第五章 傲慢の勇者:前編
さあさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!! この街で本当にあったお話、第五弾の始まりはじまりぃ〜!!
五人目は満を持して遂に登場、荒くれ者どもを統率する七人の勇者の筆頭がお出ましだ。勇者が七人もいるってぇなら気になったんじゃありませんか? 一体こんな一癖も二癖もある連中を束ねてるのはどんな野郎なんだ、ってね。
それこそが今日お話する男になるんだが、本来ならこいつは一番最初にお話すべき相手でね。まあその、こっちにも色々事情があってこんな中途半端な順番になったことを、まずはお詫びを。
はい大人の事情は終わり! ジャンジャジャーン、それでは早速お話を始めるとすっか!
タイトルは、『傲慢の勇者 〜あるいは深窓の吸血姫の話〜』
それじゃ、お聞きください。
人は平等ではない。生まれたその瞬間から、人は誰しも努力では如何ともしがたい「差」を持って生まれてくる。
性別の差。
年齢の差。
貧富の差。
環境の差。
身体の差。
これらは全て、自身の努力とは全く別に持って生まれる、いや、持たされて生まれるものなのだ。誰が望んだ訳でもないのに、一度そうなると取り消しも出来ない要素が一生付いて回るのだ。
例を言えば、待ち合わせ時間。
本人の寝坊や、走れる道を走らずに遅れたのならそれは本人のせいだ。だが家を出たのが早くても道が混んでいたり、思わぬハプニングに遭遇して遅れることもある。
普通ならその二つは別けて考えるのだが、生憎世間とは冷たいものだ。理由はどうあれ遅れは遅れ、その結果生じる不都合は全て自己責任という便利な言葉で封殺され背負い込まされる。
生まれの差も同じこと。極論、資産を持った家に生まれれば人生の大半を無理などせず過ごせる。醜い跡目争いを生き残り資産を総取り出来れば、本格的に勝ち組の道を行けるだろう。貧乏人には一生無縁な話だ。
「極東の神秘の国、ジパングにはこんな格言がある。『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』。ヒトは生まれた時は皆平等、皆同じように母の胎内から出て産声を上げる、そこに女も男も、老いも若いも関係ないとね」
実際にはその格言には続きがあり、学問を修めることで人それぞれの差異が出るとあり、人生における勉学の重要性を説く言葉になっている。
「きっと、この言葉を作った方は世間を知らないのだろう。それともよっぽど平和な時代に生まれたかだ。同じ言葉を奴隷に向かって言えるだろうか。親から病を引き継ぎ、いつ死ぬとも分からない苦しみに耐えながら生活する者に言えるだろうか。品行方正に生きてきたのに、たった一度通り魔に刺されただけで半身不随になった相手に、同じ言葉が言えるだろうか」
人は皆、努力という言葉では避けられないモノに支配されている。勝ち組は最初から勝っているから勝ち組で、負け組もそれに然り。この世は所詮、誰も動かない椅子取りゲームだ。最初からそう決まっているのだから、それを嘆いてもどうしようもない。
人はそれを、「運命」と呼ぶ。
「人間、自分の生まれと賽の目はどう頑張っても変えられない。これは真理だよ」
「はあ、そっすか」
男はそこで初めて背後にやる気なく控えていた副官に話を振る。一応男は上司なのだが、副官は興味ないと言わんばかりにボリボリと頭を掻いている。というより男の話をまったく聞いていなかったようだ。その証拠に口の端から唾液の跡が伸びている。
「なんだ、その間の抜けた返事は。いけないよ、教国の威信を背負った私達がそんなことでは。休息は取っているのかね」
「ええ、まあ、つい今も」
「嘘を吐きたまえ。明らかに疲れた顔じゃないか」
「いや、これはあんたが長話するから……」
「うーん、最近君も私に付き従って働き詰めだったからな。ちょうどいい、気分転換も兼ねて少し出てくるといい。聞けば街の広場にサーカス団が来ているとか。入場料は手間賃込みで私が出しておこう」
「あんたは人の話聞いてよ。遊んできてもいいってんなら、そうしますよっと。でもいいのか、リーダー一人で」
「問題ない。私を誰だと思っている?」
金髪碧眼に整った顔立ち、陽光を反射する大理石の如き白い肌、典型的な白人の特徴を美に昇華させたこの男……名を「ミゲル」。
七人の勇者を束ねる、団長である。
この話はトーマスが刑部狸に騙されるより、
ゴードンが戦乙女に受け入れられるより、
クリスが土人形に思いを伝えるより、
イルムが独眼鬼と気持ちを通じ合わせる、
それ以前に起こった出来事である。
ミゲルは貴族である。彼の代でちょうど十代目、先祖は旧魔王時代に武功を立てた騎士の出であり、それにより時の王と教会から爵位を賜ったのが始まりとされる。
古参が没落し新参が新たな貴族になる今の時世で、十代もの長きに渡り家名を存続させた家はそう多くはない。北側の諸国では革命が起こり労働階級による統治が行われる今の時代、血統による世襲さえも難しい世の中になりつつある。ミゲルの生家が長く続いたのは国と領民から信頼されていたからに他ならない。
先祖が騎士だった家のせいか、代々生まれる男は皆騎士になることが当たり前だった。ミゲルもまたその慣習に倣い、騎士としての訓練を積み、戦争に従軍したこともある。
勇者の洗礼を受けた今も身を包むのは騎士の甲冑。七人それぞれが自分の役目を持つ中で彼に与えられた任務は……ズバリ、「勇者」である。
勇者とは魔を討つ者。その最終目標は全ての魔物の王である魔王を討伐することにこそある。毎年のように主神の選定により勇者が現れ、打倒魔王の美旗を掲げて魔界に旅立つ。ミゲルも、いや彼だけでなく他の六人も本来ならそうするのが正しい勇者の仕事なのだ。
だが昨今では魔物と交流を結ぶ人間が増えてきた。単なる集団での現象なら教会の威光で潰せるが、それが国家レベルになると話が違ってくる。時の指導者が史上初となる親魔物領宣言をしてから数十年、もはや教会の威光だけではこの流れを止められないのも事実だった。
そこで教会は一計を案じた。悪臭を断つには元から、人心が魔物へと傾倒するのなら諸悪の根源となる魔物を消すしかない。
その為にはやはり勇者の力が必要だが、ただ闇雲に殺したのでは周辺諸国の批判は避けられない。邪魔な魔物を始末し、なおかつレスカティエに対する後ろ指を減らす方法は二つある。
ひとつは、影で密かに暗躍すること。暗殺、間諜、経済面からの打撃、相手が巨大な国家ならそう言ったミクロな部分での攻撃は意外と痛手になる。家屋を食い潰すシロアリの如く、敵の懐に忍び込み工作を繰り返し、気付く頃にはもう後の祭りというわけだ。
もうひとつは、国家として相手の国に介入することだ。領土や領海を侵犯した国に対し、周辺の有力国がそれを非難するのと同様に、国が国そのものにダメージを与える常道にして正攻法。レスカティエほどの国家、ならびに全世界に数百、数千万もの信徒を抱える正教会がそれを行えば影響力は凄まじい。
しかも行われるのは単なる非難ではなく介入である。
レスカティエが掲げる大義名分はこうだ。「お宅の抱える魔物が人に悪さをしている」、「お宅の良識ある判断を待っていたがどうにも改善する様子がない」、「だからうちの勇者を送って討伐させてもらう」。
標的は魔物、それも国政に影響を及ぼす要人レベルの扱いを受けている者。討伐の理由はなんでもいい。富を収奪している、淫祠邪教の祭司、民草に望まぬ環境を強いている……後付けのオンパレード、最悪「教会に楯突いたから」でも構わない。後は勇者を派遣すれば政治的に邪魔だった魔物だけがいなくなる。
話を戻すと、教会の命令を受けミゲルはそうした魔物を討伐する任務に就いている。背後関係を除き単純に魔物を倒すという部分だけを見るならば、彼は七人の勇者唯一の正統派である。
これまでに教会の命令で討伐した魔物の数は騎士時代も含めれば48、皆教会が「悪」と認定した存在だ。
怪しい薬を村人に配布していた魔女を倒した。
その元締めであるバフォメットも粛清した。
町に大量発生したデビルバグを駆除した。
国全体を魔界に変えようとしていたデーモンとその一派のデビルらも壊滅させた。
鉱山に住み着いたドラゴンも討伐しようとしたが、流石にこちらは封印がやっとだった。
恐ろしいのはこれらが全て、ミゲル単独での戦果という事実だ。その実力はかつて現魔王を討伐に向かった初代勇者を想起させると教会は持て囃している。それらは才能ももちろんだが、彼自身幼い時分より鍛錬に明け暮れ、従軍経験もありながら現役騎士の地位を維持している努力の成果でもあった。
ミゲルが団長に選ばれたのはその類稀なる強さ、同じ任務を受けた仲間が反旗を翻しても四人までなら同時に、残る一人も少し手間はかかるが正面から堂々と勝つことができる。
そしてもう一つ、教会はミゲルを勇者として対外的に露出させることで自分達の威光を発信させる装置とし、レスカティエは健在なりと外部に喧伝しているのだ。
勇者とは存在そのものがある種の治外法権、魔物を討伐するという立場にありながら親魔物領であるアルカーヌムを我が物顔で闊歩できるのはこのためだ。
とは言っても、華々しい仕事ばかりとは限らない。
「ええと、トーマスの今月の収益が……赤字だと!? しかも何だこの額は! 後になって十倍にして取り返すのだとしても、こんなのを上が容認するわけが無い! ゴードンっ、こいつはいつになったら隠蔽工作を覚えるんだ!! 死体を隠す気が無いならせめて身元を分からないようにしておけ! その処理をするのはこっちなんだぞ! シャムエルは何をやっているんだ、まったく。クリス……お前も少しは加減を知ってくれ。標的一人始末するのにどうして屋敷中の人間を殺し合わせるんだ! もう少しやり方というのがなあ……!! ってぇ、何だこの請求額は!!? 説明しろォ、イルムゥゥーッ!!!」
六人の部下から送られてくる活動報告書をまとめ、それを上層部に送るのが平時のミゲルの仕事だった。
団長と言えば聞こえはいいが、実際は元締めと部下を繋ぐ管理職でしかない。上手いこと上を納得させ、部下もフォローする、組織とは真ん中が一番辛いところだったりする。
加えてミゲルの頭痛の種は自分の六人の部下だ。
トーマスは会社買収のついでに孤児院や慈善団体を潰しまくり。
ゴードンは標的を過剰に痛めつけ惨たらしい死体はそのまま残し。
クリスは過度に「仲良く」なってしまった相手を持て余して自死を命じ。
イルムは活動に何の関係もない研究に資金を湯水のごとく浪費する。
『六人目』はただ歩くだけで周辺に被害をもたらし。
『七人目』に至ってはそもそも動かないことを祈るしかない。
そんな連中が寄越してくる活動報告書を整理しているだけでミゲルの頭はキリキリと痛くなってくる。ミゲル自身は敬虔な主神教徒ではあるが、こんな連中を勇者に選んだ天界に文句を言いたくなるのは度々だった。
親魔物領という事もあり、以前ほど切った張ったの大立ち回りを演じなくなったが、代わりにこうして書類仕事に追われる日々が続いている。彼らに代わり教会からお小言を言われるのはミゲルの役目となっていた。
