鳴動(めいどう)
「お母様、お母様。」
「どうしたね?」
「どうしてニンゲンは大事にしなくちゃいけないの?」
「ふむ、それはな、我々が生き物としてあまりに大きな欠陥を抱えているからなんじゃよ。」
「ケッカン?」
「男と女がいなければ子孫を残せない。にもかかわらず我々は女しか産めない。
人間がいなければ妖怪は少しずつではあるが衰退していくしかないんじゃ。」
「どうして? どうしてそんなふうになっちゃったの?」
「そんな風になった原因は二人の女性が喧嘩し取るからじゃ。」
「ケンカ? つおいの?」
「つおいともw 母さんなんざ目じゃないくらいつおい。
何せ片方はこの世界の管理者といってもいい存在。
そしてそれに異議を唱えれる存在じゃからな。
強さだけでいったら共に雲上の存在よ。」
「ウンジョウ?」
「と〜〜〜っても遠くにいるってことじゃよ。」
「ふ〜〜ん。」
「それにな、大事にしなくちゃいけないというのは少し違う。」
「チガウ?」
「大事にしなければと思って大事にするのではなく。
何時の間にか大事になっておるものなんじゃよw」
「???」
「まだまだお前さんには難しかったかな。
兎に角、年を経ていずれ異性に惚れれば解る日も来よう。
あの方が世界を変えて以来、我らはそういうふうに生まれ生きるようになった。
それはとても素敵なことなんじゃよ」
「アタシもお母様のこと好きだよぉ。それとはチガウの?」
「ほほw うれしいがやはりそれとは少し違うかの。
まあこれ以上は口で説明しても理解できまい。いずれ自分で知る時が来る。」
------------------------------------
ああ、理解できましたお母様。
何と素晴らしい感情でしょうか。
甘くて 熱くて 暖かくて もどかしくて それらが踊るように胸の中で渦巻いて。
そんないたたまれなさの奔流、それが体を流れ 駆け 至上の喜びが胸を満たす。
このために生まれ、そして生きるというのも納得出来る。
ですが遅かったのです。何もかもが遅すぎたのです。
私が短慮だったばっかりに、そんな短慮だった私を、
妖怪であることを隠していた私を、全てを知りながら傍に置いて下さる。
そう言ってくれたあの方はもういません。
あの方の忠臣であり、同様に私を認めてくださったお爺様も。
息の詰まる小部屋での毎日を彩ってくれた利発で好ましい青少年も。
全て全て、私のせいで失われてしまった。
その価値はどれ程だろう。
この国の野山を満たす程の金塊も 広がる大海を満たす程の宝石も
彼らとそれがもたらしうる未来の価値には値しない。
この胸に空いた穴を埋めるには到底値しない。
この空虚 この痛み この嘆き 何を持って贖えばいい。
どうすれば埋まる? どうすれば満ちる?
血だ 血だ! 血だ!! 浴びるほどの血で喉と腹を満たせ。
この掻き毟るような空虚を満たせ。
私は地獄に落ちるだろう。だが、一人ではない。
自分が何をしたのか。 その意味を万分の一でもよい。
理解させてから私に出来る最高の苦しみを与えて殺してやる。
殺してやるぞ 五郎左衛門!!
※※※
ここは城下町の一画、ヤオノが贔屓にしていた蕎麦屋だ。
そこの軒先で二人の男が会話している。
片方はここの店主のようである。
「おう旦那、ちょっと前にそこでよう。八百乃ちゃんを見たんだよ。」
「最近お勤めが忙しいのかめっきり来なくなっちまったから寂しいな。
どんな様子だったい? 元気にやってたか。」
それを聞いて相手の男は微妙な顔をして言葉を濁す。
「ん? 何かあったのか。」
「いやあよ、俺も八百乃ちゃんには何かと世話んなってるからさ。
軽い気持ちで声を掛けてみたんだけどよ。無視して行っちまったんだよ。」
「そりゃあ忙しかったからじゃねえか? 考え事してておめぇさんに気づかなかっただけだろ。」
「いやいやいや! ありゃあただ事じゃねえよ。
よく見たら幽鬼みてえに青い顔して心此処にあらずって感じでさ、
ブツブツ呟いて城の方に行っちまったんだ。」
蕎麦屋の店主もそれを聞いて深刻そうに腕を組む。
「誰か身内に不幸があったのかもな。此処南海も最近きなくさいしな。」
「でもよう、俺は行商やってるから多少は他の藩にも足を伸ばすがな、
此処は特に治安がいいぜ? 量が十分とはいえねえが、
炊き出ししてくれて食いっぱぐれはないし。
鬼の見廻りが効いてるから城下やその周辺には賊の類も出ない。」
「他の藩はそんなにひでえのかい?」
「全部が全部ってわけじゃねえがな、所によっちゃひでえもんよ。
金が掛かるが、信頼できる筋から護衛をつけてももらわねえと危なくて歩けない。
そんな場所がそこら中にたくさんあるんだぜ?
