第一話「芸術は戦いだ!? 美術品に宿る魔の香り!」編
阿成沢 知木霊(あなるさわ しりこだま) 【1832〜1920】
極東の島国・JIPANGUのBUNMEIKAIKA時代に名を馳せた稀代の芸術家である。
絵画・陶芸・彫刻・日本刀・果ては料理に至るまで…あらゆる分野に精通する彼の手腕は「神の手」と呼ばれるにふさわしいものであった。
しかし、彼の作品の現存数は極めて少なく、発見自体が奇跡の賜物と言われる程の希少さで有名である。
その現存する美術品の全てが「神や精霊すらも感動の涙を流す」と満場一致で評される素晴らしい品々だった。
波乱多き生涯を芸術に捧げ続けた「伝説の体現者」と美術史にも名を遺す人物である。
魔物には美しい芸術品を好む存在もいる。そんな者達にとって、彼の作品(と、恐らくは彼自身)は非常に魅力を持つ存在だったと言えよう。
しかし意外にも彼は「妖精の国」への誘惑を一切受けることもなく、88歳という(当時としては)大変な長命な「純粋な人間」としての生涯を全うした。
彼が人間としての生を貫き続けた真実が、この物語で明かされることになる……
――時は1914年、JIPANGU・OKAYAMAにある阿成沢の工房……
沈黙の中、一人の若者が老人の前に一本の花瓶を差し出した。
この老人こそが、「神の手」と称されて久しい阿成沢 知木霊先生その人であった。
目の前に置かれた花瓶は、まさしく先程窯から出されて完成を迎えた彼の作品である。
その細口の花瓶は、まるでほんのりと輝いているかのように美しい白色をしていた。
阿成沢先生は、その花瓶をしばらく見据えてから、目を瞑って一息ついた。
花瓶を彼の前に差し出した若者は数歩下がり、頭を垂れて巨匠の反応を待ち続けている。
その時である。花瓶に異変が訪れたのだった。
輝いている「かのように」見える花瓶が、本当に輝きを放ち始めたのだ。
輝きは徐々に人の形を模り、やがて小さな少女の姿となって現実のものとなった。
様々な美術品などに魅かれて現れる魔物、リャナンシーである。
「神の手」によって作り出した作品は、なんと神ではなく魔物を呼び寄せる結果となってしまったのだ。
リャナンシーは、自らを「妖精の国」からこちらが引き寄せた作品を見て、うっとりとした微笑みを浮かべた。
彼女の目から見ても、彼の作品は素晴らしく美しかったのである。
そしてついに、彼女の口から言葉が発せられ、沈黙が破られ――
「ねえ、あなたがこの美しい花瓶を作っ――」
ひゅん。
彼女が全てを言い終わらないうちに鼻先が何かをかすめた。
そして、
どぐわっしゃああああぁぁん。
自らを呼び寄せた美しい花瓶は、目の前で木端微塵に粉砕されてしまっていた。
「た?」
あまりの超特急展開に訳が分からず、間の抜けた声を上げるリャナンシーさん。
自分の鼻先を何かがかすめた事を思い出し、鼻の頭を指で触れてみる。
指先にうっすらと血がにじんでいるのが見えて背筋が凍りついた。爺さんのポン刀が鼻先を僅かにかすめていたのだ。
あと50センチ前にいるか、花瓶から出てくるのが8秒程遅かったらズンバラリンと真っ向唐竹割りされてたかもしれない。
そして眼前には目を見開き、血走った瞳で花瓶を睨みつけている刀を持った老人。
その横では若者が、老人を止めるために立ち上がろうとしたところであった。
「あ、あなななな、なななななな……」
突如のショッキングな出来事に満足に言葉を出せず、彼女はひきつったような声を上げることしかできなかった。
出てきた早々に美しい美術品を粉砕された挙句に危うく死ぬかもしれなかった状況である。絶句も無理はない。
「……終わりじゃ……」