まとめの報告書をいくつかの伝書鳩に小分けして飛ばすと、ほっと一息入れる。気分転換に紅茶でも飲もうかと副官の方を見るが……。
「そう言えばサーカスを見に行ったんだったか」
他でもない自分が休暇命令を出してせいで、副官はさっさと街に繰り出していた。口は悪いが仕事はできる彼をミゲルは信頼しており、そんな彼が不在なので結局自分で淹れることにした。
「ん〜、イイ薫りだ。この一杯のために働いているという感じがする」
ミゲルはその国や住む場所を評価するとき、必ず食べ物や飲料でその良し悪しを判断する。彼自身はそこまで健啖家というほどでもないが、食事は人の心を豊かにすると知っているし、いい豆や茶葉を仕入れるということはそれを理解しているという証拠でもある。
アルカーヌムは「いい国」だと今日も再確認できた。
ふと、窓際に何かある。伝書鳩だが自分がさっき送ったものではない。どうやらレスカティエからの指令書のようだ。
「珍しい、『私宛』とはな」
七人全体への指令ではなく、ミゲル個人を指しての物。となれば、久しぶりに勇者としての仕事があることを表している。
指令書に目を通し、後日彼は「勇者」として王都のとある場所を目指す。
全ての魔物が初めから人間と友好的だったかと言われればそうではない。最終的な着地点はともかく、様々な意味で関わりを持たない方が吉とされる存在もいる。
未開の地に住む男狩り族・アマゾネス。
闇の太陽、魔界の核・ダークマター。
東方より来たる蜘蛛脚の猛獣・ウシオニ。
火山地帯の荒々しい番犬・ヘルハウンド。
これらはほんの一部だがどれも人間がおいそれと近付くことは避けるべきと明言されている種族だ。向こうも向こうで生活圏が重ならない限りは自ら接触しない分、総合的な危険度はそうでもないのだが……。
一種、例外が存在する。
それは人間を見下し、人間を襲い、それでいてなおかつ人間と住む場所を同じくする闇の住人。同じ魔物の中でも高貴なる血族に数えられるブルーブラッドの末裔。
人の精気より生き血を何よりも好み、下等な人類を隷属する権利を持った魔物の筆頭。
かつて王都にもそれらが存在していた。
現在の王都があるこの平原一帯は、かつてはとある魔物の一族が治める領地であった。新魔王の台頭より後も変わらず人間を「餌」として扱っていたその一族は、アルカーヌム初代国王率いる騎士団に敗北し、一族は平定された領土を差し出すことで難を逃れた。
本来ならこの時点で一族郎党皆殺しが妥当なのだが、初代国王は平原に王都を造りそれを発展させるに当たって彼女ら一族の知恵を借り、かつ一族を王国の貴族として扱うという異例の厚遇をもって迎え入れた。初代国王の魔物との共存を望む有名なエピソードとして歴史の教科書にも載っている。
王朝が出来て間もない頃、彼女らは既に四代もの間この地を支配してきた。現国王が三代目であることを考えれば、王家以上に歴史が古い家柄になる。
「姫様、迎えの馬車の準備が整うてございます」
メイド長の老婆に呼ばれ、屋敷の主が席を立つ。
毅然とした足取り、何も恐れるものなど無いとばかりに屋敷を歩くその姿は、まさしく女傑。着込んでいるのがドレスではなく甲冑であれば、周囲を戦場と見紛うほどだ。だが彼女が向かうのは戦場ではなく、貴族の集まりである夜会、とある知己の生誕を祝う会に出席するのだ。
彼女は生まれてこの方、夜会にしか出席したことがない。彼女も、彼女の母も、祖母も、昼間に行われる行事に参加したことは一度もない。例えそれが王都の貴族全員が出席を義務付けられる建国記念式典であってもだ。
出られない、出てはならない。この生涯で陽の光を見た回数など片手で足りるだろう。
「それではアイリス様、お気を付けていってらっしゃいませ」
文字通りの深窓の令嬢。それこそが彼女、アイリスの一族の宿命。
影を下僕に、闇を友とし、夜に生きる。
そのモノの名は──、「ヴァンパイア」。自らを魔王を除き最も高貴なるモノと自負する種族。
今より百数十年前に初代国王によって調伏されし吸血鬼の末裔がアイリスであり、彼女はその六代目の当主。女しか生まれない魔物娘ゆえに家督は女が継ぐ女系一家である。
馬車はものの五分もせず目的地に到着する。何のことはない歩いて行ける距離だが、貴族たるものいつ何時も余裕を持って優雅に気品よく行動することが常識だ。靴の踵を会場に着くまでに磨り減らすような真似は慎むべきとされている。
「アイリス姫、ご到着〜!!」
出迎えの従者が屋敷まで続くカーペットを敷き、馬車よりアイリスが衆目に姿を晒す。
「おお〜! なんと麗しい……」
「一見地味な布地をあのように仕立て上げるとは!」
「さすがはアイリス様ですわぁ〜!」
青みを帯びた黒の布地をベースにした夜会ドレス。色だけを見れば質素かも知れないが、服の表面には色彩を邪魔しない程度に砂粒ほどの宝石が散りばめられ、服の色と相まって星空をそのまま切り取ったようだった。まさに、夜に生きるヴァンパイアに相応しい出で立ちと言えるだろう。
だがそれよりも重要なのは、彼女がその頭にティアラを戴いていること。本来王族の女性にのみ戴冠を許されるはずのそれを付けているということは、彼女の血統が王家と並ぶものであることを暗に示している。
「アイリス公爵閣下、この度は我が屋敷に足をお運びくださり、まことに、まことに……!!」
今現在確認されている限り、王族に連なる血族以外、それも女性で爵位を賜っているのはアイリスの一族のみである。王都成立の歴史に深く関わった一族ゆえの特権だが、やっかみが無いところを見るに血族がどれだけ慕われているかが分かる。
話が長くなりそうだと感じたアイリスは主催者を手で制し、宴を前に気分が高まりつつある客にも手を振って挨拶する。主催者はこの家の主だが、この宴の主賓はアイリスで相違無い。
ヒトに調伏されたのも今は昔、彼女らヴァンパイアは夜の貴族としてこの王国に迎え入れられている。建国当初より親魔物の国として発展してきたアルカーヌムで今更軋轢など起こるはずもなかった。
そのはずだった。
「その宴、少し待たれよッ!!!」
突如、会場に轟く声。発生源は一人だが、その声は広い上に人が満ちていた会場の窓や天井を揺らすほどの声量で、臆する心など無いのだと高らかに宣言しているようだった。
アイリス、主催者、その他大勢の貴族たちの視線が招かれざる客に注がれる。
「皆の者、道をあけよ!! 下がれ、下がれ下がれぇい!」
「我らに逆らう者はレスカティエ正教会に翻意有りと判断する!」
ぞろぞろと侵入するのは教会に仕える聖騎士たち。白銀の鎧には至るところに聖性を示す紋章が刻まれ、一様に盾や剣を装備していた。予期せぬ非常事態に貴族たちは皆浮き足立ち、乾杯するはずだったグラスをそのまま手に脇へ脇へと追いやられた。
だが冷静になった一人がやっと口を開く。
「お、おい! ここをどこだと心得る!? 恐れ多くも……!!」
「恐れ多くも……何です?」
「ヒィア!!?」
抗議の声を上げた貴族の喉元に白刃が伸びる。喉仏を撫でる冷たい感触に驚いた貴族はみっともなく腰を抜かし、脅してきた相手を見上げる形となった。
「先に言ったはず、邪魔立てすれば教会に反逆したと見なすと。我々の言葉、今一度ご理解いただけたか?」
皆が兜を被っている中、その青年一人は素顔を晒していた。今しがた自分が脅した相手に対しにこやかな笑みを浮かべているが、その目は冷淡な印象を覚えさせた。
その効果かどうか、人垣はさっと割れて道を作り、騎士たちの目当ての人物へと続く。
「王都のヴァンパイア、アイリス公爵は貴女か?」
騎士団を率いる青年がそう問いかける。対する吸血姫は事の成り行きを表情一つ変えずに見守り、その言葉に対し否定も肯定も示さなかった。
「アイリス公爵とは貴女のことで相違無いか? そうならそう、違うなら違うとはっきり言いたまえ」
「き、貴様! 姫閣下に対し無礼であろう!? 下賤の者に乱りに声をかけてはならんという、一族の戒律を知らんのか!!」
「それは初耳です。なるほど、ヒトのような下等な生き物に声をかけたくないと。流石はヴァンパイア、そんな下等生物の生き血を吸わなければ生きられない脆弱な生き物は言うことが違う」
「なんだと!?」
青年の指示で物言わぬアイリスの周囲を騎士たちが取り囲み、一斉に剣を抜く。周囲を刃の牢獄に囲まれてなおアイリスは微動だにせず、その視線は団長のミゲルを捉えて離さない。
「我らはレスカティエ正教会より遣わされしパラディン。此度我らは、この地に人の生き血を啜り、人に害を為す悪鬼が存在すると聞き征伐に赴いた次第。下手人はそこのアイリス公爵と聞き及んでいる」
「誤解だっ! 閣下が何をされたと申すのか!!」
「人の生き血を吸う……それは裁きを受けるに充分な罪状。魔物はヒトを傷付けてはならないとする規範に反する。仮に王国の法がそれを許しても、レスカティエの教義は全てに優先する。よって、無辜の民草を苦しめるアイリスなる悪鬼は今この時、この場にて成敗する。この『勇者ミゲル』の名において!」
勇者と名乗りを上げたことで周囲の貴族らに二度目の動揺が走る。今度はアイリスもはっとした表情で顔を上げた。
魔物を殺す使命を帯びた彼らの存在は、親魔物領の人間たちにとっては憧れであると同時に恐れの対象でもある。古くから多くの英雄譚を残した彼らは民衆の心を掴んで離さないヒーローだが、それと同時に良き隣人であり愛する友でもある魔物娘を屠る恐怖の存在でもあるのだ。
そんな勇者が、皆の羨望を一身に集める吸血の姫を討伐しに来た。恐らく正教会の権力を笠に着ての行為だということはこの場の誰もが理解していた。だからこそ教会の威光に個人として反抗することができないため皆一様に口を噤んでいる。
「勇者殿、お聞きくだされ!」
血族の戒律により言葉を話せないアイリスに代わり、その従者がミゲルに陳情する。
「確かに姫とその一族はヒトの生き血を飲みます。しかし、それは月に二度か三度、それも屋敷に仕える者から少量抜き取ったものをお召し上がりになるだけ! 誓って、決して吸血により諸人に害を為すようなことはありません!」
「吸血行為とはヴァンパイアにとって血族のアイデンティティ、神聖なる行為なのです! 何とぞ、何とぞご理解を!」
「誓って……ヒトを『餌』にしているのではないと? 公爵閣下は先祖の愚行を再び犯していないと、そう言うのだな?」
「は、はい!」
「ではそれを証明せよ。今、この場で!」
「今、ここで!?」
そんなこと不可能だ。いや、仮に屋敷に戻り使用人全てを証言台に立たせても、その全てを当事者として扱い弁護の証言に数えないだろう。その昔、教会主導のもとで幾度となく行われた魔女裁判が行われるだけだ。
そんな圧倒的不利な状況で自分の潔白を証明する手立ては、たった一つ……。
「決闘だ……。決闘を行うのです!!」
誰かが言った提案に周囲の貴族らも口々に賛同する。
決闘とは貴族や騎士、軍人にのみ許された自力救済の手段。己の正当性の主張、もしくは自分が侮辱されたと感じた者が相手に対し申し込むことでそれは準備がなされる。基本的には当事者同士の一対一で行われ、どちらかの死亡もしくは降参によって勝敗が決する。
アイリスは貴族、ミゲルは騎士、それぞれ決闘を申し込みそれを受け入れる権利を持つ。
「決闘だ! 決闘で決着を!!」
