第十一話「帰還人」
「これはもしや、この間現れたあのドラゴンの抜け殻かい?!」
ミズラフの幼馴染たるダルクア・バルタザールは、鍛冶屋のすぐ前に積み上げられた侵食龍の抜け殻に興奮を隠せずにそう言った。
「うむ、ここにおるミズラフ・ガロイスの手柄じゃ。魔力で操られるこの抜け殻を一太刀で仕留め素材として確保したのじゃ」
ラケル・メルキオールがダルクアに見せるために侵食竜の抜け殻を取り出したのは、ドラゴンの巨体が入るとは思えぬ小さな巾着袋。
どうも内部は四次元空間になっているらしくどんな巨大なものであってもいくらでも収納してしまう優れものだ。
「前に君の蛇矛を鍛えたときに使った鱗と同質のものみたいだね?」
抜け殻を調べるダルクアにミズラフは頷く。幼少期の頃に出会ったドラゴンと再び相対するというのも不思議な縁だ。
「君ならなんとか加工出来るだろう?」
「もちろん時間をかければなんとでもなるさ。でもこれだけ魔力を秘めているなら用途も限られてくるかな……」
珍しく難しい顔をするダルクア、なるほど彼女ほどの鍛冶屋でも扱いに難儀をするような素材というわけか……。
「ダルクアとやら、そう心配せずともすでに骨組みは完成しておる」
そう笑いながらラケルは例の巾着袋の中から一幅の巻物を取り出した。セピア色の植物紙で作られたそれを慎重に開くと、ラケルはダルクアに中身を見せる。
「……鎧?……名前は、『堕落竜装』?」
「うむ、レスカティエの魔界騎士らの鎧を参考にしたものじゃ。実現すれば竜騎士はよりダイレクトに騎竜の感情を感じられるはずじゃ」
巻物には設計図のような図解と難解な式、さらには魔術記号と思われる文字がかなり詳しく書きこまれており、とてもではないがミズラフには理解できそうになかった。
「……なるほど、かなり魔術理論に精通した学者が書いたみたいだけど、肝心の製造がまだ未完成だね」
ダルクアの見る限り理論はほぼ完璧、設計図の通りに術式を打ち込めれば設計者の考え通りに作用するであろう。
しかしこれほどの鎧を打つためには鍛冶屋のほうも相当な実力に加え、確かな知識が必要だった。
「う、む、やはり無理か……?」
「普通ならね、でもボクはヤマツミ村最高の鍛冶屋バルタザール。俄然燃えてきたよ!」
できるかどうか不安げなラケルではあったがダルクアの力強い言葉に自信を取り戻したらしく、表情に笑みが戻る。
「さて、それじゃあ鎧を打つためにボクはしばらく篭ろうかな。メルキオール博士にも手伝ってもらうからね?」
「う、うむ、お手柔らかに頼むぞ……?」
何やら魔力由来ではない不思議な炎がダルクアを燃やしているようにも見えるが、ラケルの設計図を見て妙なスイッチが入ったか?
「俺は総主教に会ってくる。ダルクア、ラケル、また会おう」
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「……ん?」
教会へ行く道すがら、幼い頃に幾度となくダルクアと遊んだ山頂へと向かう広場。その奥にある修道院への扉は、いつも閉ざされていた。
しかし今その扉は大きく開かれ、ミズラフを招き入れるようにその洞穴の入り口を露出させている。
「……(これは、どうなっている?)」
恐る恐る中へと足を踏み入れて行くと、数メートル程度の洞穴が終わる直前、石で作られた巨大な扉の前に総主教は座っていた。
「総主教……」
「……来たかミズラフ。そろそろ来る頃だと思っていた」
総主教はいつものフードを外して年齢不詳の若い顔を覗かせているがその両の瞳は鋭く、力ある猛禽類を思わせるものである。
「総主教、山頂への入り口は、『禁足地』への道は封印されているのでは……?」
「私の判断で解いた。いよいよその時が来たと感じたからな」
総主教は右手の手のひらを開いてその上に乗っている小さな花びらのようなものをミズラフに見せた。
「っ! こ、これは……!」
総主教の手にあるそれは、かつてミズラフが免許皆伝の際にもらいうけ蛇矛の素材に使った侵食竜の鱗に『形状こそ』よく似ている。
しかし闇を塗りこめたように黒かった鱗の色素は随分と落ち、角質層に至っては黄色に変色していた。
おまけに一見した際は似ていると思ったその形状もよく見ればあちこち歪み、名状しがたい不吉な気運を放っている。
「……お前が来る数刻前に山頂から風に乗って飛んで来た。何かが、山頂で起こっている……」
その何かまではさすがの総主教も把握できていないらしい。ただ並々ならぬ何ごとかであることは確かだった。
「『長き旅の果て、巡り巡りて回帰せん』、あの歌を鵜呑みにするなら、ドラゲイ時代から続く一連の出来事の最終局面となるのではないかと私は考えている」
山頂、『禁足地』にて英雄ミズラフ・ガロイスの封印が破れてから、あちこちを旅して帰還した竜。終わりが近づいていることを察していたのだろうか?
