読切小説
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ある生物学者の日誌

 スターリー・モーガンは一風変わった生物学者だ。普段は街の教師として生計を立てる傍らで、休日には近隣の森に入り浸り、そこに生息する野生動物を観察したり、猟師の一団に随行して動植物の知識を学んでいる。
 彼が変わり者だと言われる主な原因は、学者としては異様なまでの人当たりの良さであり、どんなに気難しい人間とも友好的な関係を築いてしまう事だ。おかげで偏屈な猟師たちとも良好な付き合いを保っており、彼らも何かと顔の広いモーガンを自分たちの橋渡し役として頼っている。

 そんな彼の今回の目的は、このところ急激な生息数の増加が報告されているシカの生態調査だった。シカは人間や他の肉食動物にとっては恰好の食料ではあるものの、数が多くなり過ぎれば、森の生態系に悪影響を与えてしまう。
 そう考えた彼は、彼らの生息地を突き止めようと調査に乗り出したという訳だ。

「参ったな……今日ばかりは一人で来るんじゃなかった……」

 小さくひとりごちながら、モーガンは近くにあった倒木に腰を下ろした。既に周囲には夕闇が漂い始め、あったはずの帰り道はとうに失われていた。
 日が当たっている間は平和的な姿を見せる森林だが、一度夜を迎えればその面影は悉く失われる。眠りについた昼の動物に代わって様々な夜行生物が闊歩し始め、他の生物を食らうために動き出すのは周知の事実だった。

 モーガンは不安な顔つきで懐を探った。そこには護身用に持ってきた短剣が納められていたが、獰猛な肉食動物を相手にする可能性を考えれば、こんなものは玩具同然だ。

 絶望に覆われそうになる心を必死に鼓舞しながら、彼は立ち上がった。夜を明かすための寝床を探さなければならない。
 薪に使えそうな枯れ枝を拾い集めながら森の中を歩いていく。知っている道に出てくれと願いながら歩を進めていたが、残念ながらその願いは叶えられなかった。

 そうして歩いている間にも、森の至る所から不気味な気配や鳴き声が聞こえてくる。明るい時間なら可愛いものだと笑い飛ばす事もできたが、夜の森はそうしたものたちが容赦なく命を奪いに来るのだ。

 幾ばくかの時間が過ぎ、どうにか森の中でも比較的開けた場所に出る事ができた。身を隠す場所がなければ、何かに襲われたとしても対処する時間がある。
 モーガンはさっそく両手に抱えていた枯れ枝を地面に置くと、バックパックの中から着火剤と火打石を取り出して火をつけた。
 石から生み出された種火はあっという間に燃料を舐め取り、大きな炎へと成長していく。

 焚き火さえあれば大抵の生物は寄ってこない――これでひとまずは安心だ。

「ふう……」

 ようやく人心地ついた彼は再びバックパックを探ると、今度は中に忍ばせておいた非常食の包みを取り出した。中身は堅く焼いた黒パンと干し肉が数枚。何とも侘びしい夕食だが、今は贅沢は言っていられない。
 早速それを味わおうと包みの紐に指をかけた瞬間、一番近くの茂みから大きな物音が鳴った。

「!!」

 懐から素早く短剣を取り出し、松明代わりの枯れ枝と一緒に切っ先を音の発生元へと突き付ける。

 何かが木々の間を通り抜けるような音だった。規模からして人間と同じくらいの大きさだ。小型の熊か、あるいはそれに近い別の生き物かもしれない。
 緊張と恐怖で喉がひりつく。もし相手が狂暴な肉食獣だったらと思うと、今にも背筋が凍りそうになる。

 永遠に思えるような数秒が過ぎ去り、果たして茂みの中から音の主が完全に姿を現した。

「……女?」

 出てきたのは緑色の服のような物を身につけた、人型の生き物だった。彼が咄嗟に人間の女性と勘違いしたのは、豊かに実った胸の膨らみと、鋭いながらもどこか愛嬌のある顔立ちのせいだ。

 魔物――これがそうなのか。

 長らくこの森に通っていたモーガンだったが、本物の魔物を見るのはこれが初めてだった。いくら生物学者とは言え、命に関わるような危険に自分から飛び込んでいく趣味はない。

