連載小説
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転章〜天守春画談義 その1
日も高い山中を歩く一人の男、裃の上からでも判る岩のような肉体にいかつい顔。
緩やかな山道を隙なく歩くのは武太夫である。
武太夫は定国の招きに従い昼食後、本丸を目指して歩いていた。
用件は聞かされておらず、武太夫は道すがら思案に耽る。

殿が直々に私を招かれるとは珍しい、私と五郎左衛門の繋がりを知らぬでもなかろうに。
いったい何用であろうか、五郎左衛門を裏切るように説得でもするつもりであろうか?
いや、あの方はそんな愚かではあるまい、
今事を起こしても五郎左衛門をどうこう出来ぬことくらい先刻承知のはず。

昼行灯などと揶揄された先代と違うて殿は真切れる御方じゃ。
正直その考えはあの古狸の五郎左衛門を持ってしても解せぬらしい。
私ごとき暗愚が考えても休むに似たりか・・・

そこまで考えて武太夫は先代の城主のことを考える。
昼行灯、そう呼ばれていたが私から見てあの方はそれなりの能を持っていた。
ただそれを発揮する場を与えられなかっただけで、
普通に此処以外の藩で藩主を務めていればそれなりの評価を得られたであろう。

むしろ昼行灯などと揶揄している者共の方がよほど問題だ。
父から家督と位を譲り受けることが決まっているゆえにそれに甘んじ、
自身を磨くことを怠った物共。
正直政(まつりごと)など門外漢の私から見ても、この城の使える人材の少なさは問題だ。
殿が外から人材を募ると申された時、
あの八百乃の時程ではなくとも、似たような展開になることはよめていた。

女の藩士への登用は周囲への体裁というものもあり反対であったが、
決まったものは仕方がない、他の者がこれを期に己を見つめなおし
研鑽に励んでくれれば良いと思っていた。
しかし、結果はむしろ逆で外から来た者共をどう追落とすかの算段まで立てる始末。
つくづく救いようがない、そしてそのような者らでも何とか勤まる程に家と身分の力は大きい。

最近判って来たが、五郎左衛門はむしろ一定以上有能な者を傍に置きたがらない。
伺いを立てねば動けぬような、しかし家柄だけは立派な者共を好んで重用している節がある。
それ以外の目のある者達は巧みに要職から遠ざけたり、
私が知らぬだけで消された者もそれなりにいるであろう。

つまるところ、彼奴めは誰も信じておらぬのだろう。
私のように弱みを握るか、行動を把握できるような者しか傍に置かぬのはそういうことなのだ。
しかし、自分の死後はどうするつもりであろうか?
五郎左衛門という頭がおらぬようになれば、
五郎左衛門の一派だけでは藩政は間違いなく立ち行かなくなる。
こういってはなんだが、あの方の御子らに代わりは務まるまい。
彼の嫡男も例外に漏れず頼りない者達だ。

それこそ、定国様が藩政を取り戻すとすればそこが勝機であろうが、
その事を考えられぬ程あの狸の血の巡りは悪くない。
だが何の対策も講じておるようには見えぬ。
御紺様が殿と御子を作られ、その後見人として実権をにぎるとして、
例え孕んだ後にすぐに殿を謀殺されたとしても残された時間は知れたもの。
殺しても死ななそうではあるが、あれでれっきとした人間だ。
未来永劫に生きるというわけにはいくまい。

長々と考え事に耽るうち、武太夫の脚は何時の間にか城の敷居を跨いでいた。
その目には城の幾重にも巡らされた城壁と天守が映っていた。
天守で待っているであろう定国に、今の自分の考えを問うてみようか?
などと一瞬武太夫は考えたがすぐに苦笑してかぶりを振った。

私も血迷うたかな・・・


※※※


私が殿の待つ部屋の前に着くと、戸は開け放たれており中に大量の書と二人の人影が見えた。
一人は自分を招いた城主定国様、そしてあれは・・・正信か・・・
正信、下士の家の三男坊でもちろん位は下士だが、
殿の計らいで白札として八百乃などと同様に上士に近い扱いを受けている。
もちろんそれだけの才覚を持つ奴で、勘定方だが剣の方もそこそこ出来るらしい。
何用であろうか?あやつも殿に呼ばれたのであろうか。
まあいい、聞けばすむこと。そう考えて私は殿に声を掛けた。

