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第十二話「到達者」
 霊峰へと至る『龍翼渓谷』は渡る者が居なくなっても尚、その険しさを何ら弱らせてはいなかった。

 背中には最低限の荷物と漆黒の刀身を備える蛇矛を背負い、四肢にはエスルアーの装備を身につけて登るミズラフの表情は果たして、かなり厳しい。

 体力に関してのみなら、幼い頃から総主教のもとそれなりに鍛えてきたためどうとでもなるが、一番の問題は慣れない岩登りと周囲の瘴気であった。

 ただでさえ熟達した登山家でなければ登れないような難所を岩登りに慣れていない人間が登る上、徐々に濃くなる魔界の瘴気はミズラフの鼓動を拍動させ、身体を熱らせている。

 そんな状況下で環境に負けて足を踏み外せば、あるいは集中が切れて岩場の選択を誤れば、ただでは済むまい。

「……(侵食竜ゴア、そして英雄ミズラフ・ガロイス、か)」

 登りながらも思うのはドラゲイ帝国の時代にここを突破した英雄とその英雄を迎え撃ったドラゴンのこと。

 紆余曲折はあったが、今こうして自分が同じ道を歩んでいるのはやはり運命としか形容することが出来そうにない。
 あの日修道院の地下に封印されていた強大なる力を持つドラゴン、彼女を解放してしまいあちこちに多大な影響を出してしまったことにも、意味はあるのだろうか?

 考えても仕方がないこと、仮に深く瞑想したとしても万人が納得するような答えは出そうにないのだから。

「……(重要なことはただ一つ、自分自身の運命と向き合い、決着をつける幸運得られたということだ)」

 たしかに侵食竜ゴアを解放してしまったのはミズラフの過失だ。あちこちの都市に彼女が現れる原因をつくり、間接的に数多の街を混乱させた。
 だが果たしてゴアと相対し、仮に打ち倒せたとしてその先には何があるのか?
 これを果たせたとしても時計の針が元に戻る訳でもなければ、時間が後ろに下るわけでもない。ただの自己満足で終わりはしまいか?

「……(否、周りは関係ない)」

 そうだ、自分の中で何かが叫んでいるのだ。彼女と侵食竜ゴアと並び立つのは自分しかいないと。
 そのための決闘、そのための決意、被害を被った者たちへの償いはまずそれが済んでからだ。

 思考をまとめ上げ、油断せずに慎重かつ可能な限り大胆に上へと向かっていく。
 ある一種の決意を得られたためか不思議と瘴気は先程よりも軽く感じられ、岩場を辿る四肢にもまた力が満ちるように感じた。

