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第十話「空蝉竜」



 深い闇、一体どのくらい眠っていたのかはさっぱりわからないが、真っ暗闇の空間でミズラフは目覚めた。
 あれほど痛んでいた頭は今や嘘のようにすっきりしており、これまで感じたことがないほどに思考は澄み切っている。

 全ての記憶を取り戻した以上、最早自分は得体の知れない何者かではなくここに確かに存在する人間、オウハ・クラウディウスこと、ミズラフ・ガロイスなのだ。

「……(医務室のような場所だ。シルヴィア団長が運んでくれたのか?)」

 ミズラフが目を覚ました部屋は消毒液の匂い漂う部屋。あちこちに薬瓶の収められた棚が並び、彼が眠っていたベッド以外にも同じデザインのものが複数個設置されている。

「……(こうしてはいられない。シルヴィア団長に倒れた非礼を詫びねば……)」

 ベッドから飛び起きて、ようやくミズラフは窓の外で繰り広げられている凄まじい光景に気がついた。

「……な、なんだ?」

 ミズラフが眠っていた医務室のある竜騎士団の本営から遠く離れた場所の上空が、どういうわけからかまるで昼間のように明るくなっている。

 よく目を凝らしてつぶさに、同時にやや慎重にその様子を確認してみると何やら黒い影が上空を飛んでいるように見えた。
 距離があるためその影がなんなのかまでは把握することが出来なかったが視認した瞬間、まるで心臓を鷲掴みにされたような感触を受け、ミズラフは顔を歪める。

「どうなっている? 俺はまだ夢を見ているのか?」

 第六感めいた感情が警告を放った。すなわち『あの影のいる場所へと急がねばならない』と。ただちにミズラフは蛇矛を掴むと、その感情が導くままに外へと飛び出していった。








「夜襲だと?」

 夜も遅い時間、微かな燭台の光のみが照らすドラゴニア皇国王城謁見の間。竜たちの皇国を統べる赤き竜、女王デオノーラは腹心の部下たるシルヴィアの報告に、微かに首をあげる。

「……(ついに現れたか、『侵食竜ゴア』否、『天燿竜』)」

「敵は一人、あの闇を塗りこめたような体躯に閉ざされた瞳、間違いありません。『侵食竜ゴア』です」

 侵食竜ゴアが現れたのは市街地のない廃墟区画、そのため今のところドラゴニア市街には一切被害は出ておらず、先立って『狂化細胞』についての警告をしていたため感染者もいない。

