連載小説
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希望(きぼう)
感じるもの それは熱さと冷たさ。

体の芯は熱さを生み、ジンと熱を体中に伝えているが、
その熱は濡れた皮膚を通して外へと流れていく。それが冷たさ。

けれど体の後ろ側、地面に接している側とは反対、前には奇妙な暖かさがある。
その温もりを求めるように自然に体が反応して動く。

 んん

何かの音と柔らかい風が耳朶をくすぐる。

少しずつ五感の感覚が戻ってくる。
体という輪郭が自分のそれとして感じられ、
それと同時にその輪郭からいくつもの情報が脳へと送られているのに気づく。

服は脱げており体は地べたに寝転がされている。
だが背中の下にあるのは冷たい土ではなく落ち葉だ。
川のせせらぎが聞こえることと、
肌で感じる湿気が現在地を川の近くであることを教えてくれる。

閉じた瞼には太陽光が刺す様に虹色の光を投げかけている。
襲撃された時はすでに太陽が下りかけていた事と気絶の時間を考えると、
襲撃されてから一夜明けた朝ということであろうか?

情報を統合するとどうやら自分は生きているらしい。
いまだ体の反応は鈍いが、自身の意思でしっかり体は動くし痛みも感じる。

ただそうすると解らない事がある。
自分の前面に感じる柔らかい温もりは一体なんであろうか?

照りつける日光の眩しさに目を眩ませつつ、彼は目を開けた。

「んお! 起きただか?」

少女? 文字通り濡れ羽色の黒髪をしたおかっぱ少女が間近で彼を見つめていた。
くりくりとした目と縦長に切れた瞳孔、
それになにより奇異なのは肌の色が緑がかっている点であろうか。
着ている物も彼が見たことも無い素材で出来ている。
だがその姿を彼は知っていた。つい最近、とある書物で読んだ通りのいでたちである。

ほとんど裸同然の格好で、正面から少女に抱きすくめられていると判り、
彼はあわてて飛び起きようとした。しかし体が付いて来ず試みは失敗に終わる。

「駄目だべ、まんだ安静にしてねえとぉ。」
「君が、助けてくれたのか?」
「だっぺ、気絶したまま川に流されてたかんねぇ、
だどももう一人の人はもう死んでたっぺよ。」
「・・・そいつを殺したのは僕だ。
命を狙われて返り討ちにしたつもりだったんだけどね。
最後の最後でしてやられたらしい。」
「ってえことはあの刀はあんたんかあ、おさむれぇさんか?」
「・・・ああ、三男坊だけどね。そういう君は河童だよね?」
「んだぁ、この河川辺りを根城にしてる一族のもんだよ。
あんたの命を助けたんも一族のありがてぇ秘薬のおかげだっぺよ。」

正信はそう言われ、正拳によって折れたはずの骨がもう痛まないのに気づいた。
寝て起きたらもう骨折が完治か、成る程、ありがてぇもんだ。

「重ね重ねありがとう。君は命の恩人だ。」
「いんやぁ、照れるっぺよぉ〜。
それにおらのこと妖怪だって知って毛嫌れぇしねし、
こりゃいいもん拾ったっぺよ。おらの御婿さんになってくれねえべか?
おさむれぇさんの婿さん手に入れたらおら鼻が高いっぺよ。」

青い顔を薄いピンク色に上気させ、瑞々しく柔らかい肌をよりくっつけてくる河童。
体温を下げぬため仕方ないと言い聞かせてきたが、
流石にこれはいかんと正信も身の危険を感じ始める。

「そ・・・その、恩人に対してこういうことを言うのは心苦しいんだけど、
僕にはもう心に決めた人がいるんだ。片思いだけどね。
だから君の御婿さんにはなれない。ごめんなさい。」

それを聞いて見る見るしょんぼりする河童。

だが彼女の肌は濡れていた、濡れた河童は好色である。
今は自分の体調をおもんばかって自重しているに過ぎない。
あまり刺激しすぎると襲われかねない。
正信は図鑑の知識からそう判断し、彼女の前に別の餌をぶら下げることにした。

「だからといって命の恩人に対し何もしないのは士道に悖(もと)る。
僕には兄が二人いてね、一つ上の兄はまだ特定の相手がいない。
兄上に君の事を紹介するよ。おおらかな人だし、あの人も妖怪だからといって、
どうこう言ったりはしないだろうから大丈夫。」

