その7 激突する者達、人と竜と神と
響く轟音と突き上げる床に揺らぐ視界。
そこかしこのテーブルにのっていたグラスが、
中の液体共々に宙を舞う。
そのうちの殆どはそのグラスの持ち主達によって、
中空で舐める様にこぼれた液体が拾われ元に戻された。
しかし一部はそのまま床に激突し、軽い音の連鎖が続いた。
もっとも彼らが反応できなかったのではない。
あえてしなかったのだ。
グラスとそれを満たす琥珀色の液体よりも、
彼らの関心は強く別のものに向けられていたからだ。
グラスを手に取っている者達もそれは大して変わらぬようで、
皆視線を一様に同じ方向に向けている。
その視線の交わる場所には一つのテーブルがあり、
其処には向かい合う様にして二人の男が座していた。
轟音はそのテーブルから響いていた。
音源はテーブルそのもの、二人の男は手を取り合い肘を付け、
一方の男がもう一方の男の手の甲をテーブルに押し付けていた。
手の甲の下、テーブル表面は砕けその下の脚は折れ曲がっていた。
それを見て、二人が何をしているのか疑問を挟む者は皆無だろう。
腕相撲、きっちりと競技化されたものをアームレスリングと呼ぶそれは、
肘をつくスペースさえあれば何処でも出来る力比べ、
そんな酒の席の余興として行われたものであった。
この集まりは、この星に彼らの長達が降り立った日として、
100年に一度集まり祝うという趣旨のものであった。
各領地を治める子らや将達が集い一同に会す記念日。
邪神降臨祭とでも呼ぶべき日に、彼らはキャロルを歌い肩を並べるのだ。
腕相撲を取っている男の片方は、今日初めてこの集まりに参加する男であった。
それ故、皆多少の興味を男に持っていたのは事実だ。
そんな中、ある一人の男がその男に腕相撲を持ちかけた。
男は初参加の男と同席している彼の兄に問いかけた。
何か得手はあるか・・・と、それに兄がこう応えたからだ。
「愚かで不器用、披露目も恥ずかしき愚弟なれど、
腕力だけなら一角のものかと。」
周囲の皆は談笑しながらも、その目や耳の端で彼らの会話を聞き、
皆心の中で同じことを思っていた。
どうせ結果は見えている。あの方も酔狂な事をなさる・・・と。
だが、男はそんな皆の嘲笑混じりの予想をテーブルと共に打ち砕いた。
負けた男、周囲で観察していた者達、誰もが目を見張っていた。
その結果に驚愕していないのは、勝った男とその兄くらいのものであった。
「やったべ! おらの勝ちだべな。デュケルハイト様。」
「・・・・・・これはこれは。」
信じられぬとばかりに己が手の甲を擦るデュケルハイト。
純粋な神族である自分が、半神半人である者に単純な膂力で後れを取った。
それはこの国の常識を打ち破る出来事であった。
この国に於いて長である神、
その血の濃さこそが能力を決定づけるものであった。
人が走りで狼に及ばぬように、その壁は絶対であった。
だが、目の前の男はそんなこの国の常識を軽々と打ち破ってしまったのだ。
デュケルハイトの肩に背後から大きな手が置かれる。
「ファンタスティック、ブラザー。」
「任せる。ダラムス。」
そして始まった二人の勝負は、
用意した机が二人の力に耐えきれずに瓦解しても終わらず。
獣の咆哮を上げるシルバに対し、こちらも雄叫びを上げてダラムス。
相撲の投げ合いを片手にした様な空中で続く腕相撲の結果は、
シルバが半回転して頭から地面に叩きつけられ、
角で逆さまに地面に刺さって勝負有りとなった。
だが彼らの手はその状態でも固く握られたままだった。
彼の肩は外れており、不自然な形で握手をしたまま体だけが半回転していた。
結果として男はダラムスに敗北した。
だがその男の名はその場の皆の脳裏に深く刻まれたのは言うまでもない。
後に、男は剛将の地位を賜る事となる。
腕っぷし一本でその地位を得、今日までそれを守り通してきた男、
神さえも砕く肉体の持ち主、そんな彼の肉体が駆動する。
姿勢は前傾に倒し、踵は上がり、爪先が大地を蹴る。
砲弾の様に撃ちだされた男の剛腕が唸りを上げ、
再び聖騎士とそのパートナーに振り下ろされようとしていた。
※※※
とある砂漠の地方、砂丘とその陰影が織りなす景色の中、
主に二か所で爆発と土煙が上がっていた。
掲げる旗の違う二つの軍が其処には展開していた。
だが奇妙な事に、彼らは互いに見向きもせず、
ちょうど二つの軍の中心、其処にいる男達に火砲を集中していた。
遠めに見ていると、一か所に蟻の様に歩兵や騎馬兵が群がっていく。
それらは一分と持たずに熱砂に転がされていく。
そして兵達と男の距離が開いた途端、
装填されていた大砲の砲弾、攻城用の弩級、
それらが魔術師達の空中に張った大型エンチャント用魔方陣を抜け、
炎を纏い音速まで加速したうえで男に叩きこまれていく。
男は微塵も歩みを緩めもせず、飛んできた全てを己が体で受けていく。
自分が転がした者達に流れ弾が当たらぬよう。
受けた全てを角度によっては腕で叩き落として熱砂の肥やしにしていく。
片やもう一方の軍を相手取る男は対照的だ。
風の様に駆け、羽の様に舞い。
瞬く間に戦場を駆け抜けて行く。
雨の様に降らされる矢も魔法も、周囲に群がる剣閃も、
その男に傷一つ負わすことは出来ていない
射線をコントロールし、あらぬ方向へ遠距離攻撃を撃たせた後、
次弾をつがえ、魔法をリキャストするその合間に、
遠距離攻撃部隊に飛ぶ様に切り込み瓦解させた。
そうやって向かい合っていた両軍は、
たった二人の男によって継戦不可能な被害を負うと、
散り散りに退却させられていった。
この地で主神とは違う神を崇める部族がいた。
彼らは教団によって傘下に収められ、
その神は主神の部下として教義に加えられていた。
そんな彼らの内部で教義の違いが生まれ、
どちらが正当かで揉めたすえに内部紛争にまで発展しかけていた。
教団としても傘下の者達を無駄に争わせて死なせるのは教えに悖る。
とは言え下手に首を突っ込んで、無駄な被害を出すのもあほらしい。
よって勇者の内、自身の身を守る事に特化した二人の勇者が其処に派遣されていた。
マウロ聖堂騎士団の団長、絶対障壁(ガーディアン)のエスクード=フーザ、
トールキンの雄、舞う者(フェザー)のエウネリオス=ブライズの二人である。
あらゆる攻撃を受け止める男とあらゆる攻撃を回避する男。
性質は真逆だが結果として、彼らはどちらも死者を出さずに、
その紛争を回避することに成功した。
軍を引かせた後の政治的な処置や駆け引きは、
彼らのあずかり知らぬ所である。
男達は少し小高く盛り上がった砂丘から、
撤退していく両軍を見下ろしつつ話していた。
「ふう、いや凄いですね。聞きしに勝る戦いっぷり。痛くないんですか?」
「いや・・・結構・・・実は痛いです。」
元々は耐魔措置を施した城壁に向けられるべき攻撃、
それを顔で受けた褐色の男は、結構痛いと爽やかに微笑むのだ。
対面の男も可笑しくなって噴き出してしまう。
「ははは、其処まで無理しなくても。他人を殺そうとする以上、
逆に怪我をしたり死ぬこともある程度は仕方がないでしょう。
恨みつらみの元は少ないに越したことは無いですけどね。」
「・・・そうかもしれない。でも彼らにだって親兄弟、
妻に子供など愛する誰かがいるでしょう。
なら自分が我慢すればそれでいいと思います。」
「愛する者か・・・心あるものならいるでしょうね。
其処に国や民族、種族の別は無い。」
「無論です。その為のこの体ですから。」
「・・・・・・ふむ。」
多くは語らなかったが、二人は互いの言動と口調から、
口の端に載せたもの以上をやり取りしていた。
共通の趣味を持つ者同士が、幾つかの単語で互いの趣味に気づく様に。
「貴方はまるでダイヤモンドのようですね。」
「褒められてるのでしょうか?」
「半々・・・ですかね。」
「というと?」
「貴方の気高い覚悟と堅牢な肉体を褒める意味合いが半分。
もう半分はその戦型の危うさへの皮肉です。」
「ダイヤは堅い、されど脆い・・・と?」
「ええ、若輩の私から非礼とは思いますが言わせて頂きます。
格下相手には貴方の戦い方は効率的かもしれませんが、
格上、その肉体の防御を打ち破る相手が出てきた時、
そのやり方ではジリ貧にすら持ち込めない。一方的に砕かれるだけだ。」
「・・・でしょうね。」
「この後、何か用事はあるでしょうか?」
「いえ、特には・・・」
「事後処理で暫くはここいらに逗留せねばなりません。
その時間を使って少し教えたい事があります。
付け焼刃ですが、硬くて強い鋼へとなれるかもしれません。」
「ご教授痛み入りますが、でもどうして・・・」
不思議そうに問いかけるエスクードに、
エウネリオスは視線を遠くへ投げかけながら答える。
「貴方の様な方には、出来るだけ死んで欲しくありませんから。」
その数年後、魔王と主神の決戦の火蓋が落とされ、
エウネリオスは魔界に亡命、
エスクードも戦後、魔界と秘密裏に国交を結ぼうとしていた。
そして今現在、エスクードの眼前には正しく絶望的に格上の相手が迫ってきていた。
個人が受け止めるには余りに巨大な運動エネルギーが、
握りこぶし大の大きさに凝縮されて降って来ようとする。
その振り下ろしと彼らの動きは連動したように一致していた。
エスクードの跨っているチェルヴィの体がすらっと伸び、
エスクードの体は地を這う様にシルバに接近、
その脚元を掴んだエスクードは、拳の振り下ろしを助ける様に力を掛けて彼を廻し投げた。
シルバは自らの踏み込みの力をそのまま回転にされ、
地面を水切りの様に跳ねながら砕いて頭から突っ込むこととなる。
しかしすぐに大地を吹き飛ばして再び襲い掛かるシルバ、
振り回される両の腕、その一発一発が当たれば死に至る一撃だ。
だが当たらない。一発も当たらない。
チェルヴィの長い上半身が絶妙にスウェーバックし、
シルバの一撃をことごとく空振りさせる。
焦れたシルバが深い踏み込みで多少下がっても意味のない突撃をする。
その突撃は狙い通りエスクードの体に突き刺さるも、
バネの様に畳まれたチェルヴィの下半身、
その絶妙な突き上げによってベクトルの向きを上昇に変換させられる。
(まともに受けたら終わりだ。だったら・・・まともに受ける必要なんてない。)
エスクードがエウネリオスより授けられた技術、
それは霧の大陸では化勁、ジパングでは柔術や合気などと呼ばれるそれに近いものだ。
打ち込まれる力を逸らし、曲げ、利用する技術。
エスクードのそれはエウネリオスに比べれば付け焼刃だ。
そして何より、シルバとの力量に差が有りすぎて本来なら役に立たないものである。
仮に合気の達人と同等の技術を持った蟻がいたとして、
その蟻と対峙して転ばされる人間はいまい。
技はあくまで近いレベル同士、種族の壁を大きく越えた相手は想定外なのだ。
エスクードの付け焼刃の技では、尚の事である。
しかし、此処に二つのファクターがプラスされると話が変わる。
シルバの攻撃が力任せの拙いもので、エスクードにも読み易いものだった事、
そしてエスクードの貧弱な下半身の代わりをするチェルヴィの存在である。
ワームの怪力と堅牢な鱗の体、それをエスクード同様にウェンズが強化したそれは、
エスクードの技と合わさりシルバの剛腕を見事に受け流した。
チェルヴィの上半身は上下左右に揺れ、自在に間合いをコントロールし、
攻撃を避け、時には受け流して凌ぎ切る。
そしてタイミングが合えば、それが真っすぐ伸びてシルバと交差する。
「っど〜〜〜ん!!」
「グゴォッ?!」
チェルヴィの強力な頭突きがシルバにカウンターで入る。
時には腹に、時には顔に、二人分の怪力がその肉体に刺さる。
エスクードとチェルヴィは一体となり、
まるで武技を備えた一本の巨大な腕(かいな)の様であった。
「野郎どうなってやがる。押されてるぞ将軍。」
「見事な騎乗スキルだ。」
ギーガーとロルシド、邪魔だから離れていろ。
シルバにそう命ぜられた二人は、
戦闘をギリギリ視認出来るが被害の及ばぬ距離をあけ、
付かず離れず戦況を見守っていた。大して掛からずに終わる。
そう踏んでいた二人の予想を覆し、戦いは拮抗し始めていた。
「あのガキにあんなテクニカルな戦いが出来たとはよ。」
「いえ、やりあった私だから判ります。
あの動き、あのエスクードとかいう男が全て操作している結果でしょう。」
「だがよ、何の合図も無しに。」
「ええ、まるで人馬一体、阿吽の呼吸といった騎乗。
長年パートナーとして連れ添った相手でもなければ出来ぬ動きです。」
「でも・・・にーづまなんだろうが。」
「魔力的に見てもあの男とワームの接点は無かったはず。」
「黒くなっちまったのが原因か?」
「恐らくは・・・。」
その憶測は当たっていた。
思考し、肺を震わせ、音を出す。それを聞き、理解して、筋肉を動かす。
口頭での指示を出すにはこれだけのプロセスを経る必要がある。
戦闘中に行うには余りにも煩雑な手順と言える。
だが、エスクードとチェルヴィはウェンズという同居人を通じて、
互いの思考イメージを直接相手の頭に送ることが出来るようになっていた。
チェルヴィからすれば、音ゲーの様に頭に浮かんでくるイメージを待ち、
そのイメージ通りに正確に動けばいいという状況であった。
(・・・こうしてこうして・・・こう!!)
(そうだ。いいぞ・・・その調子だ。)
二発の攻撃を間一髪で見切った後、その次の一撃に合わせて顎を打ち上げた。
(しかしこの娘・・・嬉しい誤算だ。)
ウェンズはチェルヴィに対し軽い驚きを感じていた。
目の前をビュンビュン通り過ぎるそれは致死性の打撃であり、
ほんの少しのずれが、一瞬の逡巡が、二人の未来を死へと閉ざす。
であるというのに、チェルヴィの動きには一切の惑いも恐怖も見えない。
目の前の視界に惑わされず、ただ素直に頭の中のイメージに集中している。
彼女はおバカなのだ。目の前に死の鉄槌が迫ろうと、
今の彼女には関係ない、背中に感じる愛しい人のぬくぬくと、
流れてくるイメージ通りに動いた時に聞こえてくる。
愛しい人が自分を褒めてくれるほかほかの思考。
それだけが今の彼女の全てなのだ。
ぶっつけ本番でこれが出来るその集中力と没頭は、
余計な事を考えない彼女だからこその賜物と言えた。
戦局は単純な殴る割合で言えば、
エスクードとチェルヴィのコンビがシルバを圧倒していると言えた。
だが、その状況を目の当たりにしても二人の臣下は狼狽えない。
「たいしたもんだ。だが何時まで持つかね。」
「ええ、足を使いヒット&アウェイを繰り返す。
将軍と対した者の殆どがこの戦法を取ります。
当然ですがね、ですが・・・そんな在り来たりで攻略出来るなどと、
将軍がそんな甘い存在なら、私はあの方の部下をしていない。」
回す 廻す ブンまわす!
あらん限りの力を込めた一撃が虚しく大気を散らす。
(何でだ? 何であだんね!!)