「え?」
沈黙を再び破ったのは、喉から絞り出したような老人の声であった。
「このような……このような半端極まりない愚作が……集大成とは……」
「あ、えっと、あの……」
「最早ワシの芸術家としての生命は絶たれてしもうたのじゃァァァァッ!阿成沢 知木霊の名はもう、地の底に、奈落の果てに落ちてしもうたのじゃァァァアァッ!!」
「何を仰られます、先生!先生は現代JIPANGUの美と芸術を一手に担う巨匠ではございませんか!?」
「もしもーし……?」
リャナンシーさんの声をグランドスルーしたまま、老人と若者の押し問答が続く。
そして、老人はいきなり着物の前を肌蹴て、刀を自身の横腹に突きつけたのだった。
「雲刻斎!ワシは腹を切る!介錯いたせェェエエェッ!!」
「先生ぃぃぃぃッ!?」
「ちょっとなんなの、なんなのぉぉぉッ?!」
さて、この阿成沢先生であるが、芸術家としての手腕は誰もが認める確かなものであった。あったのだが。
この爺さん、どうしようもないレベルの癇癪持ちであり、自身の作品に僅かでも気に食わない点があればすぐさまぶち壊し、その上で自身の不甲斐なさを嘆きまくった挙句に自刃しようとするという大変困った人物でもあった。
ぶっちゃけ言っちゃうと、この人の作品がなんで数えるほども残ってないのかという理由はこのヒスによるものがほぼ全てで、現存している品は奇跡的にバーサーカー老人の被害を免れた物だった、という大層アレなオチである。
そして彼の弟子である若者・雲刻斎(うんこくさい)は、このヒス爺の大発狂に四六時中巻き込まれ、かの大人物の苦悩に心(と、胃壁)を痛める毎日だった。
先ほどリャナンシーさんが出てきた細口花瓶をポン刀でチェストしやがった理由も「花瓶の艶と色にアンバランスな部分があった(と、少なくともこのナチュラルボーンクラッシャーには見えた)」といったものだったようだ。
「ちょ、ちょっと、待って!待ってくださいってば、ねぇ!?」
「何者じゃ小娘!?貴様、ワシが阿成沢 知木霊と知っての狼藉かァアァァアアァァッ!?」
「先生ぃぃぃッ!!」
猪老人を抑えようとリャナンシーさんは慌てて飛びついた。
そして、二人と一体の取っ組み合いはしばらく続いたのだった。
数分後……
「そうですか……それで、あの作品は失敗作だと……」
腹を切ろうとする暴れ爺をどうにか雲刻斎さんと一緒に宥めすかし、リャナンシーさんは手間暇かけて作った作品を壊した理由を聞きだした。
「当然であろう! あのような花をも枯らす駄作を我が人生の集大成とするなど、我が芸術家人生そのものを冒涜する所業であるッ!」
「ですが先生、あの作品のフォルム、色艶共に完璧な作品であるとわたくしはお目見え致しましたっ!」
「そうですよ!私達リャナンシーは美しい、心のこもった作品に魅かれる種族なんです、駄作なんて……」
「未熟者めェェェェェッ!!」
リャナンシーさんと一緒にフォローに入った雲刻斎に大喝を飛ばすニトロ爺。ホントにめんどくさい人である。
「ハハッ、申し訳ありません、先生ッ!」
「ご、ごめんなさいーっ!?」
雲刻斎は阿成沢先生の怒りに慄き、慌てて平伏した。ついでにリャナンシーさんもその怒気に押されて平伏した。
「芸術というものは、非の打ち所のない作品でなければならぬ!妥協……それすなわち惰弱なりッ!雲刻斎、貴様はワシの後進を目指し、5年以上ワシの教えを受けておきながらそのような事すらも理解できぬかァァァァァァァッ!!」
「申し訳ありません、先生!この雲刻斎、いまだ未熟故……!」
「すいませんすいません……」
そのまま説教モードに移行した癇癪老人の逆ギレ罵声は1時間近く続いたのだった。
