前篇
縁側に腰掛けて雨にうたれている庭の紫陽花を見ていた。
その日は朝から雨が降っていた。
まぁ、梅雨に入ったばかりだから仕方ないのだが、珍しく咳も、胸をしめつけるような痛みもなく、体調も普段に比べて大分楽であったのもあり、縁側に腰掛けて眺めることにした
庭に咲く紫陽花は庭の土のせいなのか花びらの色が薄い、図鑑に載っている紫陽花とはとても同じ花とは思えないほどだ
シトシトピッチャン・シトシトピッチャン・シトシトピッチャン
等間隔で雨音がする、この雨音をぼおとしながら聞く
シトシトピッチャン・シトシトピッチャン・シトシトピッチャン・シトシトピッチャン
気がつけば、眼を閉じてこの音に聞き入っていた、まるで寺の坊主の読経のような不思議な音で心地よい
ポト…………ポト………ポト……ポト…ポト
ふと、雨音に別な音が混じっていた。だが、あまりに雨音のたてる音が気持ちよく眠りかけていたため、その音が近くまで来るまで気がつかなかった
疑問に思い、眼を開けると、庭の紫陽花の中に山伏の格好をした少女が、年のころは16か17の少女がうずくまるように座っていた。
なぜこんなところに山伏がいるのか怪訝に思ったが、すぐに疑問が解決した
確かに少女の格好は山伏の服であったが、少女の腕には人間の腕ではなく、翼が、鳥の、この場合は鴉か?鴉のように漆黒の翼生えており、膝までは人間の物であったが、膝下から鳥の足で、関節が二つあった
なるほど、と変な表現で、しかも矛盾していたが、現在を表すのならば混乱しながらも納得した、という表現があっている。
この子は妖怪だ
まだ元気だったときに帝都で軍の鬼兵部隊の行進というものを見たことがあったが、近くで妖怪をみるのは初めてだった
たしか前に読んだ本の知識に合わせると、山伏の格好から天狗、それと黒い翼をもっているから、特徴などを総合すると、「カラステング」という妖怪だったかな?
今すぐにでも部屋の奥に戻って、先生にいただいた膨大な本の中から妖怪が事細かく記されている一冊を探し出し、確認したかったが、とりあえず目の前のことが先だった
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
雨が降りしきる中、縁側に腰をおろしていた男が雨の中紫陽花のしたに座っているカラステングの少女を見ていた
男は立ち上がると、家の奥に消えた
しかし、すぐに戻ってくる。手にはわら草履と傘を持っていた
庭に男が出て、カラステングの元まで歩く
その歩きはとても遅かった、というよりも一歩一歩足を引きずるように歩く
カラステングはその引きずる音に気がつき、すぐに立ち上がろうとしたが男が手で制する
そして、カラステングの元まで来ると、傘の中に入れた
カラステングはあっけにとられた顔をしていたが、男は気にせずにカラステングの着ている山伏の服についた雫を掃って叩き、落とす
「…女の人がこんな雨の中いたら風邪ひいてしまいますよ、ささいらっしゃい」
男がそういうとカラステングの手(翼?)を引いて家の中に入れた、家に入る直前、カラステングは少し悩んだ顔をしていたが、おずおずと手を引かれ家の中に入って行った。
縁側の廊下に面している六畳一間の部屋に案内され、そこでカラステングの少女は木綿のタオルと男物の藍色の着物を渡す
「すっかり雨にぬれちゃって、なんとまぁ、私は奥の部屋で待ってますから、これに着替えて」
男はそういうと、ゆっくりとした動作で部屋を出ていく。少女は渡された藍色の着物を見て、しばらく悩んでいたが着替えることにした。
「まったく、一之助坊ちゃまのわがままにも困りますよ。さっき来た時は昼飯はいらないなんて言ったくせに、二刻も経ってから腹が減ったから、菓子とお茶をもってきてくれなんて」
50代前半の恰幅のいい女中が男に文句を言いながら8畳ほどの部屋に置かれた大木を丸々削りだしたかのような立派な座卓にお茶の入った急須と湯飲み、それと羊羹をのせた皿をおく
