第一話「戦い」
俺はあいつに勝てるのだろうか?
そんな命題を頭の中で繰り返すこと八回目の途中にしてそれは現れた。
天候はいつでも雨が降り始めてもおかしくない曇天の空、時間でいえば逢魔時、厚い雲の上にある太陽が西の山々に沈んでいるだろう夕刻、場所は北州、経和(たてわ)の山奥、といってもさびれた農村が近くにある比較的盆地の神社の境内、その中央に座り込んで考えている最中であった。
それは唐突で、俺の後ろに何か、とても重量のある物体が落ちた音、その何かが落ちたせいで土煙りが舞い上がり視界を遮る。そして、それが真後ろに落ちたことによる地面と大気の振動、座り込んでいた俺はどうしようもなくもろに受けて体勢を崩し、両手を地面につく形になる。
体勢を崩した直後、背後に落下、もとい、着地した何かが何かを―たぶん前足、を振り上げ、振り下ろす、その一連の運動によって発生した風切り音。無論、俺の背めがけて
顔を上げても土煙りの所為で何も見えないし、現在前につんのめっているため背後で何が起こっているのか確認できないが、このまま何もしなければ俺は振り下ろした前足か腕に当たってえらい目にあうことだけは想像に難くない。…何もしなければ、ね
口にくわえていた札を離す
直後、意思を持っているかのように重力に反して俺の視界から消える札、そしてバンッ
と何かを跳ね返す音と跳ね返した衝撃が背を叩く
しかし、その衝撃を合図にして、俺は駆けた。
最初の地面についていた両手の内、右手に力を込め、体を起こし、そして一歩を踏み、駆ける。
座っていた場所から七間ほどの距離を取り、そして振り返る。
土煙りが晴れないが、懐から一枚札を取り出す、用心のため、いつ土煙りの中から何かが襲ってきても対処できるように
しかし、それは土煙りの中にいた。土煙りが風に乗り、晴れていく。そしてそれも土煙りの中から現れた。
最初に見えたのは顔、性別は女。凛々しいという表現が似合いそうな美人、その顔は満足そうな顔で口角をつりあげ、俺のことを見ている。もし、町中ですれ違ったなら惚れてしまいそうな女であったが、幾つか冷や汗が吹き出す要素があった。
顔色は青灰色、耳が生えている場所には人のそれとは違う、形からして牛の耳が生え、耳のすぐ上、側頭部から角が、天に向かって生えていた。
次に見えたのは、上半身
露出の高い服、というよりも胸の一部を毛が覆っているだけの上半身。そのため、女の肉体がよく見える。豊満な胸に比べ、腰は引き締まり、上半身の筋肉は鍛え上げられていることが分かる。手の先は煙に隠れているため二の腕の半分より先は分からないが、人間のものと大差はない。
煙が晴れ、全身が見える。
前述の通り、上半身は一部を除き人間の体と大差がない、しかし、それを支える下半身は、人間のものとは違う。胸の一部を覆っていた毛が下半身を覆い、その下半身は巨大で、まるで蜘蛛の腹のように大きく、そこから脚が六本、生えている。脚も毛におおわれていたが、脚先にはするどい爪のようなものが生え、それを地面に突き刺すようにして立っている。
それは一般的に「ウシオニ」と呼ばれる魔物、ここ和州では妖怪と呼ばれるのだが、ウシオニなどの一部の妖怪は別の名称がある、『怪物』、という名称が
長い魔と共存してきた歴史を持つ和州(西洋・中央諸国からはジパングと呼ばれていた)、基本的に人は妖怪に寛容であり、隣人として接している和州であるが、その寛容は彼らの恐ろしさを知らぬ無知から来る寛容ではない。むしろ、逆だ。彼らの恐ろしさを知っているが故の寛容
その最たるものが、怪物である。並の退魔師では調服すら困難、もはや自然の猛威、「現象」と同じと考えるしかない、一度無力な人間が出会ってしまえば念仏を唱えることぐらいしかできない妖怪、それが怪物
我ら、和州人の、魔の恐ろしさを知っているが故の概念であった。
そして、その恐ろしい脅威は俺の目の前にいた。だから、改めて、自分に、問う。
―――俺たち、人間は、というか俺はこいつに勝てるのだろうか?と…
これで九度目の問いを
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「…貴殿は妖怪で間違いないな」
当たり前だが、一応確認のため。その問いに対し、ウシオニは腕を組んでニカリと笑う。からりとした笑顔ではなく、口角を極端に持ち上げた、意地の悪い笑みを浮かべる。
「ああ、私は妖(あやかし)、名は永忌(えいき)。そういうあんたは退魔師かい?ぱっと見て軍人かと思ったけど」
じじい臭い名だな、というのが俺の印象、名前のつけ方からして大体2,300年まえに生まれた妖怪だと推測する。妖怪としては案外若い方だな
軍人と言われたのはいささか意外ではあったが、確かに下は袴、上はシャツに軍服を羽織っているだけだから、遠目には軍人に見えなくもないか
「御名答。まぁ、そういうわけで一身上の都合により、貴殿を退治させていただく」
そう言い、左足を前に出す構えのフォームを造り、懐から出した札を投げる
まるで矢のように札は飛んでいき、そして、ウシオニの目の前で炸裂、辺りが光に包まれた。
