第九話「少年期」
「ふっ……………!! くぅ…………あ、あああああああ……!」
魔界の瘴気が渦巻くとある明暗魔界にて、艶っぽい少女の声が漏れたかと思うと微かに地面がズシリと揺れた。
「……! ハアハア……」
大地に落ちたのは巨大なドラゴンの形をした何かである。巨大な翼に四つの足、長い尻尾は鞭のようにしなやかだ。
「……『オウハ』、今会いに……うぐっ!」
「……シャガ、無茶はなりません。身体が固まりきっていない状態で飛行をすれば重大な事故に繋がります」
ドラゴンの張りぼてのすぐ近くに立つ女性は魔物娘特有の妖しい魅惑を備えた美しい魔物娘だった。
色素の薄い髪は長く腰元にまで伸び、髪の末端部分、すなわち腰のあたりからは漆黒の翼と鎖が絡み付いているかのような独特の尻尾が伸びている。
彼女はダークプリーストと呼ばれる魔物娘であるがその瞳は落ち着いたものであり、まるで二十年以上の修道院生活を積んだかのように澄み切っていた。
「シスターセシリア、今現在オウハ・クラウディウスがどこにいるかご存知?」
セシリアと呼ばれたダークプリーストが首を横に振ると、魔界の瘴気の中からイライラした女性の声が聞こえてくる。
「彼は今ドラゴニア皇国にいますの。もし彼が何かの間違いから竜騎士にでもなればわたくし以外のドラゴンが彼の右側に……」
「落ち着きなさいシャガ、彼がヤマツミ村から出たのは何か考えあってのこと、そんなに心配しなくても貴女の恐れるようなことにはならないはずですよ」
「……旅の途中いくつかの魔界都市に立ち寄りましたけど、どの国でもドラゴニアの竜はかなりの高評価でしたわ。急がないとオウハが盗られてしまいますわ!」
やれやれとセシリアは思ったが、彼女の見る限りまだ翼も身体も完全には固まっておらず、鱗も生えきっていない状態では満足に動けないのは明らかだった。
「シャガ、ならば貴女の抜け殻を利用して彼を挑発してみますか?」
「挑発?」
セシリアは自分のすぐ前に横たわる闇を塗りこめたかのように黒く、巨大なドラゴンの抜け殻を見つめる。
たった今本体から分離したそれは頭から翼、尻尾の先に至るまで完璧な形で残っており、今にも動き出しそうなほどだった。
「うまくいけばオウハをこの場所に誘い込めるかもしれませんよ」
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窓から差し込む眩しい朝の光に起こされる形でミズラフは目を覚ましたが、一瞬頭にズキリと痛みが走り顔をしかめる。
昨晩ダムド・ディオクレイスとはそれほど酒を飲み交わしたわけではなかったのだが、それでも慣れないことをしたためか目覚めは悪かった。
泊まっている宿屋の洗面所で顔を洗うと併設されていたバスルームで水を浴び、すっかり気分を一新させてからチェックアウトしようと荷物をまとめ始める。
数分後、背嚢と蛇矛を手に宿屋のカウンターのある一階に降りるとちょうど宿主ワイバーンもどこからか戻ってきたばかりのようでで、カウンターに置かれたいくつもの封筒を調べていた。
「おはようございます」
ミズラフが挨拶をすると宿主ワイバーンは下に向いていた頭をあげてペコリと一礼し、机の上に無数に置かれた封筒のうちから一つを手に取る。
「おはよう。昨晩はダムド・ディオクレイスに随分付き合わされたみたいね」
「いえいえ、竜騎士についての話しが色々聞けて、あれはあれで中々のものでした」
ドラゴニア竜騎士団、『大いなる翼』の異名を持つシルヴィアというワイバーンが騎士団長を務める軍団。
ダムドの騎竜たる白銀竜ウシュムガルを始め、ドラゴニアの竜騎士たちはみんな自分の竜を持っているらしいが、彼のように元からドラゴンを連れていた騎士は珍しく大半はドラゴニアに来てから騎竜を得るのだとか。
騎士たちにとって騎竜は単なる馬ではなく、ともに命を分かち合うパートナーであり伴侶であるのだという。
「ふふ……。竜騎士に興味を持ったのなら、あなたも騎士になる素質を秘めているのかもしれないわね」
宿主ワイバーンはクスクスと楽しげに笑っているが、ミズラフはヤマツミ村で侵食竜ゴアと争った経験があるため正直竜と友誼を結べるとは思えなかった。