しかも追いはぎしてるのが食い詰めた藩士中心ってんだから笑えねえ。
藩から支払われる物が支払われてねえ証拠だぜ。どうなってんだか・・・」
「でも一々そんな用心棒雇ってたら儲けがねえだろう。
普段だってそんなに羽振りが良いわけじゃねえだろうし。」
「そうそう、俺んところはだから休業状態。おまんまの食い上げってわけで、
今は炊き出しやって治安も良い此処から動けねえってわけよ。」
「それで昼間っからこんなところうろついてるわけか。」
「酒もがまんしなきゃいけねえし、何とも切ねえ話だぜ。」
男二人が店先で暇そうに管を巻いている。
そんな矢先にそれは起きた。
グゥオオオオオオオォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ
震える大気、音が過ぎ去った後、軒先に吊るした干し柿が揺れ、
店の二階や長屋の立て付けの悪い戸がガタピシと唸っていた。
城下町の中心、城のある小山から突如響く大型の獣の咆哮。
それは町中に響き渡り、人々の目を山に釘付けにした。
「い・・・いってえ、何だってんだ。」
「おっそろしいなあ。臓腑まで凍るような雄叫びだったぜ。」
「・・・だがよう。悲鳴というか泣き声というか、そういう風にも聞こえたぜ。」
「ああん? どういう耳してんだよ。」
「・・・・・・おい・・・」
「ん?」
「動いてねえか?」
「・・・何が?」
「・・・・・・山」
もぞりもぞり、まるで寝起きの動物のように、山のシルエットが微妙に動く。
だが、よく見ると違う。動いているのは山ではない。
山の表面、木々の間を何かが大量に飛び交っているのだ。
それによってまるで虫にたかられた屍骸の様に、
山が身じろぎをしているかの如く見せているのである。
人々が目を凝らし、それが何なのか知ろうとする最中、
山から断続的にパパンッ と乾いた音が響き始める。
それは山中から聞こえる。
「銃声じゃねえか。 あの何かと城の連中がやりあってんのかよ。」
「しかし、あれだけの数、一体何処から沸いてきやがったんだ?」
「知るかよ。しかし山中から同時期に銃声か、
まるで来るって解ってて準備でもしてたような。」
「・・・どうする?」
「どうするって・・・あんな得体の知れないもの相手の戦を見学ってのもな。
なあ、山の方が収まるまで店の中に置いてもらえないか?」
「別にかまわんぜ。茶ぐらいしかだせねえが、ゆっくりしてきなよ。」
※※※
「来たか。」
「どうして? どうしてどうしてどうしてどうして。
どうして邪魔をするの? どいてよ。」
任を終え、他を置き去りに一人馬を飛ばして帰ってきた八百乃。
その眼前には武太夫、そしてその門下を中心とした兵が山間と城に配置されていた。
完全に外敵を迎撃するための様相である。
「ならん。今、五郎左衛門を殺せば、この藩の舵を取るものがいなくなる。
あれは悪だが、今は無能な正義より悪でも有能な者が必要だ。」
「自分で斬ろうとしたくせに。」
「・・・理屈は解らんが、全て知っておるのだな。」
「もう一度だけ言うわ。どけ。」
「これ以上の問答無用。どうしてもというなら押し通れ!」
それを聞くと、ヤオノはふるふると震える。
そしてボウンッ と大きな狸に変じる。
そのサイズは白熊を一回り大きくしたような大きさだ。
シュウーーーーーーーーーッ
大きく息を吸い込んでその身をもう一回り大きくするヤオノ。
「皆の者! 耳をふさげぇい!!」
武太夫が声を上げる。門下の者達は素早く反応しそれに従うが、
それ以外の者は幾人か反応が遅れる。
グゥオオオオオオオォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ
城下まで響き渡る空気の振動、至近でそれをくらい、耳を塞いでいなかった者は倒れた。
死んではいないが、鼓膜は破れしばらくは立ち上がれないであろう。
指示通りにした者も、しばらくふらついて体勢を立て直すのにしばし時をようした。
来るものに覚悟が出来ていた武太夫はいち早く正常に立ち直る。
「来たか。」
周囲の木々、そこになる葉が次々と大型犬サイズの狸に変化していく。
その数は武太夫達からは計れないが凡そ八百匹。
それらがまるで地上を駆ける狼のような速度で枝から枝へと飛んで移動を始める。
猿の機動性と狼のスピード、大型犬の体躯を併せ持った怪物である。
その戦力は一匹一匹が銃で武装した並みの兵を軽く凌駕する。
ましてここは木々に囲まれた山中。兵達の旗色は悪い。
