水中のメリークリスマス
クリスマス。それは年に一度の冬の一大イベント。
本来の縁起と意味から姿を変えて恋人達の聖夜へとなったこの日は、差し迫った年の瀬の慌ただしさにせっつかれたようなどこか浮ついた気分も手伝って、いつもの日常から少し離れた非現実感を伴ってやってくる。
街は至る所に綺麗な装飾を施され赤と緑を基調とした明るいムードをかもし出す。
特に夜ともなればまばゆい程にライトアップされ、運河の照り返しに揺らぐ石造りの港の街並みは普段の廃れたものから心躍る幻想的な異空間へと変貌する。
特にその象徴といえば「クリスマスツリー」。濃い緑の葉を鋭く茂らせたもみの木は、この日を最も象徴するものの一つだろう。夜ともなればライトアップもあいまった文字通り眩いばかりの美しさとなる。
そんな暖かで幻想的な夜から背をむけ、俺は恋人の住む海へと向かう。
既に海中の暮らしにも順応した体ではあるが、それでも感じる冬の夜の海の寒さと暗さに気が若干滅入る。やはり心のどこかでは陸の華やかさに羨ましさを感じていた。
俺達もあの光の下で愛を語り合えたら……
そんな今更詮無いことを考えながら暗く静かな海の中を泳ぎ続ける。そろそろ彼女と落ち合ういつもの場所に着く、そんな時だった。
──ぱあっと、視界の先で綺麗な明りが灯った。
それはとても淡く、優しく、綺麗な光だった。
月明かりすらない曇り空の海の中、その灯だけが揺れる水の中で輝いている。
そしてその光は徐々に明るく、そして大きくなりながら俺へと近付いてきた。
ぼやけていた光の輪郭は近づいてくるにつれてはっきりとした線を形作り、その全容が明らかになってくる。
一つの大きな灯に見えたそれは、幾つもの人間大の灯の集合だった。
あまりの美しさに見とれて動きを止めていた俺にいよいよその灯は近付く。
するとその中から一つの灯が俺に向かってやってきた。
「びっくりした?」
それは俺の──シースライムの最愛の彼女だった。彼女の半透明な体が暖かな光を伴って発光していた。
彼女の言葉に俺はただ呆けたように頷いて返す。
気がつけば周りには彼女の仲間のシースライムが取り囲んでいて、辺りは昼のような暖かな光に包まれている。
揺らめく水中の灯火の正体、それは自らの身を輝かせる彼女達の光だった。
そして彼女達だけではない、水中を漂う何かに反射しているのか、まるでキラキラした雪のような粒が俺達を取り囲んでいた。
光の中を漂う俺たち。周り中全てを輝く粒子に包まれ、まるで空に浮かんでいるような錯覚すら覚える。きっと夜空を泳いだとて、ここまでのきらめく星々に囲まれる事はないだろう。
「どうかな、気に入ってくれたかな?」
おずおずと、けれどどこか誇らしげに彼女が言う。
「ああ、すごい。なんというか……その……」
そんな彼女に対し、肝心の俺は感動が強すぎてうまく言葉が出てこない。
「だからな、なんていうか、きれいでさ……でもただ綺麗なだけじゃなくて……」
言いたいことは沢山あった。聞きたい事も沢山あった。でも俺の口からは何一つ具体的な言葉が出てこない。
彼女に俺の感動を伝えたかった。美しい光景を見せてくれた喜びを伝えたかった。彼女と手伝ってくれた彼女の仲間達に感謝を伝えたかった。
けれどそれをどう言えば伝わるのかが解らない。胸のうちに渦巻く幸福感を言葉に出来ない。それがもどかしい。だから、この気持ちが伝わるように願いを込め──
──ぐいっ!
「あっ……」
彼女を抱きしめ──
──ちゅっ!