……………あ、まずい
だが、一瞬でそれは収まった。辺りを光が包んだ、といったが、光そのものは強烈な物ではなく、夜道を照らす松明が少し明るくなった程度の物、視界を奪うような強烈な物でない
これに対して片眉をあげ、怪訝そうな表情でウシオニがつくっていた。
辺りに変化なし、というよりも無理やり終わってしまったのだ、というよりも失敗したのだが
先ほどの術は、幻影術の一種
幻影、という言葉の通り、本来は五感に作用し、相手をだます、現実にそうあるように見せ、聞かせ、感じさせる呪術
いまやったのは妨害を司る術、本来であれば強烈な光によって相手の視界を奪うというところであるが、俺の場合、目くらましがいいところで成功するのも四回に一回ほど、絶望的な確立だ
実は、同業者なら三流、いや見習いでも初歩の技である為、眼をつぶっても行えるほどたやすいはずの術
まぁ、ウシオニ程の怪物に効くとは信じられないが
俺がどんな顔をしているのか、自分では案外分からない物なのだが、どうやら相当間抜けな顔をしているらしい。俺の顔を見てウシオニが顔を笑みを崩し、軽く、今度は皮肉るように笑った。違う、あの笑みは期待したものが違った、という一種の失望、といったときに見せる笑顔、というよりもどういった顔をしていいわからないために笑顔になってしまったという笑みだ。
俺はなにやら期待されたものだったらしい。ちなみに俺もあれが効かず、きっと絶望といった顔をしているだろう、気分的にはまぁそうなるかなぁ、と言った物だったが、対象のウシオニがなんでもなく、ぴんぴんしているところを見ると、結構くるな
「ふふ、そんなものが私に通用すると思っていたのかい?そうならばあんたは半端者か?それとも腰抜けか?そんな逃走にしかできない術を使うとは…更に失敗するとは!!!」
そう言い、突如として突っ込んでくる。
横に転がりつつ、なんとか回避、まずいな、あんな巨体ぶつかったらひとたまりもない、というよりも、退魔師はなんらかの呪術を使って最終的には死なないように肉体を護符で守っている。それは退治する方、される方、双方にとって暗黙のルールとなっているため、いざ戦いとなれば妖怪は一般人には本気で攻撃してくることはないが、退魔師などには本気で攻撃してくる。少しだけ、最初の一撃をはじいた札を、最後となってしまった師匠の残した札を使うとき惜しい気もしたが、正解だったな
そう、退魔師などには攻撃にためらいがない、しかし、先ほどの幻影術の通り、俺は呪術に関しては三流以下、一応護符はあるにはあるが機能するとは限らない、つまりは一般人と大差ない。それをウシオニが考慮し、攻撃を抑えてくれることがあろうか、いや、ありえない。
つまりはとてつもなく不味いということだ。
「ふふふっ!!!まさか、まさか、こんな馬鹿げた呪術で、この永忌を倒せるとでも思ったかいっ!!冗談にしても笑えない!!!なぶり倒してあげようかい?!!!」
なぶり倒す、なんて表現初めて聞いたがどうやら殺す気はないらしい。
あ、あと一つ訂正、失望させたのではなく怒らせたらしい。なんで怒っているのはわからないが、というか怒らせること何かしたかな
だけど、一つだけよかったことがある。それは、これでいいってことだ。
「貴殿は婿探しで村を襲うのではないのか?よいのか?男が目の前にいるのに」
攻撃をかわしながら軽口をつく
まずいなぁ、このままじゃ九分九厘死ぬな。
そんなのんきに考えていたが、相手は待ってくれない。正直言って結構不味い、かわすにしても相手が怒っているせいで極端にモーションが大きいだけでなんとかかわせるという状態なだけだ。
もしかしたら遊ばれているのかもしれない。
「ごあいにく様!!私には愛する旦那がいるものでね!!あんたのようなへぼとは違い一流の退魔師だった旦那が、ね!!!」
違う、本気と書いてマジと読む攻撃だ。正直言ってなんでこんなことになったのか、いきさつを考え、そして昨日の自分で自分を殴りたい。調子に乗ってあんなこと言わなければよかった。
とりあえず、逃げるとするか
「狒狒飛翔」
一度、ウシオニの腕が俺がいた場所を殴り、拳が地面にめり込んでいた。
土に拳がめり込んだだけなので、一瞬で体制を立て直せる、隙と呼ぶには少しばかり短すぎる間が生じた。
だが、その間を見逃さず、術を発動するための呪句を呟き、瞬時に足元に円状の陣が現れ、飛翔する。否、それは飛翔と呼ぶべきものではなく、脚力を強めるための術であるためにこの場所からは逃げるほどの飛翔とは程遠い跳躍。だが、仕切り直しとすることはできる。
社の屋根に足をつける。境内では俺を突如見失ったウシオニが忙しなく動き、俺を探していたが社の上に立つ俺を見つけ、睨みつける。
「逃げるか半端者!!それとも逃げることすらできないのかい?だったら何とする?命乞いか?地に頭を伏せ命を乞うか?」
があがあと吠えながら、そして、ウシオニも飛ぶ。…術などを使わずに己の脚力のみで跳躍したぞ、おい
