謀略(ぼうりゃく)
「ふーむ、やはり難しいか。」
「はい、残念ながら。」
八百乃の返事を聞いて定国は肩を落とす。
今後の方針について話していたところ。
彼女の仲間の力を借りれないか、という提案に八百乃は首を横に振った。
「組合という組織はありますが、町内の互助会の大きいやつみたいなものでして、
あまり強制力のある組織ではないんです。自由になる人手はそれ程多くありません。
ましてや今は飢饉への対応にみな追われ、てんてこまいな状態だと思います。」
「範囲が範囲じゃからなあ。無理もないか。
てっとりばやい勝ち筋としては、
御主達の仲間に頼み、五郎左衛門を骨抜きにしてもらうことなんじゃがな。」
「正体がばれた以上、向こうもその手は警戒するでしょう。
食べ物も毒見がいますし、無理やりするには周囲の者達が邪魔です。
仮に適任者がいたとしても実行するのは難しいと思います。」
それまで黙って話を聞いていた南龍が声を発する。
「若様、そうなりますとやはり・・・」
「じゃな。いたずらに時間を掛けて後手に回るは避けたい。
肉を切らせて骨を断つ形になるが、御上の手を借りるしかあるまい。」
それを聞いて正信と八百乃は反論する。
「御上にこの件を報せるのですか?
それではこの藩が、ひいては定国様が厳しい責めを負うことに。」
「そうです。事情はどうあれ、
長きに渡る不正とそれを知ってて見逃していたことが知れれば責は重くなります。
それにこの藩は密貿易もしております。
勘定奉行の調べが入ればそちらの件についても追求されましょう。
最悪、改易されて定国様は腹を斬らされます。
そして家は取り潰されこの藩は事実上消滅します。」
それを聞いて定国も頷いて返す。
「確かに、五郎左衛門の一党は勿論、余にも厳しき沙汰があることは事実であろうな。
じゃが、もはや手段を選んでいられる状況でものうなった。
奴らをどうにかせねば、こちらが殺される。そういう状況じゃ。
世継ぎを生むまでは余に手は出せぬが、御主らは別じゃ、
あの男は御主も南龍も、正信も全て殺すじゃろう。
虫の手足をもぐが如くな、そして余を動けぬようにして子を産ませ、
その後は余も殺すであろう。それだけは避けねばならん。」
その言葉を南龍が引き継ぐ。
「とはいえ、今の上様は道理の判る御方です。
きちんと経緯を話せば、改易され領地を一部没収されるくらいで済む可能性が高いです。
ただ、問題はどうやって将軍様のお膝元まで行くかです。
ただ使いを出しただけでは、五郎左衛門に感づかれ消されてしまいましょう。」
南龍がそこまで話したところで八百乃が彼の言葉を手で制する。
そして人差し指を口の前に立ててみなに静かにするように伝える。
しばらくすると、人間の耳にも何者かが近づいてくる足音が聞こえてくる。
その者は五郎左衛門の使いで、
相談したいことがあるのでみな集まって欲しいという内容を彼らに伝えた。
※※※
城内でも比較的広く、みなで集まる時は何時も利用される間に一同が会す。
定国一行と五郎左衛門の一派は何食わぬ顔で互いに定位置に座る。
そして場が整ったと感じたとき、定国は五郎左衛門に問いかけた。
「何やら物々しい雰囲気のようじゃが、何用じゃ五郎左衛門。」
「は、由々しき事態にてお集り頂きました。詳細は武官の武太夫から説明いたします。」
「それでは、結論から申しまして、何者かにこの藩が侵略を受けている気配があります。」
「・・・続けよ。」
「は、現在城下には避難民が大勢集まっていますが、