「ん! んむ……んちゅ……っ!」
思いっきり彼女にキスをした。
瞬間、俺達を黄色い歓声が包み、夜の海が一層明るくなる。
顔を離すと彼女は照れくさそうに一瞬目を伏せるも俺を見つめ……
「メリークリスマス」
と、マリンスノーのようなきらめきの中、雲間が割れて差し込んできた月明かりのスポットライトに照らされて、この日見てきた中で一番眩しく美しい文字道理の輝く笑顔を見せてくれた。
「ああ、メリークリスマス。これからもよろしくな」
そうして俺たちは手を取り合い、淡く輝く水の中を舞うように泳ぎ始める。
見れば周りを囲む仲間たちにもいつの間にか彼女の伴侶たちが連れ添っている。どうやら、今夜はこうして皆を迎えていたようだ。
「それじゃあいこうか」
「ああ、そうだな」
彼女に促され、俺たちは泳ぎだした。
海に降る雪と輝くツリーは、陸の街のそれよりも暖かく、幻想的で、なによりも美しかった。
「幸せだな」
脳裏から離れないその光景を反芻し、思わず一人つぶやく。
そうだねと、耳ざとくそれを聞いていた彼女が相槌を打った。それにちょっとした恥ずかしさを覚えながら再び口を開く。
「来年もまた見たいな」
「楽しみにしててよ! だけどさ……」
そう言うと言葉を区切り、一度ゆったりと大きくぐるりと旋回して俺の下に潜り込むと、彼女が顎を引いた恥ずかしげな表情に上目づかいを乗せて見つめてくる。
「……だけどさ、その時に君とボクとの間にもう一人いたらさ、もっと幸せじゃないかな?」
「──ッ!! それって……」
彼女のその一言が意味するところ。それはつまり、まぁ、有り体に言って家族が一人増えるということで、その家族というのはなんだ、要するに──
「えへへ……だめ、かな? ボクとじゃ、イヤ?」
「まったく、相変わらずかわいいなお前は!!」
「わきゃ!?」
胸の前で指を突き合わせつつ見上げながら頬をうっすらと染めてそんなことを言う彼女がいじらしくて、気付けば思わず強く抱きしめていた。
「もう、急にびっくりするじゃないか」
「すまん、すまん。あんまりにも可愛いものだからつい。いやだった?」
「……そんなことはないけどさ」
口では少し不満そうにそう言いつつも、背中に回した腕をきゅっと締めて抱き返してくる彼女。そんな仕草に自然と自分の顔が笑顔になるのが感じられる。そして俺の腕の中で胸に顔をうずめている彼女を覗き込みながら再び声をかける。
「ならいいじゃないかこうしても。それにさ」
「それに?」
「一人だけでいいのかい?」
「へ?」
きょとんといった顔を返す彼女。しかし次第に言葉の意味を理解したのか、みるみる表情を驚いた形に変え……その後恥ずかしがったり嬉しがったり恥ずかしがったり照れて見たり恥ずかしがったりと色々と百面相をした後、こほんと軽く居住まいを正してこっちを見上げて言った。
「ううん、いっぱいいっぱい欲しい。今度はボクと、ボクと君との子供たちだけで今日みたいにお迎えしてあげたい」
その様子を思い浮かべたのか、彼女は一端抱きついていた腕を離すと俺の手のひらと自分のそれとをくっつけ、弾むようにして俺の周りを廻り始める。当然こっちも彼女につられて独楽の様にくるくると回る。
きゃっきゃっと、見ているこっちまで嬉しくなるほど浮かれてはしゃぐ彼女。いや、彼女だけではない。俺もそんな彼女を見てまさかそこまで嬉しく思ってもらえるとはいなかったからか、彼女に釣られるようにして徐々に胸にこみ上げてくる幸福感に合わせて自分からも廻りだす。
俺たちはまるでダンスを踊るかのような軽やかさでひとしきりはしゃぎ回った。彼女のスカートが海中でふわりとたなびく様が愛らしい。繋いだ独特の弾力に富む彼女の手から伝わるぬくもりが嬉しい。ぬくもりと共に彼女の暖かな気持が沁みこんでくるような気さえした。