「侵食竜ゴアは現在廃墟区画にて待機、今のところは市街地に向かう様子はありません」

「……何らかの目的があると考えるべきか?」

「目的、ですか?」

「……まあ、魔物娘の目的なぞ一つしかないがな……」

 デオノーラは優雅に髪をかきあげると、燃えるような赤い瞳を輝かせてシルヴィアを見つめた。

「それで侵食竜の調査には誰が行っている?」

「はい、あまり多人数でいけば竜を刺激しそうでしたので竜騎士を一人派遣しています。名前は……」


 
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「動く気配は、なさそーだな」

 銀のマントを身につけて白銀のドラゴンを見事に乗りこなす竜騎士、ダムド・ディオクレイスはピクリとも動かぬ侵食竜を前に目を細める。

「眠ってる……わけねーわな……」

「うむ、じゃがダムドよ。妙なことがいくつかあるようじゃ」

 空中にフワフワと浮かび、イスに腰掛けるように足を組んでいる浅葱色のバフォメットことラケル・メルキオールは微かに首を傾げた。

「妙なこと?」

「左様、あやつの身体には確かに魔力の気配こそあるが、ドラゴンにしてはあまりに少なすぎる上……異質なものじゃ」

 魔術の大家たるラケルにははっきりとわかっている。現在侵食竜の体内に充満している魔力はドラゴンのものではなく、サキュバスをはじめとした魔族のものであることが。

 加えて侵食竜が身に纏っていた『闇』、すなわち『狂化細胞』は今や存在せず、明らかに弱体化しているとしか思えぬような状態となっていた。

「……確かに今のあいつは俺でもなんとかなりそーな雰囲気だな」

「何のアクションもない以上手荒な真似は出来ぬが、このまま様子を見るのも不毛じゃな」

 着地して以降一切動く気配のないこのドラゴン、それこそ彫像か化石の類にも思えてくるのだが、その魔力は間違いなく魔物娘由来のものである。

「ダムド!」

 ようやく場所を特定出来たのか、肩で息をしながらミズラフが廃墟区画に駆け込んで来た。

「ミズラフか、侵食竜ゴアは今のところ待機中みてーだ」

 油断なく侵食竜を注視しつつダムドは構えをとり、彼のすぐ近くに浮いているラケルもまた異様な気配を察知して地面に降り立つ。

「ラケル?」

「ダムド、ミズラフ、奴の魔力が活発化しだした。動くぞ……」

 ラケルの言葉が終わるか終わらないかの一瞬、侵食竜はその大きな翼を広げて周囲を威嚇するかのように咆哮した。

「……ん?」

 しかしそれは、姿こそヤマツミ村でミズラフと矛を交えたドラゴンそのものだったが、どういうわけだかひどく矮小に映り、とても強大なドラゴンとは思えぬ気配をしている。

「……(おかしいな、侵食竜ゴアはもっと力に溢れるドラゴンだったはずだが……)」

 とてもではないがあの日ヤマツミ村で総主教とともに戦った闇を纏うドラゴンと同一個体とは思えなかった。

「来るぞミズラフっ!」

 ラケルの言葉にミズラフは蛇矛を構え、ダムドもまた右手で持っていた青龍偃月刀を侵食竜に向ける。

「……やるしか、ないっ!」

 もはや目の前の敵からは魔物らしい知性は一切感じられず、ただただ強烈な敵意を相手に放つのみになっていた。

 侵食竜の突撃を飛び上がってかわすとミズラフは空中から急降下、そのまま侵食竜の首を斬り落とす。

「……っ!?」

 手応えは確かにあった。事実蛇矛で切り裂かれた侵食竜の首は宙を舞い、その巨大な身体もいまや大地に倒れている。

「な、なんだ、どうなってやがんだ?」

 ダムドも侵食竜の異常さに気づいたらしい。切り口から覗く断面には一切の器官はなく、闇を内包した空洞が広がるばかりであった。

「……儂の感じておった違和感の出所はここか……」

 ラケルは地面に落ちた侵食竜の亡骸をしばらく調べていたが、やがて得心がいったとはかりに頷く。

「これはただの空蝉じゃ、魔法に長けた何者かがどこからか抜け殻を操り利用していたに過ぎぬ」

 抜け殻、道理で実力も威圧感も前にヤマツミ村で戦ったときとは比べ物にならないはずだ。外張りだけで中身がないならば人形と変わらない。

「ラケル、どこから操作していたのか調べられねーか?」

「儂を誰だと思っておるのじゃダムド。このラケル・メルキオールに不可能なぞありはせぬよ」

 侵食竜の抜け殻は地面に倒れたまま動く気配がないが、強大な力を持つドラゴンというだけあり本体ではないにも関わらず不思議な魔力を辺りに放っていた。

「……のうダムドよ、この抜け殻じゃが例の鎧に使えぬかな?」

「難しい話しはわかんねーが……」

 ラケルに話しを振られてダムドは、じっと抜け殻を見つめていたミズラフのほうに目を移す。
 さきほどからミズラフもこの抜け殻について考えていたのだが、侵食竜の能力を考えれば例え抜け殻であっても素材に使うのは危険ではなかろうか?