そして……
「まったく、これだから『美』の意識が低い者は……」
「この雲刻斎、先生の弟子として今後一層の精進に励む次第であります」
「あ、あがが、あ、足が……足先の感覚が……」
雲刻斎は毎度毎度のことなので平然としているが、リャナンシーさんの方は1時間も正座してたせいで足がシビれ、まともに立ち上がることができない有様だった。
ようやく終わったか、とリャナンシーさんは心底安堵していた。
「されど先生、次の作品の方は如何いたしましょう?」
「うぬぅ……先程作ったあの駄作……もはや思い出すのも忌々しいが、あれのせいでどうにも土を弄る気分でなくなってしもうたわ……」
「左様でございますか……」
「あ、あの……」
ここでリャナンシーさんが口を挿んだ。
「何じゃ」
「え、えっと、なにも壺とか花瓶造りとかに拘らなくてもいいんじゃぁない、でしょうか……?」
「ふむ」
「同じ種類の物ばっかり作ってたらやっぱり、ワンパターンになる事もたまにはあるかもですから……別の……その、絵とか、どうでしょう?」
「むぅ、絵か……」
阿成沢先生は腕を組んでうーむ、とため息をついた。
そして十数秒の沈黙の後……膝をバシンと叩き、
「この小娘の言葉にも一理有る!、雲刻斎、ワシは久々に絵をしたためるぞ!墨と筆を持てィィィイィッ!!」
「ははッ、唯今ッ!」
(ホッ……)
リャナンシーさんの助言が功を奏し、砲弾親父は創作意欲を取り戻したようだ。
これで先程のような美しい作品を作って貰い、彼(と、ついでにその弟子さん)を「妖精の国」へと招待してあげよう、と彼女は思ったのだった。
数時間後……
目の前には、様々な種類の花を飾った美しい花瓶の水墨画があった。
墨一色で生み出された作品でありながら、素晴らしい濃淡・明暗の具合を醸し出し、まるで手を伸ばせば触れられるかのような完成度の高さを見せつけている。
「久々に……久々に満足いく一作ができたやも知れぬ……」
「御見事にございます、先生ッ!」
阿成沢先生もその出来栄えに不満は無いようである。
リャナンシーさんもその完成度に感動を隠せなかった。
ちょっと(いや、結構……もとい、かなり)めんどくさい人ではあるが、その美に対する熱意と腕は正真正銘の本物だ。
この人が「妖精の国」に来れば、(疲れるだろうけど)より素敵な芸術の世界が更に映えるだろう。
「すごい……繊細でありながら大胆な筆遣い……まるで本物みた……」
「ほ……ん、もの?」
突如ぽつりと、爺の口から声が漏れ出る。
ここでリャナンシーさん、猛烈に嫌な予感を感じた。
そして――
ずばっしゃああああああ。
次の瞬間には、奇跡の如き水墨画は爺の持ってるポン刀で横真っ二つに斬り裂かれた。
「ちょっと、どうしてよぉぉぉぉっ?!」
「ワシは……ワシは……」
「先生、お気を確かにッ!?」
わなわなと刀を握る手を震わせる阿成沢先生。
「ワシは何という惰弱な選択をしてしもうたのじゃァァアァァァァッ!絵はあくまで絵!『偶像』であり、『本物』ではないのじゃァァァァァアアアアァァッ!『絵に描いた餅』に満足を覚えるなど、何たる耄碌!何たる逃避!何たる浅慮ォォオオォォォオォッ!!」
「何を仰られます、先生ッ!」
どうも『本物』というキーワードで大型地雷を踏み抜いちゃったらしいリャナンシーさんであった。
のた打ち回って自分の愚行(?)を嘆く人間榴弾。そしてそれを必死に宥める雲刻斎。
「いやいやいやいや!絵には絵の良さがあって、何も『偶像』ってわけじゃ……」
で、リャナンシーさんのフォローなどちっとも耳に入ってないのか、再び活火山爺は着物の前を肌蹴て、刀を逆手に握りしめた。