どれくらいそうしていただろう。随分長いことそうしていたような気もするし、さしたる時間でもなかったかもしれない。そんなこの暖かな時間にひとしきり浸ったところで、彼女が再び胸に飛び込んできた。ぽよんと、優しく受け止めた彼女の体が弾む。
「えへへ。ありがとう」
「ずいぶん嬉しそうだね」
「だって嬉しいんだもん」
そういって本当に嬉しそうに頬ずりをしてくる彼女。ぷるんとした柔らかな肌が心地よい。思わずきゅっと強めに抱きしめれば、やはりふにぷにと軽く押し返してくる彼女の感触が全身に感じられた。
「でもいいの?」
「なにが?」
「だって、たくさん子供を作るってことは、そ、その、ボクとたくさん、その……え、えっちなことをしなくちゃいけないってこと、なんだよ?」
「……いや、それはむしろ望むところだ。何も問題はない」
「そ、そっか。いや、君がいいんならいいんだ。うん、なんにも問題はないよね、うん。そっかそっか」
こっちからすればなにを今更なというところではあるが、基本的に引っ込み思案で恥ずかしがり屋の彼女からすれば、ちゃんと確かめたい勇気のいる質問だったのかもしれない。
触れあっている頬の熱さが、彼女の心境を物語っている気がした。
「ならよかった。ちょっと恥ずかしかったけど、言ってよかったよ」
「ふふ、弱気になる必要なんてなかったのにな。だって当然だろ? 大好きで可愛いお前が相手なんだ。嫌なんてこと、たとえ海が干上がったってありえない」
「えへへ、そっかそっか。大好きか……でへへ」
「……? どうかした?」
「う、ううん。なんでもない」
「そうか? ならいいんだけど」
なぜかわからないが俯いてぶつぶつとなにか独り言をつぶやき始める彼女。見れば頬どころか耳まで顔中真っ赤である。スライム種なのに顔が赤くなるのはどういう理屈なのかという今はどうでもいい疑問が一瞬脳裏をかすめたが、どうも様子を見る限りだとまださっきの己の発言を恥ずかしがっているらしい。
「まったく、そんなに恥ずかしがるんならあんなこと言わなきゃいいのに」
「えへへ、『大好き』で『かわいい』だって。えへへへへ……って、へ?」
「まぁでも、確かに自分から夜の話を振るなんて、お前の柄じゃあないもんな。うん。恥ずかしくて当然か」
「……夜の話題」
瞬間、ぼんという音が聞こえそうなほどに彼女の顔が一気にさらに赤くなった。震え出した目は潤みうっすらと涙が滲み出かかっている。
まずい、どうやら地雷を踏んだようだ。彼女の懸命な我慢を決壊させた己の迂闊な一言に後悔しつつ、なんとかフォローしようと慌てて口を開く。
「い、いや、違うんだ。どっちかっていうと引っ込み思案で恥ずかしがり屋のお前がそう言ってくれて、特にお前の方から言ってきてくれたのが嬉しかったんだ、うん。でもほらそれはやっぱりお前からしたらやっぱり相当恥ずかしくて勇気がいっただろうし、だかこそ嬉しさもひとしおというかなんというか……じゃなくてだから、な? お前が恥ずかしかったみたいに俺も言ってみて特に実感したんだが、やっぱりさっきの『一人だけでいいのか?』は恥ずかしくてさ。だから余計に柄じゃないお前が言ってくれたことが嬉しかったというか感心したというかすごいなっていうかそれに照れ隠しも混ざっちまったというか……」
自分でもなぜここまでと思うほどに、それはもうしっちゃかめっちゃかだった。
「……君も恥ずかしかったんだ」
「ま、まぁな。いくら直接口にしたわけじゃないけれど、やっぱり面と向かって子どもを作ろうなんて言うのはさ、やっぱり俺でも恥ずかしいわけさ。それにまさかとは思うけれど、断られたらどうしようとかちょっとは頭をよぎるしさ」
「そっか。君も君でボクと同じで勇気を出して言ってくれたんだね」
