第十三話「天耀竜」
曇った空に強く吹きすさぶ風の中、静かにそのドラゴンは時が来るのを待っていた。
かつて落盤事故があった場所はいまや崩れ去り、天耀竜シャガが封印されていた洞穴は跡形もなく消え失せている。
彼女は長い期間あちこちを巡りながら青年を、ミズラフ・ガロイスを待ち続けていた。
いまやあの青年はたくましく育ち、シャガの幼体とならば渡り合える実力を備えている。
かつて自分をこの地に封印した英雄ミズラフ・ガロイスの子孫、故にあの日彼はシャガの封印を破ることが出来た。
英雄ミズラフ・ガロイスと似た魔力を持つからこそ彼がかけた封印に干渉し、これを解除出来たのである。
静かにシャガは待ち続けるが、その瞳は閉ざされたまま。脱皮をした段階ですでに『瞳』は現れているが最初に見るものは決まっていた。
「……(いよいよ今日、オウハは来る)」
根拠なぞ必要ない、シャガは感じているのだ。自分の宿敵がゆっくりと近づいてくることを……。
「……(来なさいオウハ、わたくしと戦いなさい)」
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強い風に煽られながらもミズラフは過去の記憶を辿り『禁足地』のほぼ中央、すなわちかつてシャガが封印されていた場所に向かっていた。
落盤事故に巻き込まれて出会ったシャガ、そこで彼女の封印の要であった剣を脱いたことを起点として、ミズラフの冒険は始まっている。
多くの人と出会い、たくさんの魔物娘と関わり、いくつもの経験をした。
全ては今日この日のため、天耀竜シャガと戦うためである。
「……見えた」
現れた天耀竜の姿は、かつて侵食竜ゴアと呼ばれていた頃の姿とは大きく変わっていた。
頭からは二本の巨大な角が生え、その特徴的な翼の先端には第三、第四の腕が備わっている。
総じて侵食竜の頃とは大きく変わっているが、もっとも変わったのはその身体を覆う鱗だった。
黒く、深い闇を思わせるような色をしていた鱗がまだ身体中を覆っているが、ヤマツミ村に飛来したと思われる白い鱗が身体のあちこちに見てとれる。
「……天耀竜シャガ」
ミズラフの言葉にいよいよシャガは頭をこちらに向けたが、まだ瞳は固く閉ざしたまま首のみを向ける。
「……待っていましたわよ、オウハ・クラウディウス」
侵食竜のときと同様、仮に視覚がなくともミズラフの姿を捉えることが出来るようだ。
「ヤマツミ村で会って以来になりますわね。貴方とこうして対面することを心待ちにしていましたわ」
ミズラフが静かに蛇矛を構えるとシャガもまた、ゆっくりと翼を広げて見せた。
漆黒の翼のあちこちには白金と黄金の鱗が現れ、さながらマダラ模様のような様相を見せている。
「ドラゲイ帝国の頃、貴方の先祖とわたくしはこの地で争い、その結果わたくしは封印されました」
シャガが話す間彼女の身体からはボロボロと鱗が落ちていき、それに伴って空間に満ちる威圧感も高まっていた。
「封印が解けてからは各地を巡り、様々な営みを見ながら『狂化細胞』を制御する術を身につけましたわ」
凄まじい風が吹き、シャガの前身を包みこむとともにその身体に纏う闇を吹き払うかのように鱗を吹き飛ばしていく。
「そして今、あの頃と同じように貴方はわたくしの前にいる。お互いにあの頃以上の力を伴って……」
瞬間シャガが咆哮するとともに一瞬だけ雲が切れ、満月の光が『禁足地』全域を照らした。
そしてわずかに残っていたシャガの鱗は全て飛び去り、いよいよ成長した姿をミズラフの前に晒す。
黄金と白金の鱗にまるで光そのものを押し込めたかのような光り輝く翼、闇を纏っているとすら感じられた侵食竜の姿とは対照的にその姿はまさしく光そのものだ。
満月の光に一瞬だけ照らされて光り輝くシャガの姿はある種神秘的な、触れるべきではない神の聖域にすら感じられた。