感じぬ手応え、時折打ち込まれるカウンター、
それらはシルバのフラストレーションを次第に溜める。
そしてそれは彼の動きに変化を与える。
「おっと、振りがますます雑で大きくなってきたな。」
「・・・そろそろでしょうか・・・ギーガー。」
「おうよ。」
頷くとギーガーは彼らの周囲に高硬度の結界を張る。
「ゴオオゥッ!!」
雄叫びと共に、怒りの余り的を見失ったシルバの拳が、
星の顔を思い切り引っ叩いた。
その瞬間、場の全てが弾けて跳んだ。
比較的遠くで、結界を張り構えていたギーガー達、
彼らの所にも地面を伝い大きく大地のうねりが走り抜けた。
続いて木々や岩が嵐の様に横っ面に結界の戸を叩き続ける。
暫し間を置いて大樹や山だった大量の土くれが、
天空から質の悪い冗談の様に顔を覗かせはじめる。
「ロルシド!」
「9時 35度 距離40 2秒後に90度 距離は出来るだけ。」
流石にそんなものを真面目に受けては、
死なずとも脱出に無駄な時間と労力をようす。
ロルシドの未来予知によって、二人は降り注ぐ大質量を的確に回避する。
後は質量体の落下に伴う余波を除けば、
たった一人の男の拳によって引き起こされた現象は打ち止めと言えた。
「ロルシド、状況は・・・」
「・・・無事だ。全員な。5時 −30度だ。」
「野郎・・・」
ギーガーはロルシドの指示した方向を見ると、
彼らと同様に空中に逃れていた影が一つ。
そして自らの引き起こした衝撃波で空中を舞う影が一つあった。
「おっちゃんすご〜〜〜い。」
ジェットコースターに乗ったはしゃぐ子供の様にチェルヴィがウキウキする。
「ふう・・・何とか・・・上手くいきましたね。」
片やエスクードは冷や汗をかいているが、その表情は微笑していた。
以前エスクードが一撃でクレーターの中心地になった一撃、
純粋な拳による力の解放、それは地表と言う星の表面を伝わる事で、
打ち込まれた場所を中心に、まるで熱の無い核兵器とでも呼ぶべき破壊を顕現させる。
それによる広範囲無差別破壊、数秒程の未来予知ではそれから逃れる術は無く。
巻き込まれ体勢を崩したロルシドは、追撃してきたシルバに一撃を食らい破れた。
距離を取り、優秀な結界師であるギーガーと自分の能力あればこそ今回は無傷だが、
近距離で巻き込まれれば、最低でも体勢の崩れは避けられないはず。
それはエスクードとチェルヴィのコンビにも適用される理屈である。
実際彼らも破れていたかもしれない。
一度それをくらい負けていなければ・・・
だが、エスクードはウェンズがチェルヴィに自分を複写している間、
模索し続けていた。どうすればあれを防げるか・・・そして出した結論。
至近で炸裂する規格外の衝撃波から。もっとも受ける影響の少ない場所。
それは爆心地であるシルバの真上、その馬鹿げた肉体を傘とし、
更に衝撃を自分達を打ち上げる推進力として転化することで、
風に吹かれる柳の様に受け流す。
真上に飛ばされる事によって、重力による勢いの減衰ももっとも受けられる。
事前に決め、覚悟の元で行ったその回避によって、
獣の勘とでも呼ぶべき、シルバの空中での素早い追撃に対しても、
彼らは相応の準備を持って相対することが出来た。
無論その時間は1秒に満たぬ刹那だが、
もし、吹き飛ばされ地面と相手の方向を見失った状態で追撃を受けていたら、
彼らはシルバの一撃をまともに喰らっていたであろう。
シルバははじけ飛んだ大地の破片を足場に蹴り出し、
正確に二人の落下点に迫ってくる。
それに対し、エスクードは初めてその腰をチェルヴィの背から浮かせる。
そしてその背中を真下に蹴ってチェルヴィの体を反転させる。
反転する間にチェルヴィの下半身は折り畳まれ、
まるで肉のスプリングの様にとぐろを巻く。
そして尾ノ先につま先を置いた彼の体はククッととぐろに沈む、
二人は互いを足場にして、互いを宙に大きく蹴り出す。
ワームの馬力と自らの脚力によって撃ちだされた黒い弾丸。
それが宙で銀色の獣を撃ち抜いた。
「せいやあああぁあぁあああっ!!」
「がおっ?!」
いかなシルバの剛脚も、蹴るべき足場が不安定ではその力を発揮しきれない。
エスクードの蹴りがシルバの腕より先にその喉に刺さる。
二人はそのまま加速して、クレーターの中にもう一つの小さなクレーターをこさえる。
「おおおおっ。」
だがそれでもなおシルバの目の光は衰えを見せない。
エスクードを見上げ喉に足を埋めながらも、
その脚をがっしり両手で掴むシルバ。
(掴んだ。このまま握りつぶして!)
「いいのですか?」
(?・・・何が。)
掴まれれば力を受け流す術はない。
掴みと咬みつきだけは彼の技術では防げない。
だというのにエスクードの顔は冷静だ。
片目を閉じて笑顔でシルバを見下ろしている。
「その手でこんなものを掴んでていいのかと聞いています。」
「はっ?!」
見上げた空、其処に魔方陣が何重にも展開されている。
それはエスクードがチェルヴィを連れて脱出するために使用した、
対象を大きく弾き飛ばすジャンプ用のそれの強化版だ。
その中心には既に一つの砲弾がセットされている。
空中でエスクードを蹴り出すと共に、
ロープに走り勢いをつけるプロレスラーの様に、
魔方陣へと突撃しその反発の力を自身に溜め込んでいくチェルヴィ。
同時に体表の黒が頭部へと集中していく。
それはエスクードが弾丸なら差し詰め黒い砲弾と言えた。
「いくよ おっちゃん! もういちど・・・」
エスクードを掠るように飛来し、
シルバのノーガードの額に思いきり頭突きするチェルヴィ。
「あたまでしょ〜ぶだ!!」
エスクードの作ったクレーターが、二回りはその半径を広げ大地を揺らす。
圧力で固められた地面が、更なる高圧に沈下してエスクードは一瞬浮く。
シルバの体は飛来物が突き刺さった衝撃で脚が完全に天を向いている。
二人は素早く飛び退くと、大きく肩で息を吐いた。
「かち〜〜〜、ふふふ、おっちゃんのあたまもカチカチだけど、
にーづまチェルヴィのあいのちからのまえで・・・あれ?
なんのしょうぶだったっけ・・・おじさん?」
「知りませんよ。取りあえずチェルヴィの勝ちでいいでしょう。」
「だよね〜〜。ふたりのアイのしょうり・・・うふ・・・ウフフフフ♥」
これが言いたかっただけとばかりにご満悦のチェルヴィだった。
だがエスクードの消耗は大きい、まともな攻撃は一発ももらっていないが、
この場で一番消耗しているのが彼だ。
この戦いは言わばヘビー級のボクサー相手に、
フェザー級の選手が全ての攻撃をカウンターで決めつづけ、
相手からの攻撃は一発も貰わないという類の代物だ。
無論ゴングもラウンドガールもいない。
終わりの見えない集中劇、こんな疲れる戦い方を自分のスタイルとする。
エウネリオスの事をエスクードは改めて尊敬していた。
勇者と言えど、慣れぬ戦型での極限の集中による消耗は致し方ない事と言えた。
もっともスタミナお化けのワームである、チェルヴィはまだまだ元気だったが・・・
(恐らく・・・今の一撃が、今の我々に出せる最高の一撃・・・
効いててくれ・・・これが効いてなければ・・・もう。)
彼は固唾を飲んで祈る様に目の前の二本足を見守る。
ピクリ・・・だが目の前の足の指が痙攣し大地を踏みしめんと折り曲げられる。
其処に掴むべきものが無いと自覚すると、今度は膝が折り曲げられていく。
ダイナマイトを破裂させた様な音と共に、地面からシルバの上半身が腕の力で掘り起こされ。
曲げた脚によってくるりと半回転、二人の前に立ちはだかる。
だが、全くの無傷とは流石にいかなかったらしい。
鼻と口からは血が垂れ、その脚はぐらりと多々良を踏む。
だが踏み止まる。倒れずにブルブルと体を震わせると、
その全身から音と言う衝撃が放たれる。
ッオオオオオオオォツッ!!
傷ついた野獣の咆哮、憤怒の怒声、その怒りは深く深く、
不甲斐ないおのれ自身に向けられていた。
「おらは・・・帝国最強の将、ゴルドの弟だ。
その名に恥じぬおどこになるだめぇ!
こんな事で・・・この程度で・・・
倒れるなど できねぇ!! 」
己自身に向けられた檄、
振動と共に己が体を奮い立たせんと吐き出される渾身の叫び。
その剛声に吹き飛ばされそうに目を細めるエスクード。
彼はそんなシルバを前に大きくため息をついた。
「・・・呆れたタフネスだ。でも・・・良かった。やはり効いていたみたいだな。
待ってたんだその雄叫びを・・・軽く立ち上がられちゃ聞けなかっただろう。
その全てを込めた咆哮が、吐き出されるこの時を・・・」
シルバには彼の喋っている言葉の意味はもう理解出来ていなかった。
だが関係無い、己の中に流れる破壊衝動、
本能に従って目の前の全てを粉砕するまでだ。
シルバは踏み込んだ。今までで一番鋭い踏み込み。
その一撃を、エスクードは咄嗟に弧を描くシールドを空中に展開し、
その腕の軌道をシールドに沿わせて逸らす。
その一撃こそ外れたものの、そのまま背後に回り込むとその背中はがら空きだ。
外しようが無い距離、シルバは追撃すべくもう一方の足で強引に方向転換しようとした
だが、その足は衝撃を殺しきれず彼は膝をついた。
(???・・・ぐぅ。)
体が重い。四肢の反応が鈍い。
次第に内側から響く声が彼にも聞こえてくる。
まるで灼熱で炙られているような苦悶の声が・・・
苦しい 苦しい 苦しい 苦しい 苦しい くるっ!!
掻きむしる様なそれは澱の様に溜まり続け身体中から響く。
それの正体に彼が気づいた時は、既に手遅れだった。
(息が・・・で・・・)
吐き出すことは出来る。だが、吸う事によって肺に満たされるであろう清涼が、
彼からは一切合切全て奪われていた。喉を掴み、肺を掻きむしる。
その段階になって彼は気づく、自分に薄皮の様に纏わりつく物がある事に・・・
手と体が触れる箇所の感触がくにゃりと柔らかな事に。
彼はそれが苦しみの原因だと気付き、引きちぎろうとした。
噛み千切ろうとした。力の限り暴れまわった。
だが・・・それはまるで薄いゴムの様に伸びて広がりどうしようもない。
シルバは芋虫の様にじたばたともがき続けるが・・・
やがてその動きを止めた。彼の意識は完全に断たれたのだ。
それは本来、外界からの酸素供給をシャットダウンし、
火事などの災害を防ぐ目的で作られた結界術式だ。
それに薄くて伸縮する特性を加え、
叫び終えた直後のシルバを覆う。
エスクードの最後の一手はそれだった。
全てのものには作用と反作用がある。
シルバがその馬鹿力を振るう以上、
彼の肉体は己が力を振るう際に、返ってくるであろう負荷に耐えうる。
故にエスクードには判っていたのだ。
今の自分達に、そんな彼を物理的にノックダウンする術が無いという事を・・・
鍛えればただの人間でも数分の潜水が可能だ。
まして半神のシルバ、
息を止めてどれだけ動き続けられるかは未知数。
だがもし、息を吐き出しきったその瞬間、
それを狙って敵の呼吸を阻害できれば、
半分人で有る以上はシルバとて無事では済まない。
彼は其処に全てを掛けた。
シルバの攻撃を凌ぎきれるかも、
彼に憤怒の雄叫びを上げさせるだけ追いつめられるかも、
無酸素攻撃が通るかも、全ては仮定に仮定を重ねた博打。
地獄にて蜘蛛の糸を手繰るが如き道程であった。
だが、彼は勝利した。
シルバにもし風魔法の初歩的な素養があれば、
膜のうちに一呼吸でも酸素を生み出せていれば結果は真逆であったろう。
もし彼に切断系の攻撃方法が存在していれば、
その薄ゴムの様な結界を切ることが出来たかもしれない。
だがそのどれも彼には出来なかった。
一芸に特化し己が土俵でなら格上とも渡り合う、
だがそれ故の脆さを突かれ、シルバは格下に敗北を喫したのだ。
「馬鹿な・・・」
「将軍が・・・」
ギーガーとロルシドは茫然と立ちすくんでいた。
助けに入らなければという、
当たり前の判断すらすぐには出来ぬほどに・・・
そして倒れた敗者を見下ろすエスクード、
彼はゆっくりとその隣に近寄り、
その体に触れた。最悪暴れて一発貰うか腕の一つも握りつぶされる。
そんな覚悟もしていたが、シルバはしっかりと気絶していた。
彼はその背中、心臓の裏側に腕を置いた。
呼吸が無ければ彼は生きられない、
ならば心臓を彼の結界で覆い、血の流れを止めれば殺せる。
動けない今だからこそ出来る。彼に可能な唯一の殺害方法。
エスクードは一瞬躊躇う様に目を細める。
だが、意を決するとシルバの背中に手を這わせ心音を探る。
(・・・さようなら。)
心の中で十字を切り、彼は一つの命を刈り取る。
「メェッ!!!」
刈り取られたのは彼の頭の方であった。
背後からぶっとい鞭の様なものが彼をぶん殴った。
エスクードは砂利の味を噛み締める。
「痛いです。チェルヴィ。」
「なんで?! しんじゃうよ。ダメだよ。
おっちゃんしんじゃう。ぜったいダメダメだよ!!」
プンすかと怒りながら、グッすんと涙ぐみながら、
チェルヴィはもう一回バシンとエスクードの頬を張った。
今度はそこまで強くなかった。
止めるための一撃ではなく、抗議を現すための一撃だったから、
頭の良くない彼女なりに、
大好きなおじさんをぶって抗議の意の大きさを伝えたのだ。
「チェルヴィ・・・彼はいずれ目を覚まします。
次やれば・・・私達は絶対勝てないでしょう。」
「だから?」
「此処で彼を殺さねば貴方を助けられません。」
「たのんでないもん!!」
「ええ、私の勝手で此処まで来ました。
だから・・・私の勝手で彼を殺すのです。
貴方が気に病む必要は・・・」
「おじさんのアンポンタン!!」
ガーッとチェルヴィが吠える。
気に病むに決まっている。気に病む必要はない。
などと誰かが嘯く時は、気に病むと判ってて慰めているだけだ。
だからエスクードも言い返せないでいる。
「おじさんはつののおっちゃんがきらい?
つのがはえてるから おめめがしろいから すっごくつおいから。」
「いえ、彼に含むところは何も有りません。」
「チェルヴィはね。おっちゃんのことすき!
つのがはえててもはえてなくてもすき。
もちろんおじさんだって、チェルヴィみたいにつのはえてないし、
うろこだってないし、あしだったわかれてるけど、
でもだいすき。なんかいいってもたりないくらいすき!!」
角だとか鱗だとか脚だとか、
みょうちくりんなジェスチャーを交えつつ、
チェルヴィは必死に何かを訴えかけてくる。
「ええ、わたしも同じです。チェルヴィの事が大好きです。
姿かたちや種族何て関係無く、貴方の事が愛しくてたまりません。」
「そうだよ、かんけいないんだよ。おんなじなんだよ。だからぜったいにだめなの!!」
「同じ・・・」
「おっちゃんいってた。おにいちゃんのためにまけらんないって、
おっちゃんはかぞくおもいのいいやつだよ。チェルヴィといっしょ。
おじさんといっしょ、そんなおっちゃんがしんだら・・・
おっちゃんのパパとママとおにいちゃんがシクシクなんだよ!!
なんのためにおじさんはもじもじといっしょなの?!」
「・・・それは・・・それは。」
エスクードは口を引き結ぶ。
まとまりないチェルヴィの問いかけが、
彼の内側のささくれを引っ掻いていく。
「パパがいってた、ときにはけんかもあるかもしれない。
かったほうがわがままをとおす。
そのためにちからなんてもんはあるんだって・・・
おじさんとチェルヴィがかったんだよ。
なのにチェルヴィおっちゃんをころすなんてやだ〜。」
(ふむ、勝ったのに望まぬ選択を強いられているか・・・
確かにな、このお嬢ちゃん、阿呆だが結構鋭いぞ。)
それまで沈黙を保っていたウェンズが割って入る様に声を響かせた。
「でしょ〜もじもじ、にたいいちだよおじさん。」
ハイッ ハイッと二本の腕を上げて勝ってるアピールするチェルヴィ。
「ウェンズ、もしこれが個人的な任務なら私だって・・・
ですが、今はチェルヴィの命が掛かっています。私の最愛の人の命が。」
(だが相手が望んでおらん。夫婦になったのにそりゃお前さんの我儘というものだろう。)
「我儘で結構です。それでも私は彼女を守る方を優先します。」
「ううう〜〜〜♥」
嬉しいのと反論しなきゃの狭間で揺れるチェルヴィ、
尻尾はブンブン歓喜を叫ぶが顔は赤面しながら怒ろうと歪んでいる。
(守るとは何だ。守るべきは彼女の体だけか? そうじゃないだろう。
お前が守るべきは彼女の屈託のない笑顔のはずだ。)
「そうだよ、おっちゃんがしんだらチェルヴィいっぱいいっぱいないちゃう。」
(それに敵がこいつだけとは限らん、こいつを殺しても助かる保障もなければ、
こいつを生かしても脱出できない保障もないのだ。だったら・・・
こんなくだらん夫婦漫才している暇を逃げる時に変えるべきでは?)