「……(油断はするなよミズラフ、まだまだ先は長いのだから)」






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「出発したっ!?」

 ダルクアとラケル、ウシュムガルが山頂、『禁足地』へと至る洞穴に総主教がいると突き止めたのは、すでにミズラフが『龍翼渓谷』を登り始めた随分後だった。

「声が大きいぞダルクアよ、ミズラフは今頃渓谷を登り切っているやもしれぬ」

 冷ややかな総主教の言葉を受けてミズラフへの言伝を預かっているウシュムガルは微かに慌てる。

「……困ったな、おじさん……マスターからなんとしても渡すよう言われているのだが……」

「ふむ、よほど重要なことと見える」

 ウシュムガルの顔色をよく観察しつつ総主教は落ち着いた声音でそう呟いたが、ダルクアは焦燥感から額に冷たい汗をかいていた。

「そーしゅきょー、ミズラフは山頂であのドラゴンと、ゴアと戦うの?」

 そのためにミズラフは危険を承知で渓谷へと挑んでいるのだ、総主教の首肯にダルクアはラケルを一瞥する。

「今すぐミズラフにあの鎧を……」

「待てダルクア!」

 すぐにでも立ち去ろうとするダルクアだったが、突如として洞穴の入口が閉じたため慌てて足を止めた。

「そーしゅきょー!」

「……勝手は許さぬ」

 松明の光しかない薄暗い洞穴の中では、何を考えているのかわからない分総主教の顔はかなり不気味に写る。

「まずは落ち着け、そんな精神状態ではミズラフを助けるどころか渓谷を登ることすら不可能だ」

「……っ!」

 その通りだ。あの渓谷は今のダルクアのように心を乱した状態で登れるような場所ではない。
 しかしながら、実はそれよりも良い方法があるのを総主教は知っていた。

「心配せずともこちらの扉を開けてやる。魔物娘たる君なら問題なく通れるであろうからな」

 総主教が右手をあげると、彼のすぐ後ろで硬く閉ざされていた石の扉がゆっくりと動き始める。

「……あのドラゴンの素材から鎧を作ったのか?」

 『禁足地』への扉がゆっくりと開いていく中、総主教はダルクアが背中に背負った具足櫃に目を向けた。

「必ずミズラフの力になると思ってる」

「……なるほど」

 具足櫃から漂う尋常ではない気運は総主教ほどの人物の目から見ても並外れたものを感じさせる。
 だが最強の魔物娘であるドラゴンに挑み、勝利を収めるためには、これほどの力を御し、使いこなせねば勝ちを拾うことも出来まい。

「良かろう、ダルクア、ラケル、そしてテオドシアとやら急ぎ『禁足地』へ至りミズラフに鎧を届けよ」

 扉がようやく開ききると、総主教はゆっくりと立ち上がりその場を譲る。

「あくまでゴアと戦うのはミズラフの役目だが、ミズラフを想う心を届けるならば、その気持ちも奴の力となるかもしれん」

 総主教に一礼すると、彼の言葉を胸に刻み、ダルクアらは長い期間渡るものがいなかった登山口へと足を踏み入れていった。







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 どのくらい登ったのかもわからない、何度めになるかもしれない逡巡。
 渓谷の果てでドラゴンの咆哮のようなものが聞こえたような気がして、ミズラフは一瞬だけ手を止めた。

「……ゴアか?」

 答えが返ってくるわけもない、だが『禁足地』にゴアがいることはすでにわかっている。
 軽く頷くと、ミズラフは止めていた手足を伸ばして、慎重かつ確かな動きで登山を再開した。

「……(ゴアはすでに俺の知るゴアとは異なる姿をしているだろう)」

 あたかも芋虫が蛹を経て蝶へと成長するように漆黒の衣は脱ぎ捨てられ、その下で新たに形成された鎧を纏うのだろう。
 それにどこまでついていけるのかはミズラフ自身わかってはいない。だがそれでも彼は頂上へと向かう手を止めはしなかった。

「……勝てるのか?」

 否違う、勝てるのではなく勝つのだ、その身一つで蛇矛を操り最強の幻獣ドラゴンに勝つことは出来るか?

「出来る!」

 ついにミズラフの手は渓谷の頂点、『禁足地』の大地へとかかる。

「どんな敵が相手だろうと、ダルクアの武具を振るう俺ならば……」

 現在空はどんよりと曇っているがこの雲の上には満月が輝いているはずだ。
 隠れていてもそこにある月と同じく、目には見えなくとも今やミズラフの胸には多くの人々の想いが宿っていた。







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 しばらく歩いた先に、それはある。かつて英雄ミズラフ・ガロイスに捧げられるために作られた聖ミズラフ修道院。

 ミズラフが登り切った場所は修道院の入り口がある反対側、つまり中庭へと繋がる場所だったため彼は一旦修道院の外壁を周り、本来の登山口に面した出入り口まで歩いた。

「……失礼します」

 ノックをしてから扉をゆっくりと開く、自分がヤマツミ村で総主教に保護される前に住んでいた場所、胸の中に熱いものが込み上げてくる。

「お待ちしておりましたわ」

 女性の声に顔を上げると、そこには修道服を身につけた女性が立っていた。
 落ち着いた物腰に、見る者の心を自然と落ち着かせる穏やかな瞳、20年ほどの修道院生活を経たその相貌は清らかそのものである。

 だがその腰の部分から生える翼は魔物娘、ダークプリーストであることを示しており、魔性とも言うべき蠱惑的魅力はまさに人外のものだった。

「オウハ・クラウディウス様、貴方様が戻ってくるのを心待ちにしていました」

 ダークプリーストの瞳の奥に見える優しげな光をミズラフはかつて見たことがある。
 確かに見た目は随分と変わってしまったがそれだけは変わらずにそのままだ。

「あなたは、セシリア修道院長……?」

「本当に久しぶりですわね。ご立派になられて……」

 セシリアに導かれるままにミズラフは廊下の奥、広間へと向かった。
 簡素な長テーブルといくつかの木の椅子、それ以外は壁に掲げられた肖像画しかない質素な部屋へと足を踏み入れると、食欲をそそる芳ばしい匂いにミズラフは目を見開く。

