読切小説
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とある道場にて
「まめまき?」
 不思議そうに聞き返したということは、リザは知らないのだろう。ジパングに来て日も浅いし当然と言えば当然なので、俺は大まかに説明を始めた。
「大雑把に言えば厄払いの行事だな。ジパングの神話に、襲ってきた鬼に煎り豆をぶつけて退治したってのがあって、それを真似て家の周りに豆を撒くんだ」
「なるほど。だから豆撒き」
「そうそう。撒き終わったら自分の数え歳の数だけ豆を食うとか、いろいろしきたりはあるが……とにかく、今日はそういう日なんだよ」
「わかった。細かいことはやりながら教えてくれ。まずは……豆を煎るのか?」
 部屋の端に大量に置いてある豆に気付いて、リザは困ったように訊ねる。
 リザードマンで、かつて俺に勝つために十年も修業に明け暮れていたという彼女は、剣の腕前が人並みでない代わりに花嫁修業のほうは人並み以下なのだ。東西を問わず料理も練習してはいるが、やはり不安なのだろう。
 そんなリザも可愛い、と破顔しつつ、大丈夫、と俺は首を振る。
「ジパングでは恒例の行事だからな。市販の豆も既に煎ってあるんだ。それに細かいやりかたなんかは俺も知らないから、安心して良いぞ」
 そう言うとリザは途端に顔を緩め、安心の溜息をつく。うん、可愛い。
「……あ、じゃあ早速始めるか? それとも時間とかも決まってるのか?」
「正しい時間とかは聞いたことないけど、ウチではもうちょいだな。そろそろ……」
 と俺が言いかけたとき、廊下側から俺を呼ぶ声が聞こえてきた。誰なのかは見ずとも分かる……リンだろう。
 遅れて襖が静かに開き、予想通りリンが姿を現す。
「失礼します。先生、それからリザさん、門下生が集まりましたよ」
「分かった。リザは先に道場に行って、門下生に豆撒きするって伝えてくれ。リン、悪いけど豆運ぶの手伝ってくれるか」
「はい」
 にこやかに頷くと、とたとたと俺が持てなかった分の豆を運び出す。思いの外重い豆を運ばせるのは心苦しくもあるが、仕込みのためなので仕方ない。手伝おうか、と心配するリザを押し留めると、仕方なしに俺はリンの腕からもう一つ豆の袋を奪った。
「あ……先生?」
「先生言うな。これなら運べるだろ」
「は、はい。ありがとうございます……お優しいですね」
 まだ重そうな足取りはひょっとすると演技なのか。俺に軽く頭を下げると、ゆっくりと部屋を出て行く。
「むぅ……そ、その、私にも手伝えることはないか?」
 そんなリンの背中をふくれっ面で見ていたリザが、不意に俺に訊いてくる。気遣いはありがたいが、今は先に行ってくれるほうが嬉しい。
「先に道場に行って、門下生たちに今日は豆撒きだって教えといてくれ」
なのでそれだけ言うと、俺はちょっと素っ気無くリンの後を追った。
 去り際に一層顔を膨らませるリザが見えたが……その顔も可愛いと思ってしまう俺は、もういろいろと終わっているのだろう。苦笑しながらも、俺は急いで豆を運んでいった。