武太夫の門下は的確に弾や刀をその身に当てていくが、大型の猛獣を仕留めるのは容易くない。
一般的に、我々人間に比べ四足の動物は頑強に作られている。
首の骨の太さ、頭蓋骨の厚さ、筋肉や脂肪、そして体を覆う毛皮。
これらによって彼らはまるで鎧を着込んでいるのと同じような防御性能を確保している。
例えば、養豚場で豚を殺す手順として、大の大人がハンマーを使い、
うまいこと脳天を叩いてようやく気絶させられる。
殺すにはそこからさらに長めの刃物で首を斬り、頚動脈から血をださせる必要がある。
熊を撃ち殺すにしても。心臓を撃てば一撃、などと簡単にはいかない。
当てるだけで一苦労だし、仮に当ててもそうそう即死はしてくれない。
スピードと耐久力を兼ね備え、縦横無尽に駆け回るヤオノの分身相手に、
兵達は押されていく、そんな中、獅子奮迅の活躍をする男が一人。
武太夫である。彼は大振りの野太刀を軽々と一閃させ、
噛み付こうとしてきた狸を開いた口から真一文字に両断した。
致命傷を受けた狸は葉っぱに戻される。
ヤオノはそんな武太夫を見て、分身に指令を下す。
正面の一匹を囮に、背後と頭上から同時攻撃を仕掛ける。
しかもそのうちの一匹には幻術をかけ視認不可能にしてある。
だが武太夫はまるで状況を俯瞰して見ているかのように的確に動く。
実際彼には見えていた。猟師から習った周囲と一体になる技により、
彼には周囲数m程の距離ではあるが、部下や狸の位置や挙動が手に取るように解った。
その力の前には幻術による視覚の誤認も効果が無い。
正面の一匹を迎撃せず、その攻撃をミリコンマの値で見切って体を入れ替え。
敵を一方向にまとめると刀を振るい葉を散らしていく。
だがそんな武太夫に対しヤオノは攻撃の手を緩めない。
次々と狸を投入し、武太夫を潰しに掛かる。
だが武太夫は最小かつ的確な動きを繰り返し分身たちの攻撃を捌いていく。
ある時などはわざと腕を差し出し、
手甲付きのそれが噛み砕かれる前に、
飛び掛られた勢いを利用して狸を振り回してもう一方から襲い掛かる狸に叩きつけたり。
事前に張っていた紐を神業的なタイミングで切り落とし、
それによって放たれた矢を狸の口内に撃ちこんで倒したり。
その動きは何時もギリギリでスレスレだ。
何かの拍子に体が引っかかったり足が滑ったり、
そういう何かが起きた瞬間、彼は狸達の牙と爪で裂かれるであろう。
だが止まらない。
演武のように清らかで厳かで、淡々と捌きいなし打ち落とす。
常人を越えた膂力に速度、だがそれは以前ヤオノが戦ったシュカと比べれば
力も速度も大きく劣る。それでもシュカを相手取った時より、遥かに捉えにくい。
動きに無駄が無く、行動の起こり、そのタイミングが絶妙なのだ。
こちらが仕掛ける。必ずその一呼吸前に動き出しピタリとパズルが嵌るように的確な位置取り。
的確な攻防をしている。こちらの動きが読まれているとでもいうのだろうか。
などとヤオノは考えつつも、同時に思っていた。
(関係無い。ならどう動こうが避けようの無い物量で押し切る。)
山中に散らせ、戦わせていた狸を集める。
正直此処以外の場所はもうあらかた制していた。
武太夫を倒さずとも先に行くことは出来るだろう。
だが、ヤオノは五郎左衛門と長くじっくりと話をするつもりであった。
それを誰にも邪魔されたくない。
あれの悲鳴を聴き、許しを請う姿を見た後、それを鼻で笑ってやらねば気がすまない。
だから、此処は完全に制圧せねばならない。
一兵たりとも、追ってくるような者は残さない。
数にモノを言わせた雪崩のように我武者羅な分身の突撃、
その奔流は武太夫を飲み込み引き倒してしまう。
攻撃ではなく、体の自由を奪うために飛び掛りしがみ付く狸達。
一匹 二匹 五匹 最初の一匹が取り付くと後は早い。
一匹とはいえ大型犬サイズのそれ、
体格に優れない武太夫では二匹もいれば相手の方が大きく重い勘定である。
あっという間に体を埋もれさせ動きを止められる武太夫。
そうしてから一気に噛み付き始める狸達。
勝った。次は・・・
ヤオノはそう思い城へと歩を進めるが、
武太夫を覆っていた十匹近い狸が突如としてみな葉っぱに戻される。
「・・・何をしたの?」
「御主が正信にしたのと同じだ。龍に弟子をあてがって見返りに少し力を借りた。」
武太夫は胸の前をはだけると、其処には何やら護符のようなものが張ってある。
「一度だけだがな、自分に触れた者に対し、
龍の雷の威力を激減させたものをみまうことの出来る代物だ。
人相手なら少々痺れさせるのが関の山だがな、