「ああそうだな、勇気がいった。でも柄に合わず夜のお誘いをしてきてくれたお前ほどじゃあないけどな」
「──っ!? も、もう! 蒸し返さないの!!」
まずい、またやってしまった。抱きしめていた腕を振り払い、彼女はぷいっと腕を組んで後ろを向いてしまう。今度ばかりは完全に拗ねてしまったようだ。
「ごめん、つい! 悪気があった訳じゃないんだ」
「ふ〜んだ」
そんな彼女の前に回り込んで謝るも、つんと目を閉じそっぽを向いてしまう。
けれど薄目を開けてちらちらとこっちの顔を伺って来たり、頬をぷくっと膨らませていかにも拗ねていますという表情を作っているところを見ると、別に本気でへそを曲げているわけではないらしい。
それを察し、俺は強く安堵を感じていた。どうやら怒ってはいないらしい。想いが通じ合った──しかも恥ずかしがり屋の彼女がそれを乗り越えて告げてくれた想いを受け取って通じ合った素敵な日に、そんな嫌な気持ちを味あわせることにならなく本当によかった。
でもだからこそ、今日という日は楽しく幸せに終えたいと思う。だから──
「ほんとにごめん。俺も嬉しくてちょっと調子に乗ってたみたいだ」
「つ〜んだ」
後ろから彼女にそっと近寄り──
「でも、本気でお前を困らせたり怒らせたりするつもりはなかったんだ」
「──わひゃ!」
ぎゅっと強く彼女を抱きしめ──
「だからもう一度言う。ごめん。そして、今日はありがとう」
「あ……」
頤に手を添えて肩越しに彼女を振り向かせると──
「俺はお前が大好きだ。これからも俺とずっと、ずっと一緒にいてくれ」
「……うん。こちらこそよろしく」
潤む彼女の愛らしい顔を覗き込むように、そっとキスをした。
俺の彼女への想いが伝わるように。優しく、熱く、労わるように。強く、何度も何度も……
暗く、寒い冬の夜の海。
わずかな月明かりのみが射す陸上の華やかさからはかけ離れた広大な漆黒の世界。
そんな世界も、俺は悪くないと思った。
彼女が照らす世界ならいつまでも一緒に漂ってゆける。そんな気がした。
子どもは、まぁ、早速今日から頑張ろうか。
本来の縁起と意味から姿を変えて恋人達の聖夜へとなったこの日は、差し迫った年の瀬の慌ただしさにせっつかれたようなどこか浮ついた気分も手伝って、いつもの日常から少し離れた非現実感を伴ってやってくる。
街は至る所に綺麗な装飾を施され赤と緑を基調とした明るいムードをかもし出す。
特に夜ともなればまばゆい程にライトアップされ、運河の照り返しに揺らぐ石造りの港の街並みは普段の廃れたものから心躍る幻想的な異空間へと変貌する。
特にその象徴といえば「クリスマスツリー」。濃い緑の葉を鋭く茂らせたもみの木は、この日を最も象徴するものの一つだろう。夜ともなればライトアップもあいまった文字通り眩いばかりの美しさとなる。
そんな暖かで幻想的な夜から背をむけ、俺は恋人の住む海へと向かう。
既に海中の暮らしにも順応した体ではあるが、それでも感じる冬の夜の海の寒さと暗さに気が若干滅入る。やはり心のどこかでは陸の華やかさに羨ましさを感じていた。
俺達もあの光の下で愛を語り合えたら……
そんな今更詮無いことを考えながら暗く静かな海の中を泳ぎ続ける。そろそろ彼女と落ち合ういつもの場所に着く、そんな時だった。
──ぱあっと、視界の先で綺麗な明りが灯った。
それはとても淡く、優しく、綺麗な光だった。
月明かりすらない曇り空の海の中、その灯だけが揺れる水の中で輝いている。
そしてその光は徐々に明るく、そして大きくなりながら俺へと近付いてきた。
ぼやけていた光の輪郭は近づいてくるにつれてはっきりとした線を形作り、その全容が明らかになってくる。
一つの大きな灯に見えたそれは、幾つもの人間大の灯の集合だった。
あまりの美しさに見とれて動きを止めていた俺にいよいよその灯は近付く。