「いや、それに関してはすみませんとしか言えませんが、御舟さん、もう僕は今年で25です、一之助坊ちゃんはやめてくれませんかね?」
「なにをいってるんですか、私は坊ちゃんが赤ん坊の時からお世話してるんですよ。私にとっては坊ちゃんは坊ちゃんですよ」
男はため息をつく
たぶん死ぬまで坊ちゃん扱いはやめてくれないだろう、と一之助は結論を出しているので落胆のため息ではなかった
「…それと、一之助坊ちゃん?もう一回確認しますけど、本当に坊ちゃんおひとりなんですよね」
「えぇ、その通りですよ」
にこりと一之助は笑ったが、御舟は眉間に皺をつくり、立ち上がるとがらりと一之助が座っている後ろの襖をあける。
と、そこには袖が余っているため肩のあたりまでまくり、手には濡れた山伏の服を持って、裾が余っているため裾を床に引きずっているカラステングの少女が立っていた
あちゃー、といった風に一之助が天を仰いだが、御舟は何も言わずに一之助にふりかえる、鬼の形相をみて、一之助は正座になおす
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「…まったく、どこの世界に女の子に男物の着物着せる人がいるんですかね」
襖を挟んでそんな話が聞こえる
あのあと、御舟さんにこってりと怒られるのかと思ったがひとまず、免れたらしい
いや、怒られたことには怒られたが、それはお客様がいるんだったらなぜしょうもない嘘つくのか、それと、お嬢さんが着ていた山伏の服を洗う必要があるからなぜ本当のことを言わないのか、ということについて怒られた
とりあえず、男物の着物ではあまりにもあれだからと言って御舟さんは僕に許可を取りもう着ることのない女物、母様の着物を別室にある箪笥の閉まってあった棚から持ち出してカラステングの少女に着せている
あら、やっぱり若い子に何を着せても似合う、などの会話(御舟さんが一方的にしゃべっているだけだが)が聞こえる、それ以外は雨が降る音だけだった。
懐に手をやり、煙草を取り出そうとしたが、思いとどまってやめた
別に体に気を使ったわけではない、あれがきたからだ
ぐらりと世界が揺れる、いや僕が倒れたからか、視界が真横となって倒れたことを知った
直後、胸が締め付けられるように痛む
呼吸が早くなり、汗が流れるのがわかる
咳がでる、手で押さえたが、手を見ると咳に血が混じっていたらしく、手のひらが赤くなっていた
あ、まずい、気絶する
そして、そのまま意識が遠のいていく
ふと、誰かが僕の手を握っている感覚で意識を取り戻した
眼を開けると先ほどまでいた部屋の天井じゃない、僕の部屋の天井だった
部屋中に本が積み重なってできている塔が部屋の敷地面積の8割を占めている、残りの2割は本の塔と塔の間にできた通路、そして部屋の中央に敷かれた布団だ、その蒲団に寝ている、どうやら倒れて運ばれたらしい、なんとも情けない話だ
上体を起こす、まだ少し胸が痛むが、我慢できないことも、というかいつもの痛みだ
隣には御舟さんと、
………一瞬目を奪われた
基調は白の生地、その上に牡丹の花が描かれている着物をきた先ほどのカラステングのお嬢さんがいた、さっきまで長い髪をそのままおろしていたが、今は髪をまとめ、簪でとめていた
いや、その、なんというか似合ってるな、うん
ただの着物では似合わない、というかこの着物はこのお嬢さんのために作られたような気すらしてきた
コホン、と御舟さんが咳払いをして我に返る
「このお嬢さんが一之助坊ちゃんを運ぶの手伝ってくださったんですよ」
「あ、そうなんですか、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる
「そうなんですか、じゃありませんよ、お嬢さんは坊ちゃんが眼を覚ますまで、えっとなんでしたっけ?そうそう!神通力をつかって介護してくださったんですから!!」
興奮気味に身振りをふまえて御舟さんがいう、なんでもお嬢さんが僕の手を握って御経を唱えたら僕が眼を覚ましたらしい
ん?手を握って?
