第一章 強欲の勇者:前編
さあさ皆さんお立合い。今日の演目はいつもと同じ、この街で本当にあった男と女のお話だよ。
え? 毎度同じ話で聞き飽きたって? 分かる分かる、人と魔物娘の話なんていっつもお決まり、話す前から結末なんて分かり切ってるってもんだ。
だけどお客さん、今回はちょいと違う。これから語るお話に出てくる男と女、この二人が実に奇妙な関係でね。ああ、お代は聞いてからで結構!
さあさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! この街で本当にあった、謎に満ちた男社長と、異国から来た卑しい金貸し娘のお話だ!
男の正体が誰なのか、今から言ってしまうタイトルでバレバレってのは言わない約束だよ!
それでは、『強欲の勇者 〜あるいは金貸し狸の話〜』、はじまりはじまり〜!!
人が生きるためには三つの要素が欠かせないという。
即ち、衣食住。着る物、食べる物、住む処、この三つが整っていれば人はどんな環境でも生きていける。極端に厳しい環境なら話は別だが、異国にある「住めば都」の諺が示すように、人間というのは環境に慣れる生き物だったりする。
だがこの三要素がそのまま通じたのは今は昔。時代が下り技術が発展するにつれて人々は、それらがあって当然のものとして享受するようになった。足りて礼節を知るという格言ももはや死語になりつつある。
そんな堕落した時代を生きるのに必要なモノとは一体何か?
服か?
食料か?
寝泊りする場所か?
否、どれも違う。
「金だ。世の全てはこれで回っている」
そう豪語する青年の手には布袋が一つ。豊満に膨れ上がったその中にはこの国で発行されている最高価値の貨幣、つまりは金貨が大量に入っており、それを机の上で一枚一枚手に取って枚数を確認する。
部屋にいるのは青年だけではない。彼より一回りは歳が上と思われる男性がソファの上で所在なさげに座っており、額にはてらてらと脂汗が滴っていた。
「アーサーさん、私はね……商人は信用の生き物だと常々聞かされてきました。ただ物を売り買いして金をやり取りするだけなら子供でも出来る。だが商人とは常に一手も二手も先を見て、十年後、二十年後の利益を生み出さなくてはいけない。だからこそ、取引相手と末永くやっていくために信用第一で行動し、決してそれを裏切ってはならない……違いますか?」
「いえっ、ええ、まったくその通りです……」
「でしょう。そして私とあなた、我が貿易会社とあなたの商社の間には確かに信用があった。私達が仕入れた品物をあなた方が売る、互いに損は無い話だった。違いますか?」
「え、ええ……!」
アーサーと呼ばれた壮年の男性は青年の言うことにただ頷きながら額の汗を拭く。
「あなたの会社がここ数年、赤字経営に苦しんでいるのは知っていました。あなただけじゃない。我が社と、我が社と契約を結んでいる他の会社や組合も同じように赤字が続いています。不景気ですからね、これはあなたの責任ではない」
「そ、そう言っていただけると……」
「ですが、あなたは遂に社員に支払う給料すら賄えなくなった。こうなってしまうと店を畳むしかないが、先代から受け継いだこの商売を自分の代で潰すのだけは避けたい……そう言って私に頭を下げたのが、いつの話でしたか?」
「に、五年前です」
「そう五年前。しかも、貸与してから初めの一年は返済を免除、お返しするのは一定の蓄えが出来てからで結構……私はそう申したはずですね? ところがあなたは私の軍資金で経営を立て直すどころか、借り受けた次の年から先の返済を利息分も満足に返せない有様だ。結果、最初にこちらが与えた軍資金を食い潰す勢いで借金は膨れ上がり……あなたはこうしてここにいる」
金貨を数え終えた青年はそれをまとめると、それを金庫に収めた。今の金貨こそアーサーが社の財政から搾り取ったなけなしの金だった。しかし、青年の言うように元金を減らすには到底足りないのも事実だった。
「いけませんね、このままだと冗談では済まされないですよ。アーサーさん、あなたには自社を守るという意識があるんですか?」
「も、もちろんだ! 身寄りも無かった私の才能を買ってくれた先代の為にも、何より妻子を持つ社員たちを路頭に迷わせたくはない!!」
「でしたら、やるべきことはお分かりのはず。以前より申していた私の提案、聞き入れてくれますよね?」
「っ……か、考えさせてほしい」
「あまりお時間はありませんよ。ああ、私はこれから会議ですので、お帰りの際はお気を付けて。おい、客人がお帰りになられるぞ」
「いや、結構。自分で……帰れます」
「そうですか。それでは、次にお会いする時には色よい返事を期待していますよ」
そう言い残しにこやかな笑みを浮かべて青年は応接室を後にした。部屋に一人残った男性は青年が出て行った扉を見つめながら静かに呟いた。
「悪魔め……」
青年の名は「トーマス」。ここ、アルカーヌム連合王国の王都で貿易を営む商人だ。よその国や地域から仕入れた商品を流通させて富を生み出し、ここ数年でメキメキと頭角を現してきたのだ。
会社を運営する財閥の御曹司であり、彼が事業を引き継いでから会社は急成長を遂げ、それまでの商売敵や仲間を次々と買収し傘下に加え、王都で知らぬ者はいない大企業へと発展させた功労者である。
どのくらいの成長を遂げたかと言うと、もしトーマスが朝に経営方針を変更すれば、その夜の王宮の食事が変更される……そんな噂が流布される程度には成長した。事実、トーマスは富豪とは言え市井の民、何の爵位も賜っていない身でありながら王宮へ顔パスで出入りできるほどの影響力を持ち合わせていた、
だが、力が集中する所には同時に黒い噂も付き纏う。
自由な商売が許されているアルカーヌムにおいて、突出した財を短期間で築き上げたトーマスの手腕を賞賛する者ばかりではなく、何か良からぬ手段を用いたのではと囁かれている。無論のこと証拠など無かったが、証拠が出てない事とトーマスが善良であることは決してイコールではなかった。
トーマスという男は確かに悪辣であった。事業拡大のために使った手練手管はそのどれもが法のグレーゾーンを地で行くものが大半で、詐欺まがいの手段で顧客や同業者を罠にはめて利益を貪り、そしてその全てで自身が糾弾される要素を徹底的に消していた。
例えば今さっきのアーサーにやった手口がそうだ。
確かにここ最近、商人や彼らが属するギルドはおおむね赤字が続いている。中にはアーサーのように経営が立ち行かなくなるレベルに追い込まれる者もおり、そうした者にトーマスは甘言ですり寄る。具体的には融資を申し出るのだ。そして決まって最初の半年や一年は返済を免除する。
これだけ聞けば相当なお人よしに聞こえるだろう。なにせ一時的とはいえ返済を待ってくれるのだから。だがそこにトーマスの仕掛けた落とし穴がある。
確かに返済は待つが、その間発生する利息はそのまま付いて回る。しかも発生した利息を込んだ分が元金と合わさり、そこから更に利息を取る複利だ。その結果、返済を始める頃には借金は劇的に膨れ上がり、借用書の数字を見て仰天するのだ。
当然、そんな暴利を貪る方法を呑むはずがないのだが、借用書にサインしてしまった以上、あとでどんなに不満を言ったところでトーマスが雇った弁護士に握り潰されるだけだった。
そして借金で経営が行き詰った同業者に、決まってトーマスはこう持ち掛ける。
「貴社の経営方針を私に一任してください。責任を以て必ず立て直してご覧に入れます」
事実上の買収、傘下に取り込んだ会社や組合の金の支出を極限まで抑え、売上を上納金の如く自らの利益に還元させるのだ。その店が持っていた商標や特許を次々にトーマスの社の部門に移し、それらの利権で得られるもの全てを横取りした。倒産もしないが黒字にもならない、永遠にトーマスの養分にされるのだ。
そして今日、このアーサーというしがない経営者もまた窮地に追い込まれていた。
「はぁ……」
アーサーは元孤児である。父を派兵で、母を流行病でそれぞれ亡くし、幼くして孤児院に引き取られた。大人になり奉公先に選んだのが今の会社。そこで彼は当時の社長に可愛がられ、いずれ社を運営する人材としての教育を受け、五年前の先代の逝去をきっかけに満場一致で長に就任した。
赤字経営もアーサーの手腕ばかりとは限らない。彼が社を受け継ぐ前から王国全体が慢性的な不況に陥り、どの商人も赤字を強いられていた。