「・・・御両親にも紹介してくんなきゃいやだっぺ。」
「・・・解った。事の経緯を話せば理解してくれるはずだよ。
父上は日頃から恩義には誠意を持って報いよが口癖だし、
母上は、君に紹介する兄上の親だけあって負けず劣らずおおらかだから・・・」
「んじゃ、服が乾いたら早速おめぇんちさ行くべ。」
「場所は判るかい? 山の上に城が建っている町なんだけれど」
「ああ、あそこけぇ、大丈夫。
おめえさ乗せてもこっからなら一日泳ぎ通せばつくっぺよ」

(馬より断然早いな、それにしても一人乗せたまま一日泳ぎ通しとは・・・
何とも凄まじい体力。兄上、貴方をとんでもないケダモノに献上してしまったかも知れません。
どうか末永く御幸せに・・・化けて出ぬようお願いします。)

心の中で勝手に兄を手を合わせる正信。


※※※


正信は河童の助けにより城下に帰って来ることが出来た。
実家に帰り、母を呼び、一緒に持ってきた振袖を人間化した河童に着せてもらい。
実家に案内して約束の通り両親に命の恩人として紹介した。

両親の反応は大方予想通りでのものだった。

「この度は愚息を助けて頂き感謝の言葉も無い。
うちの次男、正義(まさよし)を紹介するよしだが、私は一向にかまわん。
明日本人が丁度帰ってくる。都合が悪くなければ今夜は泊まっていきなさい。」
「あらあら、私の若い頃のものだけど、よくお似合いだわあ。
うふふ、それにしても河童の方々との親戚付き合いってどうするのかしらあ。」

「こんなきれえなおべべまで貸して頂いてもうしわけねです。
おら、妖怪なんで心配してたども、そんな風に言って貰って感激だべ。」

畳に額をごりごりしつつ低頭して畏まる河童。
正信は彼女に対しフォローを入れる。

「言ったろ。うちは武家とはいえ由緒正しき大大名ってわけじゃないから。
妖怪に対してもそんな忌避する感情は持ってないって。
まあ長男の正嗣(まさつぐ)兄さんがもう結婚して跡取りを生んでるってもの大きいけど。」
「由緒正しくない家系で悪かったの・・・どうせわしの稼ぎは少ないわい。
それで正信、お前はこれからどうする? 親戚辺りのところに転がり込んで身を隠すか?」

正信の父、正孝(まさたか)は一転、和やかな顔を引き締めて正信に問うた。
「今城に戻るのは危険、それは重々承知なのですが、
何時までも隠れているわけには参りません。定国様にも危険が迫っているかもしれません。」
「・・・相判った。想像以上にこの藩は危うい状態にある様子。
我らに出来ることは少ないが、無事でもどれよ正信。」
「はい。」

正信は河童の少女を両親に預け、単身顔を隠して城へと向かった。
そして正信は城に駕籠が着いているのを見た。
駕籠は身分の高い女性が乗る乗り物である。

(この藩に来る者で駕籠に乗る者?・・・・・・まずいっ!!)


※※※


「鼠が入り込んだとの報告、一体何者かと思うてみれば。」
「御紺様が来ていらっしゃるのでしょう? 其処を通してください。」

かってを知り尽くした城の警備を掻い潜り、時には見張りを気絶させながら正信は定国を探した。
そして当りをつけた場所を警護する一人の男が彼の前に立ちはだかっていた。

「相討ちになったとの報告であったが、
どのような手段を使ったか知らぬがぴんぴんしておるではないか。」
「落ちた川に住んでいた河童に助けられましてね。此処までの移動も彼女に運んでもらいました。」

武太夫はそれを聞き軽く笑う。
「よくよく妖怪と縁のある男よな。まあ生きておって何より、だが此処は通せぬ。
それにしても駕籠を見ただけでこちらの手をすぐに察するその洞察、
やはり斬り捨てるには惜しい、投降し速やかに縛につかれよ。」

それを聞いて問答は無意味と察した正信は刀を抜く。
潜入した折に城の中に置いてあるものを拝借したものだ。
武太夫もそんな正信を見て心の中で苦笑する。
(言われてすごすご引き下がるたまなら単身此処まで来ぬわな。)

正眼に構える正信と刀も抜かず構えも取らない武太夫。
じりじりと間合いを詰めて行く正信に、変わらず微動だにしない武太夫。
互いに構えていれば一挙手一投足の間合い。そこより少し手前で正信はその足を止める。
両者の間にぴりぴりとした静寂が渦巻いて廊下の空気を張り詰めたものにする。