ふと、右手を見るとカラステングのお嬢さんが僕の右手を両の翼で握っていた
握られた右手を眺めるとお嬢さんがそれに気がつき、きゃあ、なんて、かわいらしい悲鳴をあげて慌てて離す、顔が真っ赤だった
………なにもそんなに慌てなくてもいいのに
離された右手を見る、体の痛みも確認する
胸の痛みはいつも通りだが、その他の痛みは皆無だ
「すごい技術ですね、神通力って」
だが、お嬢さんは更に頬を染め、両の翼で顔を隠してしまう
恥ずかしがりやだな、このお嬢さんは
御舟さんは僕たちの様子を見て笑う
「坊ちゃんよかったですね、前から見てみたいていってたじゃないですか、神通力が見れて、いっそのことお嬢さんを嫁にもらっちゃったらどうですか?
お嬢さんもどうです?この人は偏屈で変人ですが根は優しい方ですよ。私が保証します」
「御舟さん!!」
少し怒った風に言うが御舟さんは口元をおさえてお茶入れてきます、といって出ていく
部屋に残ったのはまだ上半身しかおこせない僕と、本の塔と塔の間に埋まって真っ赤に染めた顔を翼で隠しているカラステングの少女が残った
沈黙が流れる、なんというか、その、気まずい
こんな時はどうすればいいんだろうか
ま、とりあえずここは無難に
「ええっと、さっきはありがとうございます、私の名前を糀谷、糀谷一之助といいます、お嬢さん、御名前をお聞きしてもいいですか?」
自己紹介から始めることにした。相手の名前を知ることが分かり合うことへの第一歩、そんなことを異文化理解への本で読んだことがある
だが、失敗だったらしい
お嬢さんはなんと言われたのか分からないような顔をして、そのあと、言葉をゆっくりと理解すると、驚愕という顔をして立ち上がる
頭の頂上から湯気が出てきそうなほど顔を赤く、口を鯉のようにパクパクとせわしなく動いて、け・け・け・け…なんて呟いている
け?けってなんのけ?
「結婚の申し込みですか?」
お嬢さんが蚊の羽音のような声で言う、だが、初めて声を聞いた、それほど衝撃だったのか、というか、いつ結婚を申し込んだかな
あっと気がつく…もしかして、カラステングは集落をつくり生活する妖怪だ、閉鎖的であってもしかたなく、風習は古代からそのままなのかもしれない、一度古代の生活様式の本を読んだことがある
なんでも名前を男から名乗り女が自分の名前を言った時点で結婚成立、とかいう風習だ
もしも古代のままなら、さっきの自己紹介は西洋でいうプロポーズというやつに捉えられてもしかたない
「ち、違うんですよ、さっきのは、ええっと、結婚の申し込みとかじゃなくて…」
お嬢さんは再び本と本の山の間に隠れてしまう、なんとか誤解を解こうとしたが、ちょうどいい話題が見つからない
どうしたものか、頭を抱えるがどうしたらよいかわからない
ちょっと、興奮しすぎて咳がでてきた。
手で押さえたが、お嬢さんが心配そうにのぞきこむ
この痛みぐらいなら慣れている、そしてすぐに痛みが治まり、胸に手をやるが鼓動が少し早く打つのを感じる位で済んだ
ふと、話題が思いつく
「もう大丈夫です、これぐらいはいつものことなので慣れてます。そういえば、さっきの神通力すごかったですね、僕も少しそれらしいこと学んだことがあるんですけど、そんなことできないので、本当にすごいです」
お嬢さんが安心したようにほほ笑む、だが、すぐに顔が曇った。
「………使えないんです」
は?
