第三十二話「忉利」
木材で組まれた家が建ち並ぶ忉利界を人間と二分する勢力、魔物娘が統べる都。
神魔界と呼ばれているその都に、ズルヴァアンの息子であるアスラ王が来てからすでに一年が経過していた。
「はあ、暇だなあ・・・」
現在アスラ王は神魔界の有力者であるワイトのスプンタヤズドの別邸にいた。
彼の部屋にはたくさんの本が積まれ、部屋の隅には巨大なバトルアックスが置かれている。
「アスラ王」
短く声がして、部屋に入って来たのは身の回りの世話をしてくれているアプサラスのハルワタートだ。
「ハルワタートさん?」
「スプンタヤズド様がお呼びです、大切な話しがあるとか、です」
大切な、の部分でハルワタートはかすかに含み笑いを漏らしたが、まだまだ幼いアスラ王は気づかなかった。
「神魔界にあるスプンタヤズド様の居城までご案内致します」
アスラ王は実はスプンタヤズドとあまり会ったことはない、長いこと邸におり、ずっと学問と武学に励んでいたため、会う機会もなかったのだ。
「アスラ王、身なりを正してから参ります、しっかりとご用意を・・・」
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ところ変わってスプンタヤズドの居城、評定の間。
すでに部屋にはたくさんの魔物娘が集まっているが、上座には当主であるスプンタヤズドが座り、その対面には彼女の娘であるスプンタマユがいた。
「・・・わたしが、アスラさまのもとに?」
「左様じゃマユ、あの若者は幼いが中々に見所がある、それにお主とも歳が近いからのう・・・」
ふふっ、と楽しげに笑うスプンタヤズド、マユと並んで歩いても姉妹と勘違いされそうな外見だが、魔物娘の常識通り遥かな年月を生きている。
人を見る目は確かなのだろう。
「マユ様も12なればアスラ王も12、ちょうど良い年頃かと」
スプンタヤズドの配下であるリザードマンのウルスラグナはカラカラと笑い、その隣に座るアヌビスのラシュヌもまた頷いている。
「それにアスラ王は修羅の国の跡取り、この約定は我ら魔物と人間の縁を結びつけることになるはずです」
「どうじゃマユ、魔物と人間の未来のために、一つ引き受けてはくれぬか?」
ニコニコとスプンタヤズドはスプンタマユに問いかける。
「アスラ王は誠実な人柄じゃ、あれほどの若者もそうはいまい」
「ですが・・・」
スプンタマユが何か言おうとした時、部屋にハルワタートの声が響いた。
「アスラ王がお越しになられました」
アスラ王という名前を聞いた瞬間、スプンタマユの心臓はどきりと飛び上がった。
「おお、待っておったぞ、すぐに通しなさい」
評定の間に入ると、すぐさまアスラ王はスプンタヤズドの前に座り一礼した。
「アスラただいま到着致しました」
アスラ王の父親であるズルヴァアンはもともと剛力でならした武家の出身、その血を色濃く継いでいるのか、彼の所作には武道を思わせる隙のなさがある。
「うむ大義、マユよ、そなたは少し下がっておれ」
「はい、母上」
マユはアスラ王に一礼すると、すぐさま評定の間を立ち去っていった。
「スプンタヤズド様、非礼を承知で申し上げますが、先ほどの方は?」
アスラ王の問いにスプンタヤズドに代わりすぐさま答えたのは彼女に仕える譜代のフーリー、スラオシャだ。
「我等の姫君にしてスプンタヤズド様の娘子様スプンタマユ様です、もしや興味があられますか?」
からかうようなスラオシャの言葉に、慌ててアスラ王は否定する。
「い、いえ、まさかそのようなことは・・・」
実際スラオシャの言う通りだったため、アスラ王は激しく狼狽してしまっていたが、スプンタヤズドは敢えて気づかぬふりをした。
「はっはっはっ、さてアスラ殿、今日お呼びしたのは他でもない、最近何やら塞ぎこんでおられるご様子、してたまには羽を伸ばしてはいかがかと思うてな」
スプンタヤズドはにやりと微笑むと、意味ありげに周りに並ぶ重臣たちに視線を向けた。
「そこでだ、少し神魔界の市場を散策してみてはどうかな?、無論我が所領から出られるのは困るが・・・」
そう言えば神魔界の街を歩いたことはなかったかもしれない、アスラ王はありがたくその誘いに乗ることにした。