近くの村人たちの話ではこの社は四半世紀前に建てられたという話であったが、当時の村人の信仰はどうやら相当厚いものであったらしい、なぜならウシオニの巨体が屋根の上に着地したというのに、(かなり揺れたせいで屋根瓦の内半分以上が落ちてしまったものの)社は倒壊することはなくウシオニの落下の衝撃に耐えたのだから、かなり頑丈なつくりをしている。
ウシオニは着地の衝撃ですこしよろけたが、すぐに体勢を立て直すと腕を屋根につけ、足腰に力を込め、姿勢を低くする。これが意味することは『こっちは準備で来たからあとは貴様の準備を待つだけだ』、かな
本来なら、俺も矜持にしたがって構えなおさなければいけないのだろう、だが、左腕を伸ばして手のひらをみせる。待ってくれ、という意味だ。
「一つ、聞きたい」
興がそがれた、といった風にウシオニは顔を歪め、しぶしぶと言った風に四肢に込められた力を抜き、腕を組む。
「なぜあの村を襲う、いや、そもそも近くの村々も妖怪に襲撃されていると聞いた。あれは貴殿の仕業であるならなぜ村々を襲う」
ここ北州、経和、それと隣接する軽對(けいつい)・八馬(やま)では四の月に入ってから妖怪が各村々を襲うという事件が多発していた。妖怪が村を襲うことは昔からあるとはいえ、今回の件は変わっていた。
大概妖怪が村を襲う際、繁殖のために自分の婿探しのために村を襲う。そして適当な若衆の誰かを奪ってそれで襲撃が収まる。もしも適当な若衆がいなければ他の村々を襲うこともあるのだが、その場合は二、三の村が襲われるだけで済む。今回の件では襲われた村は耳に入っただけでも七つの村が襲われた。そして何よりも若衆には手をつけていないというのが異例でもあった。
かわりに食料や家畜を奪って、またはその場で食い荒らして行く。そして襲う村も選んでいるかのように、貧しい村などしか襲わない。襲われた七つの村は確かに地図上では北西から東南にかけて一直線上で結ばれるが、線上には他に村が四つあった。無差別に、手当たり次第に妖怪は人のいる場所を襲う者であると思っていたし、それは間違いではないだろうが今回に限り、まるで作為的に選ばれているかのように、更に羅卒、軍がでてこないぎりぎりの線での被害しか出していないかのようにしか思えない。
「別に、理由なんてないよ」
ウシオニは不遜な態度で答える。
「私はさっき言ったようにもう旦那がいてね、婿探しが目的じゃない。強いてあげるなら強い奴と戦いたくなっただけ」
「強いものとの戦いが望み…?」
右口角はそのまま不機嫌そうに、しかし、左口角を上げ、複雑な笑みを造る。
「あぁ。長く生きると時間が暇でしかたない、そんなときに暇つぶしにはちょうどいい」
なら、なんで
「なんであの村を襲う…襲う理由にはならないはずだ、あの村には」
「戦える者はいない、だからこそ、あんたのような退魔師が雇われる」
言葉を遮り、回答をいった。
言葉を続ける。
「大概、金で雇った退魔師というのは如何せん名を上げるためか金に目がくらんで雇われる連中が多くてね、つまらない奴が多い。軍やらなんやらはもっと、なんだよ。それにくらべ、力ない、財力のない村が雇った退魔師の方が何倍も楽しめる。まぁ、今回ははずれだったけどねぇ」
ハハハ、と自虐的な、乾いた笑みをあげる。
そうか、それはいい回答だ、全ての問題が解決で来た。だが、
「では」
一つ、確認しなければいけないことがあった。
「では、今までの村はどうした?最初に襲われた村は?雇うことすらできなかった、力もなかった村は?貴殿は、それを何とする?」
それだけじゃない、貧しい村では家畜一頭、袋一つ分の作物、それだけでも十分飢えて死ぬことすらある。土地を捨てればいい、という問題じゃない。北陸戦争で傷ついた大地に住み、ここを宝とした彼らからしてみれば、そんな問題じゃない、捨てるなんて簡単な問題じゃない、そんな軽すぎる答えなど出せない。彼らに死ねと言っているようなもんだ。
それに対して、一言
「知るもんかい、そんな連中」
顔の肉を変えずに言い放つ。
そうか、それはいい言葉だ
ありがとう
その言葉は貴様を定めるには十分だった。
これでまぁ、俺は貴様を容赦なく殴れる、慈悲もなく裁くことができる。心おきなく、人を守ることができる。
演算を―術式を開始する。そして頭の中を流れる呪言、いいや、抑えつけていた呪言が流れ出す。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(…命は我に屈せず聖人の矢は君子にはあたらず故に君子は地に伏せる聖人は奇跡を願い衆民の救済を果たし故に神を呪い憤死する自由刑授受刑死名誉刑赤子は母を望み腹を貫かれた戈の先で安堵する主君の盾となれぬ力なき騎士は城が焼け落ち自死を願う毒殺刺殺絞殺暴力を行使する者はその死を定めることはなきこと天命に従えぬ英雄は刑死者となりその願いは歪まれる国を守る兵士は盗賊となり国を滅ぼす定に落ちる人の死を願う者その命も…)
直後、頭の中に流れる呪言、そしてガリガリガリという頭のなかを呪言に削り取る音、命を縮める音楽
だから、痛い、痛いがだからこそ、気持ちがいい、生きていたという限りない証明でもあるから