そしてトーマスから融資の相談を受け、それにほいほいと乗せられた結果、多額の借金を背負わされ、そして頃合を見計らって経営方針を一任せよという事を言われた。無駄な出費を省き予算を浮かせ、生み出した利益を搾り取ろうというのだ。
さしあたって提案されたのは……。
「おや、アーサー。浮かない顔だねぇ。かみさんの結婚記念日をほったらかしにでもしたん?」
広場の噴水前でうなだれて座っていたアーサーに、気さくに話しかける影。ふと顔を上げると、それは見知った顔だった。
「ああ……なんだ、アヤさんか」
「なんだたぁ、随分ご挨拶だね。先代の大旦那の頃から贔屓にさせてもらっていたアタシの顔を忘れないでよ?」
アヤ、と呼ばれたのは一見するとアーサーの娘や孫と言われても通じそうな少女だった。だが頭に見える毛が生えた獣の耳と、臀部辺りからふりふりと気分を表すように見え隠れするのはもっさりと太い尻尾。
アヤは遠く異国の地よりやって来た商人、『形部狸』の魔物娘である。
「何かお困りなら相談に乗るし、金も貸すよ」
アヤは金貸しを営んでいる。金貸しは元を取れれば確実に儲かる仕事だが、それ故に同じ商人からも嫌われやすい職業だ。様々な商人が行き交うこの王都でもそれは変わらず、金貸し業が感謝されるのは貸した時だけで、最後には必ず恨まれるのが常だ。
ところがこのアヤが誰かに恨まれているというのはついぞ聞いたことがない。それもそのはず、彼女がそこいらの金貸しとは違うことをアーサーはよく知っている。
「また一儲けしようという魂胆ですか?」
「失敬な、商人が儲けて何が悪いってのさ。それにアーサーのとこだって私の儲け話に乗ったクチじゃないか」
「そうでしたね」
アヤはただ金を貸すだけではなく、自分の貸した金を軍資金に一山当てる話を必ず持ってくる。そしてそのビジネスで当てた金を山分けする。アヤは利息以上の利益を得、相手も借金を返せる上に新たな利権を手にできるのでお互いに損がない契約になる。
かく言うアーサーの店も先代から彼女の力を借りており、赤字経営でもなんとかやってこれたのはそのお陰だと認識できている。
「実は、厄介な同業者に目をつけられて……」
「それってトーマスとかいう新参の?」
「やはり、アヤさんのところにも?」
「うん、まあね。それで? 何があったのさ」
「はい。借金を盾にとってうちの経営方針に口出しするまでになったのですが……その、無駄な出費を削るよう言われておりまして」
「無駄な、ねぇ。あんたほどの商人が余計なことに金使ってるとは思えないけど」
「はい。その出費というのは恐らく、孤児院への寄付金のことだと思います」
アーサーは自分を育ててくれた孤児院への恩を返そうと、利益の幾らかを寄付という形で無償で融通していた。決して店を傾けるほどの額ではないが、各施設に寄付しているそれらを止めれば確かに社の懐はある程度もつだろう。
「院に寄付金を出してるのはあんただけじゃない。今は大人しく相手方の言う事を聞いておいたほうがいいんじゃない」
「アヤさんだってご存知でしょう、あの男の悪どさを。一度こちらが折れれば次は社員の給金を削り、次に社員を辞めさせ、最終的にうちの利権全てを食い尽くされます。今まであの男に何人の同業者が骨だけにされたか……」
「アタシも何度か似たようなことはやったけど……」
「アヤさんは悪徳業者を潰しただけでしょう。潰したついでにその人達の財産を根こそぎ奪ってちゃっかり懐に収めましたけど」
「懐かしいねぇ! まあアタシだって若気の至りってことでさ。そうかそうか、あのトーマスにタカられてると……」
しばらく考えるような所作をする。その間アヤの尾が振り子のように揺れ続け、彼女の思案する様子を如実に語っていた。
そして、両手でポンっと槌を打つとこう言った。
「よし、ちょいとそいつに会ってみようかね」
ここでトーマスという男の話をしておこう。彼が貿易商を営む一族の御曹司……というのは、実は真っ赤な嘘っぱちである。
そもそも、トーマスはこの国の人間ではない。生まれも育ちも、「あの」レスカティエ教国にその出自を見出せる。
ではその国で商売を? いいや、彼はそもそも商人どころか親兄弟すら知りえぬ天涯孤独の身。ある日、気が付いた時には貧民街で犬の肉を食べていた、そんな男である。
なら何故そんな男が反魔物国から親魔物国で商人をやっているのか?
「誰も気付くまいよ。この俺が教国より遣わされた『勇者』だとはな」
勇者……それは魔物を征伐する為、神の選定により選ばれる魔物殺しに特化した人間。遥か昔より主神の代行者として魔物及び魔王の征伐の任を受けた人間、それがトーマスの正体だった。
「今日の報告はこんなものか」
小さく折り畳んだ紙片を鳩の足に括りつけ、それを窓から放った。一日一度、自分の行動を記したものを報告書として教会に送っていることからも、彼が教国と繋がっていることは明白だ。
では二つ目の疑問。何故教国から派遣された勇者が魔界ではなく、隣国のアルカーヌム連合王国で商人に扮しているのか?
理由は簡潔、それが教国の命令だからだ。
そもそも彼と、彼を派遣した教国の標的は魔物ではなく、その忌むべき魔物と仲良くしている王国なのだ。本来人を喰らい、男を誑かすし、神の威光を貶める絶対悪である魔物を討伐するのが教国の大義名分だが、ここ最近では魔物と手を取る人間も征伐対象に含まれるようになっていた。淫蕩な魔物と手を組み、信仰を忘れて堕落した人間に神罰を、である。
それを踏まえた上で、彼に与えられた任務はたった一つ……。
「『経済面からアルカーヌムを切り崩せ』、か。上の連中も好き勝手言ってくれる」
もはやそれは、勇者とは名ばかりの他国への潜入工作員にほかならなかった。かつて大志を抱き魔界へと旅立った誇りある者らが聞けば何と言うか、その理念すら今の教国は無くしてしまったのか。
だが……。
「関係ねぇな。もう既にこの国は俺の餌場、せいぜい今の内に稼がせてもらうだけさ」
トーマスは確かに言われた通りの成果を出した。今彼が座す社長の椅子は事前に教国が用意していた仮初のものだったが、彼は用意された役を完全にこなし、僅か数年で王都の経済を完全に掌握してみせた。財務大臣とも通じている今、経済の流れを大半牛耳った彼はいつでもこの国を未開の最貧国にまで落とすことも可能になっていた。
しかし、彼の欲は際限なく膨れ上がる。
「まだだ、まだ足りない」
実際、トーマスにとって勇者がどうとか、魔物がどうだとか、既にそんなことに興味はなかった。いや、勇者の洗礼を受ける前から彼は今の人格そのままだった。彼が欲するのは勇者という肩書きに付随する名誉とか形の無いものではなく、こうして今自分が得られる実利のみを求めていた。
金、金銭、積み上げられる巨万の富こそがトーマスにとっての正義。人がそのシステムを作り出したその瞬間から、衣も、食も、雨風凌ぐ家屋でさえ、全てが金という共通価値の下位に置かれることになった。
地位や名誉、権力も何もかも全て後からついてくる。全てはそう、金さえ手に入れれば思いのままだ。善悪の判別も、人の心も、白を黒と言い張るのでさえ金があれば容易くまかり通る。
やがてその欲望の牙は教国の命令さえ無視し始める。アルカーヌムから絞り上げた金の一部を「上納金」として教国に提出することが命じられていたが、大人しく納めていたのは初めの二年程度、後は全てこの国と、適当な財産に替えて教国ですら知りえない場所に隠している。
「俺はもっともっと上へ行く。そのためには何よりもまず、金だ」
貨幣の数を数えている時だけがトーマスが心身共に充足を覚える瞬間だ。休みの時間はこうして金貨を数えながら過ごし、自分の今までの稼ぎを確認する。
「失礼します、社長。お客様がお見えになっています」
「チッ! 今は忙しい、後にしろ」
面会の予定は聞いていない。直接社長に会おうとはいい度胸だが、信用第一で行動する商人は決して見ず知らずの相手にいきなり会ったりしない。そこは悪徳商人のトーマスでも心得ていることだった。
だが今日の相手は一味違っていた。
「失礼しますよっと!」
メイドの背後からその客人が姿を見せる。大理石の床をカラコロと鳴らす耳障りな音は、その者が履く特殊な履物──『下駄』──が発生源で、背中に背負った商売道具もまたガチャガチャと騒音を出していた。
人間ではない。話には聞いていたがトーマスも実際目にしたのは初めてだった。