「アイリス様、教国の勇者に目にもの見せてやりましょうぞ!!」
周囲の貴族らに推されてアイリスの手がそっと伸びる。自身の手を覆う白手袋を取り外すと、それをミゲルの足元に捨てるように放った。手袋を投げつけるのは決闘の意志ありとされ、それを拾い上げることで相手も受諾したものとなる。この場合の挑戦者はアイリスとなった。
「お受けしよう! 誰か、儀礼用の剣を持て!!」
ミゲルの命令に騎士の一人が決闘に使う特殊な剣を渡す。本来なら決闘とは命のやり取りなのだが、互いの立場を鑑みれば「今ここで」殺し合うのは良くない。その為に剣は刃が潰され、鎧を切れない造りになっているものが支給された。
「剣に仕掛けが無いことを確認するがいい。刃を潰しているからといって侮るな。ここが戦場のつもりで挑むが良い。もっとも、昼日中に外も出歩かない箱入り令嬢に戦場の空気など分からぬか」
「侮辱もいい加減にしろ! アイリス様は確かに戦場に出られたことは無いが、剣の腕前はこの国で一、二を争われる方ぞ! 刃が無くて命拾いするのはむしろそちらだと知れ!!」
「それはそれは、楽しみだ。準備はよろしいか」
お互いに鎧兜を装着し、装備を確認し終わる。ミゲルは標準的な両手剣を、アイリスは女性でも振るえるレイピアをそれぞれ手に持っている。
「通常、命を懸けない方法ではどちらかが降参の意志を示すことで決着となるが、公爵閣下の戒律に免じて『地に手を付いた方が敗北』とするが如何に?」
ミゲルの提案したルールにアイリスは首肯する。それを合図に二人同時に剣を抜いて構えた。
ミゲルが勝てばアイリスは証拠の無いまま罪が立証されてしまい、教会の手によって幽閉される。逆にアイリスが勝てば自身の潔白の代わりとして認められ、晴れて無罪放免となる。これ以上ないほどわかり易いルールだ。
アイリスはレイピアの切っ先を正確にミゲルの喉元に狙いを定め、いつでも彼の喉を捉えられるようにしていた。対するロングソードのミゲルは足を肩幅まで開き剣を真っ直ぐに持ち、脳天に振り下ろせる形を取る。実際に振り下ろせば兜越しでも相手を昏倒させる一撃が繰り出されるだろう。
「……行くぞ!」
ミゲルが駆け出す。周囲の貴族らは戦くが、騎士団が目を光らせているので離れることさえ出来ない。
ソードとレイピアが何度も硬い音を上げながら剣戟を交わす。鍛えられたそれらが触れるたびに火花を放つ錯覚を覚え、その激しくも鋭い攻撃の応酬は二人の力量の高さを表していた。
だが実際はミゲルの剣をアイリスが受け流すという防戦一方な戦いだった。決してアイリスの腕前が劣っている訳ではない、兜の奥の紅い眼は疲れや焦りを感じさせない。むしろ余裕を感じさせた。
「なるほど、雑魚相手に本気を出すつもりは無いと? 随分な自信ですが……」
言ったはずだ、ここを「戦場」と思えと。
本気を出すまでもないという侮りは、死を意味する。
それを教えてやらねば……。
「っ!!」
一旦態勢を変えようと身を引いたミゲルだが、それを一転攻勢に攻めてくるアイリス。右足を大きく踏み出し鋭いレイピアの突きを繰り出してくる。ミゲルの背にはテーブルがあり、それ以上後ろへ下がることは出来なかった。
この時、彼が兜の下で不敵な笑みを浮かべたことを知る者はいない。
ミゲルの背が当たった時、テーブルの上に置かれていた未開栓のボトルが倒れた。ごとんと倒れたそれは勢いそのままにテーブルの下に落下するが、割れない。踵とアキレス腱で見事に受け止めて見せたのはミゲルだった。
「お飲み物はいかがですか」
ボールをリフティングするように、両足が器用にボトルを蹴りはね、不思議と割れないままボトルはアイリス目掛けて飛んでいった。すんでの所でそれを切り伏せるが、そうなると当然中身が飛び出す。中からは赤ワインが氾濫し、アイリスは芳醇な香りを放つそれを顔面から被ってしまった。
兜の隙間から入り込んだそれはアイリスの目を潰し、兜を被っているせいで顔を拭うことも出来ない。
そして、その隙を逃さず──、
「ハァッ!!!」
ミゲルの剣がアイリスの側頭を叩いた。人間なら気絶するレベル、ヴァンパイアであっても目を閉じたところにこれを喰らえばタダではすまなかった。頭部を反響する衝撃にしばらくふらついた後、アイリスはどっと倒れ伏した。
吸血姫の完全敗北である。
「……ふざけるな」
しんと静まり返っていた会場に誰かの呟きが漏れた。言わんとしていることはミゲルにも分かっていたし、次に口を飛び出した言葉も予想の範疇だった。
「卑怯者め!! 剣の勝負に小細工を使うなど、騎士の風上にも置けん奴!! ええい、無効だ! こんな決闘、無効に決まっておろう!!」
「教国の勇者が聞いて呆れるわ! 卑劣、野蛮、言葉も出ぬ!!」
押さえつけられていた分、ミゲルに対する怒りが噴出した。もはや騎士たちも抑えられない。だが当のミゲルは罵詈雑言を涼しく受け流し、心底哀れなものでも見てしまったような視線を貴族らに投げかける。
「卑怯? 小細工? 野蛮? お歴々、少し……いや、かなり的を外し過ぎていませんかな。私は最初に申したはずです、『戦場のつもりで挑め』と。卑劣だの何だの、如何にも前線に出たことが無い理想主義者が曰う言葉だ。頭に咲いた花の匂いで鼻が曲がりそうだ」
「貴様ぁ、それでも騎士か!?」
「騎士は正々堂々、相手の油断も気の迷いも突いてはならないなどと本気でお思いか? お歴々の中では戦場の習わしと正々堂々という言葉が一致していないようですが、私は何の矛盾も無いと考えます。戦場の流儀に則り、正々堂々と油断を誘いそこを突いたまでのこと。それは前線だろうと、一対一の決闘だろうと変わりますまい」
「ぐっ、言うに事欠いて……!! こんな事をして許されるとでも!!」
「レスカティエの教義は全てに優先する。あらゆる法、条約、戒律の上位に位置するのだ。これ以上問答する余地はない。まだ仰りたいことがあるのでしたら教会にお問い合わせください。さあ、連れていけ」
「アイリス姫!!?」
騎士たちがまだ気絶したままの吸血鬼の姫を両脇を抱えて起こし、地面を引きずって罪人のように引っ立てる。追いすがろうとする貴族たちを跳ね除けながらミゲル一行は屋敷を離れ、そして戻ろうとはしなかった。
翌日、王都を二分する貴族がその身柄を確保されたという報は王宮に駆け巡ったが、混乱を恐れた者らにより徹底した箝口令が敷かれることになる。
今回、ミゲルの任務は初めからアイリスの殺害ではない。このように身柄を捉えることが出来れば手段は問わなかった。実際彼女を幽閉しているのもどこかの地下牢ではなく、彼女自身の屋敷にある寝室に押し込めている。
何せ相手が相手だ、王都どころか王国全体に誇る知名度を持つ貴族となると、下手に扱うだけで国際問題になる。こうしてありもしない容疑を針小棒大にでっち上げ、勇者が魔物を討伐するという大義名分を背負って初めて無理を通せるのだ。殺しでもすればそれこそ戦争にまで発展するだろう。
王家以上に古い血筋を持ち、王族に並ぶ唯一の貴族として、彼女の血筋は王国の歴史そのものだ。そんな彼女が在らぬ疑いで身柄を押さえられたとなれば、国の威信を懸けて取り戻そうと動くだろう。
教会は初めから、彼女を人質にして和解金を巻き上げるのが目的なのだ。返してほしければ頭を下げて出すものを出せ、ということだ。気に入らない国のプライドを傷つけなおかつ利益も得られる、言うことは勇ましいがやっていることは完全に賊のそれである。
「気分はいかがですかな」
時刻は早朝、寝室に差し込む陽光が目に眩しい時間帯だが、決して吸血鬼が闊歩する時間ではない。
だがアイリスは眠れない。今や牢獄となった寝室には自分を打ち負かしたミゲルと、彼の副官が見張っているからだ。女性の部屋に堂々と居座るという騎士にあるまじき行いだが、今のアイリスにそれを拒否する権利はない。
そして、相変わらずアイリスは一言も発さない。
「ふむ、公爵閣下はひどく緊張されているよう。ここはひとつ、君の得意なジョークを披露して和ませてやるといい」
「勝手に人の設定付け足すな。そういうのはクリスの仕事だろ」
「毎度思うんだが、やはりこういうのは彼が適任じゃなかろうか?」
「だったら言うなよ」
漫才のような二人のやり取りも冷めた目で一瞥しただけに終わり、アイリスの視線は眩しそうに太陽に注がれていた。
「真昼の光を見るのは久方ぶりでしょうか。普段見慣れた月の光とは趣が異なるだろうが、今の貴女にはそれで我慢してもらいたい」
ヴァンパイアにとって日光は天敵だ、浴びるだけで幼子ほどに力が劣化してしまう。仮にここでアイリスが暴れようとも、路地裏のチンピラにさえ勝てないだろう。
「事が済むまで貴女の身柄は我々レスカティエ聖堂騎士団が管理しましょう。なに、王国ほど理解のある国でしたら交渉に一週間もかかりますまい」
現在、身柄の解放を要求する王国側に対し教会が返還金の要求をつっ返しているところだろう。屋敷の内側を騎士団が、外側を王国の軍人が包囲する物々しい雰囲気に包まれているが、原因を作った当のミゲル本人は窓の外など見えていないように振舞う。
「栄誉ある一族にあらぬ疑いをかけるなど……教国の勇者も目が曇りましたか」
年老いたメイド長が薄く開いた目から恨めしげにミゲルを睨みつける。手には主の着替えを持っているが、あえてその先を言わないのは主人を慮ってのことなのだろう。
「ここで着替えればよろしいかと。ああ、我々のことなどお気になさらず。木石か何かと思ってもらって結構」
「女性の寝室に踏み入ったばかりか、その着替えの様子まで……! 痴れ者め、恥を知りなさい!」
「下々には口も利かないのでしょう? 貴女方は獣に肌を見られて赤面するのですかな?」
「ぐぬぬ……!!」
澄ました揚げ足取りに老婆のシワだらけの顔が怒りで赤くなる。もう少しで口角から泡を吹きながら罵詈雑言をぶちまけそうだった。
だが、それを止めたのは他でもないアイリスだった。手で制すと老婆に着付けを命令する。
「姫様っ……か、かしこまりました」
当主の命ならばと老婆と数人のメイドが慣れた手つきで着替えを行う。もう何年もアイリスの身の回りを世話する側仕えとして、彼女と共に生活してきた家族も同然の者達だった。
ネグリジェを脱いで露わになった体は均整が取れた美しさで、まるで古代の彫刻がそのまま命を得たようだった。夜の一族ゆえか肌は真白でシミひとつ無く、陽光を受けて僅かに赤らんだ部分が実に艶かしく見える。そしてそれらを服を重ね隠す様子が逆に色気を誘うのだ。
「ふむふむ。ほぅ……」
その様子をまじまじと惜しげもなく観察するミゲル。あまりに堂々としているので一瞬忘れそうだが、やっていることはほとんど出歯亀に近い。となりの副官は関わりになりたくないのか、あからさまに目を背けていた。
結局、着替え終わるまでミゲルの視線は片時もアイリスから外れず、アイリスもそれを恥じる様子もなく滞りなくそれは終わった。
「……我々、少し用があって離れます故、くれぐれもここから閣下を出されませんよう」
そう言うとミゲルは足早に寝室を出る。副官も慌ててそれに従う。
本当は嘘だ。この後ミゲルは急を要する事など何もないし、政治面の裏仕事もクリスが済ませているが報告はまだ先だ。
何をそんな急に?