「殿、ただいま参上いたしました。して私に何用でしょう?」
「おお、武太夫か。ふむ、まあこの正信の言うことを先に聞いてくれ。
余の用事についてはその後で話すとしよう。」

私は正信の方に向き直るとその言を待った。

正信は殿に説明したであろうことをもう一度説明をしたのだろう。
その言葉は淀みなくすらすらと出てきており、内容も手短にまとめてあった。

「特別会計についてです。年貢や毎年の藩政で掛かる支出などの一般会計とは別に、
前年度の繰越金や殿自体が保有する資産から緊急時の支出、
軍備増強などの藩の方針による支出の増加分を賄うのが特別会計。
城内の修理や治水事業などに掛かる資金も此処から出ます。
ですがおかしなことに気がつきました。
城内のある箇所の修理費が二回申請されていたのです。
3月の頭と4月の半ばにまったく同じ内容の申請がされています。
調べて見ると確かに修理はされていましたが、二度目の修理をした事実はありませんでした。
結論は一つ、一部の上士の方による不当な使い込みがあったと見るべきでしょう。」

「じゃとさ武太夫、さてどうする?」
殿が面白そうな顔をしてこちらを見ている。
私は頭が痛くなってきたので深く息を吐き出した。
そして正信に静かに語り聞かせる。

「聞かなかったことにする故、そなたも忘れられよ、それが其処もとのためぞ。」
「おっしゃる意味が解りかねます武太夫様。」
「探れば芋づる式に似たようなものが数多掘り起こされるであろう。
そしてその一番先にいるのは誰か、少し頭を働かせれば解るであろう。」

正信はそれを聞いて思い至ったらしくその顔を少し青くする。
自分が虎の尾を踏む寸前であったことが漸く解ったと見える。
私もこれ以上、殿のお気に入りを相手に抜きたくなどない。

「まあそういうことじゃ正信、
だいたいお前が気づくことを八百乃が気づかんと思ったか?
だいぶ前に同じような進言は受けておるわ。
じゃが現状、そのことを追求するは向こうに宣戦布告するに等しい行為。
いずれするにしても今は時期尚早ということじゃな。
元々この藩は立地を生かし、お上に内緒で密貿易をして小金を稼いでおるからな。
まあ馬鹿共が多少使い込んでも藩政が傾くほどではない。」

殿はさらっと御上の間者にでも聞かれれば藩の存亡に関わる内容を口にする。
「殿!お控えくだされ。何処に間者がおられるか知れませぬ。」


一応進言するが無駄であろう。この方は妙なところで肝が据わっている。
そして予想通り殿は私の言を軽く笑い飛ばす。
「何処の間者がおるというのだ?こんなくそ田舎まで将軍が態々忍びを差し向けるとも思えんし。
東と南の藩辺りならそもそも聞かれても困らん内容じゃ。あいつらも同じ穴の狢じゃからな。」

それはその通りだが、万が一ということもある。それとも自分が小心なのだろうか?
押し黙る私の代わりに正信が殿に対し話を向ける。

「それで殿、わざわざ呼ばれた理由、そろそろお聞かせ願えますか?」
「うむ、そうじゃな。もったいつけるのも余の流儀ではない。ええと、これと・・・これか・・・」

そういって殿は山と詰まれた本の中から二つの本を取り出す。
そしてそのうちの一つを手に取るとパラパラめくり、片手で立てて持ちこちらに中を見せてきた。
「こいつを見てくれ・・・こいつをどう思う?」
「「すごく・・・大きいです。」」
きせずして同音を発する私と正信。

そこにはとても豊満な肉体をした女人の絵が描かれていた。
反対のページには恐らくその女性に関する内容が記されているのであろう。
絵としては小さいが、胸をはだけ男に奉仕している絵も付いていた。
相当に古い本らしく、文字がところどころ掠れて読むことができなくなっている。