攻撃が噛み付きしかないうぬらには効くであろう?」
「小細工を・・・」
だが先程の攻撃で太刀を手放してしまった武太夫。
勿論取りに行く隙など無いであろう。
どのみちこれで終わり。ヤオノはそう思い狸をけしかける。
その時ヒュッと二つの何かが宙を舞い、
武太夫の両手に一つずつ収まる。
短筒、火縄銃の拳銃版とでも言うべき代物だ。
本来のそれは馬上で用い、火縄に着火する必要もあるため。
拳銃のように懐に備えたり、片手で運用するものではない。
だがすでに着火されて渡されたそれは、
武太夫に手に引き金を引くのみという状態である。
武太夫はそれをほぼゼロ距離から狸の頭部に撃ちはなった。
四足の獣は頑丈。そう先程述べたが、
その頑丈な頭蓋にも当然文字通りの穴というものがある。
口、目、耳。この三つの部位のみ、
骨で守られておらず皮膚から直接脳に攻撃出来る。
だが高速で動く狸達、攻撃を当てるだけで精一杯のそれに対し、
さらにそのようなピンポイント攻撃を行うなど並みの技量では到底かなわない。
しかし武太夫は並みではなかった。
事前に用意した大量の銃と火縄と早合(カートリッジ)、
それを阿吽の呼吸で装填し渡してくれる弟子、
曲芸のように脳を狙い撃って狸達を仕留めていく武太夫と弟子。
削られていく狸達、八百匹いたその数も、だいぶ削られ今は五百程。
その内、なんと二百は武太夫によって倒されている。
それでもまだ五百、鬼人の如しと言われる武太夫の体からも大量の水分が汗として奪われ。
無駄の無い最小の動きとはいえ、繰り返される攻防は彼の筋肉に乳酸を貯め。
代わりにエネルギー源である糖を 脂肪を使い果たし。
自身の筋肉を喰らい稼動している状況である。
その体温はまるで高熱の病に浮かされる病人のそれであり。
とうにオーバーヒートしているといってもよかった。
気力、死力、そういうものを振り絞り彼は死の舞踏を踊り続ける。
その意識はとうに朦朧としており、
ただただその体は染み込んだ武を再現しているだけ、
無我の境地、そんな武太夫の限界を察したヤオノはついに本体である自身で動く。
その前足を振るい、男の太股程ある木を一本薙ぎ倒すヤオノ。
それを銃の受け渡し役の弟子の方へと倒す。
それと同時に両者に向けて狸を数匹放つ。
弟子は武太夫に点火した銃を放りつつも、
倒れてくる木を避け、自身も短筒で迫る狸達を迎撃する。
だが頭上から一気に襲い来る狸達を武太夫のようには捌けない。
一匹倒して残りに引き倒されてしまう。
そして武太夫も銃の補給役が倒され、最初の二匹を銃で倒すも。
残りは狸達をその身のこなしでかわしていくのが精一杯となる。
短筒を鈍器として振るうが、それでは狸達には決定打にならない。
致命傷は避けるものの、しだいに殺到する狸の数は増していく。
そしてそこに満を持して立つヤオノ、
丸太のような前足を薙いで、周りの狸ごと動けぬ武太夫を吹き飛ばす。
とどめの一撃、武太夫は短筒を逆手に持ってそれで腕をガードしていたが、
その圧倒的な力はガードごと武太夫を吹き飛ばし、彼を木にたたきつけた。
倒れ、動きが止まることで、彼の体を動かしていた魔法は解ける。
とうに限界を超えていた体は、もはや彼の意にも、武にも応えてくれることはなかった。
叩きつけられた激痛で、朦朧としていた意識が少し覚醒する武太夫。
彼にしてみれば気づいたら頭上を仰いでいた有様だ。
そんな彼を見下ろすヤオノと彼女の分身達。
勝利の咆哮を上げるヤオノ。
(これが・・・この姿こそがこの者の本性・・・
いや、普段の姿こそが本性で・・・こうしてしまったのは我々か・・・)
「殺せ。」
「・・・・・・」
「どうした? この期に及んで殺しなどしないというつもりか。」
「・・・勝手にしろ・・・」
「・・・は?」
「・・・死にたいならかってに死ね!! 私はお前の死に場所じゃない。
それなりの怪我はしてもらったが、他の皆も死んではいない。見くびるなよ人間・・・」
そう吼えるとヤオノは自身の分身を伴って山を駆け上がっていく。
本丸に居るはずの、仇敵の匂いを追って。
「・・・主君の仇も討てず・・・城を守ることも出来ず・・・
戦って死ぬことも出来ず・・・何が! 何が武士か・・・何が・・・何が!!」
武太夫は泣いた、子供の頃の折檻以来久しぶりに鳴いた。
だが、彼の乾いた体は涙を流すことを許さない。
乾いた慟哭が山林に響き渡る。
「どうしたね?」
「どうしてニンゲンは大事にしなくちゃいけないの?」