「『ギョーブダヌキ』か」
「おや、アタシの種族を一発で当てるたぁ、あんたなかなかやるね。大抵はワーウルフの親戚だろって言われるんだけど……」
「生憎俺は金に困っちゃいない。金貸しならよそを当たれ」
「おやおやぁ、それがせっかく儲け話を持ってきたモンに対する言い草かい?」
「ほざけ、異国の詐欺師が。貴様相手にどれだけ同業が煮え湯を飲まされたか」
「そりゃお互い様ってもんじゃないの。こっちも聞いてるよ、アーサーの坊やが随分と世話になってるじゃないか」
トーマスの金貨を数える指が止まった。そしてその目が刑部狸の妖しく光る目を見据える。
「アーサーの坊やは孤児の頃から面倒を見ていてね。何を隠そう、あいつが今の会社に入ったのもアタシの口利きってわけだ」
「それで何だ? あのうだつの上がらない二流経営者の仇討ちでもするか」
「うんにゃ、そんなのに興味はないよ。言ったろう、アタシは儲け話を持ってきたんよ」
「ほう、聞こうか」
アポなしの面会はしない主義だが、刑部狸の商売上手は知っている。話だけでも聞く価値はあると判断したトーマスはメイドを下がらせ、二人だけの密談を始めた。
「まずは互いに自己紹介からや。アタシはアヤ、見てのとおりの刑部狸や」
「トーマス。知っての通り、お前の知り合いに金を貸した男だ。それで? 儲け話というのは何だ」
「そう焦らんと。まずは、お近づきの印にこれどうぞ」
そう言ってアヤは懐から小さな壺を取り出してテーブルに置いた。蓋を取り中身を確認すると……。
「禁制の品か」
「ご明察。これをちょいと舌先に乗せるか、火で炙った煙を吸えば誰でもあっちゅう間に天国を味わえるって代物。王都を離れて南東に行った場所が原産の植物、そいつから搾り取った液を乾燥させたのがコイツさ」
「だが王都では製造も流通も禁じられている」
「王都では、ね。このアルカーヌムは連合王国、小国同士がくっ付いて出来た国だから、地方によっちゃ法整備もまちまち。然るべき所でなら薬の売買を認めている所もあるし、それにトーマスさん……王都で禁じられているのは『製造』と『流通』だけで、『所持』と『譲渡』まで禁じているわけじゃないよ」
「法の抜け穴か。いや、王都もそれを見越してわざと穴を開けているのか」
依存性に付け入った薬物は売れれば確実に利益を出すが、その分、法に目を付けられれば厄介な事になる。もちろん、手練手管に長けたトーマスがその辺りのさじ加減を間違えることは無いが……。
「貴様、何を隠している」
「べぇつにぃ。こないな女子を相手に疑ってかかるなんて、社長さんも人が悪いなぁ」
「茶化すな。商売は信用が第一だが、最初は必ず疑って掛かるのが基本だ。俺の勘が告げている、貴様は何かを隠しているとな」
東方のキツネとタヌキの魔物娘が人を騙すことに長けている種族というのは、トーマスが勇者でなくても知っている常識だ。それをほいほいと信じるのは馬鹿正直ではなく、単なる馬鹿だ。
「そない疑うんでしたら、現地に行ってみましょか? アタシの言ったことが嘘じゃない何よりの証明になるはずです」
「…………」
トーマスが馬車の用意をさせたのは十分後のことである。
「トーマスさんは、何で商人になりはったん?」
馬車の中でアヤがそう尋ねる。
「俺の父親も、そのまた父親も、その更に爺さんも商人だった。跡目を次ぐことがそんな不思議か」
もちろん、嘘だ。偽装工作の場である今の会社を用意したのはレスカティエ正教会で、自分はその事業を「ほんの少し」拡大したに過ぎない。
「いえいえ、他意はあらんのです。ただ、ここまで大きな店やのにお父様や親戚方の話はちぃとも聞きませんなぁ、と」
「元々本店はこことは別の場所にある。俺が跡目を継いでから父親は故郷で隠居暮らしだよ」
股を開くしか能の無かった女と、そんな女を買い叩いた男の顔など知るはずもない。
そんな他愛もない話をしているうちに二人を乗せた馬車は王都の南東、乾燥した岩肌が目立つ平原へと辿り着く。馬車を降りて道なき道を歩くと、そこには……。
「これは立派なものだ」
少し窪んだ場所に密生する大量の魔花。先端の膨らんだ果実が特徴的な、今かもう少しすれば「収穫」の時期に相応しい出来栄えだと判断できた。
これぞ魔界の果樹とは違う、人界に咲き誇る魔性の花、「ケシ」である。
「畑か。よくもまあここまで……。薬の取り締まりに厳しい王都が見逃しているのか」
「ここは然る方の土地だから、王都のお巡りさんも手出しできないのさ。それよりもまずは、ご確認を」
言われるまでも無く苗の一本を手に取る。つぼみに爪で僅かな傷を作り、そこから香る妖香はまさしく……ケシの花。貧民街で暮らしていた時、蔓延したこれを中毒者ごと焼き払う為に教国の兵士が派遣されたことがある。あの頃はスラム中にこの臭いが充満していた。
一度この香りに身を浸せば、その快楽から自力で抜け出すことは不可能だ。魔界産の果実はもちろんだが、なかなかどうしてこの魔花も馬鹿に出来ない。
「収穫にはどれだけかかる」
「作物としてならすぐにでも。『商品』として精製するなら、この量やで一ヶ月はかかるんちゃうかな」
「……この量だと幾らだ」
「ざっと、こんなもん」
そう言ってそろばんの数字を見せる。トーマスの財布では充分に買える値段だが……。
「利益は山分けと言ったな。なら貴様にはその提示額の三分の一で充分だろ、情報提供料だ」
「そ、そんな殺生な! せ、せめて半分、ハーフで!」
「三分の二、これは譲らない。嫌なら他を当たれ。それと、何かあった時の為に証文を交わす。お前が俺をハメようとすれば、この証文から貴様もアシがつく」
「よ、用意のよろしいことで」
証文は二枚、既にトーマスの分はサインが済んでいる。あとはアヤの分の名前を記すだけだ。
「しゃあないなぁ……。ほれ、この通り」
「確かに受け取った」
それぞれの証文を懐に仕舞い込み、トーマスとアヤの契約は完了した。もちろん、トーマスも完全にアヤを信用した訳ではない。
帰りの馬車は何事もなく王都に戻り、後はそこからトーマスの社に帰るだけだったが、何を思ったかアヤがこう言う。
「社長さん、少し歩きません?」
普段なら即刻断るはずの申し出だが、もう少し彼女のことを知っておきたかったトーマスはそれを承諾し、先に馬車を帰して二人で往来を歩いた。
往来には市が開かれ店が立ち並び、そのずっと先にはこの国を治める王族が住まう宮殿が見える。この国に来てから毎日目にしてきた、何の変わり映えもない光景だ。
「社長さんは、アタシのことどう思てます?」
「何て答えれば満足だ」
「口説け言うんとちゃいます。アタシは所詮、金貸し。人の弱みにつけ込んで金をちらつかせ、クソ高い利子を取って生計立ててる業突く張りや。人はアタシのことを人でなし言うけど、実際アタシは人やのうて刑部狸やけど」
刑部狸は金勘定に優れた才能を発揮する種族と聞く。だがただでさえ金貸しは嫌われやすいのに、金利を得ることを悪と教えるレスカティエの教義から見ても、彼女らは許されざる存在だった。
本来ならトーマスは勇者として、魔物娘である彼女を糾弾する立場にあるのだろう。だが彼は決して教国に忠誠は誓っておらず、必然アヤを非難する謂れはない。いや、むしろ……。
「それがどうした。兵士には兵士の、商人には商人の、金貸しには金貸しの生き方がある。お前はその生き方、自分のルールに従って生き、そして結果を出している。法に背いたわけでも、悪に走ったわけでもない、お前はお前の『努力』をしているだけで、それの何がいけないことだ。この俺が金銭以外に唯一崇拝するモノがあれば、それはお前のような『生きる努力をする』やつだ」
「社長さん……」
「だからこそ、見てみろ」
そう顎でしゃくった先には、路地裏に座り込んで通行人からのお恵みをもらって生きる乞食の姿だ。一人や二人ではない、王都には少し人気の少ない場所へ行けばいくらでも浮浪者が歩いている。
「あいつはつい半年前まで、この通りで店を開くしがない商人だった。取引に失敗した奴は多額の借金を背負い、方々に頭を下げて金を捻出し、最後の手段で博打に走った。結果があのザマだ。身包みも住処も失くし、他人のお零れに与りながら日々を繋いでいる。始めの内はその生活から脱しようとしていたが、奴はもう『努力』することを諦めた塵だ」
「『努力』してたんちゃうん?」