「この先は一切予測出来ん、なにせはじめてのことだからな……」
「英雄ミズラフ・ガロイスは、かつてゴアを封印したのでは……?」
同じ手段を用いればなんとでもなるのではないかというミズラフの淡い期待は、すぐさま打ち消された。
「この鱗を見ろ、明らかにこれまでの侵食龍とは違う。お前が成長したのと同じく、あのドラゴンも進化している」
かつて英雄が戦った際にはミズラフも相対した黒いドラゴンの姿をしていたようだが、それすらもより強大な竜の幼体だとでも言うのか。
「……俺は、勝てるのでしょうか? ゴアはこれまで以上の、英雄ミズラフが戦った時以上の脅威になっているなら俺は……」
「……ミズラフよ、勝てるかそうでないかではない、いかにして勝つかだ。相手は最強の魔物であるドラゴン、要因を外に求めては勝ち目はなくなる」
厳しい言葉ではあるが若い頃は数多の戦場を駆け抜け、幾人もの人魔問わない英雄たちと干戈を交えた総主教だからこそ戦においていかに精神が作用するか、よく理解しているが故の言葉だ。
「総主教……」
「お前の武術はすでに達人の領域に達している。心を定めて力を振るえば、どんな相手が敵だろうと決して遅れを取ることはない」
それはドラゴニアへの旅立ちの日に告げられた言葉、もう半端な覚悟で『禁足地』に至ることは出来そうにない。
此度の戦いで不覚をとれば自分だけでなく、これまで指南をしてくれた総主教の名前まで汚すことになりかねない。
「……ゴアの意思はわかりませんが彼女と対峙するのが俺の運命なら、俺は逃げも隠れもしません」
「それで良い、彼女と干戈を交えれば対話するよりも深く互いを理解できるかもしれぬ」
総主教は座ったまま背後にそびえる『禁足地』への道を塞ぐ巨大な巌の扉を一瞥した。
「この道を辿れば『禁足地』へと行ける。しかし今や道は数多の魔物娘が跋扈し、濃い魔界の瘴気は直ちにお前を狂わせるだろう」
魔物娘に襲われれば、身体がいくらあっても足らぬだろうし、瘴気でおかしくなれば勝負どころではなくなる。
「では、どうすれば……?
「『龍翼渓谷』を登り山頂を目指す、あそこは古来魔物すら避ける難所、ゆっくり登ることで瘴気に身体を慣らすことも可能だ」
『龍翼渓谷』はかつて英雄ミズラフ・ガロイスが侵食竜と戦う際に登った場所。彼もまた『狂化細胞』で暴走する魔物をかわすためにあの難所を越えたのだ。
だが同時にあの渓谷は並外れた技量がなければ辿り着けぬ場所、総主教の言葉を借りるのならば魔物娘すらも避ける危険な場所なのである。
「……無理ならば通常の山道を通り山頂へと向かう方法もある。だが濃い魔界の瘴気にお前が耐えられるかどうかは万に一つの賭けになる」
仮に賭けに勝てても暴走する魔物娘たちに襲われればミズラフはひとたまりもない、やはり道は一つしかない。
「『龍翼渓谷』を登ります」
ラケルの力を借りれば比較的楽に移動できるだろうが、今彼女は彼女の戦場にいる。ならばミズラフもまた自分の力のみで前に進むべきだ。
「よくぞ言った。だが『龍翼渓谷』は危険極まりない場所、用心のためあそこを踏破した経験のある者に話を聞いてから行け」
『龍翼渓谷』が立ち入り禁止に指定されてからすでに久しい、今村にいる者で登ったことがあるものはいるのか?