「ふむ、それはな、我々が生き物としてあまりに大きな欠陥を抱えているからなんじゃよ。」
「ケッカン?」
「男と女がいなければ子孫を残せない。にもかかわらず我々は女しか産めない。
人間がいなければ妖怪は少しずつではあるが衰退していくしかないんじゃ。」
「どうして? どうしてそんなふうになっちゃったの?」
「そんな風になった原因は二人の女性が喧嘩し取るからじゃ。」
「ケンカ? つおいの?」
「つおいともw 母さんなんざ目じゃないくらいつおい。
何せ片方はこの世界の管理者といってもいい存在。
そしてそれに異議を唱えれる存在じゃからな。
強さだけでいったら共に雲上の存在よ。」
「ウンジョウ?」
「と〜〜〜っても遠くにいるってことじゃよ。」
「ふ〜〜ん。」
「それにな、大事にしなくちゃいけないというのは少し違う。」
「チガウ?」
「大事にしなければと思って大事にするのではなく。
何時の間にか大事になっておるものなんじゃよw」
「???」
「まだまだお前さんには難しかったかな。
兎に角、年を経ていずれ異性に惚れれば解る日も来よう。
あの方が世界を変えて以来、我らはそういうふうに生まれ生きるようになった。
それはとても素敵なことなんじゃよ」
「アタシもお母様のこと好きだよぉ。それとはチガウの?」
「ほほw うれしいがやはりそれとは少し違うかの。
まあこれ以上は口で説明しても理解できまい。いずれ自分で知る時が来る。」
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ああ、理解できましたお母様。
何と素晴らしい感情でしょうか。
甘くて 熱くて 暖かくて もどかしくて それらが踊るように胸の中で渦巻いて。
そんないたたまれなさの奔流、それが体を流れ 駆け 至上の喜びが胸を満たす。
このために生まれ、そして生きるというのも納得出来る。
ですが遅かったのです。何もかもが遅すぎたのです。
私が短慮だったばっかりに、そんな短慮だった私を、
妖怪であることを隠していた私を、全てを知りながら傍に置いて下さる。
そう言ってくれたあの方はもういません。
あの方の忠臣であり、同様に私を認めてくださったお爺様も。
息の詰まる小部屋での毎日を彩ってくれた利発で好ましい青少年も。
全て全て、私のせいで失われてしまった。
その価値はどれ程だろう。
この国の野山を満たす程の金塊も 広がる大海を満たす程の宝石も
彼らとそれがもたらしうる未来の価値には値しない。
この胸に空いた穴を埋めるには到底値しない。
この空虚 この痛み この嘆き 何を持って贖えばいい。
どうすれば埋まる? どうすれば満ちる?
血だ 血だ! 血だ!! 浴びるほどの血で喉と腹を満たせ。
この掻き毟るような空虚を満たせ。
私は地獄に落ちるだろう。だが、一人ではない。
自分が何をしたのか。 その意味を万分の一でもよい。
理解させてから私に出来る最高の苦しみを与えて殺してやる。
殺してやるぞ 五郎左衛門!!
※※※
ここは城下町の一画、ヤオノが贔屓にしていた蕎麦屋だ。
そこの軒先で二人の男が会話している。
片方はここの店主のようである。
「おう旦那、ちょっと前にそこでよう。八百乃ちゃんを見たんだよ。」
「最近お勤めが忙しいのかめっきり来なくなっちまったから寂しいな。
どんな様子だったい? 元気にやってたか。」
それを聞いて相手の男は微妙な顔をして言葉を濁す。
「ん? 何かあったのか。」
「いやあよ、俺も八百乃ちゃんには何かと世話んなってるからさ。
軽い気持ちで声を掛けてみたんだけどよ。無視して行っちまったんだよ。」
「そりゃあ忙しかったからじゃねえか? 考え事してておめぇさんに気づかなかっただけだろ。」
「いやいやいや! ありゃあただ事じゃねえよ。
よく見たら幽鬼みてえに青い顔して心此処にあらずって感じでさ、
ブツブツ呟いて城の方に行っちまったんだ。」
蕎麦屋の店主もそれを聞いて深刻そうに腕を組む。
「誰か身内に不幸があったのかもな。此処南海も最近きなくさいしな。」
「でもよう、俺は行商やってるから多少は他の藩にも足を伸ばすがな、
此処は特に治安がいいぜ? 量が十分とはいえねえが、
炊き出ししてくれて食いっぱぐれはないし。
鬼の見廻りが効いてるから城下やその周辺には賊の類も出ない。」
「他の藩はそんなにひでえのかい?」
「全部が全部ってわけじゃねえがな、所によっちゃひでえもんよ。
金が掛かるが、信頼できる筋から護衛をつけてももらわねえと危なくて歩けない。
そんな場所がそこら中にたくさんあるんだぜ?