「――――」

 ふと魔物がモーガンの方へと少しずつ近づいてきた。ふらふらとした覚束ない足取り。襲い掛かる前の動作にしては、何か様子がおかしい。
 よくよく見てみれば、身体のあちこちからは痛々しい鮮血の筋がいくつも流れており、おまけに右手から生えている鎌のような部位が、左手には存在していない。

「怪我……しているのか」

 生物学者でなくとも一目見れば分かることだった。恐らく彼女はここに来る前に何かと戦い、この重傷を負ったのだ。
 魔物は苦しげな表情を浮かべると、その場に倒れ込んだ。意識を失ったようで、ぴくりとも動かない。

 モーガンは緩いため息と共に短剣を懐に戻した。目の前の魔物は既に脅威ではなくなっていた。
 いきなり倒れ込んだそれを一体どうするべきかとしばらく考えた彼だったが、やがて一つの答えを導き出すと、魔物の身体を焚火の傍まで運び始めた。

 ◇

 木々の間から差し込む日光でモーガンは意識を取り戻した。
 肌寒さで強ばった身体を起こすと、あちこちの節が鈍く痛む。いつの間にか眠ってしまったらしい。
 小さな煙を吐き出すだけとなった焚火の方を見やると、あの魔物はまだそこに居た。しっかりと開いた瞳からして、もう意識を取り戻したようだ。

「――――」

 横たわった金の虹彩が警戒するような視線でモーガンを見上げる。自分が置かれた状況をまだよく理解していないようで、その表情は混乱していた。

「おはよう。具合はどうだ? 応急処置は一応したが、まだ動かない方がいい。塞いだ傷口が開いてしまうからな」

 ゆっくり言い聞かせるように彼は言った。相手が人間の言葉を理解できるのかは疑問だったが、他に意思を伝える方法を持ち合わせてはいなかった。

「………?」

 魔物は不思議そうに首を傾げた。やはり言葉は通じていないらしい。

「……やっぱり魔物の言葉みたいなものじゃないとダメなのか」

 少々落胆したが、考えてみれば当然だ。人間と魔物のコミニュケーション方法が全く同じな訳がない。
 だが少なくとも状況を知りたがったり、すぐに襲いかかったりしない辺り、人間に近い知性は持っているようだ。
 モーガンが立ち上がると、魔物は警戒するように上半身を起き上がらせた。しかし傷の痛みには勝てず、再び草むらの上に横たわってしまう。

「大丈夫だ。俺はお前の敵じゃない。今はそれだけ理解してくれればいい」

 魔物の傍らにしゃがむと、彼はポケットから治療に使った傷薬の残りを取り出した。
 巻かれた包帯をいったん解いて独特の匂いがするそれを傷に塗り込む。あまりに強い薬草の臭気に、魔物は僅かに顔をしかめた。

「臭いよな。よくわかるよ。だがその分、効果は折り紙付きだ」

 人間相手にするような冗談を飛ばし、モーガンは魔物の傷にそれらを丁寧に塗り込んでいく。
 やがて薬を全て使いきると、再び包帯を巻いて彼は言った。

「あと二、三日も休めば、身体の傷はすぐに良くなるだろう。……腕以外は、だが」

 ただの裂傷ならばともかく、左腕の鎌は根本からすっかり失われている。大事な器官だとしたら、気の毒なことだ。
 だが命と引き替えになったのならば、安いものかもしれない。

「俺はこれから森を抜けて街に戻るが……お前はどうする?」

 意味が通じていないと知りつつも、尋ねずにはいられなかった。魔物とは言え、怪我人を放置していくのは気が進まない。
 だが人間である自分の家は街にあり、向こうは森の住人だ。互いに相容れない存在なのは十分理解している。

 彼女もそう思っていたのだろう。痛みに堪えてどうにか立ち上がると、よろよろと森の奥を目指して歩いていく。

 あまりにも危なっかしい足取りに、大丈夫かと思わず声をかけそうになったが、どうにか踏みとどまった。ここで声をかけてしまえば、何もかもが無駄になる。

 何ともやりきれない思いを背負ったモーガンが帰り支度を始めようとしたその時、どさりと音がした。魔物が草むらに倒れ込む音だった。

「お、おい!? 大丈夫か!?」

 急いで駆け寄ると、再び魔物は立ち上がった。満足に歩けない身体を引きずるが、やはり数歩と進めず、その場に倒れ込む。

 やはりこのまま放ってはおけない。だがどうすればいい?