そして生まれてからこのかた、長く閉ざされていたその瞳を開いて初めてミズラフをその視界に収める。
「素晴らしい、この世のどんなものよりも、素晴らしい景色ですわ……!」
いよいよ周囲に満ちる気運は高まり、『禁足地』全域が戦場であるかのように空間は張り詰めていた。
「……行くぞ!」
再び雲が月を覆い隠して周囲が薄暗くなるとともに、ミズラフは蛇矛を手にシャガに挑み掛かる。
「いまやわたくしはこの細胞を制御し、支配する術を身につけていますわ」
地面のあちこちから禍々しい光の柱が次々と伸びては消えていくが、感覚的にはシャガが纏う気運によく似たものだ。
「『狂化細胞』の攻撃への転用……!」
「ご明察、半径数メートルはわたくしの射程、どこにいようとも大気中の細胞を収束させることができますわよ」
常に動き続けねば地面からの攻撃にその身を突き上げられるのは想像に難しくはない。
次々と地面から沸き立つ『狂化細胞』の柱をかわしながら、ミズラフはシャガに接近していく。
「シャガ!」
矛を振り上げてシャガの頭を狙うミズラフだったが、彼女は大きく身体を捻って上空へと飛び上がり、空中からドラゴンブレスを放った。
「ぐあっ!」
『狂化細胞』を収束したドラゴンブレスはミズラフのすぐ前に着弾して大爆発を起こし、彼を後ろへと吹き飛ばす。
「……くっ!」
目立った外傷はないがシャガのドラゴンブレスは威力も絶大でミズラフの身体にかなりのダメージを与えた。
ゆっくりと立ち上がるミズラフだったが、その足は微かに震え、口からは血を吐き出す。
「オウハ・クラウディウス、その程度ではわたくしを打ち倒すことなど不可能ですわよ?」
地面に着地するとともにシャガはまたしてもミズラフめがけて口からドラゴンブレスを吐き出したが、彼はこれを見切り身体を丸めて前方へ移動しつ回避した。
「……当たらなければ、良い」
「どうかしら、気づいているかしら?」
シャガは翼を折りたたんで地面に伏せるようにして身体を沈め、ミズラフを眺める。
「貴方はすでに細胞に感染していますわ」
「っ!」
まさか、否しかしシャガはいまや『狂化細胞』の制御を自在に行えるようになった。
ならば対象に感染させることも、感染を確認すること可能なのではないか?
「発症すれば貴方は一時的に身体能力が向上するとともに我を忘れる。目の前の牝を犯すことしか、考えられなくなりますわね」
そうなればもはや勝負どころの問題ではない、目の前にいるドラゴンに、シャガに屈服するしかなくない。
「そうなる前に、勝てばいいだけだ」
次々と地面から沸き立つ柱をかわしながらミズラフはシャガに近づいていく。
「無駄、ですわ」
だがやはり攻撃は空振りし、シャガは大きく飛び上がってまたしてもドラゴンブレスを吐き出さんと口を開いた。
「……やれるさ、俺ならば……!」
瞬間ミズラフは蛇矛の石突きで地面を叩いて、まるで高飛びのように大きく空へと飛び上がる。
「っ!」
「……はっ!」
続いて落下する勢いを利用してシャガに蛇矛による一撃を加えた。
「ぐっ……!」
あまりの衝撃にシャガは飛行を維持できなくなり地面へと落下、続けざまにミズラフは返す刀でドラゴンの頭めがけて石突きを叩きつける。
「やって、くれましたわね……!」
だが本来ならば致命傷になるような一撃もドラゴンたるシャガには大したダメージにはならない。
翼を開いてミズラフを弾き飛ばすとともに、大きく距離を開いて咆哮する。
「さすが、と言うべきですわね。ですが、タイムリミットのようですわよ?」
ミズラフは全身が熱くなるとともに、身体のあちこちが軽くなるような、そんな謎の現象に戸惑っていた。
「いよいよ発症、ガロイスの系譜、最後の一人がわたくしに屈する時がきましたわね」
「……くっ!」