「気に入らない」
「何が?」
「あの吸血鬼の態度さ。戒律だか何だか知らないが、少しお高くとまり過ぎじゃないかな」
「お前さんが言うかね」
「確かに、貴族なんてのは大なり小なりプライドの塊だ。だが彼女は……いや、この家はもはや貴族とは呼べないよ」
「そりゃまた何で?」
副官は少し興味が湧いた。部下関連以外でミゲルがここまで不機嫌になるのは久しぶりのことだった。
「簡単なことさ。この一族は貴族という下々を支配する立場にありながら、土地も民も持たぬ名ばかり貴族なんだからな」
通常、貴族とはその家が所有する領土と、その領土に住む領民を所有物として持てる権利がある。土地を管理し、土地に住まう者から税を徴収することで収入を得ているのだ。王都の重要職に就いている貴族らも王都の内外に領地を持ち、土地と民を管理することで自らの食い扶持を稼ぎ国の繁栄にも貢献している。
だがこのアイリスの一族は違う。公爵という最上位の爵位を賜りながら、彼女の一族は建国以来王国のどこにも領地を持たない。自分達の住んでいる屋敷だけで、もちろん使用人以外に民はいない。辺境の田舎ならまだしもここは王都、没落貴族が収入もなく生きていける場所ではない。
「彼女らは民を持たないのに、どうやって生活しているんだと思う? 国だよ、この国の政を司る王族が彼女らを養っているのさ。古の盟約を履行してね」
「盟約? 土地を差し出す代わりに命だけは、ってやつ?」
「彼女らの先祖はそれで領地を失い、そこに今の王都が出来た。王国はその見返りに王都で徴収された税のどれだけかを使い、かの一族を保護するという盟約を立てた。大義名分があるとは言え、最初に土地を分捕る真似をしたのは王族側だし、吸血鬼の支配を受けていた領民も多かった……当時としては、そんな盟約も止むなしだったのかもね」
「公爵なんて大層な肩書きをもらっときながら、実際は領地も領民もなく、何かしらの役職を持っているわけでもない。それなのに天下の王国に上納するどころか、逆にお上から養ってもらってると。これ、言い換えればいい年こいた息子がいつまでも独り立ちしないで親のスネかじってるあれじゃん」
「言ってやるな、流石に哀れだ。ノブリスオブリージュ……持てる者の責務すら放棄した貴族など、存在する意味がない。そして、そんなタダ飯喰らいを養ってイイ気になっているこの王国も、底が知れるというものだ。貴族とは、貴き一族と書く。今のこの一族に貴い部分などあると思うかね」
「出たよ、リーダーの貴族論。耳にタコできてるから……」
「まあまあ、そう言わずに付き合いたまえ。君も騎士の端くれなら将来の為に聞いておいて損は無い。そも、貴き身分というものはだね……」
「あーあーきこえなーいきこえなーい、おれちょっとようじあるからー」
「あ、待ちたまえ! ……行ってしまった。勤務中に勝手に出歩くなど感心しないな」
そそくさと去っていく副官を見送りながら、やれやれと肩をすくめる。あんな職務怠慢な彼でも、裏方の四人と比べて遥かにまともというのが皮肉だ。
一人になったところで改めて屋敷を観察する。今この屋敷の使用人はアイリスの世話役と食事を作る料理番を除けば、彼女を監視するための騎士団しかいない。彼らの自由まで拘束してはいないので、外にいる王国関係者は彼らを通じて屋敷の中の様子を知ることができる。
「流石にそこまで規制すると、どんな噂を立てられるか分かったものじゃないからな」
こんなところで異端審問など行うはずもないが、外部の人間には分かるはずもない。あらぬ噂を立てられて教会を攻撃する材料にされるぐらいなら、いっそ初めから情報規制はしないほうが良いというミゲルの判断だった。
ある程度見回ったところでアイリスの寝室まで戻ると、ちょうどメイド達が部屋を出るところだった。食事を乗せた盆を持っているが、食べ残しがあった。
「姫様はご気分が優れません。どうか、今日だけは寝室に入ることの無きよう」
「それはいけない。医者を呼びましょうか」
「結構です。屋敷には優秀な医師もおりますので。では失礼」
そっけない態度で通り過ぎるメイド達を尻目に、進入禁止を言い渡された部屋でミゲルが一人佇む。押し入るわけでもなく、ノックをするでもなく、ただ立っている。
「はてさて、どうしてくれようか」
その目は真相を見抜いていた。
屋敷の地下には地下室丸ごと使ったワインセラーがある。保存されているボトルはそれ一本で家が建つほど値の張る物もあり、何十年もの熟成を経たそれらは自然の恵みをそのまま凝縮した血の色をしている。
そこへ倉庫番を任されたメイドが一人、酒蔵へ降りてくる。ひんやりとした貯蔵庫の中は薄暗く、にも関わらずその手は迷うことなくボトルを掴んで床に置いていく。
決まった位置、決まった重量、そして決まった本数……それらの条件を満たした時、床下に仕掛けられたギミックが作動し、隠し通路の扉が開く。
王侯貴族が賊の侵入などに備えて用意している秘密の抜け道だ。
真っ暗で狭い通路を灯りもつけずにしばらく歩くと、上に通じる穴までやって来る。掛けられた縄梯子を使って登ると蓋になっている板を外し、屋敷から少し離れた枯れ井戸から姿を現した。
服に付いたホコリを軽く払い、そのまま井戸を後にする。
「どこへ行く」
すらりと、その首筋を剣が撫でた。ミゲルがすぐ背後に迫っていた。
「酒蔵の管理は基本的にバトラーの仕事。そこへメイドなんかが足を踏み入れるので怪しいと思えば……。随分と手の込んだことをしてくれるじゃないか、アイリス姫」
頭に被った帽子をカツラごと引き抜くと、現れた髪はブロンド、こちらに振り向く目は血の深紅。紛うことなくアイリス本人だった。メイドに扮して屋敷を抜け出す算段だったのだ。
「……見逃せ」
「初めて喋ったな。けど、それが人に物を頼む態度かな。仮に君が下手に出ても……私は立場上それを受け入れることは出来ない。諦めて屋敷に戻りたまえ、今ならお咎めなしで済ませましょう」
そう言って手首を掴み引き戻そうとするが、アイリスは頑として動かない。日の下にいるので強引にでも連れ戻せるのだが……。
「妾はもう……あんなところに居たくない」
俯き呟くその顔を見て、ふと考えを改めた。
ミゲルはその表情を良く知っている。
「そなたに面倒はかけぬ。だから見逃してほしい」
「そう言って、どこか貴族の屋敷に逃げ込むのでしょう?」
「いいえ……妾は、野に下る。もう王都には戻りませぬ」
「それはそれは……」
俄かには信じがたい言葉だが、その表情が演技ではないことをミゲルは見抜いていた。このまま彼女を放置すれば本当に行方をくらましかねない。かと言ってそうなれば王国との間の緊張が悪い方向に傾く。
無理矢理連れ戻すのは簡単だが……その時、ミゲルの中でひとつの考えが思い浮かんだ。
「ならばいっそ、亡命すればよろしい」
「ぼう、めい?」
七人の勇者の最終目標は言わずもがな、アルカーヌム連合王国の解体。より正確に言えば、解体までの決定的な流れを生み出すことが主任務だ。最終的にそこに落ち着くのであれば過程はどう転んでも構わない。
例えば、隣国が付け入る恰好の材料を与えるなどだ。
「王国の貴族代表でもある貴女が逃げ込めば引く手数多だ。貴女にどんな事情があるにせよ、家に縛られたくないと仰るのなら王国の法が届かない場所へ逃げるしかない」
「逃げるなど……妾は、そんな」
「違うのですか? 私としてはそうしてくれた方が好都合だ。どうせ貴女、この家……いや、この国に未練など無いのだろう? 顔を見れば分かることだ。理由云々など興味はないが、貴女にとって我々の登場は千載一遇の好機だったはず。どうせ逃げたいと言うのなら我々の役に立ってもらわねば」
そう言うとミゲルはアイリスの手を引く。アイリスが狼狽えている間に二人の足は枯れ井戸から離れ、屋敷から距離を置いた人気のない路地に出た。
「ミーシャ、いるかい?」
「あいよぉ」
ミゲルの呼びかけに、どこに潜んでいたのか副官が姿を現す。
「話は聞いていたな。そういうことだから、後はよろしく」
「簡単に言ってくれるよな、うちのリーダーは。具体的にはどう?」
「どうとでも。これからその辺りを『散歩』してくれればそれでいい」
「あいあい。ほんじゃまあ、まずは……表の連中をどかしますか」
「そなたらは、一体……?」
「勇者ですよ。貴女のような魔物をのさばらせておく、この国のような存在を倒すために派遣された、ね」
この僅か三分後、屋敷を取り囲んでいた王国軍人が一人残らず持ち場を離れるという珍事が発生するが、根本的な原因が何であるかはついぞ不明なままだった。
軍人たちが持ち場を離れた間に二人の男女が屋敷から抜け出したことを知る者は、その副官以外に誰もいない。
これは……
運命に抗おうとする女と──、
運命を克服した男の──、
短い短い逃避行のお話である。
五人目は満を持して遂に登場、荒くれ者どもを統率する七人の勇者の筆頭がお出ましだ。勇者が七人もいるってぇなら気になったんじゃありませんか? 一体こんな一癖も二癖もある連中を束ねてるのはどんな野郎なんだ、ってね。
それこそが今日お話する男になるんだが、本来ならこいつは一番最初にお話すべき相手でね。まあその、こっちにも色々事情があってこんな中途半端な順番になったことを、まずはお詫びを。
はい大人の事情は終わり! ジャンジャジャーン、それでは早速お話を始めるとすっか!
