エピローグ2 誕生(たんじょう)
「いやあ、流石のわしもまさかあの世を見ることになろうとはのう。」
「へえ、地獄ってそんな風になってるんですね。」
「ちょっと、感心してる場合? もう少しでぽっくり逝っちゃうとこだったんでしょ?」
「ふむ、ある方の仲裁と機転で何とかなったがな。」
「全く、いい歳して戦争の最前線に立つ何て危ない事するから。」
「うっさいのう、こうして生きて帰ったんじゃから良いじゃろう。」
「まあまあ、そういう時生きて帰れるのも普段の行いが良いからだよ。」
「ほほ、婿殿は判っとるのう。」
「何よう正信、この古狸の肩を持つってわけ?」
「い・・・いやあ、何というか僕も似たような経緯を体験してるしね、
此処で義母様を責めると色々と自分に返ってきてしまうというか・・・」
「く・・・何とか言ってやってよ父さん。」
義理とはいえ、すっかり仲良くなった親子三人を後ろでニコニコ見ているのは、
ヤオノの父であり、ウロブサの婿となった男である。
髭を蓄えた美丈夫で、精悍ながら人の好さそうな笑顔で三人を見ていた。
「そうだねえ、お互い忙しい身ではあるけど、
勝手にそんな危ないことをされては、私の身が持たない。
あまり私を苦しめないでおくれ。」
「・・・は〜い。」
けして声を荒げぬがそれ故の真摯な言葉に、
ウロブサも自分の非を認め反省を口にする。
まあ同時にその膝元でゴロゴロと甘え始めたのだが・・・
反省の色は一瞬で鳴りを潜める。
「まったく、幾つになっても膝枕が好きなのは変らないねえ。」
「こうしておると思い出すんじゃよ、二人が出会った頃のことをのう。」
「へえ、お二人の出会いですか? 聞いたことありませんね。」
「聞きたい? 聞きたい聞きたい?」
「是非に。」
「私は耳たこ何だけどね。」
「はは、良いじゃない。僕は初めて何だし。」
ウロブサは夫の膝上で頭を撫でられたりあやされたりしながら、
ご満悦な表情で語り始める。
「いやあ、わしも昔は若かった。シュカ程ではないが天狗になっておってな。
国外の取引で少々危ない橋を渡ってしもうたんじゃ、
相手を半分騙すようなやり方でのう、怒った先方から追っ手をかけられてしまったんじゃ。」
「自業自得よねまったく。」
「そこうるさい、まあビューティフルでキューティクルなわしは無事逃げ延びた。」
「いやいや、全然無事じゃなかったじゃない。正信の前だからって見栄張らないでよね。」
「怪我をなされたんですか?」
「ふむ、逃げることは出来たんじゃが、膝に矢を受けてしまってな。
しかもとびっきり質の悪い毒矢だったようでな、
南海のある島で倒れ伏してしもうたんじゃ。」
「其処にたまたま通りがかったのが私だったというわけだよ。
家内はその時弱りに弱っていたようでね。
武将である私が近づいても、逃げたり化けてやり過ごすことも出来ない有様だった。」
「当時の父の立場で言えば、妖怪はお家存続を脅かす敵だったし、
いきなり切り捨てられてもおかしくなかったのよ。」
「それはそれは・・・でも切り捨てなかったんですよね?」
正信の問いに、ウロブサを撫でながらその男は答えた。
「うん、家内は一目で大妖だと判る立派な尻尾と出で立ちをしていた。
だけどそんな立派な狸が、一人寂しく潰えようとしている。
その姿に私は自分の立場を重ねてしまったのか、
はたまた単純にこいつの美貌に参っていたのか、
見捨てることが出来ずに手厚く看護をして助けたんだ。」
「もう、重ちーってば、美貌に参ったなんて・・・照れるじゃろ。
・・・・・・もっと言ってもいいんじゃよ?」
「立場・・・それに武将ですか、失礼ですが義父様(おとうさま)は元々高貴な血筋で?」
「ああ、そういえば言ってなかったけ? 平重盛(たいらのしげもり)、それが私の名前だよ。
まあ今の若い子には六波羅とか言ってもピンとこないかもだけどね。」
「え・・・平家の?」
「そう・・・平家の。」
「僕の記憶が確かなら、その名前は清盛公の嫡男だったような。」
「おお、よく知ってるね君、そうそうその重盛だよ。
まあ正室の子じゃないし後ろ盾もない、
使い走りみたいなポジションだったけどね。
父が我儘ばっかり言って天皇といがみ合うからさ、
間に立ってた私の胃が痛いこと痛いこと。」
話を聞きながら正信は冷や汗を流していた。
「ええ〜〜〜、じゃあ僕って平清盛の孫ってこと?