「…私は神通力使えないんです」
ぽつり、と呟いた。
「え?だって、きっさ御舟さんがお嬢さんの神通力で僕の痛み和らげてくれたって」
お嬢さんの顔が更に曇る
「あれは、その………前に里を観察していた時に御寺の御坊さんが、木から落ちて腕の骨を折った子供にやったことのまねごとなんです。使えるかもしれませんが、習ったことがないので」
そう言うとお嬢さんは悲しそうに顔を伏せる。
お嬢さんなりに事情があるのだろう、それは他人が踏み込んでいいことじゃないことはなんとなくわかった。それ以上何も言えず、少し黙ったが、ひらめいた
「…機会があったら、習ってみたいですか?」
お嬢さんが顔を上げる、そしておどおどと、機会があれば、とうなづいた。
布団の下から隠してある煙草を取り出す
本当は御舟さんに叱られるから煙草を蒲団の上で吸わないのだが、特別だ
火の付いていない煙草を一本口にくわえると、右手の人差し指を煙草の先に置き、人差し指を回す
「姿火顕現」
口にくわえた煙草を落とさないように呟くと、人差し指の先に火が灯り、煙草に火をつける
軽く手を振り、火を消す。久々の煙草はうまかった
お嬢さんは眼を丸くして、神通力、と呟いた。
「違いますよ、これは神通力じゃないです。正式な名称はまだないんですが、西洋と我が国の呪術を持ち合わせたものなんですけどね」
少しだけ、ほんの少しだけ笑う、これは自慢の笑みじゃない、自虐の笑みを浮かべる。
「…昔、といっても10年ほど前ですが、帝都でこの術を学んでたんですよ。まぁ当時はなんでもかんでも西洋学問が優れてる、というのが一般常識でしたから、西洋の呪術でしたけどね」
積み重なった本の一冊を手にとって渡す。呪術の指南書で、先生から頂いた一冊
というか、ここの部屋を埋め尽くす本は全て、帝都からこの地に戻る際、先生から頂いたものだが
「こんな怪しげなものでも、一応根本にあるものは神通力らしいです。ですが、かなり怪しいですね。こんなものしか教えられませんが、それでもいいですか?」
お嬢さんは一切の迷いもなく、力強く頷く。眼が輝いていた。
その日は朝から雨が降っていた。
まぁ、梅雨に入ったばかりだから仕方ないのだが、珍しく咳も、胸をしめつけるような痛みもなく、体調も普段に比べて大分楽であったのもあり、縁側に腰掛けて眺めることにした
庭に咲く紫陽花は庭の土のせいなのか花びらの色が薄い、図鑑に載っている紫陽花とはとても同じ花とは思えないほどだ
シトシトピッチャン・シトシトピッチャン・シトシトピッチャン
等間隔で雨音がする、この雨音をぼおとしながら聞く
シトシトピッチャン・シトシトピッチャン・シトシトピッチャン・シトシトピッチャン
気がつけば、眼を閉じてこの音に聞き入っていた、まるで寺の坊主の読経のような不思議な音で心地よい
ポト…………ポト………ポト……ポト…ポト
ふと、雨音に別な音が混じっていた。だが、あまりに雨音のたてる音が気持ちよく眠りかけていたため、その音が近くまで来るまで気がつかなかった
疑問に思い、眼を開けると、庭の紫陽花の中に山伏の格好をした少女が、年のころは16か17の少女がうずくまるように座っていた。
なぜこんなところに山伏がいるのか怪訝に思ったが、すぐに疑問が解決した
確かに少女の格好は山伏の服であったが、少女の腕には人間の腕ではなく、翼が、鳥の、この場合は鴉か?鴉のように漆黒の翼生えており、膝までは人間の物であったが、膝下から鳥の足で、関節が二つあった
なるほど、と変な表現で、しかも矛盾していたが、現在を表すのならば混乱しながらも納得した、という表現があっている。
この子は妖怪だ
まだ元気だったときに帝都で軍の鬼兵部隊の行進というものを見たことがあったが、近くで妖怪をみるのは初めてだった
たしか前に読んだ本の知識に合わせると、山伏の格好から天狗、それと黒い翼をもっているから、特徴などを総合すると、「カラステング」という妖怪だったかな?