「ギ…ガァ……グゥゥウ」
言葉でない悲鳴を上げる。痛みを頭の中から左腕に定義、あれを使うまでもない、こんな奴にはこいつで十分だ。
そして、変わり始める左腕
ベキリベリベキリベリ、と肉と骨の軋む音と剥がれる音を奏でながら形そのものが変化していく左腕。親指と人差し指が、薬指と小指が本来の形を失い、捏ねくり合わさり二本の指が一本の指となっていく。唯一残った中指も原型を失い、そして、三本の指しかなくなった左腕の手首まで、指は裂けていく。
「………な、なんだい、それは?」
ウシオニは先ほどの態度から一変し、怯えたように震える声で聞く
情けない、何が情けないというかといえば、己自身が情けない。この程度の痛みで答えなられないなんて情けない。答えようとしたが肉が剥がされ、骨が一つになって長さも大きさも、形そのものも変わっていく感覚は痛みを訴えているため、それすら答えることができない、呼吸することで精いっぱいだった。
脂汗をにじませ、そして一本の新しい左腕が完成となる。それは三又の爪、違う、肉を骨が破っているため、腕ではない、肉のない骨だけの腕など腕ではない、三又の槍とする。
「………ま、まさかそれは!!?」
やっと気づいたか、というか、攻撃してくれればよかったのに、今攻撃してくれればあの村を守れたのに
ウシオニは驚愕といった風に目を見開いた。
「正気かい?アンタ!!そんなものを使う奴が、そんな逝かれた失敗作の外洋呪術を、いや術式か、そんなものを使う馬鹿がいたとは…」
ああ、逝かれてるね。だけど
「……さっき貴殿も申しただろう、俺は半端者、なら身を削るしかない、そうでもしないと誰かを守ることなんてできない」
その答えを聞き、ウシオニの表情に変化が表れる。眉をひそめる。すこし興味を持ったらしい。
「なぜ、そこまでするんだい?あんたにとって大事な者があの村にいるのか?」
いいや、俺は流れの者でね。故郷なんてないし、あの村に知り合いもいない。でも
とんでもないお人よしがいてね。行き倒れてた人間を家に泊めてしまうような、お人よしが
「いや、守りたいから守る。ただそれだけだ」
しばしの沈黙
「ふふっ」
しばし、考えていたウシオニだったが、今度は先ほどの笑みとは違う、自虐の笑みでも、俺を嘲笑うような笑みでもない、ごく自然的な、もしもどこか違う場所であったならば惚れてしまうような、素敵な、柔らかい笑みを浮かべる。元々が美人だから、すごく素敵な笑みだった。
「馬鹿だね、そんな矜持で命をかけてたら死ぬよ」
ごく、自然的な笑みを浮かべ、力を抜いたまま言葉を続ける。
「でもね、前回撤回だ。素敵だ、実に素敵だよ。あんた、名前は?」
先ほどの言葉と違い、実に優しげな声で言う。これぐらいは応じてほしい、といった風にほほ笑む
「正目(よしみ)」
「そうか、正目っていうのかい?もしも旦那がいなかったらあんたのような半端者を旦那にしても悔いはないだろうね。気に入った実に気に入った。だから、それに敬意を表して全力でいかしてもらうよ」
「…そこは撤退もしくは加減してくれるのが文脈上正しいのでは?」
「ごあいにく様、私はね、敬意を払うべき敵には全力でもらう主義だから」
ああ、そうですか、だった俺も本気で行かせてもらいますか
変化した左腕を垂直に伸ばし、右腕を水平に、右前腕部中ほどを左腕の手首に合わせる。
「Dir,Sorwbtiy.Dir,Wtridecy.ad,Typpoiuw」
そう呟き、右腕を懐に忍ばせ、変化した左腕を体に巻きつけるように構える。
「……変わった文言だね、なんて意味だい?」
ウシオニも構えながら尋ねる、すぐさまウシオニの四肢や肉体に力がこめられ、一周りほど大きくなったように見えた。
答える義理は無い、しかし、俺自身がこの文言を気に入っているため、自分にもう一度確認するように話す。
「我が愚行を許したまえ、我が蛮行を許したまえ」
そして
「勝利あれ」
そう呟くと、懐に忍ばせておいた二枚目の札を投げる。それは先ほどの失敗作と違い、強烈な光を放った。……なんで素人が造った札の方が成功するのか、すこし不満であるが成功した。
そして、光が収まるまえに駆ける。無論、ウシオニに向かって
さてと、改めて、仕事をはじめるか
俺は駆ける、自分で不謹慎だと分かっていたが、この衝動は抑えられなかった
実をいうと、ウシオニがいっていた理由、その理由に深く共鳴できる。自分もかつてそうであったから、この肉は命を奪うためだけにあるのだから、それが闘争の真たる意味なのだから
ウシノニの顔は笑みを浮かべている、先ほどの優しさのこめられた笑みではなく、純粋に、子供が遊びを楽しむときに浮かべるような、純粋な笑みを浮かべていた。
俺も自然と笑みがこぼれる。理由などない、理由などしらない、誰もそんなことを知っている賢者などいない。ただの衝動が、脳髄がごく原始的な衝動に支配される。血が湧き上がる、脳症が沸騰する、ああ楽しい、と心より思った。
天命に従うか?それとも自らが定めを決めるか?
しかしどちらにしても地獄しか待っていないのならば、それはどう違うのか?