んなアホな。恐るべし妖怪との縁組・・・」
「気にしとってもしゃあないぞ婿殿、妖怪の家族ならよくあることじゃて。
魔王様のとあるご息女なんて十個くらい下の妹がある日叔母になったりとかな。」
「頭痛い・・・というかこの事を家の両親は知ってたんですか?」
「モチの論じゃよ。忙しいお主等とちごうてとっくに挨拶もすんでおるわ。」
「父は肝をつぶしてませんでした?」
「受け入れようと努力はしとったようじゃな、
御母上は平家なんて上流の方々とどうお付き合いしたらいいのかしら?
などと聞いてきよったがな、中々に肝の太いご婦人じゃて。」
「いやあ、うちがブイブイいってたのなんてもう数百年前の話だし、
没落貴族なんだから畏まる必要ないですよって言ってあげたけどね。」
重盛はのほほんとそうのたまった。
「ええと、確か清盛公より先に亡くなられたと読んだ記憶が。」
「下らない政争に嫌気がさしてね。
すでに周囲に隠れて家内とネンゴロだった私は家を出たんだよ。
流石の父も国外までは手が回らなかったようでね、
ほとぼりが冷めるまで、組合の海外支部にお世話になってたんだ。
まあ当時の武家の象徴である平家、そのトップの嫡男が妖怪と駆け落ちとか、
外聞が悪いにも程があるしね、病死したということに落ち着いたらしいよ。」
「お客さん、そろそろ目的地ですよ。」
不意に頭上から声が降ってくる。
上を見上げると、大きな顔が逆さに彼らを覗き込んでいた。
「あらほんとね、硫黄の香りが・・・」
ヤオノが鼻をスンスンと鳴らしながら周囲を見渡す。
其処には赤々と煙を上げる火山群と、
薄暗い空を照らす温泉街が湯気を上げながら山々を取り巻くように、
幾つかのコロニーを形成していた。
彼らは今、温泉旅行に魔界へと来ていた。
移動手段として旧魔王時代の姿に戻ったワイバーンが、
足首に登場用のカゴを固定して彼らを運んでいたのだ。
「立派な温泉街が幾つもありますね。すごいなあ。」
「新興ながら、今となっては魔界十銘泉に名を連ねる常連じゃからな。
賑わいもひとしおよ。全国津々浦々の魔界や親魔領の人々が此処に湯治に訪れとる。」
「確か元々は魔王様の夫が帰還した地ですよね。」
「うむ、魔王様と大気圏突入ご帰還SEXに半年くらい興じられての、
その際に死火山が御二方の魔力で活性化して噴火、
それ以後周囲の山脈がみな活性化して湯が出るようになったんじゃ。」
「ご利益の有りそうな湯ですね。」
「じゃろう? そのイメージ効果は絶大じゃと踏んでな、
目先の聞く商人やギルドらでここらの山々を買う競争が発生したくらいじゃ。」
「義母様は参戦されたので?」
「ふふ、このウロブサに抜かり無しじゃ、落下した山をキッチリ抑えとるわ。
その周辺の旅館やら売店やらは大体わしらの資本が入っとる。」
「わが母ながら抜け目ないわよね。」
「ほっほっほ、伊達にあの世はみとりゃせんわい。
それに落下の時に出来た大穴は今じゃ観光名所兼、
カップルのプレイスポットになっとる。
単位時間当たりでベラボウな料金をふんだくっても、
其処でしたいという者達が後を絶たず引きも切らずじゃ。」
「えげつない商売してますね。流石は八百乃さんの親だ。」
「ちょっと、どういう意味よ。」
「いいんじゃよ婿殿、需要と供給じゃて、