タイトルは、『傲慢の勇者 〜あるいは深窓の吸血姫の話〜』
それじゃ、お聞きください。
人は平等ではない。生まれたその瞬間から、人は誰しも努力では如何ともしがたい「差」を持って生まれてくる。
性別の差。
年齢の差。
貧富の差。
環境の差。
身体の差。
これらは全て、自身の努力とは全く別に持って生まれる、いや、持たされて生まれるものなのだ。誰が望んだ訳でもないのに、一度そうなると取り消しも出来ない要素が一生付いて回るのだ。
例を言えば、待ち合わせ時間。
本人の寝坊や、走れる道を走らずに遅れたのならそれは本人のせいだ。だが家を出たのが早くても道が混んでいたり、思わぬハプニングに遭遇して遅れることもある。
普通ならその二つは別けて考えるのだが、生憎世間とは冷たいものだ。理由はどうあれ遅れは遅れ、その結果生じる不都合は全て自己責任という便利な言葉で封殺され背負い込まされる。
生まれの差も同じこと。極論、資産を持った家に生まれれば人生の大半を無理などせず過ごせる。醜い跡目争いを生き残り資産を総取り出来れば、本格的に勝ち組の道を行けるだろう。貧乏人には一生無縁な話だ。
「極東の神秘の国、ジパングにはこんな格言がある。『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』。ヒトは生まれた時は皆平等、皆同じように母の胎内から出て産声を上げる、そこに女も男も、老いも若いも関係ないとね」
実際にはその格言には続きがあり、学問を修めることで人それぞれの差異が出るとあり、人生における勉学の重要性を説く言葉になっている。
「きっと、この言葉を作った方は世間を知らないのだろう。それともよっぽど平和な時代に生まれたかだ。同じ言葉を奴隷に向かって言えるだろうか。親から病を引き継ぎ、いつ死ぬとも分からない苦しみに耐えながら生活する者に言えるだろうか。品行方正に生きてきたのに、たった一度通り魔に刺されただけで半身不随になった相手に、同じ言葉が言えるだろうか」
人は皆、努力という言葉では避けられないモノに支配されている。勝ち組は最初から勝っているから勝ち組で、負け組もそれに然り。この世は所詮、誰も動かない椅子取りゲームだ。最初からそう決まっているのだから、それを嘆いてもどうしようもない。
人はそれを、「運命」と呼ぶ。
「人間、自分の生まれと賽の目はどう頑張っても変えられない。これは真理だよ」
「はあ、そっすか」
男はそこで初めて背後にやる気なく控えていた副官に話を振る。一応男は上司なのだが、副官は興味ないと言わんばかりにボリボリと頭を掻いている。というより男の話をまったく聞いていなかったようだ。その証拠に口の端から唾液の跡が伸びている。
「なんだ、その間の抜けた返事は。いけないよ、教国の威信を背負った私達がそんなことでは。休息は取っているのかね」
「ええ、まあ、つい今も」
「嘘を吐きたまえ。明らかに疲れた顔じゃないか」
「いや、これはあんたが長話するから……」
「うーん、最近君も私に付き従って働き詰めだったからな。ちょうどいい、気分転換も兼ねて少し出てくるといい。聞けば街の広場にサーカス団が来ているとか。入場料は手間賃込みで私が出しておこう」
「あんたは人の話聞いてよ。遊んできてもいいってんなら、そうしますよっと。でもいいのか、リーダー一人で」
「問題ない。私を誰だと思っている?」
金髪碧眼に整った顔立ち、陽光を反射する大理石の如き白い肌、典型的な白人の特徴を美に昇華させたこの男……名を「ミゲル」。
七人の勇者を束ねる、団長である。
この話はトーマスが刑部狸に騙されるより、
ゴードンが戦乙女に受け入れられるより、
クリスが土人形に思いを伝えるより、
イルムが独眼鬼と気持ちを通じ合わせる、
それ以前に起こった出来事である。
ミゲルは貴族である。彼の代でちょうど十代目、先祖は旧魔王時代に武功を立てた騎士の出であり、それにより時の王と教会から爵位を賜ったのが始まりとされる。
古参が没落し新参が新たな貴族になる今の時世で、十代もの長きに渡り家名を存続させた家はそう多くはない。北側の諸国では革命が起こり労働階級による統治が行われる今の時代、血統による世襲さえも難しい世の中になりつつある。ミゲルの生家が長く続いたのは国と領民から信頼されていたからに他ならない。
先祖が騎士だった家のせいか、代々生まれる男は皆騎士になることが当たり前だった。ミゲルもまたその慣習に倣い、騎士としての訓練を積み、戦争に従軍したこともある。
勇者の洗礼を受けた今も身を包むのは騎士の甲冑。七人それぞれが自分の役目を持つ中で彼に与えられた任務は……ズバリ、「勇者」である。
勇者とは魔を討つ者。その最終目標は全ての魔物の王である魔王を討伐することにこそある。毎年のように主神の選定により勇者が現れ、打倒魔王の美旗を掲げて魔界に旅立つ。ミゲルも、いや彼だけでなく他の六人も本来ならそうするのが正しい勇者の仕事なのだ。
だが昨今では魔物と交流を結ぶ人間が増えてきた。単なる集団での現象なら教会の威光で潰せるが、それが国家レベルになると話が違ってくる。時の指導者が史上初となる親魔物領宣言をしてから数十年、もはや教会の威光だけではこの流れを止められないのも事実だった。
そこで教会は一計を案じた。悪臭を断つには元から、人心が魔物へと傾倒するのなら諸悪の根源となる魔物を消すしかない。
その為にはやはり勇者の力が必要だが、ただ闇雲に殺したのでは周辺諸国の批判は避けられない。邪魔な魔物を始末し、なおかつレスカティエに対する後ろ指を減らす方法は二つある。
ひとつは、影で密かに暗躍すること。暗殺、間諜、経済面からの打撃、相手が巨大な国家ならそう言ったミクロな部分での攻撃は意外と痛手になる。家屋を食い潰すシロアリの如く、敵の懐に忍び込み工作を繰り返し、気付く頃にはもう後の祭りというわけだ。
もうひとつは、国家として相手の国に介入することだ。領土や領海を侵犯した国に対し、周辺の有力国がそれを非難するのと同様に、国が国そのものにダメージを与える常道にして正攻法。レスカティエほどの国家、ならびに全世界に数百、数千万もの信徒を抱える正教会がそれを行えば影響力は凄まじい。
しかも行われるのは単なる非難ではなく介入である。
レスカティエが掲げる大義名分はこうだ。「お宅の抱える魔物が人に悪さをしている」、「お宅の良識ある判断を待っていたがどうにも改善する様子がない」、「だからうちの勇者を送って討伐させてもらう」。
標的は魔物、それも国政に影響を及ぼす要人レベルの扱いを受けている者。討伐の理由はなんでもいい。富を収奪している、淫祠邪教の祭司、民草に望まぬ環境を強いている……後付けのオンパレード、最悪「教会に楯突いたから」でも構わない。後は勇者を派遣すれば政治的に邪魔だった魔物だけがいなくなる。
話を戻すと、教会の命令を受けミゲルはそうした魔物を討伐する任務に就いている。背後関係を除き単純に魔物を倒すという部分だけを見るならば、彼は七人の勇者唯一の正統派である。
これまでに教会の命令で討伐した魔物の数は騎士時代も含めれば48、皆教会が「悪」と認定した存在だ。
怪しい薬を村人に配布していた魔女を倒した。
その元締めであるバフォメットも粛清した。
町に大量発生したデビルバグを駆除した。
国全体を魔界に変えようとしていたデーモンとその一派のデビルらも壊滅させた。
鉱山に住み着いたドラゴンも討伐しようとしたが、流石にこちらは封印がやっとだった。
恐ろしいのはこれらが全て、ミゲル単独での戦果という事実だ。その実力はかつて現魔王を討伐に向かった初代勇者を想起させると教会は持て囃している。それらは才能ももちろんだが、彼自身幼い時分より鍛錬に明け暮れ、従軍経験もありながら現役騎士の地位を維持している努力の成果でもあった。
ミゲルが団長に選ばれたのはその類稀なる強さ、同じ任務を受けた仲間が反旗を翻しても四人までなら同時に、残る一人も少し手間はかかるが正面から堂々と勝つことができる。
そしてもう一つ、教会はミゲルを勇者として対外的に露出させることで自分達の威光を発信させる装置とし、レスカティエは健在なりと外部に喧伝しているのだ。
勇者とは存在そのものがある種の治外法権、魔物を討伐するという立場にありながら親魔物領であるアルカーヌムを我が物顔で闊歩できるのはこのためだ。
とは言っても、華々しい仕事ばかりとは限らない。
「ええと、トーマスの今月の収益が……赤字だと!? しかも何だこの額は! 後になって十倍にして取り返すのだとしても、こんなのを上が容認するわけが無い! ゴードンっ、こいつはいつになったら隠蔽工作を覚えるんだ!! 死体を隠す気が無いならせめて身元を分からないようにしておけ! その処理をするのはこっちなんだぞ! シャムエルは何をやっているんだ、まったく。クリス……お前も少しは加減を知ってくれ。標的一人始末するのにどうして屋敷中の人間を殺し合わせるんだ! もう少しやり方というのがなあ……!! ってぇ、何だこの請求額は!!? 説明しろォ、イルムゥゥーッ!!!」
六人の部下から送られてくる活動報告書をまとめ、それを上層部に送るのが平時のミゲルの仕事だった。
団長と言えば聞こえはいいが、実際は元締めと部下を繋ぐ管理職でしかない。上手いこと上を納得させ、部下もフォローする、組織とは真ん中が一番辛いところだったりする。
加えてミゲルの頭痛の種は自分の六人の部下だ。
トーマスは会社買収のついでに孤児院や慈善団体を潰しまくり。
ゴードンは標的を過剰に痛めつけ惨たらしい死体はそのまま残し。
クリスは過度に「仲良く」なってしまった相手を持て余して自死を命じ。
イルムは活動に何の関係もない研究に資金を湯水のごとく浪費する。
『六人目』はただ歩くだけで周辺に被害をもたらし。
『七人目』に至ってはそもそも動かないことを祈るしかない。
そんな連中が寄越してくる活動報告書を整理しているだけでミゲルの頭はキリキリと痛くなってくる。ミゲル自身は敬虔な主神教徒ではあるが、こんな連中を勇者に選んだ天界に文句を言いたくなるのは度々だった。
親魔物領という事もあり、以前ほど切った張ったの大立ち回りを演じなくなったが、代わりにこうして書類仕事に追われる日々が続いている。彼らに代わり教会からお小言を言われるのはミゲルの役目となっていた。
まとめの報告書をいくつかの伝書鳩に小分けして飛ばすと、ほっと一息入れる。気分転換に紅茶でも飲もうかと副官の方を見るが……。
「そう言えばサーカスを見に行ったんだったか」
他でもない自分が休暇命令を出してせいで、副官はさっさと街に繰り出していた。口は悪いが仕事はできる彼をミゲルは信頼しており、そんな彼が不在なので結局自分で淹れることにした。
「ん〜、イイ薫りだ。この一杯のために働いているという感じがする」