 連れて帰れば何かと問題になるかもしれない。相手は魔物だ。歓迎される可能性は決して高くない。
 だがこのままでは彼女の命はないだろう。
 連れて帰るか、見捨てるか――二つに一つだ。

「まったく……どこまでもお人好しな奴だな。俺は」

 大きなため息を一つ付いた後、モーガンが呆れたように自分の頭をかいた。一度手を出してしまった以上、責任は最後まで取らないといけない。
 心は既に決まっていた。

 ◇

 幸いな事に街にはすぐ帰る事ができた。日が出たことで視界が開け、知っている道まで速やかにたどり着く事ができたからだ。

 道中で出会った人々は彼が背負っていたそれに驚きと困惑の視線を向けていたが、治療と研究の為に連れ帰ってきた旨を告げると、みな納得したという顔をした。生物学者という彼の立場が、思わぬ助けとなっていた。

 調べたところ、どうやら彼女はマンティスという種族の魔物らしく、人間に危害を加える種族ではなかった。近隣や自分への危険は少なそうで、とりあえずは安心だ。
 ひとまずモーガンは自宅のベッドに彼女を寝かせると、書斎の机に一冊のノートを取り出し、表紙に“マンティスについての生態日誌”と書き記した。

 彼女を助けたのは偶然の出来事だが、同時に絶好の機会だった。生きた魔物を間近で観察できる機会など、おそらく一生に一度あるかないかだ。後学のために、どんな些細な事でも余す所なく記録しておきたい。

 モーガンは早速とばかりにノートの最初のページを開くと、今までの経緯を書き記し始めた。

 ◇

 獅子の月 二十一日 観察開始から1日目

 昨夜、ベンヴェンルドの森で一体のマンティスと出会った。何かと争った後のようで、全身に傷を負い、左手にあった鎌のような部位は失われていた。おそらく戦いに敗れて逃がれて来たのだろう。
 かなりの重傷ではあったものの、幸い治療薬には持ち合わせがあった。私は彼女にそれを施した後、研究のために街まで連れ帰って保護することにした。街の住人に被害が及ばないよう、細心の注意を払わなければならないが、この貴重な機会を逃す手はない。
 保護した個体をマンティス――と、ただ種族名で呼ぶのも味気ないので、以後、彼女のことは“ステラ”と呼称することにする。
 今後の生活が楽しみだ。

 ◇

 ステラとの共同生活が始まってから一週間が過ぎ、観察は順調に進んでいた。

 マンティスが人間に対して無関心だという前情報は正しく、彼女はモーガンに殆ど興味を示さなかった。治療や食事の指示には大人しく従うものの、それ以外のやりとりに関してはまったく素知らぬ顔だ。

 しかし環境に適応しようという意志はあるらしく、言葉や文字をはじめとした人間の知識について積極的に得ようと試みている。
 試しに幼児向けの教材を使って言葉を教えてみると、驚くほどの熱心さでその知識を吸収していった。このまま行けば、いずれ会話を始める日も近いかもしれない。

「ただいま」

 夕方、教師としての仕事を終えたモーガンが、今日も自宅にたどり付く。帰りを告げた所で返事が無いのは分かっていたが、変に驚かれて警戒されるよりはましだ。
 荷物を降ろして居間に入ると、ステラは部屋のソファに座って教材の本を読んでいた。毎日欠かさず読みふけっているせいで、既にページのあちこちが破れたり、折れ曲がったりしている。
 近いうちに新しいものを与えた方がいいだろうかと考え始めていると、不意に鈴の鳴るような声が聞こえた。

「お、か……り」

 たどたどしい声。まるで言葉を覚え始めたばかりの子供のしゃべり方だ。
 驚きのあまりにモーガンは眼を剥いた。

「……ステラ、今のはお前がしゃべったのか?」

 思わず尋ね返すと、金色の双眸がじっと彼を見つめ、やがてこくりと頷いた。
 彼女が初めて言葉を話した瞬間だった。

「これ、あって、る……?」

 一つ一つの単語を区切っているが、言葉としての意味は確かに通じる。驚くべき速さで彼女は人間の言葉を学習している!