それに高価な値段はプレミア感の演出に一役買っとるしの。」
「まあシーズンに十銘泉の本山の旅館に予約なしで飛び込める。
これも旅館オーナーである家のかみさんの口利きあったればだし、
難しく考えず楽しみたまえよ正信君。」
もう色々と追及するのもめんどくさくなった正信は、重盛の言に従うことにした。
「はあ、まあそうですね。
そう言えば此処の湯が胎教にも良いってほんとですかね。」
「魔王様が男児をご出産されて、その後に初めて夫と交わった地から湧いた湯。
まあそれっぽいといえばそれっぽいわよね。あ・・・今御腹を蹴ったわよ。」
「本当かい? もしかしたらそろそろ産まれるのかもね。
旅行なんか来て良かったのかな?」
ヤオノは相変わらず少女のようなスレンダーの体系をしていたが、
ただ一点、その腹部だけだがぽっこりと膨れていた。
其処には新たな命がスクスクと息づいているのだ。
二人の愛の結晶が・・・・・・
「心配してくれてありがと、でも平気、私達妖怪の体は頑丈に出来てるもの。
身籠ってても激しい運動が出来るようにできてるわ。」
「理屈では判るんだけどさ、初めての出産だし心配なんだよ。
まあ求められるままに激しい運動をしてて今更だけどさ。」
「むふふ、初孫・・・初孫・・・良い響きじゃて。」
まだ見ぬ初孫を思い、
産まれてもいないのにすでにウロブサの顔はデレデレだ。
「そうがっつかないでよ、
順調だし見立てでは三月もしないうちにお披露目できるらしいから。」
「た〜の〜し〜み〜〜〜↑」
「まあそれはみんなそうだよお前、
私もそうだし、八百乃も正信君も同じだろう。」
皆の暖かい視線がヤオノの御腹に注がれる。
※※※
彼らは旅館に案内され部屋で一休みした後、
すでに夕食の時間が近かったので、温泉より先に食事を取ることにした。
仲居に案内され、彼らの名前が記された部屋へと案内された。
月蝕の間とされる其処に旅館の名物料理が用意されているとのことだった。
「んぅ〜〜、御腹すいたね。」
「そうね正信、とってもいい香りがしてきたわ。期待できそう。」
「当旅館、自慢の名物料理、堕落鍋のご用意が出来ております。」
「堕落鍋? 霧の大陸の料理には、
修行僧が塀を乗り越えてでも食べにくる。そんな汁物があるとは聞きますが。」
「ええ、行儀の良い貴族からふんぞり返った天界の神々まで、
全てを忘れ夢中にさせて堕落させる程の鍋。
そのようなところから命名させて頂きました。意味合いとしては似てますね。」
仲居が嬉々として話す。本当に自慢の料理のようだ。
「楽しみだなあ。でもそんな美味しい鍋が出るなら、
あの子達を連れてこれなくてかわいそうだったかなあ。
ねえ、店は臨時休業にしてみんなで来れば良かったんじゃない?」
「駄目よ、儲けはキッチリ出さなきゃ。
大丈夫、あの子達だけでも立派にやれるわ。」
(あの子達には出張に行くから留守を頼むって言ってあるのよね。
温泉旅行だなんて知ったら、是が非でもついてくるだろうし、
たまには二人っきりでしっぽり夫婦風呂に浸かりたいってもんよ。)
夫婦風呂とは恋人や夫婦、家族だけで貸し切りで入れる小さな温泉のことである。
魔界の温泉ではもっともポピュラーなスタイルで、