しかも追いはぎしてるのが食い詰めた藩士中心ってんだから笑えねえ。
藩から支払われる物が支払われてねえ証拠だぜ。どうなってんだか・・・」
「でも一々そんな用心棒雇ってたら儲けがねえだろう。
普段だってそんなに羽振りが良いわけじゃねえだろうし。」
「そうそう、俺んところはだから休業状態。おまんまの食い上げってわけで、
今は炊き出しやって治安も良い此処から動けねえってわけよ。」
「それで昼間っからこんなところうろついてるわけか。」
「酒もがまんしなきゃいけねえし、何とも切ねえ話だぜ。」
男二人が店先で暇そうに管を巻いている。
そんな矢先にそれは起きた。
グゥオオオオオオオォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ
震える大気、音が過ぎ去った後、軒先に吊るした干し柿が揺れ、
店の二階や長屋の立て付けの悪い戸がガタピシと唸っていた。
城下町の中心、城のある小山から突如響く大型の獣の咆哮。
それは町中に響き渡り、人々の目を山に釘付けにした。
「い・・・いってえ、何だってんだ。」
「おっそろしいなあ。臓腑まで凍るような雄叫びだったぜ。」
「・・・だがよう。悲鳴というか泣き声というか、そういう風にも聞こえたぜ。」
「ああん? どういう耳してんだよ。」
「・・・・・・おい・・・」
「ん?」
「動いてねえか?」
「・・・何が?」
「・・・・・・山」
もぞりもぞり、まるで寝起きの動物のように、山のシルエットが微妙に動く。
だが、よく見ると違う。動いているのは山ではない。
山の表面、木々の間を何かが大量に飛び交っているのだ。
それによってまるで虫にたかられた屍骸の様に、
山が身じろぎをしているかの如く見せているのである。
人々が目を凝らし、それが何なのか知ろうとする最中、
山から断続的にパパンッ と乾いた音が響き始める。
それは山中から聞こえる。
「銃声じゃねえか。 あの何かと城の連中がやりあってんのかよ。」
「しかし、あれだけの数、一体何処から沸いてきやがったんだ?」
「知るかよ。しかし山中から同時期に銃声か、
まるで来るって解ってて準備でもしてたような。」
「・・・どうする?」
「どうするって・・・あんな得体の知れないもの相手の戦を見学ってのもな。
なあ、山の方が収まるまで店の中に置いてもらえないか?」
「別にかまわんぜ。茶ぐらいしかだせねえが、ゆっくりしてきなよ。」
※※※
「来たか。」
「どうして? どうしてどうしてどうしてどうして。
どうして邪魔をするの? どいてよ。」
任を終え、他を置き去りに一人馬を飛ばして帰ってきた八百乃。
その眼前には武太夫、そしてその門下を中心とした兵が山間と城に配置されていた。
完全に外敵を迎撃するための様相である。
「ならん。今、五郎左衛門を殺せば、この藩の舵を取るものがいなくなる。
あれは悪だが、今は無能な正義より悪でも有能な者が必要だ。」
「自分で斬ろうとしたくせに。」
「・・・理屈は解らんが、全て知っておるのだな。」
「もう一度だけ言うわ。どけ。」
「これ以上の問答無用。どうしてもというなら押し通れ!」
それを聞くと、ヤオノはふるふると震える。
そしてボウンッ と大きな狸に変じる。
そのサイズは白熊を一回り大きくしたような大きさだ。
シュウーーーーーーーーーッ
大きく息を吸い込んでその身をもう一回り大きくするヤオノ。
「皆の者! 耳をふさげぇい!!」
武太夫が声を上げる。門下の者達は素早く反応しそれに従うが、
それ以外の者は幾人か反応が遅れる。
グゥオオオオオオオォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ
城下まで響き渡る空気の振動、至近でそれをくらい、耳を塞いでいなかった者は倒れた。
死んではいないが、鼓膜は破れしばらくは立ち上がれないであろう。
指示通りにした者も、しばらくふらついて体勢を立て直すのにしばし時をようした。
来るものに覚悟が出来ていた武太夫はいち早く正常に立ち直る。
「来たか。」
周囲の木々、そこになる葉が次々と大型犬サイズの狸に変化していく。
その数は武太夫達からは計れないが凡そ八百匹。
それらがまるで地上を駆ける狼のような速度で枝から枝へと飛んで移動を始める。
猿の機動性と狼のスピード、大型犬の体躯を併せ持った怪物である。
その戦力は一匹一匹が銃で武装した並みの兵を軽く凌駕する。
ましてここは木々に囲まれた山中。兵達の旗色は悪い。