「ああ……。ああ! 今ので合ってるよ! すごいなステラは!」

 モーガンは喜びのあまり飛び跳ねそうになった。これほどの驚きを味わったのは生まれて初めての事だった。

 思わず彼は小さな子供にするようにステラの頭を撫でた。艶のある茶色の髪が、さらさらと指の間を通り抜ける。
 自分の髪がもみくちゃにされても、彼女の表情は動かなかった。嫌がっている風でもなければ、嬉しそうな素振りも見せない。静かに彼が頭を撫でるのを受け入れているだけだ。
 だがそれでも、モーガンには彼女が少しだけ喜んでいるように見えた。

 ◇

 獅子の月 二十八日 観察開始から8日目

 まことに驚くべき事が起こった。わずか一週間という非常に短い期間で、ステラは人間の言葉を正しく学習し始めている。
 魔物の知能がどの程度のものなのか、一般的な情報だけでは殆ど掴む事はできなかったので、これは大いなる発見だ。今後、ステラのように敵対的ではない魔物を見つける事が出来れば、もっと多くの観察結果を得られるかもしれない。
 あるいはステラ自身にそういった種族を紹介してもらえると手間が省けて嬉しいのだが、相変わらず彼女はこちらに殆ど興味を示さない。関心を示すのは主に食事や治療、それに学習についてばかりだ。
 何も自分を好いて欲しいという訳ではないが、もう少しこちらに心を配ってもらえないだろうか。
 ともあれ、魔物についての研究は大いに前進した。今後は彼女とのコミュニケーション方法を模索していく事が主な課題になっていくだろう。

 ◇

 ステラが言葉を発してから更に二週間が経過した。
 傷の癒えた彼女はますます人間の言葉を学習していき、既に日常的な会話には殆ど困らなくなっていた。今では簡単な読み書きも会得し始めている。
 加えてコミュニケーション方法を模索してきた成果か、少しずつだがこちらと交流を持つことが増えてきた。

 どうやら彼女は無感情と言われるマンティスの中では好奇心がある方らしい。新たな試みとして人間の服を着せて街に連れ出してみたら、あちこちに関心を示した。
 と言っても、彼女が興味を持ったのは他の人間についてではなく、建物をはじめとした構造物や、街中で売られている食べ物についてだ。

 露店で売られている果物に目を向けたと思えば、教会や学校と言った外観の整った建造物を興味深そうにじっと眺めている。その姿はまるでおのぼりの子供のようだ。

 こんな顔もするのか――不意にそんな感想が浮かべていると、ステラの視線が露天市の一角で止まった。
 視線を追いかけると、そこには指輪やイヤリングをはじめとした女性向けの装飾品が並べられている。どうやらその中に気になるものがあるらしい。

「それが欲しいのかい?」

 モーガンは彼女が見つめていた一点を指した。それは琥珀をあしらったペンダントで、蜂蜜を溶かしたような大きな粒は彼女の瞳によく似ている。身につければ様になるだろう。
 だが彼女は首を振った。

「……わからない。でも、とても、きれい」

 欲しいでも要らないでもなく、分からない――何とも曖昧な答えだが、感情というものが希薄なマンティスらしい回答とも言える。

「ふむ」

 彼はペンダントにつけられた値札を一瞥すると、懐から財布を取り出して代金を店主に握らせた。

「ほら。つけてあげるから、こっちに来なさい」

 受け取ったペンダントをさっそくステラの首につけてやる。思った通り、胸元で光る蜂蜜色の輝きは、彼女によく似合っていた。

「……ありが、とう」

 しばらくペンダントを指でいじっていたステラだったが、それが自分の物になったのだと理解すると改めてそう言った。
 無意識の仕草かどうかは分からなかったが、彼女はこの時、小さ微笑んでいた。