ミゲルはその国や住む場所を評価するとき、必ず食べ物や飲料でその良し悪しを判断する。彼自身はそこまで健啖家というほどでもないが、食事は人の心を豊かにすると知っているし、いい豆や茶葉を仕入れるということはそれを理解しているという証拠でもある。
アルカーヌムは「いい国」だと今日も再確認できた。
ふと、窓際に何かある。伝書鳩だが自分がさっき送ったものではない。どうやらレスカティエからの指令書のようだ。
「珍しい、『私宛』とはな」
七人全体への指令ではなく、ミゲル個人を指しての物。となれば、久しぶりに勇者としての仕事があることを表している。
指令書に目を通し、後日彼は「勇者」として王都のとある場所を目指す。
全ての魔物が初めから人間と友好的だったかと言われればそうではない。最終的な着地点はともかく、様々な意味で関わりを持たない方が吉とされる存在もいる。
未開の地に住む男狩り族・アマゾネス。
闇の太陽、魔界の核・ダークマター。
東方より来たる蜘蛛脚の猛獣・ウシオニ。
火山地帯の荒々しい番犬・ヘルハウンド。
これらはほんの一部だがどれも人間がおいそれと近付くことは避けるべきと明言されている種族だ。向こうも向こうで生活圏が重ならない限りは自ら接触しない分、総合的な危険度はそうでもないのだが……。
一種、例外が存在する。
それは人間を見下し、人間を襲い、それでいてなおかつ人間と住む場所を同じくする闇の住人。同じ魔物の中でも高貴なる血族に数えられるブルーブラッドの末裔。
人の精気より生き血を何よりも好み、下等な人類を隷属する権利を持った魔物の筆頭。
かつて王都にもそれらが存在していた。
現在の王都があるこの平原一帯は、かつてはとある魔物の一族が治める領地であった。新魔王の台頭より後も変わらず人間を「餌」として扱っていたその一族は、アルカーヌム初代国王率いる騎士団に敗北し、一族は平定された領土を差し出すことで難を逃れた。
本来ならこの時点で一族郎党皆殺しが妥当なのだが、初代国王は平原に王都を造りそれを発展させるに当たって彼女ら一族の知恵を借り、かつ一族を王国の貴族として扱うという異例の厚遇をもって迎え入れた。初代国王の魔物との共存を望む有名なエピソードとして歴史の教科書にも載っている。
王朝が出来て間もない頃、彼女らは既に四代もの間この地を支配してきた。現国王が三代目であることを考えれば、王家以上に歴史が古い家柄になる。
「姫様、迎えの馬車の準備が整うてございます」
メイド長の老婆に呼ばれ、屋敷の主が席を立つ。
毅然とした足取り、何も恐れるものなど無いとばかりに屋敷を歩くその姿は、まさしく女傑。着込んでいるのがドレスではなく甲冑であれば、周囲を戦場と見紛うほどだ。だが彼女が向かうのは戦場ではなく、貴族の集まりである夜会、とある知己の生誕を祝う会に出席するのだ。
彼女は生まれてこの方、夜会にしか出席したことがない。彼女も、彼女の母も、祖母も、昼間に行われる行事に参加したことは一度もない。例えそれが王都の貴族全員が出席を義務付けられる建国記念式典であってもだ。
出られない、出てはならない。この生涯で陽の光を見た回数など片手で足りるだろう。
「それではアイリス様、お気を付けていってらっしゃいませ」
文字通りの深窓の令嬢。それこそが彼女、アイリスの一族の宿命。
影を下僕に、闇を友とし、夜に生きる。
そのモノの名は──、「ヴァンパイア」。自らを魔王を除き最も高貴なるモノと自負する種族。
今より百数十年前に初代国王によって調伏されし吸血鬼の末裔がアイリスであり、彼女はその六代目の当主。女しか生まれない魔物娘ゆえに家督は女が継ぐ女系一家である。
馬車はものの五分もせず目的地に到着する。何のことはない歩いて行ける距離だが、貴族たるものいつ何時も余裕を持って優雅に気品よく行動することが常識だ。靴の踵を会場に着くまでに磨り減らすような真似は慎むべきとされている。
「アイリス姫、ご到着〜!!」
出迎えの従者が屋敷まで続くカーペットを敷き、馬車よりアイリスが衆目に姿を晒す。
「おお〜! なんと麗しい……」
「一見地味な布地をあのように仕立て上げるとは!」
「さすがはアイリス様ですわぁ〜!」
青みを帯びた黒の布地をベースにした夜会ドレス。色だけを見れば質素かも知れないが、服の表面には色彩を邪魔しない程度に砂粒ほどの宝石が散りばめられ、服の色と相まって星空をそのまま切り取ったようだった。まさに、夜に生きるヴァンパイアに相応しい出で立ちと言えるだろう。
だがそれよりも重要なのは、彼女がその頭にティアラを戴いていること。本来王族の女性にのみ戴冠を許されるはずのそれを付けているということは、彼女の血統が王家と並ぶものであることを暗に示している。
「アイリス公爵閣下、この度は我が屋敷に足をお運びくださり、まことに、まことに……!!」
今現在確認されている限り、王族に連なる血族以外、それも女性で爵位を賜っているのはアイリスの一族のみである。王都成立の歴史に深く関わった一族ゆえの特権だが、やっかみが無いところを見るに血族がどれだけ慕われているかが分かる。
話が長くなりそうだと感じたアイリスは主催者を手で制し、宴を前に気分が高まりつつある客にも手を振って挨拶する。主催者はこの家の主だが、この宴の主賓はアイリスで相違無い。
ヒトに調伏されたのも今は昔、彼女らヴァンパイアは夜の貴族としてこの王国に迎え入れられている。建国当初より親魔物の国として発展してきたアルカーヌムで今更軋轢など起こるはずもなかった。
そのはずだった。
「その宴、少し待たれよッ!!!」
突如、会場に轟く声。発生源は一人だが、その声は広い上に人が満ちていた会場の窓や天井を揺らすほどの声量で、臆する心など無いのだと高らかに宣言しているようだった。
アイリス、主催者、その他大勢の貴族たちの視線が招かれざる客に注がれる。
「皆の者、道をあけよ!! 下がれ、下がれ下がれぇい!」
「我らに逆らう者はレスカティエ正教会に翻意有りと判断する!」
ぞろぞろと侵入するのは教会に仕える聖騎士たち。白銀の鎧には至るところに聖性を示す紋章が刻まれ、一様に盾や剣を装備していた。予期せぬ非常事態に貴族たちは皆浮き足立ち、乾杯するはずだったグラスをそのまま手に脇へ脇へと追いやられた。
だが冷静になった一人がやっと口を開く。
「お、おい! ここをどこだと心得る!? 恐れ多くも……!!」
「恐れ多くも……何です?」
「ヒィア!!?」
抗議の声を上げた貴族の喉元に白刃が伸びる。喉仏を撫でる冷たい感触に驚いた貴族はみっともなく腰を抜かし、脅してきた相手を見上げる形となった。
「先に言ったはず、邪魔立てすれば教会に反逆したと見なすと。我々の言葉、今一度ご理解いただけたか?」
皆が兜を被っている中、その青年一人は素顔を晒していた。今しがた自分が脅した相手に対しにこやかな笑みを浮かべているが、その目は冷淡な印象を覚えさせた。
その効果かどうか、人垣はさっと割れて道を作り、騎士たちの目当ての人物へと続く。
「王都のヴァンパイア、アイリス公爵は貴女か?」
騎士団を率いる青年がそう問いかける。対する吸血姫は事の成り行きを表情一つ変えずに見守り、その言葉に対し否定も肯定も示さなかった。
「アイリス公爵とは貴女のことで相違無いか? そうならそう、違うなら違うとはっきり言いたまえ」
「き、貴様! 姫閣下に対し無礼であろう!? 下賤の者に乱りに声をかけてはならんという、一族の戒律を知らんのか!!」
「それは初耳です。なるほど、ヒトのような下等な生き物に声をかけたくないと。流石はヴァンパイア、そんな下等生物の生き血を吸わなければ生きられない脆弱な生き物は言うことが違う」
「なんだと!?」
青年の指示で物言わぬアイリスの周囲を騎士たちが取り囲み、一斉に剣を抜く。周囲を刃の牢獄に囲まれてなおアイリスは微動だにせず、その視線は団長のミゲルを捉えて離さない。
「我らはレスカティエ正教会より遣わされしパラディン。此度我らは、この地に人の生き血を啜り、人に害を為す悪鬼が存在すると聞き征伐に赴いた次第。下手人はそこのアイリス公爵と聞き及んでいる」
「誤解だっ! 閣下が何をされたと申すのか!!」
「人の生き血を吸う……それは裁きを受けるに充分な罪状。魔物はヒトを傷付けてはならないとする規範に反する。仮に王国の法がそれを許しても、レスカティエの教義は全てに優先する。よって、無辜の民草を苦しめるアイリスなる悪鬼は今この時、この場にて成敗する。この『勇者ミゲル』の名において!」
勇者と名乗りを上げたことで周囲の貴族らに二度目の動揺が走る。今度はアイリスもはっとした表情で顔を上げた。
魔物を殺す使命を帯びた彼らの存在は、親魔物領の人間たちにとっては憧れであると同時に恐れの対象でもある。古くから多くの英雄譚を残した彼らは民衆の心を掴んで離さないヒーローだが、それと同時に良き隣人であり愛する友でもある魔物娘を屠る恐怖の存在でもあるのだ。
そんな勇者が、皆の羨望を一身に集める吸血の姫を討伐しに来た。恐らく正教会の権力を笠に着ての行為だということはこの場の誰もが理解していた。だからこそ教会の威光に個人として反抗することができないため皆一様に口を噤んでいる。
「勇者殿、お聞きくだされ!」
血族の戒律により言葉を話せないアイリスに代わり、その従者がミゲルに陳情する。
「確かに姫とその一族はヒトの生き血を飲みます。しかし、それは月に二度か三度、それも屋敷に仕える者から少量抜き取ったものをお召し上がりになるだけ! 誓って、決して吸血により諸人に害を為すようなことはありません!」
「吸血行為とはヴァンパイアにとって血族のアイデンティティ、神聖なる行為なのです! 何とぞ、何とぞご理解を!」
「誓って……ヒトを『餌』にしているのではないと? 公爵閣下は先祖の愚行を再び犯していないと、そう言うのだな?」
「は、はい!」
「ではそれを証明せよ。今、この場で!」
「今、ここで!?」
そんなこと不可能だ。いや、仮に屋敷に戻り使用人全てを証言台に立たせても、その全てを当事者として扱い弁護の証言に数えないだろう。その昔、教会主導のもとで幾度となく行われた魔女裁判が行われるだけだ。
そんな圧倒的不利な状況で自分の潔白を証明する手立ては、たった一つ……。
「決闘だ……。決闘を行うのです!!」
誰かが言った提案に周囲の貴族らも口々に賛同する。
決闘とは貴族や騎士、軍人にのみ許された自力救済の手段。己の正当性の主張、もしくは自分が侮辱されたと感じた者が相手に対し申し込むことでそれは準備がなされる。基本的には当事者同士の一対一で行われ、どちらかの死亡もしくは降参によって勝敗が決する。
アイリスは貴族、ミゲルは騎士、それぞれ決闘を申し込みそれを受け入れる権利を持つ。
「決闘だ! 決闘で決着を!!」
「アイリス様、教国の勇者に目にもの見せてやりましょうぞ!!」
周囲の貴族らに推されてアイリスの手がそっと伸びる。自身の手を覆う白手袋を取り外すと、それをミゲルの足元に捨てるように放った。手袋を投げつけるのは決闘の意志ありとされ、それを拾い上げることで相手も受諾したものとなる。この場合の挑戦者はアイリスとなった。