するとその中から一つの灯が俺に向かってやってきた。
「びっくりした?」
それは俺の──シースライムの最愛の彼女だった。彼女の半透明な体が暖かな光を伴って発光していた。
彼女の言葉に俺はただ呆けたように頷いて返す。
気がつけば周りには彼女の仲間のシースライムが取り囲んでいて、辺りは昼のような暖かな光に包まれている。
揺らめく水中の灯火の正体、それは自らの身を輝かせる彼女達の光だった。
そして彼女達だけではない、水中を漂う何かに反射しているのか、まるでキラキラした雪のような粒が俺達を取り囲んでいた。
光の中を漂う俺たち。周り中全てを輝く粒子に包まれ、まるで空に浮かんでいるような錯覚すら覚える。きっと夜空を泳いだとて、ここまでのきらめく星々に囲まれる事はないだろう。
「どうかな、気に入ってくれたかな?」
おずおずと、けれどどこか誇らしげに彼女が言う。
「ああ、すごい。なんというか……その……」
そんな彼女に対し、肝心の俺は感動が強すぎてうまく言葉が出てこない。
「だからな、なんていうか、きれいでさ……でもただ綺麗なだけじゃなくて……」
言いたいことは沢山あった。聞きたい事も沢山あった。でも俺の口からは何一つ具体的な言葉が出てこない。
彼女に俺の感動を伝えたかった。美しい光景を見せてくれた喜びを伝えたかった。彼女と手伝ってくれた彼女の仲間達に感謝を伝えたかった。
けれどそれをどう言えば伝わるのかが解らない。胸のうちに渦巻く幸福感を言葉に出来ない。それがもどかしい。だから、この気持ちが伝わるように願いを込め──
──ぐいっ!
「あっ……」
彼女を抱きしめ──
──ちゅっ!
「ん! んむ……んちゅ……っ!」
思いっきり彼女にキスをした。
瞬間、俺達を黄色い歓声が包み、夜の海が一層明るくなる。
顔を離すと彼女は照れくさそうに一瞬目を伏せるも俺を見つめ……
「メリークリスマス」
と、マリンスノーのようなきらめきの中、雲間が割れて差し込んできた月明かりのスポットライトに照らされて、この日見てきた中で一番眩しく美しい文字道理の輝く笑顔を見せてくれた。
「ああ、メリークリスマス。これからもよろしくな」
そうして俺たちは手を取り合い、淡く輝く水の中を舞うように泳ぎ始める。
見れば周りを囲む仲間たちにもいつの間にか彼女の伴侶たちが連れ添っている。どうやら、今夜はこうして皆を迎えていたようだ。
「それじゃあいこうか」
「ああ、そうだな」
彼女に促され、俺たちは泳ぎだした。
海に降る雪と輝くツリーは、陸の街のそれよりも暖かく、幻想的で、なによりも美しかった。
「幸せだな」
脳裏から離れないその光景を反芻し、思わず一人つぶやく。
そうだねと、耳ざとくそれを聞いていた彼女が相槌を打った。それにちょっとした恥ずかしさを覚えながら再び口を開く。
「来年もまた見たいな」
「楽しみにしててよ! だけどさ……」
そう言うと言葉を区切り、一度ゆったりと大きくぐるりと旋回して俺の下に潜り込むと、彼女が顎を引いた恥ずかしげな表情に上目づかいを乗せて見つめてくる。
「……だけどさ、その時に君とボクとの間にもう一人いたらさ、もっと幸せじゃないかな?」
「──ッ!! それって……」
彼女のその一言が意味するところ。それはつまり、まぁ、有り体に言って家族が一人増えるということで、その家族というのはなんだ、要するに──
「えへへ……だめ、かな? ボクとじゃ、イヤ?」
「まったく、相変わらずかわいいなお前は!!」
「わきゃ!?」
胸の前で指を突き合わせつつ見上げながら頬をうっすらと染めてそんなことを言う彼女がいじらしくて、気付けば思わず強く抱きしめていた。
「もう、急にびっくりするじゃないか」
「すまん、すまん。あんまりにも可愛いものだからつい。いやだった?」