今すぐにでも部屋の奥に戻って、先生にいただいた膨大な本の中から妖怪が事細かく記されている一冊を探し出し、確認したかったが、とりあえず目の前のことが先だった
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
雨が降りしきる中、縁側に腰をおろしていた男が雨の中紫陽花のしたに座っているカラステングの少女を見ていた
男は立ち上がると、家の奥に消えた
しかし、すぐに戻ってくる。手にはわら草履と傘を持っていた
庭に男が出て、カラステングの元まで歩く
その歩きはとても遅かった、というよりも一歩一歩足を引きずるように歩く
カラステングはその引きずる音に気がつき、すぐに立ち上がろうとしたが男が手で制する
そして、カラステングの元まで来ると、傘の中に入れた
カラステングはあっけにとられた顔をしていたが、男は気にせずにカラステングの着ている山伏の服についた雫を掃って叩き、落とす
「…女の人がこんな雨の中いたら風邪ひいてしまいますよ、ささいらっしゃい」
男がそういうとカラステングの手(翼?)を引いて家の中に入れた、家に入る直前、カラステングは少し悩んだ顔をしていたが、おずおずと手を引かれ家の中に入って行った。
縁側の廊下に面している六畳一間の部屋に案内され、そこでカラステングの少女は木綿のタオルと男物の藍色の着物を渡す
「すっかり雨にぬれちゃって、なんとまぁ、私は奥の部屋で待ってますから、これに着替えて」
男はそういうと、ゆっくりとした動作で部屋を出ていく。少女は渡された藍色の着物を見て、しばらく悩んでいたが着替えることにした。
「まったく、一之助坊ちゃまのわがままにも困りますよ。さっき来た時は昼飯はいらないなんて言ったくせに、二刻も経ってから腹が減ったから、菓子とお茶をもってきてくれなんて」
50代前半の恰幅のいい女中が男に文句を言いながら8畳ほどの部屋に置かれた大木を丸々削りだしたかのような立派な座卓にお茶の入った急須と湯飲み、それと羊羹をのせた皿をおく
「いや、それに関してはすみませんとしか言えませんが、御舟さん、もう僕は今年で25です、一之助坊ちゃんはやめてくれませんかね?」
「なにをいってるんですか、私は坊ちゃんが赤ん坊の時からお世話してるんですよ。私にとっては坊ちゃんは坊ちゃんですよ」
男はため息をつく
たぶん死ぬまで坊ちゃん扱いはやめてくれないだろう、と一之助は結論を出しているので落胆のため息ではなかった
「…それと、一之助坊ちゃん?もう一回確認しますけど、本当に坊ちゃんおひとりなんですよね」
「えぇ、その通りですよ」
にこりと一之助は笑ったが、御舟は眉間に皺をつくり、立ち上がるとがらりと一之助が座っている後ろの襖をあける。
と、そこには袖が余っているため肩のあたりまでまくり、手には濡れた山伏の服を持って、裾が余っているため裾を床に引きずっているカラステングの少女が立っていた
あちゃー、といった風に一之助が天を仰いだが、御舟は何も言わずに一之助にふりかえる、鬼の形相をみて、一之助は正座になおす
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「…まったく、どこの世界に女の子に男物の着物着せる人がいるんですかね」
襖を挟んでそんな話が聞こえる
あのあと、御舟さんにこってりと怒られるのかと思ったがひとまず、免れたらしい
いや、怒られたことには怒られたが、それはお客様がいるんだったらなぜしょうもない嘘つくのか、それと、お嬢さんが着ていた山伏の服を洗う必要があるからなぜ本当のことを言わないのか、ということについて怒られた
とりあえず、男物の着物ではあまりにもあれだからと言って御舟さんは僕に許可を取りもう着ることのない女物、母様の着物を別室にある箪笥の閉まってあった棚から持ち出してカラステングの少女に着せている
あら、やっぱり若い子に何を着せても似合う、などの会話(御舟さんが一方的にしゃべっているだけだが)が聞こえる、それ以外は雨が降る音だけだった。