「どうした。通るのではないのか? それとも報告にあった幻術を使っても良いぞ。
もっとも川に落ちたのなら懐の葉っぱなどもう使えまいが・・・」
静かに武太夫が声を廊下に響かせる。
だが正信はピクリとも動かずにただひたすらにその場を動かない。否、動けないのだ。
正信の頭の中で幾たびも撃ち込んでいるのに、それが相手に決まる絵が見えない。
代わりに自分が転がされ、打たれ、極められる。そんな流ればかりが彼の頭によぎる。
正信は少し浅く呼吸を吐きながら額に汗を浮かべていた。

(あの刺客の男の時でさえこんなことは・・・せめて八百乃さんの葉がまだあれば・・・)
(ほう・・・打ってこぬか・・・才の持ち主とは聞いていたが、なるほどなるほど。)

正信の勘は正しかった。
武太夫は正信の流派の免許皆伝をたまわっており、彼の攻め手を熟知していた。
今の正信がどのような攻めを行おうと、武太夫を捉えることは適わない。
それだけ二人の間には差が横たわっていた。

武太夫はそれを明確に把握していたが、
正信はそれを生まれ持った勘のようなもので何となく察してた。
自分より強者に会った際、生き延びるためにそれは何より必要な資質であり。
武太夫は剣の腕ではまるで及ばずも、天に愛された目の前の男を認めていた。

両者動かぬままただ徒に時だけが流れてゆく、このままではいけない。
このまま睨み合っていれば他の者達も此処に来るかも知れない。
そんな焦燥が正信を苛むが、だからと言って仕掛けることも出来ない。
睨み合う、ただそれだけで正信はじりじりと己が削られていっているのを感じた。

(・・・もう開放してやるか・・・)
武太夫はこれ以上は無意味、そう感じて自ら場の均衡を崩した。
無造作に、刀と無手というにはあまりにも無造作に正信に近づく。
それを見て正信の脳内に様々な命令が浮んでは否定される。

来る! 何で? 近っ?! 

 斬る? 
 引く? 
 逃げる? 
 組む?
 投げる?
 蹴る?
 穿つ?
 噛み付く?  顔っ?! 眼前?! 

永遠とも思える思考の迷路、現実では刹那の一幕。
だがその刹那の忘我を見逃す武太夫ではなかった。
正信の間合い、その淵を軽々と踏み越え間合いを詰めた武太夫。
もう刀の切先と武太夫までの距離は一尺(約30cm)も無い。

(此処から振り上げたのでは遅い。突きも点攻撃で当たり難い。ならばっ!)
刀の切先が鋭く動いてまっすぐに武太夫の鼻先に迫る。

(突き? いや、この動きには殺気がのっておらぬ・・・)
切先それ自体には目もくれず武太夫は刃先をするりとかわす。

前進すると共に刀が垂直に立ち上がっていく。
正信の刀の柄が立ち上がり、アッパー気味に打ち上げられた。
突きと見せかけた柄による全体重を載せた強打。
突きをかわして迫る武太夫の顎を狙い放たれた一撃。
これは流派の定石にはない動き、正信のオリジナルだ。

だがそれすらも武太夫には読まれていた。
下からすっと上げられた片手が添えるように正信の肘を押し上げる。
その微妙な軌道修正で正信の攻撃は、刃先を天井に突きたてられ強引に止められてしまう。
上段のように両手を挙げきった正信、
がら空きの正面で息さえかかろうという距離まで詰めた武太夫。
打ち放題、武太夫の放った当身は寸分違わず正信の急所に吸い込まれ。
正信の意識を無残に刈り取った。倒れ付す正信。

其処にちょうど城内を見回っていた部下二人が通りかかった。
「やや?! 曲者にござるか、さすが武太夫様。すでに賊を捕らえておったとは。
こやつは・・・正信! 生きていたのでございますね。如何致しましょう?」
「さて、どのような沙汰を下すかは五郎左衛門様しだいだ。
取引材料の一つくらいにはなるだろう。とりあえず縛って下の階にでも転がしておけ。
定国様と五郎左衛門様の話が済み次第報告いたす。
御主らは賊が捕まったことを皆に知らせよ。」
「ははっ。」

一礼し、気絶した正信を掴まった宇宙人のように引きずっていく部下達。
それを見送った後、武太夫は軽く嘆息した。

(今日の話し合いでとりあえず決着はつく。
定国様が説得すればあの妖怪もこちらの軍門に下らざるを得まい。
益の無い争いもこれで終わる。この藩は五郎左衛門が支配する。
何も変らぬ・・・今までと・・・何も。)

その顔は勝利者のものなどでは決してなく。何処か落胆の色すら浮かべていた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!