「……そんなことはないけどさ」
口では少し不満そうにそう言いつつも、背中に回した腕をきゅっと締めて抱き返してくる彼女。そんな仕草に自然と自分の顔が笑顔になるのが感じられる。そして俺の腕の中で胸に顔をうずめている彼女を覗き込みながら再び声をかける。
「ならいいじゃないかこうしても。それにさ」
「それに?」
「一人だけでいいのかい?」
「へ?」
きょとんといった顔を返す彼女。しかし次第に言葉の意味を理解したのか、みるみる表情を驚いた形に変え……その後恥ずかしがったり嬉しがったり恥ずかしがったり照れて見たり恥ずかしがったりと色々と百面相をした後、こほんと軽く居住まいを正してこっちを見上げて言った。
「ううん、いっぱいいっぱい欲しい。今度はボクと、ボクと君との子供たちだけで今日みたいにお迎えしてあげたい」
その様子を思い浮かべたのか、彼女は一端抱きついていた腕を離すと俺の手のひらと自分のそれとをくっつけ、弾むようにして俺の周りを廻り始める。当然こっちも彼女につられて独楽の様にくるくると回る。
きゃっきゃっと、見ているこっちまで嬉しくなるほど浮かれてはしゃぐ彼女。いや、彼女だけではない。俺もそんな彼女を見てまさかそこまで嬉しく思ってもらえるとはいなかったからか、彼女に釣られるようにして徐々に胸にこみ上げてくる幸福感に合わせて自分からも廻りだす。
俺たちはまるでダンスを踊るかのような軽やかさでひとしきりはしゃぎ回った。彼女のスカートが海中でふわりとたなびく様が愛らしい。繋いだ独特の弾力に富む彼女の手から伝わるぬくもりが嬉しい。ぬくもりと共に彼女の暖かな気持が沁みこんでくるような気さえした。
どれくらいそうしていただろう。随分長いことそうしていたような気もするし、さしたる時間でもなかったかもしれない。そんなこの暖かな時間にひとしきり浸ったところで、彼女が再び胸に飛び込んできた。ぽよんと、優しく受け止めた彼女の体が弾む。
「えへへ。ありがとう」
「ずいぶん嬉しそうだね」
「だって嬉しいんだもん」
そういって本当に嬉しそうに頬ずりをしてくる彼女。ぷるんとした柔らかな肌が心地よい。思わずきゅっと強めに抱きしめれば、やはりふにぷにと軽く押し返してくる彼女の感触が全身に感じられた。
「でもいいの?」
「なにが?」
「だって、たくさん子供を作るってことは、そ、その、ボクとたくさん、その……え、えっちなことをしなくちゃいけないってこと、なんだよ?」
「……いや、それはむしろ望むところだ。何も問題はない」
「そ、そっか。いや、君がいいんならいいんだ。うん、なんにも問題はないよね、うん。そっかそっか」
こっちからすればなにを今更なというところではあるが、基本的に引っ込み思案で恥ずかしがり屋の彼女からすれば、ちゃんと確かめたい勇気のいる質問だったのかもしれない。
触れあっている頬の熱さが、彼女の心境を物語っている気がした。
「ならよかった。ちょっと恥ずかしかったけど、言ってよかったよ」
「ふふ、弱気になる必要なんてなかったのにな。だって当然だろ? 大好きで可愛いお前が相手なんだ。嫌なんてこと、たとえ海が干上がったってありえない」
「えへへ、そっかそっか。大好きか……でへへ」
「……? どうかした?」
「う、ううん。なんでもない」
「そうか? ならいいんだけど」
なぜかわからないが俯いてぶつぶつとなにか独り言をつぶやき始める彼女。見れば頬どころか耳まで顔中真っ赤である。スライム種なのに顔が赤くなるのはどういう理屈なのかという今はどうでもいい疑問が一瞬脳裏をかすめたが、どうも様子を見る限りだとまださっきの己の発言を恥ずかしがっているらしい。
「まったく、そんなに恥ずかしがるんならあんなこと言わなきゃいいのに」
「えへへ、『大好き』で『かわいい』だって。えへへへへ……って、へ?」