「さあ、溢れ出る衝動に身を任せなさい。そのとき貴方はわたくしのものとなるのですわ……!」
恍惚と述べるシャガ、だがいつまでたっても我を忘れるような衝動はミズラフを襲ってはこない。
むしろ身体の熱は少しずつ引き、全身が軽い不可思議な身体能力の向上のみが残った。
「……なんだ、これは……?」
「ば、馬鹿な! どうして貴方は感染してもなお、正気を保っていられますの!?」
それはミズラフにもわからない、だが今この現状はシャガにとっても、己自身にとってもイレギュラーなことであることはよくわかっている。
「はああああああああ……!」
普段の自分では信じられないような速度でシャガに接近すると、とんでもない気迫を纏って彼女を切りつけた。
「がはっ!」
十分な手応え、いかにドラゴンが常識離れした能力であったとしてもこれほどの一撃を受ければただでは済まないだろう。
「やれる! 今の俺ならドラゴンが相手でも……」
微かにミズラフの身体からは水色のオーラが揺らめき、シャガの鱗を内包する蛇矛もまた、微かに鳴動しているようにも見えた。
「わたくしと同じく、体内の細胞を制御して、理性を失くさず身体能力の向上だけを引き出したとでも……? しかし……」
あくまでもこれは一時的な効果、身体から『狂化細胞』が排出されてしまえば能力は元に戻るだろうし、そうなってから再び感染させれば良い。
「潜在能力全てを解放した『極限状態』、とでも呼びましょうか。ですが本来その細胞はわたくしの能力、慣れないことは長続きしませんわよ?」
たがオーラを纏うミズラフを見た瞬間、シャガの頭の中にかつて自分と唯一渡り合った一人の老兵の姿がフラッシュバックする。
「……(はるか昔、ドラゲイ帝国の時代にわたくしを打ち倒した人中の英雄ミズラフ・ガロイス! オウハは彼の血を継ぎ、その名前も継承している。まさか、まさか彼は……!?)」
「……ドラゴン相手に五分に渡り合える能力を得た、そんなリスク問題ではない」
シャガの逡巡には気付かず、そう告げる一方すでにミズラフにはわかっていることがある。確かに『極限状態』となったことで身体能力はドラゴンに匹敵する力となった。
だがそれはあくまで若い、経験の浅いドラゴンに限った話であり『古竜』と称されるシャガが相手ではまだ足りない。
「減らず口を、確かに強くなってはいますけれど今の貴方とわたくしは、わたくしの幼体と今の姿ほどに力の差がありますわ」
すなわち大人と子供の実力差、それでも勝ち目がない戦いの中にわずかながら勝機が生まれた以上、身体が動く限り戦うのみだ。
「来なさい、『ミズラフ・ガロイス』! その僅かな希望わたくしが消し去って差し上げますわ」
「……やるしか、ない!」
ミズラフが蛇矛を構え直したその刹那、彼とシャガの間に巨大な魔法陣が現れ、次の瞬間強力な力場が二人を遮断した。
「重力干渉!? ミズラフにそのような能力は……」
「やれやれ、どうやら間に合ったらしいのう」
ミズラフの背後から聞こえたのは聞き覚えのある声、幼いながらもその声音に凄まじい英知を感じさせる不思議なものだ。
「ラケル!?」
銀色のドラゴンにまたがって現れたのはまさに浅葱色のバフォメット、ラケル・メルキオール、彼女の背後にはミズラフの幼馴染ダルクア・バルタザールの姿も見える。
「ミズラフ、僕たちは君と一緒に戦うことは出来ない!」
背中に大きな具足櫃をかかえ、ダルクアは暴風にも負けない声で叫んだ。
「でもせめて僕たちの想いだけは、受け取って欲しい!」
ダルクアが具足櫃を空中に投擲するとともに、ラケルは素早く呪文を詠唱してその箱を操作ミズラフのすぐ上にまで浮遊させる。
「外野が、うるさいですわよ!」
ドラゴンブレスの一撃で重力場を消滅させると、シャガは続けざまにもう一度ドラゴンブレスを放った。