懐に手をやり、煙草を取り出そうとしたが、思いとどまってやめた
別に体に気を使ったわけではない、あれがきたからだ
ぐらりと世界が揺れる、いや僕が倒れたからか、視界が真横となって倒れたことを知った
直後、胸が締め付けられるように痛む
呼吸が早くなり、汗が流れるのがわかる
咳がでる、手で押さえたが、手を見ると咳に血が混じっていたらしく、手のひらが赤くなっていた
あ、まずい、気絶する
そして、そのまま意識が遠のいていく
ふと、誰かが僕の手を握っている感覚で意識を取り戻した
眼を開けると先ほどまでいた部屋の天井じゃない、僕の部屋の天井だった
部屋中に本が積み重なってできている塔が部屋の敷地面積の8割を占めている、残りの2割は本の塔と塔の間にできた通路、そして部屋の中央に敷かれた布団だ、その蒲団に寝ている、どうやら倒れて運ばれたらしい、なんとも情けない話だ
上体を起こす、まだ少し胸が痛むが、我慢できないことも、というかいつもの痛みだ
隣には御舟さんと、
………一瞬目を奪われた
基調は白の生地、その上に牡丹の花が描かれている着物をきた先ほどのカラステングのお嬢さんがいた、さっきまで長い髪をそのままおろしていたが、今は髪をまとめ、簪でとめていた
いや、その、なんというか似合ってるな、うん
ただの着物では似合わない、というかこの着物はこのお嬢さんのために作られたような気すらしてきた
コホン、と御舟さんが咳払いをして我に返る
「このお嬢さんが一之助坊ちゃんを運ぶの手伝ってくださったんですよ」
「あ、そうなんですか、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる
「そうなんですか、じゃありませんよ、お嬢さんは坊ちゃんが眼を覚ますまで、えっとなんでしたっけ?そうそう!神通力をつかって介護してくださったんですから!!」
興奮気味に身振りをふまえて御舟さんがいう、なんでもお嬢さんが僕の手を握って御経を唱えたら僕が眼を覚ましたらしい
ん?手を握って?
ふと、右手を見るとカラステングのお嬢さんが僕の右手を両の翼で握っていた
握られた右手を眺めるとお嬢さんがそれに気がつき、きゃあ、なんて、かわいらしい悲鳴をあげて慌てて離す、顔が真っ赤だった
………なにもそんなに慌てなくてもいいのに
離された右手を見る、体の痛みも確認する
胸の痛みはいつも通りだが、その他の痛みは皆無だ
「すごい技術ですね、神通力って」
だが、お嬢さんは更に頬を染め、両の翼で顔を隠してしまう
恥ずかしがりやだな、このお嬢さんは
御舟さんは僕たちの様子を見て笑う
「坊ちゃんよかったですね、前から見てみたいていってたじゃないですか、神通力が見れて、いっそのことお嬢さんを嫁にもらっちゃったらどうですか?
お嬢さんもどうです?この人は偏屈で変人ですが根は優しい方ですよ。私が保証します」
「御舟さん!!」
少し怒った風に言うが御舟さんは口元をおさえてお茶入れてきます、といって出ていく
部屋に残ったのはまだ上半身しかおこせない僕と、本の塔と塔の間に埋まって真っ赤に染めた顔を翼で隠しているカラステングの少女が残った
沈黙が流れる、なんというか、その、気まずい
こんな時はどうすればいいんだろうか
ま、とりあえずここは無難に
「ええっと、さっきはありがとうございます、私の名前を糀谷、糀谷一之助といいます、お嬢さん、御名前をお聞きしてもいいですか?」
自己紹介から始めることにした。相手の名前を知ることが分かり合うことへの第一歩、そんなことを異文化理解への本で読んだことがある
だが、失敗だったらしい
お嬢さんはなんと言われたのか分からないような顔をして、そのあと、言葉をゆっくりと理解すると、驚愕という顔をして立ち上がる
頭の頂上から湯気が出てきそうなほど顔を赤く、口を鯉のようにパクパクとせわしなく動いて、け・け・け・け…なんて呟いている
け?けってなんのけ?