魔界で温泉といえば大体このスタイルを指すくらいだ。
「こちらです。」
そうこうしている間に皆の前には美味しそうな小料理と、
大きな鍋が鎮座していた。
その鍋からは得も言われぬ芳香が漂い、
皆の空腹神経と快楽中枢を同時に刺激していた。
「いや、これは・・・確かにすごいね。」
「はしたなくがっつきたくなっちゃうわね確かに。」
「こちら、オモイデタケという魔界のキノコを使い、
板前独自のレシピで調理した結果、脳内の海馬の一部を刺激し、
その方にとって過去の中でもっとも美味しいと感じた香り、
それが脳内で再現されるという鍋でごさいます。」
「成程のう、薬膳料理ならぬ薬物料理じゃな。」
「快楽を追及する魔界らしい料理ではあるね。
まあ教団の人達には邪道とか言われそうだけど。」
「それではごゆっくりとお楽しみください。
こぼしたり汚したりも構いません。好きなだけ乱れ溺れてください。」
仲居は満面の笑みを浮かべて室内を後にした。
正信たちは早速鍋を囲むように座った。
「大きな鍋だね。丸まれば義母様くらい入りそうだ。」
「ほほほ、なんじゃ婿殿、わしをつまみ食いしたいと申すか?」
「ふむ、今度親子で一緒にやってみるかい?」
「母さんも父さんも馬鹿言ってないの。」
「はは、じゃ蓋を開けるとしようか、
オモイデタケ以外にも色々入ってるだろうし、さて・・・具は何を?」
ガポンッ 少々大き目の蓋を開け鍋を覗き込んだ皆が一斉に固まった。
ヤオノはフルフルと震えた後、冷めた声と表情で蓋を閉めようとする。
「あらいけない、まだ具が生煮えだわ。もう一度火を入れなきゃ。
それにしてもガッカリだわ。狸鍋だなんて、まあ丸々と肥えて美味しそうだけど。」
「ギャース?! 閉めないで〜〜。」
「従業員虐待です店長、労基を・・・労基を守る気はないんですか?」
「不平等大正デモクラシー。鬼畜米英撃ちてしやまん。」
鍋の中には何故か店番をしているはずのヤオノの三匹の分身がいた。
彼女らの御腹は狸であることを差し引いてもポンポコポンであった。
「君たち・・・その御腹は・・・」
「こ・・・これは・・・その・・・」
「マスターと我らは一心同体、マスターの妊娠に反応し我らも皆想像妊娠を・・・」
「う・・・つわりが・・・ゲ〜〜ップ。」
盛大にゲップをかます彼女らにヤオノがキレる。
「ファッキン! 何がつわりよ、あんたら店番してるはずでしょ?!」
「我らを出し抜き御主人を独り占めする気でしたね?」
「そうは問屋がイカの紅葉おろしですよ。」
「こんなこともあろうかと先回りしておいたのさ。」
「ほう・・・鍋を台無しにした言い訳がそれか・・・
今日からあんたらの名前は具とお塩とお味噌ね。」
「おおう・・・」
「サイケデリックネーム。」
「にゃんぱす〜。」
鍋の蓋を閉めて火を入れようとするヤオノとそれに抗う分身。
「このまま煮て傷口に辛子を練り込んだ後、
泥船に乗せて島流しにしてやるわ。」
「ふるふるふる、あたし等は悪い狸じゃないよ。」
「ストップかちかち山! 狸にも人権を!!」
「魔界残酷物語。本当は恐ろしい日本昔狸!!」
「悪いわ!! あとさりげに古狸言うな。」
ぎゃいのぎゃいのと姦しい彼女たちを見つつ、
もう慣れたものである正信は平静に話を振る。