「どうぞ、おかけください。あまり手の込んだものはご用意できませんでしたが」

 長テーブルの上にはたくさんの皿が並び、その全てには素晴らしい料理が盛られていた。
 カブやキュウリを刻み、魚の燻製を添えた料理に肉と野菜を十分に煮込んだシチュー、テーブルの中央にはフワフワのパンも用意されている。

「……シスターセシリア、俺は……」

「まずはおかけください、お話しならその上でお伺いいたします」

 どうやら座るしかないらしい。仕方なく長テーブルの上座に座るとセシリアがやってきて、まめまめしくナフキンを開き、彼の膝にかけた。

「昔の話を致しましょう」

「……いやシスター、そんなことより……」

「オウハ様のことゴア、いえシャガ様のこと、そして英雄ミズラフ・ガロイスのことです」

 セシリアはオウハの右側に置かれていたワイングラスをひっくり返すと、そこに血のように赤い古いワインを注ぐ。

「英雄ミズラフ・ガロイスが天耀竜と称されるドラゴン、シャガ様を封印しその子孫である貴方様が封印を解いた、その話を聞いたときこれは運命だと感じました」

 クラウディウス家はガロイス家の分家、すなわちミズラフは英雄ミズラフ・ガロイスの血を受け継ぐ最後の一人、もちろんセシリアもそのことは知っていた。

「しかしドラゴンは誇り高い血族、ましてや『古竜』とすら評されるほど長く生きたドラゴンであるシャガ様は自身の宿敵、ガロイスの血族というだけで相手を求めはしません」

 ミズラフも聞いたことがある。ドラゴンは最高位の力を持つ魔物娘、それが為に旧魔王時代からの気位の高さもそのまま保持しているのだと。

「故に私は貴方様がシャガ様を打倒し、名実共にかのドラゴンの主君でありパートナーとなることを神に祈ったのです」

 そして恐らくその願いはもう間も無く果たされるだろう、だが一つ問題があるとセシリアは告げた。

「英雄ミズラフ・ガロイスは死力を尽くしシャガ様を封印しましたが、あくまでそれは幼体、今や多くの場所を巡り成長したシャガ様はかつての比ではない力をお持ちです」

「……やはり、そうでしたか……」

 ドラゴニアで戦った抜け殻は間違いなくゴア、シャガが脱いだもの。今やその下にかつて以上に堅牢な鱗と見る者を恐怖させる鋭い牙を備えているのだ。

「運命と片付けてしまうのは簡単です。ですが貴方様は勝ち目がない戦いに行くことが、怖くはないのですか?」

 その通りだ。どれほど心を奮い立たせたところでかつての力を遥かに上回る成長を遂げたシャガと戦うのは勝ち目のない戦いでしかない。
 その前では運命も役割もあまりに脆弱なもの、どんな猛者であっても敗北を恐れる心を完全に押し殺すことは出来ない。



「……戦いたいから戦う、勝ちたいから勝つ、それだけだ」

 静かに目を閉じてそれだけ告げると、ミズラフはナフキンを畳んで机の上に置いた。

「だから貴女も自分の願いで俺をゴア……シャガにぶつけたことを悔やむ必要はありません」

 ゆっくりと立ち上がるとミズラフは蛇矛のみを手に取り、後ろで首を垂れているセシリアに視線を向ける。

「そしてシスターセシリア、俺はシャガと戦う。運命などではなく、俺個人の欲求として全てに精算をつけたい」

「……オウハ様のなさりたいようになさりませ」

 広間の壁に掲げられた英雄ミズラフ・ガロイスの肖像画に一礼すると、セシリアは静かに口を開いた。

「シャガ様はここから数メートル先にてお待ちです。オウハ様もよく知る落盤事故のあった『あの場所』です」

 もうそれだけでシャガがどこで待っているのかミズラフには全てが伝わる。

「神のご加護を、オウハ・クラウディウス様」

「貴女にも、シスター。礼を言います」

 蛇矛を握りしめていよいよミズラフは決戦の大地へと向かっていった。



 一人広間に残ったセシリアは部屋の奥に掲げられた英雄ミズラフ・ガロイスの肖像画を見上げる。


「……『共に歩むは竜と英雄』、か……」
 
19/04/30 11:14更新 / 水無月花鏡
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■作者メッセージ
登場人物
デオノーラ
肩書き:竜皇国ドラゴニア女王
種族:ドラゴン(レッドドラゴン)
年齢:不明
出身地:竜帝国ドラゲイ(現竜皇国ドラゴニア)

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