「雲刻斎!ワシは腹を切る!介錯いたせェェエエェッ!!」
「先生ぃぃぃぃッ!?」
「だから待ってってばぁぁぁぁっ!?」
再び腹を切る、切らないの取っ組み合いが始まったのだった。
「もう、もうやだぁ〜……」
リャナンシーさんは目の前で美しい品が二度もぶち壊されたショックに耐え切れなくなってしまい、とうとう泣きながら飛び去って行ってしまった。
実は阿成沢先生の前にリャナンシーが現れたのはこれが最初ではない。というか二桁は軽く来ている。
が、このボケ老人の「作ったそばから作品をぶっ壊す悪癖」を目の当たりにさせられ、皆例外なく逃げ帰ってしまうのだ。
もっとも、彼が魔物から身を守り続けることのできた理由がこれなんだから皮肉な話である。
「えええぇい、雲刻斎!離せ!離さぬかァァァアアァァッ!?」
「先生、落ち着いてください、先生ぃぃぃッ!!」
リャナンシーさんが飛び去って行っても、阿成沢先生と雲刻斎の取っ組み合いはしばらく続いていた。
数分後……
「ところで、雲刻斎よ」
「はい、先生」
落ち着きを取り戻して休火山状態になった阿成沢先生であった。
「先程までおった小娘は何者じゃ?」
「わたくしは存じませぬ」
この二人、リャナンシーさんの事を全く分かっていなかった。
というか彼女が魔物だとさえも認識してなかったようである。
「ふむ…まあよい、盗む価値のあるようなものなど屋敷にはありはせん。それより、作品を作らねば……土を用意せいィィィィッ!!」
「ははッ、唯今ッ!」
暴れたことがストレス発散になったのか、ダイナマイト爺は再び創作活動に取り掛かるのだった……
そうして完成した壺がこの猛犬爺さん自身の手でオーバースローで壁に叩き付けられ、完膚なきまでに粉砕されたのは言うまでもない。
極東の島国・JIPANGUのBUNMEIKAIKA時代に名を馳せた稀代の芸術家である。
絵画・陶芸・彫刻・日本刀・果ては料理に至るまで…あらゆる分野に精通する彼の手腕は「神の手」と呼ばれるにふさわしいものであった。
しかし、彼の作品の現存数は極めて少なく、発見自体が奇跡の賜物と言われる程の希少さで有名である。
その現存する美術品の全てが「神や精霊すらも感動の涙を流す」と満場一致で評される素晴らしい品々だった。
波乱多き生涯を芸術に捧げ続けた「伝説の体現者」と美術史にも名を遺す人物である。
魔物には美しい芸術品を好む存在もいる。そんな者達にとって、彼の作品(と、恐らくは彼自身)は非常に魅力を持つ存在だったと言えよう。
しかし意外にも彼は「妖精の国」への誘惑を一切受けることもなく、88歳という(当時としては)大変な長命な「純粋な人間」としての生涯を全うした。
彼が人間としての生を貫き続けた真実が、この物語で明かされることになる……
――時は1914年、JIPANGU・OKAYAMAにある阿成沢の工房……
沈黙の中、一人の若者が老人の前に一本の花瓶を差し出した。
この老人こそが、「神の手」と称されて久しい阿成沢 知木霊先生その人であった。
目の前に置かれた花瓶は、まさしく先程窯から出されて完成を迎えた彼の作品である。
その細口の花瓶は、まるでほんのりと輝いているかのように美しい白色をしていた。
阿成沢先生は、その花瓶をしばらく見据えてから、目を瞑って一息ついた。
花瓶を彼の前に差し出した若者は数歩下がり、頭を垂れて巨匠の反応を待ち続けている。
その時である。花瓶に異変が訪れたのだった。
輝いている「かのように」見える花瓶が、本当に輝きを放ち始めたのだ。
輝きは徐々に人の形を模り、やがて小さな少女の姿となって現実のものとなった。