ある者曰く、その結果を受け入れるか拒むか、と
次回「決着」
傍観者は時に死神となる。
そんな命題を頭の中で繰り返すこと八回目の途中にしてそれは現れた。
天候はいつでも雨が降り始めてもおかしくない曇天の空、時間でいえば逢魔時、厚い雲の上にある太陽が西の山々に沈んでいるだろう夕刻、場所は北州、経和(たてわ)の山奥、といってもさびれた農村が近くにある比較的盆地の神社の境内、その中央に座り込んで考えている最中であった。
それは唐突で、俺の後ろに何か、とても重量のある物体が落ちた音、その何かが落ちたせいで土煙りが舞い上がり視界を遮る。そして、それが真後ろに落ちたことによる地面と大気の振動、座り込んでいた俺はどうしようもなくもろに受けて体勢を崩し、両手を地面につく形になる。
体勢を崩した直後、背後に落下、もとい、着地した何かが何かを―たぶん前足、を振り上げ、振り下ろす、その一連の運動によって発生した風切り音。無論、俺の背めがけて
顔を上げても土煙りの所為で何も見えないし、現在前につんのめっているため背後で何が起こっているのか確認できないが、このまま何もしなければ俺は振り下ろした前足か腕に当たってえらい目にあうことだけは想像に難くない。…何もしなければ、ね
口にくわえていた札を離す
直後、意思を持っているかのように重力に反して俺の視界から消える札、そしてバンッ
と何かを跳ね返す音と跳ね返した衝撃が背を叩く
しかし、その衝撃を合図にして、俺は駆けた。
最初の地面についていた両手の内、右手に力を込め、体を起こし、そして一歩を踏み、駆ける。
座っていた場所から七間ほどの距離を取り、そして振り返る。
土煙りが晴れないが、懐から一枚札を取り出す、用心のため、いつ土煙りの中から何かが襲ってきても対処できるように
しかし、それは土煙りの中にいた。土煙りが風に乗り、晴れていく。そしてそれも土煙りの中から現れた。
最初に見えたのは顔、性別は女。凛々しいという表現が似合いそうな美人、その顔は満足そうな顔で口角をつりあげ、俺のことを見ている。もし、町中ですれ違ったなら惚れてしまいそうな女であったが、幾つか冷や汗が吹き出す要素があった。
顔色は青灰色、耳が生えている場所には人のそれとは違う、形からして牛の耳が生え、耳のすぐ上、側頭部から角が、天に向かって生えていた。
次に見えたのは、上半身
露出の高い服、というよりも胸の一部を毛が覆っているだけの上半身。そのため、女の肉体がよく見える。豊満な胸に比べ、腰は引き締まり、上半身の筋肉は鍛え上げられていることが分かる。手の先は煙に隠れているため二の腕の半分より先は分からないが、人間のものと大差はない。
煙が晴れ、全身が見える。
前述の通り、上半身は一部を除き人間の体と大差がない、しかし、それを支える下半身は、人間のものとは違う。胸の一部を覆っていた毛が下半身を覆い、その下半身は巨大で、まるで蜘蛛の腹のように大きく、そこから脚が六本、生えている。脚も毛におおわれていたが、脚先にはするどい爪のようなものが生え、それを地面に突き刺すようにして立っている。
それは一般的に「ウシオニ」と呼ばれる魔物、ここ和州では妖怪と呼ばれるのだが、ウシオニなどの一部の妖怪は別の名称がある、『怪物』、という名称が
長い魔と共存してきた歴史を持つ和州(西洋・中央諸国からはジパングと呼ばれていた)、基本的に人は妖怪に寛容であり、隣人として接している和州であるが、その寛容は彼らの恐ろしさを知らぬ無知から来る寛容ではない。むしろ、逆だ。彼らの恐ろしさを知っているが故の寛容
その最たるものが、怪物である。並の退魔師では調服すら困難、もはや自然の猛威、「現象」と同じと考えるしかない、一度無力な人間が出会ってしまえば念仏を唱えることぐらいしかできない妖怪、それが怪物
我ら、和州人の、魔の恐ろしさを知っているが故の概念であった。
そして、その恐ろしい脅威は俺の目の前にいた。だから、改めて、自分に、問う。
―――俺たち、人間は、というか俺はこいつに勝てるのだろうか?と…
これで九度目の問いを
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「…貴殿は妖怪で間違いないな」
当たり前だが、一応確認のため。その問いに対し、ウシオニは腕を組んでニカリと笑う。からりとした笑顔ではなく、口角を極端に持ち上げた、意地の悪い笑みを浮かべる。
「ああ、私は妖(あやかし)、名は永忌(えいき)。そういうあんたは退魔師かい?ぱっと見て軍人かと思ったけど」
じじい臭い名だな、というのが俺の印象、名前のつけ方からして大体2,300年まえに生まれた妖怪だと推測する。妖怪としては案外若い方だな
軍人と言われたのはいささか意外ではあったが、確かに下は袴、上はシャツに軍服を羽織っているだけだから、遠目には軍人に見えなくもないか
「御名答。まぁ、そういうわけで一身上の都合により、貴殿を退治させていただく」
そう言い、左足を前に出す構えのフォームを造り、懐から出した札を投げる
まるで矢のように札は飛んでいき、そして、ウシオニの目の前で炸裂、辺りが光に包まれた。