「あ、リザ先生! おはよーございまーす!」
 道場に行くと、既に着替えていた門下生たちが私に気付いて挨拶してくる。皆に挨拶を返しながら自分も道場に入ると、主に女子の門下生たちが駆け寄ってきた。
「せんせー、きょうなんの日かしってるー?」
 わいわいと皆で私を取り囲むと、一番小さな門下生が得意気に聞いてくる。
 きっと異国出身の私に豆撒きのことを教えてくれようとしているのだろう。あいつもジパングの恒例行事だといっていたし、私が伝えるまでもなく皆も知っていたようだ。
 なので近くのこの頭を撫でながら、私はちょっととぼけて見せた。
「んー、わかんないな。何の日?」
「えっとねー、きょうはせつぶんなのー!」
「豆まきするんだよ!」
「鬼退治するのー!」
「そうなんだ。そういえばあいつ……先生が、今日は豆まきをするって言ってたぞ」
『やったーーーっ!!』
 私が伝えると、門下生がいきなり歓声を上げる。それも幼い子だけでなく、14、5ばかりの少年たちまで歓声を……というか、そっちの方がテンションが高いように見える。
 何事か事態を掴めないでいる私をよそに、道場の玄関が開く音。振り返るとリンが入ってきたところで、門下生たちは再び口々に挨拶した。
「リン先生、おはようございますー!」
「おはようございます、みんな。今日は何の日ですか?」
『せつぶんー!!』
「節分には何をするんですか?」
『まめまきー!!』
「正解! じゃあみんな、まずは道場に豆を運んでくれますか?」
『はーい!』
 息のあった返事と共に、少年たちが中心となって玄関先に置いてあった豆を次々に道場の中に運び入れる。なるほど大量の豆があるとは思ったが、門下生全員で撒くために用意してあったのか。
 そうしているうちに、運ばれた豆は袋を開けたまま道場内に広げられ、女の子によって小さな木の箱に移されていく。やがて全部の豆が運び込まれると、取り分けられた豆が一人一人に渡されていった。
「これを撒くのか?」
「はい。うちでは玄関からはじめて、道場周りを一周するんですよ。たくさんあると思いますけど、いきなり全部は撒かないでくださいね」
「わかった。ところで……あいつは?」
 全員豆を持って、見たところ準備は完了に見えるが、あいつの姿はどこにも見えない。リンと一緒に豆を運んでいたのだから、居て然るべきなのだが。
そう思って私が訊くと、リンはわざとらしく手を叩き、あたかも思い出したという風に言った。
「そういえば、先生は忘れ物をしたとかで、先に始めててくれって言ってました」
「……本当か?」
「本当ですよー。それじゃみんなー、豆まき始めるからついてきてくださいねー!」
『はーい!』
 リンが一声かけると、みんなそれに従ってぞろぞろと道場の外へ出て行く。不審には思ったが、そもそも私は豆まきの風習なんて知らないし、門下生を待たせるわけにも行かない。渡された自分の豆をもって、私もそれについていくのだった。