それは主に経済的に裕福ではない層が多く。
地主などの農豪や稼ぎの良い問屋などはこの限りではありません。
彼らは蓄えを持っていますので、それで今まで通り自分の家に住んでいますが。
そんな領内に点在する蓄えのある者達が何者かに襲撃を受け、
強奪にあっているという報告が上がっています。」
それを聞いた定国は当然の疑問を口にする。
「それは食うに困った者達が強盗に鞍替えしているだけではないのか?」
「勿論、その可能性もあります。ですがこの藩はまだ城下まで来れば食料を受け取れます。
お尋ね者になる危険を冒してまで、強盗を繰り返すのは少々腑に落ちませぬ。」
「侵略、と申したな。つまり強盗の裏に糸を引いてる者がいると考えているのだな?」
「はい、此処南海では食料を中心とした物資の不足がどの藩でも悩みの種です。
勅命により藩同士の争いはご法度ですが、飢えた民が勝手に押し入った。
という建前で行われる略奪なら何とでも言い訳が立ちます。」
「実際に食い詰めた者達を集め、一部の者達に扇動させるなりすれば可能か・・・
して、対策はあるのか? 神出鬼没な連中のようじゃし、潜むための空き家はごまんとある。」
「は、相手の目的がこの藩の物資であるとするならば、
こちらがそれを提供出来ることを示せばこの襲撃も止みましょう。」
「八百乃達が集めているという食料の事か?」
「はい、元々それらは飢えた民を救うためにただで配られる予定の物。
それを取引材料にして貸しをつくり、相手に効率の悪い強奪などやめるように言い含めます。」
武太夫がそこで言葉を切ると、その後を五郎左衛門が継いだ。
「ただ問題もあります。裏で手引きしているのは何処かという点です。
目立たず物資を長距離運ぶのは難しゅうございます。
そういった地理的な観点から申しまして、主犯は東か南のどちらかでしょう。」
「気質を鑑みれば東が臭いが、追い詰められると人間何をしでかすかしれん。
どちらにも使者を派遣せねばならんということか。」
「左様でございます、そうして正式な約定を書状なりで交わすのです。
もちろん、そうした書状に不備がないか、勘定方の二人をそれぞれの城に随伴させます。」
「相分かった。日取りや人員などの細かい差配はお前に任せる。」
「畏まりました。殿。」
話し合いはそこで終わり、その場はそれで解散となった。
しかし定国ら一行は誰に言われるでもなく。その夜再び天守閣に集まっていた。
※※※
「南龍、此度の件、どう考える?」
「十中八九、仕掛けてきたと見て間違いないでしょうな。」
そんな定国と南龍の会話に正信が突っ込む。
「どういう意味でしょうか? 一部の蓄えを持った者達に対する襲撃。
この報告が虚偽であるとお考えでしょうか?」
「そこまでは判らん。五郎左衛門が手引きして行わせたか。
先に他藩の者達が手を出してきたのを幸いに五郎左衛門が乗っかったか。
はたまた報告自体が嘘でそんな事実は存在しないのか。
まあどちらにせよ重要なのは、我らが分断されるということよ。」
「八百乃殿と正信殿はそれぞれ数日、実質一人で旅をせねばなりません。
その間に彼らはあなた方を狙ってくることは間違いないかと。」
「確かに、城内や城下では人目もありますし、中々刺客を差し向けるにしても難しいですね。
逆に此度の道行きでは道中、何時でも襲う機会がありますからねえ。」
「まったく、あれだけやられてまだ懲りてないなんて。呆れてものも言えません。」
「そうじゃな。八百乃に対しては普通のやり方では通じぬと解っておるはず。