 故意か不可抗力かはわからないが、侵食竜の纏う『狂化細胞』は結果的にいくつもの都市を魔界へと落としている。そんなドラゴン由来の鎧を身につけるのは不適切ではないか? 装着者や周囲に何の影響も及ぼさないとは言い切れないだろう。

「……まあ、そーだな」

 微かに首を振るミズラフを見てダムドも同じ結論に達したのか、渋い顔でラケルを見下ろした。

「この抜け殻はラケルの手には余る、こーいうのに詳しい奴に預けるのが良くはねーか?」

「……う、む、そうか?」

「それなら俺の故郷にいる鍛冶屋に持ち込んでみるか?」

 まだ諦めきれていないラケルを見て、ミズラフは侵食竜由来の鱗から武具を作り出した親友のことを話してみる。
 ダルクア・バルタザール、魔法物質や魔物娘由来の素材にも詳しい彼女ならば抜け殻の加工も捗るかもしれない。

「ドラゴニアでの用事も果たした今、俺も一度ヤマツミ村に帰ろうかと思っていたところだ」

 元々ミズラフがドラゴニアに来たのは自身の失われた過去を取り戻すためだったが予想以上の成果が出た今、一度総主教の話しを聞きに戻りたかった。

 それに、かつて侵食竜が現れたヤマツミ村のある霊峰の山頂、すなわち『禁足地』へと至ることがあのドラゴンについて深く知ることに繋がるのかもしれない。

「……そうじゃな、餅は餅屋、というべきかもしれぬな」

「あとの始末は俺がやっておく。その後でヤマツミ村にも様子を見に行くつもりだ」

 ダムドの一言で話しは決まった。ミズラフはヤマツミ村へと戻り、ラケルも共に村へ侵食竜の抜け殻を持ち込み素材についてダルクアの話しを聞きにいく。

「……(いよいよ、か)」








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 ラケルの用いる空間転移の魔法により翌朝ドラゴニアからヤマツミ村へと舞い戻ったミズラフは数日ぶりの故郷の風を受けて身体を伸ばした。

「ヤマツミ村、来るのは初めてじゃが良き村のようじゃな」

 ミズラフと自分を転移させるという大規模な魔法を行使したにも関わらず、一切の疲労も感じさせないラケルを見てミズラフは彼女の底知れなさに舌を巻く。

「じゃが、不思議な縁じゃなミズラフよ」

 ラケルが言うのは侵食竜の抜け殻がどこから来たのかと言うこと。
 すでにラケルの魔術によりあの抜け殻がどこから来たのかは判明していたのだが、魔力の出所は『禁足地』、すなわちヤマツミ村山頂の聖ミズラフ修道院からだった。

「お主が暮らした村の山頂にお主が探すドラゴンが待つ、本当に不思議なものじゃな」

 そうかもしれない。侵食竜は長い旅の果てに故郷とも呼べる因縁の場所に帰還したが、それはミズラフも同じこと。
 人間と魔物娘の縁は主神や魔王であっても計り知れないところがあるが、今回のこともそうなのかもしれない。

「とりあえずまずはダルクアに会おう。話しはそれからだ」

「……あらミズラフ君じゃないの」

 突然聞こえて来た声はダルクアの母親であるエスルアー・バルタザールのもの。野菜を詰め込んだ籠を手にしたいつもの姿でこちらに向かってくるところだった。

「ご無沙汰しております」

「ええ、総主教殿からはドラゴニアに行ってたと聞いていたけれど、どうやら一皮向けたみたいね」

 ミズラフに記憶が戻ったことをなんとなく察したのか、エスルアーは嬉しそうにクスクスと笑う。

「そちらの方はドラゴニアで出来た新しい友人?」

 エスルアーの問いかけにラケルは微かに頷いてみせた。

「ラケル・メルキオールじゃ、普段はレスカティエにおる。以後お見知りおきを」

「初めまして、わたしはエスルアー・バルタザール。総主教殿から名前はかねがね」

 やはり総主教とラケルは知り合いのようだ。どのような接点があるのかは不明だが、少なくとも話しをする程度の仲ではあるらしい。

「今日はダルクアに見てもらいたいものがあってきました。お力添えいただけるでしょうか?」

「貴方の頼みなら断らないと思うわ。今あの子は鍛冶屋にいるから早く会ってあげなさいな」



19/04/28 10:25更新 / 水無月花鏡
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■作者メッセージ
登場人物
ラケル・メルキオール
肩書き:魔導博士
種族:バフォメット
年齢:12歳(自己申告)
魔法:精霊魔法以外の全魔術を得意とする
出身地:王魔界

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