武太夫の門下は的確に弾や刀をその身に当てていくが、大型の猛獣を仕留めるのは容易くない。
一般的に、我々人間に比べ四足の動物は頑強に作られている。
首の骨の太さ、頭蓋骨の厚さ、筋肉や脂肪、そして体を覆う毛皮。
これらによって彼らはまるで鎧を着込んでいるのと同じような防御性能を確保している。
例えば、養豚場で豚を殺す手順として、大の大人がハンマーを使い、
うまいこと脳天を叩いてようやく気絶させられる。
殺すにはそこからさらに長めの刃物で首を斬り、頚動脈から血をださせる必要がある。
熊を撃ち殺すにしても。心臓を撃てば一撃、などと簡単にはいかない。
当てるだけで一苦労だし、仮に当ててもそうそう即死はしてくれない。
スピードと耐久力を兼ね備え、縦横無尽に駆け回るヤオノの分身相手に、
兵達は押されていく、そんな中、獅子奮迅の活躍をする男が一人。
武太夫である。彼は大振りの野太刀を軽々と一閃させ、
噛み付こうとしてきた狸を開いた口から真一文字に両断した。
致命傷を受けた狸は葉っぱに戻される。
ヤオノはそんな武太夫を見て、分身に指令を下す。
正面の一匹を囮に、背後と頭上から同時攻撃を仕掛ける。
しかもそのうちの一匹には幻術をかけ視認不可能にしてある。
だが武太夫はまるで状況を俯瞰して見ているかのように的確に動く。
実際彼には見えていた。猟師から習った周囲と一体になる技により、
彼には周囲数m程の距離ではあるが、部下や狸の位置や挙動が手に取るように解った。
その力の前には幻術による視覚の誤認も効果が無い。
正面の一匹を迎撃せず、その攻撃をミリコンマの値で見切って体を入れ替え。
敵を一方向にまとめると刀を振るい葉を散らしていく。
だがそんな武太夫に対しヤオノは攻撃の手を緩めない。
次々と狸を投入し、武太夫を潰しに掛かる。
だが武太夫は最小かつ的確な動きを繰り返し分身たちの攻撃を捌いていく。
ある時などはわざと腕を差し出し、
手甲付きのそれが噛み砕かれる前に、
飛び掛られた勢いを利用して狸を振り回してもう一方から襲い掛かる狸に叩きつけたり。
事前に張っていた紐を神業的なタイミングで切り落とし、
それによって放たれた矢を狸の口内に撃ちこんで倒したり。
その動きは何時もギリギリでスレスレだ。
何かの拍子に体が引っかかったり足が滑ったり、
そういう何かが起きた瞬間、彼は狸達の牙と爪で裂かれるであろう。
だが止まらない。
演武のように清らかで厳かで、淡々と捌きいなし打ち落とす。
常人を越えた膂力に速度、だがそれは以前ヤオノが戦ったシュカと比べれば
力も速度も大きく劣る。それでもシュカを相手取った時より、遥かに捉えにくい。
動きに無駄が無く、行動の起こり、そのタイミングが絶妙なのだ。
こちらが仕掛ける。必ずその一呼吸前に動き出しピタリとパズルが嵌るように的確な位置取り。
的確な攻防をしている。こちらの動きが読まれているとでもいうのだろうか。
などとヤオノは考えつつも、同時に思っていた。
(関係無い。ならどう動こうが避けようの無い物量で押し切る。)
山中に散らせ、戦わせていた狸を集める。
正直此処以外の場所はもうあらかた制していた。
武太夫を倒さずとも先に行くことは出来るだろう。
だが、ヤオノは五郎左衛門と長くじっくりと話をするつもりであった。
それを誰にも邪魔されたくない。
あれの悲鳴を聴き、許しを請う姿を見た後、それを鼻で笑ってやらねば気がすまない。
だから、此処は完全に制圧せねばならない。
一兵たりとも、追ってくるような者は残さない。
数にモノを言わせた雪崩のように我武者羅な分身の突撃、
その奔流は武太夫を飲み込み引き倒してしまう。
攻撃ではなく、体の自由を奪うために飛び掛りしがみ付く狸達。
一匹 二匹 五匹 最初の一匹が取り付くと後は早い。
一匹とはいえ大型犬サイズのそれ、
体格に優れない武太夫では二匹もいれば相手の方が大きく重い勘定である。
あっという間に体を埋もれさせ動きを止められる武太夫。
そうしてから一気に噛み付き始める狸達。
勝った。次は・・・
ヤオノはそう思い城へと歩を進めるが、
武太夫を覆っていた十匹近い狸が突如としてみな葉っぱに戻される。
「・・・何をしたの?」
「御主が正信にしたのと同じだ。龍に弟子をあてがって見返りに少し力を借りた。」
武太夫は胸の前をはだけると、其処には何やら護符のようなものが張ってある。
「一度だけだがな、自分に触れた者に対し、
龍の雷の威力を激減させたものをみまうことの出来る代物だ。
人相手なら少々痺れさせるのが関の山だがな、