宿屋をチェックアウトするとミズラフは朝日が照らすドラゴニアの街をゆっくりと歩いて行き、ダムドら竜騎士が集う本営、『絆の渓谷』へと向かっていく。
場所は把握しているため到着に時間はさほどかからなかったが、渓谷の中にある本営からは魔物娘の最高峰たる種族、竜族の威圧感が漏れており、知らずミズラフは生唾を飲み込んでいた。
『あら? こんな時間に来客なんて珍しいこともあるわね……』
上から聞こえた声に反射的に頭を上げるミズラフではあったが、声の主人があまりにも強大な姿だったため目を見開く。
金色の瞳に白銀の体毛、朝の日差しを受けて光り輝くその神秘的な竜の姿の中でひときわ特徴的なのはその翼。
広げられた漆黒の翼は強大にして精緻なる美しさすら感じさせるような見事なもの、空中にて羽ばたくそのワイバーンの姿はある種の芸術のようにも見えた。
『驚かせてごめんなさいね。ちょっと朝の見回りをしていたところだったのよ』
ミズラフの前にそのワイバーンが着地するやいなや、彼女の姿は白銀の美しい髪を持つ魔物娘の姿へと早変わりする。
「入団希望者かしら?」
じっと彼女はミズラフが右手に持つ蛇矛と彼の鍛え抜かれた肩を見、さらには長年の修行の中で身につく気配を察知しながら頷いた。
「あなたなら騎竜を得てからすぐさま実戦に投入出来そうね」
「申し訳ありませんが入団希望ではありません。シルヴィア団長とお話しがしたくドラゴニアにやってきました」
そこまで話しをしてからミズラフは背嚢を地面に降ろし、中から総主教の書いた紹介状を取り出す。
「霊峰聖教会のガスパール総主教から……」
ミズラフから受け取った紹介状を開封すると、何やら新妙な顔つきでワイバーンは書面に目を通しつつ、時折頷いていた。
ワイバーンは二、三回読み直して書面の内容を把握すると、入っていたのと同じように手紙をたたみ封筒の中へと納める。
「なるほど、あなたは総主教の弟子だったわけか。道理で強そうなわけね」
「あの、シルヴィア団長にお目通りを……」
「ふふふ……。あなたはもうそのシルヴィア団長に会っているわ」
ニコリと微笑みながら銀髪のワイバーンは優雅に一礼をしたが、そこでようやくミズラフは彼女が誰なのかを察した。
「貴女がシルヴィア団長!?」
「はい、初めまして、ミズラフ・ガロイス君」
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「霊峰聖教会の総主教とは何度か話しをしたことがあるの」
たくさんの本や巻物が納められている本営の資料室を案内するシルヴィア。騎士団が擁する資料室というだけあり壁には一面難しそうな本が並び、高い天井にもかかわらずどこもかしこも書架だらけだった。
「もう随分前のことだけれど聖ミズラフ修道院の子供たちをドラゴニアに預ける話しが出たことがあったの」
「知っています。結局聖ミズラフ修道院のある山頂が魔界に沈んだため立ち消えたのだとか……」
「さすがに詳しいわね。今は『禁足地』と呼ばれているのかしら? とにかくその時に総主教と対応したのが私だったの」
今でも聖ミズラフ修道院のある山頂に繋がる道は厳重に施錠と結界がされており、総主教の許可がなければ立ち入ることが許されない『禁足地』となっている。
少年の頃ダルクアとともに遊んだ広場の奥にある封印された洞穴こそが山頂に続く道らしいが、その先がどうなっているのかまではミズラフは知らない。
「貴方と同じ名前の英雄、ミズラフ・ガロイスはドラゲイ帝国時代の人物。ユリウス王の命令を受けて、霊峰山頂に現れた漆黒のドラゴンを封印した英雄」
一冊の本を手に取ると、シルヴィアは器用に両手で開いてちょうど翼の上に載せるようにして中身に目を向ける。
「ドラゲイ側の記録によればそのドラゴンは悪しき風をまとい、山頂一帯の魔物を凶暴化させる力を持っていたのだとされるわ」
ミズラフの背中を冷たいものが走った。悪しき風で魔物を凶暴化させるとは、もしや英雄ミズラフ・ガロイスが戦ったドラゴンとは、侵食竜ゴアではないのか?