「鬼はー外―!」
『おにはーそとー!』
「福はー内ー!」
『ふくはーうちー!』
 リンの声に続いて唱和しながら、ぱらぱらと豆を撒く。道場の玄関口から始めて東西南北をぐるりと一周、それがこの道場でのしきたりらしい。
「……結局あいつが来ないまま終わってしまったぞ」
 最後の豆を投げ終えて、私はリンに耳打ちする。来ませんでしたね、などと微笑むリンは、しかし表情に笑みを浮かべている……が、空になった私の木箱に目を向けると、驚いたように口に手を当てた。
「あら、豆、使い切ってしまったんですか?」
「え? ああ……もしかしてまずかったか?」
「本来は別に構わないんですけど、ウチの場合は……」
「リン先生、リザ先生、戻ろうよー」
 困った様子のリンを遮って、門下生が私たちの裾を引く。慌てて笑顔で子供たちを先導するものの、豆はまだ残っていたかしら、とリンは思案している。……あいつから聞いたときは、豆を撒く以外では必要なさそうだったのだが。
 そんな風に私も考えながら、一行は道場に戻っていく――そのとき、リンが叫び声をあげた。
「き、きゃあ! あれは何!?」
 ……如何にもわざとらしい叫び声、ではあったが。
 その声だけで半ば呆れつつも、何事かと門下生の後ろから背伸びしてリンの方に目を向ける。リンの視線の先……即ち道場の玄関先には、人影が一つ。
白い胴着に黒の袴、腰に木刀を一本差したその姿は私たちもよく道場で見かける姿――なのだが、それらに不釣合いなものが顔に一つ。
 お面である。しかも全く仰々しいものではなく、いかにも子供の手作りですといったような素朴な赤鬼のお面である。
「ふははははー、今頃戻ってきたか! 私は鬼が島より参上せし鬼なり!」
「あれー、先生だー」
「大先生じゃないねー?」
「先生言うな! じゃなくって……この家のお菓子は既に頂いた! 返して欲しくばこの俺を退治してみせろー!」
「…………ぷっ」
 思わず噴き出してしまう。なるほど、豆撒きは鬼退治の神話が元になっていると言うから、それを真似て鬼の役を引き受けたわけだ。お菓子を盗むとは、なんとも分かりやすい悪役ではないか。
「……リザさんリザさん」
 ちょいちょいと袖を引かれ、私はリンの方に向き直る。子供たちは鬼に扮したあいつに豆を投げているので、先導不要として抜け出してきたようだ。
「どうした?」
「豆、まだ道場に余ってたので持って来ました。思いっきり投げつけちゃってください」
「ああ……すまない」
「良いですよー。その代わり、ちゃんとそれらしく演技してくださいね? 大人のノリが悪いと、子供たちもつまらなくなりますから」
 そう言うと、リンは前線を煽りに戻っていく。
 子供たちのためと言われれば、演技は苦手でもやらざるを得ない。苦い笑みを浮かべるも、よし、と気合を入れて私も前線に向かった。
「どけどけぇ! その鬼、私が退治して見せるぞ!」
「あ、リザ先生!」
「リザ先生ー、先生ってば酷いんだよ!」
「木刀で豆弾いちゃうのー!」
「木刀で……ってお前、そこまで本気になるか!? 許せん! これでも喰らえ!」
 豆を掴むと、私は思い切りあいつに投げつける。人間ではありえないスピードで飛来する豆にはあいつも文字通り太刀打ちできず、その身にべちべちと豆が命中していった。
「いってえええ! なんだこれ鉄砲かよ!? リザお前本気すぎるだろ!」
「お前に言われたくない! みんな、私に続けー!!」
『おー!』
 私の豆が命中したのを皮切りに、門下生一同も一気呵成に豆を投げつけ始める。
「鬼は外ー!」
「福は内ー!」
「おにはそとー!」
「綺麗な嫁さん貰いそうな先生は外ぉ!」
「先生もげろぉっ!」
 ……若干厄払いと言うより私怨交じりにも思えるが、ともあれ数の暴力に押され始めたあいつは頃合を見て撤退しようといった空気を見せた――

「ふはははは! 苦戦しているようだな赤鬼一号!」

 と、そのとき、いきなりそんな声が響く。
驚いて私も門下生も、果てはあいつまで動きを止めて声の主を探す。そんな私たちに見せ付けるかのように、声の主は樹の上から飛び降りてきた。
 白胴着に黒の袴、木刀を佩いたところまでは同じだが、顔につける青鬼の面、そして声の渋みと身に纏う空気は明らかに違う。
というか、アレは間違いなく……
「とうっ! 助太刀に来たぞ赤鬼……」
「あー、大先生だー!」
「大先生も鬼になってるー!」
「ち、ちがうぞ! わしはそこな赤鬼の助っ人に来た青鬼二号なり! さあお菓子を返して欲しくばわしを退治して」
「投げろー!」
『おー!』
 私が声を掛けるまでもなく、子供たちは慣れた手つきであいつの父親……もとい、青鬼のほうにも豆を投げつける。不意打ちを喰らった形になった青鬼は、しかしあいつと同じように木刀で豆を弾き始めた。やはり親子か。
「あーん、リザ先生ー!」
「まかせろ」
 子供たちの要望を受けて私も再び全力で投げつける。
「ぬおお、痛い、痛いぞ! なんだこれ鉄砲か!」
 やはり親子か。
「おらっ嫁を盗られた親父の仇ぃ!」
「これは大食いで負けた爺ちゃんの恨みだ!」
「大先生もげろっ!」
 親子だったようだ。というか私怨の中心となっている少年たちは活き活きしすぎだと思う。
「くぅ、多勢に無勢か! 撤退するぞ赤鬼一号!」
「アンタ何しに来たんだよ親父ぃ!? いってえ!」
「親父ではない青鬼二号だ!」
 そんな言いあいをしながら、鬼二人は背を向けて去っていく。豆が届かなくなった辺りで、門下生たちは勝ち鬨を上げた。
 ……明らかに間違ってると私にも分かる豆撒きは、こうして幕を閉じたのである。





