った。
「ええ、そうよね、『たしか』・・・」
「?」
九重は頭がはてなになってしまったが、リエンはちらっと後ろの道路を眺めた。
「九重くん、そろそろ急がないと遅刻するわよ?」
「あっ」
色っぽいお姉さんのことで頭が一杯で忘れていたが、今から通学するところだった。
「そ、そうだった、じゃあ、おねえさん、またねっ」
軽く手を振ると、九重は通学路のほうに走っていった。
「・・・雨月九重」
結局九重は遅刻することはなかった。
だが、授業中に考えることは、公園で出会ったあの綺麗な女の人のことばかりだ。
「(きれいなひとだったな、あのあたりに住んでるのかな?)」
「・・・き、雨月っ」
「えっ、はっ、はいっ」
いきなり担任に名前を呼ばれ、九重は素っ頓狂な返事を返してしまった。
「この問題を答えろ」
黒板には算数の問題が書かれているが、リエンのことを考え、話しを聞いていなかった九重には理解出来なかった。
「えと、その、わかりません」
「・・・もう良い、廊下に立ってなさい」
頭の中はリエンのことで一杯、そんな状態ではとても授業どころではない。
さて、給食の時間、そんな様子はおかしいと思ったのか、隣の席の少女、安部瑠璃は九重に話しかけた。
「九重くん、なんだか今日変じゃない?」
「・・・変なんかじゃないよ、僕はいつもどおりだよ?」
食事をしながら九重はそう呟く。
「・・・みそ汁にみかんなんかつけてどうするの?」
瑠璃の言葉に九重ははっとしてしまった。
給食のみそ汁の中に、皮を剥いていないみかんを浸し、今まさにそのまま食べようとしていたのだ。
「うわ、わわわわわ・・・」
「ねえ、何かあったの?」
じっと瑠璃は九重を見つめた。
安部瑠璃、クラスのアイドルで隣のクラスにもファンがいるという超絶美少女、本来ならばそこまで心配されたら男冥利につきるかもしれないが、今の九重には無用の長物だった。
「ほんとになんでもないよ」
九重はそう告げ、紙パックの牛乳を飲もうとしてぐしゃりとパックを潰してしまい、盛大にぶちまけてしまった。
「そりゃ、恋ね」
休み時間瑠璃は仲の良いのクラスメイトに、九重のことを相談してみた。
「恋?」
「そ、たぶん雨月くんは誰かに恋をしているわ、しかも一目惚れかもね」
親友の言葉に、瑠璃は首を傾げた。
「一体誰に?」
うーんと親友は首を振るった。
「それはわからないけど、でも瑠璃、どしてそんなに雨月くんのこと・・・」
「それは、九重くんはわたしの隣の席だし、なんだかこのままだと良くないような予感がするのよ・・・」
親友は一応瑠璃の言葉に頷いたが、なんだかまだ納得はしていないようで、瞳の中には疑惑の光があった。
授業も終わり、九重はいそいそと教室から出て行った。
それを追うように瑠璃も彼の後ろからついて行った。
九重は家には帰らずに、近くの公園に入って行った。
「・・・あっ」
公園のベンチには高校生くらいの凄まじい美少女がおり、九重は彼女に駆け寄っていく。
「(誰だろ?、九重くんの知り合いなのかな?)」
見た目的には姉弟くらいに歳は離れているが、何やら姉のほうの視線は怪しい。
弟は無邪気に話しかけているが、姉は時折意味深な視線を九重の下半身に向けたり、妖艶としか思えない笑みを浮かべたりしていた。
「九重くんっ」
いきなり瑠璃は二人の前に飛び出した。
「あら?、九重のガールフレンド?」
リエンの言葉に九重は激しく首を振った。
「ち、違うよ、隣の席の女子だよ、リエンお姉ちゃん」
お姉ちゃん、その言葉にリエンの顔つきが放送事故レベルにまで崩れたが、九重には見えず、対面に立っている瑠璃にしかそれは見えなかった。