様々な美術品などに魅かれて現れる魔物、リャナンシーである。
「神の手」によって作り出した作品は、なんと神ではなく魔物を呼び寄せる結果となってしまったのだ。
リャナンシーは、自らを「妖精の国」からこちらが引き寄せた作品を見て、うっとりとした微笑みを浮かべた。
彼女の目から見ても、彼の作品は素晴らしく美しかったのである。
そしてついに、彼女の口から言葉が発せられ、沈黙が破られ――
「ねえ、あなたがこの美しい花瓶を作っ――」
ひゅん。
彼女が全てを言い終わらないうちに鼻先が何かをかすめた。
そして、
どぐわっしゃああああぁぁん。
自らを呼び寄せた美しい花瓶は、目の前で木端微塵に粉砕されてしまっていた。
「た?」
あまりの超特急展開に訳が分からず、間の抜けた声を上げるリャナンシーさん。
自分の鼻先を何かがかすめた事を思い出し、鼻の頭を指で触れてみる。
指先にうっすらと血がにじんでいるのが見えて背筋が凍りついた。爺さんのポン刀が鼻先を僅かにかすめていたのだ。
あと50センチ前にいるか、花瓶から出てくるのが8秒程遅かったらズンバラリンと真っ向唐竹割りされてたかもしれない。
そして眼前には目を見開き、血走った瞳で花瓶を睨みつけている刀を持った老人。
その横では若者が、老人を止めるために立ち上がろうとしたところであった。
「あ、あなななな、なななななな……」
突如のショッキングな出来事に満足に言葉を出せず、彼女はひきつったような声を上げることしかできなかった。
出てきた早々に美しい美術品を粉砕された挙句に危うく死ぬかもしれなかった状況である。絶句も無理はない。
「……終わりじゃ……」
「え?」
沈黙を再び破ったのは、喉から絞り出したような老人の声であった。
「このような……このような半端極まりない愚作が……集大成とは……」
「あ、えっと、あの……」
「最早ワシの芸術家としての生命は絶たれてしもうたのじゃァァァァッ!阿成沢 知木霊の名はもう、地の底に、奈落の果てに落ちてしもうたのじゃァァァアァッ!!」
「何を仰られます、先生!先生は現代JIPANGUの美と芸術を一手に担う巨匠ではございませんか!?」
「もしもーし……?」
リャナンシーさんの声をグランドスルーしたまま、老人と若者の押し問答が続く。
そして、老人はいきなり着物の前を肌蹴て、刀を自身の横腹に突きつけたのだった。
「雲刻斎!ワシは腹を切る!介錯いたせェェエエェッ!!」
「先生ぃぃぃぃッ!?」
「ちょっとなんなの、なんなのぉぉぉッ?!」
さて、この阿成沢先生であるが、芸術家としての手腕は誰もが認める確かなものであった。あったのだが。
この爺さん、どうしようもないレベルの癇癪持ちであり、自身の作品に僅かでも気に食わない点があればすぐさまぶち壊し、その上で自身の不甲斐なさを嘆きまくった挙句に自刃しようとするという大変困った人物でもあった。
ぶっちゃけ言っちゃうと、この人の作品がなんで数えるほども残ってないのかという理由はこのヒスによるものがほぼ全てで、現存している品は奇跡的にバーサーカー老人の被害を免れた物だった、という大層アレなオチである。
そして彼の弟子である若者・雲刻斎(うんこくさい)は、このヒス爺の大発狂に四六時中巻き込まれ、かの大人物の苦悩に心(と、胃壁)を痛める毎日だった。
先ほどリャナンシーさんが出てきた細口花瓶をポン刀でチェストしやがった理由も「花瓶の艶と色にアンバランスな部分があった(と、少なくともこのナチュラルボーンクラッシャーには見えた)」といったものだったようだ。
「ちょ、ちょっと、待って!待ってくださいってば、ねぇ!?」