「俺の店にも頭を下げて、どんな下働きでもすると言ったから雇ってやった時期があった。だが次第に怠け癖が出始めたよ。食べてないから、眠ってないから、時間が無いから、余裕が無いから……言い訳だけは一人前になっていった。残飯も食わず、ゴミ捨て場で寝起きせず、自分の体重の何倍もある荷を運んだわけでもないくせに……だから、クビにした。何の『努力』もできない奴は役立たずにしかならない」
トーマスの言い分に一理も二理もあることはアヤにも理解できた。彼女も駆け出しの時代があり、誰彼構わず貸していた時期があった。金利が高い事を説明し、期限を設け、滞納した場合のペナルティも言い含め、当時の彼女なりに借用する側に立ったつもりだった。
だが、そうやって貸してやった連中は皆、借金を踏み倒そうとした。利子が高いと文句を言い、期限があるなどおかしいと主張し、滞納したことを悪びれもしなかった。皆、自分のことだけで、そのくせ努力など全くしない連中だった。かなり強引な手段を使い取り立て、以後アヤは確実に返済できる相手を見定めてから貸すことにした。
だから言える、努力しない奴はゴミクズだと。結果成功するか失敗するかはともかく、最初からそのつもりが微塵もない者など、そう呼ばれて何の不足も過分も無い。
「だから、俺はあいつらも嫌いだ」
「?」
トーマスの鋭い視線が乞食とは別の場所を向く。その先を追ってあったのは……。
「金持ちの偽善者どもは弱者に施す事が正義だと思っているが、実際は違う。弱者に手を伸ばす事で自分が強者、恵まれた者であると自覚し、その愉悦に浸りたいだけだ。そしてその薄汚れた施しを甘受するしか能の無い奴など……もう生きる価値も無い」
様々な事情で肉親や親族を失った子供が辿り着く場所、孤児院。彼らを育てるのは大人たちの優しさだが、トーマスは大人も子供も両方切って捨てる。
「奴らガキ共はこれから先ずっと、施され続ける。与えられた服、与えられた食事、与えられた住処……そして、与えられた金。貰い物ばかりで生きるブタと同じそいつらを、果たして努力したと言えるのか。奴等は『努力』という言葉の意味を理解せず一生を無為に過ごし、何も自分で掴もうとせず死んでいく。ならいっそ、今の内に息の根を止めておくのが筋だろ」
ブタは良い、奴らは肥え太ることでヒトに貢献している。食い物を与えれば与えた分だけ、将来こちらの食い扶持が増えるのだから当然だ。だが孤児は与えられるだけ与えられておきながら、何一つこちらに利益を還元することなく去って行く。実利至上主義者のトーマスにとって彼らは家畜以下の存在でしかない。
加えて何より許し難いのは、彼ら孤児が弱者と言う立場に甘んじて施しを受け続けていることだ。努力する強者は成功する、努力する弱者は認められる、努力すらしない弱者は死ねばいい……それがトーマスの揺らがぬ持論だ
「そっか……やからか」
この時アヤの胸中に湧き出る熱いモノがあった。アーサーの話を聞いた時、彼女はトーマスを血も涙も無い人間だと、他者と繋がり合うこの社会においてただ無意味に冷酷なだけの人間だと思っていた。
だが実際は違った。彼はただ自他に厳しいだけの人間だった。きっと彼は必要に迫られれば自分の指や耳ですら容易く切り落とすだろう。彼は常にそれだけの「努力」を自らに課し続けている。
(トーマスさん、あんたオモロイわ。アタシ、俄然興味わいてきたわ)
人道から外れながら我欲を優先する男と、そもそも人倫に生きるにあらずの女……二人は違っていて、そして似ている。
「お前の腹の内がどうであれ、お前はお前の生き方を優先しているに過ぎない。その生き方は俺の理想だ、好感を覚える」
「そりゃどーいたしまして」
人でなしと狸の化かし合いは、もう少し続きそうだ。
それから一ヶ月、暇を見付けてはトーマスはケシ畑へと赴き進捗状況を確認した。本来ならアヤも連れて動ければ良かったが、互いに都合があって彼女とは最初に会った時以来ずっと会っていない。
「何があろうと証文がある限り何も出来ないさ」
誰の目があるか分からないから証文に商品名は書いていない。書いてあるのは作物の収穫量とその産地だけだが、発覚すれば必ずや産地に調査が入り、その関係筋からアヤにも容疑が掛かる。そうなれば牢獄に入るのは彼女も同じことだ。
やがて程なく収穫の時期が来た。果実の表面に傷を入れて液を絞り出し、乳白色のそれを黒くなるまで煮詰めた後に乾燥、煮出しと乾燥を数度繰り返せば魅惑の粉末が完成する。その全ての工程に立ち会い、自分の目で品質を確認していた。
全てのケシから成分を絞り終えたのは、ちょうどアヤの言った一ヶ月の目途が立つ頃合いだった。
「タル詰めにいくらかかる?」
「へぇ、一両日中もらえれば」
「謝礼は弾む。急げ」
王都の人間が違法薬物を売買することは禁止されているが、あくまで他人から譲渡され、それに対し心付けばかりの謝礼を与えるのなら話は別だ。そして、王都外の支社や支店に移せば売買にも支障が無くなる。実にザルな商売だ。
とは言え、全ての商品を売り捌くわけではない。一度本国へ戻り、あの鼻持ちならない貴族や時代遅れの司祭たち相手に、文字通りの鼻薬を嗅がせてやるのだ。そうすれば奴らを飼い慣らすことが出来る上、今まで上納していた金も全て己だけの物にすることが出来る。もっともっと稼ぐことが出来るのだ。
どんな無理も道理も、金銭が全てに優先する。みすぼらしいヨボヨボの老人が相手でも、そいつが袋一杯の金貨を出せば誰だってそいつの身の周りを世話する。薄汚れた鼻垂れ小僧が相手でも、そいつが金を払えば料理を出さない飯屋は無い。この世の全ては金で解決できるよう作られているのだ。
全ての外回り営業を終えて自分の仕事部屋に戻ると、そこには……。
「どーも、社長さん」
アヤがいた。以前と同じように、背中に商売道具を詰め込んだ箱を背負っている。
「東方の文化では、客人は家人のいない時に勝手に上り込んでいいのか?」
「まあ、そないいけずな事言わんと。そろそろでしょう、例の納品」
「ああ。王都のとある場所に運び込まれるそれを回収し、然るべきルートで売り捌く。利益は事前の通り山分けだ」
「ほな、前祝に一杯どうです? ええ酒ありますよ」
返事を聞かずアヤは取り出した器に酒を注ぎ、部屋の中をアルコールの匂いが充満する。これは飲まずには帰らないだろうと諦めながら、トーマスはそれを受け取った。
「二人の更なる儲けに乾杯」
「……乾杯」
飲んだことの無い酒、恐らくは東方の物だろう。
二人はただ黙々と酒を酌み交わした。窓から見える月が夜空の天辺に昇る頃に酒は切れ、ほどよく酔いが回った二人はそろそろお開きとなる。
「なあ、社長さん。あんたとアタシ、一緒に手ぇ組めば怖いもん無しや。そう思わへんか?」
「……そうだな」
「せやったら、アタシと本格的に組まへん? あんたとアタシが組めばこの王国だけやない、レスカティエも、霧の大陸も、黄金のジパングも、魔界ですら思いのままや。そこいら中から金を巻き上げて一生を左団扇で暮らす……ワルないで、そんな生活」
「……俺は商人として取引はするが、対等の同盟は絶対組まない。何故か分かるか?」
「なんで?」
「単純に稼ぎが減るからだよ。同じことを一人でも出来る俺が、どうしてわざわざ誰かと手を組んで、何が悲しくて取り分を減らすようなことをしなければならない。分かったら二度と阿呆な提案をするな、殺すぞ」
「あらら、フラれてしもた。しゃあないなぁ……この話の続きはまた今度っちゅうことで」
返事を受け取るとアヤはいそいそと身支度を始め、初めから酔っていなかったようにしっかりとした足取りでドアまで移動して。
「ほな社長さん、ごきげんよう」
やけにあっさりと出て行った。後に残ったのは部屋に満ちた酒の匂いと、それを飲んで少し酩酊しているトーマスだけだった。
「俺の望みは俺だけで叶える……。何人にも邪魔はさせない、協力もさせない。俺の行動で得られる結果は全て、俺だけのモノだ」
それこそが今日明日を生きるのも地獄だった貧民街でトーマスが見出した、たった一つの真理。目に付く全てを喰らい尽くし、「弱き強者」である事を己に課したのだ。
え? 毎度同じ話で聞き飽きたって? 分かる分かる、人と魔物娘の話なんていっつもお決まり、話す前から結末なんて分かり切ってるってもんだ。
だけどお客さん、今回はちょいと違う。これから語るお話に出てくる男と女、この二人が実に奇妙な関係でね。ああ、お代は聞いてからで結構!
さあさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! この街で本当にあった、謎に満ちた男社長と、異国から来た卑しい金貸し娘のお話だ!
男の正体が誰なのか、今から言ってしまうタイトルでバレバレってのは言わない約束だよ!
それでは、『強欲の勇者 〜あるいは金貸し狸の話〜』、はじまりはじまり〜!!
人が生きるためには三つの要素が欠かせないという。
即ち、衣食住。着る物、食べる物、住む処、この三つが整っていれば人はどんな環境でも生きていける。極端に厳しい環境なら話は別だが、異国にある「住めば都」の諺が示すように、人間というのは環境に慣れる生き物だったりする。
だがこの三要素がそのまま通じたのは今は昔。時代が下り技術が発展するにつれて人々は、それらがあって当然のものとして享受するようになった。足りて礼節を知るという格言ももはや死語になりつつある。
そんな堕落した時代を生きるのに必要なモノとは一体何か?
服か?
食料か?
寝泊りする場所か?
否、どれも違う。
「金だ。世の全てはこれで回っている」
そう豪語する青年の手には布袋が一つ。豊満に膨れ上がったその中にはこの国で発行されている最高価値の貨幣、つまりは金貨が大量に入っており、それを机の上で一枚一枚手に取って枚数を確認する。
部屋にいるのは青年だけではない。彼より一回りは歳が上と思われる男性がソファの上で所在なさげに座っており、額にはてらてらと脂汗が滴っていた。
「アーサーさん、私はね……商人は信用の生き物だと常々聞かされてきました。ただ物を売り買いして金をやり取りするだけなら子供でも出来る。だが商人とは常に一手も二手も先を見て、十年後、二十年後の利益を生み出さなくてはいけない。だからこそ、取引相手と末永くやっていくために信用第一で行動し、決してそれを裏切ってはならない……違いますか?」
「いえっ、ええ、まったくその通りです……」
「でしょう。そして私とあなた、我が貿易会社とあなたの商社の間には確かに信用があった。私達が仕入れた品物をあなた方が売る、互いに損は無い話だった。違いますか?」
「え、ええ……!」
アーサーと呼ばれた壮年の男性は青年の言うことにただ頷きながら額の汗を拭く。
「あなたの会社がここ数年、赤字経営に苦しんでいるのは知っていました。あなただけじゃない。我が社と、我が社と契約を結んでいる他の会社や組合も同じように赤字が続いています。不景気ですからね、これはあなたの責任ではない」
「そ、そう言っていただけると……」
「ですが、あなたは遂に社員に支払う給料すら賄えなくなった。こうなってしまうと店を畳むしかないが、先代から受け継いだこの商売を自分の代で潰すのだけは避けたい……そう言って私に頭を下げたのが、いつの話でしたか?」
「に、五年前です」
「そう五年前。しかも、貸与してから初めの一年は返済を免除、お返しするのは一定の蓄えが出来てからで結構……私はそう申したはずですね? ところがあなたは私の軍資金で経営を立て直すどころか、借り受けた次の年から先の返済を利息分も満足に返せない有様だ。結果、最初にこちらが与えた軍資金を食い潰す勢いで借金は膨れ上がり……あなたはこうしてここにいる」
金貨を数え終えた青年はそれをまとめると、それを金庫に収めた。今の金貨こそアーサーが社の財政から搾り取ったなけなしの金だった。しかし、青年の言うように元金を減らすには到底足りないのも事実だった。
「いけませんね、このままだと冗談では済まされないですよ。アーサーさん、あなたには自社を守るという意識があるんですか?」
「も、もちろんだ! 身寄りも無かった私の才能を買ってくれた先代の為にも、何より妻子を持つ社員たちを路頭に迷わせたくはない!!」
「でしたら、やるべきことはお分かりのはず。以前より申していた私の提案、聞き入れてくれますよね?」
「っ……か、考えさせてほしい」
「あまりお時間はありませんよ。ああ、私はこれから会議ですので、お帰りの際はお気を付けて。おい、客人がお帰りになられるぞ」
「いや、結構。自分で……帰れます」
「そうですか。それでは、次にお会いする時には色よい返事を期待していますよ」
そう言い残しにこやかな笑みを浮かべて青年は応接室を後にした。部屋に一人残った男性は青年が出て行った扉を見つめながら静かに呟いた。
「悪魔め……」
青年の名は「トーマス」。ここ、アルカーヌム連合王国の王都で貿易を営む商人だ。よその国や地域から仕入れた商品を流通させて富を生み出し、ここ数年でメキメキと頭角を現してきたのだ。
会社を運営する財閥の御曹司であり、彼が事業を引き継いでから会社は急成長を遂げ、それまでの商売敵や仲間を次々と買収し傘下に加え、王都で知らぬ者はいない大企業へと発展させた功労者である。
どのくらいの成長を遂げたかと言うと、もしトーマスが朝に経営方針を変更すれば、その夜の王宮の食事が変更される……そんな噂が流布される程度には成長した。事実、トーマスは富豪とは言え市井の民、何の爵位も賜っていない身でありながら王宮へ顔パスで出入りできるほどの影響力を持ち合わせていた、
だが、力が集中する所には同時に黒い噂も付き纏う。
自由な商売が許されているアルカーヌムにおいて、突出した財を短期間で築き上げたトーマスの手腕を賞賛する者ばかりではなく、何か良からぬ手段を用いたのではと囁かれている。無論のこと証拠など無かったが、証拠が出てない事とトーマスが善良であることは決してイコールではなかった。
トーマスという男は確かに悪辣であった。事業拡大のために使った手練手管はそのどれもが法のグレーゾーンを地で行くものが大半で、詐欺まがいの手段で顧客や同業者を罠にはめて利益を貪り、そしてその全てで自身が糾弾される要素を徹底的に消していた。
例えば今さっきのアーサーにやった手口がそうだ。
確かにここ最近、商人や彼らが属するギルドはおおむね赤字が続いている。中にはアーサーのように経営が立ち行かなくなるレベルに追い込まれる者もおり、そうした者にトーマスは甘言ですり寄る。具体的には融資を申し出るのだ。そして決まって最初の半年や一年は返済を免除する。
これだけ聞けば相当なお人よしに聞こえるだろう。なにせ一時的とはいえ返済を待ってくれるのだから。だがそこにトーマスの仕掛けた落とし穴がある。
確かに返済は待つが、その間発生する利息はそのまま付いて回る。しかも発生した利息を込んだ分が元金と合わさり、そこから更に利息を取る複利だ。その結果、返済を始める頃には借金は劇的に膨れ上がり、借用書の数字を見て仰天するのだ。
当然、そんな暴利を貪る方法を呑むはずがないのだが、借用書にサインしてしまった以上、あとでどんなに不満を言ったところでトーマスが雇った弁護士に握り潰されるだけだった。
そして借金で経営が行き詰った同業者に、決まってトーマスはこう持ち掛ける。
「貴社の経営方針を私に一任してください。責任を以て必ず立て直してご覧に入れます」
事実上の買収、傘下に取り込んだ会社や組合の金の支出を極限まで抑え、売上を上納金の如く自らの利益に還元させるのだ。その店が持っていた商標や特許を次々にトーマスの社の部門に移し、それらの利権で得られるもの全てを横取りした。倒産もしないが黒字にもならない、永遠にトーマスの養分にされるのだ。
そして今日、このアーサーというしがない経営者もまた窮地に追い込まれていた。
「はぁ……」
アーサーは元孤児である。父を派兵で、母を流行病でそれぞれ亡くし、幼くして孤児院に引き取られた。大人になり奉公先に選んだのが今の会社。そこで彼は当時の社長に可愛がられ、いずれ社を運営する人材としての教育を受け、五年前の先代の逝去をきっかけに満場一致で長に就任した。
赤字経営もアーサーの手腕ばかりとは限らない。彼が社を受け継ぐ前から王国全体が慢性的な不況に陥り、どの商人も赤字を強いられていた。
そしてトーマスから融資の相談を受け、それにほいほいと乗せられた結果、多額の借金を背負わされ、そして頃合を見計らって経営方針を一任せよという事を言われた。無駄な出費を省き予算を浮かせ、生み出した利益を搾り取ろうというのだ。
さしあたって提案されたのは……。