「おおおおおお……!!」
大きく飛び上がってミズラフがドラゴンブレスをかわすと、真上にあった具足櫃が展開、その中に納められていた鎧が兜、胴、籠手、腰、脚部と各パーツごとにバラバラとなって彼の身体に装着されていく。
「っ! ま、まさかあの鎧は……!?」
慄くシャガ、いまやミズラフは全身を漆黒の鎧で固め、顔もフルフェイスの兜により見ることは叶わなくなっていた。
闇を纏うかのような黒を基調とした鎧にミズラフの全身にぴったりと合うように設計された具足、全身を覆うその鎧はシャガの幼体、侵食竜ゴアを彷彿とさせるものである。
「ご明察! あれは君の鱗や外殻を使って作られた特殊な鎧さ、名付けて……」
「『堕落竜装』、レスカティエの勇者や騎士らが使う鎧をもとに竜族由来の素材で作った代物じゃ!」
ダルクアとラケル、二人の天才がいなければ完成は見なかったかもしれない。だが今やそれは実現し、シャガに勝るとも劣らない力をミズラフに与えていた。
「これは、しかし……」
確かにミズラフは鎧の力で自分の能力が向上したのを感じている。
だが鎧を装着した直後から、まるで身体中を何者かによって愛撫されているかのような感覚に襲われ、身体をしかめていた。
「ミズラフ、その鎧はダイレクトに竜族の魔力を受ける影響で、せいぜい180秒しか装備できないよ!」
「要は常に魔物娘とまぐわっているような感覚じゃ! そんな状態戦闘中そう長く維持出来るものではない!」
ダルクアとラケルの声にミズラフは微かに頷く。このような感覚を与える鎧を三分以上着ていては正気を失いかねない。
「……わかった。三分でケリをつける」
かつて落盤事故があった場所はいまや崩れ去り、天耀竜シャガが封印されていた洞穴は跡形もなく消え失せている。
彼女は長い期間あちこちを巡りながら青年を、ミズラフ・ガロイスを待ち続けていた。
いまやあの青年はたくましく育ち、シャガの幼体とならば渡り合える実力を備えている。
かつて自分をこの地に封印した英雄ミズラフ・ガロイスの子孫、故にあの日彼はシャガの封印を破ることが出来た。
英雄ミズラフ・ガロイスと似た魔力を持つからこそ彼がかけた封印に干渉し、これを解除出来たのである。
静かにシャガは待ち続けるが、その瞳は閉ざされたまま。脱皮をした段階ですでに『瞳』は現れているが最初に見るものは決まっていた。
「……(いよいよ今日、オウハは来る)」
根拠なぞ必要ない、シャガは感じているのだ。自分の宿敵がゆっくりと近づいてくることを……。
「……(来なさいオウハ、わたくしと戦いなさい)」
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強い風に煽られながらもミズラフは過去の記憶を辿り『禁足地』のほぼ中央、すなわちかつてシャガが封印されていた場所に向かっていた。
落盤事故に巻き込まれて出会ったシャガ、そこで彼女の封印の要であった剣を脱いたことを起点として、ミズラフの冒険は始まっている。
多くの人と出会い、たくさんの魔物娘と関わり、いくつもの経験をした。
全ては今日この日のため、天耀竜シャガと戦うためである。
「……見えた」
現れた天耀竜の姿は、かつて侵食竜ゴアと呼ばれていた頃の姿とは大きく変わっていた。
頭からは二本の巨大な角が生え、その特徴的な翼の先端には第三、第四の腕が備わっている。
総じて侵食竜の頃とは大きく変わっているが、もっとも変わったのはその身体を覆う鱗だった。
黒く、深い闇を思わせるような色をしていた鱗がまだ身体中を覆っているが、ヤマツミ村に飛来したと思われる白い鱗が身体のあちこちに見てとれる。
「……天耀竜シャガ」
ミズラフの言葉にいよいよシャガは頭をこちらに向けたが、まだ瞳は固く閉ざしたまま首のみを向ける。