 ◇

 乙女の月 十一日 観察開始から22日目
 
 今日は試験的にステラを街の中へと連れ出してみた。住民への対策として女性物の服を着せた所、怪しまれることはなく、一日中歩き回っていても咎められる事は全くなかった。これなら次に出歩いたとしても問題は起こらないだろう。
 街の中で彼女が興味を引いていた項目は、食べ物や建築物などが主であり、おそらく生きていく上で学習が必要な情報だと判断したからだと思われる。おおむね予想通りだ。
 だがその中で一つだけ面白い反応があった。彼女が装飾品に興味を示したのだ。
 以前の彼女ならば、そういった必要性の薄いものには関心すら示さなかったはずだ。『着飾る』という行為の必要性を、人間との生活の中で学習したのだろうか?
 今後の彼女の行動には要注目だ。

 ◇

「先生よ。あんたが魔物と暮らしてるって噂を聞いたんだが、ありゃ本当かい?」
 
 木漏れ日が差し込む森の中に野太い声が木霊した。
 持ち主は厳つい顔の中年男で、いかにもベテラン猟師といった風格を見せている。身につけた混合弓はくまなく手入れが施され、活躍の時を今か今かと待ちかまえている。

「ええまあ」隣で獲物となる動物の手がかりを探していたモーガンが言葉を返した。「怪我をした魔物を森で見つけて治療したんです。そのまま放っておくのも何なので、どうせなら今後の研究のためにと思って連れて帰りました」

 最近はステラの観察にばかり力を入れていたモーガンだったが、今回は久しぶりの息抜きも兼ねて、懇意にしていた猟師とのハンティングに出ていた。
 当のステラはと言えば、今ではすっかり家での過ごし方を学習し、最近は一人で料理までこなしている。住む場所や資金さえあれば、森に戻らずとも一人で暮らしていけるだろう。

「よく今まで無事だったな……その魔物、種族は何だい?」

「マンティスです。蟷螂のような見た目の魔物ですよ」

 それを聞いた猟師の顔がほっと緩む。どうやら彼にも心当たりがあるらしい。

「そいつなら安心だ。俺も若い頃に森で会った事があるが、奴らは繁殖期でもねえ限り人間には関わらねえ。餌さえやっとけば一緒にいても害もないだろう」

「そうですね。うちに居るのもそんな感じですよ」

 モーガンは自宅で待っているであろう魔物娘の姿を思い浮かべた。今の時間は昼。おそらく好物の野菜を使って昼食でも作っている頃だ。
 そんな中、不意に猟師が気になったという風に尋ねてきた。

「ところで、先生はいつまでそいつを飼うつもりなんだい?」

「特に期間を決めては居ませんが……何か問題でも?」

「もうすぐ奴らの繁殖期だ。そうなると奴らは本能的に人間を襲うようになる。油断してると、そのうち喰われちまうぞ」

「く、喰われる……?」

 まさか、とモーガンは眉をひそめた。こちらにほとんど興味を持たなかった彼女が、繁殖期に入っただけで人間を捕食するなど、まるで想像がつかない。
 だが相手は曲がりなりにも魔物だ。身体に染み着いた本能には勝てないのかもしれない。

「ま、せいぜい気をつけるこった」

 嫌な想像で背筋を震わせる彼を尻目に、猟師は近くの木の根本に目を凝らした。そこには真新しい動物の痕跡がありありと残されていた。

「……大鹿の足跡だ。しかもまだ新しい。ぼちぼち仕事を始めた方がいいみたいだな」

 猟師の真剣な言葉にモーガンは頷くと、頭に思い浮かべていた雑念を振り払い、獲物の追跡に専念する事にした。

 ◇

 数時間における追跡の末、二人は見事な大鹿を仕留める事に成功したが、それはモーガンの悩みを晴らすには至らなかった。

 大抵の動物には繁殖期というものがある。同じ生物である以上、魔物にもあるのだろう。だがそれがステラにも当て嵌まるとは、どうしても思えなかった。
 あれほど感情の希薄な娘が、ただ時期が訪れたからという理由で人を喰らうほど凶暴になるだろうか? 逆にあれほどまで感情が希薄な種族だからこそ、身体が発する衝動に流されやすいと言うことなのか?