「おや、アーサー。浮かない顔だねぇ。かみさんの結婚記念日をほったらかしにでもしたん?」
広場の噴水前でうなだれて座っていたアーサーに、気さくに話しかける影。ふと顔を上げると、それは見知った顔だった。
「ああ……なんだ、アヤさんか」
「なんだたぁ、随分ご挨拶だね。先代の大旦那の頃から贔屓にさせてもらっていたアタシの顔を忘れないでよ?」
アヤ、と呼ばれたのは一見するとアーサーの娘や孫と言われても通じそうな少女だった。だが頭に見える毛が生えた獣の耳と、臀部辺りからふりふりと気分を表すように見え隠れするのはもっさりと太い尻尾。
アヤは遠く異国の地よりやって来た商人、『形部狸』の魔物娘である。
「何かお困りなら相談に乗るし、金も貸すよ」
アヤは金貸しを営んでいる。金貸しは元を取れれば確実に儲かる仕事だが、それ故に同じ商人からも嫌われやすい職業だ。様々な商人が行き交うこの王都でもそれは変わらず、金貸し業が感謝されるのは貸した時だけで、最後には必ず恨まれるのが常だ。
ところがこのアヤが誰かに恨まれているというのはついぞ聞いたことがない。それもそのはず、彼女がそこいらの金貸しとは違うことをアーサーはよく知っている。
「また一儲けしようという魂胆ですか?」
「失敬な、商人が儲けて何が悪いってのさ。それにアーサーのとこだって私の儲け話に乗ったクチじゃないか」
「そうでしたね」
アヤはただ金を貸すだけではなく、自分の貸した金を軍資金に一山当てる話を必ず持ってくる。そしてそのビジネスで当てた金を山分けする。アヤは利息以上の利益を得、相手も借金を返せる上に新たな利権を手にできるのでお互いに損がない契約になる。
かく言うアーサーの店も先代から彼女の力を借りており、赤字経営でもなんとかやってこれたのはそのお陰だと認識できている。
「実は、厄介な同業者に目をつけられて……」
「それってトーマスとかいう新参の?」
「やはり、アヤさんのところにも?」
「うん、まあね。それで? 何があったのさ」
「はい。借金を盾にとってうちの経営方針に口出しするまでになったのですが……その、無駄な出費を削るよう言われておりまして」
「無駄な、ねぇ。あんたほどの商人が余計なことに金使ってるとは思えないけど」
「はい。その出費というのは恐らく、孤児院への寄付金のことだと思います」
アーサーは自分を育ててくれた孤児院への恩を返そうと、利益の幾らかを寄付という形で無償で融通していた。決して店を傾けるほどの額ではないが、各施設に寄付しているそれらを止めれば確かに社の懐はある程度もつだろう。
「院に寄付金を出してるのはあんただけじゃない。今は大人しく相手方の言う事を聞いておいたほうがいいんじゃない」
「アヤさんだってご存知でしょう、あの男の悪どさを。一度こちらが折れれば次は社員の給金を削り、次に社員を辞めさせ、最終的にうちの利権全てを食い尽くされます。今まであの男に何人の同業者が骨だけにされたか……」
「アタシも何度か似たようなことはやったけど……」
「アヤさんは悪徳業者を潰しただけでしょう。潰したついでにその人達の財産を根こそぎ奪ってちゃっかり懐に収めましたけど」
「懐かしいねぇ! まあアタシだって若気の至りってことでさ。そうかそうか、あのトーマスにタカられてると……」
しばらく考えるような所作をする。その間アヤの尾が振り子のように揺れ続け、彼女の思案する様子を如実に語っていた。
そして、両手でポンっと槌を打つとこう言った。
「よし、ちょいとそいつに会ってみようかね」
ここでトーマスという男の話をしておこう。彼が貿易商を営む一族の御曹司……というのは、実は真っ赤な嘘っぱちである。
そもそも、トーマスはこの国の人間ではない。生まれも育ちも、「あの」レスカティエ教国にその出自を見出せる。
ではその国で商売を? いいや、彼はそもそも商人どころか親兄弟すら知りえぬ天涯孤独の身。ある日、気が付いた時には貧民街で犬の肉を食べていた、そんな男である。
なら何故そんな男が反魔物国から親魔物国で商人をやっているのか?
「誰も気付くまいよ。この俺が教国より遣わされた『勇者』だとはな」
勇者……それは魔物を征伐する為、神の選定により選ばれる魔物殺しに特化した人間。遥か昔より主神の代行者として魔物及び魔王の征伐の任を受けた人間、それがトーマスの正体だった。
「今日の報告はこんなものか」
小さく折り畳んだ紙片を鳩の足に括りつけ、それを窓から放った。一日一度、自分の行動を記したものを報告書として教会に送っていることからも、彼が教国と繋がっていることは明白だ。
では二つ目の疑問。何故教国から派遣された勇者が魔界ではなく、隣国のアルカーヌム連合王国で商人に扮しているのか?
理由は簡潔、それが教国の命令だからだ。
そもそも彼と、彼を派遣した教国の標的は魔物ではなく、その忌むべき魔物と仲良くしている王国なのだ。本来人を喰らい、男を誑かすし、神の威光を貶める絶対悪である魔物を討伐するのが教国の大義名分だが、ここ最近では魔物と手を取る人間も征伐対象に含まれるようになっていた。淫蕩な魔物と手を組み、信仰を忘れて堕落した人間に神罰を、である。
それを踏まえた上で、彼に与えられた任務はたった一つ……。
「『経済面からアルカーヌムを切り崩せ』、か。上の連中も好き勝手言ってくれる」
もはやそれは、勇者とは名ばかりの他国への潜入工作員にほかならなかった。かつて大志を抱き魔界へと旅立った誇りある者らが聞けば何と言うか、その理念すら今の教国は無くしてしまったのか。
だが……。
「関係ねぇな。もう既にこの国は俺の餌場、せいぜい今の内に稼がせてもらうだけさ」
トーマスは確かに言われた通りの成果を出した。今彼が座す社長の椅子は事前に教国が用意していた仮初のものだったが、彼は用意された役を完全にこなし、僅か数年で王都の経済を完全に掌握してみせた。財務大臣とも通じている今、経済の流れを大半牛耳った彼はいつでもこの国を未開の最貧国にまで落とすことも可能になっていた。
しかし、彼の欲は際限なく膨れ上がる。
「まだだ、まだ足りない」
実際、トーマスにとって勇者がどうとか、魔物がどうだとか、既にそんなことに興味はなかった。いや、勇者の洗礼を受ける前から彼は今の人格そのままだった。彼が欲するのは勇者という肩書きに付随する名誉とか形の無いものではなく、こうして今自分が得られる実利のみを求めていた。
金、金銭、積み上げられる巨万の富こそがトーマスにとっての正義。人がそのシステムを作り出したその瞬間から、衣も、食も、雨風凌ぐ家屋でさえ、全てが金という共通価値の下位に置かれることになった。
地位や名誉、権力も何もかも全て後からついてくる。全てはそう、金さえ手に入れれば思いのままだ。善悪の判別も、人の心も、白を黒と言い張るのでさえ金があれば容易くまかり通る。
やがてその欲望の牙は教国の命令さえ無視し始める。アルカーヌムから絞り上げた金の一部を「上納金」として教国に提出することが命じられていたが、大人しく納めていたのは初めの二年程度、後は全てこの国と、適当な財産に替えて教国ですら知りえない場所に隠している。
「俺はもっともっと上へ行く。そのためには何よりもまず、金だ」
貨幣の数を数えている時だけがトーマスが心身共に充足を覚える瞬間だ。休みの時間はこうして金貨を数えながら過ごし、自分の今までの稼ぎを確認する。
「失礼します、社長。お客様がお見えになっています」
「チッ! 今は忙しい、後にしろ」
面会の予定は聞いていない。直接社長に会おうとはいい度胸だが、信用第一で行動する商人は決して見ず知らずの相手にいきなり会ったりしない。そこは悪徳商人のトーマスでも心得ていることだった。
だが今日の相手は一味違っていた。
「失礼しますよっと!」
メイドの背後からその客人が姿を見せる。大理石の床をカラコロと鳴らす耳障りな音は、その者が履く特殊な履物──『下駄』──が発生源で、背中に背負った商売道具もまたガチャガチャと騒音を出していた。
人間ではない。話には聞いていたがトーマスも実際目にしたのは初めてだった。
「『ギョーブダヌキ』か」
「おや、アタシの種族を一発で当てるたぁ、あんたなかなかやるね。大抵はワーウルフの親戚だろって言われるんだけど……」