「伸びておるぞ鼻の下が。」
殿はしてやったりという顔をしながらページを捲っていく。
どのページも大体同じような構成で見目麗しい女人の絵と反対側に文字が書かれているようだ。
ところどころに女人の痴態が描かれており物語りつきの春画集といった按配だ。
しかし、もっとも注目すべき点はそこではない。
どの女人にも尻尾だの角だの羽だの、人にあらざる物が付いている点である。

「それは・・・妖怪でしょうか?あまり見たことも聞いたこともないものばかりですが。」
「その通りよ正信、これは魔物娘図鑑という大陸の古い発禁本じゃ。
国によっては持っておる者、販売した者、運んだ者、残らず罰せられるような代物よ。」
「魔物は妖怪のことですよね。では娘とは?ことわらずとも妖怪はみな女性でしょうに。」
「わざわざ娘とつけておるのはな。これが書かれた少し前までは、
妖怪はみな女性とは限らなかったようじゃ。今以上に人間離れした化け物の姿で、
人を喰らい完全に人と敵対しておったらしい。」

殿に渡されたそれを私は捲っていく、鬼や河童など一部なじみのある者達も載っているが、
基本的に聞いたことのない者達ばかりである。
「かような者達が大陸には昔からひしめいておるということですか。
それにしても大昔は妖怪にも男がおったですと?何とも胡散臭い話です。
この本、あくまで物語であって資料としては信用ならぬのでは?」

殿はその言葉を待っていたと言わんばかりに語りだす。
「その考えはもっとも、じゃから余も片っ端から調べた。」
そう言って殿は山と詰まれた書物をポンポンと得意げに鳴らす。
「この国の古書や古い歴史書、大陸の様々な国や宗教の本を八百乃の伝で集めて読みまくった。
その結果、この本の内容と一致する事柄が非常に多いことがわかった。
じゃからこの書を記した魔物学者とやらが詐欺師ではないと余は考える。
こちらも見るがよい、同じ者が書き記したもう一つの本よ。」

最初の図鑑に比べると多少薄い本を殿はもう一つ開く。
内容は文字が多く図鑑とはだいぶ構成が違う。
「こちらはどのような内容で?」
「大陸に於ける最大の勢力がとある宗教団体ということは承知しておるな?
複数の国にまたがり大きな権勢を所有し、妖怪との交わりを堕落と禁ずる者共よ。
そのものらの関係する当時二番目に大きな国家が過激派の魔物によって陥落させられる。
その様が魔物本人からの情報提供により断片的に書いてある。
また魔物の生態や思想、風俗なども見聞し色々と記してある興味深い書よ。」

私は武官として妖怪に国家が陥落させられた、
という本に興味を引かれそちらを読みふける。
情報は断片的であるが、当時大陸の教団の息が掛かった国でも、
2番目の規模の軍事大国とやらがまるで勝負になっておらぬ。
しかも妖怪の王たる魔王とやら本人ではなく、娘の一人が率いる一団相手にこのざまである。
これが事実なら教団側に勝ち目は無い。勝者の弁ではあるが、おそらくこれは事実であろう。
伝聞ではあるが、ウシオニ1匹を相手にするがいかに難物であるかは聞いたことがある。
それ以上の怪物達が統制を取って奇襲を仕掛けてくる。
一体如何様な力を持ってすればそれを防ぎ撃退できるというのであろう。
自分には想像もつかなかった。

それにしてもどの娘も良い体をしておる、顔も胸も腰つきも大層良い。
そこらの女郎や花魁も裸足で逃げ出そうという者達ばかりよ。
む、正信めは図鑑の方を食い入るように見ておるな。
その手はあるページで止まっていた。
あり・・す?・・・正信よ相手が人間でないとはいえ、
その容姿相手にいたすのは流石に犯罪ではなかろうか。
などと考えていると横で声がした。

「遅れました。」
「おお、待っておったぞ。先に始めておるが、これで全員揃ったな。」

私と正信はその声に石のように固まり、首をギシギシと回して横を見る。
そこには空耳であってくれという淡い希望を打ち砕くように八百乃が立っている。
と・・・殿・・・かような場に女人を招くとは、御乱心召されたか?