「何者じゃ小娘!?貴様、ワシが阿成沢 知木霊と知っての狼藉かァアァァアアァァッ!?」
「先生ぃぃぃッ!!」
猪老人を抑えようとリャナンシーさんは慌てて飛びついた。
そして、二人と一体の取っ組み合いはしばらく続いたのだった。
数分後……
「そうですか……それで、あの作品は失敗作だと……」
腹を切ろうとする暴れ爺をどうにか雲刻斎さんと一緒に宥めすかし、リャナンシーさんは手間暇かけて作った作品を壊した理由を聞きだした。
「当然であろう! あのような花をも枯らす駄作を我が人生の集大成とするなど、我が芸術家人生そのものを冒涜する所業であるッ!」
「ですが先生、あの作品のフォルム、色艶共に完璧な作品であるとわたくしはお目見え致しましたっ!」
「そうですよ!私達リャナンシーは美しい、心のこもった作品に魅かれる種族なんです、駄作なんて……」
「未熟者めェェェェェッ!!」
リャナンシーさんと一緒にフォローに入った雲刻斎に大喝を飛ばすニトロ爺。ホントにめんどくさい人である。
「ハハッ、申し訳ありません、先生ッ!」
「ご、ごめんなさいーっ!?」
雲刻斎は阿成沢先生の怒りに慄き、慌てて平伏した。ついでにリャナンシーさんもその怒気に押されて平伏した。
「芸術というものは、非の打ち所のない作品でなければならぬ!妥協……それすなわち惰弱なりッ!雲刻斎、貴様はワシの後進を目指し、5年以上ワシの教えを受けておきながらそのような事すらも理解できぬかァァァァァァァッ!!」
「申し訳ありません、先生!この雲刻斎、いまだ未熟故……!」
「すいませんすいません……」
そのまま説教モードに移行した癇癪老人の逆ギレ罵声は1時間近く続いたのだった。
そして……
「まったく、これだから『美』の意識が低い者は……」
「この雲刻斎、先生の弟子として今後一層の精進に励む次第であります」
「あ、あがが、あ、足が……足先の感覚が……」
雲刻斎は毎度毎度のことなので平然としているが、リャナンシーさんの方は1時間も正座してたせいで足がシビれ、まともに立ち上がることができない有様だった。
ようやく終わったか、とリャナンシーさんは心底安堵していた。
「されど先生、次の作品の方は如何いたしましょう?」
「うぬぅ……先程作ったあの駄作……もはや思い出すのも忌々しいが、あれのせいでどうにも土を弄る気分でなくなってしもうたわ……」
「左様でございますか……」
「あ、あの……」
ここでリャナンシーさんが口を挿んだ。
「何じゃ」
「え、えっと、なにも壺とか花瓶造りとかに拘らなくてもいいんじゃぁない、でしょうか……?」
「ふむ」
「同じ種類の物ばっかり作ってたらやっぱり、ワンパターンになる事もたまにはあるかもですから……別の……その、絵とか、どうでしょう?」
「むぅ、絵か……」
阿成沢先生は腕を組んでうーむ、とため息をついた。
そして十数秒の沈黙の後……膝をバシンと叩き、
「この小娘の言葉にも一理有る!、雲刻斎、ワシは久々に絵をしたためるぞ!墨と筆を持てィィィイィッ!!」
「ははッ、唯今ッ!」
(ホッ……)
リャナンシーさんの助言が功を奏し、砲弾親父は創作意欲を取り戻したようだ。
これで先程のような美しい作品を作って貰い、彼(と、ついでにその弟子さん)を「妖精の国」へと招待してあげよう、と彼女は思ったのだった。
数時間後……
目の前には、様々な種類の花を飾った美しい花瓶の水墨画があった。
墨一色で生み出された作品でありながら、素晴らしい濃淡・明暗の具合を醸し出し、まるで手を伸ばせば触れられるかのような完成度の高さを見せつけている。
「久々に……久々に満足いく一作ができたやも知れぬ……」