 もしそうだとしたら非常に興味深い現象だ。しかしそれが原因で他人に被害が出るような事になるのなら……その時は、彼女を森に帰してやった方がいいのかもしれない。

「……ただいま」

 重苦しい気分の中、モーガンが玄関の扉を開けた。相変わらずの事だが、出迎えの言葉はない。
 玄関の脇に獲物と荷物を置いて居間へと向かう。夕日に染められた室内はどこか不気味でおどろおどろしい雰囲気を窺わせている。
 少しばかり心細い気持ちで居間に入ると、部屋の隅に居たステラが顔を上げた。

「…………」

 ゆらりと立ち上がった彼女がこちらへ近寄ってくる。無表情な顔はいつもと同じだが、金色の瞳が何故か据わっている。

「……ステラ?」

 嫌な予感が頭をよぎる。まさかという思いが胸を駆けめぐる。
 咄嗟に懐の短剣に手をかけようとしたが、それよりも早く彼女がモーガンの身体にのしかかってきた。魔物本来の力で上体を押さえつけられ、全く身動きが取れない。

「な、何を……」

 するんだと尋ねる前に、右手の鎌が思いきり振られた――鋭利な刃が自分の身体に向かって真っ直ぐ飛びかかってくる。
 
 ――殺される!

 咄嗟にモーガンは目を瞑って自分の死を覚悟したが、不思議な事に痛みはなかった。瞑っていた目を恐る恐る開けてみると、身体にも特に傷はなく、自分の服が真ん中から真っ二つにされているだけだった。

「……はぁ」

 思わず安堵の息が漏れる。まだ自分の命が繋がっていることに感謝の念すら芽生えてくる。
 しかしほっと胸をなで下ろしたのも束の間、今度は破れた下着の中にあった性器を握られた。

「お、おい!?」

 すべすべした女の手が事務的な動きでペニスを擦る。相変わらずの無表情を貫くステラだが、その息づかいはどこか荒い――まるで発情でもしているかのように。

 繁殖期――モーガンはその真の意味をようやく理解した。
 彼女たちが人間を襲うのは食べる為ではなく交わる為。すなわち生殖に利用するつもりなのだ。
 猟師はこの事を知っていたのだろうか? もし知っていて『喰われる』と称したのであれば、彼は相当に人が悪いことになる。

 モーガンが必死に思考を巡らせている間もステラは懸命に肉棒を擦っていたが、死の緊張と混乱ですっかり萎縮していたせいか、男根は刺激を受けてもなかなか大きくならない。

 どうしたものかと悩むような素振りを見せた彼女だったが、少ししてからモーガンに顔を近づけてきたかと思うと、何のためらいもなく彼の唇に自分のそれを重ねてきた。

「んっ……ちゅ、ちゅっ……」

 艶めかしい舌が口の中を無遠慮に舐る。発情した雌の甘い唾液が舌に乗せて運ばれてくる。
 モーガンは頭の中にあった漠然とした考えを打ち切った。今は目の前の女を味わうことだけに専念するべきだ。
 
 ようやく状況が飲み込めてきた彼の身体が、徐々に性交の準備に入っていく。気付けばさっきまで萎んでいた陰茎は、既にパンパンに張りつめていた。

「ちゅる、ちゅっちゅ……はむ、れるぅ……」
 
 されてばかりではいられないと、彼女の口の中へ舌を伸ばす。舌や歯茎を舐めてやると、ステラは喜んでそれを受け入れ、自分の舌を絡ませたり、甘噛みしてくる。
 普段のそっけない反応からは考えつかないほど熱烈な歓迎に、モーガンは驚きと共に嬉しさを持った。この十分の一でも感情を示してくれたらどれだけいいことだろう。

 しばらく恋人のような口づけを楽しんでいた二人だったが、もう十分だという風にステラが重ねていた口を離した。そして身体を浮かせると、股布と下着をずらして自らの雌穴へと竿の先端を押しつける。まだ何もしていないにも関わらず、彼女の秘部はすでに十分過ぎるほど潤っていた。