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魔物や人間たちでごった返す神魔界の街、アスラ王はのんびりと歩いてみる。
街にいる魔物娘たちは年若いアスラ王を興味津々に眺めているが、初めて神魔界に来て浮かれている彼はまったく気づいていない。
「・・・あら?」
市場で何やら不思議な色の酒瓶を眺めていると、後ろから声をかけられた。
振り向くと、そこにはスプンタヤズドの娘、スプンタマユがいた。
「貴方は確か、アスラさま、でしたか」
「ええ、貴女はスプンタマユさん?」
何やら不思議な運命と陰謀に巻き込まれる形で、アスラ王とスプンタマユは出会っていた。
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スプンタヤズドの所領から戻っても、アスラ王のやることは変わらない。
相も変わらず軟禁生活、日々ハルワタートとともに別邸で暮らし、武術を磨き、王としての学問を学ぶ。
変わったことと言えば、どういうわけかスプンタマユが訪ねてくるようになったことだろうか。
母であるスプンタヤズドの指示なのか、それとも自分の考えなのか、それはわからないがアスラ王は同年代の友人が出来たことが嬉しかった。
「アスラさま、これは母上が仰っていたのですが・・・」
スプンタマユと出会ってもう三度春を迎えた頃、アスラ王にとって忘れられない出来事が起こった。
「アスラさまの実力はすでに家臣のよく知るところ、そろそろ修羅の国に返すべきではないか、と」
アスラ王は魔物娘とともに過ごしたためか、普通の人間を上回る斧の実力を身につけ、長い年月は彼を精悍な戦士に成長させていた。
そんな話しをしていた矢先、突如として扉が開き、ハルワタートが駆け込んできた。
「アスラ王っ!、大変です、お父君が・・・」
アスラ王の父、ズルヴァアンは内部の反魔物勢力の放った暗殺者により殺害された。
修羅の国には魔物との融和を図るズルヴァアンを疎ましく思う者は多々おり、常に取り除く機会をうかがっていたのだ。
「そんな、父上が・・・」
しばし呆然とするアスラ王、だが惚けているような時間はない。
「しっかりしてください、アスラさま」
スプンタマユは立ち上がると、アスラ王の両肩を掴んだ。
「マユ・・・」
「父君が亡くなられた今、貴方が修羅の国の王、王としてやらねばならぬことがたくさんあるはずです」
スプンタマユにそこまで言われて、アスラ王はやっと正気に戻った。
「・・・そうだな、私にはやらねばならぬことがある」
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それから数ヶ月後、アスラ王は魔物娘の軍勢を率いて修羅の国の首都、ミドラーシュに凱旋した。
反魔物勢力をスプンタヤズドの力を借りて悉く駆逐し、王の座を取り戻したのだ。
もっとも、アスラ王は父の仇として反魔物勢力を処罰するつもりは本当はなかったのだが、意図せずに魔物娘たちが彼らを連れ去ったため、それが罰となった。
王の座に就いてからアスラ王は、魔物娘とともに歩めるように政策を推し進めた。
その最たるものが、修羅の国に人間と魔物娘が共に暮らせる新たな街を建設したことだろうか。
ミドラーシュにほど近い場所に作られ、サキュバスやデーモンら比較的な人間に近い姿の魔物娘から、ラミアやバジリスク、ハーピーなど、異形の姿の魔物娘まで幅広く受け入れた。
最初こそ反駁はあったが、やがて魔物娘たちの性質が知れ渡ると、そんな声はなくなり、むしろ魔物娘と暮らしたがる人間まで増えた。
これ以降アスラ王は彼の名前に敬称をつけた名、アフラ=マズダーの尊称で呼ばれるようになり、魔物娘との共存を成し遂げたことから、『混沌王』とも呼ばれるようになった。
彼ははば広く人材の登用を行い、不滅聖と称される魔物娘の重臣を始め、数多の武人賢人が人間、魔物問わず支えた。
だが、魔物娘との融和をよく思わぬ者もまた存在した。
16/09/25 21:28更新 / 水無月花鏡
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