?! 悲鳴、内容までは解らなかったが女性の悲鳴が武太夫の耳を突いた。
場所は彼の後ろ、廊下の先にある定国様と五郎左衛門が交渉している場だ。
あの場にいる女性など一人しかおらん。御紺様の身に何かが起きた?
武太夫は五郎左衛門に斬られた御紺を想像し、その顔を歪ませる。
いったいどれだけの血を流せばよい。あの男は最低だ・・・それに従うしかない自分も・・・

憂鬱な面持ちのまま、武太夫は駆けて室内に飛び込んでいった。
だが、彼の眼前に展開されていた光景は、彼の予想を悪い方に大きく裏切っていた。


※※※


食事を武太夫が運んで来てから数日、
ようやく体力が普段通りに回復し、以前の調子を取り戻した正信。
今は武太夫に貸してもらった剃刀と鋏で髭と頭の手入れをしていたところである。
さっぱりとし、年齢なりの若々しさを取り戻した正信。牢の中から武太夫に尋ねる。

「定国様が亡くなられ、八百乃さんは仲間に連れられ行方不明、
そして五郎左衛門は御紺様の復讐に倒れたわけですが、今城内はどうなっているのです?」
「どうもなっておらん。日がな結論の出ぬ会議をしてああでもないこうでもないと踊っているだけだ。
数々の横領、さらには主君を斬り捨てた罪を誰かが被らねばならぬ。
だが誰もその役をやろうとするものはおらん。当然だな。死罪は免れぬゆえ。」

「もう御上に泣きつくしか方法はない。そう思いますが。」
「私もそう思う。全てを打ちあけ裁きを受ける。
その上で民草だけは何とか死なぬように計らってもらう。それぐらいしか出来ることはない。
だが、それは五郎左衛門の一派にとっては皆死刑か、
最低でも島流しくらいは覚悟せねばならぬこと。
そのような覚悟、急に括れといって出来るような御仁たちではない。
だからこそ。徒に時を引き伸ばし結論を先送りにすることしか出来ぬのよ。」

「避難民への配給はどうなっております?」
「幸いにも続いている。暴動が起きれば自分達も危ういし、
騒ぎになって御上の目がこちらに向くのを防ぎたい。そんな自己保身からではあるがな。」
「何よりです。ですが、このままでは遠からず食料は・・・」
「ああ、そう長くはもたん。八百乃の伝で来ることになっていたという海外からの支援物資も、
こうなってはどうなることか。それをあてにしていた配給の計画そのものが危うくなってきた。」

「そういえば御紺様はどうされました? 自分と同じように幽閉されているのでしょうか?」
「いや、あの日、五郎左衛門が凶刃に倒れた日、城は上へ下への大騒ぎとなった。
その騒ぎに乗じたのか、凶器の匕首を残し御紺様は姿を消した。
実家にも戻られておらぬようだ。」

「そうですか・・・そういえば武太夫様、家族への連絡の件、真にありがとうございます。」
「御主の生存を弟子を通して家人に伝えておいた件か? 気にするな、
五郎左衛門は八百乃に対する最後の切り札として、
御主を生かして人質にするつもりだったようだが、
八百乃が敗れ、五郎左衛門も亡き今、御主を捕らえておく理由の方がないくらいだ。
上の馬鹿共は御主に全部責任を被せて殺すなどと戯けた事まで考えておったがな。
たかだか白札の勘定方一人にこの事態が起こせるはずもなかろうに・・・」

そう言うと武太夫は傍らに置いてあった書を格子の隙間から正信に渡す。
「これは?」
「殿の付けておった日記よ。内容には私も目を通したがな。中々面白いことが書いてある。
この城でそれを持つのに一番相応しいのは御主だと私は思う。持っていくがよかろう。」
「持って・・・行く?」
「ああ、今御主を逃がす算段を立てておる所よ。あと数日辛抱いたせ、此処から出して進ぜよう。」
「・・・何故?」
「何故・・・か・・・聞いての通り、この藩はもう駄目じゃ。
五郎左衛門の腕として汚れきった私は兎も角、
御主程の才覚があれば何処へなりと行ってもやり直せよう。
ここであたら散らせるには惜しい。そう感じたまでのこと・・・
脱した後のことについて、時間はあるゆえ身の振り方を含め考えておくがよかろう。
希望があれば家人への伝言も伝えよう。食事の際にでも申し付けてくれ。」