それだけに気をつけよ。向こうには武太夫という戦上手もいるからのう。」
「そうですね、私は兎も角、正信一人では心配です。
何らかの手を講じる必要がありますね。」
そういうと八百乃はブツブツと呟きながら思案を始める。
「しかし若様。これは転じて好機かもしれませぬ。
普段であれば、この城から人に知られず出入りするの難しゅうございます。
しかし使者が発つ時に乗じて動けば、気取られる心配も減りましょう。」
南龍の提案を聞いた定国は、考え事をしている八百乃に水を向ける。
「のう、形部狸は人を化かすことが出来るのじゃろう?」
「は・・・はい、確かに我々の種族は変化を得意としますが。」
「それは御主が誰かに成りすますだけではなく、無い物を在る様に見せることも出来るのか?」
「ええ、屋敷を丸々一つあるかのように見せたり、葉っぱを小判と錯覚させるなどが可能です。」
「では逆に、居る者を居ないかのように化かすことも出来るか?」
「え、ええ、例えば先の屋敷の例でいえば、
屋敷の壁から本来そこにある樹木などが生えていたらばれてしまいますから。
そういった在るものを視覚的に消すことは可能です。」
「ふむ・・・ならば決まりじゃな。南龍は八百乃の一団に同行。
術で姿を隠しつつ隙を見て一団から離脱せい、
そして外から中が見えぬ籠などに乗り換えて船へ乗れ。」
「御意。それでは八百乃殿、よろしくお願いしますぞ。」
「解りました。お任せ下さい南龍様。」
※※※
そして、話し合いのあった日から月日が経ち、燐藩への出立を明日に控えたある日の夕刻。
正信は昔通っていた道場にて汗を流させてもらっていた。
ここ最近、彼は城勤めで鈍った体と感覚を鍛えなおしていたのである。
今日は何時もと違い、最後の仕上げとして師に軽く稽古をつけて貰い、
それで鍛錬を締めくくっていた。
彼は師に頭を垂れながら礼を言った。
「ありがとうございます。お世話になりました。」
「また体を動かしたくなったら来るといい、門下の者達にとってもいい刺激よ。
それにしても惜しいのう、御主なら磨けばあの武太夫にすら届くかもしれぬというのに。
やはり時代は学問ということかのう。
まったく、天は二物三物と一人に与えすぎじゃ。もったいないもったいない。」
「恐悦です。ですが自分など全然ですよ。」
「ふん、嫌味にしか聞こえぬわ・・・・・・おっと、迎えが来たようじゃぞ。
待たせては悪い。それではな不肖の弟子よ。」
正信が振り向くと夕日の中、ちょこんとした影が彼に向かって手を振っていた。
正信は自分の体の匂いを嗅いで少々ばつの悪い顔になった。
会えたのはうれしいがせめて風呂に入ってからにして欲しかった。
臭いなどと言われたらそれが事実でも凹んでしまう。
だがそんな彼の杞憂を何処吹く風でヤオノは正信に近づいてきた。
そしてスンスンと鼻を鳴らすと少し顔を赤らめてうっとりとする。
「良い匂い。ふふっw 少しだけど男前が上がったんじゃない?」
「あ・・・汗臭いでしょうに、余り嗅がないでくださいよ。」
「照れない照れない♥ 好みはあるでしょうけど、
基本的に私達にとって汗の匂いは不快なものではないわよ。
だってそうでしょう。行為の最中にだってたくさん汗をかくのに、
人間より鋭い嗅覚を持つ私達がその匂いに不快感を持つんじゃ都合が悪いわ。」
「そりゃそうでしょうけど、あまりじっくり嗅がれるのも恥ずかしいですよ。
それでどうしたんです? 明日のことで何か話でも?」
「ええ、これよ。」