「あ、あなた一体、九重くんをどうするつもりなのっ」
瑠璃はリエンのその顔つきに鳥肌が立つような恐れを抱くとともに、ますます警戒を持った。
「安部さん、リエンお姉ちゃんにそんな口はやめてよ」
九重は瑠璃に対してそのようなことを言う。
「お姉ちゃん、いろんなことを教えてくれたよ?、魔物?、は人間と仲良くしたいんだって」
言葉の意味を九重はわかっていないのだろうが、それは瑠璃も同じこと、だが瑠璃はリエンが九重に対して良からぬ企みを抱いていることを直感的に悟った。
「ふふっ、いい子ね九重くんは・・・」
リエンが九重の頭を撫ぜると、九重は気持ちよさそうに目を細めた。
「九重くんはお姉ちゃんのこと好き?」
「うん、好きだよ?」
おそらくその問答が何を意味するかはさっぱりわかってはいないだろうが、九重はそう答えた。
途端にリエンが発した妖しげな気配に、瑠璃はますます警戒を強めながら、じりじりと二人に近づく。
「いい加減九重くんから離れてよっ」
瑠璃の怒声に、九重は目を細めた。
「どうしてそんなにお姉ちゃんを攻撃するの?、べつに僕が誰と仲良くしてもいいんじゃないの?」
「うっ、それは・・・」
言葉に詰まる瑠璃、だがリエンはふうっ、とため息をついた。
「ごめん、どうやら巻きこんじゃったね」
直後リエンを中心に魔法陣が地面を走った。
「これは?」
唖然とする瑠璃の前で魔法陣が輝き、あたりが真っ白に染まっていた。
あまりの光に瑠璃は頭を刺激され、そのまま意識を失ってしまった。
「ここ、は?」
気がつくと九重は見慣れない天井、見慣れない場所にいた。
「・・・気がついたみたいね」
声をかけられて九重は始めて自分がどこにいるか気がついた。
「リエン、お姉ちゃん?」
大きな木がある草原、高地にあるのか空気は澄み切っており、近くには清流も流れている。
そんな木の下で九重はリエンに膝枕されていた。
「突然こんなところに連れてきてごめんなさい」
リエンは軽く目を伏せ、謝罪した。
「貴方に、頼みたいことがあるの」
「すでに確認されただけでも七人の英雄の内ラグナス、エルナ、ツクブの復活が確認されているわ」
アメイジア大陸、西方地帯にある森と山脈に挟まれた祭礼の渓谷。
そこにはエルフ族の暮らす小さな村があり、深淵なる知恵のエルフが、悠久の時間を過ごしていた。
渓谷の頂点、最も高い山にある太陽の光をたたえ、四季の花々が咲き誇る儀仗園庭は本来エルフ族の重大懸案事項を話し合うためのものだ。
だが今そこに設置された八つの椅子にはエルフだけではなく様々な種族の者がいた。
先ほど発言したエルフの族長、レオラは周りを見渡した。
園庭の椅子にはエルフ以外にはこの大陸最大の統一国家である中央政府エディノニア皇国皇女サーガや、南方アダマニウム鉱山のドワーフ族一の戦士ギムなどの各種族の代表がいた。
「・・・ならば半数は帰還していない、今ならば連中を葬れるぜ」
ドワーフの戦士ギムはそう告げたが、レオラはやれやれと肩を竦めた。
「これだから脳筋のドワーフ族は・・・」
「な、何だと!」
いきり立つギムに対して、冷徹にサーガは告げた。
「冷静になれ、七大英雄は遥か昔にこの大陸を守るために当代の魔王を打ち滅ぼした手練れ、敵に回ればこれほどの強敵は存在せん」
七大英雄、アメイジア大陸を救った英雄たちは遥か昔に何処かへ消えていた、だがここ最近にわかに英雄たちが帰還し始めたのだ。
本来英雄たちが帰還するならば、こぞって歓迎せねばならないかもしれないが、英雄たちはアメイジア大陸では最も有名な戦士であり、同時に最も有名な反魔物だった。
「しかし英雄たちが未だに反魔物だと決めつけるのは早いのでは?」