「みんなー、今年の恵方は北北西ですよー。恵方巻きを食べてる間は喋っちゃ駄目ですからねー」
 食べ終わっていない門下生に指示しながら、リンは道場内を渡り歩く。一足先に食べ終えていた俺は、隣で同じく食べ終えたリザに豆撒きの感想を訊ねた。
「どうだった、豆撒き」
「お前が大人気ないという一面を発見した」
「それ豆撒きの感想じゃねーよ……それに、なんだかんだで皆楽しんでただろ?」
「む、確かに……」
「ならアレで良いんだよ」
 風習に従って数え年分の豆を食べながら、俺はそう言って軽く笑う。大人気ないと言ってもリザだって本気で投げつけていたのだから人のことは言えないだろう……と思ったが、それは言わないでおいた。
「皆、恵方巻きは食べましたかー? それじゃあ皆で鬼から取り返したお菓子を食べましょー!」
『やったー!』
 リンが言うと、小さい子から順に並んでそれぞれお菓子を貰っていく。そうそう、ぶっちゃけウチではこっちが本命の行事だったりする。
「……お菓子を配るのも常識なのか?」
「んなことするのはウチだけだろう。けど俺があのくらいちっちゃいころ、親父たちが鬼の役をやったり、お菓子をくれたりして、それが結構楽しくてな。結局ウチの道場の恒例行事になっちまった」
「良い親だな」
 いつまでたってもガキみたいだけどな。
 前年まで鬼の役をしていたどころか、先ほども飛び入りで鬼に扮していた父を思い出し、苦笑を漏らす。
 リンから受け取ったお菓子を美味しそうに頬張る子どもたち……あの子たちが、せめて幼い頃の自分のように、楽しんでくれていると良いけれど。
「私も、そういう親になりたい」
「はは……そのためにはまず、料理かな」
「くぅっ……少しくらい良い雰囲気になっても良いじゃないかぁ!」
 冗談めかして俺が言うと、リザは頬を膨らませて睨んでくる。そういう子供っぽいところが残っていれば、きっと良い親になれるだろう。
「先生ー、また豆でも投げられたいんですか〜?」
 ジト目で冷ややかなリンの言葉に我に返ると、道場内の全員がニヤニヤとこちらを見ている。
 慌てて立ち上がると、誤魔化すように俺はリザに向かって言った。
「さ、さて! 豆撒きも終わったし、この後は稽古に励もうか!」
「そ、そうだな。次は私が勝つからな!」
 そう言ってそそくさと退場する俺たちを、後ろで囃し立てる門下生。
 まあ、これも楽しんでると思えばそれで良い……のかな?
12/02/04 23:30更新 / 染色体

■作者メッセージ
え、節分には一日遅いって?昨日中に書きあがらなかったんだからしょうがないじゃないですか。
え、時間かけた風に言っても5600字しかない? ……ごめんなさい。
ヒロインをリザードマンに固定する理由も無い、単に思いつきで書いただけの文章です。ウチの親が豆撒きのときは鬼のお面を被ってくれていたので、それを思い出しながら書いてみました。

読んでくださった方に、最上級の感謝を。

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