※※※


僕はアリスという魔物の着ている衣装を見て思った。
洋服について詳しくはないのでこれが何と言う衣装なのか知らないが、
何ともかわいらしい、抱きすくめて頭をぐりんぐりん撫で回したい衝動にかられる。
着物もいいけど、こういうのを着ている八百乃さんも見てみたい。
照れながらフリフリした洋服を着こなす彼女の姿を想像し、
自分の頬が思わず緩むのが解る。

傍から見たら何ともだらしない顔だろう、などと思う。
今の顔は八百乃さんには見せられない。
まあここは男の聖域、我々だけに許された泡沫(うたかた)の楽園。
女性は何人たりとも・・・
「遅れました。」
「おお、待っておった○○○○〜〜〜〜〜〜」

聞こえてはならぬ声が聞こえた気がした。
定国様が何か言っていたが僕の耳にはまるで入らない。
空耳かな・・空耳だろう・・・空耳であって欲しい。
僕は自分の耳がおかしくなったかなと期待しつつ首を声のした方に回す。
だが僕の耳は愛しい人の声を間違えるわけもなかったようだ。

母さん、あなたに押入れの春画を見つけられ、
机の上に出されていたあの時より僕は絶望しています。
父さん、似たような状況であなたはそれを母さんに見せて、
中身と同じ内容の性交を求めたとの武勇伝をお聞かせ願いましたが、
僕にはとてもまねできません。僕はほんとは橋の袂で拾われたのではないでしょうか?

思わず妄想の両親相手に現実逃避をかますが残念。
現実からは逃げられない。

「そういうのもいける口なのね正信。あと武太夫様も、少々意外ですが。」
「だから言うたであろう。この手のことに関してはこやつは話せる奴じゃよ。」

酷すぎる、僕は定国様に生まれて初めてといっても良い本気の殺意を抱く。
よりにもよって何故この人なのだ。ある意味今は一番会いたくない相手だ。
招待しておもむろに妖艶な妖怪達の春画を見せられ、
あげく鼻の下を伸ばしているところを好きな女性に見られる。
生き恥とはこのことだ。僕は怒りをもって定国様を睨みつけた。
武太夫様も僕ほどではないにせよ同じような心持のようで、
殿に渋い顔を向けている。

「酷い趣向でございますな。戯れがあまりに過ぎるのでは?」
「まあそう睨むなw間の悪さは偶然よ。そもそも三人相手に同時に見せるつもりであったしな。
まあ八百乃はすでにこの本と内容についてある程度知っておるから、
先に来たお前らに予習させておいたまでのことよ。」

「すでに知っている?何故八百乃さんが?」
「文字は読めてもそれが何を指すか、地名なのか人名なのか物の名前なのか。
そういったことを教えて欲しい、そう定国様に命ぜられ教えていたのよ。」
「我らと違い八百乃は実家の関係で海を渡り大陸の方へ出向いたこともあるとのこと、
色々とその時見聞きしたことなども交えて教えてもらっておったのよ。」

定国様は何時ものようにカラカラと笑いを天守に響かせると、
かいた胡坐の膝をぴしゃりと叩く。
その動作と共に定国様の顔が真剣みを帯びて場の空気が変わる。

「さて、全員揃い場も暖まったところで、
一つ今後の火の国と我が藩の行く末、
そしてこの国の成り立ちについて余の思うところを語りたいと思う。」

うつけとも評されるこの御方だが、
時たま覗かせる本気の時の顔は、
名君と呼ばれるに相応しい覇気と知性を兼ね備えている。

僕らは黙って定国様の口が再び開くのを見守った。
12/06/14 23:13更新 / 430
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■作者メッセージ
長くなったのでまた分割。
ちなみにすごく大きいのはホルスタウロスちゃん

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