「お受けしよう! 誰か、儀礼用の剣を持て!!」
ミゲルの命令に騎士の一人が決闘に使う特殊な剣を渡す。本来なら決闘とは命のやり取りなのだが、互いの立場を鑑みれば「今ここで」殺し合うのは良くない。その為に剣は刃が潰され、鎧を切れない造りになっているものが支給された。
「剣に仕掛けが無いことを確認するがいい。刃を潰しているからといって侮るな。ここが戦場のつもりで挑むが良い。もっとも、昼日中に外も出歩かない箱入り令嬢に戦場の空気など分からぬか」
「侮辱もいい加減にしろ! アイリス様は確かに戦場に出られたことは無いが、剣の腕前はこの国で一、二を争われる方ぞ! 刃が無くて命拾いするのはむしろそちらだと知れ!!」
「それはそれは、楽しみだ。準備はよろしいか」
お互いに鎧兜を装着し、装備を確認し終わる。ミゲルは標準的な両手剣を、アイリスは女性でも振るえるレイピアをそれぞれ手に持っている。
「通常、命を懸けない方法ではどちらかが降参の意志を示すことで決着となるが、公爵閣下の戒律に免じて『地に手を付いた方が敗北』とするが如何に?」
ミゲルの提案したルールにアイリスは首肯する。それを合図に二人同時に剣を抜いて構えた。
ミゲルが勝てばアイリスは証拠の無いまま罪が立証されてしまい、教会の手によって幽閉される。逆にアイリスが勝てば自身の潔白の代わりとして認められ、晴れて無罪放免となる。これ以上ないほどわかり易いルールだ。
アイリスはレイピアの切っ先を正確にミゲルの喉元に狙いを定め、いつでも彼の喉を捉えられるようにしていた。対するロングソードのミゲルは足を肩幅まで開き剣を真っ直ぐに持ち、脳天に振り下ろせる形を取る。実際に振り下ろせば兜越しでも相手を昏倒させる一撃が繰り出されるだろう。
「……行くぞ!」
ミゲルが駆け出す。周囲の貴族らは戦くが、騎士団が目を光らせているので離れることさえ出来ない。
ソードとレイピアが何度も硬い音を上げながら剣戟を交わす。鍛えられたそれらが触れるたびに火花を放つ錯覚を覚え、その激しくも鋭い攻撃の応酬は二人の力量の高さを表していた。
だが実際はミゲルの剣をアイリスが受け流すという防戦一方な戦いだった。決してアイリスの腕前が劣っている訳ではない、兜の奥の紅い眼は疲れや焦りを感じさせない。むしろ余裕を感じさせた。
「なるほど、雑魚相手に本気を出すつもりは無いと? 随分な自信ですが……」
言ったはずだ、ここを「戦場」と思えと。
本気を出すまでもないという侮りは、死を意味する。
それを教えてやらねば……。
「っ!!」
一旦態勢を変えようと身を引いたミゲルだが、それを一転攻勢に攻めてくるアイリス。右足を大きく踏み出し鋭いレイピアの突きを繰り出してくる。ミゲルの背にはテーブルがあり、それ以上後ろへ下がることは出来なかった。
この時、彼が兜の下で不敵な笑みを浮かべたことを知る者はいない。
ミゲルの背が当たった時、テーブルの上に置かれていた未開栓のボトルが倒れた。ごとんと倒れたそれは勢いそのままにテーブルの下に落下するが、割れない。踵とアキレス腱で見事に受け止めて見せたのはミゲルだった。
「お飲み物はいかがですか」
ボールをリフティングするように、両足が器用にボトルを蹴りはね、不思議と割れないままボトルはアイリス目掛けて飛んでいった。すんでの所でそれを切り伏せるが、そうなると当然中身が飛び出す。中からは赤ワインが氾濫し、アイリスは芳醇な香りを放つそれを顔面から被ってしまった。
兜の隙間から入り込んだそれはアイリスの目を潰し、兜を被っているせいで顔を拭うことも出来ない。
そして、その隙を逃さず──、
「ハァッ!!!」
ミゲルの剣がアイリスの側頭を叩いた。人間なら気絶するレベル、ヴァンパイアであっても目を閉じたところにこれを喰らえばタダではすまなかった。頭部を反響する衝撃にしばらくふらついた後、アイリスはどっと倒れ伏した。
吸血姫の完全敗北である。
「……ふざけるな」
しんと静まり返っていた会場に誰かの呟きが漏れた。言わんとしていることはミゲルにも分かっていたし、次に口を飛び出した言葉も予想の範疇だった。
「卑怯者め!! 剣の勝負に小細工を使うなど、騎士の風上にも置けん奴!! ええい、無効だ! こんな決闘、無効に決まっておろう!!」
「教国の勇者が聞いて呆れるわ! 卑劣、野蛮、言葉も出ぬ!!」
押さえつけられていた分、ミゲルに対する怒りが噴出した。もはや騎士たちも抑えられない。だが当のミゲルは罵詈雑言を涼しく受け流し、心底哀れなものでも見てしまったような視線を貴族らに投げかける。
「卑怯? 小細工? 野蛮? お歴々、少し……いや、かなり的を外し過ぎていませんかな。私は最初に申したはずです、『戦場のつもりで挑め』と。卑劣だの何だの、如何にも前線に出たことが無い理想主義者が曰う言葉だ。頭に咲いた花の匂いで鼻が曲がりそうだ」
「貴様ぁ、それでも騎士か!?」
「騎士は正々堂々、相手の油断も気の迷いも突いてはならないなどと本気でお思いか? お歴々の中では戦場の習わしと正々堂々という言葉が一致していないようですが、私は何の矛盾も無いと考えます。戦場の流儀に則り、正々堂々と油断を誘いそこを突いたまでのこと。それは前線だろうと、一対一の決闘だろうと変わりますまい」
「ぐっ、言うに事欠いて……!! こんな事をして許されるとでも!!」
「レスカティエの教義は全てに優先する。あらゆる法、条約、戒律の上位に位置するのだ。これ以上問答する余地はない。まだ仰りたいことがあるのでしたら教会にお問い合わせください。さあ、連れていけ」
「アイリス姫!!?」
騎士たちがまだ気絶したままの吸血鬼の姫を両脇を抱えて起こし、地面を引きずって罪人のように引っ立てる。追いすがろうとする貴族たちを跳ね除けながらミゲル一行は屋敷を離れ、そして戻ろうとはしなかった。
翌日、王都を二分する貴族がその身柄を確保されたという報は王宮に駆け巡ったが、混乱を恐れた者らにより徹底した箝口令が敷かれることになる。
今回、ミゲルの任務は初めからアイリスの殺害ではない。このように身柄を捉えることが出来れば手段は問わなかった。実際彼女を幽閉しているのもどこかの地下牢ではなく、彼女自身の屋敷にある寝室に押し込めている。
何せ相手が相手だ、王都どころか王国全体に誇る知名度を持つ貴族となると、下手に扱うだけで国際問題になる。こうしてありもしない容疑を針小棒大にでっち上げ、勇者が魔物を討伐するという大義名分を背負って初めて無理を通せるのだ。殺しでもすればそれこそ戦争にまで発展するだろう。
王家以上に古い血筋を持ち、王族に並ぶ唯一の貴族として、彼女の血筋は王国の歴史そのものだ。そんな彼女が在らぬ疑いで身柄を押さえられたとなれば、国の威信を懸けて取り戻そうと動くだろう。
教会は初めから、彼女を人質にして和解金を巻き上げるのが目的なのだ。返してほしければ頭を下げて出すものを出せ、ということだ。気に入らない国のプライドを傷つけなおかつ利益も得られる、言うことは勇ましいがやっていることは完全に賊のそれである。
「気分はいかがですかな」
時刻は早朝、寝室に差し込む陽光が目に眩しい時間帯だが、決して吸血鬼が闊歩する時間ではない。
だがアイリスは眠れない。今や牢獄となった寝室には自分を打ち負かしたミゲルと、彼の副官が見張っているからだ。女性の部屋に堂々と居座るという騎士にあるまじき行いだが、今のアイリスにそれを拒否する権利はない。
そして、相変わらずアイリスは一言も発さない。
「ふむ、公爵閣下はひどく緊張されているよう。ここはひとつ、君の得意なジョークを披露して和ませてやるといい」
「勝手に人の設定付け足すな。そういうのはクリスの仕事だろ」
「毎度思うんだが、やはりこういうのは彼が適任じゃなかろうか?」
「だったら言うなよ」
漫才のような二人のやり取りも冷めた目で一瞥しただけに終わり、アイリスの視線は眩しそうに太陽に注がれていた。
「真昼の光を見るのは久方ぶりでしょうか。普段見慣れた月の光とは趣が異なるだろうが、今の貴女にはそれで我慢してもらいたい」
ヴァンパイアにとって日光は天敵だ、浴びるだけで幼子ほどに力が劣化してしまう。仮にここでアイリスが暴れようとも、路地裏のチンピラにさえ勝てないだろう。
「事が済むまで貴女の身柄は我々レスカティエ聖堂騎士団が管理しましょう。なに、王国ほど理解のある国でしたら交渉に一週間もかかりますまい」
現在、身柄の解放を要求する王国側に対し教会が返還金の要求をつっ返しているところだろう。屋敷の内側を騎士団が、外側を王国の軍人が包囲する物々しい雰囲気に包まれているが、原因を作った当のミゲル本人は窓の外など見えていないように振舞う。
「栄誉ある一族にあらぬ疑いをかけるなど……教国の勇者も目が曇りましたか」
年老いたメイド長が薄く開いた目から恨めしげにミゲルを睨みつける。手には主の着替えを持っているが、あえてその先を言わないのは主人を慮ってのことなのだろう。
「ここで着替えればよろしいかと。ああ、我々のことなどお気になさらず。木石か何かと思ってもらって結構」
「女性の寝室に踏み入ったばかりか、その着替えの様子まで……! 痴れ者め、恥を知りなさい!」
「下々には口も利かないのでしょう? 貴女方は獣に肌を見られて赤面するのですかな?」
「ぐぬぬ……!!」
澄ました揚げ足取りに老婆のシワだらけの顔が怒りで赤くなる。もう少しで口角から泡を吹きながら罵詈雑言をぶちまけそうだった。
だが、それを止めたのは他でもないアイリスだった。手で制すと老婆に着付けを命令する。
「姫様っ……か、かしこまりました」
当主の命ならばと老婆と数人のメイドが慣れた手つきで着替えを行う。もう何年もアイリスの身の回りを世話する側仕えとして、彼女と共に生活してきた家族も同然の者達だった。
ネグリジェを脱いで露わになった体は均整が取れた美しさで、まるで古代の彫刻がそのまま命を得たようだった。夜の一族ゆえか肌は真白でシミひとつ無く、陽光を受けて僅かに赤らんだ部分が実に艶かしく見える。そしてそれらを服を重ね隠す様子が逆に色気を誘うのだ。
「ふむふむ。ほぅ……」
その様子をまじまじと惜しげもなく観察するミゲル。あまりに堂々としているので一瞬忘れそうだが、やっていることはほとんど出歯亀に近い。となりの副官は関わりになりたくないのか、あからさまに目を背けていた。
結局、着替え終わるまでミゲルの視線は片時もアイリスから外れず、アイリスもそれを恥じる様子もなく滞りなくそれは終わった。
「……我々、少し用があって離れます故、くれぐれもここから閣下を出されませんよう」
そう言うとミゲルは足早に寝室を出る。副官も慌ててそれに従う。
本当は嘘だ。この後ミゲルは急を要する事など何もないし、政治面の裏仕事もクリスが済ませているが報告はまだ先だ。
何をそんな急に?