数代前から魔物との融和が始まった外の世界とは異なり、メルコールの死亡後は魔物も大人しくなり、住み分けもされ、最近の魔王交代以降は完全に平和となっていた。
故にもし七大英雄が帰還すれば、インキュバスすら魔物とみなす可能性もあるため、魔物に限らず英雄の帰還はアメイジア大陸全体の問題なのだ。
サーガの言葉にレオラは首を振った。
「英雄たちは大魔王メルコールの呪縛でつい最近目覚めたわ、決戦は我々にとっては一万年前のことでも、彼女らはつい昨日のことなの」
いきなり思想が変わることなどありえない、英雄たちは未だに反魔物と考えるのが自然だ。
「みんな元気かしら?」
重苦しい会議の雰囲気を和ませるためか、極めて明るい声で突如園庭の中心にリエンが現れた。
「貴様、何者っ」
猛るレオラに、黙って斧を掴むギム、じっとリエンを見つめるサーガなど千差万別の反応である。
「初めまして、私は《ラストシスター》リエン、魔王の娘リリムの一人よ?」
「魔王、だと?、貴様外から来たというのか」
驚愕を露にするレオラ、それに対してリエンは白い一対の翼を広げて見せた。
「このような翼はどんな魔物も持たない、でしょう?、母さまは七大英雄の一件を知り、私をこの地に送ったの」
アメイジア大陸は他の地とは異なる空間にある、如何なる方法で突破したかは不明だが彼女は外から来たようだ。
「信じる他あるまい、その莫大な魔力に闇色の気運、魔王の生き写しと言わざるを得まい」
サーガの言葉を受け、レオラは鼻を鳴らした。
「・・・まあそれはいいとして、あなたには対七大英雄の策はあるの?」
「勿論、そのためにこの子を用意したのだもの」
そう告げると、リエンは自分の後ろにいた九重を前に出した。
「・・・その子は?」
サーガの問いかけに、リエンは自信満々に答えた。
「この子ならば、七大英雄を血を見ずに平定出来るはずよ?」
同じころ、儀仗園庭よりはるかに離れた山脈に巨大な物体があった。
一見したところそれは十字架のようにも見えるが、よく見れば両翼を持つ巨大戦艦であることがわかるだろう。
「・・・魔物たちが動き始めたみたいだね」
戦艦の艦橋、そこには巨大な翼を備えたセイレーンの少女がいた。
体格は全体的に大きく、一般的なセイレーンと比べて一回りは大きいだろうか。
「そのようですねラグナス、して他の仲間たちは?」
彼女のすぐ近くにはドラゴンの少女がいたが、彼女は逆に普通のドラゴンよりも少しく小さく見える他、ドラゴンによく見られる高慢さがほとんどなかった。
「ツクブはもう目覚めてアマゾネスの一団を懐柔したそうだけど、ヴィウスやクオンたちはまだ音信不通だね」
ラグナスと呼ばれた少女はそう告げるとドラゴン少女に険しい視線を送った。
「エルナ、僕たちが眠ってからもう随分経っている、魔物も強くなっているだろうね」
「・・・それはわかりません、ですが一つはっきりしているのは、従来の魔物とは違うことでしょう」
エルナの言葉にラグナスは頷いた。
「うん、僕も正直彼氏が欲しいな、とか思っちゃうしね」
「同化秘技《フュージョンフォーム》、魔物のほうの意識も我々には混じっているのでしょうが・・・」
エルナは複雑そうにつぶやくと、腰に下げていた巨大な剣に手を掛けた。
「・・・やっぱり、ツクブが心配?」
ラグナスの質問にエルナは戸惑いながらも首を振った。
「あれも英雄の一人、心配は無用です」
心配するとすれば意識が乗っ取られて性格が変貌することのみ、エルナはここにはいない同胞に想いを馳せながら窓の外に広がる空を眺めていた。
15/04/17 21:42更新 / 水無月花鏡
戻る
次へ