……………あ、まずい
だが、一瞬でそれは収まった。辺りを光が包んだ、といったが、光そのものは強烈な物ではなく、夜道を照らす松明が少し明るくなった程度の物、視界を奪うような強烈な物でない
これに対して片眉をあげ、怪訝そうな表情でウシオニがつくっていた。
辺りに変化なし、というよりも無理やり終わってしまったのだ、というよりも失敗したのだが
先ほどの術は、幻影術の一種
幻影、という言葉の通り、本来は五感に作用し、相手をだます、現実にそうあるように見せ、聞かせ、感じさせる呪術
いまやったのは妨害を司る術、本来であれば強烈な光によって相手の視界を奪うというところであるが、俺の場合、目くらましがいいところで成功するのも四回に一回ほど、絶望的な確立だ
実は、同業者なら三流、いや見習いでも初歩の技である為、眼をつぶっても行えるほどたやすいはずの術
まぁ、ウシオニ程の怪物に効くとは信じられないが
俺がどんな顔をしているのか、自分では案外分からない物なのだが、どうやら相当間抜けな顔をしているらしい。俺の顔を見てウシオニが顔を笑みを崩し、軽く、今度は皮肉るように笑った。違う、あの笑みは期待したものが違った、という一種の失望、といったときに見せる笑顔、というよりもどういった顔をしていいわからないために笑顔になってしまったという笑みだ。
俺はなにやら期待されたものだったらしい。ちなみに俺もあれが効かず、きっと絶望といった顔をしているだろう、気分的にはまぁそうなるかなぁ、と言った物だったが、対象のウシオニがなんでもなく、ぴんぴんしているところを見ると、結構くるな
「ふふ、そんなものが私に通用すると思っていたのかい?そうならばあんたは半端者か?それとも腰抜けか?そんな逃走にしかできない術を使うとは…更に失敗するとは!!!」
そう言い、突如として突っ込んでくる。
横に転がりつつ、なんとか回避、まずいな、あんな巨体ぶつかったらひとたまりもない、というよりも、退魔師はなんらかの呪術を使って最終的には死なないように肉体を護符で守っている。それは退治する方、される方、双方にとって暗黙のルールとなっているため、いざ戦いとなれば妖怪は一般人には本気で攻撃してくることはないが、退魔師などには本気で攻撃してくる。少しだけ、最初の一撃をはじいた札を、最後となってしまった師匠の残した札を使うとき惜しい気もしたが、正解だったな
そう、退魔師などには攻撃にためらいがない、しかし、先ほどの幻影術の通り、俺は呪術に関しては三流以下、一応護符はあるにはあるが機能するとは限らない、つまりは一般人と大差ない。それをウシオニが考慮し、攻撃を抑えてくれることがあろうか、いや、ありえない。
つまりはとてつもなく不味いということだ。
「ふふふっ!!!まさか、まさか、こんな馬鹿げた呪術で、この永忌を倒せるとでも思ったかいっ!!冗談にしても笑えない!!!なぶり倒してあげようかい?!!!」
なぶり倒す、なんて表現初めて聞いたがどうやら殺す気はないらしい。
あ、あと一つ訂正、失望させたのではなく怒らせたらしい。なんで怒っているのはわからないが、というか怒らせること何かしたかな
だけど、一つだけよかったことがある。それは、これでいいってことだ。
「貴殿は婿探しで村を襲うのではないのか?よいのか?男が目の前にいるのに」
攻撃をかわしながら軽口をつく
まずいなぁ、このままじゃ九分九厘死ぬな。
そんなのんきに考えていたが、相手は待ってくれない。正直言って結構不味い、かわすにしても相手が怒っているせいで極端にモーションが大きいだけでなんとかかわせるという状態なだけだ。
もしかしたら遊ばれているのかもしれない。
「ごあいにく様!!私には愛する旦那がいるものでね!!あんたのようなへぼとは違い一流の退魔師だった旦那が、ね!!!」
違う、本気と書いてマジと読む攻撃だ。正直言ってなんでこんなことになったのか、いきさつを考え、そして昨日の自分で自分を殴りたい。調子に乗ってあんなこと言わなければよかった。
とりあえず、逃げるとするか
「狒狒飛翔」
一度、ウシオニの腕が俺がいた場所を殴り、拳が地面にめり込んでいた。
土に拳がめり込んだだけなので、一瞬で体制を立て直せる、隙と呼ぶには少しばかり短すぎる間が生じた。
だが、その間を見逃さず、術を発動するための呪句を呟き、瞬時に足元に円状の陣が現れ、飛翔する。否、それは飛翔と呼ぶべきものではなく、脚力を強めるための術であるためにこの場所からは逃げるほどの飛翔とは程遠い跳躍。だが、仕切り直しとすることはできる。
社の屋根に足をつける。境内では俺を突如見失ったウシオニが忙しなく動き、俺を探していたが社の上に立つ俺を見つけ、睨みつける。
「逃げるか半端者!!それとも逃げることすらできないのかい?だったら何とする?命乞いか?地に頭を伏せ命を乞うか?」
があがあと吠えながら、そして、ウシオニも飛ぶ。…術などを使わずに己の脚力のみで跳躍したぞ、おい
近くの村人たちの話ではこの社は四半世紀前に建てられたという話であったが、当時の村人の信仰はどうやら相当厚いものであったらしい、なぜならウシオニの巨体が屋根の上に着地したというのに、(かなり揺れたせいで屋根瓦の内半分以上が落ちてしまったものの)社は倒壊することはなくウシオニの落下の衝撃に耐えたのだから、かなり頑丈なつくりをしている。