「御見事にございます、先生ッ!」
阿成沢先生もその出来栄えに不満は無いようである。
リャナンシーさんもその完成度に感動を隠せなかった。
ちょっと(いや、結構……もとい、かなり)めんどくさい人ではあるが、その美に対する熱意と腕は正真正銘の本物だ。
この人が「妖精の国」に来れば、(疲れるだろうけど)より素敵な芸術の世界が更に映えるだろう。
「すごい……繊細でありながら大胆な筆遣い……まるで本物みた……」
「ほ……ん、もの?」
突如ぽつりと、爺の口から声が漏れ出る。
ここでリャナンシーさん、猛烈に嫌な予感を感じた。
そして――
ずばっしゃああああああ。
次の瞬間には、奇跡の如き水墨画は爺の持ってるポン刀で横真っ二つに斬り裂かれた。
「ちょっと、どうしてよぉぉぉぉっ?!」
「ワシは……ワシは……」
「先生、お気を確かにッ!?」
わなわなと刀を握る手を震わせる阿成沢先生。
「ワシは何という惰弱な選択をしてしもうたのじゃァァアァァァァッ!絵はあくまで絵!『偶像』であり、『本物』ではないのじゃァァァァァアアアアァァッ!『絵に描いた餅』に満足を覚えるなど、何たる耄碌!何たる逃避!何たる浅慮ォォオオォォォオォッ!!」
「何を仰られます、先生ッ!」
どうも『本物』というキーワードで大型地雷を踏み抜いちゃったらしいリャナンシーさんであった。
のた打ち回って自分の愚行(?)を嘆く人間榴弾。そしてそれを必死に宥める雲刻斎。
「いやいやいやいや!絵には絵の良さがあって、何も『偶像』ってわけじゃ……」
で、リャナンシーさんのフォローなどちっとも耳に入ってないのか、再び活火山爺は着物の前を肌蹴て、刀を逆手に握りしめた。
「雲刻斎!ワシは腹を切る!介錯いたせェェエエェッ!!」
「先生ぃぃぃぃッ!?」
「だから待ってってばぁぁぁぁっ!?」
再び腹を切る、切らないの取っ組み合いが始まったのだった。
「もう、もうやだぁ〜……」
リャナンシーさんは目の前で美しい品が二度もぶち壊されたショックに耐え切れなくなってしまい、とうとう泣きながら飛び去って行ってしまった。
実は阿成沢先生の前にリャナンシーが現れたのはこれが最初ではない。というか二桁は軽く来ている。
が、このボケ老人の「作ったそばから作品をぶっ壊す悪癖」を目の当たりにさせられ、皆例外なく逃げ帰ってしまうのだ。
もっとも、彼が魔物から身を守り続けることのできた理由がこれなんだから皮肉な話である。
「えええぇい、雲刻斎!離せ!離さぬかァァァアアァァッ!?」
「先生、落ち着いてください、先生ぃぃぃッ!!」
リャナンシーさんが飛び去って行っても、阿成沢先生と雲刻斎の取っ組み合いはしばらく続いていた。
数分後……
「ところで、雲刻斎よ」
「はい、先生」
落ち着きを取り戻して休火山状態になった阿成沢先生であった。
「先程までおった小娘は何者じゃ?」
「わたくしは存じませぬ」
この二人、リャナンシーさんの事を全く分かっていなかった。
というか彼女が魔物だとさえも認識してなかったようである。
「ふむ…まあよい、盗む価値のあるようなものなど屋敷にはありはせん。それより、作品を作らねば……土を用意せいィィィィッ!!」
「ははッ、唯今ッ!」
暴れたことがストレス発散になったのか、ダイナマイト爺は再び創作活動に取り掛かるのだった……
そうして完成した壺がこの猛犬爺さん自身の手でオーバースローで壁に叩き付けられ、完膚なきまでに粉砕されたのは言うまでもない。
17/02/05 01:32更新 / 玉虫丸
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