高山に雪が降る
私が暮らしている村は、かなり標高が高い場所に存在している。
そんな場所にあるため、長い期間雪が降り積もり、人間が凍死するということも、私が幼い頃にはよくあったらしい。
否、幼い頃、というのは語弊がある、本当のところはこの平成の世の中になっても、凍死する者は多々いた。
この地に産まれた以上、誰しもが雪山とともに生きて雪山とともに死ぬ、そんな覚悟を決めていた。
だが、ある日ある時を境にして凍死する者は大幅に減り、最近はまったくと言って良いほどにいない。
それにはしっかりとした理由があるのだが、それについて私は今より話しをしたい。
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あれは今から六、七年ほど前のことである。
私はその日、すさまじい吹雪の中を一人歩いていた。
すぐ近くの村で大規模な葬儀が執り行われ、それの手伝いに駆り出されていたのだが、一緒にいた人たちとはぐれてしまったのだ。
よろよろと歩きながら、私は目に見えた小さな洞穴に入ると、震える手で懐から火打石を取り出して、持っていた油を落ち葉にかけ、火をつけた。
焚き火に手をかざして、私はやっと一息ついたが、状況は一切変わっていない。
先に戻った仲間たちが応援を連れて私を助けに来てくれることも考えられるが、この吹雪、探索が打ち切られる可能性も十二分にある。
この時すでに私は死を覚悟していた、この雪の中自力で帰還は難しい、もうどうにもならない状況だと。
私は焚き火に当たりながら、外で降り積もる雪を眺めた。
雪山には何人もの人間が眠っている、私もその一人になるだけのこと、私はゆっくり目を閉じると、静かに心を落ち着けた。
異変はそんな時に起こった、ふと、不思議な音がして、私は耳を傾けた。
まるでガラスが割れて道が開けるかのようなそんな不思議な音が、吹雪の中微かに聞こえたのだ。
続いていくつもの蹄の音が聞こえ、私のいる洞穴の前でそのうちの一つが立ち止まった。
「・・・見つけた」
どことなく、雪のような柔らかさを連想させる涼やかな少女の声、猛吹雪による雑音をものともせずに、私の耳にその声は届いた。
「・・・誰、だ?」
外は暗く、また雪に遮られてあまり視認することは出来ないが、カモシカのような幾重にも重なる角。
トナカイを思わせる四本足、人間の女性らしいシルエットの三つが一つになった、本来ならありえない姿の存在が見えた。
私は夢を見ているのだろうか?、トナカイのような馬の下半身を持つ少女は、こちらに近づくと、洞穴の前に立ち、初めてその全容を明らかにした。
あまりにも美しい、先端のみ雪が積もったかのような角に、微かに上気したリンゴ色の頬、さらには伝説の中のケンタウロスのような下半身。
その全てが美しいと感じられるような、そんな美少女だった。
その美しい少女は前脚を折り、私に向かってゆっくりと手を伸ばした。
「さあ、私と一緒にイきましょう、貴方の命は、ここで消えるものではないわ」
私が彼女に手を伸ばすと、少女は満足そうに微笑むと、ひょい、と軽い調子で私を背中に乗せた。
「さあ、しっかりと捕まっていて?、このまま吹雪を突き抜けて行くわ」
私は少女の言葉通り腰に手を回したが、そのあまりの体温の暑さに、一瞬にして両腕の強張りが消えた。
「急ぐわ、振り落とされないようにね?」
少女は、それこそ雪原を行くカモシカのように、厚く積もった雪も、空から際限なく襲いかかる猛吹雪も、ものともせずに駆けて行く。
私にはさっぱり前が見えないが、どうやら人ならぬ少女には良く見えているようで、時折クレパスのような深い渓谷をひとっ飛びで越えたり。
雪山のいたるところに点在する巨大な岩をも余裕を持ってかわしたり、挙句の果てには崖から落ちてきた雪玉すらも、涼しい表情で受け流していた。
この少女がいてくれたらば凍死者も遭難者も確実に減る。
雪を走り抜けることに適した身体に、この防寒着越しにも伝わる炎のような高い体温、さらには吹雪の中でも一切影響を受けない視野の広さ。
この少女が一人いるだけでも、私の村の状況は大きく変わることになるだろう。
私はそう確信していたが、この少女の正体のほうが気になりだしていた。
「あの、君は一体・・・」
「私はホワイトホーンという魔物娘、この世界には魔物娘はいないから、見慣れぬ姿かもしれないわね」
魔物娘、よくわからないが別の世界から来たのだろうか?
別の世界の魔物娘など、普段ならば信じることなど出来ないが、こんな人間離れした姿に能力を見せられたら、信じる他ない。
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吹雪を抜け、私の村にたどりつくと、私は己の目を疑った。
今しがた私の命を助けてくれたホワイトホーンが、複数体村の中をうろついているのだ。
勿論私を助けてくれたホワイトホーンとは別個体であるため、顔つきから髪型までみな違うが、その特徴的な角や、トナカイのような下半身はみな同じだ。
「驚いた?、みんな私の仲間よ?、貴方たちを助けに来たの」
にこりと微笑みながら、私を助けてくれたホワイトホーンはゆっくりと地面に私を降ろした。
「これからは私たちがこの村にいるから、誰も死ななくても良いはずよ?」
「助かったのは君のおかげだ、本当にありがとう」
私が彼女に頭を下げると、何やら周りからヒソヒソと声が聞こえた。
「一番乗りね」
「上手くやったじゃないの」
「私も頑張らないとな〜」
「幾らでもチャンスはあるはずよ?」
「・・・頭を上げて?、私はホワイトホーンとして当然のことをしたまでよ?」
彼女はそんなことを言っていたが、頬はさっきよりも遥かに上気し、心なしか彼女の四つ足の上の雪は溶け始めているようにすら見える。
「けれどもし、貴方が感謝しているなら・・・」
ホワイトホーンは屈むと、私の唇をいきなり奪った。
「・・・んんっ!」
あまりにも熱い、まるで身体の中の悴みを吹き飛ばすかのような、そんな火傷しそうな熱である。
しかし、確かに熱くはあるが、決して疲弊することはない熱である、むしろ心地良く、いつまでも味わっていたいような、そんな熱だ。
「・・・ぷはっ!」
やっと行為をやめると、ホワイトホーンは白い息を吐きながら私を抱きしめた。
「この身体の火照りを、冷ましてくれない?」
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この日私のいた村だけでなく、世界はその有様を変えたが、それに気づいたのは私が彼女と結婚してしばらくしてからだった。
16/09/28 11:37更新 / 水無月花鏡