ウシオニは着地の衝撃ですこしよろけたが、すぐに体勢を立て直すと腕を屋根につけ、足腰に力を込め、姿勢を低くする。これが意味することは『こっちは準備で来たからあとは貴様の準備を待つだけだ』、かな
本来なら、俺も矜持にしたがって構えなおさなければいけないのだろう、だが、左腕を伸ばして手のひらをみせる。待ってくれ、という意味だ。
「一つ、聞きたい」
興がそがれた、といった風にウシオニは顔を歪め、しぶしぶと言った風に四肢に込められた力を抜き、腕を組む。
「なぜあの村を襲う、いや、そもそも近くの村々も妖怪に襲撃されていると聞いた。あれは貴殿の仕業であるならなぜ村々を襲う」
ここ北州、経和、それと隣接する軽對(けいつい)・八馬(やま)では四の月に入ってから妖怪が各村々を襲うという事件が多発していた。妖怪が村を襲うことは昔からあるとはいえ、今回の件は変わっていた。
大概妖怪が村を襲う際、繁殖のために自分の婿探しのために村を襲う。そして適当な若衆の誰かを奪ってそれで襲撃が収まる。もしも適当な若衆がいなければ他の村々を襲うこともあるのだが、その場合は二、三の村が襲われるだけで済む。今回の件では襲われた村は耳に入っただけでも七つの村が襲われた。そして何よりも若衆には手をつけていないというのが異例でもあった。
かわりに食料や家畜を奪って、またはその場で食い荒らして行く。そして襲う村も選んでいるかのように、貧しい村などしか襲わない。襲われた七つの村は確かに地図上では北西から東南にかけて一直線上で結ばれるが、線上には他に村が四つあった。無差別に、手当たり次第に妖怪は人のいる場所を襲う者であると思っていたし、それは間違いではないだろうが今回に限り、まるで作為的に選ばれているかのように、更に羅卒、軍がでてこないぎりぎりの線での被害しか出していないかのようにしか思えない。
「別に、理由なんてないよ」
ウシオニは不遜な態度で答える。
「私はさっき言ったようにもう旦那がいてね、婿探しが目的じゃない。強いてあげるなら強い奴と戦いたくなっただけ」
「強いものとの戦いが望み…?」
右口角はそのまま不機嫌そうに、しかし、左口角を上げ、複雑な笑みを造る。
「あぁ。長く生きると時間が暇でしかたない、そんなときに暇つぶしにはちょうどいい」
なら、なんで
「なんであの村を襲う…襲う理由にはならないはずだ、あの村には」
「戦える者はいない、だからこそ、あんたのような退魔師が雇われる」
言葉を遮り、回答をいった。
言葉を続ける。
「大概、金で雇った退魔師というのは如何せん名を上げるためか金に目がくらんで雇われる連中が多くてね、つまらない奴が多い。軍やらなんやらはもっと、なんだよ。それにくらべ、力ない、財力のない村が雇った退魔師の方が何倍も楽しめる。まぁ、今回ははずれだったけどねぇ」
ハハハ、と自虐的な、乾いた笑みをあげる。
そうか、それはいい回答だ、全ての問題が解決で来た。だが、
「では」
一つ、確認しなければいけないことがあった。
「では、今までの村はどうした?最初に襲われた村は?雇うことすらできなかった、力もなかった村は?貴殿は、それを何とする?」
それだけじゃない、貧しい村では家畜一頭、袋一つ分の作物、それだけでも十分飢えて死ぬことすらある。土地を捨てればいい、という問題じゃない。北陸戦争で傷ついた大地に住み、ここを宝とした彼らからしてみれば、そんな問題じゃない、捨てるなんて簡単な問題じゃない、そんな軽すぎる答えなど出せない。彼らに死ねと言っているようなもんだ。
それに対して、一言
「知るもんかい、そんな連中」
顔の肉を変えずに言い放つ。
そうか、それはいい言葉だ
ありがとう
その言葉は貴様を定めるには十分だった。
これでまぁ、俺は貴様を容赦なく殴れる、慈悲もなく裁くことができる。心おきなく、人を守ることができる。
演算を―術式を開始する。そして頭の中を流れる呪言、いいや、抑えつけていた呪言が流れ出す。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(…命は我に屈せず聖人の矢は君子にはあたらず故に君子は地に伏せる聖人は奇跡を願い衆民の救済を果たし故に神を呪い憤死する自由刑授受刑死名誉刑赤子は母を望み腹を貫かれた戈の先で安堵する主君の盾となれぬ力なき騎士は城が焼け落ち自死を願う毒殺刺殺絞殺暴力を行使する者はその死を定めることはなきこと天命に従えぬ英雄は刑死者となりその願いは歪まれる国を守る兵士は盗賊となり国を滅ぼす定に落ちる人の死を願う者その命も…)
直後、頭の中に流れる呪言、そしてガリガリガリという頭のなかを呪言に削り取る音、命を縮める音楽
だから、痛い、痛いがだからこそ、気持ちがいい、生きていたという限りない証明でもあるから
「ギ…ガァ……グゥゥウ」
言葉でない悲鳴を上げる。痛みを頭の中から左腕に定義、あれを使うまでもない、こんな奴にはこいつで十分だ。
そして、変わり始める左腕