「もう一度仲居に言って作って貰いましょうか?」
「そうじゃの、わしの分身をひとっ走りさせるとしよう。」
どろんっ と一匹の狸を袂から出した葉で作るウロブサ、
重盛はキーキーと猿山のような4匹の狸を笑顔で見守っている。
「いやあ、ヤオノが此処まで騒ぐなんて子供の時以来じゃないかな、
うん、娘は良い居場所を見つけられたようだね。」
「恐縮です。そう言っていただけると嬉しいですね。」
「さて、鍋の御代わりが来るまで、他の小料理と酒で一杯やろうじゃないかね正信君。
君には私も色々と聞きたいことがあるしね。娘との馴れ初めやあれこれについて、
大体は知っているけど、是非君の口から聞きたいと思ってたんだ。」
ウロブサは慣れた手付きで差し出されていたぐい飲みに酒を注ぐ、
正信の分も一緒に流れるように注いで黙って一歩引いた。
(うは・・・義母様のこんな姿初めて見るな、
やっぱり夫の前とそれ以外だと別物なんだな。)
妙な所に感心しつつ正信は口を湿らせると、
自分とヤオノ、そして彼らと志を共にした者達の事を語り始めた。
※※※
「怪しい。」
「実に怪しい。」
「限りなく怪しい。」
[正信と二人で組合の店に出張でヘルプに入ることになりました。
一週間ほど店をよろしくお願いします。 ヤオノ]
との文面を前に我らは皆、
懐疑を抱かざるを得ませんでした。
「マスターだけならいざ知らず。」
「何故ご主人も同道せねばならぬのか?」
「陰謀のかほり・・・」
更に我々の灰色の脳細胞が告げます。
「マスターが我らに丁寧口調を使うなど。」
「実に何十年ぶりであろうか?」
「にじみ出る疚しさ・・・」
そして我らは遂に決定的な証拠を掴んだのです。
「御主人が仕事の時は肌身離さず持っている。」
「何度でも消して使える魔法の台帳。」
「それが箪笥に入ったままだった。」
「謎は全て溶けて我々の舌の上だ!」
「犯人は家のカミさんだねっ!!」
「真実は何時も一つとまるっとお見通しだ?!」
我々は臨時休業の看板を立てて店を後にすると、
周辺人物への聞き込みを重ね、御主人とマスターの逃避行先を突き止めたのです。
そして御主人達に先んじて宿にうまく潜入した我々は、
何ともかぐわしい香りを嗅ぎます。
その匂いを辿ると何と、御主人達が食べる夕餉の部屋じゃありませんか、
其処でその部屋に潜んで待ち、入ってきたら驚かせようと考えたのですが・・・
「御腹が空きましたな。」
「・・・御主人に斯様な得体の知れぬ鍋を食べさせるのはどうか。」
「毒見必定!」
一口だけつま・・・げふんげふん、毒見をして待つつもりでした。
しかし・・・何と気づくと何時の間にやら鍋の中が空に?!
「何という密室トリック?!」
「とんでもない物が盗まれていきました。」
「御主人の夕飯です。」
しかし犯人は意外にもすぐ傍にいました。
「犯人はこの中にいる!」
「貴方を犯人です。」
「さあ、私達の罪を・・・ほげっ?!」
そこで回想に割り込むように三匹にヤオノのチョップがさく裂し、
場面を強引に現在へと引き戻した。
「もういいわ、大体判ったから、まったくほんとに無駄に聡いわよねあんた達。
そんでそうこうしてるうちに私達が近づいてくる足音が聞こえ、
後先考えずに鍋の中に隠れてしまったってことでしょ?