「……待っていましたわよ、オウハ・クラウディウス」
侵食竜のときと同様、仮に視覚がなくともミズラフの姿を捉えることが出来るようだ。
「ヤマツミ村で会って以来になりますわね。貴方とこうして対面することを心待ちにしていましたわ」
ミズラフが静かに蛇矛を構えるとシャガもまた、ゆっくりと翼を広げて見せた。
漆黒の翼のあちこちには白金と黄金の鱗が現れ、さながらマダラ模様のような様相を見せている。
「ドラゲイ帝国の頃、貴方の先祖とわたくしはこの地で争い、その結果わたくしは封印されました」
シャガが話す間彼女の身体からはボロボロと鱗が落ちていき、それに伴って空間に満ちる威圧感も高まっていた。
「封印が解けてからは各地を巡り、様々な営みを見ながら『狂化細胞』を制御する術を身につけましたわ」
凄まじい風が吹き、シャガの前身を包みこむとともにその身体に纏う闇を吹き払うかのように鱗を吹き飛ばしていく。
「そして今、あの頃と同じように貴方はわたくしの前にいる。お互いにあの頃以上の力を伴って……」
瞬間シャガが咆哮するとともに一瞬だけ雲が切れ、満月の光が『禁足地』全域を照らした。
そしてわずかに残っていたシャガの鱗は全て飛び去り、いよいよ成長した姿をミズラフの前に晒す。
黄金と白金の鱗にまるで光そのものを押し込めたかのような光り輝く翼、闇を纏っているとすら感じられた侵食竜の姿とは対照的にその姿はまさしく光そのものだ。
満月の光に一瞬だけ照らされて光り輝くシャガの姿はある種神秘的な、触れるべきではない神の聖域にすら感じられた。
そして生まれてからこのかた、長く閉ざされていたその瞳を開いて初めてミズラフをその視界に収める。
「素晴らしい、この世のどんなものよりも、素晴らしい景色ですわ……!」
いよいよ周囲に満ちる気運は高まり、『禁足地』全域が戦場であるかのように空間は張り詰めていた。
「……行くぞ!」
再び雲が月を覆い隠して周囲が薄暗くなるとともに、ミズラフは蛇矛を手にシャガに挑み掛かる。
「いまやわたくしはこの細胞を制御し、支配する術を身につけていますわ」
地面のあちこちから禍々しい光の柱が次々と伸びては消えていくが、感覚的にはシャガが纏う気運によく似たものだ。
「『狂化細胞』の攻撃への転用……!」
「ご明察、半径数メートルはわたくしの射程、どこにいようとも大気中の細胞を収束させることができますわよ」
常に動き続けねば地面からの攻撃にその身を突き上げられるのは想像に難しくはない。
次々と地面から沸き立つ『狂化細胞』の柱をかわしながら、ミズラフはシャガに接近していく。
「シャガ!」
矛を振り上げてシャガの頭を狙うミズラフだったが、彼女は大きく身体を捻って上空へと飛び上がり、空中からドラゴンブレスを放った。
「ぐあっ!」
『狂化細胞』を収束したドラゴンブレスはミズラフのすぐ前に着弾して大爆発を起こし、彼を後ろへと吹き飛ばす。
「……くっ!」
目立った外傷はないがシャガのドラゴンブレスは威力も絶大でミズラフの身体にかなりのダメージを与えた。
ゆっくりと立ち上がるミズラフだったが、その足は微かに震え、口からは血を吐き出す。
「オウハ・クラウディウス、その程度ではわたくしを打ち倒すことなど不可能ですわよ?」
地面に着地するとともにシャガはまたしてもミズラフめがけて口からドラゴンブレスを吐き出したが、彼はこれを見切り身体を丸めて前方へ移動しつ回避した。
「……当たらなければ、良い」
「どうかしら、気づいているかしら?」
シャガは翼を折りたたんで地面に伏せるようにして身体を沈め、ミズラフを眺める。
「貴方はすでに細胞に感染していますわ」
「っ!」
まさか、否しかしシャガはいまや『狂化細胞』の制御を自在に行えるようになった。
ならば対象に感染させることも、感染を確認すること可能なのではないか?