そういってヤオノは懐から三枚の萎れた葉っぱを取り出した。
「これはね、私の妖力を込めてあるありがたい葉っぱよ。
一枚に付き一回、つまり計三回しか使えないけど、
私の妖術の力が少しだけ使えるわ。」
「三枚のお札ですか?」
「ええそうよ。もしまずい相手に襲われたら、これを使って全力でお逃げなさい。」
「勝て、ではないんですね。」
「勝つって何? 刺客の一人や二人、倒したところで状況は変わらないわ。
でもあなたが殺されたり敵の手に落ちる。これは状況が変わるわ。
定国様にとってあなたは自分が考える以上に大きな存在よ。
わたしにとってもね。自分を大事になさい。」
「ありがたく頂戴します八百乃さん、葉っぱも言葉もね。」
「それじゃ正信、この後少しだけ付き合ってもらうわ。
ご飯でも食べながらその葉の使い方や効果について説明するから。」
「先に風呂にしていいですか? 気持ち悪いので。」
「・・・惜しいけど、まあいいわ。」
「え?」
「なんでもないわ。さあ行きましょう。」
道すがら正信はヤオノに話しかける。
「八百乃さん。」
「なあに?」
「もし今回の件が無事終わったらお願いがあります。」
「改まってどうしたの。まさか告白かしら。」
おどけた口調で返すヤオノに対し、正信は少し言葉を濁しながら続ける。
「その・・・し・・・」
「し?」
「し・・・尻尾を・・・もふもふさせて頂ければなあ・・・などと。」
それを聞いたヤオノはしばし目を見開いて顔をそらす正信を見上げていたが、
クスリと苦笑すると周囲に人が居ないのを確認して尻尾を出す。
「そんなことでいいの? だったら別に此処でもいいわよ。」
ふわりふわりと彼の鼻先をぎりぎりで触らぬように尻尾を振る。
それを見て触りたい抱きつきたい押し倒したいなどと欲望を膨らませる正信。
そんな欲望を抑え、必死に震える正信を見てヤオノは少々ドキドキしていた。
(ああ〜なんかこの子、このままずっと待てさせてみたい。
なんか被虐心を煽るところあるわよねえこの子。
・・・いかんいかん、定国様というものがありながら。)
「うれしい申し出ですが、やっぱり終わってからにしましょう。
げんを担ぐではありませんが、先に御褒美をもらってしまったら頑張れなくなりそうですので。」
「そう。」
正信の必死のやせ我慢をヤオノは微笑ましい心持で尊重した。
「はい、残念ながら。」
八百乃の返事を聞いて定国は肩を落とす。
今後の方針について話していたところ。
彼女の仲間の力を借りれないか、という提案に八百乃は首を横に振った。
「組合という組織はありますが、町内の互助会の大きいやつみたいなものでして、
あまり強制力のある組織ではないんです。自由になる人手はそれ程多くありません。
ましてや今は飢饉への対応にみな追われ、てんてこまいな状態だと思います。」
「範囲が範囲じゃからなあ。無理もないか。
てっとりばやい勝ち筋としては、
御主達の仲間に頼み、五郎左衛門を骨抜きにしてもらうことなんじゃがな。」
「正体がばれた以上、向こうもその手は警戒するでしょう。
食べ物も毒見がいますし、無理やりするには周囲の者達が邪魔です。
仮に適任者がいたとしても実行するのは難しいと思います。」
それまで黙って話を聞いていた南龍が声を発する。
「若様、そうなりますとやはり・・・」
「じゃな。いたずらに時間を掛けて後手に回るは避けたい。
肉を切らせて骨を断つ形になるが、御上の手を借りるしかあるまい。」
それを聞いて正信と八百乃は反論する。
「御上にこの件を報せるのですか?