「生憎俺は金に困っちゃいない。金貸しならよそを当たれ」
「おやおやぁ、それがせっかく儲け話を持ってきたモンに対する言い草かい?」
「ほざけ、異国の詐欺師が。貴様相手にどれだけ同業が煮え湯を飲まされたか」
「そりゃお互い様ってもんじゃないの。こっちも聞いてるよ、アーサーの坊やが随分と世話になってるじゃないか」
トーマスの金貨を数える指が止まった。そしてその目が刑部狸の妖しく光る目を見据える。
「アーサーの坊やは孤児の頃から面倒を見ていてね。何を隠そう、あいつが今の会社に入ったのもアタシの口利きってわけだ」
「それで何だ? あのうだつの上がらない二流経営者の仇討ちでもするか」
「うんにゃ、そんなのに興味はないよ。言ったろう、アタシは儲け話を持ってきたんよ」
「ほう、聞こうか」
アポなしの面会はしない主義だが、刑部狸の商売上手は知っている。話だけでも聞く価値はあると判断したトーマスはメイドを下がらせ、二人だけの密談を始めた。
「まずは互いに自己紹介からや。アタシはアヤ、見てのとおりの刑部狸や」
「トーマス。知っての通り、お前の知り合いに金を貸した男だ。それで? 儲け話というのは何だ」
「そう焦らんと。まずは、お近づきの印にこれどうぞ」
そう言ってアヤは懐から小さな壺を取り出してテーブルに置いた。蓋を取り中身を確認すると……。
「禁制の品か」
「ご明察。これをちょいと舌先に乗せるか、火で炙った煙を吸えば誰でもあっちゅう間に天国を味わえるって代物。王都を離れて南東に行った場所が原産の植物、そいつから搾り取った液を乾燥させたのがコイツさ」
「だが王都では製造も流通も禁じられている」
「王都では、ね。このアルカーヌムは連合王国、小国同士がくっ付いて出来た国だから、地方によっちゃ法整備もまちまち。然るべき所でなら薬の売買を認めている所もあるし、それにトーマスさん……王都で禁じられているのは『製造』と『流通』だけで、『所持』と『譲渡』まで禁じているわけじゃないよ」
「法の抜け穴か。いや、王都もそれを見越してわざと穴を開けているのか」
依存性に付け入った薬物は売れれば確実に利益を出すが、その分、法に目を付けられれば厄介な事になる。もちろん、手練手管に長けたトーマスがその辺りのさじ加減を間違えることは無いが……。
「貴様、何を隠している」
「べぇつにぃ。こないな女子を相手に疑ってかかるなんて、社長さんも人が悪いなぁ」
「茶化すな。商売は信用が第一だが、最初は必ず疑って掛かるのが基本だ。俺の勘が告げている、貴様は何かを隠しているとな」
東方のキツネとタヌキの魔物娘が人を騙すことに長けている種族というのは、トーマスが勇者でなくても知っている常識だ。それをほいほいと信じるのは馬鹿正直ではなく、単なる馬鹿だ。
「そない疑うんでしたら、現地に行ってみましょか? アタシの言ったことが嘘じゃない何よりの証明になるはずです」
「…………」
トーマスが馬車の用意をさせたのは十分後のことである。
「トーマスさんは、何で商人になりはったん?」
馬車の中でアヤがそう尋ねる。
「俺の父親も、そのまた父親も、その更に爺さんも商人だった。跡目を次ぐことがそんな不思議か」
もちろん、嘘だ。偽装工作の場である今の会社を用意したのはレスカティエ正教会で、自分はその事業を「ほんの少し」拡大したに過ぎない。
「いえいえ、他意はあらんのです。ただ、ここまで大きな店やのにお父様や親戚方の話はちぃとも聞きませんなぁ、と」
「元々本店はこことは別の場所にある。俺が跡目を継いでから父親は故郷で隠居暮らしだよ」
股を開くしか能の無かった女と、そんな女を買い叩いた男の顔など知るはずもない。
そんな他愛もない話をしているうちに二人を乗せた馬車は王都の南東、乾燥した岩肌が目立つ平原へと辿り着く。馬車を降りて道なき道を歩くと、そこには……。
「これは立派なものだ」
少し窪んだ場所に密生する大量の魔花。先端の膨らんだ果実が特徴的な、今かもう少しすれば「収穫」の時期に相応しい出来栄えだと判断できた。
これぞ魔界の果樹とは違う、人界に咲き誇る魔性の花、「ケシ」である。
「畑か。よくもまあここまで……。薬の取り締まりに厳しい王都が見逃しているのか」
「ここは然る方の土地だから、王都のお巡りさんも手出しできないのさ。それよりもまずは、ご確認を」
言われるまでも無く苗の一本を手に取る。つぼみに爪で僅かな傷を作り、そこから香る妖香はまさしく……ケシの花。貧民街で暮らしていた時、蔓延したこれを中毒者ごと焼き払う為に教国の兵士が派遣されたことがある。あの頃はスラム中にこの臭いが充満していた。
一度この香りに身を浸せば、その快楽から自力で抜け出すことは不可能だ。魔界産の果実はもちろんだが、なかなかどうしてこの魔花も馬鹿に出来ない。
「収穫にはどれだけかかる」
「作物としてならすぐにでも。『商品』として精製するなら、この量やで一ヶ月はかかるんちゃうかな」
「……この量だと幾らだ」
「ざっと、こんなもん」
そう言ってそろばんの数字を見せる。トーマスの財布では充分に買える値段だが……。
「利益は山分けと言ったな。なら貴様にはその提示額の三分の一で充分だろ、情報提供料だ」
「そ、そんな殺生な! せ、せめて半分、ハーフで!」
「三分の二、これは譲らない。嫌なら他を当たれ。それと、何かあった時の為に証文を交わす。お前が俺をハメようとすれば、この証文から貴様もアシがつく」
「よ、用意のよろしいことで」
証文は二枚、既にトーマスの分はサインが済んでいる。あとはアヤの分の名前を記すだけだ。
「しゃあないなぁ……。ほれ、この通り」
「確かに受け取った」
それぞれの証文を懐に仕舞い込み、トーマスとアヤの契約は完了した。もちろん、トーマスも完全にアヤを信用した訳ではない。
帰りの馬車は何事もなく王都に戻り、後はそこからトーマスの社に帰るだけだったが、何を思ったかアヤがこう言う。
「社長さん、少し歩きません?」
普段なら即刻断るはずの申し出だが、もう少し彼女のことを知っておきたかったトーマスはそれを承諾し、先に馬車を帰して二人で往来を歩いた。
往来には市が開かれ店が立ち並び、そのずっと先にはこの国を治める王族が住まう宮殿が見える。この国に来てから毎日目にしてきた、何の変わり映えもない光景だ。
「社長さんは、アタシのことどう思てます?」
「何て答えれば満足だ」
「口説け言うんとちゃいます。アタシは所詮、金貸し。人の弱みにつけ込んで金をちらつかせ、クソ高い利子を取って生計立ててる業突く張りや。人はアタシのことを人でなし言うけど、実際アタシは人やのうて刑部狸やけど」
刑部狸は金勘定に優れた才能を発揮する種族と聞く。だがただでさえ金貸しは嫌われやすいのに、金利を得ることを悪と教えるレスカティエの教義から見ても、彼女らは許されざる存在だった。
本来ならトーマスは勇者として、魔物娘である彼女を糾弾する立場にあるのだろう。だが彼は決して教国に忠誠は誓っておらず、必然アヤを非難する謂れはない。いや、むしろ……。
「それがどうした。兵士には兵士の、商人には商人の、金貸しには金貸しの生き方がある。お前はその生き方、自分のルールに従って生き、そして結果を出している。法に背いたわけでも、悪に走ったわけでもない、お前はお前の『努力』をしているだけで、それの何がいけないことだ。この俺が金銭以外に唯一崇拝するモノがあれば、それはお前のような『生きる努力をする』やつだ」
「社長さん……」
「だからこそ、見てみろ」
そう顎でしゃくった先には、路地裏に座り込んで通行人からのお恵みをもらって生きる乞食の姿だ。一人や二人ではない、王都には少し人気の少ない場所へ行けばいくらでも浮浪者が歩いている。
「あいつはつい半年前まで、この通りで店を開くしがない商人だった。取引に失敗した奴は多額の借金を背負い、方々に頭を下げて金を捻出し、最後の手段で博打に走った。結果があのザマだ。身包みも住処も失くし、他人のお零れに与りながら日々を繋いでいる。始めの内はその生活から脱しようとしていたが、奴はもう『努力』することを諦めた塵だ」
「『努力』してたんちゃうん?」