「うん! それがいいよ いこうおじさん。」
ぐいぐいと必死にエスクードを引っ張ろうとするチェルヴィ。
エスクードの足は最初引きずられながらも、
しかし、次第にまわり、軽く駆け始めた。
「まったく・・・どうなっても知りませんよ。」
「いいよ、チェルヴィおじさんといっしょなら、
メーカイだってきっとワクワク。」
本当にそうかもしれない。などと下らぬことを考え、
エスクードは何時の間にか笑っていた。
(ほんとうに・・・まったく・・・)
チェルヴィの背に飛び乗ったエスクードの前に、
ショックから覚めたギーガーとロルシドが立ちはだかる。
「行かせるかよ。」
「二人掛かりで。」
「こっちも二人掛かり、このまま押しとおる。」
だが4つの影が交差する前に、
天から声が降ってきた。
「その必要はない。」
彼らは皆頭上を見上げる。
其処には何時の間にか虹が掛かっており、
声の主が時空の狭間から姿を現した。
「きれ〜〜。きんぴかのおっちゃんだ。」
「あ・・・ああ・・・」
「ゴルド・・・将軍・・・」
「ゴルド・・・この男が・・・帝国最強の・・・将。」
チェルヴィを除いたその場の全員が、
登場した金の三日月角と金髪の男を前に顔面蒼白になっていた。
彼らにとってその男は正に死神だった。
男は浮遊したまま倒れたシルバの袂に立って見下ろす。
「敗れたか・・・どこまでも愚弟よな。」
「チェルヴィ!!」
「はーい。」
背を向けた男に対し、ジャンプ魔方陣の加速とチェルヴィの怪力で、
彼らは持てる最速のスピードでその場を離脱した。
「言ったはずだ。その必要はないと・・・」
振り返りもせず、彼の角が閃光を放つ。
すると凄まじい物理エネルギーを秘めたはずの二人が、
慣性も何も無視したようにピタリと中空に縫い留められる。
「くっ。」
「ありゃ・・・んしょんしょ・・・うごけないねおじさん。」
何をされたかすら判らない、文字通り次元が違う。
その事をエスクードは思い知る。
シルバでさえ本来は万が一の勝機を拾った相手、
ましてそれより上のゴルドは、今の彼らにとって遥か怪物だ。
「貴様たちはもう、何処にも行く必要はない。」
くるりと向き直ると、男はすっと腕を動かし謎の金縛りを解除した。
落下するも、蛇に睨まれた蛙も同然のエスクードは、
どこか覚悟を決めた顔で笑った。
「チェルヴィ、やっぱり貴方は正しかった。
彼を殺しても結果は変わりませんでした。
私はもう少しで、私が最も憎む者と同じ物になるところでした。
貴方と出会えて本当に良かったです。」
「えへへ、もっとホメホメしてもいいよ。」
二人の前に仁王立ちするゴルド。
その怜悧な瞳は、絶対の死を予感させるに十分だった。
だが、その不遜な口が紡ぎ出した言葉、
それは男達の予想を色んな意味で裏切るものであった。
「その程度の力で落とし仔のみならず、将まで退けるか・・・
見事だ勇者よ。逃げ切りだ・・・もう我らは貴様たちを追わぬ。」
「な?!」
「もういっていいの? おっちゃんのおにーちゃん。」
殺気を放っていないとはいえ、
怖いもの知らずのチェルヴィがぐっとゴルドに顔を近づける。
「おっちゃんの・・・おにーちゃん・・・だと?」
「うん、つののおっちゃん!」
ビシッとシルバを指さすチェルヴィ。
そのドヤ顔でシルバを指さすチェルヴィと、
倒れ伏して伸びているシルバの間をゴルドの視線が何回か往復する。
「おっちゃん・・・か。
願わくば・・・貴様のその在り様。
死ぬまで貫いて欲しいものだな。」
ただ一度、チェルヴィの頭に手を置くと、ゴルドは視線でギーガーとロルシドに合図を送る。
そしてシルバの体を肩に担ぐと、彼の眼前にはカーテンの様にオーロラめいた光の膜が現れる。
その向う側の景色はポジとネガが反転しているが、
此処ではない何処かに繋がっているようだった。ゴルドを先頭に彼らがその光を潜ると、
それはすぐに消滅しその場には戦いの余波と二人だけが残された。
「は・・・ははは・・・・・・は・・・はぁ〜〜〜〜〜。」
色んな物を は というイントネーションに載せて肩から息を吐くエスクード。
「ね! ね! やっぱおっちゃんはいいひとだもん、
おっちゃんのおにーちゃんもいいひとだよお。」
それ見た事かと胸をプルンと逸らすチェルヴィ。
「帰ろうか・・・みんな待ってる。」
「うん! パパとママにはやくあいたいなあ。」
「でもその前に・・・一休みさせてくれ。」
「いっしょにおひるね? さんせ〜〜い。」
その頭上を数羽、小鳥が鳴きながら飛び去った。
だだっ広く吹き飛ばされた巨大なクレーターの中で、
彼らは久しぶりに陽の光を浴びた様に大きな伸びをしていた。
汚れるのも厭わず。大地に背を預けて高い空を見上げる。
※※※
何処までも黒く、冷たく、深く・・・
寄る辺なく揺蕩うその感覚、それには覚えが少しあった。
かつて兄弟やある男と空の果てを越え、
星を飛び出した先にあった感触。
絶対真空の世界にいた時の感覚に酷くそれは似ていた。
(此処は・・・)
経験から見回すだけ無意味と思い、
まず己が体を確かめる。
左腕が無い、肘から先の部位がすっぽりと無くなっている。
残った右手を頭や体に這わせると、
胸にぽっかりと空いた穴も見つかった。
しばしの逡巡、男は次第に混沌の澱から記憶の欠片を拾いで紡ぐ。
そうして己が何者で、意識が途絶えるまでの記憶を取り戻した。
「また・・・負けたのか・・・僕は。」
−−−−−−−−−−−
噴きだし満ちて行く闇を前に、
殿を務めたツァイトは間髪入れずに時を止めた。
自分の役目は時間を稼ぐことだ。
例えそれが一分一秒、刹那や那由他の果ての切れ端であっても、
これを彼女達から遠ざけておくのが、今の自分の役目である。
そう彼は理解していた。
だから本来であれば時間を止めるのは、
その役目から外れた行為であると言える。
それでも彼は時間を止めた。こちらの力は嫌と言う程見せてしまった。
少しでも敵の性質や正体を見極めねば、時間一つ稼ぐこともままなるまい。
だから彼はまずその黒煙の様な闇の性質を掴むために時間を止めた。
彼の危惧に反し、その闇は時の流れと共に動きを止めた。
最悪、時間の静止する効かない可能性を考えていたからだ。
時間を止めれば、その物体に物理的な破壊は出来なくなる。
だが、位置をずらしたり触れて解析するくらいの干渉は可能であった。
だから、彼は温度の判らぬ湯船に手を入れるような用心さで、
その墨色の強大な影に手を触れようとした。
ゆらり 純白の彼の腕に黒いものが滲んだ。
(?!)
その意味を理解する前に彼の腕は闇に絡め獲られた。
オレイカルコス製の彼の篭手、
物理的にも魔法的にも高い耐性を誇る。
彼の体内にそんなものは無きが如しと黒が浸食していく。
左腕を飲まれたその瞬間、彼は己が死を垣間見た。
そして死の寸前の人間が走馬灯を見る様に、
一瞬で様々な事を理解した。
この黒いもの、これはいわば触手だ。
不定形の神だとは聞いていたが、
この部屋を満たす、此れ全てが奴なのだ。
そしてそれは質量を持った物質ですらない。
まるで染み入る様に自身の外殻を抜けて侵入し、
更に彼の器ではなく、魂そのものを舐める様に観察し、
喰らおうとしているかのようであった。
その反応は苛烈かつ劇的であった。
時の静止を解除し、自身の時を一瞬で加速すると、
身を引きながら捕えられた左腕をパージした。
さながら沸騰したやかんにうっかり触ってしまった時の反射のように。
落下した腕はその影に食われ、地面に落下した音すら立てることは無かった。
「フェイント・・・容赦ないなあ。」
実力では自分の方が圧倒的に優位、だというのに初手から力押しではなくからめ手。
動けるのに動けないように見せかけて、蝶が網に掛かるのを蜘蛛の様に待ったのだ。
其処には戦いを楽しむだとか手心を加えるだとかいう。
人間らしい感情の欠如が垣間見える。ただただ合理的に事をすすめる冷徹。
身を引いた瞬間、その頭部付近の深奥で何かが光る。
(何か来る?!)
紫電の様な閃きを前に、彼はドレスを纏い時という概念を固体とし、
眼前に固定。幾層にも連なる不朽不滅の盾として配する。
(僕の最大防御、永劫無盾=ノイウンシュテルプリヒ。)
そして彼がその意識で最後に見たものは、
赤星の様なその眼が細められ、紫の閃光が連なる時諸共に自分を貫き飛ばし、
その先で逃げたはずのデルエラが、その美しい顔を引き結ぶ所だった。
−−−−−−−−−−−
完膚無き敗北、一瞬の抗いも許さぬ試合運びだった。
それにしてもと彼は改めて考える。
(あの黒い闇は自分の時間の静止を無力化した。
それは即ち、あれはドレスを纏っているということだ。
不定形の高速で移動可能な体とドレス、何と相性の良い組み合わせであろう。
あの神は自分の体を物理的には干渉不可能な、闇という概念に変換しているのだ。
だからオレイカルコスの堅牢な防御もあれの前では意味を為さない。
おそらく概念に干渉出来るクラスの力が無ければ、触れる事さえ叶うまい。
先代からちらりと聞いたが、その気になればあれはこの星を覆う程にあの闇を拡充可能らしい。
それではまるで生きた異界そのものではないか。まったく馬鹿げたスケールの相手だ。
もっともそんな来訪者達を相手に、一歩も引かなかった先代ら天界の神々も、
やはり今の自分には届かぬ遥か頂きの存在なのだろう。
そんな神々と肩を並べる相手に勝とうとしていたなんて、
母上はやはり本気であの方を殺すつもりはなかったのだろうな。
そして先代もそれを見抜いていた。)
闇の中で思考に埋没していたツァイトだったが、
ふと気づいた。やられた自分が何故こうして動けるのか、
その神に石化させられた者は、永劫に苦しみだけを味わい続ける。
などという噂を聞いたことはあるが、その状態と今の自分の状態はかけ離れている。
その問いに対する考察を始める前に、今まで静謐を守っていた闇が口をきいた。
「起きたか。」
「・・・君か。此処は何処だい? 冥界ではなさそうだけど。」
何時の間にか振り向くと、其処にはデュケルハイトが立っていた。
気づくと地面の様なものが出来て、彼も立つことが出来ている。
「答える気はない。質問はこちらがする。」
「・・・捕虜か、新鮮な体験だね。
いいよ、どうせ喋って困るような事は知らないし。
好きに質問するといい、僕は負けたのだからね。
でも一つだけ答えて欲しい。
デルエラさんやミアちゃん達はどうなったんだい?」
その質問に対し、デュケルハイトは軽く目を閉じて息を吐く。
「・・・その問いは・・・こちらの質問に貴様が応えたら教えよう。
貴様は何故ここに来た。魔王の娘と貴様らは殺し合いをした仲のはずだろう。
だというのに、貴様は死地に飛び込み、我が父を前にしても一歩も引かなかった。
魔王と主神が和解したことは聞いている。
だが、貴様の献身は軍事的な同盟というだけでは説明できん域だ。
答えてもらうぞ。何故貴様は此処に来たのだ。」
その問いに対し、ツァイトはしばし黙って右手は顎に当てて首をかしげる。
「何で・・・か。答えてもいいけど、
君達に納得してもらえるかは判らないよ?」
「構わん。それを判断するのはこちら側だ。」
「それなら・・・あれは大戦後、僕らが星界より帰還した後の話だ。
僕は魔王城の門を再び叩いた。母上の命令ではなく、僕自身の意志で・・・」
※※※
「久しぶりだね。といっても僕にしてみれば、
まだ1年くらいしか経っていない感覚何だけどね。
君達からは数年ぶりって事になるのかな。」
僕の眼前には以前戦った事のある二人の女性の姿があった。
黒い甲殻と鎌をもった黒いマンティスと、
白毛に黒い縞を走らせ、美しい銀の瞳をした人虎だ。
「正確には7年3か月と10日、3時間51分ぶりだな。」
「いやいやいやカリマ、いらないからそういうの。
どんだけ几帳面何だよ。ストーカーとかしそうだよなお前。」
「・・・どういう意味だイザク、説明を要求する。」
「お前さんは真面目だなあってことだよ。
それにしても今更何のようだ。
菓子折りでも持って謝りに来たのかい?」
「・・・」
僕はポンと手を打つと時間を止めた。
「どうぞ。つまらないものですが。」
「いやいやいや、あんたそれ今城下町で急いで買ってきただろ。」
「その包みはトリコロミールか。安易だな。」
「・・・・・・ごめんなさい。すいません。来世からやり直してきます。」
「いやいやいや、プルプルしつつ引っ込めなくていいから。
私達が悪かったから。な! トリコロミールのスイーツは鉄板だもんな!」
「・・・存外打たれ弱い奴・・・からかうのもこの辺にしておくか。」
「も・・・弄ばれた。」
「で、マジに謝りに来ただけなのか?」
「うん、特にミアちゃんにはちゃんと謝りたかったからね。
許してもらえなくてもいいし、罰せられるならそれも良いと思って来たんだ。
今、僕たちはやることなくなっちゃったからね。
やるべきことを色々考えてたら、取りあえずこれかなって・・・」
「私は一向に構わん。貴様はミア様方の命を狙う仕事だった。
私達はそれを阻む仕事だった。私達は失敗して命を落とした。
それ以上でもそれ以下でもない。私の中ではそう結論が出ている事だ。
だから謝罪は無用だが、したいというなら受け取っておこう。」
そう言うと、彼女は片腕を廻すように一閃させた。
僕の買ってきた菓子折りの梱包が、
パラリパラリと花びらの様に開いていき、
包みにも切れ込みが入っていたので、
彼女は手を伸ばしてその中身を舌の上で躍らせた。
「むう・・・新作か・・・チョイスは悪くない。」
「似合わないけど甘味大好きだよなお前。」
「・・・どういう意味だイザク、説明を要求する。」
「お前さんは洋菓子が霞むほど可憐だなあって事だよ。」
「イザクさんも・・・カリマさんと同じ意見?」
僕の問いに対してイザクさんは尻尾をゆらりと波打たせる。
そして腕を組むと片目を閉じながら顎を引いてこっちを見上げる。
「いや、私はカリマ程は任務だからって割り切れないかな。
どんな事情であれ、ミア様の命を狙った事は許せないし、
お前の兄弟達はもっと多くの命を奪ってるわけだしな。
生き返れたのは結果論で、その行為自体はやっぱり許されざるものだと思うよ。」
「だろうね。どうする? 殴ったり叩いたり、したいならご自由にどうぞ。
始めからそのつもりで来たわけだし、君の気が済むまで僕を罰すると良い。」
「よせやい、あんたを叩くのは2度と御免だよ、爪も肉球も痛んじまう。
それにね、行為を許すつもりはないけど、
だからと言ってあんたを罰するつもりもないんだ。」
「どうして?」
「私も武芸者の端くれとして、日々己の心技体を磨き、
それを活かす場として護衛何てやってる。
でも突き詰めちまえば、私の修めてる拳も元は殺すための技術だ。
殺されぬよう殺す技だ。先人から受け継いで来たこれは、
昔多くの血を吸い、血を流して連綿と織られてきたものだ。
だが今は違う、相手と命のやり取りをせずとも、
己の磨いた技を、体を、存在を掛けて互いを確かめ高め合う事が出来る。
生きることも同じだ。生きるってことはそれだけで多くの他の命を奪う行為。
特に人と魔物はそれが宿命の関係だった。だから互いに多くを奪い合った。
先代魔王様の頃から生きてる様な古株は、
聞くことも憚られる様な所業をした者達ばかりだろう。
そんな方々を、この奪わずに生きられる。
新しい時代を謳歌する私達世代の生まれが、
非道だのどうこう言うのは何かずるいだろう?