疑わしげな表情でミズラフは総主教を見つめるが、彼のほうは微笑を浮かべていた。
「いるとも、先代のバルタザール、エスルアー・バルタザールがそうだ」
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「来たわねミズラフ、もう来る頃だと思っていたわ」
『龍翼渓谷』すなわち霊峰外への連絡船が出る船着場にミズラフが行くと、すでにエスルアー・バルタザールはベンチに腰掛けて彼が来るのを待っていた。
「レイン……総主教から話しは聞いているわ。この谷を登るのね?」
見上げた先にあるのは雲を突き抜けて遥か彼方に聳える勇壮たる霊峰。
かつて英雄ミズラフ・ガロイスはここを踏破して山頂に待つ『天耀竜』と対峙し、これを封印した。
今度は自分が、同じ名前を持つミズラフがここを突破するのだ。
「……『禁足地』まではほとんど一本道、今は雪もほとんどないから順調に行けば二時間以内に踏破できるわ。けれど……」
エスルアーの目には濃い瘴気により見渡すことが難しい遥か山頂、すなわち『禁足地』が映っている。
「焦りは禁物、ゆっくりと着実に登ること。急げば必ず無理が出てくるから」
とにかく安全に登ることを最優先とし、他のことは後ろに回して身体を動かす、エスルアーはそう告げると背中に背負っていた荷物を開いて中に納められている道具を地面に並べた。
見事な技術で作られた登山用靴、魔法素材で編まれた不思議な気運の手袋など登山のための道具だ。
「私に出来るのはここまで、あとは君次第、だね」
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バルタザールの工房ではダルクアとラケル、二人の賢者が身体中から汗を吹き出しながら鎧の錬成に勤しんでいる。
魔法と冶金、二つの技術を用いて作られるそれは天才と称しても問題ないであろう二人でも苦戦するような、まさに激戦区だった。
「……魔力回路の動作確認完了、これで一応鎧としては動くはず」
ダルクアの炉の前にはまるで闇を直接塗りこめたかのような、漆黒の鎧が一式安置されている。
『堕落竜装』、ラケルが考案・設計しダルクアが作り出した竜騎士が騎竜の力をよりダイレクトに受けることができる鎧だ。
「それにしても随分時間がかかってしまったのう……」
そう呟くラケルだったが、二人とも休憩も取らずに何時間も鎧に取り組んでいたため、もうすでに夜遅いことに気づいてはいなかった。
「とにかくこれでなんとか仕上がった。あとはミズラフあたりに直接ためしてもらえればいいかな?」
「うむ、『侵食竜』の素材を調達したのはミズラフ、ならばあの青年こそが相応しかろう」
実のところこの鎧は魔物由来の鎧のためある程度サイズの変更は効くのだが、暫定的なデータとしてミズラフくらいの体格の人間が着用するのを前提としている。
さて、二人はいそいそと後片付けをしつつ、ミズラフが着用した場合のことをあれこれ話し合っていた。
「ミズラフはどこじゃろうか?」
「さあ? 多分聖教会じゃないかな?」
そんなことを話していたのだが、突如として何者かの来訪を告げる音が工房に響き渡る。
「ノックじゃな、誰じゃろうか?」
「ああ、君は座っててボクが出るから」
素早くダルクアは身なりを整え、玄関のドアを開いた。
「夜分遅くに失礼します」
そこに立っていたのは銀色の翼に流れるような素晴らしい長髪の美少女。
顎まわりの鱗に甲冑を思わせる両手は彼女がドラゴンであることを明らかにし、マントに染め抜かれた紋章はドラゴニアの龍騎士団所属であることを示していた。
「私はドラゴニア竜騎士団のウシュムガル・テオドシア、マスターであるダムド・ディオクレイスの言伝をミズラフ殿に渡しに参りました」
「なんじゃティアマトー・テオドシアの娘か、ダムドがミズラフに何の用じゃ?」
どうやらラケルは来訪者、白銀のドラゴンであるウシュムガルのことは知っているらしい。
「あの鼻垂れも使いを寄越すようになるとは、随分偉くなったものじゃのう」
ラケルは玄関まで足を運んで片手に巻物を持つウシュムガルを正面から眺める。
「生憎ミズラフはここにはおらぬ、聖教会のほうへ向かうと良い」
「? 妙ですね。聖教会へは先程行きましたが灯りもなく、人の気配は一切ありませんでしたよ?」
ウシュムガルはミズラフがまず実家である聖教会にいるのではないかと考えそちらに向かったが、会えなかったらしい。
それでこちらにいるのではないかと工房に来たのだが、ダルクアもラケルもミズラフには会っていない。
「……妙な胸騒ぎがするのう」
「うん、とりあえずそーしゅきょーを探そう!」
19/04/29 10:54更新 / 水無月花鏡
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