「俺の店にも頭を下げて、どんな下働きでもすると言ったから雇ってやった時期があった。だが次第に怠け癖が出始めたよ。食べてないから、眠ってないから、時間が無いから、余裕が無いから……言い訳だけは一人前になっていった。残飯も食わず、ゴミ捨て場で寝起きせず、自分の体重の何倍もある荷を運んだわけでもないくせに……だから、クビにした。何の『努力』もできない奴は役立たずにしかならない」
トーマスの言い分に一理も二理もあることはアヤにも理解できた。彼女も駆け出しの時代があり、誰彼構わず貸していた時期があった。金利が高い事を説明し、期限を設け、滞納した場合のペナルティも言い含め、当時の彼女なりに借用する側に立ったつもりだった。
だが、そうやって貸してやった連中は皆、借金を踏み倒そうとした。利子が高いと文句を言い、期限があるなどおかしいと主張し、滞納したことを悪びれもしなかった。皆、自分のことだけで、そのくせ努力など全くしない連中だった。かなり強引な手段を使い取り立て、以後アヤは確実に返済できる相手を見定めてから貸すことにした。
だから言える、努力しない奴はゴミクズだと。結果成功するか失敗するかはともかく、最初からそのつもりが微塵もない者など、そう呼ばれて何の不足も過分も無い。
「だから、俺はあいつらも嫌いだ」
「?」
トーマスの鋭い視線が乞食とは別の場所を向く。その先を追ってあったのは……。
「金持ちの偽善者どもは弱者に施す事が正義だと思っているが、実際は違う。弱者に手を伸ばす事で自分が強者、恵まれた者であると自覚し、その愉悦に浸りたいだけだ。そしてその薄汚れた施しを甘受するしか能の無い奴など……もう生きる価値も無い」
様々な事情で肉親や親族を失った子供が辿り着く場所、孤児院。彼らを育てるのは大人たちの優しさだが、トーマスは大人も子供も両方切って捨てる。
「奴らガキ共はこれから先ずっと、施され続ける。与えられた服、与えられた食事、与えられた住処……そして、与えられた金。貰い物ばかりで生きるブタと同じそいつらを、果たして努力したと言えるのか。奴等は『努力』という言葉の意味を理解せず一生を無為に過ごし、何も自分で掴もうとせず死んでいく。ならいっそ、今の内に息の根を止めておくのが筋だろ」
ブタは良い、奴らは肥え太ることでヒトに貢献している。食い物を与えれば与えた分だけ、将来こちらの食い扶持が増えるのだから当然だ。だが孤児は与えられるだけ与えられておきながら、何一つこちらに利益を還元することなく去って行く。実利至上主義者のトーマスにとって彼らは家畜以下の存在でしかない。
加えて何より許し難いのは、彼ら孤児が弱者と言う立場に甘んじて施しを受け続けていることだ。努力する強者は成功する、努力する弱者は認められる、努力すらしない弱者は死ねばいい……それがトーマスの揺らがぬ持論だ
「そっか……やからか」
この時アヤの胸中に湧き出る熱いモノがあった。アーサーの話を聞いた時、彼女はトーマスを血も涙も無い人間だと、他者と繋がり合うこの社会においてただ無意味に冷酷なだけの人間だと思っていた。
だが実際は違った。彼はただ自他に厳しいだけの人間だった。きっと彼は必要に迫られれば自分の指や耳ですら容易く切り落とすだろう。彼は常にそれだけの「努力」を自らに課し続けている。
(トーマスさん、あんたオモロイわ。アタシ、俄然興味わいてきたわ)
人道から外れながら我欲を優先する男と、そもそも人倫に生きるにあらずの女……二人は違っていて、そして似ている。
「お前の腹の内がどうであれ、お前はお前の生き方を優先しているに過ぎない。その生き方は俺の理想だ、好感を覚える」
「そりゃどーいたしまして」
人でなしと狸の化かし合いは、もう少し続きそうだ。
それから一ヶ月、暇を見付けてはトーマスはケシ畑へと赴き進捗状況を確認した。本来ならアヤも連れて動ければ良かったが、互いに都合があって彼女とは最初に会った時以来ずっと会っていない。
「何があろうと証文がある限り何も出来ないさ」
誰の目があるか分からないから証文に商品名は書いていない。書いてあるのは作物の収穫量とその産地だけだが、発覚すれば必ずや産地に調査が入り、その関係筋からアヤにも容疑が掛かる。そうなれば牢獄に入るのは彼女も同じことだ。
やがて程なく収穫の時期が来た。果実の表面に傷を入れて液を絞り出し、乳白色のそれを黒くなるまで煮詰めた後に乾燥、煮出しと乾燥を数度繰り返せば魅惑の粉末が完成する。その全ての工程に立ち会い、自分の目で品質を確認していた。
全てのケシから成分を絞り終えたのは、ちょうどアヤの言った一ヶ月の目途が立つ頃合いだった。
「タル詰めにいくらかかる?」
「へぇ、一両日中もらえれば」
「謝礼は弾む。急げ」
王都の人間が違法薬物を売買することは禁止されているが、あくまで他人から譲渡され、それに対し心付けばかりの謝礼を与えるのなら話は別だ。そして、王都外の支社や支店に移せば売買にも支障が無くなる。実にザルな商売だ。
とは言え、全ての商品を売り捌くわけではない。一度本国へ戻り、あの鼻持ちならない貴族や時代遅れの司祭たち相手に、文字通りの鼻薬を嗅がせてやるのだ。そうすれば奴らを飼い慣らすことが出来る上、今まで上納していた金も全て己だけの物にすることが出来る。もっともっと稼ぐことが出来るのだ。
どんな無理も道理も、金銭が全てに優先する。みすぼらしいヨボヨボの老人が相手でも、そいつが袋一杯の金貨を出せば誰だってそいつの身の周りを世話する。薄汚れた鼻垂れ小僧が相手でも、そいつが金を払えば料理を出さない飯屋は無い。この世の全ては金で解決できるよう作られているのだ。
全ての外回り営業を終えて自分の仕事部屋に戻ると、そこには……。
「どーも、社長さん」
アヤがいた。以前と同じように、背中に商売道具を詰め込んだ箱を背負っている。
「東方の文化では、客人は家人のいない時に勝手に上り込んでいいのか?」
「まあ、そないいけずな事言わんと。そろそろでしょう、例の納品」
「ああ。王都のとある場所に運び込まれるそれを回収し、然るべきルートで売り捌く。利益は事前の通り山分けだ」
「ほな、前祝に一杯どうです? ええ酒ありますよ」
返事を聞かずアヤは取り出した器に酒を注ぎ、部屋の中をアルコールの匂いが充満する。これは飲まずには帰らないだろうと諦めながら、トーマスはそれを受け取った。
「二人の更なる儲けに乾杯」
「……乾杯」
飲んだことの無い酒、恐らくは東方の物だろう。
二人はただ黙々と酒を酌み交わした。窓から見える月が夜空の天辺に昇る頃に酒は切れ、ほどよく酔いが回った二人はそろそろお開きとなる。
「なあ、社長さん。あんたとアタシ、一緒に手ぇ組めば怖いもん無しや。そう思わへんか?」
「……そうだな」
「せやったら、アタシと本格的に組まへん? あんたとアタシが組めばこの王国だけやない、レスカティエも、霧の大陸も、黄金のジパングも、魔界ですら思いのままや。そこいら中から金を巻き上げて一生を左団扇で暮らす……ワルないで、そんな生活」
「……俺は商人として取引はするが、対等の同盟は絶対組まない。何故か分かるか?」
「なんで?」
「単純に稼ぎが減るからだよ。同じことを一人でも出来る俺が、どうしてわざわざ誰かと手を組んで、何が悲しくて取り分を減らすようなことをしなければならない。分かったら二度と阿呆な提案をするな、殺すぞ」
「あらら、フラれてしもた。しゃあないなぁ……この話の続きはまた今度っちゅうことで」
返事を受け取るとアヤはいそいそと身支度を始め、初めから酔っていなかったようにしっかりとした足取りでドアまで移動して。
「ほな社長さん、ごきげんよう」
やけにあっさりと出て行った。後に残ったのは部屋に満ちた酒の匂いと、それを飲んで少し酩酊しているトーマスだけだった。
「俺の望みは俺だけで叶える……。何人にも邪魔はさせない、協力もさせない。俺の行動で得られる結果は全て、俺だけのモノだ」
それこそが今日明日を生きるのも地獄だった貧民街でトーマスが見出した、たった一つの真理。目に付く全てを喰らい尽くし、「弱き強者」である事を己に課したのだ。
15/08/10 19:29更新 / 毒素N
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