私がお前を罰したくない理由もそれに由来する。」
「・・・僕は。どうすれば。」
「自分で考えなよ。私にだってこれが正解かは解んないんだ。
お前達主神や教団の者達はまだ、
私達を敵としてそれから奪わねば生きれない。
そういう世界を生きているのだろう?
なら、私はお前達の所業をどうこう言うつもりもない。
それが許されるのは、古い世界を生きてきて此処に至った者達だけだ。
私はそう考える。だから許さないが罰することもしないんだ。
でも、お前が罰を願うなら、ミア様を少しでも笑させてやってくれ。
楽しい思いにさせてやってくれ、私が望むのはそれだけだよ。」
そう言うと、彼女は菓子折りの中から包みを摘まみ、
器用にピリピリと裂いて中の菓子を口に放り込んだ。
そしてこれ以上話すことは無い。
もう行けと言わんばかりに、顎を奥に振って視線を外した。
僕は促されるままに先へと進み、また見覚えのある人影に出会った。
この人に対する僕の感情も複雑だ。僕の生まれた理由はこの人とその家族を殺す事。
だが結局それは失敗に終わった。僕らは負けてこの人に命を救われ、また逆に救いもした。
「よう、よく来たな。ツァイト、途中でいぢめられなかったか?」
「・・・いえ、僕らがしたことを思えば、
皆さん優しすぎて逆に居たたまれません。」
「だろうなあ。まあ各々が此処数年で考えて自分で決めた事だし。
俺もあいつも何も言ってないからな、
どんな反応であれ、それをどう受け止めるかはお前次第だ。」
「ええ、おかげ様で暇な身の上ですし、考える時間はたっぷり有りますので。
僕らは今、存在意義の無くなったただのガラクタですし。」
そんな僕を見て、あの人はポリポリと頭を掻いていたが、
軽くうなずくと僕の肩を抱いて歩き始めた。
「よっし、暇してるなら丁度いい、ミアに会ってやってくれ。
どうせそのために来たんだろう?」
「え・・・ええまあ、本気で殺そうとしておいて虫の良い話ではありますが。
自分のすべき事を考えて、この城の皆さんへの謝罪くらいしか思いつきませんでした。
もっとも、僕が手を掛けていない者については、僕からの謝罪は逆に失礼にあたる。
そう考えて、今のところは護衛の御二方にしか会っていませんが。」
「うん・・・戦いでの言動とか、あの星海の果てで真っ先に助けてくれた事といい。
必要と感じたらすぐに謝りに来れる素直さといい、
うん、おじさん君の事気に入ったよ。ツンデレを否定はしないけど、
謝る立場ならやっぱり素直にごめんなさい。まずはこれが言えないとな。
これが出来んばかりに拗れる話の多い事多い事・・・おお着いたぞ。」
何か部屋のドアに護符を張った鎖やら、ルーンの結界やらが張られた部屋だ。
知らぬものが見れば、余程やばい代物が封印してあると勘違い必至の様相だ。
「ああ・・・これな。あいつ勉強は出来んくせに妙に器用でな。
空間魔法の応用で壁抜けしたり、結構複雑な魔術回路を利用したパズル錠も破ったり。
その度に仕掛けが増えたり新しくなっていってな、物々しいことこの上ないだろ。
とてもこの城の御姫様の部屋じゃないよな。」
「ですねえ、そう言えば僕と会った時も、脱走してフラフラしてました。」
「そうらしいな。何というかあれだ。宿題や勉強しないためなら、
それより遥かに難易度高い謎を解いちまうんだあいつ。
勉強したら負けかなと思ってるってのは本人の弁だ。」
「あはは・・・立派なレディにお育ちのようで。」
「暇ならお目付け役を兼ねた友達としてあいつと付き合って欲しいんよ。」
「・・・本人が了承するでしょうか? 彼女に取って僕は恐怖の対象でしか・・・」
「実を言うとその通りだ。あいつは悪夢を見てその度にうなされて寝小便をする癖があってな。
あ、これ俺が言ったって絶対あいつに言うなよ。
で女房は夢魔の女王だしこっそり覗いてみたんだが、
お前達が皆やミアの奴を襲うっていう内容なわけだ。起きれば本人は忘れちまってるが、
恐怖があいつの中に刻み込まれちまってるのは確かだな。」
「・・・やっぱり、僕は彼女に会わない方がいいのでしょうか?」
「いいや、逆だ。怖さとか苦手意識何てものはな。
半分は知らないとか判らないって事から来てるもんだ。
一緒にいて互いの事を解り合えば、あいつの心に染み着いた恐怖も和らぐだろう。
お前は結構いい奴だし、ミアもくせはあるが可愛い俺の娘だ。きっと上手くいくさ。」
それでも僕にはまだ戸惑いの気持ちがあった。
何故この人はこんなにも楽天的でいられるのだろう。
僕が行くことによって、より症状が悪化するなどとは考えないのだろうか?
「ですが。」
「ですがもヘチマもねえ。時の神のお前に言うのも何だが、
過去に身を苛むのも未来に怯えるのも馬鹿のやる事だ。
過ぎた事は過ぎた事だし、未来何て何時だって白紙何だぜ?」
「・・・・・・そうでしょうか。僕は・・・」
煮え切らぬ僕が扉を開ける前に、
その扉は中から音をたてぬようゆっくりと開かれた。
其処には膝を立てて魔術錠相手に、
空中に小さな魔方陣やマジックキーを浮かせている。
そんなミアちゃんのガッツボーズがあった。
彼女の流石ワタシ、エライ、カワイイ、マーベラス!!
と言わんばかりのドヤ顔は、僕と彼女の父親の顔を見た途端、
南極物語とタイトルをつけて額縁に入れたいくらいに蒼白になった。
十秒程の流れる静止した時間の中で、
彼女はくるりと回れ右すると部屋に引きこもろうとした。
だが物凄い速さで僕の隣から延びた腕が、
彼女の頭を鷲掴みにすると締め付ける。
「難関魔法大学院、その実技レベルで使うコードだなそれは・・・
お父さんに言ってごらん。ミア、そんなものを何処で覚えたのかなあ〜〜〜。」
「イダダダダダアァァアッァア、割れるのです。砕けるのです。」
「ダイジョ〜〜ブ、パパもうミアへの手加減についてはだいぶ慣れたから。」
「ロープなのです。タップなのです。ハウスなのです。」
「此処は俺んちだ。残念だったなミア。ハケ! ハクンダ!!」
「ううう、あの子に言ってお父様の蔵書の中から持ってきて貰ったのです。」
「図書館の方じゃなくてか・・・しまったそっちはノーマークだった。
貰いもんも多いし蔵書の管理は部下に任せちまってるからなあ。
そういや片っ端から使えそうな戦闘用の魔法を覚えようと、
世界中からそっち系の本を取り寄せまくったこともあったっけか。」
「あ・・・あの、そろそろ離してあげてわ。」
見てるこっちが痛そうになってきて僕は口を挟んだ。
「おお、救いの神現る。何処の何方か存じませんが。
このDVオヤジにもっと言ってやってほしいのですね。
娘は叩いたり閉じ込めるのではなく、
もっと自由にのびのびと育てるべきだと。」
「娘の中でもフリーダム度はだいぶ上位だぞお前。
彼氏出来たら絶対勉強なんぞせんのだから、
せめてそれまでは最低限の事はしとけ。」
「毎日毎日、試行錯誤と学びの連続なのですね。」
「だれが盗賊のスキルを磨けと言った。
もはやこの城に潜入出来るクラスの勇者より、
脱走したお前を捉える方が骨だと警備が嘆いてたぞ。」
「フフフ、ミアは此処の警備の甘さを指摘してあげてるのです。
そう、これは必要悪という奴なのですね・・・ん?
お前どっかで見た事あるのです。
何処だったか・・・股がムズムズするのですね。」
やっとこっちを真面目に観たのか、ミアちゃんは僕の頭をじっくりと見回す。
「ああ! お前は!! あの時の殺し屋?!」
「やあ、久しぶり、随分と大きくなったね。本当にごめん。
あの時は命令とはいえ君を殺そうとした。
こんな謝罪で罪が購えるとは思わない。僕を君の好きに罰してくれていい。」
「ん? 好きに・・・・・・ハッ?!」
彼女の顔が良い事を考えたぞ! と言わんばかりに輝いた。
特に根拠は無いが僕は嫌な予感しかしなかった。
「その・・・お父様。」
「何だミア?」
「ミア、この人と結婚を前提に御付き合いしたいのです。」
「「えっ?!」」
異口同音に発せられた驚愕の言葉。
しかしミアは僕の頭で顔を父親に隠しつつ、
目力を込めて僕にアイコンタクトを送ってきた。
(黙ってこっちに合わせやがるです!!)
僕は少し顎を引いてばれない程度に同意した。
「確かにこの方とは色々ありました。
ですが、ミアはこの方に救われもしたのです。
この方がいなかったら、ミアは・・・ミアは・・・
二度と表を歩けない程の辱しめを味わう所でした。
そういう意味ではこの方は正に白馬の騎士様。
ミアが勉強に身が入らないのも、脱走に躍起になるのも、
全てはこの方に会いたいという。魔物心の為せる業なのです。
それに・・・この方一緒にトイレに行って・・・
ミア、とっても・・・気持ちよくって・・・逝きかけたのです。」
「・・・・・・・・・・・・ほう。」
今度は僕の頭が歪んだ。
ズリズリと僕を引いていき角を曲がると僕を向き直らせた。
其処には神も悪魔もぶっちぎりそうな存在が居た。
「俺の記憶が確かなら・・・お前が依然来た時のミアは・・・
だいぶその・・・幼い容姿だったはずだな。」
「え・・・ええ、たいへん小さくて可愛かったと記憶してます。」
「そうだよなあ。今のあの子も可愛いけど、あの頃のあいつも超キュートだった。
さてそれはそれとして、そんなあの子をトイレに連れ込んで何をしたのか、
おじさんにちょっと教えてくれると、戦争の火種を回避できるかもしれないんだが・・・」
真実を話すべきか、彼女との約束を取るべきか。
それが問題だ・・・僕は・・・阿修羅すら凌駕する一家の大黒柱相手に・・・
迫害された聖人以上の苦難の道を歩くことを決めた。
城がだいぶ揺れたり壊れたりしたけど、
城の皆はあんま気にしてない様子だった。
また魔王様が夫と口論でもしたのかしら、
などとみんなもっぱらそんな事を言っていた。
昨晩近所の家が五月蠅かったのよ奥様。
そんなノリで井戸端りつつ、皆テキパキと慣れたように片付けと修復をしていた。
色んな意味で彼女達には勝てないと思った。
何で後であんなこと言ったのか彼女に問いかけたところ、
彼氏出来たら勉強しなくても正当化される。
などと言う猿知恵だったとのことだった。
それを聞いて僕は一生彼女には勝てないなと思った。
※※※
「待て、そのグダグダはまだ続くのか?」
「・・・長かった? もうちょい掻い摘むべきだったかな。
でもどこまで話せば納得してもらえるか検討もつかなくてね。
事細かに全部言うしかないかなって思ったんだ。」
話の途中だったがデュケルハイトが焦れたのか、
こちらに口を挟んできた。
「もういい、聞きたい事だけ聞こう。
ミアとはあのリリムだな。あいつは偽りとはいえ、
自分を殺そうとした相手と即座につき合うという。
理解しがたいメンタリティだ。それについてはどう思っているか聞いたか?」
「勿論、赤の他人にそんな事行き成り頼まないだろうし。
面識があるとは言え、何で僕の事をそう簡単に受け入れてくれたのか、
聞いて見たんだ。憎んだり怖かったりしないのかってね。
そうしたら彼女はちょっとこっちを馬鹿にした様に言ったんだ。」
何言ってるです。お姉さま達の夫の半分くらいは、
お姉さま方を狙って来た勇者とかなのです。
立派なレディは、命狙われたくらいで一々根に持ったりしないものなのです。
「・・・底抜けの阿呆なのか、命を軽視してるようにも感じられるが。」
「たぶん前者だね、人の命に関しては特に重く見てる事は君も知ってるだろう。
同じ状況でも下を向いて泥を見るか、上を向いて星を見るかは人それぞれだけど、
彼女達の多くは常にその眼に星しか映さないんだ。
争いが起きた時、必ず双方に溜まる恨みつらみや復讐心、
そういったものに無頓着と言うか何というか・・・
それはある意味で盲目的で愚かだけれど、僕には好ましいものに映るよ。」
「甘いな。吐き気がするくらいに甘い。」
「かもね。でも僕は楽しいよ。彼女と一緒にいると退屈はしないかな。」
「堕落だ、仮にも闘神の名を冠する男が・・・」
「でもその名にはもう何の意味も無い。
殺すべき相手とは和解して、闘うべき相手がいなくなった。
元々戦いが好きでもないし、僕には何もなくなってしまった。
でも最近、彼女と一緒に色々馬鹿やったり、
買い物に付き合わされて世界を巡る内に考えが変わったんだ。
無いなら見つければいい、無いという事は自由と同義だって。
だから今は、贖罪を兼ねて彼女とその何かを探し中なのさ。
僕が彼女の為に体を張ったのは、今の僕にとっては彼女はその何かへの標だから。
きっと僕は彼女を失ったら、自分ではそれに辿りつけない。
直観に近いけどそう感じているから何だよ。」
「馬鹿げている。理解不能だ。論理性の欠片も無い。」
辛辣に冷たい言葉を重ねてくるデュケルハイト。
だが、彼と話していて僕は気づいた。
「まあね、理屈で納得してもらおうとは最初から思っていない。
でも本当にまったく理解出来ないかい。」
「どういう意味だ?」
「僕は君の親である神と少しだが対峙した、だから判る、君とあれは全く違うものだ。
あれはまるで、底無しの深淵そのもので理解の取っ掛かりも何もない。
永劫に解り合う事が出来なそうな異物だと感じた。
けれど君達兄弟は、本当にあの闇の子らかと疑いたくなるほどに・・・」
言い切る前に、デュケルハイトは僕に迫り吊り上げた。
「・・・愚弄するか。」
「そんなつもりは微塵もないよ。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
という言葉を言った哲学者がいたらしいね。
深淵を不用意に覗き続けていると、段々そちらに魂を引きずられ、
終には自身が深淵と同じものになってしまうから気を付けよう。
そういう言葉なんだそうだ。
この言葉は観測し理解するという事は、
取りも直さず相手の一部を己に取り込むということ。
大なり小なり個人差はあるんだろうけどさ、
まったく影響を受けずには居られないってことなんだと思うよ。
じゃあさ、覗き込まれて覗き返した深淵はどうなんだろうね?」
「下らぬ問答に付き合うつもりはない。質問するのはこちらだと言ったはずだ。」
{熱く・・・なりすぎだ。}
「・・・申し訳ありません。父上。」
暗闇そのものが震えて音を出した。そう僕には感じられた。
反響なのか何なのか、音の出どころはようとして知れない。
今までどこに潜んで居たのか、沈黙を守っていたそれが喉を震わせた。
(というか・・・喋れたんだ。)
どうでもいいことを心の中で思いながら、
僕は周囲を見回した。すると暗幕に切れ込みが入る様に、
闇に一筋の光が差した。薄い光のはずだが、
漆黒の中にいた身にとっては瞼を焦がす程に眩しく感じた。
もっとも僕には眼球何てないわけだけど。
光は闇を裂くと楕円形を形成した、そちらが出口なのだろう。
「・・・話は済んだ。帰っていい。
デルエラもミアもとっくに解放済みだ。
お前が最後だ。さっさと失せるがいい。」
「え?!」
意外と言えば意外な言葉に僕は固まる。
てっきりあの逆貌の闇に魂を取って食われるか、