突如として魔界へと沈んだ聖ミズラフ修道院と山頂、それ以降あちこちの都市に『狂化細胞』をばらまく侵食竜ゴア、さらにはつい先日の邂逅、ミズラフには全てが偶然とは思えなかった。
「……(偶然ではないなら、あるのは必然だけ……)……っ!」
突如としてミズラフは耐え難い頭痛に襲われ、片膝をつく。
「ガロイス!?」
慌ててシルヴィアは本を片付け、ミズラフの身体を起こすが、肝心の彼の方は連鎖的に頭の中に浮かび上がるいくつもの光景に混乱していた。
貧しい没落貴族、若い夫婦に連れられて歩いた山道、迎えてくれた優しげなシスター、岩盤事故、洞穴の中の出会い、そしてドラゴンの額から刀を抜き去る光景、それらが次々と浮かんでは消えていく。
「……(な、なんだこれは? まさか俺の記憶なのか!?)」
「これ以上続けるわけにはいかないわね。ガロイス、歩ける? 少し横になったほうが……」
まるでドラム缶が跳ねるかのような薄ぼんやりした調子のシルヴィアの声を斜め上に聞きながら、ミズラフの意識は闇の中へと消えた。
「今日からここが貴方の家、もうなんにも心配することはないわ」
聖ミズラフ修道院、修道院長セシリアに迎えられた少年の名前はオウハ・クラウディウス、没落した貴族の長男である。
かつては『竜殺し』の末裔、ガロイス家の分家として知られるそれなりの名家だったものの、今や零落して当主の食事にすら困る有様となり、幼いオウハは修道院に預けられたのだ。
セシリアをはじめとする修道院所属の修道女たちによって、彼と同じように親元から預けられた子供たちとともにスクスクと育ったオウハではあったが、あまりに幼い頃に預けられたために父母のことを知らずに大きくなっていく。
しかしオウハ以外の子供たちも父母を知らないものが大半であったため、特に気にせずに日々を過ごしていた。
ある日岩盤事故で現れた洞穴に足を踏み入れたことから、オウハの運命は一変してしまう。
変化がないながらも穏やかだった修道院での生活は突如として終わりを告げ、投げ出された先で運良く総主教に拾われたことから新たな人生を送ることになったのだ。
「……(俺、なのか? あの子供、オウハ・クラウディウスは……)」
「……(そうか俺が、聖ミズラフ修道院の地下に封印されていた、侵食竜ゴアを……)」
ようやく全ての記憶を思い出した。かつて英雄ミズラフ・ガロイスが封印したドラゴンを解放したのも、山頂が魔界へと落ち『禁足地』になったこと、あちこちの都市で『狂化細胞』の感染者が出たのも、全てはオウハ、ミズラフ・ガロイスが原因だったのである。
全てはあの日、洞穴の中に封印されていた侵食竜ゴアの額から剣を引き抜き、封印を解いてしまったことが始まりだったのだ。
「……(ならば、俺がやるべきことはただ一つ)」
どこに潜んでいるかはわからないが、侵食竜ゴアを止めて、これ以上の被害が出ないようにすることこそが、封印を解き放ったミズラフに課せられた責務である。
「……侵食竜ゴア、お前を倒す」
19/04/27 09:32更新 / 水無月花鏡
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