それではこの藩が、ひいては定国様が厳しい責めを負うことに。」
「そうです。事情はどうあれ、
長きに渡る不正とそれを知ってて見逃していたことが知れれば責は重くなります。
それにこの藩は密貿易もしております。
勘定奉行の調べが入ればそちらの件についても追求されましょう。
最悪、改易されて定国様は腹を斬らされます。
そして家は取り潰されこの藩は事実上消滅します。」
それを聞いて定国も頷いて返す。
「確かに、五郎左衛門の一党は勿論、余にも厳しき沙汰があることは事実であろうな。
じゃが、もはや手段を選んでいられる状況でものうなった。
奴らをどうにかせねば、こちらが殺される。そういう状況じゃ。
世継ぎを生むまでは余に手は出せぬが、御主らは別じゃ、
あの男は御主も南龍も、正信も全て殺すじゃろう。
虫の手足をもぐが如くな、そして余を動けぬようにして子を産ませ、
その後は余も殺すであろう。それだけは避けねばならん。」
その言葉を南龍が引き継ぐ。
「とはいえ、今の上様は道理の判る御方です。
きちんと経緯を話せば、改易され領地を一部没収されるくらいで済む可能性が高いです。
ただ、問題はどうやって将軍様のお膝元まで行くかです。
ただ使いを出しただけでは、五郎左衛門に感づかれ消されてしまいましょう。」
南龍がそこまで話したところで八百乃が彼の言葉を手で制する。
そして人差し指を口の前に立ててみなに静かにするように伝える。
しばらくすると、人間の耳にも何者かが近づいてくる足音が聞こえてくる。
その者は五郎左衛門の使いで、
相談したいことがあるのでみな集まって欲しいという内容を彼らに伝えた。
※※※
城内でも比較的広く、みなで集まる時は何時も利用される間に一同が会す。
定国一行と五郎左衛門の一派は何食わぬ顔で互いに定位置に座る。
そして場が整ったと感じたとき、定国は五郎左衛門に問いかけた。
「何やら物々しい雰囲気のようじゃが、何用じゃ五郎左衛門。」
「は、由々しき事態にてお集り頂きました。詳細は武官の武太夫から説明いたします。」
「それでは、結論から申しまして、何者かにこの藩が侵略を受けている気配があります。」
「・・・続けよ。」
「は、現在城下には避難民が大勢集まっていますが、
それは主に経済的に裕福ではない層が多く。
地主などの農豪や稼ぎの良い問屋などはこの限りではありません。
彼らは蓄えを持っていますので、それで今まで通り自分の家に住んでいますが。
そんな領内に点在する蓄えのある者達が何者かに襲撃を受け、
強奪にあっているという報告が上がっています。」
それを聞いた定国は当然の疑問を口にする。
「それは食うに困った者達が強盗に鞍替えしているだけではないのか?」
「勿論、その可能性もあります。ですがこの藩はまだ城下まで来れば食料を受け取れます。
お尋ね者になる危険を冒してまで、強盗を繰り返すのは少々腑に落ちませぬ。」
「侵略、と申したな。つまり強盗の裏に糸を引いてる者がいると考えているのだな?」
「はい、此処南海では食料を中心とした物資の不足がどの藩でも悩みの種です。
勅命により藩同士の争いはご法度ですが、飢えた民が勝手に押し入った。
という建前で行われる略奪なら何とでも言い訳が立ちます。」
「実際に食い詰めた者達を集め、一部の者達に扇動させるなりすれば可能か・・・
して、対策はあるのか? 神出鬼没な連中のようじゃし、潜むための空き家はごまんとある。」
「は、相手の目的がこの藩の物資であるとするならば、
こちらがそれを提供出来ることを示せばこの襲撃も止みましょう。」
「八百乃達が集めているという食料の事か?」
「はい、元々それらは飢えた民を救うためにただで配られる予定の物。
それを取引材料にして貸しをつくり、相手に効率の悪い強奪などやめるように言い含めます。」
武太夫がそこで言葉を切ると、その後を五郎左衛門が継いだ。
「ただ問題もあります。裏で手引きしているのは何処かという点です。