石化してあの神殿を飾る風景の一部になると思っていたから。
本当に何を考えてるか理解出来ないが、
僕は言葉に甘えて懐かしい陽の光を浴びる事にした。
あの空間はあいつの腹の中そのものだったのだろうか。
光を抜けると、其処は神殿だった。
そこかしこのテーブルにのっていたグラスが、
中の液体共々に宙を舞う。
そのうちの殆どはそのグラスの持ち主達によって、
中空で舐める様にこぼれた液体が拾われ元に戻された。
しかし一部はそのまま床に激突し、軽い音の連鎖が続いた。
もっとも彼らが反応できなかったのではない。
あえてしなかったのだ。
グラスとそれを満たす琥珀色の液体よりも、
彼らの関心は強く別のものに向けられていたからだ。
グラスを手に取っている者達もそれは大して変わらぬようで、
皆視線を一様に同じ方向に向けている。
その視線の交わる場所には一つのテーブルがあり、
其処には向かい合う様にして二人の男が座していた。
轟音はそのテーブルから響いていた。
音源はテーブルそのもの、二人の男は手を取り合い肘を付け、
一方の男がもう一方の男の手の甲をテーブルに押し付けていた。
手の甲の下、テーブル表面は砕けその下の脚は折れ曲がっていた。
それを見て、二人が何をしているのか疑問を挟む者は皆無だろう。
腕相撲、きっちりと競技化されたものをアームレスリングと呼ぶそれは、
肘をつくスペースさえあれば何処でも出来る力比べ、
そんな酒の席の余興として行われたものであった。
この集まりは、この星に彼らの長達が降り立った日として、
100年に一度集まり祝うという趣旨のものであった。
各領地を治める子らや将達が集い一同に会す記念日。
邪神降臨祭とでも呼ぶべき日に、彼らはキャロルを歌い肩を並べるのだ。
腕相撲を取っている男の片方は、今日初めてこの集まりに参加する男であった。
それ故、皆多少の興味を男に持っていたのは事実だ。
そんな中、ある一人の男がその男に腕相撲を持ちかけた。
男は初参加の男と同席している彼の兄に問いかけた。
何か得手はあるか・・・と、それに兄がこう応えたからだ。
「愚かで不器用、披露目も恥ずかしき愚弟なれど、
腕力だけなら一角のものかと。」
周囲の皆は談笑しながらも、その目や耳の端で彼らの会話を聞き、
皆心の中で同じことを思っていた。
どうせ結果は見えている。あの方も酔狂な事をなさる・・・と。
だが、男はそんな皆の嘲笑混じりの予想をテーブルと共に打ち砕いた。
負けた男、周囲で観察していた者達、誰もが目を見張っていた。
その結果に驚愕していないのは、勝った男とその兄くらいのものであった。
「やったべ! おらの勝ちだべな。デュケルハイト様。」
「・・・・・・これはこれは。」
信じられぬとばかりに己が手の甲を擦るデュケルハイト。
純粋な神族である自分が、半神半人である者に単純な膂力で後れを取った。
それはこの国の常識を打ち破る出来事であった。
この国に於いて長である神、
その血の濃さこそが能力を決定づけるものであった。
人が走りで狼に及ばぬように、その壁は絶対であった。
だが、目の前の男はそんなこの国の常識を軽々と打ち破ってしまったのだ。
デュケルハイトの肩に背後から大きな手が置かれる。
「ファンタスティック、ブラザー。」
「任せる。ダラムス。」
そして始まった二人の勝負は、
用意した机が二人の力に耐えきれずに瓦解しても終わらず。
獣の咆哮を上げるシルバに対し、こちらも雄叫びを上げてダラムス。
相撲の投げ合いを片手にした様な空中で続く腕相撲の結果は、
シルバが半回転して頭から地面に叩きつけられ、
角で逆さまに地面に刺さって勝負有りとなった。
だが彼らの手はその状態でも固く握られたままだった。
彼の肩は外れており、不自然な形で握手をしたまま体だけが半回転していた。
結果として男はダラムスに敗北した。
だがその男の名はその場の皆の脳裏に深く刻まれたのは言うまでもない。
後に、男は剛将の地位を賜る事となる。
腕っぷし一本でその地位を得、今日までそれを守り通してきた男、
神さえも砕く肉体の持ち主、そんな彼の肉体が駆動する。
姿勢は前傾に倒し、踵は上がり、爪先が大地を蹴る。
砲弾の様に撃ちだされた男の剛腕が唸りを上げ、
再び聖騎士とそのパートナーに振り下ろされようとしていた。
※※※
とある砂漠の地方、砂丘とその陰影が織りなす景色の中、
主に二か所で爆発と土煙が上がっていた。
掲げる旗の違う二つの軍が其処には展開していた。
だが奇妙な事に、彼らは互いに見向きもせず、
ちょうど二つの軍の中心、其処にいる男達に火砲を集中していた。
遠めに見ていると、一か所に蟻の様に歩兵や騎馬兵が群がっていく。
それらは一分と持たずに熱砂に転がされていく。
そして兵達と男の距離が開いた途端、
装填されていた大砲の砲弾、攻城用の弩級、
それらが魔術師達の空中に張った大型エンチャント用魔方陣を抜け、
炎を纏い音速まで加速したうえで男に叩きこまれていく。
男は微塵も歩みを緩めもせず、飛んできた全てを己が体で受けていく。
自分が転がした者達に流れ弾が当たらぬよう。
受けた全てを角度によっては腕で叩き落として熱砂の肥やしにしていく。
片やもう一方の軍を相手取る男は対照的だ。
風の様に駆け、羽の様に舞い。
瞬く間に戦場を駆け抜けて行く。
雨の様に降らされる矢も魔法も、周囲に群がる剣閃も、
その男に傷一つ負わすことは出来ていない
射線をコントロールし、あらぬ方向へ遠距離攻撃を撃たせた後、
次弾をつがえ、魔法をリキャストするその合間に、
遠距離攻撃部隊に飛ぶ様に切り込み瓦解させた。
そうやって向かい合っていた両軍は、
たった二人の男によって継戦不可能な被害を負うと、
散り散りに退却させられていった。
この地で主神とは違う神を崇める部族がいた。
彼らは教団によって傘下に収められ、
その神は主神の部下として教義に加えられていた。
そんな彼らの内部で教義の違いが生まれ、
どちらが正当かで揉めたすえに内部紛争にまで発展しかけていた。
教団としても傘下の者達を無駄に争わせて死なせるのは教えに悖る。
とは言え下手に首を突っ込んで、無駄な被害を出すのもあほらしい。
よって勇者の内、自身の身を守る事に特化した二人の勇者が其処に派遣されていた。
マウロ聖堂騎士団の団長、絶対障壁(ガーディアン)のエスクード=フーザ、
トールキンの雄、舞う者(フェザー)のエウネリオス=ブライズの二人である。
あらゆる攻撃を受け止める男とあらゆる攻撃を回避する男。
性質は真逆だが結果として、彼らはどちらも死者を出さずに、
その紛争を回避することに成功した。
軍を引かせた後の政治的な処置や駆け引きは、
彼らのあずかり知らぬ所である。
男達は少し小高く盛り上がった砂丘から、
撤退していく両軍を見下ろしつつ話していた。
「ふう、いや凄いですね。聞きしに勝る戦いっぷり。痛くないんですか?」
「いや・・・結構・・・実は痛いです。」
元々は耐魔措置を施した城壁に向けられるべき攻撃、
それを顔で受けた褐色の男は、結構痛いと爽やかに微笑むのだ。
対面の男も可笑しくなって噴き出してしまう。
「ははは、其処まで無理しなくても。他人を殺そうとする以上、
逆に怪我をしたり死ぬこともある程度は仕方がないでしょう。
恨みつらみの元は少ないに越したことは無いですけどね。」
「・・・そうかもしれない。でも彼らにだって親兄弟、
妻に子供など愛する誰かがいるでしょう。
なら自分が我慢すればそれでいいと思います。」
「愛する者か・・・心あるものならいるでしょうね。
其処に国や民族、種族の別は無い。」
「無論です。その為のこの体ですから。」
「・・・・・・ふむ。」
多くは語らなかったが、二人は互いの言動と口調から、
口の端に載せたもの以上をやり取りしていた。
共通の趣味を持つ者同士が、幾つかの単語で互いの趣味に気づく様に。
「貴方はまるでダイヤモンドのようですね。」
「褒められてるのでしょうか?」
「半々・・・ですかね。」
「というと?」
「貴方の気高い覚悟と堅牢な肉体を褒める意味合いが半分。
もう半分はその戦型の危うさへの皮肉です。」
「ダイヤは堅い、されど脆い・・・と?」
「ええ、若輩の私から非礼とは思いますが言わせて頂きます。
格下相手には貴方の戦い方は効率的かもしれませんが、
格上、その肉体の防御を打ち破る相手が出てきた時、
そのやり方ではジリ貧にすら持ち込めない。一方的に砕かれるだけだ。」
「・・・でしょうね。」
「この後、何か用事はあるでしょうか?」
「いえ、特には・・・」
「事後処理で暫くはここいらに逗留せねばなりません。
その時間を使って少し教えたい事があります。
付け焼刃ですが、硬くて強い鋼へとなれるかもしれません。」
「ご教授痛み入りますが、でもどうして・・・」
不思議そうに問いかけるエスクードに、
エウネリオスは視線を遠くへ投げかけながら答える。
「貴方の様な方には、出来るだけ死んで欲しくありませんから。」
その数年後、魔王と主神の決戦の火蓋が落とされ、
エウネリオスは魔界に亡命、
エスクードも戦後、魔界と秘密裏に国交を結ぼうとしていた。
そして今現在、エスクードの眼前には正しく絶望的に格上の相手が迫ってきていた。
個人が受け止めるには余りに巨大な運動エネルギーが、
握りこぶし大の大きさに凝縮されて降って来ようとする。
その振り下ろしと彼らの動きは連動したように一致していた。
エスクードの跨っているチェルヴィの体がすらっと伸び、
エスクードの体は地を這う様にシルバに接近、
その脚元を掴んだエスクードは、拳の振り下ろしを助ける様に力を掛けて彼を廻し投げた。
シルバは自らの踏み込みの力をそのまま回転にされ、
地面を水切りの様に跳ねながら砕いて頭から突っ込むこととなる。
しかしすぐに大地を吹き飛ばして再び襲い掛かるシルバ、
振り回される両の腕、その一発一発が当たれば死に至る一撃だ。
だが当たらない。一発も当たらない。
チェルヴィの長い上半身が絶妙にスウェーバックし、
シルバの一撃をことごとく空振りさせる。
焦れたシルバが深い踏み込みで多少下がっても意味のない突撃をする。
その突撃は狙い通りエスクードの体に突き刺さるも、
バネの様に畳まれたチェルヴィの下半身、
その絶妙な突き上げによってベクトルの向きを上昇に変換させられる。
(まともに受けたら終わりだ。だったら・・・まともに受ける必要なんてない。)
エスクードがエウネリオスより授けられた技術、
それは霧の大陸では化勁、ジパングでは柔術や合気などと呼ばれるそれに近いものだ。
打ち込まれる力を逸らし、曲げ、利用する技術。
エスクードのそれはエウネリオスに比べれば付け焼刃だ。
そして何より、シルバとの力量に差が有りすぎて本来なら役に立たないものである。
仮に合気の達人と同等の技術を持った蟻がいたとして、
その蟻と対峙して転ばされる人間はいまい。
技はあくまで近いレベル同士、種族の壁を大きく越えた相手は想定外なのだ。
エスクードの付け焼刃の技では、尚の事である。
しかし、此処に二つのファクターがプラスされると話が変わる。
シルバの攻撃が力任せの拙いもので、エスクードにも読み易いものだった事、
そしてエスクードの貧弱な下半身の代わりをするチェルヴィの存在である。
ワームの怪力と堅牢な鱗の体、それをエスクード同様にウェンズが強化したそれは、
エスクードの技と合わさりシルバの剛腕を見事に受け流した。
チェルヴィの上半身は上下左右に揺れ、自在に間合いをコントロールし、
攻撃を避け、時には受け流して凌ぎ切る。
そしてタイミングが合えば、それが真っすぐ伸びてシルバと交差する。
「っど〜〜〜ん!!」
「グゴォッ?!」
チェルヴィの強力な頭突きがシルバにカウンターで入る。
時には腹に、時には顔に、二人分の怪力がその肉体に刺さる。
エスクードとチェルヴィは一体となり、
まるで武技を備えた一本の巨大な腕(かいな)の様であった。
「野郎どうなってやがる。押されてるぞ将軍。」
「見事な騎乗スキルだ。」
ギーガーとロルシド、邪魔だから離れていろ。
シルバにそう命ぜられた二人は、
戦闘をギリギリ視認出来るが被害の及ばぬ距離をあけ、
付かず離れず戦況を見守っていた。大して掛からずに終わる。
そう踏んでいた二人の予想を覆し、戦いは拮抗し始めていた。
「あのガキにあんなテクニカルな戦いが出来たとはよ。」
「いえ、やりあった私だから判ります。
あの動き、あのエスクードとかいう男が全て操作している結果でしょう。」
「だがよ、何の合図も無しに。」
「ええ、まるで人馬一体、阿吽の呼吸といった騎乗。
長年パートナーとして連れ添った相手でもなければ出来ぬ動きです。」
「でも・・・にーづまなんだろうが。」
「魔力的に見てもあの男とワームの接点は無かったはず。」
「黒くなっちまったのが原因か?」
「恐らくは・・・。」
その憶測は当たっていた。
思考し、肺を震わせ、音を出す。それを聞き、理解して、筋肉を動かす。
口頭での指示を出すにはこれだけのプロセスを経る必要がある。
戦闘中に行うには余りにも煩雑な手順と言える。
だが、エスクードとチェルヴィはウェンズという同居人を通じて、
互いの思考イメージを直接相手の頭に送ることが出来るようになっていた。
チェルヴィからすれば、音ゲーの様に頭に浮かんでくるイメージを待ち、
そのイメージ通りに正確に動けばいいという状況であった。
(・・・こうしてこうして・・・こう!!)
(そうだ。いいぞ・・・その調子だ。)
二発の攻撃を間一髪で見切った後、その次の一撃に合わせて顎を打ち上げた。
(しかしこの娘・・・嬉しい誤算だ。)
ウェンズはチェルヴィに対し軽い驚きを感じていた。
目の前をビュンビュン通り過ぎるそれは致死性の打撃であり、
ほんの少しのずれが、一瞬の逡巡が、二人の未来を死へと閉ざす。
であるというのに、チェルヴィの動きには一切の惑いも恐怖も見えない。
目の前の視界に惑わされず、ただ素直に頭の中のイメージに集中している。
彼女はおバカなのだ。目の前に死の鉄槌が迫ろうと、
今の彼女には関係ない、背中に感じる愛しい人のぬくぬくと、
流れてくるイメージ通りに動いた時に聞こえてくる。
愛しい人が自分を褒めてくれるほかほかの思考。
それだけが今の彼女の全てなのだ。
ぶっつけ本番でこれが出来るその集中力と没頭は、
余計な事を考えない彼女だからこその賜物と言えた。
戦局は単純な殴る割合で言えば、
エスクードとチェルヴィのコンビがシルバを圧倒していると言えた。
だが、その状況を目の当たりにしても二人の臣下は狼狽えない。
「たいしたもんだ。だが何時まで持つかね。」
「ええ、足を使いヒット&アウェイを繰り返す。
将軍と対した者の殆どがこの戦法を取ります。
当然ですがね、ですが・・・そんな在り来たりで攻略出来るなどと、
将軍がそんな甘い存在なら、私はあの方の部下をしていない。」
回す 廻す ブンまわす!
あらん限りの力を込めた一撃が虚しく大気を散らす。
(何でだ? 何であだんね!!)