「結婚の申し込みですか?」
お嬢さんが蚊の羽音のような声で言う、だが、初めて声を聞いた、それほど衝撃だったのか、というか、いつ結婚を申し込んだかな
あっと気がつく…もしかして、カラステングは集落をつくり生活する妖怪だ、閉鎖的であってもしかたなく、風習は古代からそのままなのかもしれない、一度古代の生活様式の本を読んだことがある
なんでも名前を男から名乗り女が自分の名前を言った時点で結婚成立、とかいう風習だ
もしも古代のままなら、さっきの自己紹介は西洋でいうプロポーズというやつに捉えられてもしかたない
「ち、違うんですよ、さっきのは、ええっと、結婚の申し込みとかじゃなくて…」
お嬢さんは再び本と本の山の間に隠れてしまう、なんとか誤解を解こうとしたが、ちょうどいい話題が見つからない
どうしたものか、頭を抱えるがどうしたらよいかわからない
ちょっと、興奮しすぎて咳がでてきた。
手で押さえたが、お嬢さんが心配そうにのぞきこむ
この痛みぐらいなら慣れている、そしてすぐに痛みが治まり、胸に手をやるが鼓動が少し早く打つのを感じる位で済んだ
ふと、話題が思いつく
「もう大丈夫です、これぐらいはいつものことなので慣れてます。そういえば、さっきの神通力すごかったですね、僕も少しそれらしいこと学んだことがあるんですけど、そんなことできないので、本当にすごいです」
お嬢さんが安心したようにほほ笑む、だが、すぐに顔が曇った。
「………使えないんです」
は?
「…私は神通力使えないんです」
ぽつり、と呟いた。
「え?だって、きっさ御舟さんがお嬢さんの神通力で僕の痛み和らげてくれたって」
お嬢さんの顔が更に曇る
「あれは、その………前に里を観察していた時に御寺の御坊さんが、木から落ちて腕の骨を折った子供にやったことのまねごとなんです。使えるかもしれませんが、習ったことがないので」
そう言うとお嬢さんは悲しそうに顔を伏せる。
お嬢さんなりに事情があるのだろう、それは他人が踏み込んでいいことじゃないことはなんとなくわかった。それ以上何も言えず、少し黙ったが、ひらめいた
「…機会があったら、習ってみたいですか?」
お嬢さんが顔を上げる、そしておどおどと、機会があれば、とうなづいた。
布団の下から隠してある煙草を取り出す
本当は御舟さんに叱られるから煙草を蒲団の上で吸わないのだが、特別だ
火の付いていない煙草を一本口にくわえると、右手の人差し指を煙草の先に置き、人差し指を回す
「姿火顕現」
口にくわえた煙草を落とさないように呟くと、人差し指の先に火が灯り、煙草に火をつける
軽く手を振り、火を消す。久々の煙草はうまかった
お嬢さんは眼を丸くして、神通力、と呟いた。
「違いますよ、これは神通力じゃないです。正式な名称はまだないんですが、西洋と我が国の呪術を持ち合わせたものなんですけどね」
少しだけ、ほんの少しだけ笑う、これは自慢の笑みじゃない、自虐の笑みを浮かべる。
「…昔、といっても10年ほど前ですが、帝都でこの術を学んでたんですよ。まぁ当時はなんでもかんでも西洋学問が優れてる、というのが一般常識でしたから、西洋の呪術でしたけどね」
積み重なった本の一冊を手にとって渡す。呪術の指南書で、先生から頂いた一冊
というか、ここの部屋を埋め尽くす本は全て、帝都からこの地に戻る際、先生から頂いたものだが
「こんな怪しげなものでも、一応根本にあるものは神通力らしいです。ですが、かなり怪しいですね。こんなものしか教えられませんが、それでもいいですか?」
お嬢さんは一切の迷いもなく、力強く頷く。眼が輝いていた。
11/10/29 12:22更新 / ソバ
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