それだけ言うと武太夫は座敷牢を後にした。
正信には武太夫のそのけして大きくない背中が、
自分と立ち会った時とは同一人物とは思えぬ程にさらに縮んで見えた。


※※※


きんぴらにしたごぼうの歯応えと胡麻の香りを堪能しつつ、
きすやキントキなど季節の天ぷらをほうばる一人の男。
からりと揚がった衣はサクリと軽く、中身はしっかりと揚げられホクホクしている。
こちらも芳醇な香りを咥内に残して胃袋に消えた。

酒をキュッと飲み干して口内を辛さと酒の味でさっぱりとさせ、
彼は次に艶やかな表面のうどんを箸で数本持ち上げると、
淡い色の汁へとうどんを躍らせた。
付けすぎぬように上方は外へと出したまま頭を下げ、同時に箸を上げる。
ずろろっと音を立てて一気に麺を啜る。
ぴちぴちとしたうどんの食感と小麦の香りが鼻腔を刺激し、
直後に汁の角の立たない出汁のまるい香りが追いかけてきた。
続いて良い漬かり具合のカブラの漬物をぽりんと齧り、
その後あごだしの味噌汁を静かに飲んだ。

目の前の膳と自分、世界にはそれしかないとでも言わんばかりに
男は一心不乱に出された食事を堪能し、食べ終わると満足げに大きく息をついた。

「御見事にござる。季節の食材と一品一品にしっかりと手間をかけた丁寧な仕事。
行き届いた良い食事でござった。」

御代を置きながら男は板前に惜しみない賛辞を送った。
そして足元に置いておいた鬼の面を被り紐を結ぶ。

「ありがとうございます。とはいえ御高くついてしまい申し訳ないです。」
「仕方ないでござるよ。食材の値上がりは天井知らず。
何時もの値段では出せないのは当然でござろう。」
「ええ、うちも何時まで店を営業できるか分からない状態です。」
「早く飢饉の影響も一段落して欲しいものでござるが・・・」
「本当に、ですが仕入れの者に聞いたところ、本当にまずくなるのはこれからだそうで・・・」
「・・・長い冬になりそうでござるな・・・」

物部は店主にまたくると伝え、料亭を後にした。

(さあて、一稼ぎしたところでござるが、
なにやらジパング全域が物不足に喘いでおる様子。
金はある故、外国辺りから食糧を仕入れて穴熊を決め込むのが得策か。
そういえばシュカとかいう刑部狸が本部に寄ってくれれば礼をすると言っておったでござるな。
一つ食料の密輸を依頼するか、
それともしばらくは西の大陸の親魔物領辺りで、
休養と洒落込むのも良いかも知れぬ。)

そんなことをつらつらと考えていた物部に後ろから声が掛かる。

「祓い屋の物部様でしょうか?」
「いかにも、して御仁・・・何用でござろうか?」

物部は振り返ると立っていた、若い武士であろう男に尋ね返した。

「はい、自分は正信と申します。
何者かと問われれば、あなたが戦った刑部狸の同僚だった者です。」
「ほう、あの刑部狸の・・・」
「あなたを探していたのは他でもありません。
八百乃さんの・・・あの刑部狸の行方について何が存じておりませんでしょうか。」
「知ってどうするでござるか?」
「・・・話したいことがあります。いっぱい・・・いっぱい・・・」

正信の沈痛な面持ちを鬼面の中から覗き、
物部は正信が刑部狸に対し好意的な感情を持った人物だと察する。

「事情は判らぬが、拙者これからあの狸達の組合という組織の本部へ行くところでござる。
同道するというなら別に止めはせんでござるよ。」
「!!・・・ありがとうございます。」
「なあに、拙者もあの狸のことは気になっていたでござる。
よければ道すがら色々と聞かせてほしいでござるよ。」
「ええ・・・」

軽装の年若い武士と紅白装束の鬼面の男。
奇妙な二人連れは一路、刑部狸の組合本部を目指し街道を歩きだした。


12/10/01 03:15更新 / 430
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■作者メッセージ
緩やかな崩壊を始めた藩。
野に放たれた一縷の希望。

そして本部へと辿り着いた正信を待っていた者とは・・・

次回、邂逅(かいこう)



ようやくここまできたぞ。
それにしても今回は色々詰め込みすぎたかんがせんでも無い。
一場面にどれくらいの文字数を使って書くかは悩みどころ。

事実だけ伝えられる最低限の描写だけだと寂しい気もするけど、
だからといってこういう繋ぎの部分が無駄に冗長になるのも如何なものか。

まあ、筆ののるままに書くしかねえ、が結論な気もするけど・・・

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