感じぬ手応え、時折打ち込まれるカウンター、
それらはシルバのフラストレーションを次第に溜める。
そしてそれは彼の動きに変化を与える。
「おっと、振りがますます雑で大きくなってきたな。」
「・・・そろそろでしょうか・・・ギーガー。」
「おうよ。」
頷くとギーガーは彼らの周囲に高硬度の結界を張る。
「ゴオオゥッ!!」
雄叫びと共に、怒りの余り的を見失ったシルバの拳が、
星の顔を思い切り引っ叩いた。
その瞬間、場の全てが弾けて跳んだ。
比較的遠くで、結界を張り構えていたギーガー達、
彼らの所にも地面を伝い大きく大地のうねりが走り抜けた。
続いて木々や岩が嵐の様に横っ面に結界の戸を叩き続ける。
暫し間を置いて大樹や山だった大量の土くれが、
天空から質の悪い冗談の様に顔を覗かせはじめる。
「ロルシド!」
「9時 35度 距離40 2秒後に90度 距離は出来るだけ。」
流石にそんなものを真面目に受けては、
死なずとも脱出に無駄な時間と労力をようす。
ロルシドの未来予知によって、二人は降り注ぐ大質量を的確に回避する。
後は質量体の落下に伴う余波を除けば、
たった一人の男の拳によって引き起こされた現象は打ち止めと言えた。
「ロルシド、状況は・・・」
「・・・無事だ。全員な。5時 −30度だ。」
「野郎・・・」
ギーガーはロルシドの指示した方向を見ると、
彼らと同様に空中に逃れていた影が一つ。
そして自らの引き起こした衝撃波で空中を舞う影が一つあった。
「おっちゃんすご〜〜〜い。」
ジェットコースターに乗ったはしゃぐ子供の様にチェルヴィがウキウキする。
「ふう・・・何とか・・・上手くいきましたね。」
片やエスクードは冷や汗をかいているが、その表情は微笑していた。
以前エスクードが一撃でクレーターの中心地になった一撃、
純粋な拳による力の解放、それは地表と言う星の表面を伝わる事で、
打ち込まれた場所を中心に、まるで熱の無い核兵器とでも呼ぶべき破壊を顕現させる。
それによる広範囲無差別破壊、数秒程の未来予知ではそれから逃れる術は無く。
巻き込まれ体勢を崩したロルシドは、追撃してきたシルバに一撃を食らい破れた。
距離を取り、優秀な結界師であるギーガーと自分の能力あればこそ今回は無傷だが、
近距離で巻き込まれれば、最低でも体勢の崩れは避けられないはず。
それはエスクードとチェルヴィのコンビにも適用される理屈である。
実際彼らも破れていたかもしれない。
一度それをくらい負けていなければ・・・
だが、エスクードはウェンズがチェルヴィに自分を複写している間、
模索し続けていた。どうすればあれを防げるか・・・そして出した結論。
至近で炸裂する規格外の衝撃波から。もっとも受ける影響の少ない場所。
それは爆心地であるシルバの真上、その馬鹿げた肉体を傘とし、
更に衝撃を自分達を打ち上げる推進力として転化することで、
風に吹かれる柳の様に受け流す。
真上に飛ばされる事によって、重力による勢いの減衰ももっとも受けられる。
事前に決め、覚悟の元で行ったその回避によって、
獣の勘とでも呼ぶべき、シルバの空中での素早い追撃に対しても、
彼らは相応の準備を持って相対することが出来た。
無論その時間は1秒に満たぬ刹那だが、
もし、吹き飛ばされ地面と相手の方向を見失った状態で追撃を受けていたら、
彼らはシルバの一撃をまともに喰らっていたであろう。
シルバははじけ飛んだ大地の破片を足場に蹴り出し、
正確に二人の落下点に迫ってくる。
それに対し、エスクードは初めてその腰をチェルヴィの背から浮かせる。
そしてその背中を真下に蹴ってチェルヴィの体を反転させる。
反転する間にチェルヴィの下半身は折り畳まれ、
まるで肉のスプリングの様にとぐろを巻く。
そして尾ノ先につま先を置いた彼の体はククッととぐろに沈む、
二人は互いを足場にして、互いを宙に大きく蹴り出す。
ワームの馬力と自らの脚力によって撃ちだされた黒い弾丸。
それが宙で銀色の獣を撃ち抜いた。
「せいやあああぁあぁあああっ!!」
「がおっ?!」
いかなシルバの剛脚も、蹴るべき足場が不安定ではその力を発揮しきれない。
エスクードの蹴りがシルバの腕より先にその喉に刺さる。
二人はそのまま加速して、クレーターの中にもう一つの小さなクレーターをこさえる。
「おおおおっ。」
だがそれでもなおシルバの目の光は衰えを見せない。
エスクードを見上げ喉に足を埋めながらも、
その脚をがっしり両手で掴むシルバ。
(掴んだ。このまま握りつぶして!)
「いいのですか?」
(?・・・何が。)
掴まれれば力を受け流す術はない。
掴みと咬みつきだけは彼の技術では防げない。
だというのにエスクードの顔は冷静だ。
片目を閉じて笑顔でシルバを見下ろしている。
「その手でこんなものを掴んでていいのかと聞いています。」
「はっ?!」
見上げた空、其処に魔方陣が何重にも展開されている。
それはエスクードがチェルヴィを連れて脱出するために使用した、
対象を大きく弾き飛ばすジャンプ用のそれの強化版だ。
その中心には既に一つの砲弾がセットされている。
空中でエスクードを蹴り出すと共に、
ロープに走り勢いをつけるプロレスラーの様に、
魔方陣へと突撃しその反発の力を自身に溜め込んでいくチェルヴィ。
同時に体表の黒が頭部へと集中していく。
それはエスクードが弾丸なら差し詰め黒い砲弾と言えた。
「いくよ おっちゃん! もういちど・・・」
エスクードを掠るように飛来し、
シルバのノーガードの額に思いきり頭突きするチェルヴィ。
「あたまでしょ〜ぶだ!!」
エスクードの作ったクレーターが、二回りはその半径を広げ大地を揺らす。
圧力で固められた地面が、更なる高圧に沈下してエスクードは一瞬浮く。
シルバの体は飛来物が突き刺さった衝撃で脚が完全に天を向いている。
二人は素早く飛び退くと、大きく肩で息を吐いた。
「かち〜〜〜、ふふふ、おっちゃんのあたまもカチカチだけど、
にーづまチェルヴィのあいのちからのまえで・・・あれ?
なんのしょうぶだったっけ・・・おじさん?」
「知りませんよ。取りあえずチェルヴィの勝ちでいいでしょう。」
「だよね〜〜。ふたりのアイのしょうり・・・うふ・・・ウフフフフ♥」
これが言いたかっただけとばかりにご満悦のチェルヴィだった。
だがエスクードの消耗は大きい、まともな攻撃は一発ももらっていないが、
この場で一番消耗しているのが彼だ。
この戦いは言わばヘビー級のボクサー相手に、
フェザー級の選手が全ての攻撃をカウンターで決めつづけ、
相手からの攻撃は一発も貰わないという類の代物だ。
無論ゴングもラウンドガールもいない。
終わりの見えない集中劇、こんな疲れる戦い方を自分のスタイルとする。
エウネリオスの事をエスクードは改めて尊敬していた。
勇者と言えど、慣れぬ戦型での極限の集中による消耗は致し方ない事と言えた。
もっともスタミナお化けのワームである、チェルヴィはまだまだ元気だったが・・・
(恐らく・・・今の一撃が、今の我々に出せる最高の一撃・・・
効いててくれ・・・これが効いてなければ・・・もう。)
彼は固唾を飲んで祈る様に目の前の二本足を見守る。
ピクリ・・・だが目の前の足の指が痙攣し大地を踏みしめんと折り曲げられる。
其処に掴むべきものが無いと自覚すると、今度は膝が折り曲げられていく。
ダイナマイトを破裂させた様な音と共に、地面からシルバの上半身が腕の力で掘り起こされ。
曲げた脚によってくるりと半回転、二人の前に立ちはだかる。
だが、全くの無傷とは流石にいかなかったらしい。
鼻と口からは血が垂れ、その脚はぐらりと多々良を踏む。
だが踏み止まる。倒れずにブルブルと体を震わせると、
その全身から音と言う衝撃が放たれる。
ッオオオオオオオォツッ!!
傷ついた野獣の咆哮、憤怒の怒声、その怒りは深く深く、
不甲斐ないおのれ自身に向けられていた。
「おらは・・・帝国最強の将、ゴルドの弟だ。
その名に恥じぬおどこになるだめぇ!
こんな事で・・・この程度で・・・
倒れるなど できねぇ!! 」
己自身に向けられた檄、
振動と共に己が体を奮い立たせんと吐き出される渾身の叫び。
その剛声に吹き飛ばされそうに目を細めるエスクード。
彼はそんなシルバを前に大きくため息をついた。
「・・・呆れたタフネスだ。でも・・・良かった。やはり効いていたみたいだな。
待ってたんだその雄叫びを・・・軽く立ち上がられちゃ聞けなかっただろう。
その全てを込めた咆哮が、吐き出されるこの時を・・・」
シルバには彼の喋っている言葉の意味はもう理解出来ていなかった。
だが関係無い、己の中に流れる破壊衝動、
本能に従って目の前の全てを粉砕するまでだ。
シルバは踏み込んだ。今までで一番鋭い踏み込み。
その一撃を、エスクードは咄嗟に弧を描くシールドを空中に展開し、
その腕の軌道をシールドに沿わせて逸らす。
その一撃こそ外れたものの、そのまま背後に回り込むとその背中はがら空きだ。
外しようが無い距離、シルバは追撃すべくもう一方の足で強引に方向転換しようとした
だが、その足は衝撃を殺しきれず彼は膝をついた。
(???・・・ぐぅ。)
体が重い。四肢の反応が鈍い。
次第に内側から響く声が彼にも聞こえてくる。
まるで灼熱で炙られているような苦悶の声が・・・
苦しい 苦しい 苦しい 苦しい 苦しい くるっ!!
掻きむしる様なそれは澱の様に溜まり続け身体中から響く。
それの正体に彼が気づいた時は、既に手遅れだった。
(息が・・・で・・・)
吐き出すことは出来る。だが、吸う事によって肺に満たされるであろう清涼が、
彼からは一切合切全て奪われていた。喉を掴み、肺を掻きむしる。
その段階になって彼は気づく、自分に薄皮の様に纏わりつく物がある事に・・・
手と体が触れる箇所の感触がくにゃりと柔らかな事に。
彼はそれが苦しみの原因だと気付き、引きちぎろうとした。
噛み千切ろうとした。力の限り暴れまわった。
だが・・・それはまるで薄いゴムの様に伸びて広がりどうしようもない。
シルバは芋虫の様にじたばたともがき続けるが・・・
やがてその動きを止めた。彼の意識は完全に断たれたのだ。
それは本来、外界からの酸素供給をシャットダウンし、
火事などの災害を防ぐ目的で作られた結界術式だ。
それに薄くて伸縮する特性を加え、
叫び終えた直後のシルバを覆う。
エスクードの最後の一手はそれだった。
全てのものには作用と反作用がある。
シルバがその馬鹿力を振るう以上、
彼の肉体は己が力を振るう際に、返ってくるであろう負荷に耐えうる。
故にエスクードには判っていたのだ。
今の自分達に、そんな彼を物理的にノックダウンする術が無いという事を・・・
鍛えればただの人間でも数分の潜水が可能だ。
まして半神のシルバ、
息を止めてどれだけ動き続けられるかは未知数。
だがもし、息を吐き出しきったその瞬間、
それを狙って敵の呼吸を阻害できれば、
半分人で有る以上はシルバとて無事では済まない。
彼は其処に全てを掛けた。
シルバの攻撃を凌ぎきれるかも、
彼に憤怒の雄叫びを上げさせるだけ追いつめられるかも、
無酸素攻撃が通るかも、全ては仮定に仮定を重ねた博打。
地獄にて蜘蛛の糸を手繰るが如き道程であった。
だが、彼は勝利した。
シルバにもし風魔法の初歩的な素養があれば、
膜のうちに一呼吸でも酸素を生み出せていれば結果は真逆であったろう。
もし彼に切断系の攻撃方法が存在していれば、
その薄ゴムの様な結界を切ることが出来たかもしれない。
だがそのどれも彼には出来なかった。
一芸に特化し己が土俵でなら格上とも渡り合う、
だがそれ故の脆さを突かれ、シルバは格下に敗北を喫したのだ。
「馬鹿な・・・」
「将軍が・・・」
ギーガーとロルシドは茫然と立ちすくんでいた。
助けに入らなければという、
当たり前の判断すらすぐには出来ぬほどに・・・
そして倒れた敗者を見下ろすエスクード、
彼はゆっくりとその隣に近寄り、
その体に触れた。最悪暴れて一発貰うか腕の一つも握りつぶされる。
そんな覚悟もしていたが、シルバはしっかりと気絶していた。
彼はその背中、心臓の裏側に腕を置いた。
呼吸が無ければ彼は生きられない、
ならば心臓を彼の結界で覆い、血の流れを止めれば殺せる。
動けない今だからこそ出来る。彼に可能な唯一の殺害方法。
エスクードは一瞬躊躇う様に目を細める。
だが、意を決するとシルバの背中に手を這わせ心音を探る。
(・・・さようなら。)
心の中で十字を切り、彼は一つの命を刈り取る。
「メェッ!!!」
刈り取られたのは彼の頭の方であった。
背後からぶっとい鞭の様なものが彼をぶん殴った。
エスクードは砂利の味を噛み締める。
「痛いです。チェルヴィ。」
「なんで?! しんじゃうよ。ダメだよ。
おっちゃんしんじゃう。ぜったいダメダメだよ!!」
プンすかと怒りながら、グッすんと涙ぐみながら、
チェルヴィはもう一回バシンとエスクードの頬を張った。
今度はそこまで強くなかった。
止めるための一撃ではなく、抗議を現すための一撃だったから、
頭の良くない彼女なりに、
大好きなおじさんをぶって抗議の意の大きさを伝えたのだ。
「チェルヴィ・・・彼はいずれ目を覚まします。
次やれば・・・私達は絶対勝てないでしょう。」
「だから?」
「此処で彼を殺さねば貴方を助けられません。」
「たのんでないもん!!」
「ええ、私の勝手で此処まで来ました。
だから・・・私の勝手で彼を殺すのです。
貴方が気に病む必要は・・・」
「おじさんのアンポンタン!!」
ガーッとチェルヴィが吠える。
気に病むに決まっている。気に病む必要はない。
などと誰かが嘯く時は、気に病むと判ってて慰めているだけだ。
だからエスクードも言い返せないでいる。
「おじさんはつののおっちゃんがきらい?
つのがはえてるから おめめがしろいから すっごくつおいから。」
「いえ、彼に含むところは何も有りません。」
「チェルヴィはね。おっちゃんのことすき!
つのがはえててもはえてなくてもすき。
もちろんおじさんだって、チェルヴィみたいにつのはえてないし、
うろこだってないし、あしだったわかれてるけど、
でもだいすき。なんかいいってもたりないくらいすき!!」
角だとか鱗だとか脚だとか、
みょうちくりんなジェスチャーを交えつつ、
チェルヴィは必死に何かを訴えかけてくる。
「ええ、わたしも同じです。チェルヴィの事が大好きです。
姿かたちや種族何て関係無く、貴方の事が愛しくてたまりません。」
「そうだよ、かんけいないんだよ。おんなじなんだよ。だからぜったいにだめなの!!」
「同じ・・・」
「おっちゃんいってた。おにいちゃんのためにまけらんないって、
おっちゃんはかぞくおもいのいいやつだよ。チェルヴィといっしょ。
おじさんといっしょ、そんなおっちゃんがしんだら・・・
おっちゃんのパパとママとおにいちゃんがシクシクなんだよ!!
なんのためにおじさんはもじもじといっしょなの?!」
「・・・それは・・・それは。」
エスクードは口を引き結ぶ。
まとまりないチェルヴィの問いかけが、
彼の内側のささくれを引っ掻いていく。
「パパがいってた、ときにはけんかもあるかもしれない。
かったほうがわがままをとおす。
そのためにちからなんてもんはあるんだって・・・
おじさんとチェルヴィがかったんだよ。
なのにチェルヴィおっちゃんをころすなんてやだ〜。」
(ふむ、勝ったのに望まぬ選択を強いられているか・・・
確かにな、このお嬢ちゃん、阿呆だが結構鋭いぞ。)
それまで沈黙を保っていたウェンズが割って入る様に声を響かせた。
「でしょ〜もじもじ、にたいいちだよおじさん。」
ハイッ ハイッと二本の腕を上げて勝ってるアピールするチェルヴィ。
「ウェンズ、もしこれが個人的な任務なら私だって・・・
ですが、今はチェルヴィの命が掛かっています。私の最愛の人の命が。」
(だが相手が望んでおらん。夫婦になったのにそりゃお前さんの我儘というものだろう。)
「我儘で結構です。それでも私は彼女を守る方を優先します。」
「ううう〜〜〜♥」
嬉しいのと反論しなきゃの狭間で揺れるチェルヴィ、
尻尾はブンブン歓喜を叫ぶが顔は赤面しながら怒ろうと歪んでいる。
(守るとは何だ。守るべきは彼女の体だけか? そうじゃないだろう。
お前が守るべきは彼女の屈託のない笑顔のはずだ。)
「そうだよ、おっちゃんがしんだらチェルヴィいっぱいいっぱいないちゃう。」
(それに敵がこいつだけとは限らん、こいつを殺しても助かる保障もなければ、
こいつを生かしても脱出できない保障もないのだ。だったら・・・
こんなくだらん夫婦漫才している暇を逃げる時に変えるべきでは?)