まったく、頭がいいんだか悪いんだが・・・」
「ははは、まあまあしょうがないよ。確かにあの堕落鍋凄かったし・・・」
「ま・・・まあね。」
食べ始めた記憶はあるが、気づいたら夢中で奪い合うように貪り、
気づいたら鍋が底をついていた。
汚れた着衣については、旅館側がクリーニングをしてくれるとのことであった。
ヤオノ達は旅館の浴衣に着替え、家族貸切の夫婦風呂に皆で入り、
三匹から今までの経緯を質している最中なのであった。
「まったく、あんた達ときたら・・・」
「今回は八百乃さんが騙したのが悪いと思うよ。」
「そうですそうです。」
「正当なる福利厚生の権利を主張する次第です。」
「ブラックブラック!」
「はいはい、労働条件の改善については一考しとくわよ。」
嘘をついたという後ろめたさがあるのか、
ヤオノの反論もキレが鈍い。
「まっ、仕事の話はこの辺にして、ゆっくりしようよみんな。」
「そうね。」
温泉に浸かりながら大きく伸びをする正信。
その膝の上にヤオノの小さな体がするりと乗ってくる。
間を置かず、三匹の分身たちも正信の両肩と頭に乗ってビロンと剥製のように伸びる。
勝手知ったる何時もの定位置というやつだ。
「やっぱりお風呂は此処が落ち着くわね〜〜。」
「しみる。」
「むせる。」
「ドロッセル。」
「後ろの方・・・なんか違くない?」
和やかな空気になり、皆がリラックスして湯につかるなか。
今まで黙っていたウロブサが声をかけてくる。
「時にお主等、もう孫の名前は決めておるのか?」
「名前ですか・・・一応幾つか考えてはいます。」
「今のところ八百乃と正信から一字ずつ取って信乃(しの)、
というのが一番の候補かしら。」
「信乃か・・・良い名前じゃの。」
「可愛らしい響きだね。」
ウロブサと重盛の印象は良い様である。
其処にバシャバシャと尻尾で水音を立てて三匹もアピールしてくる。
「私達も。」
「それぞれ。」
「考えてきました。」
「・・・一応伺おうかしら。」
「アヤメ。」
「意外とまともね。タヌキアヤメからかしら?」
「です。」
「まあまあね。候補に加えておくわ。」
「やたっ!」
「では次。」
「風(ふう)。」
「・・・・・・立ち上がるアレから取ったの?」
「です。」
「・・・・・・却下で。」
「何故に Why?」
「あれはレッサーパンダよ。」
「ギャフン。」
「はい次。」
「三郎(さぶろう)。」
「成程・・・ちょっと古臭いけど、狸にとっては由緒ある名前よね。」
「そうじゃな。わしの名前もそれを文字っておるしな。」
「でも却下で・・・それ男の名前ですから。」
「オゥシット?!」
「玉三郎(たまさぶろう)ならギリギリかの。」
「玉しゃぶろう?」
「御主人のタマタマ?」
「しゃぶしゃぶしたいです御主人!」
「ちょっとちょっと、また八百乃さんと揉める気?