「発症すれば貴方は一時的に身体能力が向上するとともに我を忘れる。目の前の牝を犯すことしか、考えられなくなりますわね」
そうなればもはや勝負どころの問題ではない、目の前にいるドラゴンに、シャガに屈服するしかなくない。
「そうなる前に、勝てばいいだけだ」
次々と地面から沸き立つ柱をかわしながらミズラフはシャガに近づいていく。
「無駄、ですわ」
だがやはり攻撃は空振りし、シャガは大きく飛び上がってまたしてもドラゴンブレスを吐き出さんと口を開いた。
「……やれるさ、俺ならば……!」
瞬間ミズラフは蛇矛の石突きで地面を叩いて、まるで高飛びのように大きく空へと飛び上がる。
「っ!」
「……はっ!」
続いて落下する勢いを利用してシャガに蛇矛による一撃を加えた。
「ぐっ……!」
あまりの衝撃にシャガは飛行を維持できなくなり地面へと落下、続けざまにミズラフは返す刀でドラゴンの頭めがけて石突きを叩きつける。
「やって、くれましたわね……!」
だが本来ならば致命傷になるような一撃もドラゴンたるシャガには大したダメージにはならない。
翼を開いてミズラフを弾き飛ばすとともに、大きく距離を開いて咆哮する。
「さすが、と言うべきですわね。ですが、タイムリミットのようですわよ?」
ミズラフは全身が熱くなるとともに、身体のあちこちが軽くなるような、そんな謎の現象に戸惑っていた。
「いよいよ発症、ガロイスの系譜、最後の一人がわたくしに屈する時がきましたわね」
「……くっ!」
「さあ、溢れ出る衝動に身を任せなさい。そのとき貴方はわたくしのものとなるのですわ……!」
恍惚と述べるシャガ、だがいつまでたっても我を忘れるような衝動はミズラフを襲ってはこない。
むしろ身体の熱は少しずつ引き、全身が軽い不可思議な身体能力の向上のみが残った。
「……なんだ、これは……?」
「ば、馬鹿な! どうして貴方は感染してもなお、正気を保っていられますの!?」
それはミズラフにもわからない、だが今この現状はシャガにとっても、己自身にとってもイレギュラーなことであることはよくわかっている。
「はああああああああ……!」
普段の自分では信じられないような速度でシャガに接近すると、とんでもない気迫を纏って彼女を切りつけた。
「がはっ!」
十分な手応え、いかにドラゴンが常識離れした能力であったとしてもこれほどの一撃を受ければただでは済まないだろう。
「やれる! 今の俺ならドラゴンが相手でも……」
微かにミズラフの身体からは水色のオーラが揺らめき、シャガの鱗を内包する蛇矛もまた、微かに鳴動しているようにも見えた。
「わたくしと同じく、体内の細胞を制御して、理性を失くさず身体能力の向上だけを引き出したとでも……? しかし……」
あくまでもこれは一時的な効果、身体から『狂化細胞』が排出されてしまえば能力は元に戻るだろうし、そうなってから再び感染させれば良い。
「潜在能力全てを解放した『極限状態』、とでも呼びましょうか。ですが本来その細胞はわたくしの能力、慣れないことは長続きしませんわよ?」
たがオーラを纏うミズラフを見た瞬間、シャガの頭の中にかつて自分と唯一渡り合った一人の老兵の姿がフラッシュバックする。
「……(はるか昔、ドラゲイ帝国の時代にわたくしを打ち倒した人中の英雄ミズラフ・ガロイス! オウハは彼の血を継ぎ、その名前も継承している。まさか、まさか彼は……!?)」
「……ドラゴン相手に五分に渡り合える能力を得た、そんなリスク問題ではない」