「ん………」

 亀頭の先端が陰唇に触れる。互いの粘膜が接触し合い、くちゅりと粘ついた水音を奏でる。
 今更焦らすつもりはないのか、彼女はそのまま一気に腰を落とした。

「……っ、あああっ………!!」

 うねる肉襞をかき分けながら陰茎が女の身体に侵入していく。膣内は狭く、よく熟していて熱い。気を抜いてしまえば、すぐにでも絶頂しそうな心地良さだ。
 腰と腰とがゆっくりとぶつかり、肉竿が穴の最奥まで到達する。亀頭の先端に感じる柔らかい子宮口の感触は、自分が彼女を犯したのだという実感をモーガンに与えた。

「あっ……んんっ、はぅ……」

 ステラの口から甘い嬌声が漏れる。その顔は今までの無表情が嘘のようにうっとりとした表情に変化している。

「もーがん……すき」

 甘えるような撫で声。今になって初めて自分の名を呼ばれた事に気が付いた。

「どうして……急に名前なんか……」

 今まで呼ばれた事すらなかったのに、性交を始めた途端、まるで恋人のように甘く愛情をねだってくる。これが魔物娘の繁殖期なのだろうか?
 必死に考えようとしたが、情欲に浮かれた頭では何も分からなかった。
 
「あぅ、んっ……」

 再びステラが腰を動かした。身体を前後に揺らすたびに膣全体が蠕動し、陰茎を優しく締め上げる。波立つような快感が、男根を伝って脳へと響いていく。

「ふぁぁ…、あぅ……」

 最初は前後に揺れていただけの腰の動きが、回数をこなしていくに連れて段々激しくなっていく。いつの間にか密着していた尻は浮き、上から叩きつけるような動きへと変わっていく。

「ん……んんッ……!」

 恍惚とした表情で自らの腰を打ち付けるステラ。快楽に夢中と言った感じだが、その動きはやはりどこかぎこちない。相変わらずの心地よさはあるが、刺激に慣れてくるとやはり物足りなさを感じてくる。

 彼女の腰が浮いたタイミングでモーガンは上体を起こすと、のしかかっていた彼女の身体を逆に押し倒した。

 二人の体勢が騎乗位から正常位へと変わる――攻めの主導権が交代される。
 情欲に潤んだ金色の瞳が静かに自分を見上げている。もっと激しい快楽をくれとせがんでいる。
 雌が放つ無言の要求に応えるべく、モーガンは自分の腰を思い切り前へと突き出した。

「あっ、ん……これ、いい……」
 
 僅かにかすれた声でステラが啼く。自らを征服される被虐的な快楽に夢中のようで、緩みきった口からは熱い吐息が漏れている。
 もっと啼かせてみたい――モーガンの心の中に卑猥な探求心が芽生えた。くびれた柔腰を両手でつかむと、乱暴に肉棒を打ち付ける。

「すご、いぃ……あっ、んぅ……」

 パンパンと肉体の弾ける音と共に甘い嬌声が聞こえる。普段とは違う反応に征服欲がかき立てられる。
 叩きつけるだけでなく、変化を付けて膣壁に肉竿を擦り付けるように送注する。性質の違う二つの快楽に、彼女の身体は喜ぶように震えた。

「もーがん……きもち、いい……?」

 切なげな吐息と共にステラが尋ねてきた。熱に浮かれた赤ら顔は今までの無機質な面影など微塵もない。あるのは愛嬌のある淫らさだけだ。

「ああ……。こっちも、もう出そうだ……」

 ぐりぐりと腰を突き動かしながら答える。すぐに出さないようになんとか我慢していたが、それももう限界に近づいていた。

「出す時は抜くからな」

 求められたとはいえ、無闇に子を成すのは本意ではない。研究者としては興味深いが、人としての一線はわきまえているつもりだ。

「それは、だめ……」

 彼女は首を振ると、広げていた両足を輪にしてモーガンの身体に絡めた。腕の時と同じくがっちりとした力は、剥がそうとしてもびくともしない。

「お、おい……?」

 モーガンの顔に困惑の表情が蘇る。逃げようのない状況と妊娠という可能性を前に、どうしていいか分からなくなる。

「モーガン、わたしと赤ちゃん作る。だから、抜いちゃ、だめ」

「……本気なのか?」

 目の前の顔がこくりと頷く。真剣な表情からして冗談ではないらしい。
 それを証明するかのように、彼を包み込んでいた襞が激しく蠢いた。熱くぬめった肉の一つ一つがまるで指のように肉棒を掴み、精液を絞ろうと握り込む。
 今までにない強すぎる刺激に、冷めかけていた絶頂の並が一気に高ぶる。もう限界などとっくに越していた。