「うん! それがいいよ いこうおじさん。」
ぐいぐいと必死にエスクードを引っ張ろうとするチェルヴィ。
エスクードの足は最初引きずられながらも、
しかし、次第にまわり、軽く駆け始めた。
「まったく・・・どうなっても知りませんよ。」
「いいよ、チェルヴィおじさんといっしょなら、
メーカイだってきっとワクワク。」
本当にそうかもしれない。などと下らぬことを考え、
エスクードは何時の間にか笑っていた。
(ほんとうに・・・まったく・・・)
チェルヴィの背に飛び乗ったエスクードの前に、
ショックから覚めたギーガーとロルシドが立ちはだかる。
「行かせるかよ。」
「二人掛かりで。」
「こっちも二人掛かり、このまま押しとおる。」
だが4つの影が交差する前に、
天から声が降ってきた。
「その必要はない。」
彼らは皆頭上を見上げる。
其処には何時の間にか虹が掛かっており、
声の主が時空の狭間から姿を現した。
「きれ〜〜。きんぴかのおっちゃんだ。」
「あ・・・ああ・・・」
「ゴルド・・・将軍・・・」
「ゴルド・・・この男が・・・帝国最強の・・・将。」
チェルヴィを除いたその場の全員が、
登場した金の三日月角と金髪の男を前に顔面蒼白になっていた。
彼らにとってその男は正に死神だった。
男は浮遊したまま倒れたシルバの袂に立って見下ろす。
「敗れたか・・・どこまでも愚弟よな。」
「チェルヴィ!!」
「はーい。」
背を向けた男に対し、ジャンプ魔方陣の加速とチェルヴィの怪力で、
彼らは持てる最速のスピードでその場を離脱した。
「言ったはずだ。その必要はないと・・・」
振り返りもせず、彼の角が閃光を放つ。
すると凄まじい物理エネルギーを秘めたはずの二人が、
慣性も何も無視したようにピタリと中空に縫い留められる。
「くっ。」
「ありゃ・・・んしょんしょ・・・うごけないねおじさん。」
何をされたかすら判らない、文字通り次元が違う。
その事をエスクードは思い知る。
シルバでさえ本来は万が一の勝機を拾った相手、
ましてそれより上のゴルドは、今の彼らにとって遥か怪物だ。
「貴様たちはもう、何処にも行く必要はない。」
くるりと向き直ると、男はすっと腕を動かし謎の金縛りを解除した。
落下するも、蛇に睨まれた蛙も同然のエスクードは、
どこか覚悟を決めた顔で笑った。
「チェルヴィ、やっぱり貴方は正しかった。
彼を殺しても結果は変わりませんでした。
私はもう少しで、私が最も憎む者と同じ物になるところでした。
貴方と出会えて本当に良かったです。」
「えへへ、もっとホメホメしてもいいよ。」
二人の前に仁王立ちするゴルド。
その怜悧な瞳は、絶対の死を予感させるに十分だった。
だが、その不遜な口が紡ぎ出した言葉、
それは男達の予想を色んな意味で裏切るものであった。
「その程度の力で落とし仔のみならず、将まで退けるか・・・
見事だ勇者よ。逃げ切りだ・・・もう我らは貴様たちを追わぬ。」
「な?!」
「もういっていいの? おっちゃんのおにーちゃん。」
殺気を放っていないとはいえ、
怖いもの知らずのチェルヴィがぐっとゴルドに顔を近づける。
「おっちゃんの・・・おにーちゃん・・・だと?」
「うん、つののおっちゃん!」
ビシッとシルバを指さすチェルヴィ。
そのドヤ顔でシルバを指さすチェルヴィと、
倒れ伏して伸びているシルバの間をゴルドの視線が何回か往復する。
「おっちゃん・・・か。
願わくば・・・貴様のその在り様。
死ぬまで貫いて欲しいものだな。」
ただ一度、チェルヴィの頭に手を置くと、ゴルドは視線でギーガーとロルシドに合図を送る。
そしてシルバの体を肩に担ぐと、彼の眼前にはカーテンの様にオーロラめいた光の膜が現れる。
その向う側の景色はポジとネガが反転しているが、
此処ではない何処かに繋がっているようだった。ゴルドを先頭に彼らがその光を潜ると、
それはすぐに消滅しその場には戦いの余波と二人だけが残された。
「は・・・ははは・・・・・・は・・・はぁ〜〜〜〜〜。」
色んな物を は というイントネーションに載せて肩から息を吐くエスクード。
「ね! ね! やっぱおっちゃんはいいひとだもん、
おっちゃんのおにーちゃんもいいひとだよお。」
それ見た事かと胸をプルンと逸らすチェルヴィ。
「帰ろうか・・・みんな待ってる。」
「うん! パパとママにはやくあいたいなあ。」
「でもその前に・・・一休みさせてくれ。」
「いっしょにおひるね? さんせ〜〜い。」
その頭上を数羽、小鳥が鳴きながら飛び去った。
だだっ広く吹き飛ばされた巨大なクレーターの中で、
彼らは久しぶりに陽の光を浴びた様に大きな伸びをしていた。
汚れるのも厭わず。大地に背を預けて高い空を見上げる。
※※※
何処までも黒く、冷たく、深く・・・
寄る辺なく揺蕩うその感覚、それには覚えが少しあった。
かつて兄弟やある男と空の果てを越え、
星を飛び出した先にあった感触。
絶対真空の世界にいた時の感覚に酷くそれは似ていた。
(此処は・・・)
経験から見回すだけ無意味と思い、
まず己が体を確かめる。
左腕が無い、肘から先の部位がすっぽりと無くなっている。
残った右手を頭や体に這わせると、
胸にぽっかりと空いた穴も見つかった。
しばしの逡巡、男は次第に混沌の澱から記憶の欠片を拾いで紡ぐ。
そうして己が何者で、意識が途絶えるまでの記憶を取り戻した。
「また・・・負けたのか・・・僕は。」
−−−−−−−−−−−
噴きだし満ちて行く闇を前に、
殿を務めたツァイトは間髪入れずに時を止めた。
自分の役目は時間を稼ぐことだ。
例えそれが一分一秒、刹那や那由他の果ての切れ端であっても、
これを彼女達から遠ざけておくのが、今の自分の役目である。
そう彼は理解していた。
だから本来であれば時間を止めるのは、
その役目から外れた行為であると言える。
それでも彼は時間を止めた。こちらの力は嫌と言う程見せてしまった。
少しでも敵の性質や正体を見極めねば、時間一つ稼ぐこともままなるまい。
だから彼はまずその黒煙の様な闇の性質を掴むために時間を止めた。
彼の危惧に反し、その闇は時の流れと共に動きを止めた。
最悪、時間の静止する効かない可能性を考えていたからだ。
時間を止めれば、その物体に物理的な破壊は出来なくなる。
だが、位置をずらしたり触れて解析するくらいの干渉は可能であった。
だから、彼は温度の判らぬ湯船に手を入れるような用心さで、
その墨色の強大な影に手を触れようとした。
ゆらり 純白の彼の腕に黒いものが滲んだ。
(?!)
その意味を理解する前に彼の腕は闇に絡め獲られた。
オレイカルコス製の彼の篭手、
物理的にも魔法的にも高い耐性を誇る。
彼の体内にそんなものは無きが如しと黒が浸食していく。
左腕を飲まれたその瞬間、彼は己が死を垣間見た。
そして死の寸前の人間が走馬灯を見る様に、
一瞬で様々な事を理解した。
この黒いもの、これはいわば触手だ。
不定形の神だとは聞いていたが、
この部屋を満たす、此れ全てが奴なのだ。
そしてそれは質量を持った物質ですらない。
まるで染み入る様に自身の外殻を抜けて侵入し、
更に彼の器ではなく、魂そのものを舐める様に観察し、
喰らおうとしているかのようであった。
その反応は苛烈かつ劇的であった。
時の静止を解除し、自身の時を一瞬で加速すると、
身を引きながら捕えられた左腕をパージした。
さながら沸騰したやかんにうっかり触ってしまった時の反射のように。
落下した腕はその影に食われ、地面に落下した音すら立てることは無かった。
「フェイント・・・容赦ないなあ。」
実力では自分の方が圧倒的に優位、だというのに初手から力押しではなくからめ手。
動けるのに動けないように見せかけて、蝶が網に掛かるのを蜘蛛の様に待ったのだ。
其処には戦いを楽しむだとか手心を加えるだとかいう。
人間らしい感情の欠如が垣間見える。ただただ合理的に事をすすめる冷徹。
身を引いた瞬間、その頭部付近の深奥で何かが光る。
(何か来る?!)
紫電の様な閃きを前に、彼はドレスを纏い時という概念を固体とし、
眼前に固定。幾層にも連なる不朽不滅の盾として配する。
(僕の最大防御、永劫無盾=ノイウンシュテルプリヒ。)
そして彼がその意識で最後に見たものは、
赤星の様なその眼が細められ、紫の閃光が連なる時諸共に自分を貫き飛ばし、
その先で逃げたはずのデルエラが、その美しい顔を引き結ぶ所だった。
−−−−−−−−−−−
完膚無き敗北、一瞬の抗いも許さぬ試合運びだった。
それにしてもと彼は改めて考える。
(あの黒い闇は自分の時間の静止を無力化した。
それは即ち、あれはドレスを纏っているということだ。
不定形の高速で移動可能な体とドレス、何と相性の良い組み合わせであろう。
あの神は自分の体を物理的には干渉不可能な、闇という概念に変換しているのだ。
だからオレイカルコスの堅牢な防御もあれの前では意味を為さない。
おそらく概念に干渉出来るクラスの力が無ければ、触れる事さえ叶うまい。
先代からちらりと聞いたが、その気になればあれはこの星を覆う程にあの闇を拡充可能らしい。
それではまるで生きた異界そのものではないか。まったく馬鹿げたスケールの相手だ。
もっともそんな来訪者達を相手に、一歩も引かなかった先代ら天界の神々も、
やはり今の自分には届かぬ遥か頂きの存在なのだろう。
そんな神々と肩を並べる相手に勝とうとしていたなんて、
母上はやはり本気であの方を殺すつもりはなかったのだろうな。
そして先代もそれを見抜いていた。)
闇の中で思考に埋没していたツァイトだったが、
ふと気づいた。やられた自分が何故こうして動けるのか、
その神に石化させられた者は、永劫に苦しみだけを味わい続ける。
などという噂を聞いたことはあるが、その状態と今の自分の状態はかけ離れている。
その問いに対する考察を始める前に、今まで静謐を守っていた闇が口をきいた。
「起きたか。」
「・・・君か。此処は何処だい? 冥界ではなさそうだけど。」
何時の間にか振り向くと、其処にはデュケルハイトが立っていた。
気づくと地面の様なものが出来て、彼も立つことが出来ている。
「答える気はない。質問はこちらがする。」
「・・・捕虜か、新鮮な体験だね。
いいよ、どうせ喋って困るような事は知らないし。
好きに質問するといい、僕は負けたのだからね。
でも一つだけ答えて欲しい。
デルエラさんやミアちゃん達はどうなったんだい?」
その質問に対し、デュケルハイトは軽く目を閉じて息を吐く。
「・・・その問いは・・・こちらの質問に貴様が応えたら教えよう。
貴様は何故ここに来た。魔王の娘と貴様らは殺し合いをした仲のはずだろう。
だというのに、貴様は死地に飛び込み、我が父を前にしても一歩も引かなかった。
魔王と主神が和解したことは聞いている。
だが、貴様の献身は軍事的な同盟というだけでは説明できん域だ。
答えてもらうぞ。何故貴様は此処に来たのだ。」
その問いに対し、ツァイトはしばし黙って右手は顎に当てて首をかしげる。
「何で・・・か。答えてもいいけど、
君達に納得してもらえるかは判らないよ?」
「構わん。それを判断するのはこちら側だ。」
「それなら・・・あれは大戦後、僕らが星界より帰還した後の話だ。
僕は魔王城の門を再び叩いた。母上の命令ではなく、僕自身の意志で・・・」
※※※
「久しぶりだね。といっても僕にしてみれば、
まだ1年くらいしか経っていない感覚何だけどね。
君達からは数年ぶりって事になるのかな。」
僕の眼前には以前戦った事のある二人の女性の姿があった。
黒い甲殻と鎌をもった黒いマンティスと、
白毛に黒い縞を走らせ、美しい銀の瞳をした人虎だ。
「正確には7年3か月と10日、3時間51分ぶりだな。」
「いやいやいやカリマ、いらないからそういうの。
どんだけ几帳面何だよ。ストーカーとかしそうだよなお前。」
「・・・どういう意味だイザク、説明を要求する。」
「お前さんは真面目だなあってことだよ。
それにしても今更何のようだ。
菓子折りでも持って謝りに来たのかい?」
「・・・」
僕はポンと手を打つと時間を止めた。
「どうぞ。つまらないものですが。」
「いやいやいや、あんたそれ今城下町で急いで買ってきただろ。」
「その包みはトリコロミールか。安易だな。」
「・・・・・・ごめんなさい。すいません。来世からやり直してきます。」
「いやいやいや、プルプルしつつ引っ込めなくていいから。
私達が悪かったから。な! トリコロミールのスイーツは鉄板だもんな!」
「・・・存外打たれ弱い奴・・・からかうのもこの辺にしておくか。」
「も・・・弄ばれた。」
「で、マジに謝りに来ただけなのか?」
「うん、特にミアちゃんにはちゃんと謝りたかったからね。
許してもらえなくてもいいし、罰せられるならそれも良いと思って来たんだ。
今、僕たちはやることなくなっちゃったからね。
やるべきことを色々考えてたら、取りあえずこれかなって・・・」
「私は一向に構わん。貴様はミア様方の命を狙う仕事だった。
私達はそれを阻む仕事だった。私達は失敗して命を落とした。
それ以上でもそれ以下でもない。私の中ではそう結論が出ている事だ。
だから謝罪は無用だが、したいというなら受け取っておこう。」
そう言うと、彼女は片腕を廻すように一閃させた。
僕の買ってきた菓子折りの梱包が、
パラリパラリと花びらの様に開いていき、
包みにも切れ込みが入っていたので、
彼女は手を伸ばしてその中身を舌の上で躍らせた。
「むう・・・新作か・・・チョイスは悪くない。」
「似合わないけど甘味大好きだよなお前。」
「・・・どういう意味だイザク、説明を要求する。」
「お前さんは洋菓子が霞むほど可憐だなあって事だよ。」
「イザクさんも・・・カリマさんと同じ意見?」
僕の問いに対してイザクさんは尻尾をゆらりと波打たせる。
そして腕を組むと片目を閉じながら顎を引いてこっちを見上げる。
「いや、私はカリマ程は任務だからって割り切れないかな。
どんな事情であれ、ミア様の命を狙った事は許せないし、
お前の兄弟達はもっと多くの命を奪ってるわけだしな。
生き返れたのは結果論で、その行為自体はやっぱり許されざるものだと思うよ。」
「だろうね。どうする? 殴ったり叩いたり、したいならご自由にどうぞ。
始めからそのつもりで来たわけだし、君の気が済むまで僕を罰すると良い。」
「よせやい、あんたを叩くのは2度と御免だよ、爪も肉球も痛んじまう。
それにね、行為を許すつもりはないけど、
だからと言ってあんたを罰するつもりもないんだ。」
「どうして?」
「私も武芸者の端くれとして、日々己の心技体を磨き、
それを活かす場として護衛何てやってる。
でも突き詰めちまえば、私の修めてる拳も元は殺すための技術だ。
殺されぬよう殺す技だ。先人から受け継いで来たこれは、
昔多くの血を吸い、血を流して連綿と織られてきたものだ。
だが今は違う、相手と命のやり取りをせずとも、
己の磨いた技を、体を、存在を掛けて互いを確かめ高め合う事が出来る。
生きることも同じだ。生きるってことはそれだけで多くの他の命を奪う行為。
特に人と魔物はそれが宿命の関係だった。だから互いに多くを奪い合った。
先代魔王様の頃から生きてる様な古株は、
聞くことも憚られる様な所業をした者達ばかりだろう。
そんな方々を、この奪わずに生きられる。
新しい時代を謳歌する私達世代の生まれが、
非道だのどうこう言うのは何かずるいだろう?