「気に入らない」
「何が?」
「あの吸血鬼の態度さ。戒律だか何だか知らないが、少しお高くとまり過ぎじゃないかな」
「お前さんが言うかね」
「確かに、貴族なんてのは大なり小なりプライドの塊だ。だが彼女は……いや、この家はもはや貴族とは呼べないよ」
「そりゃまた何で?」
副官は少し興味が湧いた。部下関連以外でミゲルがここまで不機嫌になるのは久しぶりのことだった。
「簡単なことさ。この一族は貴族という下々を支配する立場にありながら、土地も民も持たぬ名ばかり貴族なんだからな」
通常、貴族とはその家が所有する領土と、その領土に住む領民を所有物として持てる権利がある。土地を管理し、土地に住まう者から税を徴収することで収入を得ているのだ。王都の重要職に就いている貴族らも王都の内外に領地を持ち、土地と民を管理することで自らの食い扶持を稼ぎ国の繁栄にも貢献している。
だがこのアイリスの一族は違う。公爵という最上位の爵位を賜りながら、彼女の一族は建国以来王国のどこにも領地を持たない。自分達の住んでいる屋敷だけで、もちろん使用人以外に民はいない。辺境の田舎ならまだしもここは王都、没落貴族が収入もなく生きていける場所ではない。
「彼女らは民を持たないのに、どうやって生活しているんだと思う? 国だよ、この国の政を司る王族が彼女らを養っているのさ。古の盟約を履行してね」
「盟約? 土地を差し出す代わりに命だけは、ってやつ?」
「彼女らの先祖はそれで領地を失い、そこに今の王都が出来た。王国はその見返りに王都で徴収された税のどれだけかを使い、かの一族を保護するという盟約を立てた。大義名分があるとは言え、最初に土地を分捕る真似をしたのは王族側だし、吸血鬼の支配を受けていた領民も多かった……当時としては、そんな盟約も止むなしだったのかもね」
「公爵なんて大層な肩書きをもらっときながら、実際は領地も領民もなく、何かしらの役職を持っているわけでもない。それなのに天下の王国に上納するどころか、逆にお上から養ってもらってると。これ、言い換えればいい年こいた息子がいつまでも独り立ちしないで親のスネかじってるあれじゃん」
「言ってやるな、流石に哀れだ。ノブリスオブリージュ……持てる者の責務すら放棄した貴族など、存在する意味がない。そして、そんなタダ飯喰らいを養ってイイ気になっているこの王国も、底が知れるというものだ。貴族とは、貴き一族と書く。今のこの一族に貴い部分などあると思うかね」
「出たよ、リーダーの貴族論。耳にタコできてるから……」
「まあまあ、そう言わずに付き合いたまえ。君も騎士の端くれなら将来の為に聞いておいて損は無い。そも、貴き身分というものはだね……」
「あーあーきこえなーいきこえなーい、おれちょっとようじあるからー」
「あ、待ちたまえ! ……行ってしまった。勤務中に勝手に出歩くなど感心しないな」
そそくさと去っていく副官を見送りながら、やれやれと肩をすくめる。あんな職務怠慢な彼でも、裏方の四人と比べて遥かにまともというのが皮肉だ。
一人になったところで改めて屋敷を観察する。今この屋敷の使用人はアイリスの世話役と食事を作る料理番を除けば、彼女を監視するための騎士団しかいない。彼らの自由まで拘束してはいないので、外にいる王国関係者は彼らを通じて屋敷の中の様子を知ることができる。
「流石にそこまで規制すると、どんな噂を立てられるか分かったものじゃないからな」
こんなところで異端審問など行うはずもないが、外部の人間には分かるはずもない。あらぬ噂を立てられて教会を攻撃する材料にされるぐらいなら、いっそ初めから情報規制はしないほうが良いというミゲルの判断だった。
ある程度見回ったところでアイリスの寝室まで戻ると、ちょうどメイド達が部屋を出るところだった。食事を乗せた盆を持っているが、食べ残しがあった。
「姫様はご気分が優れません。どうか、今日だけは寝室に入ることの無きよう」
「それはいけない。医者を呼びましょうか」
「結構です。屋敷には優秀な医師もおりますので。では失礼」
そっけない態度で通り過ぎるメイド達を尻目に、進入禁止を言い渡された部屋でミゲルが一人佇む。押し入るわけでもなく、ノックをするでもなく、ただ立っている。
「はてさて、どうしてくれようか」
その目は真相を見抜いていた。
屋敷の地下には地下室丸ごと使ったワインセラーがある。保存されているボトルはそれ一本で家が建つほど値の張る物もあり、何十年もの熟成を経たそれらは自然の恵みをそのまま凝縮した血の色をしている。
そこへ倉庫番を任されたメイドが一人、酒蔵へ降りてくる。ひんやりとした貯蔵庫の中は薄暗く、にも関わらずその手は迷うことなくボトルを掴んで床に置いていく。
決まった位置、決まった重量、そして決まった本数……それらの条件を満たした時、床下に仕掛けられたギミックが作動し、隠し通路の扉が開く。
王侯貴族が賊の侵入などに備えて用意している秘密の抜け道だ。
真っ暗で狭い通路を灯りもつけずにしばらく歩くと、上に通じる穴までやって来る。掛けられた縄梯子を使って登ると蓋になっている板を外し、屋敷から少し離れた枯れ井戸から姿を現した。
服に付いたホコリを軽く払い、そのまま井戸を後にする。
「どこへ行く」
すらりと、その首筋を剣が撫でた。ミゲルがすぐ背後に迫っていた。
「酒蔵の管理は基本的にバトラーの仕事。そこへメイドなんかが足を踏み入れるので怪しいと思えば……。随分と手の込んだことをしてくれるじゃないか、アイリス姫」
頭に被った帽子をカツラごと引き抜くと、現れた髪はブロンド、こちらに振り向く目は血の深紅。紛うことなくアイリス本人だった。メイドに扮して屋敷を抜け出す算段だったのだ。
「……見逃せ」
「初めて喋ったな。けど、それが人に物を頼む態度かな。仮に君が下手に出ても……私は立場上それを受け入れることは出来ない。諦めて屋敷に戻りたまえ、今ならお咎めなしで済ませましょう」
そう言って手首を掴み引き戻そうとするが、アイリスは頑として動かない。日の下にいるので強引にでも連れ戻せるのだが……。
「妾はもう……あんなところに居たくない」
俯き呟くその顔を見て、ふと考えを改めた。
ミゲルはその表情を良く知っている。
「そなたに面倒はかけぬ。だから見逃してほしい」
「そう言って、どこか貴族の屋敷に逃げ込むのでしょう?」
「いいえ……妾は、野に下る。もう王都には戻りませぬ」
「それはそれは……」
俄かには信じがたい言葉だが、その表情が演技ではないことをミゲルは見抜いていた。このまま彼女を放置すれば本当に行方をくらましかねない。かと言ってそうなれば王国との間の緊張が悪い方向に傾く。
無理矢理連れ戻すのは簡単だが……その時、ミゲルの中でひとつの考えが思い浮かんだ。
「ならばいっそ、亡命すればよろしい」
「ぼう、めい?」
七人の勇者の最終目標は言わずもがな、アルカーヌム連合王国の解体。より正確に言えば、解体までの決定的な流れを生み出すことが主任務だ。最終的にそこに落ち着くのであれば過程はどう転んでも構わない。
例えば、隣国が付け入る恰好の材料を与えるなどだ。
「王国の貴族代表でもある貴女が逃げ込めば引く手数多だ。貴女にどんな事情があるにせよ、家に縛られたくないと仰るのなら王国の法が届かない場所へ逃げるしかない」
「逃げるなど……妾は、そんな」
「違うのですか? 私としてはそうしてくれた方が好都合だ。どうせ貴女、この家……いや、この国に未練など無いのだろう? 顔を見れば分かることだ。理由云々など興味はないが、貴女にとって我々の登場は千載一遇の好機だったはず。どうせ逃げたいと言うのなら我々の役に立ってもらわねば」
そう言うとミゲルはアイリスの手を引く。アイリスが狼狽えている間に二人の足は枯れ井戸から離れ、屋敷から距離を置いた人気のない路地に出た。
「ミーシャ、いるかい?」
「あいよぉ」
ミゲルの呼びかけに、どこに潜んでいたのか副官が姿を現す。
「話は聞いていたな。そういうことだから、後はよろしく」
「簡単に言ってくれるよな、うちのリーダーは。具体的にはどう?」
「どうとでも。これからその辺りを『散歩』してくれればそれでいい」
「あいあい。ほんじゃまあ、まずは……表の連中をどかしますか」
「そなたらは、一体……?」
「勇者ですよ。貴女のような魔物をのさばらせておく、この国のような存在を倒すために派遣された、ね」
この僅か三分後、屋敷を取り囲んでいた王国軍人が一人残らず持ち場を離れるという珍事が発生するが、根本的な原因が何であるかはついぞ不明なままだった。
軍人たちが持ち場を離れた間に二人の男女が屋敷から抜け出したことを知る者は、その副官以外に誰もいない。
これは……
運命に抗おうとする女と──、
運命を克服した男の──、
短い短い逃避行のお話である。
15/08/30 22:15更新 / 毒素N
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