「で、出る……!」

 もうどうにでもなれという思いで、モーガンは密着した腰を揺らした。こうなったら腹をくくるしかない。

「やぁぁ、んっ……! すご、いいいっ! これぇ、いいっ……!」」

 全てを受け入れた事で気を許したのか、再びステラの顔が淫靡な表情へと戻る。
 不意に体を起こした彼女が両手を伸ばして抱きしめた。熱く火照った身体を通して情愛を示す。
 その愛おしさが最後の引き金となった。

「う、あぁ…………」

 モーガンの身体がわずかに震え、陰茎がどくどくと脈動する。そのポンプのような動きに合わせて、ステラの子宮へと熱い精液が放たれた。
 十秒ほど続いた射精の後、ようやくステラは絡めていた両脚を解いた。汗ばんだ太股が床に落ち、ペニスの抜けた秘裂から精液がだらりと一筋漏れる。

「あかちゃん……これで、できたかな……」

 脱力して床に身を預けたステラが満足げにぽつりとつぶやく。
 逆にやってしまったとモーガンは後悔の念を胸中にはびこらせていたが、やがて襲ってきた疲労感に目を瞑ると、意識を眠りの中に落としていった。

 ◇

 どうやらマンティスという種族は性交をきっかけに豹変するらしい。
 あの一件を境にステラの態度は一変し、今では四六時中べったりとモーガンに甘えるようになっていた。

「――モーガン、おきて」

 優しい言葉と共に身体を揺られ、モーガンは浅い眠りから目を覚ます。瞼を開けるとベッドの脇にエプロン姿のステラが佇んでいる。キッチンからいい匂いが漂っている事から、食事が出来たのだと分かった。

「あさごはん、できた。だから、おきて」

 彼女の言葉に肯いて体を起こす。昨晩は情交が終わってすぐに眠りについてしまったため、今の彼は何も身につけていなかった。

「……えっち」

 ステラがからかうような口調で言った。このところの彼女はますます感情豊かになっている気がする。

「君のせいだろ」

 彼女は未だ繁殖期は抜けきっていないようで、毎晩のように身体を求めてくる。仕事との兼ね合いも考えると、中々に重労働だ。
 とはいえ、彼女の甘い身体を毎日のように味わえるのは役得とも言える。
 新しい服を身につけたモーガンがクローゼットを閉じて振り返ると、出し抜けにステラが唇を重ねてきた。

「……ん」

 性交の時にするような情熱的なものではなく、親愛の籠もった接吻だった。ちゅっちゅと啄むように互いの唇を押しつけあう。

「かえってきたら、今日も、していい?」

 上目遣いと甘えるような声。まるで快楽へと誘う小悪魔の仕草だ。
 感情の薄かった彼女だが、一体どこでこんな事を覚えてきたのだろう。

「まったく……君には敵わないな」

 モーガンは再び呆れたように肩をすくめると、朝食を取るためにキッチンへと歩き始めた。
 今夜も訪れるであろう男女の営みに備えるために。

 ◇

 天秤の月 三日 観察開始から44日目

 ステラとの性交渉は日を追うごとに激しさを増している。最近は性の技巧も着実に身に着けており、油断していると自分だけが一方的に絶頂させられることもしばしばだ。こちらも負けないよう、そういった技術を学んでいくべきだろう。
 彼女とは未だに子を成せていないが、このペースが続けば確実に孕むに違いない。生まれてくる子供が魔物かどうかはさておき、責任は取るつもりだ。
 しかし魔物の生態はまだまだ不明で、わからない事も多い。なぜ異種族である人間との性交で繁殖できるのか、魔物と人間にはどんな関係性があるのかは、未だ解明できていない。
 それらの謎を全て解き明かすべく、ステラとの共同生活はこれからも長く続いていく事になるだろうが、私にとっては苦ではない。
 彼女は貴重なサンプルであると同時に私の妻となったのだから。
19/11/25 00:49更新 / 引退小林

■作者メッセージ
初投稿なので、お手柔らかにお願いします。

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