私がお前を罰したくない理由もそれに由来する。」
「・・・僕は。どうすれば。」
「自分で考えなよ。私にだってこれが正解かは解んないんだ。
お前達主神や教団の者達はまだ、
私達を敵としてそれから奪わねば生きれない。
そういう世界を生きているのだろう?
なら、私はお前達の所業をどうこう言うつもりもない。
それが許されるのは、古い世界を生きてきて此処に至った者達だけだ。
私はそう考える。だから許さないが罰することもしないんだ。
でも、お前が罰を願うなら、ミア様を少しでも笑させてやってくれ。
楽しい思いにさせてやってくれ、私が望むのはそれだけだよ。」
そう言うと、彼女は菓子折りの中から包みを摘まみ、
器用にピリピリと裂いて中の菓子を口に放り込んだ。
そしてこれ以上話すことは無い。
もう行けと言わんばかりに、顎を奥に振って視線を外した。
僕は促されるままに先へと進み、また見覚えのある人影に出会った。
この人に対する僕の感情も複雑だ。僕の生まれた理由はこの人とその家族を殺す事。
だが結局それは失敗に終わった。僕らは負けてこの人に命を救われ、また逆に救いもした。
「よう、よく来たな。ツァイト、途中でいぢめられなかったか?」
「・・・いえ、僕らがしたことを思えば、
皆さん優しすぎて逆に居たたまれません。」
「だろうなあ。まあ各々が此処数年で考えて自分で決めた事だし。
俺もあいつも何も言ってないからな、
どんな反応であれ、それをどう受け止めるかはお前次第だ。」
「ええ、おかげ様で暇な身の上ですし、考える時間はたっぷり有りますので。
僕らは今、存在意義の無くなったただのガラクタですし。」
そんな僕を見て、あの人はポリポリと頭を掻いていたが、
軽くうなずくと僕の肩を抱いて歩き始めた。
「よっし、暇してるなら丁度いい、ミアに会ってやってくれ。
どうせそのために来たんだろう?」
「え・・・ええまあ、本気で殺そうとしておいて虫の良い話ではありますが。
自分のすべき事を考えて、この城の皆さんへの謝罪くらいしか思いつきませんでした。
もっとも、僕が手を掛けていない者については、僕からの謝罪は逆に失礼にあたる。
そう考えて、今のところは護衛の御二方にしか会っていませんが。」
「うん・・・戦いでの言動とか、あの星海の果てで真っ先に助けてくれた事といい。
必要と感じたらすぐに謝りに来れる素直さといい、
うん、おじさん君の事気に入ったよ。ツンデレを否定はしないけど、
謝る立場ならやっぱり素直にごめんなさい。まずはこれが言えないとな。
これが出来んばかりに拗れる話の多い事多い事・・・おお着いたぞ。」
何か部屋のドアに護符を張った鎖やら、ルーンの結界やらが張られた部屋だ。
知らぬものが見れば、余程やばい代物が封印してあると勘違い必至の様相だ。
「ああ・・・これな。あいつ勉強は出来んくせに妙に器用でな。
空間魔法の応用で壁抜けしたり、結構複雑な魔術回路を利用したパズル錠も破ったり。
その度に仕掛けが増えたり新しくなっていってな、物々しいことこの上ないだろ。
とてもこの城の御姫様の部屋じゃないよな。」
「ですねえ、そう言えば僕と会った時も、脱走してフラフラしてました。」
「そうらしいな。何というかあれだ。宿題や勉強しないためなら、
それより遥かに難易度高い謎を解いちまうんだあいつ。
勉強したら負けかなと思ってるってのは本人の弁だ。」
「あはは・・・立派なレディにお育ちのようで。」
「暇ならお目付け役を兼ねた友達としてあいつと付き合って欲しいんよ。」
「・・・本人が了承するでしょうか? 彼女に取って僕は恐怖の対象でしか・・・」
「実を言うとその通りだ。あいつは悪夢を見てその度にうなされて寝小便をする癖があってな。
あ、これ俺が言ったって絶対あいつに言うなよ。
で女房は夢魔の女王だしこっそり覗いてみたんだが、
お前達が皆やミアの奴を襲うっていう内容なわけだ。起きれば本人は忘れちまってるが、
恐怖があいつの中に刻み込まれちまってるのは確かだな。」
「・・・やっぱり、僕は彼女に会わない方がいいのでしょうか?」
「いいや、逆だ。怖さとか苦手意識何てものはな。
半分は知らないとか判らないって事から来てるもんだ。
一緒にいて互いの事を解り合えば、あいつの心に染み着いた恐怖も和らぐだろう。
お前は結構いい奴だし、ミアもくせはあるが可愛い俺の娘だ。きっと上手くいくさ。」
それでも僕にはまだ戸惑いの気持ちがあった。
何故この人はこんなにも楽天的でいられるのだろう。
僕が行くことによって、より症状が悪化するなどとは考えないのだろうか?
「ですが。」
「ですがもヘチマもねえ。時の神のお前に言うのも何だが、
過去に身を苛むのも未来に怯えるのも馬鹿のやる事だ。
過ぎた事は過ぎた事だし、未来何て何時だって白紙何だぜ?」
「・・・・・・そうでしょうか。僕は・・・」
煮え切らぬ僕が扉を開ける前に、
その扉は中から音をたてぬようゆっくりと開かれた。
其処には膝を立てて魔術錠相手に、
空中に小さな魔方陣やマジックキーを浮かせている。
そんなミアちゃんのガッツボーズがあった。
彼女の流石ワタシ、エライ、カワイイ、マーベラス!!
と言わんばかりのドヤ顔は、僕と彼女の父親の顔を見た途端、
南極物語とタイトルをつけて額縁に入れたいくらいに蒼白になった。
十秒程の流れる静止した時間の中で、
彼女はくるりと回れ右すると部屋に引きこもろうとした。
だが物凄い速さで僕の隣から延びた腕が、
彼女の頭を鷲掴みにすると締め付ける。
「難関魔法大学院、その実技レベルで使うコードだなそれは・・・
お父さんに言ってごらん。ミア、そんなものを何処で覚えたのかなあ〜〜〜。」
「イダダダダダアァァアッァア、割れるのです。砕けるのです。」
「ダイジョ〜〜ブ、パパもうミアへの手加減についてはだいぶ慣れたから。」
「ロープなのです。タップなのです。ハウスなのです。」
「此処は俺んちだ。残念だったなミア。ハケ! ハクンダ!!」
「ううう、あの子に言ってお父様の蔵書の中から持ってきて貰ったのです。」
「図書館の方じゃなくてか・・・しまったそっちはノーマークだった。
貰いもんも多いし蔵書の管理は部下に任せちまってるからなあ。
そういや片っ端から使えそうな戦闘用の魔法を覚えようと、
世界中からそっち系の本を取り寄せまくったこともあったっけか。」
「あ・・・あの、そろそろ離してあげてわ。」
見てるこっちが痛そうになってきて僕は口を挟んだ。
「おお、救いの神現る。何処の何方か存じませんが。
このDVオヤジにもっと言ってやってほしいのですね。
娘は叩いたり閉じ込めるのではなく、
もっと自由にのびのびと育てるべきだと。」
「娘の中でもフリーダム度はだいぶ上位だぞお前。
彼氏出来たら絶対勉強なんぞせんのだから、
せめてそれまでは最低限の事はしとけ。」
「毎日毎日、試行錯誤と学びの連続なのですね。」
「だれが盗賊のスキルを磨けと言った。
もはやこの城に潜入出来るクラスの勇者より、
脱走したお前を捉える方が骨だと警備が嘆いてたぞ。」
「フフフ、ミアは此処の警備の甘さを指摘してあげてるのです。
そう、これは必要悪という奴なのですね・・・ん?
お前どっかで見た事あるのです。
何処だったか・・・股がムズムズするのですね。」
やっとこっちを真面目に観たのか、ミアちゃんは僕の頭をじっくりと見回す。
「ああ! お前は!! あの時の殺し屋?!」
「やあ、久しぶり、随分と大きくなったね。本当にごめん。
あの時は命令とはいえ君を殺そうとした。
こんな謝罪で罪が購えるとは思わない。僕を君の好きに罰してくれていい。」
「ん? 好きに・・・・・・ハッ?!」
彼女の顔が良い事を考えたぞ! と言わんばかりに輝いた。
特に根拠は無いが僕は嫌な予感しかしなかった。
「その・・・お父様。」
「何だミア?」
「ミア、この人と結婚を前提に御付き合いしたいのです。」
「「えっ?!」」
異口同音に発せられた驚愕の言葉。
しかしミアは僕の頭で顔を父親に隠しつつ、
目力を込めて僕にアイコンタクトを送ってきた。
(黙ってこっちに合わせやがるです!!)
僕は少し顎を引いてばれない程度に同意した。
「確かにこの方とは色々ありました。
ですが、ミアはこの方に救われもしたのです。
この方がいなかったら、ミアは・・・ミアは・・・
二度と表を歩けない程の辱しめを味わう所でした。
そういう意味ではこの方は正に白馬の騎士様。
ミアが勉強に身が入らないのも、脱走に躍起になるのも、
全てはこの方に会いたいという。魔物心の為せる業なのです。
それに・・・この方一緒にトイレに行って・・・
ミア、とっても・・・気持ちよくって・・・逝きかけたのです。」
「・・・・・・・・・・・・ほう。」
今度は僕の頭が歪んだ。
ズリズリと僕を引いていき角を曲がると僕を向き直らせた。
其処には神も悪魔もぶっちぎりそうな存在が居た。
「俺の記憶が確かなら・・・お前が依然来た時のミアは・・・
だいぶその・・・幼い容姿だったはずだな。」
「え・・・ええ、たいへん小さくて可愛かったと記憶してます。」
「そうだよなあ。今のあの子も可愛いけど、あの頃のあいつも超キュートだった。
さてそれはそれとして、そんなあの子をトイレに連れ込んで何をしたのか、
おじさんにちょっと教えてくれると、戦争の火種を回避できるかもしれないんだが・・・」
真実を話すべきか、彼女との約束を取るべきか。
それが問題だ・・・僕は・・・阿修羅すら凌駕する一家の大黒柱相手に・・・
迫害された聖人以上の苦難の道を歩くことを決めた。
城がだいぶ揺れたり壊れたりしたけど、
城の皆はあんま気にしてない様子だった。
また魔王様が夫と口論でもしたのかしら、
などとみんなもっぱらそんな事を言っていた。
昨晩近所の家が五月蠅かったのよ奥様。
そんなノリで井戸端りつつ、皆テキパキと慣れたように片付けと修復をしていた。
色んな意味で彼女達には勝てないと思った。
何で後であんなこと言ったのか彼女に問いかけたところ、
彼氏出来たら勉強しなくても正当化される。
などと言う猿知恵だったとのことだった。
それを聞いて僕は一生彼女には勝てないなと思った。
※※※
「待て、そのグダグダはまだ続くのか?」
「・・・長かった? もうちょい掻い摘むべきだったかな。
でもどこまで話せば納得してもらえるか検討もつかなくてね。
事細かに全部言うしかないかなって思ったんだ。」
話の途中だったがデュケルハイトが焦れたのか、
こちらに口を挟んできた。
「もういい、聞きたい事だけ聞こう。
ミアとはあのリリムだな。あいつは偽りとはいえ、
自分を殺そうとした相手と即座につき合うという。
理解しがたいメンタリティだ。それについてはどう思っているか聞いたか?」
「勿論、赤の他人にそんな事行き成り頼まないだろうし。
面識があるとは言え、何で僕の事をそう簡単に受け入れてくれたのか、
聞いて見たんだ。憎んだり怖かったりしないのかってね。
そうしたら彼女はちょっとこっちを馬鹿にした様に言ったんだ。」
何言ってるです。お姉さま達の夫の半分くらいは、
お姉さま方を狙って来た勇者とかなのです。
立派なレディは、命狙われたくらいで一々根に持ったりしないものなのです。
「・・・底抜けの阿呆なのか、命を軽視してるようにも感じられるが。」
「たぶん前者だね、人の命に関しては特に重く見てる事は君も知ってるだろう。
同じ状況でも下を向いて泥を見るか、上を向いて星を見るかは人それぞれだけど、
彼女達の多くは常にその眼に星しか映さないんだ。
争いが起きた時、必ず双方に溜まる恨みつらみや復讐心、
そういったものに無頓着と言うか何というか・・・
それはある意味で盲目的で愚かだけれど、僕には好ましいものに映るよ。」
「甘いな。吐き気がするくらいに甘い。」
「かもね。でも僕は楽しいよ。彼女と一緒にいると退屈はしないかな。」
「堕落だ、仮にも闘神の名を冠する男が・・・」
「でもその名にはもう何の意味も無い。
殺すべき相手とは和解して、闘うべき相手がいなくなった。
元々戦いが好きでもないし、僕には何もなくなってしまった。
でも最近、彼女と一緒に色々馬鹿やったり、
買い物に付き合わされて世界を巡る内に考えが変わったんだ。
無いなら見つければいい、無いという事は自由と同義だって。
だから今は、贖罪を兼ねて彼女とその何かを探し中なのさ。
僕が彼女の為に体を張ったのは、今の僕にとっては彼女はその何かへの標だから。
きっと僕は彼女を失ったら、自分ではそれに辿りつけない。
直観に近いけどそう感じているから何だよ。」
「馬鹿げている。理解不能だ。論理性の欠片も無い。」
辛辣に冷たい言葉を重ねてくるデュケルハイト。
だが、彼と話していて僕は気づいた。
「まあね、理屈で納得してもらおうとは最初から思っていない。
でも本当にまったく理解出来ないかい。」
「どういう意味だ?」
「僕は君の親である神と少しだが対峙した、だから判る、君とあれは全く違うものだ。
あれはまるで、底無しの深淵そのもので理解の取っ掛かりも何もない。
永劫に解り合う事が出来なそうな異物だと感じた。
けれど君達兄弟は、本当にあの闇の子らかと疑いたくなるほどに・・・」
言い切る前に、デュケルハイトは僕に迫り吊り上げた。
「・・・愚弄するか。」
「そんなつもりは微塵もないよ。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
という言葉を言った哲学者がいたらしいね。
深淵を不用意に覗き続けていると、段々そちらに魂を引きずられ、
終には自身が深淵と同じものになってしまうから気を付けよう。
そういう言葉なんだそうだ。
この言葉は観測し理解するという事は、
取りも直さず相手の一部を己に取り込むということ。
大なり小なり個人差はあるんだろうけどさ、
まったく影響を受けずには居られないってことなんだと思うよ。
じゃあさ、覗き込まれて覗き返した深淵はどうなんだろうね?」
「下らぬ問答に付き合うつもりはない。質問するのはこちらだと言ったはずだ。」
{熱く・・・なりすぎだ。}
「・・・申し訳ありません。父上。」
暗闇そのものが震えて音を出した。そう僕には感じられた。
反響なのか何なのか、音の出どころはようとして知れない。
今までどこに潜んで居たのか、沈黙を守っていたそれが喉を震わせた。
(というか・・・喋れたんだ。)
どうでもいいことを心の中で思いながら、
僕は周囲を見回した。すると暗幕に切れ込みが入る様に、
闇に一筋の光が差した。薄い光のはずだが、
漆黒の中にいた身にとっては瞼を焦がす程に眩しく感じた。
もっとも僕には眼球何てないわけだけど。
光は闇を裂くと楕円形を形成した、そちらが出口なのだろう。
「・・・話は済んだ。帰っていい。
デルエラもミアもとっくに解放済みだ。
お前が最後だ。さっさと失せるがいい。」
「え?!」
意外と言えば意外な言葉に僕は固まる。
てっきりあの逆貌の闇に魂を取って食われるか、
石化してあの神殿を飾る風景の一部になると思っていたから。
本当に何を考えてるか理解出来ないが、
僕は言葉に甘えて懐かしい陽の光を浴びる事にした。
あの空間はあいつの腹の中そのものだったのだろうか。
光を抜けると、其処は神殿だった。
15/07/07 00:17更新 / 430
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