目立たず物資を長距離運ぶのは難しゅうございます。
そういった地理的な観点から申しまして、主犯は東か南のどちらかでしょう。」
「気質を鑑みれば東が臭いが、追い詰められると人間何をしでかすかしれん。
どちらにも使者を派遣せねばならんということか。」
「左様でございます、そうして正式な約定を書状なりで交わすのです。
もちろん、そうした書状に不備がないか、勘定方の二人をそれぞれの城に随伴させます。」
「相分かった。日取りや人員などの細かい差配はお前に任せる。」
「畏まりました。殿。」
話し合いはそこで終わり、その場はそれで解散となった。
しかし定国ら一行は誰に言われるでもなく。その夜再び天守閣に集まっていた。
※※※
「南龍、此度の件、どう考える?」
「十中八九、仕掛けてきたと見て間違いないでしょうな。」
そんな定国と南龍の会話に正信が突っ込む。
「どういう意味でしょうか? 一部の蓄えを持った者達に対する襲撃。
この報告が虚偽であるとお考えでしょうか?」
「そこまでは判らん。五郎左衛門が手引きして行わせたか。
先に他藩の者達が手を出してきたのを幸いに五郎左衛門が乗っかったか。
はたまた報告自体が嘘でそんな事実は存在しないのか。
まあどちらにせよ重要なのは、我らが分断されるということよ。」
「八百乃殿と正信殿はそれぞれ数日、実質一人で旅をせねばなりません。
その間に彼らはあなた方を狙ってくることは間違いないかと。」
「確かに、城内や城下では人目もありますし、中々刺客を差し向けるにしても難しいですね。
逆に此度の道行きでは道中、何時でも襲う機会がありますからねえ。」
「まったく、あれだけやられてまだ懲りてないなんて。呆れてものも言えません。」
「そうじゃな。八百乃に対しては普通のやり方では通じぬと解っておるはず。
それだけに気をつけよ。向こうには武太夫という戦上手もいるからのう。」
「そうですね、私は兎も角、正信一人では心配です。
何らかの手を講じる必要がありますね。」
そういうと八百乃はブツブツと呟きながら思案を始める。
「しかし若様。これは転じて好機かもしれませぬ。
普段であれば、この城から人に知られず出入りするの難しゅうございます。
しかし使者が発つ時に乗じて動けば、気取られる心配も減りましょう。」
南龍の提案を聞いた定国は、考え事をしている八百乃に水を向ける。
「のう、形部狸は人を化かすことが出来るのじゃろう?」
「は・・・はい、確かに我々の種族は変化を得意としますが。」
「それは御主が誰かに成りすますだけではなく、無い物を在る様に見せることも出来るのか?」
「ええ、屋敷を丸々一つあるかのように見せたり、葉っぱを小判と錯覚させるなどが可能です。」
「では逆に、居る者を居ないかのように化かすことも出来るか?」
「え、ええ、例えば先の屋敷の例でいえば、
屋敷の壁から本来そこにある樹木などが生えていたらばれてしまいますから。
そういった在るものを視覚的に消すことは可能です。」
「ふむ・・・ならば決まりじゃな。南龍は八百乃の一団に同行。
術で姿を隠しつつ隙を見て一団から離脱せい、
そして外から中が見えぬ籠などに乗り換えて船へ乗れ。」
「御意。それでは八百乃殿、よろしくお願いしますぞ。」
「解りました。お任せ下さい南龍様。」
※※※
そして、話し合いのあった日から月日が経ち、燐藩への出立を明日に控えたある日の夕刻。
正信は昔通っていた道場にて汗を流させてもらっていた。
ここ最近、彼は城勤めで鈍った体と感覚を鍛えなおしていたのである。
今日は何時もと違い、最後の仕上げとして師に軽く稽古をつけて貰い、
それで鍛錬を締めくくっていた。
彼は師に頭を垂れながら礼を言った。
「ありがとうございます。お世話になりました。」
「また体を動かしたくなったら来るといい、門下の者達にとってもいい刺激よ。
それにしても惜しいのう、御主なら磨けばあの武太夫にすら届くかもしれぬというのに。