「まぁでも、確かに自分から夜の話を振るなんて、お前の柄じゃあないもんな。うん。恥ずかしくて当然か」
「……夜の話題」
瞬間、ぼんという音が聞こえそうなほどに彼女の顔が一気にさらに赤くなった。震え出した目は潤みうっすらと涙が滲み出かかっている。
まずい、どうやら地雷を踏んだようだ。彼女の懸命な我慢を決壊させた己の迂闊な一言に後悔しつつ、なんとかフォローしようと慌てて口を開く。
「い、いや、違うんだ。どっちかっていうと引っ込み思案で恥ずかしがり屋のお前がそう言ってくれて、特にお前の方から言ってきてくれたのが嬉しかったんだ、うん。でもほらそれはやっぱりお前からしたらやっぱり相当恥ずかしくて勇気がいっただろうし、だかこそ嬉しさもひとしおというかなんというか……じゃなくてだから、な? お前が恥ずかしかったみたいに俺も言ってみて特に実感したんだが、やっぱりさっきの『一人だけでいいのか?』は恥ずかしくてさ。だから余計に柄じゃないお前が言ってくれたことが嬉しかったというか感心したというかすごいなっていうかそれに照れ隠しも混ざっちまったというか……」
自分でもなぜここまでと思うほどに、それはもうしっちゃかめっちゃかだった。
「……君も恥ずかしかったんだ」
「ま、まぁな。いくら直接口にしたわけじゃないけれど、やっぱり面と向かって子どもを作ろうなんて言うのはさ、やっぱり俺でも恥ずかしいわけさ。それにまさかとは思うけれど、断られたらどうしようとかちょっとは頭をよぎるしさ」
「そっか。君も君でボクと同じで勇気を出して言ってくれたんだね」
「ああそうだな、勇気がいった。でも柄に合わず夜のお誘いをしてきてくれたお前ほどじゃあないけどな」
「──っ!? も、もう! 蒸し返さないの!!」
まずい、またやってしまった。抱きしめていた腕を振り払い、彼女はぷいっと腕を組んで後ろを向いてしまう。今度ばかりは完全に拗ねてしまったようだ。
「ごめん、つい! 悪気があった訳じゃないんだ」
「ふ〜んだ」
そんな彼女の前に回り込んで謝るも、つんと目を閉じそっぽを向いてしまう。
けれど薄目を開けてちらちらとこっちの顔を伺って来たり、頬をぷくっと膨らませていかにも拗ねていますという表情を作っているところを見ると、別に本気でへそを曲げているわけではないらしい。
それを察し、俺は強く安堵を感じていた。どうやら怒ってはいないらしい。想いが通じ合った──しかも恥ずかしがり屋の彼女がそれを乗り越えて告げてくれた想いを受け取って通じ合った素敵な日に、そんな嫌な気持ちを味あわせることにならなく本当によかった。
でもだからこそ、今日という日は楽しく幸せに終えたいと思う。だから──
「ほんとにごめん。俺も嬉しくてちょっと調子に乗ってたみたいだ」
「つ〜んだ」
後ろから彼女にそっと近寄り──
「でも、本気でお前を困らせたり怒らせたりするつもりはなかったんだ」
「──わひゃ!」
ぎゅっと強く彼女を抱きしめ──
「だからもう一度言う。ごめん。そして、今日はありがとう」
「あ……」
頤に手を添えて肩越しに彼女を振り向かせると──
「俺はお前が大好きだ。これからも俺とずっと、ずっと一緒にいてくれ」
「……うん。こちらこそよろしく」
潤む彼女の愛らしい顔を覗き込むように、そっとキスをした。
俺の彼女への想いが伝わるように。優しく、熱く、労わるように。強く、何度も何度も……
暗く、寒い冬の夜の海。
わずかな月明かりのみが射す陸上の華やかさからはかけ離れた広大な漆黒の世界。
そんな世界も、俺は悪くないと思った。
彼女が照らす世界ならいつまでも一緒に漂ってゆける。そんな気がした。
子どもは、まぁ、早速今日から頑張ろうか。
12/07/24 17:17更新 / あさがお