攻撃が噛み付きしかないうぬらには効くであろう?」
「小細工を・・・」
だが先程の攻撃で太刀を手放してしまった武太夫。
勿論取りに行く隙など無いであろう。
どのみちこれで終わり。ヤオノはそう思い狸をけしかける。
その時ヒュッと二つの何かが宙を舞い、
武太夫の両手に一つずつ収まる。
短筒、火縄銃の拳銃版とでも言うべき代物だ。
本来のそれは馬上で用い、火縄に着火する必要もあるため。
拳銃のように懐に備えたり、片手で運用するものではない。
だがすでに着火されて渡されたそれは、
武太夫に手に引き金を引くのみという状態である。
武太夫はそれをほぼゼロ距離から狸の頭部に撃ちはなった。
四足の獣は頑丈。そう先程述べたが、
その頑丈な頭蓋にも当然文字通りの穴というものがある。
口、目、耳。この三つの部位のみ、
骨で守られておらず皮膚から直接脳に攻撃出来る。
だが高速で動く狸達、攻撃を当てるだけで精一杯のそれに対し、
さらにそのようなピンポイント攻撃を行うなど並みの技量では到底かなわない。
しかし武太夫は並みではなかった。
事前に用意した大量の銃と火縄と早合(カートリッジ)、
それを阿吽の呼吸で装填し渡してくれる弟子、
曲芸のように脳を狙い撃って狸達を仕留めていく武太夫と弟子。
削られていく狸達、八百匹いたその数も、だいぶ削られ今は五百程。
その内、なんと二百は武太夫によって倒されている。
それでもまだ五百、鬼人の如しと言われる武太夫の体からも大量の水分が汗として奪われ。
無駄の無い最小の動きとはいえ、繰り返される攻防は彼の筋肉に乳酸を貯め。
代わりにエネルギー源である糖を 脂肪を使い果たし。
自身の筋肉を喰らい稼動している状況である。
その体温はまるで高熱の病に浮かされる病人のそれであり。
とうにオーバーヒートしているといってもよかった。
気力、死力、そういうものを振り絞り彼は死の舞踏を踊り続ける。
その意識はとうに朦朧としており、
ただただその体は染み込んだ武を再現しているだけ、
無我の境地、そんな武太夫の限界を察したヤオノはついに本体である自身で動く。
その前足を振るい、男の太股程ある木を一本薙ぎ倒すヤオノ。
それを銃の受け渡し役の弟子の方へと倒す。
それと同時に両者に向けて狸を数匹放つ。
弟子は武太夫に点火した銃を放りつつも、
倒れてくる木を避け、自身も短筒で迫る狸達を迎撃する。
だが頭上から一気に襲い来る狸達を武太夫のようには捌けない。
一匹倒して残りに引き倒されてしまう。
そして武太夫も銃の補給役が倒され、最初の二匹を銃で倒すも。
残りは狸達をその身のこなしでかわしていくのが精一杯となる。
短筒を鈍器として振るうが、それでは狸達には決定打にならない。
致命傷は避けるものの、しだいに殺到する狸の数は増していく。
そしてそこに満を持して立つヤオノ、
丸太のような前足を薙いで、周りの狸ごと動けぬ武太夫を吹き飛ばす。
とどめの一撃、武太夫は短筒を逆手に持ってそれで腕をガードしていたが、
その圧倒的な力はガードごと武太夫を吹き飛ばし、彼を木にたたきつけた。
倒れ、動きが止まることで、彼の体を動かしていた魔法は解ける。
とうに限界を超えていた体は、もはや彼の意にも、武にも応えてくれることはなかった。
叩きつけられた激痛で、朦朧としていた意識が少し覚醒する武太夫。
彼にしてみれば気づいたら頭上を仰いでいた有様だ。
そんな彼を見下ろすヤオノと彼女の分身達。
勝利の咆哮を上げるヤオノ。
(これが・・・この姿こそがこの者の本性・・・
いや、普段の姿こそが本性で・・・こうしてしまったのは我々か・・・)
「殺せ。」
「・・・・・・」
「どうした? この期に及んで殺しなどしないというつもりか。」
「・・・勝手にしろ・・・」
「・・・は?」
「・・・死にたいならかってに死ね!! 私はお前の死に場所じゃない。
それなりの怪我はしてもらったが、他の皆も死んではいない。見くびるなよ人間・・・」
そう吼えるとヤオノは自身の分身を伴って山を駆け上がっていく。
本丸に居るはずの、仇敵の匂いを追って。
「・・・主君の仇も討てず・・・城を守ることも出来ず・・・
戦って死ぬことも出来ず・・・何が! 何が武士か・・・何が・・・何が!!」
武太夫は泣いた、子供の頃の折檻以来久しぶりに鳴いた。
だが、彼の乾いた体は涙を流すことを許さない。
乾いた慟哭が山林に響き渡る。
12/08/31 04:59更新 / 430
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