やはり時代は学問ということかのう。
まったく、天は二物三物と一人に与えすぎじゃ。もったいないもったいない。」
「恐悦です。ですが自分など全然ですよ。」
「ふん、嫌味にしか聞こえぬわ・・・・・・おっと、迎えが来たようじゃぞ。
待たせては悪い。それではな不肖の弟子よ。」
正信が振り向くと夕日の中、ちょこんとした影が彼に向かって手を振っていた。
正信は自分の体の匂いを嗅いで少々ばつの悪い顔になった。
会えたのはうれしいがせめて風呂に入ってからにして欲しかった。
臭いなどと言われたらそれが事実でも凹んでしまう。
だがそんな彼の杞憂を何処吹く風でヤオノは正信に近づいてきた。
そしてスンスンと鼻を鳴らすと少し顔を赤らめてうっとりとする。
「良い匂い。ふふっw 少しだけど男前が上がったんじゃない?」
「あ・・・汗臭いでしょうに、余り嗅がないでくださいよ。」
「照れない照れない♥ 好みはあるでしょうけど、
基本的に私達にとって汗の匂いは不快なものではないわよ。
だってそうでしょう。行為の最中にだってたくさん汗をかくのに、
人間より鋭い嗅覚を持つ私達がその匂いに不快感を持つんじゃ都合が悪いわ。」
「そりゃそうでしょうけど、あまりじっくり嗅がれるのも恥ずかしいですよ。
それでどうしたんです? 明日のことで何か話でも?」
「ええ、これよ。」
そういってヤオノは懐から三枚の萎れた葉っぱを取り出した。
「これはね、私の妖力を込めてあるありがたい葉っぱよ。
一枚に付き一回、つまり計三回しか使えないけど、
私の妖術の力が少しだけ使えるわ。」
「三枚のお札ですか?」
「ええそうよ。もしまずい相手に襲われたら、これを使って全力でお逃げなさい。」
「勝て、ではないんですね。」
「勝つって何? 刺客の一人や二人、倒したところで状況は変わらないわ。
でもあなたが殺されたり敵の手に落ちる。これは状況が変わるわ。
定国様にとってあなたは自分が考える以上に大きな存在よ。
わたしにとってもね。自分を大事になさい。」
「ありがたく頂戴します八百乃さん、葉っぱも言葉もね。」
「それじゃ正信、この後少しだけ付き合ってもらうわ。
ご飯でも食べながらその葉の使い方や効果について説明するから。」
「先に風呂にしていいですか? 気持ち悪いので。」
「・・・惜しいけど、まあいいわ。」
「え?」
「なんでもないわ。さあ行きましょう。」
道すがら正信はヤオノに話しかける。
「八百乃さん。」
「なあに?」
「もし今回の件が無事終わったらお願いがあります。」
「改まってどうしたの。まさか告白かしら。」
おどけた口調で返すヤオノに対し、正信は少し言葉を濁しながら続ける。
「その・・・し・・・」
「し?」
「し・・・尻尾を・・・もふもふさせて頂ければなあ・・・などと。」
それを聞いたヤオノはしばし目を見開いて顔をそらす正信を見上げていたが、
クスリと苦笑すると周囲に人が居ないのを確認して尻尾を出す。
「そんなことでいいの? だったら別に此処でもいいわよ。」
ふわりふわりと彼の鼻先をぎりぎりで触らぬように尻尾を振る。
それを見て触りたい抱きつきたい押し倒したいなどと欲望を膨らませる正信。
そんな欲望を抑え、必死に震える正信を見てヤオノは少々ドキドキしていた。
(ああ〜なんかこの子、このままずっと待てさせてみたい。
なんか被虐心を煽るところあるわよねえこの子。
・・・いかんいかん、定国様というものがありながら。)
「うれしい申し出ですが、やっぱり終わってからにしましょう。
げんを担ぐではありませんが、先に御褒美をもらってしまったら頑張れなくなりそうですので。」
「そう。」
正信の必死のやせ我慢をヤオノは微笑ましい心持で尊重した。
12/07/25 07:06更新 / 430
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