シャガの逡巡には気付かず、そう告げる一方すでにミズラフにはわかっていることがある。確かに『極限状態』となったことで身体能力はドラゴンに匹敵する力となった。
だがそれはあくまで若い、経験の浅いドラゴンに限った話であり『古竜』と称されるシャガが相手ではまだ足りない。
「減らず口を、確かに強くなってはいますけれど今の貴方とわたくしは、わたくしの幼体と今の姿ほどに力の差がありますわ」
すなわち大人と子供の実力差、それでも勝ち目がない戦いの中にわずかながら勝機が生まれた以上、身体が動く限り戦うのみだ。
「来なさい、『ミズラフ・ガロイス』! その僅かな希望わたくしが消し去って差し上げますわ」
「……やるしか、ない!」
ミズラフが蛇矛を構え直したその刹那、彼とシャガの間に巨大な魔法陣が現れ、次の瞬間強力な力場が二人を遮断した。
「重力干渉!? ミズラフにそのような能力は……」
「やれやれ、どうやら間に合ったらしいのう」
ミズラフの背後から聞こえたのは聞き覚えのある声、幼いながらもその声音に凄まじい英知を感じさせる不思議なものだ。
「ラケル!?」
銀色のドラゴンにまたがって現れたのはまさに浅葱色のバフォメット、ラケル・メルキオール、彼女の背後にはミズラフの幼馴染ダルクア・バルタザールの姿も見える。
「ミズラフ、僕たちは君と一緒に戦うことは出来ない!」
背中に大きな具足櫃をかかえ、ダルクアは暴風にも負けない声で叫んだ。
「でもせめて僕たちの想いだけは、受け取って欲しい!」
ダルクアが具足櫃を空中に投擲するとともに、ラケルは素早く呪文を詠唱してその箱を操作ミズラフのすぐ上にまで浮遊させる。
「外野が、うるさいですわよ!」
ドラゴンブレスの一撃で重力場を消滅させると、シャガは続けざまにもう一度ドラゴンブレスを放った。
「おおおおおお……!!」
大きく飛び上がってミズラフがドラゴンブレスをかわすと、真上にあった具足櫃が展開、その中に納められていた鎧が兜、胴、籠手、腰、脚部と各パーツごとにバラバラとなって彼の身体に装着されていく。
「っ! ま、まさかあの鎧は……!?」
慄くシャガ、いまやミズラフは全身を漆黒の鎧で固め、顔もフルフェイスの兜により見ることは叶わなくなっていた。
闇を纏うかのような黒を基調とした鎧にミズラフの全身にぴったりと合うように設計された具足、全身を覆うその鎧はシャガの幼体、侵食竜ゴアを彷彿とさせるものである。
「ご明察! あれは君の鱗や外殻を使って作られた特殊な鎧さ、名付けて……」
「『堕落竜装』、レスカティエの勇者や騎士らが使う鎧をもとに竜族由来の素材で作った代物じゃ!」
ダルクアとラケル、二人の天才がいなければ完成は見なかったかもしれない。だが今やそれは実現し、シャガに勝るとも劣らない力をミズラフに与えていた。
「これは、しかし……」
確かにミズラフは鎧の力で自分の能力が向上したのを感じている。
だが鎧を装着した直後から、まるで身体中を何者かによって愛撫されているかのような感覚に襲われ、身体をしかめていた。
「ミズラフ、その鎧はダイレクトに竜族の魔力を受ける影響で、せいぜい180秒しか装備できないよ!」
「要は常に魔物娘とまぐわっているような感覚じゃ! そんな状態戦闘中そう長く維持出来るものではない!」
ダルクアとラケルの声にミズラフは微かに頷く。このような感覚を与える鎧を三分以上着ていては正気を失いかねない。
「……わかった。三分でケリをつける」
19/05/01 10:53更新 / 水無月花鏡
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