ベキリベリベキリベリ、と肉と骨の軋む音と剥がれる音を奏でながら形そのものが変化していく左腕。親指と人差し指が、薬指と小指が本来の形を失い、捏ねくり合わさり二本の指が一本の指となっていく。唯一残った中指も原型を失い、そして、三本の指しかなくなった左腕の手首まで、指は裂けていく。
「………な、なんだい、それは?」
ウシオニは先ほどの態度から一変し、怯えたように震える声で聞く
情けない、何が情けないというかといえば、己自身が情けない。この程度の痛みで答えなられないなんて情けない。答えようとしたが肉が剥がされ、骨が一つになって長さも大きさも、形そのものも変わっていく感覚は痛みを訴えているため、それすら答えることができない、呼吸することで精いっぱいだった。
脂汗をにじませ、そして一本の新しい左腕が完成となる。それは三又の爪、違う、肉を骨が破っているため、腕ではない、肉のない骨だけの腕など腕ではない、三又の槍とする。
「………ま、まさかそれは!!?」
やっと気づいたか、というか、攻撃してくれればよかったのに、今攻撃してくれればあの村を守れたのに
ウシオニは驚愕といった風に目を見開いた。
「正気かい?アンタ!!そんなものを使う奴が、そんな逝かれた失敗作の外洋呪術を、いや術式か、そんなものを使う馬鹿がいたとは…」
ああ、逝かれてるね。だけど
「……さっき貴殿も申しただろう、俺は半端者、なら身を削るしかない、そうでもしないと誰かを守ることなんてできない」
その答えを聞き、ウシオニの表情に変化が表れる。眉をひそめる。すこし興味を持ったらしい。
「なぜ、そこまでするんだい?あんたにとって大事な者があの村にいるのか?」
いいや、俺は流れの者でね。故郷なんてないし、あの村に知り合いもいない。でも
とんでもないお人よしがいてね。行き倒れてた人間を家に泊めてしまうような、お人よしが
「いや、守りたいから守る。ただそれだけだ」
しばしの沈黙
「ふふっ」
しばし、考えていたウシオニだったが、今度は先ほどの笑みとは違う、自虐の笑みでも、俺を嘲笑うような笑みでもない、ごく自然的な、もしもどこか違う場所であったならば惚れてしまうような、素敵な、柔らかい笑みを浮かべる。元々が美人だから、すごく素敵な笑みだった。
「馬鹿だね、そんな矜持で命をかけてたら死ぬよ」
ごく、自然的な笑みを浮かべ、力を抜いたまま言葉を続ける。
「でもね、前回撤回だ。素敵だ、実に素敵だよ。あんた、名前は?」
先ほどの言葉と違い、実に優しげな声で言う。これぐらいは応じてほしい、といった風にほほ笑む
「正目(よしみ)」
「そうか、正目っていうのかい?もしも旦那がいなかったらあんたのような半端者を旦那にしても悔いはないだろうね。気に入った実に気に入った。だから、それに敬意を表して全力でいかしてもらうよ」
「…そこは撤退もしくは加減してくれるのが文脈上正しいのでは?」
「ごあいにく様、私はね、敬意を払うべき敵には全力でもらう主義だから」
ああ、そうですか、だった俺も本気で行かせてもらいますか
変化した左腕を垂直に伸ばし、右腕を水平に、右前腕部中ほどを左腕の手首に合わせる。
「Dir,Sorwbtiy.Dir,Wtridecy.ad,Typpoiuw」
そう呟き、右腕を懐に忍ばせ、変化した左腕を体に巻きつけるように構える。
「……変わった文言だね、なんて意味だい?」
ウシオニも構えながら尋ねる、すぐさまウシオニの四肢や肉体に力がこめられ、一周りほど大きくなったように見えた。
答える義理は無い、しかし、俺自身がこの文言を気に入っているため、自分にもう一度確認するように話す。
「我が愚行を許したまえ、我が蛮行を許したまえ」
そして
「勝利あれ」
そう呟くと、懐に忍ばせておいた二枚目の札を投げる。それは先ほどの失敗作と違い、強烈な光を放った。……なんで素人が造った札の方が成功するのか、すこし不満であるが成功した。
そして、光が収まるまえに駆ける。無論、ウシオニに向かって
さてと、改めて、仕事をはじめるか
俺は駆ける、自分で不謹慎だと分かっていたが、この衝動は抑えられなかった
実をいうと、ウシオニがいっていた理由、その理由に深く共鳴できる。自分もかつてそうであったから、この肉は命を奪うためだけにあるのだから、それが闘争の真たる意味なのだから
ウシノニの顔は笑みを浮かべている、先ほどの優しさのこめられた笑みではなく、純粋に、子供が遊びを楽しむときに浮かべるような、純粋な笑みを浮かべていた。
俺も自然と笑みがこぼれる。理由などない、理由などしらない、誰もそんなことを知っている賢者などいない。ただの衝動が、脳髄がごく原始的な衝動に支配される。血が湧き上がる、脳症が沸騰する、ああ楽しい、と心より思った。
天命に従うか?それとも自らが定めを決めるか?
しかしどちらにしても地獄しか待っていないのならば、それはどう違うのか?
ある者曰く、その結果を受け入れるか拒むか、と
次回「決着」
傍観者は時に死神となる。
13/01/14 14:54更新 / ソバ
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