少しは落ち着きなよ。ごめんね八百乃さん・・・八百乃さん?」
この流れならすかさず突っ込みを入れて来るであろうヤオノの声がしない。
その事に違和感を覚えて正信は膝の上のヤオノの肩を抱く。
「どうしたの?」
「ん・・・この匂い。ヤオノ・・・お主、まさか?!」
「う・・・うん。正信、母さん、父さん・・・破水(で)ちゃった。」
「「「・・・・・・・・・・・・」」」
すぐにはその音の意味を皆呑み込めずにいた。
しかし十秒程の沈黙を破り、皆の驚きの声が魔界の空に木霊した。
※※※
それからは慌ただしく事が進んだ。
ウロブサが出した源平の全軍に、
大名行列もかくやという有様でヤオノを厳重に運ばせ、
戦争かと慌てふためく旅館に正信が事情を説明した後、
ウロブサ自らが産婆を買って出て事は進められた。
男衆と三匹は蚊帳の外に追いやられてしまった。
「はあ、落ち着かないなあ。」
「気持ちは判るよ。でも心配ないさ、あれは経験豊富だ。
万が一にだって失敗するものか。まして妖怪の子は人のそれよりずっと頑丈だ。
私もそれなりに長生きだが、死産などという話は聞いたこともないよ。」
まんじりともせず、といった雰囲気の正信を重盛は励ます。
「そうです御主人。」
「マスターの子ですから。」
「とってもしぶとい。兵器・・・違った・・・平気。」
「そうだね。ありがとうみんな。」
そんなやり取りの後、数分もせずにウロブサが部屋に入ってきた。
「お前、産まれたのかい?」
「早かったですね。八百乃さんと児にはもう会っていいんですか?」
だが様子がおかしい、目を見開いて何やらブツブツ言っている。
「どうしたんです? 義母様。まさか何か問題でも?!」
「あ・・・ああ。あった。」
「えっ?! な・・・何が問題だったんです。」
「あったんじゃよ。生え取ったんじゃ。」
「は?」
「尻尾がかい? 別に普通だろう。」
「違う。後ろでなく前に生え取ったんじゃい。」
「前尻尾だと?!」
「そ・・・それって・・・」
「名前・・・決まりじゃな。」
ウロブサは分身の一匹を見ながら言う。
魔王が男児を出産してから幾星霜。
ジパングの公式な記録にて確認できる妖怪が産んだ最初のおのこ。
それをヤオノは出産することとなった。
近代と言われるこの時代から現代に掛けて。
魔物達は次々と男の子を産めるようになっていった。
そして現代、ついに2つの性別の出生率は完全にイーブンとなり、
真の意味で魔王と夫の勇者が夢見た種の統合は果たされたのだった。
※※※
小堀に囲まれた小山、その頂上には天守が顔をのぞかせ下からも見える。
その場所を中心に路面電車の線路が、
市内に動脈のように張り巡らされたある南海の都市。
路面電車と並行して道路を走る黒塗りのセダン。
その中には四人の人影があった。
運転手と男二人に中心に座る男性の秘書らしき女性一人。
座席には尻の部分に穴が開いており、
狸である秘書の女性の尻尾をトランクに格納することで、
邪魔にならない造りとなっていた。
「三郎会長、どうしました? ああ、御両親の銅像を見てらっしゃったのですか。」
会長と呼ばれた男の視線の先には、
堀の外側に設置された大きな銅像が確かにあった。
二人の男女と三匹の狸を象ったその銅像はその市のシンボルの一つとなっていた。
「いや、身内としては商談で通るたびに見せつけてるみたいでね。
正直言えばこっぱずかしいのだ。撤去したいのが本音だが、
そんなことしたら母にどやされるだろうからね。」
「あまり不遜なことを申されますと会長といえど、
御母上にご報告せねばならなくなります。」
秘書のぴしゃりとした物言いに、男は肩を竦めて隣の男に喋る。
「ほらね。会長などと言われているが、実態はこのように首輪付なんだよ。
忠告しておくがね鴻池君、彼女に不埒なことをせぬ方が身のためだ。
君は女癖が悪いとの噂があるから忠告しておくがね。」
「ほう・・・お美しい秘書の方との火遊び、少々インモラルでそそられますな。」
「ははは、良い趣味だ。君とは美味い酒が飲めそうだね。」
「会長・・・躾が必要でしょうか・・・また。」
「じょ・・・冗談だってばさ部爪(ほつま)君。
だからね・・・ヤツラオウでお尻叩きは・・・そのう。」
「ではビジネスのお話を・・・」
「はい。」
そんな彼らを載せて車は角を曲がる。
その先には城と比しても見劣りせぬ大きな商社のビルが立っていた。
守衛の前を抜け、車は○の中に喜の字が彫られたレリーフのあるビルへと走って行った。
14/04/24 12:41更新 / 430
戻る
次へ